日めくり一週間

2022年10月1日

第2117回

希望の王子・王女に贈る

(6)

読書の楽しさを味わう秋に!

 

 高く晴れわたる秋空を突き抜けて、

 世界中、宇宙の彼方まで

 心を運んでくれる翼があります。

 そう、読書です!

 

 よい本を開けば、

 タイムマシーンのように過去や未来に

 自由自在に行き、

 ワクワクする冒険ができるし、

 歴史上の偉人とも友だちになれます。

 

 創価の父・牧口先生は戦争中、

 正義のゆえに、とらえられた牢獄でも、

 読書を楽しみとし、

 学び抜かれました。

 

 読書の喜びは、

 心を大きく賢く強くします。

 人類の知性が味方になります。

 さあ、この秋、

 本という希望の扉を開いて、

 読書の楽しさを味わおうよ!

 

2022年10月1日付 少年少女きぼう新聞 KIBOU(12面)

 

2022年9月30日

第2116回

正義の勝利のために

もっともっと叫べ!

 

正義の行進恐れなし!

人生は強気でいけ!

 

 十九世紀イギリスの女性作家

 シャロット・ブロンテはつづる。

 「正しいと思ったとおり話す権利が私にはあります」

 (『シャーリー』下、都留信夫訳、『プロンテ全集』4所収、みすず書房)

 そのとおりだ。真実を語るのに遠慮などまったくいらない。

 

 中国の大文豪・魯迅は呼びかけた。

 「我々は、もっと叫ばなければならない

 (漏接詔防護開企魯)

 もっと叫べ! もっと強く!

 ――この徹底した攻撃精神こそ、

 火を吐く言論で時代の闇を照らした魯迅の魂である。

 

 正義が沈黙すれば、悪が喜ぶだけだ。

 「正義の行進に恐れなし!

 ――この心意気で、

 わが正義を、わが信念を、

 正々堂々と天下に叫びきっていこうではないか!

 

 戸田先生は、よく話してくださった

「『さあ来い! 

 魔などに負けてたまるものか』

 の大覚悟で向かったときは、

 魔は退散するのである」と。

 「さあ来い!」

 「負けてたまるか!」

 「何でも受けて立ってみせる!」

 ――この「攻めの心」が魔を退散させるのだ。

 つねに前へ!

 何があっても前へ!

 前進する人のみが

 「栄光への扉」を開くのである。

 「人生は強気でいけ!

 とは戸田先生の遺言であった。

 

2005.8.19各部合同研修会(2)

 

2022年9月28日29日

第2115回

悪の前での中立は

悪への加担になる!

 

正しいと思ったことは

正々堂々と主張せよ>

 

 私が会談したイギリスの

 歴史学者トインビー博士も、

 生涯、戦い続けた人であった。

 もったいなくも博士のほうから、

 一度会って話がしたいと、

 お手紙をくださり、

 私がロンドンの博士のご自宅にうかがったのである。

 (一九七二年と七三年の二度、計四十時間にわたり会見)

 

 博士は、四十歳も若い私を、

 まるで旧友のように親しく迎えてくださった。

 語らいは、和やかな雰囲気のなかで始まった。

 しかし、

 難解な問題にさしかかると、

 博士はみじろぎもせず、

 真剣に思索を巡らしておられた。

 

 ティータイムには、

 博士の奥さまが紅茶を入れてくださるのだが、

 張りつめた空気のなかを、

 そーっと持ってきて、

 そーっと出ていかれる(笑い)。

 

 一コマ一コマが映画のように、

 今も懐かしく思い出される。

 

 語らいのなかで博士は、

 かつて「ギリシャ・トルコ戦争」を視察し、

 自分で見たままを発表した結果、

 勤めていたロンドン大学を

 辞めなければならなくなった

 思い出を話してくださった。

 博士は、

 ギリシャ側からも、

 トルコ側からも、

 この戦争を観察した。

 そして、この戦争はギリシャ側が間違っている

 という結論に達した。

 

 しかし、

 当時の西欧社会は

 トルコへの偏見を強く持っており、

 博士がありのままの事実を新聞に発表するや、

 激しい批判が巻き起こった。

 そのために博士は、

 大学の職も失った。

 それでも博士は、毅然として、

 わが信念を貴かれたのである。

 

 博士は、こうも言われている。

自分が正とみなすことと、

 邪とみなすこことの中間で、

 中立の立場をとろうとするのは、

 結局、邪とみなすことの側に

 与くみすることにほかなりません

 

 自分が正しいと思ったことは、

 だれに何と言われようと、

 堂々と主張すべきだ。

 善悪がはっきりしている問題を前に沈黙し、

 中立を装うのは悪に加担することになる

 ――それが博士の変わらぬ精神であった。

 

2005.8.19各部合同研修会(2)

2022年9月27日

第2114回

全ての民衆に勝利の鐘を!

 

「世界の平和」

 

 私は

 長い間

 世界の道を歩いてきた。

 多くの思い出を

 残しながら!

 多くの歴史を

 創りながら!

 

 私には悔いはない。

 戦争と不安を

 世界からなくすために

 慈愛の火が

 正義の心に

 燃えていたからだ。

 

 無名の私には

 無数の歓喜の戦いがあった。

 そして

 無数の友の

 多彩な どよめきがあった。

 

 新たに大きい

 平和の道を築いたのだ。

 青春を燃やしながら

 燃える目で

 理想の夢の世界を

 創りたかったのだ。

 

 いつも

 妙法という

 幸福の光の中に

 立っていた。

 歩いていた。

 そして

 戦っていた。

 

 疲れた目を閉じれば――

 ほとんど

 息をする暇もないほど

 正義の声を

 張り上げてきた。

 

 「世界の広布」とは

 「世界の平和」という

 意味だ。

 その夢の実現のほかに

 私には

 何も残っていない。

 

 現実の生活が

 いくら厳しくても

 私の心を動かすものは

 世界の平和であった。

 

 平然と人の命を奪う。

 何たる残虐なことか。

 すべての幸福を

 奪い去ってゆく

 愚かな権力の

 狂気の沙汰よ!

 

 春のささやかな幸福を

 胸に秘めながら

 いつも生き抜いてきた

 善良な庶民から

 一切をもぎ取っていく

 魔性の権力よ!

 

 人間を人間と思わぬ

 侮辱の態度に

 もはや人間の心はない。

 畜生の心である。

 戦争は

 勝っても負けても

 無限の虚しさのみが残る。

 その責任は誰か。

 明確な解答が

 あるようで ない。

 

 わが幸福

 わが平和を

 断じて

 侵されてはならない。

 わが幸福の権利と

 平和の権利を

 冷酷無惨の輩に

 奪い取られてはならない。

 

 すべてが暗闇になり

 すべてが滅びゆく

 その夜の闇の中にあっても

 断じて

 平和の光は

 消し去られてはならない。

 

 騒々しい論議が

 中傷非難が

 右往左往しても

 勝ち誇り

 疲れを知らずに

 わが魂の中に

 厳然と

 平和の太陽を

 光らせていくのだ。

 

 平和の合図の鐘を

 打つのだ!

 断じて

 すべての民衆に告げゆく

 あの平和の鐘を

 勝利の鐘を

 打ち鳴らしてゆくのだ!

 あの黒い太陽から

 明々とした

 平和の太陽を仰ぐのだ!

 

2022年9月26日〈桂冠詩人は詠う 勇気の舞 凱歌の行進Ⅱ〉

第12回〈完〉世界平和

2022年9月26日

第2113

 学会は永遠に

民衆の大地に立つ

 

迫害など、ものともせずに!

 

人類の前進のためには、

 勇気というけだかい教えが、

 永遠に山々の頂にかかげられなければない

 (辻昶訳、『ヴィクトル・ユゴー文学館』3所収、潮出版社)

 フランスの文豪ユゴーの名作『レ・ミゼラブル』の有名な一節である。

 (中略)

 「私は、いじめられている側に立つ

 ――そこにユゴーの変わらぬ信念があった。

 『レ・ミゼラブル』の意味も、「惨めな人々」である。

 

 ユゴーの作品には、

 貧しい人々、苦しむ母子に対する

 深い慈愛があふれでいる。

 また随所に、傲慢な権力者への

 強い怒りがほとばしっている。

 私は、

 いじめられている人の側に立つ!

 悪口され、批判され、

 試練を受けている

 正義の人々のために私は戦う!

 私は叫ぶ!

 迫害など、ものともせずに!

 ――これがユゴーの魂である。

 

 われらの学会精神もまったく同じだ。

 

 虐げられ、苦しめられ、

 ばかにされてきた民衆が、

 「特権者がふんぞりかえる社会」ではなく、

 「民衆の幸福のための社会」をつくるために立ち上がった

 ――それが創価学会である。

 

 どこまでも民衆が基盤である。

 だから強い。

 だから勝ってきた。

 学会は永遠に民衆の大地に立つ。

 この一点を絶対に忘れてはならない。

 

2005.8.19各部合同研修会(2)

 

2022年9月25日

第2112回

恐れるな! 

勇気のなかに幸福が

 

何ものをも恐れない「強い自分自身」をつくれ>

 

 イギリスの大劇作家シェークスピア(一五六四年〜一六一六年)は、

 皆さんもよくご存じであろう。

 彼の戯曲に次のようなセリフがある。

 「恐るるな 天を裂く火も」

 「地を揺るがす 雷の音も」

 「恐るるな 人の謗りも」

 (「シンベリン」小田島雄志訳、戸島雄志訳、『シェイクスピア全集』6所収、白水社)

 

 君よ、恐れるな!

 貴女よ、恐れるな!

 正義と幸福のために勇敢であれ!

 

 恐れなき勇気!

 ――このなかにこそ、

 幸福があり、

 希望があり、

 前進がある。

 人間としての真実の勝利があるのだ。

 

 さらに彼の戯曲『へンリー五世』の中の一節。

進め、進め、進め、進め、進め!

  突破口へ、突破口へ!小田島雄志訳、同全集5所収)

 

 この炎の叫びを、

 歴史的な大闘争に挑み戦う

 偉大なる同志に捧げたい。

 信心の目的も、

 何ものをも恐れない

 「強い自分自身」をつくることである。

 

 法華経では、仏の境涯の一つとして、

無所畏(畏るる所無し)」(561㌻)と説かれている。

 いかなる魔軍の攻撃も断じて恐れない。

 すべてに打ち勝ち、

 人々を救うため、

 自在に法を説き弘めていく

 ――それが仏の大境涯である。

 

 仏法を実践する私たちは、

 この仏の生命を、

 わが身に厳然と開いていくことができる。

 そう大聖人が御約束である。

 われら仏の軍勢に恐れるものはない!

 

 恩師の戸田先生は、

 「恐れなき師子」であられた。

 先生は、

 威張っている人間が大嫌いで、

 相手がだれであろうが、容赦なかった。

 「地位とか名声とか、それが何だというのだ!

 大事なのは、一人の人間としてどうかだ。

 人々のために何をやったかではないか!」と。

 

 庶民のため、学会員のためなら、

 どんな権力者が相手でも、

 一歩も引かない先生であった。

 傲慢な人間の横暴を許さなかった。

 烈火のごとき「怒り」をもって

 猛然と戦われた。

 

 この正義のために戦う魂を、

 戸田先生は、

 広布の連続闘争のなかで、

 弟子の私に注ぎ込んでくださったのである。

 私は、すべて「勇気の二字」で勝ってきた。

 「勇気の二字」で壁を破ってきた。

 

 この創価の師弟の魂を、

 わが後継の青年部に受け継いでもらいたい。

 わが青年部よ、断じて恐れるな!

 正義を叫んで叫んで叫びぬけ!

 そして、

 わが地域に、

 必ずや「勝利の旗」を

 打ち立てていっていただきたい!

 

2005.8.19各部合同研修会(1)

 

2022年9月24日

第2111回

渋沢栄一

(2)

 心で勝つ「信心の王者に」

 

<「誠心誠意」、これが私たちの武器である

 

 渋沢は、実業面だけでなく、

 社会福祉、教育・医療の発展、

 国際親善交流などにも情熱を注ぎ、

 六百余の社会公共事業に従事したとされている。

 

 実業家は、

 いたずらに私利私欲を求めるだけではいけない。

 他人の幸福に尽くしていかなければならない

 ――こう考えた彼は、

 道徳と経済の一致を主張し、

 みずからが模範の姿を示そうとしたのである。

 彼が倫理の規範としたのが、

 孔子の『論語』であった。

 

 彼は自身の著作『論語講義』の中で、

 次の一節を引いて論じている。

 「まつりごとをなすに徳を以てすれば、譬えば北辰のその所に居り、しかして衆星のこれに共むかうがごとし」(講談社)

 ――指導者が徳をもって優れた政治を行うならば、天空の星々が北極星を中心に回るように、地上にも荘厳な調和を実現できるとの意味である。

 

 国の為政者はもちろん、

 会社の経営者、教育者など、

 あらゆるリーダーが、

 正義と人道の徳を輝かせ、

 その光で人々を導いていくべきである。

 それが渋沢の理想であった。

 

 私も今、創価の青年リーダーに叫びたい。

 若き君よ、「正義と完勝の北極星」と光れ!

 わが生命の炎を赤々と燃やしながら、

 勝利へ勝利へと友を導いていくのだ。

 老いたる父母が築きたる創価の大牙城を守りぬけ!

 何があっても負けない「信心の王者」と立つのだ。

 青年部の諸君、よろしく頼みます!

 

 民間外交にも貢献した

 渋沢の幅広い交友関係を物語るように、

 飛鳥山の自宅には、

 インドの詩人タゴール、

 中国革命の父・孫文、

 アメリカの第十八代グラント大統領など

 世界から数々の賓客が訪れている。

 

誠心誠意をもって人に接すれば、

 不思議なほど対手(=相手)に

 感動をえるものである」(前掲『渋沢栄一訓言集』)

 

 誠心誠意――これが私たちの武器である。

 わが足元から、

 感動と友情のスクラムを幾重にも広げてまいりたい。

2005.8.19各部合同研修会(1)

2022年9月23日

第2110回

渋沢栄一

(1)

 「逆境に処しては、断じて行え」

 

怒りは善悪に通じる

大いなる「正義の怒り」をもって進め!

 

 

 「逆境は大丈夫(立派な男子)の試金石である

 (渋沢栄一『論語と算盤』国書刊行会)

 こう叫んだのは

 「日本の近代経済社会の父」と仰がれる

 明治の大実業家・渋沢栄一である。

 彼が後半生の三十年間を、

 東京・北区の飛鳥山の自邸(曖依村荘)で

 過ごしたことは、よく知られている。

 四季折々に美しい

 飛鳥山公園内にある邸宅跡には、

 現在、「渋沢史料館」が創設され、

 区内はもちろん、

 隣接する足立区など各地から多くの人が訪れる。

 

 一八四〇年(天保十一年)、

 埼玉の農家に生まれた渋沢は、

 初め幕府に仕え、

 明治維新後は大蔵省に出仕。

 その後、実業界に転身し、

 日本初の銀行である第一国立銀行を設立。

 さらに、東洋紡、王子製紙、日本製紙、東京海上日動、東京電力、東京ガス、帝国ホテル、太平洋セメントなど

 五百余の企業の創設に携わり、

 日本経済の礎を築いていった。

 

 幕末から明治、大正、昭和の激動期を生きぬき、

 当時の「官尊民卑」の風潮を打ち破りながら、

 多方面にわたって優れた業績を残した人物である。

 人並はずれた努力と挑戦があったであろう。

 

 彼は言う。

逆境に処しては、断じて行え。

 決して疑い惑うてはならない

 (渋沢青淵記念財団竜門社編『渋沢栄一訓言集』国書刊行会)

 逆境から逃げるな。

 困難を避けようとする弱い命から、

 疑いや迷いが生じてくるのだ。

 己に恥じることなき君ならば、

 断じて行動だ!

 突き進め!

 それが大実業家の叫びである。

 

 さらにこうも言っている。

(=青年は)正義の観念をもって進み、

 岩をも徹す鉄石心(=きわめて固い決心)

 を傾倒すれば、成らざることなしという

 意気込みで進まねばならぬ、

 この志さえあれば、

 いかなる困難をも突破しうる

 (前掲『論語と算盤』)

 人生も、闘争も、

 勝敗を決めるのは、自分の心である。

 「心こそ大切」である。

 

 もしも、心のどこかに

 「油断」や「諦め」があれば、

 そこで前進は止まる。

 成長は止まる。

 一念の力は無限だ!

 一念の力は偉大だ!

 「断じて勝つ」。

 この執念が強いほうが勝つ。

 心で勝ったものが勝つ。

 信心の王者こそ、

 絶対不敗の勝利者なのである。

 

 彼は語っている。

一家一人のために発する怒りは

 小なる怒りにて、

 一国のために発する怒りは

 大いなる怒りである。

 大いなる怒りは、

 国家社会の進歩発展を促すものである

 (前掲『渋沢栄一訓言集』)

 御書には「怒りは善悪に通じる」(584㌻、通解)と仰せだ。

 

 われらは、世界のため、人類のためという

 大いなる「正義の怒り」をもって

 わが信念を堂々と語りぬいてまいりたい。

 

2005.8.19各部合同研修会(1)

 

2022年9月22日

第2109回

いよいよこれから!

 

過去を振り返る必要はない。

大事なのは「今」である。>

 

 

 学会とともに生きるということは、

 「信心根本に」生きるということである。

 この信心だけは、何があっても、

 絶対にゆるがせにしてはいけない。

 当然、現実は厳しい。

 仕事のこと、家庭のことなど

 悩みは尽きないかもしれない。

 だからこそ、

 ひたぶるに御本尊に祈っていくのだ。

 苦しい宿命と戦いながら、

 そして周囲の人々には、

 勇気と希望の励ましを送りながら、

 猛然と広宣流布に行動していくのである。

 

 「広布に戦おう!」

 「信心で勝つのだ!」

 ――その心が決まったとき、

 勝利への歯車は音を立てて回り始める。

 信心強き人が最後は必ず勝利する。

 妙法には絶対にムダはない。

 学会活動はすべて自分の福徳となっていくのである。

 

 南無妙法蓮華経は、

 「久遠元初の法」である。

 それを唱える私たちの生命もまた、

 「久遠元初の生命」である。

 ゆえに、御本尊を拝する私たちは、

 毎日が「久遠元初」である。

 毎日が「新しい出発」である。

 一瞬一瞬がつねに「いよいよ、これから」なのである。

 

 過去を振り返る必要はない。

 大事なのは「今」である。

 「今この時」を全力で生きぬき、

 勝ちぬいていくのだ。

 いくつになっても、

 若々しい生命力で、前へ前へ!

 どこまでも、戦う心を燃やしながら、

 ともどもに「勝利の劇」を飾ってまいりたい!

 

2005.8.19各部合同研修会(1) 

 

2022年9月21日

第2108回

強敵に勝ってこそ人は強くなる

 

よし来た!宿命転換のチャンスだ!

 

 

 インドの詩聖タゴールはつづった。

道徳的な世界に達した人は、

 圧しつぶすほどの苦難に襲われても、

 悪意にみちた迫害に遭遇しても、

 超人と思われるような辛抱強さを示すのである

 (「サーダナ」美田稔訳、『タゴール著作集』8所収、第三文明社)

 

 深い言葉である。

 学会の広宣流布の前進は、

 苦難と迫害の連続であった。

 どれだけ誹謗され、

 悪口されようとも、

 「忍辱の鎧」を着て戦ってきた。

 だからこそ、

 学会はここまで発展したのである。

 偉大な仏の団体なのである。

 これからも、この精神で進もう!

 

 最後に、アメリカの起業家であり、

 映画人のウォルト・ディズニーの言葉を贈りたい。

人生で経験したすべての逆境、

 トラブル、障害が、

 私をまっすぐにし、強くしてくれた(『夢をかなえる100の言葉』ぴあ)

 

 思いもかけない試練、

 障害があるからこそ、

 人間は成長できる。

 強敵に勝ってこそ、

 人は強くなる。

 どんな困難も、

 「よし来た!

 「宿命転換のチャンスだ!」ととらえ、

 強き心で挑戦していけば、

 自分が得をする。

 さらに価値ある人生を築いていくことができるのである。

 

2005.8.15代表幹部研修会(7)


2022年9月20日

第2107回

傲慢な人間、

庶民をバカにする人間を許すな

 

四恩を知る者を「人倫」といい、

 知らない者を「畜生」>

 

 イギリスの文人ハズリットはつづっている。

本当に偉い人物になると、

 偉そうな様子は全然見せないのである

つまらぬ人間に限って人を見下すものである

 (『ハズリット箴言集』彩流社)

 そのとおりであろう。

 

 さらに彼は、こう述べている。

およそこの世にうぬぼれほど

 軽蔑すべきものはなく、

 またこれほど忌わしいものはない」(同前)

 たいしたことはないのに、

自分が偉い」とうぬぼれる。

 傲慢になる。

 そうした人間は多い。

 

 私どもが交流しているペルーの国立教育大学で、

 初代総長を務めたファン・ホセ・ベガ博士は、

『謙遜』には『謙虚さ』で、

 『傲慢』には『堂々たる強さ』で立ち向かいたい」と述べている。

 

 傲慢な人間は、

 放っておくとつけあがるものだ。

 戸田先生は、

 偉ぶった人間、

 庶民をバカにする人間を許さなかった。

 遠慮なく怒鳴りつけておられた。

 

 悪人と戦わないのは、臆病である。

 それでは多くの友を守ることはできない。

 

 牧口初代会長と親交のあった、

 教育者の新渡戸稲造博士は述べている。

恩ということは、

 人間から起ったのである。

 畜生には恩ということはあるまいと思う

 (「世渡りの道」、『新渡戸稲造全集』8所収、教文館)

 

 御聖訓には、こう仰せである。

恩を知ることを最高とし、

 恩を報ずることを第一とする。

 世の中には、四つの恩がある。

 これを知る者を人倫(人の道に適った人間)と名づけ、

 知らない者を畜生というのである」(御書491㌻、通解)

 

 学会に助けられ、

 学会のおかげで社会的に偉くなりながら、

 ついには学会を裏切り、

 攻撃する。

 同志を見下し、

 バカにする。

 畜生以下の所業である。

 断じて許してはならない。

 

 戸田先生は、

 大切な広宣流布の組織を守るために、

 賞罰については、大変に厳格であられた。

 「いったん除名したら、絶対に復帰は許さない

 「組織を重んずるかぎりには、厳罰をもってあたる

 これが戸田先生の信念であり、遺言であった。

 

2005.8.15代表幹部研修会(7) 


2022年9月19日

第2106回

本当の幸福は、

人のために行動するなかにある

 

広宣流布こそ、善行の中の善行>

 

 フランスの哲学者ベルクソン。青春時代、私は彼の著作を愛読した。今と違って、テレビなどは、ない時代であった。青年の有志で読書サークルをつくり、さまざまな著作を取り上げては語りあったことを、懐かしく思い出す。

 ベルクソンの本は、繰り返し、読み込んだものである。ベルクソンは述べている。

 「本当の幸福とは善行がもたらす喜びである(「ジャン・フィノ著『進歩と幸福』に関する論評」掛下栄一郎訳、『ベルクソン全集』9所収、白水社)

 

 いい言葉である。

 本当の幸福は、

 人のために行動するなかにある。

 社会のため、

 世の中のために行動する、

 なかにある。

 

 私たちでいえば、

 広宣流布である。

 折伏である。

 最高の善行とは、

 幸福の大法である、

 この仏法を教えることだ。

 

 宿命を転換し、

 幸福の道を切り開いていけるよう、

 人々を励ましていくことである。

 また、

 社会の平和と繁栄のために

 尽くしていくことである。

 

 大きな視点に立って、

 世界のため、人類のために

 貢献していくことだ。

 人々を根底から救い、

 平和と文化と教育の発展に尽力する。

 生命尊厳の哲理を人類社会に打ち立てていく――

 広宣流布こそ、

 善行の中の善行なのである。

 

2005.8.15代表幹部研修会(7) 

2022年9月18日

第2105回

「生涯求道」の健康人生を

 

<加えて「生涯挑戦」「生涯闘争」>

 

 

 わが“多宝の友”が

 広布に走り抜いた

 誉れの歴史は、

 自身の生命に

 黄金の日記として

 厳然と刻まれる。

 自らの命を使って

 「人間革命」の実証を

 示してきた栄光の福徳は、

 絶対に消えないのだ。

  

 年をとっても、

 心まで

 老け込んではならない。

 妙法という生命の大法を

 持った我々は、

 生き生きと

 若返っていくのである。

 張り切って進むのである。

 日蓮大聖人の御生涯は、

 最後の最後まで、

 広宣流布の大闘争に

 貫かれていた。

 信心に「引退」はない。

 心は退いてはならない。

  

 自他共の

 一生成仏のためには、

 どこまでも信心一筋に、

 学会と共に

 生き抜くことである。

 「生涯求道」「生涯挑戦」

 「生涯闘争」である。

 ゆえに、「今一日」

 「あと一日」における

 信心が大事だ。

 純一無二の信心で、

 自身の広布と人生の

 総仕上げをしていくのだ。

  

 疲れをためないよう、

 上手に休息をとりながら、

 聡明に、健康第一で

 進んでいきたい。

 題目を朗々とあげ、

 生命力を満々とたたえて

 価値ある一日一日を

 勝ち取っていくことだ。

  

 何歳になっても、

 新しい何かに

 挑戦する人は、

 若々しく生きていける。

 それが真の人生である。

 いわんや私どもは、

 不老長寿の最高の法である

 南無妙法蓮華経を

 持っている。

 妙法と共に、

 いよいよ若々しく、

 広宣流布と

 人生の最高峰へ、

 お互いに、楽しく、

 粘り強く挑み続けて、

 勝っていこう!

 

2022年9月18日池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」

 

2022年9月17日

第2104回

諸天が味方!

妙法は宇宙の大法則

 

人生をいとなむ源泉は「生命力」>

 

 この大宇宙では、

 あらゆるものが停滞するととなく動いている。

 たとえば

 地球は、

 秒速約460メートルの速さで自転を繰り返している。

 そして、

 太陽の周りを、秒速30キロの猛スピードで回っているのである。

 さらに、

 太陽系自体も、

 ヘルクレス座の方向に向かって、

 毎秒20キロのスピードで動いているとされる。

 想像を絶するような速さである。

 

 宇宙には、この太陽系のような天体が、

 無数に存在すると考えられている。

 法華経にも「三千大千世界」など、

 広大な宇宙観が示されている。

 (三千大千世界は古代インドの世界観、宇宙観を表したもの。須弥山を中心に、太陽、月、四洲等を包含するものを小世界と称し、それが一千〈他の説もある〉集まったものを小千世界、小千世界が千集まったものを中千世界、さらに千倍したものを大千世界と呼ぶ。小千、中千、大千の三種の区別があることから、総称して三千大千世界という。宇宙には、この三千大千世界が無数にあると説かれている)

 大宇宙は、

 瞬時も止まることなく、

 妙なる音律を奏でながら運行している。

 その究極の力、法則こそ

 南無妙法蓮華経なのである。

 題目をあげ、

 妙法に生きぬくならば、

 この大宇宙のリズムに

 自身の生命が合致していく。

 宇宙の最極の力と智慧を

 わが身に顕現することができる。

 

 戸田先生は語っておられた。

「この大宗教(日蓮大聖人の仏法)を

 信ずることによって、

 生命のリズムは

 宇宙のリズムに調和して、

 生きている幸福を

 しみじみと感ずるのである。

 生命の歓喜こそ、

 幸福の源泉力である」

 

「幸福を感じ、

 幸福な人生をいとなむ源泉は、

 われわれの生命力である」

 

 大宇宙が味方である。

 諸天が守る。

 広宣流布に尽くせば、

 最高の功徳を得ることができる。

 その福徳は、

 子孫末代にまで伝わっていく。

 これが仏法の厳然たる法理である。

 大聖人の結論である。

 

 反対に、

 尊き仏法を持った学会員をいじめるならば、

 仏罰は必然である。

 

 一切を変えゆく真剣な祈り

 そこから勝利への前進を開始してまいりたい。

 (長野研修道場)

2005.8.15代表幹部研修会(6) 

2022年9月16日

第2103回

我不愛身命、無上道

 

いざという時>

 

 大聖人は、「秋元御書」で仰せである。

人を恐れず、

 世をはばからずに言うことは、

 法華経勧持品第十三の

 『我、身命を愛せず。

 但、無上道を惜しむ』

 という文の実践なのである

 (御書1074㌻、通解)

 

 いざという時に

 世間の目を恐れて

 正義を叫べないような、

 臆病者であってはならない。

 

 正義のために戦うことだ。

 声を上げることだ。

 行動することだ。

 見栄や世間体ではない。

 格好でもない。

 不惜身命こそ、

 真の広宣流布の精神なのである。

 

2005.8.15代表幹部研修会(6) 

2022年9月15日

第2102回

同志の怨嫉は、破和合僧となる

 

『己心の内』に法を求める仏法者の生き方を!>

 

 

皆さん一人ひとりが、

 燦然たる最高の仏です。

 かけがえのない大使命の人です。

 人と比べるのではなく、

 自分を大事にし、

 ありのままの自分を磨いていくことです。

 

 また、自分が仏であるように、

 周囲の人もかけがえのない仏です。

 だから、同志を最高に敬い、

 大事にするんです。

 それが、創価学会の団結の極意なんです」

 

 日蓮大聖人は、

忘れても法華経を持つ者をば

 互に毀るべからざるか、

 其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり

 仏を毀りては罪を得るなり

 (新1988㌻、全1382㌻)と仰せである。

 

 さらに、同志の怨嫉は、破和合僧となり、

 仏意仏勅の団体である創価学会の組織に亀裂を生じさせ、

 広宣流布を内部から破壊する魔の働きとなる。

 

 伸一は、愛する同志を、

 決して不幸になどさせたくなかった。

 ゆえに、

 厳しく怨嫉を戒めておきたかったのである。

「学会のリーダーは、

 人格、見識、指導力等々も優れ、

 誰からも尊敬、信頼される人になるべきであり、

 皆、そのために努力するのは当然です。

 しかし、互いに凡夫であり、

 人間革命途上であるがゆえに、

 丁寧さに欠けるものの言い方をする人や、

 配慮不足の幹部もいるでしょう。

 いやな思いをさせられることもあるかもしれない。

 そうであっても、

 恨んだり、憎んだりするならば、

 怨嫉になってしまう。

〝どう見ても、これはおかしい〟と思うことがあれば、

 率直に意見を言うべきですし、

 最高幹部にも相談してください。

 もし、幹部に不正等の問題があれば、

 学会として厳格に対処していきます。

 

 また、リーダーの短所が災いして、

 皆が団結できず、

 活動が停滞しているような場合には、

 その事態を打開するために、

 自分に何ができるのかを考えていくんです。

 他人事のように思ったり、

 リーダーを批判したりするのではなく、

 応援していくんです。

 それが『己心の内』に法を求める仏法者の生き方です。

 末法という濁世にあって、

 未完成な人間同士が広宣流布を進めていくんですから、

 意見の対立による感情のぶつかり合いもあるでしょう。

 でも、人間の海で荒波に揉まれてこそ、

 人間革命できる。

 人間関係で悩む時こそ、

 自分を成長させる好機ととらえ、

 真剣に唱題し、

 すべてを前進の燃料に変えていってください。

 何があっても、

 滝のごとく清らかな、

 勢いのある信心を貫いていくんです」

 

<新・人間革命> 第29巻 力走 162㌻~163㌻

2022年9月14日

第2101回

今こそ、

歌を歌っていこう

 

抜苦与楽の「学会歌」を高らかに>

 

 歌を歌っていこう。

 歴史が動くとき、

 そこには歌があった。

 学会は、歌とともに進んできた。

 歌で勝ってきた。

 

 学校も、

 校歌を生き生きと歌っているところは

 発展していると言われる。

 

 年をとって、歌を歌わなくなると、

 早く老けるという人もいる。

 

 声を出すことである。

 朝日に向かっていくように、

 はつらつと題目の大音声を

 響かせていくことである。

 

 そして、

 元気に歌を歌っていくことである。

 歌は、力の源泉であり、

 勇気の源泉であり、

 喜びの源泉である

 さあ、力強く、

 歌を歌って前進していこう!

 

2005.8.15代表幹部研修会(6) 

 

※コロナ禍の今だからこそ、感染予防をしっかり工夫して、歌を歌っていこう。歌うことに大いなる意義と必要性があるのです。一人一人が声を出すんです。小単位の合唱祭もよいのでは…。生老病死を常楽我浄へと転換していきましょう。(サイト・マスタ)

 

2022年9月13日

第2100回

 妙法のために行動した功徳は、

 自分だけでなく、すべての縁ある人々の

成仏への力となっていく

 

<「妙法の不思議な力用」を確信>

  

 さて、

 大聖人の門下が激しい弾圧を受けた

 熱原の法難

 この大難に対し、

 恐れることなく立ち上がった青年に、

 南条時光がいる。

 時光が数えで21歳の時に

 与えられた御手紙では、

 こう激励されている。

 

『願くは

 此の功徳を以て

 普く一切に及ぼし

 我等と衆生と皆共に

 仏道を成ぜん』」(全1561・新1895)

 ――願わくは、

 仏に供養する功徳を

 あまねく一切に及ぼし、

 自分たちと衆生が皆、

 ともに成仏できますように――。

 

 皆さまの広布への献身は、

 仏への最大の供養である。

 妙法のために行動した功徳は、

 自分だけでなく、父母、兄弟など、

 すべての縁ある人々の成仏への力となっていく。

 

 皆を幸福の方向へ向かわせてあげられる。

 ゆえに「一人」が立てばよい。

 一切は「一人」から出発する。

 「一人」の勇気と確信の信心で決まる。

 このことを、

 私はきょう、強く申し上げておきたい。

 

 また、

 人の幸福を祈れば、

 その分、自分が幸福になっていく。

 人の健康を祈れば、その分、

 自分の健康も守られる

 ――これが妙法の不思議な力用である。

 

 「利己」と「利他」のどちらに力点があるかで、

 人間の偉大さは決まる。

 信心が本物かどうかも決まる。

 皆さまは、法のため、友のため、真剣に祈り動いて、

 「利己」から「利他」へと、

 ダイナミックな生命の転換を、

 偉大なる人間革命を実現していただきたい。 

 

1993年4月の全国青年部幹部会

2022年9月6日聖教新聞3面

2022年9月12日

第2099回

青年よ、

苦しんで実力を養え!

 

広宣流布のための苦労は、

 無上の財宝となる>

 

 

 戸田先生は、青年に対し、

 こう言われたことがある。

若いうちは、

 むしろ苦しんで、

 さまざまな体験をし、

 視野の広い実力を養うことが大切だ

 

君たち青年部は、

 生きて生きぬいて、

 民衆の楽土をつくれ。

 つまらぬ失敗で、

 身を滅ぼすようなことがあってはならない

 

 苦労は「宝」である。

 いわんや、

 広宣流布のための苦労は、

 すべて、わが生命を荘厳する無上の財宝となる。

 どんな困難があっても、

 決して崩されない金剛不壊の生命となっていく。

 なんと、ありがたいことか。

 

 学会とともに歩む人生に間違いはない。

 どのような立場であっても、

 学会とともに生きぬいていくかぎり、

 最高の善をなし、

 最高の人生を生き、

 最高の福運を積み、

 最高の正義の道を歩んでいけるのである。

 

2005.8.15代表幹部研修会(4) 

 

2022年9月11日

第2098回

師子身中の虫を叩き出せ!

 

おのれを捨てよ!>

 

 戸田先生は、晩年、こう叫ばれた。

学会の組織は、戸田の命だ。

 どこまでも広宣流布のための、

 清らかな信心の組織でなければならない。

 不純な心によって、

 尊い学会が汚されてなるものか!

 今のうちに大掃除をしておかなければならない。

 師子身中の虫を叩き出すのだ

 

 今一度、この言葉を、

 次の五十年の出発のために確認しておきたい。

 戸田先生は、こう述懐されたことがある。

私にとって、

 最も厳しい人生の試練は、

 戦時中の獄中生活だった。

 軍部政府は、

 私の最愛の恩師の命を奪い、

 私の体も、事業も、ボロボロにした。

 しかし私は、

 この二年間の獄中生活に勝った。

 おのれを捨てたからである。

 広宣流布にわが身をなげうつことを決めたから、

 勝ったのだ

 

 まさしく、

 「不惜身命」の精神である。

 「不惜身命」の精神に立てば、

 どんな人生の苦難にも打ち勝てる。

 私も「不惜身命」で戦ってきた。

 今も戦っている。

 だから、あらゆる闘争に勝った。

 不可能を可能にしてきた。

 

2005.8.15代表幹部研修会(4)

2022年9月10日

第2097回

民衆の幸福のために戦え、

私利私欲の輩を許すな!

 

原点の精神>

 

 さらに、戸田先生の指導に学びたい。

学会は、信心が中心である。

 政治の世界に同志を送り出したのも、

 信心をした者として、

 社会をよくしよう、

 民衆が本当に喜べる政治を実現しようとの、

 人間としての真情の発露からである。

 信心を根本にして、

 日本の民衆を、

 世界の人々を幸せにしようというのが、

 創価学会の心である

 

 ここに、私どもの原点の精神がある。

 私たちの信仰は、

 自分だけが幸せになればいいというような、

 狭い、ちっぽけなものではない。

 自分自身が人間革命しながら、

 社会のため、世界のために、

 勇敢に行動していくのだ。

 

 反対に、社会とのかかわりを失った宗教は、

 独善におちいり、

 生き生きとした生命力を失っていく。

 今は、五濁悪世の時代である。

 社会とかかわるがゆえに、

 さまざまな問題に直面する。

 

 とくに、政治の世界は、

 権力の魔性がうごめいている。

 

 戸田先生は、すべてを予見しておられた。

政治の世界というのは、

 権力と野望と駆け引きの、

 魑魅魍魎の世界だ。

 私の心を忘れない者は、

 政治の革新を成し遂げ、

 民衆のための偉大なる政治家に育つであろう。

 しかし、私利私欲に狂えば、

 広宣流布を破壊する魔の働きになってしまうだろう」

 

 「民衆のため」との原点を忘れ、

 私利私欲に狂った卑しい人間が、

 いつか現れるかもしれない。

 もしそういう輩が出てきたならば、

 徹底して責めぬけ!

 これが先生の精神であった。

 悪を黙って見過ごしてはならない。

 どんどんしゃべることである。

 叫ばなければ、

 将来、必ず報いを受ける。

 

 青年部、立ち上がれ!

 異体同心の団結を破ろうとした人間の末路は悲惨である。

 仏法は厳しい。

 とくにその厳しさは、臨終にあらわれる。

 御書には、

 破和合僧などの大罪によって

 無間地獄に堕ちる苦しみが、

 随所に説かれている。

 それらはすべて、

 日蓮大聖人の大慈大悲のあらわれである。

 不幸な境涯に堕ちていく人々をあわれに思い、

 救わんがために、

 厳しい生命の法則を教えてくださっているのである。

 

2005.8.15代表幹部研修会(4) 

2022年9月9日

第2096回

学会のために、同志のためにと、

すがすがしい決意で

 

 一方、幹部でありながら、

 信心が停滞していたり、

 仏意仏勅の学会を軽んじるようなことがあれば、

 それまで、どれほどの功労があったとしても、

 未来は暗い。

 下り坂を転落していくばかりである。

 広布の世界に、特別な人間などいない。

 全員が平等である。

 

 これまで、清らかな学会の世界にいられなくなり、

 反逆していった人間たちは、

 ″自分はみんなとは違う″

 ″うちは特別なんだ″などと増上慢を起こし、

 自分も、家族も学会活動をし、なくなっていった。

 学会活動を何か下に見たり、

 おろそかにしてはならない。

 

 そういう人間に共通する心根は、

 「自分中心」という一点である。

 自己の利益に汲々とし、

 学会のこと、同志のことを、

 第二、第三に考えているのである。

 それでは、本当の信心はわからない。

 仏法の偉大さはわからない。

 宿命転換もできない。

 

 ″学会のために尽くそう!

 同志のために働こう!″と、

 すがすがしい決意に立っことだ。

 

 皆と一緒になって、

 心広々と進んでいくことだ。

 「異体同心」こそ、

 学会の根本精神である。

 

 自分も懸命に学会活動に励み、

 子どもにも、きちんと信心を教えていく。

 わが子を断じて広布の人材にとの決心で、

 ともに学会の中で生きぬいていくのである。

 その心に福運が集まる。

 その心から道が開ける。

 「心こそ大切なれ

 ――これが日蓮大聖人の仏法の一つの結論である。

 

 法華経二十八品も、

 八万法蔵といわれる膨大な経典の数々も、

 「心」がもつ不可思議な力を説いている。

 もちろん、個人がどう生きるかは自由である。

 しかしわれわれは「同志」として、

 言うべき時には、

 創価の魂を厳然と言いきっていく。

 それが本当の正義の叫びだからだ。

 

 戸田先生は言われた。

広宣流布のために戦って、

 実績をあげるからこそ、幹部であり、

 会員も幹部として待遇するのだ。

 戦いなき者を幹部として待遇すれば、

 組織は動脈硬化を起こして死んでしまう。

 一兵卒、一会員になっても、

 広宣流布のために戦ってこそ、

 戸田の弟子である

 

 いつになっても、どんな立場になっても、

 太陽が赫々と昇りゆくような、

 不退の信心を貫いていってほしい。

 

2005.8.15代表幹部研修会(4) 

 

2022年9月8日

第2095回

強盛な信心あるかぎり、

乗り越えられない苦難なし

 

<「苦難」は「仏界」を開くためにある>

 

 全国の同志が、日夜、広布のために、懸命に戦ってくださっている。仕事や家庭など大変ななか、本当に、頑張ってくださっている。その功徳は絶大である。自己の宿命転換ができるだけでなく、一家、一族が大福徳で包まれていくことは間違いない。

 

 私は、

 尊き学会員の皆さまに合掌しながら、

 真剣に題目を送らせていただいている。

 そして、皆さまのことを思いながら、

 何か励ましを贈りたい、

 勇気と希望を贈りたいと、

 毎日、筆を執り、スピーチをしている。

 本日も、各地で奮闘しておられる、

 わが同志と親しく懇談しているつもりで、

 何点か語っておきたい。

 

 日蓮大聖人は、

 御書の中で″人の心が固ければ、

 諸天善神の守りは必ず強い″という法理を教えられ、

 こう仰せである。

これは、あなたのために言うのです。

 あなたの前々からのお志の深さについては、

 言い尽くせません。

 しかし、それよりもなおいっそう、

 強盛に信心をしていきなさい。

 その時は、いよいよ、

 (諸天善神である)十羅刹女の守りも

 強くなると思いなさい」(全1220㌻、通解)

 これは、神奈川の女性門下に送られた御手紙の一節である。

 

 「今まで」どうだったかではない。

 大切なのは、「これから」どうかである。

 今まで以上に、強盛な信心を奮い起こすことだ。

 その人を、あ

 りとあらゆる諸天善神が、必ず守っていく。

 

 「三類の強敵」が現れるのも、

 「三障四魔」が競い起こるのも、

 ありとあらゆる苦難は、

 自分自身の信心を試しているのである。

 すべて、仏界の生命を開いていく

 ために必要なことなのだ。

 

 ゆえに、

 いちだんと信心を強めていけば、

 絶対に乗り越えていける。

 勝っていける。

 強盛な信心があるかぎり、

 乗り越えられない苦難はない。

 

 大聖人は、

 ″ただ妙法を一心に信ずる人は、

 この御本尊の宝塔の中へ必ず入ることができる″

 (全1244㌻、趣意)と仰せである。

 

 南無妙法蓮華経の御本尊を持ち、

 広布に進むわれらは、

 どこにいても、

 どんな環境にあっても、

 「仏の世界」即「幸福の宮殿」に入ることができる。

 何も心配はいらない。

 何も恐れることはない。

 御聖訓にいわく。

いかに強敵重なるとも・

 ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ」(全504㌻)

 退転するな!

 恐れるな! 

 ――この、宗祖の厳命を深く銘記したい。

 

2005.8.15代表幹部研修会(4) 

2022年9月7日

第2094回

弟子の道をかれた日興上人

 

<本弟子ただおひとり>

 

 日蓮大聖人が御入滅される五日前のことである。

 弘安五年(1282年)十月八日

 大聖人は、門下のなかから、

 日興上人をはじめ六人を選び、本弟子と定められた。

 「六老僧」である。

 信徒は散在していた。

 大聖人は、

 御自身の亡きあとを展望され、

 各地の責任者を定められた。

 当時三十七歳の日興上人

 静岡・富士方面と山梨の門下を指導し、

 広宣流布を進めていかれた。

 大聖人は

其の国の仏法は

 貴辺にまか任せたてまつり候ぞ」(全1467㌻)と仰せである。

 

 リーダーが使命の天地で立ち上がり、

 全責住をもって、広宣流布を進めていく。

 大聖人の時代も、そうであった。

 創価学会も、これと同じ方程式にのっとってきたのである。

 

 しかし、日興上人を除く「五老僧」は、

 大聖人の期待を裏切り、退転した。

 大聖人から法門の一切を受け継がれた

 日興上人から離れていったのである。

 

 五老僧は、

 大聖人の墓所の守護にあたる輪番制も守らず、

 大聖人の一周忌法要にも参加しなかった。

 

 末法の御本仏である日蓮大聖人の弟子でありながら、

 弾圧を恐れて

 「天台沙門(天台宗の僧)」

 「天台の弟子」と名乗った。

 五老僧は、

 いわば当時の「最高幹部」である。

 それが、大聖人の御精神に、

 ことごとく背いていったのである。

 人間の心とは、一面、恐ろしいものだ。

 五老僧は師匠を蔑ないがしろにした。

 慢心であり、我見であり、虚栄であった。

 日興上人への嫉妬もあった。

 学会を裏切り、退転・反逆した人間も、

 本質は五老僧と同じであった。

 ″自分が偉くなりたい″

 ″名声を得たい″

 という卑しい心であった。

 

 日興上人は仰せである。

大聖人のお弟子(五老僧等)は、

 ことごとく師敵対してしまった。

 日興一人、本師(大聖人)の正義を守って、

 (広宣流布の)本懐を遂げるべき人であると自覚している。

 ゆえに、大聖人の御本意を忘れることはない

 (編年体御書1733㌻、通解)

 「日蓮聖人に背いた師たちを捨てないことが、

 かえって罪になるという法門である

 (編年体御書1734㌻、通解)

 日興上人は、

 決然と立ち上がられる。

 正義と邪義を、徹底的に、明確にしていかれた。

 

 大聖人は、

 庶民にもわかるように

 仮名交じりで御手紙を書かれた。

 それを、日興上人は「御書」として最大に尊重し、

 学んでいかれた。

 これに対し、

 五老僧は「先師の恥辱」といって

 焼いたりしたのである。

 五老僧は、数々の謗法を犯した。

 

 日興上人は、

 立正安国のために謗法を断てと

 厳命された大聖人の御精神を貫き通された。

 日興上人は、

 「弟子分本尊目録(弟子分帳)に、

 師匠を裏切った人間の名を挙げて、

 「但し今は背き了ぬ」

 「但し聖人(日蓮大聖人)御滅後に背き了ぬ」等と記し、

 後世に残されている。

 

 現代における五老僧の末流が、日顕宗である。

 日興上人が五老僧と徹して戦われたごとく、

 学会も、大聖人に師敵対した日顕宗を、

 厳しく破折し、打ち破ってきた。

 仏法は峻厳である。

 今や日顕宗は、信徒が激減し、大敗北。

 極悪の所行が断罪されている。

 2005.8.15代表幹部研修会(3) 

 

2022年9月6日

第2093回

今こそリーダー革命を

 

リーダー自身が人間革命>

 

いくさには大将軍を魂とす

 大将軍をくしぬれば歩兵つわもの臆病なり」(全1219㌻)

 心に刻むべき有名な御聖訓である。

 リーダーが勇気をもって打って出るのだ。

 勇気は勇気を呼ぶ。

 一波が万波となって、怒濡のごとく、

 勝利の大波がわき起こる。

 

 大事なことは、

 まず、リーダー自身が人間革命することである。

 きょうも前へ!

 明日も前へ!

 何があっても前へ!

 それに徹した人だけが、

 張ればれと、自分自身の栄光のゴールに

 到達できるのである。

 

 ナイチンゲールは喝破した。

 「進歩のない組織でもちこたえたものはない

 (湯槇ます監修司『ナイチンゲール著作集』2、編訳者代表・樽井坦子、現代社)

 彼女自身、

 よき看護師を育成するために、

 組織改革に情熱を注いだ。

 進歩のない組織では勝てない。

 それでは、もたない。

 滅びていく。

 

 組織が滅びるのは、

 人間が滅びるからである。

 団体も、人も、つねに進歩してこそ、

 激動の社会を勝ち越えていける。

 今こそ、

 リーダー革命を起こしてまいりたい。

 

2005.8.15代表幹部研修会(3)

2022年9月5

第2092回

悪の芽はただちに断ち切れ

 

悪書を読むな!>

 

 古代ギリシャの教育者イソクラテスは、言い残した。

もし邪悪な人間にその徴しるしがあったならば、

 市民のだれかに不正をはたらく前に、

 これを懲らすのが最上である

 (『弁論集』2、小池澄夫訳、京都大学学術出版会)

 

 結局、いやな思いをするのは市民である。

 真面目な民衆である。

 悪い人間を放置してはならない。

 悪の芽は、ただちに断ち切る。

 この強さがなければならない。

 

 スイスの思想家ヒルティは警告する。

悪いものは絶対に読んではならない。

 悪いものを『研究』すると、

 人間の持っているよい精神がだんだん死滅してゆく

 (『読書について』国松孝二訳、『ヒルティ著作集』8所収、白水社)

 

 悪書※1を読むな!

 ――戸田先生が亡くなる直前まで、

 厳しく言われていたことである。

 青年でありながら、

 低俗な週刊誌などを見ていたら、

 先生から怒られた。叱り飛ばされた。

くだらない雑誌、なんか読んで、

 面白がっているようで、どうする!

そんなものを読むと、目が腐るぞ!

 

 そこまで厳しく言われたのである。

 たとえ、いい人であっても、

 悪書に毒され、悪人に染まれば、

 正しい道を踏みはずしてしまう。

 絶対に、悪知識を寄せつけてはいけない。

 

 どうか皆さまは、

 毀誉褒貶など歯牙にもかけない、

 正しい指導者、

 信心強き指導者になっていただきたい。

 

※1 悪書・・・最近のSNSも含まれるでしょう。「いいね!」だけのお付き合いは気を付けねばなりません。自分に都合のよいだけの関係は進歩が望めません。(サイト・マスタ)

 

2005.8.15代表幹部研修会(2)

世界広布新時代

創立100周年へ

青年・飛躍の年

(2022年)

2013.11.18

広宣流布大誓堂落慶

更新日

2022.10.2

第2118

 

日天月天ワンショット

日めくり人間革命URL