◆募集
「24時間勇者の会」(仮称)のメンバーを募集します。
"24時間唱題に挑戦"する勇者の同盟の集いです。
当初、私を含め3名の参加から始まりました。
一人は原発不明ガンで戦う同志であります。
もう一人は職を失い、新たな求職に挑戦する同志です。
その後、勇者の方々のご参加の申込みを順次受けてつけております。
◆登録者数◆
36名
確認メール返信待ち
4名
確認メールがケータイの受信拒否により未送信
0名
その他検討中
0名
2017年10月1日12:55現在
◆先生の激励
ドラマを創れ!
ドラマを創る・・・そこにこそ、人生の醍醐味がある。その人生劇場の主役は、自分自身である。自らの「心」である。
一生を感動の大ドラマとして完結させるには、試練の嵐は必要不可欠だ。いや、荒れ狂う苦難の怒涛こそ、望むところではないか。忍耐と努力と執念の、長い、長い暗夜も、あえて突き進んでいくのだ。
逆境・・・まさに、それこそが、創価の英雄が躍り出る最高の舞台であるからだ。不可能の壁に敢然と挑み立ち、必ずや、誇らかに凱歌を響かせるのだ。
小説 新・人間革命 23巻 勇気 204頁
1.<登録の手続き>
① [ご意見ご質問など]の所定の項目を入力し、
「私も24時間挑戦します」とメッセージを送ってください。※1
② 挑戦のメッセージを受信しましたら、当サイトより本人確認メールをさせて戴きます。
確認メールに返信する際、ご自身の「ニックネーム」を新規に付記して、ご返信して戴ければ、「本人確認された」ことと致します。
※この時点で、あなたは「24時間勇者の会」の大事なメンバーとなります。
③ また、内容に不明点があった場合には、こちらから確認のメールをさせて戴きます。
④ 個人情報保護法に基づき、個人を特定する情報は当サイト上には一切掲載致しません。
※1 ケータイのメールアドレスを指定される方は、ケータイのメール設定で「パソコンからのメールを受信」できるようにしてください。そうでないと、受信拒否され、こちらからのメールが届きません。(2016.11.3)
2.<メッセージの掲載>
① 24時間唱題の挑戦の過程で、何らかの「変化」が出て来ましたら、[ご意見ご質問など]の所定の項目を入力し、ニックネームと掲載したいメッセージを送ってください。当サイトの[24時間唱題の証明]のコーナーで掲載させて戴きます。
尚、こちらで内容確認の上、必要であれば文章校正もさせて戴きますのでご了承願います。
※当サイトから送信されたメールアドレス宛にはメッセージは送らないで下さい。
② 事実のみを書いてください。
3.<退会の手続き>
① [ご意見ご質問など]の所定の項目を入力し、
「24時間から退会します」とメッセージを送ってください。
② 退会のメッセージを受信しましたら、当サイトより本人確認メールをさせて戴きます。
確認メールに返信する際、ご自身の「ニックネーム」を付記して、ご返信して戴ければ、「本人確認された」ことと致します。
※この時点で、あなたは「24時間勇者の会」から退会したことになります。
4.<登録時メールアドレスの変更>
① 登録時にご指定戴いたメールアドレスの変更を行う場合は、一度<退会の手続き>を行って下さい。
② そして、新たに<登録の手続き>をお願い致します。
記:2016(平成28)年10月18日
5.<24時間唱題について>
①形式は一切ありません。
大事なことは
「24時間唱題に挑戦する」という心です。
臨終の際までです。
②戸田先生の「読誦の題目」の指導
戸田先生は、
「題目は信と行に開かれ、
行の題目に読誦があります。
読(どく)とは御本尊に向かって題目を唱えることで、
誦(じゅ)とは心で唱える題目のことであり、
功徳は同じであります。
日蓮大聖人ご在世当時の信者たちは、
(大御本尊出現以前は)日蓮大聖人にお目通りして唱題したのです。
師弟相対というのがこれであります。
これは読の題目であります。それ以外は誦の題目となります。」
(戸田城聖全集第二巻26頁)
と。
題目には読・誦の題目がある。
読の題目(御本尊に向かい題目を唱える)と
誦の題目(読の題目以外の題目)である。
どちらも功徳は同じとのこと。
③大聖人の「行住坐臥の唱題」の御指南
『我等衆生の行住坐臥に
南無妙法蓮華経と唱ふべしと云う文なり』
(法華初心成仏抄557頁)
以上より、どこにいても、何をしてても
24時間題目は可能なのです。
ただ、一番の難関が「睡眠中の題目」です。
可能かどうか、まず挑戦あるのみ。
6.法華初心成仏抄(556~557頁)
『其の上勧持品には法華経の敵人三類を挙げられたるに、
一には在家の俗男・俗女なり此の俗男・俗女は法華経の行者を憎み罵り打ちはり・きり殺し所を追ひ出だし或は上へ讒奏して遠流し・なさけなくあだむ者なり、
二には出家の人なり此の人は慢心高くして内心には物も知らざれども智者げにもてなして世間の人に学匠と思はれて法華経の行者を見ては怨み嫉み軽しめ、賤み犬野干よりも・わろきようを人に云いうとめ法華経をば我一人心得たりと思う者なり、
三には阿練若の僧なり此の僧は極めて貴き相を形に顕し三衣・一鉢を帯して山林の閑かなる所に篭り居て在世の羅漢の如く諸人に貴まれ仏の如く万人に仰がれて法華経を説の如くに読み持ち奉らん僧を見ては憎み嫉んで云く大愚癡の者・大邪見の者なり総て慈悲なき者・外道の法を説くなんど云わん、上一人より仰いで信を取らせ給はば其の已下万人も仏の如くに供養をなすべし、
法華経を説の如くよみ持たん人は必ず此の三類の敵人に怨まるべきなりと仏説き給へり。
問うて云く仏の名号を持つ様に法華経の名号を取り分けて持つべき証拠ありや如何、答えて云く経に云く「仏諸の羅刹女に告げたまわく善き哉善き哉汝等但能く法華の名を受持する者を擁護せん福量る可からず」と云云此の文の意は十羅刹の法華の名を持つ人を護らんと誓言を立て給うを大覚世尊讃めて言く善き哉善き哉汝等
南無妙法蓮華経と受け持たん人を守らん功徳いくら程とも計りがたく・めでたき功徳なり神妙なりと仰せられたる文なり、是れ我等衆生の行住坐臥に南無妙法蓮華経と唱ふべしと云う文なり。
凡そ妙法蓮華経とは我等衆生の仏性と梵王・帝釈等の仏性と舎利弗・目連等の仏性と文殊・弥勒等の仏性と三世の諸仏の解の妙法と一体不二なる理を妙法蓮華経と名けたるなり、故に一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔・法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり、
我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり、
譬えば篭の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ、
されば「若し暫くも持つ者は我れ則ち歓喜す諸仏も亦然なり」と説き給うは此の心なり、されば三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏に成り給いしなり三世の諸仏の出世の本懐・一切衆生・皆成仏道の妙法と云うは是なり。是等の趣きを能く能く心得て仏になる道には我慢偏執の心なく南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なり。』
記:2016(平成28)年10月18日
7.まとめ
以上、整理しますと、
「何があっても、御本尊に向かい、唱題していこう!」という一念で、朝晩の勤行・唱題に挑戦する。(2018.3.6追加)
その上で、時と場所と起居動作を選ばず、常識豊かに、可能な時間に唱題をすればいいんです。
以上
記:2016(平成28)年11月7日
8.勝利の要諦について
先生が大変重要な御指導をして下さいました。以下を御覧願います。
私たちが読誦する「法華経寿量品」の自我偈には、
『一心欲見仏 不自借身命 時我及衆僧 倶出霊鷲山』とある。すなわち、衆生が一心に仏を見たいと願い、妙法流布に身命を惜しまない、その時、仏は多くの弟子たちと共に、ここ霊鷲山に出現する、という甚深の法理である。
この経文を通し、戸田先生はよく語られた。
『日蓮大聖人の大生命が、我らの体に満ち溢れてくるんだよ。自行化他の題目を唱える場所も、そのまま霊鷲山となる。そこには、もう不幸はない』と。(中略)
日蓮大聖人は、苦難に挑む門下に仰せになられた。
『釈迦・多宝・十方の仏・来集して我が身に入りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし』(弥三郎殿御返事、1452頁)と。勝利の要諦を教えてくださっているのだ。
大白蓮華2017年1月号№807巻頭言(抜粋)
記:2016年12月26日