2015年12月29日
目的完遂に完璧な方針を立てよう!
<目標あってこそ力は発揮>
「1日、1週間、1ヶ月の正しい方針を決めることが大切です。しっかりした目的や企画のない仕事は、暗闇の中を動いているようなものであり、それでは“暗中の遠征”です。
仏法は道理です。智慧をはたらかせ、知識を応用し、1日、1週間、1ヶ月の目的完遂に、完璧な方針を打ち立てねばなりません。
それがなく、ただ動いているだけでは、帆や舵(かじ)のない船に等しい。具体的な目標に向かってこそ、力は発揮されるのです」
大白蓮華2016.1月号795号 21頁
2015年12月27日
仕事に真っ向からぶつかり勝利せよ!
<信心即生活>
それが組織の勝利になり、
折伏の勝利になり、
広宣流布の勝利に通じる
職場において、自分に与えられた仕事、役職を完璧にやり抜くことです。そうすれば、自分の組織における活動も、全部すっきりと運びます。
御書に『御みやづかいを法華経とをぼしませ』(檀越某御返事1295頁)とあるように、仕事は仏道修行の場です。それを、活動等にとらわれて、給料をもらっている職場で、いいかげんな仕事をしていれば、全部、複雑になります。自分の思う通りに運ばなくなります。
自分の職業、すなわち生活のための仕事を完璧にやり切りなさい。すっきりとやり切ってごらんなさい。それが『信心即生活』です。仕事に真っ向からぶつかり、勝利を得なさい。それが組織の勝利になり、折伏の勝利になり、広宣流布の勝利に通じるのです。
大白蓮華2016.1月号№795 16頁
2015年11月24日~26日
職業に歓喜なき者は
信心に歓喜なき者と同じ
<職業を御本尊と思え>
“人間の幸福”こそ、
あらゆる社会の営みの、
最高・究極の目的
『各各の御身の事は此れより申しはからうべし、さで・をはするこそ法華経を十二時に行ぜさせ給うにては候らめ、あなかしこあなかしこ、御みやづかいを法華経とをぼしめせ、「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり』(檀越某御返事、1295頁)(中略)
戸田先生は、「檀越某御返事を、目や頭で読まずに、体で読んで欲しい」と、常々、語られていました。
私も若き日、戸田先生のもとでお仕えしましたが、本当に厳しい薫陶の連続でした。学会活動を理由に、仕事を疎かにすることなど、断じて許されませんでした。「信心は一人前、仕事は三人前」と、信仰者としての姿勢を厳格に教えられました。
少々、長くなりますが、『御みやづかいを法華経とをぼしめせ』を拝した、戸田先生のご指導を紹介しておきます。
「自己の職業に、人一倍打ち込もうともせず、ただ漠然として、信心していけば功徳があらわれて、なんとか成功するであろう、などと考えるのは、これは大いなる誤りである」「わが職業に歓喜を覚えぬような者は、
信心に歓喜なき者と同様であって、いかに題目を唱えようとも、社会人として成功はあり得ようがない」
「職業をよくよく大事にして、あらゆる思索を重ねて、成功するよう努力すべきである。また、会社やその他への勤め人は、自分の勤めに、楽しみと研究とを持ち、自分の持ち場をがっちり守る覚悟の生活が大事である」
「学会人は、わが職業を御本尊と思い、それに恋慕し、心に渇仰を生じなくてはならない。かかる人こそ、御本仏の御意にかなう人である。かくのごとき人こそ、信心に透徹した人といわなくてはならない」
もちろん、仕事を取り巻く環境は、当時とは変わっています。しかし、信仰者としての生き方の根本の精神は、いささかも変わりません。否、変わってはなりません。
どんな仕事でも、どこの職場でも、真剣勝負で働いて、信頼を勝ち得てきたことが、私の青春の誉れです。
『御みやづかい』の御文の後には、法華経の文の趣旨を天台大師が説明した『一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず』との言葉が記されています。
これは法華経を持った人の功徳を述べた一節で、「あらゆる一般世間の生活を支える営み、なりわいは、全て実相(妙法)と相反することはない」と教えられています。
他の御書にも『一切の法は皆是れ仏法なり』(564頁)、『智者とは世間の法より外に仏法は行わず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり』(1466頁)とあります。仏法の理念と、政治や経済が本来目指すべき目的観は、根本において一致していると仰せなのです。
もとより、政治といい、経済といっても、それは全て「人間のため」のものでなければならない。人間の幸福こそ、あらゆる社会の営みの、最高・究極の目的だからです。
妙法は、この幸福を築き上げるために、人間一人一人の生き抜く力を開き顕します。誰もが自身の内に仏という無限の力を秘めている。その力を顕現させるのが、妙法です。
妙法の信心は、困難に立ち向かう勇気や、智慧や忍耐力をもたらす本源の力です。
ゆえに、信心を根本とした私たちの行動は、全て妙法の光明に照らされ、希望と幸福の方向へと価値創造していけるのです。
どんな職場、どんな立場であっても、自分らしく、人のため、社会のために行動していく。そして「あの人はさわやかだ」「あの人は信頼できる」「あの人は頼りになる」と賞賛されていく。これでこそ、「信心即生活」「仏法即社会」の姿です。
大白蓮華2015.12月号 №794 36頁
2015年3月28日
仕事での失敗や重荷
「何度失敗しても、“次は必ず完璧にしていこう”というのが人生なのです。仕事のことでも、『私の仕事を見なさい』と言えるように、『あの人にはかなわない』と言われるように、仏法を現実のうえで証明するのです。『あの人を、この仕事から外しては大変だ』と言われるようになりなさい」(中略)
「自分の仕事に重荷がかかるのは、幸いではないか。反対に、仕事がどんどん取り上げられるのは困る。男子部の先輩を見たまえ。仕事がどんどん増えるし、それを喜んでいるではないか。生きた生命の歴史を刻むことなのだ。きちんと願いきっていけば、うまくいきますよ」
大白蓮華No.785号2015.4月号14頁
2014年8月30日
魂のこめた仕事
魂のこめた仕事は永遠に朽ちない。それは、魂が魂を揺さぶるからである。反対に、小才や手先の器用さだけで作り上げたものは、どれほど見栄えがよく整っていても、深い感動を与えるものではない。見る人が見れば、すぐにわかるものだ。
人生という“作品”も、また同じである。
1990.11.7大田区記念勤行会
2014年7月1日
男の一生
男の一生は、どういう仕事をしたか、そしてまた、自分の選んだ仕事のうえで、どれだけの功績を残したかによって決まると思う。
要は、自分のありったけの力を仕事にぶつけたか、そして、生命を完全に燃焼させて、その時代、その社会に自己の燃焼のエネルギーによっていかなる利益をもたらしたか、ということではないだろうか。
人生抄 97頁
2014年6月22日
コロンブスの卵
「コロンブスの卵」という言葉がある。一つの偉大な事業や発見というものは、それがなされてしまえば、けっして遥か彼方にあるものではなく、むしろ日常の平々たる地点にあるもののように思われるものだ。
しかし、その身近な、ある意味では素朴であるといってもよい死角に、勇気をもって英知の光をあて、そこから普遍的な真理を浮き彫りさせることは、なかなかできないことなのである。
哲人や偉人といわれる人物の行動や探求の裏には、かならずこうした一見なんでもないような、それでいて画期的な発見、発想がある。それゆえにこそ、歴史上にその名を長くとどめているのであろう。
人生抄 95頁
2014年6月20日
働くこと
働くとは「はた楽」つまり「はた(そば)の人を楽にすること」だと、子供のころ聞いたことがある。
周囲の人に、また広く社会に“楽”を与えていくのが働くことの本義だとしたのである。
その他人のために関わる精神は、仏法で説く菩薩の生き方にも通じる。
いかなる職業であれ、自分の立場を通して人々に喜ばれ、社会に役立っていこうという真心があってこそ美しい。
その誇りがなければ、どんな世間体のよい、立派そうな職業に就いても、その心根は貧しく、卑しい。
また、その真心と誇りから生まれる熱心さこそ、重い仕事をも軽くし、楽しい心をもって働く力なのである。
希望の明日へ 396頁