2016年10月12日
日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず
<非暴力と臆病とは相容れないものである>
バジパイ外相との対談を終えた山本伸一の一行は、ニューデリー郊外の、ヤムナー川近くにあるラージ・ガートへ向かった。
ここは、一九四八年(昭和二十三年)に凶弾に倒れたガンジーの遺体を荼毘に付した場所であり、美しい聖地公園になっている。伸一は、インドを初めて訪れた六一年(同三十六年)以来、二度目の訪問である。
辺りの木々と芝生の緑が陽光に映える、穏やかな午後であった。
ゆるやかな丘の頂に、高さ数十センチ、四方三メートルほどの黒大理石の碑がある。
一行は、偉大なる魂の人(マハトマ)・ガンジーへの敬意を表するとともに、その精神の継承を誓い、献花を行うことにしていた。ここは聖地であるため、皆、靴にカバーをかけ、花輪を先頭に、厳粛に歩みを運んだ。
ガンジーが貫いた非暴力・不服従運動は、人類史に人道と平和の輝きを放つ独立運動、人権運動となった。
令状なしの逮捕などを可能にするローラット法への抗議。イギリスの支配から経済的、精神的に独立していくため、インドの伝統工芸であったチャルカ(紡ぎ車)を使っての綿製品生産。イギリス植民地政府の不当な塩の専売に抗議して行った塩の行進……。
彼の運動の前には、常に暴力による抑圧が待ち受けていた。しかし、それに対して、暴力で抗することをせずに戦い続けたのだ。
ガンジーは言う。
「非暴力と臆病とは相容れないものである」「真の非暴力は、純粋な勇気を持たずには実践不可能だ」(注1)
彼の非暴力運動は、暴力や武力に対して、精神の力をもってする戦いである。そして、「勇敢であることは、精神性の第一の条件である」(注2)と述べているように、“恐れない心”が求められる道といってよい。
大聖人は『日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず』(御書一二八二ページ)と仰せである。人間勝利の歴史を開く偉大なる歩みは、すべて勇気の覚醒から始まる。
小説『新・人間革命』の引用文献
注1 K・クリパラーニー編『≪ガンジー語録≫抵抗するな・屈服するな』古賀勝郎訳、朝日新聞社
注2 ガンディー著『私にとっての宗教』浦田広朗訳、新評論
小説新・人間革命 源流 三十四
2015年7月4日5日
会員を守れぬ臆病者は学会から去れ!
<勇気こそ闘魂なり>
ある時、戸田は、伸一に言った。
「外へ出れば、学会全体を代表しているのである。個人ではない。学会の代表という自覚に立つことを忘れてはならない」
また、学会員が不当な迫害を受け、その対応のため、現地に出向いた青年幹部がいた。彼は、抗議もできず、言うべきことも言わずに帰って来た。すると戸田は、烈火のごとく怒り、指導した。
「会員を守れぬような臆病者は去れ! 意気地なしは学会から去れ! 学会と生死を共にする者だけが真実の同志だ」
勇気のない青年に、勇気を奮い起こそうとしない人間に、戸田は厳しかった。
勇気がなければ――最愛の会員を守れないからだ。広宣流布の勝利はないからだ。自分自身をも不幸にしてしまうからだ。
仏・菩薩の生命を具えているがゆえに、勇気は本来、万人がもっているのだ。要は、それを奮い起こそうとするかどうかだ。学会活動の場で培った勇気こそが、人生の困難の障壁に体当たりしていく闘魂となるのだ。
小説新・人間革命 26巻 奮迅
2015年4月7日
信心とは究極の勇気だ
戸田先生は「慈悲は勇気が表となる」と教えてくださった。
理想への勇気!
友情への勇気!
拡大への勇気!
団結への勇気!
勝利への勇気!
信心とは究極の勇気だ。
苦難がなければ喜びもない。
惰性の日々に感激はない。
友のためなら労苦を惜しまず、
率先して最前線に駆けつけ、
今ここに「ああ感激の同志あり」と謳われゆく君たちよ!
大切な大切な宝友と励まし合い、
皆が「人間革命」し、皆が「宿命転換」できる大闘争を、
仲良く、朗らかに、貫き通していこう。
誓いの旗を高く掲げ、自分自身の神々しい劇を演じていくのだ。
そして、「正義の民衆が最後は必ず勝つ」という
痛快なる広布の人生の喜びの姿を、
断固として示し切っていこうではないか。
未来のために、偉大なる絶対勝利の歴史を共に! 共々に!
異体同心のスクラムで!
聖教新聞2015.3.28付 新時代を駆ける 11