日めくり

11月10日

第1629回

「信念の一人」

 

 大聖人のご生涯は、命にもおよぶ大難の連続であった。「開目抄」には、「波に波をたたみ難に難を加へ」と仰せである。押し寄せる大波のように、次々と大難が襲いかかった。
 大聖人は、なぜ、その一切を勝ち越えることができたのか。御聖訓には仰せである。
 「一人なれども心のつよき故なるべし
 信念がある! 信仰がある! 強き心がある! だから一人であっても勝てたのである。信念をもった一人ほど強いものはない。どんなに迫害されようと断じて負けない。負けないということが、「妙法蓮華経」である。法華経の精神であり、日蓮仏法の魂である。
 わが学会には、大聖人に直結した「心の強さ」の真髄がある。
 だからこそ、これだけの難を受けながら、「仏法を基調とした、世界第一の平和と文化と教育の団体」を築き上げることができたのである。
 大事なのは、「信念の一人」である。立場でもない。役職でもない。人数でもない。私も、一人、立ち上がった。戸田先生をお守りし、悪意の言論と敢然と戦った。何ものをも恐れなかった。
 一人、立ち上がることだ。なかんずく、青年が自覚することだ。だらしのない臆病な先輩は放っておけばいいのである。青年部が、二十一世紀の創価学会の原動力になっていただきたい。
 「後継」こそ青年の使命である。広宣流布の一切の勝利は青年部で決まる。決然と、一人、立ち上がっていただきたい!
 釈尊が、幾多の苦境を乗り越えて、出世の本懐たる「妙法蓮華経」を説き始めたのは、何歳からであったか。大聖人は、「御年七十二歳」と記しておられる。釈尊の人生の最終章である。
 どうか、皆さまも、「不老不死の大生命力」を輝かせながら、健康で長生きしていただきたい。荘厳なる夕日のごとき、人生の総仕上げをお願いしたい。

 

2002.11.14 第二十七回SGI総会、第二十二回本部幹部会

 

11月10日

第1628回

創価学会の永遠の原点

 

「広宣流布の柱」は、永遠に「創価の三代」


 このたび、学会創立七十二周年を記念して、新たに創価学会版の『法華経』(『妙法蓮華経並開結』)が完成した。これは、日蓮大聖人がご生涯にわたって所持され、みずから注記を書き込まれた、最重要の法華経をもとに、学会が新しく編纂したものである。その意義は、たいへんに深く、重い。
 ご存じのように、法華経の法師品には「猶多怨嫉。況滅度後(猶お怨嫉多し。況んや滅度の後をや)」(法華経三六二ページ)と説かれている。
 つまり、「釈尊の在世でさえ、怨嫉(うらみ、ねたみ)が多かった。いわんや滅後、なかんずく末法において(法華経を弘める人は)より多くの怨嫉を受け、難にあうのは当然である」と予言されている。
 さらにまた、勧持品には「諸の無智の人の悪口罵詈等し」(法華経四一八ページ)云々と、明確に記されている。
 つまり、釈尊の滅後に、法華経を広宣流布しゆく人は、「三類の強敵」(俗衆増上慢、道門増上慢、僣聖上慢)による迫害を受ける。すなわち、仏法に無知な人々や、邪知・慢心の坊主、さらにニセ聖者――そうした増上慢の人間から悪口罵詈され、讒言を浴びせられ、権力を使った弾圧を受ける。これが正義の人の証である。
 「三類の強敵」と勇敢に戦わなければ、真の法華経の行者ではない、偽りの信心であると、大聖人は厳しく戒めておられる。
 現代において、権力による大難を受けたのは、牧口初代会長、戸田第二代会長、その直系中の直系の第三代の私である。この三代で、創価学会は、世界一の広宣流布の団体となった。
 仏法を弘めたゆえに、牧口先生は牢獄に入られた。戸田先生も入られた。私も入った。いわれなき中傷、誹謗、迫害を一身に受けた。「三類の強敵」と戦いぬき、大聖人の仰せどおりの実践を、寸分も違わず、不惜身命で貫いてきた。ここに、創価学会の永遠の原点があり、栄光がある。
 真実の日蓮仏法を弘めゆく中心、「広宣流布の柱」は、永遠に「創価の三代」である。
 皆さんは、これを忘れないでいただきたい。未来のために、絶対に正しい軌道をはずれないために、明快に申し残しておきたい。

 

2002.11.14 第二十七回SGI総会、第二十二回本部幹部会

日めくり御書

2019年4月30日

 

『一切衆生なくば衆生無辺誓願度の願を発し難し、又悪人無くして菩薩に留難をなさずばいかでか功徳をば増長せしめ候べき』

(四恩抄、937頁)

あなたに贈る日めくり

もう一度日めくり

10月21日

第1280回
真剣な一人が立てばよい


 <組織の論理だけで押し切るな!>

 

 古来、中国では、桃や李は優れた人格の象徴とされた。
 唐代の詩人・李賀の詩にも、次のような一節がある。
 立場が変わり、境遇が変化した人への励ましの言葉であった。
 「自ら是れ 桃李の樹(じゅ) 何ぞ畏(おそ)れむ 蹊(けい)を成さざるを」
 ――あなたは桃李(=桃や李)の木の如きもので花が爛漫とうるわしく咲いている、だまっていても人が寄ってきて、下には自然と小路ができるというものだ。(『李長吉歌詩集』鈴木虎雄注釈、岩波文庫)
 たとえ一本でも、美しく咲き香る木があれば、あたり一面がなごみ、華やぐ。組織も同じである。「真剣な一人」がいれば、全体が大きく変わっていく。「一人」が立てばよいのである。
 仏法の世界とは、こうした「人間性の花」を咲かせながら、あの地にも、この地にもうるわしい友情を広げていくものである。組織の論理だけで押し切っていくということがあってはならない。
 「ああ、あの人はすばらしいな」「あの心、あの生き方に感動する」――そのように人格を慕われて、おのずから広布の道ができていくのである。

 

2016年10月18日付 聖教新聞 本部幹部会で紹介されたSGI会長の指針 

今月のメッセージ

2019年7月度

 

日輪の如く 師子の如く

 

 人の世はいかなる道にも修行がある。その修行に徹し、道を究めてきた人には、命の張りがあり、光がある。
 日蓮大聖人は『法華経の修行の肝心』を明確に教えてくださった。不軽菩薩の如く『人を敬う』ことであり、賢き「人の振舞」を貫くことである。(1174頁)
 それは、その人も仏性を信じ、礼儀と誠意を尽くして会うことから始まる。その時は反発されても、こちらの礼拝の一念は、相手の奥底の仏性には必ず通じている。
 とともに、庶民を傲慢に見下し、不幸に陥れる魔性の働きには、勇敢に聡明に忍耐強く立ち向かっていくのだ。
 御書には、その手本が幾重にも示されている。
 『日蓮は此の法門を申し候へば他人にはにず多くの人に見て候へ』(1418頁)とも仰せである。
 他者とは比較にならないほど人と会われ、語り抜かれた。その上で、『いとをしと申す人は千人に一人もありがたし』(同頁)と率直に記されてもいる。
 御本仏の大慈大悲で包まれても”本当に立派な人”は少ないと言われるのだ。
 いわんや凡夫の私たちが末法の衆生の只中で、どれほど苦心しているか、全て御照覧くださっているに違いない。
 まさに「立正安国の対話」は、至難の修行なのである。
 だからこそ、福徳もまた大きい。自らの境涯を開く人間革命とともに、一家眷属も、地域社会も大福運を積み、さらに国土世間の宿命まで転換していけるのだ。
 「この世の悲惨をなくし、不幸をなくし、人権を、人間の尊厳を守り、平和な社会を築いていくなかにこそ仏法の実践がある」とは、恩師の関西での宣言であった。
 ともあれ我らの語らいは、皆が幸せになるための修行である。一歩また一歩が、仏になりゆく道なのである。
 『法華経の行者は日輪と師子との如し』(1219頁)
 ゆえに、太陽の如く明るく大らかに、一人一人の心を照らし、仏縁を結び希望の連帯を広げゆこう! そして、師子の如く強く堂々と正義を叫び切って、「人の振舞」という人間主義の勝利の旗を掲げゆこうではないか!

 

 太陽と
  師子のいのちの
   君なれば
  照らせ 吼えゆけ
   凱旋かざれや

 

 大白蓮華2019年7月号№837 巻頭言

 

日天月天ワンショット

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未来部用の御書


世界広布新時代

創立90周年へ

「創価勝利の年」

(2019年)

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

更新日

2019.11.15

 

第1628

第1629

 

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