幸福

2019年4月4日

第1596回
我らの前進は
全民衆を幸福に!

 

<どこまでも信仰を根幹に>

 

 出会いは人生の花だ。
 信じ合える絆は宝だ。
 私も、正義に生きる
 恩師・戸田先生との出会いが
 人生を決めた。
 苦悩渦巻く社会で、
 この流転から人々を解放し、
 困難を打開しゆく仏法ならば、
 一生をかけてみよう――
 こう決意して、
 師弟の道を歩み始めた。
 わが一念を定めれば、
 全てが開けていく。
 信心根本の軌道ほど、
 強く、充実した人生はない。

 

 正義の戦いを起こすならば、
 断じて勝つことだ。
 異体同心で進むことである。
 我らの目的は
 広宣流布 即 世界平和である。
 我らの前進は、
 どこまでも信仰を根幹に、
 全民衆を幸福にしていくのである。
 民衆を利用し、
 民衆を苦しめる動きは、
 断じて許さない。
 まじめな庶民が馬鹿を見ない社会。
 一番、苦しんできた人が、
 一番、幸福になる世界。
 それを築くための戦いだ。

 

 まず張り切って、
 一歩を踏み出すことだ。
 たとえ、つまずいても、
 朗らかに、たくましく、
 次の一歩を踏み出せばよい。
 今日一日を勝つことだ。

 桜の生命と同じように、
 我々も力の限り、
 生きて生きて生き抜いて、
 己の使命の花を
 咲き薫らせていくことだ。
 これが本然の法則だ。
 我らに春が来た!
 勝利の春が来た!
 創価の同志の春が来た!

 

2019年3月31日 <池田大作先生 四季の励まし> 我ら創価の春が来た!

2018年10月30日

第1548回
今いる場所で輝く人に 

 

 今、社会では
 人間力が求められている。
 仕事上の能力だけでなく、
 直面した難局に、いかに挑み、
 いかに価値を創造するかが、
 問われる。
 だからこそ、
 辛抱強いことが大切なのだ。
 歯を食いしばって、
 一歩また一歩、
 前へ踏み出すしかない。
 不屈の負けじ魂で勝ち進むのだ。
  
 働くとは「はた楽」
 つまり「はた(そば)の人を
 楽にすること」だと、
 聞いたことがある。
 いかなる職業であれ、
 自分の立場を通して人々に喜ばれ、
 社会に役立っていこうという
 真心と誇りがあってこそ美しい。
 その真心と誇りから生まれる
 熱心さこそ、
 重い仕事をも軽くし、
 楽しい心をもって働く力なのだ。
  
 仏法は「即社会」である。
 「即職場」「即地域」であり、
 「即家庭」となるのである。
 「即」とは、信心の一念だ。
 人生は、
 さまざまな困難の連続である。
 しかし、
 信心の上では決して負けない。
 一歩も退かない。
 この一念が、「即」人生の勝利、
 社会での勝利を開くのである。
  
 人間だれしも、
 自分自身から逃れられない。
 どんなに環境を変えてみても、
 自分自身が変わらなければ、
 何も変わらない。
 自分自身が幸福をつくるのだ。
 福運をつけていくのだ。
 人間革命しかない。
 わが胸中に
 希望の火を赤々と燃やしながら、
 人間革命の大道を朗らかに進もう!

 

2018年10月28日  〈池田大作先生 四季の励まし〉

2018年10月28日

第1547回

自分のいる場所を幸せにできない者が、

どこを、幸せにできるのか

 

 かつて戸田先生は、女子部を励まして、言われました。
 「自分のいる場所を幸せにできない者が、どこを、幸せにできるのか」と。
 今、自分がいる、その場所で幸せになることです。環境がどうあれ、自分自身が太陽になって、輝いていくことです。そこから一切が開けていくのです。
 全員が幸福を勝ち取れ!
 そのために使命の戦いを!
 幸福は、戦う汝自身の胸の中にある!
 ――これが、戸田先生の厳愛の薫陶でありました。
  ともあれ、大海に浮かぶ、この現実の社会を、幸福と平和の世界に向かって、リードできるか。それとも、不幸と戦乱の渦巻く社会へと流されてしまうのか。
 現実は厳しい。一寸先はわからない。個人も、国も、人類も――。
 仏法において、それは、「人間尊敬」の勢力と、邪悪なる「人間蔑視」の勢力との、しのぎを削る勝負によって決せられていくと明かしております。
 だからこそ、正義の民衆は、また正義の女性は、そして、正義の青年は、断じて負けてはならない。断じて勝たなければならない。それが日蓮 大聖人の御遺命であります。戸田先生も、いつも、そう言っておられました。
 勝ちましょう! 勝って、勝って、勝ちまくりましょう!

 

  2001年7月10日「7・3」記念首都圏婦人部代表幹部会

2016年9月11日

『流人なれども喜悦はかりなし』

 

<絶対的幸福境涯>

  
 「諸法実相抄」講義で、山本伸一は、『流人なれども喜悦はかりなし』の御文を通し、絶対的幸福境涯について言及していった。
 「日蓮大聖人は、流人という、まことに厳しく、辛い立場にあります。しかも、命を狙われ、いつ殺されるかもしれない状況です。普通に考えれば、悲嘆、絶望の世界です。多くの人は不幸と見るでしょう。
 でも、そうとらえるのは、相対的次元での幸福観によるものです。
 大聖人の内心に確立された御境涯では、この世で誰よりも豊かで、湧きいずる大歓喜の、広大かつ不動の幸福を満喫されているのであります。これが、絶対的幸福境涯です。
 一般的に、幸福の条件というと、経済的に豊かであり、健康で、周りの人からも大事にされることなどが、挙げられると思います。
 こうした条件を、満たしているように見える人は、世間にも数多くいるでしょう。しかし、本当に、それで幸せを満喫しているかというと、必ずしも、そうとは言えません。心に不安をかかえている人も少なくない。
 これらは、相対的幸福であり、決して永続的なものではないからです」
 どんなに資産家であれ、社会の激変によって、一夜で貧乏のどん底に陥る場合もある。健康を誇っていた人も、不慮の事故や病に苦しむこともある。さらに、加齢とともに、誰しも、さまざまな病気が出てくるものだ。
 相対的幸福は、自己と環境的条件との関係によって成り立つ。したがって、環境の変化によって、その幸福も、はかなく崩れる。
 また、欲するものを手に入れたとしても、自己の際限なき欲望を制御することができない限り、幸福の実感は、一瞬にすぎない。財などへの過度の執着は、むしろ、心を貧しくさえする。
 「もし財産が人を傲慢や怠惰や無為や欲望や吝嗇(りんしょく=けち)にひき入れる場合には、不幸そのものとさえなる」とは、スイスの哲学者ヒルティの警句である。
 人は、財や地位、健康、名誉など、相対的幸福を願い、求めて、努力するなかで、向上、成長していくことも事実である。また、所願満足の仏法を持つ私たちは、強盛な信心によって、その願いを成就することができるし、それは、信仰の力の実証ともなろう。
 しかし、崩れざる真実の幸福は、相対的幸福にではなく、絶対的幸福にこそあるのだ。
 山本伸一は、大確信をもって訴えた。
 「絶対的幸福とは、相対的幸福の延長線上にあるものではありません。相対的幸福の次元では、いくら不幸のように見えても、絶対的幸福を確立することができる。その例が、日蓮大聖人の『喜悦はかりなし』と仰せの御境涯です。
 絶対的幸福とは、有為転変する周りの条件に支配されるのではなく、自分が心に決めた使命、目的に向かって実践していくなかで生ずる、生命自体の充実感、満足感です。
 ここで最も重要なことは、自分が定めた使命、目的が、宇宙を貫く常住不変の法に合致していることです。結論すれば、広宣流布の使命を自覚し、大願に生き抜く心にこそ、真実の絶対的幸福が築かれるのであります
 広宣流布に生き抜く時、わが生命に、地涌の菩薩の、そして、仏の大生命が脈動する。流罪の身であろうが、獄中であろうが、あるいは、闘病の身であっても、そんなことには、決して煩わされることのない、大歓喜、大充実、大満足の生命が開かれていくのである。それが絶対的幸福である。
 懸命に信心に励むなかで、その一端を体験している同志は、少なくないはずである。いかに貧しく、病苦をかかえながらも、地涌の使命に燃え、毅然と折伏に歩いた時の、あの生命の躍動と歓喜と充実である。
 どんな豪邸に住んでいようと、仏法を知ろうともせず、学会を蔑み、水や塩を撒く人を見ると、心の底から哀れに感じ、″必ず、この人に、真実の幸せの道を教えてあげたい″と痛切に思ったにちがいない。その境地こそが、絶対的幸福境涯へと至る大道なのだ。

 

小説新・人間革命 24巻 厳護49、50

2015年12月25日26日

妙法は

何があっても行き詰まらない

宇宙大の生命力

 

<「幸福」とは“環境”と“自分の生命力”との関係で決まる>

  

(前略)「強い」人は「幸福」です。ただし、「強さ」というのは相対的なものです。環境と、自分の生命力との「関係」です。
 生命力が弱く、しぼんでいると、つまらないことにもイライラし、左右されて、行き詰まり、不幸を感ずる。少し生命力が拡大して、家庭内のことなら解決できるだけの生命力になる。これなら家庭内のことでは行き詰まらない。
 しかし一歩、地域のこと、町内・市内の問題となると行き詰まる。また、かりに一国を悠々と繁栄の方向へ軌道に乗せていける生命力をもつ人がいても、いぎ自分自身の生老病死の問題になると行き詰まってしまう。
 法華経とは、何があっても行き詰まらない宇宙大の生命力を教えた経です。無限にわきくる大生命力を全人類に与えるのが、この仏法なのです。ゆえに、妙法への「信心が強い」人こそが、最高に「強い」人であり、最高に「幸福」な人であると結論できる
 幸福とは、環境だけで決まるのではない。大邸宅の中で泣いて暮らしている人もいる。しかし、幸福とは、環境と無関係に決まるものでもない。子どもに食べさせるものもなくて「私は幸福だ」と言っても、それはうそです。
 幸福とは、環境(外界)と自分の生命力との「関係」で決まる。悪い環境に支配されたら不幸。悪い環境でも、こちらが支配し左右していけば幸福です。

法華経の智慧 法師功徳品 第十九章

2015年10月21日

「大地」のような生き方に、

最高の「幸福」の方軌あり

 

 さて、「幸福観」について、一言、述べておきたい。
 「人生の幸福」といっても、もちろん人によって、さまざまなイメージがある。それぞれの価値観により、幸福像は大きく異なるものである。
 ただ、平穏無事に過ぎる一生を「幸福」とする人も少なくない。ひたすら安定と快適を求め、そこに人生の価値を見いだす。描かれる幸福像は、たとえば「何も困ったことが起きない生活」(笑い)であり、「夫婦で手をつなぎ″カフェ″に入る」(笑い)光景であろうか。
 一見、いかにも「幸福」に思えるかもしれない。しかしそこには、本当の深みも、人生の味わいもない。
 それに対し、私どもの広布の旅路には、さながら劇のごとく、次から次へ、試練の嵐が来る。苦悩の高波もある。悪意の突風が吹く。しかし、それらに耐え、戦い、乗り越えてこそ、自身の深まりと充実があり、向上がある。人と人の信頼が生まれ、絆が強まる。つまり、人生の確かな価値が創造され、花開いていく。
 仏法では、仏を「能忍」と説く。一切衆生のために難を忍び、耐えて法を弘めゆくところに、仏の徳がある。また、法華経を行ずる者に「悪口罵詈」があるのは必然であるとも説いている。
 言い換えれば、平坦なだけの道は、成仏への道ではない。さまざまな障害が競い起きてこそ御聖訓どおりの信心であり、生命は磨かれ、成仏の道が開けていく。仏という永遠不壊の幸福境涯は、絶えざる難との戦いのなかにのみ構築されていくのである
 ゆえに、三世に崩れざる「幸福」とは、仏道修行という波瀾万丈の人生を勝ちぬいたところにあるといってよい。深く、広く、強靱な「幸福」の実像。それは、激しき人生の波浪のなかにあることを、強く訴えておきたい。
 たとえば、「大地」ほど忍耐強く、慈悲深いものはない。巨大なビルにも、壮大なダムにも、悠々と耐え、ささえる。風雨に揺るがず、人間が踏み歩いてもじっと見守り、黙っている。
それだけではない。あらゆる草木に滋養を与え、芽吹きや生長の上台となる。限りなく「生」を育みながら、どっしりと広がり、そして太陽の恵みを享受する――。
 この「大地」のような生き方に、最高の「幸福」の方軌を、私は見たい

 

 1989年11月29日第九回全国婦人部幹部会

2013年5月26日

「自他共の幸福」の連帯を足元から

 

 『汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か』(立正安国論31頁)と大聖人は強く促された。
 それは、「一身の安堵」に執着するエゴイズムを打ち破り、いうなれば「他人の不幸のうえに自分の幸福を築くことをしない」との誓いを共有することだ。
 本気で「自他共の幸福」を祈る自身へと変革することだ。そして、自分の身の回りから、「自他共の幸福」のために行動する人びとの連帯を、粘り強く広げることである。
 この草の根のスクラムを強固にしていくことが、「生命尊厳の社会」「人間のための社会」の土台となり、崩れざる民衆の幸福と平和を築いていくのだ。

 

聖教新聞2013.4.27付 我らの勝利の大道102

2012年7月6日

人生の総仕上げの生き方-2

 

 第二に、人生の総仕上げとは、それぞれが、幸福の実証を示していく時であるということです。"私は最高に幸せだ。こんなに楽しい、すばらしい人生はない〟と、胸を張って言える日々を送っていただきたいんです。(中略) 本当の幸福は、時代の激変にも、時の流れにも左右されることのない、「心の財」を積んでいくなかにこそあるのだ。

 

小説 新・人間革命 25巻 共戦 30

2012年6月26日  

絶対的幸福の確立
  
 真実の幸福である絶対的幸福境涯を確立できるかどうかは、何によって決まるか。 経済力や社会的な地位によるもではない。学会における組織の役職のいかんでもない。ひとえに、地道な、信心の積み重ねによって、生命を耕し、人間革命を成し遂げてきたかどうかにかかっている。フランスの思想家ルソーは断言している。「ほんとうの幸福の源はわたしたち自身のうちにある」
 
小説 新・人間革命 25巻 共戦 33

2012年6月24日  

絶対的幸福とは
  
 「絶対的幸福というのは、どこにいても、生きがいを感ずる境涯、どこにいても、生きていること自体が楽しい、そういう境涯があるんです。腹が立つことがあっても、愉快に腹が立つ」(中略)幸福は、最終的には、環境条件によって決定づけられるのではない。幸福は、どこにあるのか。自身の胸中にあるのだ。こころの宮殿のなかにあるのだ。その宮殿の扉を開けるカギこそが、信心なのである。「人生の総仕上げにあたって、生老病死など、無常の現象をありのままに見つめ、その奥底を貫く常住不変の妙法に則り、一途に絶対的幸福境涯の確立をめざしてください。その言動には、感謝と歓喜と確信にあふれるものです。そして、思いやりに富み、自分の我を貫くのではなく、皆のために尽そうという慈愛と気遣いがあります。さらに、人びとの心を包み込むような、柔和で、朗らかな笑顔があるものです。また、幾つになっても、向上、前進の息吹があり、生命の躍動感があります。ゆえに、大聖人が『年はわか(若)うなり』(御書一一三五頁)と仰せのように、若々しさを感じさせます。
小説 新・人間革命 25巻 共戦 31、32

世界広布新時代

創立90周年へ

前進・人材の年

(2020年)

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

更新日

2020.10.10

第1695回

  

日天月天ワンショット

日めくり人間革命URL