SGI提言㊤

第46回「SGIの日」記念提言㊤

 

 「危機の時代に価値創造の光を」

2021年1月26日

 

創価学会インタナショナル会長 池田大作

 

 きょう26日の第46回「SGI(創価学会インタナショナル)の日」に寄せて、SGI会長である池田大作先生は「危機の時代に価値創造の光を」と題する記念提言を発表した。

 提言ではまず、世界が今、深刻化する気候変動の問題に加えて、新型コロナウイルスの感染拡大とそれに伴う社会的・経済的な混乱に直面している状況について言及。危機が日常化する中で、社会の表面から埋没しがちになっている「さまざまな困難を抱えた人たち」の存在に目を向け、苦しみを取り除くことの大切さを仏法の視座から強調している。

 その上で、冷戦時代にアメリカとソ連が、ポリオや天然痘の克服のために協力した史実などに触れて、各国が「連帯して危機を乗り越える意識」に立つことの重要性を訴えるとともに、感染者への差別や新型コロナを巡るデマの拡散を防ぐ努力を重ねながら、誰も蔑ろにしない「人権文化」を建設することを呼び掛けている。

 

 続いて、国連で「コロナ危機を巡るハイレベル会合」を行い、新型コロナ対策の連携強化の基盤となり、新たな感染症の脅威にも対応できるような「パンデミックに関する国際指針」を採択することを提案。 

 また、今月22日に発効した核兵器禁止条約の最初の締約国会合に日本が参加し、唯一の戦争被爆国としてのメッセージを発信することで議論を建設的な方向に導く貢献を果たすよう呼び掛けている。

 加えて、核拡散防止条約(NPT)再検討会議で、新型コロナの影響で世界が甚大な被害を受けた状況を踏まえ、「次回の2025年の再検討会議まで、核兵器の不使用と核開発の凍結を誓約する」との文言を最終文書に盛り込むことを提唱。

 最後に、コロナ危機からの経済と生活の再建に向け、社会的保護の拡充を柱としながら、「誰もが安心して暮らすことのできる社会」を各国が協力して築くための方途について論じている。(1面から5面に掲載。㊦は次号に掲載予定)

 

新型コロナの問題を乗り越え

 希望の社会を共に建設

 

 私たちは今、これまで人類が経験したことがない切迫した危機に直面しています。

 異常気象の増加にみられるような、年々悪化の一途をたどる気候変動の問題に加えて、新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的な大流行)が襲いかかり、それに伴う社会的・経済的な混乱も続いています。

 未曽有であるというのは、危機が折り重なっていることだけに由来するのではありません。長い歴史の中で人類はさまざまな危機に遭ってきましたが、世界中がこれだけ一斉に打撃を受け、あらゆる国の人々が生命と尊厳と生活を急激に脅かされ、切実に助けを必要とする状態に陥ることはなかったからです。

 わずか1年余の間に、新型コロナの感染者数は世界で9900万人を超えました。亡くなった人々も212万人に達し(1月25日現在)、その数は過去20年間に起きた大規模な自然災害の犠牲者の総数をはるかに上回っています。

 大切な存在を予期せぬ形で失った人たちの悲しみがどれだけ深いものか、計り知れません。とりわけ胸が痛むのは、感染防止のために最後の時間を共に過ごすこともかなわなかった家族が少なくないことです。

 この行き場のない喪失感がいたる所で広がっている上に、経済活動の寸断で倒産や失業が急増し、数えきれないほどの人が突然の困窮にさらされる事態が生じています。

 

 一方、未曽有の危機による暗雲が世界を覆い尽くそうとする最中にあっても、「平和と人道の地球社会」を築く挑戦の歩みが、すべて止まったわけではありませんでした。

 核兵器禁止条約が今月22日に発効したのをはじめ、児童労働を禁止する条約=注1=に対して国際労働機関(ILO)の全加盟国の187カ国が批准したことや、野生株のポリオウイルスの根絶がアフリカで実現するなど、画期的な前進がみられたからです。

 いずれも、国連が2030年に向けて達成を目指している「持続可能な開発目標(SDGs)」にとって、かけがえのない重みを持つ成果であり、“困難の壁を打ち破る人間の限りない歴史創造力”を示したものにほかならないといえましょう。

 

 

困難を抱える人たちの苦しみをまず取り除く

 

 ブラジルSGIの「創価研究所――アマゾン環境研究センター」による「ライフ・メモリアル・プロジェクト」の発足式。式典では、ローズウッドなどの苗木が植樹された(昨年9月、マナウス市で)

 なかでも、昨年の国連デー(10月24日)に発効要件を満たした核兵器禁止条約は、国連創設の翌年(1946年)に総会の第1号決議で掲げられて以来、未完の課題となってきた核兵器の廃絶に対し、ついに条約として明確な道筋をつけた意義があります。

 冷戦下で核開発競争が激化していた1957年9月に、創価学会の戸田城聖第2代会長が発表した「原水爆禁止宣言」を原点に、核兵器を全面的に禁じる国際規範の確立を目指して、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)などの団体と行動を共にしてきた私どもSGI(創価学会インタナショナル)にとっても、条約の発効は何よりの喜びとするものであります。

 そこで今回は、世界中が深刻なショック状態に陥る中で、未曽有の危機を乗り越えるためには何が必要となるのかを探るとともに、「平和と人道の地球社会」を建設する挑戦を21世紀の確かな時代潮流に押し上げるための方策について提起していきたい。

 

パンデミックの宣言以降の日常

 

 第一の柱として挙げたいのは、“危機の日常化”が進む中で、孤立したまま困難を深めている人々を置き去りにしないことです。

 昨年の3月11日に世界保健機関(WHO)が新型コロナのパンデミックを宣言して以来、毎日のニュースで感染者や亡くなった人たちの数が報じられるようになりました。

 いまだ感染拡大の勢いは止まらず、収束の見通しは立っていませんが、連日、更新されている数字の意味を見つめ直すために、今一度、思い起こしたい言葉があります。

 パンデミック宣言の1週間後に、ドイツのアンゲラ・メルケル首相がコロナ危機を巡る演説で語った次の一節です。

 「これは、単なる抽象的な統計数値で済む話ではありません。ある人の父親であったり、祖父、母親、祖母、あるいはパートナーであったりする、実際の人間が関わってくる話なのです。そして私たちの社会は、一つひとつの命、一人ひとりの人間が重みを持つ共同体なのです」(駐日ドイツ連邦共和国大使館・総領事館のウェブサイト)

 もとより、こうした眼差しを失わないことの大切さは、巨大災害が起こるたびに、警鐘が鳴らされてきた点でもありました。

 しかし、今回のパンデミックのように、世界中の国々が脅威にさらされる状態が長引き、“危機の日常化”ともいうべき現象が広がる中で、その緊要性がいっそう増していると思えてなりません。

 

 私どもSGIでも、感染防止の取り組みを徹底するとともに、日々の祈りの中でコロナ危機の早期の収束を強く念じ、亡くなった人々への追善の祈りを重ねてきました。

 また、私が創立したブラジルSGIの「創価研究所――アマゾン環境研究センター」では、新型コロナで亡くなった人々への追悼の意を込めて植樹を行う「ライフ・メモリアル・プロジェクト」を昨年9月から進めています。

 一本一本の植樹を通して、これまでブラジルの大地で共に生きてきた人々の思いと命の重みをかみしめ、その記憶をとどめながら、アマゾンの森林再生と環境保護にも寄与することを目指す取り組みです。

 亡くなった人々を共に悼み、その思いを受け継いで生きていくことは、人間社会を支える根本的な基盤となってきたものでした。

 感染拡大が続く中で、故人を共に追悼する場を得ることが難しくなっている今、統計的な数字の奥にある「一つひとつの命」の重みを見失わないことが、ますます大切になっていると痛切に感じられてならないのです。

 

社会の表面から埋没する窮状

 

 この点に加えて、“危機の日常化”に伴って懸念されるのは、各自の努力で身を守ることが求められ、社会の重心がその一点に傾いていく中で、弱い立場にある人々の窮状が見過ごされがちになる恐れについてです。

 パンデミックに立ち向かうために、各国では医療体制の支援を最重要課題に掲げるとともに、「ニューノーマル(新しい日常)」が呼び掛けられる中、社会を挙げて取り組むべき対策が模索されてきました。

 直接的な接触を避けるために一定の距離を確保する「ソーシャル・ディスタンス」をはじめ、在宅での仕事の推奨とオンライン授業の導入などによる「リモート化」や、不要不急の外出を控える「ステイホーム」の推進などに代表されるものです。

 この呼び掛けを通し、急激な感染拡大を抑え、医療現場の逼迫を防ぐための取り組みが広がってきた意義は大きいと思います。

 なかでも、感染防止策の呼び掛けに対して、積極的に工夫や改善を試みる人が増えてきたことは、単なるリスク対策の域を超える可能性を秘めたものでもあったのではないかと、私は感じています。

 その行為は、まずもって大切な家族や身近な人々を守ることに直結していますが、同時にそれは、同じ社会に生きる“見知らぬ大勢の人たちを守るための気遣い”を積み重ねる行為にもなってきたと思えるからです。

 

 しかし一方で、コロナ危機が始まる以前から弱い立場に置かれてきた人や、格差や差別に苦しみながらも、“社会的なつながり”によって支えられてきた人たちの生活や尊厳に、深刻な影響が生じている側面にも目を向ける必要があるのではないでしょうか。

 例えば、「ソーシャル・ディスタンス」が重要といっても、日常的な介助を必要とする人たちにとって、周囲のサポートが普段よりも制限されることになれば、毎日の生活に重大な支障が出ることになります。

 それは、自分を支えてくれる人たちとの大切な時間を失い、“尊厳ある生”を築く土台が損なわれることも意味します。

 また、仕事や教育から買い物にいたるまで、オンラインによる「リモート化」が急速に進んできたものの、経済的な理由などでインターネットに接続する環境を持つことが困難な人や、オンラインの活用に不慣れな人たちが取り残されていく状況も課題となっています。

 加えて、外出制限による「ステイホーム」が長引く中で、家庭内暴力(DV)に苦しむ女性たちが急増したことが報告されています。

 なかには、暴力をふるう相手が家にいる時間が長くなったために、行政や支援団体に連絡をとって相談する道まで塞がれている女性も少なくないとみられているのです。

 ゆえに大切になるのは、感染防止策に取り組む中で社会に広がってきた“見知らぬ大勢の人たちを守るための気遣い”を基盤としながら、コロナ危機が日常化する中で、社会の表面から埋没しがちになっている「さまざまな困難を抱えた人たち」の存在に目を向けその苦しみと生きづらさを取り除くことを、社会を立て直すための急所として位置付けていくことではないでしょうか。

 

コロナの発生前に生じていた歪み

 

 WHOでも、社会的な距離を意味する「ソーシャル・ディスタンス」ではなく、物理的・身体的な距離を意味する「フィジカル・ディスタンス」を用いることを勧めています。

 「ソーシャル・ディスタンス」という表現では、人と人とのつながりを制限しなければならないとの誤解を広げてしまい、社会的な孤立や分離を固定しかねないからです

 社会全体が先の見えない長いトンネルに入る中で、他の人々の置かれている状況が見えにくくなっているとしても、同じ社会を生きているという“方向感覚”だけは決して失ってはならないと、私は訴えたいのです。

 そこで着目したいのは、国連のアントニオ・グテーレス事務総長が述べていた問題提起です。

 昨年7月、「コロナに立ち向かおう」と題する国連のオンライン・セミナーが行われました。席上、「ニューノーマル」の意味について問われた事務総長は、世界の人々が直面する現状に対し、その一言でもって規定してしまうことに異を唱えた上で、「アブノーマル(異常な事態)」という言葉をもって表現したいと強調したのです。

 私はその問題提起に、コロナ危機によって世界の大勢の人々が強いられてきた状態が、緊急避難的で、やむを得ないものであったとしても、それは人間にとって本来、“異常な事態”であるとの認識を持ち続けなければならないとの警鐘を感じてなりません。

 また事務総長は、別の機会で次のような主張をしていました。

 「コロナ危機を受けて、『ニューノーマル』の必要性を訴える声が多くありますが、新型コロナが発生する前の世界が『ノーマル』とは程遠い状態であったことを忘れてはなりません。拡大する不平等蔓延する性差別若者がさまざまな機会を得られない状況上昇しない賃金悪化していく一方の気候変動これらは一つとして『ノーマル』ではないのです」

 いずれの指摘にも、深く共感します。

 こうした世界の歪みを放置したままでは、置き去りにされてしまう人々が次々と出ることは避けられず、ましてアフターコロナ(コロナ後)の社会を展望することなどできないと、思えてならないからです。

 

 新型コロナの脅威はあらゆる国に及んでいる危機ですが、影響の深刻さは、人々が置かれている状況によって格段の開きがあると言わざるを得ません。

 実際、感染防止策として推奨される「石鹸と水による手洗い」ができない環境で生活する人の数は、世界の4割に及ぶといいます。

 こうした自分と家族を守り、周囲の人たちを守るための基本的な手段を得ることが難しい人々は、30億人もいるのです。

 また、紛争や迫害によって故郷を追われた難民の人たちの数が世界で8000万人に達する中、その多くが難民キャンプなどでの密集した生活を余儀なくされています。

 もとより、物理的・身体的な距離を確保することは困難で、感染者が出れば、感染拡大が避けられない危険と隣り合わせで生活している状況にあるのです。

 今、世界が直面している未曽有の危機には、複合的な要素が折り重なっているために、それぞれの脅威の関係性や問題の所在を見定めることは容易ではないといえましょう。

 そうであったとしても、危機への総合的な対処とは別に、脅威にさらされている一人一人に対しては、苦しみを取り除くことが、先決になるのではないかと訴えたいのです。

 

 

各国の連帯が事態打開の礎に

 

2019年1月、福島・いわき市で行われた「希望の絆」コンサート。東日本大震災で被災した人々の“心の復興”を願い、音楽隊が2014年3月から東北の友と手を携えて開催してきたコンサートは、2016年以降、地震や豪雨などの自然災害に見舞われた全国の被災地でも行われてきた

毒矢の譬え」が提起する視座

 この問題を考える上で、想起される仏法の視座があります。釈尊が説いた「毒矢の譬え」です。

 ――ある男が、毒矢に射られた。その時、「この矢を射た者はなんという姓でなんという名の者か」との疑問や、「弓矢を作った者はだれか」といったことに気をとられ、「それが分からぬうちは矢を抜いてはならぬ」とこだわり続けたために、状況が放置されそうになったとする。しかしそれでは、毒矢が刺さったままで、やがて命を落とすことになってしまうのではないか――と(中村元・増谷文雄監修『仏教説話大系』第11巻、すずき出版を引用・参照)。

 この譬えは、人間の身に実際に起きる問題よりも、観念的な議論に関心が向きがちな弟子を諭すために、釈尊が用いたものでした。

 この譬えに着目し、釈尊の目的は体系的な教えを説き明かすことにはなかったと洞察していたのは、20世紀を代表する宗教学者のミルチア・エリアーデ博士でした。博士が釈尊の教えを、人々の苦しみに対する治療と位置付けていたように、釈尊が何よりも心を砕いていたのは“毒矢を抜き去ること”、つまり、一人一人の苦しみの根源を取り除くことにありました。

 仏法の出発点に息づいていたのは、そうした切なる思いから釈尊が折々に語った言葉にほかならなかったのです。

 

 釈尊の教えの精髄である法華経を礎にして、13世紀の日本で仏法を説き広めた日蓮大聖人は、釈尊の言葉が及ぼした力について、「燈に油をそへ老人に杖をあたへたるがごとく」(御書576ページ)と表現していました。

 つまり、何か超人的な力をもって人々を救済したのではなく、釈尊は、相手の内面に本来具わる力を引き出す支えとなるような言葉を語ることに専心していたのです。

 災害や飢饉に加えて疫病の蔓延が相次いでいた当時の日本で、「立正安国論」を著し、“民衆の苦悩と嘆きを取り除く”という一点に立って行動する重要性を訴えた大聖人の仏法にも、その精神は力強く脈打っていました。

 度重なる災禍によって、人々がどれだけ塗炭の苦しみにさいなまれていたのか――。大聖人は、その様子をこう記しています。

 「三災・七難・数十年起りて民半分に減じ残りは或は父母・或は兄弟・或は妻子にわかれて歎く声・秋の虫にことならず、家家のち(散)りうする事冬の草木の雪にせめられたるに似たり」(同1409ページ)

 こうした時代にあって、大聖人は混迷を深める社会に希望を灯すべく、災禍や苦難に見舞われた人々を励まし続けたのです。

 

 信念の行動を貫く中で流罪などの迫害に何度も遭ってきた大聖人は、物理的な距離で遠く隔てられた弟子たちを何とか勇気づけたいとの思いで、手紙を認めることもしばしばでした。

 ある時は、夫を亡くした一人の女性門下に、次のような手紙を送っています。

 ――亡くなられたご主人には、病気の子もおり、愛娘もいた。「私が子どもを残し、この世を去ったら、老いた妻が一人残って、子どもたちのことをどれほど不憫に思うだろうか」と嘆かれたに違いない、と(同1253ページ、趣意)。

 その上で、「冬は必ず春となる」(同ページ)との言葉を綴られた。そこには、女性門下を全魂で励まそうとする、次のような万感の思いが込められていたのではないかと拝されるのです。

 今は、厳しい“冬”の寒さに覆われているような、辛い思いをされているに違いありません。しかし、“冬”はいつまでも続くことはない。必ず“春”となるのです。どうか心を強く持って、生き抜いてください――と。

 そしてまた、「幼いお子さんたちのことは、私も見守っていきますから」との言葉を添えて、夫の逝去によって人生の時間が“冬”のままで止まりかけていた女性門下の胸中に、温かな“春”の光を届けたのです。

 この女性門下への言葉のように、大聖人は手紙に認めた一つ一つの文字に、自らの“心”を託された。そして手紙が読まれた時に、その言葉は物理的な距離を超えて大聖人の“心”を浮かび上がらせ、相手の胸に刻まれたのでした。

 

宗教が担うべき社会的な使命

 

 大聖人の時代とは状況が異なりますが、今回のパンデミックによる混乱が広がる中で、多くの人たちが痛切に感じたのは、「自分の人生が急停止してしまった」「生活の基盤が突然、絶たれてしまった」「まったく未来が見えなくなってしまった」といった、やりきれない思いだったのではないでしょうか。

 こうした時に、社会的な支援や周囲からの手助けを得られず、苦しみを独りで耐えるほかない状態が続く限り、その人の世界は暗転したままとなりかねない。

 しかし誰かがその状態に気づいて寄り添った時、困難を抱えた人も、自らの苦境を照らす温かな光が周囲や社会から届けられることを通じて、かけがえのない人生と尊厳を取り戻す力を得ることができるのではないかと思うのです。

 私どもSGIが大聖人の精神を受け継ぎ、世界192カ国・地域で広げてきた信仰実践と社会的活動の立脚点も、“孤立したままで困難を深めている人々を置き去りにしない”との信念にありました。

 その信念は、私の師である戸田第2代会長の「世界にも、国家にも、個人にも、『悲惨』という文字が使われないようにありたい」(『戸田城聖全集』第3巻)との言葉に凝縮された形で表れています。

 

 ここで強調したいのは、世界と国家と個人という、すべての面において、戸田会長の眼差しが「悲惨」を取り除くという一点に貫かれていることです。

 世界に生じているどんな歪みであろうと、どの国が直面する困難であろうと、どのような人々の身に起きている苦境であろうと、人間と人間とを隔てるあらゆる垣根を越えて、「悲惨」を取り除くために共に力を合わせて行動する――。

 これまでSGIが、グローバルな諸課題の解決を求めて、志を同じくする多くのNGO(非政府組織)をはじめ、さまざまな宗教を背景とするFBO(信仰を基盤とした団体)と連携を深めてきたのも、この精神に根差してのものにほかならないのです。

 ある意味で、人類の歴史は脅威の連続であり、これからも何らかの脅威が次々と現れることは避けられないかもしれません。

 だからこそ肝要となるのは、どんな脅威や深刻な課題が生じようとも、その影響によって困難を抱えている人々を置き去りにせず、「悲惨」の二字をなくすための基盤を社会で築き上げていくことだと思います。

 なかでも現在のコロナ危機で物理的・身体的な距離の確保が求められ、他の人々の置かれている状況が見えにくくなる中で、同じ社会で生きる人間としての“方向感覚”を失わない努力を後押しする役割を、宗教やFBOが積極的に担うことが求められていると、感じられてなりません。

 パンデミックが世界に及ぼした打撃は極めて深刻で、脱出の方法が容易に見いだせない迷宮のような様相を呈しています。しかし、一人一人を窮状から救い出すアリアドネの糸=注2=は、それぞれの命の重みをかみしめ、その命を守るために何が切実に必要とされているのかを見いだすことから浮かび上がってくるのではないでしょうか。

 

大多数の国が同時に“被災”

 

 次に第二の柱として強調したいのは、各国が立場の違いを超えて「連帯して危機を乗り越える意識」に立つことの重要性です。

 新型コロナのパンデミックが招いた被害が、一体どれほどのものになるのか。

 国連防災機関(UNDRR)は、「数多くの命と健康の痛ましい喪失」と「経済的・社会的な困窮」を防ぐための対応の重要性を指摘しながら、次のように述べています。

 「雇用の喪失と収入の途絶による影響も加えると、これまで人類が経験してきたどの災害よりも、新型コロナウイルス感染症という単一の災禍によって被害を受けた人が多いといえるでしょう」と。

 規模の大きさもさることながら、危機の様相が未曽有となっているのは、大多数の国がコロナ危機によって“被災”した状況にあることです。

 21世紀に入ってからも、世界ではスマトラ島沖地震(2004年)をはじめ、パキスタン地震(2005年)、ミャンマーでのサイクロン被害(2008年)、中国の四川大地震(2008年)、ハイチ地震(2010年)など、巨大災害が発生してきました。

 いずれも現地に深刻な被害を及ぼしましたが、被災直後の救援から復興にいたるまでの過程で、他の国々がさまざまな形で支援する流れが広がってきました。10年前の東日本大震災に対しても、たくさんの国が次々と支援の手を差し伸べてくれたことが、どれだけ被災地の人々を勇気づけたか、計り知れません。

 災害時には、こうした国際的な連帯の輪の存在こそが、先の見えない不安を抱える被災地の人々にとって大きな心の支えとなるものだからです。

 しかし現在のコロナ危機は、大多数の国が同時に“被災”しているために、状況はより混迷を深めています。

 世界の国々を「航海を続ける一隻一隻の船」に例えてみるならば、すべての船が一斉に嵐に巻き込まれ、経験したことのない荒波にさらされる中で、コロナ危機という“同じ問題の海”にいながらも、別々の方向に押し流されてしまう危険性があるからです。

 

 では、コロナ危機の克服という“海図なき航海”において、羅針盤となるものを、どのようにして探っていけばよいのか――。

 かつて私が対談した歴史家のアーノルド・J・トインビー博士は、こう述べていました。

 私たちが手にできる未来を照らすための唯一の光は、これまでに経験してきたことの中にあると。

 そこで私が振り返りたいのは、かつて冷戦対立が激化する最中にあって、ポリオの感染拡大を防ぐためのワクチン開発で、アメリカとソ連が歩み寄って協力した史実です。

 それまでポリオを予防する方法として「不活化ワクチン」が主に利用されていましたが、接種方法が注射に限られていた点に加えて、高価であるという問題点がありました。この課題を解消するべく、経口摂取が可能な「生ワクチン」の開発がアメリカで始められたものの、すでに「不活化ワクチン」の接種が進んでいたために、新しいワクチンの被験者になれる人が、それほどいませんでした。

 一方のソ連では、当初、自国の子どもたちにも関わる問題とはいえ、敵対関係にあるアメリカとの協力には消極的でした。しかしソ連が、感染者の増加を憂慮して歩み寄りを模索するようになり、アメリカもソ連との協力の必要性を認識した結果、1959年以降、ソ連とその周辺国で大規模な治験が行われる中で、ついに「生ワクチン」が実用化にいたったのです。

 

 

互いの存在を思いやる心が「レジリエンス」を育む土壌に

 

 創価学会平和委員会が主催した難民映画の自主上映会(2019年1月、東京・中野区内で)。国連難民高等弁務官事務所が毎年実施する「難民映画祭」でも紹介されたドキュメンタリー映画を通し、中東のシリアで故郷を去ることを余儀なくされた子どもたちの状況を学ぶ機会となった

 当時、この「生ワクチン」によって、日本の多くの子どもたちが救われた出来事は、私自身、鮮烈な記憶として残っています。

 ポリオ(脊髄性小児麻痺・・・記、当サイト)が日本で大流行したのは、1960年のことでした。

 その翌年も再び感染が広がり、連日のニュースで患者数が報じられる中で、ワクチンの投与を求める声が母親たちを中心に強まりました。その時、カナダから輸入された300万人分に加えて、ソ連から1000万人分もの「生ワクチン」の提供が受けられたことで、流行は急速に沈静化していったのです。

 米ソ両国の協力の結晶ともいうべき「生ワクチン」の投与が、日本でも実現し、幼い子どもを持つ母親たちの間で安堵の表情が広がっていった光景は、60年の歳月が経った今でも忘れることはできません。

 

COVAXの意義

 

 翻って現在、新型コロナの世界的な感染拡大が止まらない中、有効なワクチンの開発と実用化を軌道に乗せることと併せて、各国へのワクチンの安定的な供給をどう確保するかが、大きな焦点になっています。

 この難題に対応するために、WHOなどによって昨年4月に立ち上げられたのが、COVAXファシリティー」という国際的な枠組みです。すべての国々が迅速かつ公平にワクチンを入手できる体制づくりを目指し、まずは今年の年末までに、20億回分のワクチンを参加国に提供することが計画されています。

 COVAXの創設は、WHOによるパンデミック宣言のわずか1カ月後でした。それだけ対応が早かったのは、国際的な枠組みがないままでワクチンの開発競争が進めば、資金力のある国とない国との間でワクチンの確保に深刻な格差が生じたり、ワクチン価格が高騰したりすることが懸念されたからです。

 

 WHOは昨年5月の総会決議で、ワクチンの広範な接種は、すべての国で分かち合うべき「グローバル公共財」であると強調しました。現在、COVAXの参加国は190カ国・地域に広がり、2月からの供給開始が目指されていますが、ワクチンの安定的な供給は、すべての主要国の協力を得て活動を支える体制が確立できるかどうかにかかっています。

 私は、早期の参加を果たした日本が、アメリカやロシアなどの未加入国に、COVAXの枠組みに参加して積極的に関与していくことを、呼び掛けるべきではないかと訴えたい。

 WHOと連携して、国際的なワクチン供給の運営を担う「GAVIワクチンアライアンス」のセス・バークレー代表は、日本が昨年10月に資金拠出を誓約し、いち早く途上国支援の姿勢を示したことの意義を、こう述べていました。

 「この貴重な支援は、安全かつ有効な新型コロナワクチンの接種が可能となった時に、それを待つ長い列の後方に低所得国が取り残されないためだけでなく、感染の世界的な急拡大を止めるためにも、極めて重要な役割を果たします」と。

 かつて、2000年に行われた九州・沖縄サミットで、議長国の日本が感染症対策をサミットの主要議題に初めて取り上げたことが契機となり、2年後の「世界エイズ・結核・マラリア対策基金」の創設に結びついたことがありました。以来、日本をはじめ、多くの国が基金に対する支援を続ける中で、この三大感染症の脅威から、累計で世界の3800万人もの人々の命が救われてきたのです。

 

皆が享受できるグローバル公共財

 

 思うに、新型コロナのパンデミックに立ち向かうグローバルな連帯を形作る上でも重要になってくるのは、「どれだけの命を共に救っていくのか」という“プラス”の面に着目し、そこに足場を築くことではないでしょうか。

 感染者数の増加といった“マイナス”の面だけに目が向くと、他の国々との連携よりも、自国防衛的な発想に傾きがちになってしまうかもしれません。そうではなく、「どの国の人であろうと感染の脅威から救うことが、自国の人々の命を守ることにもつながる」との意識に立つことが欠かせないと思うのです。

 先に私は、WHOがワクチンの広範な接種を「グローバル公共財」と位置付けていたことに触れましたが、COVAXの計画が軌道に乗った先には、それにもまして重要な意義を持つ「グローバル公共財」を分かち合える未来が開かれるに違いないと確信します。

 「グローバル公共財」を巡る研究では、ワクチンのような製品や、インターネットなどの社会基盤だけがその対象ではなく、平和や環境といった、各国が協力して進める政策の結果としての“世界全体が享受できる状態そのもの”が含まれると考えられています。

 気候変動の問題を例に挙げて言えば、各国で温室効果ガスの排出量削減に積極的に取り組むことで異常気象や海面上昇の悪化を抑えていくという、すべての国にとって望ましい状態が築かれるようなものです。

 同様に、今回のパンデミックを各国の連帯で収束させた先には、「今後起こり得る感染症の脅威にも十分なレジリエンス(困難を乗り越える力)を備えた世界」への地平が大きく開かれ、“将来にわたってあらゆる国の人々の命と健康を守る基盤”が形作られていくと私は考えるのです。

 

 このレジリエンスを支える要となるものについて考える時、どの国の船にとっても航海の安全を確保する上で欠かせない存在となってきた「灯台」のイメージが思い浮かびます。

 新型コロナによって命の危険にさらされた人々に対し、その最前線で「灯台」のような崇高な使命を担い、献身的な行動を続けてきたのが、医師や看護師をはじめとする医療従事者の皆さんにほかなりませんでした。来る日も来る日も、人々のために懸命に尽くしてこられた方々に、改めて深い感謝の思いを捧げるものです。

 世界の看護師の8人に1人は、出身国や訓練を受けた国以外の場所で尊い仕事を担っているといわれます。

 ともすれば多くの国で、移民とその家族に冷たい視線を向け、社会的な負担とみなして疎外するような空気がみられます。

 国連でもその是正を呼び掛けてきましたが、まさに各国がコロナ危機に陥った時に、多くの人命を救うための「なくてはならない存在」となったのが、看護師をはじめ医療の現場や病院の運営などを支えてきた移民の人たちにほかならなかったのです。

 

 同様に、パンデミック宣言後に深刻なマスク不足が生じ、各国の間で確保競争が起きた時期に、難民の人たちが、受け入れ地域の人々のために自発的な取り組みをしていたことについて、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が事例をいくつか紹介しています(以下、UNHCR駐日事務所のウェブサイトを引用・参照)。

 ケニアで昨年3月に最初の感染者が報告され、公共の場所でのマスク着用が要請された時、ニュースを聞いて行動を起こしたのが、難民の男性でした。

 近隣国のコンゴ民主共和国から逃れ、難民キャンプで洋服の仕立ての仕事をしていた彼は、「私たち難民も、支援に頼るだけでなく、この危機の中で貢献できることがある」との思いでマスクづくりを開始し、他の難民や地元の人たちにマスクを配るとともに、UNHCRの事務所のスタッフにも届けたのです。

 またドイツでも、自分たちを受け入れてくれた町にある病院の看護師を応援したいと願って、中東のシリアから逃れてきた難民の家族がマスクづくりに取り組みました。

 途中でマスク用のゴムが足りなくなった時には、事情を知った町の人々が、即座にたくさんのゴムを自宅まで届けてくれたといいます。

 難民の家族は、マスクづくりに込めた思いを、こう語っています。

 「私たちは、この町の人たちに本当に温かく迎えてもらったんです。住む場所を見つけ、仕事も得て、子どもたちは学校にも行くことができています。ドイツに恩返しができれば、私たちはそれでうれしいんです」と。

 自分のできることは限られるかもしれないが、“たとえ一人でも誰かの助けになりたい”との、やむにやまれぬ思い。同じ地域で暮らしているからこそ、互いの存在を気遣い、人々のために力を尽くそうとする行動――。

 私は、国籍や置かれた状況の違いを超えて、そのような思いと行動が社会で積み重ねられる中でこそ、「レジリエンス」の土壌は力強く育まれるに違いないと考えるのです。

 

ポリオや天然痘の根絶に向けた共闘

 

 ワクチンの開発は、危機を打開する上で極めて重要な要素となるものですが、WHOが留意を促すように、それだけで問題がすぐに解決に向かうわけではありません。安全性の十分な確保が何よりも欠かせないほか、ワクチンの輸送体制を整えることから、接種を各地で実際に進めるまでのあらゆる過程において課題が残っており、今後の感染防止対策と併せて、大勢の人々の協力を得ることが必要となるからです。

 この挑戦を進める上で基盤となるのが、「連帯して危機を乗り越える意識」の共有であり、「レジリエンス」の構築を担う人々の輪を広げることではないでしょうか。

 パンデミックは、ギリシャ語の「すべての人々」を意味する言葉が語源となっているように、地球上のあらゆる場所で感染拡大が収束していかない限り、その脅威は国籍や置かれた状況の違いに関係なく及び続けるものです。

 その意味で、パンデミックへの対応において求められるのは、従来の「国家の安全保障」のような自国の安全の追求だけを基盤にした発想ではない。

 冷戦期のポリオのワクチン開発を巡る米ソの協力に、その萌芽がみられたような、国の垣根を越えて人々が直面する脅威を共に取り除こうとする「人間の安全保障」のアプローチであるといえましょう。

 今後、パンデミックの状況がさらに悪化していった場合に、ワクチンの供給を含めた感染防止策の重心が、“世界中の人々を救うため”ではなく、“自国の安全だけを優先する目的”に傾く風潮が各国の間で強まるような事態を生じさせてはならないと思います。

 ある意味で、この問題の構造は、冷戦期の核政策となった相互確証破壊(MAD)=注3=の陥穽にも通じる面があるのではないでしょうか。

 自国の安全を第一に追求した核抑止力の強固な構築といっても、ひとたび核戦争が起きて攻撃の応酬が始まれば、自国民の安全の確保どころか、人類全体の生存基盤を破壊する結末を招いてしまうからです。

 

 ポリオについては、昨年のアフリカでの根絶宣言を経て、アジアの2カ国での流行を止めることができれば、世界全体の根絶が達成できるところまで迫っています。

 それに先駆けて人類が初めて感染症の克服に成功したのが、1980年の天然痘の根絶でした。

 その画期的な偉業に寄せて、私の大切な友人であった核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の共同創設者のバーナード・ラウン博士が述べていた言葉を思い起こします。

 

 

意識変革を促す人権教育の力

 

 「冷戦の闇が最も深い時期にあっても、イデオロギーの対立下にあった両陣営の医師たちの協力が途切れることはありませんでした。核兵器による先制攻撃を想定してミサイルを大量製造していた、まさにその時に、アメリカとソ連の医師たちは協力して、天然痘の根絶のために奮闘していたのです。この団結の姿は、核兵器の反対運動においても大きな説得力を持つモデルを提示しています」

 核兵器禁止条約は、このIPPNWを母体に誕生したICANを含め、広島と長崎の被爆者や世界のヒバクシャをはじめとする市民社会の力強い後押しを得て実現したものにほかなりませんでした。

 なるどこかに脅威の火種が残る限り、同じ地球で生きるすべての人々にとって、本当の安心と安全はいつまでも訪れない。どの国も犠牲にしてはならず、世界の民衆の生存の権利が守られるものであってこそ、真の平和の実りをもたらす安全保障と――。

 こうした新しい時代の基軸となるべきメルクマール(指標)を条約として打ち立てたものこそ、今月22日に発効した核兵器禁止条約であると思えてなりません。

 

 かつて歴史家のトインビー博士が述べていた、「時間の遠近法」という印象深い言葉があります。

 博士は、この言葉を通して、次のような視点を提示していました。

 「時間の遠近法に照してみると時々ものの姿が正しい釣り合いで眺められるものだが、今後数世紀ののちにおいて未来の歴史家が二十世紀の前半を顧みてこの時代の諸々の活動や経験をそういう眼で眺めようとした場合、はたして何が現代の目ぼしい出来事として選び出されるでありましょうか」(『試練に立つ文明』深瀬基寛訳、社会思想社)と。

 同様に私も、未来の歴史家が21世紀前半の時代を「時間の遠近法」に照らしてみた時、何が最重要の出来事として浮かび上がるのかについて強い関心を持つものです。

 思うにその一つは、コロナ危機が深まる最中にあって、安全保障のパラダイム(思考的な枠組み)の転換を促す、核兵器禁止条約の発効が果たされたことになるのではないでしょうか。

 そしてまた、もう一つの最重要の出来事として、COVAXによるワクチン接種の地球的な規模での推進が、今後の国際社会のさらなる努力を通じて歴史に刻まれていくことを、私は強く期待したいのです。

 新型コロナのパンデミックは深刻な危機ですが、“困難の壁を打ち破る人間の限りない歴史創造力”を結集することで、必ず克服できるはずです。その上で、パンデミックへの対応を土台にしつつ、「連帯して危機を乗り越える意識」を時代潮流に押し上げ、「国家の安全保障」の対立による悲劇を断ち切る人類史転換への道を開くべきだと強く訴えたいのです。

 

感染症を巡る歴史

 

 続いて第三の柱として提起したいのは、感染者への差別や新型コロナを巡るデマの拡散を防ぐとともに、誰も蔑ろにしない「人権文化」の建設を進めることです。

 今回のパンデミックを機に、改めて読まれるようになった文学作品の一つに、ダニエル・デフォーの『ペスト』があります。

 17世紀のロンドンを舞台にしたこの作品では、ペストの恐怖にかられた市民がデマに惑わされ、不安を煽る言葉に影響されて我を失っていく姿が描かれていますが、古くはペストから近年のエイズにいたるまで、感染症に苦しむ人を差別したり、パニックによる分断や混乱で社会に深い傷痕を残したりするような歴史が繰り返されてきました。

 がんや心臓病などの疾患に対する、「自分もいつか発症するのではないか」といった心配とは違って、感染症の場合は、「誰かにうつされるかもしれない」との不安が募るために、病原体への恐怖心がそのまま“他者への警戒心”に転じやすいといわれます。

 問題なのは、その警戒心がエスカレートして、感染症に苦しむ人や家族をさらなる窮地に追い込むような事態を招いたり、以前から根強い差別や偏見にさらされてきた人々に対して、感染拡大の責任を転嫁したりするような空気が社会で強まることです。

 特に現代においては、感染症に関する誤った情報やデマが、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などを通じて一気に拡散する状況があることが懸念されます。

 その背景には、感染防止の対策が次々と変わることや、感染拡大が生活に及ぼす影響が深刻であるために、多くの人が情報を求めて、新聞などのメディアだけに向かうのではなく、ネット空間にあふれる真偽不明の情報や出所不明の発信に触れて、“情報の空白”を埋めようとする動きがあるといわれます。

 その中には、人々の不安につけこむ形で社会を扇動しようとしたり、特定の人々を槍玉に挙げて憎悪の感情を向けさせようとしたりする、悪意に満ちた言説も少なくありません。

 

正確な情報の共有が不可欠

 

 こうした誤った情報やデマが野放図に拡散され、差別や偏見が増幅することで、人間社会を支える基盤が蝕まれていく“もう一つのパンデミック”ともいうべき事態は、新しい造語で「インフォデミック」と呼ばれています。

 国連でも強い注意喚起をしており、昨年5月には、新型コロナに関する誤った情報やデマの蔓延を防ぐための「ベリファイド」という取り組みが立ち上げられました。多くのメディアとも連携して、正確で信頼できる情報について、国連や科学者などの専門家によって内容が“検証済み”であることを示す「ベリファイド」の認証マークをつけて発信していく活動です。

 また、世界中の市民に「情報ボランティア」としての参加を呼び掛け、信頼できるコンテンツを市民の手で積極的に拡散し共有することを通し、家族やコミュニティーの安全とつながりを守ることが目指されているのです。

 虚偽の情報やデマの拡散が放置されたままで、その誤りが周知徹底されなかった場合、重大な問題となるのは、正しい情報の定着が妨げられることだけではありません。

 何より懸念されるのは、デマの根にある強い差別や偏見が、感染症への恐怖に乗じる形で人々を疑心暗鬼に陥らせて、社会の亀裂を深め、誰もが守られるべき尊厳と人権に“断層”を生じさせることです。

 

 感染症と人権を巡る問題について、WHOがパンデミック宣言を発する5日前に、「人間の尊厳と人権は、後付けではなく、その取り組みの前面と中心に掲げる必要がある」と、いち早く留意を促していたのが、国連のミチェル・バチェレ人権高等弁務官でした。

 バチェレ氏は昨年9月にも、コロナ危機の克服において外してはならない急所として、次のように訴えていました。

 「根深い不平等と人権の格差が、ウイルスの感染拡大とその脅威を加速度的に膨張させていく様子を、私たちは目の当たりにしてきました。社会とその狭間に存在するこれらの格差を修復し、深く刻まれた傷を癒すための行動が、今こそ必要とされています

 ここでバチェレ氏は「根深い不平等と人権の格差」に言及していますが、こうした「深く刻まれた傷」は社会で構造化されて、問題の深刻さが見過ごされがちになってきたものの、コロナ危機をきっかけに差別意識がより鮮明な形で表れるようになった面があるのではないでしょうか

 コロナ危機が深刻化し、多くの人々が「生きづらさ」を感じるようになる中で、差別や憎悪を煽る言説に影響を受け、そこに憤懣のはけ口を求めていく危険性が高まっている点が懸念されるのです。

 

建設的な行動を生み出すカギ

 

 暮らしている地域や職業の違い、人種や宗教の違いなど、あらゆる差異に関係なく誰もが感染する恐れがある病気であり、共に乗り越えるべき課題であるはずなのに、かえって社会の分断が広がり、脅威を加速させてしまう背景には何があるのか――。

 この問題を考える上で、差別を巡る示唆的な分析として私が触れたいのは、アメリカの哲学者のマーサ・ヌスバウム博士が、社会と嫌悪感の関係を論じた著書『感情と法』(河野哲也監訳、慶應義塾大学出版会)で述べていた言葉です。

 博士は、人々が社会で境界線をつくり出そうとするのは他者への「嫌悪感」に根差しており、境界線を設けることで、自分たちが「安堵」を得たいと考えるからであるとして、こう問題提起しています。

 「私たちは救済を求めて嫌悪感を呼び出している」と。

 ここでヌスバウム博士が論じているのは、邪悪な行為をするのは特定の集団だけで、自分たちにはまったく関係ない”とみなす思考に対してのものですが、感染症が引き起こす混乱と差別を巡る問題にも、その構図は当てはまるのではないかと私は考えます。

 同書の中で博士が指摘するように、「病原菌」といった医学的言説が嫌悪感を示す表現として転用されて、特定の人々を貶めたり、抑圧したりする傾向があるからです。

 差別の根源にある“自分たちこそ最も正しく尊い存在にほかならない”との意識。それが何らかの社会的危機が起きた時に、“自分たちだけは難を逃れたい”と望む気持ちと相まって、他の集団への嫌悪感を強め、関わり合いを断つことで安堵しようとする構図がみられると思うのです

 

 ヌスバウム博士は、嫌悪感はその感情を向ける相手や集団に対し、「共同体の成員あるいは世界の成員ではないというレッテル」を貼るものであり、特にそれが「弱い集団や人物の周縁化を行う時には、危険な社会的感情となる」と警鐘を鳴らしています。

 また、博士が民主主義社会を支える感情として重視するのは「憤り」であるとし、その機能について次のように述べています。

 「憤りは建設的な機能を持っている。憤りが語るのは、『これらの人々に対して不正がなされてきたが、そのような不正はあるべきではなかった』ということである。憤りはそれ自体で不正を正す動機を提供する」と。

 その意味から言えば、人々が感じる「生きづらさ」は差別意識を募らせる原因となり、社会を分断させる危険性を持つ半面で、共生の社会を築くための建設的な行動を生む可能性も秘めているといえましょう。

 コロナ危機による打撃が社会のあらゆる分野に及ぶ中で、人々の生命と尊厳が蔑ろにされることに対する痛みについて、これまで以上に切実に胸に迫った人は決して少なくなかったのではないでしょうか。

 そこで肝要となるのは、自分が感じる「生きづらさ」を、他者を貶める「嫌悪感」に向けて解消しようとするのではなく、他の人々が感じている「生きづらさ」にも思いをはせながら、厳しい社会の状況を変えるための“建設的な行動”の輪を広げることだと思えてならないのです。

 

法華経に説かれる生命触発のドラマ

 

 もちろん、自分の存在を何よりも大切に思う心情は、人間にとって自然な感情であり、私どもが信奉する仏法の人権思想においても、その点が踏まえられています。例えば、釈尊を巡る逸話を通して、こんな教えが伝えられています。

 ――ある時、コーサラ国の国王夫妻が会話を交わす中で、夫妻のそれぞれが「自分よりもさらに愛しい他の人は存在しない」との思いを抱いていることが話題となった。その後、釈尊のいる場所に赴いた国王が、自分たちの正直な思いを伝えたところ、釈尊は次の詩句をもって応えた。

 「どの方向に心でさがし求めてみても、自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。そのように、他の人々にとっても、それぞれの自己が愛しいのである。それ故に、自己を愛する人は、他人を害してはならない」――と(『ブッダ 神々との対話』中村元訳、岩波書店を引用・参照)。

 つまり、自分を“かけがえのない存在”であると感じるならば、誰もが同じ思いを抱いている可能性があることを深くかみしめるべきであり、その実感を自分の生き方の基軸にして、他者を害するような行為を排していかねばならないと、釈尊は諭したのです。

 この逸話が示すように、仏法の人権思想が促しているのは、自分を大切に思う心情を打ち消すことではなく、その実感を“他者に対しても開かれたもの”へと昇華させる中で、自分と他者、自分と社会との関係を紡ぎ直すことにあると言ってよいでしょう

 

 釈尊の教えの精髄が説かれた法華経で展開されているのも、まさにそうした人間生命の触発のドラマにほかなりません。

 万人に「尊極の生命」が宿っていることを説いた釈尊の教えに触れて、自身の尊厳のかけがえのなさを心の底から実感した人が、一人また一人と続く中で、他の人々の尊厳の重みにも気づき、「自他共の尊厳が輝く世界」を築いていく決意を互いに深め合っていく姿が描かれています。

 その中で釈尊は、人間と人間とを隔てるあらゆる境界線を取り払い、根強い差別にさらされてきた女性たちをはじめ、過ちを犯してしまった人々に対しても、「尊極の生命」が宿っていることを強調しました。

 このように法華経では、さまざまな形で差別を受け、虐げられてきた人々の尊厳を明らかにした宣言と、互いの存在の尊さを喜び合う声が満ち満ちており、そうした生命と生命との触発のドラマを通して、「万人の尊厳」という法理が確かな輪郭を帯びて現れているのです。

 

いかなる人も蔑ろにしない

 

 私どもSGIは、この法華経が説く「万人の尊厳」の精神に基づき、いかなる差別も許さず、誰も蔑ろにされることのない社会の建設を目指し、国連が呼び掛ける人権教育の推進に一貫して力を注いできました。

 1995年に始まった「人権教育のための国連10年」を支援する一環として、「現代世界の人権」展を8カ国40都市で開催し、2005年からは国連の新たな枠組みとして発足した「人権教育のための世界プログラム」を推進する活動を行ってきました。

 また2011年に、人権教育の国際基準を初めて定めた「人権教育および研修に関する国連宣言」の採択を諸団体と協力して後押ししたほか、その後も国連人権高等弁務官事務所の協賛を得て、「変革の一歩――人権教育の力」展の開催や「人権教育ウェブサイト」の開設をしてきたのです。

 昨年9月には国連人権理事会で「人権教育学習NGO作業部会」を代表して共同声明を読み上げ、青年に焦点を当てた「人権教育のための世界プログラム」の第4段階が昨年1月からスタートしたことに寄せて、こう訴えました。

 「この行動計画は、人権教育と青年の可能性を大きく広げるものです。新型コロナウイルス感染症によって、実施に伴う困難の度は増しましたが、人権を実現するための主要な条件となる人権教育を『中断』することがあってはなりません」と。

 

 折しも、「人権教育および研修に関する国連宣言」の採択から、本年で10周年の佳節を迎えます。その中で、人権教育の力で築くべきものとして掲げられていたのが、「誰も排除されない社会」でした。

 円を描く時に、“弧”のどこかが少しでも欠けている限り、円の形が出来上がらないように、普遍的な人権の尊重も、差異や社会的な区別によって軽んじられたり、排除されていたりする人々がいる限り、スローガンのままで終わってしまい、完結することはない。

 これまで社会的に構造化される中で“蔑ろにされ、失われてきた人権や尊厳の弧”を、誰の目にも見える形で浮かび上がらせ、共に尊厳の大切さを分かち合いながら、生き方を見直し、社会の在り方を変えていく連帯を後押しする力となるのが人権教育です。

 SGIが取り組んできた人権教育も、「誰も排除されない社会」という“円”の形を、同じ世界に生きる人間として共に描き出していくことに眼目があります。

 感染症にまつわる差別やデマの蔓延を防ぐ努力を重ねながら、コロナ危機に伴う不安や恐怖の暗雲を打ち払うとともに、“誰も蔑ろにされてはならない”との思いを人権文化として結実させる挑戦を、今こそ力強く巻き起こすべきではないでしょうか。(㊦に続く)

 

語句の解説

 注1 児童労働を禁止する条約

 1999年6月に採択された条約で、正式名称は「最悪の形態の児童労働の禁止及び撤廃のための即時の行動に関する条約」。奴隷労働や強制労働などの禁止と撤廃を求めるとともに、子どもたちを武力紛争や薬物取引といった不正活動や危険有害労働に利用することも禁止している。国連が定めた本年の「児童労働撤廃国際年」の開始を前に、昨年8月、国際労働機関(ILO)の全加盟国の批准が実現した。

 

 注2 アリアドネの糸

 非常に困難な状況から抜け出す上で、その「道しるべ」となるものの譬えで、ギリシャ神話を淵源とする言葉。クレタ島の王女であるアリアドネが、怪物を退治するために迷宮に入ろうとするテセウスに糸を持たせることで、迷宮の入り口と結んだ糸を手がかりに無事に脱出できるようにした話に由来している。

 

 注3 相互確証破壊(MAD)

 冷戦時代の核戦略構想の一つ。核兵器による先制攻撃を受けた場合でも、相手国に耐えがたい損害を確実に与えられる核報復能力を持つことで、恐怖の均衡をもたらし、核攻撃を抑止することを目指した構想。1965年にアメリカのマクナマラ国防長官が提唱した。略称の「MAD」は、英語で「狂気」の意味を持つことから、当時、“狂気の戦略”とも呼ばれた。

 

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