正義

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2022年4月23日

第1981回

正しいからこそ迫害される

 

破折の精神は不変!>

 

 

 アインンュタイン博士は述べている。

「偉大な精神の持ち主は常に、

 二流の精神の持ち主からの

 暴力的な反対に遭遇してきた」(アブラハム・パイス『アインンュタインここに生きる』村上陽一郎・飯垣良一訳、産業図書)

 

 卑劣な悪人に攻撃される。

 それは、

 偉大な精神に生きる証なのである。

 

 末法は、「闘諍言訟」の時代である。

 思想が乱れ、善悪がわからない。

 そこに正義を打ち立てるには、

 言論闘争に徹するしかない。

 

 日蓮大聖人は、

 その闘争の一切に、

 断固として勝利する道を教えてくださった。

 熱原の法難の渦中、

 弟子に対して厳然と仰せである。

「あなた方は、恐れてはならない。

 いよいよ強く進んでいくならば、

 必ず、正しい経緯が明らかになると思います」(御書1455㌻、通解)

 

 戦いを決するのは、

 「智慧」であり、

 「勇気」であり、

 「忍耐」である。

 そして

 邪悪を打ち破る「攻撃精神」

 を忘れてはならない。

 これこそ学会の生命である。

 

 日蓮大聖人は折伏の大師匠であり、

 学会は折伏の団体であるからだ。

 破折の精神――

 これだけは学会草創期と変わってはならない。

 いな、大聖人の時代と寸分も変わってはならない。

 

 「勝利」とは「幸福」の異名であり、

 「幸福」とは、

 「戦い勝つこと」だからである。

 「戦い勝ちぬく人」こそが、

 菩薩であり、仏である。

 「信心」は、

 「勝利」と「幸福」のためにある。

 

 妙法を根本に、

 祈り、戦い、進んでいくかぎり、

 断じて行き詰まりはないのである。

 

2005.4.4総東京代表協議会

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2022年2月13日

第1903回

極悪と戦うことが最高の正義

 

私にとっての師匠は、池田先生しかいない>

 

 人種差別撤廃のために戦った、二十世紀のアメリカの女性、ヴァージニア・ダーは述べている。

 「邪悪への寛容は、さらなる悪を生み出してきたように思えるのです」

 「たとえ何が起とろうとも、悪人とは闘わなければならないと思うのです」(Freedom Writer : Virginia Foster Durr, Letters from the Civil Rights Years, edited by Patricia Sullivan, Routledge)

 学会員は人がいい。それにつけいる校滑な悪人も出てくる。断じて、だまされてはならない。許してはならない。愚かであってはならない。

 邪悪に対しては、容赦なく責めるのだ。そうでなければ、こちらが損をする。徹して責めて責めぬいていくのである。

 極悪と戦うのが、最高の正義であり、最高の善なのである。

 悪に対しては、直ちに反撃する。これが大事である。

 ぐずぐずしていれば、悪は広がる。小さな兆候も、見逃してはならない。清浄な学会を守るために、リーダーは厳然と戦わねばならない。これまでも学会のおかげで偉くなりながら、私利私欲にかられ、卑劣にも同志を裏切った人間がいた。

 「忘恩は重大な悪徳であって、われわれの堪えがたいもの」(『道徳論集』茂手木元蔵訳、東海大学出版会)とは、古代ローマの大哲学者セネカの言葉である。私は、忘恩の人間と戦いながら、戸田先生をお守りし、師の構想の実現のために、走りぬいてきた。太陽は一つである。同じように、私にとっての師匠は、ただ戸田先生しかいない、と決めて戦ってきた。広布を阻む、あらゆる悪を打ち砕いてきた。だから学会は、ここまで発展したのである。

2006年2月10日婦人部代表幹部協議会

 

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2022年1月27日

第1881回

傍観は悪!

正義を叫べ!

 

正義の言論、勇気の対話

 

 人道主義者として、

 平和運動の先頭に立って戦ったことでも知られる

 フランスの文豪ロマン・ロラン。

 その戯曲『狼』に次のようなセリフがある。

 

 「熱のない仲間たちこそ最悪の敵だ」

 (波多野茂弥訳、『ロマン・ロラン全集』9所収、みすず書房)

 

 熱のない仲間たち――つまり、

 戦いにあって仲間が困っていても、知らん顔。

 いたずらに批判するばかりで、

 敵と戦う気概もなければ、情熱もない。

 それでは、仲間とは言えない。

 それどころか、敵よりも、たちが悪い。

 ″最悪の敵″であると言うのである。

 

 傍観は「悪」である。

 悪を見て見ぬふりをして、

 それを増長させるならば、

 結果的に、悪と同じになってしまう

 ――それが牧口先生の叫びであった。

 

 広宣流布とは言論戦であり、思想戦である。

 ゆえに、人間を不幸にする誤った思想や虚偽とは、

 断じて戦わねばならない。

 

 私たちの″武器″は言論である。

 声である。

 正義の言論で、勇気の対話で、

 悪を悪と言いきり、

 人々を真実へと目覚めさせていく。

 そして、ともに幸福の大道を歩んでいく。

 それがわれわれの折伏の戦いにほかならない。

 

2006年1月27日 全国代表協議

 

2017年3月24日

正義

 

<戸田城聖の真正の弟子>

 

 漆黒の空が、次第に紫に変わり、うっすらと半島の稜線を浮かび上がらせる。やがて金の光が東の空に走り、海はキラキラと輝き、さわやかな五月の朝が明ける。
 五月五日、山本伸一は、神奈川文化会館から、夜明けの海を見ていた。この日は、「こどもの日」で国民の祝日であり、また、「創価学会後継者の日」である。
 伸一は、神奈川の幹部から、クルーザーを所有する地元の学会員の方が、横浜港周辺を案内したいと言ってくれていると聞き、三十分ほど、乗せてもらうことにした。船の名は「二十一世紀」号である。
 海から見た神奈川文化会館もまた、すばらしかった。この海は太平洋につながっているのだと思うと、二十一世紀の世界広布の大海原が見える気がした。彼の胸は躍った。
 伸一は、前日の四日には、神奈川県の功労者の代表と懇談し、この五日も、草創の向島支部、城東支部の代表からなる向島会、城東会のメンバーと語り合い、敢闘の労をねぎらった。功労者を中心とした伸一の激励の車輪は、既に勢いよく回転を開始していたのだ。
 彼は、できることなら、二十一世紀を担う後継の青年部、未来部の集いにも出席し、全精魂を注いで励ましたかった。また、神奈川文化会館の前にある山下公園には、連日、多くの学会員が集って来た。そうした同志と会合をもち、力の限り、讃えたかった。しかし、今、それは許されなかった。
 “ならば、未来、永遠にわたる創価の魂を、後継の弟子たちに形として残そう!”
 この日、彼は、広宣流布の師匠・戸田城聖の真正の弟子として、わが誓いを筆に託して、一気呵成に認めた。
 「正義」――その右下には、「われ一人正義の旗持つ也」と記した。
 “いよいよ本当の勝負だ! いかなる立場になろうが、私は断じて戦う。たった一人になっても。師弟不二の心で断固として勝利してみせる。正義とは、どこまでも広宣流布の大道を進み抜くことだ!” 

 

〈小説「新・人間革命」〉 大山 六十八   2017年3月23日

 

2015年11月17日

正義を叫ベ!

悪の傍観者になるな


  牧口先生は、正義を貶める悪を厳しく呵責された。
嫉妬排擠はいせい(=人をねたみ、陥れること)の様な忌まわしい現象を如何に小さくとも、根本的に駆逐せねば、百の改革も徒労に帰する」(『牧口常三郎全集』6、第三文明社)
 どんな小さな悪も放置するな! 悪の芽を根本から断ち切っていけ! それなくしては、何をやってもむだになる――これが、牧口先生の信念であった。
 また牧口先生は、「仲間の大多数に平和な生活を得しめんが為にはあくまで悪人を排除しなければならぬ」(同全集9)ともつねに言われている。
 悪を見ていながら、自分には関係ないから、関わると損だから――そういう卑しい心で、自分だけ、いい子になって、要領よく立ち回る――こうした卑劣な人間には、絶対になってはいけない。
 傍観主義は敵である。悪を見て見ぬふりをする者は、悪と同じである。
 正義を陥れる、どんな小さな嘘も、絶対に、ほうっておかない。悪意のデマや中傷は、徹底して、破邪顕正の言論で打ち破っていく。そういう青年であってこそ、「善の社会」は守られる。

 

  2002年8月2日全国最高協議会

2015年6月20日

反動勢力に叩かれている人にこそ信頼を!

 

<“反動”の時こそ一個の人間としての真価が問われる>

 

 口で革命を叫ぶことはたやすい。時代の“勢い”がある場合は、なおさらである。
 幕末の動乱の世――。社会変革を志した若者は、時代の変化また変化を鋭くキャッチし、大いなる理想の実現に熱い血を燃やした。
 その青年の、はやり立つような思いは、友から友へ、国から国へと伝えられ、“時代の熱気”として高まり、脈打っていった。そこには若々しい正義感もあった。“熱病”のような伝染の力もあった。華々しい活躍を夢みる功名心もあったにちがいない。
 こうした時の勢いに乗じて、走り始めることは、ある意味でたやすい。学会でいえば、できあがった組織の上に安住しながら、威勢のよいことを口走っているだけの姿といえるかもしれない。
 しかし、時代を画する革新の動きには、必ずや“反動”がある。これは現在もまた、すべての戦いのなかに起こる、いわば“法則”である。苛烈な迫害と弾圧、中傷と策謀等となって、激しく、また陰険に襲いかかってくる。
 反動こそ、本物の革命家の証明である。本物であり、現実的な力があるからこそ、大きな迫害となって現れる。ゆえに、反動勢力に叩かれている人、その人にこそ注目し、信頼を寄せていくのが、道理を知る者の“眼”である
 そして、この“反動”があった時こそ、その信念の深さ、一個の人間としての真価が問われる時なのである


1990.1.15 神奈川県青年、学生代表者会議

2014年12月31日

正義の勇者

(4)

 

<本当の「人格」>

 
 「仏法は勝負」である。ゆえに、勝たなければ幸福はない。そして真の勝利とは、人間としての勝利である。弱い者が泣き寝入りをし、強い者がのさばる。社会の、そうした動物性を百八十度ひっくり返していく勇者こそ、真の勝利者であり、菩薩である「人間」の名にふさわしい文化と平和の戦士である。また本当の「名医」である。
 権力や権威をカサにきて弱者をいじめる傲慢な心は、じつは自分自身の人間性を踏みにじっているのである。それはもはや、人間としての敗者の証となっていることを知らねばならない。
 絶対に人を見くだしたり、あなどったり、感情的に叱ったりしてはならない。いかなる人もすべて平等であり、最大に尊重していく心を持つべきである。それが、本当の「人格」であると私は思う。まして、妙法という生命変革の根源の法を持った皆さま方は、こうした“人類の進歩”の先頭に立つ方々である。真の「人間」と「人格」の世界を開いていく使命の人々である。この残酷な社会にあって、まことに稀有の、ありがたき存在なのである。
 その自覚がどれだけ深いか。その自覚にふさわしい「人格」の広がりと鍛えが、どこまであるか。いよいよ、各人の、そうした差が、はっきりしてくる時代になったことを知っていただきたい。

 

1990.8.17ドクター部、白樺会、白樺グループ合同研修会

 

2014年12月30日

正義の勇者

(3)

 

<真実のヒューマニズム>

 
 三悪道(地獄・餓鬼・畜生界)、四悪趣(三悪道と修羅界)の、醜い悪や闘争の世界を、真実の天上界、菩薩界、仏界の社会へと転換しゆくのが

「正法」であり、その実践が「広宣流布」なのである。
 その根本的な変革なくしては、人類史は永遠に闇の世界である。人間社会は、″弱肉強食″の動物の世界と何ら変わりがないことになる。
 一般的にも、立派な人物であるならば、決して人を見くだしたり、いばったりはしない。むしろ、多くの人が心で思っていても言えない権威的な人に対しても、言うべきことを厳然と言っていく。これが本当に立派な人である。
 また、これこそ仏法の精神であり、真実のヒューマニズムである。弱い立場の人であっても、不正に対して、だれよりも強くなっていく。それが信心の一つの証である。
 私は、弱い立場の人を決していじめてはならないと、つねに叫んできた。みずから、その信念で生きてきたつもりである。むしろ 弱い立場の人を厳然と守るために権威をふりかざす人間と、毅然として戦ってきた。それが本当の信心であるし、戸田先生の指導だからだ。
 弱者を守り、大切にしていく人が正義の勇者である。弱者をいじめ、苦しめるのはもっとも下劣な弱者である。弱き人々は、いたわってあげねばならない。大事にしてあげねばならない。しかし人間の世界は、往々にして本末転倒する。そこに根本的な不幸があることを知らねばならない。

(つづく)

2014年12月29日

正義の勇者

(2)

 

<人類の苦悩の流転とどめ打破せよ!>

 
 ある先進国の方から、その国の医学界内の堕落ぶりを聞いたことがある。ガンでもない患者を、偽ってガンと思いこませ、切除するふりをして高額の治療費をだまし取る。戦慄すべき非道な行為であると、血を吐くような思いで訴えていた。SGI(創価学会インタナショナル)による仏法の流布をもって、こうした極悪を革命してもらう以外にない、と。
 仏法では「十界互具」と説く。そこには不可思議なる人生、生命への深遠な洞察がある。
 それはそれとして、医者といえば、本来は菩薩界の働きをする立場である。しかし白衣を着、形は菩薩界でも、心は餓鬼界の場合がある。政治家にしても、バッジをつけ、形は梵天・帝釈等の天上界でも、心は修羅界、畜生界等の場合がある。そうした例はいくらでもある。つまり、姿形と心が一致していない。偽りがある。
 この矛盾とウソをどうするのか。悪の仕組みに対して、あきらめる以外にないのか。体制を変えたとしても、「人間」が変わらない以上、また同じ悲劇が繰り返されるだけであろう。
 この人類の苦悩の流転をとどめ、打破するために立ち上がったのが、釈尊である。また根本的には日蓮大聖人であられる。
 (つづく)

2014年12月25日

正義の勇者

(1)

 

<人生は矛盾だらけである>

 
 人生は矛盾だらけである。社会も不公正がまかりとおっている。表向きはともかく、その実態は、動物的な″弱肉強食″の原則に支配されているのが現実である。戦争は、その象徴である。
 一般の世間にあっても、強いものは弱者を見くだし、いじめる。弱い者は強者にへつらいながら、より弱い者を苦しめる。悪の連鎖というか、太古以来、変わらざる人類の宿業であり、流転である。
 本来は悩める人を守り、救うべき立場の人間も、反対にその立場を利用して、人々を傲慢に見おろし、搾取し、その犠牲の上に利己的な保身を貪る。悲しいことであるが、むしろ社会の大半がそうである、と言わざるをえない面がある。
 政治家は国民に対して、いばる。だまし、名聞と名利を得ようとする。弁護士は悩み苦しむ被告(人)をもっとも守る立場にある。にもかかわらず反対に被告(人)を利用して自分の利益を得ようとする人もいる。学者は学生や後進に対して、高圧的に臨む。育てるのではなく、利用しようとする人もいるようだ。
 一般的に、聖職者は、宗教の権威をカサに、信者の上に君臨する。傲慢に信者を見くだし、手段にしていく。大国は小国を、大企業は中小企業を、軽視する。
 もちろん、すべてがそうというわけではないが、往々にしてそう言われてきたし、事実、そうした場合があまりにも多い。残念なことだが、これが現実社会の一側面である。
 (つづく)

2014年7月19日

真の勇者

 
 「諸君が社会で実証を示し、信頼を勝ち取って、偉くなり、有名になっていくことも大事です。しかし、それ自体が目的ではない。根本目的は、どこまでも広宣流布です。この世から不幸をなくし、三世永遠にわたる、自他共の崩れざる幸福を築いていくことです。
 それには、“名声がなんだ! 社会的な地位や名誉がなんだ! 民衆を守るために、一個の人間として、泥まみれになって働き抜くぞ!”という気概がなくてはならない。
 正義を貫くならば、時に王冠もハク奪され、汚名を着せられることもあります。ゆえなき罪を被せられるかもしれない。しかし、それでも、決して信念を曲げることなく、無名の王者として胸を張り、堂々と勝ち進んでいってほしいんです。それが、真の勇者です」

 

小説 新・人間革命 27巻 求道25

2014年6月29日

正義と真実を叫び続ける勇気を! 

   
 『既に二十余年が間・此の法門を申すに日日・月月・年年に難かさなる、少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり二度は・しばらく・をく王難すでに二度にをよぶ、今度はすでに我が身命に及ぶ其の上弟子といひ檀那といひ・わづかの聴聞の俗人なんど来つて重科に行わる謀反なんどの者のごとし』(開目抄上、200頁、編428頁) 
 「謀反なんどの者のごとし」との仰せは、決して誇張ではなかった。
 世論が権力の横暴と同調し、正義の声が封殺された社会ほど恐ろしいものはないからです。
 皆はあまり知らないかもしれないが、戦前もそうだった。だれもが心の中ではおかしいと思っていても、真実を語る自由を奪われ、正しい言論を語る人が迫害された。
 正義の人が「非国民」呼ばわりされ、最後は投獄です。
 人間をよく変えるのも「思想の力」であり、悪くしてしまうのも「思想の力」です。
 だからこそ、正義と真実を叫び続ける勇気が必要なのです。そして、その勇気の声が時代を変えるか否かは、後に民衆が続くかどうかです。

 

御書の世界(下)第十章 佐渡流罪

2014年4月19日

ウソは徹して攻めよ!

 

 ウソは徹して攻めることが大事です。そうすれば、本質は臆病な悪人らは、ウソを積み重ねて、ついには自滅していく。大聖人もただちに※「行敏訴状御会通」(御書、180頁、編370頁)で反駁(はんばく)されています。追撃の手を決して緩めてはならない。

 

(※祈雨に敗れた良観は、自らの敗北を認めるどころか、行敏を使って大聖人を貶めようと幕府に訴えた。サイト・マスタ)

 

御書の世界(上)第八章 法 難

2014年4月17日

正義

 

 言うべき時に、言うべきことを正々堂々と述べるのが、正義です。また、それが本当の慈悲です。

 

御書の世界(上)第八章 法 難 

世界広布新時代

創立100周年へ

青年・飛躍の年

(2022年)

2013.11.18

広宣流布大誓堂落慶

更新日

2022.8.14

第2073

第2074

 

日天月天ワンショット

日めくり人間革命URL