日めくり

3月23日

第1590回
広宣流布の根本の原理

 

<一人立て!>

 

 思えば、一九一九年の春、若き周恩来総理は、桜の咲くころ、留学中の日本を発って、祖国へ舞い戻っていかれました。それは、あの中国革命の淵源である「五・四運動」に身を投ずるためでありました。
 この「五・四運動」のスローガンの一つが、「青島を日本から取り戻そう!」という叫びであったことは、まことに有名であります。(第一次世界大戦で敗戦国となったドイツに代わり、当時、日本が青島を支配下に置いていた)
 その大闘争に、十八歳の若さで立ち上がった、山東地域の若き指導者のことを、私は思い起こすのであります。その名は、鄧恩銘(とうおんめい)青年。
 彼は、一九〇一年生まれ。戸田第二代会長やポーリング博士と同じ年代であります。
 鄧青年は、労苦をいとわず、日夜、各地を駆け回り、民衆の中へ飛びこんでいきました。
 民衆の中ヘ!――私たちの戦いも同じであります。
 鄧青年は、行く所、向かう所、正義と勇気の炎をともし、人々を決起させていったのであります。
 私も、青春時代、九州でも、また葛飾でも、そういう戦いの歴史を残してきました。大事なのは「一人」です。必死の一人から、二人、三人、そして千人、万人へと、波動が広がっていく。
 ゆえに「一人で決まる!」「一人立て!」――これが広宣流布の根本の原理です。
 鄧青年は、名聞名利など、かなぐり捨てて、肺結核も乗り越えながら、祖国のため、人民のために戦いました。女性の解放にも尽力した先見の人であります。
 彼は、同志を励まし続けました。
 「何事も、先駆を為すことはむずかしい。しかし決心を貫き、勇気を奮い立たせていけば、必ずや古い鉄鎖を断ち切り、自由と解放を勝ち取ることができる」と叫び、戦ったのであります。
 敵は、この正義の若き指導者を、いっせいに狙い打ちにしました。
 投獄は、三度。そして、一九三一年の四月五日、同志の卑劣な裏切りにあい、処刑されたのであります。三十歳の若さでありました。
 その殉難の直前、青島の革命児・鄧青年は、母に宛てて一詩を詠みました。
 「たとえ、わが身は死のうとも、惜しくはありません。なぜなら、後継の友が立ち上がり、必ずや、私を喜ばせてくれるからです」
 こうした壮烈な魂が、脈々と継承されて、現在の″栄光の大中国″が、築き上げられていったのであります。偉大な歴史の建設は、「一人の青年」から始まるのです。(拍手)

 

2002年4月21日中国・青島大学「名誉教授」授与式、九州青年部第一回新世紀総会

3月23日

第1591回
青年よ!

力をつけよ!

 

韓国を心から尊敬し、

ともに力を合わせて進もう!

 

 ″韓国のガンジー″と讃えられる独立運動の父・安昌浩(アン・チャンホ)先生は語った。
 「力を求めようとするならば、その力は、どこで求めることができるでしょうか。力は健全な人格と、固い団結から出てくることを私は確信しています」
 一人一人が、人間として輝いていくことだ。団結することだ。そこに大いなる前進の力は生まれる。(中略)
 先ほども紹介した韓国の安昌浩先生は、青年にこう呼びかける。
 「世の中、すべては力の産物です。力が小さければ小さいことを成就し、力が大きければ大きいことを成就し、力がまったくなければ何も成し遂げることはできない」
 青年よ、人間としての力をつけよ!――私も、そう声を大にして訴えたい
 また韓国の有名な詩人であり、民族独立運動の闘士である韓龍雲(ハンヨンウン)先生はつづっている。
 「世間には誹謗も多いし 嫉みも少なくありません。/あなたに誹謗と嫉みの牙が向けられようと お気になさらぬように。/誹謗好きの連中は 太陽に黒点があることさえもっけの幸いと思うものです。/あなたには 誹謗することがないその点を誹謗するかもしれません」(『ニムの沈黙』安宇植訳、講談社)
 はじめに批判ありき――これが誹謗好きな人間である。つねに「何かないか」と狙っている。その本質はヤキモチである。揚げ句の果てには「何一つ批判すべき点がない」ことを理由に批判する――ここまでくると″嫉妬病″である。
 そんな愚人の言葉に紛動されてはならない。何と言われようが、悠然と前に進むことである。
 韓国のメンバー、きようは、ありがとう!
 お帰りになったら、皆さんに、くれぐれもよろしくお伝えください。
 きょう(五月三十一日)は韓国で、日本と共同開催のサッカー・ワールドカップが開幕する。いよいよ韓国の時代である。歴史上、文化の大恩ある韓国を心から尊敬し、ともに力を合わせて進んでこそ、日本の正しい未来が輝く。

 

2002年5月31日第十七回本部幹部会、第七回常勝関西青年部総会

 

3月24日

第1592回
祈りは必ず叶う!
なぜ祈りが叶うのか?

 

 妙法の祈りとは「誓願」です。最も強靭な精神の力です。
 祈りが心に満ち満ちているところ、いかなる臆病も、あきらめも、弱音も、入り込む隙などありません。
 祈りのとは、「必ず成し遂げる!」という信念です。
 「絶対に負けない!」という確信です。
 自分には無理だという不信の壁を打ち破り「断じて戦い勝つ!」という究極の勇気なのです。(中略)
 では、なぜ、「法華経の行者」の祈りが叶うのか?
 大聖人は本抄で、その理由を、法華経に即して述べられています。
 釈尊が法華経を説いたことで初めて、あらゆる菩薩、二乗、人界・天界等の衆生の真の成仏の道が開かれました。
 だからこそ、法華経に恩のある衆生は、その大恩に報いようと、法華経の説法の会座で「法華経の行者を見捨てない」「法華経の行者が苦しんでいたら身代わりになろう」等の誓願を立てます。
 さらに彼らは、釈尊が亡くなる際には、「仏の恩に報いるために『法華経の敵』を打ち倒そう。身命を惜しまずに戦おう」等と、仏の前で誓いを述べます。
 すなわち、菩薩も二乗も、人界・天界等の衆生も皆、「法華経の行者」を、どこまでも守護すると誓願を立てているのです。
 なればこそ、大聖人は、広宣流布の誓願を貫く法華経の行者の祈りの叶わないことは絶対にないと、断言されているのです。
 そこで、私たちにとって大切になるのは、”わが誓願を必ず成就させよ”と、諸天善神をを揺り動かす思いで、強盛に祈る姿勢です。
 自分自身の誓願の堅固な一念が、諸天善神の誓願の働きを呼び起こすのです。
 『必ず心の固きに依りて神の守り強し』(1220頁)です。牧口先生も大切にされていた御文です。
 他の御書でも『御祈りの叶い候はざらんは弓のつよくしてつるよわく・太刀つるぎにて、つかう人の臆病なるようにて候べし、あへて法華経の御とがにて候べからず』(1338頁)等と仰せです。
 大聖人は一貫して、願い叶えていくためには強盛な信心こそ肝要となることを強調されています。
 何よりも、大聖人御自身が、「竜の口の法難」の折、処刑の場に向う途中で、法華経の行者を守護すべき八幡大菩薩に向って”なぜ、法華経の行者を守護すると誓った約束を果たさないのか”と叱咤し、諸天を諌暁されました。(912~913頁)。
 究極は諸天にお願いするものではなく、妙法の当体である自分自身の諸天を”揺り動かす”信心こそ根幹なのです。
 『一身一念法界に編し』(247頁等)とある如く、わが一念が三千法界に広がるのです。いわば、悪鬼や魔民も含めて全宇宙が味方となる。
 これが妙法の無窮なる力用なのです。
 大宇宙は、瞬時もとどまりません。常に動き続けている。その究極の法則こそ、法華経の真髄である南無妙法蓮華経です。
 『当に知るべし日月天の四天下をめぐり給うは仏法の力なり』(1146頁)です。妙法は、万物を成り立たせている根源の大法なのです。
 題目を唱え、妙法に生き抜いた時に、大宇宙の妙なる旋律と自身の生命が合致していく。
 祈りは、大宇宙と、わが小宇宙との交流です。妙法の祈りによって、私たちは、宇宙の最極の「力」と「智慧」と「慈悲」の生命をわが身に顕現することができるのです。
 だからこそ常に大聖人が教えられているのは、弟子の側である私たちの祈りの姿勢です。
 願いを成就していくうえで心すべきことは、祈りが叶うまで何度も「勇気」を奮い起こして、信心を貫き通していくことです。

 

大白蓮華2019年2月号№832 37頁~

3月24日

第1593回
人の胸を打つのは「真剣さ」だ。
 「必死の一念」だ!

 

 人間の価値は、
 財産でもなければ、地位でもない。
 どのような哲学を持ち、
 どのような
 実践をしているかで決まる。
 ゆえに、最高無上の妙法を持ち、
 行じ、弘めゆく創価の同志こそ、
 男女はきらわず、
 最高無上の大人材なのである。
 
 たとえ不遇な状況におちいっても、
 笑われても、けなされ、
 謗られ、迫害されても――
 いかなる苦難にあっても、
 決して屈しない。
 まったく動じない。
 そのような、
 堂々たる「人格」を鍛え、
 自分自身として輝き続ける。
 そのための信仰である。
 それが真の学会員の誇りなのだ。
 
 人の胸を打つのは「真剣さ」だ。
 「必死の一念」である。
 そこから、勝つための智慧も
 わき出てくるものだ。
 「もういいだろう」
 「このへんでやめておこう」と
 手を抜いてしまえば、
 それ以上は絶対に前に進まない。
 妙法の力は、無限である。
 もう一歩、あと一歩の執念で、
 わが目標の完遂へ
 勇んで突き進んでまいりたい。
 
 仏は
 対話に臨んで逡巡しない。
 遠慮もしない。
 いかなる違いや葛藤があっても、
 相手の仏の生命を呼び覚まし、
 広宣流布の味方に変えていける。
 誰に対しても
 臆さずに真実を訴える。
 悩める友を真心から励ます。
 この同志の声ほど、尊く強く、
 妙なる生命の名曲があろうか。
 信念と希望と決意の声を響かせ、
 前進だ!

 

〈池田大作先生 四季の励まし〉勇気と信念の声を高らかに 2019年3月24日

日めくり御書

2019年元旦

 

『信心のこころ全ければ平等大慧の智水乾く事なし』

 

(秋元御書、1072頁)

あなたに贈る日めくり

もう一度日めくり

10月21日

第1280回
真剣な一人が立てばよい


 <組織の論理だけで押し切るな!>

 

 古来、中国では、桃や李は優れた人格の象徴とされた。
 唐代の詩人・李賀の詩にも、次のような一節がある。
 立場が変わり、境遇が変化した人への励ましの言葉であった。
 「自ら是れ 桃李の樹(じゅ) 何ぞ畏(おそ)れむ 蹊(けい)を成さざるを」
 ――あなたは桃李(=桃や李)の木の如きもので花が爛漫とうるわしく咲いている、だまっていても人が寄ってきて、下には自然と小路ができるというものだ。(『李長吉歌詩集』鈴木虎雄注釈、岩波文庫)
 たとえ一本でも、美しく咲き香る木があれば、あたり一面がなごみ、華やぐ。組織も同じである。「真剣な一人」がいれば、全体が大きく変わっていく。「一人」が立てばよいのである。
 仏法の世界とは、こうした「人間性の花」を咲かせながら、あの地にも、この地にもうるわしい友情を広げていくものである。組織の論理だけで押し切っていくということがあってはならない。
 「ああ、あの人はすばらしいな」「あの心、あの生き方に感動する」――そのように人格を慕われて、おのずから広布の道ができていくのである。

 

2016年10月18日付 聖教新聞 本部幹部会で紹介されたSGI会長の指針 

今月のメッセージ

2019年3月度

仏法は大きい!!

 

<よりよき社会の建設へ、人間主義の連帯を築こう!>


 忘れ得ぬ戸田大学の研鑽の中で、恩師が「大作、仏法は大きいな!」と微笑み、示された御聖訓がある。
 日蓮大聖人が「其の国の仏法」を任せると信頼された、駿河国(静岡県)富士郡の高橋夫妻への一節である。
 『たすけんがためにこそ申せ、かれ等のあだをなすは・いよいよ不便にこそ候へ、まして一日も我がかたとて心よせる人人は、いかでかをろかなるべき』(1460頁)
 ――迫害してくる権力者などさえ不憫であり、導こうと仏法を語っているのだ。ましてや一日でも味方となり心を寄せてくれた人々を、どうして疎かにしようか、と。
 どんな差異も超えて全人類を包み込む大きさと、縁を結んだ民衆一人一人の幸福をどこまでも祈り抜く深さを、御本仏から受け継いでいるのが、創価の世界である。
 大聖人は、一切衆生の「異の苦」も「同一苦」も悉く「日蓮一人の苦」と仰せになられた。
 このお心に連なって、我らはたゆまず「立正安国」の対話に打って出る。信仰の有無や立場などを問わず、同じ時代に生きる仲間として、現実の課題を共に見つめ、よりよき社会の建設へ人間主義の連帯を築くのだ。
 信念と大情熱の語らいの中で、仏性という最極の善の生命を互いに輝かせ合うことができる。反発さえも、「立正安国論」に「咲み止めて」とあるように、笑顔で受けとめながら、幸の仏種を心田に蒔いていくのである。
 ここから、「人間革命」のドラマが幾重にも生まれる。
 法華経の妙荘厳王品は、邪見に囚われていた父王が、妻と二人の子によって正しき信仰に導かれる物語である。
 ひとたび目覚めた父王は大いに歓喜し、一挙に偉大な力を発揮する。王宮の幾多の群臣眷属を、仏のもとへ引き連れ、そして諸共に正義と功徳を拡大していくのだ。
 広布の最前線の地区やブロックでも、勇敢にして誠実な宝友の挑戦が、新たな地涌の眷属を呼び出している。
 祈りと真心を尽くす人間外交で、「一人」への励ましを広げ、幸福と平和の波動を起こしゆこうではないか!


 みな宝塔
  みなが仏子と
    誇らかに
   声を惜しまず
    励まし勝ちゆけ

 

 大白蓮華2019年3月号№833巻頭言
 

日天月天ワンショット

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未来部用の御書


世界広布新時代

創立90周年へ

「創価勝利の年」

(2019年)

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

更新日

2019.3.24

第1593

 

日天月天ワンショット

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