こころ

2018年4月2日

第1500回

「心の一法より国土世間も出来する事なり」

  

<一人の人間革命が

家庭を変え、地域を変え、社会を変え、国土をまで変える>

 

 一、戸田先生が、最晩年、「方便品・寿量品講義」の締めくくりに掲げてくださった法華経の経文があります。
 それは、寿量品の「我本行菩薩道(我は本 菩薩の道を行じて)」(創価学会版法華経482ページ)――。すなわち、仏の境涯を得るための根本の原因は、「菩薩の道」を行ずることであると明かされた一文です。この「菩薩の道」の究極こそ、南無妙法蓮華経を信じ、唱え、弘めゆくことであります。
 その実践によって、誰人たりとも仏の境涯を開くことができると教えてくださったのが、末法の御本仏・日蓮大聖人であられます。
 この大聖人の法理のままに、真の「菩薩の道」を行じているのは、誰か。戸田先生は、現実の娑婆世界の真っただ中で、あらゆる苦悩に立ち向かいながら、広宣流布に励みゆく学会員に他ならないと、高らかに宣言されました。 
 先生とご一緒に北海道を旅した折にも、勇敢に戦う愛弟子たちに、いつも慈しみの眼差しを注がれて、「大作、この人たちこそ、まことの地涌の菩薩だ。尊い仏さまだよ」と言われ、そして「北海家族と共に、牧口先生と私の故郷に、世界一の幸福の仏国土を築いてくれ!」と託されたのです。 
 一、御聖訓には、「心の一法より国土世間も出来する事なり」(御書563ページ)と仰せであります。
 仏法の生命哲理の眼で見れば、様々な国土の違いも「心」から出てきます。
 ゆえに、どんな境遇にあっても、妙法を受持するならば、今いる、その場所で、わが心を変革し、「人間革命」の挑戦を起こすことができる。
 そして、一人から一人へ、その波動を広げながら、身近な家庭を変え、地域を変え、社会を変え、国土までも変えていける。この壮大なる実験証明を、我ら創価の師弟は、いずこにあっても示し切ってきました。
 なかんずく、雄大にして峻厳な大自然の天地で、法華経に説かれる「三類の強敵」と敢然と戦い、「冬は必ず春となる」(同1253ページ)と楽土建設のドラマを、粘り強く勝ちつづってきたのが、わが誇りも高き北海道の宝友であり、さらにまた、ここに集われているSGIの各国・各地の皆さん方なのであります。
 一、世界は、ますます不安と混迷の闇を深めています。だからこそ、我らは、大聖人の仰せ通り、「苦楽ともに思い合せて」(同1143ページ)題目を唱え抜き、日々、心に元初の太陽を昇らせて、「希望の光」「英知の光」「平和の光」を赫々と放っていこうではありませんか!
 その意味において、思い出深き厚田の「戸田墓園」開園の折、共々に約し合った三つの指針を、改めて確認しておきたい。
 第一に、「自身の人間革命を根本に!」。
 第二に、「地域に友好・信頼の拡大を!」。
 第三に、「一家一族の信心の継承、そして後継の育成を!」との3点です。
 毎年、桜前線が日本列島を北上する絵巻の中で、戸田先生の像を彩る厚田の8000本の桜が咲き誇るのは、5月の上旬です。
 4月の2日から5月の3日へ、創価桜の「対話の花」「功徳の花」「人材の花」を、いよいよ爛漫と咲かせゆく「歓喜に躍る花の旅」を、皆で心豊かに決意し合って、私のメッセージとします。

 

本部幹部会・北海道総会への池田先生のメッセージ 2018年3月26日(抜粋)

 

2015年7月11日

心の一法

 

<国土にも境涯が、我が一念で仏国土に!>

 
 『心の一法より国土世間も出来する事なり』(総勘文抄、563㌻)との御聖訓は、仏法の奥義です。「一念」は即「三千」の次元に広がる。人間の「心の一法」のあり方しだいで、国土が善くも悪くもなる。
 人類の精神史は、この「心の一法」の探求の歩みでもあったといって過言ではない。戦争も、飢餓も、地球環境の問題も煎じつめれば、すべて人間の「心の一法」に帰着するからです。
 一念三千の法理に照らせば、国土にも「境涯」があります。「依正」──「依報(環境)」と「正報(主体)」は不二ですから、そこに住む人間の境涯が乱れれば、国土も荒んでしまう。人間の境涯が強く高く輝けば、国土も光を放っていくのです。
 この青き地球を、平和と繁栄と幸福の光で包むには、「心の一法」を究め、深め、磨いていくことが、絶対に不可欠です。科学技術や情報技術も、この根本を疎かにすれば、人間の幸福に生かすことはできない。国土をも栄えさせゆく「心の一法」──その究極が、妙法への信心です。
 戸田先生は「広宣流布への信心があるところが、仏の国土なのだ」と断言されました。
 わが尊き地域本部(団地部・地域部・離島部・農村部)や社会本部(社会部・専門部)の方々をはじめ、学会の同志の奮闘は、力強く地域を、社会を支え守っています。皆様方が、一人ももれなく幸福と健康に輝く人生を勝ち飾ることが、そのまま一国の宿命転換の道となる。
 庶民が立ち上がり、青年の熱と力を引き出すことが、国土全体の繁栄につながります。
 その意味において、私とともに「″まさか″が実現」の歴史を打ち立てた関西をはじめ、宿縁深き同志が、幸福・勝利の人生を歩んでおられることが、私の何よりの喜びであります。
 古くから、「天下の台所」と呼ばれてきた大阪。そして大関西。ある学者は、昭和二十年代から三十年代初頭の関西の庶民の熱気が、日本の高度経済成長の推進力になった、と着眼されていました。わが常勝関西が日本を動かしてきたのです。私がお会いした経済学者のサロー博士や、アメリカのシーファー大使など、多くの識者も異口同音に感嘆しているように、関西の力は、まだまだ無限です。
 ともあれ、必死の一人の力は、百万軍に勝る。
 「心の一法」を変革し、自分が変われば周囲が変わる。周囲が変われば世界が変わる
 混迷の闇が深いほど、仏法の智慧が光ります。勇気が光ります。私たちの前進は、日本、そして世界の輝ける未来を開く前進です。ゆえに、断じて歩みを止めてはならない。
 戸田先生は叫ばれました。
 「『仏法は勝負』である。本当の仏法は社会での大闘争の中にある。仏法を現実社会の中で行じ、人間のため、国のため、世界のために戦ってこそ、真の大聖入門下であり、真の革命児ではないか。これが創価学会だ」


御書と師弟(2008.12.11付聖教)

2015年6月16日17日

革心から革新へ

 

<真の社会改革は革心から>

   

 社会の「革新」のためには「革心」すなわち、心を革めることが不可欠である――そのとらえ方に、若き周恩来の慧眼がある。

 日蓮大聖人は、「ただ心こそ大切なれ」(御書一一九二ページ)と仰せになっている。心は、一切の根本をなす。ゆえに、その心を常に磨き抜いていくことが肝要となるのだ。

 社会改革がなされ、いかに優れた制度をつくり上げたとしても、それを運用していくのは人間である。

 したがって、人間の心の改革がなければ、制度は形骸化され、悪用されるという事態も起こりかねない。そうなれば、より良き社会を築くことも、人びとが幸せを享受することもできない。改革の理想は、藻屑のごとく、権力を得た者の欲望の海にのみ込まれ、消え去ってしまう。

 自身を見つめ、正すこと、すなわち「革心」なくしては、真の社会改革もない。

 

小説新・人間革命 革心 40

2015年4月11日12日

日々唱題し、みずからを照らし、境涯を深めよ!

 

<己心の「仏界」が強まれば、他の人の「仏界」も確信できる>

  

 かつて私はこう記した。
 「昼は太陽と共に謳いながら 生命を燃やそう 夜は静かな月光の道で 友の休むのを待って自分という人間を考えよう」と。
 多くの詩人や歌人が月をとおして人生を詠み、それはまた日本人、東洋人の、一つの精神史をつづってきた。いわば月は、心を映す鏡である。古来、人々は月に思いを託し、月と語り、月にわが人生を映して、心の内を見つめてきたのである。
 人は“自分を見つめる”ことを忘れたとき、必ず進歩がなくなる。また、自分を見つめない人は、人間的な深みも魅力も出てこないし、最後は枯渇せざるをえない。
 だからといって、ただ自分を見つめてばかりいて行動のない人には、前進も成長もない。大切なことは、実践のなかで自分を凝視しつつ、そこで深められた精神を、さらなる価値創造へのバネとしていくことである。
 その意味で私どもは日々、御本尊に向かい、唱題することによってみずからを照らし、境涯を深めながら、限りなく前進していくことができる。これほど偉大な世界はないし、価値ある人生はない。
 大聖人は妙一女に『御身は忽に五障の雲晴れて寂光の覚月を詠め給うべし』(御書1262頁)――あなたは、たちまちに五障の雲が晴れて寂光の覚月をながめられることでしょう――とのお手紙をしたためられている。
 五障とは、爾前経において、女人は①梵天②帝釈③魔王④転輪聖王⑤仏の、どれにもなれない、とされた五つの障りのことである。しかし、たとえそのような身であっても、三大秘法の御本尊に真剣に題目を唱えるならば、「寂光の覚月」をながめられる自分になっていく。すなわち、仏界の悟りの知恵が輝いていく。
 己心の「仏界」の満月に照らされた、その「知恵」の光は自身を見つめさせ、同時に他の人をも導く根源の力となる。そして自身を照らす光が強ければ強いほど、他人への洞察や尊敬が深くなり、慈愛も深まっていく。指導の力も深まる
 「守護国家論」の中で、大聖人は『内心の仏界を知らざれば外の諸仏も顕われず』(御書67頁)――自身の仏界を知らないうちは、外の諸仏も姿を顕さない――と述べられている。
 この御文は「十界互具」の意義を説かれたものである。また、私どもの信心の一念についても重要な示唆をあたえてくださっていると拝する。すなわち、己心の「仏界」の光が強まれば強まるほど、他の人の「仏界」も確信できる。本来、仏であるという本源的な尊敬の念が起こってくるのである
 反対に、権威をカサに仏子を見くだし、“我尊し”と威張っている人間は、それ自体、己心の仏界を現じていない証拠である。
 当然、「自分を見つめる」力もない。成長も止まる。堕落が始まる。人からも信用されない。そして表には立派そうに振る舞いながら、なかには裏で学会を利用しようと策動する者さえ出てくる。まことに“偽りの精神生活”である。それが、責任ある立場にありながら退転し、反逆した人間の正体でもあった。
 信心の世界は全部「自分」の内実がどうかが根本である。表面的な“組織の論理”で決まるのではない。
 大切なのは、いわゆる話のうまさでも、多くの人を動かしていく立場でもない。どこまでも信心である。一個の人間として、信仰者として偉大なる境涯を開いていくことである。それが自身の成仏を決定していく。また実質的に広宣流布を進めていくのである。この原理・原則を、私は厳然と言い残しておきたい。


1989.9.15 第二十一回本部幹部会

2015年2月5日

ただ心こそ大切なれ


<「慢心」と「真心」>


 昨日、ある人と語りあった。御書全編を通しての大聖人の仰せは、つまるところ何だろうかと。その一つの結論として、まず「御本尊根本」ということである。(中略)妙法のみを純粋に唱え行じきっていくという「但南無妙法蓮華経」の一念である。
 そして「ただ心こそ大切なれ」(御書1192頁)の御聖訓である。これらが、もっとも要となるともいえるのではないかということになった。
 とくに後者については、たとえ御本尊を受持し、題目を唱えていても、自身がいかなる信心の「心」であるのか。広布へと向かう「心」なのかどうか。その奥底の「心」が一切を決める。
 幸・不幸、成仏・不成仏、また仏界の方向へ行くのか、苦悩の境涯へ向かうのか。すべては、わが一心の妙用であり、厳しき結果である。この一事は、どれほど強調しても、しすぎることはない。
 宇宙にも心法すなわち「心」がある。自身にも「心」がある。自身の信心の「心」が、宇宙にも通じていく。まことに心には不可思議なる働きがある。
 わがままな心、愚痴と文句の心、疑いの心、要領主義の心、慢心、増上慢の心などは、自他ともの不幸の因である。
 それらにとらわれてしまっては、飛行機が濃霧の中をさまようようなものである。何ひとつ定かには見えない。善悪の基準もわからなくなる。自身のみならず、乗客ともいうべき眷属も不幸に堕としてしまう。
 また「慢」の心とは、たとえていえば、暴れ馬が止まらないで狂ったかのように、心がグルグルと駆けまわっていて、自分で自分がわからなくなっているようなものだ。そばにいる人たちも、けとばされてしまう。要するに、人間として正常ではない。また、自分が思っているのとは正反対に、少しも偉くはない。それどころか、慢心とか増上慢の人は、仏法上、いちばん危険な人物である。
 反対に、友を思う真心、主義主張に生きる信念の心、広布への使命を果たそうと戦う責任の心、仏子を守り、尽くしきっていこうという心、感謝と報恩と歓喜の心は、自身のみならず、一家も一族も、子孫末代まで、無限に福徳を開いていく。諸天善神が守りに守っていく。まっすぐに成仏への軌道を進めてくれる。ゆえに「心こそ大切なれ」との仰せを、強く深く胸に刻んでの一生であっていただきたい。


1988.2.25第1回各部代表者会


2014年12月20日

信心は強盛かつ純粋に、必ず所願満足の境涯に!

 

<御本尊も題目も同じだから方程式も同じ!>

 

 「信心は強盛かつ純粋でなくてはなりません。それが大聖人の仰せだからです。
  御本尊も題目も同じだから、会長であっても、支部長であっても、地区部長でも班長でも、全部、方程式は同じです。信心の強盛な人が功徳を受けるのです。
  信心が強盛であれば、悠々たるものだ。洋々たる気持ちで、広々とした気持ちで、信心をしていってほしい。あくせくする必要はありません。笑みを湛え、朗らかに題目をあげて、一家和楽の生活をし、生命力豊かに、楽しく生活をしていく。そして、有意義に、晴れ晴れとした気持ちで学会活動に励めば、信心即生活のリズムになるのです」
 「大聖人の仏法は冥益です。今日、題目をあげたからといって、明日、一切が良くなるとは限らない。しかし、仏法は因果倶時ですから、信心した以上、幸福になるべき一切の根本が決まっているようなものです。
  種を蒔けば、必ず花が咲く。10年、20年と信心に励んだ人が、『これほどまでに幸せになった』『ありがたい。想像もしなかった幸福生活である』となる。これが所願満足です」
 「御本尊だけは離さないで、所願満足の境涯をつかみ切っていただきたい。これが私の、心からの願いです!」


大白蓮華No.781号2014.12月号18頁


2014年11月30日

無限の希望、無量の力を開く「志ざし」

 

 人間の心ほど、偉大なものはありません。
 心には、無限の希望があります。
 心には、無辺の福徳が収まります。
 心は、無量の力を発揮します。
 個人の宿命転換も、民衆の幸福の実現も、平和社会の創出も、すべては、まず、人間の心の変革から始まります。
 「一心の妙用」※1です。
 心には、不思議な働きがあります。
 日蓮大聖人は「心の不思議を以って経論の詮要と為すなり」(御書564頁)と仰せです。仏法は、この心の無量の宝の蔵を開くための価値創造の教えです。
 「心こそ大切」です。
 すべては「志ざし」で決まります。
 その時、その瞬間、心がどう感じ、どう決意し、どう行動を起こすか。それによって、結果はいくらでも変わります。それが「信心」です。一念三千です。人間の真の大きさは、その心に何を持っているかで決まります。

 

※1 「一心の妙用」衆生の生命に具わっている本有の不可思議な働き

 

大白蓮華No.781号2014.12月号勝利の経典

2014年11月17日

「心」が変われば一切が変わる

 

<「できると思えば必ずできる」>

   
 「この世界はすべてこれ一つの舞台、人間は男女を問わずすべてこれ役者にすぎぬ」(『お気の召すままに』、『シェークスピア全集Ⅳ』)
 仏法が教えるのは、人生劇の「脚本(シナリオ)」を書くのも、「演じる」のも、自分自身ということである。
 他の何ものかが、脚本を書くのではない。自分が書いて、自分が名優として演ずる。これが「一念三千」の法理にこめられた、きわめて積極的な人生哲学である。
 自分が作家で、自分が主人公である。大切なことは、すばらしい劇(ドラマ)を演じるためには、まざまざと鮮やかに目に浮かぶまで、“脚本”を頭にたたきこまねばならないということである。心の中でリハーサル(練習)も必要かもしれない。「勝利劇」の目標(受験や、会社の成績など)を、紙に書いて、何度も何度も心にしみつくまで繰り返すことが効果的な場合もあろう。
 ある男の子は、小さいころの事故で片足が短くなった。しかし両親は、どんなことでも、「お前にはできない」とか「お前には無理だ」とか、絶対に言わなかった。何でも他の子どもと同じようにさせ、スポーツもさせた。「できると思えば必ずできる」「『できない』としたら、お前が、やる前に『できない』と思ったからだ」――と。
 それは精神主義や観念論ではなく、人間の潜在能力(眠っている力)への確信であった。その子は、学生時代はフットボールの名選手となり、社会でも成功した。
 ロシアの作家ゴーリキーが「才能とは、自分を信じることだ、自分の力を信ずることだ」と。
 イギリスの大小説家ウォーター・スコット(1771年―1832年)は言っている。
 「臆病な人間にとっては一切は不可能である。なぜなら、彼には一切が不可能に見えるからだ」(中略)
 御書には、華厳経(大乗仏教の経典)を引いて仰せである。『心は工(たくみ)なる画師(えし)の種種の五陰を造るが如く一切世間の中に法として造らざること無し』(564頁)――「心」は、すぐれた画家が自在に種々の姿を描くように、世の中のあらゆる現象を造りだしていく――。
 『心の外に別の法無し』(同頁)――心の外には別の法はない(すべての現象は心の産物である)――。
 大聖人の御手紙を拝するとき、つねに相手に応じた“たとえ”を引かれ、“文証”を引かれて、何とか「心」を変えよう、「一念」を強めよう、「確信」と「自信」をあたえようとされている。
 つねに「希望」と「励まし」を太陽のように送っておられる。「心」が変われば「一切」が変わることを熟知されていたからであろう。

 

大白蓮華No.776号2014.7月号52頁

2014年10月25日

友よ、精神の世界で勝て!

 

 (前略)
 私の誓いは/言葉だけのものではない。
 私自身の/魂の名誉と/勝利のためのものだ。

 

 人々の嘲笑などは/くだらぬことだ。
 人々の嫉妬の悪口などは/くだらぬことだ。
 人々の/危険をはらんだ富など/真っ平だ。
 人々の見栄の出世に/焦燥していく姿は哀れだ。

 

 我々には
 権力よりも/名誉よりも/財宝よりも
 一瞬また一瞬/そして
 永遠に屈折なき/無限の安住の/幸福の魂の城が/輝いている。

 

 精神の世界で/勝った人は/すべての世界に/勝った人だ。
 精神の世界で/脱落した人には
 いかなる名声も/嵐の前の/貪欲な群衆の陶酔にすぎない。
 (中略)


 友よ/来れ!
 真実の友よ/来れ! と
 忘れ去られた舞台から/今一度/金の星に見つめられながら
 悲劇を去って/喜劇の歓びの舞を/見せてゆけ!
 (後略)

 

聖教新聞2014.2.9付「生命の栄冠 人間の凱旋門」より

2014年10月7日

「心の財」を分かち合おう!


  何ものも恐れない、何ものにも屈しない。どんな苦しみも喜びに変えられる――この信心こそ、究極の「心の財」です。(中略)
 こに金剛不壊の信心という「心の財」に、黄金の輝きが備わっていくのです。負けない心、たくましい生命力、広々とした境涯、温かな人間性・・・要するに、風雪を越えた堂々たる人格です。
 そうした人格に触れれば、皆がほっとする。安堵する。希望が湧いていくる。元気になる。
 人に希望を贈ると、自分の希望は減るだろうか。相手が明るくなった姿に、自分もまた力をもらうはずです。それは、「心の財」を分かち合っているからでしょう。「心の財」は、分かち合えば合うほど、増えるのです。

 

大白蓮華No.779号2014.10月号67頁

 

2014年7月4日

「こころ」を断じて破壊されるな!

 

 宗教には、苦難が信仰を鍛えるという面がある。弾圧がむしろ発展のきっかけとなる場合があることは、古今東西の歴史が証明している。
 大聖人は「堂舎を焼き、僧尼を殺すなど、権力の強制的は力をもってしては、仏法は失われることはない。むしろ悪僧が仏法を滅ぼす」と仰せです。本来、仏法を正しく持つべき聖職者こそが仏法を破壊するということです。
 権力者による建造物の破壊は目に見えるが、悪僧の思想・宗教の誤りは目には見えない。その目に見えない狂いが仏法を滅ぼすのです。
 人々がその狂いによって誤った行動をとるようになり、明らかに目に見えて異常だと分かるようになった時は、すでに手遅れになってしまう。
 要するに、宗教で一番重要なことは、教えを信ずる人の「心」です。
 弾圧を受けて法に殉ずる人は、むしろ「心」において勝利しているのです。「心」が破られなければ、仏法は滅びることはない。
 「心」こそ大切です。だから本当の弾圧は、信仰者の「心」を破壊しようとする。(中略)

 魔性に魅入られた権力が、信仰の心を破壊するために企(たくら)む常套手段は「離間工作」です。師弟の絆を断ち切り、和合僧を破壊しようとする謀略です。


御書の世界(下)第十章 佐渡流罪

2014年7月2日

人の振舞こそ“心の財”

 

 山本伸一は、草創期以来、東北の同志を、じっと見続けてきた。そのなかで実感してきたことは、どんな困難に遭遇しても、決して弱音を吐かないということであった。
 東北の人びとは、冷害をはじめ、チリ津波など、さまざまな災害に苦しんできた。
 しかし、彼らは、「だからこそ、御本尊がある!」「だからこそ、地域中の人たちを元気づけるために、俺たちがいる!」「だからこそ、広宣流布に一人立つのだ!」と、そのたびに、一段と闘魂を燃え上がらせてきた。
 苦難の烈風に叩きつけられ、倒れ伏した大地から、敢然と頭を上げ、立ち上がる姿をもって、学会への理解と共感の輪を広げてきたのが、東北の同志である。
 この宝友たちが示した信仰の最大の実証とは、“蔵の財”を得て、物欲を満たすことではなかった。「人は、ここまで強くなれるのか! ここまで他者を思いやれるのか!」という、人間のもつ、まばゆいばかりの生命の輝きをもって、“心の財”をもって、真実の仏法の力を証明してきたことだ。
 日蓮大聖人は、「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書一一七四ページ)と仰せである。仏法という大法は、人間の生き方、行動のなかにこそある。
 伸一は、そうした東北の同志を思うにつけ、東北広布は、やがて一段と加速し、“広布模範のみちのく”が現出することを、強く確信するのであった。


小説 新・人間革命 27巻 求道15

2014年4月29日

 「やろう!」と決めると全てが動く

 

 「やろう!」と決めることが大切である。心が動けば、その方向に頭脳も体も環境も動き出す。
 戸田先生の若き日の日記に、印象深い一節がある。1920年(大正九年)の春四月、牧口先生との師弟の出会いを刻んだ当時の決意である。
 「国家の材、世界の指導者としての大任を授かるべく練り(=心身を鍛錬し)、(=その大任を)果たすべく(=自己を)磨かざるべからず。(中略)今日の人のそしり、笑い、眼中になし。最後の目的を達せんのみ」と。
 目先の毀誉褒貶などに紛動されているようでは、まことの人格はつくれない。卑しい低次元の批判など眼中に置くな!
 つねに、一流の書、一流の人にふれ、自分自身を高めよ!
 これが、牧口先生とあい通ずる戸田先生の一貫した生き方であった。ゆえに、青年が、一流の書を読まなかったり、低俗な書などを読んでいると、先生は烈火のごとく叱られた。(中略)
 私は、ハーディング博士の言葉を忘れることができない。
 それは、「私の根本の信念は、すべての人間に、創造的な力が備わっているということです。平和で正しい社会をつくる能力がある。しかし、それは、十分に開発されていません。これをどう開発するか。これが、二十一世紀の課題です」と。
 創価大学は、二十一世紀文明の創造と開拓の最前線にいる。また、そうでなければ、意味がない。諸君は、この学舎で、世界に友情を広げながら、気宇壮大に「地球次元のリーダーシップ」を発揮していただきたい。

 

1996.4.2創価大学第二十六回入学式、創価女子短期大学第十二回入学式、新疆大学名誉学長就任式

2014年4月25日

 心は工(たくみ)なる画師(えし)の如し

 

 命をかけなければ偉大な仕事はできない。
 私は十九歳から、わが理想に命をかけている。ゆえに、どんな非難も中傷も恐れない。そう恩師に訓練された私である。
 「いつ死ぬかしれない。きょう倒れるかもしれない。だから、きょう中にやっておこう」――こういう思いで生きてきた。妻がいちばんよく知っている。(中略)
 どんな状況にあっても、心で決まる。心一つで変えていける。
 仏法は「心は巧みな画家のようなものである」(「心は工なる画師の如し」華厳経大正九巻※)と説く。わが一念で、人生のカンバスに自在の絵を描いていけるのである。

 

※『心は工なる画師の種種の五陰を造るが如く・・・』(三世諸仏総勘文教相廃立、564頁、編1227頁)サイト・マスタ

 

1996.11.3創価教育同窓の集い

2014年4月11日12日

指導の心


 地元の幹部から、闘病中の会員がいることを聞いた伸一は、早速、翌朝には訪問し、激励した。包み込むように、病状などを尋ねたあと、確信をみなぎらせ、朝晩の勤行の大切さなど、信心の基本を語っていった。
 同行した金田は、〝御本尊の功徳に浴すことができない同志を、一人として出すまい〟とする、伸一の強い慈愛を感じた。
 〝これが指導の心なのだ!〟と思った。
 金田だけでなく、伸一と一緒に活動に励んだメンバーは、彼の行動を通して、学会活動の在り方と、そこに込められた魂を体得していったのである。
 (中略)
 金田は、個人指導ノートを作り、会った人たちの状況や指導した内容などを、克明に記していった。そして、一人ひとりが、かかえている悩みを克服できるように、真剣に題目を送るとともに、定期的に連絡を取った。
 彼女は、こう考えていた。
 〝本人が苦悩を乗り越え、見事な信心の実証を示してこそ、個人指導が完結する!〟
 支部員の幸せを祈って生きていくなかで、彼女自身がたくさんの功徳を受けた。板橋区から、練馬区にある電話付きの大きな家に転居し、家族も皆、健康になっていた。また、何よりも笑いの絶えない家庭になった。

 

小説 新・人間革命 27巻 激闘18,19

2014年3月30日

心の財は不滅の財

 

 何のための一生なのか。いかに生きるべきか。この問いに答え、所願満足の一生を送り、しかも、他者の幸福を支え、社会の繁栄と平和建設に貢献していく――これ以上の「心の財」はありません。そして、この「心の財」は永遠です。
 「身の財」「蔵の財」はこの人生を飾り得るものですが、「心の財」は三世を飾りゆく不滅の財です。

 

大白蓮華No.773号2014.4月号30頁

2013年9月28日

信心とは純粋な心の世界


 信心の世界は、どこまでも温かく、思いやりのある。真剣で、真面目な世界である。
 悩んでいる人を温かく励まし、希望を送る。真面目な人を、決して裏切らない、純粋な心の世界である。
 純真こそ、信心の基本である。真剣こそ、力である。大誠実こそ、信頼の絆となる。

 

聖教新聞2013.8.25付今日も広布へ33

2013年6月6日

 相手は心の鏡

 心は不思議である。心は微妙である。こちらが悪い感情をいだいていると、たいていは相手にもそれが伝わっている。こちらが笑顔の思いで接すれば、相手にも微笑みの心が宿る。こちらが粘り強く手をさしのばせば、相手もいつしか手をさしのばす――相手はいわば、自分にとって「鏡」のような存在なのである。
  
1989.11.18第23回本部幹部会

2013年5月22日

 一歩も引くな! 恐れるな! 

 何があっても、一喜一憂しないことだ。嫌なこと、つらいこと、悲しいこともあるかもしれない。だからこそ、強く生き抜き、強く戦うのだ。
 行き詰まったら題目だ。題目をあげていけば、必ず、道は開ける。
 最後の最後まで、戦いは執念である。どんな小さなことも、甘く見てはいけない。小事のうちに、全力で、一つ一つ、手を打っていけば、大事に至ることはない。
 賢明でなければならない。愚者ではなく。最高の賢者をつくるための仏法である。 日々、御書を心肝に染め、自身の勝利へ進みたい。
いかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ」(御書504頁) 一歩も引くな! 恐れるな!――師子の心で前進だ。
 
聖教新聞2013.5.13付今日も広布へ19

2013年5月20日

 確信ある人こそ偉い人
 
かつて私は戸田先生に「どういう人が偉いのでしょうか」と質問したことがある。すると先生は、にっこり笑って即答された。
「確信ある人だよ。人生は、また、すべては確信だよ」と。(中略)強く深き「確信」こそ、生きゆく根本の力である。確信の人には、グチがない。弱音もない。希望がある。いつも朗らかである。また人にも希望をあたえていことができる。人生が広々と開かれていく。
 
1989.12.20第24回本部幹部会 

2013年4月10日

胸中の創価学会

 

「私のなかに創価学会がある」との決意で進んできた。胸中につねに「創価学会」をいだき、戸田先生、牧口先生の魂をいだいている。だからこそ私は強い。何ものも恐れない。また何があっても変わることがない。それぞれの立場で、「私が創価学会である」「私のなかに創価学会がある」との自覚で、誇らかに、また縦横に活躍していっていただきたい。

 

1989.4.25第14回青年部幹部会 全集(72)406頁

2013年4月2日

精神の王者は正々堂々

 

 「わづかの小島のぬし」(御書911頁)とは、御本仏をお護りする大梵天王、帝釈天王らの"門番"ともいえる四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)らの家来(大国の王にあたる)の、そのまた家来にも及ばない、小さな「嶋の長」である。

 いかに彼らがいばり、策謀をめぐらし、大聖人をおとしいれようとしても、大聖人の広大無辺なる御境界である"精神の王国"は、だれ人も侵すことはできない。まさに信心によって開かれる"精神の世界"の強さである。

 そして一次元からいえば、この"精神の王国"の王者が、"地上の王"である権力に現実に打ち勝って、その悪用を封じ込めていくのが、広宣流布の戦いなのである。「立正安国論」においても、大聖人は妙法を信仰すれば国土も安穏となると教えられて、国主を「妙法に帰依させよう」とされたのであり、権力者に「信心してもらおう」などというのではない。そんな媚びへつらいなど微塵も述べられてはいない。正法さえ厳然と確立されれば、必ず安穏に繁栄した国土が築かれていくことを、国主に堂々と示され、教えられたのである。

 

1989.6.26第18回本部幹部会 全集(72)561頁

2013年3月1日

 真剣に全てが

 

 真剣、この二字のなかには、すべてが含まれる。真剣であれば、勇気も出る。力も湧く。智恵も回る。また、真剣の人には、ふざけも、油断も、怠惰もない。だから、負けないのである。そして、そこには、健気さが放つ、誠実なる人格の輝きがある。
 伸一が、一人ひとりに的確な励ましを送ることができるのも、“もうこの人と会うのは最後かもしれない”という、一期一会の思いで、瞬間、瞬間、魂を燃焼し尽くして、激励にあたっているからである。
 相手が“どういう気持ちでいるか”“何を悩んでいるのか”“どんな生活をしているのか”など、一念を研ぎ澄まして洞察し、発心と成長を祈り念じて、魂の言葉を発しているのだ。

 

新・人間革命第12巻新緑

2013年2月27日

今こそ『貧女の一灯』の如し

 

 経典には、『貧女の一灯』ということが説かれております」と語った。それは、「長者の万灯より貧女の一灯」との言葉で知られる仏教説話である。
 一人の貧女が、諸国の王や長者をはじめ、人びとが釈尊に供養するのを見て、自分もぜひ仏に供養したいと思う。そして、食べる物さえ満足に買えない生活のなかで、仏に捧げようと、灯火の油を買い求めたのである。
 貧女は、祇園精舎にいる釈尊、すなわち仏のもとへ向かった。仏の前には、多くの人びとが供養した灯火があった。貧女も、一つの小さな灯火を供養し、自ら誓願を立てる。
 〝今、私は貧しい身ですが、真心を込めてこの小さな灯を供養いたします。この功徳をもって、来世は智慧の照明を得て、一切衆生の無明の闇を滅することができるようにしてください〟
 夜が更け、空が明るみ始めるころには、長者らが供養した灯明は、すべて滅したが、この貧女の一灯だけは、燃え続けた。無理矢理、消そうとしても、決して消えることはなかった。
 仏は言う。――四大海の水を注ぎ、嵐をもって襲おうとも、この灯を消すことはできない。それは、広く一切衆生を救おうという、大心を起こした人が施したものであるからだ。
 大切なのは誠実の心である。信心の心が揺るがなければ、大宇宙をも照らし出す、福運の灯をともすことができるのである。

 

小説 新・人間革命 26巻 勇将 13

2013年1月31日

大切なのは心

 

行為は同じでも、大切なのは心である。“広宣流布のためならば、なんでもやらせていただこう!喜んで尽くそう!”と、自ら進んで行動し、さらに、そうできることに感謝していくことである。そこに、功徳の大輪を咲かせ、無量無辺の福運を積んでいく直道がある。

 

小説 新・人間革命 26巻 法旗 42

世界広布新時代

創立90周年へ

「創価勝利の年」

(2019年)

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

更新日

2019.7.14日

第1615

 

日天月天ワンショット

日めくり人間革命URL