家族(家庭)

2020年8月5日

第1691回

高め合う「創造家族」に

 

 社会といっても、

 その基盤は、

 一つ一つの家庭にある。

 ゆえに、盤石な家庭の

 建設なくしては、

 社会の繁栄もないし、

 社会の平和なくしては、

 家庭の幸福もありえない。

 そこに世界平和への

 方程式もある。

  

 身近な家族同士では、

 意外に

 不平や欠点の指摘に、

 終始していることも多い。

 そうした中で

 ほんのちょっとした、

 励ましの言葉が

 相手の心をほぐし、

 会話を円滑に

 するものである。

 こうした繰り返しが、

 自然のうちに

 家族の絆を確かなものに

 つくり上げていく。

  

 家族になるのも

 深い宿縁である。

 互いが互いの幸福を

 増進させる「善き友」で

 ありたいものだ。

 広宣流布という

 高い目標に向かって、

 支え合い、補い合い、

 磨き合っていけば、

 それは「創造家族」とも

 言えるし、

 「成長家族」とも言える。

  

 親の信心は、

 必ず子に伝わる。

 たとえ、時間がかかっても、

 回り道を重ねても、

 絶対に伝わる。

 飾る必要はない。

 失敗を恐れなくてよい。

 信念を曲げず、

 自ら決めた道を

 朗らかに進む。

 その親の生き方こそ、

 子に贈る

 「最上の宝」なのだ。

  

 家族が信心していなくても

 何の心配もいらない。

 その中で信心を貫いて

 いること自体が全部、

 家族の大功徳に変わる。

 一人が

 信心に立ち上がれば、

 わが家に太陽が昇る。

 全員を幸福の方向へ、

 成仏の方向へ

 導いていけるのが、

 妙法の功力なのである。

 

2020年8月2日〈池田大作先生 四季の励まし〉

2020年4月18日

第1659回

「家庭」は地域社会の灯台

 

<家庭革命のそのままの姿で!>

 

 家族は人間にとって、

 常に返るべき

 「原点」であり

 「大地」といってよい。

 仲良く温かな家庭は

 幸福である。

 どんなに苦労があっても、

 家族で互いに励まし合い、

 団結して

 勝利の城を築いていける。

  

 人間は、一人で

 成長できるものではない。

 親をはじめとして、

 数え切れないほどの

 多くの人たちの支え、

 励ましがあればこそ、

 大成できるのである。

 そのことを、

 絶対に忘れてはならない。

 感謝の心がある人には、

 常に喜びがあり、

 歓喜がある。

  

 子どもに接する時は、

 一個の人格として

 尊重することが大事だ。

 「これくらい、

 いいだろう」と、

 安易に思っては失敗する。

 子どもの中には

 大人がいる。

 その大人に向かって

 対等に語りかけていけば、

 子どもの「人格」が

 育っていく。

  

 問題のない家庭などない。

 悩みや、つまずきも、

 大いにけっこうと、

 どこまでも、

 たくましい「楽観主義」で

 悠々と人生を

 切り開いていけばよい。

 苦労や試練に、

 一喜一憂せず

 乗り越えていくならば、

 崩れない「心の強さ」を、

 子どもだけでなく、

 親自身も

 培うことができる。

 根本は祈りである。

 親が子どものために祈り、

 子どもも応える、

 それで、ともに成長する。

  

 信心を根本とした

 健康的な生活のリズムを

 確立することから、

 “家庭革命”の

 大きな前進が始まる。

 そして、和楽と幸福の

 光彩を放つ家庭は、

 地域社会を照らす

 灯台となる。

 

2020年4月12日 聖教新聞〈池田大作先生 四季の励まし〉

2019年3月12日

第1582回
絆は、生死を超えて永遠!

 

 若くして父を亡くした

 南条時光への励ましには、

 「いよいよ強盛なるべし、

  さるほどならば聖霊・

  仏になり給うべし、

  成り給うならば

  来りてまほ(守)り給うべし

  (御書1512頁)とある。


 大難に怯まぬ強盛な信心を貫けば、

 亡き家族・眷属も成仏し、

 我らを守る。

 共に「常楽我浄」の旅を

 続けていけるのだ。

 

随筆「人間革命」光あれ 池田大作 福光勝利の春   2019年3月11日

2018年12月21日

第1572回

真実の「幸福」は、どこにあるのか

 

<人類の根本問題の解決は

「家庭革命」にあり>

 

 トルストイは

 仏教思想にも深い関心をいだいていた。

 仏教説話をみずから翻訳し、

 「カルマ」(業)という書物も残した。

 その中には、次のような記述がある。
 「地獄とはいったい何でしょう? 

  地獄とは、

  とりも直さず利己心のことです」


 「よい人との交際は幸福をもたらす」


 「あなたがいい行ないの種を

  おまきになれば、

  その立派な収穫は、

  けっしてあなたを

  見すごすことはありますまい」

 (中村白葉訳、前掲『トルストイ全集』9)と。


 幸せは、どこにあるのか。
 「美しさに恵まれているから幸福」

 とはいえない。

 「財宝に囲まれているから幸福」

 ともいえない。

 「愛する人と一緒になれれば幸福」

 とも限らない。
 人が幸福そうに見てくれるから

 幸福なのでもない。

 

 人が不幸だと見るからといって、

 本人が不幸とも限らない。
 物質的にも精神的にも、

 最高に幸福だと思っていても、

 それが一生、続くとは限らない。


 では真実の「幸福」は、

 どこにあるのか――。

 ここに人生の深遠さがあり、

 大問題がある。


 悲劇の宿命に流されゆく「家庭」を、

 いかにして「幸福」へ、

 「和楽」へと革命していくか。
 この人類の根本課題に取り組み、

 無数の「希望」と「蘇生」と「歓喜」のドラマを

 創造してきたのが創価学会である。
 揺るぎない社会の平和を築くためには、

 揺るぎない家庭の幸福が土台となる。

 揺るぎない家庭の幸福を築くには、

 揺るぎない人生の哲学の実践が、

 絶対に必要なのである。

 

 2001年2月24日第二総東京最高協議会

2018年11月22日

第1559回

和楽の家庭が築かれてこそ、

 真の平和社会が創出

 

<どうか親孝行であってほしい>

 

 人間は自分一人で
 生まれてくることはできない。
 たった一人で一人前の人間に
 なれるものでもない。
 家族のなかに生まれ、
 家族のなかで育ち、
 やがて一個の人間として
 成長していく。
 夫婦も、兄弟姉妹も、
 目に見えぬ一つの法則で
 結ばれているともいえる。
 その心の絆こそ、
 家族の結晶であるに違いない。

 

 お母さんの声、お母さんの手ほど
 美しいものはない。
 子どもをあやし、
 子どもを呼ぶ母の声。
 おむつを換え、ご飯をつくり、
 服を着させる母の手。
 「母の声」「母の手」に守られて、
 人は皆、大人になっていく。
 母の声が世界を結び、
 母の手が
 平和へとつながっていく時、
 どれほど
 美しい地球になることであろう。

 

 青年の皆さんは、
 どうか、親孝行であってほしい。
 明るい笑顔。

 ありがとうの一言。
 一本の電話・・・・・・。
 親というのは、
 それだけで幸せな気持ちになって
 元気になるものだ。
 ちょっとした言葉や振る舞いで、
 感謝と愛情を示していくことが、
 生きる喜びの名曲となり、
 人生の名画となる。

 

 愚痴を祈りに変え、
 非難を励ましに変え、
 苦楽を共にする
 価値創造の家族から、
 地域や共同体を変革する
 希望が生まれる。
 和楽の家庭が築かれてこそ、
 真の平和社会が創出されていく。


2018年7月30日付 聖教新聞

<四季の励まし>和楽の家庭から希望の虹を

2018年5月23日

第1507回
必ず、深い、何かの意味がある

 

<次男の死>

 

 山本伸一が、

 正信会僧らの理不尽な学会攻撃に対して、

 本格的な反転攻勢に踏みきり、

 勇躍、創価の同志が前進を開始すると、

 広宣流布の水かさは次第に増し、

 月々年々に、

 滔々たる大河の勢いを取り戻していった。


 しかし、広布の征路は険しく、

 さまざまな試練や、

 障害を越えて進まねばならない。


 伸一自身、個人的にも幾多の試練に遭遇した。

 一九八四年(昭和五十九年)十月三日には、

 次男の久弘が病のために急逝した。

 享年二十九歳である。

 彼は、創価大学法学部の修士課程を修了し、

 「次代のために創価教育の城を守りたい」と、

 母校の職員となった。


 九月の二十三日には、

 創価大学で行事の準備にあたっていたが、

 その後、胃の不調を訴えて入院した。

 亡くなる前日も、

 「創大祭」について、病院から電話で、

 関係者と打ち合わせをしていたようだ。
 久弘は、よく友人たちに、

 「創価大学を歴史に残る世界的な大学にしたい。

  それには、命がけで闘う本気の人が出なければならないと思う。

  ぼくは、その一人になる」と語っていたという。
 伸一は、関西の地にあって、

 第五回SGI総会に出席するなど、

 連日、メンバーの激励に奔走していた。


 訃報が入ったのは、十月三日夜であった。

 関西文化会館で追善の唱題をした。

 思えば、あまりにも若い死であった。

 しかし、精いっぱい、使命を果たし抜いての、

 決意通りの生涯であったと確信することができた。
 伸一は、久弘の死は、

 必ず、深い、何かの意味があると思った。
 広宣流布の途上に、

 さまざまなことがあるのは当然の理である。

 しかし、何があっても恐れず、惑わず、

 信心の眼で一切の事態を深く見つめ、

 乗り越えていくのが本物の信心である。

 広布の道は、長い長い、

 一歩も引くことのできぬ闘争の連続である。

 これを覚悟して

 「難来るを以て安楽と意得可きなり」(御書七五〇ページ)

 との原理を体得していくのが、

 大聖人の事の法門であり、

 学会精神である。

 

〈小説「新・人間革命」〉 誓願 四十七 2018年5月21日

 

世界広布新時代

創立100周年へ

青年・飛躍の年

(2022年)

2013.11.18

広宣流布大誓堂落慶

更新日

2022.8.8

第2069

 

日天月天ワンショット

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