創価学会

2018年11月14日

第1553回
「戸田の命よりも大切な学会の組織」

 

<派閥や信心利用、権威主義を絶対許すな!>

 

 日蓮大聖人の仏法を実践する、わが創価学会の組織は、初代牧国会長以来、尊き「信心の向上」のためにある。
 かりに、信仰の世界が、一人だけで、勝手気ままにできる世界であれば、一見、いいように思えるかもしれない。しかし、それでは結局、わがままになり、悪縁に紛動されて、迷走してしまうものだ。
 それでは、「自由」のように見えても、真の「生命の自由」の境涯には、決して到達できない。
 御聖訓には、こう仰せである。
 『木を植える場合には、大風が吹いたとしても、強い支えがあれば倒れない。もともと生えていた木であっても、根が弱いものは倒れてしまう。たとえ、ふがいない者であっても、助ける者が強ければ、倒れない。少々強い者であっても、独りであれば、悪い道では倒れてしまう』(御書一四六八ページ、通解)と。
 恩師は「戸田の命よりも大切な学会の組織」と
 ここに、組織が生まれる必要性がある。
 組織は、邪悪を防ぐ壁となる。
 また組織とは、確かな目標に向かって、まっすぐに走り、たがいに切磋琢磨しながら向上していくための「正しい軌道」を意味する。これが、組織が重要となるゆえんである。どの社会であれ、どの分野であれ、組織が存在する理由も、ここにある。
 なかんずく、恩師が「戸田の命よりも大切」と言われた創価学会の組織である。決して、派閥や信心利用、権威主義などの根本的な過ちがないよう、よくよく、心していかねばならない。
 将来のために、あえて申し上げておきたい。
 まことしやかな噂をささやかれ、事実無根の噂で苦しめられる――そういうことが起きたとしても、少しも動揺してはならない。それでは、自分が損をする。不動の精神で、毅然と広布に戦っていけばよいのである。
 大聖人は、弟子の四条金吾が、悪意の議言で苦しめられたとき、「妬む人間の作りごとでありましょう」(御書一一五七ページ、通解)と記述され、「少しも、へつらわずに振る舞い、語っていきなさい」(御書一一六四ページ、通解)と励ましておられる。
 いつの時代であれ、事実無根の噂をまいた本人は、いずれ、厳しい仏罰を受ける。
 皆さまご存じのとおり、ここ群馬には、作り話で同志をだました人間がいた。(逮捕され、懲役刑に服している)
 もし、事実無根の噂で苦しむ方がいれば、学会本部に遠慮なく言ってきていただきたい。
 また、仏意仏勅の組織にあって、「異体同心の団結」を崩す人間は、厳格に対処していくのは当然である。これが、牧口先生、戸田先生の時代からの伝統精神であるからだ。
 戸田先生は、清浄無比の広布の組織を守るために、徹して厳格であられた。
 折にふれ、先生は、次のように言われた。


(一)清浄な創価学会の組織を攪乱する者を追放せよ。
(二)自分は立派な信心を全うせず、あちらこちらで愚劣な批判ばかりしている邪魔者は追放せよ。
(三)御書を拝さず、学会の信心指導を受けず、学会に迷惑をかける者は、断固、追放せよ。
(四)金銭問題、男女問題で皆に迷惑をかけ、非難を受けるような者は、幹部を解任し、追放せよ。
(五)模範的な信行に励んできた方々は、「仏の使い」として、最大に尊敬し、大事にすること。
(六)派手な存在ではなく、地味な存在で、水の流れるごとき信心の方々を最大に大事にすること。
(七)作り話の報告、自分を守るための邪険な報告をする者に、十分、気をつけよ。場合によっては、幹部を解任すべきだ。
(八)勤行を怠け、おろそかにしている幹部は、絶対に信用するな。
(九)傲慢になって人を叱り、慈愛のない幹部は、組織悪であり、皆で忠告し、皆の協議で、幹部を辞めさせるべきだ。


 仏法は、「現当二世」と説く。過去を振り返るのではなく、つねに「現在から未来へ」生きゆく人生であるべきだ。
 いかに、過去に功労があったとしても、現在と未来に、愚痴や批判を繰り返し、人生の正しき軌道をはずれ、組織や学会に迷惑をかけるような人間になってはならない。それは、もはや敗北者であるからだ。
 ともあれ、尊き広布の同志に迷惑をかける悪い人間がいれば、真実をそのまま幹部に報告し、相談していただきたい。さらに、方面長、理事長、会長にも、遠慮なく相談していただきたい。場合によっては、解任や除名が必要になることもあろう。

 ただし、「言いつけ主義」は、絶対に禁物である。作り話は、仏罰を受けることはいうまでもない。

 2001年8月28日 群馬最高協議会

2018年9月8日

第1521回

恒久平和は、人類の悲願

なればこそ

創価学会あり、

人間革命の仏法あり

 

<“本物の弟子”がいるかどうかが問題なんです!>

 

 山本伸一は、同時多発テロ事件後、各国の識者との会見でも、また日本の新聞各社のインタビューなどでも、今こそ、平和と対話への大世論を起こすべきであると強調した。
 翌年の1・26「SGIの日」記念提言でも、「文明間対話」が二十一世紀の人類の要石となると述べるとともに、国連を中心としたテロ対策の体制づくりをと訴えた。また、テロをなくす方策として、「人間の安全保障」の観点から、人権、貧困、軍縮の問題解決へ、世界が一致して取り組む必要性を提起した。
 彼は、世界の同志が草の根のスクラムを組み、新しい平和の大潮流を起こす時がきていることを感じていた。もとより、平和の道は“険路”である。恒久平和は、人類の悲願にして、未だ果たし得ていない至難のテーマである。なればこそ、創価学会が出現したのだ! なればこそ、人間革命を可能にする仏法があるのだ! 対話をもって、友情と信義の民衆の大連帯を築くのだ!
 また、人類の平和を創造しゆく道は、長期的、抜本的な対策としては正しい価値観、正しい生命観を教える教育以外にない。めざすべきは「生命尊厳の世紀」であり、「人間教育の世紀」である。
 二〇〇一年(平成十三年)十一月十二日、11・18「創価学会創立記念日」を祝賀する本部幹部会が、東京戸田記念講堂で晴れやかに開催された。新世紀第一回の関西総会・北海道栄光総会、男子部・女子部結成五十周年記念幹部会の意義を込めての集いであった。
 伸一は、スピーチのなかで、皆の労を心からねぎらい、「『断じて負けまいと一念を定め、雄々しく進め!』『人生、何があろうと“信心”で進め!』――これが仏法者の魂です」と力説した。そして、青年たちに、後継のバトンを託す思いで語った。
 「広宣流布の前進にあっても、“本物の弟子”がいるかどうかが問題なんです!」
 広宣流布という大偉業は、一代で成し遂げることはできない。師から弟子へ、そのまた弟子へと続く継承があってこそ成就される。

 

小説「新・人間革命」 誓願 138  2018年9月7日

2016年11月21日

創価学会の使命


 <「一人」が幸福になるかどうか>

 

 創価学会の使命は、
 世界広宣流布にある。
 日蓮大聖人の仏法を、
 人々の胸中に打ち立て、
 崩れざる世界の平和と、
 万人の幸福を実現することにある。
 大聖人は、末法にあって
 全人類の救済のために
 妙法流布の戦いを起こされ、
 全世界への
 大法弘通を誓願された。
 学会は、御本仏のその大誓願を
 果たすために出現した、
 人間主義の世界宗教である。
   
 「人間のための宗教」こそ
 仏法の帰結だ。
 それゆえ、反対に
 「宗教のための人間」
 「宗教のための宗教」
 というような
 転倒した権威主義とは、
 どこまでも戦わざるを得ない。
 希望へ、幸福へ、
 安穏へ、平和へと、
 大悪を常に
 大善の方向へ転じていくのが、
 現実変革の宗教の証しである。
   
 目の前の一人を、
 親身になって蘇生させていく。
 一人の宿命転換の劇に、
 最高の善知識として関わっていく。
 「一人」を励まし育てることが、
 世界の広宣流布を築く一歩だ。
 否、世界広布といっても、
 「一人」が
 幸福になるかどうかで決まる。
   
 創価学会には、いかなる大難も
 私と共に勝ち越えてきた、
 勇気と誠実と忍耐の
 英雄が無数にいる。
 「仏法は勝負」である。
 ゆえに、戦い勝たねばならない。
 戦うことが「後継」だ。
 勝つことが「報恩」である。

 

2016年11月20日付聖教新聞 池田大作先生 四季の励まし 世界へ! 人間のための宗教を

2016年11月18日


「創立の月」
 <生まれ変わる月、一人立ち上がる月>

 

 「創立の月」とは、
 新しい歴史を“創る月”である。
 正義の師子が
 猛然と“一人立つ月”でもある。
 自分自身の新しい歴史を
 塗り替えていくのだ!
 古い殻を破り、
 生まれ変わる月だ!
 限界の壁を叩き割り、
 雄々しく
 一人立ち上がる月なのだ!

 

 「一人」の人間がもつ
 計り知れない可能性を信じ、
 その力に目覚めさせ、発揮させ、
 連帯を広げてきたのが、
 創価の民衆運動の歴史である。
 全体があって、
 一人一人があるのではない。
 まず一人一人の人間があって、
 強く団結していくのである。
 すべては、「一人」に帰着する。

 

 人材は、何もしないでいては、
 決して育たない。
 みずから苦労して、
 新しい人材を見つけ、
 真剣になって育てていくことだ。
 自分から後輩たちのなかに
 飛び込んでいくことである。
 皆をほめ讃えていく。
 皆に尽くしていく。
 声をかけるだけでも、
 皆の力になり喜びになるものだ。

 

 完勝の歴史は
 一朝一夕にはつくれぬ。
 一日一日の
 たゆみない着実な精進こそ
 一つ一つの
 小さな勝利の積み重ねこそ
 大勝利の源である。
 歴史の勝利者たるには
 まず 自己の悲哀に勝て!
 嘆きを決意に変えよ!
 逡巡するな! 臆するな!
 勇敢に粘り強く
 前進 前進 また前進の
 歩みを開始しゆくのだ!

 

2016年11月13日付 聖教新聞 四季の励まし 創立の月 自身の新しい歴史を

2016年11月15日

戸田先生の確信(3)
 <「わが闘争に悔いなし」と今世を>

 

 大聖人は「生死一大事血脈抄」にこう仰せである。
 『金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず・鉄は水火共に堪えず・賢人は金の如く愚人は鉄の如し・貴辺豈あに真金に非ずや・法華経の金を持つ故か
──金は大火にも焼けず大水にも漂(ただよ)わず、また朽ちることもない。鉄は水にも火にも、ともに耐えることができない。賢人は金のようであり、愚人は鉄のようである。あなた(最蓮房)は、まさに真金(真実の金)ではないか。それは、法華経の金を持つゆえであろうか──。
 人生というのは、いろいろなことがある。「大水」が押し寄せる高い波の時もある。低い波の時もある。また″なぎ″の時もある。苦悩の「大火」に焼かれる思いの時もあろう。
 大事なことは、たとえ、どういう時でも、「自分はこれだけやりきった」と納得できる生き方、悔いのない生き方を貫くことである。その人こそ、賢人である。勝者であり、幸福者であろう。
 人がどう言おうと、また、どう見ようと、それはそれである。あくまでも、自分の信念を貫くことである。亡くなった松下幸之助さんとも、よく語り合った。二人の語らいの結論も「自分はこういう人生を生き抜いた」「自分の人生はこうだった」と言い切れるかどうかということであった。
 現代は、だれも確固たる哲学をもっていない。明快なる判断の基準がなくなってしまっている。その意味では、不幸な社会である。かわいそうな時代である。責任がある立場の人ほど悩みは深い。そのことを考えるとき、私たちには、三世永遠の哲学がある。向上への確固たる軌道がある。実は、これほどの幸福はないのである。
 大聖人は、教えておられる。
 『一人の心なれども二つの心あれば其の心たが違いて成ずる事なし、百人・千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず
──一人の心であっても、二つの心があれば、その心が争って、なにごとも成就することはない。(これに対して)たとえ百人や千人であっても″一つの心″であれば、必ずものごとを成就できるのである──と。
 心の定まらない「二心」「三心」であっては結局、何もできない。あちらを見、こちらを見、いつも迷いながら生きるよりも、自分の決めた正義の道を、まっすぐに進みたい。そしていよいよ「真金の信念」を輝かせ、「金剛の団結」を輝かせて、社会を照らしてまいりたい。

1993年11月30日岡山の勤行会

2016年11月14日

戸田先生の確信(2)
 <仏勅の学会をだれ人にも壊せぬ>

 

 戸田先生は指導されている。
 「広宣流布をなすのは、学会以外にない。これにそむけば五逆罪になる。学会を離れてしあわせなものはいない。功徳のあるわけがない」「仏法に五逆罪ということがある。父母を殺す。これは逆罪である」
 「次に殺阿羅漢。これは世の指導者、師匠を殺すのが、殺阿羅漢という。次に出仏身血すいぶっしんけつ(仏の身から血を出す)。御本尊を破るのはこれで、そまつにすることは五逆罪の一つになる。
 次に和合僧を破る。心の和合を破壊し、仏の道を破壊することである。僧というとへんだと思うかもしらぬが、坊さんだけのことではないのです。
 わが学会は、和合して、広布へ、日蓮大聖人様の教えを、日蓮大聖人様の指導通りにやろうというのであるから、これを破ろうとするものは、かならず仏法の大きな罰をうける。
 もし破ろうとするものあるならば、やってみたまえ。内から外からやってみたまえ。絶対にできぬ」(昭和二十九年二月二十七日、本部幹部会)と。
 「僧」とは、本来、「和合僧」のことであり、仏法で尊ぶべき真の和合僧とは、現代では創価学会である。「破和合僧」は五逆罪なのである。
 大聖人は、「無間地獄」あるいは「大阿鼻地獄」について、『此の地獄に堕ちたる者・これ程久しく無間地獄に住して大苦をうくるなり、業因を云わば五逆罪を造る人・此の地獄に堕つべし』──この地獄に堕ちた者は、これほど久しい間(一中劫の間)、無間地獄に住して、大苦悩を受けるのである。無間地獄に堕ちる業因をいえば、五逆罪を犯す人が、この地獄に堕ちるのである──と記されている。
 日顕自身がこうなることは、自業自得である。しかし、民衆が彼にたぶらかされてしまえば、この大罪と「与同罪」になってしまう。それが、かわいそうである。断じて破折し、謗法の酔いをさませて、救ってあげなければならない。
 戸田先生のご確信のように、内からであれ、外からであれ、だれびとの策謀であっても、絶対に学会を破ることはできない。
 仏の身を、「金剛身」という。金剛石(ダイヤモンド)のように堅固で、いかなる煩悩や迷いにも壊れないからである。創価学会も、いかなる障魔や難にも壊れない「金剛不壊の教団」である。今回の宗門の問題によって、改めてそれが証明されたのである。この尊い学会を、皆さまは断じて守り抜いていただきたい。
(つづく)

1993年11月30日岡山の勤行会

2016年11月13

戸田先生の確信(1)


 <「広宣流布は私がやる」>

 

 きょうは、戸田先生の指導を少々、紹介しておきたい。私たちの進む原理・原則は全部、戸田先生が教えてくださっている。
 昭和二十五年(1950年)の晩秋であった。先生の事業は挫折。前途に光明はまったく見えない。そんななか、学会の第五回総会で、先生は、理事長辞任を発表された──。その総会で、戸田先生が話されたのが、先生の使命である「仏勅」についてであった。

広宣流布は仏意仏勅

 「広宣流布は、仏意であり、仏勅であります。われわれ凡夫の力をもってして、これを左右することなど、絶対にできないのでありまして、仏意にあらずんば、絶対に不可能であります」
 「たとえいかなる大難にあおうとも、ひとたび題目を唱えたならば、水をのみ、草の根をかみ、そのために死ぬる日があろうとも、命のあらんかぎり、諸君とともどもに、広宣流布をめざして邁進いたしたい。これこそ、わたくしの唯一無上の願いであります」(昭和二十五年十一月十二日。『戸田城聖全集』第三巻)
 この半年後(昭和二十六年五月三日)、戸田先生は、暗雲を払われて、第二代会長に就任されたのである。このころ、戸田先生の苦衷を知る者は、だれもいなかった。私と二人だけで築いた歴史であった。

 戸田先生は、また、ある時は、こう語られた。
 「ここに、ひとつの覚悟をもって会長になった以上には、つらいも悲しいもあるものか。私のからだは皆さまの前に投げ出して、広宣流布の大闘士として、私は戦います
 「あなた方に、広宣流布をしてくれということは、戸田は頼みません。広宣流布は私がいたします。あなた方は、ご自分のしあわせのために折伏しなさい。あなた方は、御本尊様を拝んで折伏する以外には、幸福になる道はないのです。こうなったら、あきらめて折伏しなさい。
 これは、私のためでもなければ、日蓮正宗のためでもなければ、御国のためでもない。あなた方のためにやることが、結局は広宣流布のためであり、御国のためになるのである。だから、皆さんの信心の努力の大半を自分自身の幸福のために使って、その残りを広宣流布のためにこっちへよこしなさい。豆腐のカス(おから)みたいなものをこっちによこして、自分がしあわせになって、そうして、そのカスで広宣流布をやるのだから、楽なものです」(昭和三十年一月二十三日、西日本三支部連合総会)
 戸田先生は、「広宣流布は私がやるのだ」と言われ、一日一日、文字どおり身命を削られた。
「広布のため」と「会員のため」以外には、何もない先生であられた。私も同じである。この心を私は、皆に継いでもらいたい。
大聖人は、次のように仰せになっている。
人に物をほどこせば我が身のたすけとなる、譬へば人のために火をともせば・我がまへあき明らかなるがごとし
──人に物を施せば(それがかえって)我が身を助けることになる。たとえば、人のために灯をともせば、(その人の前を明るくすると同時に)自分の前も明るくなるようなものである──と仰せになっている。
人のために尽くせば、善根となり、自分に戻ってくる。反対に人に非道をなし、苦しめた場合には、いつか同じことを自らが受けなければならない。これが因果の理法である。なかんずく、人々を最高の正法へ導いた功徳は、どれほど大きいことか。
 反対に、日顕は、仏意仏勅の創価学会の破壊を謀り、失敗して、学会を破門した。ゆえに還著於本人げんじゃくおほんにん(還って本人に著きなん)で、自滅の道をたどっている。醜い嫉妬の心から、人の家に火を付けようとして、我が身に火が付いてしまい、火ダルマになっているようなものである。
(つづく)

1993年11月30日岡山の勤行

2016年10月17日

もっともっと立派な学会に!

 

<「下」から「上」へ言っていくのである>

 

 もしも、青年を下に見たり、あごで使うような幹部がいれば、絶対に許してはいけない。
 若き諸君は、たとえ相手がどんな役職や立場であろうと、その行為が間違っていれば、「何をやっているんだ!」「先生の指導と違うではないか!」と、はっきり言っていくべきである。
 私たちは「言葉」で戦うのである。明快に言い切っていくことが、現実を変えていく力なのである。
 周総理は、こうも指導している。
 「真理を語る勇気を持ち、しかも見事に語らなければならない」と。
 真実を語る勇気――これを持った指導者になってもらたいたい。
 これまでも、同志に偉くしてもらいながら、立場が上になると、いい気になって、学会を利用するだけ利用し、最後は裏切っていった者がいた。
 私たちが知っておかなければいけないのは、幹部になればなるほど、増上慢という「魔」にやられて、「信心」を見失う危険が大きいということだだからこそ、「下」から「上」へ言っていくのである。
 全員が「会長」の自覚に立って、大切な学会を護っていただきたい。
 そして、皆が力を合わせて、本当の仲の良い、何でも自由に言い合える学会をつくっていきたい。皆で朗らかに励まし合って、もっともっと立派な学会にしていきたい。

 

2008年3月5日第六回全国青年部幹部会、新時代第十六回本部幹部会

2016年10月10日

 創価学会の魂

  

<我が身をなげうって>

 

 法華経の魂は、「万人を仏にする」ことにある。
 方便品には「如我等無異」(法華経130頁)――『我が如く等しくして異なること無からしめん』とある。
 全民衆を、自分と同じ境涯にまで高めたい。それが仏の誓願である。
 その心を、わが心として「不二」の道を進んでいけば、仏と「不二」の境涯になる。それが法華経の真髄である。
 その真髄を体現した尊極の和合僧が、創価学会である。
 我が身をなげうって、不幸の人、貧しい人、苦しむ人を救っていく。これが大乗仏教である。
 創価学会の魂である。これを忘れたら、何のための学会か。どこまでも民衆のために――この魂があるかぎり、学会は永遠に発展する。

 

2003年6月29日各部代表者会議

2016年10月8日

 学会員は

「法華経の行者」である(2)

 

<広宣流布のためのさまざまな活動は、

たとえどんな些細なものであっても、全部、化他行>

 

 牧口先生は、創価学会員こそが「行ずる者」、すなわち末法における「法華経の行者」であり、菩薩行を実践する本当の仏法者である、と宣言されたのです。
 私たちは御本尊を信受し、日々、具体的な実践をしています。それは、私たちの内にある仏の生命を開き、自他共に絶対的な幸福境涯を勝ち得ていくための仏道修行であり、具体的には「自行」と「化他行」の両面となります。
 「自行」とは、自身が功徳を受けるための修行であり、勤行(読経・唱題)です。「化他行」とは、他人に功徳を受けさせるために仏法を教える実践で、折伏・弘教です。広宣流布のためのさまざまな活動は、たとえどんな些細なものであっても、全部、化他の修行となります。
 『我もいたし人をも教化候へ』(御書1361頁)です。この自行化他の実践こそ、「法華経の行者」として最も肝要であることを、牧口先生は教えられたのです。

大白蓮華2016年10月号№804 10、11頁

2016年10月7日

 学会員は

「法華経の行者」である(1)

 

<「信者」でもなければ、「学者」でもない>

 

 初代会長・牧口常三郎先生は、「法華経の信者と行者と学者及び其研究法」と題する講演を残されています(1942年11月)。この時、牧口先生は喝破されました。
 「信者と行者は区別しなければならない。信ずるだけでも、お願いをすれば、御利益はあるに相違ないが、ただそれだけでは、菩薩行にはならない。自分ばかり御利益を得て、他人に施さないような個人主義の仏はいないはずである。菩薩行をせねば仏にはなれないのである
 この簡潔な言葉の中に、創価学会の信心の極意が結晶しています。
 信じているだけの「信者」ではいけない。
 学んでいるだけの「学者」でもいけない。
 他者のための行動に打って出る「行者」とならなければ、仏法は分からない。
(つづく)

 

2016年10月6日

 創価学会は折伏の団体

 

<誓願を貫いた時に、

仏の勇気、仏の智慧、仏の慈悲が

限りなく涌き出る>

 

 現代にあって、御本仏のお心のままに、「広宣流布」の大願を成就することを誓って立ち上がった仏意仏勅の教団が、創価学会です。一閻浮提広宣流布を進めている団体は、学会以外にありません。
 創価学会は「折伏の団体」です。
 折伏は、歓喜の波動を広げます。
 戸田先生は「折伏というものは苦しんでやるものではない。楽しくやらなければなりません」と、言われました。菩薩行は、常に誓願に生きる価値創造の喜びがあるからです。
 2013年(平成25年)11月、「広宣流布大誓堂」が落成した際にも全同志に呼び掛けましたが、「広宣流布の大願」と「仏界の生命」とは一体です。誓願を貫いた時に、仏の勇気、仏の智慧、仏の慈悲が限りなく涌き出てきます。ゆえに、私たちは、この誓願の力によって、どんな悩みも変毒為薬し、宿命をも使命へと転じていくことができるのです。

 

大白蓮華2016年10月号№804 18頁

2016年8月8日9日

 

学会は二十一世紀に向かう人類のための宗教

 

 <「創価の師弟」の本舞台の開幕>


 ブラジル・北パラナ大学のラフランキ総長は語って下さいました(1998年)。
 「師弟の関係は大変に重要であります。師匠が計画し、弟子が実行する。師匠が成功の道を指し示し、弟子が人生をかけてその道を行く。私たちはまた、『一人の人間革命が、やがては一国の宿命をも転換する』ということを信じています
 この師弟の大道を、世界各地の地涌の菩薩が進むことこそ、世界広布新時代です。
 新たな「時」が来ました。
 「師子王の仏法」を世界が待っています。
 「創価の師弟」の本舞台の開幕です。
 さあ、一人一人が、いやまして「師子王の心」を取り出し、幸福と勝利の師弟の大陣列を、さらに強く、さらに大きく、さらに重曹的に、威風も堂々と築き上げていこうではありませんか!

 

大白蓮華2015.11月号№79 341頁

2015年12月3日

学会は人間と人間の

こころのつながりだから強い

 

<組織の機構上のつながりではない!>

 

「世音を観ずる」慈愛と智慧を


池田 人の心を一番深くとらえるものは何だろうか、さまざまに言えるだろうが、やはり「慈愛」であり「優しさ」ではないだろうか。
 「あの人は、自分のことを、本気になって心配してくれた」
 「わがことのように祈ってくれた!」「大事にしてくれた!」「目に涙して叱ってくれた」「優しかった」
 その思い出は、生命に刻みつけられて離れない。指導者の根本条件も「慈愛」です。これしかない。大事に大事に、皆を守っていくことだ。
 私は観音品(観世音菩薩普門品)というと、この「慈愛の指導者」を思い浮かべる。
斉藤 はい。観音の姿も、慈母のような優しさに、あふれています。


  一生を支えた母の一言


遠藤 「悲母観音」というのもありますね。
池田 お母さんは、だれにだって懐かしい。
 昔、ある壮年からこんな話を聞いた。
 小さい時、父は毎日、酒ばかり飲んでいた。「兄弟は多いし、貧乏も貧乏。乞食のような暮らしでした」と。
 お母さんが細々と働いて、父の酒代まで工面していた。父は、母や子どもをよく殴った。酒を買いにやらされるのは、いつも男の子。ある寒い日の夕方、一升ビンに酒を入れてもらって、七、八歳の少年は日の暮れた道を一人たどっていた。
 父親のことは大きらいだったが、「母ちゃんの苦労が、しみこんだ酒だ」と思って、大事に抱えて歩いた。しかし、ビンは重いし、だんだん手がかじかんできた。もう少しで家に着く。明かりが見えた。ほっとしたのでしよう。しびれた手から、するっと、酒ビンが落ちてしまった。
 ガチャン! ビンは割れて、酒はみるみる流れていく。「しまった! どうしよう」。
 少年は泣きながら、玄関まで着いたが、家に入れない。中では父親が「酒はまだか!」と、どなっている。その時、少年の声を聞きつけたのか、お母さんが血相を変えて、表に出てきた。
 少年は「怒られる!」と思って、びくっと一歩下がった。
 ところが、お母さんは、少年を見るなり、抱きしめて、「足に当たらんかったか。けがはなかったか。お前に、けががなかったんなら、なんも泣かんでええんよ」と、背中をさすってくれたのです。その温かい一言が、その後も苦しいことがあるたびに自分の一生を支えてくれたと振り返っておられた。
「あのとき、叱られていたら、心がねじけてしまっていたかもしれません」と。
 自分のことを無条件に愛し、大事にしてくれた人がいる──その自覚が人間に「生きる力」を与えてくれるのではないだろうか。
遠藤 そう思います。観音菩薩が、どうしてこんなに人気があるのか。その秘密も、母のような慈愛にあると思います。
須田 創価学会も、ある意味で、親もおよばないほどの優しさで、一人一人を大切にしてきました。どんな悩みにも寄りそって、親身に、一緒になって励ましてきました。
遠藤 その実例は、文字通り「無数」にあります。
斉藤 だから強いんですね。
池田 組織の機構上のつながりではないから強い。人間と人間の心のつながりだから強い。観音──観世音菩薩。観世音とは「世音を観ずる」という意味です。
 世の中の、ありとあらゆる音声を、悩みの声を、大きな慈愛で受けとめ、抱きとって、その声に応えてあげる。一人一人の切実な思いを「聞いてあげる」「わかってあげる」「駆けつけてあげる」。その「限りない優しさ」が、観音菩薩ではないだろうか。そこに慕われる秘密もある。

 

法華経の智慧 観世音菩薩普門品 第二十五章

2015年5月10日

どんな闇があっても創価がある限り大丈夫だ!

 

<楽しく、そして仲良く、たくましく、大折伏を遂行しよう>

   

 第2次世界大戦下、最も深い時代の闇の中、戸田先生は、弾圧で投獄された独房で、この生命尊厳の平和の太陽を昇らせました。
 この戸田講堂のすぐ近くにあった東京拘置所で、先生は法華経の真髄を身読され、出獄後、人類の宿命を転換するために、「人間革命」の民衆運動を起こしていかれたのです。
 今や、その平和・文化・教育の人間主義の光は、世界192カ国・地域に広がり、地球を包んでいます。
 どんな不安や混迷の闇にあっても、創価の哲理がある限り、価値創造の希望は輝きます。
 どんな対立や不信の闇にあっても、創価の対話がある限り、立正安国の連帯は光ります。
 どんな災難や試練の闇にあっても、創価の挑戦がある限り、変毒為薬の勇気は燃えます。
 大震災にあったネパールでも、今、尊き同志が救援と復興の先頭に立って奮闘してくれています。
 ネパール、頑張れ! ネパール、負けるな! とエールの大拍手を送りましょう。
 先行きの見えない現代社会にあって、ますます妙法の太陽が渇仰されております。地域も世界も、我らの確信の声を待ってます。我らの信頼のスクラムを待ってます。
 55年前、私は、会長就任の折、「楽しく、そして仲良く、たくましく」大折伏を遂行しようと、呼びかけました。
 今再び、皆で、元初の誓いに立ち返って、祈り、戦い、体験を勝ち開き、体験を語り広げましょう!
 そして、あの友にも、この友にも、励ましの光を贈り、新たな地涌の菩薩を大地から呼び出しながら、いよいよ晴れやかに、人類と地球の明日を照らしていこうではありませんか!


2015.5.10付聖教新聞 SGI会長メッセージ

2015年4月6日

創価学会の存在意義

 

<現実変革への限りなき挑戦>

 

 人間革命は即、社会革命・環境革命になる
 「諸法実相抄」で大聖人は、妙楽の『法華文句記』の「依報正報・常に妙経を宣ぶ」(御書1358頁)との釈を挙げられています。依報(環境世界)も、正報(主体となる生命)も、常に妙法蓮華経を顕している、と。
 天台も言っている。“国土にも十如是がある”と。
 依報も正報も、別々のものではない。不二です。ここから、人間の変革が国土・社会の変革に通じるという原理が生まれる。
 諸法実相という仏眼から見れば、森羅万象は一つの生命体です。正報だけの幸福はありえない。依報だけの平和もありえない。自分だけの幸福もなければ、他人だけの不幸もない。人を幸福にした分、自分も幸福になるし、だれか一人でも不幸な人がいる限り、自分の幸福も完全ではない。こう見るのが諸法実相であり、ゆえに、「現実変革への限りなき挑戦」が、諸法実相の心なのです
 大聖人は、「立正安国論」を著(あらわ)されたご心境を「但偏(ひとえ)に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず」(御書35頁)と述べられています。どんな大難の嵐も、この民衆救済への炎を消せなかった。
 このご精神を受け継いで、「立正安国」の旗を高く高く掲げ、牧口先生は獄中に殉教なされた。戸田先生は、敗戦の荒野に一人立たれた。
 「法華の心は煩悩即菩提生死即涅槃なり」(御書773頁)「一念三千は抜苦与楽(ばっくよらく)なり」(同頁)
 民衆を苦悩から救うために仏法はある。創価学会はある。人類を幸福にするために創価学会は戦う。それ以外に存在意義はありません。
 その学会とともに進む人生は、どれほど偉大か。どれほど尊いか
 諸法実相の眼で見れば、「いま」「ここ」が、本有の舞台です。本舞台なのです。「此(ここ)を去つて彼(かしこ)に行くには非ざるなり」(御書781頁)です。
 「宿命」とも思えるような困難な舞台も、すべて、本来の自己の「使命」を果たしていくベき、またとなき場所なのです。
 その意味で、どんな宿命をも、輝かしい使命へと転換するのが、諸法実相の智慧を知った人の人生です。
 そう確信すれば希望がわく。出会う人々、出あう経験のすべてが、かけがえのない「宝」となる。
 タゴールは謳った。
 「この世は味わい深く、大地の塵までが美しい」(森本達雄著『ガンディーとタゴール』〈第三文明社〉の中で紹介)と。

 

法華経の智慧 方便品 第二章

2015年2月4日

誰が創価学会をつくったのか

 

<「大願」に立った庶民がつくった>

 

 須田 才能や環境に恵まれ、学歴のあるリーダーもいます。また学歴や肩書はなくとも、人生の苦労を知り、民衆の心を知っているリーダーもいます。それぞれに使命があり、役割があると思います。
 池田 その通りだ。しかし、忘れてならないことは、戦後の焼け野原の時代から、学会を死にもの狂いでつくってきたのは、絶対にインテリではないということです。庶民のなかの庶民がつくったのです。″病人と貧乏人の集まり″と蔑まれた民衆が、世界に広がる、今の平和・文化・教育の大集団を築いたのです。インテリには、強さもあるが、弱さもある。とくに日本のインテリは「民衆を守ろう」とするよりも「自分を守ろう」とする傾向が強いようだ。そんな保身は「大願の人生」には必要ない。
 捨て身です。「ちり(塵)を大地にうづ(埋)むとをもへ」です。青年は「苦労」が大きければ大きいほど、その分、「民衆の心を知ることができるのだ」「使命が大きいのだ」と決めて頑張ることです
 ともあれ、二乗たちに「生命の根源に帰れ」「大願を思い出せ」と呼びかけたのが法華経です。その具体的行動は、民衆のなかで、民衆とともに人生を生きることであった。
 何よりも、「民衆に学べ」です。あのドストエフスキーは、インテリたちに、こう警告します。
 「いかに真実を語るべきかを、民衆に学ぼうではないか。同時にまた民衆の謙虚と、実際性と、理知の現実性と、まじめさを学ぼうではないか」
 「(=社会を)なぜ活気づかせることができないかというと、諸君が民衆によろうとせず、民衆が諸君と精神的に一体となっていず、まるで無縁の存在にひとしいからである」(前掲『作家の日記』)と。

 

法華経の智慧 五百弟子受記品・授学無学人記品

 

2014年6月14日

民衆のために、誰がしましたか! 

  
 貧しさに耐え、病に苦しみ、蔑まれ、諍いに疲れ、生きる気力さえ失った友を励まし、その心に、妙法という勇気と希望と蘇生の火をともし続けてきたのは誰か!
 社会の底辺に追いやられてきた民衆を、社会建設の主体者として立ち上がらせ、立正安国の道を切り開いてきたのは誰か!
 冷笑、非難、中傷、罵詈、罵倒……の飛礫にさらされても、友のために、不幸に泣く人のために、汗を流し、足を棒にして、来る日も、来る日も、広宣流布に走り抜いてきたのは誰か!
 上品ぶった偽善家は眉をひそめて見て見ぬ振りをし、保身の批評家が背を向けた、苦悩する人びとのなかに、創価の同志は飛び込み、事実の上に、民衆勝利の旗を打ち立ててきたのだ。
 本部幹部会で、山本伸一は力強く訴えた。
 「広宣流布を現実に推進している創価学会の活動こそ、社会の一大変革運動であります。そして、それは、地涌の菩薩の行の実践であり、日蓮大聖人の『本門』の教えの実践にほかなりません。私どもは、『本門』の大道を進む誇りを胸に、勇躍、新たな前進を開始していこうではありませんか!」

 

小説 新・人間革命 27巻 激闘68

2014年4月8日

我らの「一心欲見仏・不自身命」


  『肉をほしがらざる時身を捨つ可きや紙なからん世には身の皮を紙とし筆なからん時は骨を筆とすべし』(佐渡御書、957頁)です。
  仏法は「時に適った」仏道修行が大切です。
  そのうえで、立ち上がるべき時には立ち上がらなければならない。
  日本の戦前がそうでした。愚かな指導者が出て、民衆は悲惨にあえいでいた。その時、牧口先生は決然と立ち上がられた。

  逮捕される前の年のことです。
  当時の東条首相の「協同一致」演説を痛烈に批判され、「宗教に無知の指導者階級の罪悪」こそ、社会の混迷の根源である、と断じられていたのです。
  もちろん、現代とは事情が違う面があります。だから、仏法は「時」の大切さを説いている。
 「師子王の心」で広宣流布に生き切ること。妙法流布の生涯を貫くこと。それが、私たちの「一心欲見仏 不自身命」です。
  濁世末法のなかで法を持ち続けることが、どれだけの難事か。娑婆世界、堪忍世界のなかで、弘通しているのです。創価学会は、いわば、平穏無事な環境での信仰を求めたのではなく、嵐のなかで立ち上がったのです。皆を救うために、皆を守るために。

 

御書の世界(上)第七章 師子王の心

2013年12月25日

人類の大道を開くのは創価学会にしかできない!

 
 「自分だけよければいい」「自分だけ偉くなればいい」「自分だけお金持ちになればいい」「自分だけ功徳を受ければいい」。そういう小さな狭い心は、本当の信心ではない。大乗仏教の精神ではない。
 ともあれ、永遠に輝きわたる大哲学を根本に、「人類の幸福の大道」「人類の繁栄の大道」「人類の平和への大道」を開いていく。これが広宣流布である。すごいことである。
 いかなる大学者も、いかなる大哲人も、いかなる大政治家も、なしえない。創価学会にしかできない。やりましょう!(ハイ!挙手)
 こうして手をあげる――小さなことかもしれないが、仏法から見れば、全部、意味がある。
 今、手をあげた人たちは皆、自分が生々世々、指導者になる。その時に、民衆が皆、賛同して手をあげてくれる、その因となっているのだ――そうとらえるのが仏法である。
 真剣に、妙法に帰命し、生きぬく時、小さなことのようでも、将来、信じられないほどの大功徳となる。また御本尊に最敬礼した分だけ、自分が生々世々、人から尊敬される。守られる。
 おとぎ話のように思えるかもしれないが、生命の因果は厳然としている。あまりにもすごいことなので、かえって信じることができないのである。

 

2000.3.24第44回本部幹部会

2013年12月19日

創価学会仏

 

妙法の/広布の旅は/遠けれど
  共に励まし/とも共に征かなむ


    (昭和30年新春戸田先生の歌)

 

「広宣流布は一人立たねばできない。と同時に、互いに励まし合い、共に進もうという団結なくしては、広宣流布の広がりはない。
 戸田は、その大聖業を果たしゆく創価学会という教団は、『創価学会仏』であると宣言した」(新・人間革命 第24巻) 

 

大白蓮華No.769号2013.12月号25頁

2013年12月1日

法華経の通りに大難を受けた日蓮門下は創価の師弟だけ

 

『各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり』
『設い大鬼神のつける人なりとも日蓮をば梵釈・日月・四天等・天照太神・八幡の守護し給うゆへにばつしがたかるべしと存じ給うべし、月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし』(聖人御難事、御書1190頁)

 末法今時において、法華経の説かれる通りに、「悪口罵詈」「猶多怨嫉」の難を受け切り、紛然と競い起こる「三障四魔」「三類の強敵」と戦い続けてきた「日蓮が一門」は、我ら創価の師弟以外には、絶対におりません。
 その一切を威風堂々と勝ち越えることができたのは、一体、なぜか。
 それは、大聖人の仰せのままに、「師子王の心を取り出して」、師子吼を貫き通してきたからであります。
 この正義の勝利の道は、未来永遠に変わりません。(中略)
 すなわち、師匠と弟子とが、共に広宣流布を誓願して、唱えゆく妙法の音声が、究極の「師子吼」であります。

 
聖教新聞2013.11.30付青年部代表勤行会でのメッセージ

2013年11月21日

創価の心は「当起遠迎当如敬仏」

 

 日蓮大聖人は、「御義口伝」で、『此の品の時最上第一の相伝あり、釈尊八箇年の法華経を八字に留めて末代の衆生に譲り給うなり八字とは当起遠迎当如敬仏の文なり』(御書781頁)と仰せです。
 (広宣流布大誓堂の南北)八本の柱は、「必ず仏の如くに法華経の行者を敬うべし」(同)という「法華経の心」、すなわち学会員を仏の如くに大切にする「創価の心」を体した八文字の象徴なりと、私は後世のために申し上げて起きます。

 
聖教新聞2013.11.9付

2013年11月18日

創価学会の使命

 

一、創価学会は永遠に、日蓮大聖人直結の地涌の菩薩の教団として、広宣流布の大願に生き、世界の平和と人類の幸福に尽くす。
一、創価学会は永遠に、「師弟不二」と「異体同心」の信心で、人間勝利の道を開く。
一、創価学会は永遠に、「一人立つ精神」と「一人を大切にする心」をもって、人生と社会に勇気と希望の光を送る。
一、創価学会は、永遠に、民衆の側に立ち、民衆のために戦い、民衆と共に進む。
一、創価学会は永遠に、一切の差別や偏見の壁を越え、人間平等の連帯を広げる。

 

大白蓮華No.768号2013.11月号48頁

2013年11月10日

 広宣流布大誓堂 

 

 (総本部を『広宣流布大誓堂』と命名、そして今後、総本部の呼称は本部周辺の学会施設を総称として使用)
 この大殿堂の南側と北側には、それぞれに八本の柱が立ち並んで、来館される方々をお迎えいたします。
 日蓮大聖人は、「御義口伝」で、「此の品(=普賢品第28)の時最上第一の相伝あり、釈尊八箇年の法華経を八字に止めて末代の衆生に譲り給うなり八字とは当起遠迎当如敬仏の文なり」(御書781頁)と仰せです。
 八本の柱は、「必ず仏の如くに法華経の行者を敬う可し」(同)という「法華経の心」すなわち学会員を仏の如く大切にする「創価の心」を体した八文字の象徴なりと、私は後世のため申し上げておきます。
 ともあれ、本日、記念すべき最初の勤行会に当たり、創価学会常住の御本尊の御前で、日本の私たちが、まさに立ち上がって、世界の尊きリーダーの皆さん方に「仏を敬うが如く」万雷の大拍手を送りたいと思います。 
 
聖教新聞2013.11.9付

世界広布新時代

創立90周年へ

前進・人材の年

(2020年)

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

更新日

2020.2.23

1643回

  

日天月天ワンショット

日めくり人間革命URL