日めくり一週間

9月24日

 

「原水爆禁止宣言」とケネディ大統領
(7)


 二月一日の男子部幹部会に引き続き、山本伸一は、四日には、同じ早稲田大学記念会堂で行われた、女子部幹部会にも出席し、戸田城聖の「原水爆禁止宣言」について、次のように述べている。
 「日本は、戦争で原子爆弾の犠牲になった、ただ一つの国であります。
 ゆえに、『決して核戦争を起こしてはならない。原水爆の使用は禁止すべきである』と言い得る資格があるし、また、そうする義務を負っているといえます。
 その意味からも、私は、戸田先生の『原水爆禁止宣言』の思想を、皆さんとともに、生涯、叫び抜いていく決意であります。
 また、平和実現への一つのステップとして、世界各国の首脳が一堂に会して、できれば毎月、あるいは、二カ月か三カ月に一度でもよいから、平和のための協議をすることを提唱したいと思います。
 会議の場所も、ソ連やアメリカに限らず、中国や日本、タイ、あるいは、アフリカのエチオピアといった具合に、順番に世界各国で行っていく。会議の目的は、世界の平和であり、人類の幸福であり、戦争の阻止です。
 そうした会議を、一年、二年と続けていくならば、極めて有意義な結果が得られると思うのです。
 ともあれ、私たちは、各人がそれぞれの幸福を築いていくことはもとより、不幸な人びとのため、社会のため、世界のために、力を合わせて、前進してまいろうではありませんか」
 青年たちは、恩師戸田城聖の遺志を受け継ぎ、なんとしても、世界の平和を実現しようとしている伸一の心に触れた思いがした。

 

小説『新・人間革命』 第7巻 「操舵」

 

9月18日

「原水爆禁止宣言」とケネディ大統領
(6)

 

<世界の民衆に、全世界の指導者に、

この『原水爆禁止宣言』の思想を!!!>


 そのなかにあって、わが創価学会は、全人類の生命の尊厳と平等とを説く、日蓮大聖人の仏法の大哲理をもって、一閻浮提第一の御本尊を根本に、地球民族主義を旗印として、高らかに前進しております。
 一国の繁栄や利益のために、あるいは、一国を守るために、他の国を犠牲にしては絶対にならないし、そのための指導原理こそが仏法なのです
 ゆえに、その仏法を持った私どもが立ち上がり、十年先、二十年先、いや、百年先の人類のために、平和と幸福を樹立する仏法の種子を、世界に蒔いてまいろうではありませんか。
 来年の四月には、恩師戸田城聖先生の七回忌を迎えますが、恩師亡き後、いつも私の胸に響き渡っているのが、あの『原水爆禁止宣言』の叫びであります。
 この恩師の宣言には、核戦争の脅威から人類を解放しゆく、大原理が示されております。
 私は、この宣言の精神を、どんなことがあっても、人類のため、子孫のために、世界の指導者に、絶対に伝え抜いていかなければならないと、強く決意しておりました。
 そして、その機会を考えていたところ、ある有力な民間人を通して、アメリカのケネディ大統領から、個人的に会いたい旨の要請があり、会見が具体化していました。
 ところが、日本の政界から横槍が入ったのです。そして、恩着せがましい、お節介なことを言い出す政治家がおりましたので、いろいろ考え、今回は見送ることにいたしました。
 そうした動きに迎合し、学会が政治的に利用されるようなことを、私はしたくないのです。
 しかし、遅かれ早かれ、世界の民衆に、全世界の指導者に、この『原水爆禁止宣言』の思想を訴え抜いていかなくてはなりません。
 その時には、皆さんも、私とともに、全情熱を込めて、語り抜いていっていただきたいのであります」
 会見の機会を逸した伸一とケネディは、遂に見えることはなかった。この約十カ月後、ケネディは銃弾に倒れるのである。

(つづく)

 

9月16日

 

「原水爆禁止宣言」とケネディ大統領
(5)

 

<世界連邦へ>


 二月一日の夜、伸一は、早稲田大学の記念会堂で行われた、二月度の男子部幹部会に出席した。
 彼は、この日の講演のなかで、世界の現状について言及していった。
 「今回、五度目の海外訪問をいたしまして、痛感したことは、地球はますます狭くなってきているということでありました。
 それだけに、これからの指導者は、過去の世界観に縛られるのではなく、新しい世界観に立った指導理念を、もたなければならないと思います。
 時代は宇宙開発の時代に入っているし、また、さまざまな困難はあるにせよ、世界連邦の方向へと向かわざるをえないといえます
 しかし、世界の現状を見ると、ヨーロッパでは、EEC(欧州経済共同体)のイギリスの加盟が失敗に終わっている。また、アメリカにあっては、人種問題が大きなテーマとなってきています。
 更に、社会主義諸国に目を転じれば、ソ連と中国の対立の溝が深まり、暗い影を投げかけております。
 一方、AA(アジア・アフリカ)諸国にも、東西の対立の構図が持ち込まれ、新たな紛争の火種をかかえている国も少なくありません。
 また、ひとたび核戦争が起これば、いったいどうなってしまうか。
 まさに、法華経譬喩品に『三界は安きことなし 猶火宅の如し 衆苦充満して……』と述べられた通りの安穏なき姿が、世界の現実といえましょう」
 山本伸一の声には、「衆苦充満」の世界から、「悲惨」の二字をなくし、永遠の平和を築かんとする大情熱があふれていた。
 「今や、世は″無責任時代″といわれていますが、このまま放置していれば、世界はどうなるのか。
 この火宅のごとき世界を変えゆく、大哲学をもった指導者が出なければ、時代は、ますます混迷の度を深めていきます。

(つづく)

 

9月14日


「原水爆禁止宣言」とケネディ大統領
(4)

 

<「誠実」には「大誠実」を

「邪悪」には「正義」を>


 山本伸一は、代議士の話が一段落すると、微笑を浮かべて、しかし、きっぱりと言った。
 「お話の趣旨はよくわかりました。あなた方のご意向を尊重いたします。
 ケネディ大統領との会見の話は、なかったことにいたしましょう。すべて中止します。
 またの機会を待つことにしましょう」
 伸一の回答は、あまりにも予想外であったのであろう。狼狽したのは、代議士の方であった。
 「会見は中止にする?
 し、しかし、そんなことをして、この機会を逃してしまえばだね……」
 伸一は、相手の言葉を遮って言った。
 「私は、皆さんのお力をお借りして、大統領とお会いするつもりは、毛頭ありません。それでは、話が違ってきます。
 また、アメリカの大統領と会って、箔をつけようなどという卑しい考えも、私には全くありません。それが政治家の方々の考え方なのかもしれませんが、甚だしい勘違いです。
 私がケネディ大統領とお会いしようとしたのは、人類の平和への流れをつくりたかったからです。東西両陣営の対話の道を開きたいからです。そして、それが日本の国のためにもなると考えているからです。
 公明会をつくったのも、民衆のための政治を実現させたいからです。現在の政権が、あまりにも民衆を度外視しているから、私たちが一石を投じたのです。
 私には、公明会を使って政治権力を手に入れ、国を支配しようなどという野望めいた考えは、いっさいありません。
 民衆の幸福を、社会の繁栄を、世界の平和を、純粋に、一途に考え、行動しているのが創価学会です。その学会に、私利私欲の絡んだ政治的な駆け引きは通用しません。
 私は、誠実には、大誠実をもって応えます。傲慢には、力をもって応えます。邪悪には、正義をもって戦います。それが私の信条であり、信念です
 代議士の額には、汗が噴き出していた。彼はそれをハンカチで拭いながら、狼狽を押し隠し、鷹揚さを装って言った。
 「いやあ、実に見事な決断だ。
 私は前々から、山本君は見どころのある青年だと思っていたが、ますます確信がもてたよ。頼もしいかぎりだ。
 また、会って話し合おうじゃないか」
 会見は終わった。
 ケネディと伸一との会見は、白紙に戻った。
 山本伸一は、学会に迫る、政治権力の影を感じた。
 彼は代議士との会見が終わると、この″横槍″の背後に、何があるのかを考えざるをえなかった。
 ″多くの政治家たちは、三百万世帯を超えた創価学会に恐れをいだく一方で、自分の傘下に置いて、自在に操りたいと、考えているのであろう。
 その学会の会長である自分が、政権政党の頭越しにケネディと会見することになったことが、悔しくてならないにちがいない。彼らの本質は、嫉妬以外の何ものでもない″
 そう考えると、伸一は、日本の国を動かしている政治家たちの狭量さに、情けなさを覚えた。
 同時に、学会は、これからも、政治権力に、永遠に狙われ続けるであろうことを、彼は覚悟しなければならなかった。
 学会は民衆を組織し、民衆の力をもって、人類の幸福と世界の平和の実現をめざしてきた。それゆえに、民衆を支配しようとする権力から、さまざまな圧力が加えられるのは、むしろ当然といってよい。

(つづく)

 

9月10日

 

「原水爆禁止宣言」とケネディ大統領
(3)

 

<政治権力の薄汚れた手で、

この純粋な学会の世界が掻き回されるようなことは、

絶対に避けなければならない>


 ところが、事態は思わぬ展開を遂げることになる。
 伸一とケネディとの会見は、先方の要請もあり、極めて密かに準備を進めて来たが、伸一が海外訪問から帰った時には、渡航手続きなどの関係からか、外部の知るところとなっていた。
 そして、政権政党の大物といわれている古老の代議士が、突然、伸一に会見を求めて来たのである。
 伸一は、無下に断っては失礼であると考え、会見に応じることにし、彼の方から出向いていった。
 代議士は、あいさつもそこそこに、横柄な馴れ馴れしい口調で語り始めた。
 「山本君、今度、君はケネディに会うことになっているらしいが、それに対して、わが党のなかで、強い反対意見が出ていてね。
 早い話が、″外交問題にもかかわってくるのだから、勝手なまねはさせるな。なんで、そんなことを放置しておくのだ″というわけなんだ。
 実は外務省の方でも、君の動きに対して、かなり神経を尖らせているようだ。
 今のままでは、一波乱起こることは間違いない。政権を担っているわが党のなかで、強硬に反対している者がかなりいるとなれば、この会見の実現も、極めて危ういことになるのではないかと思う」
 それは、自分たちの圧力で、いつでも会見などつぶしてみせるぞという、伸一への威嚇であった。
 山本伸一は強い憤りを感じながらも、静かに相手の話を聞いていた。
 代議士は、上目遣いで伸一を見て、反応をうかがいながら語っていった。
 「山本君にとっては、ケネディと会うことは創価学会の会長として箔をつけることにもなるし、社会に学会をアピールする絶好のチャンスであることはよくわかる。
 しかし、状況はあまりにも厳しい。わが党にも、外務省にも、君の対応によって、日米関係に支障をきたすようなことになっては大変だという、強い気持ちがあるからね。
 だが、私は、なんとか君を守りたい。学会の青年会長である君には、まだまだ未来がある。君はこれから、もっともっと大きくなっていく人物だと、私は思っている。それだけに、今回のチャンスを、ぜひものにしてほしい。
 だから、私が骨を折ろうと思う。私が動けば、反対を押さえ込むことはできる。これは私の親心と思ってもらってよい。誠意から言っているのだ。
 その代わりといってはなんだが、君にも、力を貸してもらいたい。これからは、お互いに協力し合っていこうじゃないか。
 そうすれば、君も得るものは大きいはずだ。
 たとえば、学会は参議院に公明会をつくったが、はっきり言ってしまえば、まだ取るに足らない力だ。
 しかし、もし私と一緒にやるなら、もっと政界での力をもてるようにしよう」
 伸一は黙って聞いていたが、彼の頭は目まぐるしく回転していた。
 ――この代議士の狙いは明らかだ。
 私に恩を着せ、それを糸口に、学会を政治的に利用しようというのであろう。
 政治権力の薄汚れた手で、この純粋な学会の世界が掻き回されるようなことは、絶対に避けなければならない。
 しかし、この政治家の意向を無視すれば、ケネディ大統領との会見をつぶしにかかるだろう。
 そうして自分たちの力を見せつけ、勝ち誇ったように、何度でも、自分の軍門に下れと言って来るにちがいない。
 彼らに付け入る隙など、与えてなるものか!
 そのためには、残念ではあるが、この際、ケネディ大統領との会見は取り止めるしかない。守るべきは学会である。
 私は、自分のために会おうというのではない。彼らにお願いしてまで、会わせてもらう必要はない。
 伸一は、航路を急旋回させたのである。

(つづく)

9月8日

人間こそが一切の原点

 

<信心の目的は一人ひとりの幸福>

 

 交歓会には、来賓としてカーン博士らも出席しており、あいさつに立った。
 博士らは、いずれも、山本伸一が進める仏法を基調とした平和運動への期待を述べた。
 最後に伸一がマイクを取った。
 「私たちには、この地球上で幸せになる権利がある。平和に生きていく権利がある。また、自由に生きていく権利がある。
 では、それを実現していく源泉とは何か。日蓮大聖人の仏法であると訴えたい。
 なぜか――人間こそが一切の原点であり、最も大切なものは生命です。その生命をことごとく解明し、万人が等しく、尊極無上なる『仏』の生命を具えていることを説き、各人の崩れざる幸福と平和を確立する方途を示しているのが、大聖人の仏法であるからです。また、それを実践しているのが創価学会です。
 太陽が地球を遍く照らして、その光が恵みを与えるように、日蓮大聖人の仏法は、人びとに真実の幸福をもたらす教えであり、いわば太陽の仏法であります。
 仏法のその厳たる力を、全世界の同志の体験が証明しています。皆さんは、大仏法の光を浴びて、わが生命を蘇生させ、崩れざる幸せを築いてください。
 一人の人間を幸せにし、満足させ得ないような宗教が、どうして世界の平和を実現し得よう。どうして世界の人びとを救えようか。
 どうか、皆さんは、この太陽の仏法を確実に実践し抜き、一人ひとりが幸せを厳然と享受していただきたいのであります。
 今日の仏法兄弟の集いは、まだ小さな存在かもしれない。しかし、三十年、五十年、百年後には、この集いが幸福と平和の広宣流布の大潮流をもたらし、今日という日が、記念の日と輝いていくことを確信してください」
 伸一は、信心の目的は一人ひとりの幸福にあり、そこにこそ、平和運動の目的もあることを、確認しておきたかったのである。
 戦争がなければ平和なのではない。人間が生の喜びを嚙み締め、歓喜に包まれ、幸せを満喫して生きてこそ、平和なのだ。

〈小説「新・人間革命」〉 暁鐘 四   2017年9月4日

 

9月7日

創価21世紀不戦グループ

 

<青年不戦サミット >

 

青年の連帯と行動こそ不可能を可能にする力

 

 一、「平和の世紀」を開きゆく青春には、澄み切った青空のような清新なる希望がある。
 「人道の世界」を築きゆく人生には、どこまでも広がる大海原のような金波銀波の連帯がある。
 常に新時代の暁鐘を打ち鳴らす神奈川の天地で、初の開催となる「青年不戦サミット」、誠におめでとう!
 ご来賓の先生方、ご多忙のところ、私どもの神奈川文化会館へようこそお越しくださいました。
 地元・神奈川、また広島・長崎・沖縄をはじめ、各方面の男女青年部のリーダー、そしてSGI青年部の代表の皆さん、本当にありがとう!
 我らの恩師・戸田城聖先生が1957年の9月8日、「原水爆禁止宣言」を発表した横浜・三ツ沢の競技場へ、先ほど、SGIの皆さんが足を運び、60周年の意義を深く刻んでくれたことも、うれしく伺っております。
 “世界の民衆の生存の権利を断じて守らねばならない!”との恩師の叫びを胸に、時代変革の行動を巻き起こしてきた、若き世界市民の尊き奮闘とスクラムを、戸田先生がどれほどお喜びでありましょうか。
 このサミットの開催を記念して、日本と世界の各地から勇んで集った、わが青年部の全員の名前を「創価21世紀不戦グループ」としてとどめ、次の70周年、また80周年、さらには100周年へ、平和の新潮流を私は託したいと思いますが、皆、どうだろうか!(大拍手)
 一、本年7月、国連で「核兵器禁止条約」がついに採択されました。
 核兵器の使用や威嚇はもとより、開発から保有に至るまで、いかなる例外も認めることなく禁止する画期的な条約です。
 この成立の最大の推進力となったのは、被爆者の方々の切なる訴えであり、市民社会が粘り強く声を上げ続けてきたことにほかなりませんでした
 国連での交渉会議で、市民社会の参加者が座った席は、後方でした。しかし、ある国の代表が称賛したように、“尊敬の最前列にある”と言われるほどの貢献を果たしてきたのです。
 戸田先生の宣言を原点に、私たちも、被爆者証言集の出版や、世界各地での“核の脅威展”の開催をはじめ、青年部の皆さんが2010年に取り組んだ「核兵器禁止条約」の制定を求める227万人の署名や、2014年に推進した「核兵器廃絶」を求める512万人の署名など、若き力で、たゆまぬ挑戦を続けてきました。
 そして時を経て、世界の市民社会による力強い後押しによって、「核兵器禁止条約」が成立を見たのであります。
 条約の実現へリーダーシップを担ってこられた、市民社会のネットワーク組織である「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」のベアトリス・フィン事務局長は深い理解の声を寄せてくださっております。
 すなわち、「たとえ希望が見いだせず、人々が諦めそうになった困難な時代にあっても、SGIが立ち上がるエネルギーと勇気を発揮し続けてきたことに多大な啓発を受けるのです」と。
 核兵器の廃絶を目指して、尊き青春の大情熱を注いでこられたフィン事務局長は、「人々が一緒になれば、本当に多くのことが可能となり、本当に素晴らしいことができるのです」とも語られていました。
 まさしく、民衆が連帯し、青年の力で行動の波を起こしていけば、必ず“不可能を可能にする力”が生み出されるのです。
 一、いよいよ今月20日から、核兵器禁止条約への署名が始まります。条約の早期発効を導き、核兵器廃絶の流れを大きく前進させるためにも、民衆の連帯をさらに広げていくことを、私は念願してやみません。
 「人類の生存に対する現代の脅威は、人間一人一人の心の中の革命的な変革によってのみ、取り除くことができる
 これは、私が対談した大歴史学者トインビー博士の一つの結論でありました。すなわち、「人間革命」を起点として「世界平和」への波動を起こしていくのであります。
 この中核を担い、世界の民衆の「生存の権利」を揺るぎなく確立する、歴史的な使命を果たし抜く存在こそ、皆さん方、青年であります。
 今回のサミットが、互いの尊き使命を確認し合い、「核兵器のない世界」への偉大な挑戦への新たな出発の場となることを念願し、私のメッセージといたします。(大拍手)

 

聖教新聞2017年9月4日付 神奈川「青年不戦サミット」での池田先生のメッセージ

 

9月5日

 

「原水爆禁止宣言」とケネディ大統領
(2)

 

<戸田城聖の「原水爆禁止宣言」の精神の現実化を

ケネディに期待>


 山本伸一は、世界の平和を打ち立てていくには、戸田城聖の「原水爆禁止宣言」の精神を、現実化せねばならぬと思っていた。
 彼は、そのために、ケネディに提案したいことがあった。
 それは、米ソ首脳会談の早期再開であった。
 ――″キューバ危機″によって、米ソ両首脳は全面核戦争の危険を実感したはずである。ゆえに、今こそ、両首脳が直接会い、胸襟を開いた対話を重ね、対立から共存へと関係を改善していくチャンスといえる。
 なかでも、原水爆の問題については、大きく発想を変え、撤廃に向かって歩み出していかなければならない時が来ている。
 そして、これ以上、地球上に核兵器を増やさないために、まず、米ソ両国の間で、核実験の全面禁止を取り決めることだ。
 東西両陣営のリーダーたる米ソが、核実験の全面禁止に踏み切れば、各国の核兵器の開発に歯止めをかけることができる。
 この土台の上に、今度は、核兵器の撤廃に向かって、英知を結集していくべきである。
 それは、むしろ、米ソ両国が担わなければならない責務といえよう。
 また、伸一は、核を廃絶し、恒久平和への流れを開くために、米ソ首脳会談とともに、世界各国の首脳が同じテーブルに着き、原水爆や戦争の問題などを忌憚なく語り合う、世界首脳会議の開催も提案しようと考えていた。
 核兵器のために膨大な国家予算を投入することは、できることならやめたいというのが、すべての国の本音であるにちがいない。
 しかし、核保有国が増えるにつれて、それらの国々と伍していくには、自国も核を持たなければならないという不安と焦燥にかられて、多くの国々が、核軍拡競争の泥沼にのめり込もうとしている。
 その流れの底には、「相互不信」「疑心暗鬼」という、暗い深淵が横たわっている。この深淵を埋めるのは、各国の最高指導者の、胸襟を開いた語らい以外にない。
 もちろん、伸一は、一朝一夕で「不信」が「信頼」に変わるほど簡単なものではないことは、よくわかっていた。また、さまざまな思惑の入り乱れた、複雑な国際政治の現実の厳しさも知り抜いていた。
 だが、対話へと踏み出さずしては、永遠に事態を変えることはできない。一見、迂遠な道のように見えても、結局は、それが平和への最も近道であるというのが、彼の信念であった。
 山本伸一は、核の脅威に怯え、「ダモクレスの剣」の下に生きるかのような、現代の世界を思うと、常に頭に浮かぶのは、法華経譬喩品の「三界は安きことなし猶火宅の如し 衆苦充満して 甚だ怖畏すべし」の文であった。
 彼は世界を巡りながら、民衆の生活に眼を凝らしてきた。
 どの国にも貧困や差別などの深刻な矛盾があり、国によっては紛争の影があった。そのなかで、どの国の民衆も幸福と平和を願い、懸命に生き抜いていた。
 しかし、ひとたび全面核戦争になれば、いかなる国にも、その被害は及び、滅亡の危険性をはらんでいるのだ。しかも、あの″キューバ危機″が図らずも実感させたように、全面核戦争は、今や切実さを増してきているのである。
 伸一は、恩師戸田城聖が叫んだ、地球民族主義の大理念をもって世界を結び、恒久平和を実現しなければならない時が来たことを、深く自覚していた。
 彼は世界の平和への突破口を開くために、ケネディとの語らいに多大な期待を寄せていた。いや、そこにかけていたといってよい。

(つづく)

 

9月4日

「原水爆禁止宣言」とケネディ大統領
(1)

 

<核抑止論に潜む「魔性の爪」を打ち裂け>


 彼は二月に予定していたアメリカのケネディ大統領との、会見の準備に力を注いでいた。伸一は、ケネディとは、語り合いたいことがたくさんあったが、時間的な制約もあるだけに、話す内容を整理しておく必要があった。
 彼が、なんとしてもケネディに伝えなければならないと考えていたのは、恩師戸田城聖が「第一の遺訓」とした「原水爆禁止宣言」であった。
 伸一の脳裏には、あの三ツ沢の陸上競技場での恩師の叫びがこだましていた。
 「……核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う。
 それは、もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります。
 なぜかならば、われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」
 常々、仏法者として死刑には反対の立場をとっていた戸田が、あえて「死刑にせよ」と叫んだのは、原水爆を「絶対悪」と断ずるゆえであった。
 戸田城聖が「原水爆禁止宣言」を行った一九五七年(昭和三十二年)当時、大国の核兵器の開発と製造に拍車がかかっていた。
 そして、この核兵器を正当化していたのが、いわゆる核抑止論であった。つまり全面核戦争になれば、人類が滅びるかもしれないという恐怖が、戦争を″抑止する″というのである。
 しかし、人類の生存の権利を″人質″にとり、その恐怖を前提としたこの思考こそが、″魔性の爪″を育んでいるといってよい。
 戸田の宣言は、その魔性を、根本から打ち砕こうとするものであった。
 山本伸一は、前年十月の″キューバ危機″を思い起こした。
 全世界を震憾させたあの事件は、核抑止論という″恐怖の均衡″による平和の維持が、いかに脆く、危ういものであり、それ自体、幻想にすぎないことを、白日のもとにさらしたといえる。
 ケネディは、大統領に就任した年(一九六一年)の九月、第十六回国連総会で演説を行い、現代の人類の置かれた状況を、古代ギリシャの故事にある「ダモクレスの剣」にたとえた。
 ――主君ディオニュシオスの王座の幸福を賛嘆してやまないダモクレスという臣下がいた。その追従に我慢がならなくなった王は、ある日、宴の席で、ダモクレスを王座に座らせる。
 彼の頭上には、一本の馬の毛で結ばれた剣が吊されていた。いつ、馬の毛が切れて、剣が落ちて来るかわからない。
 ダモクレスは、恐怖のなかで、栄光の王座が、常に大きな危険にさらされていることを悟らざるをえなかったという話である。
 ケネディは、大量の核兵器の下で生きている人類の姿は、この「ダモクレス」と同じであると指摘したのである。
 ″キューバ危機″が起こったのは、それから一年後のことであった。
 原水爆の使用は、″人類の自殺″″地球の自殺″につながる。
 自分の判断のいかんによって、全人類の破滅の扉を開くことになりかねない瀬戸際に立たされたケネディは、「ダモクレスの剣」の下に座った、戦慄と孤独とを感じていたであろう。
 その緊張のなかで、彼は強い精神力と冷静な判断をもって、核戦争の回避のために、最大限の努力をしたといってよい。
 そのケネディならば、恩師の「原水爆禁止宣言」の心を深く理解するであろうし、彼の偉大な人格は、全人類の幸福と平和を願う恩師の精神と、共鳴の調べを奏でるにちがいないと、伸一は確信していた。

(つづく)

 

9月3日

総県長会議での原田会長の指導(要旨)

 

 世界宗教へ雄飛する「時」 友人参加の座談会・任用試験・未来部育成に全力
 一、ペルー、ブラジル、メキシコと、中南米での行程を一切無事故で終え、帰国いたしました。池田先生に大きく見守っていただく中で、「8・24」ご入信70周年を祝賀する顕彰、各国の総会・幹部会など、全ての行事を大成功で終えることができました(大拍手)。
 各国ともに、青年を先頭にメンバーが躍動し、広布拡大の息吹に満ちあふれておりました。学会の永遠性を確立する今この時、私たちも世界広布新時代の拡大を、勢いよく進めていきたいと思います。
根本規範を明文化
 一、その意味からも本日は、はじめに「創価学会会憲」についてお伝えさせていただきます。
 このたび、池田先生にご報告申し上げ、ご了解をいただき、世界教団たる創価学会の根本規範となる、会の憲法ともいうべき「創価学会会憲」を、本日の総務会で制定いたしました。
 改めて言うまでもなく、世界広布の礎は全て池田先生が築いてくださいました。先生は第3代会長就任直後の1960年(昭和35年)10月、初の海外指導に出発されて以来、妙法の種を全世界に蒔き続けてこられました。192カ国・地域にまで広布が伸展したのは、まさに先生お一人の大激闘の賜であります。
 その成り立ちを振り返れば、世界各国の組織は、創価学会の地区や支部として発足し、発展してきたものであり、創価学会はもともと、各国の組織や団体から構成される世界教団でありました。
 その創価学会が、未来と世界に向かって、さらなる発展を遂げるためには、三代会長のご指導・ご精神を根幹に、それを正しく継承し、発展させていくことが不可欠です。そして、そのためには、創価学会の根本的な規範を明文化し、創価学会総本部が世界各国を指導する世界教団としての体制を構築していくことが、必要となってきます。
 そこで、このたび、三代会長のご指導を根幹とし、先生が築かれた総本部を中心とする世界教団としての統一的なルールを、創価学会の根本規範たる「創価学会会憲」として制定したものであります。この会憲については、本日のSGI常任理事会、同じくSGI理事会でも発表され、全会一致で承認されました。
 私どもは、先生のご指導のもと、世界広布新時代を迎えた2013年(平成25年)以降、広宣流布大誓堂落慶、大聖人の仏法の本義に立ち返った教義条項や三代会長のご指導・ご精神を根幹とする前文への会則改正、創価学会勤行要典の制定など、創価学会の未来と世界を見据え、世界宗教にふさわしい創価学会の宗教的独自性の確立に取り組んでまいりました。
 今回の会憲の制定により、創価学会が世界宗教へと雄飛する体制が、より強固なものとなりました。私たちは、どこまでも広宣流布の永遠の師匠である池田先生のご指導を根本に、世界の同志との異体同心の団結をもって、広宣流布を断行していきたい。その決意も深く、本日より、世界広布新時代の前進を加速させてまいりたい。
友情の種が開花
 一、記念すべき8月24日付の聖教新聞1面を飾ったのは、南米最古の名門学府である、ペルー国立サンマルコス大学からの先生への名誉博士号授与式でした。
 思い起こせば、先生の同大学初訪問は1974年(昭和49年)。私も随行させていただきましたが、当時の様子は小説『新・人間革命』第19巻「凱歌」の章に描かれています。日本を発って20日間、連日の激闘から、先生の体調は全く優れず、発熱で足元もおぼつかないほどでした。ふらつかれる先生の腕をとった私は、思わず「先生、今日の大学訪問は中止にしましょう」と申し上げました。
 しかし先生は、言下に否定されました。「そんなことはできない! 総長は、大学の在り方について深く考えられ、私と話をしようと、待っておられるんだ。何があってもお伺いするのが、人間の信義じゃないか」と。
 そして気迫を振り絞るように、一歩一歩、歩みを進められたのであります。大学での会見は大成功に終わりましたが、翌日の大学行事は代理を立てられ、先生は宿舎で安静にされていました。
 その夜、突然、ゲバラ総長が、宿舎にお見舞いに来られました。さらに、お見舞いを終えた総長を、奥さまがホテルの中庭の外まで見送ると、道路ぎわに止めてある車のそばには、総長夫人がたたずんでいらっしゃいました。先生を疲れさせてしまうと気遣い、夫人は外で待っておられたのです。この時のお二人の感動の抱擁は小説に描かれている通りです。
 この感動的な出会いから7年後の81年(同56年)、ゲバラ夫妻も来日され、サンマルコス大学の名誉教授称号が先生に授与されたのであります。南北アメリカ大陸からは第1号、モスクワ大学に続いて世界から贈られた第2号となる名誉学術称号となりました。
 ゲバラ博士は2000年(平成12年)に90歳で亡くなられるまで先生を敬愛され続け、SGIのイベントにも数多く参加されました。ゲバラ夫人は今回の式典への参加を楽しみにしておられましたが、残念ながら体調を崩され、出席できませんでした。笠貫SGI女性部長が自宅にお見舞いに伺うと、ことのほか喜んでくださり、先生・奥さまへの変わらぬ熱い思いを語ってくださいました。
 まさに、池田先生が命懸けで蒔いてくださった信義と友情の種が、今、大きく花開き、顕彰が相次ぎ、ペルー広布が大前進している。その勝利の実証に、胸を熱くした次第です。
 一、今回、ペルーにはアサト理事長、ブラジルにはシラトリ理事長と、新任のリーダーも誕生しました。
 実は、2人には共通の原点があります。それは01年(同13年)9月12日。あの「9・11」同時多発テロ事件の翌日です。この日に帰国予定だった青年研修会メンバーは、数日間の足止めを余儀なくされました。
 池田先生は、この日、モンゴル大使との会見に彼らを同席させました。研修に加え、2人は個人的にも、先生との劇的な出会いを深めたのであります。
 一緒にカメラに納まった2人に、先生は万感の思いで語り掛けられました。「ここに集った君たちこそ真実の『世界平和の希望』です」「偉大なる広宣流布の指導者に成長していただきたい」と。この原点を胸に戦い続けてきた池田門下生が、まさに各国の広布の指導者として、新たなスタートを切ったのです。
 本日も、新任のリーダーが数多く誕生しました。今この時、広布のリーダーとして先生と共に戦えることこそ、最高の誉れです。私たちも自身の原点を再確認し、誓いも新たに、広布拡大にまい進していきたい。
折伏のうねりを
 一、この夏の最高協議会で先生は「今、新たな仏縁拡大のチャンスを迎えた」「いよいよ強く朗らかな折伏精神で、妙法を渇仰する民衆の心田に仏種を植え、地涌の人材を林立させようではないか!」と呼び掛けられました。
 世界広布の本陣・日本で戦う私たちこそが、明年の「11・18」広宣流布大誓堂完成5周年への世帯増・部員増を目指し、折伏の大波を起こしていきたい。
 後半戦に入り、VODの番組「名物もつ煮 三代目奮闘記」が好評を博し、各地から入会決意につながったとの喜びの声が届いています。
 また、聖教新聞PR版も発行されますが、毎日の聖教紙面の体験談は、大きな感動を呼んでいます。
 先生が「体験こそ力だ。体験こそ喜びだ。御書に『一切は現証には如かず』と仰せである。自信満々に語ることだ」と教えてくださった通り、広布拡大の最大の推進力は「体験」にあります。
 VODや聖教新聞の体験はもとより、中でも最も納得と共感を生むのは、座談会での実感こもる体験談であり、直接の語らいです。
 広宣流布大誓堂完成5周年への拡大戦、まずは本年の「11・18」に向けて、さらに明年の「1・2」、先生の卒寿のお誕生日をお祝いすべく、VODの活用、聖教新聞の拡大とともに友人参加の座談会を推進し、皆で体験を語りながら、歓喜の折伏を進めてまいりたい。
 併せて教学部任用試験(仏法入門)の申し込みが始まっております。本年も地区2人以上の合格を目指し、会友受験に総力を挙げて取り組んでいきたい。
 一、先日の随筆に「『学会の永遠性の確立』の急所は、まぎれもなく、未来部の育成にある」とつづられた通り、未来部の激励・育成にこれまで以上に力を入れる意味から、任用試験については本年より、中等部員も受験対象となります。
 これは、高等部員に対しては任用試験を通じて各部一体での激励の機会が増える中、それに比べると中等部員への激励の機会が少ないのではないか、といった声に応えるとともに、インターネットなどで玉石混交の情報が飛び交う今、中等部時代から学会への正しい認識をもつことが重要であるとの観点から、受験対象を拡大したものです。こまやかな配慮のもと、丁寧に進めていきたい。
 一、本年から、11月に行われる「七五三勤行会」にも、これまで以上に力を入れていきたい。
 少子社会の中で、一般的にも、七五三をはじめとする子どもの行事への関心が高くなっており、諸行事には祖父母を含め、家族で参加する形が増えております。学会にあっても、新年勤行会とともに、未入会家族が会館での七五三勤行会に参加するケースも増えてきました。
 そこで、未入会のお子さんも、また未入会の親や祖父母も、気楽に参加できるよう、丁寧に声掛けをしていきたい。
 “未来部の一人一人を最敬礼の心で励ましたい”との先生の心をわが心として、未来部育成に総力を挙げていきたいと思います。
 一、現在、広布部員の申し込みを進めていただいております。本当にありがとうございます。
 御書に「ひとつのかたびらなれども法華経の一切の文字の仏にたてまつるべし。この功徳は父母・祖父母・乃至無辺の衆生にも・をよぼしてん」(1231ページ)と仰せの通り、財務の功徳は、計り知れません。一人でも多くの方が、福運と喜びあふれる財務となるよう、無事故・大成功を真剣に祈り、誠実・丁寧に進めていきたいと思います。
連続勝利で前進
 一、いよいよ、創価学会がさらなる世界宗教へと雄飛する、重要な時を迎えました。
 池田先生は9月号の「大白蓮華」の講義で、「今、私どもは新たな決意で、あの地へ、この地へ、妙法という『平和の種』を蒔き、あの友へ、この友へ、『希望の光』を届け、一人からまた一人へと、広宣流布の黄金の波を広げていこう」と呼び掛けてくださいました。
 広布の波を広げてこそ、学会のリーダーであり、本物の弟子であります。下半期の折伏・弘教も、聖教拡大も、任用試験の会友受験も、まず私たちリーダーから、率先の行動を起こしてまいりたい。
 創価学会の素晴らしさ、池田先生の偉大さを堂々と語りながら、拡大の結果をもって、後半戦も連続勝利の歴史を開きゆこうではありませんか!(大拍手)

   2017年9月2日 総県長会議

 

9月1日

随方毘尼

(5)


 第二代会長・戸田城聖は、青年たちへの指針のなかで、「われらは、宗教の浅深・善悪・邪正をどこまでも研究する。文献により、あるいは実態の調査により、日一日も怠ることはない。(中略)その実態を科学的に調査している」(「青年よ国士たれ」(『戸田城聖全集1』所収)聖教新聞社)と記している。
 この言葉に明らかなように、創価学会もまた、日蓮大聖人の御精神を受け継いで、常に宗教への検証作業を行ってきた。
 そして、調査、研究を重ね、検証を経て、日蓮仏法こそ、全人類を救済し、世界の平和を実現しうる最高の宗教であるとの確信に立ったのである。
 自分が揺るがざる幸福への道を知ったとの確信があるならば、人びとにも教え伝え、共有していくことこそ、人間の道といえよう。
 ゆえに学会は、布教に励むとともに、座談会という対話の場を重視し、他宗派や異なる考え方の人びとと語り合い、意見交換することに努めてきた。それは、納得と共感によって、真実、最高の教えを人びとに伝えようとしてきたからである。
 宗教は、対話の窓を閉ざせば、独善主義、教条主義、権威主義の迷宮に陥ってしまう。
 対話あってこそ、宗教は人間蘇生の光彩を放ちながら、民衆のなかに生き続ける。
 座談会などでの仏法対話によって、共に信心をしてみようと入会を希望する人は多い。また、信心はしなくとも、語らいのなかで学会への誤解等は解消され、日蓮仏法への認識と理解を深めている。
 そして、相手の幸せを願っての真剣な語らいが進むにつれて、私たちの真心が伝わり、人間としての信頼と友情が育まれている。
 日蓮大聖人の仏法は、人間が苦悩を乗り越え、幸せを築き上げるための宗教である。
 大聖人御自身が、「一切衆生の異の苦を受くるは悉ことごとく是れ日蓮一人の苦なるべし」と仰せのように、仏法の目的は、人間の苦悩からの解放にある。
 宗教が人間の救済を掲げるならば、決して人間を手段にしてはならない。

 

小説新・人間革命 第29巻 清新

 

8月31日

随方毘尼

(4)

 

 日蓮大聖人が「立正安国論」を認められた当時の鎌倉は、大地震が頻発し、飢饉が打ち続き、疫病が蔓延していた。
 時代を問わず、人は最悪な事態が続くと、自分のいる環境、社会に絶望し、“もう、何をしてもだめだ”との思いをいだき、“この苦しい現実からなんとか逃れたい”と考えてしまいがちなものだ。
 そして、今いる場所で、努力、工夫を重ねて現状を打破していくのではなく、投げやりになったり、受動的に物事を受けとめるだけになったりしてしまう。その結果、不幸の連鎖を引き起こしていくことになる。
 それは、鎌倉時代における、「西方浄土」を求める現実逃避、「他力本願」という自己努力の放棄などと、軌を一にするとはいえまいか。いわば、念仏思想とは、人間が困難に追い込まれ、苦悩に沈んだ時に陥りがちな、生命傾向の象徴的な類型でもある。
 つまり、人は、念仏的志向を生命の働きとしてもっているからこそ、念仏に同調していくのである。大聖人は、念仏破折をもって、あきらめ、現実逃避、無気力といった、人間の生命に内在し、結果的に人を不幸にしていく“弱さ”の根を絶とうとされたのである。
 大聖人は叫ばれている。
 「法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此ここを去つて彼かしこに行くには非ざるなり」と。
 南無妙法蓮華経と唱え、信心に励むところが、成仏へと至る仏道修行の場所となるのだ。自分の今いるところを去って、どこかにいくのではない。この荒れ狂う現実のなかで、生命力をたぎらせ、幸福を築き上げていく道を教えているのが日蓮大聖人の仏法である。
 ところで、大聖人は、念仏をはじめ、禅、律、真言の教えを厳格に検証し、批判していったが、法華経以外の諸経の意味を認めていなかったわけではない。
 それは、御書の随所で、さまざまな経典を引き、信心の在り方などを示していることからも明らかである。

(つづく)

 

8月28日

随方毘尼

(3)

 

 日蓮大聖人は、建長五年(一二五三年)四月二十八日、清澄寺で立宗宣言された折の最初の説法から、既に念仏の教えの誤りを指摘されている。当時、念仏信仰は、民衆の易行として諸宗が認めていたことに加え、専修念仏を説く法然の門下によって弘められ、大流行していたのである。
 易行は、難行に対する語で、易しい修行を意味する。また、専修念仏とは、ただひたすら念仏を称えることによって、死して後に、西方極楽浄土に行けるという教えである。
 世間には飢饉、疫病などが広がり、末法思想に基づく厭世主義が蔓延していた。この世を「穢土」とし、西方十万億土という他土での往生のみに救いがあるという念仏信仰に、人びとの心は傾斜していった。
 しかし、その教えは、人びとを現実から逃避させ、他力のみにすがらせ、無気力にさせる。つまり、幸福に向かって自ら努力することを放棄させ、社会の向上、発展への意欲を奪い取っていった。まさに、人間を弱くする働きをなしたのである。
 しかも、法然は、法華経を含め、念仏以外の一切の教えを「捨閉閣抛」、すなわち「捨てよ、閉じよ、閣け、抛て」と説いていた。文証、理証、現証のいずれをも無視した、この独善的で排他的な主張を、法然門下の弟子たちは盛んに繰り返してきたのである。
 法華経は、皆が等しく仏の生命を具えていることを説き明かした万人成仏の教えである。法華経以外の教えが、生命の部分観にすぎないのに対して、生命を余すところなく説き明かした円教の教えである。
 このころ、法然の弟子である念仏僧は、幕府の権力者に取り入って、念仏は、ますます隆盛を誇りつつあった。それを放置しておけば、正法が踏みにじられ、民衆の苦悩は、ますます深刻化していく。
 ゆえに大聖人は、「立正安国論」を幕府の実権を握っていた北条時頼に提出し、そのなかで、世の混乱と不幸の元凶が念仏にあることを説き、諫めたのである。

(つづく)

 

◆8月27日

「目の前の一人」こそ
我らが救うべき

「民衆」であり、「一切衆生」である。

 

 「民衆のため」、また「人類のため」といっても、
 根本は、目の前に佇む、苦悩の一人に、向き合って、

 勇気と希望を送り、救いきっていけるかどうか――
 この一点にあります。(中略)


 日蓮仏法は、「民衆仏法」であります。
 この「民衆」とは、一切衆生のことです。
 何か特定の階級などではありません。
 現実にいる「目の前の一人」のことです。
 その人が誰であれ――
 男性も女性も、
 いかなる国も民族も、
 いかなる出自や階層も、
 年齢や職業も、
 一切、排除や差別なく、抱える苦しみの如何にかかわらず、
 一人も残らず民衆です。
 一切衆生にわたるのです。

 

大白蓮華2017年9月号№815 9~10頁

 

8月26日

随方毘尼

(2)

 

 宗教者が、自ら信奉する教えに対して強い確信をいだくのは当然であり、それなくしては、布教もできないし、その教えを精神の揺るがぬ柱としていくこともできない。
 大切なことは、その主張に確たる裏付けがあり、検証に耐えうるかどうかということである。確かな裏付けのない確信は、盲信であり、独善にすぎない。
 日蓮大聖人は「法華経最第一」とし、その法華経の肝要こそが南無妙法蓮華経であると宣言された。そして、確かな根拠を示さずに法華経を否定する諸宗の誤りを、鋭く指摘していった。それをもって大聖人を、独善的、非寛容、排他的などという批判がある。
 しかし、全く的外れな見方といえる。大聖人は、比叡山など各地で諸宗諸経の修学に励み、文証、理証、現証のうえから、それぞれの教えを客観的に比較研究して精査し、結論されたのだ。つまり精緻な検証を踏まえての確信である。
 また、仏教の真実の教えとは何かについて、広く論議し、語り合うことを、諸宗の僧らに呼びかけ続けてきた。
 そして「智者に我義やぶられずば用いじとなり」と、かりに自分以上の智者がより正しく深い教えを示すのであれば、それに従おうと明言されているのだ。
 そこには、宗教こそ人間の生き方、幸・不幸を決する根本の教えであるがゆえに、徹して独善を排して真実を究明し、公にしていかなければならないという、真摯な探究、求道の姿勢がある。同時に、破られることなど絶対にないとの、大確信に基づいた御言葉であることはいうまでもない。
 堅固な宗教的信念をもって、開かれた議論をしていくことと、排他性、非寛容とは全く異なる。理性的な宗教批判は、宗教の教えを検証し、また向上させるうえで、むしろ不可欠な要件といえる。
 一貫して公的な場での法論を主張する大聖人に対して、諸宗の僧らは、それを拒み、幕府の権力者と結託し、迫害、弾圧を加えた。

(つづく)

 

8月25日

随方毘尼

(1)

 

 山本伸一は、ウィルソン教授との会談は極めて有意義であったと感じた。多くの意見に賛同することができた。
 特に、教授が、宗教が原理主義、教条主義に陥ってしまうのを憂慮し、警鐘を発していたことに、大きな共感を覚えた。
 人間も、また宗教も、社会、時代と共に生きている。そして、宗教の創始者も、その社会、その時代のなかで教えを説いてきた。
 したがって、教えには、不変の法理とともに、国や地域の文化・習慣等の違い、また時代の変化によって、柔軟な対応が求められる可変的な部分とがある。
 仏法は、「随方毘尼(ずいほうびに)」という考え方に立っている。仏法の本義に違わない限り、各地域の文化、風俗、習慣や、時代の風習に随うべきだというものである
 それは、社会、時代の違い、変化に対応することの大切さを示すだけでなく、文化などの差異を、むしろ積極的に尊重していくことを教えているといえよう。
 この「随方毘尼」という視座の欠落が、原理主義、教条主義といってよい。自分たちの宗教の教えをはじめ、文化、風俗、習慣などを、ことごとく「絶対善」であるとし、多様性や変化を受け入れようとしない在り方である。それは、結局、自分たちと異なるものを、一方的に「悪」と断じて、差別、排斥していくことになる。
 「人間は宗教的信念(Conscience)をもってするときほど、喜び勇んで、徹底的に、悪を行なうことはない」(森島恒雄著『魔女狩り』岩波書店)とは、フランスの哲学・数学・物理学者のパスカルの鋭い洞察である。つまり、宗教は、諸刃の剣となるという認識を忘れてはなるまい。
 本来、宗教は、人間の幸福のために、社会の繁栄のために、世界の平和のためにこそある。宗教の復権とは、宗教がその本来の使命を果たすことであり、それには、宗教の在り方を問い続けていく作業が必要となる。
 自らの不断の改革、向上があってこそ、宗教は社会改革の偉大な力となるからだ。

(つづく)

 

8月23日

今こそ成仏する千載一遇のチャンスである

 

<「覚悟の信心」には、無限の力がわく>

 

 大難は「我らがために」と感謝を
 日蓮大聖人が「私のことを、こういうふうに人に話しなさい」と教えられた珍しい御書がある。(「弥三郎殿御返事」、御書一四四九ページ)
ある在家の門下に、仏法対話の仕方を教えられたのである。(一説には武士であった斎藤弥三郎とされている)
 わかりやすく大意を言うと「(日蓮大聖人という方は)日本の国が仏法の正義にそむいたゆえに『このままでは滅びてしまう。外国からも攻められるだろう』と、日本の国を救うために、『わが身はどうなってもよい』という覚悟で正義を叫ばれた」と。
 その結果、「二十余年・所をおはれ弟子等を殺され・我が身も疵を蒙り二度まで流され結句は頸切られんとす、是れ偏ひとえに日本国の一切衆生の大苦にあはんを兼て知りて歎き候なり、されば心あらん人人は我等が為にと思食すべし、若し恩を知り心有る人人は二当らん杖には一は替わるべき事ぞかし、さこそ無からめ還つて怨をなしなんど・せらるる事は心得ず候、又在家の人人の能くも聞きほどかずして或は所を追ひ或は弟子等を怨まるる心えぬさよ、設い知らずとも誤りて現の親を敵ぞと思ひたがへて詈り或は打ち殺したらんは何に科を免るべき
 ――二十余年の間、いる場所を追放され、弟子等を殺され、わが身も傷を受け、二度まで流罪され、ついには頸を切られるところであった。これはひとえに日本国の一切の人々が将来、大苦悩にあうことを早くから知って、嘆き(助けてあげようと思って)行動した結果である。
 ゆえに心ある人々ならば、「我々のために(大聖人は)難にあってくださったのだ」と思うべきである。もし恩を知り、心ある人ならば、(大聖人が)二つ打たれる杖の一つは替わりに打たれるべきである。それもしないどころか、反対に迫害するとは、まったく、どうしたわけであろうか。 (中略)たとえ知らないで、誤って自分の親を敵と思い違え、ののしり、あるいは打ち殺したならば、(知らなかったと言っても)どうして罪をまぬかれようか――。
 大聖人は、こう言いなさいと、門下に教えられたのである。
 信仰してない人でも大聖人に恩を感じて「二つの杖のうち一つ」は受けるべきだ、と。いわんや門下は当然であった。また、こう仰せである。
 「譬(たと)えば物ねた(妬)みする女の眼を瞋らかして・とわり後妻をにら(睨)むれば己が気色のうと(疎)ましきをば知らずして還つてとわりの眼おそろしと云うが如し」
 ――(日本の人々が大聖人を非難しているありさまは)譬えば「嫉妬した女性が(焼きもちのあまり)目をいからせて相手の女性をにらみ、自分のものすごい形相を知らずに、かえって相手の目が恐ろしいと言っている」ようなものである――。
 ――今も全部、焼きもちなのである。
 手紙の最後には、法戦に臨む門下の心がまえとして、こう書かれている。「構へて構へて所領を惜み妻子を顧りみ又人を憑みて・あやぶむ事無かれ但偏ひとえに思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり、人身は受け難く法華経は信じ難しとは是なり、釈迦・多宝・十方の仏・来集して我が身に入りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし
 ――心して覚悟を決め、所領(領地。今で言えば財産・地位にあたろう)を惜しんだり、妻子を顧みたり、人を当てにして、不安になり恐れることがあってはならない。ただ、ひとえに思いきりなさい。
今年の世間の様子を鏡としなさい。多くの人が死んだのに、今まで自分が生き永らえているのは、このこと(法華経の法戦)にあわんがためである。この今の戦いこそ、宇治川を渡す所であり、勢多川を渡す所である。名を上げるか、名をくだすかの境目である。(宇治川も勢多〈瀬田〉川も、関西の要害の川。源平の合戦でも勝負を決する要所となった)
 人間に生まれるのはまれであり、法華経は信じがたいとは、このことである。(今こそ成仏する千載一遇のチャンスである
 (この戦いに勝つために)「釈迦・多宝・十方の仏よ! 来(きた)り集まって、わが身に入り、われを助けたまえ!」と一念を決めなさい――。
 今こそ、成仏できるかいなかの「境目」である。広宣流布の宇治川であり、瀬田川である。渡りきれば勝利である。断じて、渡りきらねばならない。「覚悟の信心」には、無限の力がわく。釈迦・多宝・十方の諸仏が、こぞって力を与えてくださるのである。


 1997年5月20日 関西代表者勤行会

8月22日

信念の人生を

 

正しい宗教によって生命力を強める以外にはない

 

 戸田先生は「社会に信念の人を」(『戸田城聖全集』第三巻)と題して、こう述べられた。
 ──きちんと出来あがっているように見えて、何となくもの足りない日本。何となく底が浅い日本。そのうつろさ、空虚さを、どう打ち破るか。
原因は「人」にある。一人一人が「生き生きとして、はちきれるような生命力」に輝くことだ。「信念の人」をつくることだ。
 そのためには「正しい宗教によって生命力を強める以外にはない」。そして、人々は知るべきである。「悪い宗教は生命力を弱め、正しい宗教は生命力を強める」ということを──と。
 また、戸田先生はよく語っておられた。
 「御本尊を信じ、人生を生ききっていけ! これが一切だ。いくら愚痴をこぼしていても、つまらぬ事でくよくよしても、どうしようもないではないか。御本尊に題目をあげて、自分の境遇で、自分の立場で生ききっていけ!」と。
 ″どうして、こんな場所に生まれてきちゃったのかな″──親に文句を言ってもしかたがない(笑い)。″もっと気楽に暮らせるところはないかな″──あるはずがない。
 この世は、娑婆世界である。堪忍の世界──耐え忍ぶべき世界である。
どこへ行こうと、生きる苦しみは避けられない。避けられないなら、乗り越えるしかない。乗り越えるしかないのだから、楽しく、勢いよく生きよう。頑張り抜こう。題目をあげ抜いていこう。そういう「強い自分」をつくる以外に幸福はないのである。
 「信念の人生」──諸君もどうか、諸君自身が選んだこの使命の道で、立派な大満足の人生を建設していっていただきたい。

 

 1995年5月21日 関西第1回青年部記念総会

 

8月21日

 人間と人間を結ぶには何が必要か

 

<諦めずに対話を続けること>

 

 人間と人間を結ぶためには何よりも大切なのは、対話を続けることです。
 私たちが、法華経の修行の鑑である不軽菩薩のように、目の前の一人また一人と、諦めずに対話を貫くことは、自身の仏性を呼び覚まし、相手の仏性を呼び覚ますことでもあります。(中略)
 まさしく大事なのは、人間革命の連動です。常に一人の変革から始まるのです。

 

大白蓮華2017年8月号№814 38頁

 

8月20日

出会い

 

<よき人間関係こそ財産>

 

 「出会い」は不思議である。
 「出会い」で決まる。
 私は、戸田先生との出会いを
 永遠に忘れない。
 戸田先生との出会いで、
 私の一生は決まったのである。
  
 新しい出会いは、
 新しい人生の
 「舞台」の開幕である。
 ゆえに、縁ある方を大切にし、
 一回一回、歓喜と感動の劇を、
 誠心誠意、刻んでいきたい。
 私は、お会いした方が
 少しでも元気になり、
 晴れ晴れと胸を張って
 帰っていかれるようにと、
 祈りを込めて、
 語らいを進めるのが常である。
  
 「人間」とは、
 「人と人の間」と書く。
 孤独は、気ままなようで、
 わびしい。
 自分の人格も磨かれないし、
 可能性も開かれない。
 いかに豊かな人間関係を築くか――
 よき人間関係こそ、
 人生を彩る財産であろう。
  
 「私には親友がいます」と
 言いきれる人は幸せだ。
 お金よりも、地位よりも、
 名誉よりも、
 「絶対に心がつながっている」
 「絶対に裏切らない」という
 友人をもっている人こそ、
 本当に「豊かな人生」である。
  
 一つ一つの出会い、
 一回一回の生命の交流は、
 時とともに、
 私たちの想像を超えるほどの
 大きな広がりと
 実りをもたらすものだ。
 新しい出会い、新しい交流――
 そのために大切なのは、
 打って出る「勇気」である。

 

〈池田大作先生 四季の励まし〉 よき出会いが人生を彩る 2017年8月20日 (抜粋)

 

8月19日

世界の平和とは、
与えられるものではない

 

<戦うべき相手は、
自己の欲望のためには
相手の殲滅も辞さないという
「核兵器を容認する思想」 >

 

 世界の平和とは、
 与えられるものではない。
 人間が、人間自身の力と英知で、
 創造していくものだ。
 自己の境涯を開き、
 高めゆく、
 人間革命の闘争なくして
 平和はない。

 核時代に終止符を打つために
 戦うべき相手は、
 核兵器でも保有国でも
 核開発国でもない。
 真に対決し克服すべきは、
 自己の欲望のためには
 相手の殲滅も辞さないという
 「核兵器を容認する思想」だ。


 対話の力こそ
 世界を一つに結ぶ。
 対話によって、
 山積する地球的問題群の
 解決の糸口を
 見出すことができるのである。
 対話がなければ、
 人間は独善という暗闇の中を
 歩き続けねばならない。
 対話とは、
 その暗闇にあって
 互いの足元を照らし合い、
 歩むべき道を見出す灯火といえる。


 仏法は、あらゆる差異を超え、
 「生命」という
 最も普遍的な大地に拠って立つ。
 それゆえに、
 狭い通念や偏見に囚われず、
 大胆かつ率直に、心と心、
 生命と生命を結び合いながら、
 人類の新たな
 価値創造の活路を開いていける。
 動くことだ。語ることだ。
 たゆみなき一波また一波が、
 「分断」から「結合」へ、
 「対立」から「融和」へ、
 「戦争」から「平和」へ、
 人類史を転換しゆく
 潮流となることを信じて――。


〈池田大作先生 四季の励まし〉 平和の潮流を対話の力で   2017年8月13日

 

8月16日

「婦人部に与う」

(4)

 

私たちには、学会員である人も、ない人も、

その地域中の人びとを幸福にしていく責任がある(2)

 

 清原かつは、声を大にして訴えた。
 「ブロック組織という、地域に根を張った学会の力は、台風や火災などの際に証明されております。
 その連携のすばらしさ、助け合い、励まし合いのすばらしさは、内外の称賛を得ています。『あの台風の時、学会員が助けてくれた』、あるいは『学会員が団結して火災を消し止めてくれた』といった話は、枚挙に暇がありません。
 私たちは、そうした非常事態の時だけでなく、常日頃から、不幸に泣く地域の人びとを、一人も残らず、励ましていくのだとの決意で、広宣流布の活動に取り組んでまいろうではありませんか」
 参加者は、新たな決意で二月度の後半の活動に向かって、出発していった。
 また、「婦人部に与う」が『大白蓮華』の三月号に巻頭言として掲載されることを知った全国の婦人部員は、その発刊の日を指折り数え、期待に胸を弾ませながら、寒風のなかを弘教に走った。

 

小説『新・人間革命』 第7巻 「操舵」

 

8月15日

「婦人部に与う」

(3)

 

<私たちには、学会員である人も、ない人も、

その地域中の人びとを幸福にしていく責任がある(1)>

 

 婦人部幹部会は、会長山本伸一が示した指針「婦人部に与う」の発表にわき返った。
  婦人部の幹部の朗読が始まると、参加者は瞳を輝かせて、聞き入っていた。
  最後の「創価学会婦人部こそ、妙法をだきしめた、真の女性解放の先駆者である」との一節では、誰もが電撃に打たれたような思いにかられた。
  彼女たちの多くは、経済苦や病苦にあえぎながら、自身の、わが家の宿命転換を願い、ただ幸福になりたいとの一心で、懸命に信心に励んできた。
  しかし、それだけではなく、「女性解放」という、もっと大きく崇高な使命を果たすための信仰であることを自覚したのである。
  「女性解放」とは、単に制度などの社会的な差別からの解放にとどまるものではない。いっさいの不幸からの解放でなければならない。彼女たちは、自らの体験を通して、その唯一の道が日蓮仏法にあることを確信することができた。
  生活という大地に根を張った婦人たちが、時代の建設に立ち上がってこそ、初めて、社会を蘇生させることができる。
  自分たちの生きゆく社会を、楽しい、平和なものにしていくことが、広宣流布である。
  この「婦人部に与う」を受けて、婦人部長の清原かつは、この日、次のようにあいさつした。
  「今日は、わが婦人部にとって、歴史的な日になりました。
  山本先生は、この原稿を書かれた後も、何度も何度も推敲されたとうかがっております。
  しかも、戸田先生のお誕生日に執筆してくださったということは、私たち婦人部が、戸田先生の遺志を継いで、断じて広宣流布を成し遂げていきなさいとの、ご指導であると思えてなりません。
  山本先生は、この『婦人部に与う』のなかで、私たちこそ『真の女性解放の先駆者』であると述べられております。
  つまり、自分や一家の幸福を築いていくことはもとより、広く社会に目を開き、すべての女性を、宿業の鉄鎖から解放していくことが、創価学会婦人部の使命なのであります。
  要するに、私たちには、学会員である人も、ない人も、その地域中の人びとを幸福にしていく責任があるということです。
 そう考えるならば、地域にあって、自分の受け持っている組織は、小さな単位であるブロックという組織でも、私たちの使命は、限りなく大きいと思います」

(つづく)

8月13日

「婦人部に与う」

(2)

 

 次いで、山本伸一は、婦人部の信心について記していった。
 彼は、熱原法難で神四郎兄弟が斬首された時、女人なるがゆえに処刑を後回しにせず、直ちに自分も処刑するように迫った女性の話が、一説にあることを述べ、この死身弘法の生き方こそ、信心の鑑とすべきであると訴えた。
 更に、婦人の信心が、家族に及ぼす影響がいかに大きいかを語った。
 「かつて、牧口初代会長法難のさい、あまたの幹部、同志が退転したのは、当時の婦人たちに信心がなく、その婦人たちが、夫や子息に先立って退転してしまったことが原因であると聞く。じつに恐ろしきことである。
 未来に向かって向上していかねばならぬ学会は、同じ轍を断じて踏んではならぬ。(中略)夫を、子らを支えていく、磐石なる信心であっていただきたい
 また、婦人部の幹部の心遣いに触れ、夫が信心をしていないなかで活動に励んでいる人や、夫を亡くした人に対しては、包容力をもって、温かく、親切に激励してほしいと望んだ。
 そして、婦人部員の生き方を示していった。
 「学会婦人は、学会内からは当然のこと、一般社会の人々からも、信頼され、好かれる婦人であるべきである。
 なお、学会婦人は、教学を身につけ、地味であっても、庶民の生活法の哲学者であり、婦人のリーダーであっていただきたい。
 ひるがえって、いかなる男性幹部の言葉なりとも、学会指導に反した、感情、利害、利用等の話であった場合は、断じて聞く必要もなければ、むしろ厳しく戒めあっていく、強き強き婦人であっていただきたいものである。
 最後に、創価学会婦人部こそ、妙法をだきしめた、真の女性解放の先駆者である。自由と平和の旗を掲げた名誉を自覚し、仲良く、楽しく、美しく前進していこうではないか
 伸一は、婦人部のメンバーへの、期待と感謝と尊敬の念を込めて、一気に書き上げた後、何度も、何度も推敲を重ねた。
 彼は、翌十二日の朝、その原稿を、伸一のところへあいさつにやって来た婦人部長の清原かつに渡した。この日は、台東体育館で婦人部の幹部会が開かれることになっていた。
 「清原さん、私は、今日の婦人部幹部会には出席できないが、その代わりに婦人部への指針を書いたよ。
 これは『大白蓮華』の三月号の巻頭言として発表するが、今日の参加者に読んであげてください」
 清原の顔が光った。


(つづく)

 

8月8日

「婦人部に与う」

(1)

 

 婦人部は学会の太陽である――というのが、山本伸一の確信であった。
 (1963年昭和38年)彼は、その婦人部に、感謝と敬意を込めて、未来への希望となる指針を贈りたいと思った。
 戸田城聖の誕生日にあたる二月十一日、伸一は、恩師をしのびながら、婦人部への指針を書き始めた。
 「婦人部に与う」というのが、その題名である。
 彼は冒頭、「白ゆりの香りも高き集いかな 心の清き友どちなれば」との、戸田が婦人部に贈った和歌を記した。
 そこには、学会婦人部の姿が、象徴的に示されているからである。
 「この歌は、かつて戸田前会長が、婦人部にくださった歌である。この歌のごとく、清らかな、そして、水のごとき信心を根本に、一生成仏をめざし、また、広宣流布達成まで、団結強き、世界一の婦人部であっていただきたい。
 御書にいわく『や(箭)のはしる事は弓のちから・くものゆくことはりう(竜)のちから、をとこ(夫)のしわざはめ(婦)のちからなり』と。
 この御文は、いかに婦人が、家庭にあり、社会にあって、重要であるかとのお言葉である。
 一家にあっては、つねに太陽のごとくあっていただきたい。いかなる苦難の嵐にあうとも、厳然と題目をあげきり、夫が、職場においても、かつは、学会活動の面でも、十分働けるよう、賢明なる婦人であらねばならぬ。
 ともに、子女のよき母とし、よき友として、愛情と理解とをもって、次代のよき指導者に成長せしむる責任あることを自覚していくべきであろう」
 彼はまず、主婦であり、妻であり、母である女性の在り方について、こう綴った後、広範な婦人の使命について言及していった。
 「御書にいわく『末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり』と。
 これは、民主主義、男女同権の御文である。
 (中略)いま広宣流布に向かうわが婦人部も、それぞれの境遇、才能、性格に応じて、教養をおおいに高め、言論界をはじめとし、科学界に、芸術界に、教育界に、医学界にと、自在に振る舞っていかれんことを切望するものである。
 また一面、地道に、家庭を守り、男性のできえぬ細かいところに気をつかい、学会員等のめんどうをみていくことも、広布への戦いの立派な活動であることは当然のことである」


(つづく)

8月7日

 運命は変えられる。諦めなければ!
 平和は勝ち取れる。青年が心一つに立ち上がれば!

 

<核兵器の廃絶へ連帯を強く>

 

 私が師・戸田城聖先生に初めてお会いしたのは、終戦から2度目の夏。父母が復員を待ちわびていた長兄の戦死の公報が届いた、2カ月半後のことであった。
 命を賭して軍部政府と戦い抜かれた先生を信じて、19歳の私は、創価の平和闘争に身を投じた。
 戦争は、どれほど多くの尊い生命を奪い、愛する家族を引き裂き、嘆きと悲しみの底に突き落としたか。
 なかんずく、広島、長崎の被爆者の方々の筆舌に尽くしがたい苦しみを、断じて忘るるな! これが、師の峻厳なる誡めであった。
 ― ◇ ― 
 核兵器は、世界の民衆の生存の権利を根源的に脅かす、まさしく“絶対悪”にほかならない。
 戸田先生は、1957年の9月8日、仏法の生命尊厳の哲理の上から「原水爆禁止宣言」を神奈川で発表された。
 核兵器の禁止と廃絶を時代の潮流に高めることを、青年への「遺訓の第一」として託されたのだ。
 宣言から60周年となる本年の7月、ニューヨークの国連本部で「核兵器禁止条約」が採択された。核兵器の使用や保有を一切の例外なく全面的に禁止する、初めての国際条約となる。
 「核兵器のない世界」は人類の悲願である。そのためにも、民衆の連帯をいや増して強め広げなければならない。頼もしいことに、次代を担う青年部、未来部が、尊き父母たちの「平和の心」を受け継いで、学び、前進してくれている。
 生命尊厳の希望の大潮流を、さらに力強く未来へ創り起こしていきたい。
 ― ◇ ― 
 「立正安国論」に「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(御書31ページ)と仰せである。
 自他共の幸福への追求と世界の平和への貢献が、一体不二で連動しているのが、我らの広宣流布である。
 今、真冬のブラジルからも、はるばると若き200人の地涌の宝友が、研修に来日してくれている。
 忘れ得ぬブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁と私は約し合った。
 ――政治・経済次元のつながりよりも、はるかに高く、広く、強く、世界市民を結び合い、人類の命運さえも変える絆を結ぼう!と。
 運命は変えられる。諦めなければ!
 平和は勝ち取れる。青年が心一つに立ち上がれば!

8月5日

和楽の家庭から世界が平和に
 

 人間は自分一人で
 生まれてくることはできない。
 たった一人で一人前の人間に
 なれるものでもない。
 家族のなかに生まれ、
 家族のなかで育ち、
 やがて一個の人間として
 成長していく。
 夫婦も、兄弟姉妹も、
 目に見えぬ一つの法則で
 結ばれているともいえる。
 その心の絆こそ、
 家族の結晶であるに違いない。


 お母さんの声、お母さんの手ほど
 美しいものはない。
 子どもをあやし、
 子どもを呼ぶ母の声。
 おむつを換え、ご飯をつくり、
 服を着させる母の手。
 「母の声」「母の手」に守られて、
 人は皆、大人になっていく。
 母の声が世界を結び、
 母の手が
 平和へとつながっていく時、
 どれほど
 美しい地球になることであろう。


 青年の皆さんは、
 どうか、親孝行であってほしい。
 明るい笑顔。ありがとうの一言。
 一本の電話……。
 親というのは、
 それだけで幸せな気持ちになって
 元気になるものだ。
 ちょっとした言葉や振る舞いで、
 感謝と愛情を示していくことが、
 生きる喜びの名曲となり、
 人生の名画となる。


 愚痴を祈りに変え、
 非難を励ましに変え、
 苦楽を共にする
 価値創造の家族から、
 地域や共同体を変革する
 希望が生まれる。
 和楽の家庭が築かれてこそ、
 真の平和社会が創出されていく。

 

2017年7月30日付聖教新聞 四季の励まし

7月31日

広宣流布は、思想戦であり、言論戦だ。

 
 また戸田先生は言われた。「広宣流布は、思想戦であり、言論戦だ。
 書きに書かねばならないし、しゃべりにしゃべりまくらなければならない作業であり、大運動なのだ」と。
 どんどん書け。しゃべりにしゃべれ。黙っていてはいけない。言うべきことは、強く言い切っていけ。それでこそ、広宣流布は進むのだ、との戸田先生の厳命である。
 もちろん、聞くべきときは、きちんと聞かなければならない。
 そのうえで、青年ならば、邪悪を許さぬ、鋭い言論の力を持つべきだ。
 「一」言われたら、「十」言い返し、打ち返す「反撃力」を磨き抜いていくのである。
 いわれない非難を受けて、黙って下を向いているような意気地なしの青年であってはいけない。
 おとなしくして、かしこまっていては損するだけである。
 相手の生命に叩き込むくらいの執念と勢いで、これでもか、これでもかと反論することだ。真実を語ることだ。沈黙しないことだ。
 生命力に満ち満ちた私たちの力強い「声」――それが“広宣流布の弾丸”である。
 偏見や無理解の壁を破る“正義の大砲”である。
 わが信念を、わが正義を、どんな相手にも、しゃべって、しゃべって、しゃべり抜いていくのである。
 それが愉快で、楽しくてしかたないという一人一人になっていってこそ、広宣流布は、一段と勢いを増して進んでいく。

 

2017年7月19日聖教新聞「世界広布新時代第26回本部幹部会」での2005年7月本部幹部会でのスピーチ

7月10日

 時代の誤った出来事を看過してはならない!

 

<その要因と本質とを深く洞察し、
未来のために戦いを開始するのだ>

 

 訪中前の日本での語らいで、山本伸一は、巴金ら中国作家代表団に、「次回は、革命と文学、政治と文学、平和と文学などについて語り合いましょう」と言って、再び会うことを約したのである。
 そして、第五次訪中で、二十四日に伸一が主催した北京での答礼宴の折には、謝冰心と再会。さらに、この上海で巴金と二度目の会談が実現したのである。
 伸一が、政治と文学の関係について意見を求めると、彼は即答した。
 「文学は政治から離れることはできない。しかし、政治は、絶対に文学の代わりにはなり得ません。文学は、人の魂を築き上げることができるが、政治にはできないからです」
 話題は、文化大革命に移っていった。
 巴金は文革の時代、「反革命分子」とされ、文芸界から追放された。彼を批判する数千枚の大字報(壁新聞)が張り出され、「売国奴」と罵られもした。彼は、この苦難をきちんと総括し、自分を徹底的に分析し、当時、起こった事柄を、はっきり見極めていくことの大切さを強調した。
 巴金は文化講演会でも、こう訴えている。
 「私は書かなければなりません。私は書き続けます。そのためには、まず自分をより善良な、より純潔な、他人に有益な人間に変えねばなりません。
 私の生命は、ほどなく尽きようとしています。私はなすべきこともせずに、この世を離れたくはありません。私は書かねばならず、絶対に筆を置くことはできません。筆によってわが心に火をつけ、わが体を焼きつくし、灰となった時、私の愛と憎しみは、この世に消えることなく残されるでしょう」
 時代の誤った出来事を看過してはならない。その要因と本質とを深く洞察し、未来のために戦いを開始するのだ。
 会談で巴金は、「今、文革についての小説を書き始めました。ゆっくりと、時間をかけて書いていくつもりです」と語った。
 正義の闘魂が、新しき社会を創る。

 

〈小説「新・人間革命」〉 雄飛 十四   2017年6月30日

 

7月1日

 青年は民衆の敵と戦え!
 断じてあきらめるな!

  

  山本伸一は、二十八日、蘇歩青との会談に続き、夕刻には作家・巴金の訪問を受けた。
 巴金は、『家』『寒夜』などの作品で世界的に著名な中国文学界の重鎮であり、中国作家協会の第一副主席であった。
 巴金との会談は、これが二回目であった。
 今回の訪中を控えた四月五日、中国作家代表団の団長として日本を訪れた彼と、静岡研修道場で初めて懇談したのである。
 ここには、中国作家協会名誉主席で、代表団の副団長として来日した現代中国文学の母・謝冰心らも同席し、文学の在り方や日本文壇の状況、紫式部、夏目漱石などをめぐって、活発に意見を交換した。
 この会談の六日後に行われた聖教新聞社主催の文化講演会で巴金は、「私は敵と戦うために文章を書いた」と明言している。彼は、革命前の中国を覆っていた封建道徳などの呪縛のなか、青春もなく、苦悩の獄に繫がれた人たちに、覚醒への燃える思いを注いで、炎のペンを走らせてきたのだ。
 巴金は語っている。
 「私の敵は何か。あらゆる古い伝統観念、社会の進歩と人間性の伸長を妨げる一切の不合理の制度、愛を打ち砕くすべてのもの
 彼は七十五歳であったが、民衆の敵と戦う戦士の闘魂がたぎっていた。伸一は語った。
 「青年の気概に、私は敬服します。
 今日の日本の重大な問題点は、本来、時代変革の旗手であり、主役である青年が、無気力になり、あきらめや現実逃避に陥ってしまっていることです。そこには、文学の責任もあります。青少年に確固たる信念と大いなる希望、そして、人生の永遠の目標を与える哲学性、思想性に富んだ作家や作品が少なくなっていることが私は残念なんです。
 社会を変えてきたのは、いつの世も青年であり、若い力です。青年には、未来を創造していく使命がある。そして、実際にそうしていける力を備えているんです。断じてあきらめてはならない。それは、自らの未来を放棄してしまうことになるからです

 

〈小説「新・人間革命」〉 雄飛 十三   2017年6月29日

 

6月23日

政治は現実

 

<現実の地道な改善が、向上が図られてこそ

人びとの支持がある>

 
 山本伸一との語らいで華国鋒主席は、十億を超える中国人民の衣食住の確保、とりわけ食糧問題が深刻な課題であるとし、まず国民経済の基礎になる農業の確立に力を注ぎたいと述べた。農民の生活が向上していけば、市場の購買力は高まり、それが工業発展の力にもなるからだという。
 その言葉から、膨大な数の人民の暮らしを必死に守り、活路を見いだそうとする中国首脳の苦悩を、伸一は、あらためて実感した。
 政治は、現実である。そこには、人びとの生活がかかっている。足元を見すえぬ理想論は空想にすぎない。現実の地道な改善、向上が図られてこそ、人びとの支持もある
 また、伸一は、革命が成就すると官僚化が定着し、人民との分離が生じてしまうことについて意見を求めた。
 華主席は、官僚主義の改革こそ、「四つの現代化」を進めるうえで重要な課題であるとし、そのために、「役人への教育」「機構改革」「人民による監督」が必要であると語った。
 指導的な立場にある人が、「民衆のため」という目的を忘れ、保身に走るならば、いかなる組織も硬直化した官僚主義に陥っていく。
 ゆえに、リーダーは、常に組織の第一線に立ち、民衆のなかで生き、共に走り、共に汗を流していくことである。また、常に、「なんのため」という原点に立ち返り、自らを見詰め、律していく人間革命が不可欠となる。
 華主席は、五月末に訪日する予定であった。語らいでは、日中友好の“金の橋”を堅固にしていくことの重要性も確認された。
 この北京では、創価大学で学び、今春、帰国した女子留学生とも語り合った。
 「今」という時は二度とかえらない。ゆえに伸一は、一瞬たりとも時を逃すまいと決め、一人でも多くの人と会い、対話し、励まし、友好を結び、深めることに全精魂を注いだ。
 文豪トルストイは記している。
 「重要なことは、何よりもまず、今、自分が置かれた状況にあって、最高の方法で、現在という時を生きることである」(注)

 小説『新・人間革命』の引用文献


 注 『レフ・トルストイ全集第69巻』テラ出版社(ロシア語)

 

〈小説「新・人間革命」〉 雄飛 八

6月10日~21日

師弟不二の道
戸田先生と池田先生
(6)

 

<創価の中核中の中核たれ!>

 

 一九五四年(昭和二十九年)の春三月のことであった。
 私は戸田先生から、「大作が立つ時が来た。大作よ、青年部の室長になれ。俺も少々、疲れた。一切、頼むぞ」と、直接の任命をいただいたのだ。
 ともあれ、戸田先生が、約三千人の同志と共に、第二代会長として立たれ、広宣流布の大進撃を開始して、間もなく満三年を迎えようとしていた。広宣流布の構想はすべて先生の胸中から発し、折伏弘教の波も、いよいよ十万の大波となってきていた。
 しかし、大躍進とはいえなかった。
 当時の学会は、すべてが、戸田先生の双肩にかかっていた。個人指導も御書講義も、青年たちの訓練育成、そして、地方への広布の展開も、すべてが先生の陣頭指揮で行われた。
 学会を「船」だとすれば、先生お一人で、船のスクリューと操舵を兼ねておられたようなものであった。
 御本尊を根本として、同志の信心のエンジンは回転を増していた。その勢いが確実にスクリューに連動し、正しく舵取りされてこそ、船は波を蹴って前進する。
 先生は、新しいスクリューをつくろうとされた。そして私に広宣流布の全責任を担うべき立場を与え、訓練してくださったのである。
 任命のその日、三月三十日の日記に、私は綴った。
 「一段、一段、学会の中核となって、広布の推進をせねばならぬ。
 これが、自己の使命だ。草花あり、花を咲かせる。これ使命なり。
 自己あり、妙法の流布をいたす。これ使命なり」(本全集第36巻収録)
 そして、仏と魔の大闘争に立ち上がる決意を込め、「結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし」と記した。仏法は、あくまでも勝負である。わが使命は勝つことなりと、私は生命に刻みつけたのであった。


 五十年前(当時)のこの年、戸田先生は、年頭から青年部幹部の会合に出席し、「次代の学会は青年に託す!」と、烈々たる気迫で叫ばれた。
 私に対する毎朝の講義も続いていた。「勉強せよ、勉強せよ」と、先生のお声には、遺言の響きさえあった。
 そうしたなかでの、青年部の室長の任命であった。それは、創価の中核中の中核である。
 私は、「自分の成長が青年部の成長である。いな学会の前進である」と決心したのである。
 何があろうが、歯を食いしばって、一歩でも、二歩でも前に進むことだ。私は、毎日、寸暇を惜しんで御書を拝した。読書にも挑戦した。仕事も、学会活動も、全責任を持ちながら、戦い、走り回った。一日一日が激戦であり、勝負であった。
 あまりにも多忙極まる日々であり、私の弱い体は、重苦しい疲労が重なり、微熱はいっこうに下がらず、いつ倒れても不思議でない生命の状態になっていた。
 先生は、魔を断ち切るように厳しく言われた。
 「三障四魔との戦いだ。泣いて、御本尊を拝みゆく以外に打開はないよ
 断じて、強くなれ!
 強く立て!
 強く生きるのだ!


 私は、色心の宿命を革命する思いで、猛然と怒濤に立ち向かっていった。
 室長になったからといって、戸田先生から、こうしなさい、ああしなさいといった話は全くなかった。
 「まず、全部、自分たちで責任をもって考えよ」という先生の訓練であった。
 ある地方で、既成宗教から布教が妨害されたと聞けば、すぐ青年部が現地へ飛んだ。
 現場第一である。そして、同志が苦しまないよう、戦いやすくなるよう、また、広布の長い展望のうえから、電光石火のスピードで、あらゆる課題に手を打っていった。
 机上で小手先の策を練るのではない。自らが最前線に飛び込み、誰よりも苦労して、智慧を湧かせ、活路を開いていくのだ。


 戸田先生は、「あくまでも自己に厳しく、人びとを大きく包容していくことを常に心がけなければ、強力なる推進力となることはできない」と将軍学を教えられた。


 当時は、本当によく先生に叱られた。情報が遅いと言っては叱られ、何かの対応について、また怒られる。直接、関係ないことでも、どうなっているかと叱責された。
 すべて、青年部が広宣流布の責任を担えとの、ありがたき厳愛の指導であったのだ。
 一人立つ――師の深き期待に応える大道は、この一念を定める以外にない。
 わが青年部の戦友もまた、自分のいるその場所で、断固として、勝利の全責任を担い立て!

 広宣流布の激戦が行われているところなら、どこにでも駆けつけ、逆転の突破口を切り開け!


 私は、その模範の開拓者になって、戦い進んだ。そして、新しき勝利と拡大の渦を巻き起こしていったのである。
 任命から一カ月余が過ぎた五月には、「青年部五千人の結集」を行った。

 そのわずか半年後には、倍増の「一万人の大結集」も実現した。
 翌年(一九五五年)、日蓮宗(身延派)との「小樽問答」でも勝った。「札幌・夏の陣」でも日本一の弘教を敢行した。
 一九五六年(昭和三十一年)の「大阪の大法戦」では、一支部で一万一千百十一世帯の折伏という不滅の金字塔を打ち立てた。
 続く「山口の開拓指導」も勝った。

 学会員を苛め、信教の自由を侵すような勢力と戦った「夕張炭労事件」でも、私は勝ってきた。
 さらに、第三代会長に就任した翌年には、国立競技場を埋め尽くした「精鋭十万の大結集」を達成した。これには、日本中が驚き、幾多のマスコミが走った。
 私は、この大結集を、青年部の室長としての決着点と決めていた。私は、満天下に完勝の旗を悠然と打ち立てたつもりだ。


 楽な戦いは一つもなかった。誰もが「難しい」「無理だ」と後込みする激戦ばかりであった。しかし、偉大なる師匠の弟子として、断じて負けるわけにはいかなかった。


 一つひとつが「壁を破る」戦いであった。

邪悪を打ち破る」戦いであり、

正義を打ち立てる」戦いであった。

創価の使命と偉力を示しきる」戦いであった。


 今度は、わが本門の弟子である青年部諸君が、誇り高く立ち上がる時だ。
 若き英雄の君よ、広宣流布の法戦にあって、わが支部の勝利の″青年室長″たれ!
 同志が信頼する、わが地区の″青年室長″たれ!

 

 2004年1月6日 随筆 人間世紀の光1(135) 新しき一年の旅立ち

 

6月1日~6月9日

師弟不二の道
戸田先生と池田先生
(5)

<仏法の生命は師弟不二にあり>

 

 戸田先生の「真実」とは何か。
 結論して言えば、

 「広宣流布あるのみ」──ただそれしかなかった。そして、

 「広宣流布」を進めゆくための「創価学会」を築き、守り抜いていく以外にない──ここにこそ、先生の「真実」があった。そして

 「大切な仏子ぶっしを、一人残らず幸福にさせたい」との一念──先生のお考え、行動の一切は、そこに発し、そこに尽きていた。もとより、相手の地位や名声、財産など、まったく眼中になかった。
 ある時は、阿修羅(あしゅら)のごとく悪を砕(くだ)き、ある時は、大海のごとき慈愛で同志を包んでくださった──まさに、天を支える巨人アトラス(ギリシャの伝説に登場する巨人)のように、ただ一人、広布の前進を担(にな)われた先生であられた。
 私は、十九歳の夏、先生とお会いした。一年数カ月後、二十一歳からは直接、先生のおそばで働いた。三百六十五日、朝から夜中まで、懸命にお仕えした。
 ある時など、朝の四時ごろ、急に呼ばれたこともある。今と違って、車など簡単に見つからない。それでも不思議とタクシーが見つかり、先生のもとに駆け付けた。一事が万事で、毎日が、それは厳しい訓練の連続であった。
 ──「真実」を知るためには、多面的に「事実」を多く知ることも、その一つの前提となろう。なかでも、その人物が、「最悪の事態のなかで、何をなしたか」を見極めることが肝要(かんよう)であろう。
 『よ(善)からんは不思議わる(悪)からんは一定とをもへ』(聖人御難事1190頁)──よいことは不思議であり、悪いことは決まりきっていると思いなさい──と大聖人は仰せである。
 人物の真価は窮地(きゅうち)にあってこそ、明らかとなる。その意味で私は、先生を、あらゆる面で、つぶさに見てきた。先生の「真実」を、魂の奥底(おうてい)に刻んできた。
 私は「先生の行くところ、どこまでも行く。先生とともに生き、先生の目的のために死のう」と決めた。

 弟子として先生の志(こころざし)を受け継ぎ、広宣流布の一切の責任を担いゆかんと決めた。
 その時から、

 先生のお気持ち、お考えが、鮮明に心に映じはじめた。

 師の真の偉大さ、素晴らしさを、胸中深く焼き付けることができた。

 また打つ手、打つ手が、師のリズムに合致しゆく自身を確信した。


 私が言っていること、やっていることは、すべて先生の心を受けての言動のつもりである。師弟の心は、どこまでも「不二」でなければ、仏法の生命はない。
 師の教えを守ってこそ弟子である。「師弟」である。

 

 1991年10月16日 関西総会

5月27日

戸田先生の叱咤激励

 

<三つの意味>

 

どんな幹部にも同志を叱る権利はない!

 

 山本伸一は、皆と一緒に勤行し、四国から来たメンバーの帰途の無事と、全参加者の健康と一家の繁栄を祈念しようと交流幹部会の会場に姿を現した。幾つもの懐かしい顔が、彼の目に飛び込んできた。
 伸一は、何人かの同志に、次々と声をかけていった。そして、四国の壮年幹部らに語り始めた。
 「幹部は、決して威張ったり、人を叱ったりしてはいけないよ。どこまでも、仏子として敬い、大切に接していくことです。
 戸田先生は、弟子を叱られることがあったが、そこには深い意味がありました。
 第一に、広宣流布のために弟子を訓練し、自分と同じ境涯に高め、一切を託そうとされる場合です。その人が担っていく責任が重いだけに、それはそれは、厳しく叱咤されることもあった。
 第二に、魔に信心を妨げられている人を、どうしても立ち上がらせたいという時に、その魔を打ち破るために、叱られた。
 人間には、直情径行であるために皆と調和できない人や、自滅的な考えに陥ってしまう人、困難を避けて通ろうとする人、いざとなると責任転嫁をしたり、ごまかそうとしたりする人もいる。そうした傾向性や、その背後に潜む弱さ、ずるさ、臆病が一凶となり、魔となって、自身の信心の成長を妨げ、さらに幸福への道を誤らせてしまう。ゆえに戸田先生は、その一凶を自覚させ、断ち切るために、叱られることがありました。
 第三に、多くの人びとに迷惑をかけ、広宣流布の団結を乱している時などには、本人のため、皆のために、それをやめさせようとして叱ることがありました。
 つまり、いかなる場合も戸田先生の一念の奥底にあるのは、大慈大悲でした。それもわからず、言動の一端を真似て、同志を叱るようなことがあっては絶対にならないし、どんな幹部にもそんな権利はありません。誤りを正さなければならない場合でも、諄々と話していけばよいことです」

 

〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 五十二   2017年5月25日

 

5月25日

師弟不二の道

戸田先生と池田先生
(4)

<師弟の誓い(後半)>

 

題目、題目、題目・・・!!!

 

 さて五十五年前、昭和二十六年の一月六日のきょうこの日、私は、正午近く、戸田先生のご自宅に呼ばれ、先生の部屋に入った。二十三歳になったばかりであった。
 あの剛毅な、偉大な戸田先生が、このときばかりは、憔悴しきっておられた。
事業の状況は悪化の一途であった。まさに絶体絶命の危機に追い込まれていたのである。厳しい表情であられた。
部屋にいたのは、先生と先生の奥様と私の三人だけ。そして先生は、「きょうはよく聞いてもらいたいことがある」と私に、こう話されたのである。
「私に、もし万一のことがあったら、学会のことも、事業のことも、いっさい、君に任せるから、全部、引き受けてくれないか」
先生は、さらに声を強められた。
「何が起きたとしても、私と君とが、使命に生き切るならば、きっと大聖人の御遺命を達成する時が来るだろう。誰が何と言おうと、強く、強く、君は、学会のために前へ進むのだ」
戸田先生の遺言と、私は厳粛に受け止めた。
そして、この日の誓願を、″大楠公″の精神に託して、次のように日記に書き留めたのである。
「先生は、正成の如く、吾れは、正行の如くなり。奥様は、落涙。此の日の、感動、厳粛、感涙、使命、因縁、生き甲斐は、生涯、忘るることはない。
 後継者は、私であることが決まった。
 激越の、年も刻々と明けて来た。いかなる苦悩にも打ち勝ちて、男らしく、青年らしく、若人らしく、本年も戦いきろう」(『若き日の日記』本全集36巻収録)


 この日、この時の「師弟の誓い」のままに、私は死にものぐるいで戦った。広宣流布の大師匠であられる戸田先生に、ただ一人、お仕えし、ただ一人、お守りしぬいた。これが学会の歴史である。師弟の本当の姿である。この一点にこそ、学会の魂があり、原点がある。

 幹部であっても、戸田先生と苦衷を分かつ者は、ほとんどいなかったといっていい。理事長を務めた人間までが、戸田先生を誹謗したのである。

 しかし、だれがどうあろうとも、私は心に決めていた。
 ″断じて、戸田先生に、次の会長になっていただくのだ。そして、広宣流布の指揮を縦横無尽に執っていただくのだ″
 私は祈った。先生のために。学会のために。激闘のなかで祈りぬいた。

 丑寅勤行もやった。もう寝ても覚めても題目。歩いていても題目。車の中でも、電車に乗っても、時間さえあれば、すべて題目。ただただ、題目を抱きしめて、この世の残酷な苦難をはね返し、戸田先生が第二代会長に就任される道を、命を賭して、切り開いていったのである。
 そして迎えた昭和二十六年の五月三日。苦悩の激動を耐え忍ばれ、ついに、戸田先生は、晴ればれと第二代会長に就任された。その盛大な推戴の儀式の日。戸田先生は、そっと私に「君の、おかげだよ。本当にありがとう」と落涙された。
 また晩年、私の義父母と数人の学会首脳がいる席で、戸田先生は語っておられたという。
 「私の人生は、良き弟子を持って、本当に幸せだった」と。
 思えば、初代の牧口先生が軍部権力と対決して牢獄につながれたとき、獄中までお供し、最後まで戦われたのは、戸田先生、ただお一人であった。この「一人」が大事なのである。
 その戸田先生を、人生のすべてを捧げて、お守りしぬいたのは私である。ゆえに私は、第三代会長となった。

 この究極の「師弟不二」の大闘争にこそ、今日にいたる学会の大発展の根本の因がある。それを、断じて忘れないでいただきたい。

 

2006年1月6日 第56回本部幹部会、第13回全国婦人部幹部会

5月24日

師弟不二の道

戸田先生と池田先生
(3)

<師弟の誓い(前半)>

 

 本年七月、男子部は結成五十五周年(2006年当時)を迎える。おめでとう!
――五十五年前(一九五一年=昭和二十六年)の一月、戸田先生の事業は最大の苦境にあった。すでに前年の夏には、当局から営業停止命令を受けていた。
 さんざん先生に、お世話になってきた人たちが、ひとたび風向きが悪くなると、一人また一人と、先生のもとを去っていった。、なかには、「戸田のバカ野郎!」と不知恩の罵声を浴びせて、離れていった者もいたのである。
 最後に残ったのは、実質的に、私一人。若き私は、悪口と中傷を浴びながら、先生の事業の再建へ駆けずり回って働いた。給料は何カ月ももらえない。食事も満足にできない。せめて体が、もう少し丈夫であったなら。苦しみ、悩み、もがきながら、新たな活路を求めて、真剣に唱題を重ねた。毎晩のように御書を拝した。
 戸田先生は、さまざまなととを熟慮された末に、理事長の職も辞任されたのである。(=戸田先生が理事長辞住の意向を発表したのは昭和二十五年八月二十四日)
 私は、思いあまって戸田先生にうかがった。
 「先生、先生が理事長をお辞めになれば、新しい理事長が、私の師匠になるのですか」
 戸田先生は言った。
 「それは、ちがう。苦労ばかりかけるけれども、君の師匠は私だ」
 わが人生の忘れ得ぬ一場面である――。
 あまり自分で自分のことを言いたくはないけれども、次の学会を背負っていく青年部には、すべて知っておいてもらわねばならない。あえて、きょうは、真実の歴史のい一端を語らせていただく。

 (この一ヶ月後の9月21日、池田先生は、ただ一人で師を支え抜く思いを、

 

 「古(いにしえ)の

   奇しき縁(えにし)に

    仕へしを

  人は変われど

    われは変わらじ」

 

 との和歌に託して戸田先生に贈った。


 戸田先生は返歌として、即座に

 

 「幾度か

   戦の庭に

    起てる身の

  捨てず持(たも)つは

    君の太刀ぞよ」

 

 「色は褪せ

   力は抜けし

    吾が王者

  死すとも残すは

   君が冠(かんむり)」

 

 と、二首の和歌を詠んだ。峻厳な師弟のドラマである。)

 

(つづく)

5月23日

 大確信の名指揮を

 

<いかなる嵐にも揺らいではならない!>

 

一つ船に乗りぬれば船頭のはかり事わるければ一同に船中の諸人損じ・又身つよき人も心かひなければ多くの能も無用なり』(乙御前御消息、1220頁)――一つの船に乗り合わせた時、船頭の舵取りが悪ければ、船に乗った人々は一斉に命を落としてしまう。また、体が強い人でも、心が弱ければ多くの才能も役に立たない。――


 ひとたび船出したからには舵取りの責任は重大だ。リーダーは、いかなる嵐にも決して揺らいではならない。
 断じて皆を守り、幸と勝利の港へ導いてみせると、強盛に祈り抜くのだ。その信力・行力の強さによって、仏力・法力も必ず強くなる。
 苦労が大きい分、福徳もまた大きい。一人一人の力を引き出しながら、一切の波濤を越えゆく名指揮を頼む!

 

〈御書と歩む――池田先生が贈る指針〉65   2017年5月23日

 

5月22日

 

広宣流布は智慧の勝負

 

 山本伸一は、下船してきた壮年たちを笑顔で包み込み、肩を抱き、握手を交わし、励ましの言葉をかけていった。
 「待っていたよ! お会いできて嬉しい。さあ、出発だ!」
 彼は、四国の同志の熱き求道の心が嬉しかった。その一念がある限り、広宣流布に生きる創価の師弟の精神は、永遠に脈打ち続けるからだ。
 伸一は、久米川誠太郎に言った。
 「本当に、船でやって来るとはね。面白いじゃないか。それだけでも皆が新たな気持ちになる。何事につけても、そうした工夫が大事だよ。広宣流布は智慧の勝負なんだ。
 広布の道には、常にさまざまな障壁が立ちふさがっている。それでも、自他共の幸せのために、平和のために、進まねばならない。たとえば、陸路を断たれたら海路を、空路をと、次々と新しい手を考え、前進を重ねていくんだ。負けるわけにはいかないもの
 千年の昔、キルギスの大詩人バラサグンはこう訴えた。「生ある限り、すべての希望は君とともにある。知恵があれば、あらゆる目的は達せられる」(注)と。
 この伸一の歓迎風景も、「聖教新聞」に報じられることはなかった。報道できなかったのである。
 久米川に女子部の代表が、伸一からの花束を贈った時にも、伸一は傍らに立ち、大きな拍手で祝福し、歓迎していた。しかし、新聞では、彼の姿はカットされ、拍手する腕から先だけが写っているにすぎなかった。編集者は、断腸の思いで、写真をトリミングしたのである。
 神奈川の同志は、神奈川文化会館の前でも、四国からやって来た遠来の友を、温かい大拍手で迎えた。そして、ひたすら師を求める信心の息吹を分かち合ったのである。
 四国の同志の一人が、叫ぶように語った。
 「弟子が師匠に会うこともできない。『先生!』と叫ぶこともいけない――そんな話に、おめおめと従うわけにはいきません!」

 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 ユスフ・バラサグン著『幸福の智恵』ナウカ出版社(ロシア語)

 

〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 四十九   2017年5月22日

5月20日21日

「学会の永遠性」の確立は

「今」

 

 釈尊、そして日蓮大聖人は「万人成仏」という一切衆生の幸福の実現の道を開き、示されました。今、私どもは、この仏法正統の平和と幸福の運動を世界に広げ、そして、永遠ならしめるという、新たな挑戦を開始しています。
 経典で威音王仏が、一代限りではなく、次の代へと、民衆救済のバトンを永続的に受け継いでいったように、私たちは「学会の永遠性」を確立していくのです。
 創価三代の師弟が掲げて走りぬいてきた広布の魂のバトンは、今、間違いなく世界中の地涌の若人に引き継がれています。今後、陸続と続く新たな世代へ、さらなるSGIの発展とともに深く広く、厳然と継承されていくことは間違いありません。
 広宣流布に戦う生命は、「創価学会仏」として永遠に輝きわたっていきます。
 師弟不二の精神によって継承された麗しい異体同心の仏勅の和合の前進こそ、恒久的な仏の生命が脈打つのです。ここに「学会の永遠性」の確立があります。その時は、「今」です。
 今、一切に勝利することで、永遠に崩れぬ創価城が築かれていくのです。
 さあ、人類史に燦然と輝く、幸福凱歌の叙事詩を、共に喜び勇んで、共々につづり残そうではありませんか!
 この闘争の中にこそ、我らの真の幸福があることを確信して、歴史を創ってまいりたい。無限に続く青年がいるゆえに、創価の三代は永遠に幸福なのです。

 

大白蓮華2017年5月号№811 40、41頁

 

5月17日~19日


「すがすがしい信心」こそ、
断じて幸福になれる秘訣

 

<人類の真の幸福は「人間革命」しつづけること>

 

 5月は、大歴史学者アーノルド・J・トインビー博士と対話を開始した月でもあります。初めてお会いした時から、今年で45年になります。
 透徹した英知で人類史を俯瞰してきた博士は、「真の幸福は、人間の精力を物質的な富の追求から精神的な目標の追求に転換することによって見出すことができます。精神的な目標の追求こそ、人間の活動のうちで無限に拡大する可能性を持つ唯一の領域なのです」とつづっておられます。
 「精神的な目標の追求」とは、自身の内面の探求と変革であり、私たちで言えば、「人間革命」でありましょう。
 戸田先生は、「絶対的幸福を得ることが人生の楽しみであり、人間革命である。すがすがしい信心こそ、断じて幸福になれる秘訣である」と強調されました。
 私たちの信仰は、「人間革命の宗教」です。
 それは、自分がより賢明に、より強くなり、より善く生きていく戦いです。この仏道修行に励みゆく「すがすがしい信心」の人に、仏界は力強く涌現し、確かな幸福を築いていけるのです。

 

大白蓮華2017年5月号№811 40頁

 

5月14日~16日

創価学会の使命


 今回の第三回鼓笛隊総会では、壮年・婦人・男子・女子部の合唱団が一体となって交響詩「民衆」を歌い上げた。まさに多様な民衆が力を合わせ、凱歌を轟かせていったのだ。
 山本伸一は、詩「民衆」に綴っている。
   
 科学も 哲学も
 芸術も 宗教も
 あらゆるものは
 民衆に赴くものでなければならない
   
 君のいない科学は冷酷――
 君のいない哲学は不毛――
 君のいない芸術は空虚――
 君のいない宗教は無慙――
    
 君を睥睨する者どもは
 脚下にするがよい……   
    
 伸一は、交響詩を聴きながら、学会が担っている使命の意味を、深く嚙み締めていた。
 “あらゆる権力の軛から、そして、宿命の鉄鎖から民衆を解放する――それが創価学会の使命だ! それがわれらの人間主義だ! 私は戦う! 断じて戦う! 民衆のため、広布のために。そして、何があっても民衆を守り抜き、民衆の時代を開いてみせる!”
 鼓笛隊総会はフィナーレとなった。メンバーが場内通路をパレードし、全出演者が舞台に上がり、「平和の天使」を大合唱する。
   
 〽平和の天使 鼓笛の同志よ……
   
 熱唱する乙女らの頰に感涙が光っていた。それは、清らかな青春の魂の結晶であった。
 伸一は、あいさつの要請を受けていた。彼も、メンバーの健気な努力と精進に、御礼と感謝の励ましの言葉をかけたかった。
 観客席でマイクを手にして立ち上がった。歓声と雷鳴のような拍手が起こった。
 「大変に美しく、立派な演技であり、見事な総会でした。感動いたしました!」

 

〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 四十一   2017年5月12日

 

5月11日~13日

詩「民衆」

 

<君が主役だ!今こそ共に躍り出でん!>

 

 それは、太陽のような輝きに満ちていた。
 さわやかな希望の笑顔があった。清らかな生命の光彩があった。誇らかな青春の躍動があった。
 鼓笛隊総会は、メンバーの練習の成果をいかんなく発揮する華麗なる祭典となった。
 プロローグでは、山本伸一が作詞した鼓笛隊愛唱歌「平和の天使」の軽快な調べに合わせ、ブルー、ピンクの旗を使ったフラッグ隊の巧みな演技が喝采を浴びた。
 第一部「世界の広場」では、フランスのロワールの古城やシャンゼリゼ通り、中国の天安門広場、アメリカ・ニューヨークの摩天楼、パリの凱旋門と、次々と背景が変わる舞台で、ドラムマーチやドリル演奏が、華やかに、力強く繰り広げられていく。愛らしいポンポン隊の演技には、微笑みが広がった。
 第二部「希望の行進」では、「『軽騎兵』序曲」「さえずる小鳥」の演奏のあと、交響詩「民衆」となった。
   
 〽水平線の彼方
  大いなる海原のうねりにも似た民衆……
   
 友情出演した壮年部「地涌合唱団」、婦人部「白ゆり合唱団」、男子部「しなの合唱団」、女子部「富士合唱団」が、荘重な調べに合わせて、見事に歌い上げていく。
 詩「民衆」は、一九七一年(昭和四十六年)九月、東京・墨田区の日大講堂で行われた女子部幹部会を祝して山本伸一が贈った詩である。彼はこの詩で、本来、最も尊ぶべき民衆の歴史は、常に権力者によって蹂躙され、受難と窮乏の涙で綴られてきたことを訴え、沈黙と諦観と倦怠に決別し、民衆が主役の歴史を創ることを呼びかけたのだ。
   
 僕は生涯 君のために奔る
 一見 孤立して見えるとしても
 僕はいつも君のために
 ただ君のために挑戦しゆくことを
 唯一の 誇りある使命としたい

 

〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 三十九   2017年5月10日

 


民衆

 

 水平線の彼方
 大いなる海原のうねりにも似た民衆


 よろこびも 悲しみも
 轟々と雪崩をつつみながら
 今日も何かに戯れながら
 共々に生きゆく民衆


 本来
 民衆の叫びと強さを 超えたものはない
 本来
 民衆の英知の歩調を 凌いだものはない
 本来
 民衆の正義の旗に 勝れるものはない


 だが これまで
 そして今も――
 民衆の 民衆のための歴史は
 受難と窮乏の涙で綴られてきた


 ある詩人は謳った――
 地上に無知と悲惨とがある限り
 われらの戦いは 已むことがない


 黒き権力者よ
 汝には敏感にして病める民衆の
 孤独の嘆息が聞こえないのか


 世の識者よ
 汝には一原子の中に
 全宇宙の法則が充満していることを
 見抜けないのか
 汝には遥か遠く彷徨(さすら)い歩む大衆が
 無気力な忍従の道具としか見えないのか

 
 「民衆」――
 それは私の好きな言葉
 民衆よ!
 君はなにゆえに
 心の嵐をおさえて
 圧制の巌(いわお)の下のみが
 己れの運命と思っているのか!
 なにゆえに
 古い鎖を切り落とさないのか!
 君には
 死者の歴史より生者の歴史の
 主人公としての権利が あるではないか


 流された血は償うべくもない
 溢れた涙は返すべくもない


 ああ しかし――
 君よ 黙するな
 君よ 諦観してはならない
 君よ 倦怠してはならない
 ひとにぎりの権力者が支配する
 愚劣な歴史の反復(リフレイン)に終止符を打つために
 その哀しい啜り泣きに止めを刺すために
 民衆の群舞の波で
 未来の民衆(とも)のために
 勝利を飾らなければならない


 今こそ――
 権謀をめぐらす元老や
 佩剣(はいけん)を鳴らす将軍や
 きらびやかな貴顕富豪のみが往来する
 虹の劇の幕を下ろすのだ
 そして
 天を仰ぎ 地に転びながら
 君たちが舞台の主役となる
 もう一つの歴史の劇を作業しゆくのだ


 民衆よ――
 君こそ 現実だ
 君をはなれて 現実の世界はない
 時代は真(まこと)の民衆運動を
 祈り待っていることを忘れまい


 君こそ――
 すべての者が流れ入る大海であり
 すべての者が 混沌のなかから
 新しき生成のために鍛錬される
 溶鉱炉であり
 坩堝(るつぼ)であることを忘れまい
 そして すべての者の
 真正と邪偽とを峻別する
 試金石であるのだ


 科学も 哲学も
 芸術も 宗教も
 あらゆるものは
 民衆の赴くものでなければならない


 君のいない科学は冷酷――
 君のいない哲学は不毛――
 君のいない芸術は空虚――
 君のいない宗教は無慙――


 君を睥睨する者どもは
 脚下にするがよい
 冷たく分析し 裁断する者には
 拘泥すまい
 君の土の匂いを嫌う人間は
 無視するがいい


 黙々と労働する君よ
 陽に灼けて逞しい筋骨の君よ
 僕は 秘められた君の心臓の
 純なる溌剌たる鼓動を聞く


 僕は生涯 君のために奔(はし)る
 一見 孤立して見えるとしても
 僕はいつも君のために
 ただ君のために挑戦しゆくことを
 唯一の 誇りある使命としたい


 僕も戦う
 君も戦う
 君の無骨な手がふるえ
 素朴な顔に輝きわたる生の歓喜を
 この地上に獲得するまで戦う


 僕も戦う!
 君も戦え!
 君たちのいる涯(はて)の涯まで
 確かなる速度をもって
 今日も戦う!


 1971年9月28日 「民衆」(青年の譜より)

 

5月9日

師弟不二の道

戸田先生と池田先生
(2)

 

<本当の弟子には厳しい>


 山本伸一は、青年たちと、忌憚なく話し合えることが何よりも嬉しかった。
 伸一は、彼らに大きな期待を込めて語った。
 「青年には、学会の後継として、一切を担っていく重大な使命がある。
 ゆえに、戸田先生は、青年を本気で育てようと訓練された。とりわけ、私には人一倍厳しかった。大勢の前で、激しく叱咤されたこともあった。ほかの人の失敗でも、叱責されるのは常に私だった。特に、皆に対して、広宣流布に生きる師弟の道の峻厳さを教える時には、私を対告衆にされた。
 獅子がわが子を、あえて谷底に突き落とすような訓練でした。先生は私を、後継の師子に育てようとされたからです。
 私が、首脳の幹部を厳しく指導してきたのも、これから学会の全責任を背負っていく重要な立場だからです。
 最高幹部は、常に真剣勝負でなければならない。また、何があっても、必ず勝ち抜いていく強さが必要である。ますます成長して、立派な指導者に育ってほしい。だから私は、広布に生きる人生の師として、これからも厳しく言っていきます。それが慈悲です。
 師匠というのは、本当の弟子には厳しいものなんです。この年になって、戸田先生のお気持ちが、よくわかります。
 先生を知る人は多い。直接、指導を受けたという人もいる。しかし、先生に仕え抜き、その遺志を受け継いで、仰せ通りに広宣流布の道を開いてきたのは私だけです。したがって、あえて申し上げるけれども、学会のことも、先生の真実も、誰よりも私がいちばんよく知っている。その意味からも私は、世界の同志が、また、広宣流布のバトンを受け継ぐ後世の人たちが、創価の師弟の道をまっすぐに歩み通していけるように、小説『人間革命』を書き残しているんです。
 君たちは、常に、勇んで試練に身を置き、自らを磨き、鍛えてほしい。そして、どこまでも団結第一で、共に前へ、前へと進んで、二十一世紀の学会を創り上げていくんだよ」

 

〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 三十五   2017年5月4日

 

5月8日

師弟不二の道

戸田先生と池田先生
(1)

 

<戸田先生の人物像>

 

 人生の師である戸田第二代会長の偉大な人格者であった。杉並や目黒には、戸田先生とゆかりの深い方も多い。また、未来部、学生部の諸君からも″戸田先生とは、どんな方だったのか″との質問の手紙を、数多く受け取っている。これまでも、機会あるごとに話してきたつもりだが、なかなか全体像は分らないものかもしれない。
 先ほど、思いつくままに、師への真情を簡潔な文につづってみた。戸田先生の人物像への示唆ともなれば、との思いで述べさせていただきたい。

 

 厳しい先生であられた
 やさしい人生の師であった
 鋭くして剛毅な先生であった
 大らかな師であった
 情熱の先生であられた
 知性の師であった
 邪悪と傲慢に激怒する先生であった
 涙脆い師であった
 総ての事象の本質を見抜く先生であった
 数学の天才の師であった
 巌の如き信心、信念の先生であった
 大法外護の忠誠の師であった
 秋霜の如き厳しき性格の先生であられた
 常に春風の如き微笑の師であった
 「君、一献」と笑みの先生であった
 王者の風格湛(たた)える師であった
 常に一流の次元の風格の先生であられた
 常に庶民の味方の師であった
 「苦」と「死」に悩む人々を忘れぬ先生であった
 常に悩みを共にしてくれる師であった
 楽観と悲観の両面をもつ先生であった
 邪悪に対しては死力を尽くす師であった
 その人の本質を見抜く先生であった
 その人の本質を昇華させゆく名人の師であった
 立正と安国を叫ぶ先生であった
 貧しき家に涙する師であった
 一次元、苦闘の連続の先生であった
 人々の喜びと楽しみをうれしく思う師であった
 教祖と言われるのをもっとも嫌った先生であった
 凡夫と大信者を誇りゆく師であった
 常に大衆を愛する先生であった
 一人の生命の深源を見極めゆく師であった
 緻密にして隙のない先生であられた
 常に豪放磊落の師であった
 弟子を教えるに峻厳な先生であった
 弟子のためには生命を賭す師であった
 燃えあがる情熱の先生であった
 常に知性そのものの人生の師であった

 

 1986年12月25日 東京第三・第四総合本部合同代表者会議

5月6日

人生に天地雲泥の違いあり

 

 

 わが人生を、思う存分、信心の力で生きていただきたい。
 何のために生きるのか。

 幸福になるためである。


 では、幸福とは何か。
 その答えは複雑であり、難しい。


 健康で長生きする人や、お金に不自由しない人もいる。
 それはそれで満足の人生のようであるが、
 今世一回限りのことである。


 しかし、生命は永遠である。
 信心を持った人は、
 無量百千万億回、生まれてくるたびに、

 絶対的幸福を味わえる。


 天地雲泥の違いなのである。
 南無妙法蓮華経は大宇宙の法則であり、
 久遠元初の秘法である。
 それを唱え弘めゆく功徳は計りしれない。

 だからこそ、広布のために、晴れ晴れと戦い、
 堂々と勝とうと申し上げたい。

 

2009年5月1日 5・3祝賀最高代表会議

5月3日

輝き光れ!五月三日
(7)

 

<地球上における最大の神秘とは一体何か?>

 

 地球上における
 最大の神秘とは一体何か?
 アメリカの民衆詩人
 ホイットマンは結論した。
 「それは
  あなたにも そして
  あらゆる人の中にも
  存在する生命である」と。
 その通りである。

 


 自分自身の生命こそ
 宇宙の一切の宝を集めた
 功徳聚である。
 宇宙の尊極の当体が
 わが生命なのだ。
 その宝蔵を開く秘術が
 妙法の信仰である。

 


 我らには勇気がある。
 勇気が慈悲に代わる。
 勇気がある限り
 智慧は滾々と涌き出ずる。

(つづく)

5月1日

輝き光れ!五月三日
(6)

 

<私の無二の宝>

 

 あの遠く離れた佐渡の
 千日尼への御返事には
 「御顔を見てはなにかせん
  心こそ大切に候へ」と
 仰せになられている。


 たとえ会えずとも
 我ら創価家族の心と心は
 いつもいつも
 一緒であり一体である。
 広宣流布の最前線に立つ
 誰よりも健気な
 強く明るい友の顔が
 私と妻の心から
 離れることはない。


 「此の法門を申すには
  必ず魔出来すべし
  魔競はずば
  正法と知るべからず」
 我らは
 競い起こる三障四魔にも
 怯まず勝ち切ってきた。


 おお
 仏法即社会の英雄たちよ!
 心ない悪口罵詈など
 朗らかに はね返して
 宿命を使命に転じてきた
 偉大な幸福博士の母たちよ!
 猶多怨嫉の難があるほど
 負けじ魂を燃え上がらせて
 激戦に挑み勝ちゆく
 尊き勇敢な青年たちよ!


 この同志こそ
 私の無二の宝である。
 この後継こそ
 私の最上の誇りである。

(つづく)

4月30日

輝き光れ!五月三日
(5)

 

<一番苦労をしている友を

渾身の力で励ますのだ!>

 

 昭和五年十一月十八日
 世界の大恐慌が
 子どもたちの未来まで
 暗く閉ざさんとする渦中
 先師・牧口先生は
 創価教育学会を創立された。


 昭和二十六年五月三日
 文化の大恩深き隣国の民衆が
 戦乱に苦悩する真っ只中に
 恩師・戸田先生は
 第二代会長に就任され
 東洋の広宣流布を誓願された。


 第三代の私も
 東西冷戦のくびき(車ヘンに厄)の下で
 危機と紛争の炎が
 残忍に世界を引き裂くなか
 人類を結ぶ対話を開始した。


 世界に平和を!
 民衆に幸福を!
 人間に勝利を!
 この根本の誓願と原理を
 「立正安国」といい
 「広宣流布」という。
 仏意仏勅の創価学会は
 そのために生まれたのだ。


 「地上から
 『悲惨』の二字をなくしたい」
 この師の悲願のままに
 苦悩に喘ぐ民衆がいる限り
 創価学会は断じて戦い続ける。
 母子の悲嘆の涙が消えるまで
 創価の師弟は前進を止めない。
 そして絶対に勝利するのだ。


 艱難は一切覚悟の上である。
 「いまに一日片時も
  こころやすき事はなし
  此の法華経の題目を弘めんと
  思うばかりなり」
 この御心を受け継ぐのが
 三代の師弟であるからだ。


 ゆえに私は
 誰よりも悩む!
 誰よりも苦しむ!
 そして誰よりも
 無冠の庶民の味方として
 一番苦労している友を
 渾身の力で励ますのだ!

 

 厳寒の冬には

 寒風に一人立つ友を思い

 熱暑の夏には

 額に汗する友の健闘を祈った。

 脚光を浴びる舞台を見れば

 人知れぬ裏方の尊き苦闘に

 南無し感謝を捧げた。

 

 苦労知らずの甘ったれなど

 私は眼中にない。

 陰の陰で

 祈りに祈り

 動きに動き

 誰が誉めなくとも

 たた冥の照覧を信じて

 道なき道を開拓していく

 わが真実の同志のために

 わが誠実な同志のために

 私は生き抜くのだ。

 

(つづく)

 

4月27日~29日

 輝き光れ! 五月三日
(4)

 

<戦わねばならぬ
 決定的な時が必ずある>

 

 わが生命には絶え間なく
 師の誓願が鳴り響いている。
 「われわれには
  広宣流布を断じて
  為さねばならぬ使命がある。
  未来は君たちに任せる。
  頼むぞ広宣流布を!」と。


 師匠・戸田先生は
 わが胸中にあって
 永遠の太陽の如く
 光り輝いておられる。
 その師を常随給仕の思いで
 私は今日も
 師と共戦するのだ!
 師との誓いを果たすのだ!


 太陽と共に進めば
 永遠に勝ち光っていける。
 これこそが
 最極の生命の軌道だからだ。


 人間には
 立ち上がるべき時がある。
 戦わねばならぬ
 決定的な時が必ずある。
 その「時」を逃さず
 時に適う行動を起こすことだ。
 そして必ず勝つことだ。
 これが師弟の道であり
 永遠不滅の仏法だ。
 これに勝る名誉はない。

 

 「撰時抄」には仰せである。
 「闘諍堅固の仏語
  地に堕ちず」
 「法華経の大白法の
  日本国並びに一閻浮提に
  広宣流布せん事も
  疑うべからざるか」

 

(つづく)

 

4月24日~26日

反撃の根性を

 

<攻めに攻めて痛快に勝ちまくる>

 

 一、戸田先生は、このような言葉も残されている。
 「私の真の弟子であるならば、広布のために、創価のために、最後の最後まで戦い続けよ!」
 たとえ、何があろうと、どんな困難が立ちはだかろうと、「広宣流布」のため、「創価学会」のために戦い抜く。最後の最後まで戦い続ける。それが「真の弟子」である。
 さらに、戸田先生は言われた。
 「悪に対する反撃の根性のない者は、去っていくがよい。中傷批判は、妬みと偏見と嘘八百の策略であることは、天を見るよりも明らかではないか
 これが、今も昔も変わらぬ方程式である。
 皆さんは、正々堂々と反撃し、論破し、正義を語り抜いていただきたい。
 一、50年前の12月、私は戸田先生から任命され、学会の初代の渉外部長に就任した。〈54年12月13日〉
 戸田先生は、渉外戦の一切の総責任者に、最高幹部ではなく、青年部の私を任命された。

 私も今、青年部に期待したい。
 ずるさがない。

 インチキがない。

 邪智がない。

 鋭敏にして純粋な心、そして勇気こそ、青年の魂であるからだ。
 私は、渉外部長として、あらゆる人と会い、対話し、突破口を開いた。責任を一手に引き受け、陰で学会を支えていったのである。
 戸田先生は、広宣流布の活動は、最高の渉外戦であり、外交戦であることを教えてくださった。
 人との接し方、礼儀、言葉遣い、そして人の心をつかむ知恵――あらゆる力をつけていける究極の言論戦が、広宣流布なのである。
 私たちは、一人一人が“幸福の大使”“平和の外交官”として進んでまいりたい。
 一、有名な『平家物語』には、源平の決戦に臨む、若き源義経の心意気が謳われている。
 「戦いはひたすらただ攻めに攻めて勝つのが心地よいものだ」(杉本圭三郎訳注『平家物語』、講談社学術文庫)と。
 戦いは、強く攻め抜くことだ。全力を集中させてこそ勝利はある。戦いの根本姿勢は、徹して攻めることである。
 この義経の心意気は、学会精神にも通じる。
 「攻めに攻めて痛快に勝ちまくる」――私たちも、この心で進みたい。
 なかんずく青年部は、「花の義経」のごとく、勢いをもって「破邪顕正」の大攻勢をお願いしたい。

 

2017年4月24日聖教新聞 本部幹部会

で紹介された池田先生の指針 (2004年12月第44回本部幹部会)

 

4月22日

もう一歩

 

<自分も地域も社会も変える>

 

 山本伸一の功労者宅を中心とした家庭訪問は続いた。「敬老の日」である九月十五日には、東京・狛江の草創の同志の家を訪ね、家族と和やかに懇談し、皆で記念のカメラに納まった。五月以来、既に三十軒目の家庭訪問となっていた。さらに、狛江文化会館を訪れ、居合わせた同志を激励した。
 狛江市では、五年前の九月、台風十六号によって多摩川の堤防が決壊し、民家十九棟が流されるという事故が起こった。伸一は、そのニュースが流れるや東京の幹部らと連絡を取るとともに、犠牲者がないよう懸命に祈りを捧げたことが忘れられなかった。
 狛江市も、隣接する調布市も、住宅地として開発が進み、人口は増加の一途をたどっているという。
 田園と新しい住宅が広がる風景を見ながら、伸一は、同行していたメンバーに語った。
 「第二東京は広宣流布の新舞台だ。ここも未来が楽しみだ。皆で力を合わせて、新しい歴史を創ってほしいね」
 広宣流布は前代未聞の大業であり、道なき道を開き進む労作業である。その道を切り開くには、人を頼むのではなく、皆が自発・能動の信心で、一人立つことである。自らが目標を定め、主体者となって取り組む活動には歓喜がある。
 また、日々、勇気を奮い起こして自分の殻を破り、新しい挑戦を重ねていくことだ。挑戦こそが、前進と成長の原動力となる。
 武蔵野を愛し、調布で晩年を過ごした文豪・武者小路実篤は、次の言葉を残している。
 「いかなる時でも自分は思ふ、
 もう一歩
 今が実に大事な時だ。
 もう一歩」(注)
 もう一歩――その粘り強い歩みの積み重ねが、自分を変え、地域を変え、社会を変える。
 伸一は、念願であった個人指導に、多くの時間を割き、同志と語り合えることが何よりも嬉しかった。その堅実な行動のなかにこそ、学会活動の最大の醍醐味があるからだ。

 

 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 「もう一歩」(『武者小路實篤全集11』所収)小学館

 

〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 二十四   2017年4月21日

4月21日

輝き光れ!
五月三日
(3)

 

<五月三日の心

どこまでも勇猛精進>

 

 ああ
 初代・牧口常三郎先生が
 喜んでおられる。
 二代・戸田城聖先生が
 喜んでおられる。
 広布の途上に逝いた友も
 常楽我浄の霊山浄土で
 満足の笑顔で見つめている。


 我ら創価の師弟を
 御本仏・日蓮大聖人が
 無量の仏菩薩と共に
 讃嘆くださっていることは
 御聖訓に照らし
 絶対に間違いない。
 なんと嬉しいことか!
 なんと痛快なことか!


 我らは勝った。
 創価は勝ったのだ。
 おお 我らの五月三日よ!
 君も あなたも
 万歳を叫ぼうではないか。
 自分自身の勝利、万歳!
 全同志の勝利、万歳!
 師弟不二の勝利、万歳! と。


 「勝利に際して
  おのれに勝つ者は
  二度勝ったことになる」とは


 古代ローマの鋭き箴言である。

 

 油断は大敵だ。
 勝って兜の緒を締めよ。
 五月三日の心は
 どこまでも勇猛精進だ。

 

 弟子は戦う!
 青年は戦う!
 生死を超えて
 今世の大法戦に勇み立つ。
 命を惜しまず
 広布の一歩前進のために!

 

(つづく)

4月19日20日

冥の照覧

 

<私は永遠に忘れません。

学会員に尽くし抜いていく。

それが私との共戦です。>

 

 山本伸一が激励した人のなかに、佐久から来た柳坂亘・志津夫妻がいた。二人は、研修道場の庭の整備のために、伸一の滞在中も、連日のように通って来ていたのである。
 亘は、六十歳前後の造園業を営む壮年であった。伸一は夫妻に言った。
 「研修道場を大切にしてくださる柳坂さんの思いは、私の心でもあります。
 私は、ここを訪れた方々が、英気を養い、信心を錬磨し、最高の思い出をつくり、決意を新たにして、各地の広宣流布に邁進していっていただきたいと念願しています。
 そのためには、整備された、すがすがしい環境が大事です。お二人は、その重責を担ってくださっている。尊いことです。
 その労苦は、仏法の因果の理法に照らして、無量の功徳、大福運になっていくことは間違いありません。どうか、いつまでもお元気で、研修道場を守ってください」
 記念撮影が終わったのは、午後四時近かった。撮影回数は三十回ほどになり、一緒にカメラに納まった人は三千人を超えた。
 伸一は、記念撮影の準備・運営にあたった役員の青年たちに語りかけた。
 「ありがとう! 参加者は皆、喜んでいたよ。皆さんのおかげです」
 そして、駐車場の草刈りなど、陣頭指揮を執っていた長野県の男子部長に言った。
 「雨の中、泥まみれになって草刈りをしていた姿を、私は永遠に忘れません。学会員に尽くし抜いていく。それが私との共戦です。
 長い人生には、失敗も、挫折もあるかもしれない。しかし、それでも前へ進むんです。いちばん大事なことは、何があろうが、生涯、学会から離れず、同志のため、広布のために、献身していくことです。
 自分が脚光を浴びようとするのではなく、冥の照覧を信じて、広宣流布に生き抜くんです。それこそが本当の勇気です。
 その時に、自身が最も輝くし、その人こそが、人生の最高の勝利者です。私は、みんなのことを、じっと見続けていきます

 

 小説『新・人間革命』語句の解説
 ◎冥の照覧/「冥」とは、奥深く、目に見えないことで、ここでは凡夫には見えない仏神をいう。仏や諸天善神が、人びとの一念や行動をことごとく知っていること。

 

〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 二十一   2017年4月18日

 

4月18日

あなたが山本伸一です

 

<師匠が表に出て動けないならば、
師に代わって立ち上がるのが弟子です>

 

 三台の撮影台を使って写真撮影が行われたが、長野研修道場は長蛇の列が途切れることはなかった。飯山、長野、上田から、穂高、松本から、塩尻、諏訪から、飯田、伊那から、続々と同志は集って来た。
 山本伸一は、記念撮影が終わるたび、皆に声をかけ、語り合い、何十人、何百人もの人と握手を交わした。
 記念撮影も終盤に入った時、日焼けした精悍な顔の青年が、感極まった声で語った。
 「先生! ありがとうございます! 私たち男子部は、断じて戦い、勝って、先生にお応えしていきます」
 伸一は、にっこり微笑むと、力を込めて語り始めた。
 「そうだ。師匠が表に出て動けないならば、師に代わって立ち上がるのが弟子です。私と会えなければ元気が出ない、勇気も湧かないというのであれば、真の師弟ではない。師をしのぐ果敢な実践をもって、広宣流布の未曾有の上げ潮をつくっていくんです。
 私が君たちを指導・激励し、全力を注いで育成してきたのは、こうした時のためです。
 今こそ、『私たちに任せてください! 弟子の戦いを見てください!』と胸を張り、私に代わって同志を励まし、元気づけていくのが師弟だ! 君たち一人ひとりが山本伸一なんだよ! 私は、肝心な時に力を発揮できないような弱虫を育ててきた覚えはありません。今こそ君たちが、学会を、それぞれの地域を担っていくんだ。その重要な時に感傷的になって、力を出せないことほど、情けない話はありません。
 それが、今の私の思いだ。魂の叫びです。頼んだよ!」
 そこにいた青年たちの瞳が、決意に燃え輝いた。唇を嚙み締める人もいた。拳を握り締める人もいた。
 戸田城聖は、一九五四年(昭和二十九年)十月、彼のもとに集った一万人の青年に訴えた。
 「吾人は、前途多難に対して奮起を望むものである」(注)と。

 

 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 「青年諸君に告ぐ」(『戸田城聖全集4』所収)聖教新聞社

 

〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 二十   2017年4月17日

4月17日

輝き光る「我らの五月三日」

 

<平和を築く「立正安国の大連帯」>

 

 一、我らの信念は、御本仏・日蓮大聖人に直結する大信念であります。
 大聖人が、武蔵国、すなわち、ここ大東京の先達である池上兄弟に送られた御聖訓を一緒に心肝に染めたい。
 それは、池上兄弟が二度目の勘当という苦難の真っ只中で頂いたお手紙です。
 当時、社会的生命の圧殺にも等しい勘当の難を、兄弟は、ひとたびは乗り越えたものの、再び、より厳しい迫害に襲われました。
 病気の再発や、事業の度重なる逆境など、人生には何度も越えねばならない困難がある。いわんや、広宣流布の途上にあっては、「山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ」(御書202ページ)と仰せの通りに、険しい使命の難関が打ち続くことは、もとより覚悟の上である。その時こそ、まことの信心が試される勝負の時といってよい。全て、皆が永遠に仏になりゆくための仏道修行だからである。
 大聖人は、池上兄弟に厳然と仰せになられました。
 「必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり」(同1091ページ)と。
 兄弟は、この御指導のままに一歩も退かず、勇んで前に進み抜いた。魔に付け入る隙を与えない団結で、夫人たちも一丸となって戦い抜いた。
 そして、ついに「冬は必ず春となる」(同1253ページ)との勝利を迎える。それは、勘当が解けるだけではなく、猛反対であった父親が入信し、見事なる「一家和楽」を勝ち開くまでに至ったのであります。
 「難を乗り越える信心」の実証は、眼前の苦境を打開するのみにとどまらず、周囲の仏法への理解を一変させ、国土世間までも劇的に変えていくことができる。これが「賢者」の大歓喜の逆転勝利なのであります。
 やがて、池上家の人々は大聖人をお迎えすることができ、大聖人は万年まで託されるが如く、最後に「立正安国論」の講義をなされました。
 不思議にも、わが学会は、御本仏が魂魄を留められた大東京を本陣として、「立正安国」の旗を高く掲げて誕生したのであります。

対話を勇敢に

 一、60年前の7月、大阪事件の弾圧の渦中に炎の東京大会を行ってくれた歴史も、私と妻の命から離れることはありません。雷雨の中の大阪大会も、わが胸奥に不滅の輝きを放っています。誉れ高き「ああ感激の同志あり」の劇です。
 あの日あの時、戸田先生は関西本部で私に言われました。
 「社会の不幸に目をつぶり、宗教の世界に閉じこもり、安穏として、ただ題目を唱えているだけだとしたら、大聖人の立正安国の御精神に反する。
 この世の悲惨をなくし、不幸をなくし、人権を、人間の尊厳を守り、平和な社会を築いていくなかにこそ仏法の実践がある
 「君が先頭となり、大難と戦うことで、君だけでなく、本末究竟して、みんなの一生成仏の道が開かれることになる」と。
 民衆の幸福のため、社会の安定のため、世界の平和のため、我らはいよいよ「賢者はよろこび」と戦い進むのだ。そして、信念の対話を勇敢に広げ、地涌の若き賢者を聡明に育みながら、人類に立ちはだかる、ありとあらゆる試練を断じて勝ち越えていく「立正安国の大連帯」を築き上げていこうではないか!
 一、大聖人は池上兄弟や四条金吾夫妻など愛弟子の勝利を、「何よりも爽快なり」(同1175ページ、趣意)と喜ばれました。「仏法は勝負」であるゆえに、最後は正しい信心が必ず勝つと示し切ることが、妙法の無限の功力の証明であり、未来へ贈る希望の光なのです。
 世界広宣流布の壮大な未来へ、何ものも恐れぬ「感激の同志」のスクラムで、一人一人の「人間革命の凱歌」を、我ら「東京の凱歌」を、そして「師弟の凱歌」を轟かせゆくことを共々に決意しあって、私のメッセージといたします。
 全国、全世界の同志の皆さん、本当にありがとう! 皆、お元気で!(大拍手)

 

2017年4月16日付聖教新聞 世界広布新時代第25回本部幹部会への池田先生のメッセージ(抜粋)

 

4月15日

開会の法門

「絶待妙」

 

<21世紀の哲学としていよいよ重要に>

 

 天台大師は、「妙法蓮華経」の「妙」の一字について、「相待妙」「絶待妙」から解釈しています。
 いずれも「妙」の卓越性を示していますが、諸経への執着を捨てさせる「相待妙」に対して、「絶待妙」には法華経の立場から一切を活かす「開会(かいえ)」の法門があります。
 「諸宗問答抄」には次のように仰せです。
 「絶待妙というのは方便の教えを開いて真実の法に入らしめる開会の法門である。この立場に立てば、爾前権教であるとして捨てた教えも皆、法華経の大海に収められるのであり、法華経の大海に入れば、爾前権教の教えとして嫌われることはないのである」(御書377頁、趣意)
 釈尊の爾前権教はもとより、仏教以外の教えであったとしても、真実の片端片端を説いているのであれば、法華経の全体観の上から正しく位置づけ、用いていくことができるということです。
 また「法華経の大綱であり、爾前は法華経のための細目であるから、大綱のために細目を用いるのである」(御書973頁、趣意)とも仰せです。
 大聖人御自身、「立正安国論」をはじめとする諸御抄で、法華経の正しい理解のために、爾前権教の文証や中国の故事などを自在に引用されています。これは「開会の法門」に即したものであり、また「絶待妙」のお立場から展開されたものです。
 「分断」から「調和」の時代へ――仏法の英知の一つである「開会」の思想は、21世紀の哲学としていやまして重要になっています。
 人類の平和や幸福を目指す思想や信条というものは、根底では万人尊敬の妙法と合致するものです。それゆえに、妙法という希望の光明に照らされることによって、一切の哲理は、人類益のための共通の善として生き生きとその真価を発揮する。全てが、民衆のために善の働きをしていくのです。

 

大白蓮華2017年4月号№810 37頁

4月14日

試練を越えて 

凱歌の花は咲く

 

<君よ 対話の春を舞いに舞いゆけ>

 

 父母と
  試練の坂を
    勝ち越えて
  咲き誇りゆく
     若桜かな

 (中略)
 桜は世界に友情の花を広げてきた。
 中でもアメリカの首都ワシントンのポトマック河畔の桜は有名だ。淵源は百年以上前、“憲政の神様”尾崎行雄が東京市長の時に苗木約三千本が寄贈されたことにある。
 わがアメリカSGIの友も、ロッキー山脈を仰ぐデンバーなどで桜の植樹を重ね、多くの市民に喜ばれている。 
 世界には、“紫の桜”ジャカランダなど、桜を彷彿させる花樹がある。
 たとえば、この時節、インドでは、桜によく似たアーモンドの白い花が満開になる。
 インドの創価の友は、今や十五万人を超える“人華の園”となった。
 その原動力こそ、あくまでも「一人」を大切にする振る舞いだ。
 そして、「一人立つ」リーダーの行動である。
 それは、あのマハトマ・ガンジーが身をもって残した拡大の方程式でもあるといってよい。
 ガンジーは、どのようにして、広大なインドの民衆を糾合したのか。
 共に戦い抜いた盟友ネルーの結論は、誠に明快である。
 「ただやさしいまなざしと、おだやかな言葉と、それに何よりも身をもって自ら模範を示すことによって成しとげたのである」と。
 特別な何かで、人心をまとめたのではない。誠実一路の人間性と、率先垂範の勇気によって、民衆を結合したのである。

 

「一は万が母」と

 

 ともあれ、誰かではない、自分である。まず自分が戦いを起こす。自分が壁を破るのだ。
 「一は万が母」(御書四九八ページ)である。自身の祈りと智慧、闘魂、行動からこそ、広布の万波が生まれる。
 「一人立つ」勇気と挑戦の先に、必ず突破口は開かれていくのだ。
 日蓮仏法は「下種仏法」である。
 一言一句でも仏縁を結ぶなら、友の胸には、何があろうと消えない成仏の種子が植えられる。
 だからこそ、臆してはならない。信念をもって語り切ることだ。
 そのために悩むことは、菩薩の悩みである。全ての苦労が、仏の境涯を開いていくのである。

 

歴史創る新風を

 

 法華経化城喩品には美しい一節がある。
 「香風は萎める華を吹いて 更に新しき好き者を雨らす」(創価学会版法華経三一三ページ)――香り高い風がしぼんだ花を吹いて、さらに新しく好ましい花を降らせる――。
 新しき歴史は、新しき風とともに創られる。私たちの広布への活動においても、新しき価値創造には、常に、新鮮な風を送りゆかねばならない。
 ゆえに、青年部が大事なのだ。各地域の壮婦の励ましで、一人の男子部が、女子部、学生部が立ち上がることは、必ず、新しい花を咲かすことに通じる。目の前の一人を大事に育めば、新時代の扉は必ず開かれる。
 一人ひとりの若人が“桜梅桃李の人華”を命いっぱいに咲かせ、人間革命の輝きで社会を照らし、立正安国の花園を、わが地域・わが国土に広げていくのである。

 

〈随筆 永遠なれ創価の大城〉18 師弟の大桜は爛漫と 2017年4月13日 (抜粋)

4月13日

勝利のリズムで前進

 

<最初の一歩は最後の一歩につながる。
最後の一歩も最初の一歩からである>

 

行き詰まりを突破するためには、

今、自分ができることから始めることだ。

 

 生活の
  リズムをつくれや
   信心で
  健康長寿を
   賢く生きぬけ

 

 四月は就職や進学、また転居など、新しい生活をスタートする時である。
 張りのある勤行・唱題を起点として、聡明に、はつらつと、新生活のリズムを創り上げていただきたい。
 決して難しく考える必要はない。
 まず張り切って、一歩を踏み出すことが。たとえ、つまずいても、朗らかに、たくましく、次の一歩を踏み出せばよい。
 今日一日を勝つことだ。仮に、今日うまくいかなくても、心機一転して、明日は勝っていけばよい。
 「最初の一歩は最後の一歩につながる。最後の一歩も最初の一歩からである
 これはイタリアの登山家ラインホルト・メスナー氏の信念である。大けが等にも屈せず、人類初となる八千メートル峰・全十四座の完全登頂を成し遂げた。
 前進の途上には、言うに言われぬ試練もあるだろう。しかし臆していては、到達できない。
 私も、四十代前半の頃、無理がたたって、大きく体調を崩してしまったことがある。高熱が打ち続き、ペンを手にすることさえ思うようにならなかった。
 その時、私は、日々、一枚でも原稿を書き残そうと挑戦した。一枚書くごとに「正」に字の一画を記し、五枚、十枚と積み重ねて、作品を完成させていった。
 こうした挑戦は、その後の私の執筆活動に、またトインビー博士をはじめ、世界の知性との対談集などにすべて生きている。
 行き詰まりを突破するためには、今、自分ができることから始めることだ。その小さな挑戦を、根気強く繰り返すことだ。それが、自分自身を飾る黄金譜となることを忘れまい。

 

2012年4月18日聖教新聞 我らの勝利の大道 勝利のリズムで前進(下)

4月9日~11日

師弟不二の道
牧口先生(6)

 

 <同じ獄中で師の証明を誓う弟子>

 

 同じ獄中にあって、戸田先生は、ただただ、ご高齢の師を心配される日々であった。
 「三日会わなければ、一年も会わないような気持ちでお仕えした」と、のちに述懐されているが、二十一歳から四十五歳まで、戸田先生は、牧口先生に仕え、ささえきられた。その師の逝去を知らされたときの落胆、怒り、悲しみ――。その、筆舌に尽くしがたい絶望のなかから、戸田先生は、ただお一人、真実の弟子として雄々しく立ち上がられた。
 その心境について、戸田先生はこう語られた。
 「よし、いまにみよ! 先生が正しいか、正しくないか、証明してやる。もし自分が別名を使ったなら、巌窟王の名を使って、なにか大仕事をして、先生にお返ししよう」(『戸田城聖全集 第四巻』)
 昭和二十九年十一月の牧口先生の法要の折にも、このことにふれられた。
 「いまはまだ先生のためになすべきことはなされていないが、かならずや一生を通して、先生の行動が正しいか正しくないか、その証明をする覚悟です」(同前)――と。
 烈々たる師弟の誓いの言葉である。戸田先生は、この宣言のとおり、牧口先生の「正義の証」を立てるために、戦いに戦いぬかれた。そして見事に、師の正義の証明を果たされた。この真摯な精神と実践にこそ、崇高な師弟の真実があると私は信ずる。ゆえに私も、戸田先生の命をわが命として、今日まで、走りに走りぬいてきたつもりである。
 戸田先生は、同じ法要の席で述べられた。

 「牧口先生と私とは、親子であると信じています。親子という意味は、先生の精神的財産を、私が受け継いだことであります」「私は、精神的財産を受け継いできましたが、またここに、大きな使命を残されました。それは、『価値論を世に出さなければならぬ』ということです。先生の精神的財産を継いだおかげで、また大きな仕事をもらったのです」(同前)
 まさに、このとおりの恩師の生涯であった。さらに戸田先生は、仏法を基調とした「平和」「文化」「教育」の運動への第一歩の理論体系についても、よく話されていた。
 ともあれ、牧口先生が生命を賭して築き、残された「創価」という広宣の精神の城、その尊き遺産を、絶対に崩されてはならない。侵されてはならない。さらに強固に、さらに盤石に構築していかねばならない。

 

1989年8月24日第一回東京総会

 

4月8日

師弟不二の道
牧口先生(5)

 

<三畳の板の間の独房で軍国主義と戦いぬいた牧口先生>

 

 牢獄にあって、軍国主義と徹底して戦われた牧口先生、そして戸田先生。その壮絶な戦いは、まさに王者の姿であった。
 検事の取り調べを受ける牧口先生の姿は、むしろ反対に、検事を折伏するかのような、毅然たる態度であった。当時はだれも言えなかった言葉を、決然として言い放っておられた。つまり牧口先生は、公正な論理、人間の生きる道理のうえから、正面きって堂々と主張された。過酷な審間の合間をぬって看守を折伏し、検事に「価値論」を説き、絶えず御書を拝読される日々であった。
 なんという高潔なお姿であろうか。強靭なる信仰であろうか。
 こうした偉大なる創立者を持つことは、創価学会の大いなる誇りであり、誉れである。また、いかなる権威、権力にも妥協せず、ひたすら大法流布のために行動された牧口先生の精神は、確固たる伝統精神として、今も学会に脈々と受け継がれていることを、私は確信してやまない。
 獄中にあっても、悠々たる境涯であられた牧口先生。そのご心境について、先生は、次のように記されている。(以下、書簡は『牧口常三郎全集 第十巻』第三文明社から引用)
 「信仰を一心にするのが、この頃の仕事です。それさへして居れば、何の不安もない。心一つのおき所で、地獄に居ても安全です」(昭和十九年一月十七日、家族あての手紙。ただし、「地獄」の二字は検閲で削られている)
 先生の獄舎は、独一房。むろん暖房器具など一切なく、三畳の板の間に、一枚の硬い畳が敷いてあるだけである。冬は身を切るような極寒の環境であった。
 しかも、高齢であったにもかかわらず、先生は「何の不安もない」と記されている。
 何ものにも負けない、また何ものにも崩されない「信仰の勇者」「信仰の王者」の姿が、ここにあった。
 牧口先生の絶筆となった家族あての書簡には、次のようにつづられている。
 「カントの哲学を精読して居る。百年前、及び其後の学者共が、望んで、手を着けない『価値論』を私が著はし、而かも上は法華経の信仰に結びつけ、下、数千人に実証したのを見て、自分ながら驚いて居る。これ故、三障四魔が紛起するのは当然で、経文通りです」(昭和十九年十月十三日。原文のかなは片仮名)
 現在では、当時の数千倍、数万倍の規模で、広布は進み、隆々たる発展を遂げている。障魔が競い起こるのは、御書に照らし、経文に照らして必然であり、多少のことで愚痴を言ったり、信心を動揺させるのであれば、あまりにも情けない。
 ともあれ、牧口先生の透徹した信心、不動の決意、そしてあふれんばかりの正義感と情熱を、永遠の学会精神として後世に継承していくことこそ、私どもの使命である。

 

1989年8月24日第一回東京総会

4月7日

2017年度

創価大学入学式

 

①英知の太陽を燃やしゆく青春であれ!

②希望と啓発の世界市民の連帯を!

③不退転の行動力で人生を勝ち開け!

 

 

学べ! 青年ならば

 

 一、さて今日は、創大のワールドランゲージセンターで、また、短大の白鳥ラウンジで、楽しく、にぎやかに国際座談会を行うような思いで、簡潔に3点、エールを送りたい。
 第一に、「英知の太陽を燃やしゆく青春であれ!」ということです。
 私は皆さんと同じ年代の19歳で、戸田先生と出会いました。徹して打ち込まれたことは、「青年ならば学んで学んで学び抜け!」ということであり、「いつ、いかなる時も学びの心を手放すな」ということであります。
 当時、働きながら通った母校(現在の東京富士大学)を、一昨日(3月31日)、久方ぶりに訪れ、懐かしく、また大発展の様子をうれしく拝見しました。
 懸命に学んだ青春の日々は、時が経てば経つほど、金の輝きを放つものであります。
 今、創大も短大も、教職員の方々のたゆみない尽力により、一段と自分自身の可能性を発見し、思う存分に伸ばしゆける教育環境が充実しております。また、いずこにもまして母校愛に溢れた先輩方が、陰に陽に応援してくれております。
 私は、70年前の恩師と同じ心で、皆さんに託したい。
 ――学問を通して人間を、そして、人間を通して学問を深めゆけ! かけがえのない青春の一日また一日、英知の太陽を燃やしてくれ給え! そこにこそ、確かな平和の光明があるからだ、と。

 

希望と啓発の連帯

 

 一、第二に申し上げたいのは、「希望と啓発の世界市民の連帯を!」ということです。
 20世紀を代表する歴史学者のトインビー博士と私が対話を開始して、この5月で45周年となります。
 博士との対談集は今、30に及ぼうとする言語で翻訳され、世界中で読まれております。その中には、わが創大に留学した研究者が見事に訳してくれた一書もあります。創大の名誉教授であられるトインビー博士も、きっと喜んでくださっていると思うのであります。
 博士と私は語らいました。「人類の生存を脅かしている現代の諸悪」に対して、我らは断じて諦めてはならない。人間は自分たちが招いた危機を絶対に乗り越える力を持っている。そのモデルを示す賢者たちがいる。その先哲たちから、我らは「希望」と「勇気」と「活力」を得て、立ち上がっていこうではないか!――と。
 この博士の期待に応えゆく、恐れなき若人の正義の連帯こそ、私は、我ら創大生であり、我ら短大生であると信じております。
 どうか、同級生同士も、また先輩・後輩も、さらに教職員と学生も、共に「建学の精神」を実現しゆく盟友として、希望と啓発の世界市民の連帯を強め、深め、広げつつ、民衆の幸福へ、また人道と共生の地球へと、人類史を前進させていただきたいのであります。

 

「為す」ことが大事

 

 一、第三に、「不退転の行動力で人生を勝ち開け!」と申し上げたい。
 中国文化大学の理事長であられる張鏡湖博士と私は、対談集『教育と文化の王道』を発刊しました。
 その中で語り合った、崇高な創立者・張其昀先生の人生哲学を、私は皆さんの門出にお贈りしたいのであります。
 それは「思想や観念は、行動を起こさなければ、何の効果も得られない。最も大事なのは『為す』『やる』『行う』ことである」。そして、いかなる困難にも屈することなく進むならば、「『一念、岩をも通す』の言葉どおり、理想もついには現実となる」と。
 世界を変えるのは、青年の行動です。何度、倒れようとも、また、たくましく立ち上がって挑戦し抜いていく不退転の行動力です。
 どうか、何があっても、良き友と朗らかに励まし合いながら、創大スピリットである「負けじ魂」で、偉大な使命の人生を断固として勝ち開いていただきたい。
 そして、常識と人間性豊かに、大切な大切な、お父さん、お母さん、さらに皆さんの成長を祈り見つめる日本中、世界中の宝友を、万歳させゆく学生生活を勝ち飾っていただきたいのであります。
 その皆さん一人一人の大勝利とともに、創大の開学50周年、短大の開学35周年の栄光凱歌が晴れ晴れと轟きわたることを、私は確信してやみません。

 

第47回創価大学・第33回創価女子短期大学入学式への池田先生のメッセージ   2017年4月3日

4月6日

師弟不二の道
牧口先生(4)

 

<すべては民衆の幸福のためにある>

 

 牧口先生が、一生を通じて追求されたものは何か。私どもの初代会長は、何を為そうとされていたのか。
 それは「民衆を利口にすること」であった。民衆が、自分自身の知恵を開発し、その知恵で幸福になることを目指された。そのために「教育革命(教育改造)」を唱えられ、やがて、根本的には「宗教革命」が必要だと悟られた。その道を、まっしぐらに進まれ、そして殉教──。
 牧口先生が一貫して改善しようとされたのは、「権威に従順な民衆の卑屈さ」であった。そして、民衆の卑屈と無知を改善するどころか、それを助長し、利用し、つけこむ「指導者の利己主義」を憎まれ、戦われた。
 また、人間の実際生活に根差さない空理空論を、常に批判された。
 『創価教育学体系』には、こうある。
 「従来学者ならざる一般人は、自分の頭脳では、とても六ヶ敷むつかしい理窟は考えられないから、考える事の上手な人、即ち学者として尊敬する人の考えを、無条件に承認し、これに服従するのが、生活上に間違いない方法であると、断念して生活している」(『牧口常三郎全集』第五巻、第三文明者。新かなづかいは編集部、以下同じ)
 学者を僧侶に置き換えても同じである。
 ″自分で考えない″″人まかせにする″″黙って権威に従う″──これが昔からの民衆の態度であったと、牧口先生は言われるのである。
 一方、こういう従順さにつけこみ、指導者のほうは民衆を見くびって、″我々の言うことを黙って聞いていればよいのだ″と、ますます権威主義になる。
 「汝等の低い頭脳では、とても覚れる筈はない。(中略)無益の煩悶をしているよりは、寧ろ自分等の云うことには間違いないとして信頼するのが、最善の方法であると説く」
 こうして民衆は、指導者に盲従させられる。これが今までの日本の歴史であった。まさに「知らしむべからず、依らしむべし」の権威主義である。
 ゆえに「生活に学問なく、学問に生活なく」、生活も学問も、ともに貧しい。これが日本社会のゆがみであった。
 牧口先生は、これを変えようとなされた。「もはや、そんな時代ではない」と。
 「どんな偉い人の言うことでも、軽々しく信じない。同時に、どんなに地位のない無名の人の言うことでも、それが自分の経験に合致しているか、実験で証明されたものについては、自分にとっての善し悪し、損得がどうであろうと、だれもが素直に認め、従うべき時代となった。これはまた、理性に照らして当然のことである」(同前、現代語訳)
 権威が何だ、地位が何だ、有名人が何だ、学歴主義が何だ。そんなものよりも民衆が大事だ。真理を知り、価値を生んで民衆を幸せにすることが大事だ。そうではないか。
 そのための学問であり、そのための指導者であり、そのための教育であり、宗教ではないのか。そうわかれば、これまでの不幸な状態は即刻、改善すべきではないか。
 牧口先生の大音声は、今もなお切実に社会に轟く。


  1993年12月8日各部協議会での語らい

4月5日

戦いの道はある

 

<どんなに動きを拘束され、

封じ込められようが>

 

 残暑の東京を発って二時間半、夜霧に包まれた軽井沢は肌寒かった。
 山本伸一が長野研修道場に到着すると、地元の幹部や役員など、数人が出迎えた。会長を辞任したあと、「聖教新聞」などの機関紙誌で、彼の行動が報じられることは、ほとんどなかったためか、皆、笑顔ではあったが、どことなく不安な表情をしていた。
 伸一は、同志のそんな気持ちを吹き飛ばすように、力強い声で言った。
 「私は元気だよ! さあ、出発だ!」
 師弟の天地に、師子吼が響き渡った。
 彼は、長野県長の斉田高志と握手を交わしながら語っていった。斉田は、三十七歳の青年県長であった。
 「私は、名誉会長になったということで、広布の活動を休むことも、やめてしまうこともできる。そうすれば楽になるだろう。しかし、一歩でも退く心をもつならば、もはや広宣流布に生きる創価の師弟ではない。戸田先生は、激怒されるだろう。
 地涌の菩薩の使命を自覚するならば、どんなに動きを拘束され、封じ込められようが、戦いの道はある。智慧と勇気の闘争だ。大聖人は『いまだこりず候』(御書1056頁)と言われ、いかなる迫害にも屈せず、戦い抜かれたじゃないか! みんなも、生涯、何があっても、いかなる立場、状況に追い込まれようとも、広宣流布の戦いを、信心の戦いを、決してやめてはいけないよ。私は、会員の皆さんのために戦い続けます」
 伸一の長野訪問は九日間の予定であった。
 到着翌日の二十一日は、朝から役員の青年らを激励し、昼食も草創の同志ら十人ほどと共にしながら語り合い、引き続き、小諸本部の副本部長である木林隆の家を訪問した。十一年前に出会った折に、「ぜひ、わが家へ」と言われ、そこで交わした約束を果たしたのである。
 夜もまた、地元の会員の代表と次々と会っては懇談した。対話を重ねることが、生命の大地を耕し、幸の花園をつくりだしていく。


〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十   2017年4月4日

4月4日

師弟の道

牧口先生(3)

 

<教育勅語>

 

軍国主義


 牧口先生について、教え子の方々が、先生を慕い、偲びながら、さまざまな回想を残されている。
 牧口先生が白金小学校の校長を務めていた時のことである。牧口先生は、校長でありながら、ご自身も、国語や算数、修身などの授業を担当されていたという。校長となっても、つねに教育現場の最前線に身を置いて、愛する子どもたちとふれあっておられた。
 牧口先生は、習字も教えておられた。そのさい、書の基本について、こう語られたそうである。
 「書は、個性を字に表すことであって、一人一人の字は違っていてよい。そういう違いのなかでも、共通する大事なことは、希望に燃えていること、前進していく気持ちが表れていることである」と。
 この「つねに希望に燃えて、前へ進んでいく」心を、牧口先生はつねづね、強調されていた。よく次のようにも話されたという。
 「人間はつねに前進していかねばならない。つねに生きがいをもって、前進していくことだ。もちろん、人間であるから、時には失敗したり、間違ったりすることもあるだろう。その時は、反省すればよい。反省しなければ、前進はありえない。それが、最近、世の中を見ると、『反省とは″後ろ向きの教え″だから、してもしようがない』という人がいる。しかし、反省と後悔は違う。それを混同している人が多い。後悔をしても、しようがない。反省して前進していくのだ」
 まことに味わい深い教えである。
 当時の学校教育では、「教育勅語」の学習が必須とされていた。多くの教師は、子どもたちに頭ごなしに暗唱させた。しかし、牧口先生はまったく違っていた。
 たとえば、「教育勅語」の「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」(危急の場合は、義勇を国に捧げ)のところでは、牧口先生は、こう教えられた。「平和が大事である。平和を考えていきなさい。平和を守れば、『緩急あれば』などということは必要ない」と。
教え子の方は、「牧口先生は、軍国主義の教育はまったくされなかった。『平和しかない』と教えた。あの時代の中で、まったく驚くべき教育でした」と述懐されている。
 世の中すべてが戦争へと傾斜していくなか、平和教育を推進されたのである。
 また、牧口先生は、『人生地理学』において、人道的競争の理念を示されるとともに、紛争防止のために信頼を醸成していくという、現在の「予防外交」にも通ずるビジョンを抱いておられた。
 この勇気、この先見、この信念――牧口先生の偉大さは、調べれば調べるほど、いよいよ深く胸に迫ってくる。
 「どんな劣等生も、必ず優等生にしてみせる」「皆を自分以上に偉大な人物にしてみせる」――これが、牧口先生、戸田先生の一貫した慈愛であり、気迫であられた。

 

 2001年8月21日北陸・信越合同研修会

 

戦争を前提に、

「お国のために命を捨てる」ことを教えた

「教育勅語」


 あの太平洋戦争。相手は、世界一のアメリカです。冷静に考えれば、とうてい勝てるわけがない。それなのに、日本は戦争を起こしてしまった。しかも、みんなは驚くかもしれないが、当時、国民の大部分は、戦争に反対するどころか、賛成したのです。それは、なぜだと思う?
 もちろん国民に「真実が知らされていなかった」ということがある。それも含めて、私は、戦争を止められなかった根本の原因は「教育」にあると思う。教育によって、国家の命令には絶対に服従するように教えこまれていた。
 「お国のため」に命を捨てることこそ、立派な生き方だと植えつけられたのです。これが「教育勅語」に説かれた精神で、みんな、それを学校で暗唱させられたのです。
教育勅語が出されたとき、小学校一年生だった人は、太平洋戦争が始まったとき、五十八歳くらいです。その子どもたちが、およそ二十歳から三十歳。
 つまり親子二代――戦争に出ていく兵士も、送り出す親も、両方が「教育勅語」で育てられていたのです。

「希望対話」(65) 平和って何?

 

道徳の最低基準


牧口が、父たちに向かって、「教育勅語、あれは道徳の最低基準です」と言うのを聞いた時の驚きを、少年の頭脳は覚えていたのである。なんの話題につながる話か、それはきれいに忘れたが、牧口の、この一言は消えなかった。

 

小説『人間革命』3-4巻 (145) 道程


 牧口は、当時、東京市の教育界では、一風変わった存在であった。一家言をなした彼の教育理論の実践は、識者の注目を集めていたのである。
しかし、彼の教育観は、戦前、教育の金科玉条とされた教育勅語を、「道徳の最低基準」と喝破するほど、進みすぎていた。そのため、頑迷な俗吏は、彼を白眼視していたのである。
 牧口もまた、先駆者の悲哀を感じていたにちがいない。彼の卓越した理論は、時の教育官僚の用いるところとはならなかった。それどころか、愚かな為政者たちは、この市井の先覚者を冷遇し、迫害し続けたのである。

 

小説『人間革命』1-2巻 (144) 地涌

 

天皇制の「教育勅語」


 日本の社会構造の面においては、古来の伝統である天皇制と家父長制が支えあいながら、ある種の家族的な一体感をかもしだすことによって、人々が″いわずもがな″″以心伝心″の絆で結びつけられてきたことがあげられます。
 明治維新が、いわゆる″無血革命″であったことも、それが西欧的な意味での″革命″ではなく、本質的にはむしろ、家族的な共同体への″回帰″であったことによるとみることができます。
 このことは、明治政府が国民を天皇の「赤子」とする天皇制イデオロギーを推進していく過程からも明らかです。その象徴が「我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ……」に始まる、有名な「教育勅語」です。
 家庭から地域、企業、国家にいたるまで、暗黙の家族的紐帯によって支えられてきた「イエ社会」。これが、よい意味でも悪い意味でも、「ソト」に対しては残虐であっても、「ウチ」と認識された狭い枠のなかでは、あらゆる社会的な破綻や歴史的な惨事を回避するクッションの役目を果たしてきたというのが、私の一つの見方です。

 

「20世紀の精神の教訓」ゴルバチョフ(105) 二十一世紀を担う世界宗教の条件

 

4月3日

師弟不二の道

牧口先生(2)

 

師とは

だれより「強く」

だれよりも「優しい」


 戸田先生は、だれよりも「強い人」だった。そして限りなく「優しい人」でした。どんな貧しき庶民にも、渾身の慈愛を注いでおられた。その戸田先生が、「この人こそ」と感動したのが牧口先生です。牧口先生も「強く」そして「優しい」人だった。(以下、牧口初代会長のエピソードは『牧口常三郎』聖教新聞社を参照)
 北海道で教師をされていた時は、雪が降る日など、生徒が登校してくるのを迎えに行き、下校の時には送っていかれた。体の弱い子が皆に遅れないように気をつけながら、小さな生徒は背中におぶって、大きな生徒は手を引いて――。また、お湯をわかして、子どものあかぎれだらけの手をとり、お湯の中に静かに入れてあげた。「どうだ、気持ちがいいか」「うん、ちょっと痛いけど」――本当に美しい情景です。
 牧口先生は、東京に来られてからも名校長として有名だったが、権力のある者に、へつらわないものだから、いつもにらまれていた。それで、いつも迫害を受け、左遷です。
 貧しい家の子どもだけが集まる小学校(三笠小学校)に赴任した時もある。雨が降っても、傘もない子が、たくさんいるほどの貧しさだった。
 牧口先生は、弁当を持ってこられない生徒のために、自腹を切って、豆もちや食事を用意した。ご自分も八人の大家族を抱えて大変だったころです。日本で学校給食が始まる十何年も前のことでした。しかも先生は、子どもたちの気持ちが傷つかないように、用意した食事を用務員室に置いて、皆が自由にもっていけるようにしたのです。
 ―― 教員室に置いていたら、皆、来にくいし、教室に置いていたら、友だちの手前、恥ずかしい人もいるだろうし……。こまやかな心づかいですね。


  人を苦しめる悪と命をかけて


 優しい牧口先生は、「子どもたちの幸福のためなら、何でもしよう」という心だった。個性を殺す「詰め込み教育」などで苦しむ子どもたちを思うと、何とか救ってやりたいと「気が狂いそうなほど」だったと書き残されている。(『創価教育学体系』緒言、参照)
 また、子どもたちのためなら、どんな権力者とも一歩も引かなかった。   「怒り」をもって戦われた。当時、絶大の権威をもっていた「視学」(旧制度の地方教育行政官。学校の視察および教育指導を行った)に対して、いたずらに教育を画一化させるとして「視学無用論」を堂々と主張したほどです。
 だから、権力ににらまれた。だから、民衆には慕われた。牧口先生が学校を変わるとなると、生徒は泣き出し、父母から教職員まで、先生を慕って、すすり泣くほどだったという。
 そして牧口先生は、最後は軍国主義に抵抗して獄死です。先生は、我が身はどうなろうとも、民衆を不幸にする軍国主義は許せなかった。間違った思想は許せなかった。
 優しさは、悪に対しても強い。仏法では、「怒り」は善にも悪にも通ずると説いている。善のための怒りは必要なことです。自分の感情だけで怒るのは畜生の心です。人間は偉大であるほど、その愛も大きい。愛が大きいから強いのです。優しいのです。

 

青春対話

4月2日

師弟不二の道

牧口先生(1)

 

<初めての「広宣流布」宣言>

 

 初代会長・牧口先生以来、創価学会の目的は「広宣流布」である。
では、牧口先生が「広宣流布」という言葉を公式の場で初めて使ったのは、いつか。いつ、「創価学会は広宣流布を目指す団体である」ことを宣言なされたのか。
 それは決して、学会が順風の時ではなかった。それどころか、弾圧のさなかであった。
 日本は狂気の国家主義によって、戦争を始めた。国民の自由はなくなり、学会にも弾圧の魔の手が強まってきた。暗雲が立ちこめ、闇はさらに深くなっていった。まさに、その時に、牧口先生は「広宣流布」を叫ばれたのである。何と偉大な先生であろうか。
 今また、日本は国家主義の道を歩もうとしている。私は、その傾斜を深く憂慮している。
 今から五十五年前――昭和十七年(一九四二年)五月。創価教育学会の第四回総会が開かれた。
 太平洋戦争の開戦から、半年余りたっていた。
 初めのうち、日本は連戦連勝だった。しかし、続くわけがない。すぐに行き詰まった。転落が始まった。それなのに、国民には「ウソ八百」の情報しか流されなかった。だから、本当のことがわからず、「すごい日本だ」「神国日本だ」と、国中が戦勝気分に酔っていた。
 しかし、すでにその時、牧口先生は「日本は滅亡する。絶対に滅びる」と鋭く見抜いておられた。法眼というか、仏眼というか、透徹した信心と人格の明鏡があった。
 総会で、先生は訴えた。「我々は国家を大善に導かねばならない。敵前上陸も同じである」(『牧口常三郎全集』第十巻。以下、引用は同書から)
 わからずやの悪人ばかりのなかに入って大善を教えるのは、″敵の目前に上陸する″のと同じであるというのである。
 敵前上陸――迫害があるのは当然であった。この五月、機関誌『価値創造』も廃刊させられていた。
 牧口先生は、毅然と語った。「同じ正宗信者でも自分だけがよいという独善主義の従来の信仰者は個人主義(=利己主義)の信仰であります」
従来の信仰者、すなわち宗門・法華講は、利己主義である。本当の信仰者ではないと、真っ向から叱ったのである。
 自分が拝んでいるだけでは、単なる「拝み屋」である。宗門も、法華講も、折伏精神を忘れ果てていた。「広宣流布」を完全に忘れていた。
 牧口先生は、こういう人間と妥協しなかった。戦った。だから、激しく憎まれた。
 憎まれるのが当然であったろう。しかし憎まれても、きらわれても、それは「正しい道」であった。「信念の道」であった。そして先生は叫ばれた。
 「(我々は)家庭を救い社会を救い、そうして広宣流布に到るまでの御奉公の一端もできると信ずるのであります」
 これが、「広宣流布」の初めての公式発言であった。
 「広宣流布に到るまで」わが身を捧げきっていくのだとの宣言である。
 牧口先生は、講演をこう結ばれる。
 「お互は、この大事な使命を帯びていれば、自分本位でなく、利用するのでなく、いかなる時にも、この選ばれた大善人である事を自覚して精進せんことを誓わねばならぬと信じます」
 事実、牧口先生は、「広宣流布」へと前進した。迫害のなか、二百四十回を超える座談会を開催(昭和十六年五月から十八年六月まで)。あのお年で、二百四十回である(昭和十八年当時、七十二歳)。
 また、地方にも単身、出かけられた。自ら約五百人の人々を信仰に導いたといわれている(昭和五年から逮捕される十八年七月まで)。
宗門が「広宣流布」を完全に忘れていた時代である。まことに不思議なる偉大な先生である。調べれば調べるほど、学べば学ぶほど、その思いを深くする。

 

いちばん大変な時に大変な所から始めよ


 いちばん大変な時に大変な所から始めよ
 いちばん「大変な時」に、「大変なところ」から始める。ここに偉大な歴史が開かれる。本当の歴史が始まる。この学会精神を深くかみしめていくべきである。
 戸田先生も、戦後のいちばん大変な時に「今こそ広宣流布の時だ」と立ち上がった。
 僣越であるが、私も、私の長い歴史において、いつもそうしてきたつもりである。
 三十七、八歳のころ、「共産主義世界と友好を結ぼう」と決意し、準備を始めた(昭和四十年、四十一年〈一九六五年、六六年〉)。「共産主義国は敵」と多くの日本人が考えていた時代である。
 日中国交正常化提言が四十歳(昭和四十三年)。初訪中、初訪ソが四十六歳(昭和四十九年)。当時は、冷戦のさなか。中ソの仲もいちばん、悪かった。しかし、「状況が悪い今こそ、平和の道を開くんだ」――私はこう決意した。
 周囲は、全員が反対した。宗門からも、じつに、つまらない非難を受けた。「共産圏に行っても、宗教なんか必要ない国じゃないか。なぜ行くのか」(爆笑)と。このように低次元の宗門であり、日本である。
ともあれ、私はあえて、いちばん、大変なところから始めた。そして、世界に「友好」と「信頼」の道を厳然と開いた。学会は今、全世界と友情を結んでいる。(拍手)
 状況が厳しければ、その時にこそ、勇気を奮い起こすべきである。
 日蓮大聖人は仰せである。
 「悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」――悪王が正法を破ろうとして、邪法の僧らが悪王に味方し、智者を滅ぼそうとする時、師子王のごとき心をもつものが、必ず仏になることができる――。
 臆病者は、仏になれない。「師子王の心」をもたなければ、仏になれない。厳しければ厳しいほど勇み立つ。ここに、学会精神の真髄がある。いちばん大変な所に、みずから足を運んでこそ、「道」は開かれる。
牧口先生が「広宣流布」を叫んだころ、宗門は何をしていたか。「広宣流布」を破壊しようとしていた。昔も今も変わらない。
 当時、宗門は御書の発刊を禁止し、「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」の御文をはじめ、大切な十四個所の御聖訓を削り取った。
だれが、こんな非道を許せようか。私どもは許さない。大聖人も許されるわけがない。しかも宗門は、いまだに大聖人にも信徒にも謝罪さえしていない。
 さらに宗門は、大石寺に「神札」をまつり、牧口先生にも「神札を受けよ」と迫った。何という大謗法か。しかも牧口先生が「絶対に受けません」と断ると、陰で学会の弾圧に味方したのである。
じつは、身延を中心にした「日蓮宗との合同」を宗門が免れたのも、牧口先生が有力者を紹介したおかげであった。
 その恩も忘れて、牧口先生、戸田先生を「登山停止」にしたのである。(今、大石寺には身延僧が次々と参詣し、大聖人の精神は完全に失われている)
 背中から刺すような裏切り――これが宗門である。「これが坊主根性だよ。恐ろしいぞ」と戸田先生は、よくおっしゃっていた。利用するだけ利用して、あとは切る――これが宗門の極悪の体質である。
牧口先生も宗門の利用主義を見抜かれていた。今もその本性は変わっていない。絶対に、永遠に宗門を信用してはならない。
一方、牧口先生の弟子たちは、どうだったか。皆、牧口先生の勢いに驚き、おびえた。皆、獅子ではなく、猫や鼠だったのである。
 「広宣流布」「国家諫暁」――こう牧口先生は叫ぶ。
 それに対して弟子たちは、「今の時期に無茶だ」「時期尚早だ」「皆、憲兵隊に連れて行かれてしまう」と、おびえた。ふだんは「牧口先生とともに」と叫んでいた幹部が、「塩を振りかけられたナメクジ」よりも、だらしなくなった。
 幹部だからといって信用はできない。最前線の学会員のほうが信用できる場合が、いっぱいある。
 こういうなか、戸田先生だけが「ぼくは牧口先生の弟子だ」「あくまで、ぼくは牧口先生にお供するよ」と、淡々としておられた。厳かな師弟の姿である。
 そして戸田先生は「あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました」と師匠に感謝を捧げたのである。
 牢獄につながれて、文句を言うどころか、戸田先生は感謝されている。一緒に難を受けさせていただいた、何とありがたいことか、と。これが「師弟」である。
 そして戸田先生は生きて出獄し、師匠が掲げた「広宣流布」の旗を、再び厳然と掲げて、一人立った。師弟は一体不二であったゆえに、恩師の死を乗り越えて、「広宣流布」のうねりは広がっていったのである。この「師弟不二の道」を、永遠に忘れてはならない。

 

1997年7月9日第13回本部幹部会

4月1日

弟子に課せられた責務

 

 戸田城聖の小説『人間革命』では、主人公「巌さん」の人間革命の軌跡を主軸に、広宣流布に一人立った、師である「牧田城三郎」(牧口常三郎の仮名)の死身弘法の実践が描かれていく。
 戸田は、一九五四年(昭和二十九年)の十一月、初代会長・牧口常三郎の十一回忌法要で、獄中にあって大恩ある牧口の死を知った日のことに触れ、こう語った。
 「あれほど悲しいことは、私の一生涯になかった。そのとき、私は『よし、いまにみよ! 先生が正しいか、正しくないか、証明してやる。もし自分が別名を使ったなら、巌窟王の名を使って、なにか大仕事をして、先生にお返ししよう』と決心した」
 「巌窟王」とは、アレクサンドル・デュマの小説『モンテ・クリスト伯』の黒岩涙香による邦訳名である。
 ――陰謀によって孤島の牢獄シャトー・ディフにとらえられた船員の青年エドモン・ダンテスは、獄中で老神父からさまざまな知識を授かり、モンテクリスト島に隠された財宝の在りかも教わる。十四年の幽閉生活の後に脱獄に成功した彼は、その巨額の富を手にし、モンテ・クリスト伯と名乗り、パリの社交界に現れ、自分を陥れた者たちへの復讐を図るとともに、善良な恩人たちへの恩返しを果たすという物語である。
 戸田は、この「巌窟王」のごとく臥薪嘗胆し、軍部政府の弾圧で殉教した師の敵を討つことを深く心に誓ったのだ。その復讐とは、恩師の正義を証明することであった。そして牧口を死にいたらしめ、戦争によって多くの人びとの命をも奪い、苦悩の辛酸をなめさせた権力の魔性との対決であった。民衆の幸福と人類の平和を実現することであった。
 ゆえに戸田は、小説『人間革命』の主人公の名を、「巌窟王」をもじって「巌九十翁」とし、全精魂を注いで、牧口の正義と偉大さを書き残していったのである。
 師の正義を宣揚し抜いていくことこそ、弟子に課せられた責務にほかならない。

〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 八   2017年4月1日

3月30日

師弟関係

 

<師弟ほど尊いものはない。

美しいものはない。>

 

 師弟関係について、戸田先生は、こう綴られている。
 「師(先生)と弟子(生徒)の交わりは、水と魚のように切っても切れない深いものであります。師は弟子を愛し導き、弟子は師を敬い慕う――これほどの世にうるわしい情愛がまたとありましょうか」(現代語表記に)
 師弟ほど尊いものはない。美しいものはない。
 これが戸田先生の青年への教えであった。
 戸田先生は、“牧口先生の慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださった”とまで語られた。これが本当の師弟だ。仏法だ。
 振り返れば、昭和25年(1950年)8月29日。戸田先生の会社の営業停止が決定した直後、22歳の私は、日記に綴った。
 「戸田先生より『君を頼る』との力強き激励を受ける。
 誰よりも、信頼し、期待をかけられし自分を、心から歓ぶ。
 先生の激励に応え、再び、世紀の鐘を、私が鳴らそう。
 先生より、離れる者は、離れろ。
 若き戦士となり、若き闘士となって、先生の意志を、私が実現するのだ」
 師のもとで固く心に誓った。あの苦闘の青春から60年(当時)。
 わが師の構想は、すべて実現した。
 これが師弟である。

 

2012年3月12日聖教新聞 「新時代第26回本部幹部会」(2009年2月)でのスピーチ抜粋

 

3月28日

学会活動には、

何一つとして無駄はない

 

<一人の信心が、

一人の成仏が、

最後には全てを変える>

 

 日蓮大聖人は門下の先駆の功労を讃えられ、「国中の諸人・一人・二人・乃至千万億の人・題目を唱うるならば存外に功徳身にあつまらせ給うべし」(御書1241ページ)と仰せになられた。
 法のため、友のため、社会のため、苦難に怯まず、広布に生き抜く福運は無量だ。時とともに、いやまし光る。
 学会活動には、何一つとして無駄はない。あらゆる苦労が、最極の「今生人界の思出」となり、自身と一家眷属の「人間革命」の力となる。さらには愛する地域と国土の「立正安国」へとつながっていくのだ。

 法華経には「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人は世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」(法華経575ページ)と。
 苦悩の絶えない社会にあって、生命尊厳の大哲学を持ち、希望と勇気の光を送りゆく地涌の友の使命は、いかに大きく誇り高いか。
 “どうすれば組織が盛り上がるか”と悩む青年を、私は励ましたことがある。
 ――君自身が燃えていればいいんだよ。一人の信心が、一人の成仏が、最後には全てを変えるんだから、と。
 一人から一切は始まる。自分が太陽となれば、いかなる闇も消え去るのだ。
 今の祈りと行動が種となって、必ず勝利の花を咲かせる。生き生きと友情と仏縁を広げ、いざ爛漫と創価桜の道を開きゆこう!

 

〈池田先生と共に 新時代を進む〉7   2017年3月27日

 

3月27日

 対話は「人間を信ずる力」


 “対話の春”である。
 “行動の春”である。
 “成長の春”である。


 私たちの対話が、
 社会を変え、世界を結び、
 未来を創る。
 私たちの対話には、希望がある。
 生命の可能性を開く
 蘇生の力がある。
 勝利と勇気と確信がある。
 「人間を信ずる力」によって
 民衆の時代を築くのが、
 私たちの対話なのである。


 「人に会う」ことである。
 「会う」ことから
 何かが始まる。
 何かを学べるし、
 自分の世界も広がる。
 次の、新しい出会いへと、
 つながっていく。
 勢いも出る。
 知恵もわく。


 対話を避ける菩薩はいない。
 声を惜しむ仏もいない。
 人と会い、
 人と語り合うことなくして、
 仏道修行は
 あり得ないのである。
 民主主義の出発も、対話である。
 対話は、
 一人の人格を
 平等に尊重する営みだからだ。


 「自分の心の中にある思想」を
 人に語ることによって、
 自分自身の知恵がいっそう輝き、
 豊かになっていく。
 語れば語るほど、
 その思想を、
 よりはっきりとつかみ、
 自分自身のものにしていける。
 自在に展開していける。
 正義を語り抜く人は、
 どんどん輝いていく。
 徹底して
 叫ぶ人が勝っていく。
 さあ! “対話の春”である。
 “行動の春”である。
 “成長の春”である。


〈池田大作先生 四季の励まし〉心を広げる「対話の春」に 2017年3月26日

 

3月26日

折伏する人は
学会の「宝の中の宝」

 

<折伏は本当にすごい>

 

真実の平和と文化の花咲く社会をつくる直道

 

 わが師・戸田城聖先生は叫ばれた。
 「人材、人材の創価学会でいけ!」
 人材をつくる最重要の道は折伏・弘教である。
 折伏は、人を根本的に育てる。生命力を強くする。
 そして真実の平和と文化の花咲く社会をつくる直道は、結局、妙法を弘めることだ。
 いかなる善事よりも百千万億倍すごいと説かれている。
 折伏することが、なぜ、すごいか。
 その友を永遠に仏としていけるからである
 何があろうと絶対に壊れない、幸福の人生を、共々に歩める。
 だから功徳は大きい。
 妙法をどれだけ弘めたか。
 その歴史は、後になるほど光る。
 人生、いろいろな思い出があるが、折伏が何よりの金の思い出となる。
 積極的に行動し、交流することだ。
 それが折伏に通ずる。
 御聖訓に『南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思い出なるべき』(御書467頁)と仰せの通りだ。
 生命の法則に則った無上の行為であり、永遠不滅の思い出である。
 折伏は大変だけれでも、大成長の因となる。
 苦しんだ分だけ、実は幸福なのである。
 仏の使いは、折伏しかない。
 折伏をやっている人は、仏になる。
 その人は、仏法の、また学会の「宝の中の宝」だ。
 最高に尊い。
 折伏は本当にすごいことなのである。

 

2012年2月5日付 聖教新聞 今日も広布へ①

3月25日

対話の力

 

<時代を開く平和力>

 

 さあ、対話をしよう!
 友の眼に秘められた
 哀しみ、苦しみを見すえ、
 ためらいの言葉に耳をそばだて、
 勇気を奮い起こして
 励ましの対話を始めよう!
 同苦の腕を広げ、
 弾む生命で、
 希望と正義の哲学を語ろう!
 ほとばしる情熱と
 金剛の確信をもって、
 忍耐強く、
 共感の調べを奏でよう!
   
 さあ、対話を続けよう!
 一個の人間に
 内在する力は無限だ!
 一人の発心は、
 友から友へと
 蘇生の波を広げ、
 やがて万波を呼び起こす。
 「一は万が母」(御書四九八ページ)と。
    
 われらは、
 対話をもって
 人びとの心田に幸福の種子を植え、
 この世の尊き使命を呼び覚ます。
 対話をもって
 心をつなぎ、世界を結び、
 難攻不落の
 恒久平和の城塞を築く。
 さあ、今日も、対話を進めよう!
   
 第三代会長を辞任し、名誉会長になった山本伸一は、一九七九年(昭和五十四年)五月三日の本部総会で、十条潔新会長のもと、新体制がスタートしたことを見届けると、世界広布の新しい雄飛のために行動を開始した。同志との励ましの対話に徹し、また、世界平和への流れを開くために、各国の大使や識者らとの語らいに努めた。
 対話の力こそが、時代を開く平和力となる。

 

小説「新・人間革命」〉 雌伏 一   2017年3月24日

3月24日

正義

 

<戸田城聖の真正の弟子>

 

 漆黒の空が、次第に紫に変わり、うっすらと半島の稜線を浮かび上がらせる。やがて金の光が東の空に走り、海はキラキラと輝き、さわやかな五月の朝が明ける。
 五月五日、山本伸一は、神奈川文化会館から、夜明けの海を見ていた。この日は、「こどもの日」で国民の祝日であり、また、「創価学会後継者の日」である。
 伸一は、神奈川の幹部から、クルーザーを所有する地元の学会員の方が、横浜港周辺を案内したいと言ってくれていると聞き、三十分ほど、乗せてもらうことにした。船の名は「二十一世紀」号である。
 海から見た神奈川文化会館もまた、すばらしかった。この海は太平洋につながっているのだと思うと、二十一世紀の世界広布の大海原が見える気がした。彼の胸は躍った。
 伸一は、前日の四日には、神奈川県の功労者の代表と懇談し、この五日も、草創の向島支部、城東支部の代表からなる向島会、城東会のメンバーと語り合い、敢闘の労をねぎらった。功労者を中心とした伸一の激励の車輪は、既に勢いよく回転を開始していたのだ。
 彼は、できることなら、二十一世紀を担う後継の青年部、未来部の集いにも出席し、全精魂を注いで励ましたかった。また、神奈川文化会館の前にある山下公園には、連日、多くの学会員が集って来た。そうした同志と会合をもち、力の限り、讃えたかった。しかし、今、それは許されなかった。
 “ならば、未来、永遠にわたる創価の魂を、後継の弟子たちに形として残そう!”
 この日、彼は、広宣流布の師匠・戸田城聖の真正の弟子として、わが誓いを筆に託して、一気呵成に認めた。
 「正義」――その右下には、「われ一人正義の旗持つ也」と記した。
 “いよいよ本当の勝負だ! いかなる立場になろうが、私は断じて戦う。たった一人になっても。師弟不二の心で断固として勝利してみせる。正義とは、どこまでも広宣流布の大道を進み抜くことだ!” 

 

〈小説「新・人間革命」〉 大山 六十八   2017年3月23日

 

3月23日

共戦

 

<真実の同志あるを 信じつつ>

 

 山本伸一が峯子と共に、車で創価大学を出発したのは午後五時半であった。彼は学会本部へは戻らず、横浜の神奈川文化会館へ向かった。世界につながる横浜の海から、新しい世界広宣流布の戦いを、真の師弟の戦いを起こそうと、心に決めていたのである。
 横浜に到着したのは午後七時であり、既に夜の帳に包まれていた。神奈川文化会館の一室から海を眺めた。眼下に、係留・保存されている貨客船の氷川丸が見えた。竣工は一九三〇年(昭和五年)、学会創立の年である。
 学会は、以来、「七つの鐘」を打ち鳴らし、今また、大航海を開始するのだ。
 伸一は、ようやく一息つけた気がした。
 側近の幹部が、「今朝の新聞に先生のお名前が出ておりました」と教えてくれた。
 それは、「読売新聞」がアメリカのギャラップ世論調査所と提携して実施した日米両国の生活意識調査の結果で、日本国民が選んだ「最も尊敬する有名な日本人」の上位二十人の第六位に、伸一の名が挙がっていた。吉田茂、野口英世、二宮尊徳、福沢諭吉、そして昭和天皇に続いて山本伸一となっている。
 「現存する民間人では第一位ですし、宗教界ではただ一人です」という。伸一は、この劇的な一日を振り返ると、不思議な気がした。さらに同志の大きな期待と懸命な応援のようにも感じた。
 三週間前、故・周恩来の夫人である鄧穎超に、会長辞任の意向を伝えた時、彼女が「人民の支持がある限り、辞めてはいけません」と語っていたことが思い返された。“人びとの期待に報いよ! 信義に報いよ! 戦い続けよ!”との励ましであったにちがいない。
 “いかなる立場になろうが、私は戦い続ける! いよいよわが本門の戦いが始まる!”
 彼は、ここでも筆を執り、「共戦」と認めた。
 そして、“弟子よ。われと共に起て!”と心で叫びながら、脇書に、こう記した。
 「五十四年 五月三日夜 生涯にわたり われ広布を 不動の心にて 決意あり 真実の同志あるを 信じつつ 合掌」 

 

小説「新・人間革命」〉 大山 六十七   2017年3月22日

3月22日

大山

 

<大桜>

 

 法主・日達をはじめ、僧たちを送った山本伸一は、別室に入ると、妻の峯子に、和紙と硯、墨、筆を用意してもらった。創価学会の歴史に大きな足跡を刻むであろうこの日の、わが誓いと、弟子たちへの思いを、書として認めておきたかったのである。
 既に揮毫の文字は決まっていた。
 墨を含んだ太い筆が、かすれるような音を立てて、勢いよく白い紙の上を走った。
 ――「大山」
 その下に、「わが友よ 嵐に不動の信心たれと祈りつつ」「五十四年五月三日 創大にて 式後記す也」と書いた。
 伸一は、恩師・戸田城聖の事業が窮地に追い込まれた一九五〇年(昭和二十五年)の一月、「富士に祈る」と題する詩を作った。
 詩の一節に、こうある。
 「世紀の 貪婪なる火宅の中に
  虚飾なく佇み 駁説に怖じぬ
  われ 遥かなる富士を讃う」
 その時、彼の心には、一身に降りかかる非難・中傷の嵐にも微動だにせず、広宣流布に生きようとする、恩師・戸田城聖の堂々たる雄姿と富士とが重なっていた。
 「大山」の揮毫には、伸一の魂の叫びが込められていた。
 “妙法は永遠不滅である。その妙法と共に、広宣流布に生き抜くわれらには、無限の希望がある。いかなる烈風にも、大山のごとく不動であらねばならない。何を恐れる必要があろうか! 学会は、日蓮大聖人の仰せ通りに死身弘法の実践を貫き、忍辱の鎧を着て進んできた。創価の師弟は、この不動の信心によって、すべてを勝ち抜いてきたのだ”
 伸一は、さらに、筆を執った。
 ――「大桜」
 そして、下に脇書として記した。
 「わが友の功徳満開たれと祈りつつ」「五十四年五月三日 創大にて 合掌」
 “どんな厳しい試練にさらされようが、仏法の因果は厳然である。胸に創価の「大桜」をいだいて進むのだ”――伸一は念願した。

〈小説「新・人間革命」〉 大山 六十六   2017年3月21日

3月21日

会員厳護の決意

 

<善良な仏子を、

誰が守っていくのか! 

誰が幸福にしていくのか!>

 

 山本伸一のあいさつに与えられた時間は、十分にも満たなかった。
 これまで本部総会では、伸一から広宣流布の遠大な未来構想や希望の指針が示され、また、社会、世界の直面するテーマに対して解決の方途を示す提言が発表されることも少なくなかった。さらに、参加者と一対一で対話するような、ユーモアを交えた心和む話に、皆は時に安堵し、時に大笑いしながら、新しい前進への決意を固め合ってきた。しかし、そんな心の触れ合いもない、あまりにも形式的な総会になっていた。
 伸一のあいさつに続いて、法主・日達の特別講演があり、新理事長の森川一正、新会長の十条潔のあいさつと進んだ。
 十条は、これまで三代の会長が築いてきた盤石な基盤のうえに、安定と継続、そして着実な発展を図っていきたいと抱負を語った。
 総会は型通りに終わった。
 この時、狂ったように学会を誹謗し、信徒支配を狙っていた宗門の悪僧や、背後で暗躍した邪智のペテン師らは、“計画通りだ。これでよし!”と、ほくそ笑んでいたにちがいない。伸一には、妬みと欲望の虜となった、その滅びゆく実像がよく見えていた。
 彼が体育館を出て渡り廊下を歩いていると、幼子を背負った婦人など、広場にいた数人の人たちが伸一の姿に気づき、「先生! 先生!」と叫び、広場の手すりまで駆け寄って来た。本部総会の参加者ではない。一目でも会いたいと、外でずっと待っていたのであろう。その目には涙が光っていた。
 伸一は大きく手を振った。
 「ありがとう! お元気で!」
 一瞬の出会いであった。しかし、そこには何があっても変わらぬ、深い魂の結合があった。創価学会の真実の絆があった。
 “これから、こういう尊い方々を、本当に善良な仏子を、誰が守っていくのか! 誰が幸福にしていくのか! 私は、必ず守り抜いてみせる!”
 伸一は、会員厳護の決意を新たにした。

 

〈小説「新・人間革命」〉 大山 六十五   2017年3月20日

 

3月20日

一人立つ行動こそが
後継の資格

 

<まず自分が立ち上がれ!>

 

 御聖訓には、『地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり』(1359頁)とも御断言です。日蓮仏法の魂は、「さきがけ」の勇気です。「二陣」「三陣」と続くためには、自らが一人立つ覚悟がなければ、本当の意味で後を継ぐことはできません。
 ゆえに、まず自分が、決然と立ちあがることです。思い切って行動を起こすことです。先陣の苦労は大きい。しかし、その分、大きく人間革命できるのです。一人の「法華経の行者」が行動を起こせば、周囲の人が二人・三人・十人と目覚めていく。真剣の一人の戦いが、必ず新たな歴史を作るのです。

 

大白蓮華2017年3月号№809 17頁

3月19日

 青年に春風の励ましを!

 

<青年に接する4つの心掛け>

 

 一切は、「人材」を育てることから始まる。
 私は今、中華文化促進会の高占祥主席と対談を進めている。
 その語らいの焦点も、「青年の育成」である。
 高主席自身・全青連(中華全国青年連合会)のリーダーとして活躍されてきた。その日々を原点として、今度は自らが、青年の育成に全力を挙げておられる。
 この高主席は、青年に接する際、4点を心がけておられるという。
 それは、「温暖」「尊重」「信任」、そして「責任」である。
 まず、「温暖」とは、青年に人間的な温かさをもって接することである。硬直した、冷たい態度では、青年には受け入れられない。
 続いて「尊重」とは、青年の人格を尊重することである
 決して、下に見たりしない。青年を尊重する人が、青年から尊敬される。
 さらに「信任」とは、青年を信じることである。信頼こそが、青年に自信と力を涌き出す源となる。
 そして「責任」とは、青年を断固として育て上げるという責任感を持つことである。
 高主席は強調されている。
 「青年は、未来へ向かって伸びゆく種のような存在です。春風のような暖かさを与えることで、花が咲き、実を結ぶことができるのです」と。
 まったく同感である。私たちは、これまでにも増して、青年たちへの春風の励ましを贈りたい。

 

2010年12月26日付 聖教新聞 12月23日全国最高協議会でのメッセージ

 

3月18日

王者の人生

 

<青年こそ全てだ>

 

 青年は宝だ。
 世界の宝だ。
 人類の宝だ。

 
 正しく強く
 青年を育てれば
 永遠に戦争などはない。
 極悪な人間も
 振り払われて
 いなくなる。


 青年の実在は
 大善の太陽の輝きである。
 青年を信じ
 青年を大切にし
 青年を信頼し
 青年を育て上げた人が
 真実に偉い人なのだ。
 また正義と勝利の
 使命と力を持った人なのである。


 未来に生き抜く
 青年たちを
 諸天よ 護れ!


 わが創価の青年は
 一人たりとも
 敗北者になるな!
 断じて
 勝って 勝って
 勝ちまくりゆくのだ。


 富士の如く
 泰然と!
 怒涛の如き
 気迫で!
 春風の如く
 勝利の旗を
 靡(なび)かせゆくのだ。


 使命の青年に
 勝利あれ!
 偉大な青年に
 栄光あれ!


 私の使命は
 ただ この一点に
 人生の最重点を
 置いてきたのだ。
 いな 置いているのだ。

 

 

 2011年1月16日 桂冠詩人の世界 王者の人生

3月17日

常に楽しく我浄し

 

<「生老病死」転じて「常楽我浄」に>

 

 日蓮大聖人は、夫の病と闘う婦人に仰せである。
 「この仏は不死の薬を説かれたのである。今の妙法蓮華経の五字がこれである。しかも、この五字こそ閻浮提の人の病の良薬と説かれている」(御書1470頁、通解)
 妙法は、一閻浮提の人々の生老病死の苦悩を打開する第一の良薬である。
 生身の体である。体調を崩す時もあろう。
 不況の乱世である。経済苦に直面する時もあろう。
 しかし、この妙法の大良薬を抱いた人生に、恐れるものはない。いかなることがあっても、より強盛な信心を奮い起こせば、永遠不滅の仏の境涯へと上昇していけるのだ。
 牧口先生は、戦時中、私の妻の実家での座談会にも、足を運ばれ、特攻刑事の監視のもとで、毅然と常楽我浄の大哲学を語り抜かれた。妻の実家も、明年(2011年)で入信70周年を迎える。
 牧口先生は、仏の境涯である「常楽我浄」の四徳について、わかりやすく「常に楽しく我浄し」という心であると教えてくださっていた。
 「生老病死」という人類の本源的な苦悩を、「常楽我浄」へと転じゆく開拓者が創価学会の我らである。妙法とともに、同志とともに、三代の師弟とともに、「常に楽しく我浄し」との心で、この人生を生き抜き、戦い切っていくのだ。
 明年(2011年)も、「常楽我浄」という生命の希望と歓喜の曲を、朗らかに世界中に奏でてまいりたい。
 終わりに、戸田先生のご指導を申し上げたい。
 「どのような状況にあっても、深く『偉大な信心』に立てば、すべてを開いていける。
 自分が『変わり』、
 自分が『成長』し、
 自分が『責任』を持てば、
 一切に『勝利』できるのだ。
 要は自分だ」
 「一緒に連戦連勝の人生を生き抜こう!」

 

2010年12月23日 全国最高協議会へのメッセージ

3月16日

 3・16「広宣流布記念の日」の意義

 

 彼は、マイクに向かうと、「福島創価学会に、これだけの優秀で立派な男女青年部がいることに、深い感動を覚えるとともに、未来は盤石だと、心から安心しております」と語り、「3・16」の意義に言及していった。
 「『広宣流布記念の日』の淵源となった昭和三十三年(一九五八年)三月十六日の儀式というと、時の総理大臣が来る予定であったことが、語り継がれておりますが、それは、決して本質的な問題ではなかった。
 戸田先生は、そんなことよりも、次の時代の一切を青年に託すという、いわば付嘱の儀式を行おうとされたんです。
 広宣流布というのは、一万メートル競走のように、ゴールがあって、そこにたどり着いたら、それで終わるというものではない。
 むしろ、″流れ″それ自体であり、常に、いつの時代も青年が先駆となり、原動力となって、さらに″新しい流れ″をつくり続けていく戦いなんです。
 戸田先生と師匠の牧口先生とは、二十九歳の年の開きがあった。軍部政府の弾圧によって、共に投獄されたお二人は、逮捕された年の九月、警視庁の二階ですれ違った。
 戸田先生は『先生、お丈夫で!』と声をかけるのが精いっぱいであり、牧口先生は、頷くことしかできない。それが、最後の別れとなった。
 しかし、この瞬間が、師から弟子への、広宣流布のバトンタッチでもあった。
 牧口先生は獄中で亡くなられたが、戸田先生は、生きて獄門を出られた。そして、広宣流布の大発展の流れをつくられたんです」
 山本伸一は、戸田城聖を思い浮かべるように、目を細めながら語っていった。
 「戸田先生は、自ら誓願された会員七十五万世帯を達成された。昭和三十三年(一九五八年)三月には、憔悴しきっておられた。先生と私とは、二十八歳の年の差がある。
 牧口先生が、戸田先生に広宣流布のバトンタッチをされたように、戸田先生は、未来のために、広宣流布の一切を、私をはじめとする青年たちに託された。それが、あの六千人の青年が集った『3・16』の儀式なんです。
 次の広宣流布の流れは、青年につくってもらう以外にない。そして、さらに若い世代が、次のもっと大きな拡大の流れをつくる。その永続的な戦いが広宣流布なんです。
 したがって、後継者が臆病であったり、力がなく、自分たちの世代に、仏法流布の流れを開いていくことができなければ、広宣流布の未来も、学会の未来もなくなってしまう。
 ゆえに私は、青年部の、また、高等部をはじめ、未来に生きる各部の皆さんの育成に、真剣勝負で臨んでいるんです。
 広宣流布は諸君に託すしかない。私は、君たちのために、すべてを注ぎ尽くします。命をも捧げる思いでおります」
 伸一は、それから、青年期は、苦闘と葛藤の連続であり、さまざまな誘惑もあることを述べた。
 「しかし、どんなことがあっても、人生の究極の法である仏法の世界から、創価学会という仏意仏勅の組織から、絶対に離れるようなことがあってはならない。どうか、日蓮大聖人の、『善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし』との御言葉を心肝に染めていただきたい。
 人生には、常に、悩み、苦しみがあるものです。しかし、二十年、三十年と信心を貫き、広宣流布の使命に生き抜いていくならば、何ものにも負けない、強い、金剛不壊の自身を築くことができます。その生命の変革があってこそ、所願満足の人生を歩んでいくことができるんです」
 山本伸一の声に、一段と力がこもった。
 「弱い自分に打ち勝ってこそ、人生の栄光はあります。
 苦難の荒波に、どんなに打ちのめされようとも、粘り強く、そこから決然と立ち上がる力――それが信仰です。それが、地涌の菩薩です。真の学会員です。
 どうか、皆さんは、大試練の時こそ、″われらは、創価の後継者なり″″われらは、新時代の山本伸一なり″との自覚で、さっそうと立ち上がってください。その希望あふれる姿が、広宣流布の力となります。
 これだけの青年が、人びとの勇気の原動力となり、未来を照らす福光の光源となっていくなら、福島は盤石です。二十年先、三十年先、四十年先の、凛々しき闘将となった諸君の勇姿を思い描いて、私の本日の話とさせていただきます。ありがとう!」
 会場は、雷鳴を思わせる青年たちの決意の大拍手に揺れた。
 伸一は、さらに、皆のために、ピアノを弾いた。曲は、楠木正成と正行の父子の別れと誓いをうたった、あの″大楠公″であった。
 ″君たちの闘魂で、英知で、力で、二十一世紀の広宣流布の突破口を開くんだよ!″
 彼は、こう語りかける思いで、三曲、四曲とピアノを弾き続けた。″福光の種子は植えられた″との、手応えをかみしめながらの、喜びの演奏であった。

 

小説『新・人間革命』 第25巻 福光(57~59)

3月15日

 「ようこそ、おこしくださいました!」

 

<自分は盾になり、犠牲にもなろう>

 

守るべきは誰か

 

 山本伸一は、前年の一九七八年(昭和五十三年)七月三日、男子部歌「友よ起て」を作詞・作曲して、後継の青年たちに贈った。
  
 〽広布のロマンを 一筋に
  打てよ鳴らせよ 七つの鐘を
  やがては誉れの 凱歌の世紀
  花に吹雪に 友よ起て
   
 その歌詞にあるように、「七つの鐘」は鳴り響き、今、学会は「凱歌の世紀」をめざして、新しい旅立ちの朝を迎えたのだ。
 五月三日――五月晴れの空のもと、「七つの鐘」の総仕上げを記念する第四十回創価学会本部総会が、東京・八王子市の創価大学体育館で行われた。参加者は皆、新出発の祝賀の本部総会であることはわかっていた。しかし、誰もが心のなかで、一抹の寂しさを拭いきれずにいた。“これから学会は、どうなってしまうのか”との思いも強かった。
 開会は、午後二時である。この総会には、法主の日達をはじめ、宗門僧の代表も出席することになっていた。伸一は彼らを迎えるために、午後一時半前から新会長の十条潔らと創価大学の玄関前に立った。やがてマイクロバス、乗用車が到着し、僧が降りてきた。
 「ようこそ、おこしくださいました!」
 伸一はモーニングに身を包み、丁重にお辞儀をし、僧たちを迎えた。しかし、多くはあいさつもせず、無表情に、傲然と通り過ぎていく。なかには、したり顔で一瞥し、冷ややかな笑いを浮かべる者さえいる。
 伸一の脳裏には、悪僧の冷酷な仕打ちに苦しんできた学会員の悲痛な顔が浮かんでは消えた。今回、自分が身を引くことで、宗門が言うように事態が収まるなら、それでよいと彼は思った。
 守るべきは誰か――健気な学会員である。最愛の同志である。尊き仏子たちである。
 そのために自分は盾になり、犠牲にもなろうと、彼は心を定めていたのである。
 決定した心には、勇気の太陽が昇る。

 

〈小説「新・人間革命」〉 大山 六十一   2017年3月15日

3月14日

 万策尽きた師匠と

弟子の決意

 

 一九五一年(昭和二十六年)の一月六日、万策尽きた戸田城聖が書類整理をしながら語った言葉は、山本伸一には“大楠公”に歌われた楠木正成の心情と重なるのであった。
  
 〽正成涙を打ち払い
  我子正行呼び寄せて
  父は兵庫に赴かん
  彼方の浦にて討死せん
  いましはここ迄来れども
  とくとく帰れ故郷へ
  
 以来、二十八年余――伸一は今、静岡研修道場にあって、後継の人を残して決死の大戦に赴こうとする勇将の胸の内を、そして、わが師の思いを嚙み締めていた。
 彼もまた、十条潔ら新執行部に、さらには後継の若き人材たちに、これからの学会を託して、新しき世界広宣流布へと旅立つことを思うと、あの時の戸田の覚悟が強く心に迫ってくるのである。
 伸一は、研修道場の白いピアノに向かった。指が鍵盤を走り、“大楠公”の曲を奏で始めた。
   
 〽父上いかにのたもうも 
  見捨てまつりてわれ一人
  いかで帰らん帰られん
  此正行は年こそは
  未だ若けれ諸共に
  御供仕えん死出の旅
   
 〽いましをここより帰さんは
  わが私の為ならず
  己れ討死為さんには
  世は尊氏の儘ならん
  …………
   
 彼は心で恩師・戸田城聖に誓っていた。
 “正成も、父の遺志を継いだ正行も、足利方と戦い、敗れ、無念の最期を遂げましたが、私は負けません。必ず全同志を守り抜き、世界広宣流布の新舞台を開きます!”


 *小説『新・人間革命』文中の「青葉茂れる桜井の(大楠公)」(作詞=落合直文)の歌詞は、正規には本文中のとおりですが、学会のなかでは慣習的に、「いまし」は「汝(なんじ)」、「来(きつ)れ」は「来(きた)れ」、「わが私の」は「われ私の」と歌われています。


〈小説「新・人間革命」〉 大山 五十九   2017年3月13日

3月13日

「教行証」を兼ね備えているのは
日蓮大聖人直結の創価学会にしかない!

 

<時代は乱れている。悩める友は多い。>

 

 戸田先生のもとで、私が直々に講義を受けた「当体義抄」には仰せである。
 「所詮、妙法蓮華の当体とは、法華経を信ずる日蓮の弟子檀那等の、父母から生じた肉親そのものをいうのである。
 正直に方便の教えを捨て、ただ法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱える人は、煩悩・業・苦の三道が、法身(仏が証得した真理)・般若(真理を悟る智慧)・解脱(生死の苦悩から脱却した真の自由な境地)の三徳と転じて、三観(三つの観点から法を観ずること)・三諦(究極の真理を三つの側面から捉えたもの)が、そのまま一心にあらわれ、その人が住するところは常寂光土となるのである」(御書512頁、通解)
 日蓮仏法の真髄を明かされた甚深の法門である。
 どんなに、煩悩や業苦が渦巻く現実社会にあっても、妙法を唱え、広宣流布に生きゆく人は、このわが身を「妙法蓮華」の当体と光輝かせて、決して崩れない幸福境涯を開いていくことができる。
 これが、御本仏の御約束である。
 わが創価学会は、この日蓮大聖人の仰せ通りに実践し、そして一人一人が宿命との戦いに打ち勝って、妙法の大功力を実証してきたのである。
 どんな厳しい試練にあったとしても、断じて負けない。絶対に変毒為薬できる。
 その「百発百中」の現証を厳然と示し切ってきたのが、創価の80年であるといってよい。
 仏法には「教行証」が説かれている。
 つまり、仏の教えである「教」、その教えによって立てた修行の「行」、その修行によって得られる果徳の「証」である。
 末法の時代において、「教行証」を兼ね備えているのは、結論すれば、日蓮大聖人の大仏法しかない。
 すなわち、大聖人に直結の創価学会だけが、今、現実の上で、「教行証」を完璧に兼備している。全国、全世界の座談会で生き生きと語られる歓喜の体験こそ、その何よりの証明である。
 時代は乱れている。悩める友は多い。
 だからこそ、いよいよ声高らかに、大仏法を語り、妙法の功徳を咲き薫らせてまいりたい。

 

2010年12月23日 全国最高協議会へのメッセージ

3月12日

「声仏事を為す」

声は力!会って励ませ!

 

<遠慮してはいけない。
言うべきことは明快に言うのだ。>

 

 人を動かすのは人だ。心を揺さぶるのは心だ。
 直接会う。会って語る。そこに生命の触発が生まれる。
 新しい出会いには刺激があり、新鮮味がある。人を励ませば、自分の心が励まされ、開かれていく。
 会えなければ、電話でもいい。声がつながればいい
 「声仏事を為す」(御書708頁)である。また「音(こえ)も惜しまず」(同504頁)とも仰せだ。真剣な声、誠実な声、正義の声――そこに込めた思いは、必ず通じていく。
 声が心を変える。「楽しくやろう!」「自分らしく!」「朗らかに!」――たった一言でも、皆、元気になる。
 声が力になる。「無事故でね!」「気をつけて!」。その一言が事故を未然に防ぐ。
 遠慮してはいけない。言うべきことは明快に言うのだ

 

2012年9月30日付 聖教新聞 今日も広布へ 33

3月11日


創立100周年は、
目覚めた地涌の民衆による
「立正安国」の揺るぎなき基盤の完成

 

<牧口先生の殉教は

学会の運動の永遠の原点>

 

 わが師・戸田先生は叫ばれた。
 「百年の大計、いな、何千年の平和の大計をたて、もって、日蓮大聖人の御恩に報ずるとともに、民衆万年の幸福を確立することが、創価学会である
 創価学会は1930年(昭和5年)――第一次世界大戦(1914年~1918年)と第2次世界大戦(1939年~1945年)の間に誕生した。
 当時、宗門は、大聖人が御一代をかけて戦い抜かれた「立正安国」の魂を忘れ去り、かえって国家主義に加担する体たらくであった。
 その時に、民衆の大地から、仏意仏勅の創価学会が出現したのである。
 創立の父・牧口先生は、「立正安国」の精神を体し、殉教なされた。正義の殉教は、人間として究極の道であり、学会の運動の永遠の原点となった
 創価学会は、大聖人の本義に立ち返って、妙法による人間革命を、一切の根本とした。一人また一人と、民衆自身が声をあげた。
 「人類の幸福」のため、「社会の繁栄」にため、「世界平和」のために、何ものも恐れぬ地涌の菩薩の対話を開始したのである。
 戸田先生が展望された「百年の大計」――。
 まさに創立100周年は、目覚めた地涌の民衆による「立正安国」の揺るぎなき基盤の完成の時といってもよい。
 そこから、人類の幸福境涯を築きゆく広宣流布の大河が、さらに滔々と「万年の外」「未来までも」流れ通いゆくのだ。
 ゆえに、これからの一年一年が「真剣勝負」である。その出発が明年(2011年)である。なかんずく、わが足元の地域から、信頼と友好を広げながら、「立正安国」の磐石なる土台を固めていきたい。
 大聖人は仰せである。「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、仏種は縁に従(よ)って起る是の故に一乗を説くなるべし」(御書1467頁)
 皆、大聖人から、直接、使命の国土をまかせられた、地域の幸福責任者である。楽しく賢く対話を重ね、仏縁を結びながら、わが天地に、「立正安国」の楽土を築き広げてまいりたい。

 

2010年12月23日 全国最高協議会へのメッセージ

 

3月10日

「創価学会仏」を

永遠ならしめていく要件

 

 法華経の不軽品に、「威音王仏」という名前の仏が登場する。この仏は、一人を指すのではない。最初の威音王仏の入滅後、次に現れた仏も「威音王仏」といった。そして「是くの如く次第に二万億の仏有し、皆同一の号なり」(法華経五五六ページ)と記されている。つまり「二万億の仏」が、皆、同じ「威音王仏」という名前で、長遠なる歳月、衆生を救済してきたと説かれているのだ。
 戸田城聖は、「これは、威音王仏の名を冠した『組織』『和合僧団』とはいえまいか」と鋭く洞察していた。
 個人の今世の寿命は限られている。しかし、広宣流布に戦う根本精神が師匠から弟子へと脈々と受け継がれ、一つの組織体として活動し続けるならば、それは、民衆を救済し続ける恒久的な仏の生命力をもつことになる。
 「創価学会仏」とは、初代会長・牧口常三郎、第二代会長・戸田城聖という師弟に連なり、広宣流布大誓願の使命に生きる同志のスクラムであり、地涌の菩薩の集いである。
 その「創価学会仏」を永遠ならしめていく要件とは何か。
 第一に、一人ひとりが「広布誓願」の生涯を生き抜くことである。人生の根本目的は広宣流布にあると深く自覚し、苦悩する人びとと同苦しながら、「力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(御書一三六一ページ)との御聖訓を心肝に染めて進んでいくのだ。
 第二に、「師弟不二」の大道を歩み抜くことである。死身弘法を貫いた創価の師の魂を受け継ぎ、師の教えを徹して学び、自らの行動の規範とするのだ。つまり、日々、心に師をいだき、師と対話し、“師ならばどうするか”と考え、戦い生きることである。
 第三に、「異体同心」の団結である。日蓮大聖人は、「異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」(同一三三七ページ)と仰せである。広宣流布のために、それぞれが心を一つにし、全力を発揮していくなかにこそ、信心の血脈が流れ通うのである。

 

 〈小説「新・人間革命」〉 大山 五十六   2017年3月9日

3月9日

平和への一本の道
 

 私は
 長い間
 世界の道を歩いてきた。
 多くの思い出を
 残しながら!
 多くの歴史を
 創りながら!

 


 私には悔いはない。
 戦争と不安を
 世界からなくすために
 慈愛の火が
 正義の心に
 燃えていたからだ。

 


 無名の私には
 無数の歓喜の戦いがあった。
 そして
 無数の友の
 多彩な どよめきがあった。

 


 新たに大きい
 平和の道を築いたのだ。
 青春を燃やしながら
 燃える目で
 理想の夢の世界を
 創りたかったのだ。

 


 いつも
 妙法という
 幸福の光の中に
 立っていた。
 歩いていた。
 そして
 戦っていた。

 


 疲れた目を閉じれば――
 ほとんど
 息をする暇もないほど
 正義の声を
 張り上げてきた。

 

 

 「世界の広布」とは
 「世界の平和」という
 意味だ。
 その夢の実現のほかに
 私には
 何も残っていない。

 


 平和こそ
 最も厳粛な
 人間にとっての
 最大の仕事である。

 

 

 2011年1月23日(日)聖教新聞 桂冠詩人の世界

3月8日

折伏精神で

強く強く前に出なさい!

 

<引っ込み思案は大きな欠点>

 

 広宣流布の戦は断じて勝つことだ。
 勝ってこそ正義である。
 自身のため、
 一家のため、
 わが愛する地域のために、
 勝ちまくっていただきたい。
 戸田先生は呼びかけられた。
 「しっかりと信心で立ち上がることだ。
  いかなる戦いも、折伏精神を大いに盛り上げて断じて勝つことだ!」
 「引っ込み思案は大きな欠点である。
  強く強く前に出なさい!」
 折伏精神で、強き信心で進もう!

 

2009年4月14日 全国代表協議会

3月5日~7日

「師子王の心」で勝ち進め!

 

<混迷する社会に勝利の大道を>


 『願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ 』(閻浮提中御書、1589頁)
 ――願わくは、わが弟子等は師子王の子となって、群狐に笑われることがあってはならない。
 師子王は百獣を恐れない。
 大聖人の正統として、我ら壮年部は広宣流布と立正安国の誓願に走り抜いている。「師子王の心」を取り出せないわけがない。いかなる険難も悠然と乗り越えゆくのだ。
 信頼する勇猛精進のわが戦友よ、厳然と皆を守りゆく創価家族の父たちよ、「忍辱の鎧」をまとい、混迷の社会に断固と勝利の大道を開きゆこうではないか!

 

〈御書と歩む――池田先生が贈る指針〉55   2017年3月2日

3月4日

今の我が願いは

本物の「師子」をつくること

 

<師弟の道に徹する人>

 

 未来の一切は、
 後継者で決まる。
 若い人が
 命を継いで立ち上がってくれれば、
 将来も
 永遠に勝ち続けることができる。
 滔々たる
 人材の流れをつくった人が、
 本当の勝利者である。


 “後継”と
 “後続”とは異なる。
 後方の安全地帯に身を置き、
 開拓の労苦も知らず、
 ただ後に続く
 “後続の人”に、
 “後継”の責任を果たすことなど
 できようはずがない。
 “後継の人”とは、
 勝利の旗を打ち立てる
 “先駆の人”でなければならない。


 世間には
 浅薄な人間関係で
 よしとする風潮があろうが、
 学会は違う。
 あらゆる機会をとらえて、
 語り合うのだ。
 耳を傾け、励ますのだ。
 共に悩み、共に祈るのだ。
 共に動き、共に戦うのだ。
 その人を知れば知るほど、
 「必ず広布の人材にしていこう!」
 「必ず師匠に縁させていこう!」と
 祈りは深まる。
 この深き祈りこそ、
 「人材・拡大」の原動力である。
 「師弟」に生きる人は強い。
 断じて、勝っていける。


 私は、師弟の道に徹しゆく
 本物の「師子」をつくりたい。
 一騎当千の
 力のある師子を育てたい。 
 いかなる嵐にも微動だにしない、
 正義の師子を、
 一人でも多く
 育てていきたいのだ。
 それが今の私の願いである。

 

〈池田大作先生 四季の励まし〉 滔々たる人材の流れを   2017年3月4日

3月3日

大願ををこせ

 

<「万人成仏」こそが仏の願い>

 

本来、我が根底にある思いこそが

「万人成仏」の願い

 

 『願くは、我が弟子等・大願ををこせ』(上野殿御返事、1561頁)
 「願くは」と万感の思いを込められ、そして「我が弟子等」と全門下に呼び掛けられている意義を、深く心に刻みたい。
 「大願」とは、万人成仏という仏の偉大な願いであり、広宣流布という大いなる願いです。全民衆を救いたい――これこそが仏の願いです。
 法華経方便品には、釈尊自身の根本の誓願について「如我等無異(我が如く等しくして異なること無からしめん)」(法華経130頁)と説かれています。
 釈尊在世の弟子たちは、過去世に自身が常に師匠と共戦を続けてきたことを思い起こして、大いなる使命に目覚めました。
 さらに、本弟子たる地涌の菩薩は、久遠から釈尊と同じ広宣流布の願いを共有してきました。
 師と共に同じ誓いに立ち、自他共の幸福を実現しようと法を弘め、人々を励ましていく。この仏法の慈悲に連なる「大いなる願い」は、決して特別に選ばれた人だけが持つものではない。全ての弟子、ひいては、誰人もが本然的に胸中に抱いているものです。
 大願を「をこせ」とは、この誰もが本来持っている、自分の根底にある願いを「思い起こしなさい」ということでもありましょう。

 

大白蓮華2017年3月号№809 14頁

3月2日

学会員は大聖人の分身

 

<その身分は最尊、最高>

 

 戸田先生は、こうも語られていました。
 「(学会員は)『仏の使い』であります。如来につかわされた身であります。大聖人の分身であります。凡夫のすがたこそしておれ、われら学会員の身分こそ、最尊、最高ではありませんか
 創価学会は、かけがえのない人間の蘇生のドラマを生み出してきました。未曾有の人間教育の大地といってもよいでしょう。それも全て、私たち一人一人が、広宣流布という大目的に向かって走り抜いているからです。
 大願に生きる時に、偉大な人間革命の軌跡を残すことができます。
 妙法と共に、学会と共に、同志と共に生き抜くならば、いかなる苦難も試練も変毒為薬して、必ずや見事な勝利劇を演ずることができるのです。

 

大白蓮華2017年3月号№809 16頁

3月1日

波浪は障害にあうごとに、

その頑固の度を増す

 

 四月二十四日の夜更け、山本伸一は日記帳を開いた。この一日の出来事が、次々に頭に浮かび、万感の思いが込み上げてくる。
 “本来ならば、二十一世紀への新たな希望の出発となるべき日が、あまりにも暗い一日となってしまった。県長会の参加者も皆、沈痛な表情であった……”
 彼は、今日の日を永遠にとどめなければならないと、ペンを走らせた。
 日記を書き終えた時、“ともかく人生ドラマの第二幕が、今開いたのだ! 波瀾万丈の大勝利劇が、いよいよ始まるのだ!”と思った。そして、自分に言い聞かせた。
 “荒波がなんだ! 私は師子だ。広宣流布の大指導者・戸田先生の直弟子だ。
 新しい青年たちを育て、もう一度、新たな決意で、永遠不滅の創価学会をつくろう!”
 闘魂が生命の底から、沸々とたぎり立つのを覚えた。若き日から座右の銘としてきた一つの言葉が、彼の脳裏を貫いた。
 ――「波浪は障害にあうごとに、その頑固の度を増す
 この夜、各地で緊急の会合が開かれ、伸一の会長勇退と新体制の発足が伝えられた。
 関西では、登壇した幹部が、かつて戸田城聖が理事長を辞任した折、伸一が戸田に贈った和歌を読み上げ、声を大にして叫んだ。
 「『古の 奇しき縁に 仕へしを 人は変れど われは変らじ』――この和歌のごとく、たとえ山本先生が会長を辞めても、関西の私たちの師匠は、永遠に山本先生です」
 すると皆が、「そうだ!」と拳を突き上げたのである。
 また、テレビ、ラジオは夜のニュースで、会長勇退の記者会見の様子を伝えた。
 学会員の衝撃は、あまりにも大きかった。
 しかし、同志の多くは自らを鼓舞した。
 “勇退は山本先生が決められたことだ。深い大きな意味があるにちがいない。今こそ広布に走り抜き、先生にご安心していただくのが真の弟子ではないか!”
 皆の心に、師は厳としていたのである。

 

〈小説「新・人間革命」〉 大山 四十九   2017年3月1日

2月28日

妙法の「戦友」

 

 山本伸一が聖教新聞社を出て、自宅に向かったのは、午後十時前のことであった。
 空は雲に覆われ、月も星も隠れていた。
 これで人生ドラマの第一幕は終わったと思うと、深い感慨が胸に込み上げてくる。
 すべては、広布と学会の未来を、僧俗和合を、愛するわが同志のことを考えて、自分で決断したことであった。彼は思った。
 “これからも、学会の前途には、幾たびとなく怒濤が押し寄せ、それを乗り越えて進んでいかなくてはならないであろう。私が一身に責任を負って辞任することで、いったんは収まるかもしれないが、問題は、宗門僧らの理不尽な圧力は、過去にもあったし、今後も繰り返されるであろうということだ。それは広宣流布を進めるうえで、学会の最重要の懸案となっていくにちがいない。
 学会の支配を企てる僧の動きや、退転・反逆の徒の暗躍は、広宣流布を破壊する第六天の魔王の所為であり、悪鬼入其身の姿である。信心の眼で、その本質を見破り、尊き仏子には指一本差させぬという炎のような闘魂をたぎらせて戦う勇者がいなければ、学会を守ることなど、とてもできない。広宣流布の道も、全く閉ざされてしまうにちがいない”
 未来を見つめる伸一の、憂慮は深かった。
 玄関で、妻の峯子が微笑みながら待っていた。家に入ると、彼女はお茶をついだ。
 「これで会長は終わったよ」
 伸一の言葉に、にっこりと頷いた。
 「長い間、ご苦労様でした。体を壊さず、健康でよかったです。これからは、より大勢の会員の方に会えますね。世界中の同志の皆さんのところへも行けます。自由が来ましたね。本当のあなたの仕事ができますね」
 心に光が差した思いがした。妻は、会長就任の日を「山本家の葬式」と思い定め、この十九年間、懸命に支え、共に戦ってくれた。いよいよ「一閻浮提広宣流布」への平和旅を開始しようと決意した伸一の心も、よく知っていた。彼は、深い感謝の心をもって、「戦友」という言葉を嚙み締めた。


〈小説「新・人間革命」〉 大山 四十八   2017年2月28日

2月27日

勝負の時とは、

師匠が直接、指揮を執らなくなった時!

 

<皆が“伸一”になるんだ!>

 

 山本伸一は、記者団の質問に答えて、今後の自身の行動について語っていった。
 「学会としては、世界の平和をめざし、仏法を基調として、さらに幅広い平和運動、教育・文化運動等を展開していきます。私は、その活動に時間をあて、行動していきたいと考えています」
 伸一への質問は続いた。
 「会長交代によって、今後、学会と公明党の関係は変わりますか」
 記者たちの最大関心事は学会と政治との関係にあったようだ。伸一は微笑みながら、「それは、新会長に聞いてもらわないと。でも、これまでと同じでしょ?」と言って、隣の十条潔の顔をのぞき込んだ。
 十条は大きく頷いた。
 「やっぱり、同じですって」
 また、笑いが広がった。
 「これまで同様、学会が公明党の支援団体であることに変わりはないということです。公明党には、いちばん国民のために貢献していると言われる党に、さらに成長していっていただきたいというのが、私の願いです」
 彼は、すべての質問に、率直に答えた。
 午後八時前、記者会見は終わった。
 受付の女子職員が、心配そうな顔で伸一を見ていた。彼は、微笑を浮かべて言った。
 「大丈夫! 私は何も変わらないよ!」
 それから別室に移り、青年部幹部らと懇談した。彼は魂を注ぎ込む思いで訴えた。
 「私が、どんな状況に追い込まれようが、青年が本気になれば、未来は開かれていく。
 弟子が本当に勝負すべきは、日々、師匠に指導を受けながら戦っている時ではない。それは、いわば訓練期間だ。師が、直接、指揮を執らなくなった時こそが勝負だ。
 しかし、師が身を引くと、それをいいことに、わがまま放題になり、学会精神を忘れ去る人もいる。戸田先生が理事長を辞められた時もそうだった。君たちは、断じてそうなってはならない。私に代わって、さっそうと立ち上がるんだ! 皆が“伸一”になるんだ!」

 

〈小説「新・人間革命」〉 大山 四十七   2017年2月27日

2月26日

「私が創価学会である!」

「私が、わが地域の広宣流布を進める!」

 

「自分の中に学会がある」

 

 目覚めた学会員の一人一人に共通しているのは、「学会の中に自分がある」のではなく、「自分の中に学会がある」という自覚です。また、「私が、わが地域の広宣流布を進める!」という「主体者の誇り」です。
 私自身、戸田先生の事業の苦境を支えながら、青年部の班長のときも、学会のことは全部、わが使命であると捉え、「どうすれば一番、広宣流布が進むのか」を悩み、考え、祈り、戦いました。
 「戸田先生ならどうされるだろうか」と、広宣流布の大将軍である先生の不二の弟子として、大田や文京、大阪、山口、荒川、葛飾などで万事に対処していきました。
 海外の地を訪問した時も、「私の存在そのものが創価学会だ。『アイ・アム・ザ・ソウカガッカイ』でいこう!」と、人々と胸襟を開いて対話に走ってきたのです。
 世界広布新時代が大きく進みゆく今この時に、各国・各地の若人が「私が創価学会である!」との気概で立ち上がってくれている。
 この創価の青年の存在こそが、「地球の未来の柱」ではないでしょうか。

大白蓮華2017年3月号№809 12頁

2月25日

信心、人間としての勝利 

 

 <愚直のごとき求道の人

着実にして地道なる信心、生活を築き上げた人>

 

 今月の座談会で全同志が生命に刻んだ御書に、こう仰せである。
 「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(御書1253頁)
 誰人たりとも、「生老病死」の苦悩を避けることはできない。誰もが厳しい冬を耐え、戦わねばならぬ運命にあるともいえよう。だが、冬があればこそ、本当の春を知ることができる。御本尊を持った人は、人生の闘争の誉れの勇者なのだ。
 たとえ今、試練の冬にあろうとも、心は閉じこもりはしない。一歩、北風に踏み出す勇気に、戦う力、負けない力が湧き上がる。その心には、もう勝利の春が始まっているのだ。「冬の中に春を生む」梅花のように。(中略)
 私は長年、多くの人生を見てきた結論として申し上げた。
 「信心、また人間としての勝利は、愚直のごとき求道の人、また、着実にして地道なる信心、生活を築き上げた人が、凱歌をあげている」と。

 

2017年2月22日随筆 永遠なれ創価の大城 16 青年の息吹で春へ(抜粋)

2月24日

竜女の成仏(完) 

 

 未来永遠の女性の幸福の道を開く!

 

 すべての母たちの幸福のために!
 すべての女性たちの栄光のために!

 

 妙法を持った一人の真剣な女性には、だれもかなわない。
 今日、広宣流布を最大に支えてくださっているのは女性の皆様である。
 なかんずく、白樺の皆様方、そして女性ドクターの健気にして勇敢な奮闘は、学会の宝である。
 男性リーダーは、このことを、ゆめゆめ忘れてはならない。
 仏に等しい女性の同志に対して、威張ったり、叱ったりすれば、厳しい仏罰が出る。
 大聖人は、「女人成仏」を説き明かした法華経こそが、悲母の恩を報ずることのできる真実の「報恩経」(御書1312頁)であると述べられている。
 御義口伝では、「竜女の二字は父子同時の成仏なり」(同746頁)と仰せである。
 また、開目抄において、「竜女が成仏は末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし」(同223頁)と断言されている。
 広宣流布に生き抜く行動こそが、母も父も、さらに縁するすべての人々を成仏に導いていく、大直道なのである。
 現実は、さまざまな苦難の連続である。竜女がそうであったように、驕慢や無理解や偏見が、渦巻いているかもしれない。
 しかし、妙法の師弟の道を生き抜く女性が、負けるわけがない。不幸になるわけがない。
 そして、「今」「ここ」で、自分自身が断固として勝ちきっていくことが、未来永遠の女性の幸福の道を開くのである。
 すべての母たちの幸福のために!
 すべての女性たちの栄光のために!
 これが、広布の道である。日蓮大聖人の御心であり、我ら創価学会の大願である。

 

2007.8.12 ドクター部・白樺会・白樺グループ合同研修会

2月23日

 一つの終わりは、新しい始まりだ。

 

 が後継の師子として立つんだ>

 

 会場の中央にいた男性が立ち上がった。まだ三十代の東北方面の県長である。彼は、県長会の参加者に怒りをぶつけるかのように、声を張り上げて訴えた。
 「皆さんは、先生が辞任されるということを前提に話をしている。私は、おかしいと思う。そのこと自体が、納得できません!」
 沈黙が流れた。
 伸一の声が響いた。
 「辞任が大前提でいいじゃないか。私は、そう決めたんだ。これで新しい流れができ、学会員が守られるならば、いいじゃないか。
 声を荒らげるのではなく、学会は和気あいあいと、穏やかに、団結して進んでいくことだよ。私と同じ心であるならば、今こそ、同志を抱きかかえるようにして励まし、元気づけていくんだ。みんなが立ち上がり、みんなが私の分身として指揮を執るんだ!
 初代会長の牧口先生が獄死されても、戸田先生がその遺志を受け継いで一人立たれた。そして、会員七十五万世帯を達成し、学会は大飛躍した。その戸田先生が逝去された時、私は、日本の広宣流布を盤石にし、必ずや世界広布の流れを開こうと心に誓った。そうして今、大聖人の仏法は世界に広がった。
 物事には、必ず区切りがあり、終わりがある。一つの終わりは、新しい始まりだ。その新出発に必要なのは、断固たる決意だ。誓いの真っ赤な炎だ。立つんだよ。皆が後継の師子として立つんだ。いいね。頼んだよ
 県長会は、涙のなかで幕を閉じた。
 何があろうと、皆の心に峻厳な創価の師弟の精神が脈動している限り、新しき道が開かれ、広宣流布は伸展していくのだ。
 引き続き、午後には総務会が開かれた。
 この席上、伸一の会長辞任の意向が伝えられ、受理された。さらに総務会では、懸案であった「創価学会会則」の制定を審議し、採択。これに基づき、新会長に十条潔が、新理事長に森川一正が選任され、伸一は名誉会長に就任した。それは、伸一にとって、壮大な人生ドラマの新章節の開幕であった。

 

〈小説「新・人間革命」〉 大山 四十三

2月22日

 竜女の成仏(6)

 

 <性別や社会的地位などは一切関係ない。

ただ「信心の厚薄」によって成仏が決まる。>

 

 法華経では、真の成仏である「即身成仏」を示すにあたり、「女人成仏」という形をとっている。その意義は、まことに甚深である。
 朝な夕な、読誦している寿量品の自我偈には、「質直意柔軟 一心欲見仏 不自惜身命」と説かれる。
 「質直意柔軟」は、心がまっすぐで(質直)、囚われるものがない(柔軟)という意味である。
 一心不乱に身命を惜しまず、求道心を燃やし、師とともに、広宣流布の大道を歩む。
 その模範が、女性の弟子たちによって示されていることこそ、よくよく知らねばならない。
 大聖人は、「諸法実相抄」に綴られた。
 「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女をきらふべからず」(御書1360頁)
 「四条金吾殿女房御返事」には、「此の経を持つ女人は一切の女人に・すぎたるのみならず一切の男子に・こえたり」(同1134頁)と仰せである。
 大聖人の仏法は、性別や社会的地位などは一切関係ない。ただ「信心の厚薄」によって成仏が決まる。
 そして信心強盛な女性こそが最も尊貴なりと、大聖人は賞讃され、成仏は間違いないと励ましておられる。
 鎌倉から、はるばる佐渡の一谷(いちのさわ)まで大聖人をお訪ねした女性門下を、「日本第一の法華経の行者の女人」(同1217頁)と賛嘆なされ、「日妙聖人」の尊称を与えられた。そのほかにも、健気な信心を貫く女性に「上人」の号などを贈り、讃えておられる。
(つづく)

2月21日

 竜女の成仏(5)

 

 <「竜女の成仏」とは「即身成仏」、
「即身成仏」とは

「師との誓願のままに広宣流布への具体的な実践をする姿」

即ち「師弟不二」そのもの>

 

 竜女の成仏の本質は「即身成仏」にある。
 大聖人は、「(法華経)の第五の巻に即身成仏と申す一経第一の肝心あり」(御書1311頁)、「この経は女人成仏を手本としてとかれたり」(同頁)等と仰せだ。
 法華経では、それまで成仏できないとされていた二乗にも、悪人にも、成仏の道が開かれた。
 これらは画期的なことであるが、いずれも未来の成仏であり、「未来に成仏できる」と仏から保証されたものである。
 竜女の成仏は、「即身成仏」であり、成仏の「現証」である。
 「即身成仏」が示されなければ、法華経で説かれる「万人の成仏」も、結局、絵に描いた餅になってしまう。
 この、重要な「即身成仏」の証明役を、最も虐げられ、軽んじられてきた竜女が、堂々と、晴れ晴れと果たしたのである。
 私は常々、「一番、苦労した人が、一番、幸せになる権利がある」と訴えてきた。
 この確信もまた、法華経に説かれた成仏観によるものであることを、知っていただきたい。
 先にも述べたように、竜女が師・釈尊に手渡した宝珠は、わが生命に具わる仏性である。
 その宝珠を、師・釈尊は莞爾として受け取ってくださった。
 それは、竜女の仏性が、まぎれもなく、仏の生命と一体であることを示している。
 さらに、竜女は、師への誓願のままに、ただちに広宣流布へ、行動していった。
 この具体的な実践が、即身成仏の姿そのものといってよい。
(つづく)

2月20日

 竜女の成仏(4)

 

 <竜女成仏の劇>

 

 さて、舎利弗の不信を受けて、竜女は、三千大千世界――宇宙大の価値にも等しい、一つの「宝珠」を取り出して、釈尊に捧げた。
 釈尊は、宝珠を温かく受け入れた。
 この宝珠は、その深義をいえば、宇宙の根本の法である「妙法」を表している。また、仏性を具える「生命」を表している。
 竜女は舎利弗たちに対して、「自分の成仏は、この宝珠の受け渡しよりも速やかなのです」と毅然と述べた。そして竜女は、「我が成仏を観よ」と叫び、仏として一切衆生のために妙法を説きゆく姿を、はっきりと現したのである。
 大聖人は竜女の成仏について、「舎利弗よ、これを『竜女の成仏』と思うのが見当違いなのだ。『我が成仏』なのだと観ていくのだ、と(竜女が舎利弗を)責めたのである」(御書747頁、通解)と仰せになっている。

 竜女の偉大な姿を見た娑婆世界の衆生は、大いに歓喜し、最敬礼を贈った。その衆生も竜女に続いて、成仏の記別を受けたのである。
 厳然たる実証を前にして、竜女の成仏を疑った智積や舎利弗も、信受せざるをえなかった。これが、法華経に説き明かされた竜女成仏の劇である。
(つづく)

2月19日

 竜女の成仏(3)

 

 <「弟子が師匠を決める」>

 

 だが、今度は、「智慧第一」と謳われる舎利弗が、竜女に対して不信を述べる。
 ――あなたは短い間に無上道の悟りを得たと思っているが、このことは信じがたい。
 なぜかと言えば、女性の身は汚れていて、仏法を受け入れる器ではないからだ。どうして無上の悟りを得ることなど、できるであろうか(できるはずがない)――
 舎利弗をはじめとする、最高峰の知性とされた人々でさえ、どれほど傲慢に、どれほど冷淡に、どれほど疑い深く、若き竜女を見下し、侮っていたかを、物語っていよう。
 他人を見下す。自分がやるべきことを、だれかに任せて、何も責任をとらない。そういう人間が指導者になった組織は、周りから軽んじられ、信頼を壊してしまう。
 学会の歴史においては、三代の師弟が誹謗されても、“知ったことではない”と言わんばかりの態度をとる人間が、退転していった。この峻厳な事実も、皆さんがご存知の通りである。
 私は、たとえ無一文になろうと、身に危険が及ぼうと、学会の礎となり、いい学会をつくりあげよう、それだけ思って生きてきた。
 牧口先生がそうであられた。戸田先生もそうであった。しかし、この心のわからない最高首脳もいた。
 広宣流布の戦いは、死にものぐるいでやらねばならない。私は、不惜身命、勇猛精進で進んできた。だから学会は発展した。そうやって初めて、王者の風格が生まれる。人が育つ。
 「師匠が弟子を決める」のでなない。「弟子が師匠を決める」のである。これは、わかっているようで、難しいことだ。師匠の正義を満天下に示すには、弟子が結果を出す以外にない。
(つづく)

2月18日

 竜女の成仏(2)

 

<師匠はすべてをわかってくださっている>

 

 提婆品では、大海の竜宮で弘教していた文殊師利菩薩(智慧を体現する。迹化の菩薩の代表)が、虚空会に現れる。
 文殊に対して、智積菩薩は、「あなたは竜宮でどのくらいの衆生を化導してきたのか」と尋ねた。
 すると文殊は、「竜宮において、もっぱら法華経を説いて無量の衆生を化導してきた」「竜王の娘である8歳の竜女が法華経を聞いて即座に悟りを得た」と答えたのである。
 しかし智積は、竜女が成仏したという文殊の言葉を信じられない。
 竜女は、成仏できないとされてきた女人であり、畜生の身であり、そのうえ、わずか8歳という幼さである。
 智積は言う。
 ――仏の悟りとは、無量劫の間、難行苦行を重ねて初めて得られるものだ。
 竜女が、即座に成仏できたなどとは、到底認めることはできない。
 ところが、智積が言い終わらないうちに、竜女自身が現れる。そして、根本の師匠と仰ぐ釈尊に対して語った。
 「仏のみが、自分の成仏を知ってくださっています。私は大乗の教え(法華経)を開いて、苦悩の衆生を救ってまいります
 たとえ、傲慢な者たちが、自分を認めなくとも構わない。師匠である釈尊は、すべてをわかってくださっている。竜女には、この大いなる確信があった。
 妙法に生きゆく師弟不二の生命は、強く、尊く、そして朗らかである。
 (つづく)

 

2月17日

 竜女の成仏(1)

 

<「竜女の成仏」は「師弟不二」の勝利劇>

 

 法華経、そして日蓮大聖人の仏法の眼目は何か。
 それは「女人成仏」――
 すなわち、永遠なる「女性の尊厳」「女性の幸福」「女性の勝利」である。
 これまでも、幾たびとなく語ってきたが、その意義について、あらためて確認しておきたい。
 大聖人は「千日尼御前御返事」において、伝教大師、天台大師の釈を引かれ、『一代聖教の中には法華経第一・法華経の中には女人成仏第一なり』と仰せである。(御書1311頁)
 法華経以前の爾前教の経典は、「女人成仏」であった。
 この差別を根底から覆し、「女人成仏」を厳然と示したのが、法華経であり、日蓮大聖人の仏法である。
 古来、女性に対して、「五障」「三従」といわれる差別観があった。
 「五障」とは、梵天・帝釈・魔王・転輪聖王・仏にはなれないという差別である。
 「三従」とは、女性は小さい時は親に従え、結婚したら夫に従え、老いたら子に従え、という差別である。実に、根深い偏見であり、因習であった。
 女性は成仏できない、という差別を大きく転換して、すべての女性の勝利を謳いあげた教え。
 それこそが、法華経の提婆達多品で説かれる、「竜女の成仏」のドラマなのである。
 それは、まさしく「師弟不二」の勝利劇であった。

(つづく)

2月16日

 先生にお仕えする

 

<「有言実行」で悔いのない自分を!>

 

 私は、一人の青年として、学会の一リーダーとして、すべて、戸田先生のおっしゃる通りに実践した。
 日蓮大聖人の仰せの通りに、大難と戦い、世界広宣流布を進めてきた。
 自ら誓ったことは、すべて成し遂げた。「有言実行」を貫いた。
 私には、何の悔いもない。若き青年部の諸君もまた、そうであってもらいたい。
 私が、若き日に、どれほど力を尽くして戸田先生にお仕えしたか。
 夜中に先生から電話がかかってきて、急きょ、呼び出される――そうしたことが、何度もあった。車がないので、タクシーをつかまえて、飛ぶようにして先生のもとへ駆けつけた。
 またある晩は、先生のお宅の外に立って、先生をお護りしたこともあった。
 口先ではない。観念でもない。
 私は、師匠のため、学会のために、すべてをなげうって戦った。「師弟不二」で戦い抜いたのである。

 

2007年9月28日 全国代表協議会

2月15日

 指導者は後世のために道を開け!

 

<常に先手、先手を打ち、死にものぐるいで> 

 

 新進のリーダーに、山岡壮八氏の小説『徳川家康』の一節を贈りたい。
 「戦はの、始まったら士気の鼓舞じゃ。いったん火蓋を切ったうえはつねに陣頭に立つほどの覚悟がなくてはならぬが、始まる前に知っておかねばならぬことは、掛け声や、空威張りの擬態ではない」(『徳川家康17』講談社文庫)
 指導者は、ひとたび広宣流布の舞台に立ったならば、常に先手、先手を打ち、死にものぐるいで、後世のために道を開かねばならない。
 私は、どんな苦境にあっても、その実践を貫いてきたつもりである。
 1万日の獄中闘争を戦ったマンデラ前大統領(南アフリカ)が述べている。
 「人格はきびしい状況のもとでこそ測られる」(東江一紀訳『自由への長い道(下)』日本放送出版協会)
 多忙な日程を割いて、会いに来てくださったことを、私は忘れない。<1990年10月、聖教新聞社で初会見。95年7月迎賓館で再会>
 また、広布の指導者は、会合の話一つとっても、新鮮味がなければならない。そこから、波動を起こさなければならない。
 話に幅がない。体験がない。勉強がない。求道心がない。それでは、幹部失格である。
 自分に求道心がなくして、相手に求道心がわいてくるわけがない。
 一対一であれ、会合の形であれ、人間の語らいは、一念と一念のぶつかりあいだからである。

 

2007年9月28日 全国代表協議会

2月14日

 報恩とは、
 自身の可能性を最大に開いていく
 「人間革命」の挑戦なのだ。

 

<報恩感謝は無限の勇気と智慧の源泉>

 

 感謝がある人は幸福である。
 心には豊かさがあふれ、
 喜びに満ち、
 生き生きとして明るい。
 福徳が輝く。
 感謝のない人は不幸である。
 いつも、不平と不満、
 嫉妬と恨みと愚痴の
 暗雲が渦巻いている。
 だから、人も離れていく。
 わが人生を輝かせゆく源泉は、
 報恩感謝の一念にこそあるのだ。
 
 誰のどのような行いによって
 今の自分があるのか。
 そのことを深く知り
 感謝することで、
 自己を最も強く肯定し、
 自分自身の存在の基盤を
 確立することができる。
 自身の基盤を確立することは、
 自分自身の大いなる
 発展の土台となるのである。
 報恩とは、
 自身の可能性を最大に開いていく
 「人間革命」の挑戦なのだ。
 
 大文豪ゲーテは言う。
 「感謝しなければならぬ人と
 出あいながら、
 感謝をわすれていることが、
 どんなにしばしばだろう」
 その通りである。
 陰で支えてくれた方々に、
 感謝の声を掛けていくことだ。
 決して
 当たり前と思ってはならない。
 声一つ、言葉一つで、
 人間の心は動く。
 その心が一切を決める根本だ。
 
 感謝を忘れず、
 報恩に徹すれば、
 自ずから
 為すべき行動は定まる。
 必ず無限の勇気と智慧が、
 滾々と
 湧き起こってくるのだ。
 感謝の人は光る。
 報恩の世界は栄える。

 

池田大作先生 四季の励まし 感謝の心で人生は輝く 2017年2月12日

2月13日

民衆に光をあてよ!
創価学会は「民衆の砦」

 

<創価学会の地盤を固めるために、

広く社会に打って出て、痛快な勝利の歴史を!>

 

権力には死を覚悟して立ち向かえ!

 

 戸田先生は言われた。
 「政治家から学者から役人にいたるまで、宗教の何ものなるかを知らない。実に哀しむべし、哀しむべし
 これが、日本の状況であった。
 宗教に対する無知。生命に対する無知。それが社会全体を広く覆っている。宗教は一切の根本である。根本が揺らいだとき、そこから、社会は崩れていく。
 創価学会は人類の宿命を転換を成し遂げる、偉大な宗教を実践する団体である。
 大事なのは、学会を強くすることである。広布の土台を堅固に固めることである。
 戸田先生は、かつて綴られた。
 「(大聖人の)おおせには、『大衆一同の異の苦しみは、日蓮一人の苦しみ』と。慈悲の広大をうかがえるとともに、政治の要諦は、この一言に帰するのである
 御書に「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(758頁)と仰せである。
 この御文を拝しての戸田先生のお言葉には、世を思い、民衆の幸福を思う、真情があふれている。
 権力の悪を、どう抑えるか。いかにして理想の社会を築くか――この点も、戸田先生の考えは明快であった。
 戸田先生は、こう指導されたことがある。
 「政体とか政権といったものは、大きくみれば、民衆の意思によって、その時代時代で変わっていくものだ。
 そんな移ろい易いものに眼を奪われ、民衆自身に光をあてなければ、この厄介な社会を寂光土化する広宣流布の仕事は決してできない
 大事なのは「民衆」である。学会の広宣流布の運動の目的は、どこまでも「民衆の幸福」にある。
 「権力というものは一切を飲み込んでしまう津波のようなものだ。生半可な人間の信念など、ひとたまりもない。死を覚悟しなければ立ち向かうことなどできない
 これが、国家権力と戦い、投獄まで経験された先生の結論であった。
 権力は魔物である。権力は恐ろしい。その虜になり、堕落していった人間が、これまでもいた。
 戸田先生は慨嘆しておられた。
 「日本の現勢をみるに、ただただ、おのれの権勢を張り、名誉欲を満たさんがために、一党一派のなかに閉じこもり、その党派のなかに、また党派を作って、しのぎを削っている
 権力に屈せず、権力者に断じて威張らせず、「民衆の砦」として前進する創価学会が、どれほどすごい団体であるか。
 学会という尊い民衆の団結を、断じて崩させてはならない。
 創価学会の地盤を固めるために、広く社会に打って出て、痛快な勝利の歴史をつくろう!

 

2007年9月28日 全国代表協議会

2月12日

師匠を護ることこそ、一切の根本である

 

<国家権力は学会の団結が怖いのだ>

 

 昭和32年(1957年)の「大阪事件」の際、無実の選挙違反容疑で逮捕された私が出獄した後、先生は言われた。
 「国家権力は、民衆を組織した学会の団結が怖いのだ。民衆が力を合わせれば、どんなに大きな力になるかを知っているから、学会を叩きつぶそうとしたのだ
 そうさせなかったのは、私である。
 戸田先生は、私を大事に、大事に、大事にされた。
 「大作は、本当に学会のために、俺のために、心血をそそいでくれた。わが身をなげうって戦ってくれた。弱い体だから心配だ。長く生きられないかもしれない
 そう言って、落涙されたとも、うかがった。
 私と妻が結婚するときには、私と妻の実家を、お一人で訪問され、それぞれの両親に丁寧に話をしてくださった。
 ありがたい、誠にありがたい大師匠であられた。
 広宣流布の指揮を執られる師匠を、命を捧げてお厳り申し上げることが、日蓮仏法を護ることだ。学会を護ることだ。
 これが一切の根本である。要の中の要の一点である。
 三類の強敵と戦わない。三障四魔も起こらない。そんな人間は、本当の広布の指導者ではない。
 信ずべきは、ただ一人の師匠である。

 

2007年9月28日 全国代表協議会

2月11日

昭和54年四月二十二日
法華講総講頭の辞任を申し出る

 

<日達と対面>

 

 四月二十二日、山本伸一は総本山に足を運んだ。日達法主と面会するためである。
 うららかな午後であった。澄んだ空に、富士が堂々とそびえていた。雪を被った頂の近くに雲が浮かんでいる。山頂は、風雪なのかもしれない。しかし、微動だにせぬ富士の雄姿に、伸一は心が鼓舞される思いがした。
 彼にとって法華講総講頭の辞任も、学会の会長の辞任も、もはや未来のための積極的な選択となっていた。
 もちろん辞任は、宗門の若手僧らの理不尽な学会攻撃に終止符を打ち、大切な学会員を守るためであった。しかし、「七つの鐘」が鳴り終わる今こそ、学会として新しい飛翔を開始する朝の到来であると、彼は感じていた。また、これまで十分な時間が取れず、やり残してきたこともたくさんあった。世界の平和のための宗教間対話もその一つであったし、功労者宅の家庭訪問など、同志の激励にも奔走したかった。
 伸一は日達と対面すると、既に意向を伝えていた法華講総講頭の辞任を、正式に申し出た。そして、二十六日には辞表を提出する所存であることを告げた。日達からは、「総講頭の辞表を提出される折には、名誉総講頭の辞令を差し上げたい」との話があった。
 さらに伸一は、十九年の長きにわたって創価学会の会長を務めてきたが、学会がめざしてきた「七つの鐘」の終了にあたり、会長も辞任するつもりであることを述べた。
 彼は、新しい体制になっても、平和、文化、教育の運動に力を入れながら、皆を見守っていくこともできると考えていた。
 学会は、民衆の幸福のため、世界の平和のために出現した広宣流布の団体である。ゆえに、その広布の歩みに停滞を招くことは、断じて許されない。彼は、自分は自分の立場で新しい戦いを起こす決意を固めるとともに、創価の新しき前進を祈りに祈り抜いていた。
 “必死の一人がいてこそ道は開かれる。わが門下よ、師子と立て! いよいよ、まことの時が来たのだ”と、心で叫びながら――。

 

小説「新・人間革命」 大山 三十四

2月10日

師匠には、すぐに見抜かれてしまう

 

<全部、結果に表れてくる>

 

 戸田先生は「日本には人材がいない」と憂えておられた。
 とくに、「指導階級には、一身の栄達を図ることに熱心な連中はいても、世のため、国のため、私心を捨てて動く人間が少ない」と言われていた。
 広布の指導者である皆さんは、人間として、人材として、指導者として、最高峰の人々の集りである。また、そうなっていくよう。努力していくことを忘れてはならない。
 『法妙なるが故に人貴し』(御書1578頁)と大聖人は仰せである。
 宇宙を貫く大法を持ち、世界最高の哲学を実践している私たちである。
 その誇りをもって、広布のために力を発揮していただきたい。
 戸田先生は、停滞している組織に赴かれたとき、「さも信心しているように見せかけている幹部が多い」と指摘していた。
 鋭い師匠には、すぐに見抜かれてしまう。
 また、全部、結果に表れてくる。
 「見せかけ」や「格好」で広布は進まない。
 とにかく、本気になって、人を育てることだ。
 会員には偉ぶり、敵からは逃げるような幹部ではいけない。
 同志には謙虚に接し、敵には傲然と戦っていく、慈愛と勇気の指導者となるのだ。
 戸田先生は、これからを担うリーダーに呼びかけた。
 「どうか十分な闘争をし、私と不離の間柄になってもらいたい
 師匠と不二で戦ってこそ、本物の弟子である。

 

2007年9月28日 全国代表協議会

2月9日

自分が「人材」となり、

人を「人材」に育てることが、師匠に応える道

 

<自分の地位を譲るくらいの度量を持て>

 

 戸田先生は指導された。
 「隆々と栄えている組織は、人材をよく輩出している」「私に応えんとするならば、人材を輩出せよ!
 戸田の命よりも大切と言われた学会の組織である。ゆえに、自分が「人材」となり、人を「人材」に育てることが、師匠に応える道である。
 昭和29年(1954年)の4月30日、戸田先生は、さらなる拡大と飛躍を期して、すべての理事の解任を提案された。(同年の5月3日の総会で、新たな理事による新体制が決定した)
 このとき先生は叫ばれた。
 「今こそ、理事の働くときだ」「そこで新たに理事を任命し、この行き詰まりを破らんがために、理事に働いてもらう」「新しい人材が闘争する時代に入ったのだ」
 また先生は言われた。
 「もし部員や後輩に、自分より偉大なものが出てきたならば、自分の地位を譲るくらいの度量を持て」と。
 ともあれ、人材が欲しい。人材が大事だ。新しい人材を育てることが、さらなる発展の直道なのである。

 

2007年9月28日 全国代表協議会

2月8日

完璧な仕事というものは、
普通の二百倍、三百倍の労苦を費やさなければできない

 

<環境ではない。自分に勝つことだ。>

  

 戸田先生は青年に語られた。
 「自分の境遇を嘆いたり、怠けているうちに、黄金の青年時代は過ぎ去ってしまう」と。
 時間がない、環境が悪い――こう愚癡を言っている間は成長はない。
 私は、戸田先生のもとで働きに働いて、御本尊の前に座れないときもあったが、歩きながらでも題目をあげた。
 環境ではない。自分に勝つことだ。
 また先生は「くどい話は必要ない!」と厳しかった。
 真剣な話、大事な話ならばいい。内容のない話、ホシをはずした話には、「簡潔明瞭に話せ!」と、一喝された。そういう先生であられた。
 「完璧な仕事というものは、普通の二百倍、三百倍の労苦を費やさなければできない」――これも戸田先生のお話である。
 私は、戸田先生のご指導通りにやってきた。先生のために、二百倍、三百倍、否、千倍、万倍の労苦を捧げてきたつもりである。
 学会の支援活動の初陣となった昭和30年(1955年)の4月の統一地方選――。
 私は、東京の大田区と横浜の鶴見区の両方で、支援の責任者となった。どちらも、最高点で当選した。
 そして昭和31年7月の参院選――。
 戸田先生は、とても勝ち目のない大阪の指揮を、あえて私にまかされた。私に大きな試練を与えて、“どこまで、できるか”を試されたのである。
 その結果は――大阪は大勝利。勝てるはずの東京は大敗北。
 口で言うのは簡単だが、私は厳然と、「仏法は勝負」の証拠を示して、戸田先生をお厳りしてきた。戸田門下生としての一番の証しを打ち立ててきた。
 牧口先生と戸田先生。そして戸田先生と私。この三代に本当の師弟がある。後世のために明快に申し上げておきたい。

 

2007年9月28日 全国代表協議会

2月7日

「考えろ! 考えろ!」
「頭は、勝つために考えるものだ」

 

<勝つためには、抽象論ではいけない。

具体的に、今、この時、即座に、手を打っていくことだ>

 

 最高幹部は、しっかりと信心の眼を開けて、同志に対しては、優しく接することだ。
 自分で自分を訓練しなければ、皆も伸びることができない。
 すべては「人」で決まる。「人」を育てるのだ。全員が勝利者の道を歩む、そのための原動力にならなければならない。
 戸田先生は、最高幹部に、「頭を使え!」と厳しく指導された。
 幹部が形式にとらわれたり、惰性に流されては、組織は停滞してしまう。
 「今、何を考えているのだ!」「考えろ! 考えろ!」「頭は、勝つために考えるものだ」とも言われた。
 幹部は、幾重にも考え抜き、祈り抜いて、課題を明確にしていかなければいけない。
 戸田先生は、「何世帯、折伏ができるのだ」「だれが、どうやって進めるのだ」と厳しく問われた。すべてにおいて、曖昧さを許さなかった。
 約10倍の拡大を成し遂げた、忘れ得ぬ「山口開拓闘争」も、戸田先生の「今のうちに至急、手を打つ必要がある!」との一言から出発したのだ。
 勝負は、時を逃してはならない。
 先生は、常に時代を見据えられ、「即刻、手を打とうじゃないか」と、一つ一つ先手を打っていかれた。
 また、弟子の私に、「最大の手を打ってくれたまえ」と追撃の一手を指示された。
 だから学会は勝ってきたのだ。そういうところが伸びていくのだ。
 勝つためには、抽象論ではいけない。具体的に、今、この時、即座に、手を打っていくことだ。
 この戸田先生の将軍学を、私は深く心に刻んだ。そして瞬時に行動に移してきた。

 

2007年9月28日 全国代表協議会

2月6日

道を開け、新しい歴史をつくれ!

 

<想像を絶する苦闘あり>

 

 ドイツの大文豪ゲーテは、「勇気」と題した詩のなかで、こう歌った。


 「最も大胆な先達の手で
  路(みち)は開かれて居ない所は
  汝みずからそれをひらけ


 広宣流布の指導者ならば、死にものぐるいで道を開くことだ。
 私は戸田先生の弟子となり、先生に命懸けでお仕えした。
 お金もなかった。批判ばかりであった。
 その苦闘の日々は、皆さんには想像もつかないだろう。
 先生亡き後も、正義ゆえの難を一身に受けながら、ただ恩師の構想の実現のために戦った。そして、恩師を世界に知らしめてきた。
 真剣でなければ、道は開けない。新しい歴史をつくるのは、必死の一人である。
 皆さんは、決然と一人立つ勇者であっていただきたいのだ。

 

2009年4月14日 全国代表協議会

 

2月5日

中心者で決まる

 

 戸田先生は指導しておられた。
 「中心者がしっかりせよ!
  なんといっても、まず責任を持つ自分自身が、どう戦うか。
  それが何よりも大切だということを、自覚しなければならない
 どんな戦いも、中心者で決まる。
 リーダーは、皆を激励するにしても、真実の勇気が光る話をしなければならない。表面だけ飾ったような、つくったような話では、友の心を動かすことはできない。
 またゲーテは、こうも訴えていた。
 「人間、つねに積極的にふるまわなければならない、つねに新しく建築し、他人をおとしめることにかかずらってはならない
 どこまでも明るく、前へ、前へと進む。新たな建設へ挑みゆく。
 皆様は、勇気と誠実の振る舞いで、多くの人々に希望を贈る存在であっていただきたい。

 

2009年4月14日 全国代表協議会

 

2月4日

真実の同志

 

<共戦>

 

 八王子での本部総会の後、なぜ、私が神奈川へ向かったのか。
 神奈川には、世界につながる海があるからだ。もう一度、世界を舞台に戦うのだ!――これが私の決心であった。神奈川の友も、変わらぬ心で迎えてくれた。
 神奈川文化会館に着いた5月3日の夜、私は筆を執った。その時の揮毫を30年を経て、ここで披露したい。
 それは「共戦」という二字である。脇書に次のように記した。

 

 「五十四年
    五月三日夜
  生涯にわたり
   われ広布を
    不動の心にて
      決意あり
  真実の同志あるを
     信じつつ
        合掌」

 

 真実の同志――それは、私と心一つに、広宣流布へ戦う皆様方である。
 これまで、どれほど多くの忘恩の輩が出たことか。
 私は戸田先生を守りに守った。先生亡き後は、先生のご家族にも最大の心を尽くした。一切を犠牲にして、妻とともに弟子の道を貫いた。
 師匠が罵られ、中傷されても何の反論もできない。戦えない。そんな情けない弟子であってはならない。
 その思いで生き抜いてきた。
 未来に生きる皆さんと、私との「共戦」の人生を歩み抜いてほしい。頼むよ。

 

2009年4月14日 全国代表協議会

2月2日3日

少しでも長生きをして

 

<もう一度、本当の学会をつくる>

 

 今から30年前(当時)の昭和54年(1979年)5月3日――。
 私は、八王子の創価大学で“会長辞任の本部総会”を終えた後、学会本部へは戻らずに、そのまま神奈川文化会館へと向かった。
 当時、学会は隆々たる発展の“絶頂期”であった。いわば、これからが本当の総仕上げという大事な時期であった。
 その時に、非道な迫害の嵐の中で、第3代会長を辞めざるを得なくなったのである。(中略)
 私が第3代会長を辞任した背景には、学会の発展を妬み、私を陥れんとする宗門や反逆者たちの醜い謀略があった。
 ゲーテは「多くのひとは、私欲で落伍する」と述べたが、卑劣な反逆者の姿は、まさにこの言葉の通りであった。
 本気になって学会のため、正義のために戦う人間はいないのか。
 真実の味方はいないのか・・・・・・。
 あまりにも情けない無残な姿であった。本当に、人間の心ほど恐ろしいものはない。
 思えば、その少し前の4月24日、私が会長辞任を発表し、信濃町の自宅に戻ると、妻がいつもと変わらぬ様子で迎えてくれた。
 「本当にご苦労様でした。健康でよかったです。
  これでまた、大勢の同志に会えますね
 そう言って、微笑んでくれた。今でも忘れ得ぬ一コマである。
 私は、会長として指揮を執ることはできなくなった。
 しかし私は、牧口先生、そして戸田先生が命を懸けてつくられた学会だけは絶対に守らねばならないと、深く決意していた。私とともに戦ってくださった、多くの真実の同志を守り抜こうと心に決めていた。
 少しでも長生きをして、もう一度、本当の学会をつくり、未来に残すのだ。その思いで立ち上がり、ここまで頑張ってきた。
 あの会長辞任から30年。私が陰で、友のため、世界の広宣流布のために、どれほど心を砕き、手を尽くしてきたか。学会をここまで発展させるのに、どれほど壮絶な戦いをしてきたか。
 皆さんには、真実の歴史を知っておいてもらいたいのだ。

 

2009年4月14日 全国代表協議会

2月1日

懸命な報告を見逃してならない!

 

 戸田先生はおっしゃった。
 「こっちには信心があるからといって、手をこまねいていると、そこに油断がおきるのだ。戦いには必ず相手があるのだから、慎重に万全の対策を立てなければならない」と。
 どんな小さな報告にも、私はすべて手を打ってきた、真夜中に及ぶことも、たびたびである。
 懸命な報告を見逃す指導者は、卑怯であり、無慈悲である。私は絶対に見逃さなかった。きちっと対応した。御聖訓に「億劫の辛労」(御書790頁)と仰せの通り、祈りに祈り、全身全霊を捧げてきた。
 ゆえに、今日の学会ができあがった。世界に広がる、創価の連帯が築かれたのである。
 これまで私は微塵も悔いを残さず、学会に尽くし抜いてきた。この真実を、御本尊の前で明確に申し上げておきたい。
 ゲーテは語った。
 「何度もひどくののしられたものだ。これは、最も高貴な行為をした時が一番ひどかった。しかし、私は人々の叫び声などには少しも気をかけなかった
 ゲーテの偉大な境涯が偲ばれる言葉だ。

 

2009年4月14日 全国代表協議会

1月30日31日

 新たな歴史は一人の挑戦から始まる
 偉大な勝利は一人の戦いから始まる

 

<いかなる人も、広宣流布の味方に変えてみせる!>

 

 新たな歴史は
 一人の挑戦から始まる。
 偉大な勝利は
 一人の戦いから始まる。
 状況を嘆いたり、
 人任せにしてばかりいては、
 何も変わらない。
 自分が変われば、
 その分、世界が変わる。

 

 「妙法」に、
 行き詰まりは絶対にない。
 あるのは、自分の一念に巣くう、
 臆病や諦めの壁だ。
 己心の壁を打ち破れ!
 あらゆる障害を乗り越え、
 無限に前進する力が
 信心だからである。

 

 「限界を破ろう!」――
 そう決めた時、
 実は自分の心の限界を、
 すでに一歩、破っている。
 その時点で、理想や目標も、
 半ば達成されているとさえ
 言ってよい。

 

 実践あるところには
 ドラマがある。
 ドラマがあるところに
 感動が生まれる。
 当然、失敗もあろう。
 それでも、めげずに挑み抜いた
 体験にこそ、共感が広がるのだ。
 苦闘を勝ち越えた体験談は、
 “自分には、とてもできない”と
 弱気になっている同志の、
 心の壁を打ち破る
 勇気の起爆剤となる。

 

 人の心を動かし、捉えるものは、
 策でもなければ、技術でもない。
 ただ誠実と熱意によるのである。
 “いかなる人も、広宣流布の味方に
 変えてみせる!”――
 この烈々たる
 祈りと勇気と勢いで、
 栄光の歴史を開くのだ。

 

2017年1月29日〈池田大作先生 四季の励まし〉二月闘争65周年 心の壁を打ち破れ

1月29日

人にはいつも励ましが必要です!

 

<師弟の勝利の物語に光あれ!> 

 

 これまでも私は、さまざまな報告に対して、即座に応え、一人一人に細かく激励の手を差し伸べてきた。
 文豪ゲーテは、「ひとにはいつもはげましが必要なのです」と述べている。ゲーテ自身も、小さなことでもほめ讃え、元気づけ、励ます名人だったといわれる。
 あまりに健気な、尊き同志の奮闘を、広布のリーダーであるならば、ゆめゆめ忘れてはならない。
 「大変な環境のなかで、これまでに!」と皆が感嘆せずにはいられない。偉大な歴史を開いている友が、たくさんおられる。
 日本と世界の、そうした友の勇姿を、私は、これまで以上に宣揚し、大きく光を当てて差し上げたい。いまだ知られていない、師弟の勝利の物語が、無数にある。

 

2009年4月14日 全国代表協議会

1月27日28日

人生の勝敗は、途中では決まらない 

 

<勝っても負けても、生き生きと!>

 

 ゲーテは『ファウスト』に、次のように記している。
 「功労と幸福とは一つにつながる
 仏法に通じる、味わい深い言葉である。
 広宣流布の労苦――特に陰の努力と功績にこそ、不滅の福徳が光る。
 戸田先生は婦人部に強く言われた。
 「信心を貫いていけば、功徳は厳然と現れる。その功徳とは、中途半端なものではない。目に見える絶大な功徳なのだ
 戦後間もないころ、戸田先生は事業に失敗され、莫大な借金を抱えられた。
 私は、ただ一人、すべてをなげうって、先生をお護りした。
 給料は何カ月も遅配。真冬でもオーバーもなかった。靴が買えず、足駄(高下駄)を履いたこともある。
 「カランコロン」と音を鳴らして歩いていると、かつて勤めていた会社の上司と、ばったり出くわした。
 昔はよく、雨の日、道が悪いので、足駄を履いたものだ。しかし、その日は晴れていた。
 「池田君、きょうは天気なのに、何で足駄を履いてるの?」
 私は朗らかに、「背が高くなるよう足駄を・・・」と答えた。
 その上司が、「池田君は、必ず将来、偉くなるよ」と期待を寄せてくださったことも、懐かしい。
 思い出深き、わが青春の一ページである。
 私の人生は、恩師に捧げた人生である。
 恩師ありて、今の自分がある。本当に幸せだ。
 この師弟の道を、まっすぐ走りぬいてきたゆえに、世界一の栄誉となって、満開の桜のごとく花開いている。
 ゲーテは、こうも綴っている。
 「私の中には、高貴な宝が豊富にある。それは、人のためになる宝なのです
 この宝を引き出す究極の力が、「信心」であり、「師弟」なのである。
 さらに、私が青春時代から好きだったゲーテの言葉を贈りたい。
 「生きているあいだは、いきいきとしていなさい
 いい言葉だ。簡単なようで深い哲学が込められている。
 いくら健康であっても、何の目標もなく、張り合いもない。挑戦もなければ、喜びもない。ただ漠然と、むなしい日々を送るだけ。そんな“生ける屍”になってはいけない。
 「生き生きと」進むのだ!
 たとえ病気になっても、心生き生きと!――絶対に負けてはいけない。戦う心まで病魔に食い破られてはならない。
 勝っても負けても、生き生きと!――人生の勝敗は、途中では決まらない。最後に勝つ人が、真の勝利者なのである。

 

2009年4月14日 全国代表協議会

1月26日

我々はなぜ、

この信心に巡り合えたのか

 

<二月、我らは広布拡大の勝利をもって、お祝を!>

 

「一人」に全力で

 

 我々はなぜ、この信心に巡り合えたのか。
 末法の御本仏・日蓮大聖人が不惜身命で妙法を弘め遺してくださったゆえである。今日では、恩師が戦時下の獄中闘争を勝ち越え、広布の大願に一人立たれたゆえである。
 その奇しき縁に思いを致せば、報恩感謝の念が込み上げる。時あたかも大聖人の御聖誕の月、恩師の誕生の月を迎える。
 であれば、この二月、我らは広布拡大の勝利をもって、お祝いしようではないか!――と。
 会場に戸田先生の姿はなかった。それでも集った弟子たちは、師がここにおられるが如く、前進を誓い合ったのである。

 私は懸命だった。私と同じ心で、壮年も婦人も立ち上がってくれた。自らの折伏の挑戦が、師匠の生涯の願業である七十五万世帯の拡大に直結することを、皆が自覚し始めたのだ。
 具体的には、師が示された通り、当時の組織の最小単位の「組」を軸に、「組」を盛り立て、折伏を推進していった。
 つまり、一切の焦点を少人数の語らい、一対一の対話、心通う座談会に定めたのだ。ゆえに――
 まず、真剣に祈ろう!
 近隣を大切に、身近なつながりから勇気と真心の対話を広げていこう!
 自信満々、生き生きと信心の体験を語ろう!
 この対話の最前線こそ広布の主戦場だ。ゆえに全精魂を注ぎ、全力を尽くすのである。
 勇気を出して、一人の友に会う。相手の幸福を祈り、誠実に、情熱込めて語っていく。その一人立つ挑戦が、己心の壁を破り、友の心を動かす。ここに、大聖人が「声も惜まず」と言われた“随力弘通”の実践がある。
 大聖人は、四条金吾を讃え語られた。
 「貴辺又日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ是れ豈流通にあらずや」(御書一一一七ページ)と。
 師と心を合わせ、自分が縁を結んだ人びとに正義を語っていくことが、流通すなわち世の中に妙法を流れ通わせるのだ。

 蒲田支部には、当時、約百の「組」があった。私は、中心者の組長など最前線に立つ方々を、一軒一軒訪問し、親しく語り合い、励ますことを重要な日課としていた。
 その中に戦前に入会されていた一家があった。組長の壮年は、牧口先生の折伏である。
 牧口先生は、家族の信心に猛反対だった壮年を訪ね、諄々と対話された。「学会は人間の幸福と社会を善くするためにあるのです」と。その「立正安国」の大確信に触れて、壮年は発心した。
 先師が縁し、種を蒔かれた方を、孫弟子の私が励ますという不思議なご縁である。ご一家は目標を遙かに上回る弘教を推進してくださった。
 一つ一つの縁を「仏縁」としゆく対話と弘教の喜びは勇気の波動となり、誰も彼もが「やらんかな!」の意気を爆発させた。どんどん功徳爛漫の体験が生まれ、新たな対話の勇者たちが陸続と誕生したのだ。
 そして、遂に壁を破る弘教二百一世帯――大田区内はもちろん、神奈川の川崎、東京の目黒、品川など各区に、更に首都圏、全国まで広布の陣列は広がっていった。
 人と人の縁は、自分が考えるよりも深く広い。家族・親戚の縁、近隣・地域の縁、仕事や学校の縁……大切に結んだ善き縁が、また新たな宝の縁をつないでくれる。
 師弟共戦と異体同心で「広宣流布の大願」を成就しゆく勝利道が、晴れ晴れと開かれたのである。

 

2017年1月25日〈随筆 永遠なれ創価の大城〉15 師弟共戦の勝利道

1月25日

広布を破壊する、

提婆のごとき増上慢の人間とは、

断じて永遠に戦い抜け!

 

仏法は厳しい

 

 『南無妙法蓮華経と唱えるに日蓮の一門は、一同に「皆、共に宝処に至る」のである。この『共』の一字は、日蓮と「共」に進む時は必ず宝処に至る。「共」に進まないならば阿鼻大城(無間地獄)に堕ちるということである』(御書734頁、通解)

 わが師と共に――この一念で、広宣流布へ進む人は、すでに胸中で勝っているのだ。

 仏法は厳しい。

 大難が襲いかかってきた時に、師匠の恩を忘れ、裏切るならば、峻厳な報いを受ける。

 反対に、広布の師弟共戦は、晴れ晴れとした、永遠の幸福勝利の道なのである。

 戸田先生は厳しく言われていた。

 「師匠を師匠として認識できないような、失敗の人生にだけはなるな!

 この恩師の叫びを、未来を担うリーダーは、深く魂に刻みつけていただきたい。

 真の信仰者には、“難こそ誉れ”である。

 仏法は、いかなる宿命をも転換できる、幸福の大法である。生命を根底から変革する力がある。民衆のための仏法である。

 ゆえに、人々を意のままに操り、欲望を恣にしようとする「権力の魔性」からは、激しい反発を受ける。

 正義の人が立てば、それを妬む邪悪な人間が出る。御書に『仏と提婆とは身と影のごとし』(230頁)と仰せの通り、釈尊の時代には提婆達多がいた。

 麗しい和合を壊し、尊き仏子を苦しめ、五逆罪を犯した。最後は無間地獄に堕ちた。

 提婆達多は、教団の実力者であった。釈尊の声望を妬み、追い落とそうと、陰謀をめぐらしたのである。

 広宣流布を阻む最大の仏敵は、教団の外ではなく、中に現れる。邪宗門と結託した反逆者も、そうであった。

 日蓮大聖人は、提婆達多は『虚言』『虚誑罪』『大妄語』であると指弾され、『妬む心が深く』(御書1349頁、通解)、『名聞名利が深い』(同1348頁、通解)と喝破されている。

 広布を破壊する、提婆のごとき増上慢の人間とは、断じて永遠に戦い抜くのだ。

 イギリスの哲学者、J・S・ミルは「だれが責任をとるのかを、だれも知らないときには、責任は存在しない」と論じている。

 万事において、責任を明確にして前進していくことだ。

 誰かがやるだろう――そんな無責任で、臆病な人間になってはならない。

 民衆がいじめられ、正義が踏みにじられているのに、何も言わない。叫ばない――そんな卑怯な人間に、絶対なってはならない。

 

2009年4月14日 全国代表協議会

1月24日

本物の弟子よ、出でよ!

 

<いよいよ、これからだ!>

 

 遠大な広布の未来を展望する時、本当の勝負は、いよいよこれからである。
 私は戸田先生の弟子として、「不二の心」で生きてきた。何があろうと、平気である。
 誓いを貫き、同志を護り、正義を打ち立てる「師弟不二の弟子」がいるかどうか。
 一切は、それで決まる。
 ドイツの大詩人ゲーテは謳った。
 「若き日々を大切に活用しなさい。早く賢明になれるよう学んでいきなさい
 「君は、上に向かって登るのか、下に向かって沈むかだ。強大な勢力を得て勝利するか、服従して敗北するかだ。苦しみ悩むか、凱歌をあげるかだ
 仏法は勝負だ。仏と魔との闘争である。勝ちか負けるか、どちらかしかない。
 ゆえに青年は、心を磨き、頭を鍛え、勝ち抜く力をつけるのだ。
 「本物の弟子よ、出でよ!」
 こう私は声を大にして叫びたい。
 

2009年4月14日 全国代表協議会

1月23日

当起遠迎 当如敬仏

 

<釈尊最後の28品で説いた8文字の最上第一の相伝>

 

 大聖人の「御義口伝」には、この普賢品の文について、次のように仰せである。
此の品の時最上第一の相伝あり、釈尊八箇年の法華経を八字に留めて末代の衆生に譲り給うなり八字とは当起遠迎とうきおんごう当如敬仏とうにょきょうぶつの文なり、此の文までにて経は終るなり
──この普賢品第二十八の中には、最上にして第一の相伝がある。すなわち、釈尊が八年間にわたって説いた法華経を八文字に留めて、末法の衆生に譲り与えられたのである。その八文字とは「当起遠迎当如敬仏(当まさに起たって遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如ごとくすべし)の文である。この経文までで、法華経の説法は終わるのである──。
「当の字は未来なり当起遠迎とは必ず仏の如くに法華経の行者を敬う可しと云う経文なり」
──「当(まさ)に)」という「当」の字は、未来のことである。「当起遠迎」とは(末法において)必ず仏の如くに法華経の行者を敬っていきなさいという経文である──と。
 妙法受持の人を、最大に尊敬し、大切にすること。その教えこそ「最上第一の相伝」であると述べられている。「当に」とは「未来」、つまり末法の「今」の時であると仰せである。また「法華経の行者」とは、別しては大聖人であり、総じては末法広宣流布に生きゆく大聖人門下であると拝される。
  「仏子」を尊敬せよ。「人間」を尊重せよ。ここに最第一の「相伝」がある──。釈尊、そして大聖人の仏法に脈々と通う「人間主義」「人間愛」に、私どもは深く感動する。感謝する。心から納得する。その教え通りに、永遠に進みゆくことを誓い合いたい。
 反対に、広布の実践に励む学会員を奴隷のように軽蔑し、虐しいたげる言動は、仏法への、この「相伝」への根本的な違背いはいである。大聖人、また釈尊への「師敵対」であり、その罪は無限であると断じておきたい。
 

1991(平成3).12.21豊島・文京・台東文化音楽祭、県・区代表者幹部会

1月22日

創価の師

 

<現代に出現した「地涌の菩薩」の棟梁>

 

師弟の結合こそ創価の生命線

 

 戸田城聖は、弟子たちに、「第三代会長を守れ! 絶対に一生涯守れ! そうすれば、必ず広宣流布できる」と遺言していた。ここに、常勝の道を開く団結の要諦がある。
 山本伸一は、自分を守ってもらいたいなどという気持ちはなかった。しかし、恩師が広宣流布のために言い残した精神を皆が忘れかけていることに、心が震撼する思いがした。
 彼は、学会の前途を見すえながら、祈るような気持ちで首脳幹部に言った。
 「私は師子だ! 何も恐れはしない。皆も師子になれ! そうでなければ、学会員がかわいそうだ。烈々たる闘争心と勇気をもって、創価の師弟の大道を歩み抜くのだ。その一念が不動ならば、いかなる事態にも学会は揺らぐことはない。戸田先生は見ているぞ!」
 彼は席を立ち、部屋を出ていった。
 窓の外で、桜の花が舞っていた。
 伸一は、その花を見ながら、牧口常三郎と戸田城聖の師弟の大闘争を思った。
 一九四三年(昭和十八年)六月、国家神道を精神の支柱にして戦争に突き進む軍部政府の弾圧を恐れ、宗門は「学会も一応、神札を受けるようにしてはどうか」と言いだした。
 牧口は、それを拒否し、大難を覚悟で国家の諫暁に立ち上がった。その時、弟子の戸田もまた、死身弘法の決意を固めたのである。そして、牧口と共に逮捕・投獄された戸田は、獄舎の独房にあって、“罪は私一身に集まり、先生は一日も早く帰られますように”と、ひたすら祈り続けたのだ。
 宗門が謗法の濁流に没しようとしていたなかで、師弟のこの魂の結合が、日蓮大聖人の正法正義を守り抜いたのである。牧口は獄中にあって殉教するが、生きて獄門を出た戸田は、師の遺志を受け継いで学会を再建し、日蓮仏法の悠久なる流布の道を開いていった。
 創価の師とは、広宣流布を誓願し、現代に出現した「地涌の菩薩」の棟梁であり、前進の主軸である。そこに弟子の一念が嚙み合ってこそ歯車は大回転を開始する。ゆえに、師弟の結合こそが創価の生命線となるのだ。

小説「新・人間革命」大山 十七

1月21日

朝の来ない夜はない

 

<自らが太陽と輝け!>

 

 「生きる」ということは、さまざまな難問を間断なく突きつけます。
 そこには、喜びもあれば、悲しみもある。
 成功もあれば、失敗もある。
 栄光もあれば、屈辱もある。
 愛する者との出会いがあれば、別れもある。
 長い人生において、人それぞれに、大なり小なり、明と暗との経験は避けられません。
 しかし、暗いトンネルは、明るい外光へと至る必然の試練です。
 朝の来ない夜はない。
 いな、むしろ、最も深い闇を、耐えて耐えて耐え抜いた人こそ、真に「生きた」人と言ってよいでありましょう。
 苦をば苦とさとり、楽をば楽と開きながら、前へ、また前へ進み抜いてこそ、究極の人生の勝利を飾りゆくことができるからであります。
 このような「耐える」力は、ただ逆境にのみ発揮される、パッシブ(受動的)な強さにとどまりません。
 それは、人々と手を携えながら、人生や社会を豊かに創造し、建設し、この世界を変革していこうという、アクティブ(積極果敢)な力にも連動しております。
 真実の幸福な人――それは、皆を幸福にできる人ではないでしょうか
 太陽の光に対抗しうる闇は、一つもありません。
 その太陽を、わが生命の中に、どう見出し、どう赫々と輝かせていくか。この探求と向上が、人間の一生の旅路であるとも言えます。
 そのような人生の旅人である私たちに、人類の教師ソクラテスは、こう語りかけて、励ましてくれます。
 「音をあげるわけにもいかないし、弱気になってもいけないのだ、われわれの仲間よ


池田大作語録 人生の座標 序(抜粋)

1月20日

中等部よ!青春勝利の開拓者たれ!

三つの不思議な言葉

 

<何があっても題目を忘れず、

大いなる夢を掲げて、

朗らかに青春の生命の開拓を!>


 大好きな中等部の結成の日を祝う大会、誠におめでとう!
 今日は、愛する皆さんに「青春勝利の開拓者たれ!」と申し上げたい。
 日蓮大聖人は、「妙法の妙とは『開く』という意義である」(御書943ページ、通解)と仰せになられました。私たちが唱える南無妙法蓮華経の題目には、「仏界」という最も強く、最も賢く、最も豊かな宇宙大の宝の生命を開きゆく力があるのです。
 特に、若くして信心にめぐりあえた皆さんは、自分自身の可能性を限りなく開く最強無敵の鍵を持っている。ゆえに、何があっても題目を忘れず、大いなる夢を掲げて、朗らかに青春の生命を開拓していってください。
 ここで、「正義の走者」たる皆さん方の若き命を、大きく開き、拡大してくれる、三つの不思議な言葉を伝えたいと思います。
 一つは、「ありがとう!」という感謝の言葉です。お父さんやお母さんをはじめ、皆さんの一日一日は多くの人々の真心や親切に支えられています。そのことに気づいて、「ありがとう!」と言葉に表せる人は、皆から大切にされ、知らず知らずのうちに、喜びと福運に満ちた絆を結んでいけます。
 二つ目は、「教えてください!」という学びの言葉です。この世界には、学ぶべきことが無限にある。探求心を燃やして、先生や良き先輩などに「教えてください!」と、どんどんぶつかって学ぶ。さらに良き本にも積極果敢に挑んでいけば、次から次へ新しい発見をして、心の宇宙を広げられます。
 三つ目は、「楽しく乗り越えよう!」という勇気の言葉です。青春は皆、試練がある。しかし、苦しいことがあっても、断じて弱気にはならない。「楽しく乗り越えよう!」と自分を励まし、師子王の心で立ち向かえば必ず道は開けます。そして、何ものにも負けない人格が鍛えられていくのです。
 最後に、私が30年前に訪れた、カリブ海に浮かぶ美しきドミニカ共和国の大思想家(ペドロ・エンリケス・ウレニャ)の言葉を贈ります。「未来を信ずること。それは、健全にして気高き青年の信条である。これこそ、我らの勝利の旗印とすべきなのだ」と。
 さあ、希望の未来を信じて、歌声も明るく、私と一緒に進みゆこう! 世界が見つめる人類の宝、負けじ魂の中等部、万歳!
 みんな元気で!

 

2017年1月18日 聖教新聞 中等部結成52周年大会への池田先生のメッセージ

1月19日

「一人」の成仏が万人を救う!

 

<真剣の「一人」として輝け!

 

学会の発展こそ

日本の発展、世界の発展

 

 日蓮大聖人は、関東の天地で活躍する門下の曾谷殿――今の千葉県、茨城県の一部にあたる下総の曾谷教信に、こう仰せである。
 「今法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術まします御経なり、所謂地獄の一人・餓鬼の一人・乃至九界の一人を仏になせば一切衆生・皆仏になるべきことはり顕る、譬えば竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し」(御書1046ページ)
 ――今、法華経という経は、一切衆生を仏にする秘術をそなえた御経である。いわゆる地獄界の一人、餓鬼界の一人、(さらに畜生界、修羅界……という)九界の一人を仏にすれば、一切衆生が、みな仏になれるという法理が、あらわれる。たとえば、竹の節を一つ破れば、他の節も、次々に破れるようなものである。
 (十界互具であるゆえに、たとえば地獄界の一人が成仏できるということは、その地獄界を具す九界の人々も成仏できる証明となる)――。
 
病気、経済苦、心の苦しみ――地獄の苦悩にある「一人の人」。その人を成仏させられるかどうか。その人が絶対の幸福をつかめるかどうか。それができるのが法華経である。それができることが、一切の人を救える証明となるのである。仏法は大きい。一切を救う。その大きさも「一人の人間」に集約され、すべて含まれているのである。
 「一人」が成仏すれば、周囲の人々をも成仏の軌道へ導ける。
 一家も、一族も、また友人も、たとえ地獄界、餓鬼界の苦しみにある人であっても、希望や幸福へと方向づけてあげられる。それが妙法の力である。
 「一人の人間革命」が、やがて「世界の変革」をも、成し遂げていく――その根本原理も、ここにある。
 ゆえに、大事なのは、強盛なる信心の「一人」である。一人の「一念」であり、「心」である。
 環境がどうあれ、魂の「金の城の人」が一人いれば、「黄金の人材」さえ一人いれば、すべてを良き方向へ、幸福の方向へと開いていける。
 この「真剣の一人」を育て、「真剣の一人」に育ちながら、私どもは進んでいきたい。
 学会員一人一人が、真金の人と輝くならば、全人類も、「幸福」へ、「安穏」へ、「平和」へと導いていけないはずがない。
 事実、学会の発展と、歩調を合わせるかのように、日本と世界の歴史も、大きく転換してきた。
 その意味から、学会こそ、「日本の柱」「世界の光」との気概で進みたい。
 私どもは、この偉大なる仏法を、さらに深く体得し、広布に生きる人生の喜びを満喫しながら、前進してまいりたい。
 そして、この一年、「境涯の拡大」「功徳の拡大」「友情の拡大」「広布の拡大」「団結の拡大」「励まし合いの拡大」へ、“破竹の勢い”で進んでまいりたい。
 「拡大しよう」という一念、祈りによって、自分自身の人生が大きく、楽しく広がっていくのである。

 

 2017年1月17日付 聖教新聞 本部幹部会で紹介された池田先生の指針

1月18日

人材育成

 

<「妙とは蘇生の義なり」>

 

 「人材育成」――。私は本年、この重要な課題に、全力をあげる決心である。その意味を含め、少々、お話しさせていただきたい。
 一、作家・吉川英治氏の随筆(『折々の記』、『吉川英治全集』52所収、講談社)に、こうあった。
 「育つものを見るのは気もちがいい。ぼくは、育つものが好きである
 吉川氏は、「土」でいうなら、新芽が土を割って出る5月の大地が好きだという。私も同じである。
 「反対に、おなじ土でも、たとえば現代の寺院などに立ち入ると、あの数世紀間も踏みかためられたまま、冷んやりしきった土」は、「育つものを生む何の力も失った」土であり、「何の希望もよろこびも足の裏から触れて来ない」と氏は比較している。
 その通りと思う。至言である。
 また、「人間のばあいにしてもそうである。『もう育ちはない』と思われる人と対坐していると、堪らない退屈が座間にただよい、こっちも、やりきれないものに鬱してしまう(憂欝になる)」と。
 氏は「育つ人、育ちのない人の差」は、年齢には関係がない、年をとっていても「ゆたかな生命のひろがりを覚えさせる」人もいる、と書いている。
 随筆を、氏は、こう結んでいる。
 「地球自体の生態は、四季不断に、何かを育てたがっているものにちがいない」と。
 宇宙には「育てる力」がある。生命には「育つ力」がある。
 氏の言うように、地球は、いつも何かを「育てよう」としている。春も夏も秋も冬も。花を育てよう、野菜を育てよう、木を育てよう、と。
 宇宙の「育てる力」。生命の「育つ力」――その根源が妙法である。その実践が信心である。
 「妙とは蘇生の義なり」(御書947ページ)と日蓮大聖人は仰せである。
 妙法に連なっていけば、どこまでも生き生きと「成長」「発展」の軌道を進んでいける。個人も、団体も、国も、この方程式は変わらない。ゆえに信仰者とは「育ち続ける人」でなければならない。
 また、仏意仏勅の創価学会は「育ち続ける団体」である。そして「人材をつくる」団体、「有為な人間を社会に輩出する」団体なのである。
 伸びていく樹は美しい。伸びていく人間は美しい。生き生きと光っている。
 成長もなく愚痴や批判ばかり、妬みばかりの人生は、感動もなく、美しくもない。
 法華経の薬草喩品に、こうある。
 「一切の諸樹は 上中下等しく 其の大小に称いて 各生長することを得」(妙法蓮華経並開結248ページ)
 ――すべての諸々の樹木は、(性質や能力などで)上の木も、中ほどの木も、下の木も、平等に、その大小にしたがって、それぞれが生長できる――と。
 人間にも、さまざまな機根がある。しかし、だれびとたりとも、「信心」があるかぎり、妙法の雨に潤い、ぐんぐん伸びていける。育っていける。その広々とした生命の法理が、ここには説かれている。
 私どもは生活に「根」を張り、希望の「太陽」に顔を向けて生きたい。そして本年を、老いも若きも、生き生きと「伸びゆく年」にしてまいりたい。

 

 2017年1月17日付 聖教新聞 本部幹部会で紹介された池田先生の指針

1月17日

一切の根本は唱題行なり

 

たゆまぬ信行学を貫き、青春の逆転劇を!

 

 戸田先生は師子吼された。
 「本当の決意を込めた題目をあげよ!
  題目は利剣である。
  題目の力は宝刀である。
  題目で勝ったのだ!」と。
 青年ならば、
 「試練を絶対に乗り越えてみせる」
 「わが地域を断じて日本一にする」と
 勇敢な決意で祈り、奮い立つのだ。
 最強無敵の宝剣を持つ青年に、
 打ち破れない苦難などない。

 この「変毒為薬」「煩悩即菩提」の原動力が、唱題なのだ。
 『南無妙法蓮華経は精進行なり』(御書790頁)との御指南のままに、
 たゆまぬ信行学を貫き、青春の逆転劇を!
 広布のロマンの宝友と励まし合い、
 凱歌の歴史を飾ってくれ給え!

 

 2017年1月18日付 創価新報 青春勝利の大道

1月16日

最高峰を目指せ!

わが大道を歩め!

 

強靭なる決意と勇気と行動だ!

 

 大きな目標を立て、
 それぞれの道で
 最高峰を目指して
 努力を重ねていく。
 その労苦のなかでこそ、
 自らの秘められた可能性が
 解き放たれていく。
 それは、他人と比較して
 どうかではない。
 昨日より今日、
 今日より明日へと、
 向上していくことである。
 
 いかなる分野にも、
 “浅深”がある。
 人生にあっても同じである。
 自分一人のために生きるのか、
 より大きな価値のために
 生きるのか。
 自分のことのみを考えて
 生きることはたやすい。
 大いなる理想のために生きるには
 強靭なる決意と勇気が必要だ。
 その決意と勇気に立てるか否か。
 そこに人間としての
 真価が問われるといえよう。
 
 牧口常三郎先生は
 「目的は行動を生む。
 曖昧な的に向かって
 放たれた矢が当たるわけがない
 と語られた。
 明確な目的のあるところ、
 明確な行動がある。
 そしてまた、
 偉大な行動ありて、
 初めて偉大な目的が達成できる。
 
 さあ、新しき前進のこの年も、
 わが大道を歩みながら、
 多くの人と会い、
 多くの友と会おう。
 また多くの人と語り、
 多くの友と語ろう。
 この快活な人間と
 人間との「対話」の大波が、
 「人間主義の世紀」であり、
 「創価の世紀」である。

 

 〈池田大作先生 四季の励まし〉わが最高峰を目指して  2017年1月15日

1月13日~15日

難を乗り越える信心(7)

 

<「私は勝った!」「私たちは勝った!」>

 

「オーバーカム」、

乗り越えるために生まれてきたのです。

  

 さまざまな悩みを抱えている人もいるでしょう。しかし、戸田先生は、よく「宿命と戦っている自分の姿を、そのまま見せていけばよい」と、語られていました。
 大震災の被災地にも、信心への大確信がびくともしない多宝の賢者が大勢、活躍されています。「負げでたまっか」という不屈の信心の輝きが、一家眷属、周りの人々、さらには地域をも照らしてきたのです。
 苦難によって、自らの仏の生命が顕現されていく、大難を受けるほど、仏界の生命が輝きわたる。そういう自分を確立することが、一生成仏の道です。
 真の人間性の練磨は、難を乗り越える信心のなかにある。今、東北の皆さまは、その厳たる姿を日本中、世界中の同志に示してくださっています。
 60年前、私が愛する関西で、新たな民衆運動の大波を起こしていた頃、太平洋の彼方、アメリカの地でも、正義と人道の旗を掲げて、無名の民衆が陸続と立ち上がりました。人種差別と戦う人権闘争「バス・ボイコット運動」です。
 その戦端を開く勇気の声を上げたのは、後に私たちが交友を結んだ「アメリカの人権の母」ローザ・パークスさんです。
 やがて自由と平等の権利を求める公民権運動が全米に広がる中、皆の勇気を鼓舞した有名な歌が「ウィ・シャル・オーバーカム」です。「オーバーカム」とは、困難や試練を乗り越える、打開するとの意です。
 パークスさんのお母様は「人間は苦しみに甘んじなければならない――そんな法律はないんだよ!」と、愛娘に教えたといいます。
 その通りです。悩むために生まれてきたのではありません「オーバーカム」、すなわち乗り越えるために生まれてきたのです。
 いわんや、私たちには偉大な妙法がある。そして、人類の幸福のために、一人また一人と、平等大慧の仏法を弘めています。世界広布の使命に生きゆく私たちは、御聖訓に照らし、いかなる苦難にも断じて負けるわけがありません。
 難に直面しても、信心が破られない人は、仏の眼で見れば、「難即安楽」で、もう乗り越えているのです。仏法は勝負であるゆえに、信心を貫いていけば、必ず現実の一切を乗り越えていけるのです。
 法華経の安楽行品には、『遊行するに畏れ無きこと、師子王の如く、智慧の光明は、日の照らすが如くならん』(法華経447頁)――妙法を実践する人が、恐れなく活躍することは師子王のようであり、その智慧の光明は、太陽のようであろう――と説かれています。
 広布の師弟に生き抜く人は、一人残らず師子王です。人生を恐れなく楽しみ切っていける。社会を、世界を、希望の智慧で照らしていけるのです。
 正しき信仰とは、永遠の「勇気の翼」であり、「幸福の翼」であり、「勝利の翼」です。
 苦難の烈風があればあるほど、喜び挑んで悠々と飛躍し、境涯をどこまでも高めていけるのです。
 さあ、胸を張り、頭を上げて、不撓不屈の誉れの「創価の翼」で、常勝の空へ晴れ晴れと舞いゆこうではありませんか!
 難を乗り越えて、「私は勝った!」「私たちは勝った!」と、見事なる凱歌の人生を飾っていこう! 皆の勝利の報告に、恩師がほほ笑んでいます。

 

 大白蓮華2016年3月号№797 難を乗り越える信心―師子王の心で挑みゆけ 35頁~45頁

1月12日

難を乗り越える信心(6)

 

<『仏になる道は必ず身命をすつるほどの事あり』>

 

大聖人と同じ最極の生命を涌現

 

 『本より学文し候し事は仏教をきはめて仏になり恩ある人をも・たすけんと思ふ、仏になる道は必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめと・をしはからる、既に経文のごとく悪口・罵詈・刀杖・瓦礫・数数見擯出と説かれてかかるめに値い候こそ法華経をよむにて候らめと、いよいよ信心もおこり後生もたのもしく候、死して候はば必ず各各をも・たすけたてまつるべし』(佐渡御勘気抄、891頁)
 この「佐渡御勘気抄」は、佐渡に向かわれる直前に著された一書です。門下の不信や不安が渦巻いている時でもありました。
 そうした中で大聖人は、厳然と『仏になる道は必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめ』と仰せです。
 大難の中でこそ、仏の生命を現していくことができる。小さな自分の殻を打ち破り、内なる妙法と一体の大我の生命となるのです。ゆえに題目を唱え抜き、「師子王の心」を取り出だして、難と格闘することです。
 人間は、運命を嘆き、宿命に翻弄され、苦しむだけの存在ではない。難を乗り越えて、自他共の幸福を勝ち開く。その力を無限に解き放つための哲理が妙法です。そのための信心です。この境涯革命、人間革命を成し遂げるには、不惜身命の実践が欠かせないのです。
 「開目抄」にも『我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし』(開目抄、234頁)と仰せです。
 いかなる難に直面しても、疑いを起こさず、敢然と信心を貫き通していけば、必ず仏界の生命が涌現できる。
 大事なことは、「まことの時」に、師の言葉を忘れず、ひとたび決めた師弟の道を、同志と共に、断固進み抜いていく信心です。
 本抄に『法華経をよむにて候らめ』と仰せの通り、佐渡流罪などの諸難は、大聖人が法華経の行者の証しであると仰せです。
 現実に仏の未来記である法華経を身読しているのは誰かのか。本当に民衆救済に立ち上がり、戦っているのは誰なのか。大聖人しかいないとの烈々たる宣言です。
 続いて『いよいよ信心もおこり後生もたのもしく候』と綴られています。
 恩師は、力強く訴えられました。
 「牧口先生が幾たびとなく弟子に語った、この言葉を断じて忘れてはならない。『悪口罵詈、猶多怨嫉の難は法華経の実践者の誉れなのである』と
 地域のため、社会のため、世界の平和のために、誰が本気になって尽くしているのか。それは、学会員です。
 私たちは、無理解や偏見などから圧迫を受けたとしても、すべては法華経の行者の誉れと愉快に堂々と前進していけばいいのです。
 『石に金を・かふるにあらずや』(佐渡御勘気抄、891頁)です。
 苦難を乗り越えて、信心を貫き、広宣流布に生き抜く人は、凡夫の身のままで、胸中に大聖人と同じ最極の生命を涌現することができる。戦えば戦うほど、自分自身の仏の力が引き出せる。信心は、その秘術です。
(つづく)

1月11日

難を乗り越える信心(5)

 

<正義の大逆転劇>

 

 多くの人の成仏の道を開く大闘争だからこそ、想像もしない難が押し寄せてくるのです。
 第六天の魔王の命令を受けた一切の障魔が、それぞれの能力にしたがって法華経の行者を悩まします。それが十軍の働きです。その人自身の心を破ろうとします。
 それでも駄目なら、いろんな人の身に入って、つまり、最も身近な父母、きょうだいをはじめ、ついには社会的に地位ある人など、強く影響力を持つ人まで使って、諌めたり、脅したり、退転させようとします。
 最後には、第六天の魔王が自ら、権力者の身に入り代わるなどして、信心を破壊させようとする。本来あり得ないと思われる転倒した事態や意表を突く状況を生じさせ、信心を攪乱し、団結を崩壊させる。そこに第六天の魔王の狙いがあるのです。
 しかし、第六天の魔王といっても、その本質は、生命に潜む元品の無明が、魔の働きとなって現れてきたものです。
 自身の境涯を広げようとするから、止めようとする力が働く、船が進めば波が起こり、走れば風圧が生ずるように、人間革命の道を進みゆく人々に、信心への不信、疑念を抱かせようとするのが、魔の本質なのです。
 決して、自分の信心が弱いから、また、自分の信心の姿勢が悪いから難が起こってくるわけではないのです。
 大聖人は、『退転せじと願じぬ』(200頁)、『ちかいし願やぶるべからず』(232頁)と宣言され、大難を勝ち越えて末法万年にわたる万人成仏の道を開いてくださいました。広宣流布に進むがゆえの大難です。したがって、大聖人門下は、いかなる障魔が競い起ころうとも、不退の信心で広布の誓願に徹することが大事なのです。
 法華経の眼から見れば、難と戦う私たちは、正義の大逆転劇を演じています。「何があっても楽しく生き抜く」という大歓喜の劇を演じています。その痛快なる勝利劇で、広宣流布を遂行していく使命を担っているのです。
 広宣流布は、「第六天の魔王」の支配から、この世界を取り戻し、「仏国土」として輝かせていく建設にほかなりません。熾烈な真剣勝負です。自他共の幸福を願う「仏」の軍勢と、それを妨げようとする「魔」の勢力との大闘争です。
 私たちは、この大闘争の主人公であり、未来永劫の世界広布の道を開く、先駆者です。
(つづく)

 

1月10日

難を乗り越える信心(4)

 

<難は、民衆を救うために、自ら願って受けた難となる。
使命を果たすために難はある。>

 

 『各各ののうのうに随つて・かの行者をなやましてみよ・それに・かなわずば・かれが弟子だんな並に国土の人の心の内に入りかわりて・あるひはいさめ或はをどしてみよ・それに叶はずば我みづから・うちくだりて国主の身心に入りかわりて・をどして見むに・いかでか・とどめざるべきとせんぎし候なり』(三沢抄、1487頁)
 続いて、難の正体を明快に喝破された「三沢抄」の一節を拝します。
 正しい仏法を実践しているからこそ、修行を阻もうとする障魔が、紛然と競い起こるということです。
 本抄では、三障四魔の中でも天子魔、つまり第六天の魔王を、最も恐れるべきものとして示されています。
 この御文の直前では、凡夫が正しい仏法の理解を深め、実践に励んで、いよいよ仏になろうとする状態になった時、第六天の魔王が驚いて語る言葉が記されています。
 「ああ、とんでもなことだ。この者がこの国にいるなら、彼自身が生死の苦悩の世界から離れ出ることはさておいて、その一方で人をもその境地へ導くだろう。さらにはこの国土を奪い取って、わが領土を浄土としてしまう。どうしたらよいだろう」――。
 第六天の魔王は、人間が成長を遂げて、「他の人にも仏の境涯を得る道を開くこと」「仏国土を築くこと」を恐れるのです。
 言い換えれば、法華経による成仏とは、一人だけの成仏で終わらない、ということです。また、涅槃などの静穏な境地を求めるのではなく、この娑婆世界で戦い続けることが真の成仏の姿です。しがって、第六天の魔王は、民衆が正法に目覚めて立ち上がることを阻もうとするのです。
 法華経の行者にとって、勝利とは、自分だけにとどまりません。悩める友、さらには、未来の友の勝利の大道を限りなく切り開いていく、尊き挑戦なのです。
 戸田先生は、「大聖人の仏法は、逆境にある人が、幸せになる宗教なのだ。苦難にあった人ほど、それを乗り越えた時、すごい力が出るのだ。その人こそが、本当に不幸な人々の味方になれるのだよ」と語られました。
 地涌の使命を自覚すれば、偉大な力が出る。難は、民衆を救うために、自ら願って受けた難となる。そして、それを乗り越えることで、人々を救うという願いを果たすことができる。使命を果たすために難はあるのです
 「なぜ自分が」という嘆きから、「だからこそ自分が」という誇りへ、難に対する姿勢の大転換を教えられているのです。
 (つづく)

1月9日

題目を『獅子の吼ゆるが如く』!

 

 大聖人は、妙音菩薩についての御義口伝に、こう仰せであります。
 『妙音とは今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る事は末法当今の不思議の音声なり、其の故は煩悩即菩提生死即涅槃の妙音なり云云』(御書774頁)と。
 我らには題目という究極の妙音がある。
 ゆえに人生においても、社会においても、いかなる苦悩が立ちはだかろうと、断固として怯まず、一つ一つ幸福への智慧に転じ、自他共に境涯を開くことができる。試練が大きければ大きいほど、「心の財」も大きく積める。
 我らは、題目を『獅子の吼ゆるが如く』(同764頁)唱え抜き、励ましの声を、友情の声を、勇気の声を惜しまずに轟かせながら、この地球上に、正義と人道と平和の寂光土を、いやまして建設し、拡大してまいりたい。

 2017年1月8日 付聖教新聞 本部幹部会への池田先生のメッセージ

1月7日

何が競い起ころうが

学会と共に

広宣流布に生きて欲しい!

 

 山本伸一は思った。
 “ここに集った方々は、日蓮大聖人の太陽の仏法をもって、アジアの大地を照らし、幸福の光を送りゆく崇高な使命の人である。一人ひとりの行動と成長が、国や地域の広宣流布を決定づけていくことになる。それだけに、皆がさらに力を培い、一騎当千の知勇兼備の闘将に育ってほしい
 彼の声に、自然に力がこもっていった。
 「私たちは、信心の世界に生きています。したがって、御本尊根本に、信心第一に団結していかなくてはならない。しかし、それぞれの感情が中心になってしまえば、怨嫉や争いが生じていく。それは己心の魔に翻弄され、仏法から外れた姿です。団結していくことは、その己心の魔との闘争であり、異体同心の成就は、皆が自分を制し、魔を打ち破った、人間革命の証といえます。
 リーダーの皆さんは、広い心でメンバーを愛し、社会を大切にし、自分の国を愛していただきたい。広宣流布の姿とは、日蓮大聖人の仏法という最高の法理に生きる皆さんが、その国の“精神の柱”“信頼の柱”“良心の柱”となっていくことでもあります。
 広布の途上には、必ず幾つもの大難があります。学会への誤解や無認識などによる迫害や弾圧もあるかもしれない。退転者らによる裏切りや組織の攪乱もあるかもしれない。第六天の魔王は、全く予期せぬかたちで、広宣流布の破壊を狙ってきます。
 だが、何が競い起ころうが、御本尊を信じて、仏意仏勅の団体である学会と共に、広宣流布に生き抜いていただきたい。大試練に打ち勝ってこそ、大功徳に浴し、崩れざる幸福の基盤を築くことができる。また、その時にそれぞれの国・地域の大飛躍もあります
 信心とは勇気です。師子王の心で、敢然と前進していってください。太陽の仏法を、太陽のごとく燃え盛る信心で語り抜き、世界広布の先駆の道を開いていただくことをお願いし、あいさつといたします」
 祈りにも似た、伸一の魂の叫びであった。

 

 2017年1月6日 小説新・人間革命 大山 四

1月6日

世界のリーダーが心すべきこと

 

①役職に人間としての上下の関係はない

②世法と信心を混同するな!

③メンバーの幸福こそが目的であり、組織は手段

 

 東南アジア代表者懇談会で山本伸一は、各国・地域のリーダーとしての在り方を語っていった。
 「何も社会に貢献せず、自分のことだけを考えて生きていく一生もある。仏法のため、自他共の永遠の幸福のために、一生懸命、仏道修行に励むのも一生である。なかには、信心していても、本気になって広宣流布に取り組むのではなく、要領よく立ち回ろうという人もいるかもしれない。
 しかし、人の目はごまかせたとしても、誰人も因果の理法から逃れることはできない。仏法の因果は厳然です。御本尊は一切を御照覧です。したがって、仏法の眼から見た時、アジアの広布の先駆者として立派に道を切り開かれてきた皆さんの功績は偉大であり、その功徳はあまりにも大きい。
 日蓮大聖人は、『始より終りまで弥信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん』(御書一四四〇ページ)と仰せである。ゆえに、皆さんは、妙法流布の生涯を凜々しく生き抜いていただきたい。信心を全うしていくならば、何があっても崩れることのない幸福境涯を確立し、福運に輝く人生を謳歌できることは間違いありません」
 そして、これからの世界のリーダーが心すべきこととして、次の三点を語った。
 「第一に、皆が尊い仏子です。学会には、組織の機能のうえでの役職はありますが、人間としての上下の関係はありません。ゆえに組織にあって、幹部だからといって、決して人を叱るようなことがあってはならない
 第二に、世法と信心を混同し、学会のなかで、利害の対立などによって、争いを起こすようなことがあっては絶対になりません
 第三に、どこまでもメンバーの幸福こそが目的であり、組織は手段であることを銘記していただきたい。その意味からも、信心の姿勢について厳格であることはよいが、組織の運営等については皆の意見をよく聴き、各人の主体性を尊重し、人間共和の組織をめざしていくことが肝要です

 

 2017年1月5日 小説新・人間革命 大山 三

1月5日

人類の幸福と平和の大道を開け!

 

 偉大なる広宣流布の同志の皆さん!

 意義深き2017年の新春、明けましておめでとうございます。
 希望にあふれ、和楽に包まれた、日本一、いな世界一の創価家族の集いを、諸仏も諸天も喜び讃え、見守っていることでしょう。
 御聖訓には、『太陽や月が四天下(世界)をめぐるのは、仏法の力による』(御書1146頁、通解)と説かれております。
 大宇宙をも動かし、照らしゆく究極の力こそ、妙法であります。
 ゆえに、この妙法を抱いた私たちは、いかなる乱世も恐れなく、心晴れ晴れと久遠元初の太陽を昇らせ、いよいよ明るく、大情熱に燃えて、最高無上の生命の軌道を邁進していきましょう!
 今、世界の青年たちは「誰と共に」「何を道しるべに」、そして「どこへ向かって」進みゆくべきか、真剣に道を求めております。
 御本仏・日蓮大聖人は厳然と、また明確に仰せになられました。
 『南無妙法蓮華経と唱え奉る日蓮と門下は、一同に、皆、共に宝のある処、すなわち成仏という最高の幸福境涯に必ず至ることができるのである』(同734頁、趣意)と。
 私たちは、大慈大悲の御本仏とご一緒に、また全世界の地涌の菩薩と共々に、生命尊厳の大哲理を掲げ、ますます仲良く朗らかに、人類の幸福と平和の大道を開いていこうではありませんか!
 さあ、歓喜のはじける題目で、価値創造の充実の一日一日を!
 「信心即生活」の賢きリズムで、健康長寿の楽しき春夏秋冬を!
 そして、異体同心の団結で、見事な社会貢献の大勝利の一年であれ!
 愛する皆さん方の無事安穏と所願満足の人生を祈りに祈って――

 

 いざ共に
  人間革命
   凱歌あれ
 
 と贈ります。
 いつも、また常に、不二の絆のわが友、万歳!

 

 2017年1月4日付聖教新聞 全国の新年勤行会への池田先生のメッセージ

 

1月4日

難を乗り越える信心(3)

 

<難即安楽>

 

「難を乗り越える信心」とは、
「難を乗り越える祈り」であり、
「難を乗り越える唱題」である。


御義口伝に云く妙法蓮華経を安楽に行ぜむ事末法に於て今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり』(御義口伝巻上、750頁)
 ここで拝する「御義口伝」は、安楽行品についての一節です。
 真の安楽とは、苦難と戦う中にこそにあるという「難即安楽」の法理を示されています。
 「難」には、まず、正しい信仰ゆえに、三類の強敵から迫害を受けるという法難の次元があります。また、自身の仏の境涯を開くために、人生に生ずる困難や宿命とあえて戦うという次元があります。いずれにしても、信仰を破壊する三障四魔に打ち勝ってこそ、一生成仏も広宣流布も、成就するのです。
 では「安楽」とは、どのようなことを言うのでしょうか。
 天台大師は「安楽」の字義について、「安」とは「不動」、「楽」とは「心に憂悩無き」ことであると示しています。
 つまり、「安」とは、何があっても揺るがない信心であり、「楽」とは、何があっても憂いなく生き抜いていける信心です。
 戸田先生は、「試練の山を一つ切り抜けるたびに、成仏という、崩れることのできない境涯となっていくのである」と、一つ一つ、乗り越えていくことの大切さを教えられました。
 「一つ一つ」です。信心が深まるのを待って、それから難に向かうのではありません。
 難に向かっていく中で生命が磨かれ、金剛の信心が鍛え上げられるのです。『剣なんどは大火に入るれども暫くはとけず是きたへる故なり』(1169頁)と仰せの通りです。
 ゆえに、どんな悩みも、そのまま御本尊に祈っていけばいい。悩みを祈りに変えて、題目を唱えれば、わが生命に、勇気がみなぎり、希望が輝き始めるではありませんか。
 「難を乗り越える信心」とは、「難を乗り越える祈り」であり、「難を乗り越える唱題」の異名です。
 私たちは、いかなる障魔が競い起ころうとも、強き信心で、御本尊に祈ることができます。そして、共に励ましあえる同志がいます。
 したがって、学会とともに歩む人生、それ自体が、最高の「難即安楽」に人生を歩んでいることになるのです。
 いたずらに難を恐れて、“ほどほどに”小さく固まって生きる――そうした臆病な姿勢では、「歓喜の中の大歓喜」は得られません。
 大聖人の仏法は、消極的人生とは対極にあるといってよい。
 『大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし』(1449頁)、『賢者はよろこび』(1091頁)です。
 「さあ何でもこい!」「難があるからこそ、人生を大きく楽しめるんだ。多くの人を救えるんだ」という、究極の積極的人生にこそ、真実の安楽があると教えられているのです。

 (つづく)

1月3日

難を乗り越える信心(2)

 

<喜び勇んで挑んでこそ創価の賢者>

 

 難に遭遇した時こそ、その人が築き上げてきた生き方の真価が最も鮮明に現れます。
 不運とあきらめるのか、時が解決するのをじっと耐え忍ぶのか、自分の人生を嘆くのか、はたまた、他人や環境のせいにして恨むのか。
 ダンテは、『神曲』に綴りました。
 「君ら生きている人々はなにかというとすぐ原因(わけ)を天のせいにする、まるで天球が萬事を/必然性により動かしているかのような口吻だ
 「善悪を知る光や自由意志が君らには与えられている。/そしてこの意志は初期の戦いでは/天球の影響を受けて苦闘するが、もし意志の力が/十分に養成されているならば、すべてに克てるはずだ」(平川祐弘訳、河手書房新社)と。
 「難を乗り越える」――これが洋の東西を問わず、先哲の道です。喜び勇んで挑んでいくのが、創価の賢者の人生です。「嵐は誉れ」です。その勝利の鍵となるのが、難と真正面から向き合う、師子王の如き信心なのです
(つづく)

2017年1月1日

あなたも世界市民です!

 

<世界市民教育の4つのプロセス>

 

①自分を取り巻く社会の問題や世界が直面する課題の現状を知り、学ぶ。
②学びを通して培った、人生の座標軸と照らし合わせながら、日々の生き方を見直す。
③自分自身に具わる限りない可能性を引き出すためのエンパワーメント※。
④自分たちが生活の足場としている地域において、具体的な行動を踏み出し、一人一人が主役になって時代変革の万波を起こすリーダーシップを発揮する。

 

※エンパワーメント・・・人びとに夢や希望を与え、勇気づけ、人が本来持っているすばらしい、生きる力を湧き出させることと(サイト・マスタ)

 

2016年1月26日第41回SGIの記念提言「万人尊厳 平和への大道」

 

世界広布新時代

「青年拡大の年」

(2017年)

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

世界広布新時代

開幕

1436

更新日

2017.10.22

第1485

 

日天月天ワンショット

日めくり人間革命URL

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