師弟不二2

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2022年5月13日

第1997回

私は祈り、待っている

 

<真実の弟子を>

 きょうの集いは、

 各部、各方面の代表が参加しての重要な協議会である。

 戸田先生は、こうした会議を、

 非常に大事にしておられた。

 無断で欠席したり、

 会議の大切な内容を忘れていたりしたら、

 それこそ烈火のごとく叱られた。

 強い先生であった。

 先生の怒る声は、雷鳴のようだった。

 はるか遠くまで響き渡るような、

 本当に大きな声だった。

 師子の叫び、師子王の叫びであった。

 

 戸田先生は、

 そうやって青年たちを厳しく訓練してくださった。

 ″リーダーは、一人も残らず精鋭であれ!

 広布の本陣に精鋭以外はいらない!″と、

 それはそれは厳しかった。

 だからこそ学会は、ここまで発展したのである。

 

 その剛毅な戸田先生が、

 師匠の牧口先生の前では、

 「あそこまで」と皆が驚くほど粛然とし、

 かしこまっておられたという。

 本当の師匠と弟子の姿は、

 厳粛である。

 崇高である。

 これほど強い絆は、この世にない。

 

 師弟をないがしろにして、

 いくら偉くなっても、その末路は厳しい。

 

 広布の本舞台に

 真実の弟子が躍り出ることを、

 私は祈り、待っている。

 青年部は正義の師子と立ち上がり、

 皆が目を見張るような大勝利を、

 見事に飾ってもらいたい。

 

2005.2.23全国最高協議会

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2022年5月3日~5日

第1989回

民衆凱歌へ

師弟の誓いの5月3日

 

  

 師弟して

  閻浮広布を

    行じ抜く

  創価の普賢の

   無窮の英知よ

 

 濁世にも

  幸の蓮華を

   咲かせ舞う

  天女の語らい

   あの地この地で

 

 衆望を

  担い立ち征け

   地涌の若人

  結句は勝負と

    民衆凱歌を

 

 

2022年5月3日創価学会の日 創価学会母の日 女性部発足1周年

池田先生が全同志に記念の和歌

 

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2022年4月20日

第1978回

師弟とは

 正義の方向へ、勝利の方向へ、人間革命の方向へ

と導く強い引力

 

本物の「師子」をつくりたい>

 

 私の師匠は、

 戸田先生である。

 自分で決めた師弟の道である。

 

 ゆえに、

 戸田先生にぶつかっていき、

 戸田先生と命でつながっていくことが、

 私にとっては、

 もっとも大事なことであった。

 

 そして戸田先生から、

 「大作、よくやったな!」

 とほめていただければ、

 それで良かった。

 その一点だけであった。

 

 そこから、

 厳然と「師弟不二の道」が

 開かれていったのである。

 

 どんなに立派そうなことを言っても、

 格好よく見えても、

 根本に「師弟不二」がなければ、

 いつかは、行き詰まる。

 結局は、自分勝手になり、

 仏法の正しい軌道から

 外れてしまうものだ。

 

 「師弟」には、

 偉大な力がある

 それは、引力のように

 正義の方向へ、

 勝利の方向へ、

 人間革命の方向へ

 と引っ張ってくれる。

 

 「師弟」に生きる人は強い。

 断じて、勝っていける。

 

 私は、

 師弟の道に徹しゆく

 本物の「師子」をつくりたい。

 一騎当千の力のある師子を育てたい。

 いかなる嵐にも微動だにしない、

 正義の師子を、

 一人でも多く育てていきたいのだ。

 それが今の私の願いである。

 

2005.4.4総東京代表協議会

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2022年3月25日

第1945回

師弟の道に勝利あり

 

<師匠をもたない人生は、本物の人物は育たない>

 

 師匠という存在が、

 仏法の上でも、

 人間の生き方の上でも、

 どれほど大事か。

 親子の絆は大切だが、

 人格を磨き、

 成長するために、

 「師弟」はなくてはならないものだ。

 

 師匠をもたない人生は、

 一見、自由自在に見えるが、

 不幸である。

 本物の人物は育たない。

 深い次元から見た時、

 人間にとって、

 親子以上に重要な意義を持つのが、

 師弟なのである。

 

 ここに、

 人生勝利の″奥義″があるといえよう。

 私の師匠は戸田先生である。

 私は先生に仕え、

 訓練を受け、

 先生の仇を討ってきた。

 先生の言葉は、

 全部、頭に焼きついて離れない。

 

 戸田先生は、

 はっきりと言われていた。

 

「本当の立派な信心とは、

 創価学会の大恩を知って、

 創価学会を命をかけて護ることである」

 

 「個人のため」でなく、

 「全人類のため」に戦っていく。

 

 この「広宣流布の信心」こそが

 「大聖人の信心」である。

 そして、

 「広宣流布の信心」は、

 創価学会にしかない。

 

 ゆえに、

 創価学会を護ることが、

 広宣流布へ直結するのである。

 

 私は、この先生の言葉どおり、

 全世界で戦い、そして勝ってきた。

 

2005.1.7第四十五回本部幹部会、婦人部幹部会他

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2022年2月23日

第1915回

原点に返れ!

 

<「師弟不二」とは何か、

もう一度、自らを問い糺せ!>

 

 原点に返れ!

 ここに、すべての発展の道がある。

 

 学会が八十周年(当時)へ新しい道を開きゆく今、

 大事なのは、

 創立以来の原点である「師弟」の道に徹する

 ことである。

 

 一生涯、師弟の道に徹しきる。

 その輝く模範を、先輩は後輩のために残していっていただきたい。

 

 きょうは、大切な師の指導に学び、また未来への指針となる御聖訓を拝したい。

 戸田先生は言われた。

 「われわれには信心があるのだといって、手をこまねいていれば、油断がおきる。戦いには必ず相手がいるのであって、慎重に万全の対策を立てるべきだ。

 四条金吾が敵に狙われて危険な状況にあったとき、日蓮大聖人は至れり尽くせりのご注意を、こまごまと、おしたためになられたではないか。まさに『用心あるべし』の御金言を噛みしめるべきである」

 

 戸田先生は戦時中、

 投獄され、軍部権力と戦いぬかれた。

 ひとたび難にあうと、

 てのひらを返したように裏切る者がいた。

 師を罵倒し、去っていく者もいた。

 それを語る先生の声は憤怒に燃えていた。

 学会のおかげで偉くなりながら、

 傲慢になり、同志を苦しめる人間には、

 「恩を知らない、不知恩の輩だ」

 「学会よりも、自分のこと、

 個人のことを大事にする連中だ」

 と激怒された。

2006年2月19日最高協議会

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2022年2月10日

第1898回

地位や立場ではない!

「師弟不二」に生きることが一番尊い!

 

<勇猛精進>

 

 初代会長の牧口先生は、

 ″いつまでも、暦の年齢にとらわれることなく、境涯が開け、思想がぐんぐん伸びていく人が青年である″と、指導しておられた。

 非常に深い意味のある言葉だ。

 そして、″青年は絶対に臆病ではいけない″――これは戸田先生の厳しい指導であった。

 私は、その指導のとおり戦ってきた。ただ一人、厳然と立って難を受けきってきた。

 ――学会員には絶対、難がいかないように。中傷、批判がいかないように。私一人で、全部の難を受ける。難よ、われに集まれ! 大聖人様、そうしてください――私は青春時代から、そう祈り、戦ってきた。臆病な幹部や、ずるい幹部、そんなものは眼中になかった。

 戸田先生「戦いは、あくまでも攻撃である。攻撃精神をもったものが勝つ」と言われていた。

 「勇猛精進」――これが仏法の真髄の精神である。また、これが人生の真髄の精神でなくてはならない。牧口先生も「勇猛精進」の信心を貰かれた。どんな困難にも負けない。断じて戦いぬく。前へ前へと進みぬく。それが、人生の最高の生き方であり、最高の勝利者になるための道なのである。

 やりましょう! 地位や立場ではない。「師弟不二」に生きるのが、一番尊い人なのである。

2006年2月8日 第五十七回本部幹部会

 

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2022年1月10日

第1857回

究極の「師弟不二」の大闘争

(3/3)

 

第二代会長就任

 

 幹部であっても、

 戸田先生と苦衷を分かつ者は、

 ほとんどいなかったといっていい。

 理事長を務めた人間までが、

 戸田先生を誹謗したのである。

 

 しかし、だれがどうあろうとも、

 私は心に決めていた。

 ″断じて、戸田先生に、

 次の会長になっていただくのだ。

 そして、広宣流布の指揮を

 縦横無尽に執っていただくのだ″

 

 私は祈った。

 先生のために。

 学会のために。

 激闘のなかで祈りぬいた。

 丑寅勤行もやった。

 もう寝ても覚めても題目。

 歩いていても題目。

 車の中でも、

 電車に乗っても、

 時間さえあれば、

 すべて題目。

 ただただ、

 題目を抱きしめて、

 この世の残酷な苦難をはね返し、

 戸田先生が

 第二代会長に就任される道を、

 命を賭して、

 切り開いていったのである

 

 そして迎えた

 昭和二十六年の五月三日。

 苦悩の激動を耐え忍ばれ、

 ついに、戸田先生は、

 晴ればれと第二代会長に就任された。

 その盛大な推戴の儀式の日。

 戸田先生は、

 そっと私に

 「君の、おかげだよ。

 本当にありがとう」

 と落涙された。

 

 また晩年、

 私の義父母と

 数人の学会首脳がいる席で、

 戸田先生は語っておられたという。

 「私の人生は、

  良き弟子を持って、

  本当に幸せだった」と。

 

 思えば、

 初代の牧口先生が

 軍部権力と対決して

 牢獄につながれたとき、

 獄中までお供し、

 最後まで戦われたのは、

 戸田先生、

 ただお一人であった。

 この「一人」が大事なのである。

 

 その戸田先生を、

 人生のすべてを捧げて、

 お守りしぬいたのは私である。

 ゆえに私は、

 第三代会長となった。

 この究極の「師弟不二」の大闘争にこそ、

 今日にいたる

 学会の大発展の根本の因がある。

 それを、

 断じて忘れないでいただきたい。

 

2006年1月6日第56回本部幹部会

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2022年1月9日

第1856回

究極の「師弟不二」の大闘争

(2/3)

 

″大楠公″の如し

 

 さて五十五年前(当時)、

 昭和二十六年の

 一月六日のきょうこの日、

 私は、正午近く、

 戸田先生のご自宅に呼ばれ、

 先生の部屋に入った。

 二十三歳になったばかりであった。

 

 あの剛毅な、偉大な戸田先生が、

 このときばかりは、

 憔悴しきっておられた。

 事業の状況は悪化の一途であった。

 まさに絶体絶命の危機に

 追い込まれていたのである。

 厳しい表情であられた。

 部屋にいたのは、

 先生と先生の奥様と私の三人だけ。

 

 そして先生は、

 「きょうは

  よく聞いてもらいたいことがある」

 と私に、こう話されたのである。

 「私に、もし万一のことがあったら、

 学会のことも、

 事業のことも、

 いっさい、

 君に任せるから、

 全部、引き受けてくれないか」

 

 先生は、さらに声を強められた。

 「何が起きたとしても、

  私と君とが、

  使命に生き切るならば、

  きっと大聖人の御遺命を

  達成する時が来るだろう。

  誰が何と言おうと、

  強く、強く、君は、

  学会のために前へ進むのだ」

 

 戸田先生の遺言と、

 私は厳粛に受け止めた。

 そして、この日の誓願を、

 ″大楠公″の精神に託して、

 次のように日記に書き留めたのである。

 「先生は、正成の如く、

  吾れは、正行の如くなり。

  奥様は、落涙。

  此の日の、

  感動、厳粛、感涙、使命、因縁、生き甲斐は、

  生涯、忘るることはない。

  後継者は、私であることが決まった。

  激越の、年も刻々と明けて来た。

  いかなる苦悩にも打ち勝ちて、

  男らしく、

  青年らしく、

  若人らしく、

  本年も戦いきろう」

  (『若き日の日記』本全集36巻収録)

 

 この日、この時の「師弟の誓い」のままに、

 私は死にものぐるいで戦った。

 広宣流布の大師匠であられる戸田先生に、

 ただ一人、お仕えし、

 ただ一人、お守りしぬいた。

 これが学会の歴史である。

 師弟の本当の姿である。

 この一点にこそ、

 学会の魂があり、

 原点がある。

 

 (つづく→3/3)

 

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2022年1月8日

第1855回

究極の「師弟不二」の大闘争

(1/3)

 

<君の師匠は私だ>

 

 ――55年前(当時)(1951年=昭和二十六年)の一月、

 戸田先生の事業は最大の苦境にあった。

 すでに前年の夏には、

 当局から営業停止命令を受けていた。

 

 さんざん先生に、

 お世話になってきた人たちが、

 ひとたび風向きが悪くなると、

 一人また一人と、

 先生のもとを去っていった。

 なかには、

 「戸田のバカ野郎!」と

 不知恩の罵声を浴びせて、

 離れていった者もいたのである。

 

 最後に残ったのは、

 実質的に、私一人。

 若き私は、

 悪口と中傷を浴びながら、

 先生の事業の再建へ

 駆けずり回って働いた。

 給料は何カ月ももらえない。

 食事も満足にできない。

 せめて体が、

 もう少し丈夫であったなら。

 苦しみ、悩み、もがきながら、

 新たな活路を求めて、

 真剣に唱題を重ねた。

 毎晩のように御書を拝した。

 

 戸田先生は、

 さまざまなことを熟慮された末に、

 理事長の職も辞任されたのである。

 (=戸田先生が理事長辞住の

  意向を発表したのは

  昭和二十五年八月二十四日)

 

 私は、思いあまって戸田先生にうかがった。

 「先生、先生が理事長をお辞めになれば、

  新しい理事長が、私の師匠になるのですか

 戸田先生は言った。

 「それは、ちがう。

  苦労ばかりかけるけれども、君の師匠は私だ

 わが人生の忘れ得ぬ一場面である――。

 

 あまり自分で自分のことを言いたくはないけれども、

 次の学会を背負っていく青年部には、

 すべて知っておいてもらわねばならない。

 あえて、きょうは、

 真実の歴史のい一端を語らせていただく。

 

 (つづく→2/3)

 

 

(建築中)

世界広布新時代

創立100周年へ

青年・飛躍の年

(2022年)

2013.11.18

広宣流布大誓堂落慶

更新日

2022.8.8

第2069

 

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