何のため

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2022年1月28日

第1882回

創価学会は

誰も見捨てない!

 

<問題の本質を見誤るな!>

 

 さらに彼は、たまたま学会員が引き起こした事件などを、あたかも創価学会の問題であるかのように取り上げ、学会批判を重ねるマスコミの報道について、言及していった。

 「これまでも、精神の病で苦しんでいた人が入会をし、その後、事件を起こしてしまったこともありました。あるいは前科があり、誰からも相手にされなかった人が学会に入り、また犯罪に関与してしまったこともありました。

 そのつど、新聞や週刊誌は、創価学会自体が罪を犯したかのように書き立て、私どもは、非難されてまいりました。

 しかし、本来は、そうした人たちが人間らしく生きられるにはどうしたらよいかを、政治家や国家などが責任をもって考え、面倒をみていくべきであります。だが、それを切り捨て、誰も、何もしようとはしない。不幸な境遇の人を見て見ぬふりをしているのが、今の多くの政治家であり、高級官僚といわれる役人ではないですか。

 日本の指導者層は、あまりにも利己主義であり、無責任です。

 それに対して、私たち学会員は、この世から不幸をなくそうと、苦しんでいる人を見れば、人間には等しく幸福になる権利があるのだと、信心を教えてきた。創価学会には、いっさい差別はないからです。

 そして、なんとか幸せになってほしいと、皆さんは真心を込めて、あれこれと面倒をみてこられた。社会的な体裁を繕い、自分のことだけしか考えない人たちには、決してできないことです。

 さまざまな悩み、複雑な問題をもつ人を、数多く抱きかかえていけば、なかには、事件を起こしてしまう人が出ることもあるでしょう。しかし、そうなることを恐れて、人間を切り捨てていくことと、どちらが正しい道なのか

 伸一の言葉には、強い確信が脈打っていた。

 「つまり、社会が見捨てた人をも、真心で包み、ともに幸福の道をめざしてきた最も尊い教団が、わが創価学会であります。心ある指導者ならば、学会の在り方を見て、賞讃するのが本来の姿です。

 たとえば、社会的な地位が高く、財力があり、身体も健康である等、さまざまな条件を設けて、学会が入会を制限していれば、〝貧乏人と病人の団体〟などと言われることもなかったでしょうし、問題はほとんど起きなかったでしょう。

 しかし、それでは、苦悩に泣く民衆を救うという、宗教の、なかんずく、仏法の精神を捨てることになってしまいます」

 

 メンバーは、学会員が事件を起こしたと報道されるたびに、自分の周囲の人びとに、どう説明してよいかわからず、悔しい思いをしてきた。

 

 伸一は、その問題を取り上げ、

 事の本質を明らかにしたのである。

 彼は、会員が、いかなる問題で苦しみ、

 いかなる批判に戸惑っているのかについて、

 レーダー網を張り巡らすかのように、

 常に心を配っていた。

 そして、それが何かをつかむと、

 真っ先に対応し、

 論破すべきものは明快に論破していった。

 その迅速な対応こそが、

 言論戦の要諦といえるからだ。

 

<新・人間革命> 第8巻 宝剣 100頁~102頁

2021年11月14日

第1784回

広布の志の人は

「福運の勝者」

 

 仏法の世界には、

 一切、

 無意味なことはない。

 最も大変なところで

 苦労した人に、

 最も功徳が薫る。

 最も地味な

 陰の努力に徹した人に、

 最も栄光が輝く。

 これが「冥の照覧」である。

  

 大事なのは、

 わが一念が、

 どこを向いているかだ。

 「何のため」という

 根本目標を定めることだ。

 私たちで言えば、

 自身の一念を御本尊に、

 広宣流布に

 向けていくことである。

 「志ざし」は

 目には見えないが、

 「志ざし」の力によって、

 勝利の方向へ、

 幸福の方向へ

 向けていくことができる。

  

 皆さまの広布への献身は、

 仏への最大の供養である。

 妙法のために

 行動した功徳は、

 自分だけでなく、

 父母、兄弟など、

 すべての縁ある人々の

 成仏への力となっていく。

 皆を幸福の方向へ

 向かわせてあげられる。

  

 信心の「心」の

 微妙な違いが、

 時とともに大きな

 境涯の差となって表れる。

 日蓮大聖人の仰せ通りに、

 世界広宣流布へ、

 「大善」の心を重ねる

 皆さま方は、

 三世にわたって

 「生命の長者」

 「福運の勝者」

 「希望の王者」と

 輝くことは、

 間違いない。

  

 さあ、わが友よ!

 共戦の同志よ!

 今日から始めよう。

 永遠なる

 創価の師弟の旅を!

 人間革命の

 勝利と栄光の旅を!

 今再び、広宣流布の

 誓願を燃やして出発だ!

 

2021年11月14日〈池田大作先生 四季の励まし〉

2021年3月28日

第1709回

学ぶことは人間の「権利」

 

 

 学ぶことは、

 何ものにも代え難い

 人間の尊厳の証しである。

 学ぶことは、

 人間として

 最も誇り高い権利であり、

 特権なのである。

 学ぶことによって、

 わが生命に秘められた

 偉大な力を引き出せる。

 学ぶことによって、

 正義のために戦い、

 人々を幸福にできる。

  

 人間も、社会も、文明も、

 学ぶことをやめた時、

 衰退が始まる。

 これは

 歴史の厳しき実相である。

 生き生きと

 学び続ける道には、

 行き詰まりはない。

 必ず、

 新たな価値創造の活路が

 開かれる。

  

 人を幸福にするための

 学問である。

 民衆に貢献するための

 学問である。

 父母に親孝行するための

 学問である。

 未来を勝ち開きゆくための

 学問である。

 学びゆく人は、

 断じて負けない。

  

 きのうよりはきょう、

 きょうよりはあすと、

 向上の坂を上りゆく、

 みずみずしい生命力と

 学びの姿勢が

 あるかどうかで、

 人生の勝利が

 決定づけられることを

 忘れてはならない。

 新しい知識の習得のみが、

 学ぶということの

 本当の意味ではない。

 最も重要なことは、

 学ぶことによって、

 自分自身が

 「新しい自分」に

 なっていくことである。

  

 「向学の心」を

 失わないことだ。

 前進し続けることだ。

 そうして進んだ道が、

 君にしかない、

 あなたにしかない

 「使命の道」

 「充実の道」

 「勝利の道」になっていく。

 

2021年3月28日〈池田大作先生 四季の励まし〉 

 

2918年8月19日

第1520回

我らの行動は

「万人成仏」

即ち

「一切の衆生の救済」が大前提

 

 人道的活動のために、宗派や教団の枠を超えて、協力していくことは、人類の幸福を願う宗教者の社会的使命のうえからも、人間としても、必要不可欠な行動といってよい。
 そして、共に力を合わせて、課題に取り組んでいくには、互いの人格に敬意を払い、その人の信条や文化的背景を尊重していくことである。
 本来、各宗教の創始者たちの願いは、人びとの平和と幸福を実現し、苦悩を解決せんとするところにあったといえよう。その心に敬意を表していくのである。
 よく日蓮大聖人に対して、「四箇の格言」などをもって、排他的、独善的であるとする見方がある。しかし、大聖人は、他宗の拠り所とする経典そのものを、否定していたわけではない。御書を拝しても、諸経を引いて、人間の在り方などを説かれている。
 法華経は、「万人成仏」の教えであり、生命の実相を説き明かした、円満具足の「諸経の王」たる経典である。それに対して、他の経典は、一切衆生の成仏の法ではない。生命の全体像を説くにはいたらず、部分観にとどまっている。その諸経を絶対化して法華経を否定し、排斥する本末転倒を明らかにするために、大聖人は、明快な言葉で誤りをえぐり出していったのだ。
 そして、釈尊の本意にかなった教えは何かを明らかにするために、諸宗に、対話、問答を求めたのであるそれは、ひとえに民衆救済のためであった。それに対して、幕府と癒着していた諸宗の僧らは、話し合いを拒否し、讒言をもって権力者を動かし、大聖人に迫害を加え、命をも奪おうとしたのである。
 それでも大聖人は、「願くは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん」(御書五〇九ページ)と、自身に大弾圧を加えた国主や僧らを、最初に成仏に導いてあげたいと言われている。そこには、慈悲と寛容にあふれた仏法者の生き方が示されている。
 人びとを救おうとする、この心こそが、私たちの行動の大前提なのである。

〈小説「新・人間革命」〉 誓願 121   2018年8月18日

2014年1月18日

信心の目的は、三世永遠の幸福


 戸田先生は、信心の「大利益」を論じて、こう言われている。
 「成仏の境涯をいえば、いつもいつも生まれてきて力強い生命力にあふれ、生まれてきた使命のうえに思うがままに活動して、その所期の目的を達成し、だれもこわすことのできない福運をもってくる。
 このような生活が何十度、何百回、何千回、何億万べんと、楽しく繰り返されるとしたら、さらに幸福なことではないか。この幸福生活を願わないで、小さな幸福にガツガツしているのは、かわいそうというよりほかにない」
 信心の目的は、永遠の幸福です。今世は夢のようなものだ。その夢から覚めて、この一生で「永遠の幸福」を固めるための信心です。それを一生成仏と言う。だから今世を頑張りなさいと言うのです。そのためには、何が必要か。
 日蓮大聖人は「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(御書1360頁)と仰せです。大聖人と心を同じくして広宣流布へと戦う人こそ、真の地涌の菩薩なのです。

 

法華経の智慧(中)従地涌出品(第十五章)

2013年8月2日

 理想や目標が自分を克服する

 

 会談の席上、ミッテラン大統領(当時)は、こう言われた。
 「一生かかっても届かないような理想や目標に対して努力していく。それは、実際には実現の見とおしはないかもしれない。だが、それに向かって努力するところに、自分自身を克服することができるのです」と。
 私には、この言葉が大統領自身の人生観の結晶として、まことに味わい深くうかがえた。
 「深き理想」には「深き人生」が、「大きな目標」には「大きな自分」がともなっていく、理想、目標のない人生は、努力も苦労もないが、向上への喜びもない。そこには、むなしい自分しか残らない。
 私どもは「広宣流布」という人類未聞の理想に向かって、日々努力を重ねているのである。ゆえに、人に倍する忍耐も苦労も要るが、真実の「満足の自分」を築くことができるのは間違いない。

 

1989.11.12「11・18」記念合同幹部会

2013年5月5日6日

 革命のためか、自分のためか
 
「革命のための人生」なのか。それとも「人生のための革命利用」なのか。 私どもで言えば、広宣流布のために自分をささげるのか。自分のために広布を利用し、信心と学会を利用するのか。この「一念の差」は微妙である。ある意味でタッチの差である。 しかし、その結果は大きく異なる。広布のため、正法のために・・・との信心の一念は、諸天を大きく動かし、友の道を限りなく開いていく。自身の生命にも、三世永遠の福徳の軌道、確たる〝レール〟が築かれていく。 反対に、口には広布を唱え、裏では、心堕ち、身が堕ちてしまった人間もいる。立場や名利、金銭に執着し、その心を本として、たくみに泳ぎつつ生きていく。これまでの退転者らがそうであった。 また、人に認められよう、ほめられようとの一念で行動する人もいる。しかも自分では、けっこう頑張っているつもりでいる。自分で自分のエゴがわからない。
 
1989.10.12第11回関西総会

2013年1月11日

そこに深い意味あり

 

『必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり(兵衛志殿御返事、1091頁)
「人は、窮地に陥ったから不幸なのではない。絶望し、悲観することによって不幸になるんです」「大事なことは、自分が今、窮地に陥り、苦悩しているのはなんのためかという、深い意味を知ることです」

 

大白蓮華No.757号2013.1月号76頁

2012年12月30日

人生は『衆生所遊楽』

 

「われわれは、なんのために、この世に生を受けたのか――」「それは、『衆生所遊楽』と御書にもあるように、この人生を“楽しむ”ためであります。そして、苦渋の人生から、遊楽の人生へと転換していくための信心なんです」(中略)「御本仏の生命の当体である御本尊に、南無妙法蓮華経と題目を唱えていくならば、自身の生命が仏の大生命と境智冥合していきます。それによって、己心に具わっている仏の生命を開いていくことができるんです。その生命境涯が『四徳』、すなわち『常楽我浄』であると説かれています。

 

小説 新・人間革命 26巻 法旗 18

2012年6月23日  

私の念願
  
 その(創価学会の)目的は何か。学会という教団が勢力を拡大することでもなければ、議員を増やすことでもありません。この戸田先生が示された三指針を、一人ひとりが現実のものとして、一家の和楽を、人生の幸福を、何ものにも負けない自己自身を築き上げていくことこそ、私どもの目的であります。(中略)この"なんのため〟の信仰かを銘記し、同志を一人も退転させることなく、全員に大功徳を受けさせていただきたいのであります。それが、私の念願であります
  
小説 新・人間革命 5巻 281~2頁

世界広布新時代

創立100周年へ

青年・飛躍の年

(2022年)

2013.11.18

広宣流布大誓堂落慶

更新日

2022.8.14

第2073

第2074

 

日天月天ワンショット

日めくり人間革命URL