広宣流布

2019年5月1日

第1604回

「第三代がいれば、広宣流布は必ずできる。

その第三代会長を厳然と守れ」

 

<第三代の指導に透徹し、

死に物狂いで、実践せよ!>

 

 戸田先生の遺言「第三代がいれば広宣流布は必ずできる
きょう「五月三日」は、戸田先生が、そして私が、創価学会の会長に就任した日である。
その意義をこめて、一言申し上げたい。
 「第三代がいれば、広宣流布は必ずできる。その第三代会長を厳然と守れ」――それが、戸田先生の遺言であった。これは、秋谷会長や森田理事長など、皆が知っていることだ。
 創価学会は、戸田先生がおっしゃったとおり、断固として、広宣流布を進めてきた。現実のうえで、世界に仏法を広げてきた。そして今、激動の時代にあって、他の多くの団体や組織が衰退していくなかで、わが創価学会は精神界の王者として、大山のごとく、そびえ立っている。
 まさに、戸田先生の遺言どおりの学会になったと、私は、申し上げたい。
 広宣流布は大聖人の御遺命である。それを実践しているのは、創価学会以外にはない。
 この仏意仏勅の学会を迫害することは、大聖人を迫害し、広宣流布を破壊することに通じる。
 ゆえに、その罪悪に対して、厳しい罰があらわれることは、御聖訓に照らして間違いない。
 これまでも、お世話になった同志を裏切り、仏法を破壊しようと画策した人間が何人か出た。しかし、その全員が落ちぶれ、だれにも相手にされない、惨めな末路をたどっていることは、皆さんもご存じのとおりである。仏法の「因果の裁き」からは、だれ人も逃れられない
 どんなに卑劣な攻撃であろうとも、また、権威をかさにきた陰険な弾圧であろうとも、恐れるような学会ではない。
 極悪の陰謀や策謀を木っ端微塵にするまで戦い、勇んで広宣流布の大進撃を開始しようではないか。(拍手)
 婦人部も、草創の婦人部のように、総立ちとなって、題目をあげぬき、正義の勝利の歴史を開いていただきたい。法華経に勝る兵法はないのである。
 「臆病者は創価学会から去れ」とは、戸田先生の厳しき遺言であった。
 先生は、こうも言われていた。
 「虚栄を張って、学会を利用しようとする増上慢の輩は、学会から、たたき出せ
 「臆病で、足手まといになるような存在ではいけない。お世辞を使ってもらえば、何とか活動する――それでは、死身弘法ではない。

 広宣流布を進める創価学会を、何よりも大事にし、守りきっていく。これが地涌の菩薩である。そうでない幹部は、学会から出ていってもらいたい
 これが戸田先生の叱咤激励であった。この学会の大精神を永久に忘れてはならない。

 

2002年5月1日5・3祝賀第十六回本部幹部会、新世紀第二回未来部総会

2018年11月9日

第1551回
「大闘争」即「仏」

 

<大闘争から百千万の福徳が>

 

 広宣流布は、この現実社会が舞台である。社会から離れて、口先だけ、格好いいことを言っても、何の価値もない。現実の中で魔軍と戦い続ける、「平和と正義の不滅の大闘争」が、広宣流布である。
 「大闘争」即「仏」である。
 「大闘争」即「永遠の生命の勝利者の証」である。
 一歩たりとも、後退してはならない。これが大聖人の厳命である。
 広布に戦えば、自分が得をする。生々世々、「仏」という絶対的幸福の生命に生まれてくる。
 宇宙には、地球と同じように″知的生命が存在できる星″が、一説には何十億もあるとされる。
 三世永遠の生命であるから、いずれの地であれ、思いどおりの大境涯に生まれ、所願満足の人生を歩み、広宣流布していくのである。
 あっという間の人生である。だからこそ、頑張りぬくことだ。
 大聖人の御在世も、臆病な弟子たちは皆、退転し、叛逆していつた。もっとも哀れであり、卑怯な姿であった。
 絶対に、退転だけはしてはならない。自分が損をするだけである。
どうせ生きるなら、広布に戦い、大福運をつかんだほうがいい。悠々と、心広々と、楽しく励ましあいながら、新たな前進を開始してまいりたい。(拍手)
 法華経には「百千万の福」が説かれている。(無量の諸仏を供養した功徳で、福徳にあふれた妙音菩薩の姿を述べたもの)
 戸田先生は言われていた。「『百千万の福徳』を得るのだ。『百千万の福徳』を出すのだ。そのために、広宣流布をするのである。広布の陣列に馳せ参じなさい。折伏に、勇んで馳せ参じなさい。そうしないと、自分が損をするよ」と。
 永遠に自分自身が「幸福の当体」となり、「仏」となる。そのための、今世の戦いと思い切りなさい――これが、大聖人の仰せである。また戸田先生の叫びであった。これを心に刻み、頑張ってまいりたい。
 広布の人には「百千万の福徳」がわくことを深く確信していただきたい。
 広宣流布という尊極なる「仏の仕事」をしておられる皆さまに、ウソの悪口をあびせ、いじめる悪人は、経文に照らし、御書に照らして、厳たる仏罰を受ける。そうでなければ、仏の言葉は虚妄になってしまう。悪人たちの最後は必ず惨めな大敗北の生命となることは間違いないのである。

 

2001年8月1日 第八回本部幹部会

2018年5月19日

第1504回

広宣流布
それは「覚悟の人」の手によってこそ

成し遂げられる

 

 <保身、名聞名利を欲する人間に、本当の改革はできない>

 

 予言者の語った二つの道の一つ目は、「圧政によって王座を固めること」であった。そうすれば、王権の継承者として、強大無比な権力が与えられ、その恩恵に安住できる。
 そして、二つ目は、民に自由を与えることであり、それは「受難の厳しい道」である。
 なぜか――予言者は、そのわけを語る。
 「あなたが贈った『自由』は、それを受け取った者たちのどす黒い、恩知らずの心となって、あなたに返ってくるからです
 「自由を得た人間は隷属から脱却するや、過去に対する復讐をあなたに向けるでしょう。群衆を前にあなたを非難し、嘲笑の声もかまびすしく、あなたと、あなたの近しい人びとを愚弄することでしょう。
 忠実な同志だった多くの者が公然と暴言を吐き、あなたの命令に反抗することでしょう。人生の最後の日まで、あなたをこき下ろし、その名を踏みにじろうとする、周囲の野望から逃れることはできないでしょう。
 偉大な君主よ、どちらの運命を選ぶかは、あなたの自由です」
 為政者は、熟慮し、七日後に結論を出すので、待っていてほしいと告げる――。
 アイトマートフが寓話を話し終え、帰ろうとすると、ゴルバチョフは口を開いた。
 「七日間も待つ必要はありません。七分でも長すぎるくらいです。私は、もう選択してしまったのです。私は、ひとたび決めた道から外れることはありません。ただ民主主義を、ただ自由を、そして、恐ろしい過去やあらゆる独裁からの脱却を――私がめざしているのは、ただただこれだけです。国民が私をどう評価するかは国民の自由です……。
 今いる人びとの多くが理解しなくとも、私はこの道を行く覚悟です……」
 アイトマートフが山本伸一に送った、この書簡には、ペレストロイカを推進するゴルバチョフの、並々ならぬ決意があふれていた。
 保身、名聞名利を欲する人間に、本当の改革はできない。広宣流布という偉業もまた、「覚悟の人」の手によってこそ成し遂げられる。

 

〈小説「新・人間革命」〉 誓願 四十五 2018年5月18日

2016年7月26日

東北の時代が到来

 

<地道に、何があっても信念を曲げない> 

 

歩いた分だけ、

広宣流布の道が広がる。

人を励ました数だけ、

人材の花が咲く。

動いた分だけ、福運となる。

 

 金木夫妻は、自分たちのことよりも、常に同志のことを第一に考える人であった。諸会合の会場として自宅を提供するため、皆が集まりやすいようにと、わざわざ駅の近くに家を構えた。
 青森市内で活動し、夜、列車で帰っていく学会員を見ると、「外は寒いから、列車が来るまで、うちに寄って待っていなさい」と声をかけた。そして温かい味噌汁を振る舞い、おにぎりを持たせることもあった。
 困っている人がいると聞けば、すぐに飛んでいって励ました。支部長の金木正は、よくこう語っていたという。
 「会員の皆さんは、全員が尊い使命をもった仏の使いであり、大事な宝の人たちだ。一人も漏れなく幸せになってもらわなければ、申し訳ない
 青森の山村では、家庭訪問に行けば、次に訪ねる会員宅まで、一キロ以上も離れていることが珍しくない。夫妻は、積雪さえも払い飛ばす烈風のなかを勇んで歩いた。青森の気質である、“じょっぱり”といわれる強情さをいかんなく発揮し、風雪に、いやまして闘魂を燃え上がらせた。
 “歩いた分だけ、広宣流布の道が広がる。人を励ました数だけ、人材の花が咲く。動いた分だけ、福運となる”と自分に言い聞かせながら、青森の大地に、広布開拓のクワを振るい続けてきたのである。
 山本伸一は、深い感慨を込めて語った。
 「青森支部の誕生から、既に満二十年が過ぎた。その間の青森広布の伸展は目覚ましいものがある。それは、金木夫妻のように、ただただ広宣流布のために、一切をなげうつ思いで、懸命に走り抜いてきた方々がいるからだ。その決意と実践がなければ、広宣流布の前進はない。
 いよいよ学会は、これから広宣流布の総仕上げの時代に入っていく。それは、東北の時代が到来したということだ。地道に、何があっても信念を曲げない、青森の“じょっぱり魂”が光り輝く時代だよ

 

小説新・人間革命 29巻 第3章 清新35

2015年12月17日

広宣流布の不滅の方程式

 

 諸法実相抄には『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや』(諸法実相抄1360頁)
 いずこの地であれ、どんな時代であれ、勇気ある「一人」の祈りと一念に呼応して、不思議なる使命の地涌の菩薩は、必ずや陸続と躍り出てくる。
 これが広宣流布の不滅の方程式です。

 

SGIグラフ2016年1月号 2030年創立100周年へ 新たな地球文明の創出を

2014年9月21日22日

九月二十一日は広宣流布の根本方軌を示す


『経に云く「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」と此の文の心よくよく案じさせ給へ、斯人行世間の五の文字は上行菩薩・末法の始の五百年に出現して南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして無明煩悩の闇をてらすべしと云う事なり、日蓮は此の上行菩薩の御使として日本国の一切衆生に法華経をうけたもてと勧めしは是なり、此の山にしてもをこたらず候なり、今の経文の次下に説いて云く「我が滅度の後に於て応に此の経を受持すべし是の人仏道に於て決定して疑い有ること無けん」と云云、かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり』(寂日房御書、903頁)
 まさに、立宗のその日から大聖人御一人が無明の大闇を破る大闘争を開始されて二十七年。大聖人の仏法を持った人々が「民衆こそが仏」と立ち上がった。戦う民衆が成仏への道を大きく開きつつあった。その時に、魔の跳梁も頂点を迎えた。それが九月二十一日の大事件(熱原の法難)です。(中略)
 捕らえられた二十人は、信念を揺るがさずに毅然たる姿を示した。このことは、何の力ももたない民衆が、障魔の強大な圧力を信心の力で跳ね返したことを示している。
 民衆が、仏界の生命を顕し、生命の底力を発揮していくことこそが広宣流布の根本方軌です。
 熱原の民衆の深く強い信心は、妙法五字の大光明が、虐げられた末法の人々の胸中を赫々と照らしうることを証明しているのです。

 

御書の世界 第十五章 熱原の法難(抜粋)

2014年6月11日

地道即大前進 

  
 「広宣流布の大闘争といっても、特別なことなど何もないんです。日々、月々、同じことの繰り返しといってよい。私は、全国各地を回っていますが、どこへ行っても、私のやっていることは、ほとんど同じです。
 勤行会や幹部会などに出席し、全力で励ます。懇談会などで皆の意見に耳を傾け、どうすれば皆が喜んで、元気に活動できるかを考えて手を打つ。また、一人でも多くの方々とお会いし、徹して激励する。家庭訪問して語り合う――日本国中、いや、世界各国、どこへ行こうが同じです。
 その一つ一つに全生命を注ぎ込む思いで、真剣に取り組むんです。“もう一歩深く、心の中へ入ろう!”“もっと強く、魂を揺さぶる思いで励まそう!”と、いつも自分に言い聞かせながら、戦い挑んでいます。
 どんなに高い峰も、登攀するには、一歩、また一歩と、着実に、力強く、足を踏み出し続けていくしかない。地道即大前進なんです」

 

小説 新・人間革命 27巻 激闘65

2014年2月18日

さあ共に、広宣流布のシルクロードを!

 
 勝つためには、忍耐である。
 闘争である。
 ある時は楽しく、
 ある時は朗らかに、
 ある時は静かに、
 ある時は淡々と、
 ある時は怒りながら、
 ある時は慈悲をこめて、
 ある時は仲良く、
 日本中、世界中に、たくさんの仲間をつくりながら、
 創価学会は進んでまいりたい。
 勝利の人生を歩んでまいりたい。
 敵がいなければ、勝負にならない。
 何も恐れることはない。
 敵は、われわれを強くしてくれるのだ。
 ついに「創価学会の時代」に入った。
 朗らかに、民衆の長蛇の列で、
 全世界に通じる「広宣流布のシルクロード」を行進していきましょう!

 

2000.10.5創立70周年記念第50回本部幹部会、他

2013年12月7日

「ちかいし願やぶるべからず」

 

 我らの祈りは、わが地域から全地球まで包み込みます。
 この大殿堂は、「生死一大事血脈抄」の御聖訓の通り、ありとあらゆる差異を超えて、妙法の世界市民が集い合い、
 「自他彼此の心なく水魚の思いを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え」(御書、1337頁)、
 民衆の幸福と安穏、社会の繁栄、世界の平和、人類の宿命転換へ、
 共々に励まし、
 誓願へ勇猛精進していく究極の人間共和の宝塔なのであります。
 ゆえに本日より、
 この城を「広宣流布大誓堂」として、
 世界広宣流布の新時代へ、
 歓喜踊躍して正義と希望の大前進を開始したいと思いますが、

 いかがでしょうか!
 大聖人は「ちかいし願やぶるべからず」(同232頁)と仰せになられました。
 我ら創価の家族は、
 この広宣流布大誓堂とともに、
 「ちかいし願」をいよいよ燃え上がらせて、
 いかなる試練も断固と乗り越え、
 金剛不壊にして所願満足の大勝利の人生を、
 仲良く朗らかに飾りゆくことを約束し合い、
 私の記念のメッセージといいたします。

 

「聖教新聞2013.11.9付メッセージ

2013年10月20日

 断じて、これしかない!

 

 大聖人は、
 「大願とは法華弘通なり」(御書736頁)と仰せである。
 平和のため、幸福のため、世界の連帯のためには、人間主義しかない。広宣流布しか道はないのである。
 わが青年部の闘士の皆さん!
 私は、この55年間、戦いに戦った。前進また前進した。広布を阻もうとする敵から、あらゆる攻撃を受けた。しかし、この55年間、追撃の手をゆるめずにきた。
 今度は諸君の番である。邪悪への追撃を絶対にゆるめることなく、破邪顕正の大言論戦に勇敢に総決起する――きょうを、その出発の日としていただきたい。 
 
2013.10.6新時代第68回本部幹部会
(2002年9月中国・陝西省ちょう塑院特製レリーフ贈呈式)

2013年9月27日

広宣流布の軌道は行学の二道にあり!


 我らの信心の目的とは、自分自身の無限なる「人間革命」と共に、全人類の平和と幸福という、壮大なる「広宣流布」の推進だ。
 大聖人は、その実現への根本的な生命の軌道を、明確に示してくださった。
 「行学の二道をはげみ候べし、行学た(絶)へなば仏法はあるべからず」(御書1361頁)と。
 「行」とは、広布への祈りであり、拡大への勇気の行動である。
 「学」とは、御書の研鑽であり、自他共に絶え間なき教学の深化である。(中略)
 私は誉れの門下たちに、最極の宝の中の宝である「行学」の魂を託したい。
 大聖人は、「法華経の行者は如説修行せば必ず一生の中に一人も残らず成仏す可し」(御書416頁)と仰せである。
 大仏法の探求者たちよ、一生涯、人生勝利の大哲学者たれ!
 妙法の実践者たちよ、一人も残らず、幸福栄冠の大博士に!

 

  偉大なる/行学の二道の/勇者をば/大聖人は/讃え守らむ

 

聖教新聞2013.9.25付我らの勝利の大道115

2013年8月25日

広宣流布とは、魔との壮絶な戦い

 

 さらに伸一は、「聖人御難事」の「月月・日日につよ(強)り給へ・すこしもたゆ(撓)む心あらば魔たよりをうべし」(御書1190頁)の箇所を取り上げ、「日々発心」の信心の大切さを訴えていった。 「広宣流布とは、魔との壮絶な戦いなんです。昨日まで、どんなに懸命に頑張り抜いてきても、少しでも前進の歩みが止まれば、魔に付け入る隙を与えてしまうことになる。 とかく人間は、困難の壁が厚いと、〝これでは、とてもだめだ〟と投げ出し、戦いの気概を失ってしまう。反対に、困難を克服できそうになると、〝もう大丈夫だ。なんとかなる〟と思って油断し、手を抜いてしまう。 どちらも、魔に食い破られた姿です。魔の狙いは、ともかく精進を忘れさせて、広宣流布の流れを停滞させ、破壊することにある。 それに勝つには、日々前進、日々挑戦、日々向上していくしかない。自転車は止まれば倒れる。一生成仏の戦いも同じです」

 

 小説 新・人間革命 26巻 奮迅 52

2013年5月16日

 広宣流布とは何をするのか
 
 広宣流布とは、特別な「大きなこと」をすることではない。今の自分にできる「小さなこと」を、地道に粘り強く一つ一つ行なっていくことである。
 目の前の「一人」に同苦し、励ます。今できる「ひとつ」の行動に、誠実に、張り切って取り組む…それは、誰もが直ちに実践できることなのだ。
 
聖教新聞2013.3.11付我らの勝利の大道98

2013年3月22日

前進のリズムの本部幹部会

 

(昭和33年3月16日、あの3・16の式典が終わり、すでに戸田先生の病状は思わしくなかった) そこで、当時の小泉隆理事長を中心とする執行部は「3月度の本部幹部会を中止しよう」と申し合わせた。ところが、これを聞いた戸田先生は烈火のごとく叱責された。「何を言うか。幹部会がもっとも大事な一ヵ月の総決算である。同志・会員も、それを目標に戦っているではないか。そして次の一ヵ月間の大きい出発ではないか。大事な節ではないか」と。 こうして奇しくも、本部幹部会は、「4・2」という永遠の歴史の日の翌日となり、期せずして、毅然たる広布の新出発の集いとなった。 ともあれ、毎月の本部幹部会は、戸田先生が魂魄をとどめてくださった、学会前進のリズムである。この集いを毎月の節とし、個人も、支部・方面といった地域も、確かな向上の軌跡をきざんできた。これからも、その方軌はまったく変わらないことを申し上げておきたい。
 

1989.3.22第15回本部幹部会 全集(72)323頁

2012年7月15日  

広宣流布は「流れ」

 

 妙法を持つ人が、一人から二人になるのも広宣流布です。一万人が五万人になるのも広宣流布です。 しかし、広宣流布とは数ではなく、「流れ」です。永遠に流れていくものです。ある時がきて、「これで、広宣流布は終わった」というものではない。それでは魂が消え、人間革命ができなくなってしまう。どこまでいっても広宣流布がある。

 

青春対話 1 青春と信仰 387頁

世界広布新時代

創立90周年へ

前進・人材の年

(2020年)

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

更新日

2020.6.1

第1682回

  

日天月天ワンショット

日めくり人間革命URL