一人を大切に

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2022年5月11日

第1995回

会員を大事にして、

 大事にして、

 大事にしぬいてきた

 

徹して一人を大切に>

 

  最高の楽しき和合の世界をつくる。そのための信心であり、そのための組織である。この創価の「師弟の世界」、真実の「和合の世界」を永遠に崩してはならない。崩させてはならない。

 

 私は、どこまでも会員第一で進んできた。

 会員を大事にして、

 大事にして、

 大事にしぬいてきた。

 この一点は、御本尊に誓って断言できる。

 徹して一人を大切に――深き同志愛こそ学会の魂である。

 

 尊き仏子である同志に対して、いばったり、いやな思いをさせては絶対にならない。

 同志を苦しめる悪人は仏法上、「破和合僧」の大罪であるからだ。

 戸田先生は、「敵は内部だよ」と厳しく言われた。その言葉のとおり、私利私欲におぼれた不知恩の反逆者が出た。

 そして御書に「外道・悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等・必ず仏法を破るべし師子身中の虫の師子を食」と仰せのとおり、大聖人に違背した日顕宗が出たことは、皆さま、ご存じのとおりである。

 こうした広布破壊の大悪を、われわれは断固として許すことなく、永遠に、「異体同心の団結」で前進してまいりたい。

 

2005.2.11方面長協議会

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2022年1月30日

第1885回

 「目の前の一人」を幸福に

 

 

 なぜ、語り掛けるのか?

 それは、

 「目の前の一人」を

 幸福にするためである。

 これが釈尊以来の

 仏教の根本精神であり、

 そして、末法の御本仏・

 日蓮大聖人に貫かれ、

 わが創価学会が

 受け継いでいる

 仏の根幹の願いである。

 「伝統の二月闘争」は、

 地涌の使命に目覚めた

 一人一人が、決然と

 立ち上がって始まった、

 痛快なる

 対話の拡大劇である。

 

 あの友の幸福を、

 わが後輩の成長を――

 すべて一つ一つ

 深く祈念しながら、

 足取り軽く

 最前線へと飛び込む。

 この「祈り即実行」の

 繰り返しを、

 弛まず貫いていくことだ。

 

 人の心を打つのは、

 話術の巧みさではない。

 美辞麗句でもない。

 “君よ立て!”との、

 生命からほとばしる

 必死の思いが、

 友の心に働き掛けるのだ。

 励ましとは、

 炎の一念がもたらす魂の

 触発なのである。

 

 一人一人が

 現実に直面している

 生活の悩みと格闘し、

 生命の境涯を

 変革していく、

 その軌道の中にしか、

 真の

 社会変革の道もないし、

 立正安国もない。

 この出発点にある

 人間革命を開いていく

 大道こそ、

 一人への「励まし」だ。

 

 励まされた一人が

 立ち上がり、

 目の前の一人に

 励ましの襷を渡す。

 その一人がまた次の一人に

 励ましの襷を

 つないでいく――。

 この信心のリレーが、

 一人一人の

 人間革命の力走を

 紡ぎ出していくのだ。

 

2022年1月30日〈池田大作先生 四季の励まし〉

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第1858回

「一人を大切に」

「一人」を強く「一人」を賢く

 

<創価学会の原点>

 

 「一人」を大切に――ここに、

 創価学会の原点がある。

 仏法の根本精神も、ここにある。

 「一人」の人間は、

 かけがえなく尊い。

 世界中、どの一人一人にも、

 尊厳なる仏性がある。

 そう見ていくのが、仏法である。

 

 一人の尊さを

 無視し、軽んじて、

 人間を「集団」で見ていこうとするのは、

 権力者の発想である。

 

 それでは、

 独裁者のヒトラーと同じになってしまう。

 ヒトラーに、

 一人一人の尊厳は、

 分からない。

 「大勢」「集団」にこそ価値があった。

 それはなぜか。

 権力者にとって、

 人間は「手段」にすぎないからである。

 

 権力は人間を、

 銃弾のように武器にする。

 金銭のように使いこなす。

 おのれの欲望のために、

 大勢の人間をうまく動かし、

 全体を操作しようとする。

 

 学会のいき方は、

 これに真っ向から反対する。

 一人一人の幸福こそが、

 広宣流布の「目的」だからである。

 「一人」の人間がもつ

 計り知れない可能性を信じ、

 その力に目覚めさせ、

 発揮させ、

 連帯を広げてきたのが、

 創価の民衆運動の歴史である。

 

 全体があって、

 一人一人があるのではない。

 

 まず一人一人の人間があって、

 強く団結していくのである。

 

 この根本を間違えたら大変なことになる。

 権力者の発想をする人間が現れたら、

 それは学会を利用する極悪人である。

 

 すべては、

 「一人」に帰着する。

 

 私どもは、

 もう一度、「一人を大切に」

 との原点を確認しあいたい。

 そして、

 いちだんと「一人一人」に光をあて、

 励ましの声をかけながら、

 宝の人材を大切に育ててまいりたい。

 一人一人が

 強くなる。

 賢くなる。

 それでこそ、

 二倍、三倍、十倍の

 力を発揮していけるのである。

 

2006年1月6日第56回本部幹部会

2019年7月1日

第1611回
「人間対人間」のつながりを、

どうつくるか。
ここに発展のカギがある。

 

<「一対一の膝づめの対話」>

 

 仏法のリーダーは、ともかく「人に会うこと」である。とくに、新しく入会された方々に、どんどん会っていただきたい。人間と人間の出会いのなかにこそ、仏法は脈動するからである。
 御書にも、「直接、会うこと」の大切さが種々、示されている。
 「人間対人間」のつながりを、どうつくるか。ここに発展のカギがある。あらゆる国家も、企業も、団体も、この一点に注目して、今、しのぎを削っている。
 それには「会う」以外にない。会ってこそ、人はつながる。心は結ばれる。人材も育っていく。
 学会は、一対一の膝づめで対話してきたからこそ、今日の世界的な発展がある。これが鉄則である。
 観念論や空想論ではない。戸田先生ご自身が、徹して会員と会われた。一人の人と会い、心から励まし、ともに広宣流布に進んでいく。その行動のなかにしか、創価の魂はないのである。
 わざわざ会いに来てくれれば、人は「自分を認めてくれた」と思う。「会えてうれしい」「あの人と一緒にがんばろう」となるものである。
 また、会合が終わっても、「一人で、さっさと帰る」のではなく(笑い)、帰る道々、後輩の話を聞いてあげることだ。会合で話せないことでも、一対一になれば話せることもあるだろう。
 一緒に語り、一緒に動くのが学会の根本精神である。策でも、方法でもない。
 いわんや青年部は、決して偉ぶってはいけない。真心こめて、後輩を大切にしていくことである。友に尽くしていくことである。
 仕事や家事で忙しい時もある。それでもなお、やりくりして、時間をつくって会っていく。それが慈悲である。仏の振る舞いに通ずる。これしか道はない。
 「人間対人間」のつながりが仏法の組織であり、広宣流布の組織なのである。それを失ったなら、組織は″お役所仕事″になってしまう。もはや仏法ではなくなってしまう。

2002.8.2 全国最高協議会

2018年2月2日

「身近な人」こそ大切に

 

<ここに真の仏道修行がある>

 

 現代文明にあって、
 「対話の文明」の構築こそ、
 不可欠かつ緊急の課題である。
 その「対話の文明」とは、
 決して遠くにあるのではない。
 それは、身近な隣人の方々と、
 胸襟を開いて向き合い、
 語り合っていくことから始まる。
 誠実に、粘り強く、対話を貫き、
 新たな価値創造の道を、
 共に模索し、
 共に進んでいくことである。


 身近な家族や友人、
 地域を大切にして、
 人間とつながり、
 生き生きと活動する。
 社会や環境に積極的に関わり、
 学ぶことを怠らず、
 人のために献身する――
 ここに、豊かな心で
 幸福に生きるための要諦がある。
 私たちの日々の学会活動には、
 この全ての要素が含まれている。


 最も身近なところで、
 仏法を弘めていくというのは、
 地味で、それでいて
 最も厳しい戦いといえる。
 自分の全てを見られているだけに
 見栄も、はったりも通用しない。
 誠実に、真面目に、粘り強く、
 大情熱をもって行動し、
 実証を示しながら、
 精進を重ねていく以外にない。
 しかし、そこにこそ、
 真の仏道修行があるのだ。

(後略)

 

2017年11月26日四季の励まし(抜粋)

2017年8月27日

「目の前の一人」こそ
我らが救うべき

「民衆」であり、「一切衆生」である。

 

 「民衆のため」、また「人類のため」といっても、
 根本は、目の前に佇む、苦悩の一人に、向き合って、

 勇気と希望を送り、救いきっていけるかどうか――
 この一点にあります。(中略)


 日蓮仏法は、「民衆仏法」であります。
 この「民衆」とは、一切衆生のことです。
 何か特定の階級などではありません。
 現実にいる「目の前の一人」のことです。
 その人が誰であれ――
 男性も女性も、
 いかなる国も民族も、
 いかなる出自や階層も、
 年齢や職業も、
 一切、排除や差別なく、抱える苦しみの如何にかかわらず、
 一人も残らず民衆です。
 一切衆生にわたるのです。

 

大白蓮華2017年9月号№815 9~10頁

 

2017年1月26日

我々はなぜ、

この信心に巡り合えたのか

 

<二月、我らは広布拡大の勝利をもって、お祝を!>

 

「一人」に全力で

 

 我々はなぜ、この信心に巡り合えたのか。
 末法の御本仏・日蓮大聖人が不惜身命で妙法を弘め遺してくださったゆえである。今日では、恩師が戦時下の獄中闘争を勝ち越え、広布の大願に一人立たれたゆえである。
 その奇しき縁に思いを致せば、報恩感謝の念が込み上げる。時あたかも大聖人の御聖誕の月、恩師の誕生の月を迎える。
 であれば、この二月、我らは広布拡大の勝利をもって、お祝いしようではないか!――と。
 会場に戸田先生の姿はなかった。それでも集った弟子たちは、師がここにおられるが如く、前進を誓い合ったのである。

 私は懸命だった。私と同じ心で、壮年も婦人も立ち上がってくれた。自らの折伏の挑戦が、師匠の生涯の願業である七十五万世帯の拡大に直結することを、皆が自覚し始めたのだ。
 具体的には、師が示された通り、当時の組織の最小単位の「組」を軸に、「組」を盛り立て、折伏を推進していった。
 つまり、一切の焦点を少人数の語らい、一対一の対話、心通う座談会に定めたのだ。ゆえに――
 まず、真剣に祈ろう!
 近隣を大切に、身近なつながりから勇気と真心の対話を広げていこう!
 自信満々、生き生きと信心の体験を語ろう!
 この対話の最前線こそ広布の主戦場だ。ゆえに全精魂を注ぎ、全力を尽くすのである。
 勇気を出して、一人の友に会う。相手の幸福を祈り、誠実に、情熱込めて語っていく。その一人立つ挑戦が、己心の壁を破り、友の心を動かす。ここに、大聖人が「声も惜まず」と言われた“随力弘通”の実践がある。
 大聖人は、四条金吾を讃え語られた。
 「貴辺又日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ是れ豈流通にあらずや」(御書一一一七ページ)と。
 師と心を合わせ、自分が縁を結んだ人びとに正義を語っていくことが、流通すなわち世の中に妙法を流れ通わせるのだ。

 蒲田支部には、当時、約百の「組」があった。私は、中心者の組長など最前線に立つ方々を、一軒一軒訪問し、親しく語り合い、励ますことを重要な日課としていた。
 その中に戦前に入会されていた一家があった。組長の壮年は、牧口先生の折伏である。
 牧口先生は、家族の信心に猛反対だった壮年を訪ね、諄々と対話された。「学会は人間の幸福と社会を善くするためにあるのです」と。その「立正安国」の大確信に触れて、壮年は発心した。
 先師が縁し、種を蒔かれた方を、孫弟子の私が励ますという不思議なご縁である。ご一家は目標を遙かに上回る弘教を推進してくださった。
 一つ一つの縁を「仏縁」としゆく対話と弘教の喜びは勇気の波動となり、誰も彼もが「やらんかな!」の意気を爆発させた。どんどん功徳爛漫の体験が生まれ、新たな対話の勇者たちが陸続と誕生したのだ。
 そして、遂に壁を破る弘教二百一世帯――大田区内はもちろん、神奈川の川崎、東京の目黒、品川など各区に、更に首都圏、全国まで広布の陣列は広がっていった。
 人と人の縁は、自分が考えるよりも深く広い。家族・親戚の縁、近隣・地域の縁、仕事や学校の縁……大切に結んだ善き縁が、また新たな宝の縁をつないでくれる。
 師弟共戦と異体同心で「広宣流布の大願」を成就しゆく勝利道が、晴れ晴れと開かれたのである。

 

2017年1月25日〈随筆 永遠なれ創価の大城〉15 師弟共戦の勝利道

2016年12月20日21日

御本仏がどんな陰の労苦も御照覧

 

<「一人を大切に」との学会精神で宝の人を励ますのだ>

 

◆この一年、広宣流布に走り抜いた、誉れの全同志の健闘を心から賛嘆したい。
 日蓮大聖人は、ある年の瀬、門下の真心に感謝され

 『心ざし大海よりふかく善根は大地よりも厚し』(御書1105頁)と仰せられた。
 御本仏が、どんな陰の労苦も御照覧であられる。
  厳寒の中も聖教新聞を配達してくださる無冠の友、
  個人会場を提供してくださっているご家族の皆さま。
  創価班、牙城会、白蓮グループ、王城会、香城会の皆さま、
  ドクター部、白樺の皆さま、
  会館守る会、一日会館長の創価宝城会の皆さま。
  サテライトグループ、設営グループ等の皆さま。
  新聞長、教宣部、書籍長、文化長、統監部、民音推進委員、通信員の皆さま、
  儀典長・儀典委員の皆さま、
  そして未来本部、21世紀使命会の皆さま等々、
  一切の方々に深謝申し上げます。
 『陰徳あれば陽報あり』(同1178頁)である。

 使命の「陰徳」に徹する生命には、どれほど偉大な「陽報」が輝きわたることか。
 一日一日、また一年一年、心の財を積み、福徳の境涯と眷属を広げていけるのが、創価の人生である。
◆多忙な師走も、広布と社会に尽くす日々には、さまざまな出会いがあろう。
 御聖訓には、『法華経を耳にふれぬれば是を種として必ず仏になるなり』(同552頁)と説かれる。
 妙法と共に生きる我らは行くところ、向かうところ、希望の種を蒔きながら、自分らしく幸と平和の価値を創造することができる。
 友の幸福を祈る、誠実の語らいは全て仏縁に変わる。この確信で、年末年始も、賢く明るく朗らかに心の交流を結んでいきたい。
◆戸田先生は言われた。
 「若い人が、ぐんぐん伸びていく創価学会であれ」
 今、その通りに、日本中、世界中で、青年部も、未来部も、元気に躍動し、成長してくれている。
 地涌の若人がいやまして続々と躍り出る不思議な時を迎えた。
 創価の青年は自信と誇りに胸を張って、思う存分に乱舞してもらいたい。
 青年の熱と力を高めるのは、先輩の大情熱である。
「一人を大切に」との学会精神で宝の人を励ますのだ。
 後輩を弟、妹と思い、わが子、わが孫と思って、共に語り、共に祈り、共に信心の思い出を刻みながら、希望に燃えて世界広布のロマンの詩をつづっていこう!

 

2016年12月18日 池田先生と共に 新時代を創る ㉛

2016年8月31日

「一人」が「万人」を生む「母」

 

<「一人」から「一人」へという波動こそ、

限りない広布前進への源泉>

   

 御書には『世間のことわざにも一は万が母といへり』(聖愚問答抄下、498頁)と仰せである。
 「一人」というと、いかにも弱小と思うかもしれない。しかし、「一人」が「万人」を生む「母」なのである。『大海の水は一滴なれども無量の江河の水を納めたり』(月水御書、1200頁)との御金言もある。
 真実の大法に出あい、目覚めた「一人」が、勇敢に利他の実践へと躍り出て、「一人」と会い対話する――この「一人」から「一人」へという波動こそ、限りない広布前進への源泉であり、こうした着実な方程式で、永遠に広布の歴史はつづられていくことを絶対に忘れてはならない。
 「一人」を大切に――これこそ、脈々と受け継がれてきた、学会の伝統精神である。悩める「一人」に光を当て、全魂で対話し激励し抜いていく。とくに若き諸君は、この伝統を決して忘れてはならない。
 ただ大勢の前で華々しく話をするだけで、地道な指導や激励に積極的に行動しないリーダーはけっして本物ではないし、本物にはなれない。もしも、そうした幹部が多くなれば、これは、学会精神の退廃に通ずるであろう。
 組織のなかに権威主義や要領主義をはびこらせては断じてならないし、「一人」への全魂の指導と行動なくして、真の仏道修行はありえないことを、皆さま方は深く銘記されたい。
 「一人」から「一人」への無限なる「利他」と「対話」の実践。この絶えざる積み重ねと連動に、永遠に広がりゆく広宣流布の方程式がある。


1987年10月11日第二東京支部長会(抜粋)

2016年8月30日

創価学会は人間(の幸福)が「目的」
権力者にとって、人間は「手段」

 

<眼前の「一人を大切に」>

 

一人の無限の可能性を!

   

 「一人」を大切に――ここに、創価学会の原点がある。仏法の根本精神も、ここにある。
 「一人」の人間は、かけがえなく尊い。世界中、どの一人一人にも、尊厳なる仏性がある。そう見ていくのが、仏法である。
 一人の尊さを無視し、軽んじて、人間を「集団」で見ていこうとするのは、権力者の発想である。それでは、独裁者のヒトラーと同じになってしまう。
 ヒトラーに、一人一人の尊厳は、分からない。「大勢」「集団」にこそ価値があった。
 それはなぜか。権力者にとって、人間は「手段」にすぎないからである。
権力は人間を、銃弾のように武器にする。金銭のように使いこなす。おのれの欲望のために、大勢の人間をうまく動かし、全体を操作しようとする。
 学会のいき方は、これに真っ向から反対する。一人一人の幸福こそが、広宣流布の「目的」だからである。「一人」の人間がもつ計り知れない可能性を信じ、その力に目覚めさせ、発揮させ、連帯を広げてきたのが、創価の民衆運動の歴史である。
 全体があって、一人一人があるのではない。まず一人一人の人間があって、強く団結していくのである。この根本を間違えたら大変なことになる。権力者の発想をする人間が現れたら、それは学会を利用する極悪人である
 すべては、「一人」に帰着する。私どもは、もう一度、「一人を大切に」との原点を確認しあいたい。そして、いちだんと「一人一人」に光をあて、励ましの声をかけながら、宝の人材を大切に育ててまいりたい。一人一人が強くなる。賢くなる。それでこそ、二倍、三倍、十倍の力を発揮していけるのである。


2006年1月6日第56回本部幹部会、第13回全国婦人部幹部会(抜粋)

2015年2月6日

「一個の人間」の

宇宙大の尊厳さを知らしめよ


 <一身は宇宙の″宝″を集めた宝塔>


 何より「一個の人間」の巨大さ、尊貴さ、偉大さを人類に知らしめねばならない。あらゆる角度から、あらゆる知恵と、そして現実の姿をもって――。
 法華経の見宝塔品第十一の冒頭には、次のように記されている。
 「爾の時に仏前に七宝の塔あり。高さ五百由旬、縦広二百五十由旬なり。地より涌出して、空中に住在す」(開結399頁)
 ――その時、仏の前に、七宝で造られた塔があった。高さは五百由旬(古代インドの距離の単位、一由旬は当時の帝王の一日の行軍距離をさし、一説には中国の四十里にあたる)、タテヨコ二百五十由旬にわたった。大地から涌き出て、空中にあった――。
 金(こん)、銀(ごん)、瑠璃(るり)、硨磲(しゃこ)、碼碯(めのう)、真珠、玫瑰(まいえ)の七種の宝石で飾られた壮麗な宝塔――まばゆいばかりの絢爛たる出現である。
 一方、汗くさいワイシャツ、よれよれの背広、汚れた髪――男子部の皆さんの現実とは大きな隔たりがあるかもしれない(笑い)。また、宝石といっても、よくケンカになる結婚指輪の値段とは比較にならない。(爆笑)
 その塔の大きさは計算の仕方により異なるが、一説によれば地球の半分から三分の一にもいたるという。
  そのままとれば、おとぎ話のようである。しかし法華経はすべて″生命の真実″を説いている。その真実とは何か。じつはこの塔の巨大さは、総じて「生命」の宇宙大の広がりと尊厳さを象徴すると考えられる。一人の人間の生命は、それほど偉大であると――。
 そして、全宇宙の宝をみな集めたような「多宝の塔」とは、一次元からいえば、一個の人間生命の巨大な可能性と本来の尊貴さを、また無量無辺の力や福運を、表していると考えられる。
 まことに鮮烈な光景である。映像的な、また詩的、芸術的、音楽的なイメージがあふれている。法華経は、生命の崇高さを、民衆にわかりやすい、視覚的な手法で表現したのであろうか。
 大聖人も、「御義口伝」に、「見大宝塔とは我等が一身なり」――「大宝塔を見る」とは、われらが身体を見ることである――と。
 また、「阿仏房御書」には、「阿仏房(あぶつぼう)さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房」――阿仏房はそのまま宝塔であり、宝塔はそのまま阿仏房である――と述べられている。
 大地から涌出した大宝塔、それは人間の「生命」を示していた。「生」という漢字も、大地から上へと伸びる植物の姿が原形にある。「生」の字は、まさに一つの塔といえる。人間も大地に足をつけ、天に頭を向けた一個の「塔」の姿である。


  「人間は宇宙大、一国よりも大きい」


 ″宇宙的存在″としての生命――たとえば「人体」を何に例えるかと科学者に問うと、もっとも多い答えが「宇宙」であるという。次いで「都市」「工場」「森」などの回答が続く。戸田先生も人体を「一大製薬工場」に例えられた。
 人体を構成する細胞は六十兆。六のあとにゼロが十三個続く。六十の百万倍のさらに百万倍である。その一つ一つが、また無数の原子でできている。これらが、すべて有機的に調和しつつ働いている――まさに荘厳な小宇宙、小コスモス(宇宙)である。(コスモスには、ギリシャ語で「調和」の意味がある)
 また、「肝臓」には約二千五百億の細胞があり、それがなんと五百以上の機能をもつ。まさに巨大な化学工場である。肝細胞一つは、一分間に六十万から百万のタンパク質(アルブミン)を作る。
 さらに、「心臓」は一日に十万回脈動し、八トンの血液を全身に送りだす。ドラム缶四十本分である。一カ月では二百四十トンにものぼる。
 一方、免疫の働きをする細胞は約一兆個。それらが自在に動いて、連携を取り合い、″外敵″と戦う。その様子はまさに「体内宇宙戦争(スター・ウォーズ)」である。
 「生」あるものはみな戦っている。「戦い」こそ「生」の異名である。戦いなき生は、生きながらの死である。「仏法は勝負」であり、「生命は勝負」なのである。この厳しき原理は、森羅万象に通ずる宇宙の法則であろう。
 また、生まれるまでに、人間が三十五億年の生物進化をもう一度胎内でやり直していることは有名である。原初の生命誕生から、魚の時代、両棲類の時代、爬虫類の時代、そして原始哺乳類の時代をふまえて誕生する。
 いわば、出生した時、人間は少なくとも「すでに三十五億歳」になっている。生命の歴史が全部つながっている。これ一つみても、生命は″白紙″で生まれてくるのではない。長き生命の因果を刻んだ存在として生き始める。
 仏法の立場からいえば、今世の自分とは久遠以来の自身の行動の″結果″であり、永遠の未来ヘと進む″出発″の姿である。そこに三世の幸福の因を積みゆく仏道修行が必要なゆえんもある。
 これらは、ほんの一部だが、「人体」という「小宇宙」は、解明すればするほど、その広大さ、精巧さ、神秘なまでの可能性が否定できなくなっている。
 いわんや、肉体にもまして「心」の世界の、時間的、空間的、知的広がりは想像を絶する。まさに無限であろう。どこまで行っても行き詰まりがない。その広大さを説き明かしたのが仏法である。その仏法の智慧を自分のものにできるのが信心である。以信代慧(信をもって慧に代う)の力である。
 ともあれ「生命」は、まさに宇宙的巨大さの宝塔なのである。
 こうした「小宇宙」と、また「大宇宙」について、現在、私は、世界的な天文学者であるイギリスのウィックラマシング博士との対談集『「宇宙」と「人間」のロマンを語る』の出版を進めている(=平成4年11月、毎日新聞社から発刊)。過日の訪英のさいには、博士の師匠であるホイル博士もご一緒に、有意義な語らいの時間を過ごすことができた。
 「宝塔」については、くわしくはまた別の機会に論じたいが、ただ申し上げたいことは「生命」は″地球″よりも重い、「人間」は″国家″よりも大きい――ということである。その信念に、私どもの人間主義の基盤がある。
 世の中には、多くのものを作る仕事がある。それはそれとして、私どもが今、世界に社会につくっているのは「生命尊厳の大塔」である。思想の面だけではない。現実のうえでも、高貴に、また幸福に光り輝く「尊厳なる人間」の塔を、一人また一人とつくっているのが私どもである。これ以上の聖業はない。まさに学会員一人一人が仏の使いであり、仏の行を行じているのである。(拍手)


  君よ!「人間尊厳の塔」「生命尊厳の大塔」を打ちたてよ


 これまでは、民衆から太陽をおおい隠す「権威主義の塔」、金ピカのメッキの「経済至上主義の塔」、黒々と死の影を落とす「軍事優先の塔」といった、醜い欲望の塔ばかりが高々とそびえていた。
 二十世紀は、それら黒き塔がもっとも高く、多くそびえた時代であろう。同時に、その危うさがはっきりし、盤石に見えたそれらの塔の根底が崩れ始めた時代ともいえる。
 その代わりに、本当の「人間性の塔」「幸福の塔」「生命の塔」を立てているのが、われわれの戦いである。″人類の先駆″の戦いだからこそ、困難は必定なのである。
 二十世紀は「革命と戦争の世紀」と呼ばれた。それは「国家の尊厳」の神話が極限にまで拡大し、大いなる幻滅と悲惨をもたらした世紀である。「国家の尊厳」すなわち集団力の崇拝、ナショナリズムの神話は、スターリン主義とファシズムという左右両極で完成した。また、力への信仰は「核兵器」の出現に凝結した。キノコ雲は、まさしく「生命破壊の悪魔の大塔」であろう。
 こうして、二十世紀は、いつにもまして「大量死(メガ・デス)」の世紀となった。「国家の尊厳」の愚味と悲惨をとことん味わい、「人間の尊厳」への希望を育て始めたのが、二十世紀後半である。
 それは、ちょうどアインシュタイン博士が「人権の時代」を予見した時期でもある。
 世紀の折り返し点、ターニング・ポイントである1951年(昭和26年)こそは、戸田第二代会長の「広宣流布」宣言(第二代会長就任式における「私が生きている間に七十五万世帯の折伏は私の手でする」との宣言)の年である。また、わが青年部の結成の年である(拍手)。ならば、青年部の使命は明確であろう。今こそ、世界に「人間尊厳の塔」を打ち立てねばならない。
 また次にくるのは「生命尊厳」の時代、「生命の世紀」であると私は信ずる。このことは、かなり前から私は主張してきた。人類が生き残る方法はこれしかない、と。
 「人間の尊厳」も実際には、その根底に「生命の尊厳」が必要である。そのことが、世界の知性の目にはしだいに明らかになりつつある。すでに、いわゆる″人間中心主義″″権利と欲望の解放″のみでは、むしろ人間の荒廃しかもたらさないことがはっきりしてきた。
  ともあれ、多宝の塔は、その宇宙的巨大さで、「人間は国家より大きい」ことを教えているのである。そして、この「人間の尊貴さ」を、思想・哲学のうえで、また事実のうえで、世界に示しきっているのが、私どもの「仏法を基調とした平和・文化・教育の推進」の運動である。広宣流布の運動である
 この尊き使命の学会員を見くだし、いわんや抑圧し圧迫するのは、広宣流布を足げにし、また人類の未来を土足で踏みつける行為と私どもは思う(拍手)。皆さんは断じて、そうした悪に負けてはならない。(拍手)


  1991. 7.14結成四十周年記念青年部総会

2014年12月3日

「今」こそ励ましを!

 

 最も重要な時とは、いつか。
 それは「今」である。
 最も必要な人とは、だれか。
 それは
 「今、出会っている人」である。
 そして、最も重要なことは、何か。
 それは
 「今、出会っている人に
  善をなすこと」である。

 

聖教新聞2014.11.30付光の言葉 幸福の曲(抜粋)

2013年5月2日

立正安国の対話

 

 わが師・戸田城聖先生は、よく同志に言われた。
「世を見渡せば、ただの一軒、ただの一人も悩みなきものはない。願望なき人間もいない。その心の中心にふれ、皆の仏性を呼び起こして、社会をより良く変えていくのが、立正安国の対話である」と。
  
大白蓮華No.761号2013.5月号3頁

2013年2月19日20日

最上第一の相伝

 

それは「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」の文であると、大聖人は仰せである。(御書781頁)  広布に戦う同志を、仏のごとく敬い、大切にする。こまやかに心を砕いていく。これがリーダーの役目である。尊き同志に最敬礼だ。

 

聖教新聞2013.2.17付今日も広布へ7

2013年2月8日~10日

弘法(ぐほう)の人を守れ

 

私は「戸田先生を守ることが、広宣流布を守ることだ」と決めた。そして渾身の力で、先生を支えた。一人戦い、一切を勝利させたのである。 華やかでもない。それどころか、じつにいやなことばかりの戦いであった。(中略)  今、だれの目にも、「正法」「法華経」は、もはや創価学会にしかない。「法を弘むる」人とは学会であり、学会員である。この学会・学会員を大切にする人こそ、正法を大切にする人である。 正法を大切にする人は、今度は大聖人から大切にされる。御本尊から大切にされる。十方の諸仏から大切にされる。

 

1992.10.22第59回本部幹部会 全集(81) 265頁

2013年1月17日18日

一人が大事

 

 広宣流布の大師匠であられる戸田先生に、ただ一人、お仕えし、ただ一人、お守りし抜いた。これが学会の歴史である。師弟の本当の姿である。この一点にこそ、学会の魂があり、原点がある。私は心に決めていた。『断じて、戸田先生に、次の会長になっていただくのだ。そして、広宣流布の指揮を縦横無尽に執っていただくのだ』私は祈った。先生のために。激闘の中で祈り抜いた。
 もう寝ても覚めても題目。歩いていても題目。車の中でも、電車に乗っても、時間さえあれば、全て題目。ただただ、題目を抱きしめて、この世の残酷な苦難をはね返し、戸田先生が第2代会長に就任される道を、命を賭して、切り開いていったのである。
 思えば、初代の牧口先生が軍部と対決して牢獄につながれたとき、獄中までお供し、最後まで戦われたのは、戸田先生、ただお一人であった。この「一人」が大事なのである。その戸田先生を、人生の全てを捧げてお守りし抜いたのは私である。ゆえに私は、第3代会長となった。この究極の「師弟不二」の大闘争にこそ、今日にいたる学会の大発展の根本の因がある。 
 

聖教新聞2013.1.16付

2013年1月9日

一人も残らず

「生命の大勝利者」に

 

日蓮大聖人のお心のまま、「不惜身命」「死身弘法」を貫き通された先師と恩師に、私は、世界広宣流布の大本陣となる総本部を捧げたい。

 そして、その完成を、我ら弟子一同の美事なる勝利の実証をもって荘厳し、報恩を果たしたいと、固く決意しております。

 この総本部に永久保管させていただく、全同志の記念の署名は、一人も残らず「生命の大勝利者」として永遠に輝きわたる福徳であり、名誉であると申し上げたいのであります。

 

聖教新聞 2013.1.7付(3)

 

2012年12月29日

納得の対話

 

「(前略)本当に大事なのは、小単位での、一人ひとりとの懇談です。それが、一切の根っこになっていくからなんです。各人の根がしっかりしていなければ、大会合がいかに盛り上がっても、少し風が吹けば、皆が倒れていってしまう。 小さなグループでの語らいは、一方通行ではなく、皆の声に、じっくりと耳を傾けることができる。本当の悩みや疑問を聞き、それに答えることができます。つまり、納得の対話ができる。これが重要なんです。 また、一個の人間対人間として、強い絆を結ぶことができる。それが心の結合をつくっていきます。 学会が、初代会長の牧口先生以来、座談会を重視してきたのは、対話を運動の中心にすえてきたからなんです。牧口先生も、戸田先生も、座談会の名人、対話の達人でした」

 

小説 新・人間革命 26巻 法旗 17

2012年12月24日

創価学会は真心の世界

 

創価学会は、信頼と誠実に結ばれた、人間性にあふれた心の世界である。その世界が、惰性化して事務的になったり、形式化して、心が伝わらなくなってしまうことを、山本伸一は、何よりも恐れていたのだ。「私は、よく同志の方々に、戸田先生の激励のお言葉などをお伝えすることがあった。その時には、先生のお言葉とともに、先生がどういうお気持ちでいらっしゃるかを語り、先生に代わって、心を込めて、最敬礼することもありました。」

 

新・人間革命25巻 福光 53

2012年10月18日

全体が前進

 

 我らの目的は、広宣流布であり、世界平和である。

 その大きな目的を達成するには、地道な積み重ねが大事だ。少しずつでもいいから、全体が前進する。そういう学会を築くのだ。簡単なようで一番難しい。それをやれるのが一人前の指導者である。

 何より、最前線の人を褒め讃えることだ。我が心に師弟の魂を燃やして進むのだ。

 

聖教新聞 2012年9月30日付 今日も広布へ

2012年10月5日~11日

誠実は強し

 

友情は、人生の宝である。 友情ほど、美しいものはない。 友情の心は、仏法の人間主義と一致する。 自分から心を開いて明るく挨拶をし、誠実に接していくことだ。自らの聡明な振る舞いで、友情を深め、信頼を広げることができる。 真に人の心をつかみ、人の心を打つものは、「誠実」の二字しかない。礼儀正しく、言葉は明快に、そして約束は必ず守る。ささいなことが勝利につながる。 善友との絆を大切に! 戸田先生は「相手が苦難の時こそ、友情の手を差し伸べよ」と言われた。誇り高く信義を貫いていくのだ。

 

 創価新報 2012.9.19付 勝利の人間学

2012年10月1日

対話の鉄則

 

対話の鉄則は

話を「聞く」ことだ。

最大に「敬う」ことだ。

相手から「学ぶ」ことだ。

真心と真剣の人たれ!

 

我が友に贈る 2012.9.26

 

※日本人は本当に対話が下手です。異なる意見を言うと眼の敵のように。意見が異なるからこそ学び合えるのでは。そして、自分の意見が劣っていれば相手の意見を受け入れる度量を持っては、対話こそ価値創造の源泉(サイト・マスタ)

2012年9月6日

会員に心から感謝

 

幹部は、会員に心から「ありがとう」「ありがとうございます」と言うことである。感謝の心を忘れた人は、権威主義となる。幹部だから偉いのではない。皆のおかげ、会員のおかげである。「自分がいるから」という考えは傲慢である。学会のおかげで、会員のおかげで「幸福になれました」「社会のために思う存分、戦うことができました」 この根本の心を忘れたならば、人間の道とはいえない。畜生すら恩を知ると大聖人は仰せである。

 

希望の明日へ 89頁

2012年9月5日

徹底して会員を大切に

 

〝徹底して会員を大切に〟〝会員の喜びを自分の目的に〟 広宣流布の指導者の心の置きどころは、つねに〝会員が原点〟でなければならない。どうすれば、皆が喜ぶのか、安心するのか、希望をもてるのか、確信を深められるのか。どうすれば、その人を守れるのか、力を発揮させられるのか、行き詰まっているとしたら原因は何なのか、経済・家庭・健康の状態はどうか、など幸福と成長を願う、強盛な祈りを根本に、細やかに考え、心を配り、迅速に行動することである。

 

 希望の明日へ 89頁

2012年9月4日

組織主義を乗り越えよ

 

会員を守ることである。具体的に何かしてあげることである。自分の限界まで、皆に〝心配り〟をすることである。全幹部が組織主義を乗り越えさえすれば、広宣流布は飛躍的に進む。

 

希望の明日へ 90頁

2012年9月3日

本物の人材

 

 会員を尊敬する人が偉い。学会員のために尽す人が本物の人材である。全幹部が、この基本に徹すれば、学会はもっと大きく栄える。広布は、現在の十倍、百倍と発展していく。学会員の幸福・・・それが私の根本の心である。

 

 希望の明日へ 89頁

世界広布新時代

創立100周年へ

青年・飛躍の年

(2022年)

2013.11.18

広宣流布大誓堂落慶

更新日

2022.8.14

第2073

第2074

 

日天月天ワンショット

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