生老病死

2018年9月17日

第1525回

生涯青春

「青年」として青年と共に

 

<「よく眠る」、「声を出す」、「頭を使う」>

 

 年を取っても、
 心まで
 老け込んでしまってはいけない。
 胸を張り、
 「生涯青春」の心意気で
 生き抜いていくことだ。
 そう決めていけば、
 本当に年齢を忘れるくらいの、
 生き生きとした毎日を
 送っていくことができる。

 

 年配の方は、健康のために、
 「よく眠る」ことである。
 また「声を出す」こと、
 「頭を使う」ことである。
 その意味で、学会活動には
 健康のための条件がそろっている。
 朗々たる唱題、教学の研さん、
 学会指導の学習――と、
 広布のリズムのなかで
 健康のリズムをも整えながら、
 どこまでも、はつらつと
 生き抜いていただきたい。

 

 私たちの信仰には、
 病気をはじめ、
 あらゆる苦悩の意味を、
 深く捉えなおしていく力がある。
 すなわち
 「宿命を使命に変える」生き方だ。
 これは、ただ単に
 宿命を堪え忍ぶというのではない。
 また、逃避や諦めでもない。
 生命を変革し、鍛え上げ、
 どこまでも病に立ち向かえる、
 負けない自分自身を築いていく。
 それが学会員の強さである。

 

 妙法は「不老」、
 すなわち生命力が
 老いることのない法である。
 また妙法は「蘇生」、
 すなわち「よみがえる」力の
 源泉である(御書947ページ)。
 妙法を朗々と唱えながら、
 全員が生き生きと
 「青年」に若返るのだ。
 そして青年を育て、青年と共に、
 いまだかつてない
 「勝利」また「勝利」の
 黄金の歴史を飾ってまいりたい

 

池田大作先生 四季の励まし 2018年9月16日

2016年8月25日

『南無妙法蓮華経は師子吼の如し・
いかなる病さは障りをなすべきや』(後半)

 

①必ず勝つ決意の祈り

②懺悔滅罪の祈り

③御本尊への感謝の祈り

④広布のために生き抜く誓いの祈り

 

 まさに、真剣勝負の指導であった。
 山本伸一は話を続けた。
 「大聖人は、『諸罪は霜露の如くに法華経の日輪に値い奉りて消ゆべし』と仰せですが、それが御本尊の偉大なる功徳力です。
 自分の罪を心から悔いることができれば、″こんな私でも、救っていただけるとは、なんと、ありがたいことだ″という、御本尊への感謝の思いが込み上げてくるはずです。
 御本尊への、深い感謝の一念が、大歓喜の心を呼び覚まします。そして、この大歓喜が大生命力となっていくんです。
 唱題するにしても、ただ漫然と祈っていたり、御本尊への疑いを心にいだいて祈っていたのでは、いつまでたっても、病魔を克服することはできません。
 大事なことは、必ず、病魔に打ち勝つぞという、強い強い決意の祈りです。そして、懺悔滅罪の祈りであり、罪障を消滅してくださる御本尊への、深い深い感謝の祈りです。
 胃が癌に侵されているというのなら、唱題の集中砲火を浴びせるような思いで、題目を唱えきっていくんです。
 さらに、重要なことは、自分は広宣流布のために生き抜くのだと、心を定めることです。
 そして、″広布のために、自在に働くことのできる体にしてください″と、祈り抜いていくんです。
 広宣流布に生き抜く人こそが、地涌の菩薩です。法華経の行者です。
 広布に生きる時には、地涌の菩薩の大生命が、全身に脈動します。その燦然たる生命が、病を制圧していくんです
 壮年は、大きく頷きながら言った。
 「わかりました。
 先生のお話を聞いて、勇気がわいてきました。新しい決意で頑張ります」
 その顔は、赤みを帯び、目には、生気がみなぎり始めていた。
 伸一は、笑顔で包み込むように語った。
 「あなたが癌の宣告を受けたことも、仏法の眼から見れば、深い意味があるんです。
 大聖人は『病によりて道心はをこり候なり』と仰せになっているが、病にかかったことも、あなたが強い信心を奮い起こしていくための、御仏意といえます。
 病を、信心の向上の飛躍台にしていくのが、仏法者の生き方です。
 今こそ、″わが人生は、広布にあり″″広布のために生き抜くぞ″と決めて、信心で立ち上がるんです」
 語るにつれて、山本伸一の声には、ますます力がこもっていった。
 「あなたが重い病で苦しむということは、使命もまた、それだけ深いということなんです。病苦が深ければ深いほど、それを克服すれば、仏法の偉大なる功力を証明することができ、広宣流布の大きな力となるではないですか。
 あなたは、そのために、さまざまな宿業をつくり、病苦を背負って、地涌の菩薩として出現したんです。だから、病を乗り越えられないわけがありません!」
 今度は、別の人が、口ごもりながら尋ねた。
 四十代と思われる男性だが、痩せて、顔色は優れなかった。
 「私は、糖尿病で、インシュリンの注射を続けております。
 医師からは、注射と、指示された通りの食事と運動を続ければ、普通の人と、ほとんど同じように生活できるが、慢性病なので、一生、治ることはないと言われました。
 それで、人生の希望を断たれたようで、元気が出ないのですが……」
 伸一は答えた。
 「強盛に信心に励んでいくならば、持病があっても、必ず希望に満ちあふれた、最高に幸福で、充実した人生が歩めます。
 御書には、『南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さは障りをなすべきや』と仰せです。
 南無妙法蓮華経は師子吼です。その声を聞けば、どんなに獰猛な動物も逃げ出すように、いかなる病も、幸福への、また、広宣流布への障害にはなりません。
 現代人は、みんな″半健康″であるといわれるぐらい、なんらかの病気をかかえているし、年齢とともに、体も弱っていきます。
 では、病気だから不幸なのか。決して、そうではない。病に負けて、希望を失ってしまうから不幸なんです。広布の使命を忘れてしまうから不幸なんです。
 体は健康でも、精神が不健康で、不幸な人は、たくさんいます。反対に、病気をかかえたり、体が不自由であっても、自らも幸福を満喫し、人をも幸福にしている同志もいる。
 生命の根源においては、健康と病気は、本来、一体であり、″健病不二″なんです。ある時は、健康な状態として現れることもあれば、ある時は病気の状態となって現れることもある
 この両者は、互いに関連し合っているがゆえに、信心に励み、病気と闘うことによって、心身ともに、真実の健康を確立していくことができるんです」
 山本伸一の話を聞くうちに、この壮年の頬にも、赤みが差してきた。
 伸一は、壮年の肩に手をかけて言った。
 「インシュリンの注射を続けなければならない人もいるでしょう。
 でも、考えてみれば、人間は、毎日、食事をし、睡眠をとらなければ、生きていけないではないですか。
 そこに、もう一つ、やることが加わっただけだと思えばいいではないですか。
 打ちひしがれていても、何も開けません。
 あなたの場合は、病気をかかえていても、『あそこまで、元気に生きられるんだ』『あれほど、長生きができるんだ』『あんなに幸福になれるんだ』と、同じ病をもった方が、感嘆するような、人生を歩んでいってください。
 そうすれば、仏法の力の見事な証明になります。それが、あなたの使命です。
 絶対に、自分に負けてはいけない。頑張るんです。挑戦し抜くんですよ
 こう言って伸一は、壮年の肩を大きく揺さぶった。
 壮年は、目を潤ませながら言った。
 「はい。負けません。負けるものですか!」
 伸一は、それから、皆に語った。
 「広宣流布に生き抜く人を、大聖人がお守りくださらないはずがありません。
 大聖人は、南条時光が病にかかった時、お手紙に、こう記されています。
 『鬼神め奴らめ此の人をなやますは剣をさかさま逆に・のむか又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか
 日蓮門下を病で苦しめる鬼神は、『剣を逆さまにして飲むことになるぞ。大きな火を抱き、身を焼かれることになるぞ。全宇宙の仏の大怨敵になるぞ』と、鬼神をも激しく叱咤し、門下を守ってくださっている。
 私たちは、この大聖人の大確信、御一念に包まれているんです。
 ですから、皆さんも、『鬼神めらめ! 絶対にお前たちなどに負けるか!』という大信念と不屈の心をもつことです。勇気を奮い起こすことです。
 かつては、私も病弱で、医者からは、『三十まで生きられないだろう』と言われていた体です。
 しかし、今は、元気になり、どんな激務にも耐えられるようになりました。
 皆さんも、必ず健康になれます!」
 笑顔が弾けた。
 残った人たちの顔が、さっきまでとは、別人のように輝いていた。
 全生命力を注いでの、伸一の気迫の指導であった。


小説新・人間革命第10巻桂冠 3~8

2016年8月24日

『南無妙法蓮華経は師子吼の如し・
いかなる病さは障りをなすべきや』(前半)

 

<どんな深い宿業だろうが、必ず断ち切っていける>

 

 伸一は、壮年のメンバーに、年齢や健康状態などを尋ねていった。
 そして、体調が優れないという、一人の年配者の話に耳を傾け、真心を込めて激励するのであった。
 「寿量品に『更賜寿命』(更に寿命を賜う)とありますが、死ななければならない寿命さえも延ばしていけるのが仏法です。
 強盛に信心に励んでいくならば、ほかの病が克服できないわけがないではありませんか。
 どうか、たくさんお題目を唱え、うんと長生きをしてください」
 伸一は、この男性に、念珠を贈ると、皆に尋ねた。
 「ほかに、このなかに、体の悪い方はいらっしゃいますか」
 やや、ためらいがちに、数人のメンバーの手があがった。
 「その方は、少しお残りください。語り合いたいんです」
 次の撮影までの間、伸一は、そのメンバーを懸命に励まし、病気の原因から語り始めた。
 「大聖人は、病の原因について、天台大師の『摩訶止観』を引かれて、こう述べられています。
 『一には四大順ならざる故に病む・二には飲食節ならざる故に病む・三には坐禅調わざる故に病む・四には鬼便りを得る・五には魔の所為・六には業の起るが故に病む』」
 ――この意味を詳述すると、次のようになる。
 最初にある「四大順ならざる」の四大は、地・水・火・風をいう。東洋思想では、大自然も、また人間の身体を含めた宇宙の万物も、四大から構成されていると教えている。
 「四大順ならざる故に病む」とは、気候の不順等で大自然の調和が乱れると、人間の身体に重大な影響をもたらし、各種の病気が発生することをいう。
 第二の「飲食節ならざる故に」と、第三の「坐禅調わざる故に」は、飲食と生活の不節制のことである。
 生活のリズムが乱れ、その結果、食生活が不節制になったり、また、運動不足や睡眠不足になると、内臓や神経、筋肉の病気につながっていくことをいわれたものである。
 さらに、第四の「鬼便りを得る」の鬼は、身体の外側から襲いかかる病因であり、細菌、ウイルス等々の病原性微生物もあれば、外界からのさまざまなストレスも、ここに含まれるといえる。
 第五の「魔の所為」とは、生命に内在する各種の衝動や欲求などが、心身の正常な働きを混乱させることである。
 そして、この「魔の所為」によって、仏道修行を妨げるための病が起きる。
 第六の「業の起るが故に」は、生命の内奥から起こる病気の原因である。
 生命自体がもつ歪み、傾向性、宿業が、病気の原因になっている場合をいう。仏法では、この生命の歪みを「業」ととらえているのである。
 病気の原因は、このように六種に分けて考えることができるが、具体的な病気について分析してみると、これらのうちの、いくつかの原因が重なり合っている場合が多い。
 インフルエンザの流行を例にとれば、ウイルスが原因であり、それは「鬼便りを得る」にあたると考えることができる。
 しかし、この「鬼便りを得る」には、気候の不順等、つまり「四大順ならざる」ことが引き金になったり、「飲食節ならざる」生活から体力を弱め、それが機縁になったとみることもできよう。
 さらに、その奥には、仏道修行を妨げようとする魔の働きがあったという場合もあるし、人によっては、「業」まで考慮しなければならない場合もある。
 山本伸一は、この病の起こる六つの原因を、御書の御文に即して、詳細に説明していった。
 「つまり、病気を防ぐには、まず、環境の変化に適応できるように、衣服などにも十分に気をつけることが大事です。
 また、規則正しい生活をし、暴飲暴食を慎み、運動不足、睡眠不足にならないようにすることです。
 これで、三番目までの病の原因は除けます。この予防のための知恵を働かせていくことが信心です。
 また、医学の力を借りることによって、第四の細菌などによる病の原因も、除くことはできます」
 山本伸一は、ここで、力を込めて語った。
 「ただし、どんな病気でも、それを、どれだけ早く治せるかどうかは、生命力によります。その生命力の源泉こそ、信心なんです。
 また、同じ病気であっても、その根本原因が『魔』と『業』によるものである場合には、いかに医学の力を尽くしても、それだけでは治りません。
 御本尊への強い信心によって、『魔』を打ち破り、『業』を転換していく以外にないんです。
 この『業』による病のなかでも、最も重いのが、過去世からの法華誹謗によるものです」
 ここまで話すと、伸一のすぐ前にいた、五十代半ばの小柄な壮年が、不安そうに言った。
 「先生! 先日、胃が痛みましたので検査をしたところ、癌と診断され、手術をすることになりました。
 実は、半年前にも、車を運転していて追突され、二週間ほど入院したばかりなんです。また、この三年ほど、いろいろな病気で苦しんできました。
 私は、かつて、五年にわたって、先に入会した女房の信心に反対してきましたが、病に苦しむのは、その宿業でしょうか。
 また、私の場合も、病気の宿命を乗り越えることができるんでしょうか」
 伸一の、確信にあふれた声が響いた。
 「どんなに深い宿業だろうが、必ず断ち切っていけるのが、日蓮大聖人の大仏法です。
 あなたは、″それにしても、これほどまでに苦しまなければならないのか″と思っているかもしれませんが、私たちは、今世の謗法の罪はわかっても、過去世の罪はわかりません。
 過去世に、大謗法を犯し、深い宿業をもっているかもしれない。
 本来、その宿業は少しずつしか出ないために、何世にもわたって、長い間、苦しまなければならない。
 しかし、信心に励むことによって、これまでの宿業が、一気に出てくる。そして、もっと重い苦しみを受けるところを、軽く受け、それで宿業を転換できる。『転重軽受』です。
 宿業による病苦を乗り越えるには、正法誹謗の罪を、御本尊に心からお詫びし、唱題することです。
 提婆達多にそそのかされて仏弟子を殺し、仏を苦しめ抜いた阿闍世王は、その罪によって業病にかかる。
 だが、悪逆の限りを尽くした阿闍世王でさえも、釈尊にお会いして罪を悔い、お詫びすることで、たちまちのうちに、その病が癒えたと御書にある」

(つづく)

2015年1月22日 

妙法を持った人の臨終(4)

 

<妙法受持の人の絶大の功徳>


 このことに関連して御書の一節を拝しておきたい。
 「転重軽受法門」では、涅槃経で説く「護法の功徳力」の教えに基づき、死身弘法の人の死をこう述べておられる。「地獄の苦みぱつときへて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候」――(過去世の重い宿業によって、実際には未来に受けるべき)地獄の苦しみが、ぱっと消えて死に、人界・天界、二乗界、菩薩界、仏界の利益を得る――と。
 地獄とは、最低のものに縛られた苦しみの境界といってよい。しかし、妙法に生ききった人は、臨終の際、その生命の力を最大に発揮して、地獄の縛をも、ぱっと断ち切り、生命の「上昇」を始める、との仰せである。
 また「一乗の羽をたのみて寂光の空にもかけりぬべし」と。
 妙法という「一乗の羽」の力をたのんで「寂光の空」すなわち、仏界という大いなる常楽の世界へと飛び立っていくであろうとの御指導と拝する。
 この御文に描かれたイメージをお借りし、たとえて述べるならば、死の瞬間、それまで蓄えられきった生命の力によって、あたかもロケットが地上から最大の噴射力で飛び立ち、成層圏を突きぬけて、大宇宙へと飛翔ひしょうしていくように、「寂光の空」なる仏界へと「上昇」しきっていける。
 これが妙法受持の人の絶大の功徳である。その宇宙の「仏国」「仏界」は、広々と清浄にして大歓喜に満ち、何の束縛もない自由自在の次元である。そこからさらに、次なる使命の人生を、生まれたい場所と時を選んで、生まれたい姿で、再び出発していける。あたかも名飛行士の、自在な着陸の姿とでもいおうか。
 ともあれ、このような素晴らしき三世にわたる常楽我浄の生命こそ、不壊の「金剛身」である。この崩れざる絶対的幸福の“我”を築きあげるための「金剛宝器戒」であり、日々の仏道修行なのである。
 最後に、愛する尼崎、兵庫の皆さまが、宇宙をも動かしゆく妙法の偉大な功徳を満喫されつつ、「我が人生に悔いなし」「我が信念の道に悔いなし」という、誇らかな一日一日の前進を貫かれますよう、心から念願し、記念のスピーチを結びたい。


1988. 3.26 兵庫広布35周年記念幹部会


2015年1月21日 

妙法を持った人の臨終(3)

 

<信心によって蓄えた我が生命力の“証”>


 この点をふまえて、先ほどの「二聖・二天・十羅刹女は受持の者を擁護し(中略)寂光の宝刹へ送り給うべきなり」の御文を拝するならば、次のようにも言えようか。
 すなわち広布に生ききった人は、臨終の際、我が生命の諸天善神等の力用が、一挙に全面的に発動する。そして断末魔の苦しみをはじめ、襲いかかる「死苦」から、完璧に守りきってくれる。そして内なる一念の力用はその瞬間、外なる大宇宙の諸天善神の発動をも呼び起こす。そして内外相応して自在の力を発揮し、直ちに「寂光の宝刹」すなわち宇宙の仏界という次元へと、必ず融合していける――との仰せとも拝せよう。
 この意味から、臨終の際の諸天善神の働きとは、信心によって蓄えた我が生命力の“証(あかし)”ともいえる。
 つまり「死」は一面からみれば、人間が今世における一切の虚飾をはぎとられて、裸のままの「生命」それ自体がもつ真実の″力″で立ち向かわざるを得ない難関である。
 この時ばかりは、権力という″力″も、財力の″力″も、名声や地位という″力″も、また単なる知識や理性の″力″も、すべて死苦を乗り越える真の力にはならない。生命自体の″実力″とでもいおうか、いわば、生命奥底の″底力″こそが試される瞬間なのである。ニセものは通用しない。
 「生」の期間には必ずしも表面化しない、生命内奥の真実の姿が、その時、立ち現れる――。臨終という、この文字通りの″正念場″にあって、ただ妙法の実践の中で我が「生命」自体に積み、蓄(たくわ)えてきた生命力というエネルギーのみが、その絶大の力を発揮する。
 ゆえに、「生」あるうちに、また健康で活躍できるうちに、真剣に、妙法による福徳の貯金を、また生命力の蓄えをつくっておくことが重要なのである。
 日々″わが信念の道に悔いなし″と

(つづく)

2015年1月20日 

妙法を持った人の臨終(2)

 

<諸天善神の働きは信心の一念に具わる>


 臨終の際の、この諸天善神の働きについて、大聖人はさらに、諸天の力用はことごとく、ほかならぬ私どもの信心の「一念」に具(そなわ)っていると御教示されている。
 「二聖」「二天」「十羅刹女」という五番善神の力用についても、すべて妙法蓮華経の五字から出たものであり、妙法を受持した、私どもの生命それ自体に納まると。
 「御義口伝」には「妙とは十羅刹女なり法とは持国天王なり蓮とは増長天王なり華とは広目天王なり経とは毘沙門天王なり、此の妙法の五字は五番神呪(ごばんじんしゅ)なり、五番神呪は我等が一身なり」と仰せである。
 妙とは十羅刹女であり、法とは四天王のうちの持国天王、蓮とは同じく増長天王、華とは広目天王、経とは毘沙門天王であると――。
 大聖人はここで観心の御立場から、二聖のうち薬王菩薩を広目天に、また勇施菩薩を増長天に置きかえて、それぞれ配されている。すなわち、ここでの五番善神は、十羅刹女と四天王のこととなる。これらの善神の尊名はみな御本尊に厳然とおしたためである。
 そして――この妙法華経の五字こそ、五番善神が法華経の行者の守護を誓って唱えた呪文(じゅもん)の当体である。五番神呪といっても、所詮は題目の力用に含まれると。さらに、妙法五字であるこの五番神呪とは、我等妙法を受持した人の生命それ自体であると明示されている。
 五番善神に代表される全宇宙の諸天善神とその働きは、すべて御本尊に具足されている。同時に、「信心」している仏子の生命にも具るのである。(つづく)

2015年1月19日 

妙法を持った人の臨終(1)

 

<臨終のときも諸天善神が守護する>


 さて、この「金剛宝器戒」を持った人は、いかなる「臨終」を迎えることができるか。
 大聖人は「如説修行抄」で次のように仰せである。
 「二聖・二天・十羅刹女は受持の者を擁護し諸天・善神は天蓋を指し旛はたを上げて我等を守護して慥(たしか)に寂光の宝刹へ送り給うべきなり」――薬王菩薩と勇施ゆぜ菩薩の二聖、持国天王じこくてんのうと毘沙門びしゃもん天王の二天、十羅刹女が、御本尊受持の者をかばい護まもり、諸天善神は天蓋(天にかかるカサ)をさし、旗をかかげてわれわれを守護して、たしかに常寂光の仏国土に送りとどけてくださるのである――と。
 この「如説修行抄」の仰せは、日寛上人の同抄文段でお示しのごとく、法華経「陀羅尼品」第二十六をふまえられてのものである。
 つまり「陀羅尼品」では、ここに仰せの「二聖(薬王菩薩と勇施菩薩)」、「二天(持国天王と毘沙門天王)」、「十羅刹女」の「五番善神」といわれる五者が、それぞれ順番に法華経の行者を守護することを誓っている。
 ちなみに「二聖」のうち、「薬王菩薩」はその名のごとく衆生の重病を消除する働きである。また法華経の会座にあっては、常に「迹化の菩薩の上首」として連なっている。また「勇施(ゆぜ)菩薩」は、その名の通り、一切衆生に布施する力を惜しまない働きである。
 これらの菩薩、諸天は、法華経の会座で、法華経の行者を守護することを誓っており、御本尊を受持し「法」のため、「広布」のために活躍していく人をば、厳然と守護するのである。
 そして、それは、私達が生きている間だけのことには限らない。「臨終」という、今世の生を終え来世への出発を決める、いわば人生の大きな変化を迎える時、まさに、人生の最も重要な時にこそ、諸天善神はこぞって私たちを守護する。大聖人はそのことを、「慥(たしか)に」と固く約束くださっておられる。

(つづく)

2014年11月4日

生老病死(4)

 

<「死」ほど確実なものはない>

   
 人間はだれしも、「いつかは」自分は死ぬと知っている。しかし、あくまで「いつかは」であって、まだまだ先のことだと思っている。青年はもちろん、年をとっても、否、年をとればとるほど、「死」から目をそらす場合がある。
 しかし、人生の実相はどうか。じつは人間、次の瞬間には死んでいるかもしれない。
 地震、事故、急病その他、死の可能性は「いつでも」あるのです。それを忘れているだけです。

 「死は自分の前にあるのではない。死は背中から自分に近づいてくる」と言った人がいる。
 「いつか頑張ろう」「これが終わったら頑張ろう」と思っているうちに、あっという間に年月は過ぎ去ってしまう。気がついてみると、何ひとつ、生命の財宝を積まないで、死に臨まなければならなくなっている。それが多くの人の人生でしょう。その時に後悔しても遅いということです。

 よく考えてみれば、三日後が、三年後であっても、三十年後であっても、本質は同じなのです。ゆえに、いつ死んでもいいように、「今」を生きるしかない。
 また永遠から見れば、百年も一瞬です。文字通り、「臨終只今にあり」なのです。戸田先生も「本当は、死ぬときのために信心するんだ」とおっしゃっていた。

 何が確実といって、「死」ほど確実なものはない。だから、今、ただちに、三世永遠にわたる「心の財」を積むことです。その一番大事なことを「あと回し」にし、「先送り」して生きている人が人類の大半なのです。
 生死一大事というが、生死ほどの「一大事」は人生にない。この一番の大事に比べれば、あとはすべて小さなことです。そのことは「臨終」のときに実感するにちがいない。
(つづく)

2014年11月1日

生老病死(3)

 

<死のこと、成仏への軌道>

 

「死」――これは厳しい。だれ人も、いつかは死に直面する。
 そのときに、妙法の軌道を行く人は、法華経(譬喩品)に説かれる「大白牛車」という車に乗って、悠々と霊山に向かっていける。大宇宙の仏界と融合するのである。
 大白牛車は、長さも幅も高さも壮大な大きさであり、しかも、すべて金銀をはじめとする無数の宝石で飾られている。
 (中略)
 今世で一生成仏すれば、その「仏」の境涯は永遠に続く。
 「生死」「生死」と、生々世々、生まれるたびに、健康で、裕福で、頭もよく、最高の環境に恵まれ、福運に満ちみちた人生となる。また、自分でなければならない使命をもち、使命にふさわしい姿で生まれてくる。それが永遠に続く。もう二度と壊れない。
 この「永遠の幸福」のために、今世で仏界を固めなさい、仏道修行に励みなさい、というのである。わたしが勝手に言うのではない。大聖人が、そう言っておられるのである。
 ゆえに、ともかく成仏への「軌道」を離れないことである。広宣流布、仏道修行の「軌道」を忍耐強く、前へ前へと進むことである。
 時にはいやになったり、休みたいこともある。私どもは凡夫であるゆえに、それも当然であろう。
 大事なことは、ともかく「軌道」を離れないことである。忍耐強く、励ましあいながら、「仏の道」を歩み続けることである。
 「軌道」を外れたら、車でも、飛行機でも事故を起こす。目的地にも着けない。人生は、不幸へと墜落していってしまう。目には見えないが、「生命の軌道」がある。「絶対的幸福への軌道」は厳然と存在する。それが妙法の軌道である。
 退転することなく、この道を歩み通せば、必ず最後には、物心ともに「所願満足」の人生となっていく。
(つづく)

2014年10月31日

生老病死(2)

 

<病のこと、四菩薩の加護>

 

 「病」――生身(なまみ)の体である。だれしも、何らかの病気の苦しみがある。
 その病苦を、たくましく克服する力をわき出す妙法である。
 日蓮大聖人は『南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや』(御書、1124頁)――南無妙法蓮華経は獅子が吼えるようなものである。いかなる病気が障害になろうか(否、どんな病気にも負けず、乗り越えることができる)――と仰せである。
 また、病気になろうと、どんな境遇になろうとも、広宣流布に生きる人を必ず御本仏は守ってくださる。諸仏・諸菩薩・諸天が、こぞって、その人を守る。
 大聖人は、こう約束してくださっている。
 『此の良薬を持たん女人等をば此の四人の大菩薩・前後左右に立そひて・此の女人たたせ給へば此の大菩薩も立たせ給ふ乃至此の女人・道を行く時は此の菩薩も道を行き給ふ、譬へば・かげと身と水と魚と声とひびきと月と光との如し』(御書、1306頁)
 ――この良薬(御本尊)を信受する女性等を、この四人の大菩薩(地涌の菩薩のリーダーである上行・無辺行・浄行・安立行菩薩)が、前と後ろ、右と左に立ち添って、この女性が立たれたならば、この四大菩薩もお立ちになる。そのようにして、この女性が道を行く時には、この菩薩も道を行きます。たとえば、「影と身」「水と魚」「声と響き」「月と光」とのように決して離れないのです――。
 このように、必ず守ってくださる。しかも、それが生死を超えて永遠に続くのである。
(つづく)

2014年10月29日

生老病死(1)

 

<生きること、老いること>

   
 信仰は何のためにするのか。それは、「だれよりもすばらしい人生」を生きるためである。だれも避けられない「生老病死」の苦悩を、悠々と乗り越えるためである。
 「生」――人生、生きねばならない。何があろうと、生きぬかなければならない。あらゆる悩みを乗り越え、あらゆる苦難を乗り越え、どのように力強く、毎日毎日を生きていくか。そのための偉大なる生命力を与えてくれるのが妙法の信仰である。
 何のために生まれたのか、それがわからない無価値な人生ではつまらない。目的観もなく、ただ「何となく」生き、食べ、むなしく死んでいくのでは、次元の低い動物的人生ではないだろうか。
 そうではなく、人のため、社会のため、自分のために、何かを為す。何かを創る。何か貢献する。そのために、生ある限り、一生涯、挑戦しぬいていく。それでこそ「充実の人生」である。「価値の人生」である。人間らしい「高次元の生き方」である。そして、妙法の信仰は、そのなかでも最高の価値を、人のため、自分のために創造できる原動力なのである。
 「老」――人生、あっという間に過ぎてしまう。またたく間に、老人となり、体力も衰える。あちこち故障も出てくる。
 そのときに、わびしく、寂しい老人になるのではなく、秋の黄金の実りのような豊かな自分自身となるための信仰である。大いなる夕日は、天地を荘厳に染めて輝きわたる。その”輝きの光景”のような老年を、後悔なく、にっこりと迎えるための信仰なのである。
(つづく)

2014年5月6日

 どれだけ人に尽くしたか!

 
 だれもが、いつかは死ぬ。「死の問題」は避けて通れない。
 ゆえに、死について考えることは、人生にとって何より重要なことなのである。
 そしてまた、「死」を学ぶことが、「生」を学ぶことである。「よりよく生きる」ことを学ぶことになるのだ。
 御書には、こう説かれている。
 『命終りなば三日の内に水と成りて流れ塵と成りて地にまじはり煙と成りて天にのぼりあともみえずなるべき身を養はんとて多くの財をたくはふ、此のことはりは事ふり候ぬ但し当世の体こそ哀れに候へ』(松野殿御返事、1388頁、編1075頁)
 「(人間は)命が終われば三日のうちに、その体は水となって流れ、塵となって大地に混じり、煙となって天に昇り、あとかたもなく消えてしまう、(しかるに、末法の衆生は)そのようにはかない、わが身を養おうとして、多くの財産を蓄える。このことは昔から言い古されてきたことであるが、現在のその有様は、あまりにも哀れでならない」――
 仏法が説く永遠の次元から見れば、この世でわが身を飾っている地位とか名誉とか財産など、はかないものだ。
 日本の伝教大師は「生ける時、善をなさずんば、死する日、獄の薪とならん」と、生命の因果を明快に示している。
 大事なのは、自分自身が「どんな人間であったのか」「どれだけ人に尽くしたか」である。
 結論から言えば、最高の妙法に生き抜く人生ほど尊いものはない。
 人のため、法のため、広宣流布に生き抜くことは、わが生命に何があっても崩れない福徳を積んでいるのである。

 

聖教新聞2007.8.31付北海道・東北・中部・信越合同研修会

2013年6月5日

 人に二の病あり

 『夫れ人に二の病あり一には身の病・所謂地大百一・水大百一・火大百一風大百一・已上四百四病なり、此の病は設い仏に有らざれども・之を治す所謂治水・流水・耆婆・扁鵲等が方薬・此れを治するにゆいて愈えずという事なし、二には心の病・所謂三毒乃至八万四千の病なり、此の病は二天・三仙・六師等も治し難し何に況や神農・黄帝等の方薬及ぶべしや、又心の病・重重に浅深・勝劣分れたり』(治病大小権実違目、995頁)
 人には「身の病」と「心の病」があることを示され、それぞれ病を治す方途があることを教えられています。
 ここで「身の病」とは、身体の構成要素である「地・水・火・風」の四大の不順が原因で、身体に現れる病です。
 これは、名医によって治らないものはないと仰せです。
 「心の病」とは、今日で言うところの精神的な病とは異なります。「生命の濁り」「時代・社会の歪み」と言ってもよいでしょう。
 その原因・正体は、一言で言えば「煩悩」です。煩悩とは、貪瞋癡の三毒をもとに、八万四千ともいわれるほど多岐にわたります。
 これらは、「身の病」とは異なり、「無明」という、生命の根底の闇から起こるため、生命を深く洞察した仏法によって解決するしかありません。いかにすぐれた名医や薬でも治すことはできない。しかも、仏法で「心の病」を治すには、幾重にも「浅深・勝劣」があると仰せです。(中略)
 言い換えれば、「心の病」すなわち「時代・社会の歪み」を治すには、釈尊の真実究極の教えである法華経(南無妙法蓮華経)以外にない。諸経への執着を捨てて、法華経をこそ用いよと教えられているのです。 
 
大白蓮華No.762 2013.6月号34~36頁 

2012年7月27日  

健康は自分自身の生き方の中にある

 

病気という苦難を糧にして、自分の信心を強め、境涯を深め広げていくことができるのです。病気との闘いは、妙法に照らして、永遠の次元から見れば、すべてが幸福になり、勝利するための試練です。病気だから、不健康なのではありません。他人や社会から決められるものでもない。健康は、何があっても負けない自分自身の前向きな生き方の中にこそあるのです。皆さんには偉大な使命があります。希望に燃えて、絶対に生き抜いていただきたい。断じて健康になり、病気と闘う多くの人を励ましてもらたい。

 

 聖教新聞  2012.7.26付 第5回 心も体も健やかに<中>  

世界広布新時代

創立90周年へ

前進・人材の年

(2020年)

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

更新日

2020.11.24

第1698回

  

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