指導者

2018年11月18日

第1556回
リーダーは信念を「行動」に移せ

 

<「人材育成」と「悪との闘争」>


 リーダーの要件とは何か? 創大生の質問に答えて、趙博士は次のような資質を挙げられた。
 「すべての構成員の意見を、十分に、かつ広く受け入れる姿勢」
 「物事を冷静に判断する知性と正しい決断力」
 「正しいことを確実に実行する行動力とリーダーシップ」
 「自分の考えをわかりやすく皆に伝えて説得する力」
 「対外的な情報を得る力」「明確な将来の展望」である。
 (さらに博士は「これらのリーダーの要件は、池田先生のご指導のもと、活動を進めていけば、自然に身につくものと思います」と)
 また趙博士は、「リーダーは、(就任して)一カ月のうちに、その信念を行動に移さなければ、構成員から信頼されなくなる」とも喝破されている。そのとおりである。いわんや、仏法は「月月・日日につよ強り給へ」である。
 どうか、広宣流布の組織のリーダーとして戦える誇りと責任をもって、日々、月々、決意新たに前進していただきたい。学会活動は一切、無駄がない。「人間革命」と「指導者育成」の直道なのである。
 ともかく、戦いの根本は、「人をつくること」である。後輩を自分以上の人材に育てていくことだ。それが、最重要の課題である。そして、広布を阻む″一凶″とは徹底して戦っていくことだ。決して放置しておいてはならない。最大の敵は、自分自身の中にいる。極悪と戦ってこそ、「自分の中の敵」に打ち勝っていけるのである。
 「人材育成」と「悪との闘争」――これが、広宣流布の組織をさらに伸ばし、拡大させていくポイントである。
 広宣流布は最高の正義である。正義ゆえに勝たねばならない。負けるような正義は、正義ではない。
 東京は、まだまだ、持てる力が十分にある。その潜在力をさらに発揮するためには、リーダーが「先頭に立って」動くことである。「率先して」戦うことである。「団結して」ダイナミックに行動していくことである。

 

2001年8月19日 東京会研修会

2018年10月10日

第1533回
リーダーの4つの心すべき事

 

<創価学会には、

”服従”という関係は絶対にない>

 

 「皆さん方は、官僚主義になってはいけません。上の人たちが威張ると後輩がかわいそうです。
 創価学会は信心の世界です。後輩の信心を少しでも伸ばし、後輩が安心して伸び伸びと成長できるような先輩幹部になっていただきたい。これだけが、私の祈るような願いなのです。」


 「(第一には)幹部は会員のことをよく理解してあげてください。仕事が特に忙しいとか、いろいろな事情で学会活動が思うようにできない人もいますが、よく納得できるように話し合いをしてください。そういう対話をすることを忘れてはいけません。
 創価学会には、”服従”という関係は絶対にないのです。理解してあげ、それで実質的に活動できるよう、対話、激励をしていただきたいのです」


 「第二には、感情的になってはいけません。感情的になることは一切の失敗の原因になります。そうした戦いは負けます。あくまで、明るい、仲の良い方向へ、たえず向かっていき、包容力を持って指導していかねばなりません」


 「第三には、礼儀正しくしていただきたい。『親しき仲にも礼儀あり』です。会合の場合、会場になった家に対しても礼儀を尽くし、また、メンバーに対しても礼儀正しく接していっていただきたい。お互いに地涌の菩薩ですから、当然のことです。
 もしも、威張ったり、非常識な振る舞いがあったりしたならば、皆が離れてしまいます。立派な幹部ほど礼儀正しいのです」


 「最後に、同志、後輩を疲れさせてはいけません。少しでも顔色が悪かったり、疲れていたりするような場合は、早く休ませてあげてください。皆を疲れさせる指導者は愚かです。できるだけ休ませてあげましょう。また、温かい言葉を掛けて励ましてあげてください。それが賢明な指導者です」


1968年1月21日 本部幹部会

大白蓮華2018年10月号№828 23頁

2016年12月4日5日

リーダーの要件(完)

 

「リーダーが皆を守る」のが学会精神だ

 

 戸田先生は、あるとき「指導者の根本姿勢」を指導された。それは皆が「支部長は会長を守り」「地区部長は支部長を守り」云々と言っているのを受けられての話である。
 「しからば、私がきみたちに守ってもらっているか。支部長に守られているか。けっして守られていない。それより、支部長をかばってあげている。支部長にかばってもらってきていない。支部長に守ってきてもらっていない。あまり迷惑をかけないようにしてもらいたいといいたい。いま、支部長で、地区部長に守られているようなものは出ていきなさい。支部長は、地区部長を守ってあげるのです。これを支部長に命令します。
 また、地5区部長は班長に守られているようではいけない。すると、ある班長が、うちの地区部長は守ってくれないと言う。もしそんな班長がいたら、きょうかぎりやめなさい。
 守られなくてもいいではないか。班長は組長を、組長は組員を守りなさい。これが学会の精神です」(昭和二十九年五月、本部幹部会)
 一つの目的に向かって進んでいるのだから、“中心者を守る”のは当然であろう。しかし、それだけを強調すると、下にばかりいばり、上にへつらう者も出てくる。
 リーダーが、人に何かやってもらうことを当たり前のように考え、甘えたり、傲慢になる。そこで戸田先生は、「リーダーが皆を守る」のが学会精神だ、と教えられたのである。
 私も、いつも人を守ってきた。守りすぎるくらいに守った。と言えるかもしれない。人に何かやらせよう、利用しようというのではなく、自分が苦労して皆を守ってあげる。この厳然たる精神に、人間としての王道がある。また、自他ともに功徳を受け、栄えゆく道がある。
 学会が大発展したのはなぜか。「極善」の妙法を根本に、「極悪」と戦ってきたからである。そして、「会員第一」できたからである。
 私は会員の皆さまを幸福にするために生きている。それ以外に何もない。会員の皆さまの屋根となって、一身に難を受け、守りに守ってきた。これからも、この決心で生きぬいていく。

 

1994(平成5)年12月1日 四国最高会議(抜粋)

2016年12月3日

リーダーの要件(7)

 

<指導者は人に好かれよ>

 

 また「指導者は人に好かれよ」と言っておきたい。
 戸田先生もよく、「指導といっても、皆に嫌われたら、おしまいだ。通じるはずがない」と言われていた。とくに女性は、好きか嫌いかが、すべて(爆笑)、という傾向があるといわれる。「好かれよ」といっても、人気取りや、へつらいではない。皆の幸せを思う「大誠実」、「皆のために陰で苦労していく「責任感」に対して、自然に生まれる信頼感である。

(つづく)

 

1994(平成5)年12月1日 四国最高会議(抜粋)

2016年12月2日

リーダーの要件(6)
 <指導者は仲良く>

 

 次に「指導者は仲良く」と申し上げておきたい。
 どんな立派なことを言っても、また、どんな力があったとしても、リーダー同士の仲が悪かったならば、だれも納得しないし、どんな努力も結実しない。皆がかわいそうである。
 リーダー同士の異体同心。その「信心の根本の団結」にこそ、仏界の力は脈動する。どんなことがあっても、仲良く、おたがいの意見に耳をかたむけ、尊敬しあっていくべきである。
 近くにいると、人の欠点が目につき、いろいろと指摘したくなるものだ。しかし、たがいに欠点を指摘しあっても、きりがない。凡夫であるから、必ず欠点がある。要は、たがいに補いあい、長所を生かしきっていくことである。
 だれが上で、だれが下とか、あの人がこうだからとか、この人がこうしてくれたらとか、そういうことよりも、自分自身が一人、決然と立ち上がり、奮迅の戦いを開始することだ。自分が「一人立つ」――そこに本当の団結が生まれる。
 (つづく)

 

1994(平成5)年12月1日 四国最高会議(抜粋)

2016年11月28日

リーダーの要件(5)
 <建設的な反対意見を大切に>

 

 佐渡御流罪中、大聖人は、門下一同に、『かかる濁世には互につねに・いゐあわせてひまもなく後世ねがわせ給い候へ』(法華行者逢難事、965頁)――このような濁った世には、たがいにつねに話し合って、たえず来世(までもの永遠の幸福)を願っていきなさい――と励ましておられる。
 「たがいにつねに話し合って」と仰せである。私どもはおたがいが「善知識」である。その意味で、皆の意見を公平によく聞くことである。知恵は第一線にある。
 戸田先生は「建設的な反対意見を出す者がなければ、その組織は発展しない」と言われた。大きな心で、皆の意見を採用してあげる度量が必要である。
(つづく)

1994(平成5)年12月1日 四国最高会議(抜粋)

2016年11月27日

リーダーの要件(4)
 <納得と、希望を「指さし」、幸福へと「導く」指導主義>

 

 戸田先生はまた、「指導である以上、相手に納得のいくようにしてやらなければならぬ」(『戸田城聖全集』第一巻)と。
  人間は、心から納得すれば、自分からすすんで行動する。自発の行動には喜びがある。喜びの「心」が功徳を生み、結果を生む。一方的な指導や、自分しかわからない理屈、裏づけのない話で、人の心をつかめるはずがない。
  戸田先生は「要するに、御本尊を信ずる力と、慈悲とに満ちて、友として指導するものこそ、指導者の自覚を得たものというべきではないか」(同)と。
  「友として」と言われている。命令主義ではない。対話主義であり、“ともに目標に進もうではないか”と希望を「指さし」、幸福へと「導く」指導主義である。
(つづく)

1994(平成5)年12月1日 四国最高会議(抜粋)

2016年11月22日


リーダーの要件(3)
 <「官僚主義に挑戦せよ」「惰性や権威主義を打ち壊せ」>

 

 戸田先生は、権威主義が大嫌いであった。官僚主義が大嫌いであられた。
 学会の組織は、政治性の組織でも、利害のための組織でもない。事務的な機構のみの世界でもない。生命と生命、人格と人格の関係の世界である。信頼と同志愛、たがいの尊敬と啓発の世界である。学会は人間主義の団体なのである。
 一般に、官僚主義の欠点とされるのは、次のようなことである。
 「上にへつらい、下にいばる」
 「地位や肩書で人を見る」
 「自分中心で保身を第一とし、責任感がない」
 「独善的で、差別的で、秘密主義である」
 「石頭で、杓子定規。視野が狭い」
 「前例に強くこだわり、新しいものや、創造的なものを嫌う」
 「思いやりや人間味に欠ける」
 こんな幹部は、四国には少ないと思うが(笑い)、要するに「民衆第一」の姿勢の正反対であり、「価値創造(創価)」の反対である。自分も硬直し、人をも抑えつける。みずみずしい感動がない。和合がない。
 学会のリーダーは、絶対に官僚主義になってはならない。命令主義、組織主義であってはならない。リーダーが、細かいところまで気を配り、心を配り、かゆいところに手が届くくらいの真剣さで、一人一人のことを大切にしていくとき、初めてあたたかい、血の通った組織ができてくる。
 それは自分自身の惰性との、たゆみなき戦いである。「官僚主義に挑戦せよ」「惰性や権威主義を打ち壊せ」と申し上げておきたい。
(つづく)

1994(平成5)年12月1日 四国最高会議(抜粋)

2016年11月17日

リーダーの要件(2)
 <祈りを根本>

 

 リーダーの要件として、第二に、「祈りを根本」と申し上げたい。
 大聖人は、在家の婦人(富木常忍の夫人)が病気と聞いて、こう励まされた。
 『尼ごぜんの御所労の御事我身一身の上とをもひ候へば昼夜に天に申し候なり』(富木殿御返事、978頁)
 ――尼御前のご病気のことは、わが身一身の上のことと思っておりますので、昼も夜も(夫人の健康を)諸天に祈っております―ー。
 「一人の人を大切にする」と言っても、根本は、その人のことを祈っていくことである。祈りもなく、真心もなくして、口先だけの指導などで、人を救えるはずがない。誠実しかない。策ではない。根底に相手を思う一念があり、祈りがあれば、最後は全部、いちばん良い方向へいく。
 大聖人は、一婦人の病気を、“私自身の一身のことである”と言われて、祈ってくださった。大聖人は、本当の仏様であられた。この大慈悲を拝して、万分の一でも、友のため、悩める人のために祈り、行動していく。その人が真の大聖人門下である。学会のリーダーである。
 学会の組織にむだはない。苦労すべき責任が大きくなればなるほど、大きな功徳を受ける。
 戸田先生は「自分が幸福になるぐらいは、なんでもない。かんたんなことです。他人まで幸福にしていこうというのが信心の根底です」(戸田城聖全集第四巻)と言われた。
 大事なのは「信心」である。自分だけでなく、何十人、何百人、何千人もの人を幸福にするのだ、功徳を受けさせるのだ。人材に育てるのだという一念で、題目を唱え、行動することである。
 それだけの、信力、行力があれば、その分、偉大なる仏力・法力が、わが身に顕れないはずがない。
 (つづく)

1994(平成5)年12月1日 四国最高会議(抜粋)

2016年11月16日


リーダーの要件(1)
 <組織や役職は手段、 「人を幸福にする」ことこそが目的>


 皆の幸福のために、自分が苦労する。それが仏である。自分の名利のために、皆を犠牲にする。それは仏とは反対であり、魔性である。その究極が日顕宗である。
 創価学会は「御本尊直結の教団」である。私どもは不思議なる「御本仏の一族」である。
 戸田先生は「学会の組織は戸田の命より大事だ」とまで言われた。それは、広宣流布を実現できる唯一の組織だからである。全民衆を幸福にするための組織だからである。
 悩める人を幸せにする、そのために学会の組織はある。そのために学会の幹部は存在する。
 大聖人は「平等大慧」と仰せである。すべての人々を平等に救っていくのが、仏の広大な智慧であり、慈悲である。仏は決して差別をしない。
 仏の使いである学会のリーダーも、相手の役職とか立場とかにとらわれず、一切の人に平等に、あたたかく、親切に振る舞っていくことである。同志は皆、仏の当体であると尊敬し、一人一人を大事にしていくことである。
 組織に役職があるのは、幹部がいばるためではない。
 成仏という絶対の幸福へと、一人ももれなく、まっしぐらに前進するためである。
 皆が安心し、希望をもち、伸び伸びと信心し、成長していくためである。
 強い団結をもって、民衆の幸福を妨げる魔との戦いに、ことごとく勝利するためである。
 その意味で、妙法を教えて「人を幸福にする」ことこそが目的であり、組織や役職は、そのための手段ともいえる。ゆえに、いばる幹部は、断じて学会の本当の幹部ではない。
(つづく)

1994(平成5)年12月1日 四国最高会議(抜粋)

2016年10月28日

リーダーの心構え


 リーダーの心構えについて、少々申し上げておきたい。
 広宣流布の前進において、無責任で自分勝手な、人まかせの心があってはならない。
 リーダー自身が苦しんでやり遂げたものだけが、立派に輝くのだ。
 中心者が要領を使い、楽をすれば、まわりも真似をし始める。そうすると、広宣流布という民衆運動の“本体”がなくなってしまう。“格好”だけは動いていても、“中身”が失われる。
 責任者が苦労し、悩む。ともに戦う同志に対して、「ありがとう」「ご苦労さま」「本当によくやってくれました」と深く感謝し、ほめ讃える。
 そうした誠実な振る舞い、真剣な言葉がばければ、温かな、血の通い合う世界ではなくなってしまう。
 どれだけ戦っても、ほめられない。そんなリーダーのもとでは、まるで、“機械”のように扱われていると感じるかもしれない。
 「人間」は、どこまでも「人間」である。皆、等しく尊貴であり、かけがえのない使命がある。これを決して忘れてはならない。
 細かいことのように聞こえるかも知れないが、指導者の一分の隙、わずかな傲慢が、知らず知らずのうちに、尊い和合を壊していってしまう。未来のために、あえて申し上げておきたい。
 ともあれ、責任ある立場にありながら、自分自身が苦労を避ける指導者は、最低であり、危険である。
 人をうまく利用して、自分はいい子になって、疲れないようにする。それで人材が育つはずがない。
 トップが自覚し、責任を持たなかったら、組織は崩れる。それが方程式である。

 

2009年2月23日付聖教新聞(2~3面) 2009年2月18日 婦人部・女子部最高協議会でのスピーチ

2016年10月23日

仏縁を結べば生々世々、大指導者に


 <全て眷属となり、諸天善神となり、幸福の地盤となる>

 

若々しいということが
最高の力であり、財産であり、勝利である

 仏法は「三世」で見る。過去・現在・未来の三世の生命観に照らして、一切を見る。
 三世の生命という鏡に照らせば、自分が会い、仏縁を結んだ人々は皆、生々世々、自分の眷属となっていく。面倒をみた人が皆、自分を守ってくれる諸天善神と変わる。
 たくさんの人の面倒をみた人は、必ず生々世々、大指導者になっていく。自分だけでなく、その人々をも、幸福の軌道へと導くことができる。
 また、広布のために歩き、行動した地域は、すべて自分自身の金剛不滅の幸福の地盤となっていく。
 信心にむだはない。損はない。
 人のため、法のための一切の行動が、宝の福徳を積んでいることを確信していただきたい。これが冥益である。
 ゆえに、皆さまは若々しく進んでいただきたい。
 若々しいということが、最高の力であり、財産であり、勝利である。

 

2015年3月2日付聖教新聞本部幹部会での池田SGI会長メッセージ

2016年10月19日

「一言」の持つ影響力

 

<確信ある指導>

 

 「一言」の持つ影響力について歴史の上から少々申し上げておきたい。確信ある指導、確信ある言々句々がどれほど大事であるか。また、このことを踏まえなければ、真の指導者とはいえないからである。
 一五九六年(文禄五年)十月、スペイン船サン・フェリペ号が土佐に漂着。同船の水先案内人(航海長、他の乗組員説も)が、豊臣秀吉の臣下に失言した。それは「スペインは、今や世界に広大な領土をもっている。それらの国々を占領するに当たっては、まず宣教師を送って住民の心をとらえ、その後、彼らの協力を得て軍隊を送るのだ」という内容であった。
 ──言葉は大事である。他に与える影響を考えずに、ふともらした一言が人間の感情をまったく変えてしまう場合があるものだ。
 この発言を耳にした秀吉は驚き、激怒。キリスト教の宣教関係者に信者十七人を加えた二十六人を、長崎で磔はりつけにしたという。いわゆる「二十六聖人事件」である。秀吉はこの九年前に、禁教令を出してはいるが、具体的な弾圧はこの「一言」がきっかけであったといわれる。
 この不用意な「一言」は、秀吉のキリスト教弾圧を招いただけでなく、その後も多くの人々に計り知れない政治的・宗教的影響を与えた。そして一度形成された偏見は根強く残ったのである。
 教義はともあれ、江戸時代を通じて徹底的に民衆に教育された″キリシタンの恐ろしさ″は、明治になっても長く社会に流布していた。知識人の間で「キリスト教」が流行しても、それは「キリシタン」とは別のものであった。「キリシタン」には相変わらず、あやしげな印象ばかりがあったのである。
 そうした先入観念は、容易に人々の脳裏を去らなかった。その印象を一変させたのは、明治四十二年に出版され、熱狂的に迎えられた北原白秋の詩集『邪宗門』である。この詩集の成功で、キリシタンの島々・天草は、エキゾチックな詩情に包まれた、魅惑みわく的な島々となった。
 偉大な詩人は、一国の国民の感受性まで一度に変えてしまった。悪条件のもとにあっても、確信ある発言に状況は必ず変わる一つの姿であろう。善きにつけ悪しきにつけ、言葉に動かされてしまうのが、人間の心といえる。
 いわんや広布の世界にあっては、リーダーの力強い、確信ある指導がどれほど力となるか。もしもリーダーが言うべきことを明快に言い切っていく勇気がなければ、会員を守ることはできない。また会員も安心し、納得して信心に励むことはできない。
 皆さま方は強靭なる「勇気」と、偉大なる「人間性」と「愛情」の指導者として、信仰の正義を堂々と主張し抜く一人一人であっていただきたい。

 

1989年4月19日第十六回本部幹部会

2016年10月16日

指導者の重大な要件

 

 大聖人は、「日女御前御返事」に、次のように仰せである。
 『周の文王は老たる者をやしなひていくさ軍に勝ち、其の末・三十七代・八百年の間すゑずゑ末末は・ひが事ありしかども根本の功によりてさか栄へさせ給ふ』(1250頁)
 ──周の文王は、老いた者を大切に養って戦いに勝ち、その子孫は三十七代八百年の間、末裔まつえいには、心得違いの悪政の時代もあったが、根本である文王の功によって長く栄えることができたのである──。
 国であれ、団体であれ、長きにわたる繁栄を決定づけるものは、草創期における基盤づくりである。
 文王は、国と民の行く末を思い、″八百年″の土台を築いた。いわんや広宣流布は末法万年への法戦である。私も、今日まで、未来への完璧かんぺきな広布の土台づくりを期し、死力を尽くしてきたつもりである。
 先の御書に「老たる者をやしなひて」と仰せのように、文王は、高齢の先駆者を大切に養った。王の徳政は、こうした老人をはじめ目立たぬ立場の人々にも及び、民は喜び、国は栄えた。どこまでも陰の人を大切にし、心を砕くだいた文王の姿に、指導者の重大な要件が示されている。
 とともに、指導者は、民衆に″敗北″の苦しみとみじめさを味わわせてはならない。民衆とともに、民衆のために、堂々と試練に挑いどみ、一切に勝利しゆく「勝利王」こそ、優すぐれたリーダーたる証あかしである。
 そのためには、勝ちゆくための知恵と力が不可欠である。聡明さと強さがなければ、戦いには勝てない。
 どうか朗々たる唱題で、こんこんと豊かな知恵と生命力をわかせながら、賢明なリーダーとして見事なる「勝利」の歴史を重ねていただきたい。

1989年4月19日第十六回本部幹部会

2016年8月28日

指導者は変化に対応する柔軟性を!

   

 九州記念幹部会で山本伸一は、成増敬子の抱負を聞きながら思った。
 “熊本も、また大分も、宗門の問題では本当に苦しめられている地域だ。しかし、それをはね返し、ますます広布の炎を燃え上がらせている。すごいことだ。いつか、必ずその地域を回って、耐え抜きながら信心を貫いてこられた皆さんを心から励まし、賞讃しよう”
 彼は会合終了後、「七つの鐘総仕上げの年を記念し」と認めた御書を、成増へ贈った。
 幹部会でマイクに向かった伸一は、仏法者の生き方について語っていった。
 「日蓮大聖人の智慧は平等大慧であり、一切衆生を平等に利益される。その大聖人の御生命である御本尊を信受する仏子たる私どもの人生は、全人類の幸せを願い、行動する日々であらねばならないと思っています。
 私たちが、日本の広宣流布に、さらには世界広布に走り抜くのも、そのためです。
 私は人間が好きです。また、いかなる国の人であれ、いかなる民族の人であれ、いかなる境遇の人であれ、好きであると言える自分でありたい。そうでなくては日蓮大聖人の教えを弘める、仏の使いとしての使命を果たすことはできないと思うからです。
 皆様方も、誰人であろうが、広々とした心で包容し、また、全会員の方々の、信心の面倒をみて差し上げていただきたい。私どもが平等大慧の仏の智慧を涌現させ、実践していくところに、世界平和への大道があります。
 そして、リーダーの皆さんは、物わかりのよい、柔軟な考え方ができる指導者であっていただきたい。硬直化した考え方に陥ってしまえば、時代、社会の変化に対応していくことができず、結局は、広宣流布の流れを閉ざしてしまうことになりかねません」
 国連人権委員会委員長を務めたエレノア・ルーズベルトは指摘している。
 「あらゆる偉大な文明が滅びた理由は、ある意味で、それが固定化し、新しい状況、新しい方法、そして、新しい考え方に柔軟に適応できなくなったからです」(注)

 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 エレノア・ルーズベルト著『TOMORROW IS NOW』ハーパー・アンド・ロウ社(英語)


小説新・人間革命 29巻 第3章 清新63

2015年12月30日

妙法の名将たる資格

 

<どこまでも庶民とともに>

 

 “妙法の名将”、すなわち庶民とともに生きて、もっとも不幸な人々の味方になり、社会の一人ひとりを救い、指導しきっていく、真の名将になっていただきたい、と強く念願してやまない。その人こそ、しょせんは、社会各階層の真実の名将に通ずると確信するからである。

 

妙法の名将たる資格


 第一に、御本尊への絶対の確信に立ち、御書を心肝に染め、広布にまい進すべきこと。「最高の理念たる色心不二の大仏法を奉ずる者こそ、すなわち最高の智人であり、妙法の名将といいうると思う」


 第二に、難事をも成し遂げゆく実行力と闘争力、そして折伏力と指導力を有すること。「幹部はあくまで、実践第一を旨とし、大目的に向かって、つねに先頭きって戦い、あとに続く人々に、その範を示していただきたい」


 第三に、社会のすべてに通暁した世雄となること。「妙法の名将こそ、職場の勝利者であり、かつ豊富な知識と国際的視野をそなえた立派な社会人であって当然であろう」


 第四に、後輩を育成していく熱意。「いかなる人をも活かしきっていくとの決意をもって、後輩を自分以上の人材に成長させていく聡明な人こそ、真の名将というべきであろう」


 第五に、人間性豊かな包容力ある指導者であれ。「威厳とともに寛容、勇気とともに礼儀、敵には強く、後輩には心からやさしく、すべて両面をそなえてこそ真の名将といいえよう」


 第六に、旺盛な責任感と計画性である。「戦いを勝利に導く真の指導者であるならば、その活動には、積極的な行動とともに十分な計画を練り、機敏に、先手、先手と考えてけっして後手になってはならぬ」


 せんずるところ、信心強き者こそ、真の妙法の名将となりうるのである。

 

大白蓮華2016.1月号795号 妙法の名将よ、勇み立て!22頁

 

2015年3月29日

心して「民衆の歎き」を知れ! 

その幸福のために、すべてをなげうって戦え!

 

<民衆の幸福こそ指導者の責務>

  

 ここで、指導者の責任の重さについて、一言申し上げておきたい。
 大聖人は「守護国家論」の冒頭で「悪趣に堕つるの縁・一に非ず」(御書36頁)――人間が地獄・餓鬼・畜生の三悪趣に堕ちてしまう縁は、一つだけではなくいくつもある――と述べられている。
 そして、その一つとして『国主と成つて民衆の歎きを知らざるに依り』(同頁)と厳然と指摘されている。すなわち――国主という、一国の民衆に対して重大な責任ある立場にありながら、“民衆の歎き”を知らない。また知ろうともしないがゆえに――と。
 そのような無責任で無慈悲な権力者、傲慢な指導者の罪は、はなはだ重い。生命の厳しき因果律に照らして、必ず悪道に堕ち、ほかならぬ自分自身が大変な苦しみを受ける――との御断言である。短い御言葉ながら、重大な原則を教えてくださっている。いわば全世界の指導的立場にある人への警告とも拝せよう。
 “民衆の歎き”を知る、“民衆の声”を聞く、“民衆の幸福”のために、つくしにつくしていく。それが指導者の使命である。どこまでも民衆が根本である。
 指導者は民衆のためにこそ存在する。当然のようでありながら、この真実の“民主”の原理に生きぬく指導者は少ない。民衆に仕えていくのではなく、自身のエゴに仕えていく指導者があまりにも多い。
 因果の理法の裁きは厳しい。民衆に支えられてこそ得た自分の立場を利用し、どんな名声や財産や勲章で華やかに表面を飾ろうとも、その内実はむなしい。いな飾れば飾るほど、民衆を忘れた堕落の生命は、悪道への因を一日また一日ときざんでいる。
 大聖人は、この厳たる生命内奥の事実を教えられることによって、真実の指導者の姿を示唆されていると拝される。

 心して「民衆の歎き」を知れ! そして、その幸福のために、すべてをなげうって戦え! ここに指導者の根本要件があると。
 世間の指導者に寄せて仰せになった、この御言葉はまた、仏法の世界にも通じる。
 それどころか、仏法の世界で、人を救い、正しく導くべき立場にありながら、その責任を果たそうとしない罪は、比較にならぬほど重い。まして、守るべき仏子を軽侮し、利用し、いじめる者にいたっては、その罪は言葉で言いつくすこともできない。
 反対に、皆さま方は日夜、広布のリーダーとして、懸命に民衆の嘆きに耳を傾け、その幸福を祈り、行動されている。仏法の眼、生命の因果の眼から見るとき、いかなる栄誉の指導者よりも尊き存在であられる。その無償にして、信念の行動に対して、御本仏の御称嘆(ごしょうさん)はもとより、全宇宙の諸天善神が皆さま方を守りに守っていくことは間違いない。
 私も戦う。指導者として、休みたくとも休むわけにはいかない。止まりたくとも、走るのを止めるわけにはいかない。その、広布への渾身の実践にこそ、大聖人の仏法の生きた脈動が、また魂があると信ずるからだ。


1988. 3.24第1回和歌山県記念総会

2015年1月10日

 中心者は慢心を排せ!

 

 大聖人は、佐渡の千日尼にあてた御手紙の追伸に、次のように仰せである。
 「豊後房に申し候べし・既に法門・日本国にひろまりて候、北陸道をば豊後房なびくべきに学生ならでは叶うべからず・九月十五日已前に・いそぎいそぎまいるべし」
 ――あなた(千日尼)から豊後房に、次のように申し伝えてください。すでに日蓮の法華経の法門は、日本全国に弘まってきた。北陸道を教化するのは豊後房の役目であるが、それも学問がないとできないことである。九月十五日以前に、急ぎ急ぎ身延へまいるように――と。
 「いそぎいそぎまいるべし」、つまり″急いで私のもとに来て学びなさい″との大聖人の御言葉である。ここには、一つの地域の広宣流布を担うということが、どれほど重大なことであり、そのための中心者の成長がいかに大事であるかを示されていると拝せよう。
 もし、中心者が慢心の人となって、正しき「師」を求めようとせず、また「法」を学ぶ努力を怠ってしまったならば、その地域の広宣流布は停滞し、多くの人々の信心も濁らせてしまう。それほどに、仏法は厳しく、中心者の責任は重い。
 ともかく私どもは、久遠元初からの約束で、それぞれの地に願い来った「地涌の勇者」である。環境に負けたり、困難を避けては、みずからの使命を果たすことはできない。
 中心者の「信心」「教学」「人格」の前進が、その人自身の成仏はもとより、後輩の成長、地域広布の前進へとつながりゆくことを深く銘記したいものである。

 

 1988. 9.12 港、目黒、渋谷区合同支部長会


2014年10月8日

指導力とは御本尊に導くこと


 「題目を唱えることです。御本尊様に導くことが指導です。
 顔色が良く、『あの人に任せれば安心だ』と人から言われるようになれば、それが無言の指導です。

 “同志を退転させまい。責任をまっとうしたい、幸福になってもらいたい”と願っている。それが指導力です。
 才覚や策や政治性を指導力というのではありません」

 

大白蓮華No.779号2014.10月号23頁

 

2014年6月26日

同志には一期一会の激励を! 

  
 悩み、苦しみ、その活路を仏法に求めて、健気に信仰に励もうとする同志に、伸一は全魂を傾けて、勇気と励ましの指導をつづけた。この人たちを苦悩から救い、断じて幸せにしてみせる――との、熱き思いをたぎらせて。
 みな無名の庶民である。しかし、広宣流布の使命を担うために出現した尊き地涌の仏子なのだ。
 彼は、一言ひとことに愛情をこめ、誠実をこめ、責任をこめて、一期一会の思いで語っていった。

 

小説 人間革命 12巻 宣言 135頁

2014年6月16日

今の自分に生ききり、慈愛の人間指導者に! 

  
 ネパールにも足跡を留めた、かのアショーカ大王の法勅には、人民に関することは、食事などのどのような時にも、また寝室などのどのような場所にあっても、私に聞かせなさい、と刻まれております。
 広範な植樹や、「女性のための奉仕者」と呼ばれる重要な役職を設けるなど、アショーカ大王の先駆的な知恵は、「民衆を敬い」「皆の声を聞く」徹底した責任感から生まれたといえるでしょう。
 いかに社会が変転しようとも、否、混迷の時代であるほど、求められるのは、民衆の幸福のために一切の責任を担い立つ、慈愛の人間指導者であります。
 平凡でもよい。名誉や栄達など求めなくともよい。しかし、私の誇りである皆さんは、全員が、わが身を厭わず矢面に立って、人々に尽くし、友を守りぬく「人間として勝利者」になっていただきたい。
 人生は長い。焦る必要はありません。地道に、誠実に、着実に、わが道を行き、わが城を築く――その人こそが、最後の人生勝利の旗を振るからであります。
 ゆえに、過去や未来にとらわれたり、他人を羨んだりしてはならない。
 「今の自分自身」に生ききること――その真剣勝負に、人生の揺るがぬ土台が築かれていくのであります。

 ゲーテは謳いました。

 

  ああ、希望よ!
  希望は、嵐の夜の中に
  暁の光を差し入れるのだ!

 

1995.11.4創価教育同窓の集い

2014年5月20日

民衆と結び、民衆に学べ! 

  
 指導者のあり方について、周(恩来)総理は「三つのことを多くせよ」と教えておられました。
 第一に「上からの号令ではなく、個人指導を多くせよ!」
 第二に「民衆と結合し、民衆の知恵から多くを学べ!」
 第三に「“上から下”ではなく、“下から上”へ、多くの波動を起こせ!」。
 初代牧口会長の指導も、まったく同じでありました。
 大事なのは「個人指導」です。いちばん大変な人のもとに駆けつける。じっくりと「一対一」で語り合っていく。そこから、真の共感が広がっていく。
 民衆から学ぶのです。民衆のなかにこそ知恵があるのです。偉いのは「上」ではない。「下」で支える人が偉いのです。その人を最大に尊敬していくのです。
 周総理もそうでした。牧口先生もそうでした。ここに不思議な精神の一致がある。


2000.10.22中国陝西省芸術研究所・彫塑院「ブロンズ・レリーフ」贈呈式他

2014年5月12日

民衆のために、庶民のためだけに、生きよ! 

  

 牧口先生は、こう論じられておられる。ここでは、わかりやすく紹介させていただく。
 「(利害・善悪・正邪等を判定する)簡単な道理が分からないものは“狂”――つまり狂っている。また分かっていながら道理に従えないものは“怯”――つまり卑怯である。こうした人間は、公職に就き、高位に立つ資格のないものといわねばなるまい。なぜなら、こうした人間は、利害も善悪も、すべて好き嫌いという一時的な気分で判定し、簡単に世渡りできると考える。
 そして、傍若無人の振る舞いをするので、酔狂者(酔っ払いのように、常人のしないことをする者)に武器を持たせたように危険千万だからである」
 まるで今日を予期されたような達見であられた。この一言だけでも、あの偉大な戸田先生が牧口先生を慕われていた気持ちがよくわかる。

 「狂」にして「怯」――悩乱した指導者がいかに危険であるか。決して放置してはならない。倒さねばならない。
 民衆がしっかりして、彼らを糾弾し、みずからを守らなければならない。ただ“人が良い”だけでは、悪い指導者に“なめられて”しまう。
 指導者があって、民衆がいるのではない。反対である。「民衆」あっての政治家であり、聖職者である。「学生」あっての教師である。にもかかわらず、民衆をバカにし、いばる人間がなんと多いことか。
 これが、日本の情けない現実である。しかし、諸君は、時代を変えねばならない。民衆の一人一人が強くなり、民衆が「根本」である社会を築かねばならない。
 「偉ぶった人間が何だ!」――これが私の永遠の信条である。
 なぜ、私が生きて頑張るのか。それは、民衆がいるからである。だれのためでもない、けなげなる庶民のためである。
 その方々を守るために、そのためだけに、私は生きている。働いている。戦っている。諸君もこの私の精神を継いでいただきたい。


1993.5.5創価同窓の集い

2014年4月3日

希望を配る人


 ナポレオンは「リーダーとは『希望を配る人』のことだ」と言った。大いなる希望を呼び覚ましてこそ、大いなる事業を成し遂げることができるのです。
 皆の「心」を変えることこそ、リーダーの役目です。単に人が集まっているだけでは、「心」はバラバラの方向を向いている。カオス(混沌)の状態です。その「心」を一つの方向に向けて、団結させ、前進させていく。いがみ合う「心」を結ぶ合わせ、臆病にとらわれた「心」を奮い立たせ、無力感にさいなまれた「心」に確信の炎を点す。そうした「心」のリーダーシップが求められているのです。

 

御書の世界(上)第七章 師子王の心

 

2014年3月18日

 師子王の子は必ず師子となる!

 

 『牛王の子は牛王なりいまだ師子王とならず、師子王の子は師子王となる・いまだ人王・天王等とならず』(御書1216頁、編493頁)
 「師子の子」は師子になります。広宣流布に戦う仏子は、凡夫であっても必ず仏になる。それであってこそ仏法です。
 人間と隔絶した〝仏〟がいて、凡夫は永久に仏に導かれる存在でしかない、というのでは真の仏法ではない。皆を自分と同じ境涯にしようとして、万人が仏であることを教えられたのが法華経です。
 また、弟子である衆生の側から見れば、仏をただ遠く仰ぎ見ているような傍観者では失格です。
 仏と地涌の菩薩が久遠から一体で戦ってきたように、師匠と同じ民衆救済の大闘争を開始しなければ、「師子の子」ではありません。ましてや野干や群狐に笑われるような「師子の子」であれば、師子王の後継者としては失格です。
 どこまでも師子王の心をわが心として、一体となって戦っていくなかにしか、師弟不二の経典である法華経の継承はありません。
 もちろん、最初から自分は力があると思っている人はいません。しかし、師匠から勇気をもらったら、戦う力は湧きあがってくる。本当は、それだけの力がもともと自分にあるのです。師子王の妙法を持っているのだから。

 

御書の世界(上) 第七章 師子王の心

2014年1月28日

リーダーは希望と確信を友に!

 

  リーダーが徹して民衆の中に入り、民衆と語り、民衆の心をつかんでいく。そこに希望がわく。正義の戦闘力がみなぎる。そこから、勝利のエネルギーを引き出していく以外にない。
 組織の上下関係を超克して、人々の心をつかむことが、リーダーの根本条件である。
 希望と確信をあたえることである。命令や指示では、人々は本当の力は出せない。むしろ、感情的に反発してしまうことを忘れてはならない。

 

2000.7.26第二回東京婦人部最高協議会

2014年1月27日

指導者は決定した祈りを!

 

 人生は、広宣流布の闘争は、「煩悩即菩提」である。苦労が大きければ大きいほど、喜びも大きい。功徳も大きい。そして、境涯も大きくなる。
 ゆえに、指導者は「自分が、いちばん苦労してみせる!」と決めることである。同時に、「自分が、いちばん楽しんでみせる!」と朗らかに、悠々と生きぬき、戦いぬいていくことである。
 その人は、無敵である。その人には、だれ人たりとも、かなわない。
 「必死の一人」は千万軍に勝る。戦いは、リーダーの執念で決まる。責任感で決まる。
 「断じて勝ってみせる!」
 「必ず、わが地域の広宣流布は成し遂げてみせる!」
 草創の同志は皆、この心で立ち上がった。
 その決心があれば。人材は出てくる。仏菩薩に厳然と感応していくのである。
 要するに、決定(じょう)した「祈り」である。そして、春になると、野の花がいっせいに咲き薫るように、時が来れば、必ず、すべてが開花していく。

 

2000.8.11日本・イタリア代表者会議

2014年1月11日

「情報技術革命」が進めば進むほど「一対一の対話」が重要


 人間と人間の「物理的な距離」は、どんどん近づいてきた。にもかかわらず、「心と心の距離」は、遠ざかったままである。孤独地獄は、ますます深刻である。
 だからこそ、これからの情報化社会をリードするには「人間根本の哲学」を持って、「人格と生命の対話」を率先して実践していく指導者が必要である。(中略)
 テヘラニアン博士は、そうした「生命触発のモデル」として、創価学会の座談会運動、対話運動を挙げておられる。
 「私は、SGIにみられる座談会などの自主的な小規模のミーティング(会合)のもつ役割を高く評価し、注目しています。
 現代の国家や企業といった、マス(大きな集まり)の次元だけでは、どうしても非個性化、非人格化、貪欲性、攻撃性が優勢になりがちです」と。
 「情報技術革命」が進めば進むほど、健全な人間と社会の発展のために、人格と人格がふれあう「一対一の対話」が必要不可欠となるのは当然である。
 その時代の最先端の行動をし、新たな地球文明の創造へ貢献しているのが、わが創価学会であると、世界の識者が注目をし始めたのである。
 思えば、釈尊も、インドの大地を歩にに歩いて「一対一の対話」を続けていった。
 大聖人の「立正安国論」も、「対話形式」でしたためられている。
 「対話」こそ、仏法の永遠なる精神である。
 上からの命令では「対話」とはいえない。心を通わせ、ともに歩き、ともに行動する。そこに対話が生まれる。
 牧口先生も戦時中、権力の魔手が迫るなかで、最後の最後まで折伏の歩みを進められ、「対話」を続けられた。
 逮捕されたのも、「一対一の対話」のために、はるばる伊豆の下田まで、足を運ばれた時である。
 「声仏事を為す」(御書708頁)――声が仏の仕事をなすのである。
 しゃべることである。対話である。
 「柔和忍辱(正法を素直に受持し、難を耐え忍ぶ)の衣」「忍耐の心」を持ちながら日々、生き生きと声を発していく。
 「希望の対話」「哲学の対話」「幸福の対話」「なごやかな対話」「励ましの対話」――。それが人間らしい世界をつくる。それが「勝利への対話」につながるように戦ってまいりたい。

 

2000.7.18第48回本部幹部会

2013年7月26日

 孔明「人材の抜擢」
 

「立派な指揮官が[軍]政を行う時、第三者に[有能な人材を]選択推挙させて、自分自身では抜擢しない。[軍]法によって人々の功績を裁定し、自分勝手には判断しない。だから有能な人材は[その才能は]蔽い隠すことができないし、[逆に]無能な人は[その菲才を]飾り立てることができない」

 

2003.8.4全国最高協議会③

2013年7月22日

 孔明「組織や国を乱す者」 
 

次の5種類の人間は気をつけよ遠ざけよと訴えている。
①徒党を組んで、派閥をつくり、才能人徳に優れた人を妬んで、謗る人間。
②虚栄心が強く、服装なども贅沢で、目立とうとする人間。
③大げさなことやデマを言って、人々を惑わす人間。
④自分の私利私欲のために、人々を動かす人間。
⑤自分の損得ばかりを考え、陰で敵と結託する人間――である。

 

 2003.8.4全国最高協議会③

2013年7月20日

 孔明「指導者の不動の信念」

 

「[自分が]尊重されても驕り高ぶらない、
 [権限を]委任されても自分一人で勝手にしない、
 [他人に]救助されても[その不名誉を]蔽い隠さない、
 [地位を]被免されても驚き恐れない。
 だからこそ、立派な指揮官の行動は、ちょうど璧が[どんな時でも]汚れない[と同様に、どんな状況に在っても決して動揺しない]が如きである」
 不屈の闘志の指導者が勝つ。断じて、諸葛孔明の名指揮をお願いしたい。 

 

 2003.8.4全国最高協議会③ 

2013年7月16日

 孔明「戦いに臨む指導者の姿勢」 

 

「一人でも犠牲者が出るならば、それは、すべて私(孔明)の責任である」とも言っている。絶対に、犠牲者を出さない!落伍者を出さない!断じて一人も不幸にしない!孔明の指揮は、この覚悟と責任感に貫かれていた。

 

 2003.8.4全国最高協議会③

2013年7月15日

 孔明「指導者にふさわしくない者」  

 

 孔明は、指導者にふさわしくない者として、八種類の人間を挙げている。
①財産に貪欲で飽くことを知らない者。
②賢く有能な人を嫉妬する者。
③人を中傷することを喜び、おべっかを使う人を近づける者。
④人のことは、あれこれ分析するが、自分のことは、何らわきまえない者。
⑤ぐずぐずして、自分で判断できない者。
⑥酒におぼれ、その状態から抜けだせない者。
⑦虚偽で、臆病な者。
⑧言葉巧みに狡猾で、傲慢無礼な者。
 戸田先生は、幹部に対して、いつも厳しく語っておられた。「周りじゃないよ。すべて君で決まる。君の一念で決まるんだ」

 

 2003.8.4全国最高協議会③

2013年7月14日

 諸葛孔明の描いた指導者像  

 

 「いにしえの優れた指導者は、皆を、わが子のように慈しんだ。 困難にさいしては、自分が先に立ち、栄誉に対しては、皆を立ててあげた。傷ついた人がいれば心からいたわり、戦いに殉じた人がいれば、ねんごろに葬り、悼んだ。 飢えた者には、自分の食事を分け与え、凍える者には、自分の衣服をさしだした。 優秀な人間には礼をもって接し、立場を与え、勇敢な人間には、褒賞を与えて励ました。 指導者がこのような姿勢を貫いていけば、向かうところ、必ず勝っていく」

 皆さまも、縁深き同志の皆さんと「苦楽をともにしていく」リーダーであっていただきたい。

 

 2003.8.3全国最高協議会①

 2013年7月12日

 慈悲の人に無限の知恵 
 

 学会は、真に人間を練磨し、変革しゆく大地である。そのリーダーである皆さま方は、決して「組織悪の指導者」になってはならない。どこまでも「仏法と信心の指導者」として、みずからを鍛えぬいていただきたい。
 組織上の役職でも、社会的な地位でもない。一人の人間として、どれほど偉大であるか。どれほど豊かな「慈愛の心」の指導者であるか。これこそが肝要であると申し上げたい。
 「無慈悲」の人には「知恵」は出ない。「慈悲」の人には、限りない「知恵」がわく。友の幸福と、社会の平和・安穏のための「知恵」が、生命の奥底から滾々とあふれ出てくるものだ。今、求められているのは、そうした慈愛と知恵のリーダーである。

 1989.11.18第23回本部幹部

2013年7月11日

 何をもって正しくリードするのか 
 

 何をもって人々を正しい方向にリードしていくのか。それは「人間性」しかない。指導者論も、要するに、その人の「人格」に帰着する。

 それでは「人間性」とはなにか。

 仏法の世界においては、その根本は仏子への「深き祈り」である。

 友に「本当に幸せになってもらいたい」「安穏であっていただきたい」「健康であり、長寿であっていただきたい」と、真心から祈りに祈っていく。そして行動していく。その「信心」が、最高の「人間性」であり、指導者の要件となる。また、その「信心の深さ」が、自身の「福徳の大きさ」になっていくのである。

  

 1989.11.18第23回本部幹部会

2013年5月17日

 策は繰り返す
 
 日蓮大聖人の仏法を、大聖人に代わって、大聖人の御心のままに弘めていく。それが創価学会である。リーダーは信心を教えるのだ。我見の指導はいけない。戸田先生は、「策で解決した場合は、また同じ問題で悩むようになる。信心で解決した時こそ、宿命転換である」と言われた。根本は、御本尊に向かわせていくことである。大事なのは人だ。祈って、適材適所で皆を生かすのだ。 
 
聖教新聞2013.2.23付今日も広布へ8

2013年4月8日

将の将

 

 同輩や後輩が伸び伸びと明るく成長し、自分以上に大きく活躍していく…その姿を心から喜び、見守っていくことが、“将の将たる”真のリーダーの「心」である。

 そして「責任は自分にある。手柄はあなたにある」と、淡々とした心で進んでいく人こそ、“魂の幸福者”であり、真の“信心の勝利者”“人間の勝利者”となっていく。人間としての栄冠は、まさにその人の「心」にこそ輝くことを、深く明記してほしい。

 

 1989.2.14第12回全国青年部幹部会 全集(72)242頁

2013年4月5日

これぞ本物!

 

信心の指導とは
御本尊の偉大さを
伝えることだ。
自らの体験の上から
大確信で語ることだ。
  

(2010.12.23わが友に贈る)

 

※『法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる』(妙密上人御消息、御書1242頁)をあらゆる人にあらゆる場所で・・・この人こそ、地涌の菩薩。発迹顕本の振る舞い!御本尊の素晴らしさを個人指導、家庭訪問で語ってください!会員の皆さんはこの一言を待っているのです!(サイト・マスタ)

2013年3月25日

会員が根本の広布の長城

 

(かの)万里の長城の建設には、多くの庶民の犠牲があった。とくに農民は、秦の始皇帝時代に50万人、北魏王朝の446年には30万人、北斉の555年には180万人、隋の607年には百万人、というように、たいへんな人数が、強制的に徴用されたといわれる。(中略)万里の長城の建設。そこにみられる「民を守る長城」という理想と、「民を苦しめる長城」という―この深刻な落差に、民衆の悲劇があった。
 為政者にとって、民衆こそ根本である。民衆を大事にするのは指導者としての当然のあるべき姿である。それなくして、いかなる組織も発展はない。(中略) 私がつねづね“仏子である会員を大事にしなければいけない。疲れさせてはいけない”と訴えているのも、この心からである。
 私は、入信以来学会員の方々の幸福と安穏を祈りに祈ってきた。あらゆる苦難の矢面に一人立って、血のにじむような思いで、会員を守りに守ってきた。それは、すべて御本尊がご照覧のことと確信している。
 

1989.2.20第14回本部幹部会 全集(72)276頁

2013年2月25日

指導者は声で決まる

 

「声仏事を為す」(御書708頁)リーダーの声は、温かく、優しい感じで、確信を持って、そして、胸を張って、生命力を強く大きく持って、指導・激励していくことだ。大誠実の振る舞いに徹しゆくことが、自身の人格を大きくしていく。信心を、強く、深くしていくのである。リーダーは、同志のために、どんどん、しゃべって、声を出していくのだ。大変な中でも、人を励ますからこそ、功徳がある。声が弱くてはいけない。確信ある声は、皆を安心させる。指導者は声で決まる。

 

聖教新聞2013.2.23付今日も広布へ8

2013年1月28日

眷族を呼び起こせ!

 

戸田第二代会長は、よく語っていた。

「男女を問わず、我々は、皆、地涌の菩薩であり、広宣流布の勇将である。大勢の眷族を引き連れて、この娑婆世界に生まれてきたことは、絶対に間違いない。そう決めて、日々、祈り、動き、語っていくのだ。宿縁の眷族たちが一人また一人、必ず自分の前に現れてくる。そして広布のために働いてくれるようになる。一対一の対話で、道はいくらでも広げられるのだ」

 

聖教新聞2013.1.25付各部代表者会議

2013年1月12日13日

無私の心と理想の実現

 

理想の実現…その完成をみれば、他に何も欲しない。友が幸福になること、それをみれば他に何もほしいものはない。これは、無私の精神で民衆のために闘った先駆者に共通の心情であると思うし、指導者として決して失ってはならない「心」だといえよう。(中略)「誠実」の道を行け。人目を気にして生きるような、情けない人間になるな。堂々と人間としての大道を歩め…戸田先生がつねに教えられたことである。

 

1988(昭和63)年10月12日墨田、荒川区記念支部長会

2013年1月3日

リーダーの戦い

 

 第一に、わが同志を慈しみ、励ますこと。

 第二に、目標達成まで祈り切ること。

 第三に、自分自身が成長し続けること。

 第四に、勇気をもって戦い抜くこと。

 

聖教新聞2012.12.29付 我らの勝利の大道92

2012年11月21日22日

納得が行動を生む

 

 創立の父・牧口先生以来、学会は「皆が納得できる」対話で、団結を築いてきた。押しつけや無理強いでは、人は動かない。「そうだ!その通りだ!」という心の共鳴から、自発の行動が生まれる。

 リーダーは、皆がすっきりと戦えるよう、「分かりやすく」「明確に」、かつ「具体的に」対話を進めていただきたい。

 そのためには、題目を唱えて「以信代慧(信を以って慧に代う)」の智慧を出すことだ。皆の英知を引き出し、結集していくことだ。自発能動の連帯を、どれだけつくれるか・・・ここで決まる。広布の勝利の要諦がある。

 

創価新報2012.11.7付

世界広布新時代

創立90周年へ

前進・人材の年

(2020年)

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

更新日

2020.4.8

第1658回

  

日天月天ワンショット

日めくり人間革命URL