一人立て

2018年10月8日

第1531回

一人立つ勇気

 

祈りと行動

 

 開拓は、地道である。
 一歩一歩である。
 家庭訪問、個人指導、
 弘教・対話こそ、
 本当の仏道修行である。
 大勢を集めて話すだけでは
 修行にならない。
 自分が動かねばならない。
 一カ月に何軒、回ったか。
 一年に何軒、回ったか。
 そこにしか真の「開拓」はない。

 

 「あの人は駄目」「この人はこう」と
 固定観念をもち、
 決め込んでしまうと、
 相手の違った顔が見えない。
 いな、相手と真っすぐ
 向き合うことができないのだ。
 相手ではない。
 自分の目に惑わされるのだ。
 また、「自分は、もう、
 これだけしかできない」と
 決めつけてしまう場合もある。
 先入観。我見。固定観念。思い込み
 ――それらが自分を縛り、
 閉じ込めてしまっているのだ。
 その心の檻を打ち破ることだ!
 それには祈りと行動だ。
 勇気をもって、
 ぶつかっていくことだ。
 動けば、おのずから、
 視点は変わるのだ。

 

 勇気こそ、幸福の門である。
 勇気こそ、正義の銅鑼である。
 勇気こそ、勝者の旗である。
 一切の原点は、
 戸田先生が教えてくださった通り、
 「一人立つ勇気」にある。
 そして、究極の勇気である
 「師子王の心」は、
 誰の胸中にも厳然とあるのだ。

 これからが「本番」である。
 希望は常に前にある。
 栄光は前進し続ける中にある。
 ともどもに悔いなく、
 最高の勝利の人生を飾っていこう。

 

〈池田大作先生 四季の励まし〉 希望は常に前にある   2018年10月7日

 

2018年9月29日

第1530回

例(ためし)には他を引くべからず

 

<わが姿を見よ! わが戦いを、しかと見てくれ!>

 

役職によって自分が輝くと考えるのは、

”権威主義”である。

 

 当時は、「支部──地区──班──組」という組織の体制が整備されたばかりであった。「組」は最前線、今の「ブロック」である。
 最前線のリーダーに自信と責任感を──それが戸田先生のお心であり、 私も、ここに学会が飛躍する焦点があると確信していた。
 支部の百人近い組長全員が主役に! 皆が勝利者に!
 一人が百歩前進するよりも、百人が一歩前進を!
 私は、一つの「組」も落とさない決心で、一人一人が功徳を実感できるようにと、祈り、支部内を縦横無尽に走り回った。
 新しい人材を見つけ、新しい力を結集する。そこに勝利のカギがあるからだ。
 組織というと、人の顔が見えない大きな機構をイメージしがちだが、学会の組織は、あくまで「人」である。
 班や地区の幹部など、あらゆる幹部が「組」に入った。
 座談会も、「組」なら顔が見える。指導も、「膝詰めの対話」なら、各人の悩み等に的確にこたえていける。
 そのなかで発心した一人一人が、雄々しく弘教に立ち上がっていったのである。
  ともあれ、号令だけでは、誰も動かない。いわんや、人間は感情の動物だともいわれる。
 嫌々ながらでは、本当の力など出るはずもない。
 まして、支部幹事とはいえ、私は二十四歳の青年にすぎなかった。どうすれば、皆が本気になって総決起してくれるのか。
 それは、全責任を担った、若き私の行動だ。自らの必死の汗だそして結果だ。その姿に、同志は喝采を送り、信頼を寄せてくれるのだ。
 わが姿を見よ! わが戦いを、しかと見てくれ!
 青年らしく、戸田門下生らしく、私は決然と立ち上がった。そして奮闘した。
 御聖訓には、「例には他を引くべからず」とも仰せである。他人ではなく、自身の戦う姿が共感と納得を生むのだ。支部幹事の私と、支部長とは、よく連携を取り合い、戸田先生の構想実現へ、心を合わせていった。
 支部幹事は、「副役職」である。支部長と同じ目的観、同じ理想に立ち、支部長を補佐するのが役目である。
 「支部長を支え、必ず日本一の支部に!」
 私は、支部幹事の模範をつくろうと戦い抜いた。
 「位置が人を高尚にせず、人が位置を有名にす」とは、西洋古代の箴言である。
 役職が、人を輝かすのでは断じてない。人が、役職を光り輝かせるのだ。
 役職によって自分が輝くと考えるのは、”権威主義”である。「虎の威を借る狐」の生き方であり、結局は、役職の価値を下落させることになる。
一カ月後、この二月の戦いの結果が発表された。
 わが蒲田支部は、二百一世帯の堂々の第一位!
 当時、一カ月で百世帯を超える折伏もできない支部が、ほとんどであった。その限界を悠々と突破して、大勝利を飾ったのである。つまり「組二世帯」という前代未聞の折伏を達成したのだ。
 皆が唖然とした。
 いかなる苦難の山々を越えようが、勝てば、いっさいは歓喜と充足に変わる。
 皆の顔が、それはそれは紅潮し、喜び勇んでいたなかには、躍り上がっている組長もいた。その姿が、何よりも、私は嬉しかった。
 ──来年五十周年(当時)となる「二月闘争」のことは、これまでも語ってきたが、大事な歴史であり、再度綴らせていただいた。

 

  2001年10月4日 随筆 新・人間革命4(132) 広宣流布の新布陣

2018年6月17日

第1511回

広布は「一人」から始まる

 

<本当に「日蓮と同意」の心をもった、

本当の「学会の同志」と一緒に>


 一、思えば牧口先生は、昇りゆく旭日のような勢いで、「価値創造」の青春を生き抜かれた。そして真っ赤な太陽が黄金の光を放ちゆくように、荘厳な人生の総仕上げを飾られた。
 素晴らしき夕日は、素晴らしき明日を約束する。西空を黄金に染めて沈む夕日は、明日の晴天を約束する。同じように今世の偉大なる安祥の「死」は、「永遠の幸福」を約束する。
 悔いなく広宣流布に生ききった一生は、三世永遠に仏界の大境涯へと輝きわたっていく。
 ゆえに「一生成仏」の大道を進め! 今世を広宣流布に生き抜け! そう日蓮大聖人は、厳しく教えられているのである。


「毅然たる信心」で

 

 一、戸田先生は、大確信をもって語られた。
 「大聖人のおことばを信じて、この(法華経の)鏡に照らしてみるならば、(牧口)先生は法華経流布の国のなかの、もっとも徳清らかな王家に、王子として再誕せらるべきこと、堅く信じられるべきで、先生の死後の幸福は、吾人(=私)に何千、何万倍のことか、ただただ、おしあわせをことほぐ(=祝福する)ばかりである」と。
 生命が存在する天体にしても、この地球だけではない。数多く存在するとされる。そこには、多くの「法華経流布の国」があると考えられる。
 ゆえに戸田先生は、御書に照らし、法華経に照らして明言された。
 ――牧口先生は素晴らしき「法華経流布の国」の、素晴らしき王家に、王子としてお生まれになられることだろう。それほど牧口先生の幸福は計り知れない。われわれの何千何万倍である、と。
 一、牧口先生、戸田先生に連なる学会員も、この一生を広宣流布に生ききったとき、皆、こうした永遠の勝利と栄光に包まれゆくことは、絶対に間違いない。ゆえに、負けてはならない。何があろうと「毅然たる信心」を貫くことである。
 御書に「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」(1143頁)とある。
 また、「南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」(467頁)と。
 はかない、夢のような一生である。「一生はゆめの上・明日をごせず」(1163頁)である。明日がどうなるかさえ、だれもわからない。いわんや永遠はわからない。
 いかなる富も地位も名声も、はかなき夢のごときものである。死後に持って行けるわけでもない。そのなかで、私どもは永遠の妙法を唱え、弘め、広宣流布に命を燃焼させている。これ以上の崇高な生き方はない。学会活動にこそ、人生の無上道がある。


太陽はわが胸中に

 

 一、また、大宇宙の一切は、「南無妙法蓮華経」の力用である。その「南無妙法蓮華経」という根本の法は、私どもの胸中にある。何と素晴らしいことか。
 太陽は今日も昇る。私どもも、題目を今日も唱え、胸中に太陽を昇らせていく。ひとたび太陽が昇れば、すべてが照らされていく。
 わが「生命の太陽」を赫々と燃やしながら、今日も祈っていこう、戦っていこう、生き抜いていこう、人生の福運をつくっていこう。ここに究極の幸福の軌道がある。
 どうか、「黄金の一日一日」を信心で勝ち取っていただきたい。この現実の「娑婆世界」「忍耐の世界」で、晴れ晴れと勝っていただきたい。
 一、牧口先生は、千葉で立宗された大聖人の御姿を通して、学会員を励まされた。1939年(昭和14年)、折伏のために九州に足を運ばれたときのことである。
 当時は、列車の長旅である。今のように飛行機はない。高齢(67歳)のお体には、相当こたえたはずである。しかし、先生は、法のためならば、いかなる労もいとわれなかった。
 その折、初対面のある婦人も、

 

 牧口先生の青年のようなすがすがしい音声、

 絶対の確信、

 誠実と慈愛の姿

 に感動して入会を決意する。
 声が大事である。

 確信が大事である。

 姿が大事である。

 すべて諸法実相である。


 牧口先生は、その発心した婦人に、こう語りかけ、心にクサビを打ち込まれた。
 「あなたが御本尊をいただくということは、仏法の原理に照らして、九州の全民衆が不幸という悩みから救われることになるのです!」
 「一人立て!」である。どの地でも、広宣流布は常に「一人」から始まる。 

妙法の種は必ず花開く

 

 一、牧口先生は、その時、「諸法実相抄」の一節を拝された。
 「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし」(1360頁)
 そして先生は、しみじみと語られたのである。
 「大聖人も千葉の嵩が森で第一声を放たれたときは、お一人でした。今、あなたが九州で一人、この最高の御本尊に向かって南無妙法蓮華経と唱えるということは、地涌の義によって、九州にも必ず、二人、三人、百人と御本尊を持つ人があらわれるということなのです」
 この言葉の通り、牧口先生が自ら蒔かれた妙法の種は、見事に花開いている。
 一、大聖人は、「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(同頁)と仰せである。
 ただ「拝んでいる」だけでは、「日蓮と同意」にはならない。折伏をやろう! 広宣流布をやろう!――この心の炎が燃えている人が「日蓮と同意」なのである。その意味で、まさしく「日蓮と同意」で戦い抜かれた象徴が牧口先生である。
 「日蓮と同意」の団体は、現在も、未来においても、断じて創価学会しかない、と申し上げておきたい。
 本当に「日蓮と同意」の心をもった、本当の「学会の同志」で一緒に邁進しましょう!
 どうか、健康第一で、朗らかに、何ものをも乗り越えて、一日一日、福運を積んでいっていただきたい。
 私も、皆さまの健康、長寿、幸福、裕福を祈り続けたいと思っている。
 本日、お会いできなかった方にも、くれぐれもよろしくお伝えいただきたい。
 長時間、ありがとう!

 

世界広布新時代第35回本部幹部会で紹介された「1997年1月の本部幹部会」 2018年6月13日 

2016年11月30日

所詮は自分である!
 <「汝自身の原野」に雄々しく挑め!>

 

①自分の人間革命をしているか!
②自分が太陽になっているか!
③現状に甘んじていないか!
④自己の無限の可能性を開いているか!

 

 「開拓」とは、自分自身への挑戦だ。
  人は、誰でも
 未踏の原野をもっている。
  それも、どこか遠い彼方ではなく、
  ごく身近にあるものだ。
 最も手強い壁は、
 実は心の中にある。
 ゆえに、勇気をもって
 自分と向き合い、
 「自己拡大の戦い」
 「人間革命の戦い」を起こすことだ!
 「汝自身の原野」に雄々しく挑め!
  その人こそ、
  最も勇敢なる開拓者である。
   
 自分が太陽になることである。
  太陽が一人いれば、
  家庭も地域も、皆が照らされる。
  皆が温められる。
  広布のために
 動きに動く行動の果てに、
  生命は太陽と輝くのである。
   
  勝利を誇る姿――それも美しい。
  しかし、それ以上に美しく、
  気高いのは“さあ、戦うぞ!”
 “いよいよ、これからだ”という、
  挑戦の姿であろう。
  尊いのは、「戦う」一念である。
  ある意味で、勝っても負けても、
  「戦う」こと自体が偉いのである。
  何があろうと「戦い続ける」人は、
  すでに人間として
 「勝っている」といえる。
   
  “もう駄目だ”と思うような時に、
  御書を開き、学会指導を学び、
  また同志の励ましを受けて、
 あらためて
 「信」を奮い起こしていくことだ。
  御本尊に向かって
 真剣に唱題行を貫いていけば、
  必ず、わが胸中から変革が始まる。
  自身の仏性が開かれて、
  歓喜と確信が込み上げ、
  挑戦する勇気が湧いてくる。
 そこに絶対勝利への
 仏の無限の智慧と力が現れるのだ。

 

2016年10月30日 池田SGI会長 四季の励まし 挑戦し続ける人が勝利者

2016年10月21日

真剣な一人が立てばよい
 <組織の論理だけで押し切るな!>

 

 古来、中国では、桃や李は優れた人格の象徴とされた。
 唐代の詩人・李賀の詩にも、次のような一節がある。
 立場が変わり、境遇が変化した人への励ましの言葉であった。
 「自ら是れ 桃李の樹(じゅ) 何ぞ畏(おそ)れむ 蹊(けい)を成さざるを
 ――あなたは桃李(=桃や李)の木の如きもので花が爛漫とうるわしく咲いている、だまっていても人が寄ってきて、下には自然と小路ができるというものだ。(『李長吉歌詩集』鈴木虎雄注釈、岩波文庫)
 たとえ一本でも、美しく咲き香る木があれば、あたり一面がなごみ、華やぐ。組織も同じである。「真剣な一人」がいれば、全体が大きく変わっていく。「一人」が立てばよいのである。
 仏法の世界とは、こうした「人間性の花」を咲かせながら、あの地にも、この地にもうるわしい友情を広げていくものである。組織の論理だけで押し切っていくということがあってはならない。
 「ああ、あの人はすばらしいな」「あの心、あの生き方に感動する」――そのように人格を慕われて、おのずから広布の道ができていくのである。

 

2016年10月18日付 聖教新聞 本部幹部会で紹介されたSGI会長の指針

2016年9月15日

  人に頼るな!

 一人立てば君は「自由に」

 

<未来、生々世々にわたって、

あらゆる階層の大指導者になる>

 

 さらに、青年のために語っておきたい。
今年(1998年当時)はインドの独立の父・ガンジーが殉難して五十年。(一九四八年一月三十日、凶弾に倒れた)
 独立を勝ち取る夜明け前、ガンジーは一人、インドの村々を、たゆみなく歩き続けた。
 私たちの次元で言えば、家庭訪問に、また折伏に、足を運ぶことにあたる。
 ガンジーは、インドのために、繰り返し繰り返し、民衆に語り続けた。
 「あなたがたは、他人にたよることをやめた瞬間から、自由です。この自由――それこそが唯一の真の自由です――だけは、なんぴともあなたがたの手から奪うことはできません」と。(〈クリシュナ・クリパラーニ『ガンディーの生涯』森本達雄訳、レグルス文庫)と。
 要するに、「人を頼るな」ということである。人などあてにしない。自分が一人、立ち上がる。自分が一人、戦い抜く。その獅子の生き方を、ガンジーは教えたのである。
 私も五十年、信心をしてきて、よくわかる。結局、「一人立つ」しかない。そこにしか勝利はないのである。
 「羊千匹より獅子一匹」である。格好だけ、言葉だけ――そんな風潮を断じて、諸君は許してはならない。
 ガンジーは、「恐れ」こそ「最大の不幸」であると訴えた。ゆえに″何も恐れるな!″と叫んだ。
 「私は恐怖というものが嫌いだ。どうして人間が他の人間に対して恐れを抱かなくてはならないのか」「臆病は、我々が損害を受ける最も大きな悪徳であり、おそらく最も大きな暴力である」(『ガンディー 私にとっての宗教』竹内啓二他訳、新評論)と。
 ガンジーは、人間の精神の第一の要件として「勇気」を重んじた。「臆病」は結局、自分で自分を貶め、痛めつけることになる。だから、臆してはいけない。負けてはいけない。
 日蓮仏法も「勇気」の仏法である。学会も、「勇気」があったからこそ、今日の繁栄がある。
 ガンジーは、″本気になって戦え″と呼びかけた。
 「何かを『できるだけ』やります、という人は、その尊大さか弱さのどちらかをさらけだしているのです」(同前)と。
 中途半端なことを言うのは、傲慢か、臆病か、どっちかだというのである。
 戸田先生は、「力はありませんけれども――」という人に対して、厳しく言われた。なぜ「真剣になってやります」「命をかけてやります」「最後までやりきります」と言いきらないのか、と。
 ガンジーの言わんとするところも同様であろう。″どんな苦労をしてでも、私はやり遂げます!″まず、そう言いなさい、と。それが「強さの印」であると、ガンジーは弟子たちを叱咤したのである。(中略)
 二十一世紀は、「創価学会の世紀」にしましょう!(拍手)
 われら学会員は、一人も残らず、生きて生きて、生き抜いていこう。 

戦って戦って、戦い抜いていこう。そして勝利して、長生きして、栄光のわが身を輝かせていきましょう!

 さらに、「真実の信仰の力」を、「正義の証」を残していく一人一人になっていただきたい。(拍手)
 最後に一言だけ申し上げておきたい。
 今、宇宙の法則である妙法の広宣流布に励んでいる皆さま方は、未来、生々世々にわたって、あらゆる階層の大指導者になりゆく原因をつくっておられるのである。これは、御書と経文に照らして間違いない事実である。
 さらにまた、大宇宙には、地球と同じような惑星は無数にある。そうしたところにも生まれて、妙法流布の大指導者となっていくのである。
 ゆえに、現在の努力も、苦闘も、すべてが、偉大なる人間指導者になりゆく訓練なのであり、最大の福徳を積んでいることを確信していただきたい。
 仏法は因果の理法である。厳たる生命の理法である。ゆえに仏法には、一切、無駄はない。すべてが自分自身の永遠の福徳になっていくことを忘れてはならない。
 生命は無始無終であるから、次の世も、また次の世も、生きていくしかない。そのたびに地獄のような苦しい生命となるよりも、今、仏道修行して偉大な原因をつくり、永遠に、生々世々、仏意仏勅の人生を歩んだほうが賢明である。

 

1998年1月25日婦人部代表協議会、「紅梅会」「常磐会」総会(抜粋)

2016年1月3日

広宣流布は戸田がやる!

 

<広宣流布は自分がやる!>

  

「今」がいちばん大事
「過去」を振り向いてはいけない!

 

 「久遠元初」とは「無始無終の生命」の異名です。
 時間論ではなく、生命論です。生命の奥底の真実──無始無終に活動し続けている宇宙生命そのものを指して「久遠元初」と呼んでいるのです。それは「無作三身如来」と言っても同じです。
 大聖人は『久遠とははたらかさず・つくろわず・もとの儘と云う義なり』(御書759頁)と仰せだ。
 『はたらかさず』とは、途中からできたのではない、本有ということです。『つくろわず』とは、三十二相八十種好を具足していない、凡夫のありのままということです。
 本有常住であり、『もとの儘』です。これを『久遠』という「久遠」とは「南無妙法蓮華経」のことです。御本尊のことです。だから、御本尊を拝する、その瞬間瞬間が「久遠元初」です。
 私どもは、毎日が久遠元初なのです。毎日、久遠元初の清らかな大生命を全身に漲らせていけるのです。毎日が久遠元初という「生命の原点」から新たな出発をしているのです。
 だから「今」が一番大事なのです。「過去」を頼り向いではいけない。振り向く必要もない。未来への希望を大いに燃やして、この「今」に全力を注いで生きる。その人が、人生の賢者です。
 上行菩薩への付嘱──末法広宣流布を託したのです。だから「久遠の妙法」の広宣流布へ本気で立ち上がれば、そのとき、生命に「久遠元初の夜明け」が訪れる。
 戸田先生はいつも「広宣流布は戸田がやる」と言われていた。「私がやる」と。「人には頼まない」と。そして青年にも同じ大信心に立てと願われていた。
 ある時は、二十人ぐらいの青年の集いで、突然、力強く、「広宣流布はおれがやる」と叫ばれた。そして「君たちも一人ずつ言いたまえ」と、一人一人を指さされた。
 皆、夢中で「広宣流布は私の手でやります」と申し上げた。なかには弱々しい声もあった。何だろうという驚いたような声もあった。後に退転した人間もいた。
 ただ戸田先生は、青年たちに、ご自分と同じ決意に立たせたかったのです。戸田先生の厳愛です。今、私も青年部の諸君に対して、まったく同じ気持ちです。

 

法華経の智慧 如来神力品 第二十一章

2016年1月2日

「自分」が立ち上がれ

 

<大聖人直結の「一人」として>

  

 『日蓮をば日本国の上一人より下万民に至るまで一人もなくあやまたんと・せしかども・今までかうて候事は一人なれども心のつよき故なるべしと・おぼすべし』(乙御前御消息1220頁)

 ――日蓮のことを、日本国の上一人より下万民に至るまで、一人ももれなく亡き者にしようとしたが、今までこうして無事に生きてこられたことは、日蓮は一人であっても法華経を信じる心が強いから、諸天が守護されたと思いなさい。――

 いずこの地、いつの時代にも、大聖人直結の「一人」が立ち上がれば、必ず妙法は広まる。世界192カ国・地域への慈折広宣流布も、師弟を根本にした一人立つ勇者たちの不屈の大闘争で築かれた。

 「誰か」ではない。「自分」である。「いつか」ではない。「今」である。

 「強き心」「燃え上がる信心」で、わが地域の広布新時代を大きく勝ち開こう!

 

御書とともにⅡ<73>2015年12月23日

2015年11月19日

闘諍の時こそ

一人の偉大な人間革命で立ち上がれ!

 

  恩師・戸田城聖先生は言われていた。
 「私の願いは、一人として、功徳を受けない同志がいないことである。みなに功徳を受け切った生活をさせたい。そのために、私は闘争する。全世界に向かって、どうだ、この姿は! と言わせてらいたい」と。(中略)
 今なお世界各地では、さまざまな紛争が打ち続き、「闘諍堅固」の様相は深まっています。
 だからこそ、決意も新たに撰時抄の一節を拝したい。

 『日蓮法華経を信じ始めしは日本国には一渧・一微塵のごとし、法華経を二人・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるほどならば妙覚須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ』(撰時抄、288頁)と。
 「生命尊厳」の潮流は、一人の偉大な人間革命から広がります。

 私たちは、一切を蘇生せしめていく妙法の音律を轟かせて、いかなる「暴力の連鎖」にも屈しない「人道の連鎖」をいやまして強め、地球民族の平和と共生の大海原を洋々と開いていこうではありませんか!

 そして一人一人を大切にする「人間尊敬」の対話をたゆまず積み重ね、生老病死の苦悩を打開しゆく智慧と力を、一段と発揮してまいりたい。

 なかんずく、負けじ魂の頼もしき青年たちを大いに慈しみ励ましながら、人類の境涯を「常楽我浄」という、永遠の幸福と希望と和楽の最高峰へ高めていきたいのであります。

 牧口先生も戸田先生も大事にされた御聖訓に、『各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず』(同910頁)――おのおの日蓮の弟子と名乗る人々は、一人も臆する心を起してはならない――とあります。

 この勇気こそ創価の師弟の真髄です。

 どうか、私と共に、いよいよ師子王の心に燃え、この世で最も麗しい異体同心の団結を光らせ、世界広宣流布の大願成就へ、勇猛精進していこうではありませんか!(後略)

 

 2015年11月19日付聖教新聞 世界広布新時代第14回本部幹部会メッセージ

2015年11月3日

最初のマグマの一滴

 

<“一人”に偉大な「使命」と「力」と「責任」あり>

 

 火山活動を起こすマグマの成り立ちについて、定説はないけれども、一つの可能性として考えられていることにふれておきたい。マグマとは、地下深くで生まれる溶融状態の物質のことをいう。高熱、大量のマグマが一体となって上昇し、地上に噴き上げる現象が噴火である。そうしたマグマは、どのように発生するか。
 何らかの原因で、地中に温度上昇や圧力低下が起こる。すると鉱物粒子の一角が溶ける。それがマグマの最初の一滴である。しかし、それはきわめて微小な“一滴”にすぎない。
 それがマグマの流れとなり、大河となるのは、マグマの一滴が自身も着実に拡大しつつ、他の一滴一滴と網目状に結合し、いわば“液のネットワーク”を構成するからである。ここから確かな流れが生まれ、さらなる温度の高まりとともに、マグマは周囲の鉱物粒子をも巻き込み、一団となって上昇を開始する――。
 最初は、微小で影響力も小さかったマグマ。それが、確かな″ネットワーク″を作り、限りなく広がっていくとき、信じられないような爆発力を発揮する。
 人間社会においても、同じ道理があるといってよい。一人一人の「個人」は、小さな存在かもしれない。しかし、それぞれが成長しながら、連帯と信頼の輪を結んでいくとき、個々の力は絶大なパワーとなり、信じられないような爆発力となっていく。
 ゆえに、団結が大切である。とともに、それ以上に“最初の一滴”が大切なのである。“最初の一滴”がなければ、連帯も、拡大も、決して生まれえないからだ。
 ガンジスの大河も、源の一滴に始まる。広大な広布の流れも、日蓮大聖人お一人から始まった。戦後の学会が戸田先生お一人からスタートしたことは、ご承知のとおりである。
 「一人」こそ「万人」の基であり、一切の根本である。
 ともあれ自分という「一人」には、それだけの使命と、力と、責任があることを知らねばならない。

  1989年12月20日第二十四回本部幹部会

2015年10月16日17日

自分が「一騎当千」に


 リーダーがすべてに率先する。そこから勝利が生まれる。自分も福運がついてくる。
 勇敢に広布へ戦う人を諸天は守り、讃えるのである。
 一切は戦いである。人生も、社会も、広宣流布も。戦いは絶対に負けてはならない。
 広宣流布のために――この一点に心を定め、祈って祈って祈りぬけば、必ず道は開ける。
 自分が「一騎当千」になることである。戸田先生は私をいちばん大変なところへ行かせた。そこで私は勝ち抜いた。苦戦だからこそ、勝って楽しい。何もしなくても勝てるなら、喜びもない。大きな功徳もなければ、張り合いもない。

 

 2004年10月8日全国総県長会議

2015年7月21日

決然と一人立て!

  

 『日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一渧・一微塵のごとし、法華経を二人・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし』(撰時抄、288㌻)
――日蓮が法華経を信じ始めたのは、日本国にとっては、一滴の水、一粒の塵のようなものである。やがて、二人、三人、十人、百千万億人と、人々が法華経の題目を唱え伝えていくようになると、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるに違いない。――


 いかなる大事業も、決然と立つ一人から始まる。大海原が一滴の水から始まり、最高峰も一つ一つの微塵で構成されるように、一人から一人への対話によって人間主義の大連帯も築かれる。
 「誰か」ではない。「自分」である。地涌の若人が師子王の心で立ち上がる時、拡大の突破口は必ず開かれる。
 広宣流布の未来を、君よ、君たちよ、断じて頼む。

御書とともに-Ⅱ 61

2015年7月1日2日

一人立て!

後に何百倍、何千倍の同志が続く!

    

 「諸君も青年、私も青年会長です。
 何のためにこの世に生まれてきたかといえば、地涌の菩薩として、広宣流布達成のために生まれてきたのです。
 あっという間に10年、20年は過ぎ去ってしまいます。“信心し切っていこうかな”“退転しようかな”“勉強しようかな”“御書を読もうかな”“いや、雑誌の方を一生懸命読もうかな”と言っている間に、おじいさんになってしまいます」
 「ですから、腹を決めて、男らしく、青年らしく、ただ御本尊を抱きしめて、学会につき切って、私と一緒に、大理想に向かって勇敢に闊歩していこうではありませんか
 「今日は、私と一緒に記念写真を撮った人は、一人も退転しないで頑張ってもらいたい。『一人立て』――一人が大事です。
 他の同志が退転してしまったとしても、諸君の一人が立派に力強く成長していれば、何百倍、何千倍の同志が続いてくるものです。私は、それを祈る気持ちなんです」
 「皆、悩み多い人生です。大理石である広宣流布は、当然大切だ。
 しかし、職場、結婚、部員、自分の人格、家庭等々、最も身近な、いろいろな問題があると思います。それを否定して、広宣流布のために頑張れなどということを、私は決して言いません。
 身近な悩み、苦しみ、それを御本尊に訴え切っていきなさい。それを願い切っていきなさい。そして、それを一つ一つ立派に革命していく、これが男らしい、青年らしい、真の学会精神であり、革命精神です。この強い一念だけは忘れてはいけない
 これを一つ一つ着実に解決しながら、広宣流布に進んでいく。また、広宣流布のために、一つ一つ解決していくことです」

 

大白蓮華2015年7月号№788 15頁

2015年5月1日

「一は万の母」

 

<ある到達点まで来ると一気に全部が変わる>

 

自分が太陽になることだ!

   

 「一人」の力は偉大である。「一人」が立ち上がることが「すべて」を変える。
 御書には『世間のことわざにも一は万が母といへり』(聖愚問答抄、498頁)――世間のことわざにも「一は万の母」と言う――と仰せである。
 一人、「真剣」の人がいれば、変革の輪は、通常の予想をも超えて広がるのである。
 事実、かつては冷戦の終結など、多くの人々にとって夢物語であった。しかし、私どもは未来を信じ、営々たる平和運動を続けてきた。また、心ある世界の人々が叫び、立ち上がった。そして冷戦は終わり、今、世界の人々の平和の意識は劇的に変わっている。
 「ある到達点まで来ると一気に全部が変わる」――生命には、こういう法則があるのかもしれない。
 沖縄は「太陽の国」であるが、太陽の誕生も、そうである。それまで膨大な生成運動を繰り返してきた星の分子が、ある時、一気に太陽として姿を現した。回転し、固まり、散り、また固まり、それを繰り返した結実として、ある時、宇宙の暗黒の中に燦然と太陽が出現した――とされる。
 自分が太陽になることである。太陽が一人いれば、家庭も地域も、皆が照らされる。皆が温められる。広布のために動きに動く行動の果てに、生命は太陽と輝くのである。
 また語学も、一定の学習を積むと、ある地点で一気に壁が破れ、上達する――と体験者は語っている。うなずける話である。
 ゆえに何ごとも、途中でやめてしまえば、それまでの努力が全部、水の泡である。続けなければならない。
 そして、“壁”にぶつかった時こそ、「壁があるということは、その向こう側は大きく開けていることだ。今、やっと、ここまでたどりついたのだ」と、決意をいや増して、仏道修行に進んでいただきたい。

 

1995.3.28 沖縄代表者会議

2015年4月9日

自分がやるんだ!

 

<信心で立ち上がった時、最高の「智慧」に適った行動になる>

 

「真剣」であれば、必ず「智慧」はわいてくる

  

 私は世界広宣流布を、一宗一派を広めようとか、そういう小さな考えでは、やっていません。地球上で妙法を唱える人が増えれば増えるほど、必ず平和の方向へ行くのです。長い目で見ればわかります。もし核戦争が起きれば、地球は破滅です。とくに、冷戦時代、第三次大戦が起きないとは、だれも保証できなかった。
 口はばったいような言い方になるが、私は「法華経」という「生命の宝塔」の教えを、世界に広めてきました。まだまだ緒(ちょ)についたばかりだが、流れはできあがった。戸田先生は「二百年先のために今、戦っている」と言われたが、私も同じ気持ちです。
 今の人類を、その子孫を、どう幸福と安穏の方向にもっていけるのか──。地球を背負っているような気持ちで、行動してきた。その「青任感」に立った時、頭の中に「智慧の嵐」が吹き荒れてきた。次々と先手を打つこともできたのです

 頭の“いい悪”いんじゃないんだよ
 「真剣」であれば、必ず「智慧」はわいてくる。法華経の一句一偈を忘れたら、普賢菩薩が「私が、必ず教えに現れます」と誓っていたでしよう。これは、このことです。智慧が出なかったら、普賢品は、法華経はウソになってしまう。
 「自分は真剣にやっているが、智慧が出ない」という人もいるかもしれない。しかし、たいていの場合、そういう人は、内心では自分は頭がいいと思っているのです。
 本当に頭が悪いと思ったら、「これでは皆に申しわけない」と思ったら、必死で題目を唱えるはずです。それで変わらないわけがない。「だれかがやるだろう」とか、「自分には関係ない」という一念が、奥底にあるのです。それがあるかぎり、「普賢菩薩の威神の力」は出てこない。「自分がやるんだ!」と信心で立ち上がった時、世間的な頭のよしあしを超えて、最高の「智慧」に適った行動になるのです。

 

法華経二十八品は、師弟不二の行動を、呼びかけている

 

 戸田先生は生前、さまざまな指導をされた。多くの人が「そうは言うけれども、現実は・・・・・」という聞き方をしていた。私は全部、「その通りです」という聞き方をしてきました。全部、「その通りです」と実践してきました。
 ある時は、先生は私に「どんな立場にあっても、学会を守れ」と一言おっしゃった。
 師匠の一言です。たとえ万が一、戸田先生がそのことをお忘れになろうとも、そうおっしゃったことは事実だ。ゆえに、私はそのことを胸に堅く秘めながら、いついかなる時も「その通りに」やってきました。
 会長を辞任して二十年(当時)。名誉会長なのだから、本来ならば、責任はない立場かもしれない。しかし、役職は仮のものだ。信心は一生涯、自分自身の「心」の問題です。
 「どんな立場にあっても、学会を守れ」。師匠の一言を、私は「その通りに」全力で実行してきたつもりです。「その通り」に実行するから「師弟不二」なのです。これが法華経です。これが「如説修行」です。これが「如是我聞」の本義です。
 法華経の冒頭の「如」の一字は、師弟の不二を教えているのです。この「不二」の境地を目指しての行動があって初めて、自分自身の無明の闇から「去る」ことができる
 煩悩の病から「去って」、仏界の太陽が赫々と昇るのです。それが法華経の最後の「去」の一字です。
 法華経二十八品は、全体を通して、師弟不二の行動を、炎のごとく呼びかけているのです。

 

法華経の智慧 普賢菩薩勘発品 第二十八章

2015年4月2日3日

一人立つ

 

<豁然と「仏の力」がわく>

 

 池田 大宇宙も「妙法の五字」の当体です。我が身、小字宙も「妙法の五字」の当体です。
 陀羅尼品で説く「守護の陀羅尼」も、その実体は「妙法の五字」です。ゆえに、全宇宙が妙法の行者を守りに守るのであり、そのためには「我等が一身」の「妙法五字」が生き生きと躍動しているか否かで決まる。
 「信心」が燃えていれば、全宇宙がその人を守る。『必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し』(妙楽の言葉)
 大聖人が繰り返し、引いておられる一句です。「信心の強さによって、諸天が守る強さが決まる」と。
 信心している人間が「大将軍」になれば、その家来である諸天善神は、元気いっぱいに働く。将軍が──信心が弱ければ、家来は働きません。『つるぎ(剣)なんども・すすまざる(不進)人のためには用る事なし』(御書1124頁)です。
 諸天善神は、広宣流布に「いちばん戦っている人」を、「いちばん大切に」守るのです
 遠藤 諸天に頼ったり、すがったりするのではなく、自分が諸天を動かしていくということですね。
 池田 そうでなければ、弱々しい惰弱な人間をつくってしまう。それでは何のための信仰か。「強き信心」とは、一人立つ精神です。
 大聖人が『詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん』(御書232頁)と言われた。諸天の加護などいらない、命をも捨てようという、その信心にこそ、厳然と善天の加護があるのです。
 広宣流布のためなら、何もいらない。その信心に立てば、一切が必ず開けます。仏法は勝負です。勝たねば無意味です。

 

豁然(かつぜん)と「仏の力」がわく

 

 池田 ともあれ、「広宣流布のために」学会を守るのか、「自分のために」学会を利用するのか。根本的な違いがある。本当に、広布のために立ち上がれば、どれほどの力が出るか、どれほどの智慧と慈愛と生命力が出るか、どれほど諸天が動きに動くか。
 私が入信して、ちょうど三年目だった。戸田先生の会社が業務停止になってしまった。(昭和二十五年〈一九五〇年〉8月22日。入信は昭和二十二年〈一九四七年〉8月24日)
 刑事事件になることだけは免れたものの、当時の金で数千万の借金が残った。今で言えば数十億でしょう。しかし私は、働いて、働いて、全部、返しました。
 戸田先生のお酒代もなかった。私は自分のオーバーも質に入れて、先生にお酒を買って差し上げた。半年間、一銭の給料も出なかった。靴もペチャンコ。ちゃんとした服だってない。体もひどかった。
 しかし、先生をお守りするためなら、たとえ餓鬼道に苦しもうと、地獄界に苦しもうと、かまわない。それで何の悔いもないと決意していた。戸田先生を守ることが、広宣流布を守ることだったからです。
 先輩のなかには、卑怯にも、戸田先生が一番大変な時に逃げてしまった人間もいた。いざという時に、「自分中心」か「師匠中心」か、分かってしまう。なかんずく増上慢の人間は、自分を中心に師匠を見ている。高い山を下から見ているようなもので、頂上のことがわかるわけがない。それを分かったつもりでいる。
 大聖人は『日蓮が弟子等の中に・なかなか法門しりたりげに候人人は・あしく候げに候』(御書1546頁)と仰せだ。
 中途半端に、仏法を知ったかぶりしているような増上慢がいちばん危ないのです。そういう慢心があれば、いざという時に、自分だけ嵐を避けて、第三者のような傍観者的態度になったり、いい子になろうとする。自分が傷つかないように、要領よく振るまう。そうやって、自分が苦労しないから、師匠や学会の恩も分からない。
 本当に謙虚な気持ちで、「広宣流布のために、我が身を捧げます」という信心があれば、豁然と、力がわいてくるのです
 私は、広布のすべての戦いでも、いつも「日本一」の結果を出してきた。「世界」に妙法を弘めました。不可能を可能にしてきました。ならば、私の後に続く青年が、何で、力が出ないわけがあろうか。
 当時も、私より先輩の幹部は、たくさんいた。私は、ずっと後輩です。最高幹部でもなかった。しかし立場ではない。格好ではない。役職と信心は別です。役職が尊いのではない。信心が尊いのです。青年部の幹部会で「全員が会長の自覚で」と語ったのは、その意味です。
 一人立って、「私が必ず、広宣流布をいたします」と誓願の題目を唱えていくのです。御本尊に「阿修羅のごとく戦わせてください」と祈るのです。それで、力が出ないわけがない。勝利できないわけがない
 たとえ今、どんな苦境にあろうとも、「広宣流布のために」本気で立ち上がった人を、諸天が守らないわけがない。その信心の大確信の「炎」を教えているのが「陀羅尼品」なのです。


法華経の智慧 陀羅尼品 第二十六章

2015年3月1日

 生命の尊厳と人間の善性に目覚めた人

 

 現実世界で、法華経を弘めれば大難が起こります。この大難もまた、人々の生命に潜む第六天の魔王の働きの現れです。
 生命の尊厳と人間の善性に目覚めた人は、自他共の幸福の創造へ勇んで行動します。
 一方で、人間の大いなる可能性も善性も信じられない人は、他者の尊厳性も否定します。
 他化自在の第六天の魔王の生命に束縛されている人間は、人々が正法を信じて幸福になるのを妨げようと迫害を加えてくるのです。
 これに対して、“すべての人が、かけがえのない尊極なる存在である。等しく自身の個性を最大に発揮して幸福になる権利がある”との法華経の法理に目覚めた人は、生命軽視・人権蹂躙の悪と戦わざるをえません。
 生命尊厳・人間尊敬の思潮を広げゆく、一人一人の人間革命の実践でしか、人間蔑視の勢力を打ち破ることはできないからです。
 大聖人が当時の諸宗と戦われたのも、万人の尊厳性を明かした法華経を誹謗した勢力を打ち破るためです。魔性の勢力と戦うなかで、「人間のための宗教」を確立し、万人の幸福と社会の平和を築こうとされたのです。
 大聖人は、襲い来る権力の魔性との戦いの中で、『王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず』(御書287頁)と宣言されました。そして、すべての大難を勝ち越えられ、人間生命の最極の尊厳を示されました。


  大白蓮華No.784号2015.3月号勝利の経典16頁

2015年1月13日 

 「一人立つ」とは、すべてを変えてみせるという大確信

 

<一人の中に学会があり、一人の中に21世紀がある>

   

 生命の本然の姿は、仏界という完成へと向かっているのです。「合掌向仏(一切衆生は根底で仏に向かって合掌している)」です。こういう実相を示しているのが諸法実相であると思う。ここに、いかなる生命もかけがえのない存在であることが示されているのではないだろうか。
 この「法華経の心」を叫びきって戦われたのが日蓮大聖人であられる。近代においては大聖人直結の牧口先生、戸田先生です。
 今年(一九九五年)は、学会創立六十五周年。一人一人の民衆に「あなたのかけがえのなさ」を教え続けた六十五年であった。そのために、民衆蔑視の勢力と戦い続けた六十五年であった。
 牧口先生が獄死された後、戸田先生は獄中にあって、一詩を詠まれた。
 「如意の宝珠を我もてり
 これでみんなを救おうと
 俺の心が叫んだら
 恩師はニッコと微笑んだ」(中略)
 「如意の宝珠」とは一念三千であり、御本尊です。「宝珠即一念三千なり」と御書にはある。
 一念三千の信仰とは、自分一人いれば、すべてを変えてみせるという大確信ともいえる「一人立つ」信心です。
 いよいよ、一人一人が、妙法の無限の力を満身に漲らせて立つ時代です。その一人の中に、学会という全体がある。その一人の中に、二十一世紀がある。
 ゆえに一人ももれなく、「私はこの世に、このために生れてきたのだ」という、かけがえのない使命を、事実の上で果たし切ってほしいのです。


「法華経の智慧」 方便品


2014年12月2日

現状を打開するために私がいるのだ!

 

 伸一は、微笑を向けながら言葉をついだ。
 「上昇、発展への流れをつくるには、人間の一念が変わらなければならない。現状が厳しいからとか、人材がいないからとか、停滞の理由を並べ立てていても、事態はいっこうに変わりません。
 現状追随からくる“あきらめ”の一念を、“そうした現状を打開するために私がいるのだ!”という、一人立つ精神へ、挑戦と敢闘の一念へと転じていくんです。
 今、世相は、景気回復の兆しもなく、明るい話題が何一つない時代と言われています。また、どう生きるのかという、人生の根本軌道が見失われています。まさに、濁世の様相を呈しているといってよい。
 そういう時代だからこそ、広宣流布を進めていくんです。使命の炎を燃え上がらせるんです。この世の不幸をなくすために出現したのが、創価学会ではありませんか。
 草創期に各支部は、弘教の法旗を高らかに掲げて、“不幸を討ち取らん!”と、誇らかに民衆の大行進を続けていった。
 広布第二章の『支部制』の魂は、支部長、支部婦人部長はもとより、全同志が、その一念に立ち返ることにあるんです」


小説 新・人間革命 26巻 法旗 149頁 

2014年11月22日~24日

 大胆に発言せよ! 行動せよ!

    
 ゲーテは言った。
 「今の時代には、だれも沈黙したり譲歩したりしてはならない」(前掲「箴言と省察」)
 前へ! 前へ!――勇猛精進である。
 「発言し、活動しなければならない。多数派に属するか、少数派に属するかはまったくどうでもいいことだ」(同前)
 「批判に対しては、身を守ることも抵抗することもできない。それをものともせずに行動しなければならない。そうすれば批判もやむなくだんだんにそれを認めるようになる」(同前)
 だれもが発言し、だれもが活動する――民主主義である。最高幹部も、一会員も、全部、同じである。自分が多数派だとか、少数派だとか、こう言えば批判されるとか、何だとか、そんなことを「ぐずぐず言わずに、大胆に発言せよ! 行動せよ!」と。そうすれば、敵だって、こちらを認めるようになる。
 やろうじゃないか! 戦おうではないか! そういう心であろう。
 私どもも、これで行きましょう! 来年も! 再来年も!

 

1998.8.27第二十五回本部幹部会

2014年1月4日

「真剣の一人」は万人に勝る


 将が、格好や要領では、戦いは勝てない。
 真剣が勝つ。団結が勝つ。死にもの狂いの闘争が道を開く。そして勝利する。
 「真剣の一人」は万人に勝る。どんなに人数が多くても、真剣でなければ、何の力にもならない。
 釈尊も一人、立ち上がった。日蓮大聖人もまた、お一人から闘争を開始された。
「一人」から始まる。「一人」で決まる。これが仏法である。
 大切なのは「勇気」である。慈悲も勇気から生まれる。「勇気」が仏法の魂である。
 イギリスの作家シェークスピアは、つづっている。
 「勇気は最上の美徳であり、勇気をもつものは

 最高の栄誉を与えられるものとされている」

 

2000.6.29第47回本部幹部会

2013年12月2日

わが後継の師子よ、師子吼せよ!

 

 いずこにあっても、いかなる時も、私と君たちは、誓願の題目で深く強く結ばれている。
 何ものにも破られない金剛不壊の絆です。
 大聖人は、「一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわる」(御書1316頁)と仰せになられた。
 一人の後継の師子が師子吼すれば、一切が変わる。
 時代は、ますます濁り、乱れている。
 だからこそ、我らは、この広宣流布大誓堂を中心に、それぞれの使命の舞台で、自行化他の題目の師子吼を、いやまして勇気凛々と響かせ、ありとあらゆる邪悪に打ち勝ち、わが地涌の眷属の威光勢力を無限に増してゆくのだ。
 悩める友には希望と確信の声を、混迷の社会には正義と価値創造の声を、そして分断の世界には平和と連帯の声を、いよいよ惜しまず広げていこうではないか!

 
聖教新聞2013.11.30付青年部代表勤行会でのメッセージ

2013年10月22日

 離島こそ広宣流布の先駆の天地

 

 海洋島嶼国・日本の有人島の数は、418島。其の中で、わが離島部の友は、地涌の誇りを胸に、「我らの島に幸あれ」「わが郷土に繁栄あれ」と、誠実に地域に貢献してこられた。
 ただ一人、あるいは数人で、旗を掲げて奮闘されている同志もおられる。
 どんなに小さな地域も、〝広宣流布の起点〟となる偉大な使命と力をもつ。
 私は固く確信していた。
 「離島こそ広宣流布の先駆の天地なり」と。
 その出発点は、何よりも「一人立つ」ことだ。
 広布の誓願に燃えた一人がいれば、そこから新たな前進が始まる。正しき法を持った「一人立つ」勇者が、地域社会を明々と照らす希望の灯台なのだ。
 これが、「立正安国」の信心の方程式である。
 まさしく、離島部の友は、〝創価の全権大使〟との決意で、「執念の祈り」と「誠実の行動」に徹し、着実に、堅実に、理解の輪を広げてくれている。
 
 聖教新聞2013.10.19付我らの勝利の大道116
 

2013年10月18日

宇宙一大胆にそして誠実に!

 

 アメリカの詩人ホイットマンは『草の葉』で謳った。
 「ぼくくらい大胆で誠実な人間がこの宇宙でいるものか」
 宇宙でいちばん大胆に! 宇宙でいちばん誠実に! われらも、そのように生きたい。
 古代ギリシャの詩人ソフォクレスは、「言葉に真実があれば、常に最大の力を持つものだ」と述べている。真実に勝る武器はない。
 そしてまた「韓国のガンジー」と讃えられた独立の父・安昌浩(アンチャンホ)先生の信念は、「他人が一つ行う間に十は行う気概を」であった。
 人間は、決意した分、いくらでも大きくなれる。力がわいてくる。
 有名な仏典に「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せばその現在の因を見よ」(心地観経、御書231頁)とある。
 今、決意の戦いを起こすことが、次を「希望と幸福への勝利」とすることだ。
 結論するに、「現在を勝つこと」が、「未来を勝つこと」なのである。
 信心は、勝つための原動力である。
 ゆえに私は、「この一生を、師子となりて走りぬけ! 生き抜け!」と申し上げたい。

 

2003.11.25全国最高協議会

2013年10月17日

第一歩を踏み出せ!されば続かん!

 

 (中国の大文豪 巴金先生曰く)
 「たくさんの人物の運命が、私の確固不抜の信条を強めてくれた。その信条とは、生命の意義はこれを差し出すこと、何かに献げることにあり、受け取ること、獲得することにはない――これである」

 「ひとたび口火が切られれば、それについで前進する人が出るはずである。
 第一歩を踏み出せば、第二歩はたやすく踏み出せる。誰かが先頭に立てば、これに続く人にこと欠かないはずである。こうして道行く人は、一層ふえるに違いない」
 
2003.11.25全国最高協議会

2013年10月6日

人間よ人間であれ!


 ソローは叫んだ。
 「私が当然引き受けなくてはならない唯一の義務とは、いつ何どきでも、自分が正しいと考えるとおりに実行することである」
 不正に従うな。良心に従え! 正義に従え! いかなる権力にも縛られない、自立した一人の人間として生きよ! 人間よ人間であれ!

 

2003.9.5海外代表協議会

2013年8月14日

 勝利は真剣の一人、必死の一人から

 

 名著『韓非子』には、「必死の一人は十人に勝る。必死の十人は百人に勝り、必死の百人は千人に勝り、必死の千人は万人に勝る。そして、必死の万人は天下を治める」とあります。そのとおりであると思います。
 勝利の波動とは、つねに、真剣の一人、必死の一人から生れる。これは、永遠の法則です。

 

2003.10.8第一回全国青年部幹部会

2013年8月7日

 牢に入っても断固たる決意を!

 

 国家主義と戦い、投獄されても屈しなかった、戸田先生の言葉が、私の胸に刻まれている。
 「正義のために戦い、もしか牢獄に入ったら、『いつ出られるか』と弱気になって悩んでも、しかたがない。『一生、入っているんだ!』。こう決意を固めろ」と。
 本当に偉大な先生であった。一事が万事である。断固たる決意が道を開く。 

 

2003.11.25全国最高協議会

2013年7月27日

 行ったところを良くすればいいんです!
 

「(中略)私も今まで、あらゆる所に行きました。どこへ行っても、そこに魂魄をとどめる、広宣流布の礎、広宣流布の歴史になるのだ、という心で、やってきました。
 行った所を良くすれば、みんなが今度はそれに引っ張られて、ずーっとついてくるのだから、そのようにしていこう、との決心でまいりました。惰性では決してありません」

 

大白蓮華No.764号2013.8月号15頁

2013年5月31日

 一人立つ時、智慧は出る!

「自分は真剣にやっているが、智慧が出ない」という人がいるかもしれない。しかし、たいていの場合、そういう人は(中略)「だれかがやるだろう」とか、「自分には関係ない」という一念が、奥底にあるのです。
「自分がやるんだ!」と信心で立ち上がった時、世間的な頭のよしあしを越えて、最高の「智慧」に適った行動になるのです。
  
大白蓮華No.762号2013.6月号12頁

2013年5月15日

 雄弁
 
 雄弁――広布の世界にも、真の雄弁の人が必要である。あらゆる場、あらゆる相手、あらゆる問題に、明快に正義を主張し、だれをも納得させていく力量がなければ、時代に後れをとる。 真の雄弁は、口先ではない。知性のみでもない。胸と腹と頭と、全身全霊をかけた正義への戦いである。ゆえに雄弁は組織の力に寄りかかった甘えからは生まれない。一対一の抜きさしならない百戦錬磨から生まれる。
1989.8.24第1回東京総会

2013年5月7日~9日

 広宣流布は私がする、後につづけ!
 
(※かの吉田松陰は大聖人を範とした。いわゆる草莽崛起(民衆決起)である。しかし、松陰の心を弟子はわからなかった。松陰は大義の為、弟子は功名の為であった。あろうことか、弟子が師に「時を待て」と、完全な弟子の裏切りである。皮肉にも後に松陰が獄死することで、弟子は目覚めた。元より松陰の覚悟のするところであった。彼が生きし時は本物の弟子が一人もいなかったのである。・・・大意)
 
 この時の松陰の思いは、「星落秋風五丈原」の歌の一節「成否を誰かあげつらふ 一死尽くしゝ身の誠」に通じるものがあろう。戸田先生は、かつて、「五丈原」の歌を青年部に歌わされたが、この歌詞のところにくると涙されるのが常であった。「無責任な傍観者が何を言おうと、広宣流布は断じてなさねばならない。いったい、だれがそれを成すのか」と…
 
1989.10.12第11回関西総会
 
(※牧口先生の獄死と一人立つ「弟子」、更に、後継の「弟子」への必死、これらが胸に迫って来ます。サイト・マスタ)

2013年4月18日

真実の勇気と力

 

私心を捨て、大いなる理想に生きてゆかんとする人は強い。真実の「勇気」と「力」をもつことができる。 かつて戸田先生が、私たち青年に教えてくださったことがある。山道を大きな石がふさいで前に進めない。しかし、どうしても行かなくてはいけない。どうするか、そのときこそ「勇気」を奮い起こし、「知恵」を発揮していくところに、信心の本当の強さと深さがある。

 

1989.6.26第18回本部幹部会  全集(72)569頁 

2013年4月15日

創価学会の自覚と確信

 

昭和26年(1951年)5月3日。戸田先生は第二代会長に就任された。「いまやっと学会総体に、偉大な自覚が生じ、偉大な確信のもとに活動を開始するにいたったのであります」と。御本仏日蓮大聖人の仏勅のままに、広宣流布、立正安国の使命にいき抜かんとする、「仏子」としての偉大な「自覚」と「確信」。ここに創価学会の魂がある。
 

1989.5.3「創価学会の日」記念勤行会全集(72)417頁

2013年3月30日

今、最も大事なのは!

 

 まず、腹を決めよ。決まったら、勇ましく進め!

 今、最も大事なのは、時代がどう変化しようが、民衆の幸福の城である学会を強くすることだ。広宣流布の勝利を開く人材を育てることだ。これが根本である。

 広布へ戦う上で、遠慮など必要ない。

 どんな立場でもよい、信心の一念、師弟の一念があれば、その人の生命は、仏の大境涯に通じていく。

 学会のため、同志のために、自らの持てる力を、思う存分、発揮していくことだ。

 

聖教新聞2013.3.24付今日も広布へ12

2013年3月16日

自発の一念

 

 広布はつねに、だれかに頼まれるのでもない。自発の一念によって開かれる。
 私も青年時代、戸田先生に「関西が大事です。交通費なども全部自分で工面しますので、ぜひ行かせてください」とお願いし、何回もこの地に来させていただいたことを、懐かしく思い出す。
 ともあれ、いかなることがあっても、萎縮してはならない。つねに獅子のごとく、嚇々たる生命で前進していく―ここに、広宣の魂があり、信仰の精髄がある。
 

1989.2.2記念関西支部長会 全集(72)231頁

2013年2月11日~14日

伝統の2月

 

 新しい人を伸ばし、新しい力を引き出すのだ。師の期待に応えて、私は立った。身近な人から対話を広げ、足元から新たな同志をつくっていったのである。
 今こそ、信心で、自分自身の壁を破るのだ。広布に戦える喜びを胸に、使命の本舞台で、かつてない拡大の歴史を飾ってもらいたい。深き責任感に立てば、知慧は必ず湧いてくる。
 君よ、わが尊き同志のために、全てに勝利の名指揮を頼む。
 戸田先生は言われた。「どんな人間であっても、『生老病死』の四苦を避けることはできない。これを唯一、解決できるのが妙法である」だからこそ、広宣流布が必要なのだ。その本源の力は題目だ。「真心が通じますように」「如来の使いとして、今世の使命を果たさせてください」と祈り抜くことである。

 

聖教新聞2013.1.28付今日も広布へ

2013年2月5日6日

突破口を頼む!

 

ひとつの目標達成が
破竹の勢いを生む。
一人立てる勇者が
驀進の歴史を創る。
君よ突破口を頼む!

 

我が友に贈る2013年2月4日

2013年1月25日

自分を信じよ!

 

 人間の内なる生命こそが最大の宝です。にもかかわらず、人々は自分の外にばかり宝を探している。なぜか?人間を信じる力が弱くなっているからです。自分自身が信じられないからです。その結果が、現代の混迷なのではないでしょうか。  汝自身の生命を信じよ!そこに最大の力が具わっているのです。(中略) 戸田先生は、「青年は自分を信じよ!」と呼びかけられました。誰にも自身の生命に無限の可能性がある。すべて勝ちゆく、絶対勝利の妙法の当体は、わが生命に他ならない。なればこそ、創価の青年は、強盛の大信力を奮い起こして、わが生命に具わる仏の無限の力、師子王の力を取り出して、断固と楽しく、愉快に生き抜いてもらいたい。

 

大白蓮華No.758 2013.1月号44頁

2013年1月20日

だからこそ!広宣流布を!

 

 「上昇、発展への流れをつくるには、人間の一念が変わらなければならない。現状が厳しいからとか、人材がいないからとか、停滞の理由を並べ立てていても、事態はいっこうに変わりません。
 現状追随からくる“あきらめ”の一念を、“そうした現状を打開するために私がいるのだ!”という、一人立つ精神へ、挑戦と敢闘の一念へと転じていくんです。
 今、世相は、景気回復の兆しもなく、明るい話題が何一つない時代と言われています。また、どう生きるのかという、人生の根本軌道が見失われています。まさに、濁世の様相を呈しているといってよい。
 そういう時代だからこそ、広宣流布を進めていくんです。使命の炎を燃え上がらせるんです。この世の不幸をなくすために出現したのが、創価学会ではありませんか。(後略)」

 

小説 新・人間革命 26巻 法旗 25

2013年1月10日

すべては一人に始まる

 

 すべての歴史に苦難の時がある。その時にだれが本気になって立ち上がるか。
 じつは、ただ一人いればよいのである。だれに言われるのでもない、みずから決めて、一人立ち上がり、死力をつくして活路を開いていく。その偉大なる信念の〝一人〟がいれば、そこからつねに新たなる勝利の歩みが始まっていく。これが、いわば歴史の不変の鉄則である。
 大聖人はもちろん、日興上人も、ただ一人で正義の戦いを敢行された。日目上人も一人、死身弘法を貫かれた。
 そして牧口先生、戸田先生も、一人立つ戦いに身命を捨てられた。その学会精神の骨髄を体して、私も一人、生命を賭して、すべてを勝利に導いてきた。
 すべては一人に始まる。その真金の一人を育てればよいのである。私の焦点もつねにそこにある。数ではない。組織のみの力でもない。あらゆる分野で、一人を見つけ、一人を鍛え、一人に託していく。それこそが、万代にわたる不断の発展の原点となる。私の指導も、いわば、その一人のために話しているとさえいってよい。
 皆さま方は、そういう〝一人〟になっていただきたい。それぞれの地域、それぞれの舞台、それぞれの世代にあって、「あの人ありてこそ」と後世にうたわれる、縦横無尽の活躍の歴史をきざんでほしいと私は切願する。

 

池田大作全集71巻374頁

2012年12月23日

信心は権利

 

「信心は義務ではありません。権利です。ところが、受け身になり、ただ人に言われたから動くというだけになってしまうと、どうしても義務感の信心になり、歓喜もわいてきません。 反対に、自分から一人立ち、積極的に、果敢に行動していくところには、大歓喜があります。 さらに、日々、自分を磨き鍛えていくことです。つまり、持続というのは、ただ、昨日と同じことをしていればよいのではありません。『日々挑戦』『日々発心』ということです。」

 

新・人間革命11巻躍進

2012年11月23日~26日

全責任を担うとは?

 

 「もし、私に時間があるなら、全同志のご家庭を回りたいと、思っています。しかし、残念ながら、それはできない。ですから、組織の責任をもつ幹部の皆さんに、代わりに激励をお願いする以外にないのです(後略)」 それは、伸一の率直な思いであった。自分が一人で全責任を担おうとすれば、協力してくれる人がいることのありがたさが、身に染みてわかるものだ。そうなれば、決して人に対して傲慢になれないはずである。

 

小説 新・人間革命 4巻 凱旋 85頁

2012年10月24日25日

極限で闘う君よ!

 

 「負けるな。断じて負けるな。あなたの生命の中に太陽がある」

 「希望をなくしてはいけない。人がどう言おうが、堂々と自分自身に生ききりなさい。何があっても強気で。楽しい人生を生きなさい」

 「仏法の眼で見れば、全部、意味がある。何があっても、微動だにしてはならない。生命は永遠なのだから。妙法を唱えていて、かりに不幸に見えることがあっても、それは、最大に幸福になる意義をはらんでいるのだから。どんなことがあっても、信心だけは微動だにしてはならない」

 「御本尊に祈りきって、一歩も引かないで、悩みを突き抜けて進むのだ。どんな状況であっても、必ず幸福になれる信心だ。戦い続ける君に勝利あれ」

 

 聖教新聞 2011年8月2日付 折々の指導4

2012年10月23日

勝利の因

 

御書に、「周の文王は老いる者をやしなひていくさに勝ち」(1250頁)とある。中国・周王朝の建国の祖である文王は、徹底して、年配者を敬った。それが勝利の因である、と。広布の大先輩を尊敬し、大切にする組織は勝つ。

 

大白蓮華747号2012.3月号26頁

 

※家族とは老若男女が皆主役。誰も欠けてはならない。心の家族、血縁があろうがなかろうが、その一員として一念におさめた触れ合いが重要。そこに孤独などあるわけがない、またあってはならない。 それらを総称して『創価ファミリー(家族)』と呼ぶ、今一度わが心に問うてみてはいかがか!分け隔てをつくっていないか(サイト・マスタ)

2012年10月22日

黙っていられるか!

 

悪い者が勝ち

もてはやされ

善人たちが

暴君に 権力に

いじめられて

黙っていられるか!

 

人間の英雄たる君よ

立ち向かえ!

勝ち進め!

勝ち誇れ!

勝ちまくれ!

 

 

 聖教新聞 2012.10.14付 桂冠詩人の世界

10月12日~16日

真の正義

 

 真の正義とは、民衆の幸福であり、平和でなければならないはずである。いかなる大儀があろうとも、そこに不幸な人々がいるかぎり、正義は存在しない。

 正義といい、人権といっても、人が人を犠牲にしないことである。他人の不幸の上に自己の幸福を築かない、ということだ。

 正義感を決して失ってはならない。世間ではよく「清濁併せ呑む」ということが度量のようにいわれるが、不正、不純を容認し、それに慣れてしまえば、自分自身が濁っていく。そうなってしまえば、本末転倒である。

 悪と戦わずして、正義はない。悪と戦わずに見てみぬ振りをしていれば、自信が悪に通じてしまう。ゆえに、正義は断じて強くあらねばならない。正義とは勇気である。

 

池田大作 名言100選 54,55頁

2012年9月11日

あなたが太陽

 

要するに、「負けない」ことだ。「自分が強くなる」ことだ。人に頼る根性、人に責任を押しつける卑しさ、弱さであってはならない。人を恨み、うらやみ、わびしい自分であっては、雲におおわれた太陽の自分です。 どんな悩みがあっても、それをバネにし、じっと我慢し、こらえて、「今に見ろ」と自分を励まして進むのです。 行くべき自分の軌道を、黙々と、忍耐強く進んでいくのです。 君が「太陽」なのです。あなたが「太陽」なのです。まず、そう決めることです。 自分が太陽である限り、今どんな悩みがあろうとも、「朝」がこないわけがない。「快晴」の日がこないわけがない。「春」がこないわけがないのです。

 

 青春対話 1  31頁 

2012年8月26日

もっとも難しい勝利

 

 「もっとも難しい勝利」とは何か。それは、〝自分に勝つ〟こと以外にない。試験でも何でも、〝自分に勝つ〟という努力をしない人が勝てるわけがない。良い成績もとれるはずがない。天才、秀才といっても、努力の結晶である。すべて"自分〟で決まる。自分らしく、まっしぐらに、力をつけていくことだ。"人の三倍、五倍やろう〟と決めて、努力することだ。
 一生涯、学んだ人が進歩の人であり、勝利の人となる。向上の心を失ってしまえば停滞し後退し、ついには敗北の人生となってしまうであろう。
 大切なことは最後に勝つことである。今がどうであれ、その人が真の幸福者である。それまでは歯を食いしばっての、努力また努力である。

 

希望の明日へ 317、318頁

2012年7月31日  

戦いは徹して強気で!

 

信心の「剣」を光らせるのは、勇気である。戦いは、徹して強気で、攻め抜いていくことだ。日々、油断することなく、一太刀、一太刀、名刀を振りおろすように、鋭く先手先手を打っていくのだ。

 

 聖教新聞 2012.7.29付  今日も広布へ24

2012年7月30日

広宣流布を成就する力

 

広宣流布を成就する力は、師子の団結にある。傍観者の群れや、人を頼み、互いにもたれ合うような烏合の衆では、勝利はない。〝一切の責任を私がもつ!〟と心を定めた、一人立つ師子と師子との結合が大願を成就するのだ。

 

小説 新・人間革命 22巻 新世紀 23頁

2012年7月29日  

何かで一番に!

 

何でもいい、何かで一番に!自分らしく、我が舞台で、日本一、世界一を目指すのだ。今の苦労が一生の宝になる。苦労しなければ、人間はできない。悩んだ分だけ、苦しんだ分だけ、どんな嵐にも負けない、金剛不壊の自分になるのだ。

 

 大白蓮華 №752 2012.8月号 98頁  

2012年7月28日

本当の力を出せ!

 

東京は、どんな活動でも、学会員が多いだけに、自分が本気になって戦わなくても、なんとかなるなどと思ってしまいがちだ。しかし、そうした感覚に陥ることこそが〝魔〟に負けた姿だ。心のどこかで人を頼み、〝一人立つぞ!〟と決めなければ、本当の力は出ない。すべての力を出し尽くし、自分を完全燃焼させてこそ、仏道修行なんです。大聖人は、師子王の戦いについて、『ありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時も・いきをひを出す事は・ただをなじき事なり』(御書1124頁)と仰せになっているではないですか! 広宣流布の戦いは、皆が主役です。皆が一人立ってこそ、本当の力が出る。それぞれは力があっても、力を出し切らなければ、ないのと同じ結果になってしまう。(中略) あの『人間革命の歌』の、『君も立て 我も立つ 広布の天地に 一人立て』という言葉は、東京の諸君にこそ贈りたいんだ。

 

小説 新・人間革命 23巻 敢闘 336頁

2012年7月23日  

何かをつくれ!

 

環境ではない。

全部、自分である。

自分が一からつくるしかない。

何かをつくれ!

何かを始めよ!

何かで結果を出せ!

それでこそ「人間」であり、「青年」である。

それでこそ「未来」に生きるすばらしき人生である。 

 

大白蓮華№752 2012.8月号 98頁

世界広布新時代

創立90周年へ

前進・人材の年

(2020年)

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

更新日

2020.2.25

1644回

  

日天月天ワンショット

日めくり人間革命URL