何のため

2918年8月19日

第1520回

我らの行動は

「万人成仏」

即ち

「一切の衆生の救済」が大前提

 

 人道的活動のために、宗派や教団の枠を超えて、協力していくことは、人類の幸福を願う宗教者の社会的使命のうえからも、人間としても、必要不可欠な行動といってよい。
 そして、共に力を合わせて、課題に取り組んでいくには、互いの人格に敬意を払い、その人の信条や文化的背景を尊重していくことである。
 本来、各宗教の創始者たちの願いは、人びとの平和と幸福を実現し、苦悩を解決せんとするところにあったといえよう。その心に敬意を表していくのである。
 よく日蓮大聖人に対して、「四箇の格言」などをもって、排他的、独善的であるとする見方がある。しかし、大聖人は、他宗の拠り所とする経典そのものを、否定していたわけではない。御書を拝しても、諸経を引いて、人間の在り方などを説かれている。
 法華経は、「万人成仏」の教えであり、生命の実相を説き明かした、円満具足の「諸経の王」たる経典である。それに対して、他の経典は、一切衆生の成仏の法ではない。生命の全体像を説くにはいたらず、部分観にとどまっている。その諸経を絶対化して法華経を否定し、排斥する本末転倒を明らかにするために、大聖人は、明快な言葉で誤りをえぐり出していったのだ。
 そして、釈尊の本意にかなった教えは何かを明らかにするために、諸宗に、対話、問答を求めたのであるそれは、ひとえに民衆救済のためであった。それに対して、幕府と癒着していた諸宗の僧らは、話し合いを拒否し、讒言をもって権力者を動かし、大聖人に迫害を加え、命をも奪おうとしたのである。
 それでも大聖人は、「願くは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん」(御書五〇九ページ)と、自身に大弾圧を加えた国主や僧らを、最初に成仏に導いてあげたいと言われている。そこには、慈悲と寛容にあふれた仏法者の生き方が示されている。
 人びとを救おうとする、この心こそが、私たちの行動の大前提なのである。

〈小説「新・人間革命」〉 誓願 121   2018年8月18日

2014年1月18日

信心の目的は、三世永遠の幸福


 戸田先生は、信心の「大利益」を論じて、こう言われている。
 「成仏の境涯をいえば、いつもいつも生まれてきて力強い生命力にあふれ、生まれてきた使命のうえに思うがままに活動して、その所期の目的を達成し、だれもこわすことのできない福運をもってくる。
 このような生活が何十度、何百回、何千回、何億万べんと、楽しく繰り返されるとしたら、さらに幸福なことではないか。この幸福生活を願わないで、小さな幸福にガツガツしているのは、かわいそうというよりほかにない」
 信心の目的は、永遠の幸福です。今世は夢のようなものだ。その夢から覚めて、この一生で「永遠の幸福」を固めるための信心です。それを一生成仏と言う。だから今世を頑張りなさいと言うのです。そのためには、何が必要か。
 日蓮大聖人は「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(御書1360頁)と仰せです。大聖人と心を同じくして広宣流布へと戦う人こそ、真の地涌の菩薩なのです。

 

法華経の智慧(中)従地涌出品(第十五章)

2013年8月2日

 理想や目標が自分を克服する

 

 会談の席上、ミッテラン大統領(当時)は、こう言われた。
 「一生かかっても届かないような理想や目標に対して努力していく。それは、実際には実現の見とおしはないかもしれない。だが、それに向かって努力するところに、自分自身を克服することができるのです」と。
 私には、この言葉が大統領自身の人生観の結晶として、まことに味わい深くうかがえた。
 「深き理想」には「深き人生」が、「大きな目標」には「大きな自分」がともなっていく、理想、目標のない人生は、努力も苦労もないが、向上への喜びもない。そこには、むなしい自分しか残らない。
 私どもは「広宣流布」という人類未聞の理想に向かって、日々努力を重ねているのである。ゆえに、人に倍する忍耐も苦労も要るが、真実の「満足の自分」を築くことができるのは間違いない。

 

1989.11.12「11・18」記念合同幹部会

2013年5月5日6日

 革命のためか、自分のためか
 
「革命のための人生」なのか。それとも「人生のための革命利用」なのか。 私どもで言えば、広宣流布のために自分をささげるのか。自分のために広布を利用し、信心と学会を利用するのか。この「一念の差」は微妙である。ある意味でタッチの差である。 しかし、その結果は大きく異なる。広布のため、正法のために・・・との信心の一念は、諸天を大きく動かし、友の道を限りなく開いていく。自身の生命にも、三世永遠の福徳の軌道、確たる〝レール〟が築かれていく。 反対に、口には広布を唱え、裏では、心堕ち、身が堕ちてしまった人間もいる。立場や名利、金銭に執着し、その心を本として、たくみに泳ぎつつ生きていく。これまでの退転者らがそうであった。 また、人に認められよう、ほめられようとの一念で行動する人もいる。しかも自分では、けっこう頑張っているつもりでいる。自分で自分のエゴがわからない。
 
1989.10.12第11回関西総会

2013年1月11日

そこに深い意味あり

 

『必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり(兵衛志殿御返事、1091頁)
「人は、窮地に陥ったから不幸なのではない。絶望し、悲観することによって不幸になるんです」「大事なことは、自分が今、窮地に陥り、苦悩しているのはなんのためかという、深い意味を知ることです」

 

大白蓮華No.757号2013.1月号76頁

2012年12月30日

人生は『衆生所遊楽』

 

「われわれは、なんのために、この世に生を受けたのか――」「それは、『衆生所遊楽』と御書にもあるように、この人生を“楽しむ”ためであります。そして、苦渋の人生から、遊楽の人生へと転換していくための信心なんです」(中略)「御本仏の生命の当体である御本尊に、南無妙法蓮華経と題目を唱えていくならば、自身の生命が仏の大生命と境智冥合していきます。それによって、己心に具わっている仏の生命を開いていくことができるんです。その生命境涯が『四徳』、すなわち『常楽我浄』であると説かれています。

 

小説 新・人間革命 26巻 法旗 18

2012年6月23日  

私の念願
  
 その(創価学会の)目的は何か。学会という教団が勢力を拡大することでもなければ、議員を増やすことでもありません。この戸田先生が示された三指針を、一人ひとりが現実のものとして、一家の和楽を、人生の幸福を、何ものにも負けない自己自身を築き上げていくことこそ、私どもの目的であります。(中略)この"なんのため〟の信仰かを銘記し、同志を一人も退転させることなく、全員に大功徳を受けさせていただきたいのであります。それが、私の念願であります
  
小説 新・人間革命 5巻 281~2頁

世界広布新時代

創立90周年へ

前進・人材の年

(2020年)

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

更新日

2020.8.3

第1690回

  

日天月天ワンショット

日めくり人間革命URL