日めくり一週間

5月25日

第1608回
正真正銘の仏法者であり
勇者とは


<民衆のため、青年のため、
正義のために、
一身に難を受け、悪口を言われ、迫害されながら、
勇敢に戦いぬいている人>

 

 ここで、日蓮大聖人の御書を拝したい。
 「釈尊の在世でさえ、なお法華経には怨嫉が多かった。まして像法・末法において、また(日本のような)遠く離れた国においては、なおさらのことである。山に山を重ね、波に波をたたむように、難に難を加え、非に非を増すであろう」(二〇二ページ、通解)
 有名な「開目抄」の一節である。
 釈尊も、仏法のゆえに妬まれ、数々の難にあわれた。
 中国の南京で法華経を講説した天台大師も、南三北七の諸宗――つまり、中国の仏教界から批判され、迫害された。
 そして、大聖人の御一生も、「山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非に非をます」という、大難の連続であられたのである。広宣流布の道程においては、難があって当たり前である。難がなければ、日蓮大聖人の仰せのとおりの仏法ではなくなってしまう。
 広宣流布のために戦っているからこそ、難を受ける。これが日蓮仏法の法則といっていい。
 牧口初代会長も戸田第二代会長も、そのことを徹して弟子たちに教えられた。ここに、日蓮仏法の″急所″があることを知っておられたのである。
 ″創価の父″である牧口先生も、平和と正義の行動ゆえに、幾多の難を受けられた。
 戦時中、牧口先生は戸田先生とともに、軍部権力に反対して神札を受けることを拒否し、治安維持法違反および不敬罪で逮捕。投獄された。牧口先生は、一年四カ月に及ぶ獄中闘争の末に獄死。戸田先生は、逮捕から約二年後、敗戦間近の一九四五年〈昭和二十年〉七月二日に出獄した
 牧口先生は、あの過酷な牢獄にあっても、悠然と「災難と云ふても、大聖人様の九牛の一毛(=比較できないほどわずかであること)です」(「獄中書簡」、『牧口常三郎全集』10所収、第三文明社)と言われた。 本当に偉大な先生であられた。
 古今東西の英雄も皆、難を受けてきた。権力から難を受けていない英雄など一人もいない。
 大聖人は「賢人、聖人は、罵詈して試みるものである」(御書九五八ページ、通解)と仰せである。
 難を受けたときこそ、その人物の真実の偉大さがわかる。
 世間から、悪口を言われ、非難されて、それでも耐えぬいて、勝ってこそ英雄である。
 要領よく難を避け、戦っている格好をしているだけでは、英雄とはいえない。指導者とはいえない。ただ上手に泳いでいるにすぎない。
ひとたび、大聖人の仏法を持ったならば、要領の小才子にだけは、絶対になってはいけない。
 また、虚栄の権力者などに、崇高な使命に生きゆく人生の真髄が、わかるはずがないのである。
 「嘘つき」は「敗北者」の異名である。
 「真実」は「勝利」の実体である。
 民衆のため、青年のため、正義のために、一身に難を受け、悪口を言われ、迫害されながら、勇敢に戦いぬいている人こそが、正真正銘の仏法者であり、賢者であり、勇者である――私は、声を大にして、こう宣言したい。

 2002年7月3日第十八回本部幹部会、第二回東北総会、第二回千葉県総会

 

5月19日

第1607回
どこまでも勇猛精進の前進を!


ともあれ、折伏が止まれば、学会の前進はない。広宣流布は、後退してしまう。「進まざるは退転」であるからだ。
「勇猛精進」の信心こそ、創価学会の伝統精神である。
日寛上人は、「勇猛精進」について、「依義判文抄」の中で、釈を引いて、大要、次のように述べておられる。
「勇」とは、「勇んで行動すること」。
すなわち、状況がどうであろうが、「さあ頑張ろう!」「さあ前進しよう!」と勇んで立ち向かっていくことだ。
「猛」とは、「智慧の限りを尽くすこと」。
「どうすれば、あの人を納得させられるのか」「どうすれば、あの人を救っていけるのか」――そう祈りに祈り、最高の智慧を発揮していくのが「猛」である。
「精」とは、「一点の混じり気もないこと」。
「精米」(米から皮や胚などを取り除くこと)の「精」である。私たちの実践にあてはめれば、心に一点の曇りもなく、「よし、題目を唱えよう!」「よし、仏法対話をしよう!」と、まっすぐに幸福の大道を進んでいる姿ともいえるであろうか。
最後に「進」とは、「間断なく前進すること」。
「たえまなく」――簡単なようで、これがいちばんむずかしい。ここに大聖人の仏法の実践がある。
牧口先生は、ある青年に言われた。
「勇猛精進し給え! 仏法は実行だよ。精進だよ。老齢にはなったが、私も実践しています」
どこまでも、偉大な先生であられた。強い先生であられた。
第一にも「勇猛精進」である。
第二にも「勇猛精進」である。
この六月、私たちは、ともに生き生きと、若々しく、そして、はつらつと、大きく打って出てまいりたい。

 

 2002年5月31日第十七回本部幹部会、第七回常勝関西青年部総会

5月11日

第1606回
慈愛と責任感あふれる幹部に

 

<自分のこと以上に同志のことを祈る>

 

 幹部は、「一騎当千」の広宣流布の指導者たれ!
 これが戸田先生の永遠の指針であった。
 幹部は広宣流布の先駆者である。模範である。
 仏意仏勅の創価学会が「勝利また勝利」の前進をしゆく活力であり、推進力であり、原動力であらねばならない。
 自分のこと以上に同志のことを祈る。全同志が無事故で、幸福で、人生を勝利していけるよう祈りに祈っていく。そういう慈愛と責任感あふれる幹部であっていただきたい。

 

 会合は、異体同心の前進のためにある。広宣流布という大目的に向かって、社会で勝利し、人間革命しながら、団結して前進するためにある。
会合は、生き生きと、つねに新しい息吹が燃えていなければならない。
それには、まず幹部が自分自身を鍛えることだ。人格を磨き、信心を深め、だれよりも苦労していくことである。鍛えのない人生は、堕落であり、敗北である。

 

 スペインの哲学者オルテガは強調した。
 「最も重大な人間の欠点は忘恩である」(「観念と信念」桑名一博訳、 『オルテガ著作集』8所収、白水社)
 作家のセルバンテスも『ドン・キホーテ』に書いた。
 「地獄は恩知らずでいっぱいだ」(牛島信明訳、岩波文庫)
 忘恩は「畜生の道」である。
 報恩が「人間の道」である。「仏法の道」である。

 

 三十年前、イギリスの大歴史学者トインビー博士と対談した。
 博士は「次の仕事にとりかかる適切な時は、明日でもなければ来週でもない。今すぐなのである」(『回想録』1、山口光朔・増田英夫訳、社会思想社)と言われている。
 大事なのは、きょうである。「今」である。博士は、生涯、その心で、 「さあ、仕事を続けよう!」をモットーに、最高の仕事を残されたのであった。
 皆さんも、広宣流布という偉大な歴史を残していっていただきたい。
 「さあ、きょうも折伏しよう!」「今すぐ、友のもとへ行こう!」―― その「戦う心」に永遠の福徳が薫るのである。

 大詩人ミルトンいわく。「我々の信仰も知識も、手足や身体と同じように、働かすことによって健やかになる」(『言論の自由』石田憲次・上野精一・吉田新吾訳、岩波書店)
 行動である。働くことである。それが信仰の真髄である。
また、大詩人バイロンは、「知識は幸福にあらず」(「マンフレッド」、『バイロン詩集』〈世界詩人選4〉阿部知二訳、小沢書店)と喝破した。
 知識のあることが必ずしも幸福ではない。また、学歴があるから、役職があるから偉いのでもない。
 学会は、信心が根本である。「行動の人」「実践の人」が最高に尊く、最高に偉大なのである。
 世界広布といっても、究極は、「一人が一人を折伏する」ことにつきる。
日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり』(諸法実相抄、1360頁)と仰せられているとおりだ。
声仏事を為す』(御義口伝、708頁等)である。声は命であり、心である。
相手の心に響く、生き生きとした声で、「仏法の正義」を語りぬいていっていただきたい。

 

2002年6月26日第十八回各部代表者会議

5月4日

第1605回

最も身近なことを、的確に行うのが、
仏法者の生き方だ

 

<創価学会母の日を祝う>

 

 我らの五月三日は、「創価学会母の日」である。
 『母の恩の深き事大海還つて浅し』(上野殿御消息、1527頁)――
 自分を支えてくれている尊き母、また地域の婦人部の方々に、心からの感謝を伝えてもらいたい。
 日蓮大聖人は、『唯我一人のみ成仏するに非ず父母もまた即身成仏せん此れ第一の孝養なり』(始聞仏乗義、984頁)と仰せである。
 最も身近なことを、最も的確に行うのが、仏法者の生き方だ。
 周囲の支えがあるからこそ、充実と成長の青春を歩みゆけることを、決して忘れまい。
 心を込めた聡明な言葉で、皆が朗らかになる、和楽を広げる報恩と孝養の人たれ。

 

創価新法2019年5月1日号 青春勝利の大道

5月1日

第1604回

「第三代がいれば、広宣流布は必ずできる。

その第三代会長を厳然と守れ」

 

<第三代の指導に透徹し、

死に物狂いで、実践せよ!>

 

 戸田先生の遺言「第三代がいれば広宣流布は必ずできる
きょう「五月三日」は、戸田先生が、そして私が、創価学会の会長に就任した日である。
その意義をこめて、一言申し上げたい。
 「第三代がいれば、広宣流布は必ずできる。その第三代会長を厳然と守れ」――それが、戸田先生の遺言であった。これは、秋谷会長や森田理事長など、皆が知っていることだ。
 創価学会は、戸田先生がおっしゃったとおり、断固として、広宣流布を進めてきた。現実のうえで、世界に仏法を広げてきた。そして今、激動の時代にあって、他の多くの団体や組織が衰退していくなかで、わが創価学会は精神界の王者として、大山のごとく、そびえ立っている。
 まさに、戸田先生の遺言どおりの学会になったと、私は、申し上げたい。
 広宣流布は大聖人の御遺命である。それを実践しているのは、創価学会以外にはない。
 この仏意仏勅の学会を迫害することは、大聖人を迫害し、広宣流布を破壊することに通じる。
 ゆえに、その罪悪に対して、厳しい罰があらわれることは、御聖訓に照らして間違いない。
 これまでも、お世話になった同志を裏切り、仏法を破壊しようと画策した人間が何人か出た。しかし、その全員が落ちぶれ、だれにも相手にされない、惨めな末路をたどっていることは、皆さんもご存じのとおりである。仏法の「因果の裁き」からは、だれ人も逃れられない
 どんなに卑劣な攻撃であろうとも、また、権威をかさにきた陰険な弾圧であろうとも、恐れるような学会ではない。
 極悪の陰謀や策謀を木っ端微塵にするまで戦い、勇んで広宣流布の大進撃を開始しようではないか。(拍手)
 婦人部も、草創の婦人部のように、総立ちとなって、題目をあげぬき、正義の勝利の歴史を開いていただきたい。法華経に勝る兵法はないのである。
 「臆病者は創価学会から去れ」とは、戸田先生の厳しき遺言であった。
 先生は、こうも言われていた。
 「虚栄を張って、学会を利用しようとする増上慢の輩は、学会から、たたき出せ
 「臆病で、足手まといになるような存在ではいけない。お世辞を使ってもらえば、何とか活動する――それでは、死身弘法ではない。

 広宣流布を進める創価学会を、何よりも大事にし、守りきっていく。これが地涌の菩薩である。そうでない幹部は、学会から出ていってもらいたい
 これが戸田先生の叱咤激励であった。この学会の大精神を永久に忘れてはならない。

 

2002年5月1日5・3祝賀第十六回本部幹部会、新世紀第二回未来部総会

5月1日

第1603回

迫害は日蓮仏法の正統の証明

 

 御聖訓には、経文を引かれて、末法において妙法を弘める者は必ず迫害にあうことが厳然と示されている。
悪口罵詈」は当然のことである。
猶多怨嫉」は当然のことなのである。
(法華経勧持品に「諸の無智の人の 悪口罵詈等し」〈法華経四一八ページ〉とある。また法師品に「如来の現に在すすら猶お怨嫉多し。況んや滅度の後をや」〈法華経362頁〉とある)
 第六天の魔王が支配する世界で、ヤキモチを焼かれ、怨嫉されることは、日蓮大聖人の仏法を、まつたく完璧に、御聖訓どおりに実践し、戦い進んでいる証拠なのである。
 広布へ戦う学会の同志は、一人ももれなく、永遠の勝利と栄光と福運に満ち満ちた「金剛不壊の生命」となっていく。そして、三世にわたって、それぞれの国々で、必ず大指導者となり、その国のため、その国の人々のため、生々世々、偉大な歴史をつくりゆくことは、絶対に、間違いない。
皆さまこそ「地涌の菩薩」なのである。

 

 2002年5月1日5・3祝賀第十六回本部幹部会、新世紀第二回未来部総会

4月27日

第1602回
不屈の反撃精神こそ
言論戦の方程式

 

<「一」言われたら「三」言い返す。
 「三」言われたら「十」言い返す>

 

 勢い――。
 それは、
 “断じて成し遂げよう!”という、
 強き決意と闘魂から生まれる。
 自ら勇んでなそうとする、
 自主、自発の行動から生まれる。
 間髪を容れぬ
 迅速な実践によって生まれる。
 皆が互いに競い合い、
 触発し合う切磋琢磨から生まれる。
 そして、
 戦いは、勢いのある方が勝つ。
  
 「一」言われたら「三」言い返す。
 「三」言われたら「十」言い返す
 ――この不屈の反撃精神こそ
 言論戦の方程式である。
 言うべきときに言わなければ、
 悪が増長するだけである。
 語らなければ、心は伝わらない。
 心で思っていても、
 それだけでは相手にはわからない。
 真実を叫ぶのだ。
 そうすれば、
 敵をも味方に変えることができる。
  
 信心とは――
 断じてあきらめない勇気である。
 自分と友の生命の可能性を
 あきらめない。
 幸福の拡大をあきらめない。
 正義の勝利をあきらめない。
 平和の創造をあきらめない。
 大法弘通を、
 断じてあきらめない勇気なのだ。
   
 何が起ころうが、
 私には信心がある!
 わが家には信心がある!
 我らには偉大な信心がある!
 だから何ものも恐れない。
 だから絶対に
 乗り越えられない苦難はない。
 真面目に、誠実に、勇敢に、
 信心をやり切って、
 最後は必ず勝つのだ!
 この合言葉で、
 いよいよこれからと、
 「強盛の信心」で、
 威風も堂々、進みゆこう!

 

〈池田大作先生 四季の励まし〉「いよいよの心」で堂々と 2019年4月14日

4月20日

第1601回
広布の自覚こそ
功徳と歓喜の源泉

 

<使命と責任>

 

 食事をしながら、十条が伸一に尋ねた。
 「沖縄の同志は、本当にはつらつとしているし、功徳と歓喜にあふれている。また、大変な発展をしています。海外ということで、本部の指導の手もあまり入らなかったのに、どうしてなんでしょうか」
 「沖縄のメンバーは、沖縄を幸福にするのは、自分たちしかいないと自覚して頑張ってきた。人に言われてやっているのではなく、それぞれが広宣流布の主体者の使命と責任を感じている。だから、歓喜がわき、功徳も受け、発展もするんだよ
 「なるほど。主体者の自覚の如何ですね」
 相を打ちながら、十条が語り始めた。
 「実は、海軍兵学校におりました時に、よくカッターの帆走をやりましたが、どうしても舟に酔うものが出ます。ところが、カジをとらせると酔わないのです。
 自分がやるしかないという責任感と緊張感によるものと思えます。結局、舟に酔うのは、自ら舟を操ろうというのではなく、舟に乗せられているという、受け身の感覚でいるからだということを学びました」
 伸一は十条の話を聞くと、面白そうに頷いた。
 「そうかもしれない。広布の活動を推進するうえでも、自らが責任をもってカジをとろうとするのか、それとも、ただ舟に乗せられている乗客になろうとするのかによって、自覚も行動も全く違ってくる。
 乗客のつもりでいれば、何かあるたびに舟が悪い、カジ取りが悪いということになって、グチと文句ばかりが出る。それでは、自分を磨くことはできない。
 私は戸田先生の会社に勤めた時から、先生の会社も、学会のことも、すべて自分が責任をもつのだと決意した。当時は、職場でも一介の社員に過ぎなかったし、学会でも役職はなかった。しかし、立場の問題ではない。自覚の問題です。
 そう決意した私には、給料が遅配になっても不平など微塵もなかった。また、自分の部署を完璧なものにするだけでなく、常に全体のことを考えてきた。それが現在の私の、大きな力になっていると思う」
 それから伸一は、青年部長の秋月英介を見て、話を続けた。
 「戸田先生が、こんな話をされたことがある。
 ──ある工場が倒産し、機械が差し押さえられ、競売に出された。そして、落札者が機械を運び出すことになった時、その工場で働いていた一人の職人が必死になって叫んだ。
 『この機械は、俺が何年も可愛がってきた機械なんだ。この機械を持っていくんなら、俺も一緒に連れていってくれ』
 戸田先生は、この話をされて、こう言われた。
 『見上げたものじゃないか。職人魂がある。月給いくらで雇われているというような根性ではなく、機械と心中しようというのだ。機械に対する彼の愛情は、仕事に対する情熱の表れにほかならないだろう』
 先生は″雇われ根性″を最も醜いものとされた。特に青年で、そういう根性のあるものは、将来は見込みがないと断定された。これは、広宣流布という″仕事″にも通じることだよ。
 何ごとも″雇われ根性″では、習得などできない。青年は、万事、自分が主人のつもりで、何事にもぶつかっていくことだ
 『習得する』ことを『マスター』と言うが、英語の『マスター』には『主人』の意味があるじゃないか」
 伸一は、愉快そうに笑った。彼は、学会の後継者となる青年部に、まず広宣流布の「主体者」「主人公」の自覚を植えつけておきたかったのである。
 創価学会の会長としての山本伸一の責務は、人々を学会丸という大船に乗せ、幸福と平和の広宣流布の大陸まで、無事に運ぶことにあった。
 それには彼とともに、濃霧の日も、波浪すさぶ嵐の夜も、友を幸の港に運ぶために船を守る、さまざまな乗組員が必要である。
 いな、船長ともいうべき自分が、いつ倒れても不思議ではないだけに、彼と同じ決意、同じ自覚に立ち、大船を担える人材を、彼は必死になって育成しようとしていたのである
 しかし、そんな彼の胸中を、正しく理解する幹部はいなかった。
 彼らには、伸一の考える壮大な広布の構想が理解できずにいたし、三十二歳という彼の年齢から、まだ先のことは何も心配はいらないという、安易な安心感があった。
 ましてや、戦いに臨む烈々たる伸一の気迫に触れると、すべて伸一に任せてさえおけば、大丈夫だとの思いを強くするのであった。

 

新・人間革命第2巻 先駆の章59頁

4月14日

第1600回
日興遺誡置文(3)

 

<いかに大聖人直結の信心を継承していくか

そのための規範とは何か>

 

 牧口常三郎は、「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」との、この遺誡置文の御精神のうえから、「神札は絶対に受けません」と答えたのである。
 当時、牧口は国民の塗炭の苦しみに胸を痛め、国家神道を精神の支柱として、戦争の泥沼に突き進む軍部政府に対して、国家諫暁する好機ととらえていた。
 しかし、それは、牧口個人ではなく、日蓮大聖人の法灯を受け継ぐ門流の代表者である法主がなすべきであり、そのことを僧侶が進言するのが筋であると考えていた。
 だが、宗門の僧侶に、その気はなかった。牧口はやむなく、六月二十八日再度、登山すると、時の日恭法主に、国家諫暁に立ち上がるべきであることを直諫したのである。
 しかし、軍部政府の権力を、ひたすら恐れる法主には、国家諫暁など思いもよらなかったにちがいない。牧口の至誠の言が受け入れられることはなかった。
 そして、その直後の七月六日、牧口、戸田をはじめとする学会の幹部が、次々と逮捕されていったのである。大法難が学会を襲ったのだ。
 牧口の一門が逮捕されると、宗門は、慌てて学会を登山停止とした。関わりを恐れてのことである。
 まさに「貫首」自らの手で、正法正義はねじ曲げられ、大白法は滅せんとしたのだ。だが、正法護持の勇者・創価学会によって、大聖人の信心の血脈が保たれたのである。
 山本伸一は、「貫首」でありながら正法に背き、我見の邪説を立てる人間が出ることを、既に日興上人が予見されていたと思うと、深い感慨にとらわれた。
 彼は、未来もまた同じ事態が起こるかもしれないことを憂慮した。しかし、この日の講義では、多くは語らなかった。
 「……時の法主上人であっても、大聖人の教えに、仏法に相違して、己義、すなわち自分勝手な教義を説くならば、それを用いてはならないとの仰せです」
 彼は意義だけを簡潔に述べた。宗門が二度と法滅の過ちを繰り返さぬことを、深く願いながら。
 ──衆議為りと雖も仏法に相違有らば貫首之を摧く可き事。
 「これは、前の御文と対をなしております。今度は反対に、『衆議』、たとえみんなで決めたことであったとしても、それが仏法に相違するならば、これを打ち破っていきなさいとの御指南です
 山本伸一は、コップの水を口にすると、力強い声で講義を続けた。
 「つまり教えの根本は、どこまでも日蓮大聖人の御言葉です。御書でなければならないということです。
 学会は牧口先生以来、御書が根本です。その仰せのままに実践してきたがゆえに、数々の法難も競い起こりました。それによって御書を身で読むことができ、法華経の行者としての、信心の正道を進むことができたのです。
 だからこそ、学会の信心の功徳は無量なのです。永遠の福徳を積むことができるのです。私たちは、これからも、御書を心肝に染めて、広宣流布に邁進していこうではありませんか」
 講義は順調に進み、やがて二十六箇条が終わった。
 時間はあっという間に過ぎていった。伸一は、チラリと腕時計を見た。既に八時半近かった。
 「皆さん、あと、もう少しいいですか。疲れていませんか」
 伸一が聞くと、即座に、「はい」「大丈夫です!」と声が返ってきた。
 「そうですか。あと最後の、御言葉だけですから」
 ──万年救護の為に二十六箇条を置く後代の学侶敢て疑惑を生ずる事勿れ、此の内一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有る可からず。
 「……末法万年の衆生を救護、救済するために、二十六箇条を書き置く。後の世の僧侶は疑いをいだくことなく、これを守り、実践していきなさい。このうち一箇条でも破る者は、日興上人の門流ではないとの仰せです。それは、同時に大聖人の弟子でもないことになります。
 この二十六箇条の精神を守り、実践した人こそが真実の大聖人の弟子であり、日興上人の門流です。儀式や形式ではなく、そこにこそ、信心のまことの血脈があるのです。
 私たちは、本日より、この御遺誡を胸に刻み、大聖人の弟子たる誇りと使命をもって、勇んで広宣流布を推進していこうではありませんか!」

 

新・人間革命2巻 練磨の章 134頁~

4月6日

第1597回
悪を断じて放置するな!

 

<悪は、放っておけば、いつしかはびこり、多くの人を不幸にする。
それで苦しむのは、未来の世代である。>

 

 日蓮大聖人は四条金吾に、こう仰せである。
 「釈尊が言われるには、『わが滅後、末法に入って、尊げな姿をして五法という戒律を行ずる提婆達多のような者が国土に充満して、悪王を味方にして、正法を弘めるただ一人の智者を、あるいはののしり、あるいは打ち、あるいは流罪にし、あるいは死にいたらせようとする。この時、昔にも増してより以上の、天変、地夭、大風、飢饉、疫病が年々に起こり、他国からその国を攻めるであろう』と説かれている」「この経文の示すところは、今の世と少しも違わない。そして日蓮は『ただ一人の智者』の一分に当たっている」(御書1149ページ、通解)
 有名な御文である。謀略者と権力者という悪の結託――大聖人に対する迫害の構図が、明快に説き明かされている。
 そして、この大聖人に直結して、御聖訓どおりの難を一身に受けきりながら、同志を守り、学会を守りぬいて、広宣流布の道を開いてきたのが、学会の初代会長、第二代会長であり、第三代の私である。そのことを、後世のために、あえて明確に語り残しておきたい。
 大聖人は続けて、こう仰せである。
 「この日蓮を助けようと志す人々は少々いるけれども、あるいは志が薄い。あるいは志が厚くても、身がそれに伴わない。さまざまな人がおられるなかに、あなた(四条金吾)は、その一分に当たっている。日蓮を助けようという志が人よりすぐれておられるうえ、日蓮がわずかの身命をここまで支えることができたのも、あなたのおかげである。このことは、天も必ず知っておられるし、地もご存じであろう」(御書1149ページ、通解)
 この御文を拝し、私は、日夜、身命を惜しまず広布に邁進されている皆さまを、大聖人が讃えておられることは間違いないと信ずる。皆さまの活躍は、天も知り、地も知っている。この確信と誇りを忘れないでいただきたい。
 大聖人が仰せの「志」とは、「勇気」とも言えよう。
 いざというときに、どのような「勇気」で、どのような「心」で、どのように師弟の「共戦」の歴史を刻むか。これが、人生の究極の勝敗を決していく。ここに、大聖人の仏法の根幹がある。
 そして、関西創価学会は、永遠に、その模範のなかの模範であっていただきたい!
関西は、創価学会の心臓部である。関西は、私が鍛え、築いた組織であるからだ。
 大聖人は、こうも仰せである。
 「いかなる大善をつくり、法華経を千万部も読み、書写し、一念三千の観念観法の悟りを得た人であっても、法華経の敵を責めなければ、それだけで成仏はないのである。
 たとえば、朝廷に仕える人が、十年、二十年と奉公しても、主君の敵を知りながら、主君に報告もせず、個人としても敵として怒ることがなければ、長年の奉公の功績も、みな消えてしまい、かえって罪に問われるようなものである」(御書1494ページ、通解)
 まことに峻厳な御言葉である。広布を阻む敵を見ながら、それと戦えない。戦わない――こういう人間は、いくら仏法を知っていても、成仏はできない。どんな高い立場があっても、砂上の楼閣である。
 私は、この御聖訓を胸に刻み、ただ一人、迫害の矢面に立って、正義を叫びぬいてきた。悪と戦ってきた。
 悪は、放っておけば、いつしかはびこり、多くの人を不幸にする。それで苦しむのは、未来の世代である。
 どうか皆さんは、悪を放置せず、勇気をもって、徹して戦っていただきたい。

 2002年5月31日第十七回本部幹部会、第七回常勝関西青年部総会

4月5日

大転換時代到来!
脱炭素社会を我らが先駆!


<特別寄稿>

脱炭素化への五つの原則

 

国連気候変動枠組条約

 クリスティアナ・フィゲレス前事務局長

2019年4月4日


“持続可能な未来”を見据え皆が責任ある一人に 


 東京・信濃町の総本部を訪問し、学会の代表と和やかに語り合うフィゲレス前事務局長(2月11日、学会本部別館で)
 2月に東京・信濃町の総本部を訪れた国連気候変動枠組条約(UNFCCC)前事務局長のクリスティアナ・フィゲレス氏から、論考が寄せられた。氏はコスタリカの外交官として長年活躍し、2010年にUNFCCCの事務局長に就任。温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」の採択に尽力するなど、気候変動対策をけん引してきた。現在は国際的な気候変動行動キャンペーン「ミッション2020」の議長を務め、温室効果ガス排出削減に向けてネットワークを広げている。
 グローバルな気候変動交渉の責任を担うように要請された当初、私は世界各国の政府をまとめることは不可能だと思っていました。
 しかしその後、心を入れ替え、世界の気候変動への取り組みを変える手伝いをしようと決心しました。楽観主義なしに勝利をもたらす道はないからです。
 その後、パリ協定が採択されるまでの数年間、私は積極的に世界の宗教団体に働き掛けをしました。
 宗教組織はコミュニティー(共同体)において、大きな影響力を持っています。私どもが受けた最も重要な支援の一つは「ラウダート・シ」という回勅を発表したローマ教皇からのものでした。これはカトリック教会だけではなく、政治的にも影響力を持ちました。
 驚いたことに、2012年以来、多くの宗教コミュニティーが、炭素関連、特に石炭に関連する産業から資金を引き上げる決定をしているのです。
 こうした宗教コミュニティーは宗教的な信仰と科学との間に矛盾がないことを理解しています。私たちは皆、“共通の家”に暮らしています。人類が地球上で平和に暮らしていけるか否かという挑戦を共有しています。暴力を引き起こすような対立を避けるよう努める責任があるのです。
 ◆◇◆ 
 私は、移民を通じて各国が現在受けているプレッシャーについても憂慮しています。
 今日、世界には6800万人を超える難民がいます。そのうち2200万人以上が自国の外に出ています。戦争に加え、環境の変化も、その原因となっています。
 環境や気候変動の問題は、日本にとって何を意味するのでしょうか。私の視点では、二つの全く異なる未来が考えられます。
 一つは、世界の取り組みをリードすることです。
 日本には自然資源、労働力、技術、資本がそろっています。より多くの機会に恵まれ、安定した世界を構築するために先頭に立つべきです。
 もう一つは、逆に国際社会から“置いてきぼり”にされ、前世紀の技術に支配され続ける事態です。
 先導するか、置いてきぼりになるか――世界の脱炭素化のスピードを考えれば、日本にはこの二つ以外に選択肢はないと思います。
 難しい政治や経済状況を抱えているのは、どの国も同じです。太陽光、地熱、風力の発電を通じて経済成長を継続させるための機会は、日本にも開かれています。日本は傑出した労働力と技術を持っています。この機会を捉えて、何かを生み出していくことを願っています。
 ◆◇◆ 
 脱炭素化に向けて、私は五つの原則、社会からの要請を確認したいと思います。一点目は、倫理的原則です。
 パリ協定で示されている“産業革命前からの平均気温の上昇幅を1・5度にとどめる”ことができず、2度上昇させてしまうと、水不足や飢餓を原因とする死亡者数が2~3倍になると予測されています。
 異常気象が原因で強制的に移住しなければならない人々の数も、2~3倍になるでしょう。
 私たちはグローバル経済の針路を変更し、気温上昇を1・5度、最悪でも2度未満に抑えることを目指していかねばなりません。
 日本では昨年、豪雨災害や熱中症によって多くの方が犠牲になりました。しかし、これらは私たちが向かっている未来像の一部分にすぎないのです。
 皆が責任ある一人として、災害が頻発しない未来を確かなものにしていく必要があります。
 災害は弱い立場にある人々に最も被害を及ぼします。最も弱く責任のない人々に悪影響を及ぼさないよう、行動を起こしていかなければいけません。
 二つ目の原則は科学技術の主流化についてです。昨年、世界の発電量における新規増加分の3分の2が、再生可能エネルギーによるものと発表されました。わずか3分の1が化石燃料によるものでした。
 エネルギー技術の主流が再生可能エネルギーに向かっていることは議論の余地がなく、化石燃料には向かっていません。
 三つ目の要請は金融リスクの認識が高まっていることです。
 高炭素資産、石炭や石油ガスの金融リスクへの認識が芽生えています。実際、“もはや石炭関連の事業に対する投資はしない”と決定した金融機関もあるようです。
 四つ目に「社会的許容」です。農村部に住んでいる人々、都市部に住んでいる人々が“もう自分たちの健康について妥協したくない”と言い始めています。彼らは実際に「きれいな空気を吸いたい」と主張しているのです。
 石炭火力発電は大気に二酸化炭素を排出するだけでなく、地域レベルで大気汚染の原因となる粒子状物質も排出します。輸送のための液体化石燃料の燃焼も、粒子状物質による地域の大気汚染を引き起こします。全ての化石燃料が社会的に許容されるかどうかという圧力を受けています。
 つまり、従来の発電や車などのままでは、もう社会から許してもらえなくなるということです。
 五つ目は「世代間の公正」の要請です。
 地球という惑星全体で、過去150年間と同じだけ「温室効果ガス」を排出すると、気温上昇は2度を超えてしまいます。
 未来の世代は、不安定な世界、つまり、彼らが自分たちの人生における“予見可能性”を持つことが難しい暮らしをすることになります。
 例えば、保険会社が保険を掛けられない世界になります。破壊の度合いがひどくなるためにリスク管理ができず、保険をこれ以上は引き受けられなくなるのです。それだけの大きなリスクが発生することを意味します。
 ◆◇◆ 
 以上の五つの原則、要請全てが互いに積み重なり合っています。互いが互いを強め合うような要請なのです。私たちは他に選択肢がないのです。
 ただ、これにより私たちはチャンスが増えるともいえます。というのも、すでに脱炭素化の道を進んでいる個人や企業が示しているのは「脱炭素化が実行されればチャンスが開かれる」ということです。
 炭素利用の抑制というのは大きなチャンスでもあるわけです。これは全ての企業、都市、国にも当てはまります。私たちは、この方向に進むべきであると思います。 

 2019年4月4日付聖教新聞2面

4月4日

第1596回
我らの前進は
全民衆を幸福に!

 

<どこまでも信仰を根幹に>

 

 出会いは人生の花だ。
 信じ合える絆は宝だ。
 私も、正義に生きる
 恩師・戸田先生との出会いが
 人生を決めた。
 苦悩渦巻く社会で、
 この流転から人々を解放し、
 困難を打開しゆく仏法ならば、
 一生をかけてみよう――
 こう決意して、
 師弟の道を歩み始めた。
 わが一念を定めれば、
 全てが開けていく。
 信心根本の軌道ほど、
 強く、充実した人生はない。

 

 正義の戦いを起こすならば、
 断じて勝つことだ。
 異体同心で進むことである。
 我らの目的は
 広宣流布 即 世界平和である。
 我らの前進は、
 どこまでも信仰を根幹に、
 全民衆を幸福にしていくのである。
 民衆を利用し、
 民衆を苦しめる動きは、
 断じて許さない。
 まじめな庶民が馬鹿を見ない社会。
 一番、苦しんできた人が、
 一番、幸福になる世界。
 それを築くための戦いだ。

 

 まず張り切って、
 一歩を踏み出すことだ。
 たとえ、つまずいても、
 朗らかに、たくましく、
 次の一歩を踏み出せばよい。
 今日一日を勝つことだ。

 桜の生命と同じように、
 我々も力の限り、
 生きて生きて生き抜いて、
 己の使命の花を
 咲き薫らせていくことだ。
 これが本然の法則だ。
 我らに春が来た!
 勝利の春が来た!
 創価の同志の春が来た!

 

2019年3月31日 <池田大作先生 四季の励まし> 我ら創価の春が来た!

3月30日

第1595回
すべて青年部が先頭に立つことだ。

 

<全員が会長、理事長の自覚で!>

 

 今年、創価学会は創立七十二周年(2002年当時)である。人間でいえば、七十二歳。これからが総仕上げである。
 学会の正真正銘の真価を、人類史の本舞台でいちだんと発揮し、偉大な歴史を残しゆく、まことに意義深き時代に入った。われらの舞台は全世界である。
 現代文明は、権力主義や物質主義に覆われてしまった。人間のいちばん清らかな魂の流れを、みずみずしく蘇らせていく精神性は、どこにあるのか。
 それは仏法である。二十一世紀こそ、創価の人間主義が、歴史の舞台に本格的に登場する時のである。
 新しき世紀の主役は、瞳も涼やかに、未来への使命と希望を胸に抱く、青年部の諸君である。
 偉大なる使命のバトンを握りしめた若き諸君に、私は創価学会の万事を託したい。そのことを、きょうの「決議」としたい。(拍手)
 すべて青年部が先頭に立つことだ。先輩に遠慮する必要はない。きょう、この瞬間から、全員が会長、理事長の自覚で、創価学会の一切を担っていただきたい。
「五月三日」は、広宣流布への新たな出発の日である。

 

 2002年5月1日五・三祝賀第十六回本部幹部会、新世紀第二回未来部総会

3月30日

第1594回
思いきってやってみろ!

<自分自身が、広宣流布の指導者として立つ時である>

 

 平和を願ってやまなかった、アメリカの若き教育思想家ボーンは、語っている。
 「青春の哲学のいっさいは、思いきってやってみろ! という言葉に要約される」(「青春」井上謙治訳、『社会的批評』所収、研究社出版)
そのとおりである。
 「青春の命」は、正義のために、思いきって行動を開始する勇気にこそある。
 さらにまた、この真摯な教育思想家は、「詭弁やいい抜けを嫌い、あるがままのものを主張する青年の抑えがたい活動がなかったら、社会はまったく衰弱して滅びてしまうであろう」(同前)とも強く訴えている。ウソを許さぬ、青年の熱血の叫びこそ、健全な社会を築く「力」であるからだ。
 まさに、わが青年部の勇敢なる姿そのものである。皆さんの活躍を、私は心から讃えたい。
 今、「新しき世紀の大地」から、「新しき息吹の青年たち」が勇み立ち、きら星のごとく、光り始めた。そう私は直感し、期待している。
 若い君たちこそ「新しい光」だ。「新しい人材」である。いつまでも、だれかに頼る心ではいけない。もう傍観者のように眺めている時代ではない。自分自身が、広宣流布の指導者として立つ時であると自覚していただきたい。

 

 2002年4月13日第三回全国青年部幹部会、オレゴン州立大学「特別栄誉賞」授与式

3月24日

第1593回
人の胸を打つのは「真剣さ」だ。
 「必死の一念」だ!

 

 人間の価値は、
 財産でもなければ、地位でもない。
 どのような哲学を持ち、
 どのような
 実践をしているかで決まる。
 ゆえに、最高無上の妙法を持ち、
 行じ、弘めゆく創価の同志こそ、
 男女はきらわず、
 最高無上の大人材なのである。
 
 たとえ不遇な状況におちいっても、
 笑われても、けなされ、
 謗られ、迫害されても――
 いかなる苦難にあっても、
 決して屈しない。
 まったく動じない。
 そのような、
 堂々たる「人格」を鍛え、
 自分自身として輝き続ける。
 そのための信仰である。
 それが真の学会員の誇りなのだ。
 
 人の胸を打つのは「真剣さ」だ。
 「必死の一念」である。
 そこから、勝つための智慧も
 わき出てくるものだ。
 「もういいだろう」
 「このへんでやめておこう」と
 手を抜いてしまえば、
 それ以上は絶対に前に進まない。
 妙法の力は、無限である。
 もう一歩、あと一歩の執念で、
 わが目標の完遂へ
 勇んで突き進んでまいりたい。
 
 仏は
 対話に臨んで逡巡しない。
 遠慮もしない。
 いかなる違いや葛藤があっても、
 相手の仏の生命を呼び覚まし、
 広宣流布の味方に変えていける。
 誰に対しても
 臆さずに真実を訴える。
 悩める友を真心から励ます。
 この同志の声ほど、尊く強く、
 妙なる生命の名曲があろうか。
 信念と希望と決意の声を響かせ、
 前進だ!

 

〈池田大作先生 四季の励まし〉勇気と信念の声を高らかに 2019年3月24日

3月23日

第1591回
青年よ!

力をつけよ!

 

韓国を心から尊敬し、

ともに力を合わせて進もう!

 

 ″韓国のガンジー″と讃えられる独立運動の父・安昌浩(アン・チャンホ)先生は語った。
 「力を求めようとするならば、その力は、どこで求めることができるでしょうか。力は健全な人格と、固い団結から出てくることを私は確信しています」
 一人一人が、人間として輝いていくことだ。団結することだ。そこに大いなる前進の力は生まれる。(中略)
 先ほども紹介した韓国の安昌浩先生は、青年にこう呼びかける。
 「世の中、すべては力の産物です。力が小さければ小さいことを成就し、力が大きければ大きいことを成就し、力がまったくなければ何も成し遂げることはできない」
 青年よ、人間としての力をつけよ!――私も、そう声を大にして訴えたい
 また韓国の有名な詩人であり、民族独立運動の闘士である韓龍雲(ハンヨンウン)先生はつづっている。
 「世間には誹謗も多いし 嫉みも少なくありません。/あなたに誹謗と嫉みの牙が向けられようと お気になさらぬように。/誹謗好きの連中は 太陽に黒点があることさえもっけの幸いと思うものです。/あなたには 誹謗することがないその点を誹謗するかもしれません」(『ニムの沈黙』安宇植訳、講談社)
 はじめに批判ありき――これが誹謗好きな人間である。つねに「何かないか」と狙っている。その本質はヤキモチである。揚げ句の果てには「何一つ批判すべき点がない」ことを理由に批判する――ここまでくると″嫉妬病″である。
 そんな愚人の言葉に紛動されてはならない。何と言われようが、悠然と前に進むことである。
 韓国のメンバー、きようは、ありがとう!
 お帰りになったら、皆さんに、くれぐれもよろしくお伝えください。
 きょう(五月三十一日)は韓国で、日本と共同開催のサッカー・ワールドカップが開幕する。いよいよ韓国の時代である。歴史上、文化の大恩ある韓国を心から尊敬し、ともに力を合わせて進んでこそ、日本の正しい未来が輝く。

 

2002年5月31日第十七回本部幹部会、第七回常勝関西青年部総会

3月23日

第1590回
広宣流布の根本の原理

 

<一人立て!>

 

 思えば、一九一九年の春、若き周恩来総理は、桜の咲くころ、留学中の日本を発って、祖国へ舞い戻っていかれました。それは、あの中国革命の淵源である「五・四運動」に身を投ずるためでありました。
 この「五・四運動」のスローガンの一つが、「青島を日本から取り戻そう!」という叫びであったことは、まことに有名であります。(第一次世界大戦で敗戦国となったドイツに代わり、当時、日本が青島を支配下に置いていた)
 その大闘争に、十八歳の若さで立ち上がった、山東地域の若き指導者のことを、私は思い起こすのであります。その名は、鄧恩銘(とうおんめい)青年。
 彼は、一九〇一年生まれ。戸田第二代会長やポーリング博士と同じ年代であります。
 鄧青年は、労苦をいとわず、日夜、各地を駆け回り、民衆の中へ飛びこんでいきました。
 民衆の中ヘ!――私たちの戦いも同じであります。
 鄧青年は、行く所、向かう所、正義と勇気の炎をともし、人々を決起させていったのであります。
 私も、青春時代、九州でも、また葛飾でも、そういう戦いの歴史を残してきました。大事なのは「一人」です。必死の一人から、二人、三人、そして千人、万人へと、波動が広がっていく。
 ゆえに「一人で決まる!」「一人立て!」――これが広宣流布の根本の原理です。
 鄧青年は、名聞名利など、かなぐり捨てて、肺結核も乗り越えながら、祖国のため、人民のために戦いました。女性の解放にも尽力した先見の人であります。
 彼は、同志を励まし続けました。
 「何事も、先駆を為すことはむずかしい。しかし決心を貫き、勇気を奮い立たせていけば、必ずや古い鉄鎖を断ち切り、自由と解放を勝ち取ることができる」と叫び、戦ったのであります。
 敵は、この正義の若き指導者を、いっせいに狙い打ちにしました。
 投獄は、三度。そして、一九三一年の四月五日、同志の卑劣な裏切りにあい、処刑されたのであります。三十歳の若さでありました。
 その殉難の直前、青島の革命児・鄧青年は、母に宛てて一詩を詠みました。
 「たとえ、わが身は死のうとも、惜しくはありません。なぜなら、後継の友が立ち上がり、必ずや、私を喜ばせてくれるからです」
 こうした壮烈な魂が、脈々と継承されて、現在の″栄光の大中国″が、築き上げられていったのであります。偉大な歴史の建設は、「一人の青年」から始まるのです。(拍手)

 

2002年4月21日中国・青島大学「名誉教授」授与式、九州青年部第一回新世紀総会

3月23日

第1589回
自分が先頭に立つ!

 

<世界へ世界へ>

 

 牧口先生は、全学会の先陣を切って折伏を続けられた。
 リーダーが「先頭に立つ」ことだ。自分は後ろのほうにいて、皆にやらせるのは卑怯である。
 私は先頭を走っている。だから迫害も多い。
 法華経に「猶多怨嫉」とある。(法師品の文。「如来の現に在すすら猶お怨嫉多し。況んや滅度の後をや」〈法華経三六二ページ〉)
 批判・中傷されないのは、法華経の文に反する。広宣流布の途上に「三類の強敵」「三障四魔」が競い起こるのは必定なのである。
 これこそ、仏になる大道なのだ。
 障害物を乗り越えるから、偉大な人格ができる。何もなければ、ただの拝み屋である。形式的な宗教だ。
 牧口先生は、全国に足を運び、たくさんの人に、妙法を″下種″していかれた。軍部に逮捕されたのも、折伏に行った伊豆の下田である。
 下田は、吉田松陰が「世界へ」雄飛しようとした場所である。(一八五四年、アメリカ船に乗り込もうとした)
 また、日蓮大聖人が、最後の旅でめざされたのは「常陸」であった。
 「世界へ」開かれた太平洋を臨む天地とされている。
 「世界へ」「世界へ」――ここに大聖人の仏法の魂がある。

 

2002年3月3日 第十五回本部幹部会、第四回九州総会、第二回芸術部総会

3月20日

第1588回
全世界に平和と人道の連帯を!


 一、最後に、「世界の友と! 正義と友情の走者たれ」と申し上げたい。
 皆さんは、若き創価の世界市民として、人類貢献のリーダーシップを錬磨してきました。
 私の世界の友人たちも、学園生に絶大なる期待を寄せてくれております。冷戦終結の大功労者ゴルバチョフ元ソ連大統領もその一人です。つい先日も、元大統領から私に「大親友へ」と著書を頂きました。
 変わらざる友情と信義で結ばれた元大統領は、「人格」と「哲学の深さ」「人間性の大きさ」という創価の人道主義こそが、冷たい政治も経済も全てを温かく変えていけると信頼してくれているのです。
 皆さんは、学園で結んだ一生涯の友情を宝としつつ、全世界に平和と人道の連帯を広げながら、この21世紀を「人間革命の光の世紀」と輝かせてください。そして次の22世紀へ、さらに西暦3000年へと、地球文明の偉大な創造の襷をつないでいただきたいのです。
 皆さんがいずこにあっても、私は学園の先生方や職員の方々と共に、一人も残らず健康あれ! 幸福あれ! 栄光あれ!と祈り抜いていきます。


019年3月17日 創価学園卒業式への池田先生のメッセージ

3月20日

第1587回
大宇宙を友として新たな価値創造を!

<若き生命に宇宙大の力と可能性が>

 

 一、第二に申し上げたいことは、「宇宙と共に! 価値創造の走者たれ」ということです。
 先日、日本の「はやぶさ2」が小惑星「リュウグウ」への着地を成功させ、世界から喝采が送られました。
 大宇宙と生命の起源への探究は、さらに進んでいくことでしょう。
 私には、大宇宙のロマンを語り合ったブラジルの天文学者モウラン博士の洞察が思い起こされます。
 “宇宙は自然の法則に従い、調和を求め、常に進化を続けている。同じように、私たち人間も常に成長し続けていくことが大切です”と。
 思えば、この1秒間にも、私たちの地球は太陽の周りを約30キロという猛スピードで公転し、太陽は約7億トンともいわれる水素を転じて莫大なエネルギーを生み出しています。
 そして皆さんの若き生命にも、まぎれもなく宇宙大の力と可能性が秘められているのです。それを解き放つのは、積極果敢な行動です。
 私と妻の大切な友人である女性の世界初の宇宙飛行士テレシコワさんも、座して待っているのではなく、未来のために打って出て勇敢に闘ってこそ、大胆な夢もかなえることができると強調されていました。
 どうか、心広々と大宇宙をも友とし味方としながら、日々、正しき生命の軌道をたゆまず進み、新たな価値を創造していってください。

 

2019年3月17日 創価学園卒業式への池田先生のメッセージ

3月17日

第1586回
父母の恩に報いよ!
されば、無限の勇気が。

 

< ナポレオン曰く、

「わたしのなしえたすべては、母のおかげだ」>

 

 第一に、「父母を胸に! 挑戦と前進の走者たれ」と申し上げたい。
 今年は、フランスの英雄・ナポレオンの生誕250年です。
 いかなる困難にも「前進、また前進」と叫んで新時代を切り開いた、この英雄が残した「歴史の教訓」をめぐって、私は子孫であるナポレオン家の当主シャルル・ナポレオン公と対談集を発刊しました。
 ナポレオンは若き日から、何があっても、自分を卑下したり、あきらめたりしない「負けじ魂」に燃えていました。「数々の逆運に遭っても私の魂は大理石のように堅かった。雷も私の魂には歯が立たず、私の魂の上を滑ってゆかなければならなかった」(オクターヴ・オブリ編『ナポレオン言行録』大塚幸男訳、岩波文庫)と言い切っております。
 だからこそ、その生涯は後世の人々を「勇気があれば、道はいつでも拓ける」(『エマソン選集6 代表的人間像』酒本雅之訳、日本教文社)と励ましてやまないのです。
 このナポレオンの「負けじ魂」を育んだ大きな源は何であったか。それは、気高きお母さんの存在でした。ナポレオン自身、「わたしのなしえたすべては、母のおかげだ」(アラン・ドゥコー著『ナポレオンの母』小宮正弘訳、潮出版社)と感謝をささげています。
 皆さんも晴れの卒業を迎えるまでに、お母さん、お父さんをはじめ、ご家族の方々のどれほどの祈りと応援があったことか。ここで、感謝の大拍手を全員で送りたいと思うけれども、どうだろうか!(大拍手)
 人間は、父母たちの恩を知り、その恩に報いてみせると決心した時、尽きることのない勇気を引き出すことができます。ゆえに、きょうよりまた、素晴らしき父母を心に抱いて、いよいよの学びの挑戦と前進の力走を、自分らしくさっそうと開始していただきたいのであります。

 

2019年3月17日 創価学園卒業式への池田先生のメッセージ

3月16日

第1585回
なぜ、あえて折伏をするのか

<創価学会こそ「幸福と希望の安全地帯」>

 

 牧口先生が、鹿児島県出水市出身の一教育者に、このはがきを書かれたのは、一九四〇年(昭和十五年)の三月三日――六十二年前のきょうであった。
 牧口先生と九州は縁が深い。その九州のなかでも、鹿児島の友の健闘が今、光っている。
 はがきを受け取った方は、小学校の校長であった牧口先生のもとで、教員として、約六年間、薫陶を受けた。
 「私の人生において、もっとも幸福な時代であった」と、回想しておられる。
 ただし、尊敬する牧口先生の指導であっても、信心の話だけは、なかなか素直に聞けなかったようだ。牧口先生のはがきでも「(あなたは)話がいつものように信仰のことになるのを好まれないようですが……」と、わざわざ前置きをされている。(原文は「話はいつも信仰の事にとか……」)
 なぜ、あえて折伏をするのか――牧口先生は「価値論」を通しながら、理路整然と説明されていく。原文は古い文体なので、わかりやすくすれば、次のようになる。
 ″私の信仰は、目先の小さな利益よりも大きな利益、小さな法よりも大いなる法、さらに枝葉よりも根本、部分的なものよりも全体的なもの、というように、次第に高い次元の法則を追求した結果、到達したものなのです″
″ひとたび、この最大最善の人生の法則に到達できた以上、それを人々に教え、弘めていくのは当然のことです。そうでなければ、慳貪(ケチで無慈悲なこと)の罪になってしまうでしょう
 そして、牧口先生は、この青年教育者に、創価教育学会への入会を勧める。
 ″(あなたも)その教えをもって、少しでも早く安全地帯にたどりつけるように、(正法を信ずる者として)ともに人生を送りゆくことを希望しております″
 ――あなたは今、安全地帯にいないのですよ。「信心の世界」こそ「生命の安全地帯」なのです。そこで、ともどもに「すばらしい人生」を生きていこうではありませんか!
 こういうお気持ちであられたのであろう。
 (この方は、このはがきから十八年後の一九五八年〈昭和三十三年〉に入会。七六年〈昭和五十一年〉には『略解 創価教育学入門』を出版している)
 私は、ある青年を励まされた戸田先生の言葉が忘れられない。
 罪を犯して牢獄に行く青年に対して、「絶対に信心を忘れるな。わが創価学会から、いかなることがあっても離れるな」と戸田先生は言われた。
 この言葉を抱きしめ、青年は苦境を乗りきった。人間として成長していった。
 創価学会こそ「幸福と希望の安全地帯」なのである。

 

2002年3月3日 第十五回本部幹部会、第四回九州総会、第二回芸術部総会

3月16日

第1585回
なぜ、あえて折伏をするのか

<創価学会こそ「幸福と希望の安全地帯」>

 

 牧口先生が、鹿児島県出水市出身の一教育者に、このはがきを書かれたのは、一九四〇年(昭和十五年)の三月三日――六十二年前のきょうであった。
 牧口先生と九州は縁が深い。その九州のなかでも、鹿児島の友の健闘が今、光っている。
 はがきを受け取った方は、小学校の校長であった牧口先生のもとで、教員として、約六年間、薫陶を受けた。
 「私の人生において、もっとも幸福な時代であった」と、回想しておられる。
 ただし、尊敬する牧口先生の指導であっても、信心の話だけは、なかなか素直に聞けなかったようだ。牧口先生のはがきでも「(あなたは)話がいつものように信仰のことになるのを好まれないようですが……」と、わざわざ前置きをされている。(原文は「話はいつも信仰の事にとか……」)
 なぜ、あえて折伏をするのか――牧口先生は「価値論」を通しながら、理路整然と説明されていく。原文は古い文体なので、わかりやすくすれば、次のようになる。
 ″私の信仰は、目先の小さな利益よりも大きな利益、小さな法よりも大いなる法、さらに枝葉よりも根本、部分的なものよりも全体的なもの、というように、次第に高い次元の法則を追求した結果、到達したものなのです″
″ひとたび、この最大最善の人生の法則に到達できた以上、それを人々に教え、弘めていくのは当然のことです。そうでなければ、慳貪(ケチで無慈悲なこと)の罪になってしまうでしょう
 そして、牧口先生は、この青年教育者に、創価教育学会への入会を勧める。
 ″(あなたも)その教えをもって、少しでも早く安全地帯にたどりつけるように、(正法を信ずる者として)ともに人生を送りゆくことを希望しております″
 ――あなたは今、安全地帯にいないのですよ。「信心の世界」こそ「生命の安全地帯」なのです。そこで、ともどもに「すばらしい人生」を生きていこうではありませんか!
 こういうお気持ちであられたのであろう。
 (この方は、このはがきから十八年後の一九五八年〈昭和三十三年〉に入会。七六年〈昭和五十一年〉には『略解 創価教育学入門』を出版している)
 私は、ある青年を励まされた戸田先生の言葉が忘れられない。
 罪を犯して牢獄に行く青年に対して、「絶対に信心を忘れるな。わが創価学会から、いかなることがあっても離れるな」と戸田先生は言われた。
 この言葉を抱きしめ、青年は苦境を乗りきった。人間として成長していった。
 創価学会こそ「幸福と希望の安全地帯」なのである。

 

2002年3月3日第十五回本部幹部会、第四回九州総会、第二回芸術部総会

3月16日

第1584回
これが仏法の人間主義である

<人類平和の根本の大法則>

 

 仏法の人間観こそ「人類平和の根本の大法則」
 仏法では、「本来、すべての人が仏である」と説く。私は、この仏法の人間観こそ、「人類平和の根本の大法則」であると信じている。
 あなたも仏であり、私も仏である。だから争ってはいけない。おたがいに尊敬しあうべきだ――このことを、本当に世界の指導者が理解すれば、戦争はなくなる。
 この信念に立ち、全世界の大統領が、首相が、リーダーが、たがいに最敬礼し、たがいに讃えあい、譲りあっていけば、必ずや、戦争に終止符を打ち、人類を平和のほうへ、幸福のほうへと持っていくことができるにちがいない。
 これが仏法の人間主義である。釈尊そして日蓮大聖人の深き教えである。ここに、「戦争と暴力の流転」を転換しゆく希望の光明がある。
 今、皆さまが、仏法を弘めている意義は、あまりにも大きいのである。

 

 2002年3月3日第十五回本部幹部会、第四回九州総会、第二回芸術部総会

3月12日

1583回
城は「民衆を守る」ものだ

 

 恩師が仙台の青葉城址に立ち、「学会は、人材をもって城となす」との永遠の指針を示されたのは、六十五年前(1954年)の春四月だった。
 詩人・土井晩翠が、この青葉城や福島・会津の鶴ケ城に着想を得て作詞したといわれる「荒城の月」の一節には、「昔の光 いまいずこ」とある。
 森羅万象は、変化、変化の連続である。
 戸田先生は青葉城を訪れたその日、仙台支部の総会で、妙法こそ生命の一切をよりよく変化させゆく根源の力であると明快に教えてくださった。
 人生も社会も、どんなことがあろうと、全てを善の方向、幸福の方向、勝利の方向へと変化させていけるのが、「人間革命」即「立正安国」の我らの祈りなのである。
 思えば、「荒城の月」の作曲者・滝廉太郎ゆかりの大分・竹田の岡城も難攻不落で知られた。
 その本丸跡で、九州の友と「荒城の月」を大合唱したことはあまりに懐かしい(1981年)。それは私が長編詩「青年よ 二十一世紀の広布の山を登れ」を発表した二日後、熊本へ向かう途次のことであった。
 歴史上、岡城の堅固さは「一人萬卒を制するといひしはかゝる所の事ならん」と称えられた。
 広布の勇者が「一人立つ」ならば、千人、万人にも匹敵する百戦不撓の「平和の城」となる。
 「熊本地震」(2016年)では、熊本・阿蘇両地方と大分は、激しい揺れに襲われた。試練に挑み、「負けんばい!」と険難の坂を越えゆく師子のスクラムは誇り高い。
 ともあれ、城は「民衆を守る」ものだ。それは民衆が安心して暮らせる拠点であり、地域社会であろう。まさに「立正安国」とは、崩れざる民衆城を築く戦いだ。わが地域の繁栄を願って仏縁を広げる一人ひとりの誠実な行動が、この城を盤石に固めているのである。

 

随筆「人間革命」光あれ 池田大作 福光勝利の春   2019年3月11日

3月12日

第1582回
絆は、生死を超えて永遠!

 

 若くして父を亡くした南条時光への励ましには、「いよいよ強盛なるべし、さるほどならば聖霊・仏になり給うべし、成り給うならば来りてまほ(守)り給うべし」(御書1512頁)とある。
 大難に怯まぬ強盛な信心を貫けば、亡き家族・眷属も成仏し、我らを守る。共に「常楽我浄」の旅を続けていけるのだ。

 

随筆「人間革命」光あれ 池田大作 福光勝利の春   2019年3月11日

 

3月3日

第1581回
第一に「祈り」の拡大
第二に自身の「境涯」の拡大
第三に「勇気」の拡大

 

 来る日も、来る日も、
 同志の笑顔のため、
 地域の人々の喜びのため、
 わが地涌の勇者の皆さま方は走り、
 語り続けている。
 いかなる高位の人よりも、
 有名人や権勢の人よりも、
 遥かに偉大な人間王者であり、
 幸福と平和の博士である。

 

 広布のためならば、
 どこへでも駆けつけよ!
 懸命に難関に挑み、
 苦闘する友と一緒に立て!
 激戦の地で新たな波動を起こせ!
 創価学会には、
 この真心のネットワークで結ばれた
 強固な団結がある。
 だから強い。だから負けない。

 

 団結の鍵は何か。それは、
 一見、矛盾するようであるが、
 自らが「一人立つ」ことである。
 自分が真剣に祈り、強くなることだ。
 「誰かがやるだろう」と、
 安易に考えている限り、
 どこまでいっても、
 真の団結を築くことはできない。

 

 広宣流布の城に、
 必要のない人など、一人もいない。
 皆が「宝の人材」である。
 誰もが、なくてはならない存在だ。
 その一人一人を
 真心から大切にしていく
 積み重ねによってこそ、
 難攻不落の大城が出来上がるのだ。

 

 励ましの大地に、仏縁の拡大、
 友好の拡大、青年の拡大、
 人材の拡大の爛漫たる花を!
 そのための要諦は何だろうか。
 それは第一に「祈り」の拡大である。
 第二に自身の「境涯」の拡大である。
 そして第三に「勇気」の拡大である。
 「祈り」「境涯」「勇気」――
 この三つの拡大を通して、
 わが人生と地域と世界の新時代を、
 朗らかに邁進していこう!

 

〈池田大作先生 四季の励まし〉友好拡大の花を爛漫と  2019年3月3日 

2月23日

第1580回
平和は身近にある

 

 平和の心といっても、むずかしく考える必要はありません。
 友だちと仲良くしていこう。
 元気にあいさつしよう、
 「ありがとう」を言おう、
 困っている人に声をかけよう
 ――全部、平和の心です。
 みなさんが心がけた分だけ、身近なところから世界は平和になっていきます。
 一番の平和な心は、みなさんの幸せを願ってくれている、
 お父さん、お母さんを大切にする「親孝行の心」です。

 

少年少女きぼう新聞 KIBOU 2019.3.1号12面

2月21日

第1579回
地道な草の根の行動こそ
時代を変える大事業に!


 足元の地域から、
 全ては始まる。
 地域を学び、地域に根を張り、
 地域の人びととつながる。
 その地道な草の根の行動から、
 時代を変える大事業が生まれる。
  
 どんな友情も、
 最初は知らない者同士の
 出会いである。
 自分が引っ込み思案では、
 友情も深まらない。
 勇気をもって、挨拶する、
 会う、語る、縁を結ぶ――
 この日常の
 誠実な振る舞いのなかにこそ、
 わが生命の宇宙を伸びやかに
 開発しゆく人間革命もあるのだ。
  
 自ら動いた分だけ、
 歩いた分だけ、語った分だけ、
 わが地域の
 “平和の地図”は拡大する。
 祈りに祈り、
 心を砕いた分だけ、
 “幸福の地図”は
 光を放っていくのだ。
  
 私どもの発する「声」が、
 広宣流布を前進させる。
 今、語らなければ、
 後々まで後悔を残してしまう。
 未来の「果」は、
 現在の「因」にある。
 創価の勝利のため、
 自身の三世にわたる幸福のために、
 今こそ勇敢に、
 しゃべりまくることである。
  
 何のための一生なのか。
 人生、いかに生きるべきか。
 この問いに答え、
 所願満足の一生を送り、
 しかも、他者の幸福を支え、
 社会の繁栄と
 平和建設に貢献していく――
 これ以上の「心の財」はない。
 そして、この「心の財」は永遠だ。

 

2019年2月17日 〈池田大作先生 四季の励まし〉

2月9日

第1578回
最後は「信心強き人」が勝つ

 

 文永12年(1275年)正月24日、日蓮大聖人は、大田乗明への御手紙にこう仰せである。
 「抑俗諦・真諦の中には勝負を以て詮と為し世間・出世とも甲乙を以て先と為すか」(御書1002ページ)
 ――そもそも俗世間においても、真実の世界である仏法においても、勝負が肝要であり、世間も出世間(仏法)も、甲乙(勝劣)を決することを最も大切なこととするか――と。
 世間においても、仏法においても、何が勝れ、何が劣るかを明らかにせねばならない。そして、正義は邪義に絶対に負けてはならない。
 一、仏法も、社会も、人生も、「勝つか負けるか」――これが根本となる
 個人も、一家も、団体も、すべて「勝負」である。戦闘である。ゆえに、大聖人は御書に教えてくださっている。「世間でも勝ちなさい。仏法でも勝ちなさい」――と。
 「勝つ」なかに「幸福」もある。「希望」もある。「広宣流布」もある。
 ゆえに、大聖人直結の誉れの同志は、絶対に負けてはならない! 断じて勝たねばならない!
 学会はこの「断じて勝つ」信心を貫いたゆえに、あらゆる障害を乗り越え、奇跡と言われる大勝利、大発展を成し遂げたのである。
仏法も社会も勝負
 一、また大聖人は、弘安3年(1280年)正月11日、南条時光にこう仰せである。
 「花は開いて果となり・月は出でて必ずみち・燈は油をさせば光を増し・草木は雨ふればさか(栄)う・人は善根をなせば必ずさかう」(同1562ページ)
 ――花は開いて、やがて実となり、月は出るごとに必ず満ち、灯は油をさせば光を増し、草木は雨が降れば繁る。(それと同じように)人は善根を積めば必ず栄える――。
 仏法は道理である。
 私どもは、法のため、人のため、広宣流布のために、日々、懸命に行学に励んでいる。
 その真心の信心が、しんしんと降り積もる雪のように、わが身の善根とならないはずがない。「信心」強き人は、最後は必ず勝つ。必ず栄えていく。三世永遠に、無量の福運に包まれ、物心ともに、幸福に満ちみちていくのが仏法である。そうなるに決まっているのが、信心なのである。
 ゆえに信心は、まじめに、地道に貫くことである。
 仏のことを「能忍」という。広布のさまざまな労苦を、あるいは無理解な周囲の声を、「能く忍び」、耐え抜き、乗り越えてこそ、永遠の勝利者となる。
 また仏の別号に「世雄」とある。民衆を救う“世の英雄”として、苦しい戦いも勇敢に戦闘し、勝つ人が仏なのである。
 反対に、要領よく立ち回るだけの人は、表面は良いように見えても、福運はつかない。善根は積めない。
 だれであろうと、どんなに高い地位にあろうと、学会を利用するだけの人間、学会員を裏切る恩知らずの人間は、善根を、すべて失ってしまう。
 「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(同1190ページ)――始めは何もないようであって、ついには滅びないものはない――と仰せのように、最後は必ず滅びていく。

 

1993年1月の新春幹部会での池田先生のスピーチ

 

2月5日

第1577回
二月闘争の「ホシ」
一人ひとりが、自分のいる場所で!

 

<特別な作戦などない>

 

 日蓮大聖人の聖誕の月にして、戸田城聖先生の誕生の月である二月を、「報恩の拡大」で飾ろうと、六十七年前(一九五二年)、私は、蒲田支部の若き支部幹事として行動を起こした。
 当時の組織の最小単位である「組」(現在のブロック)を基盤に、異体同心で邁進し、それまでの壁を破る弘教で、広宣流布の突破口を開いた。
 その際、「祈りから始める」「体験を語る」との指針と共に、私は「近隣を大切にしよう」と訴えた。
 これが「伝統の二月」の淵源である。
 特別な作戦などない。要は、一人ひとりが、自分のいる場所で、自分の身近な縁に目を向けて、そこから、勇気の対話の一歩を踏み出すことだ。
 ここで戦うと腹を決めれば、会う人、縁する人に向き合う一念が変わる。自分の祈りが深まれば相手も環境も変わる。それを避けていたら、いつまでも、自分の「本国土」とはならないのだ。
 一番足元の近隣・地域の人びとを眷属と慈しみ、妙法の光で楽土へ照らしていくことが、立正安国の大道なのである。
 大聖人は、大難に挑まれている新潟・佐渡で、悠然と言い放たれた。
 「我等が如く悦び身に余りたる者よも・あらじ、されば我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし」(御書一三四三ページ)
 ともあれ、悩みのない人生がないように、何の課題もない地域など、どこにもあるまい。それでも、わが郷土を、御書の御指南の通りに「よきところ・よきところ」(同一一八三ページ)と一念を定め、皆で知恵を出し、育んでいくのだ。
 その快活な挑戦を続ける中で、事実の上でも、必ずや「三変土田」して、「よきところ」へ転換していけるのである。

 

2月4日付聖教新聞 随筆 「人間革命」光あれ 新時代の黎明

1月7日

第1576回
今再び、わが人生の戦線に
 「価値創造」を!

 

<満々たる生命力で>

 

 一日一日、
 生まれ変わったように生きる。
 その人生には感傷もない。
 愚痴もない。
 堅実な一歩一歩が必ず
 偉大な使命の人生となっていく。
 これが「創価の道」である。

 自分は昨日までの自分ではない。
 学会も、昨日までと同じではない。
 そう決めて、今日から
 新しい夜明けを始めるのだ。


 今再び、わが人生の戦線に
 「価値創造」という
 新生の夜明けを開くのだ!

 人間は、臆病になり、
 挑戦をやめ、希望を捨て、
 諦めの心を抱くことによって、
 自らを不幸にしていくのだ。
 我らは妙法という根源の法に則り、
 満々たる生命力をたたえ、
 一つ一つの課題を克服しながら
 広布に走る。
 ありのままの自分を輝かせ、
 自他共の幸福を築くために。

 

 妙法に生きる私たちは、
 毎日が久遠元初であり、
 毎日が元旦である。
 今日も、わが生命に
 赫々たる元朝の太陽を昇らせ、
 無明の闇を打ち破っていける。
 その暁鐘こそ、
 南無妙法蓮華経という音律なのだ。

 

 人生は勝つことだ。
 勝つ力が信心である。
 広宣流布に行動することこそ、
 永遠につながる幸福の基盤である。
 広宣流布のため、
 立正安国のため、戦い抜き、
 勝ち抜いた幸福は永久に滅びない。
 この一年も、共々に
 汝自身の幸福への戦いを
 勝利勝利で飾って、
 所願満足の歴史を
 晴れ晴れと残していこう!

 

〈池田大作先生 四季の励まし〉 満々たる生命力で出発!   2019年1月6日

世界広布新時代

創立90周年へ

「創価勝利の年」

(2019年)

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

更新日

2019.6.9

第1609

 

日天月天ワンショット

日めくり人間革命URL