激励!能登・北陸

2024年1月25日

能登半島・北陸地震

東北からのエール

 

共に進もう北陸 負げでたまっか

 

 能登半島地震で被災され、困難の渦中にいる北陸の皆さまへ、東北の友から励ましの声が寄せられました。13年前、東日本大震災に見舞われ、悲しみのどん底から立ち上がり、前に進んできた友がつづったメッセージを、復興への祈りを込めてお届けします。

 

宮城 石巻市 国本孝志さん(30歳)

 17歳の時に東日本大震災が起き、きょうだい4人を亡くしました。激しい喪失感と漠然とした不安、やり場のない憤りなど負の感情が一気に襲ってきました。心がすり減り、生きる意味も希望も見失い、何をしても孤独感や虚無感がありました。それを埋めるために学会活動を始めました。

 活動の中で、たくさんのことを教えてもらいました。“一人じゃない”とも思えました。「自他共の幸福」という言葉が人生観を変えてくれました。そして目標ができました。「自分自身が幸福を勝ち取る!」「自分の手が届く限り激励をする!」。自分の中で、心が変わった気がしました。

 皆さんに一番伝えたいことは「一人じゃない。孤独じゃない。同志がいる。東北の私たちもいる」ということです。東日本大震災で、多くの方に励ましていただきました。だから今、皆さんの力になりたい、支えになりたいと、心から思っています。

 

宮城 南三陸町 及川智子さん(77歳)

 寒さの厳しい中、大変な思いをされていると推察します。「3・11」を経験した一人として身につまされる思いです。心よりお見舞い申し上げます。私は震災の時、津波で夫を亡くし、認知症で寝たきりの母を抱え、目の前が暗くなりました。そんな折、全国の同志の支援と、池田先生からのメッセージが届きました。“いかなる苦難も『心の財』は壊せない”。この一言が胸の奥深くに染み込みました。母の看病のため避難所へは行けませんでした。それでも、苦難を乗り越えようと、所有地に自ら仮設住宅を建てることを決意。近隣への炊き出しをしながらプレハブを探し、震災から2カ月後には完成させることができました。多くの方の協力を頂き、本当に諸天が動いたとしか思えませんでした。

 みんなそれぞれ悩みや苦しみは違いますが、絶対に乗り越えることができます。祈っております。地区の皆さんと一丸となって、祈り切っていきます。

 

宮城 亘理町 森栄吉さん(70歳)

 出先からの帰宅中に携帯電話の緊急地震速報が鳴りました。ニュースを見て、東日本大震災が頭をよぎり、祈らずにはいられませんでした。今も大変な日々を過ごされていると思います。

 私たちも震災の時、地区の五十数世帯が津波で、ほぼ全壊の状況でした。かろうじて助かった壮年部の自宅をボランティアの応援で修復していただき、1カ月後に壮年部数人で男の活動者会を開催。“こんな時こそ、同志と会って元気になろう。何があろうとも力を合わせて頑張ろう”と、壮年中心に座談会の企画を考えました。婦人部(当時)の皆さんには、常日頃大変お世話になっていますので休んでいただき、男性陣で日頃の恩返しをしようと、震災から2カ月後に座談会を開きました。

 池田先生から数々の激励を頂き、「一番苦労した人が一番幸せになる」と、信心で立ち上がってきました。東北の男子より北陸の男性陣へ、頑張れ!!

 

岩手 大槌町 佐々木愛延さん(63歳)

 13年前の3月11日、自宅が津波で流失し、同居する義父がその犠牲になりました。

 今、テレビから流れる能登半島の映像を見るたび、鼻の奥にツーンという痛みを覚えます。“妻が無事でいてほしい”と祈りながら、仕事先から自宅へ急いだ当時の記憶がよみがえるんです。被災された皆さまの心中はいかばかりかと胸が痛みます。

 被災地はライフラインも寸断され、当たり前だと思っていた生活がままならない、本当に大変な毎日だと思います。でも、私たちには信心があります。

 私も池田先生の激励を胸に、友と苦労を分かち、励まし合って進みました。当時、人は「心」が強ければ、どんな苦難にも負けないと実感しました。

 私たちは能登をはじめ、全国の皆さまから励まされ、復興へ立ち上がれました。今度は、岩手・大槌から能登半島の皆さまへ、心からエールを送ります。「負げでたまっか! 頑張っぺし!」

 

岩手 宮古市 中澤かく子さん(63歳)

 今回の地震で被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。被災地の様子に13年前の東日本大震災を思い出し、胸が張り裂けそうです。

 発災当時、勤務する小学校が避難所となり、食事の世話などの手伝いをしながら仕事をしました。学区内にあった自宅は津波で全壊。先が見えない不安もあり、疲労が重なっていきました。

 そんな時、池田先生から「『心の財』だけは絶対に壊されません」というメッセージを贈っていただき、信心で乗り越えてみせると決意して、生活の基盤をつくっていきました。全国・全世界からのご支援や励ましにも勇気を頂きました。

 現在は、自宅を再建して元気に暮らしています。

 冬は必ず春となるように、必ず良い状況になると信じて頑張っていただきたいと思います。厳寒の時節、被災地の皆さまのご無事と一日も早い復旧・復興を祈っております。

 

福島 郡山市 伊藤千代さん(73歳)

 能登半島地震の惨状を見るたび、心が痛みます。私が住んでいた大熊町は原子力発電所があり、今も一部地域は帰還困難区域に指定されています。東日本大震災の際は、着の身着のままで故郷を追われました。一瞬で何もかも失い、“これから先、どう過ごせばいいのか”と途方に暮れていた時、池田先生のメッセージが聖教新聞に掲載されました。

 どれほど支えられたことでしょう。「そうだ、私には私の使命がきっとある」と、前に進む力にしてきました。そうして、池田先生に教えていただいた使命こそ、今、北陸の皆さまの痛みに寄り添い、エールを届けることだと感じています。

 震災から半年後に始まった小説『新・人間革命』第25巻「福光」の章で、池田先生は「春を告げよう!」「踏まれても、踏まれても、われらは負けない」とつづられました。北陸の皆さまと“共に”との思いで、一日も早い復興を祈念しております。

 

福島 南相馬市 松本優美さん(25歳)

 私は中学1年で大震災に遭いました。原発事故で自宅が特定避難勧奨地点に指定され、祖父と離ればなれに。3カ所を転々とした避難生活を終えて自宅に戻ったのは、高校3年の5月でした。

 遠い学校へバス通学になり、給食は避難所の炊き出しメニューに。部活や学校行事もありませんでした。それでも、友達に会うと元気になりました。両親はいつも、私たち兄妹に「今いる場所が一番いい場所」と言いました。そう考えると、心が前向きになり、とても安心したことを覚えています。

 その後、創価大学へ進学し、卒業後は地元の南相馬市に戻りました。今では、「3・11」から自分の人生が始まったとさえ思うようになりました。

 能登の皆さんが直面している困難は計り知れませんが、希望を持って日々を生き抜き、いつの日か、今この時のことを穏やかな気持ちで振り返れる時が訪れるよう、心から祈り、応援しています。

 

福島 いわき市 清水三郎さん(67歳)

 新聞やテレビの報道を見るたびに、自分たちの経験と重なり、胸が締め付けられるような思いです。今は先のことなど考えられないかもしれませんが、励まし合い、生き抜いていってください。

 原発事故で故郷を追われた私たちの希望は、御書であり、池田先生の指導でした。「大悪おこれば大善きたる」(新2145・全1300)と何度も自分に言い聞かせ、「必ず乗り越えてみせる!」と誓いました。「いずこにあっても、我らは深き妙法で結ばれています」――池田先生から頂いたこのメッセージを心の支えに、散り散りになった同志と、いまだ帰れない故郷を思いながら、今いる場所で頑張ってきました。「負げでたまっか!」を合言葉に。

 北陸の皆さんも必ず乗り越えていけるはずです。皆さんが立ち上がっていく姿が周囲を照らす福光になると確信します。世界中の同志と共に、一日も早い復興を祈っています。

 

岩手 大船渡市 藤畑則子さん(56歳)

 大地震で多くの方が犠牲となり、過酷な避難生活が続いていることに胸が締め付けられます。私は東日本大震災で、夫を津波で亡くしました。震災からの数日間は御本尊の前に座っても何をどう祈っていいかも分からず、苦しさと悲しみに押しつぶされそうでした。そんな中、3月16日付の聖教新聞に「『心の財』だけは絶対に壊されません」との池田先生の温かくも力強いメッセージが。目の覚めるような思いでした。このまま悲しみに押しつぶされて負けるわけにはいかない、との思いで立ち上がり、同志の皆さんと共に今日まで歩んできました。

 今は明日のことも考えられないほど必死の一日一日だと思います。その一日一日を学会と共に、同志と共に歩んでいった時、頑張ってきて良かったと思える日が必ず来ます。三陸の私たちは一日も早くその日が来るよう、お題目を送り続けます。共に前へ進みましょう。


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2024年1月24日

現状調査結果


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2024年1月23日

能登半島・北陸地震 対策本部会議

 原田会長、永石女性部長が出席

 

 能登半島地震の災害対策本部の連絡会議が22日、原田会長、長谷川理事長、永石女性部長らが出席し、学会本部別館(東京・信濃町)と石川文化会館(金沢市)、富山文化会館(富山市)、北陸研修道場(石川・七尾市)をオンラインで結んで行われた。

 坂元北陸長が、発災3週間を経た石川、富山の被害状況、北陸研修道場を拠点に展開する能登の被災者支援と激励の模様を詳細に報告。2次避難者や親類宅等に身を寄せている方を含め、被災者の励ましにさらに総力を挙げていくことを確認した。

 原田会長は、池田先生が東日本大震災の際に送った“心の財だけは絶対に壊されない”とのご指導を今再び、共に胸に刻みつつ、心一つに苦難の友を支え、励まし抜いていきたいと述べた。


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2024年1月20日

〈危機の時代を生きる 希望の哲学〉 インタビュー 

東北大学災害科学国際研究所 栗山進一所長

 

能登半島地震の発生から間もなく3週間

誰も置き去りにしない この姿勢が今こそ必要

 

 元日に発生した「令和6年能登半島地震」から間もなく3週間。被害の全容が徐々に明らかになり、被災者を支える懸命な活動が続いている。今後、被災地ではどのような課題が想定され、どういう対策が必要となるのか。災害科学などの研究を行うとともに、東日本大震災の教訓を国内外に発信する「東北大学災害科学国際研究所(災害研)」の所長で、災害公衆衛生学を専門とする医師の栗山進一氏に聞いた。(聞き手=水呉裕一、村上進)

 

 ――東北大学災害科学国際研究所として、「令和6年能登半島地震」が発生した直後から、被災者の命を守るための情報や東日本大震災の教訓を次々と発信されていますね。

 

 「令和6年能登半島地震」の被害状況は、13年前の東日本大震災の光景と重なり、胸を痛めています。まずは東北大学災害科学国際研究所を代表し、地震で亡くなられた方々に謹んでお悔やみ申し上げるとともに、被災された皆さまに心よりお見舞いを申し上げます。

 私たち災害研では、地震発生直後から情報収集や情報支援を行ってきました。具体的には、工学、理学、医学、人文社会科学、情報科学、防災教育実践学など多岐にわたる分野の専門家が学外の関連機関と連携し、地震と津波のメカニズムの解明、被害状況の推計を行い、被災地への正確な情報提供等に努めてきました。

 

低体温症を防ぐ

 ――今月9日には、災害研として、被災地調査を行う研究者の状況報告をはじめ、各分野の専門家が過去の教訓や最新の研究を踏まえ、どのような支援が必要となるかを発表する「速報会」を開催されました。正確な情報をいち早く伝えるということが、大きなポイントだったと思います。

 

 速報会には、オンラインも含めて2100人を超える方々が参加しました。“今、被災地では何が起こっているか”“今後、どのような事態が予想されるか”に、大きな関心が集まっていると実感します。

 その上で、どのような支援を行うにしても、まずは正確な情報をもとにしなければなりません。“東日本大震災を経験した東北だからこそできる支援を”との思いで、被災地の状況を的確に把握しつつ、過去の教訓を踏まえて、必要となる対策等をお伝えしました。

 中でも、発災当初から訴えてきたのは、被災地が冬の寒冷地域でもあり、「低体温症」を防ぐことです。低体温症とは、代謝によって発生する熱と、体から逃げていく熱のバランスが取れず、体温が低くなってしまう状態のことです。最悪の場合、心肺停止となってしまう危険もあります。歯がカチカチと震える状態は、低体温症の初期症状ですので、注意が必要です。

 特に高齢者の場合は、暖房のある避難所などにいても、在宅避難をしていても、十分に食事が取れていないと、低体温症になる可能性があります。また避難所の様子などを報道で見ても、まだ床の上に直接、布団を敷いていたり、畳の上で雑魚寝をしていたりする状況があります。たとえ布団を敷いていても、冷たい床や畳によって体温は奪われてしまいます。支援が十分に届いていない地域もあるでしょうが、可能なら「段ボールベッド」を活用してもらいたいと思います。断熱性能が高い段ボールベッドは、防寒に効果がありますし、高さがある分、高齢者は立ち上がりやすくなります。また、床に落ちた飛沫やホコリなどを吸い込むリスクも減るので、感染症などを防ぐことにもつながります。

 

デマ情報に注意

 ――白湯を飲んだり、上着の下に新聞紙を詰めたりするだけでも低体温症の対策になると呼びかける専門家もいます。これまで聖教新聞としても、電子版などで「避難生活中の健康を守るポイント」など、被災後の生活で注意する点を紹介してきましたが、支援物資がなかなか届かない地域でも、そうした情報をもとに、一人一人が身近なところから対策を取ることが必要だと思います。

 まずは、そうした正しい情報をもとに、自分自身の命を守るための行動を続けていただきたいと切に願います。その一方、正しい情報を得る上では、フェイクニュースが横行していることも認識しておかねばなりません。

 

 

苦しむ人に寄り添うため

求められる地域社会の力

 

「令和6年能登半島地震」に関する災害研の速報会。栗山所長が参加者の質問に答える(今月9日、東北大学で)

 災害研では、能登半島地震が発生した今月1日から7日間のX(旧ツイッター)で発信された情報を分析しました。「地震」を含む発信数は250万件を超え、「津波」や「低体温」「能登+透析」「地震+薬」などに注目が集まっていることが分かりました。しかし同時に、今回の地震は“人為的に起こされたものだ”と不安をあおる情報も見られ、「人工地震」を含む発信数は7万6000件を超えています。

 こうした根拠のないデマを流したり、ほかの人と共有したりすることは、どうか慎んでいただきたい。またSNSには、そうしたデマ情報が含まれていることも理解していただき、必ず「発信元」を確認し、正しい情報かを確かめていただくことが大切です。

 

関連死への懸念

 ――被災地については今後、どのようなことを懸念していますか。

 

 いわゆる「災害関連死」の増加です。災害による負傷の悪化や、避難生活などによる心身の負担によって命を落としてしまうことですが、2016年に起きた熊本地震では、この災害関連死が地震による直接死の4倍を超えました。地震から助かっても、まだまだ命を落としてしまう危険性があるということです。この災害関連死が起こらないようにすることが、今後の第一の課題です。

 現時点で心配なのは、狭い車中などでの避難生活で血行不良を起こし、血栓が肺に詰まって肺塞栓などを誘発する「エコノミークラス症候群」です。トイレに行く回数を減らすために水分補給を控えるという方もいらっしゃいますが、それでは血流が悪くなり、エコノミークラス症候群のリスクを上げてしまいます。健康を守るためにも、必要な水分は取り、小まめな運動も心がけてください。

 また、感染症のまん延による肺炎や下痢などの症状や、高血圧や糖尿病などの慢性疾患の悪化も心配されます。中には、日頃から服用していた薬を避難生活で中断せざるを得なくなった方もおられるでしょう。これが長期化すると、重大な健康被害を起こすことも懸念されます。「お薬手帳」を持っている方は携帯していただき、被災地を訪れている医療救護班に遠慮なく相談してください。

 

決して無理せず

 ――被災者の中には、2次避難(※1)で慣れ親しんだ土地を離れることにストレスを感じたり、故郷で仕事を続けることに対し、悩みを抱えたりしている方もいます。生活の再建を急ぐあまり、自分の健康状態を顧みずに無理をする人もいるのではないでしょうか。そうした方々の心身の健康も懸念されます。

 

 災害関連死の過去の事例では、震災後の疲労などによって心不全や肺炎などを発症したり、地震のショックや余震への恐怖が原因で急性心筋梗塞を起こしたりしたことが挙げられています。被災地で暮らす方々には、決して無理をしないでいただきたいと思います。

 災害研では、東日本大震災の教訓をもとに、「災害後のこころの健康のための8ケ条」を作成しましたが、その中で強調していることも“自分を追い込まないようにして休みを取ること”“つらいことは一人で我慢しないこと”などです。自分自身の健康を守るためにも、決して無理をせず、悩んでいることは家族や周囲の人に話し、気持ちを分かち合うことを心がけてください。

 また、災害が及ぼす影響は、決して一過性のものではありません。東日本大震災の被災地では、家屋の損壊の程度が大きいほど、肥満や不眠、喫煙、うつ、産後高血圧のリスクが上昇することが報告されています。家の再建や仕事のことなど、自分の将来に見通しを持てるかどうかがメンタルヘルスに大きく影響することから、行政には生活再建も含めた一日も早い対策を期待したいと思います。

 そのほか、被災地の子どもたちに対する継続的な教育支援をはじめ、あらゆる分野で課題が浮き上がってくると思いますので、支援を途切れさせないことが必要となるでしょう。

 

災害弱者に配慮

 ――栗山所長は、速報会で“誰も置き去りにしない”という視点が大切だと強調されていましたね。

 

 東日本大震災では、災害関連死の4人に1人が障がい者だったことが分かっています。これは避難生活の中で、障がい者が意見を述べる場がなく、適切な対応を受けられなかったことが原因です。その教訓を踏まえ、「仙台防災枠組2015―2030」(※2)が採択された第3回国連防災世界会議をきっかけに、「インクルーシブ防災」の必要性が叫ばれるようになりました。これは老若男女を問わず、障がいがある人もない人も、誰も取り残さないことを目指した防災の理念です。災害関連死を起こさないためにも、この防災のあり方が今こそ大切であると確信します。

 インクルーシブ防災については、徐々に理解が進んでいますが、まだまだ課題も残っています。

 熊本地震を経験した育児中の女性へのアンケートを見ても、小学校に避難している時に、「おにぎりを配りますので、並んでください」とアナウンスがあったが、1歳と3歳の子どもを一人で見ている状況では並ぶことができず、食事が手に入らなかったという声がありました。また今回の能登半島地震の被災地からも、医療的ケアを必要とする方から「周囲も大変な状況の中なので、支援や協力を申し出ることに申し訳なさを感じている」との声が届いています。

 こうした“災害弱者”から順番に取り残され、命を落としてしまうのが災害の現場です。

 まずは、自らの行動や努力だけでは、自分の命を守ることができない人がいることを、周囲の人たちが知ることが重要です。

 

声に耳を傾ける

 ――そうした配慮が大切とは分かっていても、被災地の最前線では、自分や家族のことで精いっぱいで、他者のことに気を配るのが難しいという状況もあるかと思います。

 

 そうした状況にあることも、よく分かります。だからこそ、まずは支援活動に携わる人や、2次避難先で受け入れる側の人などに“誰も取り残さない”との意識を持っていただき、一人一人の声に丁寧に耳を傾けていただきたいと思います。

 私自身、これまでインクルーシブ防災を推進する上で、さまざまなケアが必要な方に、普段の生活や震災の時、何に困ったのかなどを聞いてきましたが、話を聞く中で、初めて気付く課題も少なくありません。

 医療的ケアを必要とする仙台市在住の20代のある女性と、そのお母さんに話を聞いた時のことです。

 この女性は、車いす生活を余儀なくされているのですが、人工呼吸器などの必要不可欠な荷物が8個もあり、車いすも含めると90キロもの重さになることを教えていただきました。

 そうした状況も踏まえ、これからの災害に備える「個別避難計画」を一緒に作ってきましたが、その中で、一番困っている人を守ろうと思って考えた手段や知恵を用いれば、より軽い障がいの人はもちろん、あらゆる人を救っていけることを実感しました。今では、それが“誰も置き去りにしない”一番の近道だと信じていますし、そのために必要なことは、それぞれが自分のいる場所で、そうした身近な一人一人の声に耳を傾け続けていくことだと思っています。

 もちろん、そうしたコミュニケーションは、災害が起こる前も大切ですが、災害が起きてからの方がもっと重要で、今こそ必要になっています。

 

 ――今後、県外でも避難者を受け入れる「広域避難」が進んでいくことが報じられています。身近な人の声に耳を傾ける姿勢は、決して被災地だけの話ではなく、他地域に住む人々にも求められているのではないでしょうか。

 

 「広域避難」などで被災者を受け入れる地域の方々には、一人一人の多様な状況に、少しでも寄り添っていただきたい。

 その上で、身近な人の声に耳を傾ける姿勢というのは、たとえ被災者を受け入れている地域でなくても、また障がい者が身近にいなくても、必要なものだと思っています。

 例えば今回、親戚や家族が被災した人が身近にいるかもしれません。また、今回の被災地でなくても、過去の災害での経験がフラッシュバックして、心身の不調を訴える人もいます。

 そういった意味では、創価学会をはじめとする、さまざまな地域社会の力が必要です。

 “誰も置き去りにしない”“苦しんでいる人のために尽くす”という思想は、創価学会の考え方でもあると認識していますし、現実として人の生きる力を支えていますよね。

 今こそ、皆さんには、身近な人の声に耳を傾け、悩み苦しむ人がいれば、気持ちを受け止めていただきたいと思います。

 立場や役目は異なりますが、私たち災害研としても、被災地の方々のために総力を挙げ、“誰も置き去りにしない”支援を続けていく決意です。

 

 くりやま・しんいち 1962年生まれ。医学博士。専門は分子疫学、災害公衆衛生学。東北大学理学部物理学科、大阪市立大学医学部医学科を卒業。大阪市立大学医学部附属病院第3内科医師、民間企業医師、東北大学大学院医学系研究科環境遺伝医学総合研究センター分子疫学分野教授などを経て、2012年に東北大学災害科学国際研究所災害公衆衛生学分野教授に就任。2023年から同研究所所長。

 

 (※1)被災地の避難先から、インフラの整ったホテルや旅館などの安全な場所に移ること。

 (※2)2015年に仙台市で行われた国連防災世界会議で採択された、2030年までに災害の被害者数低減などを実現するための指針。

 東北大学災害科学国際研究所のホームページでは、速報会の内容をはじめ、能登半島地震の解析・調査の情報が紹介されています。


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2024年1月18日

〈教育〉

被災した子どもへのケア

 

安心感を与えるポイント

 

 

 能登半島地震で被災された方々は、先が見えない避難生活を送っています。大人でも過酷な生活の中、子どもの心身への負担も計り知れません。普段通りに過ごしているように見える子どもでも、大きなストレスを感じていることがあるといいます。過去に本紙に寄稿した識者のアドバイスをもとに、子どもに安心感を与える関わり方をまとめました。

 

①スキンシップを意識して、甘えを受け止める

 親が子どもから見える場所で生活をし、手をつないで歩く、抱っこする、頭をなでるなどといった、スキンシップを意識した関わりが大切です。

 また、一人で食べられる子でも、時には「はい、あ~ん」と食べさせたり、膝の上に乗せて本を読ませたりするなど、甘えを受け止めることも安心感につながります。

 

②遊びは心の栄養に

 子どもは遊ぶと笑顔になり、ストレスも発散されます。突然、布団の上で、でんぐり返しをするかもしれないし、お父さんの体をジャングルジム代わりにして遊ぶ子もいるかもしれません。

 そうした遊びを叱らず、認めてあげてください。

 

③注意する時は、理由を添えて短い言葉で

 注意してほしいことを伝える時は、ごく簡単な理由を添え、すべきことを具体的に言いましょう。不安をあおる言い方にならないように気を付けたいものです。「○○してはダメ!」よりも、「○○してね」と肯定的に伝える方が好ましいです。

 例えば、外に出てほしくない時は、「心配になるからここにいてね」と短い言葉で伝えればよいでしょう。

 

④仕切りを作り、特別な空間を

 余震や、何か不安なことがあれば、「この場所に入れば、安心だよ」と教えます。自分のための安心な場所があると、予期しないことが起きた時でも、落ち着いて行動しやすくなります。

 集団生活がストレスになる子には、例えば、段ボールなどで仕切った特別な空間を作ることも有効です。

 

⑤一日のスケジュールを視覚的に分かるように

 今は、これまでの生活と違うため、次に何が起きるのか分からず、不安が募りがちになります。先を見通せないとパニックに陥る子の場合、一日のスケジュールを予告すると、ずいぶんと気持ちが楽になります。

 話し言葉で伝えるよりも、紙に書いて、文字や、時には絵で伝えると、より分かりやすいでしょう。

 毎日の生活の活動を絵や文字で示し、一つ終わるごとに「チェック」を入れていくのも、安心感を取り戻すのに役立ちます。


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2024年1月17日

【能登半島地震】

こころを健やかに保つポイント

  

 避難生活が長期化するにつれて重要になってくるのが、心のケア。筑波大学の災害・地域精神医学講座では、被災者の方々などに向けた心のケアのポイントに関する文書を公開しました。その文書を紹介します。

 

被災者の方へ

 被災者の皆さまは、基本物資の不足や集落孤立で大変なご苦労をされていると存じます。

 このような中でも、こころを健やかに保つために以下の点にご留意ください。

 

①気持ちをリラックスさせる

 このような災害では、被災直後から不安、不眠、興奮が出現します。

 これは、こころが危機を感じ、すぐ逃げられるようにおこる正常反応ですが、過度な不安、不眠が続くと体に悪影響が生じますので、安全な場所に避難した後は、深呼吸法(3秒鼻で息をすい、7秒ゆっくり息を吐く)や音楽を聴くなどしてリラックスするようにしましょう。

 

②頭を整理する

 家族の安否や家の片付け、避難先の衣食住の手配など、被災直後には、やるべきことが一気に多数発生します。

 これらを同時に行おうとすると、頭が混乱し、不安が高まります。やるべきことに優先順位をつけ、できることを少なくし、先延ばしできることは延ばし、考えすぎには注意しましょう。

 

③適切な行動をとる

 起床、就眠、食事の時間などの生活リズムは、避難所など特殊な場所であってもできるだけ普段どおりを維持しましょう。

 飲酒は、睡眠やこころの状態を悪化させる恐れがあるので避けましょう。

 

④コミュニケーションをとる

 つらい気持ちを整理するには、親しい人とできるだけコミュニケーションをとり、話をしたり聞いてあげたりして気持ちを共有し、ねぎらいあうことがとても重要です。

 お子さんは不安を抱えやすいため、傍らにいて安心させてあげるようにしましょう。こころやからだの不調がある時は、がまんせずに相談機関や医療支援者に相談しましょう。

 

報道に接した一般の方へ

 直接、被災にあったり、事故の経験をしたりしていなくても、衝撃的な内容の報道を視聴することによるストレス(惨事ストレス)が生じることがあります。

 このようなストレスが心身の不調につながらないよう、以下のことに注意しましょう。

 

①繰り返し、長時間、ながら視聴は避ける

 事件報道・映像・写真などの繰り返しの視聴、長時間の視聴、何かしながらの視聴は不安に直結し、PTSDの原因になることが知られています。

 特に映像は不安の中枢に直接影響を与えますので避けましょう。ニュースなどは最小限の視聴がよいでしょう。

 

②情報の内容・出所に注意する

 災害直後は、多くの人が不安になるために、大量のデマやうわさがインターネット等で発信され、この情報がさらに人々を不安にする悪循環が生じます。

 衝撃的な内容の報道は情報源を確認し、政府機関など信頼できる出所から入手するようにしましょう。

 

③メンタルヘルス不調なら報道の視聴は避ける

 もともと、メンタルヘルス不調がある方は、事件報道に、より敏感で調子を崩しやすくなることが知られています。そうした方は、できるだけ報道の視聴を控えましょう。

 

④前向きな情報は取り入れる

 苦労しつつ頑張っている被災者のお話や応援メッセージなどは、逆にこころを前向きにし、気持ちを整理する力を持っています。そのような情報は積極的に取り入れましょう。

 

支援者の方へ

①無理をしない

 多くの救援者・支援者の皆さま、日々の活動、本当にお疲れさまです。

 皆さまの働きによって多くの人が救われています。被災しながら支援されている方は、被災者であり、また支援者でもあることで、二重のストレスがかかることもあるでしょう。

 また業務に際して市民の方から心無い言葉をあびる場合もあるかもしれません。業務にあたっては、こまめに休息をとり、決して無理をしないでください。

 

②組織で守る

 苦労話を共有できる仲間とコミュニケーションをとり、互いをねぎらい、不安に陥らないように留意しましょう。

 精神的につらさを感じたら、上司や信頼できる人に相談しましょう。支援者の所属機関の所属長におかれましては、支援活動の内容とリスクに十分気を配って職員を守っていただきますよう、ご配慮をお願いいたします。


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2024年1月17日

北陸「ああ誓願の歌」

関西吹奏楽団がエール

 

 関西吹奏楽団(岩本敬太楽団長)による北陸の歌「ああ誓願の歌」の演奏動画が、音楽隊の公式YouTubeチャンネルに追加された。

 1978年8月、池田先生は同歌を贈った際、“広布の大誓願に生きれば、いかなる困難も乗り越えられる。無限の勇気と智慧と力が脈動する”との真情を語った。

 同楽団の団員の中には阪神・淡路大震災を乗り越えた友もいる。

 〽ああ同心の 北陸は――苦難と戦う被災地の方々への“共戦のエール”を聴くことができる。


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2024年1月17日

能登半島地震 被災地で奮闘する友

 石川・能登町の酪農家

 

同志との絆を胸に苦難に立ち向かう

 

 能登半島地震の被災地で続く断水が、酪農に大きな被害をもたらしている。

 「乳牛は搾乳しないと乳房炎になってしまう。乳を搾る搾乳機を洗うのには、水が必要なんです」。能登町で酪農を営む畑中栄一さん(能登圏能登本部、副本部長)・千恵美さん(女性部副本部長)夫妻は、そう窮状を訴える。

 酪農家にとって断水は死活問題。聞けば、近隣の酪農家では、地割れで業者の車が来られないため、乳を搾っては廃棄することを繰り返しているという。

 畑中さんの牧場では搾乳ができない状態が続いている。

 地震が発生した1日、夫妻は、息子の直樹さん(県青年部長)一家と穏やかな新年のひとときを過ごしていた。夕刻、今までに感じたことのない大きな揺れに襲われた。柱などに、しがみつかないと立っていられないほどだった。慌てて外に飛び出すと、自宅の壁は剝がれ、瓦は落ちていた。大切な牛舎もひどく破損していた。

 家の中は、見る影もないほど、ぐちゃぐちゃになり、生活できる状態になかった。その日から、納屋での暮らしと車中泊が始まった。その生活は2週間以上続いている。

 365日、牛の世話から離れることのできない酪農の仕事。畑中さん夫妻はその中で、地区部長・地区婦人部長(当時)、支部長・支部婦人部長(同)を歴任。同志に尽くし、地域広布に駆けてきた。広大な地域を車で走り、聖教新聞の配達等も担っている。

 夫妻は発災以来、同志に会い、電話をかけ、励まし合って苦闘の日々を生き抜いている。

 師と共に歩んだ日々の中で結んだ同志との絆を大切に、不屈の心で苦難に立ち向かう。

 「あっちからもこっちからも、同志からどんどん連絡が来るんです。大丈夫なのかって。こんな中だけど、聖教新聞に知り合いが載っていると安心した気持ちになりますね。創価家族の温かさを心から感じています。負けずに頑張ります」


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2024年1月16日

能登半島地震

輪島市、中能登町で男子部リーダーが激励

 

 能登半島地震の被災地で、男子部リーダーが、被災した同志の激励に走っている。

 14日には、片桐北陸青年部長と石川総県の按田男子部長、石川牧口県の松本稔男子部長が、甚大な被害を受けた石川県輪島市の大森将一さんのもとへ。

 大森さんは発災後、祖父・祖母と共に近くの小学校に避難。その夜、観光名所「朝市通り」で燃え上がる大きな火柱を目の当たりにし、ただ立ち尽くすしかなかった。

 「職場で被災した父とは数日後に再会でき、家族全員が無事で本当に良かったです」と、大森さんは胸をなで下ろす。

 介護の仕事に従事する経験を生かし、避難所で高齢者に寄り添い続けている話を聞いた按田男子部長は「励まし合いながら、一緒に乗り越えましょう!」と力強く声をかけた。

 按田男子部長は11日にも、中能登町の男子部員を激励。

 和倉温泉の旅館で働いていた時に被災した田村哲也さんは、「地震の時に上からガラスが落ちてきて、ただ事ではないと思いました。海に近接しているので、津波の危険を感じながら懸命にお客さまを誘導しました」と語った。

 按田男子部長は強い信心で共に苦難に挑みましょうと励ました。


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2024年1月16日

名勝「見附島」半分に

「もう軍艦島じゃない」


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2024年1月14日

能登半島地震の被災者を激励

能登町・中能登町に不屈の友

 

 能登半島地震の発生から、あすで2週間。懸命な救援活動と復旧作業が続いているが、厳しい寒さの中、多くの被災者が過酷な避難生活を余儀なくされている。

 北陸各県のリーダーは連日、石川県の被災地の友の激励に走る。

 坂元北陸長、能登圏の増山勝利圏長らは11日、能登町へ。同町でも多くの家屋が損壊し、いまだに断水が続いている。「車にしがみついて揺れに耐えました」「はだしで家を飛び出しました」など、地震の恐怖を語る同志の声に、坂元北陸長らはじっと耳を傾け、励ましを送った。

 石川総県の表川総県長と石川牧口県の寺坂行一県長らは同日、中能登町を訪れた。

 自宅が被災し、復旧に懸命に取り組む同志は、「地震で家が傾き、壁が崩れ落ちるなど大変でしたが、気力を振り絞って頑張っています」と。

 表川総県長は同志が語る発災当時の様子などを聞きつつ、激励の言葉をかけて友の心を温かく包み込んだ。


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2024年1月10日

能登半島・北陸地震

 七尾市の友のもとへ全魂の励まし続く

 

 

 能登半島地震の発生から1週間余り。北陸各県のリーダーは連日、被災者の安否確認や激励に走っている。

 強い寒気が流れ込み、北陸の広い範囲で雪が降った8日、坂元北陸長と石川牧口県の寺坂行一県長らは石川県七尾市の同志のもとへ。

 同市は震度6強を観測し、全壊した建物も見られる。市内全域で断水となり、現在も復旧作業が続けられている。

 寺坂県長らは、炊き出しや消防団で奮闘する友をねぎらい、「被災した家に、雪の重圧がかかる」という不安や「こんなもんに負けるかいね」といった決意の声に耳を傾けながら、一人一人を抱きかかえるように励ました。


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2024年1月9日

能登半島・北陸地震

支援活動続く

 

いかなる苦難も「心の財」は壊されない

学会本部と各地の災害対策本部

安否確認・被災者の激励に全力

   

 石川県能登地方を震源とする最大震度7の地震が1日に発生してから1週間。石川をはじめ富山、新潟など広い範囲で激しい揺れに襲われ、特に被害の大きかった能登半島北部の被災地では、至る所に大きな地割れや数十センチの段差ができ、道路が寸断。さらに土砂崩れや倒木、家屋の倒壊が各地で発生した。現在も20以上の集落が孤立しており、物資の搬入や安否確認が困難な状態が続いている。創価学会では、発災直後に本部と北陸、信越方面、被災各県に災害対策本部を設置。甚大な被害を受けた石川、富山両県の各自治体に義援金を贈ることを決定するとともに支援物資の搬入や被災者の安否確認・激励に全力を挙げている。

 

 ◆輪島市

 坂元北陸長、能登圏の増山勝利圏長らは6日、輪島市へ。被災した友の状況に耳を傾け、激励した。

 田中幸司さんは、消防団の団長として震災初日から活動。地域の被害の状況を見て回り、道路に横たわる木をチェーンソーで切ったり、ひび割れや段差で通れなくなっている道路の応急処置をしたりした。

 さらに避難所への水や灯油の手配のほか、安全を守るため地域の巡回もしている。「消防団として“地域を守る”との思いでやっています」

 今井睦子さんは、自宅で世話をしていた義理の母が、震災のショックからか翌日に亡くなった。同志や周囲の人が温かく励ましてくれた。「心は凍てつく氷のようでしたが、皆さんの励ましで少しずつ“頑張ろう”という思いが湧いてきます」

 今井さんは3日から“福光日記”を作り、そこに同志から贈られた励ましの言葉や自身の決意をつづっている。「先日も句をつくったんです。『たおれても ただでおきない 睦子かな』って。信心していなかったらどうなっていたか、分かりません。同志と共に必ず乗り越えていきます」

 輪島市内の観光名所「朝市通り」の周辺は地震直後に火災が発生し、約200棟が焼失した。堂坂俊治さん・弘美さん夫妻と娘の宏枝さんは、朝市の近くに昨年11月に引っ越したばかりだった。

 地震の影響で自宅の玄関が開かなくなり、窓ガラスを割って脱出。その後、高台まで車で避難した。しばらくすると、市街地の空が赤く染まり、煙が高台にまで流れてきた。

 翌日、戻ってみると自宅があった一帯は、「空襲による焼け野原のようでした」。

 現在は、金沢市内の親戚宅に身を寄せる。「能登の人間なので、心は能登にあります」

 ◆珠洲市◆

 石川総県の表川総県長、石川牧口県の寺坂行一県長、浦嶋北陸男子部長らは7日、珠洲市へ向かった。道路横の温度計は0度を示していた。

 同市の宝立地域で父から継いだ銭湯「宝湯」を経営する男子部の橋元宗太郎さん。

 若い力で地域を盛り上げようとさまざまな企画を実施してきた。

 地震発生時は銭湯の裏庭にいた。倒れてくる電柱を尻もちをつきながらよけたが、その体勢のまま右に左に跳びはねるほど激しい揺れだった。揺れが収まると銭湯は崩れ落ちていた。「どうしていいか分からなかった」が家族や親戚の安否を確認し、消防団として地域の見回りに走った。津波に備えて高台への避難を呼びかけつつ、皆で力を合わせて、何とか2人を救出した。

 「避難所には、ご家族や親戚を亡くされた方もいます。寄り添うなんて簡単に言えませんが、それでも、寄り添い続けないといけないと思っています」

 向平光幸さん・直美さん夫妻は、猫を飼っているため避難所に入れず、雨漏りする自宅で避難生活を送っている。停電や断水の復旧のめどは立っていない。暖房は、車内の空調と石油ストーブのみ。燃料の心配をしながら過ごしている。家はテレビや家電が動く音もなく、夜は暗闇と無音の世界が続く。

 「一日が、そして夜が、こんなに長いなんて。まだ1週間しかたっていないなんて信じられません。地域の人と共に、乗り越えていくしかない、前を向くしかないと励まし合っています」

 菅谷信広さんは、市内で青果の卸店を営む。自宅付近の断水は続いているが、2日目から電気が復旧した。時間を見つけては安否確認に回っている。

 停電で携帯電話の充電に困っている同志に「充電しにおいで」と提案。充電を待つ間に、唱題や市内の情報交換を。その唱題の輪は日に日に広がり、励ましの拠点になっている。

 「みんな暗澹たる思いをしているからこそ、私たちが“最初の希望”の存在になれるようにと励まし合っています」

◇ 

 被災地を回るリーダーは、2011年の東日本大震災の直後に贈られた池田先生のメッセージを手渡しながら激励している。

 「『心の財』だけは絶対に壊されません。いかなる苦難も、永遠に幸福になるための試練であります。すべてを断固と『変毒為薬』できるのが、この仏法であり、信心であります」――同志はメッセージを読み合いながら、必ず乗り越えられると信じて、負けない日々を約し合っている。

 


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2024年1月5日

能登半島・北陸地震

 激励に全力 輪島市、珠洲市などに支援物資

 

 1日夕方に発生した能登半島地震の被災地では、各県の災害対策本部を中心に、リーダーが同志の安否の確認や激励などに奔走している。

 4日午前には、学会本部の対策本部を通じて、アルファ米、野菜ジュース、簡易トイレ等の支援物資が石川県七尾市の北陸研修道場に運び込まれた。

 石川総県の表川総県長は同日、能登町、珠洲市、輪島市へ支援物資を届け、激励。能登町ではライフラインへの影響が続き、生活の窮状を訴える友の話に耳を傾けた。

 珠洲市では、津波の被害を受けた同志に状況を聞いた。「避難した建物の屋上から、津波が自宅に迫ってくるのが見えました。1階が浸水し、車も流されました。今も詳細な被害状況がなかなか報道されず、どの地域も支援を待っている状態です」

 坂元北陸長は同日、白山市内で、甚大な被害を受けた地域から避難してきた人々を励ました。


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2024年1月4日

能登半島・北陸地震の被害拡大

 懸命の支援と励まし続く

 

 石川県能登地方で1日に発生した地震の被害が拡大する中、学会本部(本部長=原田会長)と北陸(本部長=坂元北陸長)などの災害対策本部では、懸命の支援活動や激励に当たっている(10面に関連記事)。

 坂元北陸長と表川石川総県長は2日、羽咋会館、七尾会館、北陸研修道場、能登平和会館、珠洲会館の被災状況を確認しつつ、各地で同志を激励した。穴水町の会員宅では屋根瓦が崩落し、駐車場には大きな亀裂が走っていた。

 「仕事中だった妻とは連絡は取れましたが、戻って来られていない。心配です」「余震が続き、怖くて眠れなかった」等と語る声に耳を傾けた。

 3日午前には、学会本部の対策本部を通じて、愛知から送られた缶入りパン、水、非常用ブランケットなどの支援物資が金沢市の石川平和会館に到着。支援物資とともに同日、坂元北陸長は七尾市内、表川総県長は穴水町内の同志のもとを訪れ、励ました。

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