勇猛精進

2019年5月19日

第1607回
どこまでも勇猛精進の前進を!


ともあれ、折伏が止まれば、学会の前進はない。広宣流布は、後退してしまう。「進まざるは退転」であるからだ。
「勇猛精進」の信心こそ、創価学会の伝統精神である。
日寛上人は、「勇猛精進」について、「依義判文抄」の中で、釈を引いて、大要、次のように述べておられる。
「勇」とは、「勇んで行動すること」。
すなわち、状況がどうであろうが、「さあ頑張ろう!」「さあ前進しよう!」と勇んで立ち向かっていくことだ。
「猛」とは、「智慧の限りを尽くすこと」。
「どうすれば、あの人を納得させられるのか」「どうすれば、あの人を救っていけるのか」――そう祈りに祈り、最高の智慧を発揮していくのが「猛」である。
「精」とは、「一点の混じり気もないこと」。
「精米」(米から皮や胚などを取り除くこと)の「精」である。私たちの実践にあてはめれば、心に一点の曇りもなく、「よし、題目を唱えよう!」「よし、仏法対話をしよう!」と、まっすぐに幸福の大道を進んでいる姿ともいえるであろうか。
最後に「進」とは、「間断なく前進すること」。
「たえまなく」――簡単なようで、これがいちばんむずかしい。ここに大聖人の仏法の実践がある。
牧口先生は、ある青年に言われた。
「勇猛精進し給え! 仏法は実行だよ。精進だよ。老齢にはなったが、私も実践しています」
どこまでも、偉大な先生であられた。強い先生であられた。
第一にも「勇猛精進」である。
第二にも「勇猛精進」である。
この六月、私たちは、ともに生き生きと、若々しく、そして、はつらつと、大きく打って出てまいりたい。

 

 2002年5月31日第十七回本部幹部会、第七回常勝関西青年部総会

2019年4月27日

第1602回
不屈の反撃精神こそ
言論戦の方程式

 

<「一」言われたら「三」言い返す。
 「三」言われたら「十」言い返す>

 

 勢い――。
 それは、
 “断じて成し遂げよう!”という、
 強き決意と闘魂から生まれる。
 自ら勇んでなそうとする、
 自主、自発の行動から生まれる。
 間髪を容れぬ
 迅速な実践によって生まれる。
 皆が互いに競い合い、
 触発し合う切磋琢磨から生まれる。
 そして、
 戦いは、勢いのある方が勝つ。
  
 「一」言われたら「三」言い返す。
 「三」言われたら「十」言い返す
 ――この不屈の反撃精神こそ
 言論戦の方程式である。
 言うべきときに言わなければ、
 悪が増長するだけである。
 語らなければ、心は伝わらない。
 心で思っていても、
 それだけでは相手にはわからない。
 真実を叫ぶのだ。
 そうすれば、
 敵をも味方に変えることができる。
  
 信心とは――
 断じてあきらめない勇気である。
 自分と友の生命の可能性を
 あきらめない。
 幸福の拡大をあきらめない。
 正義の勝利をあきらめない。
 平和の創造をあきらめない。
 大法弘通を、
 断じてあきらめない勇気なのだ。
   
 何が起ころうが、
 私には信心がある!
 わが家には信心がある!
 我らには偉大な信心がある!
 だから何ものも恐れない。
 だから絶対に
 乗り越えられない苦難はない。
 真面目に、誠実に、勇敢に、
 信心をやり切って、
 最後は必ず勝つのだ!
 この合言葉で、
 いよいよこれからと、
 「強盛の信心」で、
 威風も堂々、進みゆこう!

 

〈池田大作先生 四季の励まし〉「いよいよの心」で堂々と 2019年4月14日

2018年元旦

勇猛精進

 

 <この御書だけは命に刻んでおきなさい>

 

 『一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり』(御義口伝、790頁)

 私がまだ入信してまもない頃、戸田先生から、
 「この御書だけは命に刻んでおきなさい。学会の闘士になるためには、この御書は忘れてはならない」と、厳とした声で教えていただいた御文でもあります。
 難解な一節です。しかし、師匠から「命に刻め」と教えられた御文である。何としても会得したいと、私は深く心に期しました。
 戦後の経済不況のため、事業が破綻して、最大の苦境にあった戸田先生を支え抜いて戦った厳冬の時代も、あの不可能を可能にした「大阪の戦い」の中でも、私はこの御文を命から離さず真剣に拝し続けました。そして、「今この瞬間」を勝ち切るために、「眼前の壁」を破るために祈り、走り抜きました。
 その中で、滾々と「随縁真如の智」を湧き出しながら、一切の暗雲を突き抜け、厳然と創価の勝利の旗を掲げてきたのです。
 今、わが愛する世界の青年たちに、この一節を贈りたい。不二の命に刻み、創価の闘士の魂を受け継いでもらいたいからです。
 「億劫の辛労」とは、“長遠なる時間にわたる辛く苦しい努力”です。いつ終わるとも知れない無限の労苦とも、受け止められるかもしれない。
 しかし、大聖人は、この「億劫の辛労」は、妙法を唱え戦う、瞬間瞬間のわが一念に尽くせるのだと大転換して教えてくださっています。言い換えれば、いかに「今この瞬間」を勝ち切るかを離れて、「億劫の辛労」を尽くす道はないのです。
 御書に『師子王の剛弱を嫌わずして大力を出す』(諸経と法華経と難易の事、992頁)と仰せのように、師子王は、いかなる相手、いかなる時であっても全力を奮い起こすといいます。相手を侮って力を出し惜しみすることなどしません。
 だからこそ、目の前の瞬間瞬間を逃さず、全力を尽くす。題目を唱えて、懸命に戦い抜く――この精進行こそ、仏法の「勇猛精進」、すなわち勇気の真髄があると拝したい。
 「勇猛精進」によって、「無作三身」という本来、わが生命に具わる、仏の慈悲と智慧、そして真実の力が泉の如く湧き上がってくるのです。

 

 大白蓮華2018年1月号№819 37~39頁

2016年8月22日

「勇猛精進」こそ実戦の魂

 

<弘教の功徳は大生命力となり大歓喜となる>

  

 御聖訓には仰せである。
 『かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり』(御書903ページ)
 たとえ、どんな財宝を贈っても、その人を永久に幸せにすることはできない。妙法を説き弘めることこそ、三世永遠の幸福の軌道に導くことなのである。
 戸田先生は弘教の功徳について言われた。
 「その生命には大聖人の生命が脈々とうってきて、いいしれない偉大な生命力が涌出するとともに、いうことのできない歓喜が身内にみなぎり、生きる喜びにうちふるえるのである
 この大歓喜と大功徳を限りなく広げていくのが、我らの仏法対話なのである。
 日々、読誦する勤行には「勇猛精進」とある。
 「勇」とは「敢(いさん)で為す」こと。勇気、勇敢である。
 「猛」とは「智、すなわち信力を励み竭(つく)す」こと。
 「精」とは「無雑(むざつ)」――純一で混じりけもないこと。
 「進」とは「無間(むげん)」――間断なく広布に進むこと。
 ここに実践の魂がある。

 

 2016年8月21日付聖教新聞 SGI会長と共に 新時代を創る 22(抜粋) 

2015年8月26日27日

“勇猛精進”、自行化他の題目こそ精進行

 

<異体同心で、創立85周年へ出発だ!>

 

 創立85周年の秋へ、広布と人生の大いなる飛躍のために、いよいよの出発である。
 有名な御聖訓に仰せである。『軍(いくさ)には大将軍を魂とす大将軍おく(臆)しぬれば歩兵(つわもの)臆病なり』(御書1219頁)
 リーダーは自身が生まれ変わった決意で立つことだ。皆の力で、今こそ黄金の歴史を飾ろう。わが愛する天地に、永遠に輝く人材城を威風堂々と築くのだ。
 法華経方便品「勇猛精進」とある。勇猛とは信心である。自行化他の題目は、精進行である法のため、人のため、真剣に悩み、祈り、勇敢に戦い続ける人こそ、無量の智慧と慈悲が湧いてくる
 創価学会は、いかなる時代にも「勇猛精進」を貫いてきた。苦しむ友の味方になって、勇気ある信心で勝ち開いている。
 どこまでも異体を同心とする「信心の団結」で進むのだ。そこに一切の勝利の源泉がある。(後略)

2015.8.22聖教新聞 新時代を駆ける26

世界広布新時代

創立90周年へ

前進・人材の年

(2020年)

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

更新日

2020.9.13

第1694回

  

日天月天ワンショット

日めくり人間革命URL