使命

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2022年1月11日

第1859回

今生人界の思い出

 

<妙法の同志と共に弛まぬ前進を!>

 

 妙法の世界で、ともに戦う。

 それ以上の生命の思い出はない。

 御聖訓に、

 「南無妙法蓮華経と

  我も唱へ他をも勧んのみこそ

  今生人界の思出なるべき」

 と仰せのとおりである。

 

 今、真実に妙法を実践しているのは、

 創価学会しかない。

 ゆえに、もしも学会から離れて、

 どこか別の場所に幸福を求めても、

 はかない幻を追うようなものである。

 自由であるようで、

 決して自由ではない。

 皆さまは、

 断じて学会から離れてはいけない。

 妙法の同志という

 ”最高の善友”から離れてはいけない。

 

 私たちSGIは永遠に

 異体同心で前進してまいりたい。

 そこに、三世に崩れぬ

 絶対の幸福の軌道があることを

 忘れないでいただきたい。

 

 うれしいことに、

 昨年は、欧州全体で、

 拡大目標を見事に突破された、

 とうかがった。

 各国とも、

 小単位の「座談会」を軸に、

 すばらしい発展の歴史を刻んでこられた。

 北欧のスウェーデンでも、

 一年間で、二割近い拡大を実現した。

 皆さま方のたゆまぬ努力によって、

 「欧州広宣流布」の

 盤石なる土台はできあがった。

 たゆまぬ前進が大事である。

 焦る必要はまったくない。

 一歩一歩、進んでいけばよいのである。

 

2006年1月7日 欧州代表協議会

2021年10月20日

第1750回

使命の目覚め

 

<人間性の光彩とは、利他の行動の輝きにある>

 

 伸一は、婦人の持ってきたテープレコーダーを見て言った。

 「ありがとう。嬉しいね。同志のことを考えてくれて。みんなのために懸命に頑張る姿ほど、尊いものはありません

 その言葉は、タエコ・グッドマンの胸を射た。彼女はハッとして、伸一の顔を見た。

 「先生……」

 何か言いかけたが、言葉にならなかった。しかし、彼女は、自分の心にわだかまっていた悶々とした思いが、霧が消えるように、にわかに晴れていくのを感じた。

 タエコ・グッドマンが入会に踏み切った動機は、三年前に日本で母親が癌にかかり、医師から「六カ月の命」と宣告されたことであった。その苦悩のなかで、仏法の話を聞き、紹介者の指導通りに一心に信心に励んだ。そして、二カ月たって再検査を受けると、母親の癌の症状はすっかり消えていたのである。

 その後、彼女は、職場で知り合ったアメリカ人と結婚し、渡米する。しかし、見知らぬ土地での生活は、日々、郷愁をつのらせた。彼女は、日本に帰れることを願って、真剣に信心に励んだ。入会するメンバーは二人、三人と増え、遂に十人を超えた。すると、彼女の心は揺らぎ始めたのである。

 〝もし、自分が帰国してしまったら、後に残されたメンバーの面倒は、いったい誰がみるのだろうか……

 日本に帰りたい一心で信心に励み、弘教に力を注いだことが、かえって、帰国をためらわせる結果となったのである。彼女の心は激しく揺れ動いた。それは、使命の目覚めといってよかった。

 そんなさなかに、山本会長一行の訪米を知り、彼女はぜひ会長に会いたいと、一晩がかりで車を走らせてやって来たのだ。彼女は、「みんなのために懸命に頑張る姿ほど、尊いものはありません」という伸一の言葉を耳にした瞬間、感激とともに決意が込み上げた。

 〝私は、このアメリカの地で頑張ろう。私を信頼して、信心を始めた同志のために……〟

 人間性の光彩とは、利他の行動の輝きにある。人間は、友のため、人びとのために生きようとすることによって、初めて人間たりうるといっても過言ではない。そして、そこに、小さなエゴの殻を破り、自身の境涯を大きく広げ、磨き高めてゆく道がある。

 

<新・人間革命> 第1巻 錦秋 148頁~150頁

2020年5月18日

第1669回

勝利こそ使命

 

<立ち上がらなければ道は開けない>

 

 ロシアの教育学の父ウシンスキーは述べている。

 「悪人を根っ子から焼きつくす火は、強い精神のなかにのみ生まれる」(『ウシンスキー教育学全集』4、柴田義松訳、明治図書出版)

 悪をどう打ち破り、改悛させるか。それは、強い精神があるかどうかで決まる。結局、問題は、自分自身である。弱くてはいけない。意気地なしではいけない。卑怯者ではいけない。

 悪に対しては、強く責めぬくことが、慈悲である。それが、その人を救うことになるからだ。

 スペインの哲学者オルテガは言った。

 「生きるためには、常にわれわれは、何かしていなければならない、さもなければへたばることになろう。さよう、人生は仕事である」(「司書の使命」会田由訳、生松敬三・桑名一博編『オルテガ著作集』8所収、白水社)

 大事なのは格好ではない。「何をしたか」だ。実力がどうかである。

 人からよく見られよう――そんなととばかり考えるのは、虚飾の世界だ。われらは革命の世界、正義の世界、戦いの世界である。

 とくに青年は、「勝利こそ使命」と決め、敢然と、先頭をきって、戦って戦って戦いぬくのだ。その覇気がなければ、心はすでに老人である。悪人が吹き飛ぶような闘魂をもつのだ。

 創価の青年を温かく見守ってくださった、ゴルバチョフ元ソ連大統領夫人であるライサさんが、こう述べていた。

 「建設的であることでしか人間は幸せになれない、と私は確信します」(『ゴルバチョフとともに』山口瑞彦訳、読売新聞社)

 破壊は一瞬。建設は、苦闘また苦闘の連続だ。しかし、建設に挑んでこそ、何があっても微動だにしない強い自分になれる。青年が本気になって立ち上がるのだ。そうでなければ道は開けない。

 広宣流布の新しい時代をつくるのは、今である。

 新しい決意で、異体同心でがっちりと団結し、学会の発展のために尽くしぬく。大切な同志を守りに守る。それがリーダーの使命である。

 われらの前進は、一部の人間のためではない。

 慈悲。共生。生命の尊厳。人間革命――そうした仏法の哲理を、広く社会に開花させるのだ。

 すなわち、立正安国のためであり、世界平和のためである。新しい前進は、もう始まっている。

 戦いには、遠慮があってはならない。好き嫌いで人を見たら、戦いはできない。

 「断じて勝つ」という一点に立ち、同じ目的に向かって呼吸を合わせ、心を一致させるのだ。

 勝つために祈りを! 勝つために団結を!

 痛快なる勝利のドラマを、きょうから一緒に、楽しく、堂々と開始しようではないか!

 (東京牧口記念会館)

2006.4.5 「5・3」記念最高協議会

2018年10月21日

第1539回 

わが使命は万人成仏なり!
 必ず開いて見せる!

 

<利他の一念が「境涯革命」の回転軸に>

 

 苦難に直面した時、人は、どうしても、「なぜ?」「どうして?」等と、眼前の苦しみだけにとらわれてしまいがちです。

 だからこそ、大聖人は、富木尼御前を、大きな境涯に引き上げようとされたと拝されます。

 自分の苦しみを「宿業」と捉えるだけでは、後ろ向きになります。それを、あえて「使命のために引き受け悩みなのだ」「仏法の偉大な力を示して、大勢の人を救っていくためなのだ」と、捉え直すのです。また、こう捉え返せる強い生命力が湧いてくる。これが、「宿命」と「使命」に変える生き方です。
 使命に目覚めれば、人間は限りなく強くなります。自分が乗り越えるだけでなく、その勝利劇で万人成仏の道を開いてみせる。そう決めれば、自分の苦しみで暗く覆われていた心に、勇気や希望の光が満ちあふれます。
 自分一人の勝利から自他共の勝利へと大きく境涯が広がり、人生の意味が豊かになのです。
 戸田先生は、「自分が幸福になるぐらいは、何でもない。簡単なことです。他人まで幸福にしていこうというのが信心の根底です」と、よく言われました。
 利他の一念が「境涯革命」の回転軸となります。励ましの行動が、自他共の、「人間革命」の伝播を生む力となるのです。


大白蓮華2018年10月号№828 39頁

1月8日

今世の使命を生きて生き抜く

 

<勇猛精進>

  

 (広宣流布)そのために私どもは、願って、この世に生まれてきた。その今世の使命に向かって、生きて生きて、生き抜くのです。その「勇猛精進」の心が輝いていれば、不老不死の生命力がわく。
 「勇猛」とは、最高の勇気です。「精」とは無雑。精米というように、純白な、汚れない信心の心です。「進」とは無間。間断なき行動です。たゆむことなく前進また前進することです。「精進」です。『南無妙法蓮華経は精進行なり(御書790頁)です。

 

法華経の智慧 如来神力品 第二十一章

2015年4月15日

一人も残らず

 

<全会員を幸福にしていく使命と責任がある>

  

 やがて、伸一の指導となった。
 「私たちが信心に励むのは、人生のあらゆる試練や苦難に打ち勝って、幸せになるためです。それには、何ものにも負けない強さが必要です。
 では、強さとは何か――。
 よく、『人生の確かな目的をもった人は強い。信念のある人は強い。まことの友人をもった人は強い』と言われますが、その三つの条件は、すべて私たちに、創価学会のなかにそなわっています。
 私たちには、
 一生成仏、広宣流布という高邁なる目的がある。
 そして、日蓮大聖人の仏法を持つなかに、自他共の崩れざる幸福があるとの、不動の信念があります。
 また、心から信じ合える同志がおり、仏法兄弟として励まし合っていける友情のスクラムがある。
 いわば、私どもは、自分を強くしていける最高の条件をそなえており、それを事実のうえに示し、幸せになるための信心なんです」
 次いで伸一は、組織のリーダーには、全会員を幸福にしていく使命と責任があることを訴え、こう念願した。
 「(略)創価学会は
 『一人も残らず教学部員に』
 『一人も残らず聖教新聞を読んでいただこう』
 『一人も残らず無事故で』
 『一人も残らず広宣流布の人材である』との一念で進んでいただきたい。
 この『一人も残らず』が大切なんです
 日蓮大聖人が、『皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり』(御書1360頁)と御断言のように、妙法を受持した人は、一人も残らず地涌の菩薩です。その自覚を促し、ともに幸福になっていくために創価学会の組織があるんです

 

小説 新・人間革命 第26巻 勇将 308頁

 

2015年1月24日 

自分の「命」を、

いったい何に「使う」のか


 思えば、非道な軍部政府に抵抗し、投獄されていた戸田先生が、師・牧口先生の獄死を告げられたのは、七十年前(1945年)の一月であった。
 戸田先生は、その慟哭と憤激の中で心に定めた誓いを、後年、こう述懐なされている。
 「先生の死をお聞きしたときに、だれが先生を殺したんだと叫び、絶対に折伏して、南無妙法蓮華経のために命を捨てようと決心したのであります」「命を捨てようとしたものに、なんで他の悪口、難が恐ろしいものであろうか
 先師の奪った魔性への仇討ちは即、広宣流布の大誓願であった。
 自分は何のために生きるか。使命とは、その自覚の異名である。
 自分の「命」を、いったい何に「使う」のか。大目的に生き抜く使命を深く自覚した瞬間から、境涯は大きく広がる。
 「偉大な師弟の理想のため、わが命を使うのだ」と決めた人生は、もはや何ものにも屈しない。
 地上から「悲惨」の二字をなくしたい――これが恩師・戸田先生の熱願であり、我ら師弟の立正安国の使命である。
 「立正安国」とは、何よりも尊厳な生命を、暴力的に侵し、奪い去るものとの戦いである。民衆の目から悲嘆や絶望の涙を拭い、幸福と平和の世界を創る大挑戦なのだ。

 

2015.1.22付聖教新聞 民衆凱歌の大行進17「SGI」四十周年に誓う

 

2014年5月7日

自分を信じ抜け!

同志を信じ抜け!

 

すべての人に,自分にしかない「使命」がある>

 
 

 “自分には力がない”などと思ってはいけない。

 それは畜生の命だ。

 

 すべての人に、

 自分にしかない「使命」がある。

 何かの「才能」がある。

 

 哲学者・西田幾多郎は綴る。

「自分の生命のあらん限り

 何処までも向上発展し

 自己自身にあるものを

 何処までも進めて行きたい」

(前掲『西田幾多郎随筆集』)

 

 自分を信じ抜くのだ。

 同志を信じ抜くのだ。

 命ある限り、

 「大いなる理想」に向かって進んでいくのだ。

 

聖教新聞2007.8.31付北海道・東北・中部・信越合同研修会

2023.10.22整理

 

2014年1月7日

世界の諸問題の解決は

仏法者の使命

 

<平和の大潮流を一日も早く>


 伸一は、人類の未来を考える時、

 一日も早く、平和の大潮流を

 起こしていかなければならないと、

 痛切に感じていた。


 当時、東西冷戦も続いていた。

 ソ連と中国も対立の溝を深め、

 一触即発の状況を呈していた。

 また、核兵器の保有国も増え、

 核拡散が懸念され、

 核の脅威は増大しつつあった。

 

 一方、先進国と発展途上国との貧富の差

 激しさを増していたし、

 環境破壊食糧問題等も深刻化していたのである。


 伸一は、

 それらの諸問題を解決していくことこそ、

 仏法者としての重要な課題であり、

 使命であると考えていたのである。


「未来の宗教というものは、

 人類の生存をいま

 深刻に脅かしている諸悪と対決し、

 これらを克服する力を、

 人類に与えるものでなければならない」

 (注)とは、トインビー博士の洞察である。

 

小説 新・人間革命 27巻 正義3

2013年9月9日

「地涌」に大きな意義あり

 

 私どもは「地涌」の戦士である。大地から陸続と湧き出でた、御本仏の眷属である。三世にわたる門下である。
 地涌――ここに大きな意義がある。決して、高いところから天下ったのではない。
 地涌には「民衆」の鼓動がある。地涌には「平等」の響きがある。地涌には「自覚」と「自由」の歓喜の調べがある。どうか、この「民衆連帯の道」を、また、広々とした「世界への道」を、ともどもに楽しく歩んでいただきたい。 

 

1991.2.14海外派遣メンバー協議会

2013年9月6日

地涌の菩薩の実証を!

 

 勇気と忍耐と誠実に勝る人間外交はない。
 勇気を持って人と会い、どこまでも誠実に粘り強く語る言葉が、相手の胸に響いていく。
 法華経は、「地涌の菩薩」の姿を「難問答に巧みにして/其の心に畏るる所無く/忍辱の心は決定し/端正にして威徳有り」と説く。
 地涌の君たちよ! 貴女たちよ!
 わが生命には、この偉大なる「対話の力」が具わっている。うまく話せなくても、心配ない。全部、対話の名手になるための訓練だ。
  大胆に伸び伸びと人間外交の道を行こう!
  最後には、誠実な人が必ず勝つ。それを、自ら実証することが、広宣流布なのだ。 

創価新報2013年5月 勝利の人間学29

2013年8月28日

この世で果たさん使命あり

 

 新たなる「大法弘通慈折広宣流布」の天の時が到来した。
 法華経には、地涌の菩薩の一人一人が率いる眷族はガンジス河の砂の如く量り知れないと説かれる。
 久遠からの宿縁の友が躍り出てこないわけがない。
 今こそ、我らの確信の声で呼び起こし、今世の大使命を共々に悔いなく果たしゆこうではないか!

 

大白蓮華No.766号2013.9月号巻頭言

2013年8月17日18日

創価の友の一歩が人類の未来に

 

 イタリアの思想家マッツィーニは述べている。後に文豪トルストイが書きとどめた言葉である。
「人類社会の進歩向上への真剣な一歩が踏みだされるとき、そこには必ずその主な原因としての信仰の役割があった。それゆえ信仰に基づかないいっさいの教えは、いつも社会機構の改善に無力だったし、こんごとも無力であるであろう」
 そのとおりである。宗教的信念に支えられた人々が、社会を変革してきた。その情熱と行動が、人類の発展の原動力となってきたのである。
 友のため、平和のため、そして人間社会を築くため――今、私たちが踏みだす真剣な一歩また一歩が、人類の未来にとって、どれほど重要であるか。深く正しき信仰から発しゆく、この正義の行動を、後世の歴史家は、必ず驚嘆と感謝をこめて記述するであろう。

 

2003.9.30全国最高協議会

2013年7月17日

 志が人間をつくる! 

 

 人間が人間として生きるために、失ってはならないものは何か。
 孔明は〝信念への忠義〟を強調している。
「人に忠[の心]があるのは、ちょうど魚に水の流れが深くよどんだ淵があるのと同じである。魚は水を失ったならば死んでしまい、人は忠を失ったならば世を害したり人を傷つけたりする。だからこそ立派な指揮官は忠を守り、[その結果]志が立って名声が揚がるのである」
 後継の世代に対して、孔明は〝志を高くもて!むなしく生きるな!〟と教えた。
「もし意志が強固不屈でなく、感情も激しく高ぶらず、ただ何もしないで平々凡々と世俗の中に沈滞し、虚しい感情に拘束されてしまったならば、永久に普通の状態の中に逃れ隠れたまま、品行の悪い下位の状況から逃げ出せないであろう」
 苦労を避け、安逸に流されれば、いつしか生命は萎縮し、沈滞してしまうものだ。
 むなしく生きるな!最高の善のために、使命のため、わが責任を果たすために生きぬけ!――これが、私どもの信心である。この戦いに、無限の希望と充実と価値創造がある。(中略)
 志が人間をつくる。それを生涯、貫いてこそ、真に偉大な人生である。

 

 2003.8.4全国最高協議会③

2013年7月13日

 仏意仏勅に従い、
久遠の誓いを果たせ! 
 

 「とかく仕事が忙しいと、〝いつか暇になったら、学会活動に励もう〟と考えてしまいがちです。しかし、それは間違いです。どんなに多忙であっても、自分のできることを精いっぱいやっていくんです。
 というのは、信心が後退すれば、仕事の面でも、行き詰まりが生じてしまうからです。
 日蓮大聖人は、『仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり』(御書九九二㌻)と仰せになっています。
 体である信心が確立されてこそ、その影である仕事をはじめ、世間のことも、順調に進んでいくんです。また、たとえ、仕事等で困難に直面することがあったとしても、見事に乗り越えていく力が出るんです。
 戸田先生は、ご自身の事業が行き詰まってしまった要因の一つは、自分が第二代会長になるのを避けてきたことにあると、私に語ってくださいました」
 その時、戸田は、こう言ったのである。
 「私は、牧口先生の遺志を受け、会長として立って、広宣流布の指揮を執らねばならぬことは、よくわかっていた。しかし、会長職の責任の重さを考えると、ためらわざるを得なかった。とても、あの牧口先生のようにはできぬと思ったからだ。しかし、それは、仏意仏勅に反することであった。
 自分が躊躇していた分だけ、広宣流布を遅らせ、民衆は不幸に喘ぎ続けた。私は、自分の事業が完全に行き詰まって、初めて目が覚め、そのことに気づいたんだよ。
 私たちには、広宣流布という久遠の誓いを果たす使命がある。学会の役職は、そのための責任職だ。疎かに考えてはならん」

 

 小説 新・人間革命 26巻 奮迅 55

2013年7月3日

 弘教こそ地涌の本領
 
 法華経に『不自惜身命』とありますが、その境地は、決して悲壮感に満ちたものではありません。
 それは、いかなる困難も恐れず、勇気と挑戦の息吹にあふれ、生きていること自体が、楽しくて楽しくてしょうがないという境涯です。エゴイズムに支配された〝小我〟ともいうべき自己の殻を破り、仏法という大法に則った〝大我〟の自分へと蘇生し、最高の自分というものを確立していく大道なんです。
 世間でも『死を先んずる者は必ず生ず』と言われるように、死を覚悟した人は強い。同様に、広宣流布に一身を捧げようと心を定めるなかにこそ、自分を生かし、本当の自己の輝きを放っていく方途があるんです。
 もともと、私たちは、広宣流布の使命を果たすために生まれてきた地涌の菩薩です。ゆえに、勇んで弘教に邁進していくなかで、私たちの本領を発揮することができるんです 
 
小説 新・人間革命 26巻 奮迅 50

2013年7月1日

 正義の人材を育てるのは、
今だ!
 
 社会の繁栄も、世界の平和も、根本は人で決まる。
 戸田先生は、広布の未来を展望して厳然と叫ばれた。
 「学会は、人材をもって城となすのだ。断じて、人材の城を築くのだ!」 皆、大きな使命のある自分であることを、決して忘れてはならない。全てが、仏になるための修行なのだ。
 今、優秀なリーダーが、真剣に同志に尽くし、広布の最前線に飛び込んで、新たな道を切り開いてくれている。
 本当に、うれしい。同志の幸福こそ、私の幸福だ。同志の勝利こそ、私の勝利だ。大切な大切なわが同志が、皆、人間革命の勝利の喜びに包まれるよう、リーダーは、明るく力強く、勇気と希望の光を送っていただきたい。
 正義の人材を育てるのは、今だ。壮大な師子の大城を築くのは今である。今、人材城をつくったところが、永遠に勝ち栄えていくのである。 
 
聖教新聞2013.6.8付今日も広布へ23

2013年6月22日

 創価学会しかできなかった
「ドン底の救済」

「事実上、学会は日本一の大教団となり、職業も年齢も異なる、まことに多種多様な人びとが集っております。
 そのなかには、すぐに感情的になってしまう人や、非常識な人もいるかもしれない。 すべての人を包容し、最も悩み苦しんでいる人たちに根底から光を当てて救済し、幸福を実現してきたのが創価学会です
 かつて、信心を始めた会員の多くは、それぞれが深刻な問題をかかえていた。その個々人の問題が、あたかも学会全体の問題であるかのようにすり替えられ、非難中傷を浴びせられたこともあった。
 それは、学会が、社会の底辺にあって苦悩する人びとに救済の手を差し伸べ、宗教の使命を果たし抜いてきた証明ともいえよう。
 「私どもが担ってきたことは、最高に尊い、仏の使いでなければでき得ぬ労作業でありました。仏の聖業を、仏に代わって行ってきた。だからこそ、経文に照らして、容赦のない嵐が競い起こるのは、必然なんです。
 広宣流布は激浪の海を行かねばならない。その覚悟を定めなければ、何かあれば、すぐに揺らいでしまう。この根底の一念というものを、どうか堅固に確立していただきたい。 
 そのうえで、もし、非があれば、非として認め、反省し、前進していくことです。決して、独善的であってはならない。揺るがざる信念と理不尽とを混同してはなりません
 不屈の信念をもって、常識豊かに、忍耐強く、社会の信頼を勝ち得ながら前進していくなかにこそ、広宣流布の広がりはある。
 伸一は、凜とした声で訴えた。
 「広宣流布の前進ある限り、今後も、さまざまな問題が生ずるかもしれない。その一切の責任は、私にあります。戸田先生も、学会に起こった諸問題に対して、『罪深き私のゆえ』と、よく言われていた。私も、全く同じ思いであります。諸君は、安心して、伸び伸びと、後継の大道を歩んでいってください」
 
小説 新・人間革命 26巻 奮迅 39

2013年6月16日

 使命には
常に真剣勝負

 昭和35年(1960年)、第三代会長として立ってより今日まで、偉大なる妙法を広宣流布しゆく学会を、わが愛する同志を、守りに守ってきた。だれよりも真剣に、命をかけて働き、戦ってきたつもりである。日々、大切な仏子である皆さまの、健康を、長寿を、祈りぬいてきた。
 私は、たとえ刺されようと、撃たれようと、広布のため、会員の方々のためなら「死」さえいとわない決意できた。少々の批判などに、動ずるはずもない。皆さま方のためには〝屋根〟にもなろうと、わが心に誓ったまま進んでいくのみである。
 ともあれ私は、皆さま方のためなら、どんな苦労も厭わない。これまでも書きに書き、話しに話し、数えきれないほどの人と会ってきた。たとえば現在、私のもとにいただく手紙だけでも、毎日、かなりの数にのぼる。しかし、その一通一通に、可能な限り、真心をこめて対応している。いかに激務が続こうとも、仏子の幸福を念じて戦う日々にこそ、信仰者として最高の思い出がきざまれていくと確信しているからである。
  
1989.10.24第22回本部幹部会

2013年6月16日

今こそ総立ち、
使命を果たさん!
 
 ここで伸一は、戸田城聖が第二代会長に就任した折に、共に立ち上がることができなかった戦前からの会員たちが、後年、「遅参其の意を得ず」との思いを深くし、後悔していた話に触れた。
 「広宣流布の前進には〝時〟がある。その一つ一つの〝時〟を逃すことなく、全力で仏道修行に励み抜いてこそ、自身の使命を果たし、一生成仏することができるんです。
 今、学会は、広布第二章の『支部制』が発足し、未来万年の流れを開く〝時〟を迎えました。今こそ総立ちすべき〝朝〟なんです」
「信心をしていくうえで大事なのは、『現当二世』を見すえていくことです。『現』というのは『現在』『現世』であり、『当』というのは『未来』『来世』を言います。
 過去に縛られるのではなく、今現在を大切にし、未来に向かって生きていくことが大事です。それが仏法者の生き方です。
 したがって、過去の実績を誇り、昔の栄光に酔っているのではなく、『今、どうしているのか』『未来のために何をしているのか』が大事になるんです。
 信心は一生です。人生も一生を見なければわからない。久遠の使命を果たすために、この世に生を受けた私たちです。最後まで広宣流布という、わが使命に生き抜いたといえる、勝利の生涯を送ろうではありませんか!
 
小説 新・人間革命 26巻 奮迅 27,28

2013年6月7日

 創価学会の強さ、尊さ

 創価学会の強さ、尊さは、自らが病苦や経済苦などの悩みをかかえ、時間的にも多忙な人びとが、広宣流布の使命に目覚め、友の幸せのために献身していることにある。資産があり、生活に余裕のある有閑階級による救済活動ではない。無名の民衆による同苦と励ましの、心の救済活動である。
  
小説 新・人間革命 26巻 奮迅 29 

2013年4月1日

創価学会の集まりとは

 

創価学会は、正義の人の集まりである。人生の英雄の集まりである。 法華経の魂を持って、最高の人生を勝ち抜いていく使命のある人だ。 神力品には、〝太陽と月の光明が、もろもろの闇を除くことができるように、この人は世間の中で行動して、衆生の闇を滅することができる〟と説かれている。 この日蓮大聖人に連なる、無上の誇りと使命を胸に、粘り強く進んでいくのだ。 

 

聖教新聞2013.3.24付今日も広布へ12

2013年2月26日

今再びの発迹顕本

 

 一九五一年(昭和二十六年)、戸田城聖が第二代会長として立つと、全会員は広宣流布の使命を自覚し、折伏大行進を開始した。その同志について、戸田は、こう述べている。

「教相面すなわち外用のすがたにおいては、われわれは地涌の菩薩であるが、その信心においては、日蓮大聖人の眷属であり、末弟子である。三世十方の仏菩薩の前であろうと、地獄の底に暮らそうと、声高らかに大御本尊に七文字の法華経を読誦したてまつり、胸にかけたる大御本尊を唯一の誇りとする」

 そして、「これこそ発迹顕本であるまいか」と叫び、牧口会長の遺志をついで、東洋への広宣流布の使いとして、仏法に身命を捧げることを誓っている。

 いわば、私たちにとって、発迹顕本とは、人びとの幸福と平和を実現する広宣流布を、人生の至上の目的、使命と定め、その果敢なる実践を、現実生活のなかで展開していくことにある。御本仏・日蓮大聖人の眷属であることを、行動をもって示し抜いていくのだ。(中略)

 伸一は、大聖人の御境地に思いを馳せながら、齢五十にして、広布第二章の「支部制」という新出発の時を迎えた今、わが人生の、さらに、新しい創価学会の発迹顕本といえる戦いを開始せねばならないと、深く、強く、心に誓ったのである。

 

 ※本年、総本部完成と共に、学会そして会員が発迹顕本する時なのか(サイト・マスタ)

小説 新・人間革命 26巻 勇将 9

2012年12月5日~13日

毎自作是念

 

「『毎自作是念』とは、一言すれば、常に心の奥底にある一念といえます。仏の『毎自作是念』は一切衆生の成仏にあります。仏は、すべての人びとを幸福にすることを、常に念じ、考えておられる。 私どもも、奥底の一念に、常に何があるのか、何を思い、願い、祈っているのかが大事になるんです。そこに、自分の境涯が如実に現れます。 御本仏・日蓮大聖人の久遠の弟子である私たちは、大聖人の大願である広宣流布を、全民衆の幸せを、わが一念、わが使命と定めようでありませんか。そして、日々、久遠の誓いに立ち返り、広布を願い、祈り、行動する一人ひとりであってください。(後略)」

 

小説 新・人間革命 26巻 法旗 3

2012年11月27日

皆、必ず偉大な使命を果たす

 

「牧口先生は、よくこう言われた。

   好き嫌いにとらわれて、損得を忘れるのは愚である。

   損得にとらわれて、善悪を無視するのは悪である。

まったく、このとおりで『好き(美)であり、得(利)であり、善である仕事』につくのが、誰にとっても理想です。

 しかし、実社会は、残念ながら君たちが考えるほど甘くない。希望どおり理想的な職業につく人は、きわめて少ないだろう。思いもかけなかったような仕事をやらなければならない場合のほうが多い。

 さて、そこでどうするべきかが問題となってくる。

(中略)いかにしても、当面の仕事をやりきり、大いに研究し努力すべきだと私は思う。

 君たちには、もはや御本尊という最大の生命力を出す根本法がある。嫌な仕事から逃げないで、御本尊に祈りながら努力していくうちに、かならず最後には、自分にとって好きであり、得であり、しかも社会に大きな善をもたらす仕事に到着するだろう。

 それまでのさまざまな道草は、このとき全部、貴重な体験として生きてくるのです。信心即生活、社会であり、これが仏法の力なんだよ。

 君たちは、まだ気づかないかもしれないが、それぞれ偉大な使命をもって地球上に生を享けたのです。将来は、おのおのの立場で第一人者になるはずだ。(後略)」

 

小説 人間革命 8巻 学徒

2012年8月2日  

その人にしか救えない人がいる

 

仏法では「願兼於業」と説く。他の人を救うために、自ら願ってこの悪世に生まれ、宿業と戦う。そして、自らの生き方、振る舞いを通して仏法の偉大さ、人間生命の尊厳と広大無辺の可能性を人々に教えていくのです。その人にしか救えない人が、必ずいるのです。その人にとっては、眼前の病気との闘いこそが、即「一生成仏」と「広宣流布」の崇高な使命の戦いなんです。今世の勝利は三世の勝利です。未来永遠に、色心ともに最高に頑健で幸福な境涯を築いていけることは、絶対に間違いありません。

 

 聖教新聞 2012.7.27付  第5回 心も体も健やかに<下>

2012年6月17日
われらの自覚
  
 われらの自覚とは、戸田城聖先生が獄中で悟達したように、自身が地涌の菩薩であると確信し、生涯、師弟不二の心で、広宣流布の大願に生き抜くことだ。全人類の幸福と平和の実現を、わが使命とすることだ。その時、自らの幸福のみを願っていた生命の扉は開かれ、崇高なる"利他〟の大道が広がるのである。そこに、境涯革命、人間革命の直道があるのだ。
 
小説 新・人間革命 23巻 328頁

世界広布新時代

創立100周年へ

2030年 

 

世界青年学会

開幕の年

(2024年)

2013.11.18

広宣流布大誓堂落慶

更新日

2024.5.10

第2301回

 

日天月天ワンショット

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