日めくり

12月16日

第1570回
人間、だれが本当に偉いのか?

 

<民衆よ立ち上がれ!>

 

 明2002年(当時)は、文豪ヴィクトル・ユゴーの生誕200周年である。ユゴーは呼びかけた。
 「ああ! 民衆よ!」

 「思いもおよばぬ巨大な姿を見せてやりなさい。あなたが目覚めるという、あっと驚く奇跡を見せてやりなさい」

 「立ちあがりなさい! 立ちあがりなさい!」(「言行録」稲垣直樹訳、『ヴィクトル・ユゴー文学館』9所収、潮出版社)
 偉大な力があるのは、権力者でもなければ、有名人でもない。「民衆」である。
 民衆よ、小さくなるな。民衆が動く、巨大な姿。それを敵に見せつけるのだ!――と。
 日蓮大聖人の仏法は、「民衆のための仏法」である。
 民衆よ立ち上がれ!
 これがユゴーの叫びであり、戸田先生の叫びであり、創価学会の叫びである。
 近代中国の父・孫文博士の有名な言葉がある。
 「政治の力は大きな善もできるし、大きな悪もできる
 「国を救い人を救おうと思えば、悪い政治を除かなければだめである」(横山英・中山義弘『孫文』清水書院)
 政治は良いこともできるが、悪いこともできる。悪い政治は、たたき壊せ!――こうして孫文博士は、大中国の革命の火蓋を切ったのである。
  今は民主主義の世の中だから、上も下もない。人間は全部、平等のはずである。
 「そうは言っても、テレビをつけると、いわゆる有名人ばかりが脚光を浴びて、なぜか偉そうにしていますね」と、ある人が言っていた。
 では、人間、だれが本当に偉いのか。
 御書に「法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し」(南条殿御返事、1578頁)――法が妙であるゆえに、その法を受持する人が貴い。人が貴いゆえに、その人がいる所も尊い――と。
 「最高の法」を持った人間が「最高に尊貴」なのである。これが本当の人間主義である。妙法を弘めている皆さまが、どれほど尊いか。
 戸田先生は、よく言われていた。「自分がどれだけ偉いか。それを、皆、忘れているのだ。たしかに、うちに帰っても、たいした食事もない。家も、宮殿みたいに大きくはない。だから貧乏人根性で卑下するけれども、とんでもない。人間それ自体が偉大なんだ。建物なんて、将来、買えばいいし、それに、いつかは壊れてしまうものだ」と。
 また戸田先生は、「四信五品抄」を引いて指導された。こういう御文である。
南無妙法蓮華経と唱えるわが弟子の位は、諸宗の元祖よりも勝れること、百千万億倍なり。国中の諸人よ、わが末弟等を軽んじてはならない」(御書342頁、趣意)
 皆さまは、妙法を唱えるのみならず、全国へ、全世界へ弘めている。広宣流布しておられる。すごい立場である。
 ″日本中の人よ、全人類よ、わが弟子たちを軽んじてはならない″――そう大聖人が仰せである。これに背く人間には、仏罰は厳然である。
 無認識の壁にぶつかったとしても、「あんな人間がなんだ!」「こんな迫害がなんだ!」と笑いとばしながら、誇り高く、胸を張って生きぬいていただきたい。

 

 2001年5月21日 第六回本部幹部会、第二回全国婦人部幹部会、第二回九州総会、第一回中国総会、第一回沖縄総会

日めくり御書

11月4日

 

『大風吹けば求羅(ぐら)は倍増するなり』

 

(四条金吾殿御返事、1136頁)

あなたに贈る日めくり

もう一度日めくり

10月21日

第1280回
真剣な一人が立てばよい


 <組織の論理だけで押し切るな!>

 

 古来、中国では、桃や李は優れた人格の象徴とされた。
 唐代の詩人・李賀の詩にも、次のような一節がある。
 立場が変わり、境遇が変化した人への励ましの言葉であった。
 「自ら是れ 桃李の樹(じゅ) 何ぞ畏(おそ)れむ 蹊(けい)を成さざるを」
 ――あなたは桃李(=桃や李)の木の如きもので花が爛漫とうるわしく咲いている、だまっていても人が寄ってきて、下には自然と小路ができるというものだ。(『李長吉歌詩集』鈴木虎雄注釈、岩波文庫)
 たとえ一本でも、美しく咲き香る木があれば、あたり一面がなごみ、華やぐ。組織も同じである。「真剣な一人」がいれば、全体が大きく変わっていく。「一人」が立てばよいのである。
 仏法の世界とは、こうした「人間性の花」を咲かせながら、あの地にも、この地にもうるわしい友情を広げていくものである。組織の論理だけで押し切っていくということがあってはならない。
 「ああ、あの人はすばらしいな」「あの心、あの生き方に感動する」――そのように人格を慕われて、おのずから広布の道ができていくのである。

 

2016年10月18日付 聖教新聞 本部幹部会で紹介されたSGI会長の指針 

今月のメッセージ

2018年12月度

「皆仏になれ」と功徳満開に!

 

 仏道修行は、峻厳なる「冥の照覧」に包まれている。
 ゆえに信心の世界の苦労だけは、一切合切、無駄がない。
 御聖訓には、『雨ふり・かぜ(風)ふき・人のせい(制)するにこそ心ざしはあらわれ候へ』(種種物御消息、1548頁)と示されている。
 自然災害が打ち続いた今年も、わが同志は、まさに雨にも風にも負けぬ「心ざし」で広布に走り抜いてくれた。
 御本仏・日蓮大聖人の御賞讃はいかばかりであろうか。
 『極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず』(報恩抄、329頁)との一節に照らし、我らは一年一年、極楽の百千万年分もの功徳を積みゆく大闘争の年輪を刻んでいるのだ。
 一人一人の奮闘と陰の労苦を労い、新年へ出発しよう!『ほむれば弥功徳まさる』(妙密上人御消息、1242頁)との仰せの通り、讃え合う真心に、自他共の喜びと力が漲っていくからだ。
 今やこの希望のネットワークは全地球に広がった。
 先駆の夫妻を激励された御書には『国中の諸人・一人・二人・乃至千万億の人・題目を唱うるならば存外に功徳身にあつまらせ給うべし』(同、1241頁)とお約束である。
 座談会での体験談が集った友に波動を起こすように、世界広布が進めば進むほど、その大功徳は、大海の如く、須弥山の如く、創価家族の皆の生命に集まり具わるのだ。
 だからこそ戸田先生は、「学会と共に生き抜いてごらん。今の悩みは、必ず全部・功徳に変わる。その人間革命の歓喜で人類の幸福と平和に尽くすんだよ」と励まされた。
 なかなか結果が出なくとも、また、高齢や病気などで動けなくとも、妙法で結ばれた異体同心の連帯と一緒であれば、永遠に「常楽我浄」の軌道を上昇できるのだ。
 大聖人は若き南条時光に『一切衆生の恩』を明かされ、『生生世世に皆恩ある衆生なれば皆仏になれと思ふべきなり』(上野殿御消息、1527頁)教えられた。
 新しい一年も、我らは『皆仏になれ』と祈りを込めて、広宣流布、立正安国の対話に勇んで挑みゆこう!
 楽しく朗らかに仏縁を結びながら、『悪を滅し、善を生ずる』功徳の花を満開に咲き薫らせようではないか!

 

 風雪に
  宝樹と伸びゆく
   君なれば
  功徳と勝利の
    年輪刻めや

 

 大白蓮華2018年12月号№830巻頭言
 

 

日天月天ワンショット

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未来部用の御書


世界広布新時代

創立90周年へ

「創価勝利の年」

(2019年)

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

更新日

2018.12.16

第1570

 

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