悪知識

2015年4月16日

法華経にきずをつけ給うべからず

 

<悪知識を捨てよ! 善友に近づけ!>

  

 御書には繰り返し、重要な涅槃経の文が引かれている。
 すなわち『悪い象などに殺されても、身体を破壊されるだけであり、地獄等には堕ちない。しかし、悪知識に振り回されてしまえば、身も心も、ともに破壊されてしまい、地獄等に堕ちる』(唱法華題目抄、7頁、趣意)と。
 戸田先生が、よく拝し指導してくださった御文である。
 悪象に踏まれるとは、現代的に言えば、交通事故などといってよい。十分に注意して交通事故・火災などを絶対に起こしてはならないことは当然である。しかし、信心が破られなければ、たとえ何があっても、変毒為薬(毒を変えて薬となす)できる。要するに、最も恐ろしいのは「悪知識」に紛動され、信心を食い破られることである。
 御書では、この「悪知識」の本質について『悪知識と申すは甘くかたらひ詐(いつわ)り媚(こ)び言を巧(たくみ)にして愚癡の人の心を取つて善心を破るといふ事なり』(唱法華題目抄、7頁)
 ――悪知識というものは、甘く語らい、詐って媚び、言葉たくみに愚かな人の心を奪って、善き心を破る――と喝破されている。
 したがって、戸田先生は「この『悪知識』の中には、悪人は言うまでもなく、悪書も含まれる」と鋭く言われていた。そうした「悪書」を読んだりしていると、それにつられて悪の方向へ、地獄の方向へ引っ張られてしまう。
 御聖訓には“どんな善人であっても、悪知識に親しみ近づけば、悪に染められてしまう”ことが何度も強調されている。
 たとえば『いかに我が身は正直にして世間・出世の賢人の名をとらんと存ずれども・悪人に親近すれば自然に十度に二度・三度・其の教に随ひ以て行くほどに終に悪人になるなり』(最蓮房御返事、1341頁)
 ――どんなに自分は正直に身を律して、世間においても仏法においても賢人の名を得ようと思っていても、悪人に親しみ近づけば、自然と十度のうち、二度、三度と悪人の教えに従うようになり、そうやって最後は悪人になってしまう――とある。
 だからこそ「悪知識を捨てよ! 善友に近づけ!」と仰せなのである。
 ともあれ、一切の基準が御書という明鏡に示されている。日々、御書を拝して、偉大なる生命の光線を浴びていくことである。
 大聖人は仰せである。
 『一生はゆめ(夢)の上・明日をご(期)せず・いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず』(四条金吾殿御返事、1163頁)――一生は夢のようなもので、明日のことさえわからないものです。(ゆえに、はかない現世のことにとらわれず、信心を第一に生きなさい)たとえ、どんな乞食になろうとも、法華経に傷をつけてはなりません――と。
 結びに、この「法華経にきずをつけ給うべからず」という御金言を強く確認しあって、私のスピーチとしたい。


1998.1.11 各部代表協議会

世界広布新時代

創立90周年へ

前進・人材の年

(2020年)

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

更新日

2020.9.22

第1695回

  

日天月天ワンショット

日めくり人間革命URL