先生の記事

2023年5月29日

使命の舞台で共生の種蒔き

平和と人道の宝樹の林立を

負けじ魂こそ人生開く力

 

アフリカの環境の母

 マータイ博士一家の信念

 「失意の時でも立ち上がろう」

 

世界の幸福と安穏と繁栄へ

信頼と友情の連帯築け

 

 一、青年とは「未来へ種を蒔く人」です。青年の蒔く種には「逆境を耐える力」があり、そして「時空を超えて花を咲かせ広げる力」があります。

 わが誉れの19期生の皆さん、大学院8期生の皆さんは、時代の艱難に勇敢に立ち向かい、じつに忍耐強く探究を貫かれました。この輝き光る世界市民の青春が、人生と社会の未来へ、どれほど希望に満ちた種を蒔いてきたことでしょうか。

 凱歌の卒業、誠におめでとう!

 いつにもまして辛労の絶えないなか、懸命に支え続けてくださった、ご家族の方々、ご友人方に、心からの感謝とお祝いを申し上げます。

 卒業生たちと一体で、アメリカ創価大学(SUA)の新たな黄金の歴史を開いてくださった教職員の方々、本当にありがとうございました!

 一、本日、光栄にも祝福に駆けつけてくださったワンジラ・マタイ氏は、偉大なる「アフリカの環境の母」から受け継いだ、かけがえのない「平和の種」「共生の種」「教育の種」を幾重にも蒔き、咲かせ、実らせておられます。

 麗しきマータイ博士母娘を、2005年、東京でお迎えした折、青年へのエールとして、ご一家の「希望の哲学」「勝利の信念」が話題になりました。すなわち“人生を勝ち抜くために大事なことは、失意の時に「それでも立ち上がろう」と思えることである”と。

 皆さんにも、最良のSUA家族と励まし合い、何があろうと「それでも立ち上がろう」と磨き、鍛え抜いてきた「創価の負けじ魂」があります。

 一、「アメリカの良心」と謳われ、SUAに大いなる期待を寄せてくださっていたノーマン・カズンズ氏の洞察が思い起こされます。

 「わたしは、人間の能力が無限であること、人間に挑みかかるいかなる難事も、人間の理解力と解決能力を越えるものではないことを信じている」(松田銑訳『人間の選択』、角川書店)と。

 一人一人の尊厳なる生命の大地には、計り知れない可能性が秘められております。その大地を豊かに耕し、種を蒔き、いかなる難事も打開する智慧と勇気と慈悲を限りなく引き出し、結び合わせて、地球民族の幸福と安穏と繁栄へ貢献していくのが、私たちの世界市民教育にほかなりません。

 一、どうか、尊き父上、尊き母上をはじめ、全世界の幾多の気高き宝友の真心に支えられた、この民衆立の学城から巣立ちゆくことを、何よりの誇りとして、それぞれの使命の舞台で、日々、新鮮なる価値創造の種を逞しく一つ、また一つ蒔いていってください。そして、生命尊厳の地球文明のパイオニアとして、いずこにあっても朗らかに信頼と友情の連帯を築きながら、平和と人道の宝樹を林立させていただきたいのであります。

 心から愛し、信じてやまない卒業生に、栄光あれ! 福徳あれ! 勝利あれ! と、私は妻と祈り抜いていきます。

 健康第一で、不屈の前進を!(大拍手)

 

2023年5月29日アメリカ創価大学で第19回卒業式


2023年5月23日

さあ誇り高く新たな勝利へ

 

勇猛精進とは“たゆみなき前進の息吹”

 わが身を常勝の生命に鍛え上げる

ナポレオンの信念「人材に道を開け」

 永遠に「人を育て」「人で勝つ」

 

 

 弘安元年(1278年)の「5月1日」のことである。

 日蓮大聖人は、弟子にあてて、こう言われている。

 「日月は地におち須弥山はくづるとも、彼の女人仏に成らせ給わん事疑いなし、あらたのもしや・たのもしや」(全1390・新1999)

 ――たとえ、太陽と月が地に落ち、須弥山が崩れたとしても、(妙法を持った)あの女性が仏になられることは疑いない。なんと頼もしいことであろうか。なんと頼もしいことであろうか――。

 「妙法を持った女性は必ず仏になる」との、大確信のお約束であられる。

 また、大聖人は、ある婦人に対して、こうも仰せである。

 「大風の草をなびかし・いかづちの人ををどろかすやうに候よの中にいかにいままで御しんようの候いけるふしぎさよ、ねふかければはかれず・いづみに玉あれば水たえずと申すやうに・御信心のねのふかく・いさぎよき玉の心のうちに・わたらせ給うか、たうとしたうとし」(全1479・新1973)

 ――大風が草をなびかし、雷が人を脅えさせるような世の中にあって、あなたが今まで、この信仰を貫いてこられたことは、なんと不思議なことでしょうか! 「根が深ければ、葉は枯れず、泉に玉があれば、水は絶えない」と言われるように、あなたのご信心の根が深く、あなたのご信心に勇気の玉があられるのでしょうか。尊いことです。尊いことです――。

 大聖人は、女性信徒の「勇敢なる信心」を繰り返し称讃しておられる。

 今で言えば、学会の婦人部の皆さまである。

 偉大なる「創価の母の日」、本当におめでとう!

 

勇気で拓ける

 ご存じのように、このたび「特別ナポレオン展」が、東京富士美術館(八王子市)において、盛大に開幕した(1999年4月)。

 「一人の人間」が、揺るぎない信念に立つ。その時に、どこまで歴史をつくれるか、動かせるのか――。

 21世紀への転換期を生きる私たちに、何らかのメッセージを送ってくれると信じる。

 ナポレオンの生涯から、何を学ぶことができるか。アメリカの思想家エマソンの言葉を紹介したい。

 ナポレオンが教えてくれること、それは、「勇気があれば、道はいつでも拓けるものだという教訓にほかならない」(『エマソン選集』6、酒本雅之訳、日本教文社)と、エマソンは言う。

 今回、晴れの5月3日を迎えるにあたっても、わが同志の「勇気」が、21世紀の道を大きく拓いたのである。本当におめでとう!

 だれもが感嘆した勝利である。日蓮大聖人直結の団体でなければ、なしえない。「奇跡」のごとき勝利である。大聖人が皆さまを最大に称讃しておられると信ずる。

 エマソンは、ナポレオンを、こう論じている。

 「彼の勝利は、そのまま、さらにあらたな勝利への門出であり、たとい現在の境遇が、どんなに目くるめくほど民衆の喝采を浴びていても、ほんの一瞬たりとも、自分の進むべき道を見失うことはなかった」(同前)

 ナポレオンは、勝ったら「また、次だ!」と。勝利に満足せず、それで安心せず、油断もしなかった。

 戦とは、そうでなければならない。一つの勝利を、さらに、次の勝利への因としていく。それが“戦上手”であり、連戦連勝につながる。

 勝利の余韻に浸ると、慢心になる。これでは、次は負けである。

 勝った時にこそ、さらに、次の新しい大きな展望を開く。これで、次も勝利できる。

 この、たゆみなき前進の息吹――これが「勇猛精進」である。

 「勇猛」の「勇」は、「勇気」。

 「猛」は「智慧の限りを尽くすこと」。

 「精進」の「精」は、「無雑」。純粋で、一点の混じりけもないことである。

 「進」は、「間断なく進むこと」である。

 勇猛精進が、“常勝の人間”をつくる。

 わが身を“常勝の生命”へと鍛え上げていく。

 

真の英雄とは

 また彼の有名な言葉に、こうある。

 「君の世紀の思想の先頭に立って歩いてみ給え、それらの思想は君に従い、君を支持するであろう」(『ナポレオン言行録』大塚幸男訳、岩波書店)

 これから、21世紀の先頭に立つのは、どの思想か、どの勢力か――この熾烈な競争が始まっている。

 この競争は何で決まるか。

 一切、「人材」で決まる。

 「人物」で決まる。

 「人格」と「力」を兼ね備えた総合的な人材――「全体人間」が必要なのである。

 「全体人間」の育成が、学会の目標である。

 総合性こそ、信仰者の徳である。

 「妙法蓮華経」には、

 徳も生命力も情熱も、

 知性も福運も哲学も、

 すべてが総合的に備わっているからである。

 

 ともあれ、「人材に道を開け!」――これがナポレオンの信念であった。

 「後輩を自分以上の人材に!」――これが戸田先生の遺言であった。

 「人材」で勝負は決まる。

 「人材」で歴史は決まる。

 ゆえに学会は、

 徹して「人材」を育て、

 徹して「人材」で勝っていきたい。

 

 戸田先生は、45年前(1954年)の5月1日付の「大白蓮華」に「巻頭言」を記されている。

 ――広宣流布をする人は「仏の使い」であり、「仏の仕事を行う者」である。その人は、ナポレオン、アレキサンダーなどより、いく十億倍も優れている、と――。

 妙法を弘め、学会活動に活躍する人こそ真の英雄である。いちばん尊い人である。

 日蓮大聖人は、「撰時抄」に仰せである。

 「法華経を経のごとくに持つ人は梵王にもすぐれ帝釈にもこえたり、修羅を随へば須弥山をもになひぬべし竜をせめつかはば大海をもくみほしぬべし」(全291・新209)

 ――法華経を、その教えのとおりに持つ人は、梵天にも優れ、帝釈をも超えているのである。修羅を従えるので須弥山をも、かつげる。竜を使いこなして大海をも汲みほせる――。

 さまざまに拝することができるが、妙法を如説修行する人は、修羅界や畜生界の存在をも自由自在に使いながら、広宣流布の大偉業を成し遂げていける、との仰せとも拝せよう。

 総じては、そういう「偉大な人間指導者」の集いが、創価学会なのである。

 学会が強くなることが、21世紀の「希望」を強め、「平和」を強めていく。こういう確信で、誇り高く、雄々しく、「5月3日」を期して、また新たに前進を開始しましょう!

 皆さま方のご健康とご長寿、大福運の人生を、私は一生懸命、祈っております。一生涯、祈ってまいります。

 きょうは長時間、本当にありがとう!

 

2023年5月23日池田先生の指針(1999年5月の本部幹部会から)

 


2023年5月18日

創価凱歌のリズム

希望の未来へ 勇気の鐘を打て 鳴らせ

 

 五月三日から、全世界の宝友とスクラム明るく、新たな広布旅へ出発できた。

 思えば、御本仏が「顕仏未来記」を流難の佐渡の地で認められたのは、文永十年(一二七三年)、七百五十年前の五月(閏月)であった。

 日蓮大聖人は、この御書で、「広宣流布」を明言された法華経の二つの経文を引いておられる。

 第一は、薬王品に説かれた釈迦仏の遺命である。

 「我滅度して後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむることなかれ」(新606・全505)

 第二の文は、普賢品で、普賢菩薩が釈迦仏に申し上げた誓いである。

 「如来滅して後において、閻浮提の内に、広く流布せしめて、断絶せざらしめん」(新610・全508)

 前者は師が弟子に「広宣流布」を託す言葉であり、後者は弟子が「広令流布(広く流布せしめん)」を師に誓う言葉である。

 断固として誓願のままに広宣流布する! この師弟の共戦こそが、妙法の命脈を永遠ならしめるのだ。

 一閻浮提(全世界)への「大法弘通慈折広宣流布」――この大願を貫き、二十世紀から二十一世紀に続く波瀾万丈の世界に、生命尊厳と民衆凱歌の大光を放ちながら、創価の師弟は威風堂々と舞う。

 この誉れは天より高く、この福徳は海より深い。

 令法久住の未来は、青年で決まる。時は来たり、新時代の山本伸一たちが前面に躍り出て、大いなる歴史を創造してくれている。

 

仏法西還の使命

 「顕仏未来記」を拝し、戸田城聖先生は言われた。

 「『仏法西還』を妄語とさせないのが、学会の使命であります」と。

 先月五日、戸田先生の弟子として、また世界の同志を代表して、私はインドの州立マハラジャ・スーラジマル・ブリジ大学から「名誉文学博士号」を拝受した。

 この授与を推薦してくださったラメーシュ・チャンドラ副総長との懐かしい出会いが思い出される。

 副総長は、歴史を振り返りつつ述べられた。

 「残念ながら、インドでは、仏教は衰退してしまいました。しかし、SGIのご努力によって、世界の多くの人たちが仏教徒となり、釈尊の教えを、今日も実践しているのです」

 まさに「月は西より出でて東を照らし、日は東より出でて西を照らす」(新610・全508)との未来記を実現してきた学会への賛辞であり、“多宝の証明”の意義と受け止めた。

 今、「仏教発祥」のインドでも、また、恩師が「仏法西還」への深き宿縁を感じておられた韓国でも、広布の伸展は、何と目覚ましいことか。恩師の会心の笑みが、わが胸に迫り来る。

 

先師の関西訪問

 今、あらためて偲ばれる先師・牧口常三郎先生の足跡がある。それは、百年前の一九二三年(大正十二年)五月、先生は東京の小学校の校長七人と京都・大阪・兵庫の小学校等を視察されたのである。この訪問から五十年後に、わが関西創価学園が開校している。

 本年、関西学園に入学した英才は、五十一期生である。愛する卒業生たちは、社会や地域の中核となって活躍している。創立者として、これ以上の喜びはない。

 牧口先生は、軍国主義教育が支配的だった時代に、教育の最大の目的は「子どもの幸福」にある、と厳然と叫ばれた。

 戸田先生も、「どんな子も必ず優等生にし、幸せにしてみせる!」と、若き命の可能性を信じ抜かれた。ここに、世界へ広がる創価教育の原点がある。

 次の五十年、百年へ、生徒第一、学生第一の旗を掲げ、人類貢献と平和共生の世界市民を、隆々と育成しゆくことを願ってやまない。

 

応戦の力に光を

 トインビー博士との対談からも、はや半世紀となる。博士は“生きた世界宗教”として、学会に鋭く着目してくださっていた。

 ロンドンの博士のお宅での対話では、現代文明の危機を越えるために、社会の課題に挑む中で、宗教が生命力を増しゆくことを強く望まれた。

 文明は試練の「挑戦」に「応戦」する中で成長するという「トインビー史観」に立てば、宗教もまた、時代の「挑戦」に勇敢に「応戦」することで、新たな飛翔を遂げるのだ。

 博士の大著『歴史の研究』では、哲人アリストテレスの詩論に由来する「ペリペテイア」――「役割の逆転」を意味する言葉に光が当てられている。博士は、人間の歩みの中で繰り返される逆転劇に、重要な歴史創造の原理を見ておられた。

 それは、苦難に敢然と立ち向かって押し返す「反転攻勢」、さらには「変毒為薬」にも通じようか。

 トインビー博士ご自身、“苦悩からも必ず何かをつかみとってみせる”という信条で生き抜かれてきた。

 その博士が最大に期待された「仏法中道の智慧」を一段と光らせ、我らはいかなる試練をも、民衆の希望と幸福の価値創造へ力強く転じていくのだ。

 

笑顔の花咲かせ

 広布の前進にあって、常に反転攻勢の曙光となり、変毒為薬の原動力となっているのは、創価の女性のひたぶるな祈りであり、たゆまぬ実践にほかならない。

 第一の「七つの鐘」が鳴り終わる一九七九年(昭和五十四年)のこと。私の妻は参加した座談会で、友に求められて色紙に記した。

 「不退転 七つの鐘 総仕上げの年」

 それは、全国・全世界の母たち、女性たちの誓いそのものであった。この深く熱き誓いのままに、障魔の嵐の中でも、不退の信心で同志を励まし、守り抜き、地域のために汗を流してくれているからこそ、師弟の大城は揺るがないのだ。

 来たる六月は、“創価の女性の月”である。

 六月十日は婦人部結成の日であり、四日は世界の華陽姉妹の日でもある。

 この六月、全国幾十万のグループを舞台に、語らいの花、笑顔の花、友情の花を咲かせゆく「女性部総会」が多彩に開催される。

 新しくグループ長として総会を迎える友も多い。

 「グループ」は、一対一の語らいを基本とした少人数の集いだ。肩ひじ張らず、ありのままの生命の輝きで皆の心に笑顔を灯していく会座である。これこそ、仏法に説かれる「桜梅桃李」「自体顕照」の園であろう。

 戸田先生は「顕仏未来記」の講義で、「不軽菩薩は初随喜の人」(新609・全507)の一節を通し、わかりやすく語られた。

 ――不軽菩薩は、信仰を始めたばかりの姿で、ただ喜び、嬉しい、嬉しいと広宣流布をするのである。

 私たちも皆、凡夫の姿のままで広布を進め、成仏の境涯になれるのである。ゆえに自分らしく伸び伸びと振る舞えばよいのだ、と。

 グループ員、そして参加した友人たちが、気さくに何でも語り合い、「来て良かった」と喜び合う団欒こそ、まさに平和の文化の行進そのものといってよい。

 

恩師と「婦人訓」

 七十年前(一九五三年)の五月十六日、私が文京支部長代理となって間もなく、戸田先生をお迎えし、意気高く支部幹部会を行った。この時、支部婦人部長の真剣な所信を聞いて、先生は“我が意を得たり”と、いたく感動された。

 そして翌十七日、足立支部の総会で、この所信に自ら序文を添えて「婦人訓」として発表し、全婦人部員に贈られたのである。

 そこには、「私たち婦人も本当に教学を身につけなければならない時がまいりました。今この時をはずさず、あらゆる機会に暇を生み出して、教学を身につけようではありませんか」「教学心は完全な信心より起こると確信いたします」と。

 「婦人訓」に喜びが広がる中、戸田先生は信頼する足立の友に呼び掛けた。

 「信心が深ければ生活は一変する。運命の転換ができるのである」と。

 わが友は今も、広布の最前線で、「足は経なり」(新997・全716)と軽やかに歩みを運ぶ。立正安国の対話を重ね、励まし合って前進する。創価家族一人ひとりの尊貴な姿こそ、「行学の二道」の鑑である。

 多様化する社会や環境の中で、「女子は門をひら(開)く」(新1902・全1566)との大聖人の仰せ通りに、豊富な「幸の門」を幾重にも開きゆかれる女性部の総会の大成功、そして皆さんの健康と長寿、和楽と福運を妻と共に祈っている。

 

創立100年へ前進

 日本一の音楽隊と鼓笛隊の活躍は、目を瞠るばかりである。各地のパレードなどでも、見事な演奏と乱舞を繰り広げてくれ、心から感謝し、讃嘆したい。

 草創期、音楽隊の友と、各国の行進曲の特色を語り合う中で、わが音楽隊の演奏の特長が話題になった。

 私は、「それは『勇気』ではないだろうか」と申し上げた。誇らかに頷いた若き友の輝く瞳が懐かしい。

 「広布の楽雄」「平和の天使」の奏でる妙音とともに、「師子王の心」という究極の勇気に燃えて、異体同心の行進は続くのだ。

 戸田先生は言われた。

 「昔、旅人が一里塚、一里塚と追うて旅したごとく、七年、七年と、七里塚を越えては、広宣流布の道へ進もう」

 学会は今、二〇〇一年から始まった「第二の『七つの鐘』」のもと進んでいる。

 現在から近き未来を語れば、七年後の二〇三〇年は創立百周年である。

 広布と人生の勝利の鐘を打ち鳴らす主役は誰か――ほかでもない、それは自分自身と決めるのだ!

 まずは、自らが、いかに人間革命し、わが家、わが地区、わが地域をどう発展、興隆させていくのか。大志を抱き、具体的な目標を掲げ、一つ一つ楽しく粘り強く挑戦してもらいたい。

 世界平和の基盤を築く「第二の『七つの鐘』」の本舞台は、「これから」だ。

 世界に生命尊厳の哲学を広げる時は「今」だ。 

 きょうも、妙法と共に、我らの生命に希望と勇気の暁鐘を打ち鳴らしながら、創価凱歌のリズムで、朗らかな前進、また前進の節を刻んでいこうではないか!(随時、掲載いたします)

 

 トインビーの「ペリペテイア」への言及は『歴史の研究 第8巻』「歴史の研究」刊行会訳(経済往来社)など。

 

2023年5月18日〈随筆「人間革命」光あれ 池田大作〉 


2023年5月4日

本部幹部会への池田先生のメッセージ

 

人間革命の不屈の舞で人類に平和共生の春を

青年部と未来部よ「従藍而青」の人間王者と育て

「創価学会母の日」35周年 慈悲と福智の笑顔を讃えよ

 

   

 一、それは、天も晴れ、地も晴れ、友の心も晴れわたる1951年(昭和26年)の5月3日、恩師・戸田城聖先生の第2代会長就任式での懐かしい一コマであります。

 式典の最後に、戸田先生が学会歌の指揮を威風堂々と執られた際、その勢いで卓上の水差しとコップがぶつかって、どちらも割れてしまったのです。

 みんな、驚きもし、慌てもしました。

 ところが、戸田先生は、にっこりと語られました。

 ――水差しとコップが、お互いに相手を責めても始まらない。信心も同じだよ。誰からも決して壊されない自分になるのです。人ではない。自分でどんな宿命も変えられるのが、信心なんだよ、と。

 我ら創価の師弟は一年また一年、5月の3日に、旭日のごとく元初の生命で出発し、明るく仲良く朗らかに、全てを希望へ、前進へ、勝利へ転じて、共々に金剛不壊の仏の大境涯を築いていくのです。

 ヨーロッパとオセアニアの尊き同志を迎え、日本全国そして全世界の友と、師弟の凱歌轟く大晴天の5月3日の本部幹部会、誠におめでとう!(大拍手)

 

“学会女性を見よ”

 一、きょうは、全同志の偉大なる大奮闘への感謝を込めて、三つの書を披露させていただきます。

 はじめに、「創価学会母の日」の35周年を祝して、「白百合乃調べ」であります。

 恩師は、よく言われました。「世間には意地悪な顔や、ヤキモチ焼きの悪口がいっぱいだ。その中で、白百合の香りも高き、わが学会の女性たちの福運ある笑顔を見給え! 清々しい慈悲の声を聞き給え!」と。

 うれしいことに、創価の母たち・女性たちが健気にも謳い上げてきた、この「白百合の調べ」は、今まさに日本も世界も、「ヤング白ゆり」の世代と「華陽姉妹」のスクラムに、生き生きと受け継がれ、はつらつと奏でられております。

 古来、ヨーロッパでは、白百合は「希望」や「清らかさ」の象徴とされ、「正義の旗」とも、「喜びを伝える教師」とも讃えられてきました。まさしく慈折広布へ、ひとすじに進む女性リーダーの福智の生命そのものであります。

 今月の「華陽カレッジ」、また来月の「女性部総会」の楽しく賑やかな大成功を、皆で祈り大応援しましょう。この「白百合乃調べ」の書は、創価世界女性会館に、妻と私からのお祝いとして贈らせていただきます(大拍手)。

 

師弟は恐れず

 一、次の書は、「師弟山」であります。

 日蓮大聖人は、「須弥山と申す山の大地をつ(突)きとお(通)して傾かざるがごとし。天・地・人を貫いて少しも傾かざるを王とは名づけたり」(新2032・全1422)と仰せになられました。

 御本仏に直結し、広宣流布の誓願で結ばれた創価三代の師弟は、大地を突き通して聳え立つヒマラヤのごとく、いかなる嵐にも微動だにしません。

 正義の師弟という不動の山を心に抱けば、何ものにも惑わず、何ものをも恐れず、何ものにも負けない不二の力を無窮に発揮できるのであります。

 創立の師・牧口常三郎先生は、山は人物の育成処であり、人材の出発点であると論じられました。我らの永遠不滅なる師弟山から、いよいよ従藍而青の青年部・未来部を育て、地球民族の衆望を担い立つ人間の王者、哲学の王者、民衆の王者を、澎湃と送り出していこうではありませんか!

 一、最後に、「春光地湧(涌)乃友」であります。

 地涌の菩薩とは、あえて最も厳しい試練の冬の時代に躍り出て、「春の光」を赫々と放ちゆく生命です。「冬は必ず春となる」という「人間革命」「宿命転換」「立正安国」の不屈の舞を、歓喜踊躍して繰り広げるのです。

 大聖人は、法華経に地涌の菩薩が「地よりして涌出す」と説かれる意義を、「『地』よりとは、我ら衆生の心の大地のことである。『涌出』とは、広宣流布の時、一閻浮提の一切衆生が法華経の行者となることを言うのである」(新1161・全834、趣意)と示してくださっております。

 もとより男女はきらわず、民族も文明も宗教さえも超えて、誰もが地涌の生命を持っています。万人が妙法という大宇宙の究極の法則との出あいを待っています。

 法華経に「同時に涌出せり」とある通り、今、世界広布は同時進行で展開し、聖教新聞には桜梅桃李の多彩な人華の勝利劇が、日々、躍動しております。信頼し合い、励まし合う笑顔と笑顔が、これほど光る新聞はないでしょう。

 私たちは、いやまして「声、仏事をなす」(新985・全708等)と、勇敢に誠実に快活に対話へ打って出てまいりたい。そして心も広々と、「師弟共に唱うる」題目の音声で、この地球を包みながら、新たな地涌の友を創り広げ、人生に幸福和楽の春を、社会に価値創造の春を、人類に平和共生の春を輝かせていくことを深く誓い合って、私のメッセージとします。

 わが全宝友の益々の健康長寿と無事安穏、そして福徳無量を祈りに祈ります(大拍手)。

 


2023年4月27日

G7広島サミットへの提言

「危機を打開する“希望への処方箋”を」

 

国連総会での決議を基盤に

停戦合意を導く努力が急務

 

 

米ソ両国の医師が共有していた信念

 世界中に深刻な打撃を広げ、核兵器の使用の恐れまでもが懸念されるウクライナ危機が、1年以上にわたって続いています。

 その解決が強く求められる中、広島市でG7サミット(主要7カ国首脳会議)が5月19日から21日まで開催されます。

 広島での開催に際して思い起こされるのは、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の共同創設者であるバーナード・ラウン博士が述べていた信念です。

 冷戦終結に向けて世界が急速に動いていた1989年3月、広島訪問のために来日した博士とお会いした時、アメリカで心臓専門医の仕事を続ける一方で平和運動に尽力する思いについて、こう語っていました。

 「何とか人々を『不幸な死』から救い出したい。その思いが、やがて、人類全体の『死』をもたらす核兵器廃絶の信念へと昇華されていったのです」と。

 その信念こそ、心臓病研究の盟友だったソ連のエフゲニー・チャゾフ博士と冷戦の壁を超えて共有され、IPPNW創設の原動力となったものだったのです。

 運動の起点となる対話を二人が交わしたのは、1980年12月――。レーガン米大統領とソ連のゴルバチョフ書記長がジュネーブで合意した「核戦争に勝者はなく、決して戦ってはならない」との共同声明に、5年も先立つものでした。

 米ソの共同声明が世界の耳目を集めた翌年(1986年6月)、ラウン博士とチャゾフ博士は広島を訪れ、病院で被爆者を見舞った次の日に、「『共に生きよう 共に死ぬまい』―いま核戦争防止に何をなすべきか―」と題するシンポジウムで講演を行いました。

 この「共に生きよう 共に死ぬまい」との言葉には、人々の生命を守ることに献身してきた医師としての実感が、凝縮していたように思えてなりません。そしてそれは、“地球上の誰の身にも、核兵器による悲劇を起こさせてはならない”との広島と長崎の被爆者の思いと、響き合うものに他なりませんでした。

 翻って近年、新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)が長引く中、ともすれば各国の対応が“内向き”になりそうな時に、保健衛生に関する国際協力の紐帯となってきたのが、「共に生きよう 共に死ぬまい」との言葉にも通じる連帯の精神ではなかったでしょうか。

 その精神を足場にしながら、今回の広島サミットを通して、多くの市民に甚大な被害が及んできたウクライナ危機を早急に打開する道を開くとともに、「核兵器の威嚇と使用の防止」に向けた明確な合意を打ち出すことを、強く訴えたい。

 

民間施設に対する攻撃の即時停止を

 世界を震撼させながらも13日間で終結をみた1962年のキューバ危機とは異なり、現在のウクライナ危機はエスカレートの一途をたどっており、ロシアによるベラルーシへの核配備計画をはじめ、原発施設周辺への攻撃や電力切断という事態まで起きています。

 

被爆の実相と核時代の教訓を見つめ直し

 G7の主導で「核の先制不使用」の確立を

人類を覆う脅威と不安の解消へ

 「共通の安全保障」を築く挑戦

 

 国際原子力機関のグロッシ事務局長が「(電源喪失のたびに)サイコロを振るようなもので、この状況が何度も続くことを許せば、いつか私たちの命運は尽きかねない」と警鐘を鳴らしたように、このままでは取り返しのつかない事態が引き起こされかねません。

 危機発生から1年を迎えた2月、国連総会で緊急特別会合が開かれ、ウクライナの平和の早期実現を求めるとともに、戦争の悪影響が食料やエネルギーなどの地球的な課題に及んでいることに深い懸念を示した決議が採択されました。

 具体的な項目の一つとして、「重要インフラに対する攻撃や、住宅、学校、病院を含む民間施設への意図的な攻撃の即時停止」が盛り込まれましたが、何よりもまず、この項目を実現させることが、市民への被害拡大を防ぐために不可欠です。その上で、「戦闘の全面停止」に向けた協議の場を設けるべきであり、関係国の協力を得ながら一連の交渉を進める際には、人々の生命と未来を守り育む病院や学校で働く医師や教育者などの市民社会の代表を、オブザーバーとして加えることを提唱したい。

 かつてラウン博士はIPPNWの活動に寄せる形で医師の特性に触れ、「同じ人間を一つの型にはめ込んでしまう危険な傾向に抵抗するだけの訓練とバックグラウンド」を備えており、「一見、解決できそうにない問題に対して、現実的な解決法を考案するよう訓練されている」と述べていました。また、医師ならではの表現として“希望への処方箋”との言葉を通し、国の違いを超えて平和の道を開く重要性を訴えていたことが忘れられません。

 現在の危機を打開するには、冷戦終結への流れを後押しする一翼を担った医師たちが備えていたような特性の発揮が、求められると思えてならないのです。

 3月に行われたロシアと中国の首脳会談の共同声明でも、「緊張や戦闘の長期化につながる一切の行動をやめ、危機が悪化し、さらには制御不能になることを回避する」との呼びかけがなされていました。

 この認識は国連の決議とも重なる面があり、広島サミットでは、民間施設への攻撃の即時停止とともに、“希望への処方箋”として、停戦に向けた交渉の具体的な設置案を提示することを求めたいのです。

 

核関連の枠組みが失われる危険

 ウクライナ危機の早期終結と並んで、広島サミットでの合意を強く望むのが、「核兵器の先制不使用」の誓約に関する協議をG7が主導して進めることです。

 核兵器の威嚇と核使用の恐れが一向に消えることのない危機が、これほどまでに長期化したことがあったでしょうか。

 ここ数年、中距離核戦力全廃条約の失効や、各国間の信頼醸成を目的とした領空開放(オープンスカイズ)条約からのアメリカとロシアの脱退が続き、ウクライナ危機による緊張も高まる中、新戦略兵器削減条約(新START)についても2月にロシアが履行を一時停止し、アメリカも戦略核兵器に関する情報提供を停止しました。

 新STARTまで破棄されることになれば、弾道弾迎撃ミサイル制限条約と戦略攻撃兵器制限暫定協定を締結した1972年以来、紆余曲折を経ながらも、核兵器に関する透明性と予測可能性の確保を目指して両国の間で築かれてきた枠組みが、すべて失われることになりかねません。

 広島と長崎の被爆者をはじめ、市民社会が核兵器の非人道性を訴え続け、非保有国の外交努力や核保有国の自制が重ねられる中、「核兵器の不使用」の歴史は77年以上にわたってかろうじて守られてきました。

 “他国の核兵器は危険だが、自国の核兵器は安全の礎である”との思考に基づく核抑止政策は、実のところ、国際世論や核使用へのタブー意識による歯止めが働かなければ、いつ崩落するかわからない断崖に立ち続けるような本質的な危うさが伴うものなのです。

 私はこの問題意識に基づき、ウクライナ危機が起こる前月(2022年1月)に発表した提言で、G7が日本で開催される際に「核兵器の役割低減に関する首脳級会合」を広島で行い、「全面的な不使用」の確立を促す環境整備を進めることを提唱したのでした。

 核兵器不拡散条約(NPT)の義務を踏まえた米ロ間の核軍縮条約として、唯一残っている新STARTをも失い、際限のない核軍拡競争や核兵器の威嚇を常態化させてしまうのか。

 それとも、77年以上に及ぶ「核兵器の不使用」の歴史の重みを結晶化させる形で、核保有国の間で「核兵器の先制不使用」の誓約を確立し、NPT体制を立て直すための支柱にしていくのか――。

 私はウクライナ危機を巡る提案や提言を2度にわたって行う中で、昨年1月にNPTの核兵器国である5カ国(アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国)の首脳が、「核戦争に勝者はなく、決して戦ってはならない」との原則を確認した共同声明を、核使用のリスクを低減させるための足場にすべきであると訴えてきました。

 これに加えて、その後に合意された共通認識として何よりも注目するのは、昨年11月のインドネシアでのG20サミット(主要20カ国・地域首脳会議)で、首脳宣言に記された「核兵器の使用又はその威嚇は許されない」との一節です。

 G20には、核兵器国の5カ国や、核兵器を保有するインドのほか、核兵器に安全保障を依存する国々(ドイツ、イタリア、カナダ、日本、オーストラリア、韓国)が含まれています。こうした国々が、2021年に発効した核兵器禁止条約の根幹に脈打つ、「核兵器の使用又はその威嚇は許されない」との認識を明記するまでに至ったのです。

 G20の首脳宣言では、この認識と併せて、「今日の時代は戦争の時代であってはならない」と強調していましたが、G7サミットでもこの二つのメッセージを広島から力強く発信すべきではないでしょうか。その上で、G7の首脳が被爆の実相と核時代の教訓を見つめ直す機会を通じて、「核兵器の使用又はその威嚇は許されない」との認識を政策転換につなげるために、「核兵器の先制不使用」の誓約について真摯に討議するよう呼びかけたい。

 

SGI結成の年に広島で行った講演

 思い返せば、G7の淵源となった、6カ国での第1回先進国首脳会議が行われたのは、冷戦の真っただ中の1975年でした。

 その年は、私どもがSGIを結成した年でもあり、創価学会の戸田城聖第2代会長が遺訓として訴えた「原水爆禁止宣言」を胸に、私が核兵器国である5カ国をすべて訪れて、各国の要人や識者との間で世界平和を巡る対話を重ねた年でもありました。

 そして5カ国の訪問を終えた後、私が同年の11月9日に講演を行い、核兵器の全廃を実現させるための優先課題として、非保有国に対して核兵器を使用しないという消極的安全保障とともに、先制不使用の宣言の必要性を訴えたのが、広島の地だったのです。

 その数日後にフランスでの開催を控えていた先進国首脳会議を念頭に置きながら、私は講演において、核廃絶に向けた第一段階となる国際平和会議を広島で行うことを呼びかける中で、次のように訴えました。

 「私が、このように提案するのは、各国の利害、自国の安全のみが優先した首脳会議から、全人類の運命を担う核絶滅への首脳会議にしなければ、無意味に等しいと信ずるからであります」と。

 その信念は現在も変わるものではなく、今回の広島サミットに託す思いもそこに尽きます。

 キューバ危機をはじめ、核戦争を招きかねない事態に何度も直面する中、核兵器国の間でも認識されてきた“核使用へのタブー意識”が弱体化し、核軍縮や核管理の枠組みも次々と失われている今、「核兵器の先制不使用」の確立は、これまでの時代にも増して急務となっていると、改めて強く訴えたいのです。

 

国連の報告書が示す世界の現状

 そもそも今日、多くの人々が切実に求める安全保障とは一体何でしょうか。

 ウクライナ危機が発生する半月ほど前に国連開発計画が発表した報告書では、「世界のほとんどの人々が自分が安全ではないと感じている」との深刻な調査結果が示されていました。背景には、“人々が自由と尊厳の中で貧困や絶望のない生活を送る権利”を意味する「人間の安全保障」の喪失感があり、パンデミックの数年前から、その割合は“7人中で6人”にまで達していたというのです。

 この状況は、ウクライナ危機の影響でますます悪化している感は否めません。

 報告書に寄せた国連のグテーレス事務総長の言葉には、「人類は自ら、世界をますます不安で不安定な場所にしている」との警鐘がありましたが、その最たるものこそ、核兵器の脅威が世界の構造に抜きがたく組み込まれていることではないでしょうか。

 例えば、温暖化防止については“厳しい現実”がありながらも、人類全体に関わる重要課題として国連気候変動枠組条約の締約国会議を重ねて、対策を強化するためのグローバルな連帯が形づくられてきました。

 一方、核問題に関しては、核軍縮を求める声があがっても、核保有国や核依存国からは、安全保障を巡る“厳しい現実”があるために機が熟していないと主張されることが、しばしばだったと言えましょう。

 しかし、昨年のNPT再検討会議で最終文書案に一時は盛り込まれた「核兵器の先制不使用」について合意できれば、各国が安全保障を巡る“厳しい現実”から同時に脱するための土台にすることができるはずです。IPPNWのラウン博士らが重視していた「共に生きよう 共に死ぬまい」との精神にも通じる、気候変動やパンデミックの問題に取り組む各国の連帯を支えてきたような「共通の安全保障」への転換が、まさに求められているのです。

 

闇が深ければ深いほど暁は近い

 その“希望への処方箋”となるのが、先制不使用の誓約です。「核兵器のない世界」を実現するための両輪ともいうべきNPTと核兵器禁止条約をつなぎ、力強く回転させる“車軸”となりうるものだからです。

 世界のヒバクシャをはじめ、IPPNWを母体にして発足したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)などと連帯しながら、核兵器禁止条約の締結と普遍化のために行動してきたSGIとしても、喫緊の課題として「核兵器の先制不使用」の確立を後押しし、市民社会の側から時代変革の波を起こしていきたい。

 かつてラウン博士が、ベルリンの壁が崩壊し、米ソ首脳が冷戦終結を宣言した年であり、東西の壁を越えて3000人の医師が集い、IPPNWの世界大会が「ノーモア・ヒロシマ この決意永遠に」をテーマに広島で行われた年でもあった1989年を振り返り、こう述べていたことを思い起こします。「一見非力に見える民衆の力が歴史のコースを変えた記念すべき年であった」と。

 “闇が深ければ深いほど暁は近い”との言葉がありますが、冷戦の終結は、不屈の精神に立った人間の連帯がどれほどの力を生み出すかを示したものだったと言えましょう。

 「新冷戦」という言葉さえ叫ばれる現在、広島でのG7サミットで“希望への処方箋”を生み出す建設的な議論が行われることを切に願うとともに、今再び、民衆の力で「歴史のコース」を変え、「核兵器のない世界」、そして「戦争のない世界」への道を切り開くことを、私は強く呼びかけたいのです。

 

 〈引用文献〉 ラウン博士の言葉は、冒頭にある池田SGI会長との対話を除いて、『病める地球を癒すために』(田城明訳、中国新聞社)を引用・参照。国連開発計画の報告書とグテーレス国連事務総長の言葉は、『2022年特別報告書 人新世の脅威と人間の安全保障』(星野俊也監訳、日経BP)を引用・参照。

 


2023年4月14日

前進!

 “感激の同志”と共に

 

「創価学会母の日」の制定から35周年の5月3日へ>

 

 私の宝――それは、広宣流布そして立正安国のため、不退の信心で戦い続けてくれる“感激の同志”である。

 御本仏は、多年の功労の門下が苦難の中でいよいよ強盛に奮闘する姿を讃え、「今度はいかにもすぐれて御心ざし見えさせ給うよし、人々も申し候」(新2055・全1463)と記されている。

 とともに、貢献の一つ一つを日天など諸天にも申し上げていると仰せである。

 率先垂範の行動で勇気の波動を広げゆく、尊き創価の父母たちへの御賞讃と、私には拝されてならない。

 * * 

 立宗満700年を飾る、1953年(昭和28年)の4月、私は文京支部長代理として、同志たちに呼びかけた。

 ――人柄の良さプラス、

 「前進」の魂を断固と燃やそう!

 戦えば魔は退散する。

 必ず勝利するのだとの一念の連帯で呼吸を合わせ、

 楽しく朗らかに拡大をしよう!と。

 

 そして、皆が胸を張り、人材を育て、功徳に輝きながら、第一級の支部へ大発展を遂げたのである。

 一緒に戦ってくれた友に感謝を込めて、私は日記に留めた。

 「その顔、その人、その功績をば、妙法は、永久に照らすことだろう」

 以来70年。本陣・東京の人間革命そして三変土田の凱歌は、日本はもとより、世界の希望となって光を増している。

 * * 

 文京支部の飛躍から3年、新たな険路を勝ち越えた「大阪の戦い」の直後、戸田先生は、未来の幾山河を遠望しつつ、一首の和歌を詠まれた。

 

 いやまして

  険しき山に

    かかりけり

   広布の旅に

     心してゆけ

 

 私は先生に申し上げた。

 「何も、心配いりません。

 私がいます! 私が戦います!」と。

 先生は、「そうか。そうだな。

 大作がいるから、安心だな。ありがとう!」と、

 にっこり微笑まれた。

 

 そして今、私には、同じ心で険しき山にも怯まず、「広布の旅」に挑んでくれる不二の愛弟子たちがいる。

 「仏法即社会」「仏法勝負」の峻厳なる連戦の中で、常勝の「世雄」と伸びゆく後継の陣列を、何より頼もしく見守る日々である。

 * * 

 日蓮大聖人は、混迷の時代相を「今の日本国の、小児は魄をうしない、女人は血をはく」(新1899・全1564)と憂慮なされた。

 母たち女性たち、そして子どもたちの幸福と平和の笑顔が晴れ渡る社会こそ、立正安国の実像である。

 「創価学会母の日」の制定から35周年の5月3日へ、“感激の同志”と共に、久遠元初の大生命力を漲らせながら、前進また前進しようではないか!

 

2023年4月14日〈池田先生と共に 新たな広布の勝利山へ〉

 


2023年4月9日

創価学園入学式への池田先生のメッセージ

 

価値創造のエネルギーで地球を幸福と平和の星に

負けじ魂の努力で不可能を可能に!

 

 

 一、希望に胸張り、大いなる学びの門をくぐった、東京校は第56期生、関西校は第51期生の皆さん、誠におめでとう!

 厳しい社会状況が続く中、誉れの俊英を創価学園に送り出してくださったご家族の方々に、心からの御礼とお祝いを申し上げます。

 信頼してやまない教員の先生方、ならびに職員の方々、21世紀の希望と光る、わが新入生を、どうか、よろしくお願いいたします。

 一、清々しい門出に私は、「若き無限の熱と力で、偉大な青春の金字塔を!」と申し上げたい。

 金字塔とは「ピラミッド」の別名です。ピラミッドの形に「金」の字が似ているからです。先月の発表でも、“世界の七不思議”の第一とされるエジプトの大ピラミッドの内部に、宇宙の素粒子を用いた調査で、新たな空間が大発見されました。まさしく、人類の壮大なる創造力の象徴です。

 4500年もの歳月を超え、なぜ崩れず、悠然と、また堂々と聳え立っているのか。私は、フランスの最高峰の考古学者と語り合ったことがあります。

 それは「計り知れない熱意」と「完全なる計算」、そして「長い時間をかけて一生懸命、心を込めてつくった」からではないか――と。

 全ては人間の情熱から始まります。なかんずく、価値創造しゆく青年の熱と力に最大の信頼を置くのが、創価教育です。

 若人が学びに学んで、英知を磨き抜き、焦らず、たじろがず、負けじ魂の努力を貫き通してこそ、不可能を可能にする大偉業が成し遂げられるのです。

 一、じつは30年ほど前、エジプトを再訪問した折、私は単にピラミッドだけではなく、あえて緑豊かに生い茂る木々も一緒に写真に収めました。

 巨大にして悠久のピラミッドに「負けじ」とばかりに対峙して、みずみずしい葉を茂らせ、鮮やかな花を咲かせゆかんとする生命の息吹を讃えたい。そして「草木は萌ゆる 武蔵野の」、また「ああ万葉の 花と花」と謳い上げゆく東西の学園生をはじめ、世界の創価の青年に見せたいと思ったのです。

 皆さんは今ここに、138億年といわれる宇宙の歴史を背負い、40億年ともいわれる生物の営みを受け継いで躍り出ています。

 どうか、大宇宙をも包みゆく若き生命の価値創造のエネルギーを限りなく発揮して、未来の地球を幸福と平和の星へ輝かせていってください。

 一人ももれなく「これをやり切った」と誇れる学園生活をと祈りつつ――

 

 一つ また

  一つと 努力の

   石重ね

   金字の塔を

    君よ築けや

 

と贈り、メッセージとします。ご家族へ感謝の笑顔を忘れずに、良き友と仲良く朗らかに前進を!

 

2023年4月9日

創価小学校入学式への池田先生のメッセージ

 

「学び」と「友情」の花を

 

 一、希望光る新1年生の皆さん、入学おめでとう!

 皆さんを私は心待ちにしておりました。喜び満ちるご家族の方々、誠におめでとうございます。

 一、皆さんは、「サンフラワー」という花の名を聞いたことがありますか?

 そう、太陽のような花を咲かせる「ヒマワリ」のことです。その種は皆さんの指先ほどの大きさですが、土に植えて水や養分を吸収すると、太陽に向かってグングンと伸びていきます。

 この創価小学校で、ヒマワリのように、明るく、たくましく、育っていく皆さんと、きょうは、三つの挑戦を約束しましょう。

 一つめは、「あきらめない根っこ」を作ることです。目には見えなくとも、強い根っこを張れば、風が吹いても倒れません。「失敗しても、負けないで粘り強く頑張ろう」と努力していけば、いのちの根っこが強く深くなります。

 二つめは、本をたくさん読んで「心の栄養」をたくわえることです。本には、かしこい心も、やさしい心も、ゆたかな心も、いっぱいつまっているからです。

 三つめは、朝日のように朗らかに「学び」と「友情」の花を咲かせることです。朝の光がみんなをてらすように、皆さんが元気に楽しく学校生活を送っていけば、たくさんの「学びの花」「友情の花」が咲くのです。

 そして、仲良く大きく育って、日本中、世界中に、「希望の種」「幸福の種」「平和の種」をまいていってください。

 私は、大好きな大切な皆さん一人一人の健康と大成長を心から祈り、何より楽しみに、いつもいつも見守っていきます。

 新入生、万歳!


2023年4月3日

池田先生のメッセージ

 

桜梅桃李の学友と英知と希望の未来図を

宇宙大の智慧を磨く価値創造の青春たれ

 

 一、春爛漫のキャンパスに、久方ぶりにご家族方もお迎えできて、明るく賑やかな入学式となりました。

 創価大学は53期生、女子短大は39期生、また通信教育部、さらに大学院生、そして36カ国・地域から勇み集われた留学生の皆さん方、歓喜に満ちた、晴れの新出発、誠におめでとう!

 教員の先生方、職員の方々、新年度も、地球民族の宝たる英才たちを、どうか、よろしくお願い申し上げます。

 一、今年は、私の恩師である戸田城聖先生が、「創価教育」の源流をなす私塾「時習学館」を開設して100年となります。

 新たな「創価教育」の100年を創り光らせゆく皆さんに、今日、私は、「宇宙という大学校で学び挑め! 世界市民の大連帯を語り開け!」と申し上げたいのであります。

 「時習学館」という名前は、『論語』の「学びて時にこれを習う、亦説ばしからずや」という一節に由来し、今、わが大学院生の研究施設「創大時習館」に受け継がれております。

 恩師は若き日より、どんな逆境にあっても学ぶことを喜びとし、そして時に応じて逞しく価値を創造してこられました。

 皆さんと同じ10代の後半、働きながら学ぶ奮闘の最中、日記には名著(岡本米蔵著『牛』)から「宇宙は大学校なり」との一文とともに、「ふまれても 根づよくしのべ 道芝(道端の草)の やがて花さく 春は来ぬべし」との短歌を書きとどめております。

 皆さんも、この宇宙それ自体を大いなる学校と定めて、見上げる天空から眼前の人間社会、さらには足もとの可憐な野の草花に至るまで森羅万象に、瑞々しく鋭い探究の眼を注いでください。そして、自分自身の内なる生命に宇宙大の智慧を磨き広げ、偉大な青春の価値創造に忍耐強く挑戦してください。

 一、先ほどの『論語』等も通しつつ、私はハーバード大学のドゥ・ウェイミン博士と、互いに尊敬し学び合う「対話の文明」のビジョンを語らいました。博士も感嘆してくださった通り、この創価の「平和の要塞」には多様性を讃え合う「対話の精神」が脈打っております。

 どうか、桜梅桃李の良き学友と心広々と世界市民の大連帯を語り開きながら、持続可能な地球社会の英知と希望の未来図を描き示していっていただきたいのであります。

 ドゥ博士は、学校教育を受けられなかった親戚の聡明な乳母の方が教えてくれた諺を大切にされています。その言葉を、私は創価教育を支えてくださっている尊き父母たちの心としてお伝えしたい。すなわち、「苦労のなかの最大の苦労を耐えぬいた者のみが、人々を導く人になる」と。

 結びに、わが命と見つめる皆さんの健康と大成長、また、ご一家の幸福と安穏を祈り、一首を贈ります。

 学究の

  春夏秋冬

   金の道

  宝友と求めよ

    生命の真を

 (大拍手)

 

2023年4月2日入学式

創価大学53期生、女子短大は39期生、通信教育部、大学院生、留学生


2023年3月27日

青年桜のごとく

立正安国へ

希望満開の対話を!

 

誓願の地域に、

地球民族の未来を晴らす

生命共和の希望の創価桜を

勝ち咲かせようではないか!

 

 歴史を創る力は、生命と生命の結合から生まれる。なかんずく、先達の信頼に応えゆく後継の勇戦こそが新たな時代を開くのだ。

 それは、西暦二二三年のことであった。

 「三国志」の大英雄・諸葛孔明は、生涯を終えんとする主君・劉備から一切の後事を託される。二十歳も若い自分を“三顧の礼”で迎えてくれ、大業を成さんと共に歩んできた劉備に、孔明は誓った。

 “わが身の全力を尽くし、忠誠の限りを捧げて国を支えます”と。

 劉備と孔明の絆は「水魚の交わり」と謳われている。千八百年の歳月を超え、今なお、不滅の誠が光る継承の劇といってよい。

 日蓮大聖人は「生死一大事血脈抄」で、二人の故事を踏まえ、「自他・彼此の心なく、水魚の思いを成して」(新1775・全1337)と門下へ示された。

 この御聖訓の通り、不二の心で「広宣流布の大願」へ邁進する陣列が、創価の師弟にほかならない。

 六十五年前の三月十六日、戸田城聖先生は今世の凱歌を轟かせる記念式典を行い、自ら手塩にかけてきた創価の若人を、時の指導者たちに、また満天下に知らしめようとされた。

 そして「創価学会は宗教界の王者なり」と師子吼され、この儀式をもって“広布の魂のバトン”を青年に託してくださった。

 世代から世代へバトンはつながり、今、わが従藍而青の青年群は王者の誇りに燃え、仏法即社会の拡大の先頭を走ってくれている。その地涌の生命の力走は、「3・16」から「4・2」へ、さらに「5・3」へと、勝利のリズムを刻んでいくのだ。

 先駆を切る男子部、学生部、華陽姉妹、ヤング白ゆり世代は、民衆凱歌の連帯を広げゆく弾ける力である。

 結成月の壮年部も負けじと燃える。「広布の黄金柱」が立てば、どんなに皆が安心し、勇気が広がることか。わが地域の勝負を決するのは、「王者の風格」をもつ世雄の敢闘であるからだ。

 

師に届けた歌声

 あの「3・16」の儀式を終えると、戸田先生は指揮本部の二階で横になって休まれる日々が続いた。

 私は役員の青年たちと、階下で幾度となく“一高寮歌”を歌った。先生がお好きな歌で、静かな曲調でもあり、お聞かせするにふさわしかったからである。

 〈嗚呼玉杯に 花うけて……一たび起たば 何事か 人生の偉業 成らざらん……

 深々と胸に響き、潮が満ちるように命が高まる。

 歌いながら、私たちは師に誓っていた。

 “先生、青年部は意気高しです。広宣流布は必ず私たちがやります!”と。

 戸田先生は「三国志」を通して折々に、孔明自身はあれほど非凡でありながら、後継の人材を十分に育てる余裕も福運も持てなかったと慨嘆しておられた。

 それに比べて学会の若人は、先生の慈愛を陽光のごとく浴びて薫陶いただき、一緒に盤石な「人材の城」を築くことができた。師の大恩はあまりにも深い。

 私は一念を定めた。

 ――先生が呼び出された地涌の青年たちが立派に成長し、幸福になり、広布と社会の大人材の流れを創るために、私は生まれてきたのだ、と。

 

陰徳の青春尊し

 青年は実戦の中でこそ、鍛えられる。法のため、人のため、世のため、民衆の大地で、あえて苦労を引き受け、奔走することによって、若き生命は人間革命の飛躍を遂げる。

 熱原の法難の渦中、矢面に立って自らが種々圧迫を受けながら、一門の人びとを厳然と庇い続けていた青年・南条時光を、大聖人は最大に讃えておられる。

 「あつはら(熱原)のもの(者)どもかか(抱)えお(惜)しませ給えることは

 「これひとえに法華経に命をす(捨)つるゆえ(故)なり」(新1919・全1575)

 さらに一貫して時光へ、

 「現世に大果報をまね(招)かんこと、疑いあるべからず」(新1854・全1530)等と約束された。その通りに、時光は広布に生き抜き、勝利の人生を歩んだ。

 まさに今、わが創価の青年が勇敢に同志を励まし、守り、民衆の安穏と繁栄のために献身しゆく英姿を、御本仏はいかばかり讃嘆くださることか。

 この陰徳の青春を貫く、誉れの愛弟子たちが無量の陽報に包まれ、やがて日本はもとより世界から衆望を寄せられる大果報を得ることは、疑いない。

 

世界照らす福光

 この三月で、未曽有の「東日本大震災」から十二星霜。犠牲になられた全ての方々に、あらためて追善回向の題目を捧げたい。

 東北でも、青年部が凜然と「福光前進」の先頭に立ってくれている。

 災害の教訓を次世代へ伝え、生かしゆく「青年福光サミット」も意義深い。

 震災当時の可憐な小学一年生が、今や成人である。瞳輝く若人の成長と活躍は何と心躍ることか。言い知れぬ辛労を重ねて、見守り、育んでこられた父母たち、先輩方に感謝は尽きない。

 震災直後から“東北家族”と交流を続けてこられたアメリカ・エマソン協会のサーラ・ワイダー博士は、今年も、真心あふれるメッセージを送ってくださった。

 ――最も苦しい時に築いた友情の強さが、温かい眼差し、人間の絆、思いやりを必要としている世界に、勇気と希望を与えてくれます。皆様は、全世界の人びとに示してくださったのです。最悪の状況も必ず「変毒為薬」できる、と――。

 我らの祈りと行動は、民衆の心の土壌そのものを豊かに耕しゆく開拓であり、その大地の上に平和・文化・教育の宝樹を爛漫と茂らせゆく革命なのだ。

 東北出身の大教育者で、牧口常三郎先生とも親交の深かった新渡戸稲造博士は、春三月に寄せて記した。

 「根強き草は花も美にして実りも好し」と。

 わが尊き同志が苦楽を分かちながら郷土に張り巡らしてきた友情の根は、今、信頼の花を咲かせ、連帯の実りをもたらしている。

 

大樹は風雪越え

 今春は桜の開花が早く、東西の創価学園、創価大学・女子短期大学の卒業式も祝してくれた。

 コロナ禍を辛抱強く越えてきた未来部、学生部、そして新社会人の友が、新年度もたくましく、青春桜と伸びゆくことを、私は妻と祈る日々である。

 広宣流布大誓堂の前に、学会とほぼ同じ年輪を重ねる「青年桜」が厳と立つ。

 根元付近の幹はふた抱えもあろうか。風雪の年月を耐え抜いた笑顔皺が刻まれている。“桜守”の方々の真心に支えられ、“生涯青春”の生命を咲き輝かせながら、訪れる友を慈母のように見守ってくれる。

 「青年桜」はまさに「母桜」である。また「多宝桜」でもある。日本中、世界中で、立正安国へ熟達の対話に挑み抜き、励ましの花、希望の花、福徳の花、凱歌の花を万朶と咲かせゆく創価の母たち、そして多宝会・宝寿会・錦宝会の同志が偲ばれるからである。

 

積み重ね八百回

 思えば、先師・牧口常三郎先生こそ、一生涯、「青年桜」のごとく満開の生命力で生き抜かれた鑑である。

 「日に日に新たに、また日に新たなり」(『大学』)を座右の銘とされていた。

 私も七十歳を迎えた時、先師が抱き締めた金言を胸に、新たな挑戦を開始した。小説『新・人間革命』の新聞連載に加えて、「随筆 新・人間革命」を書き始めたのである(一九九八年一月)。

 その後、「随筆」はタイトルを変えながら四半世紀にわたって発表してきた。どうやら今回で通算八百回となったようである。

 読者の皆様方のご支援に心から感謝申し上げたい。

 原稿の執筆は、一回また一回の積み重ねである。

 御書には、「一を重ぬれば二となり、二を重ぬれば三、乃至十・百・千・万・億・阿僧祇の母は、ただ一なるべし」(新1706・全1237)と示されている。

 何より、一日また一日、一人また一人と、その人の生命の仏性を合掌礼拝するように、大誠実の対話を重ねゆく創価の不軽菩薩の方々の奮闘が、わが胸に迫る。

 御義口伝に、「鏡に向かって礼拝をなす時、浮かべる影また我を礼拝するなり」(新1071・全769)と仰せである。

 “学会家族”のたゆまぬ草の根の対話の持続は、生命尊厳と人間尊敬の大光を、明鏡のごとく、社会へ世界へ放っている。

 私も、この八百回を新たな出発点として、全世界の同志が栄光の未来を勝ち開いていかれるよう、真剣に祈り、“時”に「随」い、「筆」に随って、執筆を続ける決心である。

 

異体同心で進め

 「八百」といえば、御書の中にも同じ数が、印象深く登場する。有名な「異体同心事」の一節である。

 「殷の紂王は、七十万騎なれども、同体異心なればいくさ(戦)にま(負)けぬ。周の武王は、八百人なれども、異体同心なればか(勝)ちぬ」(新2054・全1463)――あの不可能を可能にしゆく「大阪の戦い」で、心肝に染めた御聖訓である。

 いかに厳しい険路にあろうと、我らには一切を成就する「法華経の兵法」がある。絶対に信じ合える正義・共戦の同志がいる。

 大変な時こそ、励まし合い、共々に「師子王の心」を取り出して、鉄桶の団結の力を発揮するのだ。

 さあ、一人ひとりが自分らしく持ち味を生かし、わが眷属を広げながら、仲良く明るく朗らかに、異体同心の逆転劇を飾りゆこう!

 誓願の地域に、地球民族の未来を晴らす生命共和の希望の創価桜を勝ち咲かせようではないか!

 

 「嗚呼玉杯に花うけて」の歌詞は矢野勘治作詞。新渡戸稲造の言葉は「一日一言」『新渡戸稲造全集8』所収(教文館)。「日に日に新たに……」は中国の古典『大学』からの読み下し。

 

2023年3月27日〈随筆「人間革命」光あれ 池田大作〉 


2023年3月23日

第26回各部代表者会議

池田先生メッセージ

「絶対勝利の信心」で立て

 

 池田大作先生はメッセージを贈り、冒頭、

 3月22日が「関西男子部の日」であり、41年前、忘れ得ぬ六段円塔を打ち立てた10万人の「関西青年平和文化祭」の日であることに言及。今、常勝大関西をはじめ全国の「藍より青き」若人が、師弟不二の負けじ魂を烈々と受け継ぎ、新たな青年凱歌の歴史を創造しているとたたえた。

 

 次いで「一切の眼をあけ、一切の耳に物をきかせんは、いか程の功徳かあるべき。誰の人かこの功徳をば計るべき」(新2094・全1248)を拝読。「日蓮と同意」の地涌の菩薩として、一人でも多くの友に太陽の仏法へ目を開かせ、立正安国の声を耳に入れゆく創価家族の功徳は広大無辺であり、皆が心の財を積みゆく行進であると強調した。

 そして「広宣流布の大責任に立って悩み、苦しみ、祈り、戦うならば、大聖人の、南無妙法蓮華経の御命が湧いてこないわけがない」――この燃えたぎる「絶対勝利の信心」で心を一つに、仏法即社会の仰ぎ見る金字塔を打ち立てようと呼びかけた。

 

2023年3月22日第26回各部代表者会議

東京・信濃町の広宣会館(学会本部別館内)


2023年3月19日

創価大学の第49回卒業式

創価女子短期大学の第37回卒業式

 

池田先生のメッセージ

 

逆境の坂を上る

正義の君に福徳あれ

天と大地の祝福あれ

 

 一、逆境の坂道を勇み上りゆく正義の若人の生命には、必ずや天の喝采と大地の祝福が待っています。

 わが愛する皆さんは、コロナ禍など何重にも制約や不自由が課される中、歯を食いしばり、学友と励まし合って、探究と錬磨の道を走り抜いてきました。

 一人一人を讃え見送るように、キャンパスの桜も時を逃さず咲き始めたではありませんか。

 創大は49期生、短大は37期生、また大学院生、さらに通信教育部の皆さん、そして世界25カ国・地域から集ってくれた留学生の皆さん、本当におめでとう!

 辛労の絶えない社会状況にあって、海よりも深い愛情で支え、見守ってくださった、ご家族の方々にも、心より感謝とお祝いを申し上げます。

 光栄にも、尊敬してやまないトゥーリー副総長はじめ英国・バッキンガム大学の先生方、また、ドイツのブリュック博士ならびにご来賓の先生方に、温かく旅立ちの式典を祝していただき、誠に誠にありがとうございます。

 一、誉れの卒業生の前途へ、

 きょうは一言、

 「生命の尊厳光る正道を進め!

 「希望と信頼の花咲く大道を開け!

 と申し上げたい。

 我らの先師・牧口常三郎先生が

 「創価教育」の中心に定められたのは、

 「生命の尊厳」であります。

 先生は自ら、その信条に殉じ、

 獄死されたのであります。

 

 不二の師弟である恩師・戸田城聖先生と私は、

 折々に古今東西の教育思想や人材育成に学びつつ、

 牧口先生の悲願である創価大学の構想を語り合いました。

 

 ある日、私が感銘を受けた、

 19世紀の英国の歴史家カーライルの言葉を申し上げたことがあります。

 「時代の要求するものを真に見抜く叡智と、正道を踏んで時代をそこに導く勇気とは、これこそ時代の救い」なのであると(入江勇起男訳『英雄と英雄崇拝 カーライル選集2』、日本教文社)。

 すると戸田先生は即座に、

 「牧口先生は、そういう力ある英知の人材を育てることを願っておられた。それが創価大学だ」と応じられたのであります。

 時代の危機と真っ向から格闘してきた皆さんは、まさに、この英知を磨き、この勇気を鍛えてきたことを誇りも高く自負していただきたいのです。

 本日ここにお迎えしたトゥーリー副総長は、「地球上の最も遠い場所」にまで、命を懸けて教育の陽光を送り届けてこられました。副総長方と私たちは、人間教育の連帯が持つ無限の可能性を信じ、手を携えて行動する同志なのであります。

 国際性・多様性・独創性・人間性に満ちた、平和の学府から巣立つ皆さんは、世の分断や対立の闇を打ち破る、聡明にして快活、誠実にして強靱なる価値創造の生命の光を、昇りゆく旭日のごとく放っていってください。そして、いずこにも希望と信頼の花咲く大道を、負けじ魂朗らかに開いていただきたいのであります。

 一、結びに、教員の先生方、職員の方々と一緒に、皆さんの健康と幸福を祈りつつ――

 

 満開の

  桜のごとく

   勝ちまくれ

   世界の民衆に

    笑みを咲かせて

 

 と贈り、私の祝辞といたします。

 

2023年3月18日 創価大学第49回卒業式、

創価女子短期大学の第37回卒業式、

東京・八王子市の創大池田記念講堂

 


2023年3月17日

創価学園卒業式への池田先生のメッセージ

 

探究と創造の“負けない青春”

失敗も「次なる勝利の始まり」と

 

 

 一、負けない青春は、なんと誇らしいことでしょうか。苦難に勇んで挑む若き生命は、尊貴なる光を放っています。

 コロナ禍をはじめ、かつてない試練を凜然と勝ち越えてくれた、わが卒業生の皆さん、誉れ高き凱歌の門出、誠におめでとう!

 保護者の方々には、いつにもまして、言い知れぬご苦労が重なる中、守り、支え続けていただき、本当にありがとうございました。

 一、きょうは、愛する皆さんへのはなむけとして、「地球民族の新たな前進の先頭に立て!」と申し上げたい。

 創価教育の父・牧口常三郎先生と戸田城聖先生が、人生の金の思い出とされていたことがあります。100年ほど前、あの大科学者アインシュタイン博士の「相対性理論」等の講演を、直接、聞き、学ばれたことです。

 アインシュタイン博士は「真理と知識の探究は人間の最高の資質のひとつである」(林一訳『アインシュタインは語る』、大月書店)と語られていました。創価学園の「真理を求め、価値を創造する」精神と一致しており、牧口・戸田両先生も、学園生の探究と創造の伝統を、何より喜び、見守ってくださっているでしょう。

 アインシュタイン博士が生涯の願望とされたことは、戦争などの野蛮さを永久に追放する「人類の歴史上最大の一歩」(O・ネーサン、H・ノーデン編、金子敏男訳『アインシュタイン平和書簡1』、みすず書房)を、我らの時代に踏み出したいということでありました。これは、博士と同じ思いで行動してきたロートブラット博士等、私が対談した世界の知性の共有する悲願であり、そして未だ果たせぬ夢であります。

 だからこそ、わが創価後継の皆さんが、いよいよ英知を磨き、力をつけ、世界市民の友情と連帯を広げながら、地球民族の新たな幸福と平和の前進をリードしていっていただきたいのであります。

 一、私が敬愛してやまぬ友人で、ジャズ界の巨匠と輝くウェイン・ショーターさんと語り合った言葉を、「負けじ魂」光る学園生に伝えたい。すなわち、「失敗は終わりではない」「それは、次の勝利の始まりである」と。そして、卒業生一人一人の偉大な希望の未来を心に描きつつ、一首を贈ります。

 

 黄金の

  生命の絆の

   君と我

   勇気の行進

    勝利の舞を

 

 わが宝と仰ぐ全学園生とご家族に、

 健康あれ! 幸福あれ! 栄光あれ!(大拍手)

 


2023年3月2日

栄光の凱旋門へ威風堂々と

 

 あすは「桃の節句」。

 妻が「3月3日は『大阪女性部の日』『先駆九州女性部の日』、そして『華陽姉妹 誓春の日』ですね」と笑顔で話していた。

 古来、桃は豊かな生命力の象徴であり、わが創価の女性たちと重なり合う。

 草創の関西で女性リーダーたちと「一身一念法界に遍し」(新135・全247等)などの法理を学び、語り合ったことがある。

 ――わが生命には大宇宙をも包む広がりがある。ゆえに、祈りから出発して、家庭も職場も地域も社会も、ひいては世界まで必ずより良く変えていけるのだ、と。

 そして皆が一身一念に満々たる力を漲らせ、民衆の大地へ飛び出していった。

 “ひな祭り”は、宝の子どもたちの健やかな成長を見守る節目である。

 未来部の「希望月間」も始まった。進級・進学・就職など新たな門出に勇み立つ若人へ、多忙な中でも、「祈り」という全てを照らし温める愛情の春光を注ぎ、励ましていきたい。

 * * 

 世界は今、若き創造的生命の躍動を熱望している。

 かつて、フランス学士院で私は講演を行った(1989年6月)。試練と変動の時代にこそ、創造的生命を開花させ、共に「精神連盟」「精神革命」の大いなる道をと、欧州の知性へ呼びかけたのである。

 講演の中で「大悪大善御書」の一節を紹介した。

 「迦葉尊者にあらずとも、まいをもまいぬべし。舎利弗にあらねども、立っておどりぬべし。上行菩薩の大地よりいで給いしには、おどりてこそいで給いしか」(新2145・全1300)

 学会の実践は、最も普遍的な道理に則り、しかも最も人間性あふれる行動である。だから喜びが満ち、福徳が積まれ、共鳴が広がる。

 創立100周年へ「天の時」が到来した。いずこでも、地涌の青年が誓願の天地に踊り出で、舞を舞うがごとく世界市民の連帯を結び、国土の安穏と繁栄へ貢献してくれている。

 従藍而青の男子部・学生部の勇舞は、何と凜々しく、何と頼もしいことか。

 * * 

 我ら壮年部は5日に結成記念日を迎える。1958年(昭和33年)の3月、広宣流布の記念式典で戸田先生が師子吼された「宗教界の王者」の誇りを受け継ぎ、わが共戦の丈夫は、列島の津々浦々で雄々しく勇気の対話に挑んでくれている。どんな烈風にも黄金柱が林立するゆえに、学会は揺るがない。断じて負けない。

 恩師は悠然と叫ばれた。「広布のいかなる闘争も、一人一人の宿命転換と人間革命の劇である。全同志がそれぞれ持てる力を出し切り、皆で悔いなく戦い抜けば、絶対に大勝利なのだ」

 さあ、「3・16」から「5・3」へ、威風堂々の行進だ。歓喜踊躍の青年を先頭に、全宝友が勇敢に、また朗らかに栄光の凱旋門へ進みゆこうではないか!

2023年3月2日〈池田先生と共に 新たな広布の勝利山へ〉

 


2023年2月21日

立正安国の旗高く

 

苦難に負けじ魂を

地域へ友情の花を

 

 

 日蓮大聖人の御聖誕月であり、戸田城聖先生の生誕月である二月――。

 日本のあの地で、世界のこの国で、広宣流布へ、立正安国へ行動しゆく、創価の師子たちの勇舞こそ、御本仏と恩師への何よりの報恩なりと、私は信ずる。

 今月、新たな「二月闘争」をと、躍動する対話の波は、北は北海道から、東北、関東、総東京、東海道、信越、中部、北陸、関西、中国、四国、そして南は九州、沖縄まで、列島を包んでいる。

 まさに「伝統の二月」。わが大関西の淵源も、一九五二年(昭和二十七年)、私たちが報恩の一念で展開した蒲田支部の「二月闘争」と結びつく。戸田先生は、蒲田支部の幹部だった白木義一郎さんが二月から大阪に転勤する機会を逃さず、「大阪支部長心得」に任命したのだ。白木さんは、早くも二月中に最初の弘教を実らせ、関西の民衆城の建設へ、第一歩を踏み出した。

 この一年後の二月、戸田先生から白木支部長に「大阪支部」の旗が授与され、関西の婦人部も男子部も正式に出発したのである。

 愛する関西の庶民、そして全民衆から、悲惨の二字をなくさんと「師弟誓願の旗」が翻って、七十星霜。「常勝」は、世界の同志の合言葉となった。

 なぜ、かくも堂々と福運錦州城が築かれてきたか。

 アメリカの最高会議で、語り合ったことがある。

 

 その一つの結論は――

 一、関西は、いずこにもまして、仲が良い。

 一、何でも言い合える家族の気風がある。

   ゆえに、朗らかで、さわやかである。

 一、常に信頼の春風が吹いている。

 一、友の胸中には“創価の心”が脈動している

 ――と。

 

 まさしく、「日蓮が弟子檀那等、自他・彼此の心なく、水魚の思いを成して、異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉るところを、生死一大事の血脈とは云うなり」(新1775・全1337)との仰せさながらの和合といってよい。文永九年(一二七二年)の二月十一日、佐渡で認められた御聖訓である。

 わが関西家族は、大変な試練があるほど、「自他・彼此の心なく、水魚の思いを成して」、励まし合い、立ち向かってきた。

 あの阪神・淡路大震災からの復興においても、地域と社会の柱となり、どれほどの献身を重ねたことか。

 我らは妙法で結ばれた、「師弟不二」にして「異体同心」なる生命の絆を、より強く、より深く、後継の若人と共に脈動させてきたのだ。

 

哀悼の意を捧ぐ

 今月六日に発生したトルコ・シリア大地震により、広範囲で建物が倒壊し、あまりにも多くの人命が奪われた。痛哭の思いで、犠牲になられた方々に深く哀悼の意を捧げるとともに、被災された方々、支援に当たられている方々の安全無事を心から祈る日々である。

 同じ“地球民族”の一員として、世界の平和と安穏を、いやまして強盛に祈念してまいりたい。

 

南米30年の前進

 「世界人権宣言」の起草に尽力したブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁が、私たちに寄せられた信頼の言があらためて蘇る。

 「世界中のすべての人々の幸福は、“力”によってではなく、それを超える“理性”によって築かれるということを語ることは重要なことです。それを最も訴えている第一の存在がSGIであります」

 まるで同世代の戸田先生が総裁の身に入られたかと思われるほど、私たちを温かく迎えてくださったのは、一九九三年の二月。南米を歴訪する最中である。

 コロンビア、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、そして五十カ国・地域目の訪問となったチリ――いずこの国の同志も、慈折広布の決意に満ち満ちていた。

 邪宗門の鉄鎖を断ち切り、「創価ルネサンス」の飛翔を開始した時である。

 あれから三十年。アルゼンチンの地涌の連帯は当時の六倍、パラグアイは三倍以上、チリは五倍へと見事なる発展を遂げた。

 私が訪れた際に支部が結成されたコロンビアも、千人の青年のスクラムを目指して挑戦を続けている。

 「世界広布の王者」と立つブラジルは本年、青年部員十万人の達成を掲げ、ますます意気軒昂である。

 大聖人は「悦ばしいかな、汝、蘭室の友に交わって麻畝の性と成る」(新43・全31)と述べられている。

 いずこにあっても、創価の地涌の友は、この仰せの通りに崇高な精神で、喜び勇んで「立正安国」の対話に打って出ている。

 いかに怨嫉や攪乱が渦巻こうとも、我ら師弟が誠実と真心を尽くして結び広げてきた「蘭室」の友情は壊されない。やがて、生命尊厳の馥郁たる香りで、地球社会の幸福と平和の明日を薫じゆくことを、私は確信する。

 

大地に根差して

 人類が未曽有のコロナ禍に襲われて三年余、経験したことのない危機の中で、民衆の福光城を厳然と守り抜き、大切な同志を懸命に支え抜いてくれたのは、いったい誰か?

 それこそ、地区部長、地区女性部長をはじめ最前線のリーダーの方々にほかならない。思いも寄らぬ変化と制約の中、深き祈りから発する智慧と工夫で宝友を激励し続けてくれた。どんなに感謝しても足りない。一地区、一地区にとの思いで、妻と題目を送っている。

 “アメリカ公民権運動の母”と謳われるローザ・パークスさんは、“世に貢献するためには?”と問いを発した若者を讃えられた。

 「その質問をすることで、あなたはすでに貢献をしています。あなたは、世界のどこに自分が位置し、他の人のために何ができるのかを考えています。世界に貢献したいと思う人はみな、それができるのです」と。

 私には、あの地区、このブロックで、“友のために”と正副の連携を密に、地道に歩き、励ましを送る皆さんの真剣にして慈愛の姿が脳裏に浮かぶ。その祈りと声と振る舞いで一人ひとりの生命を蘇生させ、久遠より誓い願った使命の国土を栄えさせゆく、まさに「宝の人」なのである。

 戸田先生は最晩年、人工衛星の打ち上げのニュースで皆が沸き返る中、宇宙をも照らす壮大な生命哲理の次元から冷静に見極めつつ、言われたことがある。

 「大事なのは足もとだよ。何があっても浮き足立つのではなく、妙法の旗を掲げて、現実の大地に、しっかりと立つことだよ」

 足もとを大切にし、「その国の仏法」のため、最も聡明に、堅実に貢献を貫く友こそ、最も頼もしき「地域の幸福責任者」なのだ。

 

我ら打ち勝たん

 思い返せば、私がパークスさんと初めてお会いしたのも、三十年前であった。

 私たちは、公民権運動を鼓舞した歌でお迎えした。

 「ウィ・シャル・オーバーカム(我ら打ち勝たん)」――パークスさんたちは、この不屈の闘志を響かせ、人間の尊厳と平等が輝く時代を、と戦われたのである。

 公共バスにおける人種差別という不正義に「ノー」と叫んだ、パークスさんの勇気の行動が起点となり、「バス・ボイコット運動」が始まったのは一九五五年の十二月であった。以来一年以上も勇敢に忍耐強く続けられ、連邦最高裁判所から、バスの人種隔離を違憲とする判決を勝ち取った。

 それは、関西を舞台に無名の庶民が人生の希望を見出しながら、社会変革の主役と躍り出ていく、私たちの「大阪の戦い」と同じ時期のことである。

 この創価の民衆運動に脈打っているのも、“我ら打ち勝たん”と苦難に立ち向かった歌声と響き合う、不退の心であろう。いうなれば「負けじ魂」である。

 

負けない一生を

 そもそも「負けじ魂」は、既に『源氏物語』にも見え、優に千年以上の風雪を越えて伝わる言葉である。

 この「負けじ魂」の一語を、大聖人は御抄に留められている。病を抱えていた富木尼に対し、“善医である四条金吾殿も心配していましたよ”と伝えられ、「(金吾は)極めて『負けじ魂の人』で、自分の味方(信心の同志)を大切にする人です」と厚い信頼を寄せられたのだ(新1309・全986、趣意)。

 争いの絶えない乱世で、大聖人御一門に障魔が競う中、四条金吾は、師匠のため、同志のため、社会で勝つと「負けじ魂」で実証を示し、師弟勝利の凱歌を轟かせたのである。

 忘れ得ぬ語らいがある。「大阪事件」の直後、東京・大田区の自宅に帰ると、関西広布草創の功労の婦人が、妻と一緒に唱題していた。

 この婦人が居住まいを正して言った。「私は、一生涯の覚悟を新たにしました。断じて負けたらあかん! 学会は断固として勝ち進んでいくことです。それが本当の創価です」と。

 私の妻も、「どんな事態にあっても負けない一生を」と一念を定めてきた。

 負けじ魂とは「能忍」(能く忍ぶ)の力ともいえよう。我らは法華経に「其の志念は堅固にして 大忍辱力有り」(法華経459ページ)と説かれる地涌の菩薩の底力を発揮していくのだ。

 今、わが同志は「負けたらあかん!」(関西)、「負げでたまっか!」(東北)、「負けんばい!」(九州)等々、いずこでも「師子王の心」で前進している。

 

一歩一歩と前へ

 不可能を可能にする逆転劇を創り出すのは、

 常に、負けじ魂の団結である。

 

 まだまだ寒さ厳しき北国の様子を伺うたび、私の第三代会長就任に呼応し、北海道や東北、信越、北陸、中国など雪深き天地の男女青年部も凜然と立ち上がってくれたことを思い出す。

 北海道の乙女たちは、全道の地図を広げて、「ここにも、あそこにも華陽のスクラムを!」とマッチの軸で作った小さな旗を立て、未来のロマンを語り合った。

 我らは「人間革命」即「立正安国」の希望の旗、信念の旗、価値創造の旗を、いよいよ高く掲げゆくのだ。

 そして、広布と社会と人生の大願成就へ、一喜一憂せず、今、自分にできる最大限の行動を、時を逃さず共々に続けよう! 

 その小さな、しかし偉大な師弟共戦の一歩一歩の積み重ねこそが、必ずや「春の曲」も麗しき、凱歌の決勝点につながるからだ。

 

ローザ・パークスの最初の言葉は『ローザ・パークスの青春対話』高橋朋子訳(潮出版社)。

 

2023年2月21日〈随筆「人間革命」光あれ 池田大作〉

 

 


2023年1月26日

SGIの誇り

平和世界へ人類の英知の底力を!

 

 

 わが師・戸田城聖先生は、草創の仙台支部をはじめ、東北の同志を全国の模範と深く信頼し、その前進に心を尽くされていた。

 一九五五年(昭和三十年)の厳冬の二月には、東北放送の“ラジオ対談”に出演。創価学会の歴史を尋ねられると、「われわれ学会は、昭和三年(一九二八年)に起こっているんですね」と、にこやかに応じられた。牧口常三郎先生と戸田先生が入信された年である。

 収録後、先生は、一人立ち会っていた私に微笑みながら、「大作は昭和三年の生まれだったね。不思議な縁だな」と言われた。

 両先生に始まる大闘争に私も連なり、そして同志と共に「広宣流布」即「立正安国」の大道を民衆の力で開いてきた九十五星霜――。師が東北で宣言した「創価の人材の城」は、世界へ壮大な広がりとなった。

 

グアムから出発

 この二十一日、SGI(創価学会インタナショナル)の源流の天地グアムには、喜びと決意に満ちて、平和文化会館がオープンした。

 懐かしき白亜の国際貿易センタービルの隣である。一九七五年の一月二十六日、「世界平和会議」を行い、SGIが発足した舞台だ。

 あの日あの時、五十一カ国・地域から駆けつけた誉れの先駆者たちを、私と一緒に迎え、陰で支えてくれたグアム、そしてアメリカの忘れ得ぬ同志の顔が一人ひとり、鮮やかに蘇る。

 当時、仏法の平和と人道の哲理を、いよいよ“地球民族”へ展開するに当たり、私は心に期していた。

 ――これまで以上に、最も小さな単位である、一対一の「人間」と「人間」の交流を大切にするのだ。最も身近な使命の国土である足元の「地域」から、友情と貢献の輪を広げよう、と。

 真冬の全米を横断する長旅で、私は喉を痛めていたが、各国の代表や、地元の方々にも、妻と心を込めて激励させていただいた。

 会議で決然と開会宣言をしてくれた壮年には――

 

 天高く

  海青き国

    常光乃

  広布に指揮とる

   君に幸あれ

 

 裏方の役員を凜々しく務めてくれた女子部には――

 

 美しき

  心と花の

   乙女らに

  われは贈らむ

   幸のレイをば

 ――と詠み認めた。

 かつて戦火に苦しみ抜いたグアムを起点と選び、私たちは、目の前の一人の心に励ましの縁を結び、一人の命に、「妙法という平和の種」を蒔いていった。

 今回の記念行事に象徴されるごとく、愛するグアム・サイパン等にも、若き地涌の人華が舞い、福徳と信頼の花園が咲き広がる姿は、何より嬉しい実証である。

 顧みれば、日蓮大聖人が、「仏法西還」「一閻浮提広宣流布」という“未来記”を記された地は、流罪された佐渡島であった。世の人びとが蒙古襲来や内乱、飢饉や疫病などに怯え、御自身も「万が一も脱れ難き身命なり」(顕仏未来記、新611・全509)という中で、全民衆の救済へ、荒海の離島から、世界を照らす「太陽の仏法」の大光を赫々と放たれたのである。

 この方軌を踏まえ、私たちは、沖縄、ハワイ、香港等の島々から、広布と平和の航路を開いてきた。

 わがグアム家族、そして健気なる「勝利島」の全宝友の安穏繁栄と栄光凱歌を、私は日々祈っている。

 

創価学会の使命

 SGIが誕生した一九七五年は、広島・長崎への原爆投下、また第二次世界大戦の終結から三十年の節であった。厳しい東西冷戦下、世界は力と利害の論理に翻弄され、分断と対立を深めていた渦中である。

 人類の危機の克服のため、仏法の智慧をいよいよ発揮して、平和・文化・教育の新たな価値創造を、と飛翔したのだ。

 大聖人は、信仰の有無にかかわらず、現実に「民のなげ(歎)き」を止め、「民をたす(助)けし」智慧は、仏法の智慧に通ずると示され、「智者とは、世間の法より外に仏法を行わず。世間の治世の法を能く能く心え(得)て候を、智者とは申すなり」(新1968・全1466)と仰せである。

 それは、「妙法流布」という宗教的使命と同時に、「世界平和」という人間的使命、社会的使命を担い立つ挑戦である。そのためにSGIは、民衆の自立した組織として、仏法の中道主義、人間主義を基調に、国家や体制、イデオロギー、宗教の壁も超え、世界市民の連帯の橋を幾重にも架けていくのである。

 グアムの後、私が中国へ、欧州へ、ソ連へ、アメリカへと懸命に動き、指導者や識者との対話を続けたのも、時を逃さず、平和の種を蒔きたかったからだ。

 この年、一つの集大成となったのが、十一月の広島訪問である。原爆慰霊碑に献花するとともに、本部総会で核廃絶への不退の前進を誓い合ったのである。

 その際、私は核保有国が「核兵器の先制不使用」を宣言すること、核廃絶への国際平和会議を広島で開催すること等を提唱した。

 今年の年初、発表した「緊急提言」で、ウクライナ危機の早期終結とともに、喫緊の課題とした一つも、「核兵器の先制不使用」の確立である。

 実は、発表の日(一月十一日)は、七十八年前、徴兵され戦地にて二十九歳で死去した長兄の祥月命日とも重なった。生前、戦争は美談などではないと語っていた敬愛する長兄である。

 戦争ほど残酷で悲惨なものはない。青年や子どもを魔性の犠牲にし、母たちを慟哭させてはならない。私たちは命の限り、そう叫ばずにはいられないのだ。

 

被爆の母の誓い

 広島で原爆の被害を受けた関西在住のご婦人から、その半生を伺ったことが、痛切に思い起こされる。

 ――十六歳の時、被爆。奇跡的に無傷で助かったが、“黒い雨”に濡れたトマトを母と二人で食べ、やがて激しい痛みと苦しみに襲われた。原爆から二年後、母は亡くなった……。

 一言一言、絞り出される言葉に、私は耳を傾けた。

 戦後長らく、辛い体験を語ることは出来なかったという。しかし、戸田先生の生命を賭した「原水爆禁止宣言」を知り、自分も証言していこうと決めた。

 そして、自分と同じような思いを、二度と、未来に生きる人びとに味わわせてはならない。「原爆は人間の死に方ができんわけです。悪魔の兵器です」と語り続けてこられたのだ。

 学会の平和運動は、一人ひとりの人生に根差した、生命尊厳の信念からの祈りと行動に支えられている。

 「ベトナム戦争の即時停戦」「沖縄の即時返還」そして「日中国交正常化」などの折々の私の提言も、牧口・戸田両先生と「師弟不二」にして、全同志と「異体同心」の師子吼にほかならない。

 

未来を開く提言

 1・26「SGIの日」に合わせ、私が平和提言の発表を開始したのは、一九八三年のことである。

 当時、米ソ両大国は核開発競争に狂奔し、「平和か緊張激化かの重大な分岐点」と不安が高まっていた。この危機に応戦する覚悟で、「平和と軍縮への新たな提言」を発表したのだ。

 その際、「絶望や諦めからは未来への展望は開けない」と記し、一石を投じる思いで「米ソ首脳会談」の早期実現を提案した。二年後(八五年)に、ゴルバチョフ氏がソ連書記長に就任し、レーガン米大統領との首脳会談が実現した。直接の対話を契機に事態が動き始め、米ソの中距離核戦力(INF)全廃条約の締結などへつながっていったのは感慨深い。

 「対話」は、「しばしば談話を致さん」(新25・全17)という「立正安国論」を体し、創価三代の師弟が一貫して訴え、実践し抜いてきた道である。

 同じ「人間」、なかんずく生老病死の苦悩を共に見つめ、「生命」という次元に立って語り合えば、分かり合えぬことは絶対にない。

 思えば、私が沖縄研修道場を訪れ、そこに残されたままだった米軍の中距離弾道ミサイル「メースB」の発射台をあえて撤去せず、「平和の発信基地に」と提案したのも、八三年の提言発表の二カ月後であった。

 先日、研修道場を訪問された米デューイ協会のガリソン元会長も「まさに仏法の『変毒為薬』の証しですね」と感嘆し、「創価学会は泥の中から蓮の花が咲くように、暗闇の時代を希望の光で灯しています」と讃えてくださった。

 

対話で種を蒔く

 私が世界に発信し続けた提言は、「1・26」に寄せたものだけでも四十回を重ねた。「持続可能な開発のための教育の十年」「世界市民憲章」「子ども兵士の禁止」「貧困撲滅のための世界連帯基金」等、幾多の提案の中には、国連などでさまざまな形で具体化したものも少なくない。

 ことに恩師の悲願の実現への大きなステップとなるのが「核兵器禁止条約」である。世界の宝友が、私と同じ心で、平和の精神の波を地域へ社会へ広げてくださっていることは、感謝に堪えない。

 ともあれ、人類はいかなる困難に直面したとしても、苦難を乗り越える力を具えている。トインビー博士が「挑戦と応戦」の歴史観で示された通り、価値創造の智慧は無窮である。

 不屈、勇気、友愛、団結、英知、忍耐等々、民衆の底力を信頼し、呼びかけ、引き出し、結集していくのが、「立正安国」の対話だ。

 御聖訓に、「しかれども、いまだこ(懲)りず候。法華経は種のごとく、仏はうえて(植手)のごとく、衆生は田のごとくなり」(新1435・全1056)と仰せである。

 我らが勇敢に、誠実に、辛抱強く祈り語った声が、希望の種となる。種は無限に花を咲かせ、実を広げ、平和世界の沃野となろう。

 澎湃と続くSGIの地涌の同志と共に、自ら誓い願った大地で、今日も明日も、「いまだこりず」と、誇り高く、妙法の平和の種を蒔いていこうではないか!

 

2023年1月26日〈随筆「人間革命」光あれ 池田大作〉 

 


2023年1月23日

わが創価学会は、何の力で勝ってきたか。

勇気の力

忍耐の力

団結の力

 

 

立正安国の道を貫く三代の師弟

 御聖訓

 たゆむ心があってはならない

 

山岡荘八の小説「高杉晋作」から

 元気を出せ!

 つまずいても落胆するな

 

  

 池田先生のスピーチを収録した新番組「電光石火の行動で勝利へ前進!」が、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)に追加された。内容は、2007年3月に行われた新時代第5回本部幹部会でのスピーチである。「青年・凱歌の年」のスタートを勢いよく切り、新たな広布の峰へ勇躍して進む友への指針として、その要旨を掲載する。※VOD番組の時間は10分、番組コード=AB16。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴可能。モバイルSTBで視聴する際は、インターネットを通してダウンロードが必要です。「SOKAnet会員サポート」では、VODの同番組は視聴できません。

 

 きょうは、よく晴れた。

 きょうの晴天は、完勝の5月3日への、希望の瑞相であると申し上げたい。

 わが創価学会は、何の力で勝ってきたか。

 「勇気」である。

 そして「忍耐」である。

 「団結」である。

 この三つで学会は勝ってきた。

 これを忘れてはならない。

 

 勇気。忍耐。そして互いが仲良く団結して、守り合っていくことだ。

 日蓮大聖人は「異体同心」と仰せである。信心を根本とした団結こそ、御書に仰せのとおりの姿なのである。

 今、学会は日本をはじめ全世界に、広宣流布の「創価の旗」を、にぎやかに振り始めている。

 これほど発展するとは、だれも、わからなかった。

 本当にすばらしく、尊いことだ。荘厳なことである。

 創価学会は、皆さま方の正しき信心、大いなる勇気、そして誠実と努力によって、この時代に大勝利の歴史を刻むことができた。われらは、栄光の5月3日を目指して、威風も堂々と進みたい。

 この佳き日を、勝利、勝利の万歳を皆で朗らかに叫んで迎えましょう!

 ともあれ私は、皆さま方のご健康とご多幸を真剣に祈っている。自分だけの願いではない。皆のことを心から祈っていくのがリーダーだ。その決心を貫き通していかねばならない。

 とくに、会合の会場を提供してくださっている方々を最大に大切にし、そのご恩に対して、厚く御礼を申し上げていただきたい。

 その心がある限り、学会は発展する。

 

スピードで勝て

 文永11年(1274年)の3月8日――。佐渡流罪中の日蓮大聖人のもとに、幕府からの赦免状が届いた。生きては帰れないと言われた、2年半に及ぶ佐渡流罪を、大聖人は厳然と勝ち越えて、鎌倉に戻られたのである。

 赦免状が届いた後、大聖人は、3月13日には佐渡の一谷を出発され、26日には鎌倉に到着された。

 そして4月8日には、幕府の権力者・平左衛門尉に対面され、峻厳に諫暁なされた。赦免状が届いてから、1カ月後のことだった。

 

 大事なのは、行動である。スピードである。

 大聖人は、電光石火で行動を起こされた。学会も、電光石火だから勝った。スピードがあったから勝った。

 師匠である戸田先生の指導を、私は弟子として、そのとおりに実行した。

 だからこそ先生は、「大作を見ろ。ここに真実の学会がある。私の精神がある」とまで言ってくださった。

 大聖人は後に、平左衛門尉に諫暁した御心境を、こう記しておられる。

 「国を助けたいために申すことを、これほどまでに怨まれるのであるから、佐渡流罪が許された時、佐渡の国からどのような山中・海辺にもまぎれて入るべきであったが、このことを今一度、平左衛門尉に言い聞かせて、蒙古が日本国に攻めてきた時、幸いにも生き残る衆生を助けようと鎌倉に上ったのである」(全1461・新1958、通解)

 

 大聖人は、ただただ民衆の幸福のため、権力の魔性に、真っ向から立ち向かわれた。

 この、御本仏の大精神を忘れてはならない。

 これが、「正義の声」であり、「真実の勇気」であり、「正しい人生」である。私たちも、これで行こう!

 

 私は、すべてを、この御聖訓の心のとおりにやってきた。

 大聖人の歩まれた大道に、まっすぐに連なり、立正安国を進めているのが、創価の三代の師弟である。そして、誉れの皆さま方である。

 平左衛門尉との対面を終えられた後、大聖人は、池上兄弟に仰せになられた。

 「強盛に歯を食いしばって、たゆむ心があってはならない。たとえば、日蓮が平左衛門尉のところで、堂々と振る舞い、正義を言い切ったように、少しも恐れる心があってはならない」(全1084・新1475、通解)

 この御文のままに生きぬくことが、大聖人に正しく直結する究極の信心であり、学会精神であると訴えたいのだ。

 

真の勇者とは

 ここで、東西の英知の言葉を贈りたい。

 古代ギリシャの大詩人ホメロスは、傑作『イリアス』に綴っている。

 「アカイアの勇士たち、そこで、敵が攻めてくるのを待っていてはいかん。ひとりひとり、相手をさだめて向かって行くんだ」(『完訳 イリアス』小野塚友吉訳、風濤社)

 われらの言論戦も、その根本は折伏精神である。戦いは、受け身になっては、絶対、勝てない。最後まで攻めぬいたほうが勝ちである。

 日蓮大聖人は「かしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」(全502・新600)と記しておられる。

 攻めて攻めぬけ!――大聖人の教えどおり、また戸田先生の指導どおり戦ったから、学会は勝った。これを忘れてはならない。

 さらに、ホメロスの名作『イリアス』から。ある人物が勇者に向かって言う。

 「おぬしは剛勇の武将、敵に向かっては一歩も退かず、怯んだ仲間を見れば、必ず声をかけて勇気づける。ぜひ、これからも逢う者には声をかけてやってもらいたい」(前掲『完訳 イリアス』)

 青年部の諸君も、正義のためには、先頭に立って、「邪悪な敵」と戦いぬいていく人であってもらいたい。

 そして、誠実に行動する同志には、どんなときも、「励ましの声」を贈り続ける真実の勇者に育っていただきたいのである。

 

なすべきこと

 話題は変わるが、私が20代のころ、親しくお会いした作家に、長編小説『徳川家康』で有名な山岡荘八氏がいる。後に、山岡氏は、この縁を大切にされ、小説『高杉晋作』を「聖教新聞」に2年4カ月にわたり連載してくださったのである。(=『山岡荘八歴史文庫 高杉晋作』〈講談社〉に収められている。以下、同書から引用)

 この小説のなかで、晋作は言う。

 「元気を出せ!」

 「躓いたからといって落胆せぬこと。ただちに次の策を立てて進むばかりだ」

 広宣流布の戦いにあっても、たとえ何があろうと、落胆する必要などない。動いた分だけ、祈った分だけ、福運は積まれているのである。

 大事なのは次だ。前へ進むことだ――これを合言葉としていきたい。

 また、幕末の思想家・佐久間象山と晋作の対話のなかで、象山が次のように言う場面がある。

 「何もせぬものには何もできぬ

 これが結論である。

 私たちは、広宣流布の勝利のために、きょうも「なすべきこと」を厳然となしていこう!

 そのたゆみなき積み重ねによってのみ、「勝利」の扉は開かれるのであり、これほど尊い生き方はないのである。

 こう強く申し上げて、私のスピーチを終わります。

 ありがとう!

 

2023年1月23日VOD新番組に収録された池田先生の指針

2007年3月に行われた新時代第5回本部幹部会から)


2023年1月11日

「平和の回復へ歴史創造力の結集を」

 ウクライナ危機と核問題に関する緊急提言

 

国連による関係国会合を開催し

 停戦合意の早期実現を!

 

 ウクライナを巡る危機の早期終結と核兵器の使用を防止するための措置を求めて、SGI(創価学会インタナショナル)会長である池田大作先生が、「平和の回復へ歴史創造力の結集を」と題する緊急提言を発表した。これまでの40回にわたる「SGIの日」記念提言を通して論じてきた、核兵器にひそむ根源的な問題について改めて掘り下げながら、人類の未来を開く核軍縮を進めるための行動の連帯を呼びかける内容となっている。

 提言では、危機が長期化する中で、多くの人々の命が脅かされる状況が続くとともに、食料やエネルギーの供給不足で世界中に深刻な打撃が広がっている事態に言及。国連の仲介でロシアとウクライナをはじめとする関係国の会合を開催し、停戦合意を実現させるよう提唱している。また、昨年8月のNPT(核兵器不拡散条約)再検討会議で焦点となった「核兵器の先制不使用」に関し、核保有国がその原則を共に確立することが急務であると強調。現在の危機が露わにした核抑止の危険性を真摯に踏まえて、「核兵器のない世界」への時代転換を図ることを訴えている。

 

世界全体に広がる深刻な打撃と混乱

 昨年2月に発生したウクライナを巡る危機が、止むことなく続いています。

 戦火の拡大で人口密集地やインフラ施設での被害も広がる中、子どもや女性を含む大勢の市民の生命が絶えず脅かされている状況に胸が痛んでなりません。

 避難生活を余儀なくされた人々も国内で約590万人に及んでおり、ヨーロッパの国々に逃れざるを得なかった人々は790万人以上にも達しました。

 “戦争ほど残酷で悲惨なものはない”というのが、二度にわたる世界大戦が引き起こした惨禍を目の当たりにした「20世紀の歴史の教訓」だったはずです。

 私も10代の頃、第2次世界大戦中に空襲に遭いました。火の海から逃げ惑う中で家族と離れ離れになり、翌日まで皆の安否がわからなかった時の記憶は、今も鮮烈です。

 また、徴兵されて目にした自国の行為に胸を痛めていた私の長兄が、戦地で命を落としたとの知らせが届いた時、背中を震わせながら泣いていた母の姿を一生忘れることができません。

 翻って現在のウクライナ危機によって、どれだけの人が命を失い、生活を破壊され、自分や家族の人生を一変させられたのか――。

 国連でも事態の打開を目指して、「平和のための結集」決議に基づく総会の緊急特別会期が40年ぶりに安全保障理事会の要請を受ける形で開かれたのに続き、グテーレス事務総長がロシアとウクライナをはじめとする関係国の首脳との対話を重ねながら、調停にあたってきました。

 

 しかし危機は長期化し、ヨーロッパ全体に緊張を広げているだけでなく、その影響で食料の供給不足やエネルギー価格の高騰、金融市場の混乱が引き起こされ、多くの国々に深刻な打撃を及ぼしています。

 

 すでに今回の危機以前から、気候変動に伴う異常気象の頻発や、新型コロナウイルス感染症のパンデミックによる被害に見舞われてきた世界の多くの人々を、さらに窮地に追い込む状況が生じているのです。

 

 戦闘の激化に加え、冬の厳しさが増す中で電力不足の生活を強いられているウクライナの人々はもとより、そうした世界の人々の窮状を食い止めるために、現在の状況を何としても打開する必要があります。

 

 そこで私は、国連が今一度、仲介する形で、ロシアとウクライナをはじめ主要な関係国による外務大臣会合を早急に開催し、停戦の合意を図ることを強く呼びかけたい。その上で、関係国を交えた首脳会合を行い、平和の回復に向けた本格的な協議を進めるべきではないでしょうか。

 

 本年は、国際連盟の総会で「戦時における空襲からの一般住民の保護」に関する決議が行われてから85年、また、人間の尊厳が再び蹂躙されることのない時代の建設を誓い合った「世界人権宣言」が国連で採択されてから75年の節目にあたります。

 国際人道法と国際人権法を貫く“生命と尊厳を守り抜くことの重要性”を踏まえて、現在の危機を一日も早く終結させるべきであると訴えたいのです。

 

キューバ危機が物語る歴史の教訓

 ウクライナ危機の終結とともに、私が力説したいのは、現在の危機だけでなく今後の紛争も含める形で、「核兵器による威嚇と使用を防止するための措置」を講じることが、焦眉の課題となっていることです。

 危機が長期化する中で、核兵器の使用を巡って言葉による牽制がエスカレートしており、核兵器に関するリスクは冷戦後の世界で最も高まっています。

 核戦争を招くような事態はどの国も望んでいないとしても、警戒態勢が続く今、情報の誤認や偶発的な事故、サイバー攻撃による混乱などが引き金となって“意図せざる核使用”を招く恐れは、通常よりも格段に大きくなっているのではないでしょうか。

 昨年10月には、核戦争の寸前まで迫ったキューバ危機から60年となる時節を迎えていたにもかかわらず、ロシアとNATO(北大西洋条約機構)の双方が、核戦力部隊の演習を相次いで実施しました。

 緊張の高まりを前にして、国連のグテーレス事務総長は、「核兵器がもたらすのは安全の保障ではなく、大量殺戮と混迷だけである」との警鐘を鳴らしましたが、その認識を“21世紀の世界の共通基盤”とすることが、今まさに求められているのです。

 私も、核兵器を「国家の安全保障」の観点から捉えるだけでは、深刻な問題を見過ごすことになりかねないと訴えてきました。1983年から40回にわたって重ねてきた提言を通して、「核兵器の非人道性」を議論の中軸に据えることの重要性とともに、一人一人の人間が生きてきた証しや社会と文明の営みが一瞬で無にされる「核攻撃の不条理性」にも、目を向けねばならないと論じてきました。

 それらの点に加えて、今回、特に強調したいのは、核使用を巡る緊張がエスカレートした時、その切迫性の重力に縛り付けられて、人間が持つ“紛争の悪化を食い止める力”が奪われてしまいかねないという、「核の脅威に内在する負の重力」の問題です

 

 キューバ危機の際に、ソ連のフルシチョフ書記長が「結び目が固く縛られるあまり、それを結びつけた人間でさえそれを解く力がなく、そうなると、その結び目を切断することが必要になるような瞬間が来かねない」と述べ、アメリカのケネディ大統領も「われわれが核兵器をもっているかぎり、この世界は本当に管理することができないんだ」と語らざるを得なかったように、その状況は核保有国の指導者でさえ思うように制御できないものです。

 まして、核ミサイルの発射を検討する段階に至った時には、破滅的な大惨事を阻止するために、紛争当事国の民衆を含めて世界の民衆の意思を介在させる余地は、制度的にも時間的にも残されていないのです。

 核兵器による抑止政策で、自国を取り巻く情勢をコントロールしようとしても、ひとたび一触即発の事態に陥った時には、自国の国民を含めて世界中の人々を否応なく危機に縛り付けてしまう――。それが、冷戦時代から変わることのない核時代の実相であることに、核保有国と核依存国は今一度、厳しく向き合うべきではないでしょうか。

 

原水爆禁止宣言を胸に連帯を拡大 

 思い返せば、私の師である創価学会の戸田城聖第2代会長が「原水爆禁止宣言」を発表したのは1957年9月、核軍拡競争が激化する中でICBM(大陸間弾道ミサイル)の発射実験が成功し、地球上のどの場所にも核攻撃ができる状況が現実となった時でした。

 当時広がっていた核実験禁止運動の意義を踏まえつつも、問題の解決には核の使用を正当化する思想の根を断ち切る以外にないとして、戸田会長が「その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたい」と訴えたのは、“破滅的な大惨事によって世界の民衆を犠牲にすることも辞さない論理”への憤りに根ざしたものだったと思えてなりません。

 宣言の焦点は、大勢の民衆の生殺与奪の権を握る政治的立場にある人々に対し、徹底した自制を求める点にあったからです。

 そしてまた、宣言の眼目が、核の脅威を前に人々が“自分が行動したところで世界は変わらない”と諦めてしまう状況を食い止め、民衆の手で核兵器を禁止する道を開くことを強く促す点にあったからです。

 戸田会長がこの宣言を“遺訓の第一”と位置づけたことを、私は「人類のために留め置かれた楔」として受け止めました。

 この遺訓を果たすために、私は各国の指導者や識者との対談で核問題の解決の重要性を訴え続ける一方で、SGIの取り組みとして、核時代からの脱却を呼びかける展示を継続的に開催してきたほか、意識啓発のための教育活動を世界各地で行ってきました。

 その上で、「原水爆禁止宣言」発表50周年を迎えた2007年からは「核兵器廃絶への民衆行動の10年」をスタートさせて、同時期に世界的な活動を立ち上げていたICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)などと連帯しながら、核兵器を禁止するための条約の実現を目指してきたのです。

 

再検討会議での議論を出発点に

 そうした中で、“どの国にも核兵器による惨劇を起こしてはならない”との、広島と長崎の被爆者をはじめとする市民社会の思いが結晶化した核兵器禁止条約が2017年に採択され、2021年に発効したことは、私どもにとっても遺訓の実現に向けての大きな前進となりました。

 威嚇や使用だけでなく、開発や保有も全面的に禁止する条約に対し、核保有国が前向きな姿勢に転じることは容易でないとしても、核兵器による惨劇の防止の重要性については認識が一致しているはずです。

 ウクライナ危機の終結に向けた緊張緩和はもとより、核使用が懸念される事態を今後も招かないために、核保有国の側から核兵器のリスクを低減させる行動を起こすことが急務であると思えてなりません。

 私が昨年7月、NPT(核兵器不拡散条約)再検討会議への緊急提案を行い、「核兵器の先制不使用」の原則について核兵器国の5カ国が速やかに明確な誓約をすることを呼びかけたのも、その問題意識に基づいたものでした。

 8月に行われた再検討会議では、残念ながら最終文書の採択に至りませんでしたが、NPT第6条が定める核軍縮義務は決して消えたわけではありません。

 最終文書の案に途中まで盛り込まれていたように、「先制不使用」をはじめ、非核兵器国に核兵器を使用しないという「消極的安全保障」など、核リスクの低減を進める点については、大半の締約国が支持していたはずです。

 再検討会議での議論を出発点にして、77年間にわたってかろうじて続いてきた「核兵器の不使用」の状態を今後も守り抜き、核廃絶に向けた軍縮を何としても進める必要があります。

 その足場となるものは、すでに存在します。

 アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の首脳が、「核戦争に勝者はなく、決して戦ってはならない」との精神を確認し合っていた、昨年1月の共同声明です。再検討会議でも、多くの国が共同声明に則った自制を求めただけでなく、五つの核兵器国も共同声明に触れながら、核を保有する国としての責任について言及していました。

 核使用の自制に関する核保有国の責任を、“一つの円”の形に譬えれば、核攻撃を互いに行う核戦争を防止するための共同声明は、その“半円”にあたるものと言えましょう。

 しかしそれだけでは、核兵器の使用の恐れはいつまでも拭えないままとなってしまう。この残された難題を解消するために欠かせないのが、「核兵器の先制不使用」の誓約です。

 私どもSGIは再検討会議の期間中に、他のNGO(非政府組織)などと協力して、先制不使用の誓約の緊要性を訴える関連行事を国連で行いましたが、その誓約を“残りの半円”として昨年1月の共同声明に連結させることができれば、世界を覆い続けてきた核の脅威を凍結へと導くための礎となり、核軍縮を前進させる道を開くことができるのではないでしょうか。

 また私が創立した戸田記念国際平和研究所でも、その時代変革を後押しするための会議を、昨年11月にネパールで開催しました。

 これまで先制不使用の方針を示してきた中国とインドに加えて、パキスタンの3カ国がその原則を南アジア地域で確立することの重要性とともに、すべての核保有国が同じ方針に踏み出せるように議論を活性化することが必要であるとの点で一致をみたのです。

 

核抑止政策の根源的な危うさ

 パグウォッシュ会議の会長を務めたジョセフ・ロートブラット博士も、かつて私との対談集で先制不使用の合意に関し、「核の全廃に向けたステップのなかで最も重要なもの」と述べ、その条約化を提唱していたことを思い起こします。

 また博士は、核抑止政策の根源的な危うさについて「互いの恐怖心のうえに成り立っている」と深く憂慮していましたが、2005年の対談当時から歳月を経た今も基本的な構造は変わっておらず、そこからの脱却が人類にとって不可欠であることが、今回の危機で改めて浮き彫りになったのではないでしょうか。

 「核兵器の先制不使用」の誓約は、現状の核保有数を当面維持したままでも踏み出すことのできる政策であり、世界に現存する約1万3000発の核兵器の脅威が、すぐに消え去るわけではありません。しかし、核保有国の間で誓約が確立すれば、「互いの恐怖心」を取り除く突破口にすることができる。そしてそれは、“核抑止を前提とした核兵器の絶えざる増強”ではなく、“惨劇を防止するための核軍縮”へと、世界全体の方向性を変える転轍機となり得るものであると強調したいのです。

 思えば、冷戦時代の国際情勢も、出口の見えないトンネルの連続であり、世界を震撼させる事態が相次ぎました。それでも人類は、打開策を見いだしながら、厳しい局面を乗り越えてきたのです。

 私がその一例として言及したいのは、キューバ危機に対する反省などに基づいて1968年に成立したNPTを受け、アメリカとソ連が取り組んだ「戦略兵器制限交渉」です。

 NPTの署名式が行われた日に開始の意向が表明され、第6条の核軍縮義務を踏まえて両国が核軍拡競争に初めて歯止めをかけようとした取り組みには、「SALT」という名称が付けられました。英語で“塩”を意味する言葉にも通じますが、国家の専権事項として進めてきた核政策に自ら制限を加えることは、双方にとって容易ならざる決断だったと言えましょう。

 しかしそれは、両国の国民だけでなく、人類全体にとっての“生存の糧”として重要で欠くことのできない決断でもあったに違いない――。そうした背景が、「SALT」の文字から感じられてならないのです。

 核戦争の寸前まで迫った危機を目の当たりにしたからこそ、当時の人々が示したような歴史創造力を、今再び、世界中の国々が協力し合って発揮することが急務となっています。

 NPTの誕生時に息づいていた精神と条約の目的意識は、核兵器禁止条約の理念と通じ合うものであり、二つの条約に基づく取り組みを連携させて相乗効果を生み出しながら、「核兵器のない世界」を実現させていくことを、私は強く呼びかけたいのです。

 

 〈引用文献〉 フルシチョフの言葉は、マーティン・J・シャーウィン著『キューバ・ミサイル危機』上巻(三浦元博訳、白水社)、ケネディの言葉は同書の下巻から引用。戸田第2代会長の言葉は、『戸田城聖全集』第4巻。ロートブラット博士の言葉は、『地球平和への探究』(『池田大作全集』第116巻所収)。

 


2023年1月8日

世界の宝友と

 正義と人道の師子吼を

 人間革命の讃歌を

 

佛に祈りて凱歌勝ちとれ

不二の青年よ

 平和創造の世界市民に

 

励ましこそ希望の推進力

 地区こそ平等と和楽の園

 

   

 一、はじめに、凜々しき新成人の皆さん、誠におめでとう!

 21世紀の平和創造の世界市民たる若人の前途を祝し、そして「青年・凱歌の年」のエールとして、1975年(昭和50年)、SGI(創価学会インタナショナル)発足の年の元旦に詠み留めておいた一首を、ここで紹介したい。

 

 立つならば

  佛に祈りて

    凱歌をば

  馬上ゆたかに

   君よ 勝ちとれ

 

   わが弟子に贈る

 

 決然と立ち上がった地涌の新成人をはじめ、愛する不二の青年たち一人一人に、凱歌の青春あれ! 凱歌の人生あれ!と、私は妻と月々日々に強く、また強く祈り抜いていきます。

 一、さて、今日、地球を大きく包みゆく創価の平和・文化・教育運動の原点は、「立正安国」の草の根の対話を本格的に展開した1955年(同30年)にさかのぼります。

 この年の元旦に、恩師・戸田城聖先生が詠まれた和歌が――

 

 妙法の

  広布の旅は

    遠けれど

  共に励まし

   共々に征かなむ

 

 であります。

 平和も文化も教育も、希望の推進力は「励まし」にほかなりません。

 年頭から、師匠が呼びかけられた「励まし」の熱と力を、若き私はいよいよ率先して、あの友にも、この友にも漲らせていきました。

 なかんずく私が支部長代理を務めていた文京支部では、最前線で苦楽を分かち合ってくれている、尊き共戦の地区部長と地区担当員(現在の地区女性部長)に光を当てました。

 地区こそが、「平等と和楽の園」にして「異体同心のオアシス」であり、そして「広布前進の電源地」であるからです。

 新春の会合に、仕事の都合で間に合わず、地区部長と地区担へ、激励のメッセージを書き送ったことも、懐かしく思い出されます。

 一、大聖人の御書に満ち溢れているものも、「励まし」であります。

 熱原の法難の渦中に認められた「聖人御難事」では、「い(言)いはげ(励)ましてお(堕)とすことなかれ」(新1620・全1190)――誰一人として不幸の悪道などに堕ちることのないように、よくよく励ましていきなさい――と仰せです。

 〈編集部注=近年の研究成果を踏まえ、御書新版の編さんに際して、全集の「をどす」が新版では「おとす」と改められた〉

 新たな一年、使命深き「地域の幸福責任者」たる地区部長、地区女性部長を、これまでにもまして皆で大切に支え、守り立てながら、孤立や不安に凍える社会へ、温かな笑顔光る創価の励ましを、内外の垣根なく桜梅桃李の人華のスクラムで広げていきたい。

 そして、我らの誓願の地域・国土を平和と安穏の陽光で照らす「民衆常勝の福運城」を勝ち栄えさせていこうではありませんか!

 「聖人御難事」には、「日蓮が一門は師子の吼うるなり」(同)と宣言なされています。

 大聖人とご一緒に、全世界の宝友と共々に、正義と人道の師子吼を勇気凜々と放ち、大宇宙の諸天を大いに揺り動かしながら、人間革命の讃歌を、そして生命尊厳の凱歌を轟かせゆくことを決意し合って、私のメッセージとします(大拍手)。

2023年1月8日本部幹部会への池田先生のメッセージ


2023年1月4日

 「平和」と「希望」の花の旅を

 

 

 新春の列島に勇気と感動を広げてくれた箱根駅伝。わが誉れの創大生をはじめ、全ての若人の力走と団結に心から大喝采を送りたい。本当にありがとう!

 * * 

 太陽を中心に、地球上の生きとし生けるものが新たな一年の旅を開始した。

 恩師・戸田城聖先生は、1955年(昭和30年)の元旦、一首を詠まれた。

 

 妙法の

   広布の旅は

      遠けれど 

  共に励まし

     共々に征かなむ

 

 今年、

 完成10周年を迎える広宣流布大誓堂の広場には、この歌碑が立つ。

 文字は、不二の弟子として私が認めた。

 無数の「人生の旅」の中で、創価の師弟が誓い選んだ「妙法の広布の旅」は、永遠にして宇宙大である。

 我らは一年一年、目標と定めた広布の勝利山の頂へ挑みながら、自身にも地域にも、無量無辺の「心の財」を積むのだ。そして、万年にわたる地球民族の幸福の大道を開きゆくのである。

 どんな障壁が立ちはだかろうとも、我らには最極の「励まし」の絆がある。険路にあればあるほど、励まし合って、一人一人が負けない生命力を発揮し、一切を変毒為薬する。これが、創価の奇跡の民衆連帯だ。

 分断や孤立を深める時代だからこそ、内外を問わず、温かな励ましという「万の力」の声を強め広げたい。そこに人間の善性が結ばれ、社会の蘇生があるからだ。「立正安国」の対話の熱と光が、今、渇望されている。

 戸田先生は、「共々に征かなむ」と、「征」の文字を大切にされた。征には、「攻める」という勇気の意義が込められている。

 御本仏・日蓮大聖人が、「権門をかっぱと破り、かしこへおしかけ、ここへおしよせ」(新600・全502)と示された、勇敢に打って出る折伏精神である。

 先生が歌を詠まれた1955年は、まさに「小樽問答」を勝ち飾り、さらに社会へ価値創造、地域貢献、民衆奉仕の人材群を送り出す、平和・文化・教育運動の原点となったのである。

 以来68星霜。この広布と立正安国の長征をつなぐ、若き地涌の旅人が、日本、そして世界にいよいよ陸続と躍り出てくれている。

 * * 

 年頭より、アフリカの各地でも、新入会の友が多数、誕生したと報告が届いた。

 全世界の宝友の健康と安穏と福徳を、私と妻は強盛に祈り抜く日々である。

 妻が1月4日の誕生花は、欧州で愛される「雛菊(デージー)」であり、花言葉は「平和」と「希望」ですよ、と教えてくれた。

 「元初の祈り」とともに、今日を勝ち、明日を開き、地球社会に「平和」と「希望」の花を咲かせゆく凱歌の旅へ、共に励まし、共々に征こうではないか!

 

2023年1月4日〈池田先生と共に 新たな広布の勝利山へ〉


2022年12月28日

君の胸に凱歌よ轟け

幸福と平和の城は民衆の大地に!

 

 先週から日本列島は強烈な寒波に覆われ、信越、東北をはじめ、北海道や北陸、中国、四国など各地で大雪が続いた。

 心よりお見舞い申し上げ、無事安穏を祈りたい。

 日蓮大聖人も佐渡や身延で厳しい冬を忍ばれた。

 最晩年の弘安四年(一二八一年)の年の瀬には、「とし(年)のさむ(寒)きこと、生まれて已来いまだおぼ(覚)え候わず。ゆき(雪)なんどのふ(降)りつ(積)もりて候ことおびただし」(新1978・全1486)と綴られている。そうした中で、信心の真心を尽くす窪尼御前を、「釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏にこの功徳はまか(任)せまいらせ候」(同)と讃えておられるのだ。

 辛労が続く中でも、「自他・彼此の心なく」(新1775・全1337)、共に祈り、温かく思いやって支え合う我ら創価の連帯は、御本仏の御照覧のもと、大宇宙の仏天の加護に厚く包まれゆくことを確信したい。

 

若き飛躍に喝采

 私たちの対話は、いかに凍えた生命にも、光と熱を送り、「冬は必ず春となる」(新1696・全1253)との希望を共に輝かせゆく触発といってよい。

 特に「青年・飛躍の年」の本年、創価の若人は全国での「SOKAユースフェスタ」で、最後の最後まで友情拡大へ挑戦の汗を流してくれた。

 「御義口伝」講義から六十周年に当たり、学生部をはじめ従藍而青の青年たちの求道に応えて、私も新たな講義を開始した。今再び、この師弟相伝の重書を共に学べる喜びは計り知れない。

 今月十一日には、音楽隊の創価ルネサンスバンガードが、第五十回「マーチングバンド全国大会」で、実に十七度目の日本一の栄冠に輝いた。バンガードには「先駆者」「先陣」の意義がある。まさに「青年・凱歌の年」への先駆けであった。

 同日、第五十回「バトントワーリング全国大会」では、鼓笛隊の創価中部ブリリアンス・オブ・ピースが美事な演技を披露してくれた。

 青年の勝利は、何と頼もしいことか。後継の飛躍の姿は、何と心躍るものか。

 この若き熱と力を見守り、エールを惜しまぬ父母たちへの感謝は尽きない。

 「四恩抄」には、「今生の父母は、我を生んで法華経を信ずる身となせり」(新1216・全937)と記され、その恩は、いかなる大王等の家に生まれるより重いと説かれている。

 さらに、結成七十周年の統監部、また教宣部儀典部をはじめ、「誠実」の二字に徹して広宣流布を支えてくれる男子部の創価班牙城会、壮年部の王城会、女性部の香城会会館守る会創価宝城会会場提供の方々、「無冠の友」、新聞長民音推進委員ら皆様の献身のおかげで、本年も全てに大勝利することができた。

 わが愛する宝友の大奮闘に、心から御礼申し上げたい。本当にありがとう!

 

苦悩から歓喜へ

 創立祝賀の本部幹部会では、創価グロリア吹奏楽団と関西吹奏楽団が、ベートーベンの交響曲第五番「運命」(第四楽章)の圧巻の演奏を披露してくれた。

 苦悩を突き抜けて歓喜へ――「運命」などの名曲は、私も若き日、手回しの蓄音機でレコードがすり減るほど聴いたものだ。

 当時、わが師・戸田城聖先生の事業は苦境に陥り、私自身も胸を病んでいた。だが、楽聖の力強い旋律に魂を震わせ、“この苦悩の冬を越え、必ず師弟凱歌の歓喜の春を開いてみせる!”と奮い立ったのである。

 ベートーベン自身、苦闘の連続だったことは有名である。しかし彼は、過酷な運命と戦う、自らの使命に誇りを持っていた。“自分は作曲できる。ほかに何もできることがなくとも”と。二百年前(一八二二年)の暮れに残した自負である。

 この頃から“歓喜の歌”を織り込んだ交響曲「第九」作曲への本格的な取り組みも始めている。生命を鼓舞してやまない人類への贈り物は、決して順風の中ではなく、むしろ逆風にさらされた苦闘から、そして不屈の志から生まれたのだ。

 人生は、山あり、谷あり。病気や仕事の苦悩、家庭や人間関係の葛藤、将来への不安など悩みは尽きない。だが、今の苦闘には深い意味があると確信していくことだ。強盛な信心の一念がある限り、「宿命」も必ず「使命」に転じられる。

 恩師は、同志に慈愛の眼を向けて呼びかけられた。

 「悩みのある人は、一年間、真剣に信心してごらん。来年の今日までに絶対に変わらないわけがない

 断じて、善く変わっていけるのが妙法の力である。いな、変えていくために私たちは信心しているのだ。

 この確信、そして確かな「人間革命」の凱歌の物語を、明年も共々に残していこうではないか!

 

“題目が勝ち鬨”

 師走の寒風を突いて、関東の栃木・群馬へ駆けたことがあった(一九七八年)。

 初日(二十六日)は、足利を訪問。正月が目前であり、新年の出発と地域の発展を祝おうと、有志で餅つきが行われた。

 私も杵を振るい、地元の婦人が“こねどり”をしてくださった。杵を臼の中の餅に振り下ろす。杵が上がった瞬間、すぐに餅をこね返す。また振り下ろす。

 そのリズミカルな動作を、「よいしょー、よいしょー」と皆の威勢のよい掛け声が包む。息もぴったりと、みるみる真っ白い餅がつき上がっていった。

 この時、“こねどり”をしてくれた母は、後年、あの「よいしょー」の声が「勝ち鬨」のようだったと回想されている。そして、日々、朗々と唱える題目自体が「勝ち鬨」ですと、笑顔皺を浮かべて語られていた。

 大聖人は「南無妙法蓮華経は師子吼のごとし」(新1633・全1124)、「日蓮が一門は師子の吼うるなり」(新1620・全1190)と仰せである。

 我らには、「師弟不二」「異体同心」という、何ものにも遮られない、最極の生命の呼吸がある。

 どんな困難があろうが、「よいしょー」と皆で力を合わせ、勇敢に戦い越えていくのだ。題目の師子吼を響かせ、痛快なる勝ち鬨をあげていくのだ。

 

足元を固め前進

 「激動の時代である。勝負の世紀である。自分の足元を固めた人が勝者となる。これが鉄則である」とは、恩師の将軍学である。

 乱世なればこそ、足元を大切にする。家庭や親族、地域、職場など、自分がいる場所で地道に信頼を結び、友情を広げていく。地味なようであっても、それが、自他共の幸福を築く最も確実な力となるからだ。

 顧みれば、戸田先生が、「一家和楽の信心」「各人が幸福をつかむ信心」「難を乗り越える信心」との指針を示されたのは、ご自身の願業たる「七十五万世帯の弘教」を達成した直後、六十五年前(一九五七年)の師走のことであった。

 自らの家庭を支え、自らが幸福をつかみ、自らが難を乗り越える――足元を固めてこそ、人生の凱歌も、広布の凱歌もある。幸福と平和の城は、この揺るがぬ民衆の大地に立つのだ。

 ある懇談の折、「家族が信心に反対なのですが……」と思い詰めた表情で質問する友に、私は申し上げた。

 「電灯のスイッチをひねるのは一人でいいんです。一人がひねれば、一緒にいる人たちの周りも明るくなる。家族の中で一人だけ信心しているというのも、同じなんだよ」と。

 「一は万が母」(新578・全498)だ。不退の信仰を貫く一人がいれば、その福徳の光は、必ず一家眷属を照らす。だからこそ、目の前の「一人」を最大に温かく励ましていくのだ。

 大聖人は、身延でも周辺の古老たちと「これほど寒い冬はないね」と語り合われるなど、人間味あふれる交流を重ねられた。身近な近隣、地域を大切にされる振る舞いを拝したい。

 私自身、学会本部のある信濃町で、自ら進んで近隣の方々に挨拶し、町内の商店に入るなどして、親交を深めてきた。立川文化会館や神奈川文化会館をはじめ各地の訪問先でも、近隣、地域へ、朗らかに挨拶して回ったことも懐かしい。

 

楽しく行こう!

 七十年前(一九五二年)の暮れ、前進の一年の総仕上げとなる総会で、戸田先生は「なぜ人間に生まれてきたのか」と問われ、こう断言された。「我々は、この世に遊びにきたのだ」と。

 寿量品自我偈の「衆生所遊楽(衆生の遊楽する所なり)」を、今の私たちの身の上に展開されたのである。

 「甘い汁粉には、砂糖と塩がなければなりません。塩の程度の苦労がなければ、真の幸せも感じられないのです

 たとえ今は、塩の加減の方が多くとも、やがて味わい深い思い出となるのだ。

 当時、私は日記に書いた。

 「職場も、革命も、組合も、時代も、政治も、教育界も、科学界も、すべて、青年を味方にせずして勝利はない。青年を味方にするか、敵にするかが、すべての戦の鍵である

 この決意のままに、翌年、男子部の第一部隊長に就任した私は、若き地涌の友と連帯を大拡大していった。

 いよいよ、「青年・凱歌の年」の幕が開ける。

 「凱歌」とは、戦い勝った祝い歌のことだ。その「凱」の字には、「勝ち鬨」「楽しむ」という意義がある。

 勝てば、心の底から喜びの歌声も湧き上がる。

 さあ、君の胸に、新たな栄光の凱歌を!

 我らは明るく楽しく、勇気の声、希望の声、英知の声を響かせていこうではないか!

 

2022年12月28日〈随筆「人間革命」光あれ 池田大作〉 


2022年12月6日

「基本」に徹し抜く陰の労苦に感謝

新たな時代を志向する広宣流布の頭脳たれ!

 

<統監部師弟原点の日

1978年(昭和53年)7月30日

 

 

 陰で広布を支える皆さんに、一言、御礼を申し上げたい――そういう思いで、きょうは出席させていただいた。広宣流布における統監部の使命について、きょうは語り残しておきたい。

 言うまでもなく創価学会は、仏意仏勅の、広宣流布を目的とした教団である。そのために、時に適った平和・文化・教育の運動を重層的に進めている。事実の上で広宣流布を進める教団は、過去にも、現在にも学会以外に存在しない。未来もまた、あり得ないであろう。

 日蓮大聖人の仏法は今、大きな蓮華の花が咲くように、学会によって満開に花開きつつある。新たな時代を志向して、いかなる障魔にも崩れぬ基盤を築いておきたい――そういう決意で、私は戦っている。

 そのためには、「基本」を完璧にすることである。

 広宣流布が事実の上で、実勢の上でどこまで進んだのか。それを曖昧に、大雑把にしないで、時に重箱の隅をつつくように見えても、厳密に、正確に把握する。この「基本」が絶対に必要である。

 かつて、いわゆる言論問題の嵐が吹き荒れた時、大実業家の松下幸之助氏は「創価学会は基本をたもっている。だから、立ち上がることができる」と喝破された。

 人生の荒波を越え、大偉業を成し遂げた人は、物事の本質を的確に見抜くものである。

 事実、戸田先生の時代以来、学会は、いかなる烈風にも、信心の基本と原理に立ち戻り、そのたびに立ち上がってきた。だからこそ、今日の発展がある。

 ◇ 

 広宣流布の活動にとっての基本。それが統監であり、それを担う皆さんはいわば、「広布の頭脳」ともいうべき方々である。

 統監という基本が盤石であればこそ、リーダーは、刻々と変わる状況を緻密に分析することも、的確に判断することもできる。

 複雑な組織体である人間の生命を扱う医療においても、正確な検査の数値に基づいて、「神経痛を患っている」「少し心臓が弱っている」「○○の栄養素が足りないから、補う必要がある」などと判断し、速やかに対処していく。

 生きた運動体であり生命体である創価学会も同じであろう。

 ここには、これだけの同志がいる。あの地はこれだけ増えた、あるいは減った――皆さんが苦労し、この基本の作業を積み重ねているからこそ、広布の運動は生き生きと未来に脈動していく。

 家庭においても、今月は1万円足りないとなれば、浪費を抑えようと、賢くやりくりしなければいけない。それが、道理であり、現実の「信心即生活」の戦いであろう。

 いわんや、広宣流布の活動においては、組織の実態が、一目瞭然に分かっていなければいけない。

 その基本があるから学会は強い。潔癖なまでに基本に徹する精神が、今日までの学会を支えてきた。幾多の暴風雨にも微動だにせず、前進することができたのである。

 その意味で、統監部の皆さんは広宣流布の目であり、耳であり、頭脳である。正義の和合僧という生命体の医師である。随縁真如の智を働かせ、創価学会を守ってくださる存在である。

 皆さんの取り組みは、目に見えない、最も地道なものであるが、その労苦に光る功徳はあまりにも大きい。

 広宣流布の戦いは、永遠に仏と魔との闘争である。“一人として広布の陣列から離れる人を出さない”と、深く祈り抜いていただきたい。

 大勢の同志を守り、厳然と広布の城を守り抜くために、よろしくお願いいたします。

2022年12月6日統監部に贈る池田先生の指針

 〈1978年(昭和53年)7月30日、地涌会館(創価文化会館内)でのスピーチから〉


2022年11月28日

賢者を育む創価教育

わが地域から世界市民の英知の連帯を

 

 命には、命を生み、養い、成就させ、勝ち栄えさせゆく「生養成栄」という本然の“教育力”がある。

 御本仏・日蓮大聖人は、森羅万象に脈打つ、この慈悲の力用へ、深く温かな眼差しを注いでおられた。

 「総勘文抄」には、「秋になって月光の縁にあえば、草木は皆ことごとく実が熟して、一切の有情を養育し、その寿命を延ばして長く養い、ついに成仏の徳用を顕す」(新729・全574、通解)と仰せである。

 「無心の草木」ですら、そうである。いわんや人間は「善知識の縁」を大切にして自他共に仏性を顕していこうではないかと、呼び掛けておられるのだ。

 

金色のイチョウ

 晩秋を迎え、東京・信濃町の総本部から程近い外苑のイチョウも美しく色づき、金色に輝いている。

 私も、折々にそんな黄金の景色をカメラに収め、ゆかりの友に贈ってきた。

 イチョウは、日本から帰国したドイツ人の医師・ケンペルが紹介して、欧州に知れ渡った。生命の讃歌の詩人・ゲーテも、イチョウを庭に植えて詠っている。

 「東洋からはるばると わたしの庭にうつされたこのいちょうの葉は 賢い者のこころをよろこばせる ふかい意味をもっているようです」

 春に生き生きと芽吹き、夏には鮮やかな緑の葉が茂り、秋は目映い金色に光って実りをもたらし、次世代へ命をつなぐ。そして冬の深まりとともに、葉は自らの滋養を枝に留めつつ舞い散り、巡り来る春に蘇生の新芽が再び輝き出すのだ。

 “永遠の生命”を求めてやまなかったゲーテにとって、その春夏秋冬のドラマは賢者の心を照らす光彩となったに違いない。

 真の賢者とは、誰か――。それは、大宇宙を貫く普遍の「生命の法則」を真摯に追求する人であろう。

 生命の真理を説き明かした妙法を信受して、行学の実践に励む人は誰もが「世界第一の賢者」となる。

 今回、「教学部任用試験(仏法入門)」に挑戦された皆様は、この誇りに胸を張っていただきたい。

 任用試験でも学んだ御聖訓に、「夏と秋と、冬と春とのさかい(境)には、必ず相違することあり。凡夫の仏になる、またかくのごとし。必ず三障四魔と申す障りい(出)できたれば、賢者はよろこび愚者は退く、これなり」(新1488・全1091)と仰せである。

 我らは試練の時こそ人間革命の好機と、旧友とも新たな友とも朗らかに語らいながら、“賢者の並木道”を喜び勇んで闊歩するのだ。

 

若き生命よ幸福に

 学会は、一九三〇年(昭和五年)の十一月十八日、「創価教育学会」として産声を上げた。何より教育から出発したことは、我らの永遠の誉れといってよい。

 「全ての子どもたちが幸福な人生を歩めるように」――この牧口常三郎先生と戸田城聖先生の願いと信念が、「創価教育学」に凝縮されている。世界恐慌に揺れ動く渦中に、最も苦しむ子どもたちに光を当て、その幸福こそを一切の原点、最第一とされたのだ。

 激動の時代ゆえに、常に新鮮な知識を身に付ける努力は当然として、どんな困難にも怯まず乗り越えていく生命力と知恵を培うことが、ますます大切な幸福の要件となろう。ここに、創価教育の主眼もある。

 「現代人の大きな錯覚のひとつは、知識と知恵を混同していることだ」とは、戸田先生の卓見であった。

 知識や情報を「何のため」に、「誰のため」に使うのか。いかに生かして価値を創造していくのか。

 現代にあって、両先生の悲願を継承する創価の人材群の貢献は、教育はもとより地域社会で、ケアや福祉活動等々、いやまして多角的な広がりを見せている。

 苦しんでいる人、虐げられている人、社会に居場所を見出せない人へ手を差し伸べ、励まし守っていく。自分だけではなく、他者の幸せ、すなわち自他共の幸福に尽くしていく――こうした「共生の社会」「平和の地球」を築きゆく知恵を磨き上げている人こそが、「真の幸福博士」なのだ。

 アメリカの教育哲学者デューイも、「知識偏重の教育」ではなく、「知恵の開発」を重視した。

 その上で彼は、「宗教的なもの」の重要性を訴えた。それは、人をよき目的に向かわせ、理想と現実を結ぶ働きともいえる。時には、「行動を導き、感情に熱を与え、知性に光を加え」、さらに知識等を求める万般の営みに具わる価値を開花させ、創造するのだ。

 この点を、私もハーバード大学での二回目の講演の折に言及した。

 よき宗教も、よき教育も、人間を「より強く、より善く、より賢く」するためにある。だからこそ、「宗教のための人間」ではなくして「人間のための宗教」を、そして「社会のための教育」ではなくして「教育のための社会」を、私たちは志向していくのである。

 

従藍而青と光る

 私は、創価学園の創立記念日を、一九六七年(昭和四十二年)十一月十八日と定めた。以来五十五年となる。

 それは、私が欧州統合の父・クーデンホーフ=カレルギー伯爵と対談し、世界の良識との対話を本格的に始めた秋であった。この三年後、わが学園で、伯爵が記念講演をしてくださったことも懐かしい。

 本年が開校五十年目となる関西創価学園の誕生も、私がイギリスの大歴史学者トインビー博士と、二十一世紀を展望する対談を進めていた時である。

 “道は私が開く。諸君は思う存分、学べ! 徹底して学べ! そして世界の未来を、地球の平和を頼む!”――対話を重ねる私の胸には、創価の平和・文化・教育の後事を託す学園生たちの顔が浮かんでいた。

 創価の学舎は今、日本の東西創価学園、札幌の幼稚園、創価大学・創価女子短期大学、そしてアメリカ創価大学と、世界に広がった。香港、シンガポール、マレーシア、韓国に幼稚園、ブラジルには創価学園が光る。

 また“姉妹校”のインドの創価池田女子大学も多彩な人材を送り出されている。

 いよいよ明年には、マレーシアに中高一貫の創価インターナショナルスクールも開校される予定だ。

 「世界中の子どもたちの幸福」を願われた牧口先生と戸田先生の喜びは、いかばかりであろうか。

 牧口先生は、「従藍而青」の前進を、創価教育の特色とされていた。

 その意味で、『創価教育学体系』が発刊された十一月十八日を、創価学園が「英知の日」と定め、学園生が「藍より青く」成長の節を刻んでいることが頼もしい。今年も記念の行事が、東西の学園、札幌の幼稚園で朗らかに開催された。

 “英知を磨くは何のため”と常に問い続け、挑戦し続ける負けじ魂ありてこそ、創価教育の真価は、未来永劫に輝きを増すのだ。

 

日常生活の中で

 この創価教育の精神を、使命の現場で体現しているのが、教育本部の先生方だ。今秋、各地で伝統の実践報告大会が行われた。岡山での全国大会では、子どもの幸福に尽くす教育実践に、来賓の方々から賞讃の声が寄せられ、感謝に堪えない。

 先生方は地域でも、「家庭教育懇談会」を行い、未来部担当者の方々と一緒に、子育て世代に安心と共感を広げて、子と親が共に育つ“共育の知恵”を分かち合われている。地域と社会の“教育力”向上に貢献する、地道にして偉大な取り組みと、労い讃えたい。

 先月、創価大学で行われた第一回「世界市民教育シンポジウム」で、デューイ研究の大家ジム・ガリソン博士は語られた。

 「世界市民の育成は、日常生活の中で行われるべきです。私たちは、家庭や地域社会で善良な市民であることを学ぶことによって、善良な世界市民としての習慣を身に付けることができるのです」

 “よき市民たらん”との信念を胸に、日々の生活の中で地域へ社会へ飛び込んでいく創価の連帯にこそ、時代が求める「世界市民教育」の力が横溢している。その確信と自負を忘れまい。

 

普賢菩薩の実践

 来月には、若き世界市民たる男女学生部が全国大会を開催する。私も大成功を祈り見守っている。

 法華経の最終章で、釈尊が普賢菩薩に語った最後の一言は、「当起遠迎、当如敬仏(当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし)」であった。

 大聖人は「御義口伝」で、この経文を「最上第一の相伝」と明言された(新1086・全781)。法華経の生命尊厳・人間尊敬の精神を体し、民衆を侮蔑し軽賤する増上慢とは対峙し、妙法の実践者を厳護する――真に“普く賢い”英知の発露が、ここにあろう。

 大聖人は佐渡流罪の大難の中、悠然と仰せられた。

 「生涯、本より思い切り了わんぬ。今に翻反ること無く、その上また遺恨無し。諸の悪人はまた善知識なり」(新1292・全962)

 この御聖訓通り、我らは邪宗門の忘恩非道をも世界宗教の飛翔の力に転じ、太陽の民衆仏法の大光を、地球民族へ贈り続けてきた。

 この「魂の独立」の気概を、若き創価の普賢菩薩は、尊き父母たちから厳然と受け継いでいくのだ。

 

三代の師弟の夢

 全ての生命に具わる「幸福の価値を創造する力」を引き出し、成就させること――この大理想を実現するために、創価教育はある。

 創価三代の師弟を貫く夢を、「わが夢」「わが誓い」として共に進む全ての不二の同志へ深謝は尽きない。

 教育こそ、人間を幸福にする知恵の源泉である。

 教育こそ、社会を繁栄させる創造の広場である。

 教育こそ、世界を平和に結ぶ共生の大海原である。

 ゆえに、偉大なる創価の教育力を限りなく!

 そう先師・恩師に誓いを捧げる「創立の月」である。

 

 

 ゲーテの詩は『世界の詩集1 ゲーテ詩集』所収「銀杏の葉」手塚富雄訳(角川書店)。デューイについては魚津郁夫編『世界の思想家20 デューイ』(平凡社)。

 

2022年11月28日〈随筆 「人間革命」光あれ 池田大作〉 


2022年11月22日

師子の心で師弟不二の道を進め

人材革命の波をわが地から!

新たな人を見つけ育てよう

大変な時こそ一番厳しい所へ

 

 

 日蓮大聖人は仰せである。

 「寂光の都ならずは何くも皆苦なるべし本覚の栖を離れて何事か楽みなるべき、願くは『現世安穏・後生善処』の妙法を持つのみこそ只今生の名聞・後世の弄引なるべけれ須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」(全467・新519)

 ――「寂光の都」以外は、どこも皆、苦しみの世界である。(永遠の生命を自覚した)真実の覚りの住みかを離れて、何が楽しみであろうか。否、何もない。願わくは「現世は安穏であり、来世は善いところに生まれる」力をもつ妙法を持ちなさい。それだけが、今世には真の名誉となり、来世にも真の幸福へと導いてくれるのである。どこまでも一心に、南無妙法蓮華経と自分も唱え、人にも勧めていきなさい。まさにそれだけが、人間界に生まれてきた今世の思い出となるのである――。

 

本当の楽しみは広宣流布の活動にしかない。

 自行化他の行動のなかにしかない」との仰せなのである。

 大聖人は、法華経は「不老不死」の大法であると仰せである。

 「老い」にも苦しまない。「死」にも苦しまない。信心の炎があるかぎり、永遠に生命力の火は燃え続ける。生死を超えた大確信で生きていける。一生涯、希望を燃やして、生きぬいていく。その原動力のエンジンが信心である。

 長寿社会――その模範が学会なのである。これ以上の人生の軌道はない。

 

人のつながりが境涯を広げる

 「境涯を広げる」には、どうすればいいか。それには「人間関係を広げる」ことである。ゆえに、幹部一人一人は「人間と結合する」ことである。会員とつながり、人間とつながってこそ本当の幹部である。

 大事なのは「人間と人間のつながり」である。「人間と人間の打ち合い」である。内外の多くの人々と結び合い、つき合っていくことである。その人は、その分だけ生命が広がる。豊かな人生になる。

 トルストイは、臨終の間際に、かわいがっていた末の娘をそばに呼び、遺言を伝えた。

 その要点の一つは「生命は他の生命と多く結びつくほど、自我が拡大する」ということであった。これを忘れてはいけないと言い残したのである。

 私どもで言えば、対話であり、弘教であり、広宣流布である。

 ゲーテは言う。

 「他人を自分に同調させようなどと望むのは、そもそも馬鹿げた話だよ」「性に合わない人たちとつきあってこそ、うまくやって行くために自制しなければならないし、それを通して、われわれの心の中にあるいろいろちがった側面が刺激されて、発展し完成するのであって、やがて、誰とぶつかってもびくともしないようになるわけだ」(エッカーマン『ゲーテとの対話』山下肇訳、岩波文庫)

 一人でも多くの人と語った人が勝利者である。人の面倒をみてあげた分だけ、勝利である。いろんな人々と、がっちりギアをかみ合わせて、広宣流布へと向かわせてあげた分だけ、自分が勝つ。

 

牧口先生の広布の宣言

 初代会長牧口先生以来、創価学会の目的は「広宣流布」である。

 では、牧口先生が「広宣流布」という言葉を公式の場で初めて使ったのは、いつか。いつ、「創価学会は広宣流布を目指す団体である」ことを宣言なされたのか。それは決して、学会が順風の時ではなかった。それどころか、弾圧のさなかであった。

 昭和17年(1942年)5月。創価教育学会の第4回総会が開かれた。

 太平洋戦争の開戦から、半年余りたっていた。

 初めのうち、日本は連戦連勝だった。しかし、続くわけがない。すぐに行き詰まった。転落が始まった。それなのに、国民には“ウソ八百”の情報しか流されなかった。だから、本当のことがわからず、「すごい日本だ」「神国日本だ」と、国中が戦勝気分に酔っていた。

 しかし、すでにその時、牧口先生は「日本は滅亡する。絶対に滅びる」と、鋭く見ぬいておられた。法眼というか、仏眼というか、透徹した信心と人格の明鏡があった。

 総会で、先生は訴えた。「我々は国家を大善に導かねばならない。敵前上陸も同じである」(『牧口常三郎全集』第10巻。以下、引用は同書から)

 わからずやの悪人ばかりのなかに入って大善を教えるのは、“敵の目前に上陸する”のと同じであるというのである。

 そして先生は叫ばれた。

 われわれは「家庭を救ひ社会を救ひ、さうして広宣流布に到るまでの御奉公の一端も出来ると信ずるのであります

 これが、「広宣流布」の初めての公式発言であった。「広宣流布に到るまで」わが身をささげきっていくのだとの宣言である。

 事実、牧口先生は、「広宣流布」へと前進した。迫害のなか、240回を超える座談会を開催(昭和16年5月から同18年6月まで)。あのお年で、240回である。(同18年当時、72歳)

 また、地方にも単身、出かけられた。みずから約500人の人々を信仰に導いたといわれている。(同5年から逮捕される18年7月まで)

 いちばん「大変な時」に、「大変な所」から始める。ここに偉大な歴史が開かれる。本当の歴史が始まる。この学会精神を深くかみしめていくべきである。

 戸田先生も、戦後のいちばん大変な時に「今こそ広宣流布の時だ」と立ち上がった。状況が厳しければ、その時にこそ、勇気を奮い起こすべきである。

 日蓮大聖人は仰せである。

 「悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」(全957・新1286)

 ――悪王が正法を破ろうとして、邪法の僧らが悪王に味方し、智者を滅ぼそうとする時、師子王のごとき心をもつものが、必ず仏になることができる――。

 臆病者は、仏になれない。「師子王の心」をもたなければ、仏になれない。厳しければ厳しいほど勇み立つ。

 ここに、学会精神の真髄がある。いちばん大変な所に、みずから足を運んでこそ、「道」は開かれる。

 牧口先生が「広宣流布」を叫んだころ、宗門は何をしていたか。「広宣流布」を破壊しようとしていた。昔も今も変わらない。

 当時、宗門は御書の発刊を禁止し、「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」(全974・新1315)の御文をはじめ、大切な14カ所の御聖訓を削り取った。

 さらに宗門は、大石寺に「神札」をまつり、牧口先生にも「神札を受けよ」と迫った。なんという大謗法か。しかも牧口先生が「絶対に受けません」と断ると、陰で学会の弾圧に味方したのである。

 一方、牧口先生の弟子たちは、どうだったか。

 皆、牧口先生の勢いに驚き、おびえた。皆、獅子ではなく、猫や鼠だったのである。

 「広宣流布」「国家諌暁」――こう牧口先生は叫ぶ。それに対して弟子たちは、「今の時期に無茶だ」「時期尚早だ」「皆、憲兵隊に連れて行かれてしまう」と、おびえた。

 こういうなか、戸田先生だけが「ぼくは牧口先生の弟子だ」「あくまで、ぼくは牧口先生にお供するよ」と、淡々としておられた。厳かな師弟の姿である。

 そして戸田先生は「あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました」と師匠に感謝をささげたのである。牢獄につながれて、文句を言うどころか、戸田先生は感謝すらされている。一緒に難を受けさせていただいた、なんとありがたいことか、と。これが「師弟」である。

 そして戸田先生は生きて出獄し、師匠が掲げた「広宣流布」の旗を、ふたたび厳然と掲げて、一人立った。師弟は一体不二であったゆえに、恩師の死を乗り越えて、「広宣流布」のうねりは広がっていったのである。この「師弟不二の道」を、永遠に忘れてはならない。

 

 広宣流布の法戦にあっても、リーダーが前進すれば、皆が前進する。リーダーが伸びれば、皆が伸びる。リーダーが口先だけでは勝てるわけがない。

 「自分が人間革命していこう!」「自分を鍛えていこう!」――こう決意して、まず自分が行動していくところに、常勝の原動力が生まれる。これ以外に常勝の方程式はない。

 御聖訓に云く「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」(全856・新2200)――法は、ひとりでに弘まるのではない。人が法を弘めるのであり、だからこそ弘める人も弘まる法も、ともに尊い――と。

 

 広宣流布は、

 すべて「人材」で決まる。

 新しき人材を見つけ、

 新しき人材を育て、

 新しき人材を結集していく。

 その人が人材である。

 この「人材革命」の波を、21世紀へ、

 もう一度、創価学会はつくりあげていきたい。

 こう申し上げ、本日の私のスピーチを終わります。長時間、ありがとう!

2022年11月22日

VOD新番組に収録された池田先生の指針

(1997年7月の本部幹部会から)


2022年11月13日

人間革命と生命尊厳の対話で

足元から世界へ平和の波動を

 

偉大なる「創価の大城」築き仰がむ

満々たる生命力で三世の凱歌へ共々に

御聖訓「城の主剛ければ、守る者も強し」

 

  

 一、激動のこの一年も威風堂々と飛躍を遂げ、創立の月を全世界の善友と飾ることができました。

 御本仏・日蓮大聖人が、一切を御照覧でありましょう。

 熱原の法難の渦中、打ち続く試練の人生にも負けないで、不退の信心に娘と励んでいた一人の母への御聖訓を、そのまま女性部をはじめ、全創価家族への御賞讃として拝したい。 

 すなわち、「大風が草をなびかし、雷が人を驚かすような世の中にあって、今まで信仰を貫き通してこられたことは、なんと不思議なことでしょうか」「あなたの信心の根が深く、あなたの心に潔い玉があるからでしょう。尊いことです。尊いことです」(新1973・全1479、通解)と。

 皆、本当にご苦労さま! 皆、本当にありがとう!(大拍手)

 一、私たちが朝な夕な読誦している法華経寿量品の「自我偈」には、「我此土安穏。天人常充満。園林諸堂閣。種種宝荘厳。宝樹多華菓。衆生所遊楽。諸天撃天鼓。常作衆妓楽」(表記は『新版 法華経 方便品・自我偈講義』に合わせた)とあります。

 この経文を、戸田先生はユーモアたっぷりに講義し、病苦や生活苦を抱えつつ大法弘通に走る健気な同志を励ましてくださいました。

 ――たとえ小さな四畳半の家であっても、妙法を受持すれば、仲良く明るく笑顔を充満できる。ささやかでも花を飾れば、園林となり、わが城を心の財で荘厳し、妙なる音楽も奏でられる。

 そして、「生きていること自体が楽しい」という歓喜と安穏と文化の世界を、足元の家庭から地域へ社会へ広げていくのが、慈折広宣流布なのである、と。

 一、一人一人が人間革命に挑み、境涯を高めながら、一家和楽へ、さらに立正安国へ、行動を積み重ねていく民衆仏法の展開に、最大の信頼と期待を寄せてくださったのが、かの大歴史学者・トインビー博士であります。

 50年前、博士と私は、新たな文明を創造する「世界宗教」の要件として、人類の生存を脅かす諸悪と対決して、その脅威を一人一人の心の変革によって取り除くことであると展望しました。

 博士は、人類の宿命転換、さらに地球環境、ひいては宇宙全体への慈悲の貢献という壮大な次元から、大乗仏教、なかんずく日蓮仏法に深く強く共鳴を示されたのであります。

 この半世紀、私たちは、異体を同心とする民衆の祈りと献身と団結で、平和の城、文化の城、教育の城を、一つ、また一つ創り上げてきました。トインビー博士をはじめ、世界の知性の友人方も、きっと喜び見つめてくださっていることでしょう。

 いやまして、人類の生存への困難な脅威が立ちはだかる今こそ、生命の尊厳と人間を尊敬する対話の力で、「太陽の仏法」の智慧と勇気と慈悲の大光を赫々と放っていきたいと思うのであります。

 一、法華経の「園林諸堂閣」の経文さながらに、関西の新たな大講堂の建設も、いよいよ進められます。

 思えば、戸田先生はよく「私は城聖、君は大作だ。一緒に、偉大な『創価の大城』をつくろうではないか!」と言われました。

 この先生のお心を偲びつつ書き留めておいた二つの書を、全同志への感謝と祝賀を込めて、今日ここに披露させていただきます。

 まず、「錦州城」です。

 関西の宝友と折伏行で築いた「錦州城」を、恩師は何よりもうれしく仰ぎ見てくださいました。関西はもとより日本全国、全世界のいずこにあっても、この「永遠に崩れぬ」正義の常勝城を、断固として勝ち栄えさせ、民衆を苦しめ不幸に陥れる、いかなる「魔軍」も抑え切っていくのが、地涌の師弟の使命であり、本懐なのであります。

 一、次に、「福運城」です。

 大聖人は、「大海のしおの満つるがごとく、月の満ずるがごとく、福きたり、命ながく、後生は霊山とおぼしめせ」(新1274・全950)と仰せであります。

 我ら学会家族は一人ももれなく「福運の博士」です。新たな一年も、満々たる上げ潮の生命力で、広布と人生の大願を一つ一つ、満月のごとく成就しながら、ますます健康長寿で、三世永遠にわたる生命の凱歌を共々に轟かせていこうではありませんか!(大拍手)

 御書に「城の主剛ければ、守る者も強し」(新1320・全979)とある通り、師弟城の若き城主たる誉れの青年部の諸君、万事、よろしく頼みます。青年の「飛躍」から「凱歌」へ、「ユースフェスタ」の大成功も祈っています。

 一、わが地域は、まぎれもなく御本仏から「その国の仏法」を任された宿縁の国土です。誓願の天地で縁を結ぶ全ての人々を大きく福運に包みながら、さらには地球民族へ、幸と平和の波動を起こしゆくことを朗らかに決意し合って、私のメッセージとします(大拍手)。

 

2022年11月13日本部幹部会への池田先生のメッセージ


2022年11月7日

任用試験

全員が幸福と平和の博士

 池田先生 メッセージ贈る

 

全員が幸福博士・平和の博士

 

 学会伝統の教学試験、誠にご苦労さまです。

 会友の方々も、多宝の方々も、そして高等部・中等部の皆さんも、忙しい毎日のなか、よくぞ研鑽に励んでこられました。その尊き挑戦の姿を、諸仏・諸天が、何より御本仏・日蓮大聖人が賞讃されていることは、間違いありません。

 今回は、『日蓮大聖人御書全集 新版』が発刊されて、初めて迎える意義深き教学試験です。

 

 「諸法実相抄」に、「行学の二道をはげみ候べし。行学たえなば仏法はあるべからず」(新1793・全1361)と仰せです。

 

 生命尊厳の仏法哲理を学び、

 実践していくことが、

 自他共の人生の幸福勝利への直道となり、

 平和安穏の世界を築きゆく軌道となります。

 

 本日受験された全員が、合否を超えて、

幸福の博士」であり、「平和の博士」です。

 

 最高峰の生命哲学を学んだ誇りを胸に、

 自身のため、友のため、地域・社会のため、

 どうか、勇気と希望の光を放っていってください

 

 役員の方々、教えてくださった先輩方、ご家族の方々、

 本当にありがとうございます。

 最後まで、絶対に無事故でお願いします。

 妻と共に、真剣に題目を送っています。

 

2022年11月7日付聖教新聞1面


2022年10月27日

「師弟同心」の勝利の現証を

原田会長を中心に各部代表者会議

 

 第21回各部代表者会議が26日、原田会長を中心に、東京・信濃町の広宣会館(学会本部別館内)で行われた。

 池田先生はメッセージを贈り、「創価文化の秋」に各地で希望の妙音を轟かせる音楽隊・鼓笛隊に感謝。教学部任用試験(仏法入門)に取り組む全ての友の奮闘をたたえた。

 次いで、「師弟同心の祈りの事」との別名を持つ「弁殿御消息」を拝読した。

 「かの辺になに事か候らん。一々にかきつかわせ。度々この人々のことは、ことに一大事と天をせめまいらせ候なり。さだめて、後生はさておきぬ、今生にしるしあるべく候と存ずべきよし、したたかにかたらせ給え」(新1637・全1225)

 この一節で大聖人は、打ち続く乱世にあって、しばらく消息がない門下一人一人を案じて近況を尋ねておられる。そして門下のことをこそ「一大事」とされ、諸天よ護りに護れと叱咤されている。とともに、「しるし(結果)」を出せない信心ではいけないと、烈々と激励されている――。

 この御文を拝して先生は、広布のリーダーは、御本仏のお心を体し、かけがえのない同志のことを「一大事」として題目を送り、励まし抜くべきであると力説。いよいよ「師弟同心の祈り」を強盛に、自らの誓願の舞台で、勝利の現証を一つ一つ示し切っていこうと訴えた。

 

 最後に、SOKAユースフェスタの成功を念願しつつ、“不思議なる時に巡り合わせた地涌の若人たちよ、青年の大いなる「飛躍」から威風堂々の「凱歌」へ進みゆけ!”と強調。「皆、聡明に体調の管理を」と呼びかけ、メッセージを結んだ。

 原田会長は、「愚人にほめられたるは第一のはじなり」(新121・全237)こそ、三代会長が体現された創価の誇りであると強調。日本に健全な宗教観、民主主義を定着させ、混沌とした世界を平和と幸福へリードしゆくために、堂々と人間主義の哲学を語り広げたいと述べた。そして、SOKAユースフェスタの成功に各部一体で総力を挙げ、明「青年・凱歌の年」へ勢いよく前進しようと望んだ。

(後略)

 


2022年10月26日

談論風発 対話は楽し

 

「励ましの言葉」から幸福と平和を拡大

 

 我らの広宣流布は、「平和の文化」の創造である。その一環として、各国・各地で多彩な展示を行っている。

 「世界の書籍展」も初開催より満二十年。明日(二十七日)から始まる読書週間に呼応して、まもなく、恩師・戸田先生と縁の深き東京・中野区で開かれる。

 先生のもとで、世界の名著・名作を師弟して学び合った日々が蘇る。

 『三国志』を教材にして、

 「青年ならば、諸葛孔明のごとく頭を使え!

  智慧を出せ! 民衆のために勝ちまくれ」と、厳しくも温かく励ましてくださった声が忘れられない。

 その諸葛孔明は、“真の人士が互いに深い知己となる交友とは、四季を通して変わらず、衰えないようなものであり、順境と逆境を経るほどに、ますます強固になる”という意味の言葉を残している。

 孔明が劉備と結んだ生涯にわたる“水魚の交わり”が、まさにそうであった。

 戸田先生は、よく「折伏すれば信用が残る」と語られていた。友の幸福を本気で祈り願っての対話は、一時の感情を超えて、真の友情を育んでいくのだとの、固い確信であった。

 

広布の旗を掲げ

 「日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもなが(流)るべし」(新261・全329)

 広宣流布大誓堂に設置された「誓願の碑」に記した「報恩抄」の一節である。

 末法万年尽未来際へ放たれた、この御本仏の誓願に連なり、慈折広布の旗、大法弘通の旗を掲げ、地涌の使命に立ち上がったのが、我ら創価学会である。

 七十五年前(一九四七年)の十月、戸田先生は当時の機関紙「価値創造」に「折伏」について執筆された。

 いまだ戦後の混乱と荒廃の只中であった。

 恩師は「立正安国論」で指摘された「三災」、つまり「穀貴」(飢饉等による穀物・物価の高騰)、「兵革」(戦乱)、そして「疫病」(感染症の流行)に苦しむ庶民を深く思いやられつつ、青年に呼び掛けた。

 ――妙法受持の功徳は、万人一様に生命力を旺盛にする。ゆえに、折伏行によって受持の人びとを充満させていくのだ。そこに、経済、文化、芸術等に最高度の能力を発揮し、国土を再建させる道が開かれる、と――。

 この年に入信した十九歳の私も命に刻んだ。師弟不二の若人たちの折伏また折伏の挑戦は、地涌の菩薩を澎湃と涌出させ、その社会への展開が「驚異的な戦後の復興」に絶大なる貢献を果たしたのである。

 この創価学会の足跡を、「経済分野における日本国民の物質的成功に匹敵する精神的偉業」と賞讃してくださったのが、他でもない二十世紀を代表する歴史家・トインビー博士である。

 

苦闘も思い出に

 折伏は「難事中の難事」である。私も若き日に、思うように語れなかったり、真剣に語っても相手が聞く耳を持たなかったりしたことが、何度あったことか。試行錯誤の連続であった。

 送った手紙が、そのまま送り返されたことも、約束の場所に友人が現れず、待ち続けたこともあった。

 だが私の心には、広布の拡大で、戸田先生に喜んでもらうのだとの闘魂が赤々と燃えていた。師への報恩と感謝こそが前進の原動力となったのである。

 ――若いのだ。相手が聞かなくても、卑屈になるな。胸を張り、自信満々と語れ。

 「青年よ、何といわれても進め。折伏だ。大聖人の弟子らしく。戸田先生の門下らしく」と日記に記した。

 そうした苦闘の中で実らせた一つ一つの弘教は、まさしく「今生人界の思い出」(新519・全467)と輝いている。

 折伏は、すぐに実る時もあれば、なかなか実らない時もある。しかし、仏法を語り、種を蒔くこと自体が尊い下種の実践である。

 勤行で読誦する自我偈には「速成就仏身」(速やかに仏身を成就す)とある。

 仏が常に、全ての衆生を「仏の境涯」に導くことを念じ、法を語り続けていることを説いた経文である。

 「御義口伝」には、この経文は不軽品の「皆当作仏」(皆当に作仏すべし)と同じ意義であると示されている(新1069・全767)。

 私たちは朝に夕に、御本仏のお心に直結して万人の成仏を祈り、折伏への不退の決意で、「地涌の菩薩」としての使命を生命に染め抜いてきた。だからこそ、世界中に人華のスクラム、宝塔の連帯が広がったのだ。

 

真心と確信こそ

 日蓮大聖人は「声を聞いて心を知る。色法が心法を顕すなり」(新663・全469)と、声を聞かせることにより、真心が伝わると仰せである。

 日夜、自他共の幸福のため、尊き汗を流しゆく創価家族から発せられる言葉こそ、仏の慈悲の声なのだ。

 先師・牧口先生は教えてくださった。

 「折伏は慈悲である。『彼がために悪を除くは、即ち是れ彼が親なり』との金言のように、抜苦与楽の真心で折伏するのである」と。

 戸田先生も断言された。

 「“ああ、この人は気の毒だ”と思う心から、じゅんじゅんと御本尊様のありがたいことを教えてやればいいのです。理屈などはいりません

 我らには「祈りとしてかなわざるなし」の御本尊がある。悲哀の人生を希望に変え、宿命を使命に変え、絶望を前進の勇気に変える妙法がある。「友の喜び友の歎き一つなり」(新1267・全934)という同志の励まし合いがある。

 信仰の歓喜を胸に、友に幸せになってもらいたいという情熱と、絶対に幸せになれるとの確信を、朗らかに誠実に伝えていけばいいのだ。ありのままに、自分らしく伝えていくことだ。

 

真実は人を結ぶ

 「真実は人間を一つに結び、結合させる力を持っている」――これは“欧州統合の父”として、国境を超えた連帯の創出へ尽力したクーデンホーフ=カレルギー伯爵の信念である。

 母君の祖国に来日された伯爵と初めてお会いしたのは、五十五年前(一九六七年)の十月であった。

 伯爵は語っておられた。

 「創価学会による日本における仏教の復興は、世界的な物質主義に対する、日本からの回答であると思います。宗教史上、新たな時代を開くものとなるでしょう」と。鋭き慧眼は、創価の人間革命に、「世界宗教」の未来を見出していた。

 伯爵と私は、三年後(一九七〇年)の十月にも、四度、計十数時間の対話を重ねた。その内容は『文明・西と東』として出版され、今、八十点に及ぶ世界の知性との対談集の第一号となった。

 「戸田大学」の卒業生として、私は国家指導者とも、市井の一市民とも、少年少女とも、どんな立場や信条の人とも、同じ人間として語り合い、心を結んできた。人びととの胸襟を開いた対話によって、「人間主義の宗教」「人間のための宗教」の本質を、明快に示してきたのである。

 世界のあちこちに分断や対立の悲鳴が聞こえる現代にあって、「生命」という普遍の大地に根ざし、人びとを結ぶ言論の光が、今ほど待望される時はない。

 

黄金の共戦譜を

 大聖人は、「大悪は大善の来るべき瑞相なり。一閻浮提う(打)ちみだ(乱)すならば、『閻浮提内、広令流布(閻浮提の内に、広く流布せしむ)』は、よも疑い候わじ」(新1969・全1467)と宣言なされた。

 混迷の世界情勢や長引くコロナ禍など、乱世の様相を深める社会にあっても、いな、だからこそ、我らは抜苦与楽の「勇気」即「慈悲」で、他者をも幸福の直道に導かんとする仏法対話を、わが使命の天地で、地道に着実に広げていきたい。

 ことに、愛する従藍而青の青年たちが、各地で開かれる「SOKAユースフェスタ」を一つの決勝点とし、教学部任用試験(仏法入門)の研鑽とともに、広布拡大に勇んで挑んでくれている。頼もしい限りだ。

 不二の若師子・男子部! 広布の花と輝く“華陽姉妹”! 希望の太陽・ヤング白ゆり世代! そして、先駆の知性・学生部!

 創価の未来は、若き人材が育ちゆくところから洋々と開かれる。この若き熱と力から、社会の安穏も、世界の平和も限りなく広がっていくに違いない。

 アメリカ・ルネサンスの思想家エマソンは、「諸君は善良なもの高尚なもののすべてを伝え、運ぶ人となるべきである」と言った。

 それには人格、人間性が大事である。そして、いかなる「言葉の力」「対話力」を持つかが勝負となる。

 広宣流布の戦いは、言論戦である。言葉で戦うのだ。邪悪を打ち破る正義の言葉、苦難に打ち勝つ力を贈る智慧と励ましの言葉で――。

 恩師は言われた。

 「創価学会は、地球上で最も尊厳な生命を守り、どれだけの人に妙法を受持せしめ、幸せにしたかということを数えるのである

 この生命尊厳の哲理を、一人また一人へと広げ、全世界を強く、明るく照らしゆく幸福と平和の大行進を、一緒に開始しよう!

 談論風発、快活な対話はなんと楽しいことか!

 共々に誉れの使命を果たし抜く、「語らいの黄金の共戦譜」を、にぎやかに綴りゆこうではないか!

 

 

 孔明の言葉は中林史朗著『諸葛孔明語録』(明徳出版社)参照。クーデンホーフ=カレルギーの最初の言葉は『倫理と超倫理』鹿島守之助訳(鹿島研究所出版会)から引用。エマソンは『エマソン選集4 個人と社会』原島善衛訳(日本教文社)。

 

2022年10月26日〈随筆 「人間革命」光あれ 池田大作〉


2022年10月25日

大白蓮華11月号

 池田先生の「御義口伝」講義がスタート

 要文編

 第1回のテーマ「南無妙法蓮華経」

(予告)

 

 池田大作先生が全同志に贈る、新たな“「御義口伝」講義”を開始!――「大白蓮華」11月号(写真)が完成し、連載中の池田先生の講義「世界を照らす太陽の仏法」で、「『御義口伝』要文編」がスタートした。

 

 これは、池田先生が学生部の代表に行った「御義口伝」講義開始(1962年8月31日)60周年の意義をとどめ、同書の要文を講義するもの。

 「御義口伝」は、日蓮大聖人が末法の御本仏としての境地から法華経を自在闊達に講義し、その珠玉の言々句々を日興上人が編纂したと伝えられる“師弟の重書”である。

 

 池田先生は講義の開始にあたり

 「戸田先生と師弟して、まさしく日蓮大聖人から直々に口伝を拝する覚悟で、一文一文、心肝に染め、実践してきた御書」と述べている。

 

 第1回のテーマは、

 「御義口伝」全体の冒頭に掲げられている「南無妙法蓮華経」。

 先生は同書を拝する上で最も重要な精神について、

 「南無妙法蓮華経とは、大聖人が覚知された宇宙と生命を貫く根源の法そのもの、一念三千の法理そのものであるという大確信に立つこと」であると強調。

 また、「御義口伝」に示される“人間宗教”の柱として、

 ①民衆仏法

 ②師弟の宗教

 ③生命尊厳の思想

 の3点を挙げ、

混迷を深める21世紀にあって、

 地球の平和のために

 『生命尊厳の宗教』

 『人間主義の仏法』を、

 『御義口伝』の尽きせぬ智慧から学び、

 より一層明確にしていきたい」とつづる。

 

 さらに、「『経』とは一切衆生の言語音声を経と云うなり」(新984・全708)等を拝読し、

 “題目の音声”“勇気の声”を世界中に響かせながら、

 常楽我浄の凱歌の人生を築こうと呼びかける。

 

 さあ、「青年・凱歌の年」の明年へ!

 師と共に日蓮仏法の真髄を心肝に染めながら、

 信心の歓喜を堂々と語り広げていこう。

 なお、明年の「大白蓮華」1月号から本文の文字が大きくなるにあたり、

 同連載では先行して大文字化を実施している。

 

2022年10月25日聖教新聞一面


2022年10月25日

中国 習近平氏が再選

 名誉会長、会長が祝電

 

 中国の新たな党指導部が23日に発足し、習近平氏が総書記に再選されたことを受けて、池田名誉会長と原田会長は祝電を送った。

 名誉会長は、先月で日本と中国の国交正常化から50周年を迎えたことに言及し、両国の友好拡大がアジアの安定と世界の平和への道を開くと強調。気候危機の打開に向けても、習総書記のもと日中の協力関係がさらに発展していくことに期待を述べた。

2022年10月25日聖教新聞一面


2022年10月9日

池田先生のメッセージ

世界を変えたければ まず自分を変革せよ

 

 一、私の心も今、新しき大文化建設の揺籃たる八王子のキャンパスで、愛する創大生、短大生と、共に舞い、共に歌っております。

 凱歌の青春を友と駆けゆく創大祭、白鳥祭、誠におめでとう!(拍手)

 試練の時代に凜然と立ち向かう一人一人の姿に、私は、「艱難に勝る教育なし」という、誇り高き生命の輝きを仰ぎ見ております。

 なかんずく留学生の皆さん、毎日、ご苦労さま。本当にありがとう!

 母校愛にあふれる創価同窓の先輩方も、よく集ってくれました。

 一、今回、テーマに掲げられた「平和の地球」「平和の世紀」は、まさに、わが師・戸田城聖先生が創大設立の構想に託された悲願であります。恩師は言われました。

 ――真の平和を創るには、根本の「人間」を変えるしかない。民衆が強く賢くなるしかない。とりわけ、世界中の青年が、心と心を結び合わせていくことが、地球民族の希望となる、と。

 その縮図は、まぎれもなく、今ここに光っております。

 3年前、創価大学にお迎えした、イギリスのバーチンガー博士も、皆さんに最大の期待を寄せられる一人です。看護師として世界の紛争地で医療や人道支援に貢献し、幾多の命を救ってこられた博士は語られています。

 「私たちはみんな、山を動かし、世界を変える力を持っている」(『クレア・バーチンガー自伝』西田佳子訳、潮出版社)と。だからこそ、世界を変えたいと本気で思うなら、自分自身を乗り越え、成長させよう。変化は必ず起こせると、呼びかけています。

 一、逆境にあればあるほど、不屈の価値創造の底力を発揮して、民衆の希望の活路を開くのが、創価の若き世界市民の皆さんです。

 どうか、平和への志を同じくする最良の学友と励まし合いながら、いよいよたくましく英知を磨き、いよいよ闊達に連帯を広げてください。 

 宝の皆さんが、健康第一で、交通事故などないよう、私は妻と日々、祈っています。

終わりに「鉄は炎い打てば剣となる」との金言を贈り、メッセージとします。親孝行を忘れず、何があっても負けない青春であれ!(大拍手)

 

2022年10月9日第52回・創大祭 第38回・白鳥祭「記念フェスティバル」への池田先生のメッセージ


2022年10月3日

 

今こそ地球民族に平和を

 

「地涌の義」の証明劇を!>

 

 一、青年の勇敢なる飛躍が歴史を転換する。本日の集いを、私は世界広宣流布の新たな凱歌への飛躍と見守っております。

 牧口先生も戸田先生も、学会創立100周年の平和・文化・教育の大連帯を担い立つ頼もしき陣列は盤石なりと、会心の笑顔でありましょう。師弟共戦の凜々しき男子部の新出発、誠におめでとう!(大拍手)

 一、日蓮大聖人は「御義口伝」に「色心の二法を妙法と開悟するを、『歓喜踊躍』と説くなり」(新1006・全722)と仰せであります。大宇宙の究極の法則である題目を唱え、久遠元初の誓願に生きゆく君たち一人一人の生命こそ、身も心も、そのまま妙法蓮華経の当体なのであります。

 青年が、この本源的な歓喜に躍動していくならば、人生と社会のいかなる艱難が打ち続こうとも、必ず変毒為薬して打開できる。

 1960年のきょう10月2日、恩師の写真を胸に飛び立った私の世界旅も、地涌の青年を一人また一人と呼び出し、結び合っていく師弟不二の対話にほかなりませんでした。そして今、全世界に続きゆく地涌の若人たちの誉れの先陣こそ、諸君であります。

 大聖人は、「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱えしが、二人・三人・百人と次第に唱えつたうるなり。未来もまたしかるべし。これ、あに地涌の義にあらずや」(新1791・全1360)と宣言されました。

 まさに「地より湧き出でんとする」宿縁の青年が、君たちとの語らいを待っています。確信の声を待っています。友の幸福のため、社会の安穏のため、そして地球民族の平和のために、歓喜踊躍して、今こそ、壮大なる「地涌の義」の証明劇を繰り広げてくれ給え!

 一、正義ゆえの試練と戦う若き南条時光への御聖訓に、「現世に大果報をまねかんこと、疑いあるべからず」(新1854・全1530)とお約束であります。

 今この時を選んで涌出した君たちが一人ももれなく、大果報すなわち陰徳陽報に包まれ、自らが決めた使命の道で、不退の信仰を貫き通す凱歌の一生を飾りゆかれるように、私は祈り続けていきます。

 新時代の山本伸一よ、不二の力で勝ちまくれ!(大拍手)

 

2022年10月3日全国男子部幹部会への池田先生のメッセージ


2022年9月29日

勝利の力は

最高峰の哲学を学ぶ喜び

 

 それは、聖教新聞を創刊して間もない、

 戸田先生の会長就任へ邁進する、

 ある夜であった。

 仕事を終えて、

 男子部の友の家に集まり、

 「開目抄」を拝読し合った思い出がある。

 皆、真剣であった。

 皆、希望に燃えて、未来を見つめていた。

 

 その日の日記に、私は書き留めた。

「難解なれど、大聖人の御確信、胸に響く。

 乱世に、この貧しき家で、

 貧しき青年等が、

 大聖人の哲学を学びし姿、実に尊き哉」(一九五一年四月二十四日)

 

 毀誉褒貶など眼中にも置かず、

 信ずる同志と「行学の二道」に励みゆく、

 この若き地涌の熱と力を、

 新出発の男子部が脈々と受け継いでくれている。

 「日蓮大聖人の民衆仏法」

 「人間のための宗教」の旗を高々と掲げ、

 意気軒昂に行進する若人が

 私の誇りであり、宝である。

 

歴史を創るもの

歴史の根底は人民の思想のうちにある※1

 フランスの歴史家・ミシュレは、高らかに宣言した。

 

 民衆の一人ひとりが、

 いかなる思想を持ち、

 いかなる実践をするかで、

 私たちの住む世界は変わるのだ。

 

 民衆の、

 民衆による、

 民衆のための

 思想の興隆こそ、

 まさしく創価教学である。

 

 この秋、

 学会伝統の「教学部任用試験(仏法入門)」が行われる。

 コロナ禍のゆえ、

 実に四年ぶりとなる。

 全国各地で、

 草の根の尊き研さんが重ねられている。

 

 思えば、

 学会初の任用試験から、

 今年は七十年――。

 

 『日蓮大聖人御書全集』が

 戸田城聖先生の発願で発刊された

 1952年(昭和27年)四月より

 八カ月後の師走に、

 満を持して実施されたのだ。

 

 この年、私はまず、

 蒲田支部の同志と、

 朗らかに仏法の偉大さを学び語りながら、

 「二月闘争」で広布拡大の突破口を開いた。

 

 御書発刊の波動の中、

 年頭に五千七百余世帯だった学会は、

 一年で総世帯数二万二千を超えて飛躍し、

 迎えた教学試験であった。

 

 この試験の結果と意義を報ずる

 翌年の元日号の聖教新聞に、

 私は「世界最高の哲学を学ぶ喜び」と題して、

 一文を寄せた。

 

 ――生命を離れて宇宙はなく、

 生命を離れて社会も国家も世界もない。

 ゆえに生命哲学が

 個人並びに世界平和の本源である、と。

 

 この最高峰の生命哲学を学ぶ喜びこそ、

 教学試験の合否を超えた眼目といってよい。

 ここに、

 自他共の人生の勝利への推進力も、

 社会の安穏への源泉もある。

 

 七十星霜を経て、

 壮大な世界広布の広がりの中で、

 この喜びを、

 新たな求道の友と分かち合えるのは、

 何と嬉しいことだろうか!

 人類が岐路に立つ今、

 「太陽の仏法」の生命哲学の大光を、

 さらに多くの世界市民の心に届けていきたい。

 

「法華経の兵法」

 「四十歳まで……教学の完成と実践の完成」

 三十歳を前に、

 私はこう心に期して、

 常に御書を繙いてきた。

 電車での移動の中でも、

 待ち合わせの合間にも。

 そして「法華経の兵法」を抱き締め、

 師弟不二の指揮を執った。

 

 今の青年部と同じ年代の時である。

 御書を学ぶことは、

 大聖人の不屈の闘魂を滾らせ、

 民衆を断じて救わんとの大慈悲の心音を、

 わが生命に響かせゆく作業である。

 

 御書を開けば、

 無限の勇気が湧き上がる。

 いかなる苦難に直面しても、

 絶対に活路を開いてみせるとの

 大情熱と智慧が漲る。

 

私は、かりに地獄に堕ちても平気だよ。

 なぜならば、地獄の衆生を折伏して、

 寂光土に変えてみせるからだ」とは、

 戸田先生の不動の確信であった。

 

 仏法は机上の空論ではない。

 現実に人びとの心を変え、

 生活を変え、

 社会を変えゆく実践の力である。

 

 1956年(昭和31年)の

 「大阪の戦い」も、御書根本に徹した。

 一切の戦いの将軍学を

 御書に学ぶ以外に勝利はないからだ。

 

 分厚い困難の壁にたじろぐ友と、

湿れる木より火を出だし、

 乾ける土より水を儲けんがごとく、

 強盛に申すなり」(新1539・全1132)を拝し、

 

 不可能を可能にする師子王の心を、

 共々に燃え上がらせた。

 

異体同心なれば万事を成じ、

 同体異心なれば諸事叶うことなし

 (新2054・全1463)を通して、

 

 心を合わせれば、

 必ず大願を成就できると訴えた。

 

 あの「“まさか”が実現」の舞台裏にも、

 関西の同志と

 命に刻んだ御聖訓がたくさんあった。

 その日その日の戦いを、

 御書を通じて明確にし、

 一日を一週間にも十日にも、

 充実させるのだ――この御書根本の団結ありて、

 燦然と輝く金字塔は打ち立てられた。

 

「御書」を心肝に

 今回、

 任用試験の出題範囲の御書三編は、

 私も若き日から同志と学んできた、

 思い出深い御文である。

 

 例えば、

一生成仏抄」の

深く信心を発して、

 日夜朝暮にまた懈らず磨くべし。

 いかようにしてか磨くべき。

 ただ南無妙法蓮華経と唱えたてまつるを、

 これをみが(磨)くとはいうなり

 (新317・全384)との一節は

 六十五年前の九月、

 葛飾総ブロックの結成大会の折に友と拝読した。

 ――模範の組織をつくるには、

 どうしたらよいか。

 その一切の源泉は、

 この御文の通り、

 勤行・唱題にあると確認し、

全会員が、

 しっかり勤行できるようにしていこう」と挑戦した。

 三年後、

 葛飾は三総ブロックへと発展を遂げたのだ。

 

我ならびに我が弟子、

 諸難ありとも疑う心なくば、

 自然に仏界にいたるべし」(新117・全234) 

 この「開目抄」の御金言は、

 1969年(昭和44年)の年末、

 障魔の烈風が吹きすさぶ中、

 病を押して訪れた三重県の松阪会館で、

 中部の宝友と深い決意を込めて心肝に染めた。

 また、現在の勝利島部の同志をはじめ、

 各地の友と折々に拝してもきた。

 

 先日(8月20日)、聖教新聞で紹介された、

 茨城県つくば市の百三歳の母も、

 この一節をこよなく大切にされていた。

 

 かつて座談会でお会いした時、

 御書を大事に抱えておられた。

 家計をやりくりして買われたようだ。

 私が「開目抄」の御文を引いて話す間、

 尊き母は、

 手元の御書へ、

 私の顔へと、

 目を行き来させながら、

 真剣に聞いてくださった。

 

 この御文の余白に鉛筆で「弟子の決意」と書き、

 悔しい時も苦しい時も読み返しながら、

 地域に仏縁を結び、

 味方を一人また一人とつくってこられた金の足跡に、

 私は妻と合掌した。

 日本中、世界中に光る、

 「自然に仏界」を勝ち開いた多宝の父母たちを、

 必ずや御本仏は「善き哉、善き哉」と

 御照覧くださっているに違いない。

 

研さんは世界で

創価学会の使命は、

 まさに教学の振興にある

 この恩師の言葉の通り、

 人間主義の教学運動の奔流は、

 世界五大州を包む大河となった。

 

 本年も各国で教学試験が行われている。

 既に実施された

 英国やドイツ、マレーシアのほか、

 韓国の教学部上級試験(六月)では、

 実に一万六千人の友が受験されたと伺った。

 今月も、

 ニュージーランドやコロンビア、

 シンガポールで、

 “任用試験”が大成功裏に行われた。

 

 振り返れば、

 海外の同志にとって

 初めて“任用試験”が行われたのは、

 約六十年前のことである。

 当時は論文審査であり、

 多くの意欲的な論文が寄せられた。

 

 1963年から、

 米国やスイス、イタリア等の現地で教学試験が行われ、

 私も口頭試問などを担当した。

 当時、北欧スウェーデンでは、

 日本からの派遣団が立ち寄り、

 教学試験が行われたが、

 受験者は女子部員一人だけであった。

 

 しかし、

 その夜の座談会に出席した彼女の友人が、

 入会を決意している。

 彼女はやがてスカンディナビア半島の

 広布草創を奔走してくれたのである。

 

 「一は万が母」(新578・全498)である。

 一人の受験者への激励が明日へ福智の門を開くのだ。

 御書研さんの喜びは、

 アフリカにも大きく広がり、

 統一教学実力試験は三十カ国以上で開催されている。

 最初は、

 点数がつくことに

 不安を覚えたというメンバーも、

 仏法を学ぶ中で

 誰かに感動を話したくなり、

 自然と友人を座談会などに誘うのが常だという。

 

 こうした中、

 青年世代が仏法の法理に共鳴し、

 探究を深めて、

 社会へ展開する息吹に、

 世界の知性も大きな期待を寄せておられる。

 

 フランス語版「御書」の

 総合監修をしてくださった、

 デニス・ジラ博士は、

 「真に世界に開かれた宗教には、

 その根本をなす精神性や伝統を受け継ぎ、

 堅持しゆく若き後継者の存在がある」と指摘し、

 創価の青年たちこそ

 「人類の未来である」との希望を語られている。

 

創価教学を興隆

 不安や不信、恐怖や憎悪に

 引き裂かれる時代にあって、

 生命の善性への絶対的な信頼に立ち、

 人間革命の方途を示す哲学ほど、

 望まれるものはあるまい。

 

 私たちが朝な夕な読誦する

 「法華経」の自我偈には、

 「毎自作是念(つねに自らこの念を作す)」とある。

 「御義口伝」では、

 この「念」の意義について、

 「一切衆生の仏性を念じたまいしなり

 (新1069・全767)と仰せである。

 我らの自行・化他の題目は、

 地球民族の仏性を信じ抜き、

 一人また一人と、

 勇敢に誠実に忍耐強く

 呼び覚ましていく音律なのだ。

 

 わが教学部は、

 新たなるスローガンとして――

 「御書根本」「師弟不二」「異体同心」

 の教学部

 世界宗教の誉れ高く

 創価教学の興隆を!

 ――と掲げた。

 

 さあ、心も広々と、

 教学研さんの秋だ。

 行学錬磨の賢者たちよ、

 今日も生命尊厳の大哲学に触れよう!

 

 そして、学んだ喜びを、

 地域へ、社会へ、世界へ、

 勇んで語り広げよう!

 ここから「平和」と「人道」の世紀を開く、

 大いなる熱と力が生まれゆくのだ。

 

 ※1 ミシュレの言葉は「フランス革命史」『世界の名著37 ミシュレ』所収、桑原武夫・多田道太郎・樋口謹一共訳(中央公論社)。

 

2022年9月29日随筆「人間革命」光あれ 池田大作


2022年9月10日

青年不戦サミット

 池田先生のメッセージ

 

創価の青年は“地涌の光明”

人類の未来を照らしゆけ

 

 我らの恩師・戸田先生の「原水爆禁止宣言」65周年に当たり、原点の天地・神奈川での「青年不戦サミット」、誠にご苦労さま!

 全国の青年部の代表と共に、希望の宝たる未来部の皆さんも凜々しく参加してくれ、何より頼もしく感じられてなりません。

 「核兵器なき世界」への我らの闘争は、一貫して師弟の共戦であります。不二なるがゆえに、行き詰まることはない。

 当時、恩師の宣言を報じた聖教新聞の同じ日の紙面で、私は、核兵器は「全世界の共通の憂い」であるとの主張を発表しました。その後も、私は師の心を心として、折々の会合で、“核兵器の使用を断じて許してはならない”と訴え続けたのです。

 その年の秋、戸田先生にお供して東海道本線に乗った折、道路建設の第一人者であった人物と知遇を得る機会がありました。語らいが弾む中、その方は先生の信念に感銘し、「あなたは絶対に崩れない心の道路を、全世界につくろうとしているんですな」と言われたのです。破顔一笑された恩師の姿がよみがえります。

 まさに、世界の民衆の生存の権利を守り抜くために、何があろうとも「平和と人道の大道」を断固として開いていくのが、我ら創価の師弟の誉れ高き使命なのであります。

 核兵器廃絶を求めてやまぬ市民社会の人々やNGO(非政府組織)との連帯を強める中で、「原水爆禁止宣言」の精神と響き合う「核兵器禁止条約」が昨年発効し、本年6月にはウィーンで第1回の締約国会議が開催されました。日本と各国のわが青年部の代表が出席し、核時代に終止符を打つためのグローバルな挑戦を力強く後押しする一翼を担ったことも、恩師はさぞお喜びでしょう。

 法華経に「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人は世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」(妙法蓮華経並開結575ページ)とあるように、世界の混迷がいかに深まろうとも、創価の青年一人一人が“地涌の光明”となって時代変革の行動を続ける限り、晴らすことのできない闇など、決してないはずです。

 「いまだこりず候」(新1435・全1056)という不屈の学会精神で「青年不戦」の声を強めながら、人類の未来を照らす若き世代の光のスクラムを敢然と広げゆくことを念願して、私のメッセージとします。(大拍手)

 

2022.9.10聖教3面

 

各方面の参加者がグループに分かれて今後の取り組みを協議(4日、神奈川文化会館で)


2022年9月10日

英国・エリザベス女王が死去

 チャールズ新国王にSGI会長が弔電

 

 イギリスのエリザベス2世女王が8日、滞在先のスコットランド・バルモラル城で死去した。享年96歳。女王の死去を受け、チャールズ皇太子が国王に即位した。

 池田SGI(創価学会インタナショナル)会長と原田会長は9日、心からの哀悼の意を表し、チャールズ3世新国王に、それぞれ弔電を送った。

 エリザベス女王は1952年の即位以来、英国史上最長の70年にわたり在位。「開かれた王室」の実現に努め、国民の絶大な支持と尊敬を集めた。

 SGI会長は弔電の中で、困難な時代にも屈せず、愛と勇気を示し続けた揺るがぬ姿は、世界中に計り知れない希望を送ったと称賛。その生涯は、民衆愛に満ちた慈母の微笑みとともに、人々の胸奥に生き続けると述べた。

 SGI会長は、89年5月にバッキンガム宮殿を表敬し、アン王女と会見。チャールズ新国王とは94年6月、イングランド南西部のグロスターシャーで会談している。

2022.9.10聖教1面


2022年9月6日

VOD新番組に収録された池田先生の指針

(1993年4月の全国青年部幹部会から)

 

皆で万年の平和と幸福の道を

 

「共に」の精神で立つ人は強い

 ガンジー「人に尽くした分だけ偉大に」

さあ真剣に祈り動こう

 広布の人生を悔いなく

 

「一人」の勇気と確信の信心で決まる。>

  

 池田先生のスピーチを収録した新番組「利他の行動で自他共の幸福を」が、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)に追加された。内容は、1993年4月に行われた全国青年部幹部会でのスピーチである。創価学会創立記念日の「11・18」へ、新たな出発を切り、弘教拡大に励みゆく友への指針として、その要旨を掲載する。

 ※VOD番組の時間は約8分、番組コード=AG15。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴可能。モバイルSTBで視聴する際は、インターネットを通してダウンロードが必要です。「SOKAnet会員サポート」では、VODの同番組は視聴できません。

 

 インドの偉大な初代首相ネルーは、アショーカ大王の“法による統治”という偉業をたたえている。

 「アショーカは、熱心な仏教徒となり、法(ダルマ)を弘めるために、全力を尽くしました。しかし、それは力や強制によったのではありません。彼は、ただ人々の心を勝ち取ることによって、仏法に帰依させたのです※1

 人々の心をつかむ――これがアショーカ大王の弘法であった。仏法の指導者の極理ともいえる。「広宣流布」の魂である。

 大切なことは、人間の心をつかむことである。“あの人に会うと、うれしい。安心だ。希望がわく。確信がわく。勇気がわく”――こう、人々から慕われるのが真の指導者である。

 青年の「心」、民衆の「心」を勝ち取っていくところに、新しい歴史が開かれる。それ以外にない。

 私たちは、どこまでも誠実に、どこまでも確信をもって進みたい。生き生きと、聡明に知恵を発揮しつつ、友情をすがすがしく広げてまいりたい。

 

民衆の味方

 インド独立の父ガンジーについては、これまで幾度となく語ってきた。本日も青年のために少々、紹介しておきたい。

 ガンジーは述べている。

 「友の幸福のために、尽くした分だけ、人は確実に偉大になる」

 「私の活動はすべて、私の飽くことなき人類愛に源を発している※2

 

 友の幸福のために行動する。

 人類の幸福のために

 日夜、働き、労苦の汗を流す

 ――ガンジーは、どこまでも他人の幸福、

 他人の利益のために生ききった。

 ゆえに偉大であり、

 ゆえに幸福であった。

 

 “人々のために”

 ――この精神で立つ人は強い。

 何ものも恐れない。

 恐れる必要がない。

 

 ゆえに私も、

 ここまで一切を乗り越えてこられた。

 一切に勝ってきた。

 負けなかった。

 

 利己の人は堕落である。

 向上がなく、

 充実がなく、

 幸福もない。

 

 だからこそ、わが学会は、

 いよいよ民衆の絶対の味方となって、

 戦っていく。

 諸君も戦っていただきたい。

 人類愛の「偉大な人生」であっていただきたい。

 

 日蓮大聖人の仏法は、

 全民衆を平等に「仏」にしゆく大法である。

 大聖人は、

 御自分と同じ境涯になりなさいと、

 そのために御本尊を遺してくださったのである。

 

 師と

 「同じ希望」

 「同じ信念」をもち、

 「同じ努力」を重ねていく

 ――それが弟子である。

 そのことによって「同じ境涯」にいたるのである。

 この師弟の道に、

 仏法の根本があり、

 人類向上の永遠の王道がある。

 

 ガンジーは“民衆のために

 「平和の道を開こう」

 「幸福の道を開こう」”と戦った。

 その模範の行動に、人々が続いた。

 

 皆さまも、

 よき先輩の「模範」に続いていただきたい。

 自分自身が「模範」となっていただきたい。

 海外の皆さまも、

 ご自身の「人間革命」の足跡が、

 そのまま、それぞれの国で、

 万年の「道」をつくっているのである。

 この尊き使命を確信していただきたい。

 

一人の確信

 さて、大聖人の門下が激しい弾圧を受けた

 熱原の法難。

 この大難に対し、

 恐れることなく立ち上がった青年に、

 南条時光がいる。

 時光が数えで21歳の時に与えられた御手紙では、

 こう激励されている。

 「『願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん』」(全1561・新1895)――願わくは、仏に供養する功徳をあまねく一切に及ぼし、自分たちと衆生が皆、ともに成仏できますように――。

 皆さまの広布への献身は、

 仏への最大の供養である。

 妙法のために行動した功徳は、

 自分だけでなく、父母、兄弟など、

 すべての縁ある人々の成仏への力となっていく。

 

 皆を幸福の方向へ向かわせてあげられる。

 ゆえに「一人」が立てばよい。

 一切は「一人」から出発する。

 「一人」の勇気と確信の信心で決まる。

 このことを、

 私はきょう、強く申し上げておきたい。

 

 また、

 人の幸福を祈れば、

 その分、自分が幸福になっていく。

 人の健康を祈れば、その分、

 自分の健康も守られる

 ――これが妙法の不思議な力用である。

 

 「利己」と「利他」のどちらに力点があるかで、

 人間の偉大さは決まる。

 信心が本物かどうかも決まる。

 皆さまは、法のため、友のため、真剣に祈り動いて、

 「利己」から「利他」へと、

 ダイナミックな生命の転換を、

 偉大なる人間革命を実現していただきたい。

 

 大聖人は仰せである。

 「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(全970・新1324)――一生を空しく過ごして、万年にわたって悔いることがあってはならない――と。

 一生は短い。

 しかし、

 生命は永遠である。

 短い今世の戦いによって、

 永遠の福徳を積むことができる。

 ゆえに決して、

 今世の法戦に悔いを残してはならない。

 人生に悔いを残しては何のための信心か。

 

 広布に生きる人生は多忙である。

 苦労も多いかもしれない。

 しかし、

 普通の人生の10倍、100倍の価値ある

 人生を生きているのである。

 大聖人の仰せのとおり、

 永遠の栄光につつまれた人生であることを

 確信していただきたい。

 諸君の成長と、

 ご活躍を心から祈りつつ、

 スピーチを終わりたい。

 全国の青年部の諸君、ご苦労さま!

 これからの戦い、よろしくお願いします!

 

 〈出典〉

 ※1=Jawaharlal Nehru,Glimpses of World History:Being Further Letters to His Daughter,Written in Prison,and Containing a Rambling Account of History for Young People,John Day Company

 ※2=Quotes of Gandhi,compiled by Shalu Bhalla,UBS Publishers,Distributors

 

1993年4月の全国青年部幹部会


2022年9月1日

ゴルバチョフ元ソ連大統領が死去

 SGI会長が弔電

 

10度の会見 対談集を発刊

 

 東西冷戦を終結に導いたミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領が8月30日、モスクワで死去した。91歳だった。

 池田SGI(創価学会インタナショナル)会長と原田会長は同31日、心からの哀悼の意を表し、それぞれ弔電を送った。

 ゴルバチョフ氏は1985年、54歳でソ連共産党書記長に就任すると、疲弊する国内社会の立て直しを図る「ペレストロイカ」と情報公開「グラスノスチ」を断行した。

 外交では、西側諸国との平和共存、核軍縮を目指す「新思考外交」を推進し、ベルリンの壁崩壊をはじめとする東欧革命を容認。89年12月、マルタでの米ソ首脳会談で冷戦終結を宣言した。多大な功績に90年、ノーベル平和賞が贈られている。

 池田SGI会長とはソ連大統領時代の90年7月、モスクワのクレムリンで初会見した。翌91年4月、ソ連の国家元首として初の来日を果たした際も東京で再会。退任以降も語らいを重ね、会見は合わせて10度にわたる。

 また両者は対談集『20世紀の精神の教訓』を発刊。共に第2次世界大戦の惨禍を体験した世代として、平和と生命尊厳、環境との共生の21世紀を開く方途を語り合った。

 SGI会長は弔電の中で、初会見以来の語らいの全てが胸奥深く刻まれていると述懐。筆舌に尽くせぬ苦労を重ね、東西の冷戦を終結させた功績と精神的遺産は、「人類の未来を照らす不滅の光源」として多くの人々の心の中で輝き続けると、たたえている。

 

2022.9.1聖教1面


2022年8月28日

【法恩】

 あいがたき妙法に巡りあえた大恩は

 天空よりも高く、

【師恩】

 慈折広宣流布の師弟に生き抜ける大恩は

 大海よりも深い。

 

【御義口伝】

人類が立ち返る原点は何か

それは、「生命」そのもの

 

  

 一、それは25年前、

 仏教源流の天地インドで、

 各界の識者を前に、

 私は21世紀を「ニュー・ヒューマニズムの世紀

 へと展望する講演を行いました。

 〈1997年10月、ニューデリーのラジブ・ガンジー財団本部での講演〉

 その折、

 宗教が独善に陥らないためには、

 どうすればいいか

 それには、

 「教育」という

 知性と普遍性の翼を持つこと

 であると申し上げました。

 

 子どもたちを伸びやかに幸福へ導き、

 青年を聡明に育て、

 人と人を平和に結ぶことこそ、

 「人間のための宗教」の要件である

 と提起したのであります。

 

 うれしいことに、

 今、インドをはじめ全世界で、

 地涌の若人が生き生きと躍動し、

 新たな英知と希望の波また波を起こしてくれています。

 

 一、創価の父・牧口先生は、常々、

 「行き詰まったら原点に戻れ」と叫ばれました。

 

 今、人類が立ち返る原点は何か

 それは、「生命」そのものでありましょう。

 

 この「生命」に本源的な智慧の光を当てている哲理が、

 法華経の肝要であり、

 日蓮仏法の真髄である「御義口伝」であります。

 戸田先生と師弟して、

 まさしく日蓮大聖人から直々に口伝を拝する覚悟で、

 一文一文、心肝に染め、実践してきた御書です。

 

 そして、私が学生部の英才たちと

 「御義口伝」の研鑽を開始して、

 この8月で60年となります。

 瞳も凜々しき受講生の心を受け継ぎ、

 今の学生部・青年部が真剣に

 「行学の二道」に励む姿が、

 誠に頼もしい。

 

 「御義口伝」の

 「生命観」

 「生死観」

 「社会観」

 「宇宙観」が、

 どれほど深遠であり、

 どれほど壮大であるか。

 

 例えば、

妙法蓮華経を見れば、

 宝塔即ち一切衆生、

 一切衆生即ち南無妙法蓮華経の全体なり

 (新1111・全797)と仰せであります。

 

 まり、

 一人一人の生命の妙法蓮華経を見るならば、

 法華経で涌出した巨大にして荘厳なる宝塔は

 即ち一切衆生のことであり、

 一切衆生は即ち

 南無妙法蓮華経の全体なのである、

 と示されております。

 

 ゆえに、

「今、日蓮等の類い、

 南無妙法蓮華経と唱え奉る

 我らは、わが心は本来の仏なりと

「歓喜の中の大歓喜」(新1097・全788)を漲らせ、

 

 人間尊敬の対話で、

 最極の生命尊厳の宝塔を「二人・三人・百人」と

 林立させていくのであります。

 

 そして、

千草万木(千差万別のあらゆる草木)も

 地涌の菩薩でないものはない

 (新1047・全751、通解)と仰せのように、

 この大宇宙に遍満する、

 命を育む妙なる慈悲の力用を、

 我らの題目の響きで一段と強め、

 地球民族の幸福と平和へ、

 全てを生かしながら価値創造していくのであります。

 

 一、確固たる精神の指標が求められてやまない現代にあって、

 誰もが人間革命し得る

 真の民衆仏法であり、

 人類の宿命を転換し得る

 真の世界宗教である

 「太陽の仏法」の極理を、

 創価の師弟は

 「哲学界の王者」の誇りも高く、

 いよいよ語り、

 いよいよ広めてまいりたい。

 この秋には、仏法入門の任用試験が行われます。

 

 私も多くの求道の友からの要請に応え、

 「大白蓮華」の11月号から、

 新たに「御義口伝」の要文の講義を

 開始したいと思っております(大拍手)。

 

 一、ここで、私の入信75周年を真心から祝賀してくれた全宝友に感謝を込めて、以前に書き留めた一書を披露させていただきます。

 「法恩」、そして「師恩」であります。

 

 あいがたき妙法に巡りあえた大恩は

 天空よりも高く、

 慈折広宣流布の師弟に生き抜ける大恩は

 大海よりも深い。

 そして、

 異体同心の同志と共に、

 この恩を知り、

 この恩に報いんとする一念には、

 何ものをも勝ち越える勇気と

 未来の友の道を開く力が

 尽きることなく湧いてくる。

 これが、わが不退の75星霜を貫く大確信であります。

 

 最後に「御義口伝」の一節を拝したい。

 「『心無所畏(心に畏るるところ無し)』とは、

 今、日蓮等の類い、

 南無妙法蓮華経と呼ばわるところの折伏なり

 (新1066・全765)と。

 

 この恐れなき折伏精神、

 威風堂々の学会精神を燃え上がらせ、

 新時代の山本伸一たちを旗頭に、

 「人間革命」即「生命ルネサンス」の

 地涌の舞を誓い合って、

 メッセージとします。

 皆、健康第一であれ!(大拍手)

 

2022年8月28日本部幹部会への池田先生のメッセージ

 


2022年8月23日

慈折広布を前へ、前へ 

原田会長を中心に各部代表者会議

 

 第19回各部代表者会議が22日、原田会長を中心に、東京・信濃町の広宣会館(学会本部別館内)で行われた。

 

 池田先生はメッセージを贈り、冒頭、猛暑や大雨の中、全国の墓地公園・納骨堂や研修道場等の運営に当たった同志らの真心の献身に感謝。常盆・常彼岸の意義から、亡くなられた功労の全同志、またご家族に毎日、追善の題目を送らせていただいていると述べた。

 次いで、1950年(昭和25年)の8月22日、戸田城聖先生を囲んで職場の全体会議が行われ、事業の停止が決定した苦境の淵にあって、先生が「本当の戦いはこれからだ」と宣言したことを述懐。その恩師の心に応え、若き池田先生がこの日の日記に記した

再び、次の建設に、先生と共に進む。

 唯これだけだ。前へ、前へ、永遠に前へ」との一念を、不二の弟子である君たちに託したいと語った。

 さらに、日蓮大聖人の御志に直結する聖教新聞の創刊を戸田先生と構想したのが、この2日後の8月24日であったことに言及。

 御聖訓

一切の諸人、これを見聞し、

 志有らん人々は、互いにこれを語れ

 (新1303・全967)を拝読しつつ、

聖教新聞を一段と高らかに掲げ、

 地涌の若人を呼び出す慈折広宣流布を、

 団結固く、前へ、前へ、勝ち進めていこう!

皆、師子奮迅の大生命力で!

 と呼び掛け、メッセージを結んだ。

 

 原田会長は、8月24日で池田先生の入信75周年を迎えることに触れ、先生が青年時代の師弟の誓いのままに戦い抜かれたからこそ、今日の学会の世界的発展はあると強調。

 弟子の私たちは師の闘争に連なり、生涯、「青年の心」で進み、まずは目の前の座談会の成功から、勢いよく下半期を出発しようと望んだ。

 さらに、9月8日が戸田先生の「原水爆禁止宣言」発表から65周年であることに言及。「一閻浮提うちみだすならば、『閻浮提内、広令流布(閻浮提の内に、広く流布せしむ)』は、よも疑い候わじ」(新1969・全1467)を拝しつつ、日本社会と世界に不信と対立が渦巻く今こそ、平和と核兵器廃絶を実現し、広宣流布を進める「時」と捉え、人間主義の連帯を広げていこうと訴えた。

 また長谷川理事長、谷川主任副会長、川原男子部大学校事務局長があいさつした。


2022年8月12日

SUA入学レセプションへの池田先生のメッセージ

戸田先生「人間の生命には無限の可能性」

 

忍耐の挑戦で希望の未来を

 一、人類を「希望の光」で照らしゆく22期生の皆さん、そしてまた、誇り高く大学院に進学する皆さん、晴れの門出、誠におめでとうございます。 

 送り出してくださったご家族にも、心より感謝と祝福を申し上げます。

 打ち続くコロナ禍の困難な中で準備を重ね、新入生を迎えてくれた、教職員をはじめ大学関係者の皆さん、在学生の皆さんにも、深く御礼を申し上げます。

 一、毎年、ここアリソビエホの丘に、最優秀の新入生を迎える8月は、私にとって、19歳で師と仰ぐ偉大な平和の民衆指導者・戸田城聖先生と初めて出会った月であります。今年で75年となります。

 第2次世界大戦下、信念の獄中闘争を勝ち越えた戸田先生が、戦後の荒廃し切った社会で一貫して訴えられたのは、「人間の生命には最極にして無限の可能性がある」ということでした。尽きることのない希望も勇気も智慧の泉も、一人一人の生命の中にある。それを涌現させていくならば、個人の幸福も、社会の平和と繁栄も必ず実現できる、との信念であります。

 私たちの大切な友人であり、SUAにゆかりの深い、アフリカの環境運動の母ワンガリ・マータイ博士も語っていました。

 「希望は花のようである。どんな状況においても、誰が見ていようがいまいが、花は精一杯、咲き誇る。人間もまた同じである」と。

 国家や民族、思想や宗教など、あらゆる差異を乗り越えて連帯を築き、全ての人の尊厳が保障される、持続可能な地球社会を創造していくことが、今ほど求められている時はありません。世界の各地から多彩な学生が集うSUAのキャンパスこそ、世界市民を育む「英知の大城」です。地球民族が切望してやまない「世界平和の揺籃」です。

 どうか、「わが生命には宇宙大の可能性がある」と胸を張り、日々の地道にして忍耐強い一歩一歩の挑戦が、人類の希望の未来を開きゆくとの誇りに燃えて、朗らかにして不屈の楽観主義で堂々と進んでいってください。

 敬愛してやまない皆さんの前途に、健康あれ! 栄光あれ! 勝利あれ! と祈りつつ、私のメッセージといたします(大拍手)。

 

2022年8月12日SUA入学レセプションへの池田先生のメッセージ

2022年8月4日

未来のため 平和のために

 

「正義の走者」の大星雲ここにあり

  

 「人類の平和を守るフォートレス(要塞)」たる、わが創価大学の講堂には、フランスの大文豪ビクトル・ユゴーが書物を携えて闊歩する像が立つ。 

 台座には――

 「海洋よりも壮大なる光景、それは天空である。天空よりも壮大なる光景、それは実に人の魂の内奥である」との、名作『レ・ミゼラブル』の深遠な一節が刻まれている。

 今、この天空の壮大なる広がりを、より遠く、より明晰に観測しているのが、米航空宇宙局(NASA)のジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡である。

 史上最大の宇宙望遠鏡から届いた天座の画像は、

 ――生まれたばかりの星々が大きく明るく成長しゆく大星雲、

 ――百三十五億年前とも推定される太古の銀河等、目を瞠るばかりである。

 願わくは、加速する天文学の進展とともに、我ら地球民族の心も、さらに大きく賢く広げて、かけがえのない「いのちの星」を守り、平和に栄えさせていきたいものである。

 そのために、内なる宇宙というべき人間自身の生命の内奥を解明しゆく仏法の英知が、いやまして求められるのではないだろうか。

 

子どもの真の名

 ユゴーは、子どもたちの心の世界にこそ、大いなる希望を見出していた。

 「子どもの本当の名前は何か」と、彼は問いかける。

 答えは「未来」である。

 「子どもの心に、種を蒔こう」。そして「正義」と「歓喜」を贈り、「子ども」を育てながら、「未来」を育てよう、と呼びかけたのである。

 恩師・戸田城聖先生のもとで、このユゴーの作品を学んだ折、先生は語られた。

 「子どもは未来の宝だ。未来からの使者だと思って大事にしなさい」

 わが未来部の「躍進月間」である夏を迎えるたび、この恩師の慈愛の声が蘇る。宝の中の宝である未来部の心に、勇気の種を蒔く夏だ。希望の未来を育む夏だ。

 「E―1グランプリ」「E―1フェスティバル」をはじめ、少年少女部は「きぼう作文コンクール」「少年少女希望絵画展」、中・高等部の友は「読書感想文コンクール」などへの挑戦を通し、大切な飛躍の節を刻んでいる。

 列島各地で行われている「創価ファミリー大会」は、励ましの善縁をどれほど地域に社会に広げているか。

 日蓮大聖人は、「よ(善)き人にむつ(睦)ぶもの(者)、なにとなけれども心もふ(振)るま(舞)いも言もなお(直)しくなるなり」(新2041・全1591)と仰せである。

 あらためて未来部担当者の皆様方に、心から感謝申し上げたい。また、教育本部等の方々のサポートも、有り難い限りである。

 

強く善く賢く!

 この八月、創価大学を舞台に、後継の「正義の走者」である中等部の研修会(四日、一都三県)、高等部の研修会(六日、全国中継)が行われる。

 “創価教育の父”牧口常三郎先生の喜びも、いかばかりか。

 思えば、あの太平洋戦争が始まった時、私は十三歳。終戦時は十七歳であった。まさに今の中学・高校生の世代に当たる。

 今、未来部の君たちが、コロナ禍をはじめ激動の時代にあって、生命尊厳の仏法を持ち、「勉学第一」「友情第一」で負けじ魂の青春を送っている。共に励まし合って成長しゆく同志である。これほど嬉しく、頼もしいことはない。

 アメリカの名門ハーバード大学で、私は大乗仏教、なかんずく日蓮仏法が必ずや二十一世紀文明に貢献し得ることを講演した。(一九九三年九月、二度目の講演)

 その時に提起した判断の基準が、

 宗教をもつことが人間を

 「強くするのか弱くするのか」

 「善くするのか悪くするのか」

 「賢くするのか愚かにするのか」

 という、三点である。

 創価の未来部は、若くして妙法を信仰することで、まぎれもなく「より強く」「より善く」「より賢く」なる生命の軌道を上昇していることを誇りとしていただきたいのだ。

 

人格を尊重して

 日蓮仏法は、万人に「尊極の仏の生命」を見出す。人種も民族も国籍も、また性別も職業も立場も、そして年齢も全く関係ない。

 大聖人は、子どもを授かった門下の夫妻に「現世には跡をつ(継)ぐべき孝子なり、後生にはまた導かれて仏にな(成)らせ給うべし」(新1631・全1123)と祝福されている。

 子どもを一人の最極なる生命の当体として、尊敬し、尊重し、信頼することは、仏法者の当然の振る舞いと言ってよい。

 法華経に登場する、八歳の竜女が、自らの即身成仏の姿を通して、「万人成仏」に疑いを抱いていた大人たちに「妙法への信」を奮い起こさせていく場面も、「子どもの尊厳性」を伝えるメッセージであろう。

 子どもの人権というテーマについては、元国連事務次長のチョウドリ博士と語り合ったことも懐かしい。国連で一九八九年に採択された「子どもの権利条約」の推進に、大きな役割を果たされた方である。

 博士は、二つのポイントに光を当てられていた。

 一つは、「子どもには権利があり、その権利を大人社会は認める必要がある」という基本理念だ

 二つには、大人の行いが、現在あるいは将来に子どもたちに影響を及ぼす場合、子どもに意見を聴くべきである――という点である。

 子どもを一個の人格として敬愛し、相手の発達段階に合わせて伸びやかに意見を引き出しながら、その思いを受け止め、理解し、できる限り反映しようと努めることとも言えようか。

 まさしく「対話」である。

 家庭で、また地域で、子どもたちとこうした「語らい」を重ねることそれ自体が、互いの「対話力」を育み、望ましい人間関係をつくる力を伸ばしていく。ひいてはそれが、平和な地域・社会の建設にもつながっていくことを確信したい。

 「もし私たちが、本当に世界の平和を実現したいのなら、そして戦争をなくす戦いを進めたいのなら、それは子どもたちから始めなければならない」と、若き生命の可能性を信じ抜いたマハトマ・ガンジーは断言した。

 

「励まし」を注げ

 法華経の宝塔品では、十方分身の諸仏が、釈尊と多宝如来のもとへ集まってくる。それは何故か。

 開目抄では、「法華経を弘めて未来の一切の仏子にあた(与)えん」がためであると、明かされている(新120・全236)。

 その熱情は、大きな苦しみに遭っているわが子を何としても救いたい、と願う父母よりもさらに強盛であると、大聖人は仰せだ。

 焦点は「未来」である。「未来」を担い立つ子どもたち、青年たちのために、深き慈愛をもって道を創りゆく、創価家族の献身こそ、「仏の御心」を体現した姿にほかならない。

 創価学会は、人を励まし、人を育てゆく究極の人間教育の大地である。

 人を育てることは難事中の難事だからこそ、その功徳もまた計り知れない。

 報恩抄は「花は根にかえ(帰)り、真味は土にとど(留)まる」(新262・全329)と結ばれている。

 広布後継の人材の花を咲かせるため、子どもたちの心の大地に「励ましの水」を絶え間なく注ぎ、「太陽のごとき祈り」を重ね続ける友の生命と一家眷属には、大いなる「幸福の花」「福徳の実り」が限りなくもたらされるに違いない。

 

困難をも使命と

 恩師は厳然と語られた。

 「百年後、二百年後のために、今、戦うのだ。二百年先には、創価の道の正しさを歴史が証明する。後世の人類が必ず証明するよ

 七十五年前(一九四七年)の八月、十九歳の私が初めて戸田先生と出会った折に問うた「正しい人生」の答えも、師と共に歩み、生き抜く中で、そして後継の友を慈しみ、育みゆく中で、強く深く会得できた。

 そして今、私と同じ心で、従藍而青の若人を守り育ててくださる不二の同志が、日本中、世界中にいる。

 現在の未来部員は、学会創立百周年の二〇三〇年、そして二十二世紀から遥かその先へと、世界広布の万代の流れを決定づける「令法久住」の正義の走者だ。

 「艱難に勝る教育なし

 今の若き世代に立ちはだかる困難の大きさは、即、「平和と人道の世紀」を開く使命の大きさでもあろう。

 だからこそ共々に、久遠元初の大生命力を満々と滾らせ、末法万年尽未来際へ――地涌の大星雲から創価の人材星を、歓喜踊躍して、いよいよ明るく賑やかに輝かせようではないか!

 

 ユゴーは『レ・ミゼラブル』豊島与志雄訳(岩波書店)、また「追放」神津道一訳『ユーゴー全集9』(同全集刊行会)参照。ガンジーは『マハトマ・ガンジー全集48』(英文)。

 

2022年8月4日〈随筆 「人間革命」光あれ 池田大作〉 

2022年7月26日

池田SGI会長 

NPT再検討会議への緊急提案

 

核兵器の脅威が冷戦後で最も危険なレベルに

「先制不使用」の誓約で明確な歯止めを

民衆の生存の権利を基軸にした

安全保障の見直しが急務

 

  

広島と長崎への原爆投下から77年

 

 広島と長崎への原爆投下から、まもなく77年を迎えます。

 しかし、いまだ核兵器廃絶に向けた本格的な軍縮が進んでいないばかりか、核兵器が再び使用されかねないリスクが、冷戦後で最も危険なレベルにまで高まっていることが、懸念されてなりません。

 核兵器に対し、“決して使用してはならない兵器”として明確に歯止めをかけることが、まさに焦眉の課題となっているのです。

 本年1月3日、核兵器国であるアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の首脳は、「核戦争の防止と軍拡競争の回避に関する共同声明」を発表していました。

 そこで確認されていたのが「核戦争に勝者はなく、決して戦ってはならない」との精神でしたが、世界の亀裂が深まった現在の情勢においても、“核戦争に対する自制”という一点については決して踏みにじる意思はないことを、すべての核兵器国が改めて表明すべきではないでしょうか。

 その上で、核兵器の使用という“破滅的な大惨事を引き起こす信管”を、現在の危機から取り除くとともに、核兵器による威嚇が今後の紛争で行われないようにするために、早急に対策を講じることが求められると思えてならないのです。

 そこで私は、国連で8月1日から行われる核兵器不拡散条約(NPT)の再検討会議で、以下の内容を最終文書に盛り込むことを、緊急提案として呼びかけたい。

 一、1月の共同声明について核兵器国の5カ国が今後も遵守することを誓約し、NPT第6条の核軍縮義務を履行するための一環として、直ちに核兵器のリスクを低減させる措置を進めること。

 一、その最優先の課題として、「核兵器の先制不使用」の原則について、核兵器国の5カ国が速やかに明確な誓約を行うこと。

 一、共同声明に掲げられた“互いの国を核兵器の標的とせず、他のいかなる国も標的にしていない”との方針を確固たるものにするため、先制不使用の原則に関し、すべての核保有国や核依存国の安全保障政策として普遍化を目指すこと。

 

“自他共の平和と安心”の追求を!

 

 NPTの枠組みに基づいて最優先で取り組むべき課題として、特に「核兵器の先制不使用」を挙げたことには理由があります。

 これまでの核抑止政策の主眼は、核兵器の使用をいかに“他国”に思いとどまらせるかにありました。その結果、核保有国がさらなる軍拡に傾く状況が生じてきたと言えましょう。

 その状態から一歩を踏み出して、“他国”の核兵器の脅威に向けてきた厳しい眼差しを、“自国”の核政策がはらむ危険性にも向け直していく作業を通しながら、「核戦争の防止」のために自国としてどのような貢献を為しうるかについて真摯に検討し、核リスクを抜本的に低減させるための具体的な措置を進めていく――。このパラダイム転換への突破口として、「核兵器の先制不使用」の方針を各国が明確な形で示し合うことを、私は提唱したいのです。

 緊迫した状況が続くウクライナ情勢を前にして、核保有国や核依存国の間でも新しい動きがみられます。

 特に注目されるのは、核兵器廃絶などを目指す世界の都市のネットワークである「平和首長会議」に、核保有国や核依存国を中心に124の自治体が新たに加盟したことです。

 今や、世界166カ国・地域の8000を超える自治体が、核兵器による惨劇を“自分たちの町や都市”に対して起こさせないだけでなく、“地球上のどの町や都市”にも起こさせないために連帯を広げているのです。

 国の違いを超えて「自他共の平和と安全と安心」を求める世界の自治体の意識変革の広がりに、核保有国や核依存国が踏み出すべき「安全保障のパラダイム転換」のモデルがあるように思えてなりません。

 その意識変革の源流には、自らの悲痛な体験を通して「核兵器による惨劇をどの国の人々にも引き起こしてはならない」との訴えを続けてきた、広島と長崎の被爆者や、核実験と核開発に伴う世界のヒバクシャの存在がありました。

 そして、その思いと連動して市民社会で広がった連帯を受け、2017年に採択され、昨年に発効したのが核兵器禁止条約にほかならないのです。

 

「原水爆禁止宣言」を受け継ぐ活動

 

 本年6月、その第1回締約国会議が開催されましたが、そこで採択されたウィーン宣言と行動計画で明記された通り、NPTと核兵器禁止条約は補完し合う関係にあるものです。

 地球に生きるすべての人々と将来の世代のために「核兵器のない世界」への橋を架けることは、そもそもNPTで希求されていたものだったからです。

 その挑戦を前に進めるために、今、核保有国の側から新たな行動を起こすことが必要ではないでしょうか。それこそが、NPTの前文に刻まれた“全人類に惨害をもたらす核戦争の危険を回避するために、あらゆる努力を払う”との誓いを果たす道であると訴えたいのです。

 私たちも、創価学会の戸田城聖第2代会長が、世界の民衆の生存の権利を守る立場から核兵器の使用は絶対に許されないと訴えた「原水爆禁止宣言」(1957年9月)を原点に、核兵器禁止条約の実現をはじめ、「核兵器のない世界」への橋を架けるための運動に取り組んできました。

 この宣言の精神を礎に私が創立した戸田記念国際平和研究所では、締約国会議が閉幕した翌日(6月24日)にウィーンで、『核兵器禁止条約――世界の核秩序の変革に向けて』の出版記念会を行いました。

 この研究書籍で焦点となったのも、核兵器禁止条約の意義に加えて、核保有国が安全保障政策を見直すことの緊要性にほかなりませんでした。そこで論じられている通り、「核兵器の先制不使用」の方針が世界の安全保障環境の改善にもたらす効果には、極めて大きいものがあります。

 2年前(2020年6月)に中国とインドが係争地域で武力衝突した時、数十人にのぼる犠牲者が出る状況に陥りながらも、両国が以前から「核兵器の先制不使用」の方針を示していたことが安定剤として機能し、危機のエスカレートが未然に防がれたという事例もあるのです。

 また研究書籍では、先制不使用の方針が核リスクのさらなる低減への「ポジティブな循環」を促す可能性を指摘していました。

 この方針が核保有国の間で定着していけば、核兵器は“使用されることのない兵器”としての位置付けが強まり、核軍拡を続ける誘因が減るだけでなく、“核の脅威の高まりが新たに核保有を求める国を生む”という核拡散の解消にもつながる――と。

 

新たな時代を開く力に人間の真価が

 

 その上で私は、この方針転換がもたらす影響は、安全保障面での「ポジティブな循環」だけにとどまらないことを強調したい。

 世界に緊張と分断をもたらしてきた“核の脅威による対峙”の構造を取り除くことで、核軍拡競争に費やされている資金を人道目的に向けていくことも可能となり、新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)や気候変動問題をはじめ、さまざまな脅威にさらされている大勢の人々の生命と生活と尊厳を守るための道が、大きく開かれるに違いないと確信するからです。

 東洋の箴言に、「人の地によって倒れたる者の、返って地をお(押)さえて起つがごとし」(御書新版697ページ・御書全集552ページ)との言葉があります。

 危機を危機だけで終わらせず、そこから立ち上がって新たな時代を切り開くことに、人間の真価はあると言えましょう。

 8月のNPT再検討会議という絶好の機会を逃すことなく、核兵器国による「核兵器の先制不使用」の原則の確立と、その原則への全締約国による支持を最終文書に盛り込むことを目指していく。そしてまた、広島と長崎の被爆者や世界のヒバクシャが訴えてきた「核兵器による惨劇をどの国の人々にも引き起こしてはならない」との精神を踏まえながら、非核兵器国に対して核兵器を使用しないという「消極的安全保障」についても明確な誓約を行うことで、安全保障のパラダイム転換を促す出発点にしていくことを強く呼びかけたいのです。

 

2022年7月26日聖教新聞3面

2022年7月26日

インド新大統領にSGI会長が祝電

 

 池田SGI会長は25日、インドの大統領に就任したドラウパディ・ムルム氏に祝電を送った。

 SGI会長は、ムルム氏の新大統領就任はインドの輝かしい未来を約束するとともに、新時代の幕開けを告げる希望の暁鐘であると強調。

 インドの大地に脈打つ「非暴力の精神」と「調和と共生の智慧」で、全世界を調和と安定と平和へ導きゆくことを期待した。

 

2022年7月26日聖教新聞トップ

2022年7月22日

壮大な人間触発の大地を

 

民衆奉仕の衆望の人材を送り出す時代

 

 1951年(昭和26年)の7月、男女青年部の結成に引き続いて、22日には、創価学会常住御本尊を初めて掲げ、意義深き臨時総会が行われた。

 戸田先生は、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の御本尊の御前に、功労の老若男女を招き、日蓮大聖人がどれほどお褒めになられているか、素晴らしいご褒美をくださるに違いないと讃えられた。

 総会の最後には、壇上に並んだ若人たちを笑顔で見守り、宣言されたのである。

 「この青年たちがいる限り、学会は絶対に盤石であります」と。

 本年「青年・飛躍の年」の上半期、わが創価家族は「慈折広宣流布」へ、「立正安国」へ、異体同心の団結で走り抜いてくれた。

 まさしく御本仏の御照覧はいかばかりか。戸田先生も、さぞかし、お喜びであろう。

 * * 

 あの「大阪の戦い」を終えた直後、師と私は展望した。

 ――学会は目先の毀誉褒貶を超え、広く社会を潤し、壮大な人間触発の大地を耕そう! そこから、人類の新しい未来を開くのだ、と。

 

 今や、あらゆる分野に、

 民衆奉仕の衆望の人材を送り出す時代に入った。

 

 これこそ、勝利の実像だ。

 この夏も、大いに人材を見つけ、励まし、育てたい。

 「未来部躍進月間」も始まっている。 

 男子部は、凜々しき大学校生を先頭に、弘教拡大へ勢いよく出陣した。

 学生部は「行学の二道」の実践に挑み、伝統の教学実力試験を行う。

 華陽の乙女たちは、桜梅桃李のスクラムを朗らかに輝かせている。

 きょう7月22日、平和の天使・鼓笛隊は、結成記念の日を迎えた。

 広布の楽雄・音楽隊と共に、出身者たちの活躍も、世界中で光る。

 誇らかな青春錬磨の舞に皆で大拍手を送りたい。

 * * 

 60年前の夏、天高く響かせた、忘れ得ぬ歌声がある。

 沖縄本部の落成式の折、屋上で私が指揮を執り、会場に入り切れなかった場外の方々と歌い上げた「沖縄健児の歌」である(1962年7月18日)。

 この折、約し合った通り、わが愛する沖縄の同志は、万里の波濤を乗り越えて、「全ての人が、最後は必ず幸福になれる」との仏法の法理を証明しつつ、広布の先駆の宝土を築いてきた。

 使命の献身を貫く沖縄をはじめ日本と世界の宝友の健康・和楽・福徳を、私も妻もひたぶるに祈っている。

 「白馬のなくは我らが南無妙法蓮華経のこえなり」(新1447・全1065)

 朗々たる題目の音律で、自他共の色心に大生命力を漲らせ、諸天の威光勢力を倍増しながら、誓願の国土に希望と安穏を奏でよう!

 

2022年7月22日〈池田先生と共に 新たな広布の勝利山へ〉

2022年6月30日

負けじ魂のバトンを君に

 

さあ平和と幸福の波を!

今日も仏の仕事を続けよう

 

 今日六月三十日は、

 若き普賢菩薩の陣列たる学生部の

 結成六十五周年の記念日である。

 今年は、私が学生部に行った

 「御義口伝」講義から六十年ともなる。

 真剣に研鑽した愛弟子たちと、

 御書に仰せのごとく「同じしらが(白髪)

 (新1838・全1509)になるまで、

 師弟して共に戦えることは、

 この上ない喜びである。

 

 皆、生々世々の友である。

 ある日の講義の折、「楽天的であることは、指導者の要件でしょうか?」という質問が上がった。学生部らしい問いである。

 私は言った。

 ――わが一念に、

 戦いを絶対に勝ち抜くという用心と気概がなくてはならない。

 それがない楽観主義では、

 民衆の心を真に考えていない指導者となる。

 例えば、

 自身が悪口を言われ、難を受けた。

 それでも広宣流布のため、

 人びとの幸福勝利のために、

 微笑みながら、凜然と進む。

 それが真の楽観主義だ、と。

 

 今、学びに学んで、

 労苦を厭わず民衆の大地に飛び込み、

 平和のため、未来のために

 金の汗を流す従藍而青の男女学生部が、

 どれほど人類の希望となり、

 英明な大指導者と育ちゆくか。

 私は楽しみでならない。

 

その人が勝利者

 我らの勇気の行進は、

 妙法で結ばれた世界中の宝友の祈りと、

 いつも共にある。

 

 先日も、イタリア婦人部の皆さんが、

 日本の女性部へエールを込めて、

 素晴らしい愛唱歌「平和の使者」の動画を送ってくれた。

「心を合わせよう

 声を合わせよう

 波を起こしていこう

 平和と幸福の波を」と。

 思えば、三十年前(一九九二年)の六月、

 ルネサンスの都フィレンツェを訪問中、

 女性メンバーたちの凜々しき決意の冊子に、

 私は感謝を込めて書き記した。

 

「負けない人 その人は勝った人

 唱題の人 その人は幸の永遠の人

 広布に生きる人 その人は三世の長者の人」

 

 時代の試練にも負けじ魂朗らかに、

 イタリアの天地に躍動する

 同志の歌声と笑顔は、何と崇高なことか!

 

 日蓮大聖人は、

 弘安元年(一二七八年)の七月三日、

 妙法尼御前に仰せられた。

 「この法華経には、我らが身をば法身如来、我らが心をば報身如来、我らがふ(振)るま(舞)いをば応身如来と説かれて候えば、この経の一句一偈を持ち信ずる人は、皆この功徳をそな(具)え候」(新2098・全1402)

 まさしく今、創価の女性たちは、

 尊き心身に仏の大生命力を漲らせ、

 人間尊敬の振る舞いで、

 平和と幸福の波を起こしている。

 人生円熟の輝きを放つ、

 多宝の母たちをはじめ、

 大切な一人ひとりの無事安穏と健康長寿、

 福徳無量と所願成就を祈り、

 私と妻は題目を送り続ける日々である。

 猛暑の中、体調には、

 くれぐれも気をつけていただきたい。

 

立正安国の月へ

 今年も、

 「立正安国の月」にして

 「師弟の月」

 「青年の月」、

 そして「関西の月」である七月が巡り来る。

 

 わが師・戸田城聖先生は、

 一九四五年(昭和二十年)の七月三日、

 軍部政府による二年間の弾圧を耐え抜き、

 生きて出獄された。

 先生に私が初めてお目にかかったのは、

 その二年後(一九四七年)のことである。

 先生は座談会で「立正安国論」を講義され、

 呼び掛けておられた。

 

「私は、この世から

 一切の不幸と悲惨をなくしたい。

 これを広宣流布という。

 どうだ、一緒にやるか!」

 

 この師弟の共戦を誓願し、

 「人間革命」即「立正安国」の

 平和運動に身を投じて、

 七十五星霜となる。

 

 私が事実無根の罪により、

 大阪の地で投獄されたのは、

 先生との出会いから十年後(一九五七年)

 の七月三日である。

 

「もし恩を知り心有る人々は、

 二つ当たらん杖には一つは替わるべきことぞかし」

 

 (新2084・全1450)との御金言を体し、

 師弟不二の信心で、

 一切を変毒為薬した難であった。

 “大阪事件”から十年、

 関西の久遠の友と、

 この共戦譜を振り返る機会を得た。

 それは、一九六七年(昭和四十二年)の六月、

 関西本部幹部大会の折である。

 

常勝の心を継承

 当時の大阪府立体育館に勇み集った大阪、兵庫をはじめ全関西の同志と、私は語り合った。すなわち――

 ◎恩師がどれほど関西を愛し、東京と両眼、両肺のごとく大事にされていたか。

 ◎一九五六年(昭和三十一年)、異体同心の団結を合言葉に皆が一丸となり、弘教の金字塔を打ち立てる中で、世間をアッと驚かせる大勝利を飾ったこと。

 ◎翌年、“大阪事件”が起き、約二週間の勾留中、戸田先生には断じて累が及ばぬように盾となり、そして私が出獄した七月十七日に、中之島の中央公会堂で正しい仏法の勝利を宣言する大阪大会が開かれたこと。

 ◎四年半に及ぶ法廷闘争を貫き、一九六二年(昭和三十七年)一月、無罪判決を勝ち取り、満天下に正義を示したこと――等々。

 

 “常勝関西”の底力と戦いと伝統よ、永遠なれ!と、不屈の負けじ魂のバトンを託す語らいであった。

 「この関西の地より病人と貧乏人をなくしたい」との恩師の悲願を伝えつつ、私は断言した。

誰が何と言おうが、

 信心を貫き通した人が、

 真実の幸福と、

 真実の勝利とを満喫し、

 所願満足の人生を生き切っていけることは、

 絶対に間違いない!

 そして私と関西の友は、

 「日蓮、一度もしりぞ(退)く心なし」(新1635・全1224)

 との御文のままに、

 追撃の手をゆるめることなく邪悪と戦い、

 断固前進しようと誓い合ったのだ。

 

希望掲げ大前進

 「常勝関西たれ」とのモットーを確認し合ったのも、この大会であった。

 この年、私は年頭に兵庫、大阪を訪れて以来、猛然と全国の友のもとへ走った。七月半ばまでの訪問先は、東京各地、埼玉をはじめ、二十六都道府県に及んだ。また関西には四度、神奈川に三度、愛知は四度、福岡へ三度と、足を運びもした。

 関西とともに――

 「全国の模範・東京たれ」

 「常に先駆の九州たれ」

 「広布の堅塁・中部たれ」

 「人材の牙城・東北たれ」など、各地にモットーを贈ったのも、この年である。そして今や、日本全国で、

 「三代城の北海道」

 「敢闘精神の関東」

 「正義の太陽・東海道」

 「師弟の信越」

 「誓願の北陸」

 「轟く歓喜の中国」

 「志の天地・四国」

 「広布の先進地帯・沖縄」と、全方面が桜梅桃李の持ち味を生かしながら、「水魚の思いを成して」(新1775・全1337)、創価の凱歌へ共進しているのだ。

 

大歴史家の指針

 モットーといえば、半世紀前、イギリスの歴史家トインビー博士をお訪ねし、始まった対話の中で、博士の座右の銘を伺った。

 すると、八十三歳の碩学は、即座に「ラボレムス」とのラテン語を挙げられ、「さあ、仕事を続けよう」という意味です、と教えてくださったのである。

 帰国後、この珠玉のモットーを、真っ先に伝えて、分かち合ったのは、わが戦友である壮年部であった。

 意気、天を衝く夏季講習会でのことである。

 「さあ、今日も戦おう!」

 「さあ、我らの仏の仕事を続けよう!」

 “生涯青年”の気迫で、健康を大切にしながら、はつらつとした生命の息吹を湛えゆく賢者の人生を、と約し合ったことが懐かしい。

 トインビー博士は、ある時、後輩たちに「次の仕事にとりかかる適切な時は、明日でもなければ来週でもない。今すぐなのである」ともアドバイスされている。

 そして、アメリカの慣用語を添えられた。

 「right now」――行動するのは、「今」がまさにその時なのだ。

 「創価の四条金吾」たる、我ら黄金柱の壮年部の心意気にほかならない。

 

青年よ共に立て

 大聖人が文応元年(一二六〇年)の七月十六日、国主を諫暁された「立正安国論」は、問答の最初に主人が「しばしば談話を致さん」(新25・全17)と語り掛け、最後は客が正義の対話を誓う言葉で結ばれる。

 「国のため、法のため、人のために」(新49・全35)

 ――生命尊厳の哲理を語らずにはいられない。

 仏法中道の智慧と慈悲の精神を、

 一人でも多くの人に知らしめたい。

 民衆に奉仕する正しき信念の人材を、

 社会に送り出したい。

 このやむにやまれぬ大情熱こそ、

 我らの挑戦の原動力である。

 

 男子部、女子部(華陽姉妹)が結成された、

 誉れの「青年の七月」へ、

 地涌誓願の一人ひとりが、

 勇敢に快活に勇舞を広げている。

 

 ある時は若者世代が抱える課題や社会の難題を語り合い、

 ある時は友の悩みに耳を傾け涙し、

 ある時は心の握手を固く交わして共に立ち上がるのだ。

 これほど尊貴な青春讃歌はない。

 

 妙法尼御前への仰せには

百千万年くら(暗)き所にも

 灯を入れぬればあか(明)くなる」(新2100・全1403)とも示されている。

 深い闇に覆われた世界は、

 太陽の仏法の叡智の光明を渇望してやまない。

 頼もしき後継の青年群を先頭に、

 我ら創価家族の友情と信頼、

 共感と触発、

 そして開拓と連帯で、

 縁する友の心に光を送ろう!

 そして、

 「天晴れぬれば地明らかなり」(新146・全254)と、

 国土を照らし、

 希望の未来を明るく創り開こうではないか!

 

2022年6月30日〈随筆 「人間革命」光あれ 池田大作〉

2022年6月9日

凱歌の劇を いよいよ胸張り

 

 6月は、牧口先生の生誕の月であるとともに、創価の太陽・女性部の月である。

 4日は世界の華陽姉妹の日であり、あす10日は婦人部の結成記念日だ。

 牧口先生の故郷の新潟・柏崎の市の花は「ヤマユリ」。奇しくも女性部のシンボルである「白ゆり」と合致する。ヤマユリの英語名は「golden-rayed lily(黄金の光を放つユリ)」である。まさに今、「華陽カレッジ」や「創春ミーティング」など、生命の黄金の光を放つ、多彩な人華のスクラムを、牧口先生も、戸田先生とご一緒に、さぞかしお喜びであろう。

 * * 

 71年前の白ゆりの香りも高き婦人部結成の集いで、恩師・戸田先生は御書を拝された。

 「広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱えんことは、大地を的とするなるべし」(新1791・全1360)

 そして、慈父のごとく、「われわれがやっていることは、未来の社会にとっても、日本にとっても、世界にとっても、実に大したことをやっているんだよ。もっと、もっと、自信をもちなさい」と激励されたのだ。

 創価の師弟が貫いている一対一の勇気と誠実の対話――それは先人たちも願い求めてきた、民衆の幸福と平和の道にほかならない。

 アメリカの社会福祉運動家のヘレン・ケラーさんが1948年、来日された折、忘れ得ぬ出会いを結んだ、関西の錦宝会の母がいる。

 岡山のろう学校に学ぶ小学生の代表として、歓迎の花束を手渡した。すると、目・耳・口の“三重苦”を越えてきた不屈の女性は、少女の手のひらに、指で「ありがとう」と書いて、頰を寄せてくれた。その感激を胸に、自分も皆を励ませる人になろうと成長し、やがて妙法と巡り合えたのである。

 この母は今も「ありがとう」という奇跡の言葉を大切に、手話を自在に用い、広布のリーダーの娘さん夫妻やお孫さん方と、愛する兵庫の天地で信頼と友情の拡大に挑まれている。

 * * 

 牧口先生誕生の6日は、「欧州師弟の日」である。各国で記念の集いが平和への祈りを込めて行われた。

 スペインでは、学会の文化会館に隣接する市立公園が「平和庭園」として新たに開園された。長年にわたり公園整備に携わってきた同志の地域貢献の宝処だ。

 宗門事件の嵐が吹き荒れる中、健気なスペインの正義の友と私は語り合った。

 「正しいからこそ、勝たねばならない

 あれから30年余。スペイン創価学会は、当時の80倍近い陣列に発展を遂げ、同国の仏教連盟を代表する団体として、大いなる衆望を寄せられている。

 * * 

 今月が結成記念の学生部、高等部の英才たちも、元気で頼もしい。

 私は妻と毎日、全宝友の健康幸福・栄光勝利を祈りに祈り抜いている。いよいよの信力・行力を奮い起こし、いよいよの仏力・法力を湧き出しながら、胸を張って人間革命と宿命転換の凱歌の劇をつづりゆこう!

 

2022年6月9日〈池田先生と共に 新たな広布の勝利山へ〉 

2022年5月30日

アメリカ創価大学

第18回卒業式から

 

差異を超えて「人間尊敬」の道を

 

創価の世界市民の真価を発揮し

使命の舞台から21世紀を晴らせ

 

 一、使命深き18期生の皆さん、また、大学院新教育プログラムの7期生の皆さん、晴れのご卒業、誠におめでとう!

 いつにもまして、ご苦労の多い中、勝利の日を共に迎えられたご家族にも、心よりお祝い申し上げます。

 人類の宝たる英才たちを支え育んでくださった教職員をはじめ、全ての関係者の方々、誠にありがとうございます!

 今この時、まさに試練の時代に旅立つ皆さんへ、私ははなむけとして「創価の世界市民の真価を勇気凜々と発揮せよ」と贈ります。

 世界市民にとって普遍の規範というべき「世界人権宣言」――その作成に重要な役割を果たされたブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁の最晩年、私はご一緒に対談集『21世紀の人権を語る』を発刊し、採択までの尊き歴史を留めました。

 東西冷戦下の当時、政治情勢、思想・信条の相違などから議論は激しく対立し、紛糾する中で、最も力を注いだことは何であったか――。

 それは、「世界の各民族の間に“精神的なつながり”を創り出すこと、すなわち、“精神の世界性”を確立すること」であったといいます。

 皆が同じ「人間」という原点に立ち返り、「共通の目標」へ粘り強く語り合う中で、やがて対立を乗り越え、ついに世界人権宣言が採択されたのです。

 私には、この奮闘の昇華が、コロナ禍にも負けず、世界から集った友と熱い議論を交わしながら、共に学び抜き、「平和の建設者」として力を磨き上げてきた卒業生の皆さんの青春と、深く重なるように思えてなりません。

 一、本日、来賓としてお迎えしたシリン・エバディ先生は、投獄など命にも及ぶ迫害にも屈せず、人権と人道の信念の闘争を貫いてこられました。

 先生は2003年、ノーベル平和賞受賞記念のスピーチで、「世界人権宣言」の精神に触れつつ、“21世紀を暴力から解放する唯一の道は、人種、性別、宗教、国籍、社会的な立場の違いを超えて、全ての人々の人権を理解し、擁護する実践にある”と叫ばれました。

 生命尊厳の哲学を体し、価値創造の力を蓄え、人間尊敬の連帯を培ってきた皆さんは、創価の世界市民の真価を、いよいよ賢くたくましく朗らかに発揮し、自らの使命の舞台から21世紀を明るく晴らしていただきたいのです。

 かけがえのない皆さん一人一人と、私はこれからも陽光きらめく「平和の池」の畔で語らう思いで、健康幸福と栄光勝利を祈り抜いてまいります。

 最後に「君よ、あなたよ、地球民族を照らす“希望の光”と輝け!」と申し上げ、お祝いの言葉とします(大拍手)。

 

2022年5月30日アメリカ創価大学 第18回卒業式

2022年5月24日

 

「時」は今!

 対話の旋風で 希望の大道を

 

さあ広布へ 心新たに!

 

 「時」とは、宇宙の大生命が刻む、

 妙なるリズムそのものであろう。

 

 ゆえに、妙法を唱え弘めゆく人生は、

 「時」に適い、「時」を味方にして、

 必ずや幸福そして勝利の春夏秋冬を飾れるのだ。

 

 御本仏・日蓮大聖人は、決然と宣言された。

 「今、日蓮が時に感じて、この法門広宣流布するなり」(新1388・全1023)

 この師子吼に呼応して、戸田城聖先生の指揮のもと「今こそ大法弘通の時」と定め、大行進を開始したのは七十年前、まさしく立宗七百年にあたる一九五二年(昭和二十七年)であった。

 師恩に報いる誓願で、不二の弟子が「慈折広布」へ突破口を開いた東京・蒲田支部の「二月闘争」は、この年であり、わが関西もまた、時を同じくして出陣した。

 立宗の月・四月には、創価学会版の御書全集が発刊された。「御書根本」という永遠の軌道の確立である。

 

“大楠公”の誓い

 恩師の甚深のご配慮で、その翌五月の三日に、私と妻は簡素な結婚式を行い、出発をさせていただいた。

 先生は一言、「これからの長い人生を、広宣流布のために、二人で力を合わせて戦い切ってもらいたい」と語られ、祝宴の歌に“大楠公”を所望された。

 「青葉茂れる桜井の」と謳われた、父・楠木正成と子・正行の誓いの劇は、旧暦の五月のこととされる。

 「父は兵庫に赴かん」との覚悟の旅に、子は「御供仕えん」と訴えた。

 しかし厳父は“早く生い立て”“民守れ”と後事を託して、故郷の母のもとへ帰すのである。

 思えば、戸田先生ご自身が十九歳で牧口常三郎先生に師事して以来、この歌に脈打つ“正行の心”で仕え抜いてこられた。そして、法難の獄中に殉教された師父の仇を討つ正義と人道の巌窟王となり、戦後の荒野で、妙法流布の大願へ一人立たれたのだ。

 戸田先生の事業が最悪の苦境にあった折、先生は正成のごとく、私は正行のごとく、師子奮迅の力で一切を超克し、第二代会長就任の五月三日を飾った。

 その私の志を全て知悉された先生は、新たな門出に一年後の五月三日を選んでくださり、“大楠公”の合唱を求められたのである。

 尽きせぬ報恩感謝の一念で、広宣流布の大誓願へ「父子同道」の旅を貫き、同志を広げ、後継を育てて、七十星霜となる。

 

民衆第一に進め

 立宗七百年から十年後の一九六二年(昭和三十七年)を、わが学会は「勝利の年」と銘打った。

 この年の一月、私は事実無根の選挙違反容疑で逮捕された大阪事件の裁判で、無罪判決を勝ち取った。民衆勢力として台頭する学会を陥れんとする権力の謀略と戦い、公判八十四回に及ぶ法廷闘争を通し、正義を満天下に示したのである。

 迎えた五月三日、私は色紙に認めた。

 「大阪事件 初公判 昭和三十二年十月十八日なり

 最終陳述 昭和三十六年十二月十六日なり

 判決 無罪 昭和三十七年一月二十五日なり」

 そして、最後に記した。

 「多くの尊き友が尽力下されし真心に 心より感謝の意を表しつつ……その名、永久に忘れず」と。

 関西の母たちをはじめ、多くの同志が私の勝利を信じ、ひたぶるに題目を送り続けてくれた。同心の一人ひとりの姿が、私と妻の命から離れることはない。

 判決の前夜に兵庫・尼崎の天地で、青年と語った。

 ――牧口先生、戸田先生の遺志を継ぐ私には、自分の命を惜しむ心などない。

 不幸な人の味方となり、どこまでも民衆の幸福を第一に、さらに堂々と前進を開始しようではないか、と。

 以来、大関西をはじめ、各地の地涌の勇者が、まぎれもなく“正行の心”を受け継いで、師弟の共戦譜を勝ち綴ってくれていることが、何よりの誉れである。

 

断じて不戦を!

 一九六二年は、東西の分断が日に日に深まる時代であった。前年に「ベルリンの壁」が築かれ、十月には「キューバ危機」が起こっている。世界は核兵器の脅威に怯え、日本では、不安の中、核戦争、第三次世界大戦が起きるかどうかを予想・論評するマスコミも少なくなかった。

 しかし、そうした議論は、私が選ぶところではない。核兵器の本質を“絶対悪”と喝破された恩師のお心を継いだ弟子の決意は、微動だにしなかった。

 “第三次世界大戦は断じて起こさせない”――当時、我らはこの決心で強盛に祈り、世界平和の道を開こうと誓い合ったのである。

 

勝利へ東奔西走

 この年早々、私は厳寒の北海道へ向かった。中東を歴訪した後、日本列島を、中国、四国へ、さらに東北、関東、九州、東海道、中部、関西、信越、そして沖縄へと東奔西走した。訪問できなかった恩師の生誕の天地・北陸の宝友とも、常に連携を取り合っていた。同志の全世帯に一声ずつの題目でも送りたいと願い、日々、勇猛の唱題行を重ねながらの旅路である。

 私は声を限りに訴えた。

 東京では「広宣流布という大目的に立って、仏道修行に励んでいこう」。

 埼玉では「“広宣流布は絶対にできる”との大確信を持って前進を」。

 福岡では「強い団結で、世界中の人が“さすがだ”と驚く先駆の実証を」。

 神奈川では「私たちが“日本の柱”となって、本当に住みよい、幸せな国をつくろう」。

 愛知では「誰が何と言おうが絶対に勝ち抜いて、平和と安泰のために進もう」。

 兵庫や大阪の闘士が結集した関西での集いでは「皆が安心して暮らせる社会をつくるために戦おう」。

 また、この動きに合わせ、可能な限り、各地で御書講義を行い、質問会も設けて、求道の友と研鑽し合った。

 ある時は「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」(新1481・全1088)との御文を拝し、どこまでも「御本尊根本」「御書根本」に進もうと確認した。

 ある時は「かかるとうと(尊)き法華経と釈尊にておわせども、凡夫はし(知)ることなし」(新1723・全1446)を拝読し、いまだに偉大な仏法を知らずにいる多くの人びとに、他の誰でもない、この私たちこそが語り切るのだと自覚を深め合った。

 地区担当員(現・地区女性部長)の方から、「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(新1097・全788)との一節を、生活に当てはめると、どう拝すればいいかと、真剣な質問を受けたこともある。

 私は申し上げた。

 “どんな悩みがあっても、「苦楽ともに思い合わせて」題目を唱えていけば、歓喜の生命が必ず涌現します。

 自分が歓喜して、その喜びに溢れた姿を見た人までが、同じ喜びに燃え立っていく。自分だけでなく、友をも同じ歓喜の境涯と生活にあらしめる。これこそ、「歓喜の中の大歓喜」ではないでしょうか”と。

 私と同じ心で、全国各地の友が、いずこでも生き生きと躍動し立ち上がってくれた。学会は、この年、恩師から遺言として託された「三百万世帯」という目標を達成し、新しき創価勝利の歴史を開いたのだ。

 

勢いあれば栄う

 それから、さらに十年。「地域の年」と掲げた一九七二年(昭和四十七年)の一月、私は愛する沖縄へ飛んだ。復帰の年に、真実の「幸福島」の建設へ、皆で決意を新たにしたのである。

 「依正不二」の原理の上から、「仏法を持った学会員が元気で勢いがあれば、必ず社会は栄え、絶対に平和になる」とも語り合った。

 この半世紀、尊貴なる宝友たちは「柔和忍辱の心」を体し、あらゆる試練を越え、「命をかけて ひと筋に」、仏法中道の智慧の光で広布の理想郷を開いてきた。

 「御志、大地よりもあつ(厚)く、虚空よりもひろ(広)し」(新1882・全1551)

 「日蓮が道をたす(助)けんと、上行菩薩、貴辺の御身に入りか(替)わらせ給えるか。また教主釈尊の御計らいか」(新1583・全1163)等の仰せは、そのまま、わが沖縄家族への御照覧・御賞讃なりと、私には拝されてならない。

 

行動は地域から

シンク・グローバリー、

 アクト・ローカリー(地球規模で考え、地域で行動する)

 これは、著名な医学・細菌学者のルネ・デュボス博士が提唱した標語である。

 この精神が、今ほど求められている時はあるまい。 たとえ、道がいかに遠く険しくとも、一人ひとりが今いる場所で信念の行動を起こすことが、地球全体を変えゆく希望となるのだ。

 デュボス博士は、トインビー博士にご紹介いただき、お会いした一人である。

 「世界に対話の旋風を! 永遠の平和の道をつくるために」とは、いうなれば、五月に対談を重ねたトインビー博士と私の“青葉の誓い”であった。

 一つ一つの縁を大切に、一人ひとりと信頼を育むことが、「時」を創ることだ。

 わが同志は今、不軽菩薩のごとく、あの地この地で、勇んで友のもとへ足を運び、友情を広げている。大誠実の対話で結ばれた絆こそ、新しい「変革」をもたらす力になると確信する。

 デュボス博士は、“危機”の意義をこう語られた。

 「危機こそ、ほとんど例外なしに豊かさへの源泉である。危機は新しい打開の道を追求させるからである

 

 大変な時に勇敢に立ち上がるから、

 宿命転換できる。

 変毒為薬できる。

 これが、創価の師弟に漲る「師子王の心」である。

 

 御本仏の御聖誕満八百年

 そして、立宗七百七十年の今この時

 我らは胸を張り、

 「立正安国」という大いなる希望に向かって進もう!

 威風堂々と対話の旋風を巻き起こし、

 民衆の幸と凱歌の旗を、

 未来へ、はためかせようではないか!

 

 「青葉茂れる桜井の」(大楠公)の歌詞は落合直文作。デュボスの言葉は『人間への選択』長野敬・中村美子訳(紀伊國屋書店)。

 

2022年5月24日〈随筆 「人間革命」光あれ 池田大作〉

2022年5月11日

韓国 尹錫悦ユンソンニョル新大統領に

池田SGI会長が祝電

 

 池田SGI会長は10日、

 韓国の第20代大統領に就任した尹錫悦氏に祝電を送った。

 その中でSGI会長は、

 大統領の卓越したリーダーシップによって、

 韓国のみならず、全アジアを

 調和と安定と平和へ

 導くことを期待。

 さらに、同国の永遠無窮の繁栄を心から念願した。

 

2022年5月11日聖教新聞1面

 

2022年5月10日

フランス マクロン大統領に

池田SGI会長が祝電

 

 池田SGI会長は、

 フランス大統領に再選され、

 7日に2期目の就任式に臨んだ

 エマニュエル・マクロン大統領に祝電を送った。

 

 この中で、SGI会長は、

 危機の時代の今こそ、

 大統領の揺るぎなきリーダーシップのもと、

 調和と団結へ、

 平和と安定へ、

 再生と繁栄へ、

 人類を結びゆくことを心から期待した。

 

2022年5月10日聖教新聞1面

 

2022年4月17日

 

第9回本部幹部会への

池田先生のメッセージ

 

地涌の使命は仏種を開く対話なり

この星を愛し人類の境涯を高めよ

 

学会は広宣流布の慈悲の生命体

人間革命の舞を地域へ社会へ

妙法は大宇宙の根源の法則

 

  

 一、最初に、全国の各地区で行われている第1回女性部総会の大成功、誠におめでとう! 今夜は満月です。見えても見えなくても、皆さんが大月天の笑顔と笑顔で、互いにねぎらい、讃え合ってください。

 5月3日を前に、明け方の空には大明星天たる金星と共に、火星、木星、土星という、地球の兄弟の惑星たちも輝きを放ちます。聖教新聞を配達してくださる尊き無冠の友をはじめ、日本そして世界の創価家族の健康・安穏・幸福を見守る光と、私には思われてなりません。

 さらに先日、はるか129億光年の彼方に、太陽より100万倍以上も明るい恒星が観測され、「明けの明星」また「昇りくる光」を意味する「エアレンデル」と命名されました。

 「戸田大学」で、恩師が天文学を講義してくださった折の言葉がよみがえります。

 

「宇宙から学べ!

  宇宙と共に進め!

 かけがえのない生命に満ちあふれた、

 この地球を愛し、

 平和を守り、

 人類の境涯を高めゆくのだ」と。

 

 一、巡り来る「創価学会母の日」は、

 苦難と戦う友を

 「冬は必ず春となる」との希望の陽光で

 照らしゆく日でもあります。

 この日に際し、拝したい御聖訓があります。

 まさに風雪に耐え、

 悲しみの合掌を繰り返してきた

 南条時光のお母さんを励まされた一節です。

 「東西南北の四方・八方に広がる、計り知れない数の国土に、全宇宙の諸仏が続々と集まり、満天に輝く星のように、大地を埋め尽くす稲や麻のように並んで、法華経の行者を守護されるのです。譬えば、大王の王子を、臣下たちがこぞって大切にお守りするようなものです」(新1908・全1570、趣意)と。

 

 大宇宙の根源の法則である妙法を

 唱え弘めゆく皆さん方が、

 どれほど尊貴な生命であるか。

 皆さん一人一人を、

 この宇宙に遍満する無量無辺の仏が

 衣で覆うように厳然と守る。

 断じて護らないわけがないと、

 御本仏がお約束くださっております。

 壮大にして荘厳なる生命の大境涯なのです。

 そしてまた、

 皆さんの自行化他の題目に包まれ、

 亡くなられたご家族や同志・眷属も、

 三世永遠に常楽我浄の軌道を進みゆかれることは、

 絶対に間違いありません。

 わが創価学会は、

 この大宇宙で、

 十方の諸仏の心と合致して、

 広宣流布、立正安国を成就しゆく

 妙なる和合の組織であり、

 慈悲の生命体であります。

 

 1944年(昭和19年)、

 戦時中の法難により、

 初代・牧口常三郎先生は、

 ここ巣鴨の東京拘置所で、

 死身弘法の殉教を遂げられました。

 第2代・戸田城聖先生は

 同じく不惜身命の獄中闘争にあって、

 「仏とは生命なり」そして「われ地涌の菩薩なり」

 と悟達されたのであります。

 

 以来78星霜――。

 我ら師弟は、

 久遠元初に誓い合った地涌の菩薩として

 「この世で果たさん使命あり」と勇み立ち、

 娑婆世界の不幸と悲惨を無くしゆかんとする

 民衆の連帯を、

 地域に社会に大きく広げてきました。

 一人一人が人間革命の舞を舞い、

 「信心即生活」

 「仏法即社会」の勝利劇を飾り、

 この地球という星に、

 菩薩界、そして仏界の生命を滾々と涌現して、

 揺るぎなく打ち立てていくのが、

 創価の世界市民の挑戦にほかなりません。

 

 「地涌の菩薩の使命とは対話なり」

 ――この恩師の師子吼のままに、

 躍動する地涌の命で使命の対話に躍り出て、

 「未来までの仏種」を蒔き、

 さらにさらに「生命尊厳」の価値を創造

 していきたいと思うのであります。

 

 一、きょうは、

 共戦の全宝友に感謝を込めて、

 40年前に発表した三つの書を披露したい(大拍手)。

 

 第一に、5月3日を記念して認めた

 「立正誓」であります。

 学会は

 「平和の柱」

 「教育の眼目」

 「文化の大船」として、

 「ちかいし願いやぶるべからず」(新114・全232)

 と立正安国の戦いを断固、

 貫いていくのみであります。

 

 次に、7月の女子部結成の日を記念して綴った

 「月光薫風乃調」です。

 どうか、月光のごとく優しくも強き心で、

 爽やかな薫風のように、

 歓喜と和楽の調べを奏でながら、

 幸の仏縁を楽しく結び広げてください。

 

 最後に、7月の男子部結成の日を記念して書き留め、

 大兵庫の天地で常勝関西はじめ

 不二の同志へ贈った

 「広宣大道旅」であります。

 法華経に「皆共に宝所に至る」(新1024・全734)

 とある通り、

 私たちは、

 どこまでも日蓮大聖人と共に、

 妙法と共に、

 全宇宙の仏天を味方にして、

 師弟不二、

 異体同心で、

 地球民族を平和と幸福の宝所、

 すなわち仏国土へ導く広宣大道の旅を、

 いよいよ決意し合い、

 メッセージとします(大拍手)。

 

2022年4月16日第9回本部幹部会

2022年4月9日

 

英知の大星雲となって地球を照らせ

 

まず、君自身が光れ!自らが若き生命の光を放て!>

 

 

 一、我らの創価学園は、また一つ大きな佳節を刻み、ここに意義深く、東京校は第55期生、関西校は第50期生を迎えることができました。誉れ高き新入生の皆さん、本当におめでとう!

 厳しい社会情勢の中、宝の英才を送り出してくださったご家族の方々に、心から感謝とお祝いを申し上げます。

 わが不二の教職員の方々、これまでにもまして一人一人の声に耳を傾けながら、最高の人間教育をよろしくお願いいたします。

 

 一、私の10代は戦争と敗戦の闇の中にありました。しかし、人生の師匠と定めた戸田城聖先生は、厳しくも温かく励ましてくださったのです。

 

「まず、君自身が光れ!

 自らが若き生命の光を放て!」と。

 

 今、皆さんを取り巻く時代の闇は深い。

 胸を痛めることがあまりにも多いでしょう。

 だからこそ、私は恩師と同じ心で申し上げたい。

 

「わが学園生よ、

 希望の太陽と光れ!

 勇気の明星と輝け!

 英知の大星雲となって、

 地球の未来を照らしゆけ!」と。

 

 ブラジルの世界的な天文学者

 モウラン博士と私は語り合いました。

 ――困難と戦い、そして共に勝利する。

 これが「幸福の方程式」である。

 夜空で最も明るく輝く、

 燃えるような星・シリウスのように、

 最も苦しんだ民衆こそが

 最も強く明るく幸福に輝く地球を創ろう!と。

 

 モウラン博士は、

 東西の両学園を訪問された感動を

 「金色の光を見た」

 「21世紀は大丈夫だ!」

 と語られ、

 「創価の哲学が世界、

 宇宙に広がれば、

 人類の未来は必ず希望にあふれます」

 と期待を寄せてくださいました。

 

 どうか、世界の知性が見つめる学園生は、

 宇宙の星々が長い長い

 回転と吸収の果てに誕生するように、

 たゆまぬ努力と粘り強い学びの中で、

 わが青春の命を思う存分に

 大明星と輝かせてください。

 嫌なことや辛いことも、

 苦悩の民衆の味方になるための試練と思い、

 良き学友と励まし合い、

 「負けじ魂朗らかに」、

 勝ち越えていただきたいのです。

 

 一、結びに、

 愛する皆さんの健康と成長を祈り、

 記念の一首を贈ります。

 

 学園は

  燃ゆる正義の

   大星雲

  まばゆき英知と

    平和の大光を

 

2022年4月9日聖教新聞2面

創価学園入学式への池田先生のメッセージ

2022年4月3日

地球民族を結び高める

学究と創造の翼たれ

 

艱難を飛翔の力に変え「王者の青春」を堂々と

 

 一、ある春、草創の創大の教職員と入学式を前に語り合ったことがあります。

 ――桜の花を愛でる時には、その木を植え、丹精込めて育て上げた桜守の方の労をしのびたい。それと同じように、最優秀の英才を送り出してくださったご家族方への感謝をゆめゆめ忘れず、そして宝の新入生が一人ももれなく幸福勝利の花を咲かせられるよう、我らは全身全霊で支え、守り、育んでいこう!と。

 満開の桜に祝福されて入学された創大52期生、短大38期生、ならびに通信教育部の皆さん、また大学院生、そして留学生の皆さん、誠におめでとう! ご家族の方々にも、心からお喜び申し上げます。

 建学の精神を深く分かち合う鈴木新学長をはじめ教職員の方々、どうか、よろしくお願いいたします。皆でさらに力を合わせて、人類の希望の柱たる「平和のフォートレス」を若き知性の人華で爛漫と飾りゆこうではありませんか!

 一、晴れの出発に一言、「地球民族を結び高めゆく学究と創造の翼たれ!」と贈りたい。

 きょう4月2日「開学の日」は、創価教育の師父である戸田城聖先生の祥月命日であります。

 戸田先生は常々「この地上から悲惨の二字をなくしたい」と熱願し、そのために「地球民族の人格を最高の価値にまで引き上げるのだ」と訴えられました。この遠大なる夢の実現へ、私は対話の波を起こしてきました。

 50年前、対談を開始したトインビー博士とは、「人生のさまざまな挑戦に応戦して打ち勝つ人間本性の力」を、いかに高めるか、また「人類の生存を脅かす諸悪と対決し克服する力」を、いかに結び合うかを巡り、縦横に論じ合いました。そして科学技術の急速な向上をもリードできる「人間の尊厳」「生命の尊厳」の確立を!と一致したのであります。

 この大いなる希望を担い立つのが、「人間教育の最高学府」にして「新しき大文化建設の揺籃」たる、わが創大であり、わが短大なのであります。

 一、歴史の転換点に立つ皆さんに、時代の烈風は一段と厳しいことでしょう。しかし、だからこそ、偉大な使命を自覚して勇敢に立ち向かうならば、艱難をも飛翔の力へ変えて、計り知れない高みへ上昇することができます。

 世界中から集った良き学友と共に、この創価のキャンパスにみなぎる「負けじ魂」を呼吸しながら、第一級の学究と価値創造の翼を、たくましく朗らかに鍛え上げてください。そして空飛ぶ者の王たる大鷲のごとく堂々と、地球民族を結び高めゆく「王者の青春」を乱舞していただきたいのであります。

 愛する皆さんの健康と友情と勝利を祈りつつ、一首を贈ります。

 

 嵐にも

  挑み飛び征け

   恐れなく

   勇気と英知の

     翼光らせ

 

2022年4月3日創価大学・創価女子短期大学で入学式


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2022年3月24日

第14回各部代表者会議

池田大作先生のメッセージ

 

大生命力で新しき創造を

 

 第14回各部代表者会議が23日、原田会長を中心に、東京・信濃町の広宣会館(学会本部別館内)で行われた。

 池田大作先生はメッセージを贈り、冒頭、東北の地震被災者に改めてお見舞いを述べるとともに、復旧・支援に奮闘する友の献身に感謝。

 創価家族が一丸となって、地涌の青春桜を一輪また一輪と咲かせゆく弘教拡大を、御本仏は全て御照覧であるとたたえ、折伏精神みなぎる勝ち戦のリズムと団結で、「4・2」から「5・3」へ進もうと訴えた。

 次いで「立正安国論」の「客曰わく、天下の災い、国中の難、余独り嘆くのみにあらず、衆皆悲しむ。今蘭室に入って初めて芳詞を承る」(新25・全17)を拝読。混迷の闇が深いほど、この大聖人直伝の立正安国の対話で希望の温もり、智慧の光、勇気の力を、社会へ世界へ送っていくのが私たちの誓願であると述べ、「蘭室の交わり」を広げゆく第1回の「華陽カレッジ」「女性部総会」の大成功を、皆で祈り、応援しようと力説した。

 さらに50年前、関西の創価学園の開校へ懸命に奔走する教職員を労いつつ、“開拓には、新たな難問も数多くある。つらいことや苦しいこと、大変なこともたくさんある。しかし全てが挑戦だ。これまでの経験の範疇を超え、惰性を排し、殻を破って、新しい創造、新しい挑戦を開始しよう!”と熱く語り合った思い出を述懐。「妙とは蘇生の義」(新541・全947)との仰せのままに、新年度を、生まれ変わった新鮮な大生命力で出発しようと呼び掛け、メッセージを結んだ。

 

2022年3月24日聖教新聞TOP

 


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2022年3月19日

君たちは

若き創価の「知恵の柱」 

価値創造の光を使命の舞台で

 

 

 一、わが誉れの創価大学48期生、短大36期生、ならびに通信教育部の皆さん、さらに大学院生、そして世界各国・各地域の尊き留学生の皆さん、コロナ禍等の艱難の冬を越え、誇り高き青春凱歌の卒業、誠におめでとう!

 本日、授与される栄光の学位記を、どうか、共に試練を勝ち越えてきた、ご家族と分かち合ってください。皆さんとご家族が、いよいよ未来へ「学の光」に包まれ、何ものにも負けず勝ち栄えていく証しだからであります。

 幾重にも心を砕き、一人一人の大学生活を支え励まし続けてくださった教員の先生方、職員をはじめ関係者の方々、本当にありがとうございます!

 一、私が、20世紀最高峰の歴史学者トインビー博士と対談を開始したのは、1972年、創価大学開学の翌年であります。以来50年、世界の知性との対話に全て創大創立者として臨んできました。文明と文明を結ぶ橋を架け、人類の未来を照らす普遍の英知を、不二の君たちに託すためであります。

 トインビー博士のご紹介で語らいを重ねたローマクラブ創設者のペッチェイ博士と論じ合ったビジョンを、今日は改めて申し上げたい。

 すなわち、今こそ、地球環境の緊迫した状況を十分に踏まえた「新たな生命の哲学」を構築し、平和と非暴力を根底とした「知恵の柱」を確立することだ、と。

 そして博士と私は、どんなに困難な時代にあっても、決して打ちひしがれない希望がある。それは、一人一人の人間が、いまだ開発されていない学習能力や人間性、創造性、団結力など最も奥深い資質を、「人間革命」によって発揮することだ。そこにこそ、人類の幸福を勝ち開く逆転劇があると一致しました。

 この理想へ断固と不屈の挑戦を貫いていくのが、我らの大連帯なのであります。

 一、皆さん自身が、これから躍り出る使命の職場で、地域で、社会で、若き創価の「知恵の柱」として、胸を張って生き生きと逞しく価値創造の光を放ってください。

 そして、皆さんに最大の信頼を寄せる善意の民衆と心を一つに、「人間革命」のパイオニアとして、自らの足元から平和・文化・教育の世界市民のネットワークを、勇気に燃え、誠実に忍耐強く、創り広げていただきたいのであります。

 アフリカの環境の母マータイ博士は、あの大らかな笑顔で語られました。“何かを変えたいならば、自分自身から変えましょう! 未来は、今この時から生まれます”と。

 最後に、創立50周年を堂々と飾ってくれた皆さん方に満腔の感謝を込め――

 

 艱難に

  勝る教育

   なきゆえに

  賢者の君たち

   凱歌の大道征け

  

 と贈ります。

 私の無上の宝である皆さんの健康と幸福、友情と和楽、そして何があっても負けじ魂光る希望と勝利の人生を、私は妻と祈り抜いてまいります。お元気で!(大拍手)

 

2022年3月19日創価大学48期生、短大36期生卒業式への

先生のメッセージ


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2022年3月7日

第8回本部幹部会

第2回青年部幹部会

 

人間革命の勇舞を世界の友と

大法弘通の聖火を後継の君に

妙法こそ人類を安穏に導く大良薬

 

 一、ここ宿縁ふかき神奈川の天地で、1979年(昭和54年)の5月、私は「正義」「共戦」と認めました。この書を真っ先に見せたのは、誰であったか? それは、青年です。若き愛弟子たちです。

 私は祈りを一つに、皆と勤行をし、語りかけました。

 「苦難の時こそ、私は青年を育てる。青年と共に戦う。嵐の時代こそ、若き正義の力を信ずる以外にない。これが創価の師弟の心です」と。

 その折の丈夫と乙女たちの誓いに燃えた瞳は、今も忘れません。

 そして、今日ここに、「広宣流布」即「世界平和」への誓願を高らかに歌い上げた君たちの地球を結ぶ正義・共戦のスクラムを、私は心から讃えたい。

 皆、本当にご苦労さま! また、青年の成長と勝利を祈り抜き、陰に陽に応援してくれている学会家族の皆さん、いつもいつもありがとう!(大拍手)

貧女の一灯

 一、日蓮大聖人が御書に引かれた「貧女の一灯」という仏教説話があります。

 祇園精舎にいる釈尊に、名だたる王や長者らが供養した多くの灯火は、一夜明けると全て消えていた。ところが、無名無冠の一人の女性が捧げた灯火だけは、須弥山を吹き抜けるような風にも決して消えずに、まばゆい光を放ち続けていたのである。

 それは、なぜか。清らかな真心を尽くし、広く一切衆生を救いたいと、大きな誓いの心で灯された火であるからだ、というのであります。

 思えば、聖教新聞の創刊第1号に躍動した見出しは、「聖火鶴見に炎上」でありました。この横浜の鶴見に輝き出た、草創の同志の生命の光彩であります。尊き創価の母たち女性たちが、不退の信心で今日まで灯し抜いてきた慈折広布の聖なる火こそ、いかなる烈風にも消えない「大福運の一灯」なりと、御本仏は御照覧くださるに違いありません。

 そして、この大法弘通の聖火を誇り高く受け継ぎ、一人ひとりの心に語り伝えているのが、藍より青き後継の君たちです。それは、永遠に尽きない希望の光を友に贈る、不軽菩薩の人間尊敬の実践なのであります。

 一、混迷が深まる危機の時代にあって、特に青年世代の間には、先の見えない不安や孤独感、無力感などが、重苦しく垂れ込めているでしょう。

 だからこそ、創価の若人の勇気と誠実の声が、どれほど強く、どれほど明るく、どれほど温かく、友の生命を蘇生させることか、計り知れません。

 大聖人は若き南条時光に、仏に成る道は特別なことではないとして、譬えば「寒さに凍えた人に火を与えることである」(新1918・全1574、通解)と教えられました。

 御義口伝に示されているように、妙法を唱えゆくならば、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」という究極の智慧の炎を現して、薪を焼くがごとく、どんな青春の悩みも、どんな社会の難題も、必ずや新たな価値創造へのエネルギーに転ずることができる。そして、生老病死の苦悩の闇をも、自他共に明々と常楽我浄へ照らし晴らすことができるのであります。

 

立正安国の対話

 一、御聖訓には、民衆に幾多の苦難が次々に襲いかかる「闘諍堅固の時」は、「法華経の大良薬をもってこの大難をば治すべし」(新694・全550)との一節があります。

 妙法は、一切衆生すなわち全人類を分け隔てなく、「幸福」と「平和」へ導く大良薬なのであります。

 戸田先生は「地球民族主義」の構想に、いずこの国の民衆も不幸の淵に追いやられることがあってはならないとの念願を込められました。どの国の民衆も、求めてやまないものは、「幸福」であり、「平和」であります。試練が大きければ大きいほど、創価の若き世界市民の熱と力をいやまして結集し、「我此土安穏」――地涌の我らが集い合った、この星を安穏にしていく師弟不二の祈りを強めながら、「立正安国の対話」を貫いていただきたい。

 一、40年前、青年と21世紀の広布の山を登攀し始めた折に記した三つの書を、巡り来る「三月十六日」を前に、改めて君たちに贈ります。

 「創価後継丈夫」

 「青春幸乃瞳」

 「生命光彩乃曲」

 であります。

 浅きを去って深きに就く「創価後継の丈夫」たちよ、そして「青春幸の瞳」光る華陽姉妹よ、世界192カ国・地域の異体同心の全宝友と共々に人間革命の勇舞を広げ、地球民族の心と心に「生命光彩」の平和の交響曲を奏でゆこうと申し上げ、私のメッセージといたします(大拍手)。

 

2022年3月6日第8回本部幹部会


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2022年2月23日

 

我らは 弟子の正道を!

 

<私の勝利は 師の勝利!>

 

 私の恩師

 戸田城聖先生の指導は

 常に厳しかった。

 人間としての道を

 正しく強く生き抜けと

 指導してくださった。

 

 人生は勝負だ。

 仏法は勝負だ。

 勝利は幸福。

 敗北は地獄。

 勝利は光。

 敗北は闇。

 

 最高の人生を

 生き切るために

 君よ! 絶対に

 黄金の旭日を浴びながら

 銀色の月光を見つめながら

 悠然と

 生き生きと

 正義の勝利の道を

 踏破していくのだ。

 

 

 私の真実の信念の心は

 わが師匠のために

 一切を捧げることにあった。

 この世で人間として

 師匠ほど

 尊きものはないからだ。

 

 父も母も

 すべてが尊いが

 真実の人間の道

 真実の人間の心を

 教えてくださるのは

 師匠である。

 

 

 仏法の師弟に勝る

 生命の完成の力は

 他のどこにもない。

 

 私は

 いかなる境遇になっても

 天が輝いているように

 師匠を思い出す。

 

 師匠の慈愛!

 数知れぬ叱咤激励!

 わが心を決して離すことなく

 護り語ってくださる

 師の言葉よ!

 いかに叱正されても

 明るい闇の中にいるようだ。

 

 師匠を持たぬ者は

 人生の生きがいも

 希望と歓喜も浅くなる。

 そしてまた

 その人生の希望も歓喜も

 妄想に流される。

 

 師匠の目が

 私の目に注がれた

 劇的な瞬間!

 師の声が

 私の耳朶に響いた

 感動の瞬間!

 

 その喜びと決意と

 限りなき熱い魂は

 何ものをも超越し

 人間の生命に誇りを与える。

 生きがいを与えてくれる。

 

 私は

 懸命に戦い働いて

 師匠に報告することが

 最高の光栄であった。

 

 師匠に叱られ

 師匠に励まされ

 汝自身の智慧を顧みず

 ひたすら師の胸に響きゆく

 激戦また激戦の

 勝利の収穫を見つめながら

 最高の幸福を感じてきた。

 

 あの師の笑顔

 あの師の微笑!

 私の勝利は

 師の勝利!

 師の勝利は

 私の勝利!

 

 

 「信仰するものは強い」

 そして

 「世界全体に打ち勝つためには、

  自分自身に

  打ち勝たなければならない」

 これは

 ドストエフスキーの箴言である。

 

 生きるということは

 悪と戦って

 勝つためにあるのだ。

 

 わが人生の展望を

 壮大に開け!

 永劫の勝利の

 光の道に向かって進め!

 

 偉大な希望を胸に

 戦い抜いて

 永遠に生気潑剌とした

 弟子の正道を歩み抜け!

 

 【引用・参考文献】『ドストエーフスキイ全集19』(米川正夫訳、河出書房新社)、『評伝ドストエフスキー』(松下裕・松下恭子訳、筑摩書房)

 

2022年2月23日〈桂冠詩人は詠う 勇気の舞 凱歌の行進Ⅱ〉

第3回 師弟の魂

「我らは 弟子の正道を!」(2007年)

 


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2022年2月21日

 〈随筆「人間革命」光あれ 池田大作〉

氷壁を破ろう! 

熱き心で弾む生命で

 

 この冬は、例年にも増して寒さが厳しく、雪が多い。

 日蓮大聖人は、御自身が「八寒を現身に感ず」(新1282・全955)という厳冬を幾たびも耐え忍ばれつつ、皆の労苦を思いやられていた。

 とりわけ雪深い年にも、求道信心で真心を尽くす門下を讃えておられる。

 らず、釈迦仏の御使いか、過去の父母の御使いかと、申すばかりなく候」(新1247・全925)――そのまま北国・雪国で歯を食いしばって、広宣流布に挑む尊き創価家族への御照覧と深く拝される。

 聖教新聞を配達してくださっている「無冠の友」、また常に天候との戦いが続く農漁光部の方々をはじめ、わが宝友の健康と絶対無事故、福徳安穏を強盛に祈らずにはいられない。

 さらに、いまだ打ち続くコロナ禍の中、医療従事者をはじめ、大切な人命を守るために日夜奮闘しておられる方々に、心からの感謝を捧げたい。

 約二年に及ぶ、この感染症のパンデミック(世界的大流行)により、日本と世界で亡くなられた全ての方々のご冥福を日々、祈念申し上げている。そして一日も早い収束と、危機の時代を皆の力で超克しゆくことを誓い合ってまいりたい。

 

一緒に越えよう

 一九五〇年(昭和二十五年)の初冬、みぞれの降る夕べであったと記憶する。

 事業の苦境の打開に師弟して奔走する中、戸田先生が笑いながら言われた。

 「世の中は、まったく寒いなぁ」

 師も弟子も体調を崩しながらの悪戦苦闘であった。

 私は着替えのシャツや靴下にも不自由し、オーバーなしで寒風に飛び出していく日々であった。

 先生は、「でも大作、俺もおまえも冬の生まれだからな。一緒に乗り越えようや。頼むよ」と、心に熱い火を点してくださったのである。

 この艱難の風雪を師子奮迅で戦い抜き、遂に翌年、師の第二代会長就任の晴れわたる五月三日を迎えた。

 人知れず私たち師弟が身読した御聖訓を、あらためて、仕事や生活、闘病、介護、子育てなどで辛労を尽くしている友に贈りたい。

 「法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる」(新1696・全1253)と。

 

自分だけでなく

 今月は、大聖人の御聖誕満八百年である。忍難弘通の御生涯が胸に迫る。

 「日蓮、生まれし時よりいまに一日片時もこころやすきことはなし。この法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(新1892・全1558)

 これは、若き南条時光へ吐露された御真情である。 この御書では、時光へ、こうも語り掛けておられる。

 「殿一人にかぎるべからず、信心をすすめ給いて、過去の父母等をすくわせ給え」(新1891・全1557)

 今、わが後継の宝・青年部も、新生・女性部の華陽姉妹も、「青年・飛躍の年」の年頭から見事な拡大のドラマをつづっている。

 御本仏は、世界へ開けゆく慈折広布に新たな光を投ずる、地涌の若人の勇舞をいかにお喜びであろうか。

 

皆で二月闘争へ

 「伝統の二月」を貫く学会精神――それは、一言にしていえば「氷壁を破る」戦いだ。苦しみ悩む友に、「冬は必ず春」と、希望の灯を点じゆく開拓である。

 七十年前(一九五二年)の「二月闘争」の出陣に際し、私が深く祈り願ったのは、蒲田支部の同志が、一人も残らず人間革命の体験と確信をつかむことであった。その歓喜の実証こそが、恩師の誓願された七十五万世帯の折伏という聖業に連なっていくからである。

 組二世帯という折伏の目標に、「できるわけがない」との声もあがった。私は、「やらないうちに、できないということはありません。まずは、やってみませんか」と呼び掛けた。

 どうすれば、皆が勇んで対話に打って出ていけるか――戸田先生は明快に、「認識」「評価」「実践」という三段階を踏むことが大事であると語られていた。

 すなわち、誰かがやるだろうと人ごととするのではなく、一人ひとりが仏法対話を自分の挑戦と認識し、“この戦いが自身の宿命転換になる”と評価すれば、思い切って実践できる、と。

 ゆえに、青年の私自身が先陣を切って、アパートの隣人など身近に縁した方々に語りに語った。対話の場があると聞けば、同志と足取りも軽く駆け巡った。

 勇気を出して語っても、思いが通じず、落胆する友もいた。すると皆で「よく頑張りましたね」「全部、福徳になるからね」等とねぎらい、讃え合った。

 「一人のために」語ること自体に大功徳がある。「仏の種」が蒔かれる。「冥の照覧」は絶対に間違いない。

 だからこそ、どの座談会場でも、どんな人との語らいでも、一人ひとりが前を向いて明るく進めるよう、温かな励ましに徹した。

 「あの友にも」「この人にも」と声を掛け合う中で、皆が異口同音に「いつの間にか目標を達成していた」と述懐する力が出たのだ。

 そして蒲田支部の勢いは日に日に高まり、その波動は全国へ広がった。とともに、妙法に巡り合った友の蘇生と福運の物語が、幾重にも織り成されていった。この時、入会したご一家から、後にアメリカ広布のリーダーが羽ばたいたことも、誉れの歴史である。

 

義経の声を今に

 関西の行進も、二月闘争の息吹から始まった。

 それは、やがて「立正安国」の黎明を告げる民衆の大連帯へ発展を遂げる。

 私と関西同志の忘れ得ぬ宝の一書がある。

 二月闘争から五年を経た一九五七年(昭和三十二年)の七月三日、「大阪事件」の渦中に、戸田先生から賜った妙悟空著『人間革命』である。

 当時、夕張炭労による学会員への人権侵害事件の解決のために、北海道で戦い、勝利した後、私は空路、大阪へ向かわねばならなかった。大阪府警に出頭するためである。

 乗り換えの羽田空港で、戸田先生は、厳父のごとく「征って来なさい!」と言われた。そして別れ際に、ご自身の「出獄」の日を記念して、この日、発刊されたばかりの一冊を手渡してくださったのだ。

 大阪への機中、この書を拝し、勇気百倍、不二の闘志を燃え上がらせて、私は無実の容疑による「入獄」という試練に踏み出していったのである。

 後日、私は、この書の扉に「戸田城聖先生ヨリ 給ハリシモノ也」「昭和三十二年七月三日ニ」と記し、裏表紙の見返しに一詩を書き留めた。江戸時代後期の漢詩人・梁川星巌が、関西を舞台とした源義経を詠んだ七言絶句である。

 

 「雪は笠檐りゅうえんそそ

    風はたもと

  呱々ここ 乳をもとむるは

    若為いかなる情ぞ

  他年 鉄拐峯頭てっかいほうとうけん

  三軍を叱咤しったするは

    是れ此の声」

 

 ――幼子三人を連れ、平家の追っ手を逃れて雪中を歩む常盤御前。雪は編み笠のひさしに降り積もり、風は着物のたもとを巻き上げる。赤子の牛若丸(源義経)は、どんな思いなのか、母の乳を求め、泣き叫んでいる。

 後年、義経は平家追討の大将軍となって一ノ谷の合戦に臨み、険しい鉄拐山の上から鵯越を駆け下って敵を打ち破った。全軍を叱咤した、この大号令の声こそ、雪中、母の懐で泣いていた牛若丸の声なのだ――と。

 

 この詩に託し、私は壮大な逆転劇を心に期した。

 横暴な権力魔性に、善良な庶民がどれほど苦しみ泣かされてきたことか。

 だが、今に見よ!

 父母の涙を知る正義の青年群が力をつけ、いかなる大難にも屈せぬ、師子王の陣列を必ず築いてみせる。そして、断じて民衆の凱歌を轟かせてみせるのだ、と。

 この私の決心を、関西の友は我が心とし、「負けたらあかん!」と常勝の錦州城を築き上げてくれたのだ。

 

飛躍は祈りから

 「伝統の二月」を、全世界の同志が“私自身、そして私たちの対話で飾ろう”と励んでくれている。

 インドでは、毎年二月を「カマタ(蒲田)キャンペーン」と掲げ、広布の前進がいやまして加速する。

 三十年前(一九九二年)の二月十一日――戸田先生生誕の日に、首都ニューデリーで、私はマハトマ・ガンジーが展開した非暴力の民衆運動を巡って記念講演を行った。

 第二次世界大戦中、ガンジーが最後の獄中闘争に臨んでいた、まさに同じ頃、恩師も日本の軍国主義に抗して獄中にあったのである。

 ガンジーは訴えた。

 “祈りとは、自分自身との戦いであり、逆境や絶望を克服しゆく勇気の挑戦であるのだ”と。

 今、私たちの広布誓願の祈りは、仏教源流の天地・インドをはじめ、全世界を包む時代となった。

 コロナ禍でも、創価家族の心は、自在に通い合う。

 先日の本部幹部会では、兵庫女性部の「ひまわり合唱団」の皆さんが、ブラジルSGIの愛唱歌をはつらつと歌い上げてくれた。兵庫・関西と縁の深いブラジルの友も喜ばれている。

 兵庫の未来部と青年部の代表も“大楠公”を凜々しく大合唱し、感動を呼んだ。

 恩師のもとで熱唱した正義の魂を、従藍而青の若人が歌い継いでくれていることは、何と頼もしいことか。

 牧口先生と戸田先生が、共に線を引かれ、大切にされていた御聖訓に、「よき師と、よき檀那と、よき法と、この三つ寄り合って祈りを成就し、国土の大難をも払うべきものなり」(新695・全550)と仰せである。

 この「師弟不二」にして「異体同心」という最極の絆で結ばれた我らは、広布と人生の祈りを一つ一つ成就し、

 断固、社会と世界の大難を変毒為薬していくのだ。

 地上から“悲惨”の二字をなくしたいと願われた恩師の心を継いで、立正安世界を祈り開いていくのだ!

 創価の若き世界市民には、人類の良識から、深い信頼と期待が託されている。

 熱き心の連帯と弾む生命で、分厚い氷壁をも破り、地球民族の平和と尊厳の春へ、不屈の人華を咲かせ、いよいよの飛躍を頼む!

 

2022年2月21日〈随筆「人間革命」光あれ 池田大作〉


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2022年2月16日

VOD新番組に収録された池田先生の指針

(1995年10月開催の21世紀兵庫希望総会から)

 未来を照らす価値創造の文明を

 

仏法は「無限の希望」の哲学

題目で乗り越えられない難はない

 

 

 池田先生のスピーチを収録した新番組「信心とは『無限の希望』」が、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)に追加された。内容は、阪神・淡路大震災から9カ月後の1995年10月に兵庫池田文化会館で行われた、第20回SGI総会、21世紀兵庫希望総会でのスピーチである。地域に、社会に“希望の光”を送ろうと、対話拡大に励む友への指針として、スピーチの要旨を掲載する

 ※VOD番組の時間は約8分、番組コード=AC14。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴可能。モバイルSTBで視聴する際は、インターネットを通してダウンロードが必要です。「SOKAnet会員サポート」では、VODの同番組は視聴できません。

 

 第20回SGI総会、21世紀兵庫希望総会。本当に、ご苦労さま。

 世界から集われた57カ国・地域、1000人近い代表の方々に、SGIを代表して、謹んで御礼申し上げたい。

 第一にも第二にも、お体を大切にしていただきたい。

 生活も、仕事も、広宣流布の活動も、「健康第一」である。健康になろう、健康になろうと祈り、努力し、注意しながら、「知恵」を使って、健康を保ち、長生きしていただきたい。また全員が、裕福になっていただきたい。

 はじめに、先の大震災(=阪神・淡路大震災)で被災された皆さまに、あらためてお見舞い申し上げたい。亡くなられた方々のことは、これまでも毎日、追善させていただいた。これからも追善していく決心である。

 

法華経の兵法で

 日蓮大聖人の仏法は、「無限の希望」の哲学である。

 大聖人は、ご自身が、どんなに迫害されようが、悪口されようが、平然と、また毅然と難を忍ばれた。仏の異名である「能忍」の名のとおり、能く忍ばれたのである。

 ご自身の一身のことなど、いささかも考えられない。ただ不幸な民衆のため、さらには全人類のため、末法万年のためにどうすればよいか。いちばん身近な問題から、いちばん遠くの問題まで考えておられた。あらゆる大難をはね返しながら、太陽のごとく赫々と希望の大光を民衆に送り続けてくださったのである。

 大聖人は、こう断言しておられる。

 「真実一切衆生・色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり」(全1170・新1598)――真実に、一切衆生にとって、身心の難(肉体面、精神面の苦難)を防止し、打ち勝つ秘術は、ただ南無妙法蓮華経なのである――。

 題目で乗り越えられない難はない。仏法に行き詰まりはない。

 南無妙法蓮華経とは、難をすべて打ち破り、悠々と自在に人生を開きゆく、「秘密の術」なのである。

 大聖人が「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(全1192・新1623)と仰せられたのも、その意味である。「法華経の兵法」、すなわち信心を根本にしていけば、必ず一切を乗り越えていけるのである。

 妙法は永遠である。ゆえに、妙法を信じ、実践する人々の福徳も、また永遠である。何があろうと、創価学会は、永遠不滅なのである。妙法こそ「幸福の秘術」であり、「平和の秘術」であり、「希望の秘術」であると申し上げておきたい。

 

不屈の精神が次代をつくる

 この(1995年)10月22日で、20世紀最大の歴史学者トインビー博士が亡くなられて20年――。

 博士は、東洋の大乗仏教に深い関心を寄せておられた。そして私に会いたいとの手紙を寄せられたのである。高齢の博士の体調を考え、私のほうからロンドンを訪れての語らいとなった。

 〈1969年9月、トインビー博士から池田先生へ、「人類の直面する基本的な諸問題について、対談をしたいと希望します」との書簡が届いた。両者の対談は72年5月と翌73年5月に、あわせて40時間におよんだ。その対談集『21世紀への対話』(邦題)は、これまで31言語で出版されている〉

 (博士とは)連日、真剣な語らいが続いた。8時間におよぶ日もあった。

 私たちは語りあった。「困難な環境にどのように対応するかが、文明創造のバネとなる」と。

 博士の歴史観の一つの結論は、「挑戦と応戦」の理論である。“自然をはじめとする環境が人間に試練をあたえる時、その挑戦に屈服せず、雄々しく応戦しゆく、たくましき社会から、新しい文明が生みだされる”という洞察であった。

 その意味で、ここ兵庫は、大震災の大試練を乗り越え、立ち上がってこられた。その不屈の精神は、やがて日本をリードし、21世紀の文明の大きな核となっていくことを、私は確信してやまない。一つの縮図として、日本の将来にとって非常に重要な焦点が兵庫であると私は思う

 またトインビー博士は、「文明はその基盤をなす宗教の質によって決まる」と強調されていた。そして「新しい文明を生みだし、それを支えていくべき未来の宗教というものは、人類の生存をいま深刻に脅かしている諸悪と対決し、これらを克服する力を、人類に与えるものでなければならない」と。

 壮大な文明論の次元から、宗教の重大な存在意義を理解されていたのである。

 だからこそトインビー博士は、仏法の人間主義を基調とした、私どもの「平和」と「文化」と「教育」の運動を信頼し、熱い期待を寄せてくださっていた。

 ご自身の文明論、歴史観の結論として、創価学会に着目され、私どもの運動の発展を、こよなく楽しみにされていたのである。

 

生命を輝かせ

 対談を終えるにあたって、「私個人に何か忠告がありましたら」とたずねたところ、博士はこう語られた。

 「私が池田さんに個人的なアドバイスをするというのは、ちょっと差し出がましいことだと思います。というのは、私は学問の世界の人間であり、池田さんは行動の人であり、きわめて重要な組織の責任ある指導者だからです。

 したがって私にいえることは、ただ、池田さんと私とは人類が今後どう生きていくべきかについて見解が一致した、池田さん御自身が主張された中道こそ、今後、歩むべき道であるということです。私は、創価学会がはるかな未来を展望していることを確認しました。これは、われわれすべてがとらねばならない態度です」

 少しも尊大さのない、謙虚な博士であられた。

 また博士は確信されていた。「知識」がとまどい、あとずさりするところにも、「希望」は敢然と足を踏みだす。そして、未来の果てまで生命を輝かせながら、なにものにも屈せず進んでいく――と。

 希望が力である。希望は「勇気」と「知恵」から生まれる。「知識」だけからは生まれない。そして信心とは「無限の希望」を生む知恵である。「永遠の希望」を生む知恵である。

 わがSGIは、どこまでも「希望」の光で、人類の闇を照らしてまいりたい。希望輝く創価(価値創造)の文明を築いてまいりたい。

 SGI各国のご繁栄と、皆さま方のご多幸、ご健康、ご活躍を、心からお祈りして、本日のスピーチを終わります。ありがとう!

 

1995年10月開催の21世紀兵庫希望総会


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2022年2月12日

 

人間王者と厳と生きぬけ

 

 

 北国に

  文化の勝利の

      旗高し

 

 文化とは、創造です。

 創造とは、一日一日の暮らしのなかで、いのちを伸びやかに開花させることでしょう。

 それは、先人たちが営々と築いてきた伝統を受け継ぎ、学び、活かしながら、自分は自分らしく挑戦と知恵を添えて、生き生きと未来を創り、開いていくことです。そこに、途切れることのない文化の創造のリレーがあります。

 その象徴が、世界に燦たる伝統文化の花の都・石川県です。

 江戸時代、加賀百万石は「天下の書府」と謳われ、文化の花が絢爛と咲き誇りました。この流れの奥深くに、私は、戦乱の破壊の世から平和の創造の世へ、大転換を願い求めてやまなかった女性たちの祈りを感じ取ります。

 石川には、今も日々の生活に、凜とした文化の彩りがあり、薫りがあります。茶道や美術などに寄せられる人々の関心が、全国でも高いと聞きました。

 その文化を愛する気風から、かけがえのない生命と人生を見つめ、今日という日を共々に丁寧に生きようという心ばえが伝わってくると言っても、過言ではないでしょう。

 

常に師と共に

 〈石川県は、戸田先生の生誕の地である。池田先生は恩師を思いつつ、その故郷を何度も訪れてきた〉

 

 朗らかに

  また忍耐の

     北陸は

    人間王者と

      厳と生きぬけ

 

 私の人生の師匠・戸田城聖先生は、一九〇〇年の二月十一日、石川県の塩屋(現・加賀市内)に誕生されました。

 戦時中の晩秋、恩師は、生命尊厳の哲学を掲げて、命を賭して軍国主義の横暴と戦うさなか、ご自身の人生の起点を確かめるように、塩屋を訪れています。軍部政府の弾圧で投獄されたのは、その翌年(一九四三年)です。

 一生涯、生まれ故郷に変わらざる愛情を注がれておりました。その師の最晩年、私は名代として北陸を訪れました。東京に戻り、故郷の方々の元気な様子をご報告すると、実に嬉しそうな笑みを浮かべられたのです。

 以来、いつも恩師とご一緒に帰郷を果たす思いで、幾たびも北陸を訪問してきました。

 恩師が逝去されて二年後(一九六〇年)の生誕の月・二月には、兼六園や、さらに卯辰山にも友と足を運び、金沢の美しい格調ある街並みを一望しました。壮麗な白山も仰ぎました。

 陰暦二月を表す「如月」には、草木が蘇生する「生更ぎ」という意義があります。私たちは、偉大な人間王者であられた師の生命をわが胸に脈打たせながら、郷土を深く知り、新たな人材の大樹を伸ばし、生命尊厳の文化の花を咲かせゆこうと誓い合ったのです。

 

冬が春をつくる

 〈厳冬にも負けない北陸の人々。池田先生は、“人生の冬”を勝ち越えてきた婦人を紹介し、地道に歩みを重ねる北陸の同志をたたえた〉

 

 私と妻がよく知る野々市市の婦人は、長女を出産した後、難病に罹り、失明されました。追い打ちをかけるように、最愛の夫の事故死が重なったのです。

 不遇を嘆く日々のなかで、「必ず宿命は転換できる。絶対に幸福になれる」と、力強く励ましてくれる友の温もりに触れ、教えてもらった不屈の生命哲学を抱きしめて前を向き、勇気の一歩を踏み出しました。

 幼い娘さんといったん離れ、盲学校の寮生活で、鍼・灸・マッサージの勉強に励みました。三年後、立派に資格を取得し、娘さんとの希望の生活が始まりました。努力の積み重ねで、開業したお店も繁盛し、やがて自宅も建てることができたのです。

 けなげな母は、必死の奮闘を通して見えてきたものがあると振り返ります。それは「人間の底力」であり、「人の優しさ」であり、「生きる喜び」であった、と。地元の小学校の要請に応えて、子どもたちに語りかけていることは、「人生には、いろいろ苦しみがあります。でも、どんな困難でも、乗り越えていく力が私たちにはあるんです」という“負けない哲学”です。

 今の白山市の生まれで、江戸時代を代表する女性俳人と讃えられる加賀千代は詠みました。

 「梅咲や 何が降ても 春ははる」

 たとえ、冷たい雨が降ろうが、雪が降ろうが、ひとたび一輪の梅が咲いたからには、それは春の訪れにちがいありません。

 冬は必ず春となる。

 冬が春をつくる。

 能登で地域貢献に奔走してきた女性リーダーは、「他の人ではありません。自分の一念で、どんなことでも全部、幸福の春へと打開できるのですね」と清々しく語っていました。

 誰が見ていなくとも、真剣に誠実に信念の行動を貫き、誰に褒められずとも、粘り強くベストを尽くして、自らの立てた誓いを果たしてみせる――この北陸の友の生命の息吹を、私は敬愛してやみません。

 

 〈結びに池田先生は、自身が青春時代に親しんだ哲学者の言葉に託して、青年を育てゆく石川そして北陸に万感の期待を寄せる〉

 

 「人を作ることは世界を創造することであらう」とは、森村(現・かほく市)が生んだ、近代日本の哲学者・西田幾多郎博士の言葉です。

 人材が育ちゆく天地・北陸には、無限の可能性を秘めた青年が満ち、勇気と知恵を贈る啓発が満ちています。ゆえに、無限の希望があります。

 春遠からじ。

 冬を勝ち越えた北陸の春には、誉れ高き生命の凱歌が轟きます。

 

 わが恩師

  生まれし天地

      石川に

     春 満開の

      母の曲あれ

 

 (『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第3巻所収)

 

2022年2月12日 忘れ得ぬ旅 太陽の心で――池田先生の連載エッセーから〉 石川

月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「石川――創造を続ける文化王国」〈2014年2月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)

 


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2022年2月11日

 

ああ恩師 戸田城聖先生

(下)

 

 

 

 四六時中

 常在戦場の師である。

 幾たびとなく

 真夜中に呼び出しも受けた。

 隼のごとく馳せ参じるのが

 常であった。

 

 側に私を呼んでは

 「勝つことを

  千里の外に決する」

 勝利への作戦会議が

 二人だけで繰り返された。

 

 困難を極める戦いは

 すべて私に命じられた。

 「わが弟子ならば

  断じて勝て!

  勝って当然だ」

 慰労の言葉など皆無であった。

 勝つことが

 真の弟子の証しであるからだ。

 

 私は走った。

 一切をなげうち

 無我夢中で戦い抜いた。

 蒲田で 文京で 札幌で

 大阪で 山口で 夕張で……

 行く先々で

 未聞の勝利の旗を打ち立て

 広宣流布の活路を開いた。

 

 師は最高首脳に

 語っておられた。

 「大作が行ったところは

  すべて大発展している。

  すべて大勝利している。

  この現証を見よ!」

 

 師匠と共に進めば

 生命は燃え上がる!

 師を思えば

 勇気が出る!

 力が湧く!

 智慧は尽きない!

 

 戸田先生は

 民衆の幸福と平和のために

 立正安国の戦いを起こされた。

 それは――

 「山に山をかさね

  波に波をたたみ

  難に難を加え

  非に非をます」

 権力の魔性との

 大闘争であった。

 

 大難来たり。

 昭和三十二年の夏

 北に夕張炭労事件起こり

 西に大阪事件起こる。

 若き闘将は

 北海の大地に

 民衆勝利の歌を轟かせ

 そして自ら

 大阪府警へと向かった。

 

 忘れまじ

 その途次の羽田空港で

 逝去九カ月前の

 衰弱の激しき師は

 牢に赴く弟子に言った。

 

 「もしも もしも

 お前が死ぬようなことになったら

 私も すぐに駆けつけて

 お前の上にうつぶして

 一緒に死ぬからな」

 なんと尊き慈愛の言葉か!

 それが師匠の心なのだ。

 

 私は心で泣いた。

 「先生のお身体には

  指一本 触れさせぬ」

 無実の容疑で捕らわれた私は

 一身に難を受けた。

 

 だが弟子は

 創価の正義を天下に示した。

 先生亡きあとの

 昭和三十七年一月

 法廷闘争に勝利し

 私は無罪判決を勝ち取った。

 

 重大なる広布の使命の

 全責任を抱いた

 後悔なき

 名誉ある人生が仏法なのだ。

 

 嫉妬の

 卑劣極まる虚言など

 誰が信ずるか!

 これが

 世界の王者の

 勝利への絶叫であった。

 

 有名になった強欲な

 多くの弟子は

 先生から去った。

 代議士にもしてもらい

 そしてまた

 学会の重要な役職にありながら

 その大恩も踏みにじった

 卑怯な連中は

 みな立ち去っていった。

 

 わが師は

 よく言われた。

 増上慢に

 成り下がった弟子は

 もはや弟子ではなくして

 恩知らずの敵である。

 

 蓮祖の時代にあっても

 日興上人 ただ お一人が

 清流に立ち上がられた。

 他の五老僧らは

 みな濁流に流された。

 

 あの戦争中

 時の権力に怯えて

 多くの幹部が

 退転していった。

 戸田先生お一人が

 師の心を心として

 厳然と立ち上がった。

 

 偉大な大師匠である

 戸田先生の弟子たる私は

 師に出会った十九歳の時から

 師の亡くなられるまで

 来る日も来る日も

 朝から真夜中まで

 常に先生の近くでお仕えした。

 

 それはそれは

 悪戦苦闘の師を

 お守りしながら

 現在の学会の大発展の

 基盤を作り上げたのだ。

 これが

 師弟の実相であることを

 叫びたい。

 

 いま私は

 次の真の弟子の道を

 青年たちに託したい。

 これが大発展への

 方程式であるからだ。

 

 ありとあらゆる

 三類の強敵の

 怒濤の中にあって

 私は一切を乗り切り

 すべてを完勝した。

 勝って師の笑顔が

 見たかったのである。

 

 ゆえに私にとって

 永遠の師匠・戸田先生と

 苦楽を共にし

 歴史を創り上げた日々は

 すべてが勝利であり

 光り輝いている。

 

 私は断固と勝利した。

 一切に勝利した。

 この実像が

 師弟不二の

 信力・行力なのだ。

 

 ああ!

 恩師と共に過ごし来た

 あの日あの時は

 すべてが

 また すべてが

 私にとっては

 輝く黄金の思い出となっている。

 

 師は――

 仏法の王者であられた。

 闘争の王者であった。

 正義の王者であった。

 これこそ

 人間指導者の大賢人だ!

 この王者と共に

 月月・日日に

 私は

 青春の不朽の歴史を

 綴ることができた。

 

 恩師は

 あまりにも偉大であり

 私は幸福者であった。

 いな 師も弟子も

 永遠不滅の

 幸福と勝利の生命が

 輝きわたって

 流転してゆくにちがいない。

 

  師を念い

   師をば語りて

       世界まで

 

 私は

 一切の誓いを実現した。

 師の構想の種子から

 天空高く生い茂る

 壮大なる大樹を育て上げた。

 

 創価の会館は

 民衆の大城となりて

 全国 全世界に林立し

 聖教新聞は

 言論の大城となった。

 創価大学 創価学園は

 世界も注目する

 教育の大城となった。

 

 「戸田の命よりも

 大切なり」と言われた

 創価の組織は

 仏法史上

 いな人類史上に輝く

 世界百九十カ国・地域への

 壮大なる平和と文化と教育の

 広がりとなった。

 (*1)

 

 釈尊の未来記

 そして

 日蓮大聖人の

 「仏法西還」という悲願は

 完全に成就した。

 

 「一閻浮提広宣流布」という

 仏法の究極の予見である

 人類の新しき平和の朝が

 輝き始まってきたのは

 皆様ご存じの通りだ。

 

 私は

 戸田大学の卒業生である。

 師匠は

 戸田先生お一人

 弟子は

 私ただ一人であった。

 約十年間

 万般にわたる教育を

 なさってくださった。

 

 その戸田大学の卒業生には

 世界の大学・学術機関からの

 知性の宝冠は二百を超えた。

 名誉市民の称号は

 四百六十を数えるに至った。

 「世界一の壮挙である」と

 著名な識者の方々は

 誉め讃えてくださっている。

 (*2)

 

 これは

 すべてにわたって

 恩師・戸田先生の

 凱歌の栄誉であられる。

 

 師匠の勝利は

 弟子の勝利。

 弟子の勝利が

 師匠の勝利なのだ。

 

 全生命を賭しながら

 一生涯

 師匠に仕えきった者が

 次の師匠となる。

 これが

 仏法の方程式だ。

 これが

 師弟不二である。

 

 人間にとって

 師弟に勝るものはない。

 師を持たぬ者は

 人間の愚者と

 なってしまうからだ。

 師を持たぬ者は

 勝手気ままな

 驕慢になってしまうからだ。

 

 一家に親子があるごとく

 社会には師弟が

 必ずあるものだ。

 それが古より

 世界万般の鉄則であった。

 

  師の恩を

   遂に果たせり

       今世かな

 

 私の心には

 いつも いつでも

 笑顔輝く戸田先生がいる。

 いまもなお

 「先生なら どうされるか」

 師との対話の日々の連続である。

 

 いかに暗黒の時代に遭遇しても

 偉大なる師を念うときに

 必ず一本の光の大道が

 広がってくるのだ。

 

 ああ!

 師匠は鑑である。

 師匠は希望である。

 師匠は力である。

 心に師を持つ人生には

 絶対に逡巡はない。

 心に師を持つ人生には

 断じて敗北はない。

 

 おお!

 わが恩師

 戸田先生!

 世界第一の師匠

 戸田先生!

 永遠の人生の師

 戸田先生!

 

 弟子・池田大作は

 晴れ晴れと勝ちたり。

 師弟不二の詩を

 不滅の歴史と残したり。

 

  一段と

   決意深まる

      師弟かな

 

 今日も晴れ晴れと

 妙法流布の正義の大道を!

 私は絶対に

 後悔の人生をつくらない。

 凜々たる勇気で

 価値ある勝利の歴史を

 勇み歩んでいくのだ。

 

 これが

 仏法であるからだ。

 これが

 師弟の道の法則であるからだ。

 

 二〇〇七年二月四日 立春の日

  わが師・戸田城聖先生の

  百七回目の誕生日を祝して

 

 (*1)現在は192カ国・地域

 (*2)現在の名誉学術称号は398、名誉市民称号は824

 

2022年2月11日〈桂冠詩人は詠う 勇気の舞 凱歌の行進Ⅱ〉 特別編 「師弟不二の詩 ああ恩師 戸田城聖先生」(2007年2月)


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2022年2月10日

 

 ああ恩師 戸田城聖先生

(上)

 

 

 わが師は

 偉大なる知性の人であった。

 慈愛深き人生であられた。

 厳しかった。

 優しかった。

 

 その胸には常に

 張り裂けんばかりに

 邪悪に対する

 闘争心が燃えていた。

 正義の人であった。

 

 私は

 若き十九歳の時に

 この偉大な師匠と

 巡り会った。

 その場所は

 大田区であった。

 

 一瞬にして私は

 師子の胸に抱かれた。

 わが身を捨てて

 大法と正義に戦い抜く

 この師のもとに座して

 涙を流した。

 

 高貴な信念が

 常に燃え上がっている

 人生であられた。

 深い信仰の心に

 燃え上がる慈悲を感じた。

 

 来る日も来る日も

 苦難の連続であった。

 邪悪との戦いであった。

 信念の道を歩む

 闘争であった。

 中傷 批判の波は

 激しかった。

 

 「創価」といえば

 多くの人びとが

 必ず悪口 中傷した。

 いな 無認識のままに

 一番大事な信念を持つ人を

 嫌う風潮の日本の

 心の小さい人びとは

 みな横を向いて

 笑って悪口を投げかけた。

 

 そのなかを

 わが師・戸田城聖は

 ある時は笑顔で

 ある時は厳しい口調で

 そしてまた

 ある時は朗らかに

 大声で笑いながら

 広宣流布の指揮を執った。

 何も恐れなかった。

 

 透徹した眼光の師であった。

 いかなる噓も偽りも

 決して見逃さなかった。

 ひとたび

 弾劾の師子吼が放たれるや

 いかなる傲岸不遜な悪人も

 恐れ戦き震え上がった。

 

 春風の笑みの師であった。

 悲哀と絶望に凍てつく

 庶民の心を温かく とかした。

 太陽のごとく

 大らかに万人を包まれた。

 勇気と希望の光を放って

 無窮の生きる力を贈られた。

 

  師弟不二

   この絆にて

      広布かな

 

 ともあれ師弟は

 永遠にして不滅である。

 師弟は

 過去から現在へ

 そして未来を貫く

 生命の金剛の結合である。

 

 法華経の化城喩品第七には

 「在在の諸仏の土に

  常に師と倶に生ず」と

 峻厳に記されている。

 

 我らは常に

 いつの世も

 いかなる時代も

 師と共に生まれ

 師と共に戦い

 師と共に勝って

 誉れの広宣流布の

 大道を歩み抜くのだ。

 

 「大難なくば

  法華経の行者にはあらじ」との

 如説修行の先師・

 牧口常三郎先生に

 戸田先生は仕えに仕え

 尽くしに尽くされた。

 

 法難の牢獄にまで

 勇み お供なされた。

 戦時中 正義のわが師は

 二年間 牢獄に入れられた。

 最極の正しき大善人を

 国家は いじめ抜いたのだ。

 

 初代の会長は獄死した。

 わが師・戸田城聖は断固と

 この敵討ちを決意した。

 人間の王者は怒った。

 自ら巌窟王になって

 崇高な師をいじめた悪逆の敵と

 断じて戦い抜いてみせると

 宣言した。

 これは有名な歴史である。

 

 獄中にあって

 「仏とは生命なり」

 「われ地涌の菩薩なり」

 と大悟され

 焼け野原の東京で

 妙法流布の大願に

 ただ一人 立たれた。

 

 死身弘法を決意せる師は

 正義の旗持つ若人を求め

 不惜身命の弟子の出現を

 待ちに待っていた。

 

  恩師あり

   妙法ありて

      わが一生

 

 昭和二十二年の八月十四日

 今生の師弟の出会いあり。

 この日この時

 久遠の師弟の魂は

 固く強く結ばれ

 「不二の詩」を奏でながら

 創価の新しき大車輪は

 回転し始めたのだ。

 

 わが誉れの青春譜の

 幕は切って落とされた。

 昭和三十三年の四月二日

 恩師の御逝去のその日まで

 十一星霜

 三千八百八十五日にわたり

 師事し常随給仕せり。

 

 一年ごとに

 弟子は増えてきた。

 それと比例して

 いわれなき迫害も

 一段と高まってきた。

 

 「真実の法華経の

  如説修行の行者の

  師弟檀那とならんには

  三類の敵人 決定せり」

 師弟の道は

 嵐の道であった。

 

 恐ろしきは人の心よ!

 先生の事業は破綻し

 莫大な借財が襲いかかった。

 世間の非難の集中砲火に

 先生の大恩を受けた

 最高幹部を先頭に

 手のひらを返すがごとく

 忘恩にも裏切り去った。

 嘲笑って立ち去った。

 

 すべての弟子の心も

 揺れ動いた。

 多くの幹部たちまでが

 卑劣にも去っていった。

 私は悔し涙で

 今に見ろ! と

 彼らを軽蔑した。

 

 一人の愛弟子は宣言した。

 ――私は

 いかなる処罰を受けようとも

 最善を尽くし抜いて

 師をお守りして

 この一生を終えるのだ。

 一切の財産もいらない。

 師の命ずるままに

 私の生命を捧げる。

 

 なんと意気地なき弟子たちよ!

 なんと卑怯な弟子らよ!

 なんと増上慢の愚者どもよ!

 なんと卑劣極まる者たちよ!

 彼らには

 人間の真髄の振る舞いなど

 まったくない。

 邪となって臆病に狂い

 動き回っていった。

 

 弟子は叫んだ。

 荘重に誓いを

 天下に放つがごとく

 師子吼した。

 

 下劣な愚かな輩よ!

 永劫に君たちを

 諸天は絶対に助けない。

 哀れな君たちよ!

 気の毒なお前たちよ!

 盗賊が断罪を

 宣告されるよりも

 もっと 恥と苦しみは

 続行していくにちがいない。

 

 真の信心なき彼らは

 先生を師とは仰げなかった。

 本有無作なる

 先生の振る舞いを

 軽んじて

 広宣流布の師たる内証を

 知ろうとはしなかった。

 

 日興上人は仰せである。

 「この法門は

  師弟子をただして仏になる」

 

 直弟子は激怒した。

 いな ただ一人 覚悟したのだ。

 命を賭して

 師匠を厳護することを!

 死して後世に

 弟子の模範を示すことを!

 

 私は胸を病んでいた。

 喀血も続いていた。

 阿修羅のごとく

 一心不乱に戦い続けた。

 

 私の心を見抜き

 先生は言われた。

 「大作!

  お前は死のうとしている。

  俺に命をくれようとしている。

  それは困る。

  断じて生き抜け!

  俺の命と交換するんだ」

 

 師匠は

 弟子を心から愛した。

 弟子は

 師匠を心から尊敬した。

 それは

 荘厳なる師弟の劇であった。

 

 マハトマ・ガンジーは言った。

 「弟子は

  わが子以上である。

  弟子たることは

  第二の誕生である」

 

 私には

 弟子の誇りがあった。

 誰が見ていなくともよい。

 誰が知らなくともよい。

 広宣流布の大師匠のもと

 大仏法を真実に行じゆく

 そして戦い抜く誇りを持って

 突進した。

 

 私には悔いがない。

 師弟を師弟のままに貫き

 戦い抜いてきたことを

 絶対に後悔しない。

 私は勝ったのだ!

 

 ある日ある時

 打開策に行き詰まり

 土砂降りの雨の中を

 師と共に二人して

 歩みながら

 私は申し上げた。

 

 「必ず将来

  先生にお乗りいただく

  車も購入します。

  学会もビルを建てます!」

 

 先生は

 黙って頷かれた。

 その目に

 涙が光っていた。

 

 私はお誓いした。

 「負債は

  すべて私が返済します。

  そして先生には

  学会の会長として

  広宣流布の指揮を

  執っていただきます」

 

 言葉に尽くせぬ

 苦難の連続であった。

 明日をも知れぬ

 疾風怒濤の日々であった。

 

 そのなかで師匠は

 ただ一人の弟子を信じて

 次々と

 広宣流布の構想の翼を広げ

 その実現を託した。

 「学会も新聞を出そう!」

 「大学をつくろう!

  創価大学だ!」

 師匠の絶対の信頼――

 これに勝る光栄があろうか!

 

 おお!

 そして迎えた

 あの第二代会長就任の

 晴れわたる

 昭和二十六年の五月三日!

 師匠の栄光こそ

 弟子の随喜であった。

 

 先生は

 断言なされた。

 会員七十五万世帯の達成を!

 それは

 断じて勝ち取らねばならぬ

 わが青春の誓願となった。

 

 真の弟子への

 師の期待はあまりにも大きい。

 それゆえに

 来る日も

 また来る日も

 獅子が わが子を

 谷底に突き落とすがごとき

 厳愛の訓練が続いた。 

 

([下]につづく)

 

2022年2月10日〈桂冠詩人は詠う 勇気の舞 凱歌の行進Ⅱ〉 特別編 「師弟不二の詩 ああ恩師 戸田城聖先生」(2007年2月)


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2022年2月7日

関西よ兵庫よ

今再びの正義の大行進を

 

幸福常勝の「春の曲」を朗らかに

「立正安国」の不屈の誓願胸に

 

“我らは不幸な人の味方なり”と

 

  

 一、愛する常勝関西、そして、愛する常勝兵庫から、創価の春へ、大歓喜の飛躍を遂げゆく本部幹部会、ならびに晴れやかな兵庫総会、誠にご苦労さま!

 日蓮大聖人は、「一」は「万の母」と仰せになられました。

 一切は、一人への勇敢にして誠実な対話から始まります。

 1952年(昭和27年)の2月。あの二月闘争に呼応して、私と不二の心で立ち上がった若き盟友が体当たりの開拓で、関西第1号となる折伏を実らせました。まさに、その人知れぬ挑戦から、今日の“世界の大関西”の行進が始まったのです。

 威風も堂々たる関西広布70周年、本当におめでとう!

 今、わが従藍而青の(楠木)正行たる青年たちが先頭に躍り出て、創価家族一体で挑んでいる一人一人との真心の仏法対話から、どれほど明るく大きな未来が開かれゆくことか、計り知れません。

 一、この70星霜、「友の喜び友の歎き一つなり」(新1267・全934)との御聖訓さながらに、関西の宝友と私は、広布と人生の苦楽を分かち合ってきました。

 大阪事件の時、獄中の私に、関西の同志が御書を届けてくれたこともよみがえります。拘置所の差し入れ許可証が貼付された御書は、今も大切に保管されています。

 私たちは御書根本という金剛の絆で結ばれているがゆえに、何も恐れない。関西の友と深く拝してきた御金言があります。

 「思えば、あなたと日蓮とは、師弟の関係である。しかしながら、煩悩ある凡夫の身は、国主に従うものであるがゆえに、この難にあおうとしているのであろうか。感涙を抑えることができない」

 「たとえ、身は、この難にあったとしても、心は、仏心と同じである。今生では修羅道に交わったとしても、未来世は必ず、仏国に住むことであろう」(新1454・全1069、通解)と。

 乱れた世にあって、いかに苦難の連続であろうと、妙法流布に生きゆく我らは、仏と同じ心、大聖人と同じ心で、自他共に三世永遠に不退の幸福境涯を開きながら、法華経の「三変土田」、御書の「立正安国」の仰せのままに、勇んで社会へ飛び込んでいく。

 これが、牧口先生、戸田先生、両先生を原点とする学会精神です。

 この不撓不屈の誓願を、私は大阪事件の無罪判決の前夜、縁も深き兵庫の尼崎で師子吼しました。

 「私どもは日蓮大聖人の弟子としての自覚と信念をもって、不幸な人の味方となり、そして真実に全民衆が、安心して暮らしていける世の中を築き上げよう」と。

 そして今、コロナ危機や自然災害など、打ち続く試練の時代に、創価の生命尊厳の連帯は、日本はもとより全世界で、いやまして民衆の依怙依託となり、いかなる困難も乗り越える「変毒為薬」という究極の「レジリエンス」の力を発揮していくのであります。

 その希望と勇気と団結のモデルの天地こそ、わが大関西であり、わが大兵庫であると宣言したい。

 一、70年前の8月、私は特急「つばめ」号で淀川の鉄橋を渡り、夕焼け空に浮かぶ大阪城を仰ぎながら、関西へ第一歩をしるしました。以来、この大関西に永遠に崩れぬ民衆の平和と安穏の錦州城を築くために、久遠よりの誓いの友と共戦を開始し、貫いてきました。

 あの阪神・淡路大震災の折、ここ神戸の文化会館をはじめ、各会館を民衆厳護の城として、地涌の勇者たちが救援・復興に死力を尽くしてくれた尊き歴史も、どうして忘れられるでしょうか。

 いよいよ創立100周年への記念事業として、世界が見つめる新たな関西の大講堂も建設されます。御書に「城の主剛ければ、守る者も強し」(新1320・全979)と説かれるごとく、誉れの師弟城の城主たる皆さん一人一人の強盛なる信心と異体同心の陣列で、諸天の守護を一段と強く広げていってください。そして、「法華経に勝る兵法なし」と胸を張り、今再びの正義の大行進を朗らかに、幸福常勝の「春の曲」を奏でていただきたいのであります。

 本日の兵庫総会を記念して、以前、「兵庫女性部の日」である3月16日に記した二つの書を贈ります。

 

 「大兵庫

   天晴れ 地晴れ

     満月乃

   功徳につつまれ

    この世 飾れと」

 

 「大兵庫乃

   建設を

    君ぞ頼む」

 

 最後に、全国、全世界の全同志の健康と和楽と凱歌の人生を祈りに祈って、私のメッセージとします。どうか、お元気で!(大拍手)

 

2022年2月7日第7回本部幹部会・兵庫総会への池田先生のメッセージ


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2022年1月21日

 

永続的な勝利への大道を歩め

 

<我らには永遠の希望がある>

 

 人類の英知の

 真髄の結論は何か?

 それは

 この地球世界から

 「悲惨」の二字を

 なくすことだ!

 

 「自由」があるから

 人間は幸福。

 「平和」があるから

 人間は安全。

 

 平和と自由は

 祝福されるべき

 人類の血が求め抜いた

 宝庫である。

 

 豊かにして堂々たる

 全世界の都会には

 無数の人間が行動している。  

 しかし ひとたび

 戦争になれば

 それらは皆

 巨大な牢獄と化してしまう。

 

 多くの民族が融合し

 燃え盛る

 生命と生命との

 音をたてながら

 新しい時代を

 新しき二十一世紀の舞台を

 築きゆかんとする

 鋭敏な魂よ!

 

 

 君は

 驚くほど

 強くなるのだ!

 君よ

 偉大な巨人として

 生き抜くのだ!

 

 ありとあらゆる

 嫌悪の苦汁を

 呑まされゆく苦痛は

 断じて打ち破れ!

 彼らは

 嘆息するような

 気の毒な

 哀れな道をゆく者なのだ。

 

 おお 人間よ!

 おお 人類よ!

 偽善者に

 断じて騙されるな!

 

 絶対の平和の大道は

 庶民の心にあることを

 忘れてはならない。

 

 

 いかなる

 憂鬱なことがあっても

 断固たる

 創造者であり

 先覚者である

 私たちは

 永続的な勝利への大道を

 歩みゆくことを

 断じて忘れてはならない。

 

 固い道も

 柔らかい道も

 生涯 持ち続けた

 汝自身の精神を

 汝自身の高尚な思想を

 堅持しながら

 変転極まりない

 この社会をば

 魂の極致の信念をもって

 私たちは進むのだ!

 

 何ものにも屈せず歩む!

 恐れを拒否して歩む!

 人生の生命の

 終わりも忘れて歩む!

 そして走る!

 

 我らには

 永遠の希望がある。

 我らの天下の都市は

 恐れも嘆きも終末もない。

 人間が人間として

 喜び合い 助け合う

 連帯の都市なのだ!

 

 そして そこから

 「世界平和の道」を

 創るべきだ!

 「人類の花園」を

 築くべきだ!

 

 これを

 「一閻浮提の広宣流布」

 大聖人は見通し

 予見されたのである。

 

 「末法万年 尽未来際」

 この甚深の御聖訓を

 私どもは

 永遠に忘れてはならない。

 その使命があるからだ!

 

 

2022年1月21日

〈桂冠詩人は詠う 勇気の舞 凱歌の行進Ⅱ〉

第2回 世界平和への誓い

「世界平和の道 人類の花園」(2000年)


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2022年1月20日

無冠の友への新春メッセージ 

池田大作

 

大いなる飛躍の第一歩を

尊き大誠実の振る舞いに感謝

 

<「無冠」こそ"創価の不軽菩薩">

 

 

 

 尊貴なる「無冠の友」の皆さん!

 「青年・飛躍の年」、

 明けましておめでとうございます。

 

 感染症の流行や

 気候変動に伴う天候不順など、

 これまでにも増す困難の中、

 皆さんがどれほど祈り、

 どれほど心を砕いて

 配慮を尽くしながら、

 聖教新聞を配ってくださっていることか。

 

 「無冠の友」ありて、

 広宣流布と立正安国の前進あり!と、

 感謝は尽きません。

 

 陰で支えてくださっている

 集金担当の皆さん方も、

 本当にありがとうございます。

 

 とともに、「無冠」の誇りを胸に、

 これまで配達を担ってくださった方々に、

 心より御礼を申し上げます。

 

 御書には、

 「かくれての信あれば、

 あらわれての徳あるなり」

 (新1850・全1527)と仰せです。

 最も地道にして

 最も忍耐強い

 功労を重ねられた皆さんが、

 大福徳に包まれ、

 三世永遠に栄えゆかれることは、

 絶対に間違いありません。

 ◇ 

 御本仏・日蓮大聖人は、

 「もし文字を離れば、

 何をもってか仏事とせん」

 (新762・全153)とご断言であります。

 広宣流布とは、

 「文字の力」「言論の力」で、

 何ものにも負けない

 仏の大生命力を自他共に呼び起こし、

 民衆の一人一人を救い切っていく

 究極の聖業であります。

 その最大の推進力こそ聖教新聞であり、

 そして、その最強の旗手こそ

 「無冠の友」の皆さんにほかなりません。

 

 聖教の波動は、

 内外の読者の人生に

 活力と希望を送ると同時に、

 地域社会にも深く連帯と繁栄を広げていきます。

 

 私も宝友と忘れ得ぬ出会いを刻んだ

 福島県の土湯では、

 深き決意の同志が一丸となって走り抜き、

 地域の数多くの世帯が

 聖教の愛読者になっておられると伺いました。

 そこには、実に半世紀にわたって

 営々と配達を続けてくださった

 宝のご家族がいます。

 

 ご夫妻は、病も幾たびと勝ち越え、

 お子さん方も立派に育て上げながら、

 愛する郷土に貢献を果たされてきました。

 後継のバトンを受け継いだ息子さんは、

 こけし職人として日本一に輝いています。

 

 まさに、聖教の旗を高らかに掲げ、

 誓願の祈りと行動で、

 「信心即生活」「仏法即社会」の実証を

 誉れの天地に示し切ってこられたご家族が、

 いずこにも光っているのです。

 ◇ 

 聖教新聞を

 「日本中、世界中の人に読ませたい」

 との恩師・戸田城聖先生の熱願は、

 私と不二の心で行進する

 「無冠の友」の誓願となって結実し、

 聖教電子版は現在、

 210カ国・地域からアクセスがあります。

 

 「世界人権宣言」の起草にも尽力された、

 ブラジル文学アカデミーの

 アタイデ元総裁の信条を思い起こします。

 「新聞は毎日、

 また常に、民衆の光輝ある力のために、

 現在と未来の間に立って、

 歴史の行進を先取りする。

 そして世界の地平線へ、

 鋭きまなざしを広げていく」と。

 

 世界の「セイキョウ」は、

 いよいよ「歴史の行進」を先取りし、

 世界市民の「光輝ある力」を

 限りなく高めていきたい

 と思うのであります。

 ◇ 

 私は、「無冠」の方々こそ

 創価の不軽菩薩なりと尊敬し、

 信頼しております。

 

 皆さん方こそ、

 「不軽菩薩の人を敬いしは、

 いかなることぞ。

 教主釈尊の出世の本懐は

 人の振る舞いにて候いけるぞ」

 (新1597・全1174)との御聖訓を、

 月々日々にたゆむ心なく

 実践し抜いておられる方々だからであります。

 

 先日も、大阪・堺の地で、

 長年「無冠の友」だった方から、

 「配達50年の掉尾を飾る、

 本当に嬉しいことがありました」

 と喜びの便りが届きました。

 それは、さわやかな挨拶を心掛け、

 地域活動に努める姿を

 ずっと見ていたご近所の方から、

 「あなたが誇りとしているその新聞、

 読ませてもらうわ!」

 と声を掛けられたというのです。

 尊い貴い大誠実の振る舞いの勝利です。

 

 私は妻とこれからも、

 無冠家族の絶対無事故、健康長寿、

 そして幸福勝利を、

 真剣に祈り続けてまいります。

 

 地涌の誓願を貫く人は、

 いつまでも、いかなる立場になっても、

 「青年の心」で生き生きと

 境涯を深めながら、

 所願満足の人生を歩んでいけます。

 

 さあ、今日も、

 栄光の峰を見つめつつ、

 大いなる飛躍への第一歩を、

 堂々と踏み出しましょう!

 

 青年と共に!

 私と共に!

 

 2022年 元旦

 

2022年1月20日聖教新聞2面


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2022年1月18日

偉大な歴史を築く一年に!

 

不惜身命の闘争こそ師弟の魂

戸田先生 勇気をもって仏法を実践せよ

強き信心が変毒為薬の原動力

何があっても断じて勝つ

 

 

 あけまして、おめでとう! どうか、この一年も、よろしくお願い申し上げたい。

 戸田先生が、しばしば、遺言のように語っていた言葉は何か。

 それは「勇気」である。

 「仏法の真髄は、慈悲であり、われわれにも慈悲は必要だけども、凡夫だから、なかなか慈悲はもてないものである。

 この慈悲に代わるのが勇気だ。

 『人を救おう』『自分を向上させよう』『人間革命しよう』『日本を、世界を広宣流布しよう』という勇気だ。

 勇気をもって仏法を実践することが、慈悲に通じていくのである」

 これが戸田先生の厳然たる指導であった。

 

 この一年、自分自身のため、

 偉大なる歴史の建設のため、

 勇気をもって前進してまいりたい!

 

 きょう1月8日は、57年前(1945年)、

 牧口初代会長の獄死の事実を、

 同じく獄中にあった戸田第2代会長が、

 判事から初めて告げられた、

 厳粛な「師弟の日」である。

 

 師の獄死を初めて知った。

 あまりの悔しさに泣きあかした。

 師弟というのは、そういうものである。

 

 〈治安維持法違反と不敬罪で投獄された牧口常三郎先生は、1944年(昭和19年)11月18日に獄中で逝去された。厳しい独房生活による栄養失調と老衰のためである。翌45年の1月8日、戸田城聖先生は、取り調べの判事から「牧口は死んだよ」と告げられた。

 

 後年、戸田先生はその時の心中を語っている。

 「先生の死をお聞きしたとき、だれが先生を殺したんだと叫び、絶対に折伏して、南無妙法蓮華経のために命を捨てようと、決心したのであります」(『戸田城聖全集』3)〉

 

 この日から、戸田先生は「広宣流布の巌窟王」となった。

 自分が偉くなるのではない。

 殉教の牧口先生の“分身”となって、

 先生の精神を実現していくのだ

 ――こう決意された。

 

 第3代の私も、

 寸分たがわぬ「師弟不二の心」で、

 御聖訓どおりの難を一身に受けながら、

 戦って戦って戦いぬいてきた。

 不惜身命・死身弘法の大闘争。

 これが、牧口先生、戸田先生、そして私という、

 創価学会を貫く師弟の魂なのである

 

 巡り来た「1月8日」のこの日、

 世界広宣流布の大実証を、

 私は皆さま方とともに、

 牧口、戸田両先生にご報告することができた。

 それが何よりもうれしい。

 

広布拡大が報恩

 「華果成就御書」には、「弟子が妙法を弘める功徳は、必ず師匠の身に帰する」(全900・新1211、趣旨)という原理が御教示されている。

 

 弟子が戦うことが、

 師匠への恩返しである。

 これが仏法である。

 人間の道である。

 ゆえに、広宣流布の拡大の闘争こそが、

 師匠への最大最上の報恩となるのである。

 

 日蓮大聖人は、「撰時抄」に、こう仰せである。

 「多くの流れが集まって大海となる。微小な塵が積もって須弥山(最高の山)となったのである。日蓮が法華経を信じて題目を唱え始めたことは、日本の国にとっては、一つのしずく、一つの微塵のようなものである。

 やがて二人、三人、十人、百千万億人と、法華経の題目を唱え伝えていくほどならば、妙覚(最高の悟り)の須弥山ともなり、大涅槃という悟りの大海ともなるであろう。仏になる道は、これよりほかに、また求めてはならない」(全288・新205、通解)

 

 「仏になる道」は、どこにあるのか。

 それは「広宣流布の拡大」にしかない。

 大聖人の仏法は「広宣流布の信心」である。

 

 信心即生活である。

 ゆえに、今がどれだけ厳しくとも、

 この広宣流布の信心さえ貫けば、

 すべての努力が生かされ、

 いくらでも生活の面で、

 また社会の面で、

 勝利し、成功していけるのである。

 

 今、世界の同志の連帯は、

 かけ算のように何倍もの力を発揮し、

 功徳も増し、人材も増し、

 威光勢力も増し始めた。

 

 日顕一派と決別し、

 広宣流布は、

 大聖人正統の創価学会によって、

 この地球上に、

 いやまして速度を加え、伸展してきた。

 

 これもすべて、

 世界広宣流布を自由自在に

 進められるようにとの御仏意であり、

 御仏智であったというほかない。

 

 いよいよ、“太陽の大仏法”が、

 平和へ、幸福へ、繁栄へ、

 全人類を本格的に照らす

 時代に入ったと思えてならない。

 

 大聖人は在家の弟子に、

 「その国の仏法流布は、あなたにおまかせいたします」(全1467・新1953、通解)と仰せになっている。

 大聖人から託された、

 それぞれの深き使命の天地にあって、

 世界最高峰の須弥山のごとき

 大福運を積んで積んで積みきっていただきたい。

 

全てに意味が

 ここで、日蓮大聖人が四条金吾にあてられた、有名な御書の一節を拝したい。

 同僚からの讒言によって、主君から領地替えを命じられるなど、苦境に立たされていた金吾への励ましのお手紙である。

 「一生は夢の上の出来事のようにはかないもので、明日のことさえわからないものである。たとえ、どんな乞食になったとしても、法華経にきずをつけてはならない。

 それゆえ、同じくは、(あなたの決意はすでに定まっているのであるから)嘆いた様子を見せないで、このあなたの誓状に書かれたように、少しもへつらわずに振る舞い、語っていきなさい。

 なまじ、へつらうようなことがあれば、かえって(状況は)悪くなるであろう。たとえ、所領を没収され、(土地を)追い出されようとも、それは十羅刹女(諸天善神)の御計らいであるのだろう、と深く信じていきなさい。

 もし日蓮が(佐渡に)流罪されないで鎌倉にでもいたならば、あの戦い(文永9年2月の北条一族の内乱=二月騒動)に巻きこまれて、きっと打ち殺されていたにちがいない。今、あなたが江間家を追い出されることも、このまま江間家にとどまっていてはよくないだろう、という釈迦仏の御計らいなのであろう」(全1163・新1583、通解)と。

 

 大聖人は佐渡流罪という大難にあわれた。

 しかし、そうであったからこそ、

 戦乱をまぬかれることができ、

 かえって良かったのだと仰せである。

 

 仏法の眼で見るならば、

 すべてに深い意味がある。

 嘆いてはいけない。

 「強き信心」

 「勇気ある信心」さえあれば、

 あらゆる困難を、

 必ず「変毒為薬」していける。

 

 どうか、この大聖人の御聖訓を心に刻み、

 何があっても前へ、また前へ、

 前進していただきたい。

 

 仏法は勝負である。

 断じて勝たねばならない。

 自身に勝ち、

 人生に勝利していく。

 そのための信心である。

 

 雄々しく苦難と闘う皆さま、

 そして誠実な心で戦う皆さまの姿は、

 すべて大聖人が御覧になっている。

 安心して、使命深き、

 わが人生を生きぬいていただきたい。

 この一生、毅然と、勇敢に、胸を張り、

 一日一日を、

 自分らしく進んでいっていただきたい。

 

 皆さま方が、健康で、朗らかで、長生きして、

 和楽の人生を築かれんことを

 心よりお祈り申し上げたい。

 

 寒いなか、

 奮闘してくださっている

 尊き同志に喜びをあたえゆく、

 名指導のできるリーダーであっていただきたい。

 

 どうか、この一年、お幸せに!

 本当にご苦労さま! ありがとう!

 

2022年1月18日VOD新番組に収録された池田先生の指針

2002年1月の本部幹部会から


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2022年1月12日

 

人生の流転

 

 

 また我らの

 新しい年が

 始まった!

 

 一年を

 十年の価値ある人生に

 生きる人もいる。

 「一生 空しく過して

  万歳 悔ゆる」人もいる。

 

 人生は

 今日も

 生きゆく以外にない。

 否 生き抜くことが

 人生だ。

 

 誠実の人間たれ

 勇敢なる人間たれ

 そして

 勝利の人生たれ!

 

 熱烈たる人生王者の

 自分の魂を

 使命の魂と

 深く結び合わせながら

 断固として

 勝ち誇る人生たれ!

 

 それには

 勇気ある信仰だ。

 それしか

 無数無量の諸天は

 祝福してくれない。

 

 人間主義の信仰こそ

 恐るべき力を持ち

 晴れやかな力を持ちながら

 天使たちが

 君を護る。

 君を讃える。

 

 狂気のごとき

 この社会。

 癒しがたい

 狂いに狂った

 愚行を繰り返す

 この世界。

 

 怒りの涙を

 さらに強き格闘に転じて

 暗澹たる怒濤の彼方に

 燦然と輝く

 自分自身の王国へ

 行くのだ。

 

 宿命の嵐に

 負けるな!

 陰険な波浪に

 負けるな!

 邪義の陰謀に

 負けるな!

 

 我らには

 哀しみなどはない。

 我らには

 敗北もない。

 

 我らの彼方は

 常に

 幸福の鐘が

 希望の鐘が

 鳴りやむことはない。

 

 いかなる

 厳しい試練があっても

 我らは

 すべてを勝ち越えゆく

 無量の黄金よりも貴重な

 無限の力を持っている。

 

 目には見えない力が

 満々として

 言葉もなく

 常に轟々と

 鋭く響いている。

 我らは負けない!

 

 君よ

 今日も

 元気を取り戻せ!

 

 君よ

 幸福の魂を引き離す輩とは

 今日も厳然と

 断固 戦え!

 

 あの美しい

 満天の星のごとく

 勇気に溢れ

 希望に溢れ

 勝利に溢れゆく

 栄光にふさわしき

 人間王者の威厳に満ち満ちて

 常楽我浄の王宮の扉を開き

 笑みを湛えながら

 わが人生の流転を

 進みゆくのだ。

 

 我々が信ずる力は

 臆せず動ぜず

 悠然と安座して

 慈光に包まれ

 必ず忍耐の彼方に

 大勝利の讃歌が待っている。

 

 新しい一年

 君の胸にも

 また あなたの胸にも

 大いなる喜びが流れ込み

 偉大なる勝利の

 諸天の祝福の輝きに

 包まれゆくことを

 私は祈りたい。

 

2022年1月12日

〈桂冠詩人は詠う 勇気の舞 凱歌の行進Ⅱ〉

第1回 新年を迎えて

「人生の流転」(2002年)


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2022年1月10日

2022年1月9日

池田先生ご夫妻

恩師記念会館で勤行

 

 池田先生ご夫妻は9日、

 総本部の創価学会恩師記念会館(東京・新宿区)に訪問され、

 勤行・唱題された。

 

 「青年・飛躍の年」の開幕と、

 各方面・県の新出発を寿ぐとともに、

 世界の無事安穏と、

 創立100周年の広布の峰へ

 飛躍の大行進を開始した

 全国、全世界の同志の

 福徳・健康・勝利を心から祈念した。

 

2022年1月10日聖教新聞1面


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2022年1月9日

大心で地球を

 地域を包み 

広布と人生の大桜を満開に

 

22世紀へ「立正安国」の襷を君に

青年よ正義のトップランナーたれ

妙法の力用は無量無辺

“一切衆生の仏性を喚び顕す”

   

 一、年頭より、日本でも世界でも、

 わが地涌の青年たちを旗頭として、

 創価家族は舞を舞うがごとく、

 「大法弘通」、

 そして「慈折広宣流布」という

 人類の幸福と平和への

 新たな飛躍の大行進を開始しました。

 

 立宗770年の新春に、

 御本仏・日蓮大聖人の御賞讃は、

 いかばかりでしょうか。

 弘安3年(1280年)の正月、

 若き南条時光を讃えられた御聖訓を、

 全宝友に贈りたい。

 

 「花は開いて果となり、

  月は出でて必ずみち、

  灯は油をさせば光を増し、

  草木は雨ふればさかう。

  人は善根をなせば必ずさかう

 (新1897・全1562)と。

 

 一、今日は凜々しき新成人の皆さん、

 晴れの門出、誠におめでとう!(大拍手)

 今、私は1・26「SGIの日」に寄せる

 40回目となる平和提言を、

 「若者」と「女性」、

 そして「子ども」の未来に大きく光を当て、

 準備を進めております。

 

 その中でも論及しますが、

 国連の推計によれば、

 21世紀の末までに、

 この地球上には109億人に及ぶ

 人々が誕生すると言われています。

 

 創価の師弟は、

 大聖人が「開目抄」に明かされた

 「法華経を弘めて

  未来の一切の仏子にあたえん

 (新120・全236)

 という仏の大誓願を、

 そのまま受け継いできました。

 

 そして新成人をはじめ

 今の青年部、未来部の皆さん方こそ、

 21世紀から22世紀へ

 「立正安国」の襷、

 「令法久住」の襷を担う、

 正義と人道のトップランナーなのであります。

 どうか、この誇り高き使命に胸を張って、

 さっそうと負けじ魂の力走を頼みます。

 

 仏法の永遠の生死観から見るならば、

 「妙とは蘇生の義なり

 (新541・全947)と仰せのように、

 これまで広布の途上で逝去された同志も、

 仏縁を結んできた方々も、

 共に偉大な地涌の生命力をたたえて、

 必ずや澎湃と世界の平和と共生を築く

 陣列に躍り出てくることを、

 私は確信してやみません。

 

 一、思えば、半世紀前に私が対話を開始した、

 20世紀最高峰の歴史家トインビー博士も、

 21世紀に照準を合わせておられました。

 そして創価学会が実践してきた

 「中道」こそ、

 21世紀に生きる人類の歩むべき

 正しき道であると、

 絶大なる信頼を託してくださったのです。

 

 牧口・戸田両先生が

 共に御書に線を引いて

 大切にされていた御金言があります。

 それは、女性の門下に贈られた

 「法華初心成仏抄」です。

 すなわち、

 「一度妙法蓮華経と唱うれば

 「一切衆生の心中の仏性を

  ただ一音に喚び顕し奉る功徳、

  無量無辺なり

 (新703・全557)との一節です。

 妙法には、全人類、

 さらに過去・現在・未来を貫いて

 一切の森羅万象から、

 仏性を喚び顕しゆける

 計り知れない力用があります。

 

 一、あの70年前の二月闘争の折、

 私は蒲田支部の同志と

 報恩の弘教に奔走しながら、

 凍てつく夜空に

 冴え光る満天の星を、

 よく仰ぎました。

 そして広大な宇宙の中で、

 久遠からの誓いの友と、

 妙法流布に生き抜く

 「歓喜の中の大歓喜」のロマンを

 朗らかに語り合ったのです。

 

 私たち青年の奮闘に応え、

 戸田先生が「地球民族主義」という

 遠大なビジョンを

 示してくださったのも、

 この二月闘争のただ中です。

 

 その恩師の大境涯を偲びつつ、

 かつて元旦に認めた一対の書を、

 わが同志に贈ります。

 一つは「大心」

 ――「大いなる心」。

 そして、もう一つは

 「大桜」であります。

 

 この一年、

 全世界の宝友と共々に、

 大きな大きな心で、

 地域も、国土も、地球も、

 いやまして妙法の大功力に包んでまいりたい。

 そして「冬は必ず春となる

 (新1696・全1253)と、

 広布と人生の「大桜」を

 福徳満開に咲かせゆくことを

 決意し合って、

 新年のメッセージとします(大拍手)。

 

2022年1月9日本部幹部会への池田先生のメッセージ


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2022年1月4日

〈池田先生と共に 新たな広布の勝利山へ〉

大いなる生命の翼を共々に

 

 妙法を信受する我らは、大宇宙の運行の妙なるリズムに則り、一年一年、「心の財」を積みながら、「地涌の人華」を多彩に咲かせ、広げていくのだ。

 これほど充実した福徳の年輪はない。

 北極圏に近いアイスランドの同志からは、厳寒の中、オンラインで新年の集いを行い、異体同心で元気に出発したと報告を頂いた。

 欧州では、年頭から36カ国を「心は一つ」と結んで、伝統の広布サミットも予定されている。

 * * 

 「青年・飛躍」の鍵は何か。それは、祈りを根本にした慈愛であり、真心からの励ましではなかろうか。

 御本仏・日蓮大聖人は、母鳥が卵を温めて孵化させ、雛鳥たちを飛翔させる営みを、仏の慈悲に譬えられた。

 有名な御文がある。

 鳥の卵から、くちばしや目ができて、やがて大空を翔るように、「我らも無明の卵にしてあさましき身なれども、南無妙法蓮華経の唱えの母にあたためられまいらせて、三十二相の觜出でて八十種好の鎧毛生いそろいて、実相真如の虚空にかけるべし」(新2068・全1443)と。

 すなわち、題目の「唱えの母」に温められるならば、万人が必ず必ず仏の大境涯を開いていけるのだ。

 どの生命も、永遠の幸福の大空へ羽ばたく翼を抱いている。その翼を、自他共に大きく広げ、限りなく鍛え上げていくのが、我らの人間革命なのである。

 今、心の凍てつくような社会にあって、人を励まし、若き生命を育てる温もりが渇仰されている。

 新生の女性部を中心に、題目の「唱えの母」という最極の熱と力を漲らせながら、創価の人材群を一段と高く高く飛躍させていきたい。

 * * 

 箱根駅伝では、創大駅伝部が負けじ魂と団結の力走で、感動と勇気を送ってくれた。本当にありがとう!

 明2023年には、マレーシアに中高一貫校「創価インターナショナルスクール・マレーシア(SISM)」が開校する予定である。その定礎式が2日に晴れやかに行われた。

 青年こそ、人類の希望だ。

 平和と人道に殉じられた牧口先生、戸田先生の創価教育の希望の襷は、今や地球社会の若き世界市民に受け継がれている。

 さあ、新たな勝利山へ、共々に登攀を開始しよう!

 

2022年1月4日〈池田先生と共に 新たな広布の勝利山へ〉

 


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2021年12月27日

〈随筆 「人間革命」光あれ 池田大作〉

 燃える命で飛躍の春へ

 

桜梅は薫り 桃李は香る

平和と共生の人華を爛漫と!

 

 師走になると、尽きせぬ感謝とともに思い起こされる恩師の和歌がある。

    

 勝ち負けは 

  人の生命の 

     常なれど 

  最後の勝をば 

    仏にぞ祈らむ

   

 これは、一九五七年(昭和三十二年)の十二月に、戸田城聖先生から私が賜った一首である。

 先生が波瀾万丈の苦難を乗り越え、生涯の願業たる七十五万世帯の大折伏を遂に達成された時であった。だが、体調を崩されて悲願の広島行きも断念し、静養を余儀なくされていた。

 私自身、夕張炭労事件や大阪事件をはじめ、熾烈な攻防戦の矢面に立ち続けた渦中である。冤罪を晴らす法廷闘争も始まっていた。

 御書に仰せのごとく、三障四魔が紛然と競い起こり、学会が更なる飛躍を果たせるか否かの分岐点にあったといってよい。

 ゆえに先生は、「仏法と申すは勝負をさきとし」(御書一一六五ページ)との御聖訓を、自ら今一重深く拝された。

 そして、何があろうとも、「師子王の心」で悠然と祈り、戦おう! 途中はどうあれ、最後は断じて勝とうではないか! 全学会員を勝たせようではないか!と、病を押して励ましてくださったのである。

 不二の弟子として私は奮い立ち、強く固く決意した。

 ――一年また一年、世の毀誉褒貶を見下ろしながら、先陣を切って“次こそは”“来年こそは”と、広布の法戦に挑みゆくのだ。わが誉れの同志が一人ももれなく、一切を変毒為薬して「最後の勝」を飾りゆけるように道を開くのだ、と。

 ゆえに私にとって、何よりの喜びは、創価家族の凱歌の人生にほかならない。

 つい先日も、聖教新聞に、牧口常三郎先生と戸田先生の故郷である北海道の百三歳を迎える多宝のお母さまが、それはそれは神々しい笑顔で紹介されていた。

 度重なる悲嘆を越え、「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(同二三四ページ)との一節を拝し抜いてきた生命が輝いている。

 「私は勝ちました」との大勝利宣言に、妻と最敬礼して拍手を送った。日本中、世界中に光る、この「最後の勝」の晴れ姿こそを、私は報恩の誠として先師と恩師に捧げたいのである。

 

冬に不屈の信心

 北海道、東北、北陸、信越、北関東、近畿、中国、さらに世界の北国、雪国の宝友の冬のご苦労が偲ばれる。

 折から寒波襲来で大雪となり、皆様の無事安穏を祈らずにはいられない。

 とりわけ、日の出前の暗く寒い中、聖教新聞を配達してくださる、尊き「無冠の友」の無事故を祈念するとともに、この一年の労に最大に感謝申し上げたい。

 厚田の天地に念願の墓園が開園した折、北海天地の友と私は御書を拝読した。

 「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を」(同一二五三ページ)と。

 そして約し合った。

 厳寒の逆境を勝ち越えた春の訪れにこそ、計り知れない希望と喜びがある。“法華経は冬の信心なり。冬は必ず春となるのだ”と確信し、粘り強く苦難への挑戦を繰り返そう、と。

 この御書を頂いた妙一尼は、迫害が続く中、夫に先立たれ、病気の子らを抱えながら、必死に信心を貫き通した女性である。

 世界の創価の女性たちが鑑としてきた母である。

 妙一尼は、流罪の大難に遭われた佐渡の日蓮大聖人のもとへ、自らの従者を遣わし、お仕えさせてもいる。

 その御礼を綴られた御返事が、今回、御書の新版に新たに収められた。

 大聖人は、釈尊が過去世に積んだ身の供養と対比されながら、法華経の行者を護り抜こうとする妙一尼の気高い「志」を、大絶賛されているのである。

 「志既に彼に超過せり。来果何ぞ斉等ならざらんや」(御書新版一六九三ページ)――あなたの志はすでに彼の人(過去世の釈尊)を超えています。未来の果報がどうして同じでないことがあるでしょうか――と。

 今また、妙法の広宣流布のために異体同心で戦う創価の同志、なかんずく女性たち母たちが無量無辺の大果報に包まれゆくことは、絶対に間違いないのだ。

 

皆を必ず幸福に

 「冬は必ず春となる」に続けて、大聖人が引かれた法華経の一節がある。

 「若し法を聞くこと有らば 一りとして成仏せざること無けん」(創価学会版法華経一三八ページ)

 誰一人として置き去りにせず、救っていくのだ! 必ず救い切れるのだ!と。

 日蓮仏法は、いかなる困難な壁も越え、万人成仏の妙法を全世界に弘め、一切衆生を幸福にすることを根本の誓願とした「広宣流布の宗教」である。

 そして、あらゆる差別を排し、誰もが平等に仏性を具えた尊極の存在であると、一人ひとりが個性を生かし合い、尊敬し合う「人間主義の宗教」なのだ。

 思えば、一九七九年(昭和五十四年)の五月三日朝、公式に第三代会長を辞する総会を前に、私は内外の策動を清風の心で見極めながら、筆を執った。

 「桜梅薫 桃李香」(桜梅は薫り 桃李は香る)と。

 大聖人が示された、厳冬を勝ち越えた凱歌の春に、「桜梅桃李」という平和共生の人華の園を、世界中に薫り香らせゆかんと、人知れず心に期したのである。

 時は満ち、時は来りて、晴れやかな女性部の新出発とともに、いやまして多彩な自体顕照の幸のスクラムが広がり、嬉しい限りだ。

 

「魂の独立」30年

 御本仏の平等大慧の御精神を踏みにじる権威主義、差別主義の邪宗門の衣の呪縛を解き放ち、正義の学会が「魂の独立」を果たして三十周年を迎えた。

 あの一九九一年(平成三年)の秋から年末、私は、関西の兵庫へ、大阪へ、中部の愛知へ、第二総東京へ、わが故郷・大田区をはじめ東京各区へ、大聖人有縁の千葉、神奈川、静岡へ、そして埼玉へと、西へ東へ、動きに動いた。

 その前進は、「文化音楽祭」など、創価の意気軒昂なる歌や舞と共にあった。

 さながら「ま(舞)いをも・まいぬべし」「をど(踊)りてこそい(出)で給いしか」(御書一三〇〇ページ)と仰せ通りの民衆の躍動である。

 文化や芸術は、人間性の多彩な開花であり発露だ。それを教条的、独善的な偏見によって排斥する、生命抑圧の宗門と決別し、我らは晴れ晴れと進んだ。そして文化の力で、世界の人びとを結んできたのである。

 過日、八王子を訪れた際、彼方に秀麗なる白雪の富士を望むことができた。

 富士のある静岡、山梨の友の不屈の同志たちのことが胸に迫る。ことに富士宮特区の友は、「魂の独立」三十周年の記念日に大歓喜で集い合った。

 痛快なる民衆の勝利劇に、私も快哉を叫んだ。

 “富士宮の不二の同志、万歳!”――と。

 このほど、東海道の青年たちが、学会正義を師子吼して戦った先輩同志の闘魂を後世に残そうと聞き取り調査を行い、証言集として届けてくれた。その後継の心意気が誠に頼もしい。

 

「勇気」を称えよ

 「芸術は世界を一つに結びつけます」とは、楽聖ベートーベンの言葉である。

 本年、コロナ禍に屈せず、創価グロリア吹奏楽団、創価ルネサンスバンガード、関西吹奏楽団、また、創価シャイニングスピリッツ、創価グランエスペランサ、創価ジャスティスウィングス、創価中部ブリリアンス・オブ・ピースなど、各地の音楽隊・鼓笛隊、さらに創価大学のパイオニア吹奏楽団等の活躍はめざましかった。

 「創立の日」記念の本部幹部会でも、世界の青年部と音楽隊によるベートーベンの「第九」(歓喜の歌)が、全学会に満々と「飛躍の息吹」を行き渡らせてくれた。

 「第九」といえば、四国の徳島や、福岡はじめ九州の友が歌い上げた大合唱も忘れることはできない。

 ベートーベンに、「フィデリオ」という歌劇がある。

 「レオノーレ」という名の妻が「フィデリオ」という偽名で男装して牢獄内に潜入し、不当に捕らわれた夫を助けるストーリーである。

 劇中、厳しい困難を前に、レオノーレは歌う。

 「希望よ来たれ、疲れはてた人々の最後の星を消さないでおくれ。そして私の目標をてらしておくれ」

 レオノーレの勇敢な行動は、夫を陥れた悪人までも「何という法外な勇気だ」と感嘆させていく。

 最後には夫と全ての国事犯が釈放され、「高いよろこびの情熱でレオノーレの気高き勇気はたたえられよ」との大合唱が轟き渡る。

 それは、苦闘の友を励まし、いかなる大悪も大善へと転じゆく、世界中の創価の女性たちへの喝采と響き合っているのだ。

 “女性部一期生”の労苦もあろう。しかし一切は後世の感謝と称賛に変わる。その大確信で、どこまでも仲良く、朗らかに、楽しい前進を、お願いしたい。

 

師弟は誓い深く

 激動のこの一年、最愛のご家族を亡くされた方々もおられるだろう。

 大聖人は、母を追善する四条金吾に仰せである。

 ――亡き母は釈迦・多宝・十方の諸仏の御宝前におられて、「これこそ四条金吾殿の母よ母よ」と同心に頭をなでられ、悦び褒められていますよ、と(御書一一一二ページ、趣意)。

 広宣流布の真正の闘士である学会員の父母たちも、家族眷属も、皆、永遠に、大聖人の御照覧に包まれ、三世十方の仏菩薩から讃嘆され、厳護されゆくことを誇りとしていただきたい。

 「希望・勝利の年」から、「青年・飛躍の年」へ!

 忍耐と充実の冬から、友情と福徳の爛漫の春へ! 沖縄の桜の開花も近づく。共戦の喜びを沸き立たせ、地涌の青年を先頭に、さあ前進だ!

    

 新春に

  誓い深まる

    師弟かな

  

 ※ベートーベンの言葉は『新編ベートーヴェンの手紙㊦』小松雄一郎編訳(岩波書店)、歌劇「フィデリオ」の話は『ベートーヴェン フィデリオ』(音楽之友社)より。引用の言葉は坂本健順訳。

 

2021年12月27日〈随筆 「人間革命」光あれ 池田大作〉


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2021年12月30日(未掲載)

 

崇高な理想へ 勇気の挑戦

探求心と創造力と行動で

 

 インド・創価池田女子大学の卒業式。鍛え抜いた英知の翼で人類貢献の人生を歩む決意に燃えて(チェンナイの同大学で)

 汲めども尽きぬ価値創造の泉であるキャンパスに舞い戻られた卒業生の皆さん! 誠におめでとうございます。

 新たな人生の挑戦を開始されている凜々しき皆さん一人一人と、私も妻も、固い心の握手を交わす思いで、祝福の大喝采を送っております。

 本日の式典には、名門マドラス大学の尊敬するS・ガウリ副総長がご臨席され、皆さん方を温かく見守ってくださっております。

 30年ほど前になりますが、私がお会いして、インドの偉大な精神を語り合った、ラマスワミ・ベンカタラマン第8代インド大統領も、マドラス大学の誉れの卒業生であられました。

 大統領が生涯にわたって希求された「自由」への道は、いかなるものであったか。大統領は、詩聖タゴールの一節を通し、ご自身の信念を吐露されております。

 すなわち――

 「心が怖れをいだかず、頭が毅然と高くたもたれているところ」

 「言葉が 真理の深みから湧き出づるところ」

 「たゆみない努力が 完成に向かって 両腕をさしのべるところ」(『ギタンジャリ』森本達雄訳)

 そこにこそ、祖国を自由に導き、世界を平和と協調へと至らしめる人間の道があるといわれるのであります。

 まさしく、ここ皆さんの愛する母校こそ、この詩さながらの理想郷ではないかと、私は思いますが、いかがでしょうか。

 この青春の心の故郷から羽ばたいた皆さん一人一人には、いかなる荒波にも胸を張って立ち向かう「勇気の挑戦」があり、人間主義の「崇高なる理想」があります。倦まず弛まず自身を磨きゆく「創造性の開花」があるのです。

 そして、試練に直面しても、励まし合って共に立ち上がる最良の学友がおり、家族の絆で結ばれ、常に親身になって寄り添い、勇気づけてくださっているクマナン議長をはじめ最良の教職員の方々がおられます。

 この同窓の尊き連帯は、これからの長い使命の人生にあって、ますます真価を発揮し、かけがえのない高貴な光を放っていくことでしょう。

 現在、WHO(世界保健機関)の首席科学官として、新型コロナウイルス感染症対策の最前線で、人類のために勇敢に奮闘されているリーダーは、私の敬愛してやまない友人であるM・S・スワミナサン博士の長女であり、ここチェンナイ出身のソーミヤ・スワミナサン博士です。

 この博士が、深く心に刻まれていることは何か――。それは、民衆のため、弱き立場にある人々のために尽くされた、尊き母の姿から学んだ「探求心を持つこと」「創造的で大胆であること」、そして「信念のために立ち上がること」であります。

 どうか皆さんも、燃え上がる創価の「探求心」、「大胆な創造力」、そして信念を貫く「行動」で、一日一日を着実に、粘り強く勝ち開きながら、人類貢献の誇り高き道を朗らかに歩んでいってください。

 私と妻は、かけがえのない宝の皆さん方と、ご一家の健康とご多幸を、祈り続けてまいります。

 最後に、前途洋々たる未来へ飛翔しゆく乙女に、希望あれ! 歓喜あれ! 栄光あれ!と申し上げ、メッセージといたします。

 

2021年12月29日インド・創価池田女子大学卒業式への池田先生ご夫妻のメッセージ


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2021年12月22日

 

通信員指導集「輝く創価の言論城」

 池田先生の「発刊に寄せて」

 

希望の言葉を世界まで! 我らの聖教魂は永遠に

 

 本紙創刊70周年の本年、通信員指導集『輝く創価の言論城』(非売品)が発刊された。ここでは、池田先生の「発刊に寄せて」の全文を掲載する。

 

 わが通信員こそ、

 陰徳陽報の「言論の闘士」であります。

 わが通信員こそ、

 普く賢い「民衆の英雄」であります。

 そして、我ら通信員こそ、

 生涯創造の「共戦の同志」なのであります。

 

 この宿縁深き通信員の方々と心一つに、

 聖教新聞創刊七十周年の佳節を勝ち飾り、

 創価学会創立百周年へ

 従藍而青の言論戦を開始できることは、

 この上ない喜びであり、希望であります。

 

 いまだかつてなき

 「民衆の機関紙」

 「人間の機関紙」たる聖教新聞を、

 飛躍させゆく鍵は何か。

 恩師・戸田城聖先生と私の

 真剣なる祈りと思索の結晶として、

 一九五四年(昭和二十九年)、

 誉れある通信員制度はスタートしました。

 

 聖教の草創期にあって、

 最も献身的に支えてくださったのは、

 まぎれもなく通信員の皆様でありました。

 

 広宣流布の最前線の息吹を

 いち早く摑み、

 共に企画を練り、

 取材に走り、

 記事を書き、

 写真を撮る。

 

 その勇敢にして誠実な挑戦の積み重ねこそ、

 何ものにも代え難い

 聖教の熱となり、

 力となり、

 宝となってきたのであります。

 

 聖教新聞は、

 通信員の不撓不屈の闘争なくして発展することは、

 決してありませんでした。

 これは、

 同じ通信員の誇り高き自負を持って

 執筆を続けてきた

 私が断言できる厳然たる事実であります。

 

 家庭、地域、仕事、学会活動

 ……多忙を極める毎日の中で、

 通信員の誓願を貫きゆくことが、

 いかに崇高な修行であるか。

 まさしく、

 人知れぬ労苦と血のにじむような努力をいとわぬ

 「言論の闘士」たちの偉大な「陰徳」があればこそ、

 今日の世界的な聖教新聞の興隆という

 「陽報」があるのであります。

 そして、この「陰徳」は、

 皆様方の生命と一家眷属を三世永遠に包む

 「陽報」となって輝きわたることも、

 また間違いありません。

 

 通信員が果たす使命は、

 時と共に、いや増して大きくなっております。

 電子版の充実もあり、

 現在、「世界聖教会館」を中心として

 全国の支社・支局が団結し、

 聖教新聞は五大州の隅々まで発信されています。

 皆様が懸命に取り組む

 一編の文章、

 一葉の写真、

 一本の動画が、

 希望の光、

 幸福の光、

 平和の光を、

 全世界へ放っていくのです。

 

 その一つ一つに触れ、

 「地方版の柱」であると同時に

 「世界に広がるセイキョウの柱」

 である皆様の尊き名前を拝するたび、

 私の心には尽きせぬ感動と感謝が込み上げてまいります。

 

 聖教を

 「日本中、世界中の人に読ませたい」

 と熱願され、

 通信員の活躍を心から期待されていた

 戸田先生が、

 いかばかりお喜びでありましょうか。

 

 「御義口伝」に、

 「此の法華経を閻浮提に行ずることは普賢菩薩の威神の力に依るなり、此の経の広宣流布することは普賢菩薩の守護なるべきなり

 (御書七八〇ページ)と仰せの通り、

 

 世界広布は

 「普く賢い」菩薩の働きによって進みます。

 愛する郷土を照らす

 普く賢い「民衆の英雄」の英知が、

 そのまま地球社会の未来を晴らしていく時代に入っております。

 とともに、

 普賢菩薩は「当起遠迎、当如敬仏

 (法華経六七七ページ)

 という最上第一の相伝を託されます。

 「必ず仏の如くに法華経の行者を敬う可し

 (御書七八一ページ)

 との御聖訓を聖教紙面で果たされゆく

 通信員の福徳は計り知れません。

 

 御本仏・日蓮大聖人は打ち続く大難を、

 「山に山をかさね波に波をたたみ

 (同二〇二ページ)と仰せです。

 我ら師弟は、

 この忍難弘通の道に連なり、

 「言論」と「対話」と「励まし」を武器として、

 幾多の難を共々に勝ち越えてきました。

 

 御聖誕八百年を慶祝して発刊される

 『日蓮大聖人御書全集 新版』に、

 池上兄弟に送られた「兵衛志殿御返事」

 (一族末代栄えの事)が新たに収録されます。

 その中で、

 賢者の信心と団結で乗り越え、

 凱歌の実証を示した兄弟と一族を最大に讃えられ、

 「このことは一代聖教をも引いて、

  百千まいにかくとも、

  つくべしとはおもわねども

 と仰せになられています。

 どれほど書いても書き尽くせない。

 どれほど讃えても讃え尽くせない

 ――この御本仏のお心を拝しつつ、

 私たちはさらに、

 聖教の信念の一文字一文字を

 綴ってまいりたいと思うのであります。

 

 末法万年尽未来際への

 世界広宣流布を展望するとき、

 私たちの言論闘争は、

 「いよいよ、これから」

 が本門の戦いであります。

 六十五歳で小説『新・人間革命』を書き起こした私も、

 ますます師弟不二の炎を燃え上がらせ、

 生涯創造の「共戦の同志」である皆様と共々に、

 黄金の日記文書を記し残していく決心であります。

 

 日蓮仏法は

 地球の恒久平和への根本思想であり、

 実現への実践の方途を示しています。

 その「教科書」とも言うべき言論紙こそ、

 我らの聖教新聞です。

 

 正しき仏法を根本に、

 生命力満々と、

 人々の不安を打ち破る希望の言葉で、

 「安国」の実現へ、

 「安世界」の構築へ、

 今こそ力強く大前進しようではありませんか!

 

 皆様には、

 気高き先輩から受け継いできた

 無敵の伝統と連帯があり、

 頼もしき後輩が限りなく明日へ続いています。

 「正義の太陽たる通信員の聖教魂がある限り、

 創価の言論城は未来永劫に輝き続ける」

 ――そう強く深く念じつつ、

 記念の句を贈り、

 発刊へのメッセージといたします。

  

 通信員ありて

   創価と聖教 

      輝けり

  

 言論の

   師弟共戦

      金の日日

  

 通信員こそ

   人間革命

      勝ち戦

  

 二〇二一年八月二十四日 「聖教新聞創刊原点の日」に

 


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2021年12月7日

 

ブラジル北東部の名門学府・ペルナンブコ連邦大学

池田先生に名誉博士号 池田先生の謝辞(代読)

 

民衆奉仕の獅子の青年と共々に

教育ルネサンスの新たな飛躍を

価値創造の英知で人類を結べ

 

ブラジルの大教育者パウロ・フレイレ博士

対話は人間の根幹に関わる希求

大学の校歌 信念を貫き高みを目指すのだ

 

 一、はじめに、貴・ペルナンブコ連邦大学の栄光の創立75周年、誠におめでとうございます。

 「人類の変革と発展」という遠大なビジョンを掲げ、長年にわたり、民衆に英知と希望の光を送ってこられた、偉大なる最高学府の晴れの佳節を、世界192カ国・地域のSGIの友を代表して、心よりお祝い申し上げます。

 とともに、ひときわ厳しいコロナ禍の中で、地域の医療に多大なる貢献を果たされ、未曽有の試練を越えて、大学の再開に尽力された、全ての皆さま方の尊き奮闘に、満腔の敬意を表するものであります。

 さらに、本年は、貴大学の誉れの卒業生であり、20世紀を代表する偉大な教育思想家である、パウロ・フレイレ博士の生誕100周年でもあります。

 この祝賀の折に、博士の名を冠した記念の野外音楽堂で、貴大学からの名誉博士号を賜りますことは、この上ない光栄であります。

 私は、この栄誉を、地元ペルナンブコ州はじめ貴国の発展に長年にわたり、誠実に献身を続けてきた、敬愛するブラジルSGIの同志、また、わがブラジル創価学園に学ぶ英才をはじめ後継の若人たちと心一つに、謹んで拝受させていただきます。ゴメス総長はじめ諸先生方、誠に誠に、ありがとうございます。

 

他者と手を携え

 一、本日ここに、栄えある貴大学の一員とさせていただいた私は、紋章にある「獅子」と「松明」、そしてラテン語で印された「恐れなき美徳」とのモットーを胸に刻みつつ、先生方と共に、また青年たちと共に、教育ルネサンスの新たな飛躍をと、期しております。

 

 その飛躍への翼は、第一に「民衆へのたゆまぬ貢献」であります。

 「教育の獅子」であられたフレイレ博士は、「たゆまぬ正義のたたかいによって、献身的で倦むことを知らぬ闘争によって、世界をつくりかえることが可能だ」(パウロ・フレイレ著『希望の教育学』里見実訳、太郎次郎社エディタス)と叫ばれました。

 この獅子吼は、私の恩師であり、民衆教育の大指導者であった戸田城聖先生の教えと響き合っております。

 第2次世界大戦中、日本の軍部政府の弾圧による2年の投獄を厳然と勝ち越えた恩師は、私たち青年に「人間革命」という希望の哲理とともに、民衆の幸福勝利のための闘争を示されたのであります。

 私が恩師に初めて出会ったのは、奇しくも貴大学が創立された翌年であり、このたゆまぬ師弟旅も、明年で75星霜となります。

 私が感嘆してやまないのは、貴大学が常に民衆の側に立ち、世界が抱える社会格差や貧困や環境破壊など、難題の解決に向けて、力強く「持続可能なブラジルの発展」をリードされてきた伝統であります。

 フレイレ博士が体現されていた通り、教育は知識の詰め込みではなく、この世界を人々と共に見つめ、「他者と手をたずさえ」、そして「希望と共に闘う」ことによって、「人間としての尊厳」を勝ち光らせていく営みでありましょう。

 青年のエンパワーメント(内発的な力の開花)は、民衆奉仕の実践の中で、深く成し遂げられていきます。

 その意味において、今、さまざまな苦難を耐え忍びながら懸命に学び抜き、民衆への貢献に挑んでいる、貴国をはじめ世界の若人たちが、必ずや逞しく飛躍を遂げ、人類史の新章節をもたらしてくれることを、私は確信してやまないのであります。

 

多様性こそ

 一、次に、第二の翼は「多様性の尊重から生まれる価値創造力」であります。

 「多様性なくして、多様な視点もなし。多様な視点なくして、卓越した発展もなし」――このゴメス総長の断固たる信念とリーダーシップのもと、社会の幅広い層の若者に差別なく教育の機会を広げる「アファーマティブ・アクション」(積極的格差是正措置)を推進されてきたのが、貴大学であります。

 わがブラジルの誉れの友人たちも、いずこにもまして多様性に富む社会にあって、「桜梅桃李」という、それぞれの個性を最大に尊重し、生かし合っていく、人間共和と万物共生の連帯を織り成しています。

 この大らかにして、麗しい寛容の大地ブラジルから、多彩なる価値創造の英知と力が尽きることなく、湧き出ずることでしょう。ここにこそ、人類を結び、自然環境とも調和しゆく地球文明の希望を、私は見いだす一人であります。

 さらに、第三の翼は「対話によって共に学ぶ喜び」であります。

 「対話は人間の存在の根幹にかかわる希求である」(同著『被抑圧者の教育学』三砂ちづる訳、亜紀書房)とは、フレイレ博士の鋭き洞察でありました。

 実は、私たちの創価教育の創始者であり、戦時中、平和と正義の信念に殉じて獄死した牧口常三郎先生はフレイレ博士に先立つこと半世紀の1871年生まれで、今年が生誕150周年となります。

 「教師は、自身が尊敬の的となる王座をくだって、王座に向かう者を指導する公僕となり、手本を示す主人ではなくて、手本に導く伴侶となるべきである」

 この信念に立つ牧口先生が重視したのも、フレイレ博士と同じく、一方的な知識の伝達ではなく、対話によって学び合う知恵の啓発でありました。

 

互いを敬う

 「鏡に向かって礼拝をなす時、浮かべる影また我を礼拝するなり」(御書新版1071ページ・御書全集769ページ)という仏典の美しい譬喩があります。

 人間教育の真髄の喜びも、互いに尊厳なる生命を敬い、共に語らい、学び合う中にこそ、あるのではないでしょうか。

 この喜びを、老若男女を問わず向学の世界市民が漲らせながら、牧口先生もフレイレ博士も志向された「教育の世紀」へ、貴大学の誇り高き校歌の一節さながらに、共々に飛躍していきたいと思うのであります。

 「信念を貫き そして高みを目指すのだ!

 我らも 変わらぬ青年の息吹で!

 到来する光彩を 我が魂に一層輝かせ!

 天空の青は その明るさを増し 生命は 太陽に向かって 幸の微笑みを送るのだ」

 ご列席の皆さま方の益々のご健勝と貴大学の限りなき栄光、そして敬愛するペルナンブコ州はじめ、ブラジル連邦共和国の永遠の安穏と繁栄を心より祈って、私の謝辞とさせていただきます。

 ムイト・オブリガード!(ポルトガル語で「大変に、ありがとうございました!」)(大拍手)

 

2021年12月7日聖教新聞3面


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2021年12月6日

〈池田先生と共に 希望・勝利の師弟旅〉

 心の財を富士のごとく

 

サザンカ

 白雪の

  富士も讃えむ

     凱歌かな

  

 晴れわたる師走の青空を衝いて、白雪の富士が王者の風格で、ひときわ堂々と聳え立っていた。

 この一年、広布と人生の見事な凱歌を飾った全同志を労い讃える英姿なりと、総本部から八王子市の東京牧口記念会館へ向かう車中、仰ぎ見た(12月2日)。

 57年前、沖縄で小説『人間革命』を書き起こした日でもあり、平和への共戦譜を綴ってきた愛する沖縄の宝友の大健闘が偲ばれた。

 ◇ ◆ ◇ 

 東京牧口記念会館には、殉教の牧口先生が常に拝されていた御書(霊艮閣版)が保管されている。私は、このほど完成した「新版」の御書全集を御宝前に供え、報恩謝徳の祈りを捧げた。

 今日に至るまで牧口共栄会をはじめ地元の方々の真心で、会館は美しく整備されている。

 日本全国、世界の各国・各地の広宣の法城を守り、荘厳してくださっている尊き同志へ、感謝は尽きない。

 ◇ ◆ ◇ 

 邪宗門の鉄鎖を断ち切った1991年11月28日。この日を期して、日本中、世界中から燃え上がる地涌の誓願の署名簿などが、多数、届いたことが蘇る。

 その一つに、私は贈った。

 「独立記念日、万歳!

 皆様の幸福記念日、万歳!」と。

 日蓮大聖人は「妙法受持の人を賞め讃える者は、福を須弥山のごとく積み」(御書新版209ページ・御書全集291ページ、趣意)と引いておられる。

 この三十星霜、創価家族の「心の財」は、いやまして須弥山のごとく、富士のごとく、高く揺るぎなく積み上げられているではないか。

 まさしく「魂の独立記念日」は、正義を貫く学会員の「幸福記念日」なのである。

 戸田先生は、よく言われた。「自分が幸福になるぐらいは、なんでもない。他人まで幸福にしていこうというのが信心の根底です」と。

 女性部の新出発とともに、一段と「桜梅桃李」の多彩なスクラムで明るく楽しく、人間革命の幸と歓喜の波動を起こしていただきたい。

 ◇ ◆ ◇ 

  

 富士仰ぎ

  富士のごとくの

      学びたれ

  

 創立50周年を迎えて、ますます発展しゆく創価大学のキャンパスが本当にうれしかった。

 紅葉が冴え彩る構内を巡った。

 コロナ禍でも、力を合わせ、工夫して、探究と価値創造の挑戦を止めなかった誇りが伝わってくる。教職員と関係の方々のたゆまぬ尽力に深謝したい。

 使命深き創大生、短大生、そして留学生の健康と成長を心から祈った。ご家族をはじめ、送り出してくれている全ての方々に、安穏と幸福と勝利あれと念願せずにはいられない。

 建設中の駅伝部の新「学生寮」も視察できた。

 深き友情と信頼で結ばれた、わが“創価のメロス”たちよ、一人ももれなく、栄光凱歌の青春を走りゆけ!

 

2021年12月6日〈池田先生と共に 希望・勝利の師弟旅〉


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2021年11月29日

さあ大歓喜の交響曲を!

 

真実の幸福は全てに勝つこと

 苦悩を突き抜けて偉大な境涯を開け

戸田先生

 

 我らは最高に“富める者”

  

 ベートーベンがこの「よろこびの歌」で知られる「第九交響曲」を作曲したのは1824年。日本では江戸時代末期となるが、それは死の3年前、53歳の時である。完成した最後の交響曲となった。

 「第九」は「合唱付」として有名だが、当時、合唱付きの交響曲は他に例がなかった。

 いわばベートーベンの“新思考”によって、新しき挑戦によって、人類に贈られた作品である。

 合唱部分で歌われる「歓喜の歌」は、ベートーベンと同時代を生きたドイツの大詩人シラーの詩「歓喜に寄す」に曲をつけたものである。

 “人類愛”と“平和”と“喜び”にあふれる、この詩に曲をつけようと彼が決めたのは、22、23歳のころといわれる。

 彼は、この夢をいだき続け、育て続けた。そして、約30年後に実現させた。

 青春の決意を見事に結実させたのである。

 よく知られているように、そのころベートーベンの耳は、ほとんど聞こえなくなっていた。

 「第九」の初演の際、聴衆の万雷の拍手も彼の耳には届かず、教えられて、初めて人々の大歓声に気づき、お辞儀をした――という話も伝わっている。

 フランスの文豪ロマン・ロランは、「第九」を、嵐の生涯に打ち勝ったベートーベンの「精神(エスプリ)の凱歌」と位置づけている。

 「不幸な貧しい病身な孤独な一人の人間、まるで悩みそのもののような人間、世の中から歓喜を拒まれたその人間がみずから歓喜を造り出す――それを世界に贈りものとするために。彼は自分の不幸を用いて歓喜を鍛え出す」(「ベートーヴェンの生涯」片山敏彦訳、『ロマンロラン全集』14所収、みすず書房)と。

 そして「悩みをつき抜けて歓喜にいたれ!」(同前)とのベートーベンの言葉に、彼の全生涯がこめられているとロランは結論している。

 耳も聞こえない。保守的な旧社会の人々からの圧迫もある。妬みもある。病気や経済的・家庭的悩みも尽きない――しかし彼は負けなかった。

 戦った。

 そして勝った。

 あらゆる苦悩の暗雲をつき抜けて、雲上の晴れわたる青空のごとき“歓喜の境涯”にまで自身を高めた。

 「第九」は、そうした人間ベートーベンの人生最終章の勝利の証しである。

 仏法もまた“勝負”である。勝負である以上、当然、敵もいる。

 困難につぐ困難もある。

 しかし、それら一切に勝ちきってこそ、真実にして永遠の幸福はある。

 広宣流布もある。

 ゆえに「断じて勝利を!」と、私は声を限りに訴えたい。

 

生命力を満々と

 さて、昭和18年(1943年)、軍部の弾圧により、牧口先生と戸田先生が投獄された東京拘置所は、東京戸田記念講堂が建つここ巣鴨にあった。

 そして翌昭和19年11月18日、牧口先生が73歳で逝去されたのも、この地である。(=東京拘置所の病監)

 昭和19年8月、当時44歳の戸田先生が、巣鴨の獄中から夫人のお父さまにあてた手紙に次の一節がある。

 「どうか強く生きていて下さい。(中略)今どんなに苦しくても貧しくても、私の生きている限り、『富める者』との自信を失わずにいて下さい」

 国全体が混乱の渦中にあった時代である。激しさを増す空襲。ご子息も疎開。ましてご自分は獄中の身である。

 だが、先生のこのご確信はどうか。――“われ、永遠に富める者なり”“われに連なる者も皆、富める者なり”と。

 信仰こそ最高の「富」である。

 信仰者は、苦難があるほど、より力を出せる。周囲をも幸福にしていける。絶対に動ずることがない。

 皆さまもまた、仏勅をこうむった方々である。尊貴なる地涌の一門である。

 「自分がいる限り、何の心配もいらない」「自分こそ、最高に『富める者』である」との気概で、この人生を強く、また強く生きぬいていただきたい。

 私は毎日、大切な皆さま方のご健康、ご長寿、無事故を、そして幸福を、真剣にご祈念している。

 どうかこれからも、来る日も来る日も生命力を満々とたたえながら、朗らかに、どこまでも朗らかに進んでいただきたい。

 そして皆さま全員が堅実な信心の実践で大福運を積みつつ、壮大なる、また絢爛たる創立70周年(10年後)への歴史を飾っていかれんことを重ねてお願いしたい。

 本日は本当におめでとう。ご苦労さま!

 

VOD新番組に収録された池田先生の指針(1990年11月の本部幹部会で) 


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2021年11月19日

第5回本部幹部会

 池田先生のメッセージ

 

 

王者の誇りで人間革命へ飛躍

 慈悲と英知の翼を威風堂々と

 

女性部の1期生は一人も残らず幸福に

心広々と栄光の大空へ羽ばたけ

 

池田先生がかつてしたためた

「教学材宝(財宝)」、「栄光天使空」、「英知広布翼」の書が本部幹部会で紹介された

   

 一、多難なこの一年、全世界の創価家族が、まさに「苦楽ともに思い合わせて」妙法流布に戦い抜き、「創立の日」、そしてまた創立の父・牧口常三郎先生の「殉教の日」を、異体同心で勝ち飾ることができました。

 誠におめでとう!

 本当にありがとう!(大拍手)

 

 御本仏は「妙法の五字を弘め給わん智者をば、いかに賤しくとも、上行菩薩の化身か、また釈迦如来の御使いかと思うべし」(御書新版694ページ・御書全集550ページ)と仰せであります。学会員の一人一人が、どれほど偉大であるか。その福徳が、どれほど絶大であるか。なかんずく、多宝会・宝寿会・錦宝会をはじめ労苦を惜しまぬ宝友の尊き奮闘に最敬礼します。

 一、きょうは、全同志へ感謝と讃嘆を込め、三つの書をお贈りしたい。

 最初に、このたびの『日蓮大聖人御書全集 新版』の発刊を記念して、「教学材宝(財宝)」であります。

 思えば1952年、立宗700年の大佳節に完成した創価学会版・御書全集の発刊の辞に、戸田城聖先生は「今後の補正に最善の努力を尽さん」と記されました。その恩師の誓いを受け継ぎ、御本仏の御聖誕800年のこの年この秋、従藍而青の俊英たちと実現できたことは、大いなる報恩の誠であります。

 「教学」は、まさしく私たちの人生の「財宝」であるとともに、全人類にとって、かけがえのない「財宝」にほかなりません。

 コロナ禍にあっても創意工夫しつつ、各国各地でたゆみなく、教学の研鑽が進められたことは、なんと気高い求道でしょうか。

 地球文明の針路を示す確固たる希望の聖典が求められてやまない今こそ、教学という最も普遍的な生命尊厳の哲理を掲げて、世界市民の大連帯をいよいよ広範に築いていく時であります。

 

 一、次に、わが女子部が女性部の誉れの第1期生として羽ばたきゆくことを祝して、「栄光天使空」であります。

 「創立の日」のきょう、御書新版の発刊と同時に、女性部が新出発することは、華陽の乙女たちに「教学で立て」と望まれていた恩師もきっと笑顔で見守っておられることでしょう。

 とともに、恩師が創価の愛娘たちに念願されたことは、「一人も残らず幸福に」ということでありました。

 御書には、「この経(法華経)は女人成仏を手本としてとかれたり」(御書新版1738ページ・御書全集1311ページ)と仰せです。

 どうか、女性部の皆さんは、

 何があっても題目を唱え抜き、

 一人も残らず「幸福の天使」として、

 また「平和の天女」として、

 「歓喜の中の大歓喜」の舞を、

 楽しく仲良く伸びやかに繰り広げていってください。

 そして家族や友人を大切に、

 心広々と新しい地涌の仲間を創り、

 皆を栄光の大空へいざなっていただきたいのであります。

 

 一、最後に、新たな「青年・飛躍の年」の開幕に当たり、「英知広布翼」であります。

 大宇宙の森羅万象は、

 瞬時も止まることなく、

 生成流転を続けています。

 その一切をよりよく変転させていく

 究極の法則が妙法であります。

 この力を自他共に発揮して、

 「月々日々に」惰性を打ち破り、

 目覚ましい生命の飛躍を成し遂げ、

 よりよき社会を創造していけるのが、

 人間革命の大仏法なのであります。

 大聖人は、

 「にくまばにくめ」という毅然たる信心を貫き、

 同志を護り、

 後継を育てている健気な千日尼に示されました。

 「この経文は一切経に勝れたり。地走る者の王たり、師子王のごとし。空飛ぶ者の王たり、鷲のごとし」(御書新版1737ページ・御書全集1310ページ)と。

 明年は、

 師恩に報いようと

 広布拡大の飛躍を果たした「二月闘争」から70周年――。

 共々に、正義と勇気の師弟不二の師子吼を混迷の世に放ち、

 悩める友を包み励ます慈悲と英知の翼を大きく広げながら、

 威風堂々と王者の誇りで飛躍しようではありませんか!

 一、70年前、師弟の力で完成した御書全集に、恩師は和歌を認め、私に贈ってくださいました。

 その信頼の一首を、愛する不二の青年に、そして青年の心で立つ全宝友に贈り、私のメッセージとします。

  

 山を抜く

  力はみちたり

   若き身に

  励み闘へ

    妙法の途に

  

 日本のため、

 世界のため、

 未来のために、

 創価は勝ち進もう!(大拍手)

 

2021年11月19日第5回本部幹部会


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2021年11月19日

第5回本部幹部会

原田会長

次なる「広布の山」へ新展開を

 

 一、女性部の新出発とともに、晴れ晴れと迎えた「創立の日」を記念する「第5回本部幹部会」の開催、誠におめでとうございます。

 

 すでに聖教新聞で報じられた通り、学会は明2022年のテーマを「青年・飛躍の年」と掲げ、前進してまいります。2030年の学会創立100周年への「勝負の10年」の第一歩を完全勝利で踏み出し、明年は、さらに「大いなる広布の山」の登攀を目指して、人材の育成、広布の裾野の拡大に取り組むべき一年となります。

 

 コロナ禍の影響により、孤立や分断が深まる社会にあって、利他の精神で、心の絆を結び強めようとする学会員一人一人の生き方は、創価学会への認識を確実に変化させつつあります。その見えざる触発の積み重ねが、やがては、さらなる地涌の陣列の拡大への飛躍台となっていくことは間違いありません。

 

 と同時に、一人の人生にあっても、難を受け、魔と戦いながら信心を貫くことによって初めて自身の宿命を転換し、絶対的幸福境涯を開くことができるのであり、今の苦境は、そのまま人間革命への飛躍台でもあります。

 また、新たな飛躍のために、どこに力を入れ、伸ばしていけばよいのか。その開拓の最前線は「青年」をおいてほかにありません。

 

 明年は池田先生の入信75周年、

 「二月闘争」70周年、

 トインビー博士との対談開始50周年の佳節を迎えるとともに、

 「第2の七つの鐘」の4番目の鐘が打ち鳴らされる年となります。

 加えて『日蓮大聖人御書全集 新版』の発刊、

 女性部の新出発に当たり、

 64回の年間テーマで初めて「飛躍」の二文字が躍った意義を、

 しっかりと踏まえてまいりたい。

 創立100周年に向け、

 青年を先頭に、

 学会のさらなる飛躍へ、

 広宣流布の新展開を開始する一年にしてまいりたい(拍手)。

 

 一、未曽有のコロナ禍への前例のない対応を通し、かつてない効果も生まれています。

 

 オンライン会合が浸透した地域では、これまで仕事や育児で参加できなかった方や、夜間の外出が難しい高齢者など、協議会の参加者が大幅に増え、対面で開催する座談会の活気も増しているという地区が多くあります。

 実際、21世紀に入って以降、私たちを取り巻く時代状況は様変わりしています。

 

 共働き世帯の数は、

 専業主婦世帯の571万世帯に対して、

 1240万世帯と、

 今や2倍以上にも上っています。

 働く高齢者も、

 60歳から64歳の男女で70%以上、

 65歳から69歳で約半数を占めるなど、

 人々の就業環境だけを見ても激変しています。

 こうした中にあって、

 どうすれば幅広い人材を糾合し、

 積極的に活動へ参加していただけるか。

 また、限られた時間を有意義に活用して、

 友好の拡大に力を注いでいただけるか。

 

 池田先生は『未来対話』で

 「『新しい挑戦』『新しい自分になる』といっても、

 何か特別なことをやる必要はないんです」

 「大いなる飛躍のためには、

 基本がしっかりしていることが重要です」

 と指導されています。

 

 では、その広宣流布活動の「基本」とは何か。

 先生は

 「『座談会』

 『教学の研鑽』

 『一対一の個人指導』である。

 これが牧口先生、戸田先生以来の学会の伝統であるからだ。

 この3本の柱が、

 強力に、忍耐強く、実践される限り、

 やがて時代を動かし、

 人道と正義の連帯を広げ、

 新しい平和の世界を創っていくことができる」

 と教えてくださいました。

 

 「座談会」

 「教学の研鑽」

 「一対一の個人指導」

 ――この3本柱を、

 次なる飛躍を期すための最重要のホシと定め、

 その充実に総力を傾けてまいりたい。

 

 一方で、

 その他の諸会合や打ち合わせ、

 会議などは、

 リーダーが本当に必要最小限のものを、

 効果的かつ効率的に行うよう心掛け、

 その「会合革命」によって生み出された時間を、

 新たな人材の発掘・育成と、

 新たな友好の拡大に充てて、

 飛躍への力を十二分に蓄えてまいりたいと思います。

 

 一、昨年12月から本年1月に行われた調査では、

 60歳以上で、

 相談し合ったり、

 世話をし合ったりする親しい友人がいない人は、

 実に3割を超えておりました。

 若い世代でも、

 SNSなどを通じて“つながり”があふれているようでいて、

 実態は孤独感に包まれているようです。

 本年、行われた調査では、

 20代から30代の2人に1人が、

 日常的に孤独を感じると回答。

 そのうちの5割から6割が、

 コロナ禍で孤独を感じることが多くなったと答えています。

 

 御書には

 「夫れ、木をうえ候には、大風ふき候えども、つよきすけをかいぬればたおれず。本より生いて候木なれども、根の弱きはたおれぬ。甲斐なき者なれども、たすくる者強ければたおれず」(御書新版1940ページ・御書全集1468ページ)と仰せであります。

 

 人間革命と

 立正安国の「根」を強く張る

 私たち一人一人が助け、

 支えるべきたくさんの友が、

 私たちを待っています。

 

 さあ、今までの自分を超える勇気の跳躍から、

 新たな勝利への飛躍を開始しようではありませんか(拍手)。

 

永石女性部長

桜梅桃李のスクラム固く

 

 一、お元気な池田先生、奥さまのもと、11・18「創価学会創立記念日」に、女子部も一体となっての「女性部」の出発となりました。皆さま、大変におめでとうございます。

 

 創立の日を師弟の凱歌で飾ろうと、史上最高の拡大に挑戦し、輝く歴史を残した女子部の皆さん! 立正安国の連続闘争に走り抜いてくださった女性部の皆さん! 今日から共に女性部として出発できる!――これ以上の喜びはありません。

 

 いよいよ全世代にわたる創価の女性のスクラムが誕生しました。

 

 池田先生は

 “女性部のパイオニアである一人一人の人間革命の実証と

 桜梅桃李のスクラムこそが、

 21世紀の女性の

 「幸福勝利」と「平和連帯」の道を

 大きく踏み開けていく”と期待を寄せてくださっています。

 

 私たちは、ますます絆を強くし、尊敬し、信頼し合い、自他共の幸福を広げながら、永遠に広布の未来を開いていこうではありませんか!

 

 一、神奈川のあるヤング白ゆり世代のメンバーは、在日韓国人として偏見や差別を感じながら生きてきました。26歳の時、高校時代の同級生から仏法の話を聞き、人間主義の哲学に感銘を受けて入会しました。

 

 結婚が決まった時も、お相手のお母さんから「信心あるお嫁さんが来てくれてうれしい。これでうちもSGIね」と温かい言葉を掛けられ、“これが創価の世界なんだ”と熱いものが胸に込み上げました。

 

 その後、そのお母さんが病を患い、小学1年の息子さんが発達障がいの診断を受けた時に、「ヤング白ゆり希望カレッジ」の配信を見ました。同世代の人が同じ悩みを抱えながら学会活動に励み、はつらつと生きている体験に大きな希望が湧きました。

 

 彼女は今、「この信心に出合えて本当に良かった。感謝でいっぱいです」と語り、創価家族の励ましの中で、明るく朗らかに前進しています。

 

 一、仏教学者のロケッシュ・チャンドラ博士は、仏教は人間を中心に据えた宗教であり、仏教の広がりは、社会で最も弱い立場にある人々に「生きる力」を与えることになったとし、次のように語っています。

 

 「池田先生はこれまで、万人の幸福を目指し、世界の知性と対話を重ねてきました。これは偉大な功績です。皆さんには、この世界的な対話運動を継承していただきたい」と。

 

 私たち女性部は、その思想と行動の継承者として、人々に生きる力を送る対話を広げようではありませんか。

 

 「青春の誓い」に生き抜く池田華陽会の皆さん!

 幸福の春を創り広げゆくヤング白ゆり世代の皆さん! 

 そして、どんな闇をも晴らしゆく創価の太陽、女性部の皆さん!

 先生、奥さまと共に、新たなる歴史を築きゆく出発です。

 

 さあ、今ここから、自身と広布の勝利を目指し、新たな挑戦を開始してまいりましょう!(拍手)

 

林池田華陽会委員長

華陽姉妹と希望の連帯

 

 一、このたび、池田華陽会委員長の任を拝しました、林玲子と申します。華陽姉妹の皆さんと、世界一の麗しい連帯を築き、前進していく決意です。

 

 私は、三代会長有縁の地、東京・豊島区で生まれ育ちました。創価学園で学び、迎えた卒業式では、愛唱歌「負けじ魂ここにあり」を“何があっても負けない自分になります”との思いを込め、池田先生に届けとばかりに一生懸命歌いました。その様子を先生が中継で見ていてくださり、「一緒に歌いました」とのご伝言が。先生は全部分かってくださっているのだと感謝があふれ、生涯、師弟の道を貫くことを誓いました。

 

 一、大学進学後、人と比べ、自信をなくすこともありました。その時、女子部の先輩が「負けない自分に成長するには、折伏だよ」と励ましてくださり、「変わりたい。強くなりたい!」との一心で挑戦を開始。多宝会の女性部の先輩にも対話に入っていただく中、友人を入会に導くことができました。

 

 気が付けば、自身のことばかりで悩んでいた自分が、人のために何ができるかと悩んでいました。広布の誓いに立ち上がった時、縁する人を守り、共に幸福になっていけるのだと、勇気を出す楽しさを心から実感した原点です。

 

 一、先生は「仏道修行といっても、特別なことではありません。善き友と語らい、善き友情を結び広げながら、皆で励まし合って、善き人生を勝ち開いていくことなのです。これが、創価学会です。これが、華陽姉妹です」と教えてくださっています。

 

 明年2月には、池田華陽会として初めての集いとなる「華陽カレッジ」を全国各地で開催します。同世代の友と何でも語り合いながら、一人一人の無限の可能性を輝かせ、自信と誇りをもって前進していきます。

 

 学会創立100周年へ、池田華陽会から、希望の連帯を大きく広げ、広布の未来を開いてまいります(拍手)。

2021年11月19日第5回本部幹部会


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2021年11月8日

 

地涌の勇者を諸天は讃嘆

 

 栄光の学会創立の11月、あらゆる試練の嵐を突き抜けて、晴れやかに凱歌の秋を飾ることができた。

 御本仏・日蓮大聖人の御賞讃はいかばかりか。

 牧口先生、戸田先生の会心の笑みが胸に迫る。

 みんな、ありがとう!

 本当にありがとう!

 諸天も諸仏も最大に讃嘆し、皆が大福運に包まれゆくことは、御書に照らして絶対に間違いない。

 ある門下に送られた「異体同心事」の一節に、「あなたは、長年にわたって法華経への奉公を厚くされてきた上、この度は誠に勝れた御志が見られると、人々も彼らも讃えています。一つ一つ、私(大聖人)が承って、日天にも天照太神にも申し上げています」(1463ページ、通解)と仰せである。

 この御聖訓さながら、皆が互いに褒め讃える連帯こそ、創価の麗しき世界だ。

 今月の座談会では、広宣流布と立正安国に生き抜いてこられた多宝の父母をはじめ気高き地涌の勇者を一人一人、サーチライトを当てるように、心から労い、宣揚していただきたい。

 そこに、大歓喜が躍動し、福徳が倍増するからだ。

 戸田先生が言われていた通り、「慈愛に満ちあふれた、この世で一番楽しい会合」としていこう!

 ◇ ◆ ◇ 

 1957年(昭和32年)の11月8日、私は男女青年部のリーダーの会合に出席し、喜びを日記に留めた。

 「皆の元気、天をつく。頼もし。色心共に、飛躍しゆく、この青年たちが、未来を創造するのは当然の理。刻々と見事な成長」とある。

 今、その幾千万倍ものスケールで、日本全国、全世界の青年たちの成長と飛躍をつぶさに見守れることは、何よりの幸福である。

 大聖人は、騒然たる世相の中、時間をやりくりして、懸命に戦う若き南条時光を「十方の衆生の眼を開く功徳にて候べし、尊しとも申す計りなし」(御書1512ページ)と励ましておられる。

 わが創価の若人が一人また一人と仏縁を結び、新たな友を大切に糾合しゆくことは、全人類の仏知見を開く聖業に通じているのだ。

 ◇ ◆ ◇ 

 この57年の11月といえば、恩師が願業とされた75万世帯の大法弘通を成就する直前であった。

 当時、私が仏法対話を重ねても、批判を繰り返していた友人・知人が、少しずつ理解を深め、好意を示すように変わってきた。

 その感慨を、私は綴った。

 「幾十万の人、過去、敵なれど、今、味方となる。未来も、また幾百万の批判の人、必ず、味方に変わり、広布の陣列に連なりゆくことよ。大宇宙の法則――」と。

 時は巡り、日本のみならず世界中の各界の識者の方々も、「創立の日」を心から祝賀してくださる時代となった。感謝に堪えない。

 その陰には、今月に記念日を飾る文化本部、社会本部、地域部、儀典部など、誠実に忍耐強く貢献を貫き通してくれた、模範の友の労苦があることを、決して忘れまい。

 ◇ ◆ ◇ 

 音楽隊の創価グロリア吹奏楽団と関西吹奏楽団が、全日本吹奏楽コンクールで共に金賞を勝ち取った。創価大学のパイオニア吹奏楽団も銀賞を獲得している。コロナ禍の逆境を皆で突破し、つかんだ栄冠である。

 艱難を越えて鍛え上げた創価の負けじ魂の本領を、それぞれの誓願の天地で、いよいよ発揮する時だ。

 我らの平和・文化・教育の大行進で、地域にも地球にも、希望と勇気を送りゆこうではないか!

 

2021年11月8日〈池田先生と共に 希望・勝利の師弟旅〉 


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2021年11月1日

教育の“信ずる力”で人類の善性を開花

 

生態系から大宇宙まで

トインビー博士と展望した未来

 

生命讃歌が響く共生の文明を

 

 一、世界の教育・学術の眼目と光る先生方をつなぐ今回のシンポジウムには、各国・各地域からご出席いただき、活発な討議と探究が進められると伺っております。

 尊い研究と啓発を営々と貫き通されている、心から敬愛してやまない先生方に、私は改めて最大の感謝を捧げます。

 わが創価大学にとりましては、創立50周年を飾る誠に意義深い開催となり、創立者としてこの上ない喜びであります。

 本シンポジウムに掲げられた「人類の共生と世界市民教育」との最重要のテーマに即して、3点にわたり、簡潔に所感を述べさせていただきます。

 

 一、第一に、「教育の“信ずる力”で、人類の善性の開花を!」と申し上げたい。

 昨年の3月に、WHO(世界保健機関)が新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)を宣言してから1年と7カ月が経過しました。感染拡大の勢いが低下しつつある国が見られる一方で、深刻な打撃に今も苦しんでいる国も多く、感染症という人類共通の課題を解決するために、いやまして国際協力が必要とされるのは論をまちません。

 

温暖化の進展は地球の厳戒警報

 

 また本年8月、国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が最新の報告書を発表し、人間活動の影響で地球温暖化が進んでいることについて「疑う余地がない」と断定しました。グテーレス国連事務総長は、報告書を「人類に対する厳戒警報」と強調し、今月末から始まるCOP26(国連気候変動枠組条約第26回締約国会議)の成功を呼び掛けております。

 まさに国際社会は今、国益や自国のみの安全を最優先させる形で「分断」の溝を深めて、甚大な被害を拡大し続けてしまうのか、それとも「人類の共生」に向けて、「協力」という道を選び取るのか、大きな岐路に立たされていると思えてなりません。

 そして、この共生への選択に立ちはだかる一凶こそ、「人間が持つ可能性への不信感」とは言えないでしょうか。この不信感は、自分に向かえば無力感や諦めをもたらし、他者に向かえば偏見や分断をもたらします。

 一、翻って「教育」は本源的に、「人間生命への絶対的な信頼」から出発しております。

 私自身、教育を生涯の事業と定めた一人として、人間の善性と青年の可能性への絶対的な信頼を、近くは創価教育の創始者・牧口常三郎先生から、遠くは“人類の教師”たる釈尊から受け継いできました。

 釈尊は大乗仏典の精髄たる「法華経」において、仏の出現の因縁を「衆生をして仏知見(仏の智慧)を開かしめんと欲す」ゆえであると宣言しております。

 この意義について、「もし衆生に仏知見無くんば、何ぞ開を論ずるところあらん」と展開したのは、天台智顗でありました。

 その思想を貫いているのは、誰人にも尊極の生命が具わっており、逆境や困難も乗り越える智慧と勇気を発揮する力が宿っているとの確信であります。

 それを信じ抜いて一人一人に働き掛け、自覚せしめ、開き伸ばしていく。と同時に他者の尊厳にも目を開かせ、共に手を携えて、幸福へ平和へ生命を十全に開花させていく。ここに、教育という聖業の挑戦があると言えましょう。

 牧口先生も深く共鳴していたアメリカの大教育者デューイ博士が「五四運動」の最中に中国を訪れ、2年2カ月にわたり教壇に立った足跡が思い起こされます。

 中国教育学会の会長を務められた、尊敬する顧明遠先生が指摘されていたように、デューイ博士は青年たちに満腔の希望を寄せられたのであります。

 博士は、「人々がすべて自己の価値を知っていたらば、社会はきっと変化をもち進歩をもつ」(永野芳夫訳・大浦猛編『デューイ:倫理・社会・教育 北京大学哲学講義』飯塚書房)と力説されました。

 今こそ私たちは、教育の原点というべき“人間が持つ可能性を信ずる力”をいやまして強く深く発揮し、一人一人の若き生命をさらに伸びやかに、さらに豊かに開花させていきたいと思うのであります。そこにこそ、現代に蔓延する深刻な無力感から人々を解き放ち、社会の分断の分厚い壁を打ち破る希望が見いだせるからです。

 一、第二に申し上げたいのは、「青年の“負けじ魂”で、価値創造の大連帯を!」という点であります。

 私の恩師であり、希有の人間教育者であった戸田城聖先生は、70年前、青年であった私たちに、「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」と指針を贈ってくださいました。恩師は青年を励まして、あえて人生と社会の厳しい試練に立ち向かわせる中で薫陶されるのが、常でした。それは、青年の「熱と力」、すなわち何ものにも屈しない“負けじ魂”を信ずるゆえであったに違いありません。

 恩師自らが、若き日から苦学に苦学を重ねるとともに、戦時中は、師匠と仰ぐ牧口先生にお供して、日本の軍部政府の弾圧による2年間の投獄にも耐え抜き、戦後、新たな人間革命の民衆運動を起こした究極の負けじ魂の闘士でありました。

 頼もしいことに、今、若き世界市民たちが各国・各地で、コロナ禍という緊急事態にも、力を合わせ、英知を出し合って、創意工夫し立ち向かってくれています。

 わが創価大学でも、とりわけ留学生の友が賢くたくましく逆境をはね返しています。多くの国々の多彩な学友と励まし合い、支え合って、仲間や地域や社会に貢献しながら、一回りも二回りも見事な大成長を遂げてくれているのであります。

 中国をはじめ世界のさまざまな文化に心を開いていた、かの文豪ゲーテは、「創造は多様性なくしては考えられない」(山崎章甫訳『詩と真実』岩波文庫)と語っておりました。思いも寄らぬ艱難からの挑戦に対し、まさしく多様性を生かし合って応戦する若き世界市民の連帯から、必ずや偉大な価値が創造されることでありましょう。

 恩師から学んだ中国の英知の言葉に「異体同心」そして「変毒為薬」とあります。

 感染症や気候変動をはじめとする人類共通の難題は、あらゆる差異を超えて、心を同じくして取り組む契機となります。教育の結合の力を軸として、それぞれの個性を尊重し合い、触発し合って、毒をも薬へと転ずる価値創造の大連帯により、21世紀の新たな地平が開かれゆくことを、私は信じ祈りたいのであります。

 一、第三に申し上げたいことは、「生命の“調和の智慧”で、地球生態系と共生の文明を!」という点であります。

 20世紀を代表する大歴史家のトインビー博士と私が対談をして半世紀になろうとしています。全人類の平和・共生を展望するとともに、大自然・大宇宙との調和・共生まで志向したことが懐かしく思い出されます。

 

偉大な人は万物を一体とみなす

 

 トインビー博士は、人間は宇宙の一市民であるとするギリシャ哲学のストア学派の主張や中国の王陽明の「偉大なる人は、天地万物をみな一体とみなす」との世界観に共感を述べられておりました。こうした先哲の洞察も、また地球生態系への最先端の科学的知見なども、生命それ自体に調和・共生を織り成していく妙なる力が本然的に具わっていることを照らし出しております。

 真実の喜びとは何か。私は、尊い現場で若人の命を慈しみ育んでいる世界の多くの教育者の方々と、それは「自他共に喜ぶこと」であり、「共々に智慧と慈悲を発揮することである」と語り合ってきました。

 人類、地球生態系、そしてさらには大宇宙へと広がる壮大なる連関の中で、生命の歓喜の讃歌を謳い上げてゆく共生の文明を、世界市民教育の光明で照らし示していきたいと、私は願うのであります。

 一、結びに言及したいのは、デューイ博士が、先に触れた北京大学での講義において青年たちを前に述べていた、気宇壮大な呼び掛けです。

 博士はそこで、「二千年後の人類ははたしてどんなものなのか」(前掲書)との問題提起をしました。

 その上で博士は、それは、もちろん知り得ない世界であるとしても、ただ暗中模索するのではなくして、我々の希望する目的へ、確固たる「教育哲学」で指揮しリードしていこうと呼び掛けたのであります。

 尊き先人たちの魂の呼び掛けに真摯に誠実に応えつつ、はるかなる人類の未来を創り開かれゆく崇高なる「教育哲学」のシンポジウムに、今再び、心からの尊敬と感謝を捧げ、私のメッセージといたします(大拍手)。

 

2021年11月1日52大学・機関の研究者が参加

 池田思想国際学術シンポジウムから㊤ 池田先生のメッセージ


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〈随筆 「人間革命」光あれ 池田大作〉

 

 凱歌の秋へ勇者共戦

2021年10月14日

今再び「大いなる広布の山」を登れ!

  

 広宣流布に生きゆく我らは、御本仏と常に共にある。

 日蓮大聖人は、甲州(山梨)と「一千里の山海」を隔てた佐渡の老いたる功労の国府尼に仰せになられた。

 「日蓮こい(恋)しく・をはせば 常に出ずる日ゆうべに・いづる月ををが(拝)ませ給え、いつ(何時)となく日月にかげ(影)をう(浮)かぶる身なり」(御書一三二五ページ)

 妙法で結ばれた創価家族には、日天・月天という天の明鏡にも映し出されゆく、壮大なロマンの絆がある。日本中、世界中の地涌の宝友と誓願の祈りを一つに、共に励まし合い、異体同心の大連帯を広げゆくのだ。

 

模範の勝利島部

 

 去る十月七日は、「勝利島部」の日であった。

 この記念日に際して、全国の二百三十を超える島々で活躍されている、多くの友の近況を伺った。

 北は北海道、東北から、東京、信越・北陸の島々、中部、関西の島々、広島など中国、四国の島々、南の九州・沖縄の島々まで――。

 草創より、無理解な批判の中、忍耐して根を張り、地域の発展のために汗を流し、厚い信頼を勝ち得てきた多宝の父母がおられる。

 負けじ魂を燃やし、コロナ禍の苦難とも闘い、人間革命の実証を示しゆく同志がいる。島の“希望の宝”と光る、凜々しき男女青年部、未来部の友もいる。

 どんな烈風もはね返し、友好と貢献の見事な模範を打ち立てている創価の不軽菩薩たちに、私は合掌する。一つ一つの島に届けと題目を唱え、一人ひとりに福徳安穏あれ、栄光凱歌あれと祈る日々である。

 大聖人は、荒海に浮かぶ佐渡で、門下はもとより島の人びとを大きく包容されながら、「一閻浮提広宣流布」の未来記を宣言された。

 「一身一念法界に遍し」(同二四七ページ)である。

 地涌大願の一念は、どんな限界をも破る。

 一つの島の広布、一つの地域の立正安国は、紛れもなく「一つの世界」の広布であり、立正安国なのである。

 御本仏は「其の国の仏法は貴辺にまか(任)せたてまつり候ぞ」(同一四六七ページ)と門下を激励された。

 私たちは、いずこの地にあっても、わが使命の郷土、地域で、広布を託された幸福責任者なりと、誇りに胸を張っていきたい。

 

母の「豊富な力」

 

 佐渡の千日尼へのお手紙には、「悲母の恩を報ぜんために此の経の題目を一切の女人に唱えさせんと願ず」(同一三一二ページ)と記されている。

 牧口・戸田両先生以来、このお心を拝し、母たち女性たちを大切にするのが、創価の師弟の心である。

 早いもので、私が長編詩「母」を作ってから、半世紀になる。一九七一年(昭和四十六年)の十月、大阪市の東淀川体育館で行われた関西婦人部幹部会が、発表の場であった。

 あの“大阪の戦い”から十五年。私と共に、けなげに奮闘してくれた常勝関西の母たち女性たちに真っ先に贈りたかったのである。

 まだ推敲の跡が残る詩の最終原稿を携えて、妻が私の名代として参加した。

 「母よ!/おお 母よ」

 「あなたは なんと不思議な力を/なんと豊富な力を もっているのか」

 私が詩にうたった感嘆と敬愛は、今も変わらない。

 否、これからこそ、女性たちの「豊富な力」が輝き光っていくはずだ。

 折々に、クリームイエローの気品ある創価世界女性会館の前を通るたびに、妻が笑顔をほころばせる。

 二十一世紀開幕の前年、「婦人」ではなくして「世界女性」との名を冠して誕生した殿堂の意義は深い。

 日眼女(四条金吾夫人)に送られた御書には、妙法の大功力を譬え、「明かなる事・日月にすぎんや浄き事・蓮華にまさるべきや」(一一〇九ページ)と仰せである。

 太陽と月の如く、蓮華の如く、まさに今、人びとに幸と智慧を送り、生命尊厳の女性の世紀を勝ち開く、希望のスクラムが新生しようとしている。

 来る創立記念日の十一月十八日を期して、女子部が女性部として新出発する。いよいよ多様性の時代をリードし、桜梅桃李の個性をのびやかに尊重して生かし合い、朗らかな幸福と平和の大前進が始まるのだ!

 いかなる混迷の世の闇も打ち払う、この創価の宝光を世界が待っている。

 

青年の大確信で

 

 青年の秋だ。希望の秋だ。そして勝利の秋だ!

 大文豪ゲーテは言った。

 「青年は青年にたいしてもっとも強く働きかける」「これが世界を活気づけ、精神的にも肉体的にも死滅せしめない力なのである」と。

 七十年前(一九五一年)の十月、私たち青年部は猛然と立ち上がった。

 皆が若き胸に抱いていたのは、恩師からいただいた指針「青年訓」である。

 「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である

 「奮起せよ! 青年諸氏よ。闘おうではないか! 青年諸氏よ

 その一言一言に、男子部も女子部も心躍らせた。

 恩師は、さらに“同志の士気を鼓舞し、広宣流布の大願の中心人物たることを、自覚せよ”と絶大なる期待を託されたのだ。

 翌月、東京都内で行われた学会全体の総会で、私は男子部を代表して「青年の確信」と題する決意発表を行った。当時は班長だったから、今でいえばニュー・リーダー、地区リーダーに当たるだろうか。

 それは、恩師の「青年訓」への報恩の誓いであった。

 「われら青年は、そのお言葉を絶対虚妄にいたしません」「闘争力と、勇気に満ちたる青年が、学会青年の確信であります」と――。

 この総会で戸田先生は、弟子に応えてくださるかのように、「創価学会の大誓願」と題して講演された。

 「北条時宗への御状」――文永五年(一二六八年)、執権の北条時宗を諫暁された御書を拝して、訴えられたのだ。

 “創価学会の魂とは、この日蓮大聖人の魂を魂とし、一乗妙法の力で、全民衆を救うのが、学会精神であります”

 この日から十年後(一九六一年)の十一月――。

 「男子部の日」の淵源となった五日の男子部総会には十万人、そして十二日の「女子部の日」の淵源となった女子部総会には八万五千人の友が、勝ち鬨をあげて集ったのである。

 この時、私が第三代会長として指揮を執り始めて一年半――生命の宝塔を林立させゆく青年たちの「勝利」の二字こそ、恩師に捧げる「師弟不二の誓願の結晶」となったのである。

 

舞を舞うが如く

 

 それから、さらに二十星霜を経た一九八一年(昭和五十六年)。「青年の年」と銘打ったこの一年、私は、総東京はもちろん、東海道、関東、関西、信越、中部と、列島各地、そして北中米、ハワイ、ソ連(ロシア)、欧州と、世界中を駆け巡った。

 一人の青年が本気で立ち上がれば、「二人・三人・百人と」広宣流布の陣列は必ずや広がっていく

 師の心を、わが心とする若人が一人いれば、その地域、その国の未来は明るい。これこそが、私が恩師のもとで先駆けた道であった。ゆえに、直接、会える、会えないではなく、私は、あらゆる機会を捉え、全精魂を注いで青年を励ました。

 この年の九月に行われた「北海道青年部総会」の大成功を報じる聖教新聞を手に、私は「見たか! 北海道の青年が立ち上がったぞ!」と快哉を叫んだことも懐かしい。

 十一月には、私は東京と関西で「嗚呼黎明は近づけり」の歌の指揮を執り、四国では、青年と共に「紅の歌」で新時代の暁鐘を打ち鳴らした。そして、「青年の年」の総仕上げが、九州・大分での長編詩「青年よ 二十一世紀の広布の山を登れ」の誕生であった。

 この勇者の共戦によって本格的に始まった反転攻勢から、今日に至る世界広布の大道が開かれたのだ。

 大聖人は、「大悪を(起)これば大善きたる」(御書一三〇〇ページ)と断言され、勇み立つ生命を、「ま(舞)いをも・まいぬべし」「立ってをど(踊)りぬべし」、そして「上行菩薩の大地よりいで給いしには・をど(踊)りてこそい(出)で給いしか」と明かされている。

 大悪――最も大変な時こそ、大善へと、自分自身を、さらに社会をも転じていけると勇み、立ち上がるのが、仏法者にほかならない。 

 そこには、憂いも悲嘆も、感傷も諦めもない。喜びだ。最高無上の妙法を実践する大歓喜であり、わが使命を果たす誉れである。これほど尊く充実した「青春の勝利劇」はないのだ。

 当時の若師子も、華陽の乙女も、まっしぐらに広布の山を、私と一緒に登攀し、後継の陣列を築いてくれている。皆、私の生命の奥底から離れることはない。

 今再び、我らの前には「大いなる広布の山」がある。学会創立百周年の二〇三〇年へ、さらに二十二世紀の民衆勝利を開くために、越えてゆかねばならぬ山だ。

 ゆえに私は、今再び、愛し信ずる地涌の君たちに、声を大にして訴えたい。

 この山を登攀したならば、見える限りの世界がすべて君たちのものだ!

 その所願満足の歓喜の法戦こそ、無上道の人生であり、青春であるがゆえに、私はすべてを本門の君たちに託したい!――と。

 

 ゲーテの言葉は『詩と真実 第2部』山崎章甫訳(岩波文庫)から。


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〈随筆 「人間革命」光あれ 池田大作〉

わが胸に燃やせ開拓魂

2021年9月23日

立正安国へ平和と幸福の潮を!

  

 秋の「彼岸」に際し、崇高な広宣流布への途上で逝去された同志とご家族へ、懇ろに追善回向をさせていただいております。

 さらに、コロナ禍の中で亡くなられた全ての方々に心から題目を送ります。

 そしてまた、この災厄の終息と、全同志の健康無事を懸命に祈っております。

 御義口伝には、「南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せしむ」(御書七一二ページ)と仰せです。

 私たちは、三世永遠を照らす妙法の慈光で、二十一世紀の地球と人類を、より明るく温かく包んでいきたいと思うのであります。

 

宗教の使命とは

 本年は、先師・牧口常三郎先生の大著『創価教育学体系』の第二巻『価値論』の発刊九十年に当たる。

 先生は、同書で「人を救い世を救う」ことに、宗教が社会に存立する意義があると、明晰に指摘された。

 ゆえに、思想の動揺、生活の不安にある末法の現代において、「立正安国」という民衆救済と平和創出を掲げた日蓮仏法こそが、一宗一派を超えて人間の踏むべき道を正しく開いていくのだと宣言されている。

 先生は、この『価値論』を発刊した年の夏には、縁深き北海道を訪れ、札幌や岩見沢で、郷土教育について講演もされている。新渡戸稲造ら知識人との交流も地道に続けておられた。

 相手の信条や立場など関係なく、自ら動いて友情を広げ、価値創造の連帯を結ばれた。そして、不二の弟子・戸田城聖先生と共に、「立正安国」へ具体的な行動を起こしゆく創価の組織の土台を築かれたのである。

 

常勝関西の初陣

 先師と恩師が率先して示されたように、地道な開拓こそ、勝利への王道である。そして、わが学会の常勝の前進は、最前線の尊き一つ一つの地区から生まれる。

 一九五六年(昭和三十一年)、あの「大阪の戦い」も、年頭の異体同心の地区部長会から始まった。

 私たちは「大法興隆所願成就」の関西常住の御本尊の前で御聖訓を拝した。

 「何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(同一一三二ページ)

 この御文の如く、大聖人正統の弟子として、我らは祈りをそろえて、不可能を可能にする道を豁然と開こうと誓い合ったのである。

 関西の地区部長、地区担当員(現在の地区女性部長)たちは、一念を私の一念に合わせて脈動させ、跳躍し、共に険路を越えてくれた。

 法華経二十八品の最後に普賢菩薩は誓いを立てる。

 すなわち、「法華経の行者の苦しみを除き、安穏ならしめ、魔や魔民が付け入らないように護ります」。「大いに歓喜して精進できるよう励まします」。さらに、「法華経を全世界に流布し、決して断絶させません」等と。

 御本仏から「其の国の仏法は貴辺にまか(任)せたてまつり候ぞ」(同一四六七ページ)と託された使命の天地で、この普賢の誓いを遂行するリーダーこそ、地区部長、地区女性部長なのだ。

 「“まさか”が実現」の関西の初陣は、まぎれもなく全地区の凱歌であった。

 

偉大な志に立つ

 大阪の戦いに続く同年九月、恩師・戸田先生から、私は「山口開拓指導」の総責任者に任じられた。

 当時、私は日記に記した。

 「義経の如く、晋作の如く戦うか。歴史に残る法戦」

 源義経も、高杉晋作も、“世の中狭し”と時代を乱舞し、各地にその勇名を馳せた。義経は“我を手本とせよ”と兵庫の鵯越の坂を駆け、讃岐の屋島へ、長門の壇ノ浦へと追撃した。

 一方、高杉晋作は幕末の長州で、維新回天の大業を開いた。その祖先は安芸国高田郡(現在の広島県安芸高田市)に居を構え、後に毛利氏に仕えた戦国武将とされる。「高杉」の名を冠した城跡もある。

 さて、幕末乱世、晋作が二十一歳の時に転機が訪れる。敬愛する師の吉田松陰が処刑されたのである。

 弟子は師匠の無念を晴らさんと立ち上がる。そのための開拓が、各地の志士と心を結ぶことだった。翌年、故郷の萩を起点に、大阪、堺へ、関東、信越、北陸へと駆け巡った。

 「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」との縦横無尽の行動は、短日月に歴史回天の礎を築くのだ。

 晋作が自らに課したのは“困ったと言わないこと”である。「いかなる難局に処しても、必ず、窮すれば通ずで、どうにかなる」との確信に立っていた。

 晋作が結成した「奇兵隊」の隊士となる条件は、身分でも経歴でもない。志があるか否かであった。 

 「」――これこそ、山口開拓指導に携わった同志に共通する自発の力である。

 恩師は言われた。

 「学会は日本の潮である。平和と幸福の潮である。この潮を、全世界の潮流として、地上に理想の社会をつくっていこうではないか

 この大理想を実現するのだと、友は山口に駆けつけてくれた。東京、関東、関西、岡山・広島など中国はもとより、北海道、東北、東海道、中部、さらに九州、四国からも、広布の志に燃え、困難を突き抜けて開拓の対話に挑んだのである。

 思うように拡大が進まないと悩むリーダーたちとは「必ずできる。我らは民衆を救うために来た地涌の菩薩ではないか」と自負し合い、一緒に壁を破っていった。

 この年(一九五六年)の十月から翌年一月までに三度、延べ二十二日間の戦いで、山口の世帯数は約十倍に飛躍し、新たな地区が澎湃と誕生したのである。

 

縁した「一人」と

 なぜ、この短期決戦に勝てたのか。それは、どこまでも「一人を大切に」したからに他ならない。

 戸田先生は当時、幾度となく語られていた。

 「たった一人でも聞いてくれる者がある。一人の人に会えばよい

 人数ではない。一対一の対話を大事にして、縁した「一人」と心を通わせることが、一切の原点である。

 そして一人の顔が見える座談会こそ学会の縮図であり、地区は励ましのネットワークの中心基地である。地域に友情と信頼を広げる民衆の城であり、桜梅桃李の和楽の園なのだ。

 地区こそ霊山の一会なり――私は、大切な座談会を希望と活力の会座にと、若き日から先駆した。

 ある時は、東京・足立区高野町(現在の江北四丁目)で行われた座談会に伺った。青年が育っていることを心から喜ぶ支部長の姿は、目に焼き付いて離れない。

 北区東十条の北会館(当時)での地区座談会のことも蘇る。新来の友人たちも入会を決意された。

 皆、愛する地元への貢献を一段と強めていかれた。現在も、地域の商店街などが大いに栄えていると伺い、嬉しい限りである。

 沖縄の同志が、垣根なく開かれた、楽しく賑やかな座談会で郷土の発展の力を結集してこられたことも、希望のモデルである。

 

大情熱は消えじ

 一九六〇年(昭和三十五年)十月、東西冷戦の最中、恩師の写真を胸に旅立った世界広布の開拓も、「一人」の激励、「一地区」の結成から出発した。

 いかなる時代状況であれ、一人の幸福から万人の蘇生へ、一地区の和楽から国土の平和と繁栄へ波動を起こしゆくのが、我らの広宣流布であるからだ。

 忘れ得ぬ光景がある。

 一九七九年(同五十四年)十一月、豊島区巣鴨の東京戸田記念講堂で行われた本部幹部会で、北海道・留萌管内の天売島から参加した七十二歳の大ブロック長(現在の地区部長)が素晴らしい体験発表をしてくれた。

 烈風に負けず、地域広布へ「激流の如き情熱」を燃やし、「果てしなく広がる大空の如き夢」をもち、「鉄石の決意」で戦い続けると師子吼したのだ。

 この広布大願の闘魂に応えて、私は第三代会長辞任後、初めて「威風堂々の歌」の指揮を執った。

 

 ◇ 

 七十年前、私は担当する地区で広布の開拓を、青春の熱誠で開始した。日記には、“わが地区が完璧になるよう、御本尊に祈る”との真情を繰り返し綴っている。

 今も変わらぬ心で、日本全国、さらに全世界の全ての地区に届けと、妻と共に題目を捧げる日々である。

 偉大な地区部長、地区女性部長の健康長寿とご一家の栄光勝利、そして地区の全宝友の幸福安穏を祈り、記念の句を贈りたい。

  

 地区部長には――

 

  不二の指揮

   地涌の黄金柱に

       凱歌あれ

     

 地区女性部長には――

 

  福徳の 

   創価の太陽よ

       舞い光れ

 

 さあ、わが地区の異体同心の同志と共々に、地涌の開拓魂を燃え上がらせて、新たな民衆凱歌の金字塔を打ち立てようではないか!

仏法で人格の芯を固めよ

 

 正義の青年は、もとより多事多難である。だからこそ、偉大な人格が鍛えられる。

 日蓮大聖人は、若き南条時光を繰り返し励まされた。「たがふ事あらば・いよいよ悦びとこそおもひて」(御書1542ページ)等と。

 思うようにいかないことがあればあるほど、いよいよ喜び勇んで剛胆に立ち向かうのだ。

 この勇気ある不退の信心を受け継いでいるのが、創価の青年たちである。

 ◇ ◆ ◇ 

 きょう8月31日は「学生部の日」。

 さらに、9月9日の「女子学生部の日」も間近である。

 感染症の拡大が続き、学業や生活や進路など万般にわたり、苦労が絶えないであろう。

 その中で、男女学生部の友はスクラム凜々しく「行学の二道」に励み、「立正安国」の対話を広げている。皆、智勇と福智の哲学者だ。

 イギリスの歴史学者・トインビー博士との懇談の折、21世紀の青年へ助言を求めると、一言、「忍耐強くあれ」と語られた。挑戦と応戦という視点から人類史を俯瞰されてきた博士の一つの結論である。

 今、大仏法の生命尊厳の哲理を掲げて、現代文明からの挑戦に忍耐強く応戦している君たちこそ、新たな地球文明の黎明を告げる旭日なりと、私は讃えたい。

 トインビー博士が、困難な時代のリーダーの要件に、

 一、洞察力

 一、節度

 一、度量

 一、持久力

 の4点を挙げられていたことも、思い起こされる。

 特に度量について博士は、苦しいことさえ楽しそうに耐え忍んで乗り越えていく達人芸のような力とされた。

 「御義口伝」には、「今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり」(御書750ページ)と仰せである。

 大聖人が示された仏道修行の真髄を、生き生きと現実社会で展開しているのが、学会活動にほかならない。

 学生部出身者の中には、コロナ禍の今、命を救う最前線である医療に従事している友もいる。

 後継の若人たちも、地涌の使命の青春を思う存分、乱舞し、仏法で人格の芯を揺るぎなく固め、新時代の指導者群を築き上げていただきたい。

 ◇ ◆ ◇ 

 宝の未来部の鳳雛たちも、新学期である。

 一人ももれなく、健やかに、伸び伸びと安心して前進し、成長していけるように、これまで以上に、皆で題目を送り、応援していこう!

 創価家族の「教育力」で、いやまして希望の未来を創り開いていくのだ。

 

2021年8月31日〈池田先生と共に 希望・勝利の師弟旅〉 

 


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〈随筆 「人間革命」光あれ 池田大作〉

 平和を創る信念の対話

2021年8月24日

誠実に朗らかに希望の哲学を語れ

我は進む! 師弟誓願の「この道」を

 

 

 西日本を中心に、各地で続発した大雨災害に、心よりお見舞い申し上げます。

 「立正安国論」に示されているように、「暴雨」は古来、「疫病」などと並んで、民衆にとって大きな「難」であります。

 コロナ禍、自然災害……今も打ち続くこの苦難に負けず、民衆一人ひとりが、どう変毒為薬していくか。それを地域、社会、世界という次元から考え、祈り、力を合わせて行動していく。ここに私たちの「立正安国の誓い」があります。

 復旧支援に尽力されている方々に、またコロナ禍の中、医療従事者はじめ命を守るために奮闘されている皆様に、深く感謝します。そして尊き宝友の健康長寿と無事安穏を、ひたぶるに祈っております。

 

共戦の旅へ出発

 

 八月は、世界の不戦への誓いを強め、人類の平和へスクラムを広げゆく月――と言えよう。

 恩師・戸田先生に、十九歳の私が初めてお会いできたのは、一九四七年(昭和二十二年)の八月十四日、三回目の終戦の日の前夜であった。敬愛する長兄の戦死の公報が届き、母が慟哭する姿を見てから約三カ月後のことである。

 信念の獄中闘争を勝ち越えられた平和の民衆指導者から、「正しい人生」の道を示していただき、猛暑の二十四日に入信した。「広宣流布」即「世界平和」の大願を掲げて、師弟共戦の旅に出発したのである。

 入信三年となる一九五〇年(昭和二十五年)の八月二十四日には、先生の事業の最大の苦境の渦中、師弟して生命尊厳の機関紙・聖教新聞の発刊を構想した。

 その二年後の八月十四日夕刻、私は特急「つばめ」で淀川の鉄橋を渡り、広布の新天地を開く決意で大阪へ降り立った。この夜、堺市内で行われた座談会に出席し、強く明るい庶民の集いから“常勝関西”の建設へ、生き生きと勇戦を開始したのである。

 さらに三年後の八月には、師の故郷・北海道の大地で、“夏の陣”さながら広布拡大に先駆した。日々、御書を拝し、「仏法を源泉に偉大な社会を開こう!」と励まし合い、日本一の弘教で戸田先生をお迎えしたのは、入信満八年の八月二十四日であった。

 一年また一年と、原点の八月に師弟の勝利を刻みながら、不退の同志と共に、わが壮年部の戦友と共に、平和と人道への「この道」を歩み通してきたのだ。

 「立正安国論」の結びに記された誓願には、「速に対治を回して早く泰平を致し先ず生前を安じて更に没後を扶けん」(御書三三ページ)とある。

 何があろうが、我らは強盛に妙法を唱え、正義の旗を高く掲げて進む。苦悩する一人に関わり、民衆の幸せと天下の泰平のために戦う。忍耐強く、粘り強く、誠実な対話で、現実社会の安穏への道を開き、自他共に「一生成仏」という永遠の幸福を築いていくのだ。

 

負けない一生を

 

 戸田先生と私の最初の出会いの翌日は、奇しくも仏教発祥の天地・インド共和国の独立の日であった。

 今年、生誕百六十年を迎えたインドの詩聖タゴールの叫びが改めて胸に迫る。

 「人間の歴史は、侮辱された人間が勝利する日を、辛抱づよく待っている

 これはタゴールが日本で詠んだ一詩である。

 彼は一九一六年(大正五年)、神戸に初来日の第一歩を印すと、大阪、東京へ。横浜には長期滞在し、この夏、今の北区・飛鳥山の渋沢栄一翁の私邸や、茨城の五浦にも足を運んだ。長野の軽井沢で、女子学生らと緑陰懇談も重ねている。

 先月、インドから嬉しい報告が届いた。女子部結成記念日の七月十九日、インドの“華陽姉妹”が五万人に達したというのだ。

 コロナ禍にあっても、「如蓮華在水」の清らかで強靱な生命で、美事な幸の花園を広げてくれている。

 

 「負けない人は幸福

  恐れない人は幸福

  信つよき人は幸福

  皆さまは幸福の王女なり」

 

 ――三十年ほど前、インドの女性たちへ、妻と贈った指針である。

 

 私の妻も、同志たちと常々「負けない一生を」と、心に期してきた。

 九歳で家族と共に信心を始めた妻も、この七月で満八十年となった。牧口先生の手を引いて自宅の座談会へ案内した草創の“未来部”であり、戸田先生のもとで女子部の一期生、そして“ヤング白ゆり世代”としても奮闘してきた。

 インドをはじめ世界の平和の太陽たる女性たちが、一人ももれなく「負けない」一日一日を積み重ね、幸福勝利の人生であれと、妻は題目を送り続けている。

 

魔性との大闘争

 

 戸田先生が一九五七年(昭和三十二年)の九月八日、横浜・三ツ沢の競技場で、「原水爆禁止宣言」を発表された意義は、あまりにも深く大きい。

 その二カ月ほど後、先生は最悪の体調にもかかわらず、広島訪問を断行しようとされた。戦時下の過酷な二年間の投獄、さらに十数年に及ぶ広布の激闘で、身体の憔悴は甚だしかった。

 お体を案じて中止を進言した私を、先生は叱責し、「死んでも俺を広島に行かせてくれ!」と叫ばれた。

 病状悪化で願望は叶わなかったが、なぜ、それほどまで執念を燃やされたのか。先生は、同志が待っているのだと言われた。特に広島平和記念館(当時)では、同志の新出発の集いが予定されていたのである。

 人類で最初に原爆の犠牲となった広島に赴き、民衆の生存の権利を危機に陥らせている魔性の権力の根を絶つのだ、という烈々たる師の気迫に、弟子の私は感涙を抑えられなかった。

 第六天の魔王との「とられじ・うばはん」という絶え間ない法戦に臨んで、「一度もしりぞく心なし」(御書一二二四ページ)と言われた大聖人の大闘争に、我ら創価の師弟は、勇気凜々と連なっていくのである。

 

“黙すあたわず”

 

 原爆の恐ろしさ残酷さを世界に知らしめた絵画に、丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」がある。位里氏は現在の広島市安佐北区の出身、俊夫人は北海道空知管内の秩父別町出身であった。

 敗戦後の占領下、厳しい検閲で、原爆の悲惨な実態が公にされず、語られることがなくなっていく世の中に、「これはいけない」と位里氏は憤怒した。

 「原爆をうやむやにするわけにはいかない、このことは描いて残さなければならない」――その思いが、「原爆の図」の連作に結実していったのだ。

 ともあれ“黙ってはいられない”との、やむにやまれぬ大感情こそ、無関心や臆病や忘却に覆われた社会の中で、真実を救い出す原動力である。

 日蓮大聖人は「言わずんばある可からず」(御書一七ページ)と仰せになられた。

 大聖人が放たれた破邪顕正の師子吼は、七百年の時を超えて、戸田先生が原水爆の奥に潜む魔性の思考を打ち破られた洞察にまで、底深く響き渡っている。

 この恩師の精神を受け継ぐのが、我らの言論戦だ。

 ゆえに「広島原爆の日」にあたる八月六日を、私は小説『新・人間革命』の「起稿の日」とし、“命の限り”と新聞連載を続けた二十五年後のその日を、「脱稿の日」とした。そして恩師が「原水爆禁止宣言」を発表した九月八日、『新・人間革命』の連載を終えたのだ。

 今や、バトンは未来に託された。わが愛弟子であり分身である新時代の“山本伸一たち”が、人生の「人間革命」のドラマを、世界中で壮大に舞い、多彩に綴ってくれている。

 「長崎原爆の日」の九日を中心に、第三十回の節を刻む「青年不戦サミット」がオンラインで行われ、広島、長崎、沖縄の三県をはじめ全国の青年部代表や、男女高等部など未来部の友が、真剣な瞳で参加した。

 不戦と核兵器廃絶への誓いを、後継の青年たち鳳雛たちが、凜然と継承してくれている。これほど頼もしいことはない。

 

邂逅から創造が

 

 先日、レバノン共和国のアラブ科学出版社から、トインビー博士と私の対談集のアラビア語版が発刊された。博士との対談から明年で五十星霜。これで翻訳出版は三十言語となる。

 博士も、きっと喜んでくださるであろう。陰の労苦を惜しまず、ご尽力いただいた全ての関係の方々に、心から御礼申し上げたい。

 博士は、人格と人格の邂逅からこそ、真に新しい創造が生まれると洞察されていた。ゆえに、創価の私たちに、人類を結び、文明を結ぶ「生への選択」の対話を託してくださったのだ。

 今、身近な地域社会にあっても、広範な地球社会にあっても、感染症や気候変動、分断や対立など山積する課題に、一段と対話を繰り広げて英知を結集し、新たな価値創造の力を発揮していかねばならない。

 地涌の世界市民が先頭に躍り出て、人類の宿命転換への連帯を拡大するのだ。

 

最も雄弁な言葉

 

 恩師の膝下で私が戦い始めた若き日、雑記帳に書き留めた民衆詩人ホイットマンの詩の一節がある。

 「人間の肉体は言葉である、千万の言葉である」と。

 口先だけの薄っぺらな言葉ではない。その人の全身から滲み出る勇気と信念、誠実な声、明るい笑顔、そして思いやりにあふれた振る舞いほど雄弁なものはない。その模範こそ、学会の父たち母たちである。

 さあ、それぞれが今いる場所から、自分らしく希望の哲学を語り広げよう!

 「いまだこりず候」(御書一〇五六ページ)という不屈の大情熱をもって、対話の広場に出ていこう!

 愛する若人たちよ、進むのだ。永遠に前へ! 尊き同志よ、朗らかに前へ!

 生命の讃歌、平和の凱歌を、堂々と轟かせながら!

 (随時、掲載いたします)

 

 タゴールの言葉は藤原定訳「迷える小鳥」『タゴール著作集1』所収(第三文明社)、丸木位里は『流々遍歴』(岩波書店)、トインビーは松本重治編訳『歴史の教訓』(岩波書店)、ホイットマンは白鳥省吾訳『ホイットマン詩集』(大泉書店)

 

世界広布新時代

創立100周年へ

2030年 

 

青年・凱歌の年 

(2023年)

2013.11.18

広宣流布大誓堂落慶

更新日

2023.6.3

第2219

 

日天月天ワンショット

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