日めくり一週間

8月7日

第1518回

日韓青年友好大会

日韓の青年部がスクラム組んで模範の前進を

 

どんな逆境も変毒為薬し、

どんな宿命にも打ち勝つ自分の力に目覚め、

人のため、社会のために戦う喜びに目覚めよう!

 

一、はつらつたる「日韓青年友好大会」の開催、誠におめでとう!
 世界広布新時代を先駆する韓国の青年部の皆さん、猛暑の中、また忙しいところ、万難を排して、よくぞ来日してくれました。本当にご苦労さまです。
 学会創立100周年の主役である両国リーダーの本日の集いが、どれほど意義深いか。何よりも御本仏・日蓮大聖人が皆さんを最大に讃嘆されています。これほどうれしい、これほど頼もしいスクラムはありません。ありがとう! 本当にありがとう!
 本年5月には、日本の「韓国青年友好交流団」が熱烈に歓迎していただきました。その感謝を込め、改めて万雷の大拍手をもって盛大にお迎えしようではありませんか!(大拍手)
 一、日蓮大聖人は、「法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけ(魁)したり、わたうども(和党共)二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし」(御書910ページ)と仰せになりました。
 それは、文化大恩の国・韓国から仏教が伝来して700年を経てのことでありました。さらに、それから、くしくも同じく700年を経て、この御本仏の師子吼に応えて立ち上がったのが、仏意仏勅のわが創価学会であります。
 そして、真っ先に仏法西還へ、一閻浮提広宣流布へ先駆し、二陣三陣の人材の流れを起こしたのが、韓国の誉れの同志なのです。
 若き創価の地涌の菩薩は、一人ももれなく、満を持して、この時に、それぞれの宿縁の国土へ躍り出ました。若くして偉大な妙法を持った皆さんは、わが偉大な使命を晴れ晴れと自覚し、誓願の題目を唱え抜いて、いかなる試練も勇敢に勝ち進み、一人ももれず最高の栄光の青春を生き切っていただきたい。
 韓国の大詩人・趙芝薫の言に、「逆境をチャンスと受け止められてこそ、苦がそのまま楽となる境地を得られる」(『趙芝薫全集4 随筆の美学』ナナム出版)とあります。
 今、世界中で多くの青年が、生き生きと仏法哲学を学び、どんな逆境も変毒為薬し、どんな宿命にも打ち勝つ自分の力に目覚め、人のため、社会のために戦う喜びに目覚めています。そして、若き世界市民の平和の大連帯を広げて、未来の希望と輝いています。
 その中で、最も要となる日韓の青年部がスクラムを組んで模範の前進をしていけば、世界広布新時代の確固たる軌道が前途洋々と広がりゆくことは絶対に間違いありません。
 一、今月、釜山の地で「法華経展」が開催されます。大成功の展示会となるよう、私も心より祈っています。
 法華経方便品に、「如我等無異」とあります。仏の目的は自分と等しい境地に衆生を導くことにあるということです。その意味で、広宣流布は、人類の精神性と境涯を最高に高めゆく崇高なる挑戦でもあります。
 皆さんは、この共生と生命尊厳の大哲理を掲げ、先陣を切って、自他共の人間革命の運動を自身の周囲から展開していってください。
 仕事や学業などでも、自分らしく努力を積み重ね、勝利の旗を打ち立て、立派な広布と社会のリーダーとして信頼を広げていってほしいのです。
 恩師・戸田城聖先生は、悪戦苦闘する青年たちを励まされました。
 「君たちは、将来は、それぞれの立場で、必ず第一人者になる人だ。ゆえに若いうちは、むしろ苦しんで、いろんなことを体験し、視野の広い実力を養っていくのです」と。
 一、ともあれ、皆さん方の福運はあまりにも深く、使命はあまりにも大きい。
 日蓮大聖人の太陽の仏法が世界中で輝き、社会を照らしていくのは、いよいよこれからであり、その一切の担い手こそ、皆さんなのです。
 ともどもに新たな日韓の虹の懸け橋を渡りながら、世界広布新時代の幸福拡大、友情拡大、平和拡大へ勇躍前進していこうではありませんか!
 私は、妻と共に、これからも愛する皆さん一人一人の健康と活躍と幸福勝利の人生を祈り、題目を送り続けていきます。心はいつも皆さんと一緒です。いつまでも、どこまでも、見守っていきます。
 日韓青年部の永遠の友情、万歳! 
 日韓青年部の皆さんに、栄光凱歌あれ!(大拍手)

 

日韓青年友好大会への池田先生のメッセージ   2018年8月5日

 

8月3日

第1517回

人生抄「生死」より

 

 

運命や偶然は
より深い法のうえでの因果の現象

 

 運命とは原因、結果の法の枠外にあるものではなく、より深い法のうえでの原因、結果の現象のあらわれにほかならない。
 それを偶然と考え、運命とよぶのは、その”法”の実在を知らないからである。といったら言い過ぎであろうか。

 

 

真の長寿は

この生命が、どれだけの仕事をやりきったか

 

 ただ、人はこのおのおのの、生きうる人生に真剣にとりくみ、偉大な仕事をなしとげることによって、五十年の人生を百年にも千年にも匹敵する人生とすることができる。
 ――真の長寿は、この肉体が何年間、生体活動をつづけたかではなく、この生命が、どれだけの仕事をやりきったか、によって判定されるべきものであろう。

 

生命へのアプローチは

直観智によるべきである

 

 生命へのアプローチは、科学の本領である分析と総合によるのではなく、直観智によらなければならない。
 それは、すぐれて主観的なものであり、生きている自己への生命感である。人間の幸、不幸の諸相は、この生命感の変化相以外のなにものでもないからである。

 

生命は
それ自体が作者であり、作品なのである。

 

 生命ほど不思議なものは、他にあるまい。人体のもつ機能の側面を、機械に見立てている人もいるようである。
 よしんば、機械と見ることができたとしても、これほど見事な機械は、近代科学のあらゆる方法をもってしてもつくることはできない。
 しかも、機械は他に作製者がある。この生命という機械は、それ自体が作者であり、作品なのである。

 

人生抄 121頁~122頁

 

7月28日

第1516回

弟子が本当に勝負すべき時

 

<師が、直接、指揮を執らなくなった時こそが勝負>

 

出でよ!戦う勇者よ!

 

 彼は、すべての質問に、率直に答えた。
 午後八時前、記者会見は終わった。
 受付の女子職員が、心配そうな顔で伸一を見ていた。彼は、微笑を浮かべて言った。
 「大丈夫! 私は何も変わらないよ!」
 それから別室に移り、青年部幹部らと懇談した。彼は魂を注ぎ込む思いで訴えた。
 「私が、どんな状況に追い込まれようが、青年が本気になれば、未来は開かれていく。
 弟子が本当に勝負すべきは、日々、師匠に指導を受けながら戦っている時ではない。それは、いわば訓練期間だ。師が、直接、指揮を執らなくなった時こそが勝負だ。
 しかし、師が身を引くと、それをいいことに、わがまま放題になり、学会精神を忘れ去る人もいる。戸田先生が理事長を辞められた時もそうだった。君たちは、断じてそうなってはならない。私に代わって、さっそうと立ち上がるんだ! 皆が“伸一”になるんだ!」
 彼が聖教新聞社を出て、自宅に向かったのは、午後十時前のことであった。
 空は雲に覆われ、月も星も隠れていた。
 これで人生ドラマの第一幕は終わったと思うと、深い感慨が胸に込み上げてくる。
 すべては、広布と学会の未来を、僧俗和合を、愛するわが同志のことを考えて、自分で決断したことであった。彼は思った。
 “これからも、学会の前途には、幾たびとなく怒濤が押し寄せ、それを乗り越えて進んでいかなくてはならないであろう。私が一身に責任を負って辞任することで、いったんは収まるかもしれないが、問題は、宗門僧らの理不尽な圧力は、過去にもあったし、今後も繰り返されるであろうということだ。それは広宣流布を進めるうえで、学会の最重要の懸案となっていくにちがいない。
 学会の支配を企てる僧の動きや、退転・反逆の徒の暗躍は、広宣流布を破壊する第六天の魔王の所為であり、悪鬼入其身の姿である。信心の眼で、その本質を見破り、尊き仏子には指一本差させぬという炎のような闘魂をたぎらせて戦う勇者がいなければ、学会を守ることなど、とてもできない。広宣流布の道も、全く閉ざされてしまうにちがいない”
 未来を見つめる伸一の、憂慮は深かった。

 

新・人間革命 第30巻 上 大山 85頁

7月16日

第1515回
創価の師とは、
現代に出現した「地涌の菩薩」の棟梁

 

<師弟の結合こそが創価の生命線>

 

  伸一は、首脳幹部の一人ひとりをじっと見つめた。皆、眉間に皺を寄せ、口を開こうとはしなかった。長い沈黙が続いた。
 伸一が、一人の幹部に意見を求めると、つぶやくように語った。
 「時の流れは逆らえません……」
 なんと臆した心か――胸に痛みが走った。
 伸一は、自分が頭を下げて混乱が収まるならば、それでよいと思っていた。辞任は避けられないかもしれないとも考えていた。また、皆が対応に苦慮し続けてきたことも、よくわかっていた。しかし、それにしても不甲斐ないのは“時流”という認識である。
 “ただ状況に押し流されて、よしとするなら、いったい学会精神はどこにあるのか! 大事なのは、広宣流布のために学会を死守しようという奥底の強い一念ではないか!”
 伸一の声が静寂を破った。
 「わかった。私は、法華講の総講頭も、学会の会長も辞めよう。一切の責任を負う。それでいいんだな! すべては収まるんだな!
 しかし、会長の辞任は、宗門ではなく、学会が決めることだ。私が会長を辞めるのは、前々から考えてきたことであり、学会の未来を開くためだ」
 伸一には、“宗門が創価学会の会長を圧力で辞めさせるなどという前例を、絶対につくってはならない。また、そんなことになれば、宗門の歴史に、永遠に汚点を残すことになるだろう”との思いもあったのである。
 戦後、宗門が危殆に瀕した時、外護の赤誠をもって、それを救ったのは学会である。そして何よりも学会は、伸一を先頭に死身弘法の戦いをもって、実際に大聖人の御遺命通りに広宣流布を推進し、世界に妙法を流布してきた唯一無二の仏意仏勅の団体だからだ。
 伸一の話に感極まった首脳が言った。
 「先生! 誠に申し訳ありません……」
 広布の道は、第六天の魔王との壮絶な闘争である。信心をもって、その魔を見破り、戦い、勝ってきたからこそ、学会は広宣流布の大潮流をつくることができたのである。
 戸田城聖は、弟子たちに、「第三代会長を守れ! 絶対に一生涯守れ! そうすれば、必ず広宣流布できる」と遺言していた。ここに、常勝の道を開く団結の要諦がある。
 伸一は、自分を守ってもらいたいなどという気持ちはなかった。しかし、恩師が広宣流布のために言い残した精神を皆が忘れかけていることに、心が震撼する思いがした。
 彼は、学会の前途を見すえながら、祈るような気持ちで首脳幹部に言った。
 「私は師子だ! 何も恐れはしない。皆も師子になれ! そうでなければ、学会員がかわいそうだ。烈々たる闘争心と勇気をもって、創価の師弟の大道を歩み抜くのだ。その一念が不動ならば、いかなる事態にも学会は揺らぐことはない。戸田先生は見ているぞ!
 彼は席を立ち、部屋を出ていった。
 窓の外で、桜の花が舞っていた。
 伸一は、その花を見ながら、牧口常三郎と戸田城聖の師弟の大闘争を思った。
 一九四三年(昭和十八年)六月、国家神道を精神の支柱にして戦争に突き進む軍部政府の弾圧を恐れ、宗門は「学会も一応、神札を受けるようにしてはどうか」と言いだした。
 牧口は、それを拒否し、大難を覚悟で国家の諫暁に立ち上がった。その時、弟子の戸田もまた、死身弘法の決意を固めたのである。そして、牧口と共に逮捕・投獄された戸田は、獄舎の独房にあって、“罪は私一身に集まり、先生は一日も早く帰られますように”と、ひたすら祈り続けたのだ。
 宗門が謗法の濁流に没しようとしていたなかで、師弟のこの魂の結合が、日蓮大聖人の正法正義を守り抜いたのである。牧口は獄中にあって殉教するが、生きて獄門を出た戸田は、師の遺志を受け継いで学会を再建し、日蓮仏法の悠久なる流布の道を開いていった。
 創価の師とは、広宣流布を誓願し、現代に出現した「地涌の菩薩」の棟梁であり、前進の主軸である。そこに弟子の一念が噛み合ってこそ歯車は大回転を開始する。ゆえに、師弟の結合こそが創価の生命線となるのだ。

 

新・人間革命 第30巻 上 大山 34頁

7月8日

第1514回
広宣流布の「大願」に生き抜け!

 

<小我から大我へ>

 

 大いなる理想に向かって進む
 「向上の人生」――
 その人には、
 いつも希望がある。
 充実がある。感動がある。
 内面からあふれ出る
 生命の輝きがあり、
 何ともいえない魅力がある。
 
 人間は、孤独に陥り、
 自分ばかりが大変なのだと思うと、
 悲観的になり、
 心も弱くなってしまうものだ。
 しかし、自分より、
 もっと大変ななかで
 頑張っている人もいる。
 それを知れば、勇気が湧く。
 そして、
 悶々と悩む自分を見下ろしながら、
 むしろ、試練と戦う友を
 励ませる自分に成長できる。
 苦難の時こそ、
 勇気ある信心を奮い起こし、
 生命の苦悩の流転を断ち切り、
 境涯を開いていくチャンスなのだ。
 
 大きな目的のために
 「行動」すれば、
 それだけ自分の「夢」が広がる。
 大きな「歴史」が輝く。
 私たちも
 広宣流布の「大願」に生きぬく時、
 自分の「小我」は
 「大我」となっていく。
 法のため、人のために
 「行動」した分だけ
 「大きな自分」となる。
 それは即「大きな幸福」である。
 
 我らの挑む広宣流布の戦いは、
 この地球上に共に生きる
 全ての人々を
 幸福にしていこうという、
 大いなる夢への挑戦である。
 なれば、
 大空を見上げながら、
 心広々と朗らかに、
 粘り強く進むのだ。

 

池田大作先生 四季の励まし「勇気ある信心」を今こそ   2018年7月8日

6月26日

第1513回
世界宗教の条件

 

 「宗教」があって「人間」があるのではない。「人間」があって「宗教」があるのである「人間」が幸福になるための「宗教」である。この道理をあべこべにとらえ、錯覚してしまうならば、すべてが狂っていく――山本伸一は、ここに宗門の根本的な誤りがあったことを指摘し、未来を展望しつつ訴えた。
 「日蓮大聖人の仏法は『太陽の仏法』であり、全人類を照らす世界宗教です。その大仏法を奉ずる私どもの前進も、あらゆる観点から見て、“世界的”“普遍的”であるべきです。決して、小さな閉鎖的・封建的な枠に閉じ込めるようなことがあってはならない」
 御書に「日輪・東方の空に出でさせ給へば南浮の空・皆明かなり」(八八三ページ)と。「南浮」とは、南閻浮提であり、世界を意味する。太陽の日蓮仏法は、あらゆる不幸の暗雲を打ち破り、全世界に遍く幸の光を送る。
 さらに伸一は、宗門事件に寄せられた識者の声から、

 世界宗教の条件について語った。
 ――それは、

 「民主的な“開かれた教団運営”」

 「『信仰の基本』には厳格、『言論の自由』を保障」

 「『信徒参画』『信徒尊敬』の平等主義」

 「『儀式』中心ではなく、『信仰』中心」

 「血統主義ではなく、オープンな人材主義」

 「教義の『普遍性』と、布教面の『時代即応性』」

 である。
 また、彼は、戸田城聖の

 「われわれ学会は、御書を通して、日蓮大聖人と直結していくのであるとの指導を紹介。学会は、どこまでも御書根本に、大聖人の仏意仏勅のままに、「大法弘通慈折広宣流布」の大願を掲げて、行動し続けていることを力説した。
 そして、誰人も大聖人と私どもの間に介在させる必要はないことを述べ、あえて指導者の使命をいえば、大聖人と一人ひとりを直結させるための手助けであると訴えた。
 牧口初代会長、戸田第二代会長は、御本仏の御遺命通りに死身弘法を貫き、大聖人門下の信心を教え示した。創価の師弟も、同志も、組織も、御書を根本に大聖人の御精神、正しい信心を、教え、学び合うためにある

 

小説「新・人間革命」 誓願 七十六   2018年6月25日

 

6月24日

第1512回
竜女の成仏

 

<「我が成仏を観よ」>

 

 『夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり、これをさとるを仏といふ・これにまよふを凡夫と云う、これをさとるは法華経なり、もししからば法華経をたもちたてまつるものは地獄即寂光とさとり候ぞ、たとひ無量億歳のあひだ権教を修行すとも、法華経をはなるるならば・ただいつも地獄なるべし、此の事日蓮が申すにはあらず・釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏の定めをき給いしなり、されば権教を修行する人は火にやくるもの又火の中へいり、水にしづむものなをふちのそこへ入るがごとし、法華経をたもたざる人は火と水との中にいたるがごとし、法華経誹謗の悪知識たる法然・弘法等をたのみ・阿弥陀経・大日経等を信じ給うは・なを火より火の中・水より水のそこへ入るがごとし、いかでか苦患をまぬかるべきや、等活・黒繩・無間地獄の火坑・紅蓮・大紅蓮の冰の底に入りしづみ給はん事疑なかるべし、法華経の第二に云く「其の人命終して阿鼻獄に入り是くの如く展転して無数劫に至らん」云云。
  故聖霊は此の苦をまぬかれ給い・すでに法華経の行者たる日蓮が檀那なり、経に云く「設い大火に入るも火も焼くこと能わず、若し大水に漂わされ為も其の名号を称れば即ち浅き処を得ん」又云く「火も焼くこと能わず水も漂すこと能わず」云云、あらたのもしや・たのもしや、詮ずるところ地獄を外にもとめ獄卒の鉄杖阿防羅刹のかしやくのこゑ別にこれなし、此の法門ゆゆしき大事なれども、尼にたいしまいらせて・おしへまいらせん、例せば竜女にたいして文殊菩薩は即身成仏の秘法をとき給いしがごとし、これをきかせ給いて後は・いよいよ信心をいたさせ給へ、法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり』(上野殿後家尼御返事、1504頁)
 大聖人は、提婆達多品に説かれる竜女の即身成仏を通して、さらに励ましを送られています。
 ここで、竜女の成仏の劇を追ってみたい。
 経文では、文殊師利菩薩が、竜宮において、竜王の娘である8歳の竜女が菩提を成じたことを報告すると、智積(ちしゃく)という菩薩は、とても信じられないと言下に否定します。それは、仏の覚りは菩薩が無量劫の間、難行苦行を重ねて初めて得られるものであり、女性は成仏できないと決めつけていたからです。
 ところが、その智積菩薩の前に、忽然と竜女が姿を現し、釈尊にこう誓います。
 「唯仏のみ当に証知したまうべし 我は大乗の教えをひらいて 苦の衆生を度脱せん」(法華経407頁)
 仏だけが自分の成仏を知ってくださっています。だれが何と言おうと、私は、自分を救ってくれた妙法の力で、人々を救っていこう――報恩と一体不二となった。この竜女の誓願は、なんと力強いことでしょうか。(中略)
 竜女は、智積菩薩や舎利弗の前で、宝珠を釈尊に捧げます。ここで表されている宝珠は、仏性です。一切衆生が生まれながらに、平等に仏性を具えていることを示しているのです。
 竜女は、幼い女性として、即身成仏を示しました。ありのままの姿によって、一切衆生に無限の希望を与えることができたのです。(中略)
 竜女は、智積菩薩らに宣言します。
 「我が成仏を観よ」(法華経409頁)
 竜女が、こう言い切って即身成仏の姿を示した光景は、病や人生の苦難を打開しゆく同志と二重写しになります。
 「わが姿を見よ」と、誇らしく、宿命と戦う尊貴な自分の生命を堂々と開き示していく。「宿命」を「使命」に転ずる逆転劇こそが、仏法の偉大さの証明になるのです。
 さらに、「普く十方の一切衆生の為に、妙法を演説する」(同頁)と、竜女は一切衆生のために法を説いていきます。
 その誓願の行動を目の当りにした衆生は、「心大いに歓喜して、悉く遙かに敬礼(きょうらい)」(同410頁)したのです。
 「心は大いに歓喜(心大歓喜)」です。一人の生命の輝きが、周りの人を歓喜させていく。暗闇の中に、一つの明かりがともり、それに感応して、周りがいっせいに輝きだすような希望の連動です。(中略)
 一般的な成仏観は、はるかかなたの高い頂上を目指して、どこまでも険難な山道を登り続けます。あまりにも困難で、山頂にたどり着けるかどうか分からない。また、自分のことで精いっぱいで、人ことまで関われません。
 大聖人の仏法は、まったく異なります。だれもが、瞬間に、頂上の高みに到達できる教えなのです。それが「受持即観心」の妙法の大功力なのです。
 そびえ立つ山頂から、周囲をはるかに見下ろしていける大境涯に、今この瞬間に、その身のまま、今いる場所で到達できるのです。
 しかし、この大仏法の功徳は、そこでとどまるものではありません。
 日蓮仏法の真実の醍醐味は、仏界の山頂から、九界の麓へ勇んで向かい、人々にこの喜びを伝え抜いていくところにあります。現実の世界の中で、妙法を語り、自らの実証を示し、希望の行進を広げていく。そして、今度は、大勢の民衆と共に大歓喜の山頂に登り立つ。仏界から九界へ、そして皆と一緒に九界から仏界へ。この歓喜の往復の連続こそが、我らの広宣流布の行動なのです。(後略)


 大白蓮華2018年6月号№824 15頁~

 

6月17日

第1511回

広布は「一人」から始まる

 

<本当に「日蓮と同意」の心をもった、

本当の「学会の同志」と一緒に>


 一、思えば牧口先生は、昇りゆく旭日のような勢いで、「価値創造」の青春を生き抜かれた。そして真っ赤な太陽が黄金の光を放ちゆくように、荘厳な人生の総仕上げを飾られた。
 素晴らしき夕日は、素晴らしき明日を約束する。西空を黄金に染めて沈む夕日は、明日の晴天を約束する。同じように今世の偉大なる安祥の「死」は、「永遠の幸福」を約束する。
 悔いなく広宣流布に生ききった一生は、三世永遠に仏界の大境涯へと輝きわたっていく。
 ゆえに「一生成仏」の大道を進め! 今世を広宣流布に生き抜け! そう日蓮大聖人は、厳しく教えられているのである。


「毅然たる信心」で

 

 一、戸田先生は、大確信をもって語られた。
 「大聖人のおことばを信じて、この(法華経の)鏡に照らしてみるならば、(牧口)先生は法華経流布の国のなかの、もっとも徳清らかな王家に、王子として再誕せらるべきこと、堅く信じられるべきで、先生の死後の幸福は、吾人(=私)に何千、何万倍のことか、ただただ、おしあわせをことほぐ(=祝福する)ばかりである」と。
 生命が存在する天体にしても、この地球だけではない。数多く存在するとされる。そこには、多くの「法華経流布の国」があると考えられる。
 ゆえに戸田先生は、御書に照らし、法華経に照らして明言された。
 ――牧口先生は素晴らしき「法華経流布の国」の、素晴らしき王家に、王子としてお生まれになられることだろう。それほど牧口先生の幸福は計り知れない。われわれの何千何万倍である、と。
 一、牧口先生、戸田先生に連なる学会員も、この一生を広宣流布に生ききったとき、皆、こうした永遠の勝利と栄光に包まれゆくことは、絶対に間違いない。ゆえに、負けてはならない。何があろうと「毅然たる信心」を貫くことである。
 御書に「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」(1143頁)とある。
 また、「南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」(467頁)と。
 はかない、夢のような一生である。「一生はゆめの上・明日をごせず」(1163頁)である。明日がどうなるかさえ、だれもわからない。いわんや永遠はわからない。
 いかなる富も地位も名声も、はかなき夢のごときものである。死後に持って行けるわけでもない。そのなかで、私どもは永遠の妙法を唱え、弘め、広宣流布に命を燃焼させている。これ以上の崇高な生き方はない。学会活動にこそ、人生の無上道がある。


太陽はわが胸中に

 

 一、また、大宇宙の一切は、「南無妙法蓮華経」の力用である。その「南無妙法蓮華経」という根本の法は、私どもの胸中にある。何と素晴らしいことか。
 太陽は今日も昇る。私どもも、題目を今日も唱え、胸中に太陽を昇らせていく。ひとたび太陽が昇れば、すべてが照らされていく。
 わが「生命の太陽」を赫々と燃やしながら、今日も祈っていこう、戦っていこう、生き抜いていこう、人生の福運をつくっていこう。ここに究極の幸福の軌道がある。
 どうか、「黄金の一日一日」を信心で勝ち取っていただきたい。この現実の「娑婆世界」「忍耐の世界」で、晴れ晴れと勝っていただきたい。
 一、牧口先生は、千葉で立宗された大聖人の御姿を通して、学会員を励まされた。1939年(昭和14年)、折伏のために九州に足を運ばれたときのことである。
 当時は、列車の長旅である。今のように飛行機はない。高齢(67歳)のお体には、相当こたえたはずである。しかし、先生は、法のためならば、いかなる労もいとわれなかった。
 その折、初対面のある婦人も、

 

 牧口先生の青年のようなすがすがしい音声、

 絶対の確信、

 誠実と慈愛の姿

 に感動して入会を決意する。
 声が大事である。

 確信が大事である。

 姿が大事である。

 すべて諸法実相である。


 牧口先生は、その発心した婦人に、こう語りかけ、心にクサビを打ち込まれた。
 「あなたが御本尊をいただくということは、仏法の原理に照らして、九州の全民衆が不幸という悩みから救われることになるのです!」
 「一人立て!」である。どの地でも、広宣流布は常に「一人」から始まる。 

妙法の種は必ず花開く

 

 一、牧口先生は、その時、「諸法実相抄」の一節を拝された。
 「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし」(1360頁)
 そして先生は、しみじみと語られたのである。
 「大聖人も千葉の嵩が森で第一声を放たれたときは、お一人でした。今、あなたが九州で一人、この最高の御本尊に向かって南無妙法蓮華経と唱えるということは、地涌の義によって、九州にも必ず、二人、三人、百人と御本尊を持つ人があらわれるということなのです」
 この言葉の通り、牧口先生が自ら蒔かれた妙法の種は、見事に花開いている。
 一、大聖人は、「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(同頁)と仰せである。
 ただ「拝んでいる」だけでは、「日蓮と同意」にはならない。折伏をやろう! 広宣流布をやろう!――この心の炎が燃えている人が「日蓮と同意」なのである。その意味で、まさしく「日蓮と同意」で戦い抜かれた象徴が牧口先生である。
 「日蓮と同意」の団体は、現在も、未来においても、断じて創価学会しかない、と申し上げておきたい。
 本当に「日蓮と同意」の心をもった、本当の「学会の同志」で一緒に邁進しましょう!
 どうか、健康第一で、朗らかに、何ものをも乗り越えて、一日一日、福運を積んでいっていただきたい。
 私も、皆さまの健康、長寿、幸福、裕福を祈り続けたいと思っている。
 本日、お会いできなかった方にも、くれぐれもよろしくお伝えいただきたい。
 長時間、ありがとう!

 

世界広布新時代第35回本部幹部会で紹介された「1997年1月の本部幹部会」 2018年6月13日 

 

6月9日

第1510回

母なる地球は人間が「共に暮らす家」

 

もう一つの世界は可能である


 世界の青年たちよ!

 人類の重要な挑戦のために連帯し、

 自らの人生と、新しき世紀の歴史を開く建設者たれ!


 人類がいかなる重大な試練に直面しようと、それに立ち向かう「青年の連帯」がある限り、希望は失われることはない。
 青年への限りない期待を込めて、この共同声明を発表したい。
 ◇ 
 目まぐるしい社会変化の中で、21世紀の世界は、いくつもの深刻な課題を抱えるに至った。
 こうした現代の世界に光明を見いだすためには、歴史と真摯に向き合い、その記憶をたぐり寄せることが欠かせない。その記憶は、我々の目の前に新しい選択肢を浮かび上がらせるだけでなく、「もう一つの世界は可能である」と示す民衆の力と不屈の精神という“希望の光”が、人間の歴史に輝いていることを教えてくれる。
 20世紀の光と影は、人類の歩みに深い影響を与える一方で、先進国と開発途上国の間に不均衡と不公平をもたらした。また、各国の国内においても、貧富の格差は拡大の一途をたどっている。飢餓を見過ごすことは罪であり、飢えと貧困との戦いに猶予の時はない。
 問題解決に向けて、国連では「我々の世界を変革する」と題した「持続可能な開発のための2030アジェンダ」(注)が打ち立てられた。我々は、国や民族、宗教や文化といった差異を超えて、地球上から悲惨の二字をなくすためのアジェンダに協力して取り組まねばならない。


新しき時代創造への挑戦


 新しき時代創造への挑戦の波は、すでに生まれ始めている。
 その一つが、気候変動対策のための「パリ協定」だ。異常気象の頻発をはじめ、海面上昇などへの懸念が高まる中、2016年11月に発効し、今や世界のほとんどの国が批准するに至っている。
 もう一つは、2017年7月に採択された「核兵器禁止条約」である。核兵器を、一切の例外なく禁止する国際条約がついに誕生したのだ。
 昨年11月には、教皇フランシスコの呼び掛けで、「核兵器のない世界へ――統合的軍縮への展望」をテーマにしたシンポジウムが、バチカンで開催された。
 核兵器のない世界を追求する上で、核の脅威とともに、他国の民衆の生命と尊厳を犠牲にして自国の安全保障を追求するような権力思考と野心こそ、廃絶されなければならない。そうした「武装した理論」と決別する時が来ているのだ
 かつて私たち二人が対談集でさまざまな地球的課題を論じた際、その通奏低音にあったのも、青年の力に対する限りない信頼に他ならなかった。
 昨年の核兵器禁止条約の採択に際し、市民社会の力強い後押しの中核を担ったのは、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)をはじめとする世界の青年たちの連帯であった。
 青年が厳しい現実に屈せず、前に進もうとする勇気を持てるか否か――。その現在の青年の姿が、未来を決定づける。
 マーティン・ルーサー・キング博士は、「われわれは常に新しい日の夜明けに立っているのである」(クレイボーン・カーソン編『マーティン・ルーサー・キング自伝』梶原寿訳、日本基督教団出版局)との言葉を残した。
 私たち二人もまた、地球という我々の「共通の家」には、人類と全ての生きとし生けるもののために、新たな夜明けを迎える希望と志が常にあるとの信念を抱き続けてきた。
 難民問題は焦眉の課題である。幾百万、幾千万もの人々が、戦争や武力衝突の暴力、飢えの暴力、社会的暴力、構造的な暴力によって、生命と尊厳を脅かされている。
 困窮している人々に連帯し、その窮状を打開するために、我々は両手だけでなく、考え方と心を大きく広げなければならない。


青年への呼び掛け

 

青年による行動の連帯を幾重にも広げていこう

 

 ゆえに私たち二人は、世界の青年たちに呼び掛けたい。
 連帯の力で乗り越えられない壁など決してない。さまざまな文化的アイデンティティーや精神的アイデンティティー、そして属性の違いを超えて、青年による行動の連帯を幾重にも広げていこうではないか、と。
 植えたものは、必ず収穫される。自分たちの一つ一つの行動が未来に必ず実を結ぶことを信じ、「民衆と共に人生を歩む」という責任を勇んで担おうではないか、と。
 核兵器の脅威をはじめ、紛争による難民の急増、気候変動に伴う異常気象、そして、マネーゲームが過熱する中での貧富の格差の拡大――。これらの問題の根底には、軍事の暴走、政治の暴走、経済の暴走があり、我々が「共に暮らす家」である地球に大きな暗雲が垂れ込める元凶となっている。
 力や富を得れば得るほど、「全てを今すぐに手に入れたい」との思いを抑えきれない風潮が強まっている。
 東洋の思想には、社会の混迷を招く三つの要素に関する洞察がある。一つ目は、利己的な欲望に突き動かされる「貪(むさぼり)」で、二つ目は、他の人々を憎んで争う「瞋(いかり)」である。
 そして三つ目は、自分たちの生きるべき方向性や社会の羅針盤を見失ってしまう「癡(おろか)」だ。
 ガンジーは、人間の行動基準として、自らの言動が「最も貧しく、最も無力な人」にどんな影響を及ぼすのか、その顔を思い浮かべながら判断することを強く促した。
 ガンジーの信条は、社会的に弱い立場に置かれた人々の存在を常に忘れず、誰一人として犠牲にしない社会を築くことにあったのである。
 そこには、国連のSDGs(持続可能な開発目標)が掲げる“誰も置き去りにしない”との理念と響き合う「人間性」が力強く脈打っている。


国際社会への呼び掛け

 

<「世界市民教育を通じた青年のエンパワーメント」の推進

 

 さらに私たち二人は、この共同声明を通し、現代文明における暴走を食い止め、人間と母なる地球とのバランスを回復し、“誰も置き去りにしない”社会を築くための礎として、「世界市民教育を通じた青年のエンパワーメント」の推進を、国際社会に強く提唱したい。
 青年たちの限りない可能性と力を引き出すエンパワーメントを、地球上のあらゆる場所で推進していくために、私たちは世界市民を育む取り組みを2030年に向けて新たにスタートさせなければならない。
 その取り組みを通し、青年たちが、
 ①悲惨な出来事を繰り返さないため、「歴史の記憶」を胸に共通の意識を養う
 ②地球は本来、人間が「共に暮らす家」であり、差異による排除を許してはならないことを学ぶ
 ③政治や経済を“人道的な方向”へと向け、持続可能な未来を切り開くための英知を磨く
 ――ことを期待したい。
 そしてこの三つの柱を軸に、青年たちが連帯し、母なる地球を守るための行動の輪を広げる流れをつくり出すべきではないだろうか。


松明の継承

 

 私たち二人は、“戦争と暴力の世紀”であった20世紀の嵐をくぐり抜ける中で、その転換を求めて、民族や宗教の違いを超えた友情の連帯を一歩ずつ広げる努力を重ねてきた。
 その友情と多様性における調和の連帯の松明を託す思いで、私たち二人は、21世紀に生きる青年たちに強く呼び掛けたい。
 青年たちが人々と共に団結し、生命の尊厳を守り、不正義と闘い、肉体と精神、そして自由のための糧を分かち合うこと――。私たち、アドルフォ・ペレス=エスキベルと池田大作は、現代および未来の社会のため、新しい希望の夜明けを開くため、それが不可欠だと考える。
 青年たちがその行動を広げていくならば、揺るがぬ人類の普遍の精神的遺産と、「公正」や「連帯」に基づく新たな世界を構築できることを確信してやまない。
語句解説
 注 持続可能な開発のための2030アジェンダ
 2015年9月の「国連持続可能な開発サミット」で採択された成果文書。宣言のほかに、17分野169項目からなる「持続可能な開発目標(SDGs)」が掲げられている。2030年までに、貧困や飢餓、エネルギーや気候変動など、多岐にわたる課題の包括的な解決を目指している。

エスキベル博士と池田先生による共同声明 2018年6月8日

6月5日

第1509回
成長と幸福は「挑戦」の中に

 

< 挑戦! 挑戦! 挑戦!>

 

 大宇宙の万物が、挑戦を続ける。
 花は、
 懸命に深雪を割いて新芽を出し、
 波は、
 体当たりを重ねて巌を削り、
 太陽は、
 日々、暁闇を破って躍り出る。
 人が見ようが、見まいが、
 己が使命を果たさんと、
 黙々と、忍耐強く、
 労作業を繰り返す。
 挑戦! 挑戦! 挑戦!
 それが、
 “生きる”ということなのだ。
  
 まず一歩を踏み出すのだ。
 うまくいかないことがあっても、
 「よし!」と思い直して、
 何度でも挑戦すればいい。
 その連続の中に
 成長があり、幸福もある。
  
 人生には、挫折もあれば
 行き詰まりもある。
 そうした時に、
 何ものにも負けない強さをもち、
 それを堂々と
 乗り越えていけるかどうかに、
 幸・不幸の鍵がある。
 そこに、
 仏法を求めざるをえない
 理由がある。
  
 信心ある限り、
 人生の不遇も、失敗も、
 すべて
 生かし切っていくことができる。
 ゆえに、
 仏法者に行き詰まりはない。
 「ただ唱題」「ただ、ただ広布」
 ――その炎のごとき一念と実践が、
 暗夜を開いていくのだ。
  
 大事なのは
 「今から」の決意だ。
 「これから」の行動だ。
 その連続闘争が、
 大きな歴史を築く原動力となる。

 

〈池田大作先生 四季の励まし〉 2018年6月2日

5月28日

第1508回

全ては人間から

 

人間の心が緑を輝かせる


 美しき自然を、
 守り、育むものは、
 人間の豊かなる精神の沃野である。
 人の心の浄化が、
 鳥を、緑を輝かせるのだ。
  
 人間と自然環境は、
 相互に依存する関係にあり、
 環境への暴力が、
 やがて
 人間に跳ね返ってくることを、
 私たちは青年や子どもたちに、
 教えていくべきである。
  
 一切の問題は、
 根本的には「人間」の問題だ。
 自然環境を蹂躙する暴力も、
 社会に紛争や
 貧困をもたらす暴力も、
 その根底には、
 生命の尊厳を踏みにじり、
 他者の犠牲の上に
 自分の幸福を築こうとする
 利己的な欲望が渦巻いている。
  
 優れた科学技術も、
 「慈悲」の精神がなければ、
 人間を搾取し破壊する
 危険な凶器に
 変わってしまいかねない。
 人類の平和と発展のためには、
 「緑の革命」とともに、
 「心の革命」が不可欠である。
  
 人間を離れて、社会はない。
 経済も、政治も、宗教も、
 思想も、科学もない。
 いな、すべての営みは
 「人間の幸福のために」存在する。
 仏教でも、「人間(正報)」と、
 それを取り囲む
 「環境(依報)」との
 一体性を明快に説いている。
 人間によって、社会は変わる。
 世界は変わる。生態系は変わる。
 ゆえに、
 すべては「人間」を
 向上させることから始まる。

 

〈池田大作先生 四季の励まし〉 2018年5月27日

5月23日

第1507回
必ず、深い、何かの意味がある

 

 山本伸一が、正信会僧らの理不尽な学会攻撃に対して、本格的な反転攻勢に踏みきり、勇躍、創価の同志が前進を開始すると、広宣流布の水かさは次第に増し、月々年々に、滔々たる大河の勢いを取り戻していった。
 しかし、広布の征路は険しく、さまざまな試練や、障害を越えて進まねばならない。
 伸一自身、個人的にも幾多の試練に遭遇した。一九八四年(昭和五十九年)十月三日には、次男の久弘が病のために急逝した。享年二十九歳である。彼は、創価大学法学部の修士課程を修了し、「次代のために創価教育の城を守りたい」と、母校の職員となった。
 九月の二十三日には、創価大学で行事の準備にあたっていたが、その後、胃の不調を訴えて入院した。亡くなる前日も、「創大祭」について、病院から電話で、関係者と打ち合わせをしていたようだ。
 久弘は、よく友人たちに、「創価大学を歴史に残る世界的な大学にしたい。それには、命がけで闘う本気の人が出なければならないと思う。ぼくは、その一人になる」と語っていたという。
 伸一は、関西の地にあって、第五回SGI総会に出席するなど、連日、メンバーの激励に奔走していた。
 訃報が入ったのは、十月三日夜であった。関西文化会館で追善の唱題をした。思えば、あまりにも若い死であった。しかし、精いっぱい、使命を果たし抜いての、決意通りの生涯であったと確信することができた。
 伸一は、久弘の死は、必ず、深い、何かの意味があると思った。
 広宣流布の途上に、さまざまなことがあるのは当然の理である。しかし、何があっても恐れず、惑わず、信心の眼で一切の事態を深く見つめ、乗り越えていくのが本物の信心である。広布の道は、長い長い、一歩も引くことのできぬ闘争の連続である。これを覚悟して「難来るを以て安楽と意得可きなり」(御書七五〇ページ)との原理を体得していくのが、大聖人の事の法門であり、学会精神である。

 

〈小説「新・人間革命」〉 誓願 四十七 2018年5月21日

5月23日

第1506回
韓日の青年の連帯

<全世界の団結の要、広布の原動力>

 

 「韓日の青年の連帯にこそ、全世界の創価家族が団結していく要があり、一閻浮提広宣流布を成就しゆく原動力があると私は期待しております。いな確信してやまないのであります。その意味でも、このたびの韓日青年部が深め強めゆく友情の絆は、大いなる希望の未来を照らしゆく光源となるに違いありません」
 「これからも、両国青年部の皆さんは、勇敢にして朗らかな挑戦王として、広宣流布の大使命に生きゆく中で、楽しく、賢く、雄々しく一日、一日、自他共の人間革命の舞を舞いながら、全員が栄光凱歌の人生を晴れ晴れと勝ち開いていってください」

 

ソウルで韓日友情総会 2018年5月21日付け聖教新聞 

5月23日

第1505回

だからこそ、信心なのだ。

だからこそ、自らを強くするのだ。

 

人生は、宿命との容赦なき闘争


 山本伸一もまた、一九八五年(昭和六十年)十月には、体調を崩し、精密検査のために大学病院に入院しなければならなかった。
 青春時代に胸を患い、医師からは三十歳まで生きられないだろうと言われてきた体であったが、全力疾走の日々を送ってきた。会長辞任後も、世界を回り、以前にも増して多忙を極めた。さらに、会長の秋月英介が、一時期、体調を壊したこともあり、皆を支えるために、伸一は一段と力を注いできた。
 彼は、この時、師の戸田城聖が亡くなった五十八歳に、間もなくなろうとしていることを思った。また、自分のあとに会長となった十条潔も、五十八歳で他界したことを振り返りながら、決意を新たにした。
 “私には、恩師から託された、世界広布の使命がある。そのためには、断じて倒れるわけにはいかない。師の分までも、生きて生きて生き抜いて、世界広宣流布の永遠の基盤をつくらねばならない!”
 伸一は、健康管理に留意することの大切さを改めて感じながら、新しき広布の未来を展望するのであった。
 人生は、宿命との容赦なき闘争といえる。
 愛する人を失うこともあれば、自らが病に倒れることもある。あるいは、家庭の不和、子どもの非行、失業、倒産、生活苦……。これでもか、これでもかというほど、怒濤のごとく、苦難は襲いかかってくる。だからこそ、信心なのだ。自らを強くするのだ。信心で乗り越えられぬ宿命など、断じてない。
 苦難に負けず、労苦を重ねた分だけ、心は鍛えられ、強く、深くなり、どんな試練をも乗り越えていける力が培われていく。さらに、人の苦しみ、悲しみがわかり、悩める人と共感、同苦し、心から励ましていくことができる、大きな境涯の自分になれる。
 また、苦難に挫けることなく、敢然と戦い進む、その生き方自体が、仏法の偉大なる力の証明となっていく。つまり、広宣流布に生き抜く時、宿命は、そのまま自身の尊き使命となり、苦悩は心の財宝となるのだ。

 

〈小説「新・人間革命」〉 誓願 四十八 2018年5月22日

5月19日

第1504回

広宣流布
それは「覚悟の人」の手によってこそ

成し遂げられる

 

 <保身、名聞名利を欲する人間に、本当の改革はできない>

 

 予言者の語った二つの道の一つ目は、「圧政によって王座を固めること」であった。そうすれば、王権の継承者として、強大無比な権力が与えられ、その恩恵に安住できる。
 そして、二つ目は、民に自由を与えることであり、それは「受難の厳しい道」である。
 なぜか――予言者は、そのわけを語る。
 「あなたが贈った『自由』は、それを受け取った者たちのどす黒い、恩知らずの心となって、あなたに返ってくるからです
 「自由を得た人間は隷属から脱却するや、過去に対する復讐をあなたに向けるでしょう。群衆を前にあなたを非難し、嘲笑の声もかまびすしく、あなたと、あなたの近しい人びとを愚弄することでしょう。
 忠実な同志だった多くの者が公然と暴言を吐き、あなたの命令に反抗することでしょう。人生の最後の日まで、あなたをこき下ろし、その名を踏みにじろうとする、周囲の野望から逃れることはできないでしょう。
 偉大な君主よ、どちらの運命を選ぶかは、あなたの自由です」
 為政者は、熟慮し、七日後に結論を出すので、待っていてほしいと告げる――。
 アイトマートフが寓話を話し終え、帰ろうとすると、ゴルバチョフは口を開いた。
 「七日間も待つ必要はありません。七分でも長すぎるくらいです。私は、もう選択してしまったのです。私は、ひとたび決めた道から外れることはありません。ただ民主主義を、ただ自由を、そして、恐ろしい過去やあらゆる独裁からの脱却を――私がめざしているのは、ただただこれだけです。国民が私をどう評価するかは国民の自由です……。
 今いる人びとの多くが理解しなくとも、私はこの道を行く覚悟です……」
 アイトマートフが山本伸一に送った、この書簡には、ペレストロイカを推進するゴルバチョフの、並々ならぬ決意があふれていた。
 保身、名聞名利を欲する人間に、本当の改革はできない。広宣流布という偉業もまた、「覚悟の人」の手によってこそ成し遂げられる。

 

〈小説「新・人間革命」〉 誓願 四十五 2018年5月18日

5月1日

第1503回

学会幹部が常に律すべき厳粛なる

「こころ」

 

<先生の名代注)として

 

 「もし、私に時間があるなら、全同志のご家庭を回りたいと思っています。しかし、残念ながら、それはできない。
 ですから、組織の責任を持つ幹部の皆さんに、代わりに激励をお願いする以外にないのです
 その意味から、今日は、せめてもの御礼に、お伺いしたのです」
 それは、伸一の率直な思いであった。自分が一人で全責任を担おうとすれば、協力してくれる人がいることのありがたさが、身に染みてわかるものだ。
 そうなれば、決して人に対して傲慢にはなれないはずである。
 もし、周囲の人が、自分を支えて当然のように思っているリーダーがいるとするなら、それは、裏返せば、自分がいっさいの責任を担おうとしていないからであると言ってよい。
 山本伸一は沢井昇に、家庭指導、個人指導の大切さを語っていった。
 「人を育てるには、一人一人に焦点を合わせた激励と指導が大事になります。たとえば、草木にしても、太陽さえ輝いていれば、すべての草木が育つとは限らない。
 日陰になって、光を遮られている木もあれば、害虫に侵されていることもあるかもしれない。あるいは、養分が不足している場合もある。そうした一つ一つの事態に的確に対処し、手入れを重ねてこそ、草木は育つものです。
 信心の世界も同じです。活動の打ち出しや、会合での全体的な指導を、太陽の光とするならば、一本一本の草木に適した手入れをすることが、家庭指導、個人指導といえます。
 その地道な活動がなければ、どんなに組織が発展しているように見えても、人材は育ちません。そして、組織も、やがては行き詰まるものです。(後略)」

注)名代 ・・・ある人の代わりを務めること。また、その人。代理。「父の名代として出席する」出典:デジタル大辞泉(小学館)

新・人間革命 第4巻 凱旋

4月28日

第1502回
すべての人々が『母』を大切にすれば、

世界は平和に幸福に!

 

 『幼子は母をしらず母は幼子をわすれず、釈迦仏は母のごとし女人は幼子のごとし、二人たがひに思へば・すべてはなれず』(同生同名御書、1114頁)
 お母さんの愛を忘れてはならない。
 お母さんの苦労を忘れてはならない。
 お母さんの慈顔が心に生きている時、人間は決して大きく道を誤ることがない、と私は思う。
 それと同じく、私ども凡夫が御本仏の大慈悲を忘れることなく、深き感謝の心で生きていく時、心には仏界の光が大きく広がっていく。そして御本尊の大慈悲につつまれた、根本的に安穏と歓喜の人生の軌道となっていくのである。
 どうか若き皆さんは、かけがえのないご両親、とくにお母さんを大切にしていただきたいと重ねて申し上げたい。
 『母』の愛は深い。『母』の力は偉大である。そしてすべての人々が『母』を大切にすれば、必ずや世界も平和になり、幸福になっていくにちがいない。

 大白蓮華2018年5月号№823 20頁

4月14日

第1501回

聖教新聞の使命

 

<民衆を賢明にし、

民衆を強くし、

民衆を団結させる>

 

 聖教創刊の年の初め、戸田先生が「大作、読みなさい」と薦めてくださった本がある。英国の作家ホール・ケインの名作『永遠の都』である。
 舞台は、戸田先生の誕生の年と同じ一九〇〇年のローマ。独裁者の横暴に立ち向かう、主人公のロッシィが“武器”としたものは、新聞であり、ペンの力であった。彼が健筆を振るった新聞の名は「サン・ライズ」すなわち「日の出」である。
 民衆による、民衆のための「無血革命」に、いよいよ立ち上がるという前夜に、ロッシィは記事を何度も書き直した。
 原稿を書いては破り、また書いては捨て、ロッシィは命を振り絞るようにして檄文を認める。
 託したメッセージは「恐れるな」「人間を信ぜよ」「生命を尊重せよ」。さらに彼は呼び掛ける。「勇敢であれ。自信を持て。忍耐強くあれ。明晩、諸君の叫び声は世界の果てまでとどろきわたるだろう」
 権力の弾圧に屈せず、若き革命児は信念を師子吼し、民衆は感涙した。そして「人間共和の都」建設へ、時代の扉が大きく開かれていくのだ。
 戸田先生は、こうした新聞制作の場面を通して、眼光鋭く教えてくださった。
 「これが戦いだ。革命は思想の啓発だよ。われわれも新聞を作ろうではないか」
 先生は、自ら、この「ペンの戦い」の最前線に立たれた。
 激務の間隙を縫って、ポケットにしのばせた原稿を取り出しては、推敲されるのが常であった。
 それは、「どうすれば聖教新聞を通して、学会精神を愛する同志に真っ直ぐ伝えることができるのか」という思索と葛藤の連続闘争であり、精神闘争であった。
 私も恩師の心をわが心として、聖教連載の小説『新・人間革命』第三十巻の最終章をはじめ執筆にいそしむ日々である。
 ロッシィは叫んだ。「知力を養え!」「団結せよ!」「これがわれわれの合言葉であり、われわれの戦う武器なのであります」
 民衆を賢明にし、民衆を強くし、民衆を団結させる――創刊以来の聖教新聞の使命である。
 聖教こそが、広宣流布へ威風堂々と進みゆく、我ら創価学会の正義の言論の武器である。 

虚偽は建設せず


 今やインターネットの発展により、膨大な情報が瞬時に世界を駆け巡る時代だ。その速報性、利便性は、確かに、大きなメリットである。
 一方で、「フェイクニュース」と呼ばれる虚偽の情報や、「匿名」の隠れ蓑をまとって人を貶めるための悪意の言葉があふれているのも、懸念される点であろう。
 そうした虚言や悪口は、自身の野心や疚しさを隠して、他者を陥れ、差別や分断を助長することを狙いとしている場合が、あまりに多い。
 大文豪ゲーテは、「悪意」や「悪口」、また「否定するしか能のないもの」を厳しく戒め、「破壊するときなら、どんなに誤った論拠でも通用するが、建設するときにはけっしてそうはいかない。真でないものは建設しない」とも喝破していた。
 今、社会に世界に求められているのは、何より「真実の言論」である。「建設の言論」「結合の言論」である。そして「価値創造の言論」であるといってよい。
実語は人を助く
 日蓮大聖人は「人をたすくれば実語」「人を損ずるは妄語」(御書八九〇ページ)という明確な基準を示されている。
 そして「法華経は実語の中の実語なり・真実の中の真実なり」(同一四〇五ページ)と仰せだ。
 法華経の精髄たる日蓮仏法は、全ての人間に内在する最極の「仏」の生命を見出し、顕現しゆく方途を説き切っている。互いに尊重し合い、尊敬し合い、励まし合い、助け合う中にこそ、真に人間らしい生き方があることを明かしているのだ。
 まさしく「結合の法」である。当然、結合への道程にはさまざまな困難や葛藤がある。しかし、諦めることはない。日々、妙法を唱え、智慧と誠実と慈悲の言葉――「実語」を重ねつつ、あらゆる差異を超えて、一人また一人と、結び合わせていくのである。
信念の言に力が
 大聖人は、青年・南条時光に呼び掛けられた。
 「とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ、殿一人にかぎるべからず・信心をすすめ給いて過去の父母等をすく(救)わせ給へ」(同一五五七ページ)と。
 同じ生きるのならば、究極の生命尊厳の法理を掲げ、「平和の地球」を築きゆく広宣流布の人生を貫くのだ。
 同じ言葉を発するのならば、人間の心と心を結ぶ「善と真実」の言論を放ちゆくのだ。
 広布への大情熱を点火し、「言葉の力」を復権させることこそ、「民衆の言論城」たる聖教新聞の重大な使命である。
 そして、聖教を携え、日々、あの友この友と語りゆく創価家族こそ、最も偉大な誓願に生き抜く地涌の菩薩なのである。
 さあ、善なる励ましの言葉を発しよう!
 仏の仕事を為す「声」を響かせよう!
 全人類の平和と幸福を願う心を届けよう! 
 今日もまた、明日もまた、聖教と共に! 同志と共に!


随筆 永遠なれ創価の大城 池田大作30 輝け民衆の言論城 2018年4月13日

4月2日

「心の一法より国土世間も出来する事なり」

 

<一人の人間革命が

家庭を変え、地域を変え、社会を変え、国土をまで変える>

 

 一、戸田先生が、最晩年、「方便品・寿量品講義」の締めくくりに掲げてくださった法華経の経文があります。
 それは、寿量品の「我本行菩薩道(我は本 菩薩の道を行じて)」(創価学会版法華経482ページ)――。すなわち、仏の境涯を得るための根本の原因は、「菩薩の道」を行ずることであると明かされた一文です。この「菩薩の道」の究極こそ、南無妙法蓮華経を信じ、唱え、弘めゆくことであります。
 その実践によって、誰人たりとも仏の境涯を開くことができると教えてくださったのが、末法の御本仏・日蓮大聖人であられます。
 この大聖人の法理のままに、真の「菩薩の道」を行じているのは、誰か。戸田先生は、現実の娑婆世界の真っただ中で、あらゆる苦悩に立ち向かいながら、広宣流布に励みゆく学会員に他ならないと、高らかに宣言されました。 
 先生とご一緒に北海道を旅した折にも、勇敢に戦う愛弟子たちに、いつも慈しみの眼差しを注がれて、「大作、この人たちこそ、まことの地涌の菩薩だ。尊い仏さまだよ」と言われ、そして「北海家族と共に、牧口先生と私の故郷に、世界一の幸福の仏国土を築いてくれ!」と託されたのです。 
 一、御聖訓には、「心の一法より国土世間も出来する事なり」(御書563ページ)と仰せであります。
 仏法の生命哲理の眼で見れば、様々な国土の違いも「心」から出てきます。
 ゆえに、どんな境遇にあっても、妙法を受持するならば、今いる、その場所で、わが心を変革し、「人間革命」の挑戦を起こすことができる。
 そして、一人から一人へ、その波動を広げながら、身近な家庭を変え、地域を変え、社会を変え、国土までも変えていける。この壮大なる実験証明を、我ら創価の師弟は、いずこにあっても示し切ってきました。
 なかんずく、雄大にして峻厳な大自然の天地で、法華経に説かれる「三類の強敵」と敢然と戦い、「冬は必ず春となる」(同1253ページ)と楽土建設のドラマを、粘り強く勝ちつづってきたのが、わが誇りも高き北海道の宝友であり、さらにまた、ここに集われているSGIの各国・各地の皆さん方なのであります。
 一、世界は、ますます不安と混迷の闇を深めています。だからこそ、我らは、大聖人の仰せ通り、「苦楽ともに思い合せて」(同1143ページ)題目を唱え抜き、日々、心に元初の太陽を昇らせて、「希望の光」「英知の光」「平和の光」を赫々と放っていこうではありませんか!
 その意味において、思い出深き厚田の「戸田墓園」開園の折、共々に約し合った三つの指針を、改めて確認しておきたい。
 第一に、「自身の人間革命を根本に!」。
 第二に、「地域に友好・信頼の拡大を!」。
 第三に、「一家一族の信心の継承、そして後継の育成を!」との3点です。
 毎年、桜前線が日本列島を北上する絵巻の中で、戸田先生の像を彩る厚田の8000本の桜が咲き誇るのは、5月の上旬です。
 4月の2日から5月の3日へ、創価桜の「対話の花」「功徳の花」「人材の花」を、いよいよ爛漫と咲かせゆく「歓喜に躍る花の旅」を、皆で心豊かに決意し合って、私のメッセージとします。

 

本部幹部会・北海道総会への池田先生のメッセージ 2018年3月26日(抜粋)

3月31日

地域の「幸福責任者」に

 

<世界広布の最前線は一対一の対話

 

 地域広布は、
 その地域の人々に、
 生きる希望を広げゆく戦いだ。
 妙法を持った同志は、
 わが地域の「幸福責任者」であり
 「先駆者」なのである。
 
 世界広布といっても、
 その最前線は、
 いずこの国でも、
 一対一の対話ではないか。
 いつでも、どこでも、誰でも、
 目の前に苦しんでいる人がいれば、
 親身に声を掛ける。
 悩みを聞き、共に泣き、
 共に祈り、共に喜び合う。
 この「一人を大切にする」
 人間主義の行動が、
 あらゆる人に
 無条件に開かれているところに、
 創価学会が
 世界に広がった理由があるのだ。
 
 「一対一」の粘り強い対話で
 勝ち得た信頼は、
 何ものにも揺るがない。
 たとえ低俗な悪口等に
 さらされようとも、
 決して崩れない。
 何より対話のなかで、
 自分自身が鍛えられ、強くなる。
 ここに、最も着実な
 平和と正義の拡大があることを
 知らねばならない。
 
 あいさつは、それ自体、
 素晴らしい対話である。
 あせらず、臆さず、
 元気なあいさつから始めればいい。
 「おはようございます!」
 「こんにちは!」と、
 さわやかに声を掛ける。
 明るく、はつらつと接する。
 それだけで
 声を掛けられた人はうれしい。
 信頼関係も築かれる。
 友好拡大といっても、
 全て足もとから始まる。

 

池田大作先生 四季の励まし 2018年3月25日

3月25日

 慢心の人は勤行を怠る

 

<自分に力があると錯覚>


 一九八二年(昭和五十七年)二月七日の午後、山本伸一は、水戸婦人会館を視察したあと、水戸市内の茨城文化会館を訪問し、落成を祝う県代表者の集いに出席した。
 この席で彼は、「今回の訪問で一人でも多くの同志と会い、希望の目標を示し、新世紀への出発をしたい」との思いを語った。
 翌八日には茨城文化会館の落成記念県幹部会に出席。ここでは、学会の幹部でありながら、退転していった者の根本原因について言及していった。
 「信心がむしばまれていってしまった人に共通しているのは、強い慢心があることです。そこに最大の原因があるといえます。
 実は、慢心と臆病・怠惰とは、表裏をなしている。それゆえに慢心の人は、広布への責任をもたず、新しい挑戦や苦労を避けようとする。だから進歩も成長もない。その結果、信心は淀み、心はエゴに支配され、憤懣があふれる。それが、広宣流布の破壊の行動となっていくケースが多い。
 また、慢心の人は、必ずといってよいほど、勤行を怠っている。傲慢さに毒され、信心の基本を軽く見ているんです。
 若くして幹部になり、指導的な立場につくと、自分に力があると錯覚し、傲慢になり、周囲を睥睨する人もいます。しかし、役職があるから偉いのではない。苦労して、その使命と責任を果たしてこそ立派なんです。
 役職は一つのポジションであり、皆に使命があることを忘れてはならない。さまざまな立場の人が団結し、力を出してこそ、広宣流布を進めることができるんです。役職は、人間の上下の関係などでは断じてありません
 私は、三十数年間、多くの学会員を見てきました。その結果としていえることは、“策の人”は長続きしない。“要領の人”は必ず行き詰まっていく。“利害の人”は縁に紛動されてしまう――ということです。
 結局は、求道の人、着実にして地道な信心の人、生活という足元をしっかりと固めてきた人が、人生の勝利者になっています」

 

小説「新・人間革命」 勝ち鬨 八十八

3月21日

世界青年部

「出藍の誓い」

 

 「その広布の大河の流れが
 歴史の必然であるか否かを
 君よ問うなかれ
 汝自身の胸中に
 自らの汗と労苦により
 広布を必然たらしめんとする
 熱情のありや無しやを 常に問え」
      (長編詩「青は藍よりも青し」)
 
 私たちは、創価学会を守り、
 永遠に勝ち栄えさせる。
 学会なくして広宣流布はなく、
 広宣流布なくして
 人類の幸福と平和は
 ないからである。
 
 広宣流布は、
 誓願に立った「一人」から始まる。
 その一人から一人へ、
 波動を広げていくことが
 「地涌の義」である。

 私たちは
 「一人立つ」ことを誓う。
 「一人立つ」ことこそ、
 池田先生の精神を継ぐことである。
 使命の場所で一人立ち、
 勝利することが、
 広宣流布である。
 
 私たちは
 「一人の同志を守る」ことを誓う。
 「一人を守る」ことこそ、
 学会を守ることである。
 世界の同志と団結し、
 同志を守ることが、
 広宣流布である。
 
 私たちは
 「一人に仏法を語り励ます」
 ことを誓う。
 「一人を励ます」ことこそ、
 世界に希望の連帯を
 広げることである。
 友に仏法を語り、
 幸福にしていくことが、
 広宣流布である。
 
 「一人立つ」
 「一人を守る」
 「一人を励ます」
 ここにこそ、先生が示された
 世界広布の実像がある。
 「青は藍より出でて藍より青し」
 私たちは、霊山の会座にて、
 世界広布の記別を受けたる
 地涌の菩薩である。
 誓願に生き抜く私たちがいる限り、
 「地涌の陣列」は
 遙か未来へと広がり続ける。
 広布の大河の流れは、
 私たちが必然たらしめる。
      2018年3月11日
          青年部一同

 

世界青年部総会 全世界で異体同心の祈り 2018年3月12日

3月17日

皆が“山本伸一”になるんです


 山本伸一は、言葉をついだ。
 「何かを成し遂げよう、改革していこうと思えば、必ず分厚い壁があり、矛盾に突き当たる。いや、現実は矛盾だらけだ。しかし、そのなかを、日々、聡明に、粘り強く、突き進むしかない。ましてや、世界広宣流布は、前人未到の新航路だ。困難だらけのなかでの建設です。頼れる人など、誰もいないと思い、一人立つのだ!
 皆が“山本伸一”になるんです。全員が、この自覚に立つならば、二十一世紀は、洋々たる希望の世紀となる。明日の県青年部総会は、その船出の集いにしよう」
 翌十四日付の「聖教新聞」には、二・三面見開きで、「秋田 “冬は必ず春”の誉れの友の吹雪舞」の大見出しが躍った。そして、それぞれの面に一枚ずつ、全面を使って、前日の記念撮影の写真が掲載されたのである。
 十四日は、雪が激しく降り続き、一日中、気温は氷点下であった。伸一は、秋田文化会館で、次々と功労者に贈る和歌を詠み、また、支部証を揮毫していった。瞬間瞬間が完全燃焼の日々であってこそ、人生は金色に輝く。
 さらに彼は、会館にやって来た、仙北郡の太田地域で初代地区部長を務めた小松田城亮と妻のミヨを励ました。
 「健康、長寿を祈っています。お二人が元気であることが、みんなの誇りになります。同志を見守ってあげてください」
 そして、伸一は、会館前にある公園の一角に、地元・山王支部などのメンバーがつくった「かまくら」へ向かった。「かまくら」は、横手地方などで行われてきた、小正月(旧暦の一月十五日)の伝統行事の名であり、その時に雪でつくる室を「かまくら」という。
 彼は、激励の揮毫をしていた時、窓から、降りしきる雪のなか、「かまくら」づくりに精を出しているメンバーの姿を目にした。“秋田の冬の風物詩を知ってほしい”と労作業に励む同志の、尊く、温かい心遣いに胸を打たれた。その真心に真心で応えたかった。

 

小説「新・人間革命」 勝ち鬨 八十三

3月16日

青年の使命

 
 自由勤行会を終えた十三日夜、山本伸一は、秋田市内で行われた県青年部の最高会議に出席した。翌日は、県青年部総会が予定されていた。彼は、若きリーダーたちの意見、要望を聞くことに、多くの時間をあてた。
 地域広布の確かな流れを開くために、人材育成グループの充実なども話題にのぼった。
 秋田で世界農村会議を開きたいとの意見も出た。伸一は、「いいね」と言うと、笑顔で語り始めた。
 「こういう発想が大事だよ。食糧問題は、世界にとって深刻な問題だ。まさに農業に力を注ぐ東北の出番だ。東京など、大都市主導ではなく、農村から、地方から、人類の直面する重要課題の解決の方途を見いだして世界に発信していく――そこから、秋田の新しい未来も開いていくことができる。
 青年は、常に、『皆が、困っている問題は何か』『地域発展のために何が必要か』を考え、柔軟な発想で打開策を探っていくんです。不可能だと思ってしまえば、何も変えることはできない。必ず、なんとかしてみせると決めて、思索に思索を重ね、何度も何度も挑戦し、粘り強く試行錯誤を重ねていく情熱があってこそ、時代を変えることができる。これが青年の使命です
 彼は、未来を託す思いで話を続けた。
 「東北や北海道は米の生産地として知られているが、昔は寒冷地での稲作は難しいとされてきた。長い間、品種改良などを重ね、懸命に努力し抜いて“今”がある。
 ドミニカのメンバーには、お米を使って、日本の『粟おこし』のようなお菓子を作ろうと工夫を重ね、成功した人もいます。
 たとえば、秋田ならば、“この雪をどうするか”を考えることも大事だ。これをうまく利用できれば、秋田は大きく変わるよ。一つ一つのテーマに必死に挑んでいくことだ。真剣勝負からしか、未来の突破口は開けません」
 “必ず、事態を打開していこう”と一念を定めるならば、自身の可能性は限りなく拡大していく。そして、新しき扉は開かれる。

 

小説「新・人間革命」 勝ち鬨 八十二

3月7日

師匠の大慈大悲

 

<因果は厳然!

その確信があってこそ仏法者>

 

 山本伸一は、さまざまな苦難の風雪を乗り越えてきた秋田の同志に、自分の真情を率直に語っていった。
 「私は、ずいぶん、人から騙されてきました。利用され、陥れられもしました。
 弟子を名乗る者のなかにも、そうした人間がいることを知っていました。『あの男は下心があるから、早く遠ざけた方がよい』と言ってくる人もいました。それでも私は、寛大に接し、包容してきた。心根も、魂胆もわかったうえで、信心に目覚めさせようと、根気強く、対話しました。また、幾度となく、厳しく、その本質を指摘し、指導も重ねました。
 なぜか――騙されても、騙されても、弟子を信じ、その更生に、全力を注ぎ尽くすのが師であるからです。それが、私の心です。
 しかし、悪の本性を露わにして、仏子である同志を苦しめ、学会を攪乱し、広宣流布を破壊するならば、それは、もはや仏敵です。徹底して戦うしかない。そこに、躊躇があってはなりません。
 人を陥れようとした人間ほど、自分にやましいことがある。自らの悪を隠すために、躍起になって人を攻撃する――それが、私の三十数年間にわたる信仰生活の実感です。
 だが、すべては、因果の理法という生命の法則によって裁かれていきます。因果は厳然です。その確信があってこそ仏法者です。
 私どもは、広宣流布のため、世界の平和と人びとの幸福のために、献身し抜いてきました。しかし、悪僧や、それにたぶらかされた人たちは、この厳たる事実を認識することができない。大聖人は、色相荘厳の釈迦仏を、悪人がどう見ていたかを述べられている。
 『或は悪人はすみ(炭)とみ(見)る・或は悪人ははい(灰)とみる・或は悪人はかたき(敵)とみる』(御書一三〇三ページ)
 歪んだ眼には、すべては歪んで映る。嫉妬と瞋恚と偏見にねじ曲がった心には、学会の真実を映し出すことはできない。ゆえに彼らは、学会を謗法呼ばわりしてきたんです。悪に憎まれることは、正義の証です」
 小説『新・人間革命』語句の解説
 ◎色相荘厳/色相荘厳とは、衆生に仏を求める心を起こさせるため、三十二相八十種好という超人的な特徴をそなえた仏の姿をいう。

 

新・人間革命 勝ち鬨 七十四

世界広布新時代

「栄光の年」

(2018年)

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

世界広布新時代

開幕

1728

更新日

2018.8.10

第1519

 

日天月天ワンショット

日めくり人間革命URL