新・人間革命8巻

布陣

宝剣

2022年1月28日

第1882回

創価学会は

誰も見捨てない!

 

<問題の本質を見誤るな!>

 

 さらに彼は、たまたま学会員が引き起こした事件などを、あたかも創価学会の問題であるかのように取り上げ、学会批判を重ねるマスコミの報道について、言及していった。

 「これまでも、精神の病で苦しんでいた人が入会をし、その後、事件を起こしてしまったこともありました。あるいは前科があり、誰からも相手にされなかった人が学会に入り、また犯罪に関与してしまったこともありました。

 そのつど、新聞や週刊誌は、創価学会自体が罪を犯したかのように書き立て、私どもは、非難されてまいりました。

 しかし、本来は、そうした人たちが人間らしく生きられるにはどうしたらよいかを、政治家や国家などが責任をもって考え、面倒をみていくべきであります。だが、それを切り捨て、誰も、何もしようとはしない。不幸な境遇の人を見て見ぬふりをしているのが、今の多くの政治家であり、高級官僚といわれる役人ではないですか。

 日本の指導者層は、あまりにも利己主義であり、無責任です。

 それに対して、私たち学会員は、この世から不幸をなくそうと、苦しんでいる人を見れば、人間には等しく幸福になる権利があるのだと、信心を教えてきた。創価学会には、いっさい差別はないからです。

 そして、なんとか幸せになってほしいと、皆さんは真心を込めて、あれこれと面倒をみてこられた。社会的な体裁を繕い、自分のことだけしか考えない人たちには、決してできないことです。

 さまざまな悩み、複雑な問題をもつ人を、数多く抱きかかえていけば、なかには、事件を起こしてしまう人が出ることもあるでしょう。しかし、そうなることを恐れて、人間を切り捨てていくことと、どちらが正しい道なのか

 伸一の言葉には、強い確信が脈打っていた。

 「つまり、社会が見捨てた人をも、真心で包み、ともに幸福の道をめざしてきた最も尊い教団が、わが創価学会であります。心ある指導者ならば、学会の在り方を見て、賞讃するのが本来の姿です。

 たとえば、社会的な地位が高く、財力があり、身体も健康である等、さまざまな条件を設けて、学会が入会を制限していれば、〝貧乏人と病人の団体〟などと言われることもなかったでしょうし、問題はほとんど起きなかったでしょう。

 しかし、それでは、苦悩に泣く民衆を救うという、宗教の、なかんずく、仏法の精神を捨てることになってしまいます」

 

 メンバーは、学会員が事件を起こしたと報道されるたびに、自分の周囲の人びとに、どう説明してよいかわからず、悔しい思いをしてきた。

 

 伸一は、その問題を取り上げ、

 事の本質を明らかにしたのである。

 彼は、会員が、いかなる問題で苦しみ、

 いかなる批判に戸惑っているのかについて、

 レーダー網を張り巡らすかのように、

 常に心を配っていた。

 そして、それが何かをつかむと、

 真っ先に対応し、

 論破すべきものは明快に論破していった。

 その迅速な対応こそが、

 言論戦の要諦といえるからだ。

 

<新・人間革命> 第8巻 宝剣 100頁~102頁

 

2022年1月29日

第1883回

学会活動の基本

 

個人指導なき活動は、画竜点睛を欠く>

 

 次いで伸一は、

 「女子部の皆さんも、どうか真心を込めて、

 一人ひとりのメンバーの

 個人指導を実践していっていただきたい」

 と呼びかけた。

 

 彼は、男女青年部の活動が、

 会合や行事の運営などが中心となり、

 個人指導がなおざりになっていく

 ことを心配していたのである。

 

 学会活動の基本は、

 自行としての勤行・唱題と、

 化他行としての折伏と個人指導にある

 また、見方によっては、

 折伏とは、一人の人が入会する

 ことで終わるのではなく、

 個人指導を重ね、

 その人が自分以上の人材に育ってこそ、

 完結するということができる。

 

 会合も大切であることはいうまでもないが、

 会合に出席する人というのは限られている。

 たとえば、座談会を見ても、

 参加者に倍するほどのメンバーが、

 それぞれの組織にはいるはずである。

 そこに、満遍なく激励の手を差し伸べてこそ、

 盤石な学会がつくられ、

 それが拡大にもつながり、

 広宣流布の広がりも生まれる。

 

 いわば、個人指導なき活動は、

 画竜点睛を欠いているといってよい。

 

 ひとくちに個人指導といっても、

 決して、容易なことではない。

 会員のなかには、さまざまな人がいる。

 会って話すことを拒む人もいれば、

 子どものころに親と一緒に入会してはいるが、

 自分は信仰をした覚えはないという人もいるかもしれない。

 あるいは、

 学会に著しく批判的な人もいるだろう。

 さらに、病苦や経済苦などに悩み、

 未来への希望を見いだせずに悶々としている人もいる。

 そうした人びとの家を訪ね、

 知恵を絞って対話の糸口を探し、

 友情を結び、信仰の大切さを語り、

 勤行や教学を教えていくことは、

 並大抵のことではない。

 

 それは、会合で話をしたり、

 行事の運営をすることより、

 はるかに難しいにちがいない。

 

 しかし、そこにこそ、

 自身の鍛錬がある。

 他者を育成するなかにこそ、

 自己の成長もあるからだ。

 また、その労作業のなかに、

 まことの仏道修行がある。

 

 会合に集って来る人だけを相手に、

 活動を進めることは楽ではあるが、

 そこには本当の広宣流布の広がりはない。

 それでは、海の彼方の岸辺をめざしながら、

 入り江のなかを巡って

 満足しているに等しいといえよう。

 学会活動の主戦場となる舞台は、

 会合の先にこそあることを、

 幹部は深く認識しなければならない。

 

 創価学会の真心のネットワークを

 形成してきたものも、

 家々を訪問しての個人指導であった。

 大樹が、網の目のように、

 地中深く張り巡らされた

 根によって支えられているごとく、

 学会を支えているものも、

 この地道な個人指導の積み重ねであるといってよい。

 臆病で怠惰なスタンドプレーヤーには、

 この勇気と忍耐の労作業を

 成し遂げることはできない。

 

 民衆のなかへ、

 友のなかへ、

 人間のなかへと、

 個人指導の歩みを進める人こそが、

 仏の使いであり、

 まことの仏子であり、

 真正の勇者といえるのだ。

 

 山本伸一は、青年部の幹部が、

 個人指導に徹していくならば、

 学会の未来は永遠に盤石である

 と確信していた。

 川が流れるにつれて川幅を広げ、

 水かさを増すように、

 時代を経るごとに、

 人の輪が広がり、

 数多の人材が

 輩出されていくことになるからである。

 しかし、青年部の幹部がそれを怠るならば、

 学会という大樹の根を、

 自らの手で断ち切ることに等しい。

 ゆえに彼は、この女子部の幹部会で、

 個人指導の大切さを訴えたのである。

 

<新・人間革命> 第8巻 宝剣 102頁~105頁

  

2022年1月30日

第1884回

 「君が立ち上がればいいんだ!」

 

<事態が厳しければ、自分が一人立つ>

 

 メンバーの質問や意見、そして報告は相次いだ。

 ある青年は、こう山本伸一に質問してきた。

 「私が担当しております組織は、男子部員も少ないうえに、実態は極めて厳しいものがあります。どうすれば、こうした事態を変えていくことができるでしょうか」

 即座に、伸一の大きな声が響いた。

 「君が立ち上がればいいんだ!」

 場内に緊張が走った。水を打ったような静けさに包まれた。

 「青年ならば、一人立つことだ。そこから、すべては変わっていく。

 私もそうしてきた。戸田先生が亡くなったあと、学会は空中分解すると、世間は噂していた。古い幹部のなかには、先生が亡くなったのをいいことに、わがままになり、身勝手に振る舞う者もいた。学会を食い物にしようと企む者もいた。このままでは本当に空中分解してしまうと、私は思った。だから立ち上がった。そして、総務として、陰の力となって、学会のいっさいの責任を担った。当時、私は三十歳だった。

 事態が厳しければ、自分が一人立つ──常に、私はその精神でやってきた。

 蒲田支部の支部幹事として、折伏の指揮をとった時もそうだ。当時は、大支部といっても、折伏は百世帯そこそこだった。〝これでは、戸田先生が掲げた七十五万世帯という大願を果たすことはできない〟と、私は思った。

 では、誰がやるのか。弟子がやるしかない。ゆえに私は戦いを起こした。そして、一支部で二百一世帯という、当時としては未曾有の布教を成し遂げた。これは私が、二十四歳の時だ。支部には、もちろん壮年も、婦人もいた。ほとんどの幹部は、私よりも年上だ。しかし、最後は皆、私と心を合わせて動いてくれた。

 なぜか。私は真剣であったからだ。誰よりも、必死であったからだ。〝自分たちには、あれほどの活動はできない。この人の言う通りにやれば、必ず壁を破ることもできるだろう〟と、みんなが思ったからだ。そして、私は結果を出した。

 私の行くところは、事態、状況は、いつも最悪だった。そのなかで、勝って、戸田先生にお応えしてきた。それが弟子の道だ。ポーズだけの、遊び半分やふざけ半分の青年など、学会には必要ない。

 君も立て! 断じて立つんだ。見ているぞ!」

 まさに生命と生命の打ち合いであった。語らいの最後に、伸一はこう付け加えた。

 「まだ、私が揮毫した色紙をもらってない人は、後で名前を男子部長の方に出しておきなさい。新しい出発の記念として、みんなへの激励のために、色紙を贈りたいんだ。

 私が頼りとするのは君たちだ。一緒に広宣流布をやろうじゃないか!」

 青年の心に触発をもたらしながら、天城での水滸会の夜は更けていった。

<新・人間革命> 第8巻 宝剣 114頁~117頁

 

2022年2月5日

第1892回

聡明な女性リーダーの育成

これが広宣流布を決する!

 

<共に人材に育ち、育てる!>

 

 翌七日は、華陽会の研修会であった。伸一は、ここでも質問会を通して、メンバーの激励に全力を注いだ。

 やがて、社会は〝女性の時代〟となる。その時のために、どれだけ多くの、聡明な女性リーダーを育むことができるかが、広宣流布の勝負を決すると、彼は考えていたのである。

 水滸会、華陽会の研修会は、また一つ、後継の青年の魂に、信心の原点を刻む集いとなった。

 伸一は、いつ、どこにいても、青年の育成ということが頭から離れなかった。

 世の指導者の多くは、自らが功なり名を遂げてから後継のリーダーを育成するが、広宣流布という大業を果たすには、それでは遅すぎる。広布は無数の人材を必要とする作業であり、皆の活躍の舞台は、多様多岐にわたり、世界に広がっているからだ。また、いつ倒れようが、自分の志を受け継ぎ、堂々たる広宣流布の指揮を執れる人材群を育成しておく必要性を、伸一は感じていたのである。

 

<新・人間革命> 第8巻 宝剣 117頁

 

2022年1月31日

第1886回

青年よ世界の指導者たれ

(1)

 

<青年の成長こそ、世界平和への前進>

 

 さらに彼は、いよいよ「本門の時代」を迎えるにあたり、男子部の結成十二周年にあたる七月十一日を記念して、新しい指針を書き始めた。

 タイトルは「青年よ世界の指導者たれ」である。

 

 彼のペンは走った。

「新しき世紀の指導者は、

 我が学会青年部である。

 戸田前会長の叫ばれた『青年よ国士たれ』とは、

 青年よ日本の指導者たれ、

 しかして、世界の指導者たれ、との言である。

 

 青年部の根本指針は、

 恩師の青年訓、

 国士訓に明確であり、

 これを行動の原理として実践していくことは当然である。

 

 新しき青年部は、

 さらに世界的視野に立ち、

 幅広く立体的な活動を展開し、

 各界において有為なる人材、

 一流指導者として巣立ちいかねばならない」

 

 そして、「全人類の福祉」と「世界平和」に寄与することを、

 青年部の目標として掲げたのである。

 

 次いで、

 時代の行き詰まりの根源に、

 指導者自身の行き詰まりがあると喝破し、

 新しき指導理念、

 新しき指導者が待望されていると訴えた。

 

「今こそ我ら若き革命児が、

 最高の指導理念を奉じて、

 世界平和のため、

 先駆となって立ち上がるべき時である」

 

 そして彼は、

 革命児たる青年部の具体的実践として三指針を示した。

 

 すなわち、

 第一に「御本仏日蓮大聖人の大仏法における厳格なる信行学を確立すべきである」。

 第二に「理想は高く、現実は、あくまでも堅実に、一歩一歩力強く進まなければならない」。

 第三に「同志の団結である」。

 

 その際、第二の指針について、

「大志を抱いて世界の指導者たらんものは、

 第一歩として、

 その職場において、その境遇において、

 常に勝利者たれと叫ぶものである。

 青年時代は、

 人生の土台を築く時である。

 土台は深く堅固でなければならぬ。

 また、威厳寛容礼儀そなえた青年として、

 成長されんことを望むものである」

 と、強い期待を述べた。

 

 さらに、第三の「団結」については、

「青年部の団結こそ、

 永遠の絆であり、

 民衆救済の命綱である

 ことを瞬時も忘れてはならない」

 とも強調している。

 

 伸一のペンは躍った。

「青年部の成長は、我が学会の前進である。

 学会の前進は、日本の前進である。

 すなわち、

 我々の成長こそ、世界平和への前進である

 ことを強く確信すべきである」

 

 結びの言葉は、こうつづられていた。

 「『種種御振舞御書』にいわく『妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり、わたうども二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし』(御書九一〇㌻)と。

 一閻浮提とは、世界の異名である。

 世界の全民衆、全民族の幸福と平和のため、

 絶対に犠牲や破壊のない、

 地球民族主義の旗印のもと、

 一閻浮提の広宣流布目指して、

 勇敢に進みゆこうではないか」

 

 伸一の青年への熱き思いがほとばしり、瞬く間に原稿はできあがった。

 この「青年よ世界の指導者たれ」は、『大白蓮華』の八月号の巻頭言として掲載されることになるが、青年部員の眼を大きく世界へと開き、指導者への自覚を促す、精神の暁鐘となったのである。

 

<新・人間革命> 第8巻 宝剣 118頁~120頁

2022年2月1日

第1887回

青年よ世界の指導者たれ

(2)

 

自分も世界の指導者に育つのだ!

 

 しかし、人びとは、ようやく世界を意識し始めてはいたものの、世界の平和をいかにして築くか、世界のために青年が何をすべきかといった問題については、それを示す人は誰もいなかったといってよい。

 

 そのなかで、山本伸一の巻頭言「青年よ世界の指導者たれ」には、学会の青年のなすべきことが、明確に示されていた。しかも、一部の特定の青年への呼びかけではない。すべての青年部員に、世界の指導者たれと訴え、その具体的な方途を明らかにしているのだ。そこには、伸一の仏法者としての哲学があり、確信があった。

 

 世の中は、次第に学歴社会になり、有名大学の出身者でなければ、社会のリーダーたり得ないかのような考えが定着しつつあったが、彼は、そんな幻想にとらわれることはなかった。本来、なんのための大学なのか。それは、自分の出世のためでも、名誉のためでもない。

 

 伸一は、たとえ、いわゆる〝いい大学〟を出たとしても、身につけた学問を人のため、社会のために生かしていく、使命感と責任感のない人間を、決して有為のリーダーと認めることはできなかった。

 

 知識や学力が大切であることはいうまでもない。

 しかし、学歴イコール知識・学力ではない。

 ましてや、学歴イコール人間の能力ではない。

 指導者には、知識・学力は必要ではあるが、

 同時にそれを生かす知恵こそ、不可欠である。

 また、勇気、信念、情熱、行動力の有無も、

 重要なポイントとなる。

 さらに、何よりも、他人を思いやる心や、

 自分を律する力など、

 人格、人間性の輝きといった事柄が、

 求められていかねばならない。

 そして、それは、

 その人のもつ思想、哲学と不可分の関係にある。

 

 御聖訓には「持たるる法だに第一ならば持つ人随つて第一なるべし」(御書四六五㌻)と仰せである。

 

 伸一は、

 本来、学会の青年たちが、

 等しく世界の大指導者になる可能性を

 秘めていると確信していた。

 この巻頭言は、電撃のごとく、

 創価の青年の胸を打った。

 〝自分も世界の指導者に育つのだ!〟と、

 青年たちは決意した。

 「志」という大成長の種子が、

 若き生命の大地に植えられていったのである。

 

<新・人間革命> 第8巻 宝剣 121頁~122頁

 

2022年2月2日

第1888回

戸田先生の「百六箇抄」講義

 

<剣豪の修行の如し>

 

 「百六箇抄」は、伸一にとっても、思い出深い御書であった。それは、彼が戸田城聖から、教学部教授の研究課題として与えられた御書であったからである。

 彼は毎日、夕方、仕事を終えると、戸田のもとに通って教えを求めた。

 戸田は冒頭の「理の一念三千・一心三観本迹」の講義だけで三日間を費やしてくれた。

 この御文を、戸田は「三世諸仏の」「出世成道の」「脱益寿量の義」「理の三千は」と、区切りながら、一つ一つについて、あらゆる角度から解釈し、講義してくれたのである。

 それは、深遠にして広大無辺な仏法の世界に、伸一を導くかのような講義であり、それ自体が、師から弟子への相伝であった。

 冒頭の一箇条の講義が終わると、戸田は言った。

 「これまで話してきたことは、すべて暗記し、生命に刻むことだ。この一箇条を徹底して学び、深く理解していくならば、後の百五箇条もわかってくる。また、この『百六箇抄』がわかれば、ほかの御書もわかってくる。

 ともかく、一語一語、正確に、深く理解していかなくてはならない。教授や助教授になったら、間違いは許されないと思いなさい」

 その後は、一日、二、三箇条ずつ、講義が進められたが、伸一に少しでも真剣さが欠けると、戸田はすぐに御書を閉じた。

 「やめた! 私は機械じゃないんだ」

 そのたびに伸一は、申し訳なさ、不甲斐なさでいっぱいになった。そして、生命に焼きつける思いで、研鑽を重ねてきたのである。その時の伸一の御書は、戸田から受けた講義の書き込みで、真っ黒になるほどであった。

 

<新・人間革命> 第8巻 宝剣 145頁~146頁

 

 

2022年2月2日

第1889回

「事実」と「理論」の関係

 

<「理論」優先の教条主義に陥るな!>

 

 伸一は、京大生への講義では、まだ、教学の基本も身についていないメンバーに、できるかぎり、かみ砕いて語っていった。

 そして、「百六箇抄」が日蓮大聖人の仏法と釈尊の仏法の「本迹」「勝劣」が厳しく判別されている御書であることから、「本」と「迹」の立て分けを、あらゆる角度から論じ、人間の生き方に即して展開していったのである。

人生の根本は何か──ここに、彼の講義の最大のポイントがあった。

 中国の天台大師は、この「本迹」について、「本」を「天の月」とし、「迹」を月の影である「池の月」に譬え、「本」は勝れ、「迹」は劣るとしている。「本」とは本体を意味する。一方、「迹」とは本体の影、または跡を指す。事実から理論が生まれてくるように、「本」があっての「迹」である。

 伸一は、ある日の講義では、この問題を、事実と理論の関係を通して、わかりやすく丁寧に語っていった。

 「理論は一つの物差しです。だから、理論は事実を説明する規範にはなるが、そのすべてではない。たとえば、現実の人間の生命活動を見ても、瞬間、瞬間、変化です。その変化してやまない本体が生命の事実の姿です。

 一方、この事実から抽出され、普遍化されたものが理論です。そこで、大事なのは、事実と理論を見極める鋭い目をもつとともに、どこまでも現実の大地に立脚していくことです。

 その根本は、『生命』です。現実に生きている『人間』です。理論やイデオロギーを絶対視して教条主義に陥り、かえって、現実の人間を抑圧した例は、歴史上、枚挙にいとまがない。若き知性の諸君は、この不幸の歴史を変えてもらいたいんです

 

<新・人間革命> 第8巻 宝剣 146頁~147頁

2022年2月4日

第1891回

全てに『本迹』あり

 

<「百六箇抄」>

 

 「百六箇抄」の最後の付文である「立つ浪・吹く風・万物に就いて本迹を分け勝劣を弁ず可きなり」(御書八六九㌻)の箇所では、伸一はこう語った。

 「立つ波、吹く風、いっさいの現象について、本迹、勝劣を立て分けていきなさいという御文です。つまり、私たちの人生にも、生活にも、全部、『本迹』がある。それを、きちっと見極め、立て分けていかねばならない。

 たとえば、眠っている時は『迹』、起きている時は『本』。勉学が本分である学生が、遊びに、ふけっているのは『迹』、勉学に打ち込んでいるのは『本』といえる。

 また、勉強しているといっても、立身出世のための勉強であれば、心は自分中心であり、世間に流された『迹』の生き方です。しかし、学生部員として、広布のために力をつけようと、使命感を奥底にもっての勉強であれば『本』です。

 ともあれ、根本的にいえば、私たちの本地は、広宣流布のために出現した地涌の菩薩であり、ゆえに、広宣流布に生き抜く人生こそが『本』となる。

 一方、諸君が将来、社会的な地位や立場がどんなに立派になったとしても、それは『迹』です。この一点を見誤ってはならない。

 諸君も、やがて社会人となり、世間の荒波に揉まれることになるだろう。思うように学会活動ができない時もあるかもしれない。しかし、そこにも、『本迹』はある。どんな状況になっても、広布の使命を果たし抜こうとの決意があれば『本』です。環境に負け、信心を失って、使命を忘れてしまうならば、『迹』になる。

 『本』と『迹』は、ある意味で、ほんのわずかな差といえるし、一念の問題だけに、外からはわからないこともある。しかし、仏法の眼で見れば、すべては明らかであるし、天地雲泥の差となる。

 『本迹』を個人の一念に要約していえば、『本』とは原点であり、広宣流布への一念です。また、前進、挑戦の心です。『迹』とは惰性であり、妥協、後退です。

 自分は今、広布のために、人間革命のために生きているのか、一念は定まっているのか──それを見極めていくことが、私たちにとって、『本迹』を立て分けていくということになるし、その人が最後の勝利者になっていく。ゆえに、『本迹』といっても、この瞬間瞬間が勝負であり、自分のいる現実が仏道修行の道場となる」

 この「本迹」についての伸一の講義は、受講生の心に深く刻まれ、その後の生き方の大きな支えとなっていったようだ。

 

<新・人間革命> 第8巻 宝剣 148頁~149頁

 

2022年2月26日

第1919回

牧口先生の宗教改革の

最大の障害

 

<大謗法の日蓮正宗宗門そのものだった!>

 

 日蓮正宗の歴史をつぶさに見るならば、日寛上人らの清浄な一部の僧侶を除いて、大聖人の信心の血脈は分断に分断を重ね、その御精神は失われて久しいといってよい。

 一方、学会は、牧口常三郎も、戸田城聖も、獄中にあって正法正義を貫き、牧口は殉教した。大聖人の御精神という、まことの仏法の法灯は、学会によって守られ、信心の血脈は、学会に受け継がれたのである。学会が仏法の断絶を救ったのだ。

 牧口が広宣流布の旗を掲げて、折伏に立ち上がった時、広宣流布をする決意など微塵もない宗門の僧侶たちは、それを激しく非難したのである。当時は、学会員が、不幸に悩む人びとを折伏し、寺に連れて行っても、ほとんどの寺が、〝御授戒〟を断っていたのだ。宗門は、大聖人の民衆救済の大慈大悲を嘲笑うかのように、苦悩をかかえた民衆には、冷淡このうえなかったのである。当初、学会員に〝御授戒〟をする寺は、わずか二カ寺にすぎなかった。僧侶たちが大切に遇していたのは、身分が高い、富裕な檀徒であった。

 大聖人は「貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり」(御書一三〇四㌻)と仰せであるにもかかわらず、彼らの多くは、民衆に慈悲の眼を注ぎ、布教の手を差し伸べることはなかった。病苦や経済苦をかかえた民衆は、実入りが少ないだけの、面倒くさい存在と感じていたのであろう。また、折伏によって競い起こる、法難を恐れていたのである。

 

 そんな僧侶たちに、牧口常三郎はどれほど心を痛めてきたか。牧口の宗教改革の最大の障害は、実に宗門にほかならなかった。

 彼は、次のように述べている。

 「日蓮大聖人御在世当時の天台宗は、現今の日蓮宗の中でも『日蓮正宗』に相当すると思はれる」

 

 大聖人御在世当時の天台宗は、腐敗、堕落の様相を呈していた。

 日本天台宗の開祖である伝教大師は、法華経を根本とし、比叡山に大乗戒壇の建立に努めた。にもかかわらず、その法を正しく継承すべき弟子たちが、真言などの誤った教えを取り入れ、伝教の本来の教えも、精神も失われていたのである。

 

 牧口の指摘は続く。

 「さらば従来の日蓮正宗の信者の中に『誰か三障四魔競へる人あるや』と問はねばなるまい。そして魔が起らないで、人を指導してゐるのは『悪道に人をつかはす獄卒』ではないか」

 

 ここでは「日蓮正宗の信者」との表現が使われているが、単に信徒を意味するのではなく、むしろ「人を指導してゐる」僧侶をさしている。

 御聖訓に照らして、三障四魔が競い起こらぬということは、広宣流布の戦いを放棄しているからである。牧口は、そうした臆病な僧侶の、「保身」がもたらす罪悪性を、鋭く突いたのである。

 

<新・人間革命> 第8巻 宝剣 158頁~191頁

 

清流

2022年2月28日

第1921回

言論の力

『コモン・センス』

 

<「無名の言論」が米国独立を導いた!>

 

 彼は、言論の勝利というと思い出す、アメリカの独立に関する話があった。

 ──一七七六年の一月、アメリカのフィラデルフィアの町で、『コモン・センス』(常識)というパンフレットが出版された。イギリスの植民地であったアメリカが、有名なレキシントンとコンコードの戦いで、独立戦争の、最初の砲声を轟かせてから、九カ月後のことである。

 この『コモン・センス』は、わずか四十七ページの小冊子にすぎなかった。しかし、それがアメリカを独立へと鼓舞する、大きな力となっていったのである。

 当時のアメリカは、なおもイギリスの統治下にあって、公然と独立を口にすることは、官憲の厳しい追及を覚悟しなければならなかった。しかも、アメリカ住民の世論も、独立派はまだ三分の一にすぎず、三分の一が国王派、三分の一が中立派であった。多くの人びとは、アメリカの自治を獲得しただけで満足し、独立には懐疑的であったり、時流を傍観するという態度であった。

 そのなかで、この小冊子は、敢然と叫びをあげ、アメリカの独立は、もはや〝常識〟の帰結であると訴えたのである。

 「大陸が永久に島によって統治されるというのは、いささかばかげている」

 「おお! 人類を愛する諸君! 暴政ばかりか暴君に対しても決然と反抗する諸君、決起せよ!」

 「公然の断固とした独立宣言以外には、現在の事態を速やかに解決できる道はないのだ」

決して難解な言葉ではなかった。誰にでもわかる、平易な言葉で、明快に、ほとばしる情熱をもって、独立の必要性を説いたのである。

 その著者は匿名で、「一イギリス人」とだけ印刷されていた。しかし、やがてトマス・ペインという三十九歳の編集者が著者であることが判明する。二年前、イギリスからアメリカに渡って来たばかりの、社会的には全く無名の人物であった。

 だが、この小冊子『コモン・センス』は、たった三カ月の間に十二万部も売れ、大反響を呼ぶことになるのである。

 まだ、人口が二百五十万ほどの独立前のアメリカである。十二万部は驚異的な数字といってよい。しかも最終的には、五十万部に達したといわれる。

 『コモン・センス』を手にした人びとは、心を射貫かれ、独立にアメリカの未来の旭日を見た。人びとの頭のなかで、旧来の〝常識〟は音を立てて崩れ去り、独立という新しい〝常識〟が打ち立てられていったのである。

後に初代大統領になったワシントンは、この小冊子の「正当な主張と反駁の余地のない論理」を評価し、早晩、「独立の妥当性に軍配を上げかねて途方にくれる者はいなくなるでありましょう」と述べている。

 農民や貧しい都市住民たちも、競って『コモン・センス』を買い求め、続々と独立派に加わっていった。

 次のような感想を記した市民もいた。

 「数週間前まで、独立を取り巻く途方もない障害に身震いしていた民衆の心情」は、一気に「あらゆる障壁を飛び越えてしまった」と。

 この小冊子が、アメリカの民衆の胸に、〝独立は必ずできる〟という確信を与え、立ち上がる勇気を呼び覚ましたのだ。

 決起した民衆の力は大きい。

 もう何ものも、その潮流を止めることはできなかった。

 アメリカ独立宣言が採択されたのは、この一七七六年の七月四日のことであった。

 独立は、時の趨勢であったのかもしれない。だが、無名の一市民が書いたこの小冊子が、絶大な援軍となったことは間違いない。

 「注目すべきは主張そのものであって、筆者ではない」との、ペインの言葉の通り、言論の力が歴史を動かしていったのだ。

 権力の横暴や社会の矛盾に対し、民衆が正義の声をあげる。そこにこそ、民主の基礎があるのである。

 

<新・人間革命> 第8巻 清流 194頁~199頁

2022年3月1日

第1922回

「悪」のまやかしを打ち破るには

真実を語れ!

 

「正語」

 

 「真実」をもって、「悪」のまやかしを打ち破るところから、未来は開かれる。

 言うべきことを、断固として言い切る。正しいことを「正しい」と言い切る。間違っていることを「間違っている」と言い切る。そこに、本来の仏法者の生き方がある。

 たとえば、初期の仏教で説かれた「八正道」(悟りに至る八つの正しい道)には、「正語」(正しい言葉)があげられている。

 「正語」とは、「妄言・両舌・麁言・猗語を離る」(中阿含経)ことである。

 「妄言」は嘘や偽り。

 「両舌」は陰口、二枚舌。

 「麁言」は粗悪な言葉や悪口。

 「猗語」は粉飾のみで真実のない言葉をさす。

 これらを離れよ、

 真実を語れ!──それが釈尊の教えであった。

 

 王舎城で弘教を開始した釈尊のもとには、次々と立派な弟子たちが帰依していった。

 それを妬み、また恐れをいだいた町の人びとから、釈尊への非難の嵐が巻き起こった。弟子たちは不安にかられた。だが、釈尊は顔色一つ変えることなく、非難には、こう反駁するように教えたのである。

 

 「仏は正しい法をもって誘っている。

  それを妬む者は誰なのか」と。

 

 師の言葉に、弟子たちも、決然と立ち上がった。

 町のどこかで、批判めいた言葉を聞くと、彼らは、堂々と、この道理を語った。釈尊の正義を語りに語って、相手を納得させた。折伏である。

 いつしか中傷は雲散霧消していったのである。

 

<新・人間革命> 第8巻 清流 199頁~200頁

 

2022年3月2日

第1923回

日蓮大聖人の言論闘争

 

<スピードこそが死命を制する>

 

 日蓮大聖人の御生涯もまた、火を噴くような言論戦の連続であられた。

 三十二歳にして立教の叫びを放たれ、諸宗の誤りをただ一人、正していかれた。

 大聖人には、社会的な高い地位も身分も何一つない。しかし、幕府の最高権力者をも恐れなかった。日本中が敵に回ることも、大難も、覚悟のうえであった。ただ苦悩にあえぐ民衆に幸福をもたらし、社会の繁栄と平和を築かんがための大師子吼である。それゆえに、迫害に次ぐ迫害の人生であった。

 大聖人は、事実上の国主である北条時頼を諫め、宗教界の権力者・極楽寺良観の邪悪を責められた。その戦いは、常に電光石火の行動であり、言論戦であられた。敵に対しては、もちろんのこと、弟子から報告があれば、いつも素早く反応された。特に、弟子が苦境に陥っていたり、なんらかの事件が起きた際の、大聖人の打つ手の迅速さ、的確さ、そして、細やかさは目を見張るものがある。

 建治三年(一二七七年)の六月、四条金吾が主君の不興を買い、法華経を捨てるとの誓約書を書けと迫られる事件が起きた。それは、四条金吾が竜象房の説法の場に徒党を組んで乱入したという、全くのデッチ上げに端を発したものであった。

 大聖人は、主君宛てに金吾の弁明書を代筆される。乱入事件なるものは「跡形も無き虚言なり」(御書一一五三㌻)と喝破され、堂々と金吾の正義を証明された。これが「頼基陳状」である。金吾が急使に託した書状をご覧になり、事件の真相をつかむと、直ちに、筆を執られたようである。

 黙っていれば、嘘の闇が広がる。その邪悪を破る光こそ、正義の言論である。人が苦悩の悲鳴をあげている時、ただ傍観しているのは無慈悲である。邪悪の黒雲が、真実の空を覆わんとしている時、正義の声をあげないのは臆病である。

 弘安二年(一二七九年)の十月、あの熱原法難の渦中でも、大聖人は「聖人御難事」「伯耆殿等御返事」「滝泉寺申状」「聖人等御返事」など、矢継ぎ早に文書を送られた。

 そのなかには、法難に遭っている農民信徒への激励もあれば、弟子のための訴状の代筆もある。また、日興上人らに裁判上の指示を子細に与えられるなど、激しく推移する事態を的確に掌握され、次々に手を打たれている。

 常に正確な情報をつかんで、敏速に応戦していく。敵との攻防戦においては、このスピードこそが死命を制することになるからだ。

 

<新・人間革命> 第8巻 清流 200頁~202頁

 

2022年3月3日

第1924回

真の言論人とは、

不屈の信念の人の異名

 

<「悪の本質を切る」>

 

 また、力ある言論とは、「悪の本質を切る」ものでなくてはならない。

 大聖人は、当時、幕府の権力者をはじめ、人びとから「生き仏」と崇められていた極楽寺良観に対して、その本質は、三類の強敵の第三「僣聖増上慢」であると断ぜられた。

 つまり聖人のように振る舞いながら、その実、利欲を貪り、人をたぶらかす、〝ニセ聖人〟であると破折されたのだ。このために大聖人を憎んだ良観は、権力者に讒言し、亡きものにしようと暗躍したのである。

 文永十二年(一二七五年)の三月、良観の極楽寺から出火し、堂舎がことごとく焼亡した。また、良観が手厚い庇護を受けていた、幕府の御所でも火災が起こった。経文に照らせば、これらの災害の根本原因は、良観らの謗法の教えにあることは明らかである。

 火災の詳細を聞かれた大聖人は、極楽寺と御所の炎上から、〝良観房〟を〝両火房〟と揶揄され、「極楽寺焼て地獄寺となりぬ」(御書一一三七㌻)と痛烈に破折されている。

 さらに、その火は、現世の国を焼き、やがて日本中の人びとが地獄の炎に焼かれる先兆であると、このような悪侶を用いる人びとに警鐘を鳴らされている。

 〝両火房〟のただ一言をもって、この良観の本質、〝ニセ聖人〟の本質を撃たれたのである。それは、単なる悪口や罵倒では決してない。経文を拠り所とし、明快な論理に裏付けられた、容赦のない呵責の弾丸であった。

 悪を切らなければ、善が失われてしまう。真実を叫ばなければ、虚偽が蔓延してしまう。正法が隠没し、邪法が支配すれば、不幸になるのは民衆だ。

 大聖人の仮借なき舌鋒、言葉の弾丸の数々は、まさに「正法を惜む心の強盛なる」(御書九五七㌻)ゆえであったといえる。

  言論によって人間の勝利を打ち立てるのは、決して容易な道程ではない。大聖人の御生涯がそうであったように、ありとあらゆる迫害が広布の途上にはあるだろう。

 しかし、それでも「いまだこりず候」(御書一〇五六㌻)と、正義の言論の矢を放ち続けることである。その不屈なる魂の叫びが、人びとの心を揺り動かすのである。

 真の言論人とは、不屈の信念の人の異名でなければならない。

 

<新・人間革命> 第8巻 清流 202頁~204頁

2022年3月5日

第1925回

「一」の暴言、中傷には

「十」の正論を語り抜く

 

どこまでも民衆の味方>

 

 幹部指導に続いて、会敬意を表したあと、広宣流布における言論活動の意義について言及していった。

 「言論による時代の建設こそ、民主主義の根本原理であります。私どもが進める広宣流布は、正義の言論を武器とし、民衆を守り、民衆が主役となる人間の勝利の時代を築く運動であります」

 そして、彼は、「言論の自由」を永遠に守り続けていかなければならないと語るとともに、「言論の自由」を盾に、無責任で勝手気ままな言論や、真実を歪め、人をたぶらかす、邪悪な言論が横行していることを指摘していった。「言論の自由」とは、「嘘やデマを流す自由」では断じてない。

 伸一は訴えた。

 「悪質な意図をもって、民衆を扇動するような、一部の評論家やジャーナリスト、あるいは指導者によって、日本が左右されてしまえば、いったいどうなるか。

 そうした邪悪な言論と戦い、その嘘を暴き、人間の〝幸福〟と真実の〝平和〟のための新しい世論をつくりあげていくことこそ、言論部の使命であります。

 私は、一握りの評論家やジャーナリスト、あるいは一部の〝偉い人〟だけが、言論の自由を謳歌するような時代は、もはや去ったと叫びたい。また、本来、言論の自由とは、そういう特権階級のためのものではないはずであります。

 私どもは、善良なる世論を結集し、燃え上がる民衆の言論戦をもって、新しき時代の幕を開いていこうではありませんか!」

 民衆が、堂々と真実を語り、正義を叫ぶことこそ、「言論の自由」の画竜点睛である。

 「一」の暴言、中傷を聞いたならば、「十」の正論を語り抜く。その言論の戦いのなかにこそ、「声仏事を為す」(御書七〇八㌻)という精神も、生き生きと脈打つのである。

 伸一は、最後に、どこまでも民衆の味方として、人びとの心を揺り動かす情熱と理念、緻密な論理とを備えた大言論戦の勇者たれと呼びかけ、講演としたのである。

 創価学会の強さは、民衆を組織したことにあると見る識者は多い。しかし、組織したから、学会の強さがつくられたわけではない。その組織のなかで、民衆が自立し、自らの主張を堂々と展開する、社会建設の主役になっていったからこそ、いかなる権力にも屈しない、強靱な民衆の力の連帯が形成されたのである。

 

<新・人間革命> 第8巻 清流 204頁~206頁

2022年3月6日

第1926回

功徳を受ける為の学会活動であり、

功徳を受けさせるための組織

 

<幸福は清流(無疑曰信)の信心に>

 

 自分が功徳を受けるための信仰である。また、そのための仏道修行であり、学会活動である。そして、皆に功徳を受けさせるための組織であり、幹部である。この目的を見失う時、組織はみずみずしい活力を失い、停滞し、活動は空転を始める。

 次いで、伸一は、中部第二本部の会館建設を発表した。参加者の喜びは、万雷の大拍手となって轟いた。

 さらに彼は、幸福の要諦は自分の心に打ち勝つことであり、何があっても御本尊を信じ抜く、「無疑曰信」(疑いなきを信という)の清流のごとき信心が肝要であることを訴えていった。

 「大聖人の仏法の正しさは、文証、理証、現証のうえから証明されております。

 しかし、ちょっと商売が行き詰まると、すぐに御本尊には力がないと疑いの心をいだく。子どもが怪我をしたといっては、御本尊は守ってくれなかったと思う。

 また、一部のマスコミが学会を批判したからといって、学会の指導を疑い、御本尊への確信をなくし、勤行もしなくなってしまう。こういう方もおりますが、そうした人に限って、自分自身の生き方や信心を振り返ろうとはしない。それでいて、何かにつけて御本尊を疑い、学会を疑う。それは大功徳を消していくことになります。

 赤ん坊は、何も疑うことなく、お母さんのお乳を飲んで成長していきます。しかし、お乳を飲まなくなれば、成長も遅くなり、病気にもかかりやすい。それと同じように、御本尊を信じ、生涯、題目を唱え抜いていくならば、仏の生命を涌現し、生活のうえにも、絶対的幸福境涯の姿を示していけることは間違いないのであります。

 どうか、御本尊を疑うことなく、題目を唱えに唱え、唱えきって、広宣流布の団体である学会とともに走り抜き、この人生を、最高に有意義に、最高に幸福に、荘厳してまいろうではありませんか」

 愛する会員が、一人も残らず、充実した人生のなかに、功徳と福運に包まれゆくことを念じての、渾身の指導であった。

 

<新・人間革命> 第8巻 清流 208頁~210頁

2022年3月8日

第1928回

民音の設立

(1)

 

<民主音楽協会(民音)の誕生>

 

 伸一は、人類が悲惨な戦争と決別し、平和を築き上げていくには、何が必要なのかを考え続けた。

 ──そのために不可欠なことは、民衆と民衆の相互理解を図ることである。それには、音楽などの芸術、文化の交流が大切になる。

 こう考えた伸一は、学会が母体となって、音楽、芸術の交流などを目的とした団体をつくろうと決意したのである。

 以来、首脳幹部で検討を重ね、この年の八月一日に行われた教育部の第二回全国大会の席上、伸一から音楽・芸術の文化協会の設立が発表された。続いて、準備委員会を発足させ、設立に向かい、最終的な準備に入った。ここで、団体の名称やモットー、代表理事などの役員の人事や、具体的な活動も煮詰まっていった。そして、この十月十八日の、創立記念演奏会となったのである。

 午後六時半、音楽隊の代表によって構成された吹奏楽団の、行進曲「錨を上げて」の勇壮な演奏で、記念演奏会は幕を開いた。舞台の背後には、音符をデザインした、民音のマークが掲げられていた。

 演目は進み、合唱やアンサンブル、また、第一線で活躍中のバイオリンやチェロの奏者などの見事な演奏が、次々に披露されていった。

 続いて、来賓を代表し、音楽大学の学長が祝辞を述べたあと、民音の専任理事となった秋月英介があいさつに立った。

 秋月は、まず、民音の正式名称を「民主音楽協会」とし、広く民衆のための音楽の興隆に努めていくことを発表した。この名称については、当初、「民衆音楽協会」にしようとの意見もあったが、伸一は「民主音楽協会」にしてはどうかと提案した。そこには、民衆こそ、国家、社会の主人であるとともに、音楽、芸術を育成していく主役であるとの思いが込められていた。

秋月は、話を続けた。

 「次に、わが民主音楽協会のスローガンを発表いたします。

 一、広く民衆の間に、健康で明るい音楽運動を起こす。

 一、新しい民衆音楽を創造し、これを育成する。

 一、青少年の音楽教育を推進し、並びに一般音楽レベルの向上を図り、以て情操豊かな民衆文化の興隆を目指す。

 一、音楽を通じ国際間の文化交流を推進し、世界の民衆と友誼を結ぶ。

 一、日本の音楽家を育成し、その優秀な作品、並びに演奏を、広く内外に紹介する。

 この五項目のモットーのもと、民衆の新しい音楽運動を展開していくために、まず、定期演奏会、都民コンサートなどを活発に行ってまいります。そして、民衆の手に音楽を取り戻す、新しい音楽の潮流をつくってまいる所存でございます」

 

(つづく)

2022年3月9日

第1929回

民音の設立

(2)

 

<民衆に最高の音楽を、新たな文化の創造を>

 

 秋月に続いて、民音の代表理事になった、学会の副理事長の泉田弘が、民音への支援をお願いしたいとあいさつした。

 このあと、富士吹奏楽団が「軽騎兵序曲」等を演奏。フィナーレは、指揮者、作曲家として著名な近衛秀麿の指揮による、行進曲「旧友」である。演奏が終わると、場内から、盛んな拍手がわき起こった。

 ここに、民音は、民衆の新たな音楽・文化運動の旗手として、社会に船出したのである。

 この日は、多数の来賓も出席していたが、民音創立の趣旨やモットーに、皆、大きな共感を示したようであった。

 人びとは、民衆の音楽の興隆を、心から待ち望んでいたのである。

 当時、日本にあっては、歌謡曲やポップスなどは民衆に親しまれていたが、クラシック音楽やオペラなどは、民衆とは大きな隔たりがあった。利潤の追求のゆえか、鑑賞券がいたって高額なコンサートも多く、庶民にはとても手が届かなかった。音楽は、みんなのものである。一部の特権階級や金持ちの専有物ではない。

 山本伸一は、クラシックやオペラ、邦楽など、すべての音楽に、民衆が接する機会をもてるようにすることを、民音のまず最初の課題と考えていた。

 このころ、大きな音楽鑑賞の組織としては、既に労音(勤労者音楽協議会の略称)が、あった。しかし、政治的なものに左右され、イデオロギー色が強いというのが、大方の見方であった。

 また、この年には、労音に対抗して、日経連(日本経営者団体連盟の略称)の呼びかけで、音協(音楽文化協会の略称)が設立され、活動を開始していたが、まだ、規模は小さかった。

 伸一は、労音であれ、音協であれ、民衆のためによい音楽を、幅広く提供できるならば、それは喜ばしいことであると考えていた。

 ともかく、民音の創立によって、さらに民衆全体が最高の音楽に触れ、新たな文化の創造が図られていくことを、彼は期待していたのである。

(つづく)

 

2022年3月10日

第1930回

民音の設立

(3)

 

<芸術は、宗教の枠を超える>

 

 民音の創立記念演奏会が行われていた時、伸一は学会本部で、この演奏会の成功と民音の大発展を祈って、唱題した。

 午後十時過ぎに、演奏会を終えた、泉田弘と秋月英介が、学会本部に帰って来た。

 「先生、大成功でした。来賓も、民音の設立の趣旨に、大いに共感しておりました。また、大きな期待をもったようです」

 泉田の話を聞くと、伸一は言った。

 「そうですか。それはよかった。おめでとう!」

 秋月が報告した。

 「実は、音楽関係者の多くは、今日の演奏会に出るまで、学会は音楽や芸術を使って、勢力を拡大するために、民音を設立したと思っていたようなんです。

 また、ある来賓は、『民音では、クリスマスソングのような、他の宗教に関係する曲は、演奏できないんでしょうね』と、尋ねてきました。学会は、宗教の正邪について妥協しないから、民音もまた、宗教性のある音楽や芸術は受け入れないと思っているんです」

 すると、泉田が言った。

 「秋月さん、学会員も、そう考えているよ」

 学会は、宗教の高低、浅深、正邪を、厳格に立て分けてきた。いかなる宗教を信ずるかが、人間の幸・不幸を決するからである。それだけに、会員のなかにも、他の宗教に関係する音楽を演奏したり、聴いたりすることに、かなり抵抗を感じている人も少なくなかった。

 宗教と、音楽などの芸術とは、確かに不可分の関係にある。宗教は、人間の生命という土壌を耕し、その大地のうえに花開き、実を結んでいくのが、芸術であるからだ。しかし、その芸術に親しむことと、宗教そのものを信ずることとは、イコールではない。

 宗教的な情熱が、芸術創造の源泉となっていても、芸術として花開く時、それは宗教の枠を超える。美しい花は、どんな土地に咲いても、万人の心を和ませ、魅了する。それが美の力である。優れた芸術も同じであろう。

 詩人ハイネは歌った。

 「さやがはじけたとたんに、甘えんどうは万人のものだ!」

 芸術を、宗教やイデオロギーで色分けし、否定したりすることは、人間性そのものを否定するに等しい。

 ましてや、仏法は、生命の尊厳と自由と平等とを説き、人間性の開花の方途を示した慈悲の哲理である。その仏法を根底にした音楽運動である限り、人間性の発露である音楽を、色分けして、排斥するようなことは、絶対にあってはならない──それが山本伸一の考えであり、また、信念でもあった。

(つづく)

 

2022年3月11日

第1931回

民音の設立

(4)

 

<民音があって、民衆の心と心が結ばれ、世界が結ばれる>

 

 伸一は、泉田弘と秋月英介に言った。

 「私が恐れているのは、学会員が、そうした教条的で偏狭な考え方に陥ってしまうことです。私たちが厳格なのは、宗教の教えそのものに対してです。

 芸術や文化に対しては、いっさい自由であることを、社会にも、学会員にも、語っていかなくてはならない。

 芸術は、イデオロギーや政治の僕ではないし、宗教の僕でもない。独立した価値をもっているのだから、それを認め、尊重していくのは当然です。また、私には、民音の音楽活動を利用して、布教しようとか、音楽愛好家を学会に取り込んでいこうなどという考えは、毛頭ありません。みんなも、それをよく知ってほしい。

 民音を設立した目的は、あくまでも、民衆の手に音楽を取り戻すことにある。人間文化を創造し、音楽をもって、世界の民衆の心と心を結び、平和建設の一助とすることにある。

 これまで、芸術や文化、あるいは平和を、教勢拡大の手段にしてきた宗教が、あまりにも多い。しかし、そんなことが長続きするわけがない。もともと、教団のために、一時的に利用するのが目的であり、本気ではないからだ。また、見せかけだけであることが露呈し、最初は賛同していた人も、次第に離れていくからだ。

 だが、私たちの文化と平和の運動は違う。本気だ。真剣です。民衆のため、人類のための大運動です。民音といっても、最初、社会の人びとの多くは、警戒し、うさん臭いもののように思うだろう。しかし、やがて、その認識が誤っていたことに気づくはずだ。三十年、四十年とたった時には、民音の社会的な意義の深さに感嘆するにちがいない。また、そうしていかなくてはならない。

 私は、『世界の民音』に育てたいと思っている。『民音があって、音楽は蘇った』『民音があって、新しい、最高の音楽が生まれた』『民音があって、民衆の心と心が結ばれ、世界が結ばれた』と言われるようになるんだ

 泉田と秋月は、大きく頷いた。

 

 民音は、それから間もなく、全国組織に発展し、一九六五年(昭和四十年)一月には、財団法人となり、さらに音楽、芸術の興隆に、大きく貢献していくことになる。そして、賛助会員百三十万人の、日本を代表する音楽文化団体へと発展していくのである。

 その活動は多方面にわたり、クラシック、ポピュラー、歌謡曲、伝統芸能にいたる幅広い演奏会を開催してきた。また、無料の「市(都)民コンサート」を開催したのをはじめ、青少年の情操教育に寄与するための「学校コンサート」、未来の人材発掘をめざした「東京国際音楽コンクール」なども実施してきた。

 さらに、海外との文化交流では、六五年にイスラエルのピアニストを、翌年にソ連のノボシビルスク・バレエ団を招聘したのを最初期として、やがて世界最高峰のウィーン国立歌劇場、ミラノ・スカラ座などの招聘を実現した。その一方で、日本の音楽家、舞踊団などを海外に派遣してきた。これまで、海外との文化交流は、百カ国・地域に及んでいる(二〇〇九年七月)。

 学会を母体とする、この民音の創立によって、音楽・芸術の復興の春が、到来したのである。

 

<新・人間革命> 第8巻 清流 240頁~248頁

 

激流

世界広布新時代

創立100周年へ

青年・飛躍の年

(2022年)

2013.11.18

広宣流布大誓堂落慶

更新日

2022.8.14

第2073

第2074

 

日天月天ワンショット

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