日めくり一週間

12月5日

第1567回

勤行・唱題の朗々たる響きは
家庭から不幸や災難を退散させる

 

 御書には、伝教大師の言葉「家に讃教の勤めあれば七難必ず退散せん」(御書1374頁)が引かれている。朝な夕な、勤行・唱題の声が朗々と響きわたる家庭からは、不幸や災難が退散しないわけがない。
 信心していても、さまざまな悩みや苦労はあるものだ。しかし、大聖人は、病気に悩む門下に「たとえ、あなたの家の中に病人があったとしても、それは、(一家を不幸にしようとする)鬼神のしわざではない。十羅刹女が、あなたの信心の強さを試しておられるのでしょう」(御書1544頁、通解)と励ましておられる。
 何があっても、断じて負けてはならない。
 「災来るとも変じて幸と為らん」(御書979頁)――これが、変毒為薬(毒を変じて薬と為す)の妙法の偉大な力用である。
大聖人は仰せである。
 「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を」(御書1253頁)と。
 ありとあらゆる人々の胸奥から、仏界という、わが生命の「最極の宮殿」を開いていく。この無上の哲理こそが、″人類史の新たな春″を告げゆく「精神の陽光」なのである。

 

2001年2月24日第二総東京最高協議会

12月4日

第1566回
心の青年よ
明年も「黄金の年輪」を共に刻もう!

 

 同じ生きるのであれば、同じ戦うのであれば、晴ればれと、「人間としての最高の舞台」で、新しい一年を飾っていただきたい。
 社会には、卑怯な人間もいる。嫌いな人間もいるかもしれない。しかし、人がどうあれ、自分自身が悔いなき歴史をつくればよいのである。広宣流布の革命児として、「誇りの剣」「希望の剣」「生きがいの剣」「充実の剣」をぬき、春夏秋冬の舞台を縦横無尽に駆けめぐることだ。
 一年一年、ただ″年齢を重ねる″だけの人生もある。年若くして「心の老人」もいる。反対に、高齢でも「心の青年」がいる。
 明年も、われらは、生き生きと、広宣流布の″黄金の年輪″を刻んでまいりたい。(拍手)

 

 2001年12月13日第十二回本部幹部会、第二回東京総会、第二回四国総会

12月4日

第1565回
人間革命の舞台は、
 「今ここ」に!

 

<全ての起点は、我が人間革命にあり!>


 1964年(昭和39年)の
 きょう12月2日、
 私は最も戦火に苦しんだ沖縄の地で
 小説『人間革命』の筆を起こした。
 「戦争ほど、残酷なものはない。
 戦争ほど、悲惨なものはない……」
 世界不戦は、わが魂の叫びである。
 その思想を、
 人々の胸中深く打ち込み、
 友情の橋を懸けるために、
 私は、書き続けてきた。

 

 すべては、
 自己自身の変革から始まる。
 生活も、事業も、
 教育も、政治も、
 また経済も、科学も、
 いっさいの原点は人間であり、
 自己自身の生命の変革こそが
 すべての起点となる。

 

 人の幸福を祈れば、
 その分、自分が幸福になっていく。
 人の健康を祈れば、
 その分、自分の健康も守られる――
 これが妙法の不思議な力用である。
 「利己」と「利他」の
 どちらに力点があるかで、
 人間の偉大さは決まる。
 信心が本物かどうかも決まる。
 皆さまは、
 法のため、友のため、
 真剣に祈り動いて、
 「利己」から「利他」へと、
 ダイナミックな生命の転換を、
 偉大なる人間革命を
 実現していただきたい。

 

 人間革命の舞台は、
 どこか遠くにあるのではない。
 「今ここ」にある。
 そのドラマは、
 いつか始まるのではない。
 眼前の課題に、勇んで祈り、
 立ち向かう。
 この一瞬から幕を開けるのだ。
 真剣勝負の戦いの中にこそ、
 人間革命がある。

 

<池田大作先生 四季の励まし>2018年12月2日

12月1日

第1564回
世界最古の共和国

ここに人類の理想郷が!

 

<サンマリノ共和国>

 

 二十一世紀初めての未来部総会、本当に、おめでとう!(拍手)
 皆さんが、お元気で、私は、うれしい!
 私は、少年少女部の皆さんと同じ年代のころ、ロマンあふれる詩を読んだことを、懐かしく思い出します。それは、「ガラスの山のてっぺんに、金のお城がありました」という一節から始まりました。
 私は、今、そのおとぎの国を舞台に、一つの物語を想起するのであります。その金のお城を中心に、激しい戦いが繰り広げられる。最初は、善良な人々が、悪い人間たちからさんざんにいじめられ、苦しめられる。しかし、正しい人々は、断じて負けない。屈しない。そして、最後には、金のお城で、晴ればれと「正義の勝利」の勝鬨をあげるというドラマであります。
 われらの青き地球には、この物語のように、高い山の頂に美しい城を築き、そして、平和と自由、正義と人道を、厳然と護りぬいてきた誇り高き人々の国が、現実に存在しております。それこそ、世界でもっとも歴史の古い共和国、貴サンマリノ共和国なのであります。(拍手)
  「人民の人民による人民のための政治」という、不滅の「共和」の理念を宣言した大政治家は、だれであったか。
それは、ご存じのとおり、アメリカの第十六代リンカーン大統領であります。
 新しく誕生したアメリカ創価大学、ならびに日本の創価大学には、リンカーン大統領の貴重な直筆の手紙なども重宝として保管されております。
では、このリンカーン大統領が「歴史上、もっとも誉れある国」と絶讃し、「励ましに満ちた真理を人類に示してくれた国」として、感謝してやまなかったのは、どの国であったか。それは、まさに、サンマリノ共和国だったのであります。(拍手)
 人類にとって、世界にとって、未来にとって、かけがえのない模範であり、理想の金字塔が貴国なのであります。この9月3日、貴国は、栄光輝く建国1700周年という大佳節を晴れやかに迎えられました。本当に、おめでとうございます!(拍手)


 牧国会長の信念がSGIの陣列に脈々と


 心より尊敬申し上げる、国家元首であられるお二人の執政(ロンフェルニ―ニ執政、ベラルディ執政)、さらにまた、ご一行の先生方。そして、すべてのご出席の皆さま方。ただ今、私は、何よりも意義深き貴国の最高の栄誉(サンタ・アガタ大十字騎士勲章)を、厳粛に拝受いたしました。まことに、まことに、ありがとうございました。(拍手)
 私は、青春時代から、貴国に深い敬意と親愛の情を抱いてきた一人であります。
 と言いますのも、創価学会の牧口初代会長が、100年ほど前に発刊した名著『人生地理学』(1903年刊)の中に、貴国のお名前が明確に記されていたからであります。『人生地理学』では、貴国が、強国に囲まれながらも、そびえ立つ山にあって、千幾百年もの長きにわたって、厳として独立を堅持し、共和国を発展させてこられたことに着眼しています。
 さらにまた、貴国に象徴される風土(山岳地帯)の人々には、まことに、愛すべき気風が多いことも紹介しています。
 すなわち、その思想は高邁であり、剛健な人々は独立心に富み、確固として信義を貫いている。そこでは、財産や土地も分かちあい、上や下の差別も少なく、平等で、皆が仲良く助けあう共和の精神が、とくに光っていると示唆しているのであります。
 牧口会長は、日本が国をあげて、日露戦争に傾斜していく時代にあって、かくも広々と、全世界に開かれた心で、真剣に各国の情勢を学び、つねに地球全体を見つめていました。そして、平和と人道の時代を、はるかに展望しながら、人間共和の世界へ、価値を創造していったのであります。
 そのスケールが巨大すぎるがゆえに、牧口会長は、島国根性の日本からは妬まれ、事実無根の悪口罵詈を浴びせられました。そして、究極の正義を叫んだがゆえに、狂った国家主義によって迫害され、ついには獄死させられたのであります。
 しかし、牧口会長は、悠然と「愚人に憎まれたるは第一の栄光なり」と言われ、獅子王のごとく、最後の最後まで戦いぬきました。そして、今、この殉教の闘士・牧口初代会長の人間共和の信念は、世界177カ国・地域の若きSGIの陣列に脈々と受け継がれていると、私は信じたいのであります。(拍手)
 この会場には、サンマリノ共和国をはじめ、世界五大陸五十力国・地域から、最優秀の青年リーダーが参加しておられます。本当に、うれしい! 本当に、ありがとう!
 さらに、きようの式典の衛星中継には、じつに日本全国の千を数える会館で、五十万人もの未来部の代表の皆さんが参加する予定になっています。この五十万人の未来部の方々にも、本当に、ご苦労さまと申し上げます。
 また、つねに未来部育成に当たってくださる「二十一世紀使命会」の皆さま方にも、心から感謝申し上げるものであります。(拍手)


 サンマリノ市民の叫び「自由とは恐れないこと!」


 新世紀を担いゆく青年が、貴国の歴史から学ぶべき教訓と指針は、あまりにも大きい。
 今から七百年ほど前、「自由とは何か」と尋ねられた、貴国のある市民は、こう答えたと言います。有名な話です。(以下、ジョジェッペ・ロッシ『サンマリノ共和国』菅博、マンリオ・カデロ訳、日商データバンク、参照)
 「自由とは、だれびとをも恐れないことだ」と。
 自由の本質と真髄を突いた言葉として、今日まで残っています。
 そのとおりに、貴国のけなげなる市民の連帯は、いかなる傲慢な政治権力の弾圧にあっても、宗教の「破門」などの仕打ちにあっても、人間の魂の自由のために、断固として戦い、厳然と勝ちぬいてこられました。
 貴国を敬愛するナポレオンが、貴国の領土の拡張を提案したことも、有名な史実であります。
 ところが、誉れ高き貴国の先人たちは、その申し出を、きっぱりと断りました。
 他者の犠牲の上には、みずからの幸福や繁栄を築かない――貴国は、共和国としての、この尊厳を、毅然と選び取ってこられたのであります。
 さらに、″善良かつ強い″市民の集まりである貴国は、歴史を通じて、災難や圧政に苦しむ人々に大きく門戸を開き、一度たりとも拒絶せずに迎え入れ、あたたかく保護してこられたといいます。
 第二次世界大戦において、当時、人口1万5千人ほどの貴国が、なんと10万人以上もの避難者を受け入れ、少ない食糧を分かちあいながら、守りぬかれたことも、まことに名高い史実であります。
 この史実を読んで、滂沱の涙を流した学者もあったと聞いております。

 そうしたなかにあって、慈愛の医師たちの献身の活躍も光っておりました。
 きょうは、わが創価のドクター部の代表も出席されております。ドクター部の皆さん、いつも本当にありがとうございます。(拍手)
 今、日本の社会には、陰湿ないじめや、凶悪な暴力などが渦巻いています。だんだん悪い国になってきました。
 しかし、そうした時代の濁りに、未来部の皆さんは、絶対に染まってはならない。負けてもならない。人がどうあれ、世間がどうあれ、まず自分自身が、強くまた強く、賢くまた賢く、朗らかにまた朗らかに生きぬいていくことであります。そして、悩んでいる友の味方になってあげることです。それが、「師子の心」をもった立派な人間の姿です。
 サンマリノ共和国の歴史のごとく、困っている人、苦しんでいる人に手を差しのべていく勇気と慈愛を持つことです。それが、人間としてもっとも尊いことです。そしてこれこそが、師子の集いである創価学会のお父さん、お母さんたちの精神であったのであります。
 貴国が、なぜ1700年もの間、自由と独立を貫いて、栄えることができたのか。
 この重要な問題を、今まで多くの歴史家が分析し、探究してきました。

 その理由の一端は、「さまざまな苦難や試練を、市民がともに分かちあい、耐えて耐えぬいてきたからである」と結論されているのであります。
 要するに、苦労しぬいたところが、もっとも偉大になる。苦労しぬいた人は、決して負けない。最後には栄えていく。青春も、人生も、この方程式は同じです。
 以前、私たちが開催した大ナポレオン展には、歴史の宝庫である貴国の博物館から、金色に輝く貴重な騎士の「兜」と「鎧」を出品していただきました。それはそれは、見事な光沢を放っておりました。今でも忘れません。
 仏法では「忍耐の鎧を着けよ!」と説いております。どうか皆さんは、気高き使命の青春にあって、徹して忍耐強く、徹して辛抱強く、真実と誠実と堅実の大道を歩み通していただきたい。
 そして、学びに学び、努力に努力を重ねて、汝自身を難攻不落の「正義の大城」に、「哲学の大城」に、そして「勝利の大城」に築き上げていただきたい。これが私の、強い強い念願であります。
 皆さん、きょうはこのことを約束しましょう!
 この未来部のなかから、必ずや、将来の学会の最高首脳も出ます。また社会のあらゆる分野の最高リーダーも陸続と育っていくと、私は断言しておきたい。


 9月8日に刻んだ平和の歴史


 きょう9月8日は、地球民族主義を掲げられた戸田第二代会長が44年前、「原水爆禁止宣言」を、高らかに発表された日です。(1957年〈昭和三十二年〉、横浜の三ツ沢競技場で)
 とともに、弟子である私が、さまざまな妨害や非難のなか、世界の平和と安定を願って、「日中国交正常化」の提言を行ったのも33年前のこの日でありました。(1968年)
 さらにまた、その6年後のこの日、私は多くの反対を振り切って、「そこに人間がいるから、私は行く」と宣言し、中国に引き続いて、共産圏だった旧ソ連のモスクフに、第一歩を印しました。(1974年)
 9月8日は、学会にとって、まことに重要な歴史の日であります。
 そしてきょう、サンマリノ共和国から大切なお客さまをお迎えすることができ、また一つ、新たな歴史を刻むことができました。
 ともあれ、このようにして、一つまた一つと蒔いてきた人間主義の交流の種が、今、大きな大きな平和と文化と教育の結実を勝ち取ったと、私は申し残しておきたい。「種を蒔く」ことです。「行動」を起こすことです。
  昨日、光栄にも、両執政ご一行は創価大学を訪問してくださいました。ロンフェルニーニ執政は、すばらしい講演をしてくださり、「地球村における連帯と共生」を高らかに呼びかけてくださったのであります。心から賛同し、感謝申し上げます。
 世界の模範の共和国の大指導者とご一緒に、私たちは「人間共和」の新たな地球社会の大建設に、ともどもに朗らかに、勇んで前進しゆくことを、ここに約束しあいたいと思うのであります。
 なお、未来部の皆さんは、将来、必ず偉くなって、お父さんやお母さんを、また、親がいらっしゃらない人は、自分がお世話になった人を、世界一のすばらしい平和の国、サンマリノ共和国ヘも連れていってあげていただきたい。皆さん、きょうは、このことも約束しましょう!(拍手)
 結びに、イタリアの偉大なノーベル賞詩人カルドゥッチは、名スピーチ 「永遠の自由」の中で、貴国をこう讃嘆しました。
「君に栄光あれ! おお、有徳にして寛大な、信頼する、古の共和国よ!」
 この言葉のままに、私は貴国の永遠不滅の栄光を、心の底からお祈り申し上げます。
 そして、貴国と世界の青年の「勝利の太陽」が、二十一世紀の人類を、永遠の自由へ、永遠の平和へ、赫々と照らしゆくことを、祈りに祈って、私の心からの御礼のごあいさつとさせていただきます。
 グラッチェ(イタリア語で「ありがとう」)! グラッチェ!

 

 2001年9月8日 サンマリノ共和国「サンタ・アガタ大十字騎士勲章」叙勲式、第一回未来部総会、ドクター部総会

 

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11月29日

第1563回

祈りは諸天善神を動かす

 

<最高の法を持つ人こそ尊貴>

 

 私たちの祈りは、諸天を動かす偉大な力用を備えている。私たちが南無妙法蓮華経と唱えるとき、無量の諸天善神が、私たちの後ろに並んでいるのである。
 戸田先生は、その意味について、わかりやすく語ってくださった。
東の方に向かって、諸天善神にたいして、あいさつするときに、それは、わが心の中にある諸天善神が、そのまま大宇宙にうかぶのです。そうして、御本尊に向かうときには諸天善神が、ぜんぶうしろにすわるのです」「そして、私たちが御本尊に向かって唱える経文、題目をきちんと、聞いているのだ」と。

 一人で題目をあげているようであっても、決して一人ではない。皆さまの題目に合わせて、何千何億もの諸天善神が一緒に御本尊に向かっている。そうやって諸天善神が、こぞって集まり、身近な人間や同志の働きなどとなって、皆さま一人一人を守るのである。
 広宣流布に戦う同志の皆さま方が、どれほど尊貴であり、どれほど偉大であるか。
 大聖人は門下への御手紙の中で、次の法理を示しておられる。
 「法が妙であるゆえに、その法を受持する人が貴い。人が貴いがゆえに、その人がいる所も尊い」(御書一五七八ページ、通解。以下同じ)と。
 お金持ちだから偉いのではない。社会的地位があるから偉いのでもない。そうではなく、本当に尊貴なのは、最高の法を持った人なのである。そして、その尊貴な人がいる場所が、そのまま「本有常住の常寂光土」なのである。
 大聖人は、こうも仰せである。
 「持たれる法さえ第一ならば、持つ人もまた第一なのである」(御書四六五ページ)と。
 妙法を持った皆さまが、第一に尊い方々である。ゆえに、皆さまをいじめれば、厳しい仏罰を受けることは、御書に示されているとおりである。

 

2001年12月13日 第十二回本部幹部会

11月28日

第1562回

10月11日

どこまでも師とともに

 

<東京拘置所>

 

 牧口先生が牢獄で精読された哲学者カントは言う。
 「ソクラテスのような人をまで誹謗して、何人か徳を信じようとするものを妨害したりするということは、人間性に対して仕向けられる大反逆である」(『人間学・教育学』清水清訳、玉川大学出版部)
 牧口先生を国粋主義の日本が弾圧したのは、まさに、「人間性に対する大反逆」であった。
 正義の創価学会を迫害する日顕宗も、「人間性への大反逆」にほかならない。
 人類の師ソクラテスは、嫉妬の謀略によって、毒杯をあおって死んでいく。その時、弟子プラトンが立ち上がる!
 牧口先生は牢獄で殉教する。その時、弟子・戸田先生が立ち上がる!
戸田先生が、あらゆる迫害と戦い、死んでいく。その時、弟子の私が立ち上がった!
 偉大なる師の心を継いで、必ず″不二の弟子″が立ち上がるものだ。この方程式が仏法である。真実の「師弟」の道である。
 きょう、十月十一日は、どういう日か。それは五十八年前(一九四三年〈昭和十八年〉)、戦時中のことである。稀代の悪法である治安維持法違反と不敬罪によって、不当にも逮捕された戸田先生が、警視庁から巣鴨の東京拘置所に移されたのが、この日だったのである。
 その半月ほど前の九月二十五日、牧口先生が、先に東京拘置所に移された。真の弟子である戸田先生は、勇んで師匠の後に続かれたのである。
「どこまでも師匠とともに!」「どこまでも師匠のために!」
 これが弟子である。私も、同じ決心で、戸田先生にお仕えしてきた。
 創価学会の三代の「師弟の道」――これを、若い皆さんは、よく覚えておいていただきたい。
 この最高の人間の道を忘れない限り、踏みはずさない限り、創価学会は永遠に繁栄していく。自分自身も、永遠の勝利王となり、人間王者となることは、絶対に間違いない。
 大聖人は仰せである。「よき弟子をもつときには、師弟はともに仏果(成仏の境涯)にいたり、悪い弟子をたくわえてしまえば、師弟はともに地獄に堕ちるといわれている。師弟が相違すれば(師匠と弟子の心が違えば)何ごとも成し遂げることはできない」(御書900頁、通解)
 この師弟の大道を、まっすぐに走りながら、私は、牧口先生、戸田先生のお名前を全世界に宣揚してきた。
 それまで、世界はおろか、日本でも知る人は少なかった。中国に行っても、韓国を訪れても、私は、師匠の偉業を語りに語りぬいてきた。今や、両先生のお名前は、世界中で讃えられている。これが私の人生の誉れである。

 

2001年10月11日 第十回本部幹部会、第二回関東総会

 

11月25日

 第1561回
わが地域に勇気の一歩を


 大地に深く根を張ってこそ
 大樹となる。
 人も組織も同じである。
 根無し草では、
 時代の激流に押し流されるだけだ。
 いかなる嵐にも揺るがぬ根――
 それは地域という
 最も身近な大地に張られる。
  
 現代は、無縁社会と言われる。
 それは、地縁や血縁が
 なくなったというより、
 縁を維持し、作り、
 育めていないという
 側面があるのではないだろうか。
 故郷は「自分たちで作るもの」だ。
 今、暮らす地域を新たな故郷とし、
 今、縁する人を同郷の友として、
 友情を広げていきたい。
 そこに喜びも広がる。
  
 近隣の方々との交流というのは、
 自分の心を豊かにしてくれる。
 生活に温かみが出てくるし、
 何ともいえない安心感も生まれる。
 信頼を勝ち得ていく上でも、
 さわやかな挨拶が基本である。
 また、声をかけることからも、
 対話は深まる。
 他人のいいところは、
 「素晴らしい!」と
 率直に伝えることで、
 自分の心が相手の心に届いていく。
 さらに、相手を尊重し、
 その人から学んでいこうと
 質問していくことからも、
 対話は弾む。
 こちらが良い聞き手になれば、
 相手自身が気づいていない力まで
 引き出していけるものだ。
  
 まず、わが地域に
 勇気の一歩を踏み出すことだ。
 まず、わが近隣の一人と
 誠実に対話することだ。
 「世界の平和」と
 「人類の幸福」への確かな貢献は、
 今ここから始めることができる。

 

〈池田大作先生 四季の励まし〉わが地域に勇気の一歩を 2018年11月25日

11月23日

第1560回
正しいからこそ、悪口罵詈される

 

<人間社会の実相>


 ともあれ、悪い社会であるがゆえに、卑劣な人間も多くいる。これが、世間の日常であり、あらゆる世界が、嫉妬と反感の、醜悪な現実であることは、皆さまもご存じのとおりである。
 人の口に、戸は立てられない。たとえ、愚劣な中傷批判をされても、毅然たる態度で動ぜず、堂々と生き、戦いぬいていくことだ。それが、信仰の証であり、人格者の姿勢である。
 とともに、仏敵は必ず倒してみせるという勇敢なる祈りがなければならない。
 きょう八月二十八日は、ゲーテの誕生日である。(一七四九年生まれ※)
ゲーテは言う。「私が愚かだと、それには誰も異議を唱えぬ。私が正しいと、彼らは非難しようとする」(「真実に生きる――ゲーテの言葉2」関泰祐訳、社会思想社)
 正しいからこそ、悪口罵詈される。これが、人間社会の実相である。

 

※明年(2019年)はゲーテ誕生270年。

 

2001年8月28日 群馬最高協議会

11月22日

第1559回
 どうか親孝行であってほしい

 

<和楽の家庭>

 

 人間は自分一人で
 生まれてくることはできない。
 たった一人で一人前の人間に
 なれるものでもない。
 家族のなかに生まれ、
 家族のなかで育ち、
 やがて一個の人間として
 成長していく。
 夫婦も、兄弟姉妹も、
 目に見えぬ一つの法則で
 結ばれているともいえる。
 その心の絆こそ、
 家族の結晶であるに違いない。

 

 お母さんの声、お母さんの手ほど
 美しいものはない。
 子どもをあやし、
 子どもを呼ぶ母の声。
 おむつを換え、ご飯をつくり、
 服を着させる母の手。
 「母の声」「母の手」に守られて、
 人は皆、大人になっていく。
 母の声が世界を結び、
 母の手が
 平和へとつながっていく時、
 どれほど
 美しい地球になることであろう。

 

 青年の皆さんは、
 どうか、親孝行であってほしい。
 明るい笑顔。

 ありがとうの一言。
 一本の電話・・・・・・。
 親というのは、
 それだけで幸せな気持ちになって
 元気になるものだ。
 ちょっとした言葉や振る舞いで、
 感謝と愛情を示していくことが、
 生きる喜びの名曲となり、
 人生の名画となる。

 

 愚痴を祈りに変え、
 非難を励ましに変え、
 苦楽を共にする
 価値創造の家族から、
 地域や共同体を変革する
 希望が生まれる。
 和楽の家庭が築かれてこそ、
 真の平和社会が創出されていく。


2018年7月30日付 聖教新聞

<四季の励まし>和楽の家庭から希望の虹を

11月18日

第1556回
リーダーは信念を「行動」に移せ

 

<「人材育成」と「悪との闘争」>


 リーダーの要件とは何か? 創大生の質問に答えて、趙博士は次のような資質を挙げられた。
 「すべての構成員の意見を、十分に、かつ広く受け入れる姿勢」
 「物事を冷静に判断する知性と正しい決断力」
 「正しいことを確実に実行する行動力とリーダーシップ」
 「自分の考えをわかりやすく皆に伝えて説得する力」
 「対外的な情報を得る力」「明確な将来の展望」である。
 (さらに博士は「これらのリーダーの要件は、池田先生のご指導のもと、活動を進めていけば、自然に身につくものと思います」と)
 また趙博士は、「リーダーは、(就任して)一カ月のうちに、その信念を行動に移さなければ、構成員から信頼されなくなる」とも喝破されている。そのとおりである。いわんや、仏法は「月月・日日につよ強り給へ」である。
 どうか、広宣流布の組織のリーダーとして戦える誇りと責任をもって、日々、月々、決意新たに前進していただきたい。学会活動は一切、無駄がない。「人間革命」と「指導者育成」の直道なのである。
 ともかく、戦いの根本は、「人をつくること」である。後輩を自分以上の人材に育てていくことだ。それが、最重要の課題である。そして、広布を阻む″一凶″とは徹底して戦っていくことだ。決して放置しておいてはならない。最大の敵は、自分自身の中にいる。極悪と戦ってこそ、「自分の中の敵」に打ち勝っていけるのである。
 「人材育成」と「悪との闘争」――これが、広宣流布の組織をさらに伸ばし、拡大させていくポイントである。
 広宣流布は最高の正義である。正義ゆえに勝たねばならない。負けるような正義は、正義ではない。
 東京は、まだまだ、持てる力が十分にある。その潜在力をさらに発揮するためには、リーダーが「先頭に立って」動くことである。「率先して」戦うことである。「団結して」ダイナミックに行動していくことである。

 

2001年8月19日 東京会研修会

11月18日

第1555回
同志を思う慈愛が通じる

 

行動の奥にある深い深い慈悲の心>

 

 これからは、ますます「心の時代」である。
 広布の前進にあっても、リーダーは、徹して、皆を励ましていくことだ。皆が喜んで取り組んでいけるよう、自信をもって戦いを進めていけるよう、具体的に、また迅速に、手を打っていかねばならない。
 そのためにも、まずリーダーが真剣に祈っていくことである。一回一回の会合も、「きょうの会合が大成功するように」「自分の祈りが、皆の中に入るように」「全員の生命に、梵天・帝釈の働きが顕れるように」等と、真剣に祈っていくことだ。その真剣な「祈り」が、同志を思う「慈愛」が、誠実な「振る舞い」が、皆に喜びの波動を広げていく。
 「偉大であれ、/高慢であってはならない――高慢であることを蔑むほど偉大であれ」(前掲『エマソン選集』)とは、エマーソンの言葉である。
  大聖人は、同志の大切さを繰り返し教えておられる。
 「末法のような濁った世にあっては、たがいにつねに語りあって、いつも後生を願っていきなさい」(御書九六五ぺーじ、通解)
 「信心の志のある人たちは、一つの場所に集まって、この手紙を読むのをお聞きなさい」(御書九五一ページ、通解)
 「すべての人々が、この書を見聞きし、信心の志ある人々は、おたがいに語りあっていきなさい」(御書九六七ページ、通解)と。
 同志とともに、仲良く前進していくことだ。同志とは、「同」じ「志」と書く。自分の「一念」が皆の生命に入り、また皆の「一念」が全部、わが生命に入って、大生命力となっていくのである。
 戸田先生は言われた。
 「行動の奥に深い深い慈悲の心を蔵するならば、その行動は、説明もなく、証明する者がなくとも、相手にいっさいがかならず通ずるものである」(「慈悲論」、『戸田城聖全集』3所収)
 さらに「慈悲のうえに立つ折伏は、いかにことばがやわらかでも、いかに態度がやさしくても、そのなかに強い強い仏の力がこもる」(同前)と。

2001年8月19日 東京会研修会

11月18日

第1554回
青年が万代の韓日友好を


 私が、韓国の名門、国立済州チェジュ大学の趙文富(チョウー・ムンブ)・前総長と進めている対談が、教育専門誌「灯台」に連載される運びとなった。(=二〇〇一年十月号から〇二年九月号まで掲載。同年十一月、『希望の世紀へ 宝の架け橋――韓日の万代友好を求めて』として徳間書店から発刊された。池田名誉会長は、済州大学の「名誉文学博士」)
 今、日本の国家主義の台頭が深く憂慮されている。だからこそ、後世に真実の歴史を伝え、二十一世紀の韓日の新時代を開かねばならない。
 私は、韓国を代表する大教育者であり、信念の知性であられる趙博士とともに、平和と教育と文化の「真の友好の道」を照らし出していきたいと願っている。
 対談の冒頭、私は申し上げた。「『真摯に過去を見つめること』は、『真摯に未来に向きあうこと』と同義だと思います」「誤った歴史認識が、いまだに根深く、くすぶっているからこそ、質量ともに、それらをはるかに凌駕する、正しい真実の史観に立った平和教育を、断固として推進していかねばなりません」(『希望の世紀へ 宝の架け橋』徳間書店)
 虚偽や邪悪の暴論に対しては、それを圧倒する「真実の言論」「正義の言論」をもって、厳然と打ち勝ち、打ち破っていくことだ。
 アメリカの思想家エマーソンは言った。
 「人間は懐疑と虚偽の暗夜のなかで手さぐりしている。『真理』の光は消え、あるいはかすかに燃えているにすぎないからだ。さあ、炎をふたたび燃えたたせ、燃料を補給しようではないか――遠くまであかあかと照らす標識の光となって燃えあがり、世界をあかるくするまで」(『エマソン選集』7、小泉一郎訳、日本教文社)
 「善の言論」こそ「世界の光」である。
 対談では、一九四五年の八月十五日を、どのように迎えたかということも話題になった。
 日本にとっては、「終戦の日」「敗戦の日」であるが、日本に蹂躙されぬいた韓国にとっては、この日は「光復節」――悪逆な支配からの「解放の日」であり、主権を回復した「勝利の日」である。
 だからこそ、来る年、来る年、この八月十五日を、日本は、過去の軍国主義の過ちを心から反省し、アジアの方々から賞讃されるように、迎えていかねばならない。
 この「光復の日」、趙博士は小学校四年生であった。この時、心に抱いていた疑問が、″人類社会に対する問題提起″となり、学問の道の始まりとなったと博士は振り返っておられる。博士は言われた。
 「私は、文明における『勝利』の概念そのものを改める必要があるとの結論にたどりつきました。二十世紀までの軍事中心の時代における『勝利』と、これからの二十一世紀における『勝利』の概念を、明確に区別しなければならないということです。つまり、科学技術の発達がもたらした兵器や武器による脅迫で相手を屈服させるのではなく、慈愛をもって相手の心情に深く訴えて共感を湧き起こし、ともに人類としての正しい道を選び歩むようにすることが、これからの時代に求められるのです」(前掲『希望の世紀へ 宝の架け橋』)
 牧口先生の「人道的競争」の理念とも響きあう卓見である。(中略)
 趙博士は、創大生の代表に呼びかけられた。
 「あの軍国主義の時代にあって、牧口先生が、どれだけ気高い行動と思想を貫かれたか。戸田先生が、どれほど深い倫理観と先見性を持っておられたか。その事実を、もっと多くの日本人に知ってもらいたい。それを広め、語り継いでいくことこそ、創大生の皆さんの大切な使命です。過去の歴史は、現在と未来のためにあるのです
 こう言って、わが創大生に大きな期待を寄せてくださったのである。

 

 2001年8月19日 東京会研修会

11月14日

第1553回
「戸田の命よりも大切な学会の組織」

 

<派閥や信心利用、権威主義を絶対許すな!>

 

 日蓮大聖人の仏法を実践する、わが創価学会の組織は、初代牧国会長以来、尊き「信心の向上」のためにある。
 かりに、信仰の世界が、一人だけで、勝手気ままにできる世界であれば、一見、いいように思えるかもしれない。しかし、それでは結局、わがままになり、悪縁に紛動されて、迷走してしまうものだ。
 それでは、「自由」のように見えても、真の「生命の自由」の境涯には、決して到達できない。
 御聖訓には、こう仰せである。
 『木を植える場合には、大風が吹いたとしても、強い支えがあれば倒れない。もともと生えていた木であっても、根が弱いものは倒れてしまう。たとえ、ふがいない者であっても、助ける者が強ければ、倒れない。少々強い者であっても、独りであれば、悪い道では倒れてしまう』(御書一四六八ページ、通解)と。
 恩師は「戸田の命よりも大切な学会の組織」と
 ここに、組織が生まれる必要性がある。
 組織は、邪悪を防ぐ壁となる。
 また組織とは、確かな目標に向かって、まっすぐに走り、たがいに切磋琢磨しながら向上していくための「正しい軌道」を意味する。これが、組織が重要となるゆえんである。どの社会であれ、どの分野であれ、組織が存在する理由も、ここにある。
 なかんずく、恩師が「戸田の命よりも大切」と言われた創価学会の組織である。決して、派閥や信心利用、権威主義などの根本的な過ちがないよう、よくよく、心していかねばならない。
 将来のために、あえて申し上げておきたい。
 まことしやかな噂をささやかれ、事実無根の噂で苦しめられる――そういうことが起きたとしても、少しも動揺してはならない。それでは、自分が損をする。不動の精神で、毅然と広布に戦っていけばよいのである。
 大聖人は、弟子の四条金吾が、悪意の議言で苦しめられたとき、「妬む人間の作りごとでありましょう」(御書一一五七ページ、通解)と記述され、「少しも、へつらわずに振る舞い、語っていきなさい」(御書一一六四ページ、通解)と励ましておられる。
 いつの時代であれ、事実無根の噂をまいた本人は、いずれ、厳しい仏罰を受ける。
 皆さまご存じのとおり、ここ群馬には、作り話で同志をだました人間がいた。(逮捕され、懲役刑に服している)
 もし、事実無根の噂で苦しむ方がいれば、学会本部に遠慮なく言ってきていただきたい。
 また、仏意仏勅の組織にあって、「異体同心の団結」を崩す人間は、厳格に対処していくのは当然である。これが、牧口先生、戸田先生の時代からの伝統精神であるからだ。
 戸田先生は、清浄無比の広布の組織を守るために、徹して厳格であられた。
 折にふれ、先生は、次のように言われた。


(一)清浄な創価学会の組織を攪乱する者を追放せよ。
(二)自分は立派な信心を全うせず、あちらこちらで愚劣な批判ばかりしている邪魔者は追放せよ。
(三)御書を拝さず、学会の信心指導を受けず、学会に迷惑をかける者は、断固、追放せよ。
(四)金銭問題、男女問題で皆に迷惑をかけ、非難を受けるような者は、幹部を解任し、追放せよ。
(五)模範的な信行に励んできた方々は、「仏の使い」として、最大に尊敬し、大事にすること。
(六)派手な存在ではなく、地味な存在で、水の流れるごとき信心の方々を最大に大事にすること。
(七)作り話の報告、自分を守るための邪険な報告をする者に、十分、気をつけよ。場合によっては、幹部を解任すべきだ。
(八)勤行を怠け、おろそかにしている幹部は、絶対に信用するな。
(九)傲慢になって人を叱り、慈愛のない幹部は、組織悪であり、皆で忠告し、皆の協議で、幹部を辞めさせるべきだ。


 仏法は、「現当二世」と説く。過去を振り返るのではなく、つねに「現在から未来へ」生きゆく人生であるべきだ。
 いかに、過去に功労があったとしても、現在と未来に、愚痴や批判を繰り返し、人生の正しき軌道をはずれ、組織や学会に迷惑をかけるような人間になってはならない。それは、もはや敗北者であるからだ。
 ともあれ、尊き広布の同志に迷惑をかける悪い人間がいれば、真実をそのまま幹部に報告し、相談していただきたい。さらに、方面長、理事長、会長にも、遠慮なく相談していただきたい。場合によっては、解任や除名が必要になることもあろう。

 ただし、「言いつけ主義」は、絶対に禁物である。作り話は、仏罰を受けることはいうまでもない。

 2001年8月28日 群馬最高協議会

11月11日

第1552回

創価学会の「創立の精神」は
 「師弟の精神」!

 

<大誓願で今いる場所で一人立て>

 

 創立の月だ。
 創価学会の「創立の精神」とは
 「師弟の精神」である。
 牧口常三郎先生、戸田城聖先生の
 不惜身命の大闘争の中に、
 永遠の学会精神が輝いている。
 この精神を忘れれば、
 大切な和合のスクラムが、
 魔に分断されてしまう。
 どこまでも、
 師弟不二の大道を歩み抜くのだ。
 いかなる時も、私の心の中には、
 戸田先生がおられる。
 師弟とは、人間の究極の道である。
  
 名誉も、肩書も私財も眼中にない。
 ただ民衆のため、
 ただ皆の幸せのために
 叫びきっていく、戦い抜いていく、
 命をかけて走り抜いていく。
 これが学会の根本精神である。
  
 今、自分がいるその場所で、
 誓願を掲げて、一人立つのである。
 広布の大願を果たすために、
 断固と、新たな戦いを起こすのだ。
 その勇者の胸中にこそ、
 「創立」の精神は
 生き生きと脈動していく。
 その創価の同志の行動が、
 一人また一人と
 波動していくところに、
 日蓮大聖人の御振る舞いに直結した
 「法華経の行者」の群像が
 林立するのである。
  
 愛する青年たちよ!
 青年の魂を持てる
 地涌の同志たちよ!
 たゆまず朗らかに、
 広布拡大の大誓願に
 勇んで躍り立て!
 不思議なる縁に結ばれた我らは、
 「世界広布」即「世界平和」という
 人類のロマンに生き抜く旅を
 決意新たに始めよう。
 栄光輝く
 創立百周年の大海原を目指して!

 

2018年11月11日  〈池田大作先生 四季の励まし〉

11月9日

第1551回
「大闘争」即「仏」

 

<大闘争から百千万の福徳が>

 

 広宣流布は、この現実社会が舞台である。社会から離れて、口先だけ、格好いいことを言っても、何の価値もない。現実の中で魔軍と戦い続ける、「平和と正義の不滅の大闘争」が、広宣流布である。
 「大闘争」即「仏」である。
 「大闘争」即「永遠の生命の勝利者の証」である。
 一歩たりとも、後退してはならない。これが大聖人の厳命である。
 広布に戦えば、自分が得をする。生々世々、「仏」という絶対的幸福の生命に生まれてくる。
 宇宙には、地球と同じように″知的生命が存在できる星″が、一説には何十億もあるとされる。
 三世永遠の生命であるから、いずれの地であれ、思いどおりの大境涯に生まれ、所願満足の人生を歩み、広宣流布していくのである。
 あっという間の人生である。だからこそ、頑張りぬくことだ。
 大聖人の御在世も、臆病な弟子たちは皆、退転し、叛逆していつた。もっとも哀れであり、卑怯な姿であった。
 絶対に、退転だけはしてはならない。自分が損をするだけである。
どうせ生きるなら、広布に戦い、大福運をつかんだほうがいい。悠々と、心広々と、楽しく励ましあいながら、新たな前進を開始してまいりたい。(拍手)
 法華経には「百千万の福」が説かれている。(無量の諸仏を供養した功徳で、福徳にあふれた妙音菩薩の姿を述べたもの)
 戸田先生は言われていた。「『百千万の福徳』を得るのだ。『百千万の福徳』を出すのだ。そのために、広宣流布をするのである。広布の陣列に馳せ参じなさい。折伏に、勇んで馳せ参じなさい。そうしないと、自分が損をするよ」と。
 永遠に自分自身が「幸福の当体」となり、「仏」となる。そのための、今世の戦いと思い切りなさい――これが、大聖人の仰せである。また戸田先生の叫びであった。これを心に刻み、頑張ってまいりたい。
 広布の人には「百千万の福徳」がわくことを深く確信していただきたい。
 広宣流布という尊極なる「仏の仕事」をしておられる皆さまに、ウソの悪口をあびせ、いじめる悪人は、経文に照らし、御書に照らして、厳たる仏罰を受ける。そうでなければ、仏の言葉は虚妄になってしまう。悪人たちの最後は必ず惨めな大敗北の生命となることは間違いないのである。

 

2001年8月1日 第八回本部幹部会

11月4日

第1550回
ウソを見過ごし、
放置しては絶対にならない

 

<人間のウソは武器以上に怖い>

 

 カントは洞察している。
 「虚言は己れの人間たる尊厳の放棄であり、そうしていわば絶滅である」(『道徳哲学』白井成允・小倉貞秀訳、岩波文庫)
 だからこそ、ウソとはまっこうから戦いぬかねばならない。
 さらに、ナチスと戦ったフランスのロマン・ロランの魂の訴えに、こうある。
 「真に革命的な精神は、いかなる社会的虚偽をも容赦しない精神である」(『エセー』I、宮本正清、蛯原徳夫、新村猛、山口三夫訳、『ロマン・ロラン全集』18、みすず書房)
 人間のウソは武器以上に怖い。ウソを見過ごし、放置しては絶対にならない。これが戦いのいちばんの要である。牧口先生は、この「革命的精神」で戦いぬかれた。
 私も戸田先生のもとで、青年らしく戦った。
 当時、学会に対して、多くの中傷があった。偏見も、誤解もあった。
 私は青年室長として、渉外の矢面に立った。単身で乗り込み、人に会っては、堂々と正義を語った。その姿を見て、学会を中傷していた相手も、「立派な青年だ」と言っていた。そういうことさえあった。
 すべて、愛する同志を守り、恩師を守らんがための言論戦であった。

 

 2001年8月1日 第八回本部幹部会

10月31日

第1549回
断じて劣等感を持つな!
自分が今いるそこが最高の場所

 

<今いる場所で「華」と咲け!>

 

 十一月五日は、「男子部の日」であった。
 この日は、歴史を見れば、吉田松陰が、八畳一間の塾舎で「松下村塾」を始めた日にあたる。塾の建物が完成したのを機に、松陰は、みずからが指導する「松下村塾」を正式に開いたのである。
 それは一八五七年(安政四年)、鎖国から開国へと、日本中が混乱しているさなかであった。(一八五三年〈嘉永六年〉、アメリカのペリー艦隊が浦賀に来航し、江戸幕府に開国を要求。五八年〈安政五年〉には、大老・井伊直弼による反対派への大弾圧「安政の大獄」が始まる)
 松陰はその時、満二十七歳。学会で言えば、男子部の世代である。この二十七歳の青年指導者が、明治維新という、日本の「革命」の原動力となった人々を育てた。
 未来をつくるのは青年である。青年が大事である。
 戸田先生もよく、吉田松陰の話を青年部にしてくださった。
 「塾の建物」といっても、決して贅沢なものではなかった。物置小屋を改造して造った質素なもので、八畳の講義室が一間あるだけであった。
松陰は、この八畳間で、門下生たちと寝食をともにしながら、彼らを薫陶していった。
 人材を育てた松下村塾の心意気――今いる場所で「華」と咲け!
 偉らぶるのではない。彼は、いつも弟子と一緒、同志と一緒であった。
 門下生にとっては″頭がじんじんする″ような、真剣勝負の教育であり、鍛錬であった。魂に叩きこんでいくような訓練であった。
 松陰は、信念に殉じた勇者のことを語るときは、みずから感動で声を震わせた。皆もかくあれ、かく生きよ!――と。
 情熱みなぎる草創の学会の幹部の姿をほうふつさせる。リーダーは、それでこそ、友を立ち上がらせていける。
 また松陰は、卑劣な裏切り者の話になると、目をむき、声を張り上げ、髪の毛を逆立てた。
 こういう人間とは徹して戦えと、「人間の根本の道」を教えていった。

 これが、松陰の松下村塾であった。
 さて、松陰が「松下村塾」での教育の根底に置いた理念は、何であったか。
 さまざまに論じられるだろうが、本日は時間の都合もあるので、一点だけ申し上げたい。
 それは、簡単に言えば、″華やかな「中央」から遠く離れた、田舎の小さな村にいることに、断じて劣等感を抱いてはならない。自分が今いるところで真剣に努力していくならば、そこが最高の場所――「華」となる″との考えであった。(松下村塾のあった松本村は、本州のもっとも西の山口にあり、江戸から遠く離れていた。しかし松陰は、″ここから、必ず天下の人材が輩出する″と確信していた)
 仏法は「本有常住」「常寂光土」と説く。
 多くの偉人は、仏法に近づき、仏法の片鱗を説いているものである。
 どうか皆さまも、「自分がいるところを、最高に輝かせてみせる!」 「自分の組織から、偉大なリーダーを、必ずや育ててみせる!」と深く一念を定め、雄々しく進んでいただきたい。
 そのとき、人間は大きく花開いていく。そうやって進んできたから、今日の創価学会がある。
 環境ではない。一念で決まる。


 「学歴が何だ! 

  財産が何だ! 

  名声が何だ!

  社会的地位が何だ!

  そんなものに、とらわれるな!

  人生、何があろうと『信心』で進め!」。

 これが仏法者の魂である。

 

 2001年11月12日 第十一回本部幹部会、第一回関西総会、北海道総会、結成五十周年記念の男子部・女子部幹部会

10月30日

第1548回
今いる場所で輝く人に 

 

 今、社会では
 人間力が求められている。
 仕事上の能力だけでなく、
 直面した難局に、いかに挑み、
 いかに価値を創造するかが、
 問われる。
 だからこそ、
 辛抱強いことが大切なのだ。
 歯を食いしばって、
 一歩また一歩、
 前へ踏み出すしかない。
 不屈の負けじ魂で勝ち進むのだ。
  
 働くとは「はた楽」
 つまり「はた(そば)の人を
 楽にすること」だと、
 聞いたことがある。
 いかなる職業であれ、
 自分の立場を通して人々に喜ばれ、
 社会に役立っていこうという
 真心と誇りがあってこそ美しい。
 その真心と誇りから生まれる
 熱心さこそ、
 重い仕事をも軽くし、
 楽しい心をもって働く力なのだ。
  
 仏法は「即社会」である。
 「即職場」「即地域」であり、
 「即家庭」となるのである。
 「即」とは、信心の一念だ。
 人生は、
 さまざまな困難の連続である。
 しかし、
 信心の上では決して負けない。
 一歩も退かない。
 この一念が、「即」人生の勝利、
 社会での勝利を開くのである。
  
 人間だれしも、
 自分自身から逃れられない。
 どんなに環境を変えてみても、
 自分自身が変わらなければ、
 何も変わらない。
 自分自身が幸福をつくるのだ。
 福運をつけていくのだ。
 人間革命しかない。
 わが胸中に
 希望の火を赤々と燃やしながら、
 人間革命の大道を朗らかに進もう!

 

2018年10月28日  〈池田大作先生 四季の励まし〉

10月28日

第1547回

自分のいる場所を幸せにできない者が、

どこを、幸せにできるのか

 

 かつて戸田先生は、女子部を励まして、言われました。
 「自分のいる場所を幸せにできない者が、どこを、幸せにできるのか」と。
 今、自分がいる、その場所で幸せになることです。環境がどうあれ、自分自身が太陽になって、輝いていくことです。そこから一切が開けていくのです。
 全員が幸福を勝ち取れ!
 そのために使命の戦いを!
 幸福は、戦う汝自身の胸の中にある!
 ――これが、戸田先生の厳愛の薫陶でありました。
  ともあれ、大海に浮かぶ、この現実の社会を、幸福と平和の世界に向かって、リードできるか。それとも、不幸と戦乱の渦巻く社会へと流されてしまうのか。
 現実は厳しい。一寸先はわからない。個人も、国も、人類も――。
 仏法において、それは、「人間尊敬」の勢力と、邪悪なる「人間蔑視」の勢力との、しのぎを削る勝負によって決せられていくと明かしております。
 だからこそ、正義の民衆は、また正義の女性は、そして、正義の青年は、断じて負けてはならない。断じて勝たなければならない。それが日蓮 大聖人の御遺命であります。戸田先生も、いつも、そう言っておられました。
 勝ちましょう! 勝って、勝って、勝ちまくりましょう!

 

  2001年7月10日「7・3」記念首都圏婦人部代表幹部会

10月26日

第1546回

ジェーン・アダムス
正義が確立・安定するまで止まってはならない

 

<克服できない困難はない>

 

 デューイ博士が、心から敬愛し、ともに行動し、大きな啓発を受けてきた一人の女性がおります。その人は、貴・研究センターのあるイリノイ州の出身で、アメリカで女性初のノーベル賞に輝いたジェーン・アダムズ先生であります。(社会福祉事業家・平和運動家。一九三一年、ノーベル平和賞受賞)
 彼女こそ、「アメリカの女傑」と呼ばれた、人道と平和の女性闘士であります。(中略)
 アダムズ先生は、地域に根を張って、もっとも苦しみ、悩む庶民の友となり、そして、自分のことしか考えない政治家と戦いながら、女性の参政権を勝ち取った。さらに、だれもがあきらめていた「民衆のための改革」を見事に成し遂げました。
 「女性の力」は偉大であります。彼女は、こう語っております。
 「この事業は、(中略)常に自分たちの足で歩いたのである。困難はもちろんあったが、どれ一つとして克服できないものはなかった」(『ハル・ハウスの20年』市川房枝記念会・縫田ゼミナール訳、市川房枝記念会出版部)
 「自分たちの足で」――何の報酬も、見返りも求めずに、ひたすら、平和のために歩く皆さまと同じである。
 そしてさらに彼女は言う。「正義を確立するためにいかに時間がかかろうとも、また、そのためにいかに困難な道を歩もうとも、正義が安定するまで止まってはならない」(『ハル・ハウスの20年』柴田善守訳、岩崎学術出版社)と。仏法の「勇猛精進」にも通じる、立派な姿であります。(中略)
 「進まざるは退転」であります。眼前の自分の使命のために勝つことです。断固として勝つことです。「生きる」とは、「戦う」ことです。動物も、植物も、すべて、戦っています。
 民主主義も、戦って、戦って、勝ち取るものであります。その断固たる勝利によって、自分自身の生命が、また、自分に連なる一族・眷属が、永遠に成長し、永遠に勝ち栄えていく、厳たる因を刻むことができるのであります。
 デューイ博士は、八十歳のとき、こう語りました。
 「私の人生哲学は本質的には単純な言葉だが辛抱強く頑張るところにある」(G・ダイキューゼン『ジョン・デューイの生涯と思想』三浦典郎・石田理訳、清水弘文堂)
 「辛抱強く」――これが人生の勝利の根本です。辛抱強い人間には、だれ人も、かなわない。「辛抱強さ」は最高の武器です。
 これまで学会は、数々の難にあいながら、すべて乗り越えてきた。いかなる権力の策謀をもってしても倒せなかった。学会は、「辛抱」と「忍耐」で勝利してきたのです。

 

 2001年6月6日 アメリカ・デューイ研究センター人間教育貢献賞授賞式、関東婦人部代表幹部会、「6・30」結成記念の学生部大会

10月26日

第1545回

デューイ博士と牧口先生

 

<行動の哲学に生き抜く>

 

 さて、デューイ博士と牧口先生は、ともに、人間教育者として、「行動の哲学」に生きぬきました。みずからが、信念と勇気に燃えて、よりよき社会へ、つねに何か価値を創造しながら、あとに続く青年たちを、生き生きと、伸び伸びと育んでいったのであります。
 博士は、政治の腐敗を正していくために、選挙の支援活動にも積極果敢に取り組みました。民主主義を強化するためには、市民が、また学生が、  容赦なく政治を監視し、大いに声を上げていくべきだからであります
 さらに博士は、ヒトラーやスターリンなど、右であれ、左であれ、民主主義を脅かす独裁的な権力とは、まっこうから戦った。そのため、不当な人身攻撃の標的にもされました。しかし、迫害こそ、正義の人生の誉れであります。
 いわんや、仏法において、法のための行動ゆえの「悪口罵詈」は、仏になる現証であり、最高の誉れであります。絶対に恐れてはならないと、日蓮大聖人は教えてくださっております。

 

 2001年6月6日 アメリカ・デューイ研究センター人間教育貢献賞授賞式、関東婦人部代表幹部会、「6・30」結成記念の学生部大会

10月26日

第1544回

デューイ博士と日本

 

<傲慢とは戦え!ウソを許すな!>

 

 世界市民の模範であるデューイ博士は、八十年ほど前、中国と日本を訪問しました。(一九一九年〜一九二一年)
 博士は、日本の権力が、隣国に対して傲慢であり、しかも、そうした悪をウソでごまかし、隠そうとしていることに、強い怒りを示しております。
 ウソに対して、博士は、まことに鋭く、そして厳しかった。当然でありましょう。なぜならば、陰湿なウソに毒され、騙される人間が多ければ、権力の害悪は、ますます、はびこる。そして、目隠しされた大衆は操作され、正義の人間は嫉妬の讒言によっておとしいれられる。さらにまた、他国との友好を踏みにじる国家主義の狂った暴走が始まってしまうのです。
ゆえに、悪意のウソは断じて許してはならない。それが歴史の教訓であります。
 現在の日本も、この一点を厳しく監視していかねばならないのです。なお、当時、日本から叙勲の打診を受けたデューイ博士が、その勲章制度が「非民主的」であるという理由から、きっぱりと辞退したことも、有名な史実であります。

 

 2001年6月6日 アメリカ・デューイ研究センター人間教育貢献賞授賞式、関東婦人部代表幹部会、「6・30」結成記念の学生部大会

10月25日

第1543回

困難よ来れ!

大闘争に大福運が

 

<「戦う心」難即安楽>


 御書では、「法華経の行者」は「求羅」という虫に譬えられている。
 「求羅」は、その身はきわめて小さいが、風を受けると、それを食べて非常に大きくなり、一切を飲み込む。想像上の虫とされる。決して、グラグラしている酔っぱらいのことではない。(爆笑)
 大聖人は「大風吹けば求羅は倍増するなり」と仰せである。有名な御書である。
 日々、御書を拝することだ。多忙であっても、もう一度、挑戦していただきたい。御書にふれれば、わが生命が大きく変わる。人生勝利の大確信がわく。
 さて、この「求羅」を倍増させる「大風」とは、いったい何か。それは、「大難」であると、大聖人は明快に示されている。
 法華経の行者は、大難との大闘争があるほど、ますます生命力が増し、福運が増し、勢いが増す。一切を人間革命へのエネルギーにして、変毒為薬しながら、自分を大きくしていける。大境涯を開いていける。だからこそ大聖人は、″いかなる苦難があろうと、いよいよ喜び勇んで戦いぬきなさい″″難が来たら安楽と思え″と仰せなのである。
 「広宣流布へ戦う心」があれば、仏になれる。いくら信心をしていても、「戦う心」がなければ、仏になれない。臆病は畜生の生命である。
学会は、「戦う心」で走ってきた。だから、世界に発展した。「戦う心」――これが、わが創価学会の真髄であり、仏法の魂であると宣言したい。

 

  2001年6月27日第七回本部幹部会、第二回全国青年部幹部会、第一回中部総会・静岡総会、第六回関西青年部総会、第一回全国学生部幹部会

 

世界広布新時代

創立90周年へ

「創価勝利の年」

(2019年)

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

更新日

2018.12.10

第1568

 

日天月天ワンショット

日めくり人間革命URL