人生地理学

2020年4月30日

「人生地理学」からの出発

 自己を知り、

豊かな世界像を築くために


2020年4月30日
東京学芸大学名誉教授 斎藤毅


第1回 牧口常三郎と「人生地理学」 


 今月から、東京学芸大学名誉教授の斎藤毅さんの新連載「『人生地理学』からの出発――自己を知り、豊かな世界像を築くために」をスタートします。日本地理教育学会元会長の斎藤さんと一緒に、地理教育の実践者でもあった牧口常三郎先生の大著『人生地理学』をひもときながら、私たちの生活と地理学との関係などについて考えていきたいと思います。(原則、月1回掲載。この間、「切手で築こう現代の世界像」の連載はお休みします)


座談会風にくつろいで


 これからお話しすることは、「自然観」や「世界像」など、あまり普段、耳慣れない言葉がいろいろ出てくるので、何か哲学的で面倒な話ではないかと気遣われる方がおられるかもしれません。しかし、ご安心ください。「確かに、これまで全く気付かなかった」ということは、あれこれあるかと思います。また、「そう言われれば、その通り」と納得されることも多いでしょう。哲学とは本来、そういうものです。どうぞ、座談会に臨まれる気持ちで、お互いに気軽にくつろいでいきましょう。


大学教員時代に出合う


 私が牧口常三郎師を書物で初めて知ったのは、大学院を出て最初に教壇に立った鹿児島大学でのこと。当時、地域研究や郷土研究の方法論に関心があって、柳田國男の日本民俗学について研究している時でした。
 牧口師が『人生地理学』という大著を著し、柳田とも親交があったばかりでなく、五千円札の肖像ともなった新渡戸稲造の「郷土会」にも名を連ねていたのを知ったからです。牧口師については創価学会の創立者として名前だけは知っていましたが、何とも意外な感じでした。ただ、その時は同じ地理学の研究者として、ある種の親しみを感じるにとどまりました。
 それにしても、これはいささか不勉強のそしりを免れませんが、少なくともそれまで牧口師やその著作について、大学や大学院の講義やゼミで耳にしたことはなかったのです。
 ずっと後になりますが、私の畏友の一人、故・竹内啓一氏(日本地理学会元会長)は、『近代日本地理学史』を海外向けに英文で刊行。その中で「牧口常三郎と仏教」のテーマで、「創価学会の創始者:知られざる地理学者」としつつ、11ページにわたってかなり詳しく紹介しています。
 ところで、読者の皆さまは逆に地理学者としての牧口師はあまりご存じないかもしれません。また、地理学そのものについて、特にその方法論的な問題や、地理学と人生との関わりなどについて関心をお持ちの方が多くないとしたら、とても残念なことです。


牧口師と地理学の関係


 牧口師は評伝によると、明治26年(1893年)に北海道尋常師範学校を卒業され、直ちに付属小学校の訓導、すなわち現在の教諭に就任。明治29年(96年)には、あの難関の文部省中等学校教員検定試験の「地理地誌科」に合格。翌年には母校の地理科担当の助教諭に任命されています。しかし、付属小学校の訓導は併任していました。
 その後、『人生地理学』をはじめ、郷土研究法など地理教育論に関する多くの著作の発表が続きます。
 日蓮仏法に帰依されたのは昭和3年(1928年)。『創価教育学体系』第1巻の刊行は昭和5年(30年)です。このように牧口師は地理学の研究や地理教育の実践者として、その人生の多くを過ごし、特に地理学を通しての教育への関心は極めて高かったようです。創価学会も、創立当初は「創価教育学会」だったのをご存じでしょう。
人間生活の視点から
 さて、『人生地理学』を今では電子書籍(本社刊)で容易に手にすることができますが、原著は濃い緑の表紙のある分厚いものでした。その具体的な内容は後ほど紹介しますが、明治後期の地理学書としては珍しく、「系統地理学」的な手法が取られています。
 すなわち、世界の自然とそれに関わる人間の営みを農業や工業など、いわばテーマ別に取り上げ、それぞれを「人生」(=人間生活)の視点から記したものです。一般に地理の書物は、例えば福沢諭吉の『世界国尽』をはじめ、国や地域を総合的にまとめた「地誌」が多く、その集大成が「世界地理」と呼ばれてきました。
 従って、この『人生地理学』は、「世界地理」が頭の中にある人たち、つまりは後述する世界像がそれなりにできている人たちにとっては、その相互の結び付きが理解でき、国際的な動きもよく認識できたと思われます。


志賀重昂の推薦を得る


 北海道の小学校で多くの地理教育の実践を積みながらも、上京当時の牧口師は世間一般に認められていたわけではありません。
 幸い、『人生地理学』の出版に際し、志賀重昂の知遇を得て、推薦の辞をもらっています。
 札幌農学校出身の志賀は在野の地理学者でしたが、世界各地を遊学。新しい地理学を修め、地理書『日本風景論』を出版。これが大ベストセラーとなり、当代きっての著名な地理学者となっていました。実際、牧口師もこの書物に少なからず影響を受け、後に「環境決定論」と呼ばれる当時の地理学の思想を踏まえており、『人生地理学』の中でも直接、志賀の説を随所に引用しているほどです。


「日本風景論」の中身


 『日本風景論』が地理学の研究者ばかりでなく、当時、国民的に迎えられたのには、その時代的背景が大いに影響していました。なお、この本は今では岩波文庫の一冊となり、容易に読むことができます。
 明治維新後の日本の近代化の中で、日清戦争を経た日本人に、『日本風景論』は風景観の転換を迫り、ナショナリズムのよりどころを与えたためでした。それまで多くの日本人は、世界で最も美しい国は清国(中国)と思ってきました。床の間の掛け軸には、桂林付近の竹の子型の絵が飾られています。一種のカルスト地形ですが、日本の石灰岩地域で見ることはできません。また、大名や豪商、文人たちは、湖南省の景勝地を描いた「瀟湘図」を求め、それへの憧れから、いつしか相模湾岸地方の一部に「湘南」の地名さえ与えたほどでした。
 志賀が新しい地理学を学んだのは、実はヨーロッパでも風景観の転換が行われた後でした。
 少々余談ですが、今、私たちはアルプスの山々を大変美しいと感じ、スイスは憧れの観光地の一つです。しかし、かつてアルプスはヨーロッパを南北に分断する、いわば魔の山。人々は恐る恐るその幾つかの峠を越えました。主要な峠にサン・ベルナールのように聖者の名前が付けられているのも、その表れでしょう。そのうえ、アルプスの山麓は氷河に削られた岩がゴロゴロする痩せた土地。作物も十分に育たず、住民の多くは草をヤギや牛に与え、牧畜で暮らしを立てていました。
 ヨハンナ・シュピリの小説『ハイジ』には、夏の山小屋の生活が描かれていますが、雪の消えた森林限界上の草原の草もヤギの飼料として大切なものでした。なお、この草原が、本来の「アルプ」です。

 
英国の青年に見習って


 こうした貧しいイメージのアルプスを美しい観光地に転換させたのは、産業革命で豊かになった英国の貴族の子弟たち。彼らは人生経験を深める修行の一環として、主にイタリアへ向かいました。いわゆる「グランドツアー」です。途中のアルプス越えの際、氷河に輝く山々や山人の素朴な人情に魅惑されます。あえて雪山に挑戦する若者も現れ、アルピニズムが興隆。アルプスに対する風景観の大転換が起きたのです。
 さて、志賀は自ら中部山地などの高山でスポーツ登山を奨励するとともに、本場のアルプス山脈に劣らぬ、日本列島の背骨を成す山々の風景美をたたえます。同時に、日本の各地にある富士山のようなコニーデ型の火山の美しさを愛で、日本がいかに風景の美しい国であるかを新しい地理学的知識を援用しつつ展開したのが、『日本風景論』です。彼は、当時の日本人に風景観の大転換をもたらし、結果的にナショナリズムの形成を促して人々に迎えられたのでした。
 閑話休題。このような著名人の推薦もあって、『人生地理学』もまた高く評価され、名著として受け入れられたのです。
 次回は、『人生地理学』の内容を少し具体的に見ていきましょう。

 

 さいとう・たけし 1934年、東京生まれ。理学博士。東京学芸大学名誉教授。専攻は地理学、地理教育論。日本地理教育学会元会長、日本地理学会名誉会員。著書に『漁業地理学の新展開』『発生的地理教育論――ピアジェ理論の地理教育論的展開』など。

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