日めくり

6月24日

第1512回
竜女の成仏

 

<「我が成仏を観よ」>

 

 『夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり、これをさとるを仏といふ・これにまよふを凡夫と云う、これをさとるは法華経なり、もししからば法華経をたもちたてまつるものは地獄即寂光とさとり候ぞ、たとひ無量億歳のあひだ権教を修行すとも、法華経をはなるるならば・ただいつも地獄なるべし、此の事日蓮が申すにはあらず・釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏の定めをき給いしなり、されば権教を修行する人は火にやくるもの又火の中へいり、水にしづむものなをふちのそこへ入るがごとし、法華経をたもたざる人は火と水との中にいたるがごとし、法華経誹謗の悪知識たる法然・弘法等をたのみ・阿弥陀経・大日経等を信じ給うは・なを火より火の中・水より水のそこへ入るがごとし、いかでか苦患をまぬかるべきや、等活・黒繩・無間地獄の火坑・紅蓮・大紅蓮の冰の底に入りしづみ給はん事疑なかるべし、法華経の第二に云く「其の人命終して阿鼻獄に入り是くの如く展転して無数劫に至らん」云云。
  故聖霊は此の苦をまぬかれ給い・すでに法華経の行者たる日蓮が檀那なり、経に云く「設い大火に入るも火も焼くこと能わず、若し大水に漂わされ為も其の名号を称れば即ち浅き処を得ん」又云く「火も焼くこと能わず水も漂すこと能わず」云云、あらたのもしや・たのもしや、詮ずるところ地獄を外にもとめ獄卒の鉄杖阿防羅刹のかしやくのこゑ別にこれなし、此の法門ゆゆしき大事なれども、尼にたいしまいらせて・おしへまいらせん、例せば竜女にたいして文殊菩薩は即身成仏の秘法をとき給いしがごとし、これをきかせ給いて後は・いよいよ信心をいたさせ給へ、法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり』(上野殿後家尼御返事、1504頁)
 大聖人は、提婆達多品に説かれる竜女の即身成仏を通して、さらに励ましを送られています。
 ここで、竜女の成仏の劇を追ってみたい。
 経文では、文殊師利菩薩が、竜宮において、竜王の娘である8歳の竜女が菩提を成じたことを報告すると、智積(ちしゃく)という菩薩は、とても信じられないと言下に否定します。それは、仏の覚りは菩薩が無量劫の間、難行苦行を重ねて初めて得られるものであり、女性は成仏できないと決めつけていたからです。
 ところが、その智積菩薩の前に、忽然と竜女が姿を現し、釈尊にこう誓います。
 「唯仏のみ当に証知したまうべし 我は大乗の教えをひらいて 苦の衆生を度脱せん」(法華経407頁)
 仏だけが自分の成仏を知ってくださっています。だれが何と言おうと、私は、自分を救ってくれた妙法の力で、人々を救っていこう――報恩と一体不二となった。この竜女の誓願は、なんと力強いことでしょうか。(中略)
 竜女は、智積菩薩や舎利弗の前で、宝珠を釈尊に捧げます。ここで表されている宝珠は、仏性です。一切衆生が生まれながらに、平等に仏性を具えていることを示しているのです。
 竜女は、幼い女性として、即身成仏を示しました。ありのままの姿によって、一切衆生に無限の希望を与えることができたのです。(中略)
 竜女は、智積菩薩らに宣言します。
 「我が成仏を観よ」(法華経409頁)
 竜女が、こう言い切って即身成仏の姿を示した光景は、病や人生の苦難を打開しゆく同志と二重写しになります。
 「わが姿を見よ」と、誇らしく、宿命と戦う尊貴な自分の生命を堂々と開き示していく。「宿命」を「使命」に転ずる逆転劇こそが、仏法の偉大さの証明になるのです。
 さらに、「普く十方の一切衆生の為に、妙法を演説する」(同頁)と、竜女は一切衆生のために法を説いていきます。
 その誓願の行動を目の当りにした衆生は、「心大いに歓喜して、悉く遙かに敬礼(きょうらい)」(同410頁)したのです。
 「心は大いに歓喜(心大歓喜)」です。一人の生命の輝きが、周りの人を歓喜させていく。暗闇の中に、一つの明かりがともり、それに感応して、周りがいっせいに輝きだすような希望の連動です。(中略)
 一般的な成仏観は、はるかかなたの高い頂上を目指して、どこまでも険難な山道を登り続けます。あまりにも困難で、山頂にたどり着けるかどうか分からない。また、自分のことで精いっぱいで、人ことまで関われません。
 大聖人の仏法は、まったく異なります。だれもが、瞬間に、頂上の高みに到達できる教えなのです。それが「受持即観心」の妙法の大功力なのです。
 そびえ立つ山頂から、周囲をはるかに見下ろしていける大境涯に、今この瞬間に、その身のまま、今いる場所で到達できるのです。
 しかし、この大仏法の功徳は、そこでとどまるものではありません。
 日蓮仏法の真実の醍醐味は、仏界の山頂から、九界の麓へ勇んで向かい、人々にこの喜びを伝え抜いていくところにあります。現実の世界の中で、妙法を語り、自らの実証を示し、希望の行進を広げていく。そして、今度は、大勢の民衆と共に大歓喜の山頂に登り立つ。仏界から九界へ、そして皆と一緒に九界から仏界へ。この歓喜の往復の連続こそが、我らの広宣流布の行動なのです。(後略)


 大白蓮華2018年6月号№824 15頁~

日めくり御書

6月17日

 

『竜の口にて頸切られんとせし時にも殿は馬の口に付いて足歩赤足にて泣き悲み給いし事実にならば腹きらんとの気色なりしをば・いつの世にか思い忘るべき』

 

(四条金吾殿御返事、1193頁) 

あなたに贈る日めくり

もう一度日めくり

3月31日

2012年9月14日

広宣流布の総仕上げ3指針

 

 第一に、あくまでも自身の人間革命を活動の根本としていくことです。自身を磨き、人格を輝かせていくことが、信仰の最大の実証となるからです。
 第二には、地域を大事にし、近隣との深い信頼関係を結ぶ、友好活動の継続です。友好、信頼の拡大は、仏縁の拡大になります。
 第三には、一家の信心継承です。子に、孫に、甥や姪にと、信心が受け継がれていってこそ、広宣流布の永遠の流れがつくられ、一族の永続的な繁栄もあります。

 

 小説 新・人間革命 26巻 厚田 57

今月のメッセージ

2018年6月度

 我らは「種を蒔く人」なり

 

 我ら創価家族は「種を蒔く人」である。
 妙法という、最極の「幸福の種」を、「平和の種」を蒔いて、蒔いて、蒔き広げていくのである。
 御本仏・日蓮大聖人は、『三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏となり給へり』(1072頁)と仰せになられた。
 我らが唱え、弘めゆく南無妙法蓮華経の題目は、一人ももれなく絶対に「仏」になれる種である。
 それは、地球上はもとより、はるか大宇宙にまで遍満する「仏界」という生命の蓮華の花を、爛漫と咲かせゆける根源の「仏種」なのである。
 泥沼の如き濁世に、この種を忍耐強く蒔き続け、幸と平和の花園を創るのが、広宣流布といってよい。
 大聖人は、厳しき現実社会の真っ只中で悪戦苦闘する在家の門下を最大に信頼し、激励なされた。
 『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつりて候ぞ、仏種は縁により従(よ)って起る』(1467頁)と。
 使命の国土を離れて、仏法はない。
 自らが誓願して躍り出た宿縁の現場を駆けずり回って、悩める友を励まし続けていくリーダーこそ、地涌の菩薩の実像である。
 わが地域の妙法流布を真剣に祈り抜き、積極果敢に一人ひとりと会い、智慧を尽くして社会に貢献する。
 この「仏縁」を誠実に、また大胆に結びゆくことが、信仰している、していないを問わず、人々の心田(心の大地)へ「仏種」を蒔くことになるのだ。
 植物の種には、長い長い歳月を耐え抜く力がある。
 戸田先生が第二代会長に就任された1951年(昭和26年)、大聖人御生誕の天地・千葉で約二千年前の遺跡から蓮華の種が発見された。翌年、見事に開花した「大賀ハス」である。時を同じくしてアメリカで数万年を経た蓮華の種が花開いた。
 戸田先生は、まさしく日蓮仏法が大興隆する瑞相なりと、それはそれは喜ばれたのである。
 『一句妙法に結縁すれば億劫にも失せず』(793頁)と仰せのように、ひとたび蒔いた「仏種」は永久に失われない。
 ゆえに仏法を語った相手が、すぐに信心を始めなくとも、落胆する必要などない。おおらかな心で、その種を育んでいけばよいのだ。
 団地部、地域部、農漁光部、勝利島部をはじめ、誠心誠意、地域に献身して、内外を問わず慕われている創価の長者の方々が、いずこにも光っている。
 皆、分厚い偏見や反発にも怯まず、仏縁を結び続けてきた。自分が苦しい時こそ、人を励まし抜いた。そして、『現在に眼前の証拠あらんずる人・此の経を説かん時は信ずる人もありやせん』(1045頁)との御聖訓のままに、勝利の実証を示してきたのだ。
 きょうも、尊き「無冠の友」が聖教新聞を掲げて、打ち鳴らしてくれる暁鐘とともに、地涌の「仏縁」の拡大は始まる。我らの祈りと行動、対話と振る舞いで、楽しく伸び伸びと「仏種」を蒔きゆこうではないか! 人類の心田を豊かに耕しながら!

 

 励ましは
  仏縁広げる
   幸の声
  不退の笑顔で
   勝利の種を

 

 大白蓮華2018年6月号№824巻頭言

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世界広布新時代

「栄光の年」

(2018年)

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

世界広布新時代

開幕

1682

更新日

2018.6.24

第1511

 

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