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2019年4月5日

大転換時代到来!
脱炭素社会を我らが先駆!


<特別寄稿>

脱炭素化への五つの原則

 

国連気候変動枠組条約

 クリスティアナ・フィゲレス前事務局長

2019年4月4日


“持続可能な未来”を見据え皆が責任ある一人に 


 東京・信濃町の総本部を訪問し、学会の代表と和やかに語り合うフィゲレス前事務局長(2月11日、学会本部別館で)
 2月に東京・信濃町の総本部を訪れた国連気候変動枠組条約(UNFCCC)前事務局長のクリスティアナ・フィゲレス氏から、論考が寄せられた。氏はコスタリカの外交官として長年活躍し、2010年にUNFCCCの事務局長に就任。温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」の採択に尽力するなど、気候変動対策をけん引してきた。現在は国際的な気候変動行動キャンペーン「ミッション2020」の議長を務め、温室効果ガス排出削減に向けてネットワークを広げている。
 グローバルな気候変動交渉の責任を担うように要請された当初、私は世界各国の政府をまとめることは不可能だと思っていました。
 しかしその後、心を入れ替え、世界の気候変動への取り組みを変える手伝いをしようと決心しました。楽観主義なしに勝利をもたらす道はないからです。
 その後、パリ協定が採択されるまでの数年間、私は積極的に世界の宗教団体に働き掛けをしました。
 宗教組織はコミュニティー(共同体)において、大きな影響力を持っています。私どもが受けた最も重要な支援の一つは「ラウダート・シ」という回勅を発表したローマ教皇からのものでした。これはカトリック教会だけではなく、政治的にも影響力を持ちました。
 驚いたことに、2012年以来、多くの宗教コミュニティーが、炭素関連、特に石炭に関連する産業から資金を引き上げる決定をしているのです。
 こうした宗教コミュニティーは宗教的な信仰と科学との間に矛盾がないことを理解しています。私たちは皆、“共通の家”に暮らしています。人類が地球上で平和に暮らしていけるか否かという挑戦を共有しています。暴力を引き起こすような対立を避けるよう努める責任があるのです。
 ◆◇◆ 
 私は、移民を通じて各国が現在受けているプレッシャーについても憂慮しています。
 今日、世界には6800万人を超える難民がいます。そのうち2200万人以上が自国の外に出ています。戦争に加え、環境の変化も、その原因となっています。
 環境や気候変動の問題は、日本にとって何を意味するのでしょうか。私の視点では、二つの全く異なる未来が考えられます。
 一つは、世界の取り組みをリードすることです。
 日本には自然資源、労働力、技術、資本がそろっています。より多くの機会に恵まれ、安定した世界を構築するために先頭に立つべきです。
 もう一つは、逆に国際社会から“置いてきぼり”にされ、前世紀の技術に支配され続ける事態です。
 先導するか、置いてきぼりになるか――世界の脱炭素化のスピードを考えれば、日本にはこの二つ以外に選択肢はないと思います。
 難しい政治や経済状況を抱えているのは、どの国も同じです。太陽光、地熱、風力の発電を通じて経済成長を継続させるための機会は、日本にも開かれています。日本は傑出した労働力と技術を持っています。この機会を捉えて、何かを生み出していくことを願っています。
 ◆◇◆ 
 脱炭素化に向けて、私は五つの原則、社会からの要請を確認したいと思います。一点目は、倫理的原則です。
 パリ協定で示されている“産業革命前からの平均気温の上昇幅を1・5度にとどめる”ことができず、2度上昇させてしまうと、水不足や飢餓を原因とする死亡者数が2~3倍になると予測されています。
 異常気象が原因で強制的に移住しなければならない人々の数も、2~3倍になるでしょう。
 私たちはグローバル経済の針路を変更し、気温上昇を1・5度、最悪でも2度未満に抑えることを目指していかねばなりません。
 日本では昨年、豪雨災害や熱中症によって多くの方が犠牲になりました。しかし、これらは私たちが向かっている未来像の一部分にすぎないのです。
 皆が責任ある一人として、災害が頻発しない未来を確かなものにしていく必要があります。
 災害は弱い立場にある人々に最も被害を及ぼします。最も弱く責任のない人々に悪影響を及ぼさないよう、行動を起こしていかなければいけません。
 二つ目の原則は科学技術の主流化についてです。昨年、世界の発電量における新規増加分の3分の2が、再生可能エネルギーによるものと発表されました。わずか3分の1が化石燃料によるものでした。
 エネルギー技術の主流が再生可能エネルギーに向かっていることは議論の余地がなく、化石燃料には向かっていません。
 三つ目の要請は金融リスクの認識が高まっていることです。
 高炭素資産、石炭や石油ガスの金融リスクへの認識が芽生えています。実際、“もはや石炭関連の事業に対する投資はしない”と決定した金融機関もあるようです。
 四つ目に「社会的許容」です。農村部に住んでいる人々、都市部に住んでいる人々が“もう自分たちの健康について妥協したくない”と言い始めています。彼らは実際に「きれいな空気を吸いたい」と主張しているのです。
 石炭火力発電は大気に二酸化炭素を排出するだけでなく、地域レベルで大気汚染の原因となる粒子状物質も排出します。輸送のための液体化石燃料の燃焼も、粒子状物質による地域の大気汚染を引き起こします。全ての化石燃料が社会的に許容されるかどうかという圧力を受けています。
 つまり、従来の発電や車などのままでは、もう社会から許してもらえなくなるということです。
 五つ目は「世代間の公正」の要請です。
 地球という惑星全体で、過去150年間と同じだけ「温室効果ガス」を排出すると、気温上昇は2度を超えてしまいます。
 未来の世代は、不安定な世界、つまり、彼らが自分たちの人生における“予見可能性”を持つことが難しい暮らしをすることになります。
 例えば、保険会社が保険を掛けられない世界になります。破壊の度合いがひどくなるためにリスク管理ができず、保険をこれ以上は引き受けられなくなるのです。それだけの大きなリスクが発生することを意味します。
 ◆◇◆ 
 以上の五つの原則、要請全てが互いに積み重なり合っています。互いが互いを強め合うような要請なのです。私たちは他に選択肢がないのです。
 ただ、これにより私たちはチャンスが増えるともいえます。というのも、すでに脱炭素化の道を進んでいる個人や企業が示しているのは「脱炭素化が実行されればチャンスが開かれる」ということです。
 炭素利用の抑制というのは大きなチャンスでもあるわけです。これは全ての企業、都市、国にも当てはまります。私たちは、この方向に進むべきであると思います。 

 2019年4月4日付聖教新聞2面

2019年3月3日

第1581回
第一に「祈り」の拡大
第二に自身の「境涯」の拡大
第三に「勇気」の拡大

 

 来る日も、来る日も、
 同志の笑顔のため、
 地域の人々の喜びのため、
 わが地涌の勇者の皆さま方は走り、
 語り続けている。
 いかなる高位の人よりも、
 有名人や権勢の人よりも、
 遥かに偉大な人間王者であり、
 幸福と平和の博士である。

 

 広布のためならば、
 どこへでも駆けつけよ!
 懸命に難関に挑み、
 苦闘する友と一緒に立て!
 激戦の地で新たな波動を起こせ!
 創価学会には、
 この真心のネットワークで結ばれた
 強固な団結がある。
 だから強い。だから負けない。

 

 団結の鍵は何か。それは、
 一見、矛盾するようであるが、
 自らが「一人立つ」ことである。
 自分が真剣に祈り、強くなることだ。
 「誰かがやるだろう」と、
 安易に考えている限り、
 どこまでいっても、
 真の団結を築くことはできない。

 

 広宣流布の城に、
 必要のない人など、一人もいない。
 皆が「宝の人材」である。
 誰もが、なくてはならない存在だ。
 その一人一人を
 真心から大切にしていく
 積み重ねによってこそ、
 難攻不落の大城が出来上がるのだ。

 

 励ましの大地に、仏縁の拡大、
 友好の拡大、青年の拡大、
 人材の拡大の爛漫たる花を!
 そのための要諦は何だろうか。
 それは第一に「祈り」の拡大である。
 第二に自身の「境涯」の拡大である。
 そして第三に「勇気」の拡大である。
 「祈り」「境涯」「勇気」――
 この三つの拡大を通して、
 わが人生と地域と世界の新時代を、
 朗らかに邁進していこう!

 

〈池田大作先生 四季の励まし〉友好拡大の花を爛漫と  2019年3月3日 

2018年1月14日

我らが元初より誓い定めた、
広宣拡大の黄金の一年

 

<地涌の菩薩を呼び出そう!>

 

 日本全国、さらには世界五大州の尊き友と一緒に、晴れやかな「栄光の年」の出発、誠におめでとうございます。
 これほど深き哲学を分かち合い、これほど明るい希望で結ばれた世界市民の平和の大連帯が、いったい、どこにあるでしょうか。
 御本仏・日蓮大聖人は、妙法という大宇宙の究極の法則が持つ力を、わかりやすく3点にわたって示してくださいました。
 第一に「開く力」――一人一人に秘められた最高の仏の大生命を開いて、自他共に充実した人生を輝かせ切っていく力です。
 第二に「円満・具足の力」――大宇宙に満ち溢れた仏の大福徳を具えて、一切を幸福と平和へ、円満に調和させていく力です。
 さらに、

 第三に「蘇生の力」――いかなる境遇の生命も蘇らせ、無限の活力をもって、新たな価値を創造していく力であります。
 人類が何より待ち望んできた完璧なる「生命尊厳の法理」は、ここにこそあります。
 さあ、我らが元初より誓い定めた、広宣拡大の黄金の一年――
 「信心即生活」の清々しいリズムで、日々、人間革命の前進を!
 「仏法即社会」の英知の挑戦で、信頼と実証の旗を!
 「勇気即慈悲」の信念の対話で、人材の花のスクラムを!
 そして、未来へ向かって、地涌の菩薩を一段と呼び出そう!
 大切な皆さん方の健康長寿と和楽安穏、一人一人の栄光の勝ち鬨を祈りつつ、

 

 栄えあれ
  創価と共に
    宝友の城

 と贈ります。
 わが愛する青年部、万歳! わが偉大なる創価家族、万歳!

 

全国の新年勤行会への池田先生のメッセージ   2018年1月4日

2017年8月31日

随方毘尼

(4)

 

 日蓮大聖人が「立正安国論」を認められた当時の鎌倉は、大地震が頻発し、飢饉が打ち続き、疫病が蔓延していた。
 時代を問わず、人は最悪な事態が続くと、自分のいる環境、社会に絶望し、“もう、何をしてもだめだ”との思いをいだき、“この苦しい現実からなんとか逃れたい”と考えてしまいがちなものだ。
 そして、今いる場所で、努力、工夫を重ねて現状を打破していくのではなく、投げやりになったり、受動的に物事を受けとめるだけになったりしてしまう。その結果、不幸の連鎖を引き起こしていくことになる。
 それは、鎌倉時代における、「西方浄土」を求める現実逃避、「他力本願」という自己努力の放棄などと、軌を一にするとはいえまいか。いわば、念仏思想とは、人間が困難に追い込まれ、苦悩に沈んだ時に陥りがちな、生命傾向の象徴的な類型でもある。
 つまり、人は、念仏的志向を生命の働きとしてもっているからこそ、念仏に同調していくのである。大聖人は、念仏破折をもって、あきらめ、現実逃避、無気力といった、人間の生命に内在し、結果的に人を不幸にしていく“弱さ”の根を絶とうとされたのである。
 大聖人は叫ばれている。
 「法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此ここを去つて彼かしこに行くには非ざるなり」と。
 南無妙法蓮華経と唱え、信心に励むところが、成仏へと至る仏道修行の場所となるのだ。自分の今いるところを去って、どこかにいくのではない。この荒れ狂う現実のなかで、生命力をたぎらせ、幸福を築き上げていく道を教えているのが日蓮大聖人の仏法である。
 ところで、大聖人は、念仏をはじめ、禅、律、真言の教えを厳格に検証し、批判していったが、法華経以外の諸経の意味を認めていなかったわけではない。
 それは、御書の随所で、さまざまな経典を引き、信心の在り方などを示していることからも明らかである。

(つづく)

 

2017年8月28日

随方毘尼

(3)

 

 日蓮大聖人は、建長五年(一二五三年)四月二十八日、清澄寺で立宗宣言された折の最初の説法から、既に念仏の教えの誤りを指摘されている。当時、念仏信仰は、民衆の易行として諸宗が認めていたことに加え、専修念仏を説く法然の門下によって弘められ、大流行していたのである。
 易行は、難行に対する語で、易しい修行を意味する。また、専修念仏とは、ただひたすら念仏を称えることによって、死して後に、西方極楽浄土に行けるという教えである。
 世間には飢饉、疫病などが広がり、末法思想に基づく厭世主義が蔓延していた。この世を「穢土」とし、西方十万億土という他土での往生のみに救いがあるという念仏信仰に、人びとの心は傾斜していった。
 しかし、その教えは、人びとを現実から逃避させ、他力のみにすがらせ、無気力にさせる。つまり、幸福に向かって自ら努力することを放棄させ、社会の向上、発展への意欲を奪い取っていった。まさに、人間を弱くする働きをなしたのである。
 しかも、法然は、法華経を含め、念仏以外の一切の教えを「捨閉閣抛」、すなわち「捨てよ、閉じよ、閣け、抛て」と説いていた。文証、理証、現証のいずれをも無視した、この独善的で排他的な主張を、法然門下の弟子たちは盛んに繰り返してきたのである。
 法華経は、皆が等しく仏の生命を具えていることを説き明かした万人成仏の教えである。法華経以外の教えが、生命の部分観にすぎないのに対して、生命を余すところなく説き明かした円教の教えである。
 このころ、法然の弟子である念仏僧は、幕府の権力者に取り入って、念仏は、ますます隆盛を誇りつつあった。それを放置しておけば、正法が踏みにじられ、民衆の苦悩は、ますます深刻化していく。
 ゆえに大聖人は、「立正安国論」を幕府の実権を握っていた北条時頼に提出し、そのなかで、世の混乱と不幸の元凶が念仏にあることを説き、諫めたのである。

(つづく)

2017年8月26日

随方毘尼

(2)

 

 宗教者が、自ら信奉する教えに対して強い確信をいだくのは当然であり、それなくしては、布教もできないし、その教えを精神の揺るがぬ柱としていくこともできない。
 大切なことは、その主張に確たる裏付けがあり、検証に耐えうるかどうかということである。確かな裏付けのない確信は、盲信であり、独善にすぎない。
 日蓮大聖人は「法華経最第一」とし、その法華経の肝要こそが南無妙法蓮華経であると宣言された。そして、確かな根拠を示さずに法華経を否定する諸宗の誤りを、鋭く指摘していった。それをもって大聖人を、独善的、非寛容、排他的などという批判がある。
 しかし、全く的外れな見方といえる。大聖人は、比叡山など各地で諸宗諸経の修学に励み、文証、理証、現証のうえから、それぞれの教えを客観的に比較研究して精査し、結論されたのだ。つまり精緻な検証を踏まえての確信である。
 また、仏教の真実の教えとは何かについて、広く論議し、語り合うことを、諸宗の僧らに呼びかけ続けてきた。
 そして「智者に我義やぶられずば用いじとなり」と、かりに自分以上の智者がより正しく深い教えを示すのであれば、それに従おうと明言されているのだ。
 そこには、宗教こそ人間の生き方、幸・不幸を決する根本の教えであるがゆえに、徹して独善を排して真実を究明し、公にしていかなければならないという、真摯な探究、求道の姿勢がある。同時に、破られることなど絶対にないとの、大確信に基づいた御言葉であることはいうまでもない。
 堅固な宗教的信念をもって、開かれた議論をしていくことと、排他性、非寛容とは全く異なる。理性的な宗教批判は、宗教の教えを検証し、また向上させるうえで、むしろ不可欠な要件といえる。
 一貫して公的な場での法論を主張する大聖人に対して、諸宗の僧らは、それを拒み、幕府の権力者と結託し、迫害、弾圧を加えた。

(つづく)

2017年8月25日

随方毘尼

(1)

 

 山本伸一は、ウィルソン教授との会談は極めて有意義であったと感じた。多くの意見に賛同することができた。
 特に、教授が、宗教が原理主義、教条主義に陥ってしまうのを憂慮し、警鐘を発していたことに、大きな共感を覚えた。
 人間も、また宗教も、社会、時代と共に生きている。そして、宗教の創始者も、その社会、その時代のなかで教えを説いてきた。
 したがって、教えには、不変の法理とともに、国や地域の文化・習慣等の違い、また時代の変化によって、柔軟な対応が求められる可変的な部分とがある。
 仏法は、「随方毘尼」という考え方に立っている。仏法の本義に違わない限り、各地域の文化、風俗、習慣や、時代の風習に随うべきだというものである
 それは、社会、時代の違い、変化に対応することの大切さを示すだけでなく、文化などの差異を、むしろ積極的に尊重していくことを教えているといえよう。
 この「随方毘尼」という視座の欠落が、原理主義、教条主義といってよい。自分たちの宗教の教えをはじめ、文化、風俗、習慣などを、ことごとく「絶対善」であるとし、多様性や変化を受け入れようとしない在り方である。それは、結局、自分たちと異なるものを、一方的に「悪」と断じて、差別、排斥していくことになる。
 「人間は宗教的信念(Conscience)をもってするときほど、喜び勇んで、徹底的に、悪を行なうことはない」(森島恒雄著『魔女狩り』岩波書店)とは、フランスの哲学・数学・物理学者のパスカルの鋭い洞察である。つまり、宗教は、諸刃の剣となるという認識を忘れてはなるまい。
 本来、宗教は、人間の幸福のために、社会の繁栄のために、世界の平和のためにこそある。宗教の復権とは、宗教がその本来の使命を果たすことであり、それには、宗教の在り方を問い続けていく作業が必要となる。
 自らの不断の改革、向上があってこそ、宗教は社会改革の偉大な力となるからだ。

(つづく)

2017年8月23日

今こそ成仏する千載一遇のチャンスである

 

<「覚悟の信心」には、無限の力がわく>

 

 大難は「我らがために」と感謝を
 日蓮大聖人が「私のことを、こういうふうに人に話しなさい」と教えられた珍しい御書がある。(「弥三郎殿御返事」、御書一四四九ページ)
ある在家の門下に、仏法対話の仕方を教えられたのである。(一説には武士であった斎藤弥三郎とされている)
 わかりやすく大意を言うと「(日蓮大聖人という方は)日本の国が仏法の正義にそむいたゆえに『このままでは滅びてしまう。外国からも攻められるだろう』と、日本の国を救うために、『わが身はどうなってもよい』という覚悟で正義を叫ばれた」と。
 その結果、「二十余年・所をおはれ弟子等を殺され・我が身も疵を蒙り二度まで流され結句は頸切られんとす、是れ偏ひとえに日本国の一切衆生の大苦にあはんを兼て知りて歎き候なり、されば心あらん人人は我等が為にと思食すべし、若し恩を知り心有る人人は二当らん杖には一は替わるべき事ぞかし、さこそ無からめ還つて怨をなしなんど・せらるる事は心得ず候、又在家の人人の能くも聞きほどかずして或は所を追ひ或は弟子等を怨まるる心えぬさよ、設い知らずとも誤りて現の親を敵ぞと思ひたがへて詈り或は打ち殺したらんは何に科を免るべき
 ――二十余年の間、いる場所を追放され、弟子等を殺され、わが身も傷を受け、二度まで流罪され、ついには頸を切られるところであった。これはひとえに日本国の一切の人々が将来、大苦悩にあうことを早くから知って、嘆き(助けてあげようと思って)行動した結果である。
 ゆえに心ある人々ならば、「我々のために(大聖人は)難にあってくださったのだ」と思うべきである。もし恩を知り、心ある人ならば、(大聖人が)二つ打たれる杖の一つは替わりに打たれるべきである。それもしないどころか、反対に迫害するとは、まったく、どうしたわけであろうか。 (中略)たとえ知らないで、誤って自分の親を敵と思い違え、ののしり、あるいは打ち殺したならば、(知らなかったと言っても)どうして罪をまぬかれようか――。
 大聖人は、こう言いなさいと、門下に教えられたのである。
 信仰してない人でも大聖人に恩を感じて「二つの杖のうち一つ」は受けるべきだ、と。いわんや門下は当然であった。また、こう仰せである。
 「譬(たと)えば物ねた(妬)みする女の眼を瞋らかして・とわり後妻をにら(睨)むれば己が気色のうと(疎)ましきをば知らずして還つてとわりの眼おそろしと云うが如し」
 ――(日本の人々が大聖人を非難しているありさまは)譬えば「嫉妬した女性が(焼きもちのあまり)目をいからせて相手の女性をにらみ、自分のものすごい形相を知らずに、かえって相手の目が恐ろしいと言っている」ようなものである――。
 ――今も全部、焼きもちなのである。
 手紙の最後には、法戦に臨む門下の心がまえとして、こう書かれている。「構へて構へて所領を惜み妻子を顧りみ又人を憑みて・あやぶむ事無かれ但偏ひとえに思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり、人身は受け難く法華経は信じ難しとは是なり、釈迦・多宝・十方の仏・来集して我が身に入りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし
 ――心して覚悟を決め、所領(領地。今で言えば財産・地位にあたろう)を惜しんだり、妻子を顧みたり、人を当てにして、不安になり恐れることがあってはならない。ただ、ひとえに思いきりなさい。
今年の世間の様子を鏡としなさい。多くの人が死んだのに、今まで自分が生き永らえているのは、このこと(法華経の法戦)にあわんがためである。この今の戦いこそ、宇治川を渡す所であり、勢多川を渡す所である。名を上げるか、名をくだすかの境目である。(宇治川も勢多〈瀬田〉川も、関西の要害の川。源平の合戦でも勝負を決する要所となった)
 人間に生まれるのはまれであり、法華経は信じがたいとは、このことである。(今こそ成仏する千載一遇のチャンスである
 (この戦いに勝つために)「釈迦・多宝・十方の仏よ! 来(きた)り集まって、わが身に入り、われを助けたまえ!」と一念を決めなさい――。
 今こそ、成仏できるかいなかの「境目」である。広宣流布の宇治川であり、瀬田川である。渡りきれば勝利である。断じて、渡りきらねばならない。「覚悟の信心」には、無限の力がわく。釈迦・多宝・十方の諸仏が、こぞって力を与えてくださるのである。


 1997年5月20日 関西代表者勤行会

2017年8月22日

信念の人生を

 

正しい宗教によって生命力を強める以外にはない

 

 戸田先生は「社会に信念の人を」(『戸田城聖全集』第三巻)と題して、こう述べられた。
 ──きちんと出来あがっているように見えて、何となくもの足りない日本。何となく底が浅い日本。そのうつろさ、空虚さを、どう打ち破るか。
原因は「人」にある。一人一人が「生き生きとして、はちきれるような生命力」に輝くことだ。「信念の人」をつくることだ。
 そのためには「正しい宗教によって生命力を強める以外にはない」。そして、人々は知るべきである。「悪い宗教は生命力を弱め、正しい宗教は生命力を強める」ということを──と。
 また、戸田先生はよく語っておられた。
 「御本尊を信じ、人生を生ききっていけ! これが一切だ。いくら愚痴をこぼしていても、つまらぬ事でくよくよしても、どうしようもないではないか。御本尊に題目をあげて、自分の境遇で、自分の立場で生ききっていけ!」と。
 ″どうして、こんな場所に生まれてきちゃったのかな″──親に文句を言ってもしかたがない(笑い)。″もっと気楽に暮らせるところはないかな″──あるはずがない。
 この世は、娑婆世界である。堪忍の世界──耐え忍ぶべき世界である。
どこへ行こうと、生きる苦しみは避けられない。避けられないなら、乗り越えるしかない。乗り越えるしかないのだから、楽しく、勢いよく生きよう。頑張り抜こう。題目をあげ抜いていこう。そういう「強い自分」をつくる以外に幸福はないのである。
 「信念の人生」──諸君もどうか、諸君自身が選んだこの使命の道で、立派な大満足の人生を建設していっていただきたい。

 

池田大作全集スピーチ(85) 関西第1回青年部記念総会 (1995年5月21日)

 

2016年12月26日

求道心を旺盛に能動的な信心に立て

 

<名聞名利にとらわれたら魔の眷属となる>

 

 妙法の眷属であれば、上げ潮の如く福運がついていく。いかなる立場の人であっても、見せかけの信心であり、名聞名利にとらわれるならば、魔の眷属となり、引き潮の如く、福運が消滅していくでしょう。
 信心だけは、決して役職によるものではない。どうか、いかに地味であろうが、どんな境遇であろうが、真面目に、純粋に、水の流れる如く、信心を貫き通した人が、大聖人の御賞賛にあうということを知っていただきたい。
 また、大聖人の仰せのままの信心、実践でいく人は、真実の大聖人の弟子であり、創価学会の宝であります。したがって、いよいよ求道心を旺盛に、受動的な信心ではなく、能動的な信心に立っていただきたい。

  
大白蓮華2016年3月号№797 26頁

2016年11月24日

創価班(完)
 創価班とは「一人立つ」広宣流布の責任者なり

 

 創価班とは「一人立つ」広宣流布の責任者なり。
 30年前(1986年)、創価班の総会を報ずる「聖教新聞」の見出しとして、私は「広宣流布の責任者たれ」との指標を贈った。
 君たちが、毎回の任務に当たって、「着任の誓い」を、皆で心一つに読み上げ、異体同心の団結で、絶対無事故の運営に臨んでくれていることも、私は知っている。その最後の一文には、「広宣流布の全責任を担い、地域の発展と勝利のために尽くす」とある。
 広布の新たな拡大の波動は、この「責任」を自覚した青年が一人立ち上がるところから始まる。
 「私が創価学会だ。何があろうとも、私は戦い続ける!」。この一人立つ王者の心が、この世で最も強く、最も尊いのだ。
 あの地でも、この地でも、わが創価班の君が、一人立ち上がる――これこそが、私の希望であり、喜びである。君の勝利が、私の勝利なのだ。
 全世界のいずこの場所であろうと、一人立つ諸君の生命と、私の生命とはつながっている。
 さあ、今日も、無名の尊き民衆の凱歌のため、破邪顕正の宝剣を掲げ、見事なる青春勝利の指揮を執ってくれ給え!
 全世界の若き地涌のスクラムの先頭に立って、新たな青年拡大の突破口を、断固と頼む。

 不二の弟子たる創価班、万歳!
 結成40周年おめでとう!

 勝利こそ
  わが後継の
    旗印
   君よ掲げよ
    師弟の大城に

 2016年11月2日
 「創価班結成記念日」を祝して

創価班新指導集『師弟の大城』 発刊の辞

2016年11月24日

創価班(3)
 創価班の「凱歌」こそ「民衆仏法の凱歌」なり

 

 創価班の「凱歌」こそ「民衆仏法の凱歌」なり。
 「熱原烈士を 身に移し」――この一節から「創価班歌」は始まる。
 無名の庶民が、理不尽極まる権力の弾圧に死を賭して戦い、不惜身命を貫き通した「熱原法難」の歴史。三烈士が殉教を遂げ、17人は追放の刑に処せられたが、一人として退転することはなかった。皆、入信間もなく、大聖人とお会いすることもなかった。しかし信仰は年数ではない。勇気で決まるのだ。
 大聖人御在世の本懐たる「民衆仏法の凱歌」を轟かせた熱原烈士の勇気を、そのまま受け継ぐのが、我ら創価の師弟である。
 「大法弘通慈折広宣流布」の大願に生き抜く学会を守ることが、「正義」を守ることであり、「民衆」を守ることである。
 ありとあらゆる三障四魔を打ち破りながら、創価の正義の民衆城を永遠に勝ち栄えさせゆくことこそが、一閻浮提広布を断絶させない唯一の道であることを、断じて忘れまい。

創価班の「栄光」は「冥の照覧」なり

 創価班の「栄光」は「冥の照覧」なり。
 わが恩師・戸田城聖先生は、常々、言われていた。
 「学会の青年は、将に将たる器にならなければならない」と。
 その訓練を、まさに創価班の先駆として、直接、恩師から受け切れたことが、私の青春の栄光である。
 「将に将たる器」――それは人知れず、人の何倍もの労苦を惜しまぬ青年に自ずと具わる王者の風格といってよい。
 誰が見ていなくとも、誠実に忍耐強く「陰の戦い」に徹するからこそ、皆の苦労が鏡に映すようにわかるようになる。職場でも、地域でも、最も大変な現場に勇敢に飛び込んで、苦しみ、もがき、悩みながらも、一歩も退かない。その流した汗と涙が、尊貴な生命の黄金の輝きと変わる。
 わが直系中の直系である君たちは、「冥の照覧」という仏法の因果の理法に則った創価班の薫陶を、宿縁深き同志と共に受け切りながら、真実の「将の将たる」人間指導者と育っていっていただきたい。
(つづく)

創価班新指導集『師弟の大城』 発刊の辞

2016年11月24日

創価班(2)


 創価班の「笑顔」は「不屈の魂」の光なり

 

 創価班の「笑顔」は「不屈の魂」の光なり。
 南米初の開催となったブラジル・リオデジャネイロでのオリンピック(2016年)には、地元リオから、創価班の友がフェンシングの種目で出場した。
 彼は23歳でブラジルのランキング1位となったが、経済的な理由からフェンシングを続けることが難しくなった。しかし、創価班の先輩に激励され、唱題と弘教に励んだ。肌身離さず創価班の指導集を持ち歩き、仕事と練習と学会活動に駆けた。その祈りと努力の中で、政府からの支援金の給付を勝ち取り、晴れやかな笑顔で世紀の大舞台に立つことができたのだ。
 苦難を勝ち越えゆく大闘争にこそ、信仰の真価は光る。50年前(1966年)、私がリオを初訪問した折、同志は軍事政権の下で誹謗の嵐に晒されていた。だが、「誓いは断じて果たす」との不撓不屈の題目を唱え抜き、わがリオの同志は「南米の常勝関西」と謳われる大発展を遂げたのである。
 いかなる艱難も、自身の飛躍の因と捉え、成長の糧とすることだ。その一念さえ揺るがなければ、必ず道は開ける。要は、確信の題目と行動だ。全ては、諸君が偉大な指導者と育ちゆくための試練なのだ。
(つづく)

創価班新指導集『師弟の大城』 発刊の辞

2016年11月3日

  創価班(1)

 

「創価」とは「勝利」の異名

 

 「創価」とは「勝利」の異名なり。
 ゆえに、その名を冠した「創価班」は、いずこにあっても、いついかなる時にあっても、「勝利」が宿命づけられている。
 この宿命を誓願の使命として胸を張る、おお、創価班の君よ! 君たちよ!
 雨にも寒風にも、凜として立つ爽やかな笑顔、そして、同志を守り抜くために、わずかな兆候も見逃さない真剣なまなざし。
 日本全国・全世界から宝友が集い来る広宣流布大誓堂の誓願勤行会も、「当起遠迎、当如敬仏(当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし)」(法華経677ページ)との精神で担い立ってくれている。
 来日した海外の創価班のメンバーが一緒に着任し、大誠実の振る舞いを共に学び合っているとも聞いた。
 折々に私が立ち寄る会館でも、創価班の丈夫が法城を厳護してくれていることが、何よりも頼もしい。

 

創価班の「青」とは「従藍而青」の青なり

 

 創価班の「青」とは「従藍而青」の青なり。
 日蓮大聖人は、若き南条時光の成長を深く喜ばれ、「藍よりも青し」と仰せになられた。
 藍という草から生まれ出る青は、重ねて染めることによって、藍にもまして色鮮やかに輝く。後を継ぐ弟子たちが、自分以上に立派に、そして陸続と成長してくれることこそが、師の祈りであり、喜びである。
 創価班の結成から40星霜。誇り高き先輩たちは、この「出藍の誉れ」の人材の流れを迸らせてくれた。従藍而青の青年の奔流は、励ましの水かさをいやましながら、今、世界広宣流布の滔々たる希望の大河となり、五大陸を潤し広がっている。

(つづく)


 創価班新指導集『師弟の大城』発刊の辞

2016年10月25日

民主主義の本質は、
民衆の幸福に尽くすことである

 

 <ハリジャン初のインド大統領
コチェリル・ラーマン・ナラヤナンに学ぶ>


地道な人間交流

 

 山本伸一は、その後もナラヤナン副総長との友誼を大切にしていった。日本で、インドで、出会いを重ねた。 
 ナラヤナン※は一九八四年(昭和五十九年)にケララ州から下院議員選挙に立候補し、当選する。外務担当国務大臣等を経て、九二年(平成四年)、友人の国会議員に強く推されて副大統領選へ。上下両院議員の選挙の結果、なんと賛成七百票、反対一票で副大統領に就任したのである。
 後年、伸一が、直接、その圧倒的な支持の理由を尋ねると、こう答えている。
 「大臣時代の仕事ぶりを認めてくれたのかもしれません。また、数年間、大臣ではなく一般の議員として仕事をしていましたが、その間に、ほとんどの議員と友好関係をもつことができました
 つまり、日ごろの行動、地道な陰の功労を皆が見ていて評価してくれたというのだ。また、人間対人間の交流を通して培ってきた信頼が、いざという時に花開いたといえよう。
 さらに彼は、インド独立五十周年にあたる九七年(同九年)七月、国会と州議会の議員約四千九百人による選挙で、有効投票数の約九五パーセントを得て大統領に就任。「不可触民」といわれ、差別されてきた最下層の出身者から、初めて大統領が誕生したのだ。
 新しき朝は来た。人間のつくった差別という歴史の闇を破るのは、人間の力である。
 その三カ月後の十月、インドを訪問した伸一は、大統領府を表敬訪問し、ナラヤナン大統領に長編詩「悠久なるインド 新世紀の夜明け」を贈った。
 また、二〇〇四年(同十六年)十月、伸一は二年前に大統領の任期を終えていたナラヤナンと、聖教新聞社で七年ぶり四度目の会談を行った。この日本滞在中、創価大学から名誉博士号が贈られている。
 「民主主義の本質は、民衆の幸福に尽くすことである」(注)――これは、ナラヤナンが大統領の任期を終えるにあたって議会で語った、ガンジーの不滅の言葉である。

 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 『マハトマ・ガンジー全集 90巻』インド政府出版局(英語)
※1920年10月27日生~2005年11月9日死去(サイト・マスタ)

 

小説新・人間革命 29巻 源流 45

2016年10月24日

成功とは理想の実現


 <20世紀最大のバレリーナアンナ・パブロワに学ぶ>

 

どこまでも、上へ、上へ! 
前へ、前へ!
それが人生だ。戦いである。

 日本におけるバレエの普及に貢献した恩人の一人に、ロシア出身の20世紀最大のバレリーナである、アンナ・パブロワ(1881年~1931年)がいる。
 「瀕死の白鳥」等の代表作で知られる彼女は語った。
 「私は、劇場に響きわたる拍手喝采が成功とは思いません。成功とは、自分の理想を実現することです
 自分が、人から喝采されるかどうかではない。
 自分自身が人々の苦悩や悲哀と戦い、感動と希望を贈る「使命の舞」を舞うために生き抜いたのである。
 彼女は、自身が成功した要因について、
 「すごいトレーニングに耐える強さと、完璧を期するまで、数千時間を費やす情熱を持っていました」と振り返っている。
 その最高峰の舞は、陰の壮絶な努力、果てしない練習の結晶であった。
 自分が決めた道を、まっすぐ歩みゆく信念の結実であった。
 パブロワは言う。
 「稽古に稽古を重ね、また、その後に続くのも稽古です」
 「私は踊らなくてはならないという思いに、いつもとりつかれております。自分の家の稽古場で練習しているときも、誰もいない真っ暗な舞台の上にたたずんでいるときも、ライムライトを浴びて観客の前に立つときも、どの時をとっても、この思いは同じです
 舞を舞う――それが私の天命だ。幸福だ。人生だ。いな、それが私自身なのだ。
 こう彼女は決めていた。だから、くじけなかった。
 どんな時でも、あきらめないで頑張った分だけ、大きな自分になれる。世界が広がる。
 自分らしく、伸び伸びと、使命の道を、どこまでも進むのだ。
 「もし、私が自分に対して満足し切ってしまうことがあったとしたら、私の可能性とかエネルギーは消え失せてしまうでしょう
 これも、パブロワの言葉だ。
 向上心を失って、「もう、これでいい」と現状に甘んじてしまえば、限りない自分の可能性を自ら閉ざすことになる。
 どこまでも、上へ、上へ! 前へ、前へ!―それが人生だ。戦いである。

 

2009年2月24日付聖教新聞(3面)2009年2月18日婦人部・女子部最高協議会でのスピーチ

2016年10月20日

苦労は全て偉大な使命に

 

 

<変毒為薬>

 

 『経に云く「或説己身或説他身」等云云即ち仏界所具の十界なり』(観心本尊抄、240ページ)
 ――法華経寿量品には「或は己身を説き、或は他身を説き、或は己身を示し、或は他身を示し、或は己事を示し、或は他事を示す」と説かれている。これは仏界に十界を具する文である。
 仏はわが身に十界のさまざまな姿を現しながら自在に法を説き、衆生を救っていく。十界を全て、民衆救済の智慧として生かしていくのだ。
 私たちもそうだ。自分が悩んだ分、悩む友の心が分かる。自ら労苦を惜しまないから、皆の苦労が分かる。
 苦難には深い意味がある。慈折広布の偉大な使命を果たすために必ず生かされる。これが変毒為薬の妙法だ。

 

御書と歩む――SGI会長が贈る指針 36

2016年10月14日

 「献身なき祈り」は

観念の遊戯

 

<ガンジーの「7つの罪」に学べ>

 

 人類の歴史が明白に示しているように、不当な侵略や支配、略奪、虐殺、戦争等々の暴力、武力がまかり通る弱肉強食の世界が、現実の世の中であった。
 そのなかで、マハトマ・ガンジーが非暴力、不服従を貫くことができたのは、人間への絶対の信頼があったからだ。さらにそこには「サティヤーグラハ」(真理の把握)という、いわば宗教的確信、信念があったからだ。
 ガンジーは、道場(アシュラム)での祈りに「南無妙法蓮華経」の題目を取り入れていたという。
 仏法は、十界互具、一念三千を説き、万人が仏性を具えているという永遠不変の真理を明かした教えである。その宗教的確信に立つ私たちには、ガンジーの非暴力運動を継承しうる、確かな精神的基盤がある。
 山本伸一は、ガンジーの碑に献花し、祈りを捧げながら、深く心に誓った。
 ――非暴力の象徴たる対話の力をもって、人類を結び、世界の平和を築くために、わが生涯を捧げていこう、と。
 さわやかな風が吹き渡り、木々が揺れた。
 献花のあと、一行は、管理者に案内され、園内を視察した。
 太陽の光を浴びて緑の樹木は輝き、色とりどりの花々が咲き乱れていた。
 敷地内の一角に、「七つの罪」と題したガンジーの戒めが、英語とヒンディー語で刻まれた碑があった。
 ――「理念なき政治」「労働なき富」「良心なき娯楽」「人格なき知識」「道徳なき商業」「人間性なき科学」「献身なき祈り」
 いずれも、ガンジーのいう真理に反するものであり、「悪」を生み出し、人間を不幸にしていく要因を、鋭くえぐり出している。
 伸一は、「献身なき祈り」を戒めている点に、ことのほか強い共感を覚えた。行為に結びつかない信仰は、観念の遊戯にすぎない。信仰は人格の革命をもたらし、さらに、人びとの幸福を願う献身の行為になっていくべきものだからだ

 小説新・人間革命 源流 35

2016年10月15日

 敵をも友に変えられるかどうか

 

<非暴力の厳しい試金石である>

 

 バジパイ外相は雄弁家として知られる。ジェスチャーも大きく、部屋中に響き渡る声で、アショーカの政治を、さらに、民衆と共に戦ったマハトマ・ガンジーの精神を語っていった。
  山本伸一は、ガンジーが民衆のなかに分け入り、対話を重ねたように、外相も、しばしばどこかへ出かけては、人びとと車座になって語り合い、真摯に耳を傾けていると聞いていた。そして、一例をあげれば、パスポートが発給されるまでに長い時間がかかり、人びとが困っていることを知ると、発給システムの改善に取り組んでいる。
  雄弁と饒舌とは異なる。人びとの心をつかむ雄弁は、皆の思いの代弁であり、一人ひとりの意見を忍耐強く聴く努力から始まる、熟慮と信念と情熱をもってする魂の叫びなのだ。
  外相は、詩人だが、観念の人ではなかった。行動の人であった。少年期から社会運動に身を投じ、民衆の啓発に心血を注いできた。
  インドの独立運動では、若くして投獄されもした。また近年も、与党であった勢力によって、獄につながれた。だが、その微笑には、不屈の精神がみなぎっていた。
  ガンジーは「最終的には、遺恨なく、敵をも友に変えられるかどうかが、非暴力の厳しい試金石である」(注)と記している。
  外相は、非暴力運動の精神を生かした政治や外交の在り方を、真剣に模索しているようであった。しかし、その道は、決して容易ではあるまい。インド亜大陸をめぐる大国の複雑な駆け引きもあり、パキスタンとの緊張も高まっている。この激浪のなかでの舵取りは、過酷な現実との格闘となろう。
  だからこそ外相には、アショーカやガンジーの精神を継承・堅持して、対話に徹し、新しい時代を開いてほしかった。
  バジパイ外相は、後に首相となり、長年、対立していた中国との関係を改善している。
  困難のなか、インドの未来を担い立とうとする外相との語らいは、伸一にとって忘れがたいものとなった。

 小説『新・人間革命』の引用文献
  注 KRISHNA KRIPALANI編『ALL MEN ARE BROTHERS』UNESCO(英語)

 

小説新・人間革命 源流 33

2016年9月21日

  葬式仏教

 

<日本宗教界の抱える問題>

 
 徳川幕府は、法論は「自讃毀他じさんきた(自分の宗旨を褒め、他宗をけなすこと)」であると、禁止した。そのため、布教しなくなった仏教各派は、信徒をつなぎとめ、寺院を維持するために、葬儀の執行、年忌法要と塔婆供養の奨励、盆と彼岸の墓参りの徹底などを行った。
 僧侶は、法要のたびに信徒から供養を受け、裕福になっていった。民衆は、たび重なる僧侶への供養や、寺院の修復・増築のための布施などの負担に苦しんだ。
 今も残る、僧侶批判のことわざには、民衆の強い不満がこめられている。「坊主丸もうけ」「憎い坊主の布施好み」「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」「布施の分だけ経を読む」「経も読まずに布施を取る」「地獄の沙汰も金次第」などである。
 民衆は、僧侶から利用され、搾取される対象でしかなくなった。個人の信仰心は失われ、仏教各派とも、葬式と法事が専門の「葬式仏教」となり、葬式坊主となっていった。檀家制度の内実は仏教を利用した「経済的収奪」にあった。
 宗門も、寛永十八年(一六四一年)に、三代将軍・徳川家光から朱印状を受けて、大石寺が本山として認められ、信徒の寺請(檀徒であることを証明すること)を実施している。大石寺門流は、それ以後、広宣流布への不惜の歩みを止め、葬儀や法事を行うのみの「葬式仏教」への道をたどっていった。
 檀信徒の多くも、信心を失った。自分で仏道修行するのではなく、何かあったら寺院へ行き、僧侶に頼んで拝んでもらうという、いわば″おすがり信仰″に堕落していった。
 現在でも、宗門の「教師必携」(住職クラスのテキスト)の中に、「病気平癒」「安産」「命名」「厄払い」「進学(合格)」「就職」「自動車(交通安全)」「旅行(安全)」「航海(安全)」等の祈念を受け付ける、と定めているのも、当時の名残である。
 祈りとして叶わざるなし」の御本尊に、自分自身が祈念し、解決していくのが、大聖人の仏法の実践である。祈祷師に頼むように、僧侶に拝んでもらう信仰など、邪道でしかない。
 日顕宗の僧侶の、封建的な思考と体質が、江戸時代と少しも変わっていないところに、今回の、「宗門の問題」の大きな淵源があるといえよう。
 近世仏教研究の第一人者である圭室たまむろ文雄・明治大学教授は「聖教新聞」に次のような声を寄せておられる。
 「今回の(宗門の)問題は、日本宗教界の抱える問題が図らずも出てきたものと位置付けられよう。宗祖の教えを正しく継承し活性化させる中で、檀家制度の古い枠組みを打ち破って新しいシステムを生み出すための改革が、今回の問題の重要な側面であると考える

 

  1992年12月17日中部での語らい

2016年9月13日

真の寛容


 真の寛容とは、
 人間の尊厳と平等性を脅かす
 暴力や抑圧を断じて許さず、
 万人尊敬の思想を掲げて、
 民衆を苦しめる魔性と
 戦うことである。
 そして「生命を手段化する思想」
 「人を差別・分断する思想」が
 広がっているならば、
 その精神的土壌となっている元凶を
 強く打ち破らなければならない。
 人々を不幸に陥れる無明との戦い。
 これが日蓮仏法の
 折伏精神の根幹にほかならない。

 

2016年9月11日付 池田SGI会長 四季の励まし(抜粋)

 

2016年9月6日

SGI会長がメッセージ(8月17日)各部代表者会議  

 

<新時代本門の大拡大を>

 

 世界広布新時代第34回の各部代表者会議が17日、東京・新宿区の常勝会館(本部第2別館内)で開催された。
 池田SGI会長はメッセージを贈り、「毎日、本当にご苦労さま!」と呼び掛け、とりわけ、全国各地の墓地公園・納骨堂などで追善法要の無事故の運営に当たった役員に心から感謝。「誰が見ていようがいまいが、尊い陰の奮闘に徹してくれている同志に、大拍手を送りたい」との真情を述べた。
 次いで、9月の青年部教学試験2級に向けて、真剣な研鑽の汗を流す友をたたえつつ、「『生死一大事の血脈』も、遠くにあるのではない。異体同心で題目を唱え、広宣流布の大願に進むわれら地涌の団結の中にのみ、脈々と流れ通うのだ。その要の中の要こそ、君たち広布のリーダーなのである」と力を込めた。
 さらに、先日のインド創価学会の交流団に続いて、世界の青年の代表が満々たる求道の心で、間もなく研修に来日することを紹介。「君たちが私の心を体し、誰よりも学会精神を燃え上がらせて歓迎してもらいたい。そして、共々に世界広布新時代の本門の大法弘通を開始してくれたまえ!」と期待した。
 ここで「末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり」(御書1304ページ)を拝読。相手が誰人であれ、一人一人の人間を最極の生命の宝塔と輝かせていけるのが弘教である。これほどの聖業は絶対になと訴えた。
 そして、戸田第2代会長の次の指導を紹介した。私たち創価学会は、地球上で最も尊厳な生命をどれだけ守り、どれだけの人に妙法を受持せしめ、どれだけの人を幸せにしたかということを数えるのである
 今再び、リーダーの率先垂範で、楽しく朗らかに、宝塔を林立させ、「新たな慈折広布の大波を起こそうではないか!と念願した。
 最後に「皆、夏の疲れをためないように! 題目を根本に、色心不二の賢人として、一流の次元の生活管理、健康管理を」と望み、メッセージを結んだ。

2016年8月18日聖教新聞

 

2016年9月3日

無疑曰信(後半)

 

信は理を求め、求めたる理は、信を深からしむ

 

疑問を明確にし、

実戦の中で徹底して考え抜いて、

心の底から納得することが、

信仰を深める

 

 私は19歳の時に信仰の道を志しました。
 初めて会ったばかりの一青年である私の率直な質問に対して、戸田先生は一つ一つ明快に答えてくださいました。先生が獄中闘争を勝ち越えられたことは後で知りましたが、一言一言に、金剛の如く確固たる哲学と人間性が脈打っていました。
 この人の言うことなら信じられる――そう直感して、私は入信しました。まずは師匠を信ずることによって妙法、御本尊への信が深まっていったのです。
 当然のことながら、若く、入信浅い私に、疑問はたくさんありました。しかし、戸田先生と出会って以来、人生と哲学の根本課題について、仏法ではどう答えるのか、思索を深める日々が続きました。
 先生は常々「信は理を求め、求めたる理は、信を深からしむ」と語られていました。この「理」とは、理論性とも言い換えられるでしょう。私の体験からいっても、疑問を明確にし、実戦の中で徹底して考え抜いて、心の底から納得することが、信仰を深めていきます
 「御義口伝」には、『信の外に解無く解の外に信無し』(725頁)ともあります。
 つまり、「信」を深めることで求道心が起こり、法理を学び実践し、体験を重ねる中で確信を強めていく。そして、生命の実感の上で、「疑いが無い」ことが「無疑」なのです。
 御文に戻れば、「無疑曰信」の「信の一字」の利剣によって、元品の無明を対治できると仰せです。
 元品の無明とは、自分の生命に仏の生命が具わることを信じられない根本的な迷いであり、“不信の生命”です。本質的に自分自身の尊厳を信じられないのですから、当然、他人の仏性も信じることができない。
 どんなに科学が進歩した時代になっても、この問題は解決できません。不信と憎悪が渦巻く現代社会にあって、自他共に尊極の生命を輝かせ、真実の喜びの人生を築く道を教えているのが仏法です。
 この元品の無明を断ち切る「利剣」こそ信心なのです。

 

大白蓮華2016年9月号№803 42~44頁

2016年9月1日2日

無疑曰信(前半)

 

<何があろうが紛動されることなく、

どこまでも御本尊を信じて疑わない信心>

   

 『此の本法を受持するは信の一字なり、元品の無明を対治する利剣は信の一字なり無疑曰信の釈之を思ふ可し』(御義口伝巻上、751頁)
 私たちの「信」の姿勢で、もう一つ大事な点があります。それが、「無疑曰信」です。
 「御義口伝」では、元品の無明という根本の迷いを断ち切る利剣もまた、「信の一字」であると仰せです。その際に、「信」とは何かという点について、天台大師の「法華文句」にある「無疑曰信」という言葉を引かれています。
 「無疑曰信」とは「疑い無きを信と曰う」と読み、何があろうが紛動されることなく、どこまでも御本尊を信じて疑わない信心のことです。
 一方は、「有解無信」、つまり教えを理解していたとしても、心では信じていないこともあります。『有解無信とて法門をば解りて信心なき者は更に成仏すべからず』(1443頁)と喝破されている通り、どんなに難解な法理を頭で理解していたとしても、それだけでは、一生成仏はかなわないのです。
 そこで、この「無疑」とはどういうことか。
 「無疑」とは文字通り、「疑いが無い」という意味です。言い換えれば、「心から納得できる」とも言えるでしょう。それは、「疑わない」、すなわち「不疑」とは異なります。
 もし宗教が疑いを持つこと自体を否定するならば、人間本来の伸びやかな精神は失われてしまう。そうした、精神の営みを否定する宗教では社会から遊離し、独善や狂信に陥ってしまう危険性があります。

 

 大白蓮華2016年9月号№803 42頁

2016年8月21日

インドの多様性

 

<世界連邦への可能性、

人類の平和の縮図

  

 霧島連山は冬の雲に覆われ、薄日が差したかと思うと、雪がちらつくといった、安定しない天気であった。
 一九七九年(昭和五十四年)二月一日、山本伸一は鹿児島県の九州研修道場にいた。三日には鹿児島を発ち、香港を経てインドを公式訪問することになっていたのである。
 伸一は、五年前の七四年(同四十九年)の二月と十月に、シルベンガダ・タン駐日インド大使と会談し、日印の友好・文化交流について語り合った。その二度の会談で、大使からインド訪問の要請があったのである。
 そして、翌七五年(同五十年)二月、在日インド大使館を通じて、インド文化関係評議会(ICCR)から正式に招待したい旨の書簡が届いた。さらに十二月、タン大使の後任であるエリック・ゴンザルベス大使と伸一が会談した際にも、あらためてインドへの公式訪問を求められたのである。
 伸一は、インド側の友情と誠意に応えようと準備を進めてきた。そして、この年二月の訪問が実現の運びとなったのであった。
 インドは、中国と並んで巨大な人口を擁する大国であり、宗教も、八割を占めるヒンズー教のほか、イスラム教、キリスト教、シーク教、ジャイナ教、仏教などがある。また、多民族、多言語で、インドの憲法では、十四言語(当時)を地方公用語として認めている。
 その多様性に富んだ、“世界連邦”ともいうべきインドの興隆は、人類の平和の縮図となり、象徴になると伸一は考えていた。また、何よりもインドは仏教発祥の国である。そこに彼は、大恩を感じていたのである。
 ゆえに、民間人の立場から、日印の文化交流を強力に推進する道を開き、インドの発展に貢献しようと決意していたのだ。
 インドの生んだ詩聖タゴールは訴えた。
 「人類が為し得る最高のものは路の建設者になることであります。しかしその路は私益や権力の為の路ではなくて、人々の心が異なれる国々の兄弟達の心に通うことの出来る路なのであります」(注)

 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 タゴール講演集『古の道』北昤吉訳、プラトン社=現代表記に改めた。

 

 小説新・人間革命 29巻 第3章 清新56

2016年8月20日

強くするか、

善くするか、

賢くするか、

そして人類に貢献するか

 

<人道的競争

 

宗教には、

平和と幸福を創造する使命と責任がある

 

 時代が変動していくなかで、宗教には、人びとの精神に、平和と幸福を創造する智慧の光を送り続ける使命と責任がある。
 そのために宗教者には、共に最高の真理を探究し続け、教えを自ら比較、検証し、切磋琢磨していく向上への努力が不可欠となる。それを欠いた宗教は、社会から遊離したものになりかねない。
 では、宗教を比較、検証するうえで求められる尺度とは何であろうか。平易に表現すれば、「人間を強くするのか、弱くするのか」「善くするのか、悪くするのか」「賢くするのか、愚かにするのか」に要約されよう。
 また、宗教同士は、人類のためにどれだけ貢献できるかを競い合っていくことだ。つまり、初代会長・牧口常三郎が提唱しているように、「人道的競争」に力を注いでいくのだ。武力などで相手を威服させるのではなく、自他共の幸福のために何をし、世界平和のためにどれだけ有為な人材を送り出したかなどをもって、共感、感服を勝ち取っていくのである。
 さらに、人類の平和、幸福のために必要な場合には、宗教の違いを超えて協力し合い、連帯していくことも大事である。
 山本伸一は、本年、「七つの鐘」が鳴り終わることを思うと、未来へ、未来へと思索は広がり、二十一世紀へ向かって、人類の平和のために学会が、宗教が、進むべき道について考えざるをえなかった。そして、宗教の在り方などをめぐっての、ウィルソン教授との意見交換を大切にしていきたいと思った。
 伸一と教授は、その後、ヨーロッパで、日本で対談を重ね、また書簡をもって意見交換し、一九八四年(昭和五十九年)秋、英語版の対談集『社会と宗教』をイギリスのマクドナルド社から発刊する。翌年には、日本語版を講談社から刊行。それは、多くの言語に翻訳、出版されていった。
 西洋と日本、宗教社会学者と宗教指導者という、立場の異なる両者の対話であったが、人類の未来を展望しての精神の共鳴音は、鮮やかな響きを奏でたのである。

 小説新・人間革命 29巻 第3章 清新55

2016年8月19日

元品の無明との戦いが我らの使命

「信」か「不信」かの生命の対決

 

<皆が等しく平和を希求

  

 人類は、往々にして紛糾する事態の解決策を武力に求めてきた。それが最も手っ取り早く有効な方法と考えられてきたからだ。しかし、武力の行使は、事態をますます泥沼化させ、怨念と憎悪を募らせたにすぎず、なんら問題の解決にはなり得なかった。
 一方、対話による戦争状態の打開や差別の撤廃は、人間の心を感化していく内的な生命変革の作業である。したがって、それは漸進的であり、忍耐、根気強さが求められる。
 ひとたび紛争や戦争が起こり、報復が繰り返され、凄惨な殺戮が恒常化すると、ともすれば、対話によって平和の道を開いていくことに無力さを感じ、あきらめと絶望を覚えてしまいがちである。
 実は、そこに平和への最大の関門がある。
 仏法の眼から見た時、その絶望の深淵に横たわっているのは、人間に宿る仏性を信じ切ることのできない根本的な生命の迷い、すなわち元品の無明にほかならない。世界の恒久平和の実現とは、見方を変えれば、人間の無明との対決である。つまり、究極的には人間を信じられるかどうかにかかっており、「信」か「不信」かの生命の対決といってよい。
 そこに、私たち仏法者の、平和建設への大きな使命があることを知らねばならない。
 山本伸一は、中ソ紛争や東西冷戦の時も、ソ連のコスイギン首相、中国の周恩来総理、アメリカのキッシンジャー国務長官など各国首脳と、平和を願う仏法者として積極的に会談を重ねてきた。
 また、宗教間対話、文明間対話に力を注ぎ、二十一世紀の今日にいたるまでに、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教、さらに社会主義国等の、指導者や学識者らと率直に対話し、意見を交換してきた。
 そのなかで強く実感したことは、宗教、イデオロギー、国家、民族は違っても、皆が等しく平和を希求しているという事実であり、同じ人間であるとの座標軸が定まれば、平和という図表を描くことは、決して不可能ではないということだ。

 

 小説新・人間革命 29巻 第3章 清新54

2016年8月18日

いかなる宗教の人をも、

尊敬をもって接していくのです

 

<万人成仏の仏法であるからこそ

  

 人間は――誰もが等しく、尊厳なる、かけがえのない存在である。誰もが等しく、幸福になる権利がある。誰もが等しく、平和に暮らす権利がある。本来、いかなる者も、人の幸福と平和を奪うことなどできない。
 これは、一切衆生が仏の生命を具えていることを説く、仏法の法理から導き出された帰結であるが、人間の救済をめざす一切の思想・宗教の立脚点にほかなるまい。
 戸田城聖が語ったように、キリストやムハンマドなど、世の賢聖たちは、宗教的・思想的信条の違いはあっても、人間の幸福こそ根本目的であるということには瞬時に合意しよう。そして、ここを起点として対話を重ね、複雑に絡み合った偏見、差別、反目、憎悪の歴史の糸をほぐし、共存共栄の平和図を描き上げていくにちがいない。
 人類の幸福と平和のために宗教者に求められることは、教えの違いはあっても、それぞれの出発点となった“救済”の心に対して、互いに敬意を払い、人類のかかえる諸問題への取り組みを開始することであろう。
 ましてや、日蓮仏法が基盤とする法華経は、万人が仏の生命を具えた、尊厳無比なる存在であると説く。ゆえに、いかなる宗教の人をも、尊敬をもって接していくのが、その教えを奉ずる私たちの生き方である。
 戸田が提唱した、人間は同じ地球民族であるとの「地球民族主義」の主張は、その魔性に抗する、人類結合の思想にほかならない。
 宗教者が返るべきは、あらゆる差異を払った「人間」「生命」という原点であり、この普遍の共通項に立脚した対話こそ、迂遠のようであるが、相互不信から相互理解へ、分断から結合へ、反目から友情へと大きく舵を切る平和創造の力となる。

 

 小説新・人間革命 29巻 第3章 清新52

2016年8月17日

民族・宗教・文明間の対話を

どこまでも人類の幸福を追求

 

創始者の原点に戻れ、後輩よ無私になれ!

 

 一九七九年(昭和五十四年)当時、世界は東西冷戦の暗雲に覆われていた。そして、その雲の下には、大国の圧力によって封じ込められてはいたが、民族、宗教の対立の火種があった。東西の対立は終わらせねばならない。だが、そのあとに、民族・宗教間の対立が一挙に火を噴き、人類の前途に立ちふさがる、平和への新たな難問となりかねないことを、山本伸一は憂慮していた。
 その解決のためには、民族・宗教・文明間に、国家・政治レベルだけでなく、幾重にも対話の橋を架けることだと、彼は思った。
 戸田城聖が第二代会長であった五六年(同三十一年)、ハンガリーにソ連が軍事介入し、親ソ政権を打ち立てたハンガリー事件が起こった。東西両陣営の緊張を背景にした事件である。この時、戸田は、一日も早く、地上からこうした悲惨事のない世界をつくりたいと念願し、筆を執った。
 「民主主義にもせよ、共産主義にもせよ、相争うために考えられたものではないと吾人は断言する。しかるに、この二つの思想が、地球において、政治に、経済に、相争うものをつくりつつあることは、悲しむべき事実である」(注1)
 人間の幸せのために生まれた思想と思想とが、なぜ争いを生むのか――その矛盾に、戸田は真っ向から切り込んでいった。
 「ここに、釈迦の存在とキリストの存在とマホメット(ムハンマド)の存在とを考えてみるとき、またこれ、相争うべきものではないはずである。もし、これらの聖者が一堂に会するとすれば、またその会見に、マルクスも、あるいはリカードもともに加わったとするならば、いや、カントも天台大師も加わって大会議を開いたとすれば、けっしてこんなまちがった協議をしないであろう」(注2)
 彼は、相争う現実を生んだ要因について、思想・宗教の創始者という「大先輩の意見を正しく受け入れられないために、利己心と嫉妬と、怒りにかられつつ、大衆をまちがわせているのではなかろうか」(注3)と述べる。                

 小説『新・人間革命』語句の解説
 ◎キリストなど/キリスト(紀元前四年頃~紀元後三〇年頃)は、キリスト教の創始者イエスのこと。マホメット(五七〇年頃~六三二年)は、イスラム教の開祖。アラビア語名をムハンマドという。マルクス(一八一八~八三年)は、ドイツの経済学者・思想家で科学的社会主義の創始者。「資本論」を著した。リカード(一七七二~一八二三年)は、イギリスの経済学者。労働価値説などを展開した、古典学派の代表者。カント(一七二四~一八〇四年)は、ドイツの哲学者。批判哲学を提唱した。天台大師(五三八~五九七年)は、中国天台宗の実質的な開祖。法華経の理の一念三千を明かした。

 引用文献
 注1、2、3 「仏法で民衆を救済」(『戸田城聖全集3』所収)聖教新聞社

 

 小説新・人間革命 29巻 第3章 清新52

2016年8月16日

念仏の大罪(2)

  

 日蓮大聖人が「立正安国論」を認められた当時の鎌倉は、大地震が頻発し、飢饉が打ち続き、疫病が蔓延していた。
 時代を問わず、人は最悪な事態が続くと、自分のいる環境、社会に絶望し、“もう、何をしてもだめだ”との思いをいだき、“この苦しい現実からなんとか逃れたい”と考えてしまいがちなものだ。
 そして、今いる場所で、努力、工夫を重ねて現状を打破していくのではなく、投げやりになったり、受動的に物事を受けとめるだけになったりしてしまう。その結果、不幸の連鎖を引き起こしていくことになる。
 それは、鎌倉時代における、「西方浄土」を求める現実逃避、「他力本願」という自己努力の放棄などと、軌を一にするとはいえまいか。いわば、念仏思想とは、人間が困難に追い込まれ、苦悩に沈んだ時に陥りがちな、生命傾向の象徴的な類型でもある。
 つまり、人は、念仏的志向を生命の働きとしてもっているからこそ、念仏に同調していくのである。大聖人は、念仏破折をもって、あきらめ、現実逃避、無気力といった、人間の生命に内在し、結果的に人を不幸にしていく“弱さ”の根を絶とうとされたのである。
 大聖人は叫ばれている。
 「法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去って彼に行くには非ざるなり」(御書七八一ページ)と。
 南無妙法蓮華経と唱え、信心に励むところが、成仏へと至る仏道修行の場所となるのだ。自分の今いるところを去って、どこかにいくのではない。この荒れ狂う現実のなかで、生命力をたぎらせ、幸福を築き上げていく道を教えているのが日蓮大聖人の仏法である。 

 

 小説新・人間革命 29巻 第3章 清新50(抜粋)

2016年8月14日

念仏の大罪(1)

  

 日蓮大聖人は、建長五年(一二五三年)四月二十八日、清澄寺で立宗宣言された折の最初の説法から、既に念仏の教えの誤りを指摘されている。当時、念仏信仰は、民衆の易行として諸宗が認めていたことに加え、専修念仏を説く法然の門下によって弘められ、大流行していたのである。
 易行は、難行に対する語で、易しい修行を意味する。また、専修念仏とは、ただひたすら念仏を称えることによって、死して後に、西方極楽浄土に行けるという教えである。
 世間には飢饉、疫病などが広がり、末法思想に基づく厭世主義が蔓延していた。この世を「穢土」とし、西方十万億土という他土での往生のみに救いがあるという念仏信仰に、人びとの心は傾斜していった。
 しかし、その教えは、人びとを現実から逃避させ、他力のみにすがらせ、無気力にさせる。つまり、幸福に向かって自ら努力することを放棄させ、社会の向上、発展への意欲を奪い取っていった。まさに、人間を弱くする働きをなしたのである。
 しかも、法然は、法華経を含め、念仏以外の一切の教えを「捨閉閣抛」、すなわち「捨てよ、閉じよ、閣け、抛て」と説いていた。文証、理証、現証のいずれをも無視した、この独善的で排他的な主張を、法然門下の弟子たちは盛んに繰り返してきたのである。
 法華経は、皆が等しく仏の生命を具えていることを説き明かした万人成仏の教えである。法華経以外の教えが、生命の部分観にすぎないのに対して、生命を余すところなく説き明かした円教の教えである。
 このころ、法然の弟子である念仏僧は、幕府の権力者に取り入って、念仏は、ますます隆盛を誇りつつあった。それを放置しておけば、正法が踏みにじられ、民衆の苦悩は、ますます深刻化していく。
 ゆえに大聖人は、「立正安国論」を幕府の実権を握っていた北条時頼に提出し、そのなかで、世の混乱と不幸の元凶が念仏にあることを説き、諫めたのである。

 

 小説新・人間革命 29巻 第3章 清新49

2016年8月4日

時を最も有効に活用できる人こそが

人生の勝利者

 

<真剣な唱題で大生命力を>

 

課題や仕事で多忙な時は
行う順番をスケジュール化

 

  青森文化会館を後にした山本伸一が、三沢会館を初訪問して、空路、東京に戻ったのは午後三時半過ぎであった。
 彼には、二月初めから十八日間にわたる香港・インド訪問が控えていた。その準備とともに、新年の出発となる本部幹部会や全国県長会議、本部職員の会合、東京支部長会など、定例の諸行事も間断なく組まれている。また、その間に、国際宗教社会学会の会長を務めたオックスフォード大学のブライアン・R・ウィルソン社会学教授との会談や、アビタール・シン駐日インド大使との会談も予定されていた。
 広宣流布、世界平和の実現をわが使命と定め、その潮流を起こしていくには、なさねばならぬことはあまりにも多かった。まさに体が幾つあっても足りない状況である。しかし伸一は、常にそれを着実にこなしていった。
 時として人は、一度に幾つもの大きな課題を抱え込むと、気ばかりが焦り、結局は、何も手につかなくなり、ギブアップしてしまうことがある。
 人間が、一時にできるのは一つのことだ。ゆえに、さまざまな課題や仕事が一挙に降りかかってきた場合には、行う順番を決め、綿密なスケジュールを組んで、一瞬一瞬、一つ一つの事柄に全精魂を傾け、完璧に仕上げていくことである。
 それには、大いなる生命力が必要となる。そのために、真剣な唱題が大事になる。
 伸一の日々は、多忙を極めていたが、傍目には、いつも悠々としているように見えた。青年時代から戸田城聖のもとで激務をこなし、億劫の辛労を尽くすなかで、困難な幾つもの課題を成し遂げていく力を培ってきたからだ。まさに師の訓練の賜物であった。労苦なくして人間を磨くことはできない。
 「時は生命だ」(注)とは、文豪・魯迅の言葉である。
 時間をいかに使うか――それは、人生で何ができるかにつながっていく。時を最も有効に活用できる人こそが人生の勝利者となる。
 
 小説『新・人間革命』語句の解説
 ◎億劫の辛労を尽くす/「御義口伝」の言葉。億劫という長遠な時間にわたる辛労を、一瞬に凝縮したような精進を重ねること。
※引用文献
 注 『魯迅全集8』今村与志雄訳、学習研究社

  

小説新・人間革命 29巻 第3章 清新42

2016年7月23日

「信心」と「実践」

 

<純粋にして強き信心は、

おのずから、果敢にして忍耐強い実践につながっていく>

 

 山本伸一は、この日、「信心」と「実践」の関係について語っていった。
 「正しい仏道修行には、『信』と『行』の両方が、正しく備わっていなければなりません。『信』とは、御本尊を信じ抜いていくことです。『行』とは、自ら唱題に励むとともに、人にも正しい仏法を教えていく、折伏・弘教であり、現代でいえば学会活動です。
 たとえ、御本尊を信受していたとしても、信心の実践、すなわち具体的な修行をおろそかにしては、本物の信心とはいえません。
 青森から東京へ行こうとしても、ただ思っているだけでは、到着することはない。行動を起こし、実践があってこそ、目的を果たすことができる。また、せっかく行動に移し、出発したとしても、途中で止まってしまえば、東京へは着きません。
 同様に、信心も観念的で中途半端なものに終わってはならない。実践がなければ、功徳の体験を積めず、強い確信を育むこともできない。そして、何かあると縁に紛動され、退転してしまうことになりかねません。それに対して、実践の人は、いざという時に強い。
 その実践は、大聖人が『行学は信心よりをこるべく候』(御書一三六一ページ)と仰せのように、『行』も、『学』すなわち教学の研鑽も、御本尊への強い『信』から出発するものでなければならない。
 『信』なき実践は、一生懸命に動いていても、形式的なものになり、惰性化し、次第に歓喜も失われていってしまいます。
 ともあれ、純粋にして強き信心は、おのずから、果敢にして忍耐強い実践につながっていく。『我もいたし人をも教化候へ』(同)の御聖訓のごとく、自行化他にわたる実践を展開し、この東北の天地から、新しい広布の光を放っていただきたいのであります」
 風雪は、ともすれば人の行動を奪う。しかし、東北の同志は、吹雪にさっそうと胸を張り、広宣流布に戦い抜いてきた。その粘り強い実践を貫き通していくならば、愛する「みちのく」に、必ず陽光輝く清新の春は来る。

 

小説新・人間革命29巻第3章清新32

2016年7月22日

日々、絶えざる革新を!

 

<形式に安住せず、改善の努力を!>

 

 青森・秋田合同の代表幹部会は、一月十四日の午後一時半から青森文化会館で開催された。参加者は、降りしきる雪のなか、頰を紅潮させ、喜々として集って来た。
 山本伸一は、ここでも自ら司会を務めた。青森県長の加取伸介のあいさつに入る前に、伸一は皆に提案した。
 「岩手県でもそうしましたが、登壇する幹部には、原稿を見ないで話をしてもらいましょう。ただ原稿を読み上げたのでは、政治家のお決まりの答弁みたいで、つまらないでしょ。賛成の人?」
 大拍手が広がった。
 彼は、皆の日ごろの苦労が吹き飛び、体が軽くなるような、楽しく、愉快な、人間味あふれる会合にしたかったのである。
 加取も、秋田県長の千藤泰晴も、自分の言葉で今日を迎えた喜びと郷土建設への決意を語った。その素朴な表現が皆の心を打った。
 次いで、副会長の青田進が、青森県に地域本部制が敷かれ、青森、八戸、弘前の三地域本部でスタートすることを発表し、人事を紹介した。一方、秋田県では、秋田圏に新圏長が誕生したことなどを伝えた。
 代表抱負となった。伸一は、「決まった人だと面白くないから、隣にいる新任の方にお願いしましょう」と言った。大変なのは、指名された人であった。抱負を語るはずが、「大任を拝しまして、どうしたらいいのか本当に迷っております。でも、頑張ります!」と、率直に心境を吐露する幹部もいた。
 大爆笑が起こった。
 形式に則ることは、もちろん必要である。しかし、形式だけに寄りかかってしまうと、型通りにやっていればよいという考えに陥ってしまい、工夫も怠り、マンネリ化が始まる。
 生き生きと広宣流布の運動を進めていくには、日々、絶えざる革新が必要である。
 形式に安住して、ともすれば改善の努力を忘れてしまう惰性化した心を、伸一は打ち破っておきたかったのである。創価とは、間断なき価値創造であるからだ。

小説新・人間革命29巻第3章清新31

2016年1月4日5日

一家和楽こそ「世界平和の縮図」

  

 「和楽」という、世界平和の縮図を実現するために、いかにあるべきか。
 第一は、自らが「家庭の太陽」となって、慈悲の陽光で皆を包むことです。
 第二は、親子、夫婦という家族の絆、三世の宿縁であることを知って、互いに尊敬し合うことです。そして
 第三は、社会に貢献していくことと、その後継の流れを創り出すことです。

 

大白蓮華2016.1月号795号 世界を照らす 太陽の仏法 30頁

2016年1月元旦

寿

謹賀新年

 

「世界広布新時代 拡大の年」

 

<拡大の要諦>

 

 いよいよ「世界広布新時代 拡大の年」だ。
 励まし の大地に、仏縁の拡大、友好の拡大、青年の拡大、人材の拡大の爛漫たる花を!
 そのための要諦は何だろうか。それは
 第一に「祈り」の拡大である。
 第二に自身の「境涯」の拡大である。そして
 第三に「勇気」の拡大である。
 「祈り」「境涯」「勇気」――この三つの拡大を通して、わが人生と地域と世界の新時代を、朗らかに邁進していこう!
 日蓮大聖人は門下に『各各師子王の心を取り出して』(御書1190頁)と仰せである。
 いかなる「苦難の冬」にも師子王の心で敢然と挑み、我らは幸福の春風を大きく広げ、世界平和という「地球の春」「人類の春」を呼ぶのだ。(中略)

 

 大歓喜
  生命の讃歌を
   人類へ
  贈り広げむ
   新たな年も

 

2015年12月25日付 民衆凱歌の大行進30=完 栄光と歓喜の歌を共に

2015年12月28日

「わが地域の学会員は一人のこらず、

絶対に幸福にしてみせる!」 

その祈りで、一生懸命、尽くしていきなさい。

 

<依法不依人> 

 

自分のエゴなんか、

かなぐり捨てなければ、

戦いはできない。

勝つか負けるか。

死ぬか生きるか、

それが勝負です。

甘く考えたら、

とんでもないことになる。

 

  

 私は毎日、ただ「広宣流布」と、会員の皆さまの「健康」「長寿」「繁栄」「多幸」を、それだけを祈っている。これが私の根本的責任であり、使命であると自覚しています。
 責任者というものは、簡単なものではない。(中国の周恩来総理夫人の)鄧穎超とうえいちょうさんの言葉は忘れられない。「前も敵でした。後ろも敵でした。毎日、毎日が、そうでした。何十年間、そうでした。私たちは戦いました」と。
 創価学会も同じです。すべてが敵だった。政治家も、坊主も、マスコミも、反逆者、全部が連合軍になって、民衆の行進を弾圧し、私を狙い撃ちにしてきた。
 ありとあらゆる卑劣な手段を使って。それを一人、戦い、乗り越え、会員を守って私は生きてきた。
 来る日も来る日も、一瞬の油断もしなかった。できなかった。そして晴れ晴れと、創価学会を世界的な王者の団体にしました。
 ただ御本尊に「広宣流布の希望の道を無限に開かせたまえ」と祈ってきた。幹部も、同じ心であっていただきたい。その「心」がなくなったら官僚主義です。
 わが地域の学会員は一人のこらず、絶対に幸福にしてみせる! その祈りで、一生懸命、尽くしていきなさい。
 自分のエゴなんか、かなぐり捨てなければ、戦いはできない。勝つか負けるか。死ぬか生きるか、それが勝負です。甘く考えたら、とんでもないことになる。
 私の母校・富士短期大学(=当時は大世学院、現・東京富士短期大学部)の創立者・高田勇道ゆうみち先生は、亡くなる一カ月前に、こう遺言された。「教育とは学生に生命を与えてゆくことである
 崇高です。教育とは学生に我が生命を捧げることだと決めておられた。学生・生徒を「わが子」と同じように、否、わが子を後まわしにし、犠牲にしてでも、最大に大切にし、愛し、尽くしていけるか否か。それで、まことの人間教育者か否かが決まる。
 広布の指導者も同じです。
 「広宣流布」をしているのは、この地球では創価学会しかない。唯一の仏意仏勅の団体です。学会の広宣流布の組織が、どれほど尊いか。
 広宣流布に進む学会の軌道は、ある意味で「法」です。この法に則って進むことによって、自分の成仏、人間革命がある。「公転」と「自転」の関係てす。
 自分中心は、自転だけあって、公転がないようなものだ。いいように見えて、宇宙の軌道から外れ、寂しき生命の孤児になってしまう。自分中心でなく、法が中心でなければならない。「依法不依人(法に依って人に依らざれ)」です。

法華経の智慧 観世音菩薩普門品 第二十五章

2015年12月15日16日

 簡単にできたものは、
 簡単に崩れてしまう。

 

<「着実」と「誠実」と「忍耐」>


 簡単にできたものは、
 簡単に崩れてしまう。
 だれも見ていなくても、
 地道に、水の流れるように、
 一歩一歩、苦労しながら、
 堅実に進んでいく。
 そこに
 揺るがぬ地盤が築かれていく。
 「着実」と「誠実」と「忍耐」
 ――ここに、人間の強さがあり、
 歴史があり、原動力がある。

 

2015.12.13付聖教新聞 光の言葉 幸福の曲(抜粋)

2015年12月13日14日

「世界広布新時代 拡大の年」を

思い切り戦おうではないか!

 

今生人界の思出なるべき> 


拡大の旗高く前進!前進!


 わが故郷であり、恩師・戸田先生と初めてお会いした東京・大田区に立つ文化会館を、久方ぶりに訪れた。(2015年10月9日)。
 恩師記念室で勤行・唱題し、愛する大田の同志、そして全国・全世界の創価家族の健康・幸福・勝利を強く深く祈念した。
 蒲田支部が弘教で壁を破った「2月闘争」の歴史を留める展示を、妻と懐かしく拝見した。
 誉れある「蒲田支部旗」と男子部の「第1部隊旗」もあった。
 当時、私は、師と不二の心で拡大の突破口を開いた。
 前進! 前進! 喜びあふれる共戦の友の声が蘇ってくるようだった。

 今再び、広宣の拡大の旗を高く掲げて進みたい。
 『南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき』(御書467頁)
 広布に戦った思い出は、後になるほど輝きを増す。仏縁を結んだ人は、大事な眷属となる。
 この一年、新しい地涌の人材が陸続と立ち上がった。皆、本当によく頑張ってくれている。
 日蓮大聖人は、池上兄弟と夫人たちの信心の団結を『未来までの物語として、これ以上に素晴らしいものはない』(同1086頁、通解)と賞賛された。
 いついつまでも讃えられる、私たちの“勝利の物語”を、仲良く朗らかに綴っていきたい。
 戸田先生は、逆境と闘う友を励まされた。「苦しみが大きければ、大きいほど、その後にくる楽しみも大きい。苦しさと、真正面からぶつかって、南無妙法蓮華経と唱え切りなさい。どんなときも、御本尊を忘れるな
 いかなる宿業をも断ち切る利剣が、題目と折伏である。
 さあ明年へ、広布と人生の希望の旗をともどもに掲げよう!
 寒いので、体を大事に。
 法のため、友のため、社会のため、未来のために、思い切り戦おうではないか!

2015年12月12日付聖教新聞新「時代を駆ける」 37

2015年10月25日

「知力」と「創造力」と「誠実」で勝て!

 

 これからは、
 人間自身の持つ、
 いな人間のみが持つ
 「知力」と「創造力」が
 勝負を決する時代だ。
 「以信代慧(信を以て慧に代う)」の
 生命哲理を持っている人生が
 どれほど強いか。
 勇敢なる信心がある限り、
 智慧は尽きることがない。

 

 「誠実」こそ宝である。
 策でもない。
 命令でも、号令でもない。
 「誠実」こそが人を動かす。
 長い目で見た時には、
 必ず誠実の人が勝っている。
 そして状況が変わろうとも、
 我が胸中の誠は、
 誰人も奪うことはできない。

 

 2015.10.25付聖教新聞 光の言葉 幸福の曲

世界広布新時代

創立90周年へ

前進・人材の年

(2020年)

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

更新日

2020.6.1

第1682回

  

日天月天ワンショット

日めくり人間革命URL