報恩

2018年12月21日

第1573回
報恩の人こそ人生の勝利者

 

 報恩の人生は美しい。
 お世話になった人に
 恩返しをしていこうという心が、
 一番、自分を成長させる。
 限りない向上の
 エネルギーとなっていく。
 報恩の人こそ、人生の勝利者である。
  
 何事も皆の支えがあってこそ
 成り立つという考えをもつならば、
 おのずから、
 人々への感謝が湧くものだ。
 しかし、自分中心で、
 “周囲の人が何かしてくれて当然”
 という考え方でいれば、
 感謝の思いをいだくことはない。
 胸には不平と不満が渦巻いていく。
  
 人を思いやる心は、
 相手によって
 生まれてくるものではなく、
 まず、自分の心の中に
 築き上げるものである。
 鏡に向かってお辞儀をすれば、
 鏡の自分もお辞儀をするごとく、
 自分自身の心が、
 相手の心を呼び醒ましていくのだ。
  
 「陰徳あれば陽報あり」
 (御書1178ページ等)である。
 使命の「陰徳」に徹する生命には、
 どれほど偉大な「陽報」が
 輝きわたることか。
 一日一日、また一年一年、
 心の財を積み、福徳の境涯と
 眷属を広げていけるのが、
 創価の人生である。
  
 一年間、本当にありがとう!
 また来年も勇敢に戦おう!
 すべてに勝とう!
 勝てば楽しい。うれしい。
 皆が大歓喜に包まれる。
 「仏法は勝負」である。
 勝つための仏法だ。
 正義は断じて勝たねばならない。
 新しい一年を
 晴れやかに勝利しよう!

 

〈池田大作先生 四季の励まし〉報恩の人こそ人生の勝利者 2018年12月16日

2018年12月1日(未掲載)

上野殿御消息

 

建治元年 五十四歳御作 与南条時光


  三世の諸仏の世に出でさせ給いても皆皆四恩を報ぜよと説き・三皇・五帝・孔子・老子・顔回等の古の賢人は四徳を修せよとなり、

 四徳とは・

 一には父母に孝あるべし・

 二には主に忠あるべし・

 三には友に合うて礼あるべし・

 四には劣れるに逢うて慈悲あれとなり、

 一に父母に孝あれとは・たとひ親はものに覚えずとも・悪ざまなる事を云うとも・聊かも腹も立てず誤る顔を見せず・親の云う事に一分も違へず・親によき物を与へんと思いてせめてする事なくば一日に二三度えみて向へとなり、

 二に主に合うて忠あるべしとは・いささかも主にうしろめたなき心あるべからず、たとひ我が身は失しなはるとも主にはかまへてよかれと思うべし、かくれての信あれば・あらはれての徳あるなりと云云、

 三には友にあふて礼あれとは友達の一日に十度・二十度来れる人なりとも千里・二千里・来れる人の如く思ふて礼儀いささか・をろかに思うべからず、

 四に劣れる者に慈悲あれとは我より劣りたらん人をば・我が子の如く思いて一切あはれみ慈悲あるべし、此れを四徳と云うなり、是くの如く振舞うを賢人とも聖人とも云うべし、

 此の四の事あれば余の事にはよからねどもよき者なり、是くの如く四の得を振舞ふ人は外典三千巻をよまねども読みたる人となれり。


 一に仏教の四恩とは一には父母の恩を報ぜよ・
 二には国主の恩を報ぜよ・
 三には一切衆生の恩を報ぜよ・
 四には三宝の恩を報ぜよ、
 一に父母の恩を報ぜよとは父母の赤白二渧・和合して我が身となる、母の胎内に宿る事・二百七十日・九月の間・三十七度死るほどの苦みあり、生落す時たへがたしと思ひ念ずる息・頂より出づる煙り梵天に至る、さて生落されて乳をのむ事一百八十余石・三年が間は父母の膝に遊び人となりて仏教を信ずれば先づ此の父と母との恩を報ずべし、父の恩の高き事・須弥山猶ひきし・母の恩の深き事大海還つて浅し、相構えて父母の恩を報ずべし、
 二に国主の恩を報ぜよとは・生れて已来・衣食のたぐひより初めて・皆是れ国主の恩を得てある者なれば現世安穏・後生善処と祈り奉るべし、
 三に一切衆生の恩を報ぜよとは、されば昔は一切の男は父なり・女は母なり・然る間・生生世世に皆恩ある衆生なれば皆仏になれと思ふべきなり、
 四に三宝の恩を報ぜよとは・最初成道の華厳経を尋ぬれば経も大乗・仏も報身如来にて坐ます間・二乗等は昼の梟・夜の鷹の如くして・かれを聞くといへども・耳しゐ・目しゐの如し、然る間・四恩を報ずべきかと思ふに女人をきらはれたる間・母の恩報じがたし、
 次に仏・阿含小乗経を説き給いし事・十二年・是こそ小乗なれば我等が機にしたがふべきかと思へば・男は五戒・女は十戒・法師は二百五十戒・尼は五百戒を持ちて三千の威儀を具すべしと説きたれば・末代の我等かなふべしとも・おぼえねば母の恩報じがたし、況や此の経にもきらはれたり、方等・般若・四十余年の経経に皆女人をきらはれたり、但天女成仏経・観経等にすこし女人の得道の経文有りといへども・但名のみ有つて実なきなり、其の上未顕真実の経なれば如何が有りけん、四十余年の経経に皆女人を嫌われたり、
 又最後に説き給いたる涅槃経にも女人を嫌はれたり、
 何れか四恩を報ずる経有りと尋ぬれば法華経こそ女人成仏する経なれば、八歳の竜女・成仏し・仏の姨母憍曇弥・耶輸陀羅比丘尼記莂にあづかりぬ、されば我等が母は但女人の体にてこそ候へ・畜生にもあらず蛇身にもあらず・八歳の竜女だにも仏になる、如何ぞ此の経の力にて我が母の仏にならざるべき、されば法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり、我が心には報ずると思はねども此の経の力にて報ずるなり。
 然る間・釈迦・多宝等の十方・無量の仏・上行地涌等の菩薩も・普賢・文殊等の迹化の大士も・舎利弗等の諸大声聞も・大梵天王・日月等の明主諸天も・八部王も・十羅刹女等も・日本国中の大小の諸神も・総じて此の法華経を強く信じまいらせて余念なく一筋に信仰する者をば影の身にそふが如く守らせ給ひ候なり、相構て相構て心を翻へさず・一筋に信じ給ふならば・現世安穏・後生善処なるべし、恐恐謹言。
 日 蓮 花押
 上 野 殿

 

上野殿御消息(御書、1526頁)

2016年11月29日

学会に育てられた大恩に応えるのは

「今」

 

 <今一重強盛に御志あるべし>

 

 広宣流布大誓堂の誓願勤行会には、全国、全世界から尊き同志が集われている。忘れ得ぬ「大分21世紀会」の代表750人も、勇んで参加された(27日)。
 1981年(昭和56年)、私が大分の天地で長編詩「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」を発表した折、一緒に歴史を刻んだ宿縁深き男女青年部の友である。
 長編詩で、私は訴えた。

 「不幸と幸福 邪悪と正義 魔と仏との戦いが 仏法の真髄である!」

 「いかなる大難をも乗り越え 確固不動なる姿を示していくところに 人間革命の勝利の旗が 天空高く永遠になびいていくからだ!」と。
 この青春の誓いのバトンを握りしめて、35年間、真っ直ぐに走り抜いてきた、「正義のメロス」たちだ。
 私は万感を込めて御聖訓を贈った。一番大変な時に信心を貫き通した門下を讃えられた一節である。
 「古への御心ざし申す計りなし(=これまでのあなたの信心の深さは言い表すことができません)」(御書1220頁)と。
 日蓮大聖人は、その上で、「其よりも今一重強盛に御志あるべし、其の時は弥弥十羅刹女の御まほりも・つよかるべしと・おぼすべし」(同頁)と仰せである。
 わが愛弟子たちも「今一重強盛に」と、いよいよの心でスクラムを拡げている。とりわけ、学会に育てられた大恩に応えるのは今と、後輩を励まし、青年拡大に尽くしてくれているのだ。うれしい限りである。
 21世紀の広布の山の登攀も、「直面する日々の現実の山」を登り切ることだ。
 ゆえに、今日も、地涌誓願の張りのある勤行・唱題を忘れまい。御書を常に拝し、最高の善知識である同志と、学会活動という究極の仏道修行に挑みゆくのだ。
 共に険難の峰を勝ち越えて、新たな世界広布の希望峰が眼前に開かれている。今再び、学会歌を声高らかに響かせ、前へ前へと共進を開始しようではないか!

2016年11月28日 池田先生と共に 新時代を創る ㉚ 青年拡大の希望峰へ共進を

2015年2月16日

仏法には犠牲がない

 

<福運積みゆく感謝の信心>

 

 戸田先生はよく、「折伏というものは苦しんでやるものではない、楽しくやっていかねばならない」と語っておられた。私もその通りであると思う。
 仏道修行は本来、厳粛なものであり、苦しみが伴うことも多い。しかし、折伏行に、会員の指導・激励にと、自ら率先して仏道修行に励んでいる人は、いのちも輝いている。またそれ自体が最高に楽しいものとなる。
 また折伏については、たとえ相手が御本尊をお受けしなかったとしても、御本尊の偉大さを賛嘆し、法を説き聞かせること自体が、聞法下種で立派な折伏になっていることを、重ねて申し上げておきたい。
 戸田先生はまた、「仏法には犠牲がない。信心し、勤行し、広宣流布のために戦って、犠牲になるものはない」と指導してくださった。
 私も長年、多くの人々の姿を見てきた。そこでつくづくと、強盛な信心に励んでいけば、たとえ障魔による苦難があったとしても、それらはすべて変毒為薬され、ゆるぎない幸福へと転じていけることを実感している
 また「持っている福運は感謝していきなさい。そうでなければ、その福運は、消えてしまう」と語っておられる。
 すなわち、御本尊への感謝の心がある人は、福運がますます増していく。そして、その福運は、自分自身のみならず、家族にも、また子々孫々まで輝かせていけるのである
 反対に、自身の慢心から退転したり、感謝するどころか仏法を誹謗(ひぼう)し、学会を利用し、侮辱していくような人は、当然のことながら完全に福運を消していってしまう。これが仏法の厳しき因果の理法なのである。

 

1986.11.23婦人部合同研修会

2014年12月17日

″感謝″ある人には″歓喜″がある


いよいよ栄える。福運がいよいよまさる

 

 「第二代会長の戸田先生は、よく、こう言われていました。
 『御本尊に常に感謝の念をもっている人は、いよいよ栄える。福運がいよいよまさる』『感謝を忘れた人は、福運が消えていく』
 ″自分は信心で守られてきた。御本尊あればこそだ!″との感謝の心から、喜びも、希望も、勇気も生まれます。また、感謝は、心を豊かにします。
 反対に不平や不満をいだいていれば、心を自ら貧しくしていきます。御本尊への感謝をもって、日々の学会活動に取り組んでいくなかに、自身の境涯革命があるんです。
 御本尊、仏への、報恩感謝の行動として供養があります。供養には、飲食や衣服などの財物を供養する『財供養』と、仏を恭敬、讃歎し、礼拝する『法供養』があります。弘教や同志の激励に歩くことは、『法供養』にあたります。
 学会活動に励み、喜々として『法供養』を実践していくなかで、目には見えないが次第に福運が積まれ、やがて大利益を顕現していきます。これが冥益です。それによって、揺るぎない人生の土台が確立され、絶対的幸福境涯が築かれていくんです」
 広宣流布の伸展は、全同志が、会長の伸一と呼吸をあわせて、欣喜雀躍して活動できるかどうかにかかっている。もし、歓喜がなくなり、単に義務感で動いているようになれば、人びとを啓発していくことはできないし、功徳、福運もなかなか積むことはできない。
 大事なことは、御本尊への、その御本尊を教えてくれた創価学会への感謝の念をもって、喜び勇んで広宣流布の″戦い″を起こしていこうという″心″である。
 ″感謝″ある人には″歓喜″がある。そして、燃え立つ歓喜の生命こそ、挑戦、前進、勝利、幸福の活力源となるのだ。


小説 新・人間革命 26巻 奮迅 367頁

6月17日

 感謝の心は広布の力

 広宣流布の伸展は、全同志が、会長の伸一と呼吸をあわせて、欣喜雀躍して活動できるかどうかにかかっている。もし、歓喜がなくなり、単に義務感で動いているようになれば、人びとを啓発していくことはできないし、功徳、福運もなかなか積むことはできない。
 大事なことは、御本尊への、その御本尊を教えてくれた創価の師への、学会への感謝の念をもって、喜び勇んで広宣流布の“戦い”を起こしていこうという“心”である。
 “感謝”ある人には“歓喜”がある。そして、燃え立つ歓喜の生命こそ、挑戦、前進、勝利、幸福の活力源となるのだ。
 
小説 新・人間革命 26巻 奮迅 33

2013年4月25日~29日

師恩に報いる

 

師恩に報いるための要諦は何か。不惜身命で広宣流布のために戦うことである。大難が競い起ころうとも、身命を惜しまず、邪悪と戦い抜く。そして、正法を弘めて、人々を救っていく。これこそ、師恩に報いる真の道なのである。
  
聖教新聞2013.4.24付新時代第十七回本部幹部会

2012年7月5日  

人生の総仕上げの生き方-1
 
 第一に、報恩感謝の思いで、命ある限り、広宣流布に生き抜き、信仰を完成させることです。(中略)そうでなければ、これまでの決意も誓いも、人にも訴えてきたことも、結局は、すべて嘘になってしまう。後退の姿を見れば、多くの後輩が失望し、落胆します。そして、それは、仏法への不信の因にもなっていきます。『受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり』(御書一一三六頁)
 
小説 新・人間革命 25巻 共戦 28

世界広布新時代

創立90周年へ

前進・人材の年

(2020年)

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

更新日

2020.6.1

第1682回

  

日天月天ワンショット

日めくり人間革命URL