日本

2013年8月22日

友好こそ最高の安全保障、人材を資源とせよ!

 

 「国家主義」ではなく、「人間主義」で、全世界と友好を結ぶのです。友好を結ぶのが、いちばんの安全保障です。
 戸田先生は、「資源なき日本は、人材を資源とせよ」と言われた。
 優れた人材が各分野に育ち、世界に打って出て、その地、その国のために尽くしていく。そういう国を、どこだって、攻めるわけにはいかない。
 そのような、世界の民衆からの尊敬され、賞賛される国にならなければいけない。

青春対話 2 青春の視座 303頁

2013年5月19日

 日本人の体質
 
 官僚体質、権威主義の弊害は大きい。
 日本人の「独創性のなさ」は、つとに指摘されることだが、むしろ独創性をつぶす体質こそ、問題にすべきだろう。
 世界のいずこであれ、人間の創造性に、生まれつき、それほどの違いがあるはずはない。問題は、独創の〝芽〟をつむ社会か、伸ばす社会かである。それは、一国においても、あるいは地域、団体においても同じことがいえる。
 日本の「肩書社会」「事大主義」の病根は深い。
 つまり、自分が食べるもの、着るものすら、自分の本当の好み以上に、ブランド(銘柄)で決める。学歴のない者をしめ出す。何かを学ぶにも、「原典」ではなく「虎の巻」に頼る傾向もある。自身の〝目〟を信じるよりも、〝権威者〟の解説のほうを信じるわけである。安易であるばかりか、自分の頭脳で考え、探求し、判断する力が弱い。
 このように、「虎の威光」を借りる狐ばかりとなっては、真に〝新しいもの〟や〝創造的なもの〟は、伸びる余地がない。いまだ権威はないが、本当の実力ある者 その人を見抜き、育ててこそ、ものまねではない、真の創造的「文化」も花開いていく。
1989.12.28練馬、豊島区代表者会議

2013年2月3日4日

日本は海国へ

 

 本来、大聖人の仏法は、「島国根性」とは、まったく正反対なのである。これが私どもの誇りである。ところで牧口先生は、この「島国」に対するものとして、「海国」(海洋国)という言葉を使われた。「海国」とは、はるか広大なる大海を見晴らし、活発に世界と交流しゆく「開かれた国」のことである。まさに、今の学会の姿そのものである。大交流時代…すばらしい時代の到来である。

 この「海国」にとって、海とは行動を束縛する障害ではなく、「世界の公道」「人類の道路」である。いわんや無限の大空は、さらに自由な人間交流の航路であろう。 牧口先生は、日本は今こそ「島国根性」を打ち破り、気宇壮大な「海国」にならねばならないと訴えられた。

 牧口先生は、何よりもまず人間の「品性」の向上が大切とされた。どんな経済力があっても、語学力があっても、それだけでは「世界」には通用しない。一時はいいようでも、やがて相手にされなくなってしまう。「人間革命」というか、立派な「品性」「人格」が備わらなければ、本当の信用も、友情も生まれない。ここに、日本が国際的な孤立を乗り越え、世界に通ずる国になれるか否かの“カギ”がある。一人一人が「閉ざされた人間」から「開かれた人間」へと、精神革命する以外にない。牧口先生はこのように主張された。

(中略)先生は、「人道的な共生」の時代を、いち早く展望されていた。「人格の力」「文化の風」「人道の光」で、人類に「納得」と「信頼」の対話を広げること。そこにしか恒久平和はないと、見抜かれていたのである。私どもは、「世界平和」「世界広宣流布」への道をさらに堂々と進んでまいりたい。

 

1992年11月29日第60回本部幹部会

2013年2月2日

島国根性 

(※牧口先生の『人生地理学』を参考)

1、「度量の狭隘(きょうあい)なる」こと。  心が狭く、他人の意見を受け入れない、と。学会幹部も、他人の意見や不満を、ともかく「よく聞く」ことが大切である。自分ばかりしゃべらないで、じっくり聞いてあげることである。相手の言うことに、じっと耳をかたむける。聞いてあげるだけで、相手がすっきりする場合も多い。
2、「自負心に富む」  うぬぼれが強いのも島国根性の特徴である。たいしたこともないのに、すぐいばりたがる。
3、「小成に安んずる」。  小さな成功で満足し、“井の中の蛙”になりがちである。
4、「偏癖(へんぺき)的」…心が偏り、ねじけており、「孤動的」…自分勝手、独りよがりに行動する。
5、「驥足(きそく)を緊束」する。驥足とは駿馬の脚の意味で、転じて才能の優れた人のことをいう。緊束とは縛ることである。つまり、優れた人物の足を引っ張り、貶めようとすることが島国根性の特徴である。
6、「偸安(とうあん)をいやしく」する。偸安とは目先の安楽のことである。一時の安逸を貪る。
7、「蝸牛角上の小争」をなす。蝸牛(かたつむり)の角の上のように、小さい問題のために、つまらない争いをする。大局を見ることができない。
8、「外人に対しては、一方に自負し尊大になるかと思えば、内実密かに孤疑し、恐怖」する。たしかに、経済大国との意識からか、日本人の尊大な態度は海外で顰蹙をかうことが多いようである。その一方で、言葉のカベも手伝って、相手の心がつかめず、内心では外国人とのふれ合いを恐れ、ためらっている。また物事の考え方などで相手の次元についていけず、表面では合わせながら、裏では不誠実きわまりない裏切りをしている場合すらある。これらの特徴は、驚くほど日顕宗とも一致している。「島国根性」の最悪の例である一時のがれをする。20年、30年、50年先のことなど考えない。まして自分の死後のことなど思いも及ばず、ひたすら目先の安逸にふける。どこかの宗門によく似ている。

 

1992年11月29日第60回本部幹部会 全集(81)362頁

2012年8月21日

牧口・戸田先生のアジアへの確かな「眼」

 

日中戦争の最中、牧口先生は、東京高等工学校(芝浦工業大学の前身)の講義で言われた。「中国人を嘘をつく民族のように言う人がいるが、それは違う。もし、中国人がそんな民族なら、なぜ五千年にわたって偉大な文化を継承できたか。道理に合わないではないか」と。こう言って、「中国人を蔑視するのは間違いだ」と厳しく教えられた。生徒たちは皆、驚き、じつに印象的だったようだ。 また太平洋戦争の開戦のころのことです。日本の中国侵略は「聖戦」とされていた。 以前、紹介した話だが、戸田先生は、ある軍人に言った。

「それは、中国にとってもいえることじゃないですか?日本の対支作戦(=中国に対する作戦)のみが聖戦で中国の対日作戦がそうでないとする論理は成り立たない。そうでしょう?あそこには四億(当時)の民がくらしているんですよ。その人たちの生活を破壊する聖戦などというものがあり得るでしょうか。聖戦は、四海(=全世界)絶対平等と平和、生命の尊厳を犯すものに対して敢然と立ち上がる場合にだけ使われることばです」 軍人は、戸田先生の言葉に、ほおを殴られたような衝撃を受けたそうです。そして「戸田先生。これが私だったからいいようなものの、他の将校だったら多分先生は憲兵隊行きでしょう」 〝当局に引っ張られますよ〟と。

 

 青春対話 2 青春の視座 275~頁

2012年8月20日

日本人の卑屈な国民性

 

日本人は欧米人相手だと萎縮し、アジア人相手だと優越感をもつ。本当に、卑屈な国民性です。ある人が言っていた。「日本人は、国家と自分を切り離して考えられない。国の威勢がいい時には、自分まで偉くなったように思う。国に元気がなくなると、自分まで自信をなくしてしまう。確固たる「個人」が確立されていないからでしょう。だから、国をあげて「欧米の文化を取り入れ、欧米に追いつき、アジアを支配する」という目標を掲げた時、だれもが「右へならえ」してしまった。もちろん、そういう教育を徹底したことも言うまでもない。中国・韓国から文化を学んだ大恩を教えず、〝劣等民族〟のように教えた。アジアの人々を「日本人より劣る民族」のように言わないと、「日本がアジアを支配する」という大義名分も立たないからです。とんでもないことだ。しかし、そうしたなかでも、理性を失わない人たちはいたのです。(※牧口・戸田先生のアジアへの確かな「眼」、後日掲載、を参照)

 

青春対話 2 青春の視座 274頁

世界広布新時代

創立90周年へ

前進・人材の年

(2020年)

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

更新日

2020.2.23

1643回

  

日天月天ワンショット

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