日めくり一週間

2022年5月25日

第2008回

一人の本物の弟子

 

 「師弟の勝利」とは、弟子の闘争で決まる

 

 戸田先生の生涯もまた、死身弘法であられた。戸田先生は、師匠の牧口先生に、牢獄までお供されたのである。

 当時、学会の最高幹部の多くは、軍部権力の弾圧に恐れおののいて、次々と退転していった。投獄された牧口先生を罵り、去っていった人間もいた。

 そのなかで、獄中の戸田先生は、ただひたすらに、師匠のご無事を祈っておられたのである。

 「わたくしは若い、(牧口)先生はど老体である。先生が一日も早く(牢獄から)出られますように。わたくしは(獄中生活が)いつまで長くなってもよい。先生が、早く、早く出られますように」と。(『戸田城聖全集』3)

 日本中が狂気に呑み込まれ、正義の人に集中砲火のごとく弾圧が加えられるなか、戸田先生ただ一人が、師匠に仕えきっていかれた。わが身を顧みず、自身のすべてを犠牲にして――。

 仏法の師弟とは、これほどに厳粛であり、崇高なのである。

 私もまた、師匠の戸田先生のもとで、一人立ち上がった。青春のすべてを捧げて戦った。

 戸田先生の事業が挫折した時も。七十五万世帯への突破口をだれかが開かねばならなかった時も。そして、権力の魔性が牙を剥いて、学会に襲いかかって来た時も。

 いつも戸田先生は、「大作はいるか。頼むぞ!」と一言。私は、勝って勝って勝ちまくって、師匠にお応えした。

 牧口先生には、戸田先生がいた。戸田先生には、私がいた。一人の本物の弟子がい一人でいればいいのである。

 

 「一人の師子」がいれば、必ず後に人材は続いていくものだ。「師弟の勝利」とは、弟子の闘争で決まることを忘れてはならない。

 

2005.5.21第二総東京代表協議会

2022年5月24日

第2007回

法華経に祈った以上は、

最後は必ずそのようになっていく

 

 <強盛な祈りで諸天を動かせ>

  

 学会本部の質素な執務室に、私は、次の一首を掲げている。

 

  わが運命さだめ

    かくもあるかと

      決意せば

    惑うことなし

      恐れることなし

 

 これが第三代会長として立った私の変わらぬ心である。

 

 御金言には、こう説かれている。

法華経に祈った以上は、最後は必ず、

 そのようになっていくと思い定めなさい

 (御書1228㌻、通解)

 

断じて勝つ!」と心に定め、

 祈りぬき、祈りきる人生ほど強いものはない。

 

 有名な「弥三郎殿御返事」には仰せである。

(この広宣流布の戦いこそ)名を上げるか、

 名を下すか、人生を決する所なのです。

 人として生を受けることはむずかしく、

 法華経を信じることはむずかしい、

 というのは、このことです。

 (この戦いに勝つために)

 『釈迦仏、多宝仏、十方の仏よ。

 来集してわが身に入り替わり、

 私を助け給えと深く祈りなさい

 (御書1451㌻、通解)

 

「勝つための信心」である。

「必ず勝てる信心」である。

 

 悔いなく戦い、

 強盛に祈りぬいて、

 十方の仏菩薩、

 諸天善神を揺り動かし、

 勝利へ勝利へ、

 道を切り開いていくことだ。

 

最後が幸福であれば、

 あらゆる労苦は良き思い出に変わる。

 ゆえに、それまでは、うんと苦労しろ、

 もがき苦しんでいけ!

 死身弘法ではないか!」とは、

 戸田先生の厳愛のご指導である。

 

2005.5.21第二総東京代表協議会

2022年5月23日

第2006回

いわれなき批判には

徹底的に素早く反論

 

 <力強い声で! 正義の師子吼を>

 

 東京は、わが故郷である。

  私は、東京生まれの東京育ち。

 いわゆる「江戸っ子」である。

 その誇りをもっている。

 江戸っ子は、

 さっばりしていて、

 きつぷがよくて、

 何でも、はっきり、ものを言う。

 それが身上である。

 一見、淡泊に見えて、

 正義を叫ぶ時は、くどいくらいになる。

 悪は絶対に許さない! 

 その怒りが、言葉となって、ほとばしるのだ。

 

 声は武器。

 声は力。

 口は語るためにある。

 勇敢に叫ぶのだ。

 いわんや、仏法においては、

 「声仏事を為す」である。

 声で勇気がわく。

 勢いが増す。

 勝利の道を開いていける。

 

 人間主義は正しい。

 仏法は絶対である。

 われらの前進を、世界の知性が待っている。

 

 今こそ打って出よ! 

 正義と真実を、しゃべって、しゃべって、

 しゃべりぬくのだ。

 力強い声で!

 そうすれば、いかなる暗雲も、

 いっぺんに吹き飛ぶ。

 

 御聖訓には

 「南無妙法蓮華経は師子吼の如し」と仰せである。

 朗々たる題目の力で、

 正義の師子吼で、

 百獣のごとき魔軍を、

 敢然と打ち破ってまいりたい。

 

 アメリカを代表する経済学者ガルブレイス博士と私との対談「人間主義の大世紀を――わが人生を飾れ」の出版の準備が、現在(当時)、順調に進んでいる。(=対談集は二〇〇五年九月、潮出版社から発刊)

 ガルブレイス博士は、権力者や悪意の人間たちからの数々の非難中傷に対して、毅然と立ち向かい、戦いぬいてこられた。博士は述べている。

 「いわれのない批判を受けた時は、徹底的に素早く反論するのが私のやり方である」「私の徹底抗戦が功を奏して、次第に騒ぎは収まっていった」(『ガルブレイス わが人生を語る』日本経済新聞社)

 

 「徹底的に」「素早く」反撃する

 ――ここに「言論闘争」「精神闘争」に

 勝ちゆく要諦があるといえよう。

2005.5.21第二総東京代表協議会

2022年5月22日

第2005回

希望の王子・王女に贈る

(2)

 

<「友情の虹」を未来へ世界へ

 

 

 雨上がりの空にかかる虹は、

 なぜ、きれいなのか。

 いろんな色が、仲良く

 輝いているからではないでしょうか。

 

 皆さんの周りにも、

 いろんな友だちがいるでしょう。

 顔も性格も違う。

 好きなことや得意なことも、

 それぞれに違います。

 だからこそ、おもしろいのです。

 みんな違って、みんな素晴らしい。

 

 題目は、自分の良さを輝かせる太陽の光です。

 そして、

 友だちの良さも、

 輝かせていけるようになります。

 

 大きな心で、良き仲間と学び合い、

 未来へ世界へ、

 「友情の虹」「平和の虹」を

 かける人に育ってください。

 

2022年6月1日付 少年少女きぼう新聞 KIBOU(12面)

 

2022年5月21日

第2004回

苦難こそ青春の誉れ

 

 

 「難を乗り越える信心」とは、

 学会永遠の指針です。

 仕事、家庭、勉学など、

 悩みは尽きなくとも、

 妙法を持った青春は、

 全てを必ず勝ち越えていける。

 そのための信仰です。

 

 私も、闘病や事業の艱難、冤罪との戦い等、

 一つ一つ越えてきました。

 戸田先生は言われました。

 「問題があるから、力がつく

 「そう達観して、大きく強く生き抜いていくことだ」と。

 

 険しい試練の坂に挑む若人には、

 富士のごとく

 何ものにも揺るがぬ境涯が開かれます。

 悩みの深い人こそ使命も深い。

 大確信で題目を唱え抜き、

 難を乗り越えてくれ給え!

 

2022年5月18日創価新報 勝ちゆく君へ

 

2022年5月15日

第1999回

生命尊厳の「永遠の都」を

 

<一番苦しんだ人が、一番幸せになる権利がある

 

 

 一番苦しんだ人が、

 一番幸せになる

 権利がある。

 最も侮蔑され、

 虐げられてきた

 民衆こそが、

 最も誇り高く凱歌を

 轟かせる権利がある。

 その大転換へ、

 宿命に涙してきた

 一人一人が、

 永遠の幸福を

 勝ち開くためにこそ、

 日蓮大聖人の仏法はある。

  

 「イチャリバチョーデー 

 (出会えば、皆、兄弟)」

 ――沖縄には、

 人と人との出会いを

 大事にし、

 いかなる出会いも

 深き友情に高めゆく

 豊かな精神性がある。

 その平等に

 語り合う場には、

 海風が薫り、

 明るい青空や

 星空が広がる。

 我らの「沖縄精神」は、

 まさに「対話の精神」だ。

  

 一人の声に耳を傾け、

 一人の友を励まし、

 一対一の対話を広げる。

 この最も地道な

 菩薩道こそ、

 新たな平和の潮流を

 起こす第一歩だ。

  

 広宣流布とは、

 平和と文化と教育の

 「永遠の都」をつくる

 大事業である。

 正義と幸福の「永遠の都」。

 民衆勝利の「永遠の都」。

 人間讃歌の「永遠の都」。

 生命尊厳の「永遠の都」。

 常楽我浄の「永遠の都」。

 これらの大建設は、

 人類が何千年来、

 求めてきた夢である。

 目標である。

  

 妙法を持つ人は皆、

 尊極の生命の宝塔であり、

 人間主義の柱である。

 それぞれの地域にあって、

 広布の使命に

 一人立つ同志は、

 まさしく希望の柱だ。

 苦難に負けない強さ、

 人のために尽くす生き方、

 その姿そのものが

 平和の柱なのである。

 

2022年5月15日沖縄本土復帰50年

池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」

 

2022年5月14日

第1998回

報恩こそ仏法の正道

 

「悪」を滅してこそ「善」が生ずる>

 

 

 日蓮大聖人は「恩」について厳しく教えておられる。

 「仏弟子は必ず四恩をしつて知恩報恩をいたすべし」(御書192頁)

 恩を知り、

 恩に報いることこそ、

 人間の道であり、

 仏弟子の要件である。

 

 大聖人は、″動物ですら恩を知り、恩に報いる。いわんや人間をや″とも仰せである。

 (「報恩抄」の冒頭に「老いた狐は、自分が生まれた古塚を忘れず、必ず首を古塚に向けて死んでいく。また、中国の武将・毛宝に助けられた白い亀は、後に毛宝が戦いに敗れると、彼を背に乗せて、河を渡って助け、その恩に報いた。畜生すら、このように恩を知り、恩に報いる。まして人間が恩を知り、恩に報いないでよいはずがあろうか」〈御書293頁、通解〉とある)

 恩を忘れ、

 恩を裏切ることが、

 どれほどの悪行であるか。

 学会においてもこれまで、

 退転・背信の輩が、

 例外なく、卑しい「恩知らず」であったことは、

 皆さん方が、よくご存じのとおりである。

 

 「恩知らず」は、

 仏法の道に背き、

 人間の道、

 生命の道を外れた、

 最低の生き方なのである。

 

 「報恩抄」では、通じて、「四思」に報い、別して、「師匠の恩」に報いていく道を説いておられる。

 ここでは、「四恩」として、

 (1)父母の恩

 (2)師匠の思

 (3)三宝(仏法僧)の恩

 (4)国王の恩(社会の恩)

 が挙げられている。

 (「報恩抄」には「ひとへに父母の恩・師匠の恩・三宝の恩・国恩をほう報ぜんがため」等と仰せである。「父母の恩」に一切衆生の恩」を含む)

  私たちが尊崇の対象とする

 「仏法僧の三宝」のうち、

 「仏宝」とは日蓮大聖人、

 「法宝」とは「南無妙法蓮華経の御本尊」、

 「僧宝」とは日興上人である。歴代法主は含まない。

 

 また「僧」とは、

 広く言えば、

 三宝を正しく伝え広めていく「和合僧」をさす。

 現代で言えば、

 創価学会こそが「和合僧」なのである。

 広宣流布を忘れた坊主たちが、

 「僧」であるはずもない。

 

 「報恩抄」は、

 大聖人が「大事の大事どもをかきて候ぞ」(御書330頁)

 と言われた重書である。

 

 その中で示された「報恩」の根本の道とは何か。

 日寛上人の「報恩抄文段」を拝すれば、

 報恩の根本の道とは、

 「邪法を退治すること」であり、

 「正法を弘通すること」である。

 すなわち、

 不惜身命の広宣流布の信心である。

 

 身命を伊しまず「邪法を退治」し、

 「正法を弘通」すれば、

 一切の恩に報いることができるからであると、

 日寛上人は教えてくださっている。

 (文段にこうある。

 「問う、報恩の要術、その意は如何。

 答う、不惜身命を名づけて要術と為す。調く、身命を惜しまず邪法を退治し、正法を弘通すれば、即ち一切の恩として報ぜざること莫なきが故なり」〈文段集三二三ページ〉)

 真実の「師匠への報恩」の道は、

 悪を破折し、

 正義を拡大する以外にない。

 

 反対に、悪を傍観し、

 放置しておくことは、

 師匠に対する忘恩であり、

 裏切りである。

 

 また、たとえどんなに小さなことであっても、

 同志を苦しめる悪を、

 絶対に見逃してはならない。

 放っておけば、

 その毒気が、

 いつしか全体に蔓延して、

 清浄な和合の世界が破壊されてしまう。

 「悪」を滅してこそ「善」が生ずる。

 正義の言論で悪を一つ一つ退治していかねばならない。

 

 そして、

 仏に等しい善良な同志を守りぬき、

 広宣流布の正義の勢力をいちだんと拡大しながら、

 断固として勝ち進んでいくことである。

 これこそが、

 弟子の「報恩の戦い」なのである。

 

 「師匠の恩に報いる」という言葉を、

 民主主義の現代から離れた

 古い価値観のように受け取る人もいるかもしれない。

 しかし、

 「師弟の道」

 「報恩の道」こそ、

 時代を超えた、

 人間の永遠の勝利の道であることを知っていただきたい。

 

 また、師弟の心といっても、

 口先で論ずるものではない。

 みずからが深く決意し、

 行動するなかに、

 「不二」の魂が脈動していくのである。

 

 「報恩抄」の最後には、こう仰せである。

 「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなが流布るべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ」(御書329頁)

 わが創価学会は、この御聖訓の正しさを実証をもって示した。末法万年尽未来際への令法久住の流れをつくった。

 そして、人類の不幸の流転を押しとどめるために、世界広宣流布の道を開いている。

 世界の心ある知性も、この創価の前進に、二十一世紀の希望を託している。

2005.2.23全国最高協議会

 

2022年5月13日

第1997回

私は祈り、待っている

 

<真実の弟子を>

 きょうの集いは、

 各部、各方面の代表が参加しての重要な協議会である。

 戸田先生は、こうした会議を、

 非常に大事にしておられた。

 無断で欠席したり、

 会議の大切な内容を忘れていたりしたら、

 それこそ烈火のごとく叱られた。

 強い先生であった。

 先生の怒る声は、雷鳴のようだった。

 はるか遠くまで響き渡るような、

 本当に大きな声だった。

 師子の叫び、師子王の叫びであった。

 

 戸田先生は、

 そうやって青年たちを厳しく訓練してくださった。

 ″リーダーは、一人も残らず精鋭であれ!

 広布の本陣に精鋭以外はいらない!″と、

 それはそれは厳しかった。

 だからこそ学会は、ここまで発展したのである。

 

 その剛毅な戸田先生が、

 師匠の牧口先生の前では、

 「あそこまで」と皆が驚くほど粛然とし、

 かしこまっておられたという。

 本当の師匠と弟子の姿は、

 厳粛である。

 崇高である。

 これほど強い絆は、この世にない。

 

 師弟をないがしろにして、

 いくら偉くなっても、その末路は厳しい。

 

 広布の本舞台に

 真実の弟子が躍り出ることを、

 私は祈り、待っている。

 青年部は正義の師子と立ち上がり、

 皆が目を見張るような大勝利を、

 見事に飾ってもらいたい。

 

2005.2.23全国最高協議会

2022年5月12日

第1996回

リーダーの基本姿勢

 

<皆が主役、自分は脇役>

 

 はじめに、青年部の代表に記念の句を贈りたい。

 

  勝ちまくれ

    また勝ちまくりたる

      創価かな

 

 未来を託すのは、青年しかない。

 新しい歴史をつくるのは、

 青年の使命であり、特権である。

 

 どうか、

 自分のため、友のため、ご両親のためにも、

 世界一幸福な人生、

 勝利また勝利の栄光の人生を

 晴ればれと生きぬいていただきたい。

 

 私たちは、

 信心の絆で結ばれた″家族″である。

 久遠の同志である。

 だからこそ、未来のために、

 大切なことを率直に語っておきたい。

 

 先輩の幹部は、

 後輩を大事にしていくことだ。

 同志に最敬礼していくべきである。

 自分が目立とうとするのではなく、

 同志を讃え、後輩を立てていく。

 皆が主役である。

 自分はむしろ脇に回り、

 皆を支えていこう

 ――とのリーダーの基本姿勢を、

 よくよく胸に刻まなければならない。

 

 法華経に

 「当起遠迎、当如敬仏(当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし)」(法華経六七七㌻)とある。

 

 日蓮大聖人と同じ心で

 広宣流布へ進みゆく同志を、

 仏を敬うように大切にしていく。

 真心を尽くて励ましていく。

 そういう人格の光るリーダーであってとそ、

 多くの友から信頼され、

 希望と力を与えていけるのである。

 

 広宣流布の「将の将」である皆さまは、

 どこまでも会員に尽くしぬき、

 「立派だ」「さすがだ」と

 讃えられる名指揮を、お願いしたい。

 すばらしき人生の総仕上げを飾っていただきたい。

 

2005.2.23全国最高協議会

2022年5月11日

第1995回

会員を大事にして、

 大事にして、

 大事にしぬいてきた

 

徹して一人を大切に>

 

  最高の楽しき和合の世界をつくる。そのための信心であり、そのための組織である。この創価の「師弟の世界」、真実の「和合の世界」を永遠に崩してはならない。崩させてはならない。

 

 私は、どこまでも会員第一で進んできた。

 会員を大事にして、

 大事にして、

 大事にしぬいてきた。

 この一点は、御本尊に誓って断言できる。

 徹して一人を大切に――深き同志愛こそ学会の魂である。

 

 尊き仏子である同志に対して、いばったり、いやな思いをさせては絶対にならない。

 同志を苦しめる悪人は仏法上、「破和合僧」の大罪であるからだ。

 戸田先生は、「敵は内部だよ」と厳しく言われた。その言葉のとおり、私利私欲におぼれた不知恩の反逆者が出た。

 そして御書に「外道・悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等・必ず仏法を破るべし師子身中の虫の師子を食」と仰せのとおり、大聖人に違背した日顕宗が出たことは、皆さま、ご存じのとおりである。

 こうした広布破壊の大悪を、われわれは断固として許すことなく、永遠に、「異体同心の団結」で前進してまいりたい。

 

2005.2.11方面長協議会

2022年5月10日

第1994回

「病の時こそ」大確信で

 

 

 同志の、なかには、病と闘っておられる方もいる。ご家族が病気の方もおられるにちがいない。

 御書を拝し、「病をどうとらえるべきか」、信心の根本姿勢をあらためて確認しておきたい。

 日蓮大聖人は、夫の病気について報告した妙心尼に、こう教えておられる。

 「この病は仏のお計らいだろうか。そのわけは、浄名経、涅槃経には病がある人は仏になると説かれている。病によって仏道を求める心は起こるものである」(御書一四八〇ページ、通解)

 病があるからこそ仏になれる。偉大な人間になれるのだ――まことに深い仏法の生命観である。

 また、ある時、大聖人は、富木常忍から、夫人の富木尼御前の病気について聞かれた。

 大聖人は、側でやさしく語りかけるかのような、慈愛あふれる励ましの御手紙を、富木常忍に託しておられる。

 「あなた(富木尼御前)もまた法華経の行者であり、ご信心は月が満ち、潮が満ちるように強盛であるから、どうして病が癒えず、寿命の延びないことがありましょうか。こう強く確信して、御身を大切にして、心の中で、あれこれ嘆かないことです」(御書九七五ページ、通解)

 そして、青年門下の南条時光が重病に倒れたと聞くや、御自身も重い病の身であられながら、厳愛の励ましをつづられた。

 「(あなたは)上下万人から諌められたり、脅されたりしながらも、ついに信仰を捨てる心がなく、もはや成仏しそうになったので、天魔・外道が病気にさせて脅そうとしているのであろう。命には限りがあるものだから、少しも驚いてはならない」(御書一五八七ページ、通解)

 妙法は、生老病死の「四苦」を根本的に克服しゆく、絶対の勝利の法則である。妙法に生きぬく人は、幸福の境涯を三世にわたって楽しんでいけるのである。

 信心が深まったからこそ、病魔をはじめ、三障四魔が競い起こる。病もむしろ「仏の境涯を開くチャンス」ととらえて、毅然と闘っていただきたい。そう御本仏は教えておられる。

 私は、全同志の健康と長寿と勝利を、来る日も来る日も、懸命に祈っている。

2005.2.11方面長協議会

2022年5月9日

第1993回

「王道の指導者」

「広布の孔明」たれ

 

 

 私は二十七歳の時、友と『三国志』をはじめ中国の英傑をめぐって語りあった夜、日記に次のように記した。

 「曹操の勇を思う。項羽の大勇を念う。関羽の人格。張飛の力。孔明の智。孫権の若さ。

 ・・・・・・

 王道の人たれ、覇道の人になる勿れ。

 民衆の王たれ、権力の将になること勿れ。

 大衆の友たれ、財力の奴隷になる勿れ。

 善の智者たれ、悪の智慧者になること勿れ」(『若き日の日記』上。本全集第36巻収録)

 王道とは、私たちでいえば、

 会員のため、

 仏法のため、

 広宣流布のために、

 生きぬく人生である。

 

 覇道とは

 「何のため」という根本の目的を忘れ、

 己の私利私欲で、

 堕落し、

 みずから腐りはてていく人生のことである。

 

 人生は、

 地に足をつけて、

 一歩一歩進んでいくことだ。

 一度に頂上には登れない。

 一歩一歩、忍耐強く歩む人が、

 最後に必ず勝つのである。

 

 最後の最後まで、

 自分が決めた使命の天地で、

 雄々しき広布の名将として、

 生きて生きて生きぬいていくことだ。

 

 どうか皆さまは、

 創価学会を万代に盤石ならしめる

 「王道の指導者」

 「広布の諸葛孔明」として、

 堂々たる指揮を執っていただきたい。

 

2005.2.11方面長協議会

2022年5月8日

第1992回

大事業は一朝一夕にならず

 

 

 仏法は、「振る舞い」である。

 振る舞いとは、「行動」である。

 

 SGIの皆さまは、本当に立派な行動をされている。遠い道のりを、はるばるやって来られたこと自体に、深い信心があらわれている。

 

 古代ローマの哲人皇帝マルクス・アウレリウスは語った。

 「人生を建設するには一つ一つの行動からやって行かなくてはならない」(『自省録』神谷美恵子訳、岩波文庫)

 

 深き英知の言葉である。

 大事業は、一朝一夕には成らない。

 一つ一つの行動を、確実に、

 粘り強く積み重ねていくしかない。

 

 今の世の中は、苦労をさけ、

 要領よくやって、早く偉くなろう、

 早く金もうけしようという人間が、

 あまりにも多くなってしまった

 

 私どもの仏法の世界は、そうではない。

 朝はまず、朗々たる勤行・唱題でスタート。

 わが生命を大宇宙と交流させながら、

 その日の目標を明確にして、

 生き生きとした生命力で出発する。

 そして、目前の課題一つ一つに、

 決して手をぬかず、全力で取り組んでいく。

 

 そのように、一日一日を、

 一切の行動を大切にして生きぬいている。

 生き生きと動いているところが、必ず勝つ。

 これは鉄則である。

 

 今、このとき、

 具体的な手を打っていくことが、

 未来の勝利の原動力である。

 そのとおりにやってきたから、

 学会は大発展したのである。

 

2005.2.10第四十六回本部幹部会、第四回関東総会

2022年5月7日

第1991回

人生は戦い!

困難から進歩が

 

<一日一日、悔いなく戦いきる>

 

 私は若き日、国木田独歩の名文を読書ノートに書き留めた。

 とくに読み親しんだのは、独歩の日記として刊行された『欺かざるの記』であった。

 きょうは、その中から、いくつかの言葉を皆さんに贈りたい。

 「理想も実行も、将来も過去も、希望も後悔も、悉く今日に在り

 「われをして此の一日を高尚に勇敢に熱心に、愉快に送らしめよ」(『欺かざるの記』下、潮出版社)

 きょうという日が、真剣勝負の「時」である。

 いかなる英雄の生涯に、おいても、一日の行動の積み重ねが一年の事業となる。そして十年の事業となり、一生の事業となるのである――独歩は、そう訴えていた。

 ゆえに、朝日とともに新鮮な空気を心に吹き込みながら、一日一日、悔いなく戦いきることだ。

 一日一日、何かを学び取りながら、自分自身を強く賢く向上させていくことだ。

 そして、一日一日を、断固として勝ち抜いていくことだ。

 「吾実に一歩一歩行かんとぞ思ふ

 「一歩の確実堅固ならんことを希ふ」(同前、上)

 これも、独歩の一文である。一歩一歩、前へ前へ、道を切り開いていく以外にない。一つ一つ、「わが陣地」を固め、「わが城」を築きあげていくことである。さらに独歩はつづった。

 「人生は戦なり。これ如何に繰り返へしたる言葉なるぞ。鳴呼人生は戦なり

 「如何なる難苦にも忍ぶ可し。難苦はわれをして一段の進歩あらしむる推進器なり

 「われ遂に勝つ可し。決して失望する勿れ。強かれ、強かれ。け破りて進む可きのみ

 「われ遂に何人、何もの、何事にも勝つ可し」(同前、下)

 わが青年部もまた、「断じて勝つ」との不屈の闘志を燃え上がらせて、みずからの使命の天地に、青春の「勝利の旗」を晴ればれと打ち立てていただきたい。

 

2005.2.3第二総東京最高協議会

2022年5月6日

第1990回

 会って語れば道は開ける

 

<心の壁を取り払う武器は「対話」>

 

 日蓮大聖人は、「仏種は縁に従つて起る」(御書1467頁)仰せである。

 私は「一人」との出会い、「一回」の語らいを大切にしてきた。

 その一つ一つが、友情を結び、信頼を広げゆく「種」となる。その種は、時とともに、計り知れない希望の花と咲き薫り、平和の結実をもたらしていくのである。

 また御聖訓には、

 「他人であっても心から語りあえば、命にも替わるほど大切な存在となるのである」(御書1132頁、趣意)とある。

 誠心誠意の対話で結んだ絆というものは、それほど深く、強くなる。

 私が初めて旧ソ連を訪れたのは、一九七四年である。当時、日本には、「ソ連は、なんとなく怖い。冷たい」というイメージが広められていた。しかし、空港で出迎えてくださったモスクワ大学のホフロフ総長は、知性と人格の光る、すばらしい笑顔の方だった。

 人間である以上、立場が違っても、対話によって理解しあえることが必ずある――この信条で、私は語りに語ってきた。みずから足を運び、直接会って、交流を結ぶ。その積み重ねが、多くの人々のソ連観を一変させていったのである。

 私はロシアに、深い友情で結ばれた方々が、大勢いる。

 (=モスクワ大学のサドーヴニチィ総長は、名誉会長の平和行動が「露日の外交関係において突破口を開いた」と語っている)

 あいまいな情報をもとに、「思い込み」や「先入観」だけで判断することほど、危険なことはない。つくられた「イメージ」を悪用する、ずるい人間もいる。

 私たちが進める「対話」は、そうした心の壁を取り払うための武器なのである。

 

2005.4.15「5・3」記念祝賀代表者会議

2022年5月3日~5日

第1989回

民衆凱歌へ

師弟の誓いの5月3日

 

  

 師弟して

  閻浮広布を

    行じ抜く

  創価の普賢の

   無窮の英知よ

 

 濁世にも

  幸の蓮華を

   咲かせ舞う

  天女の語らい

   あの地この地で

 

 衆望を

  担い立ち征け

   地涌の若人

  結句は勝負と

    民衆凱歌を

 

 

2022年5月3日創価学会の日 創価学会母の日 女性部発足1周年

池田先生が全同志に記念の和歌

 

2022年5月1日2日

第1988回

「会う」ことから世界は変わる

 

「一対一」の納得と執念の対話こそ常勝の王道>

 

 

 平和と幸福の大法を

 弘めゆく我らには、

 何も恐れるものはない。

 「会う」ことが

 「世界を変える」ことに

 つながる。

  

 直接会って、

 相手のことを知っていく。

 意見に耳を傾ける。

 真剣に、

 誠実に語っていく。

 それでこそ、

 新たな拡大のうねりを

 巻き起こしていける。

  

 まず、誠実な対話で

 一人の友をつくることだ。

 その一人の先に、

 二人、三人、さらに十人

 ひいては

 千万の友の

 笑顔の花また華が

 広がっていく。

  

 一切の偏見を排除し、

 相手の尊厳なる生命に

 接していく時、

 そこには

 必ず人間の善性が

 輝きを放っていく。

 相手の仏性を

 尊敬していくところから、

 深い信頼が育まれ、

 対話の扉が必ず開ける。

  

 「声」である。

 「勇気」である。

 「勇気の声」が、

 善を拡大するのだ。

 勇気を胸に、

 朗らかに、

 活力に満ちあふれた声で、

 友情の対話を

 広げていきたい。

 相手を思う深き祈りは、

 必ず通じていく。

 心が心を

 動かしていくのだ。

  

 すべての勝利も栄光も

 「一人」から開かれる――

 これが、広布前進の

 変わらざる鉄則だ。

 どこまでも

 「一対一」で、

 納得と執念の対話に、

 敢然と

 飛び込んでいくのだ。

 遠回りのように見えても、

 これこそ

 共感と理解を広げゆく

 直道であり、

 常勝の王道なのだ。

 

 2022年5月1日池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」

 

2022年4月29日30日

第1987回

仏法のヒューマニズムとは?

 

大宇宙それ自体が一つの生命体と見て

その調和の上に、人間の幸福を創造する

 

 さらに、もう一人の重役が伸一に聞いた。

 「さきほど、あなたは『仏法のヒューマニズムの哲理』という言い方をされましたが、ヨーロッパにもヒューマニズムの伝統があります。それと、仏法のヒューマニズムとは、どこが違うのでしょうか」

 

 伸一は答えた。

「大変に鋭い質問です。

 人間を大切にするという点では同じですが、

 仏法では、

 人間が地上の支配者であり、

 そのほかの生物や自然を、

 征服すべき対象とは考えません。

 

 大宇宙それ自体が一つの生命体であり、

 人間もそのなかで生きる一個の小宇宙ととらえます。

 そして、人間も、他の生物も、

 また、自分を取り巻くあらゆる存在が、

 互いに依存し、支え合い、

 調和することによって、

 生を維持していると考えます。

 

 事実、もし人間が、

 自らがこの世の支配者であるかのように慢心し、

 強大な科学技術の力をもって、

 すべての森林を伐採し、

 動物を絶滅させ、

 海を汚染し、

 自然を破壊していけば、

 どうなるでしょう。

 それでは、人間自身が、

 生命を維持すること自体が、

 困難になってしまう。

 

 つまり、自分と、他の人びと、

 また、周囲の動植物など、

 人間を取り巻くあらゆる環境を

 対峙的にとらえるのではなく、

 一つの連関と見て、調和の上に、

 人間の幸福を創造していくことが、

 仏法のヒューマニズムの一つの特徴といえます。

 その意味では、

 宇宙的ヒューマニズムといってもよいかもしれません」

 

 質問した重役が感嘆して言った。

 「私の知人に生態学者がおりますが、今の自然との連関という話は、最近の生態学の研究と、非常に近いものがあるようです。彼も、山本会長と同じ見解を語っていました」

 「そうですか。さらに、科学の研究が進めば、仏法の真実が証明されていくと思います。仏法と科学とは、決して相反するものではなく、むしろ、科学を人間の幸福のために、正しくリードしていくのが仏法です」

 

<新・人間革命> 第5巻 開道 19頁~21頁

2022年4月28日

第1986回

創価学会の教えは

 

人間革命運動

 

 食事が始まると、重役陣は、次々と伸一に質問をぶつけてきた。

 重役陣の一人が尋ねた。

 「あなたたちの仏法とは、どんな教えなのですか

 伸一は答えた。

 「ドイツの皆さんは、よくご存じのことと思いますが、ゲーテの『ファウスト』のなかに、ファウスト博士がギリシャ語の新約聖書の冒頭を、ドイツ語に翻訳しようとする有名な場面があります。

 

 ファウストは

 『はじめに言葉ありき』と訳すが納得できない。次に

 『はじめに意志ありき』とし、さらに

 『はじめに力ありき』とするが、

 それでも納得できない。そして、最後に

 『はじめに行動ありき』と訳して、

 ようやく満足する。

 重要なのは行動だからです。

 その行動、

 人間の振る舞い、言い換えれば、

 "人間はいかに生きるべきか"を説いたものが仏法です。

 人間が幸福になるための、

 より人間らしくあるための

 方途を示した哲学が、仏法といえます」

 

 伸一が『ファウスト』を引いたのは、ドイツの人たちにとって、最もなじみ深い話を通して語ることが、仏法を理解する早道であると考えたからだ。

 別の重役が質問した。

 「創価学会は、その仏法をもって、どのような運動を進めようとしているんですか

 伸一は、ニッコリと頷き、即座に答えた。

 

「人間一人ひとりの覚醒であり、

 人間革命運動です。

 人間は複雑多様で、しかもその心は、

 瞬間、瞬間、千変万化しています。

 時に喜びの絶頂にいたかと思えば、

 時には苦しみの深淵に沈み、

 また、怒りに身を焦がす。

 さらに、人を愛し、

 自らを犠牲にしてまで他者を救おうとする

 慈しみの心をもっているかと思えば、

 人を憎み、嫉妬し、隷属させ、

 命さえも奪う残酷な心ももっています。

 戦争を起こし、

 破壊を繰り返すのも人間なら、

 平和を創り上げていくのも人間です。

 つまり、人間こそ、

 すべての根本であり、

 社会建設の基盤となります。

 その一人ひとりの人間に光を当て、

 人間に内在する善性を、

 創造的な生命を開花させ、

 欲望や環境に支配されることなく、

 何ものにも挫けない

 確固不動な自己自身をつくり上げていくことを、

 私たちは”人間革命”と呼んでおります

 

 彼は、仏法用語はほとんど使わなかった。それは、通訳をしてくれている駐在員が、仏法についての知識がほとんどないことを、考慮してのことであった。

 また、難解な用語を使わなくとも、仏法について語ることができなければ、仏法を世界に流布していくことはできないと、考えていたからでもある。

<新・人間革命> 第5巻 開道 17頁~19頁

 

2022年4月26日

第1984回

創価学会とは?

 

世界の平和と人類の幸福の実現>

 

 この日の夜は、ケルン市内の中華料理店で、昼間、訪問した会社の重役たちとの会食が行われた。

 山本伸一は重役陣に、学会の紹介書である『ザ・ソウカガッカイ』などを記念として贈呈すると、こう切り出した。

 

私ども創価学会は、仏教の精髄である、

 日蓮大聖人の仏法を信奉する団体であります。

 仏法のヒューマニズムの哲理をもって、

 人間の心、生命という土壌を耕し、

 世界の平和と人類の幸福の実現をすることが、

 私たちの目的です。

 ドイツも、日本も、戦争に敗れ、

 新しい民主の時代に向かい、

 祖国の再建に立ち上がりました。

 では、その民主の時代を建設していくために、

 求められているものは何か。

 それは、

 人間の尊厳と平等を裏付ける哲学です。

 そして、

 人間が真実の自由を獲得するために、

 自らの欲望の奴隷にならず、

 権威・権力に屈せず、

 自己を律し、

 自立する哲学です。

 私どもは、

 そのヒューマニズムの哲学を探究し、

 実践し、社会に広め、

 既に日本国内にあっては、

 二百万世帯の人びとが幸福生活を実証し、

 真実の民主の時代の担い手として、

 社会貢献の道を歩んでいます

 

 重役陣は、驚いた顔をしながら、伸一の話に、真剣に耳を傾けていた。彼らは、仏教の団体である創価学会の会長一行と聞いて、現実の社会から離れて山の中にこもり、座禅でも組んでいる人たちではないかと思っていたようだ。

 ところが、実際に会ってみると、新たな社会を建設しようという気概にあふれ、実に二百万世帯もの人びとを糾合し、活動を進めているというのである。自分たちの描いていた仏教団体のイメージとは、全く違っていたことに気づき、皆、大きな関心と興味をいだいたようであった。

 

<新・人間革命> 第5巻 開道 15頁~17頁

世界広布新時代

創立100周年へ

青年・飛躍の年

(2022年)

2013.11.18

広宣流布大誓堂落慶

更新日

2022.5.26

第2009

 

日天月天ワンショット

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