2022年7月11日
第2050回
破和合僧
団結を破壊する破和合僧は大罪
(5)
釈尊が厳しく戒めた罪に、「両舌」がある。
「二枚舌」のことである。
告げ口などによって人々の間を裂き、
離れさせ、争わせるので、「離間語りけんご」とも言う。
″不和を助長し、
不和を楽しみ、
不和を喜ぶ″卑劣な人間であり、
″和合の破壊者″である。
(前掲『南伝大蔵経』42、前掲著作集16、参照)
釈尊は、
「愚人よ、汝らは、なぜ争いを起こすのか」
(前掲『南伝大蔵経』2、参照)と呵責し、離間語を罰した。
創価の世界は、
仏子の集いであり、善の力の「結合」である。
心と心を「和合させる言葉」を生み出す人々の集まりである。
断じて、「分断」の動きに食い破られてはならない。
日蓮大聖人の時代に、
優れた弟子であったにもかかわらず、
退転した三位房という弟子がいた。
大聖人はその不幸な死を書き記し、
「鏡のために申す」(御書1191㌻)
――後世のために言っておく、とつづられている。
私たちの広布の歴史もまた、
正義と極悪との戦いの真実を、厳格に刻みゆく。
わが学会は、
どこまでも真剣な祈りを根本に、
ともに励ましあい、
永遠の和合僧団として前進してまいりたい。
2005.8.4全国最高協議会(7)
2022年7月9日
第2048回
破和合僧
団結を破壊する破和合僧は大罪
(4)
釈尊は「破和合僧」を厳しく戒めた
仏典には、
仏道修行者の集まりを破壊する動きへの
戒めが説かれている。
そのいくつかを紹介しておきたい。
初期の仏教教団においても、
教団の規模が大きくなると、
怠惰、傲慢、嫉妬などにとらわれ、
悪事を犯し、
その悪事を隠す者が増えたようだ。
ある長老は、
そうした様子を次のように語った。
「会議(sangha)に際しては、
たとい徳がなくとも、
巧みにいいまくる
饒舌無学の輩が有力となるであろう」
「会議に際しては、
たとい徳がそなわり、
恥を知り、欲念のない人々が、
道理に従って陳述しても、
力が弱いだろう」
(『原始仏教の成立』、『中村元選集〔決定版〕』14所収、春秋社)
また、堕落した者の特徴として、
″師の言葉をないがしろにする″点があげられている。
(「たがいに相敬うことなく、あたかも荒れ馬が馭者に対するがごとく、師の言に注意することがないだろう」〈同前〉)
和合僧を分裂させようとし、
諌められたにもかかわらず、
その企てを捨てなかった者や、
首謀者を助けた者たちには、
厳しい処罰が科せられた。
皆の前で、
みずから犯した罪を白状し悔い改めることを誓う。
謹慎生活や「別住」を課される、等の罰である。
(『平川彰著作集』11、春秋社、参照)
「和合僧を破す者は一劫、地獄にて煮らる」
(『南伝大蔵経』22、大正新脩大蔵経刊行会)
とも説かれている。
間断なき苦しみの生命となる。
反逆者の提婆達多が
釈尊の教団を破壊しようとしたとき、
その動きを助けた者たちは、
「分派の加担者」
「破和合僧の随順者」等と厳しく戒められた。
(前掲著作集14、参照)
また、戒律を破った罪のある比丘(男性の出家)は、
比丘が全員出席する集まりに参加することを禁じられた。
出席を禁じられた者のなかには、
「破和合僧」を犯した者も、
「破和合僧」を企んだ者も含まれる。
罪のある比丘が
自身の罪を隠して出席した場合、
他の比丘には、
その比丘の出席をさえぎる権利があった。
もし、戒を犯した者が入り込んだ場合、
その集まりで決定されたことは無効になった。
(同前)
(つづく)
2022年7月8日
第2047回
破和合僧
団結を破壊する破和合僧は大罪
(3)
先生は、学会に迷惑をかけた邪悪な人間について、「性根の腐った者は、どこまでいっても始末が悪い」と憤りを込めて言われた。
極悪とは、断じて戦わねばならない。知恵を尽くして、徹底的に責めぬくことである。
また、こうも語っておられた。
「自分の命も大事だが、それよりも、広宣流布に戦っていく人、広宣流布の組織で戦っている人がいちばん大事なのだ」
そのとおりである。なかんずく、リーダーが同志を大切にする姿勢にいちだんと徹すれば、学会はさらに発展していく。
戸田先生は、幹部に対しては本当に厳しかった。
「信心の基本を忘却した幹部ほど哀れなものはない」
「見かけは有能に見えても、信心の基本を欠いたら、
信心は即座に崩れ去る」
信心の「基本」とは、言うまでもなく「信・行・学」の実践に尽きる。
どこまでも基本に徹して、
皆から慕われるリーダーであっていただきたい。
牧口先生の時代には、軍部政府の弾圧によって、
ほとんどの幹部が退転していった。
戦後、一人で学会の再建に立ち上がった戸田先生。
その時代も、難を恐れ、臆病にも、退転していった人間がいた。
広宣流布に進む以上、三障四魔が起こるのは当然である。
恐ろしいのは、正法を知りながら裏切り、
清らかな師弟の世界、
異体同心の世界を壊そうとする「破和合僧」の存在である。
学会員の皆さんは、人がいい。
温かい心の持ち主が多い。
決して、悪心を持つ輩にだまされたり、
広布の団結を乱されてはならない。
悪を滅する戦いを忘れてしまえば、善は生じない。
これが仏法の原理である。
学会では、
「現実に戦っている人」を最大に讃えるのである。
(つづく)
2022年7月7日
第2046回
破和合僧
団結を破壊する破和合僧は大罪
(2)
釈尊の在世において、提婆達多は教団の乗っ取りと分裂を画策した。提婆達多の邪悪な本性を見破った釈尊は、厳しく言った。
「提婆達多がなすところの事は、もはや仏法僧の事ではない。ただ提婆達多の所作なのである」(「四分律」、『国訳一切経』〈大東出版社〉を参照)
もはや提婆達多の言動は、仏法者のものではない、と言明したのである。
提婆の人生は破綻した。頼りにしていた権力者の阿闍世王からも、見放された。その悪行も世間の知るところとなり、人々から憎まれた。最後は大地が割れ、生きながら無間地獄に真っ逆さまに堕ちていったとも、経典には記されている。
インドのアショーカ大王が残した法勅には、″僧伽そうぎゃ(仏道修行をする人々の集団)を破壊する者は、追放されねばならない。なぜならば、私が願うのは、和合した僧伽を永続させることだからである″と刻まれている。(塚本啓梓『アショーカ王碑文』第三文明社、参照)
このアショーカ大王の法勅については、現代インドを代表する大哲学者であるロケッシュ・チヤンドラ博士との対談でも、話題になった。博士は、現代の「和合僧」というべきSGIの人間主義運動に、大きな期待を寄せてくださっている。
インドだけではない。今や全世界の心ある知性が、創価の和合の前進に、「共生と平和の未来」への希望を見いだしているのである。
大聖人は仰せである。
「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」(御書762㌻)
生命の悪、生命の無明の消滅が即、功徳である。
「悪を砕く」大闘争にこそ、その大功徳が輝く。大発展の道がある。
邪悪な「破和合僧」の輩を断固として打ち破るたびに、学会は、いよいよ威光勢力を増していく。その闘争があったからこそ、百九十カ国・地域に広がる創価の和合の大連帯が築かれたのである。
2005.7.16各部合同協議会
2022年7月6日
第2045回
破和合僧
団結を破壊する破和合僧は大罪
(1)
仏法を行じ、弘めゆく人々の団結を破壊せんとする「破和合僧」の罪は、仏法上、たいへんに重いとされる。
「破和合僧」は「五逆罪」の一つとして説かれている。(五逆罪の内容は、仏典等により諸説ある)
御聖訓には仰せである。
「大阿鼻地獄(無間地獄)の業因をいえば、五逆罪をつくる人が、この地獄に堕ちるのである。
五逆罪とは、一に父を殺すこと、二に母を殺すこと、三に阿羅漢(小乗の悟りを得た聖者)を殺すこと、四に仏の身を傷つけて血を出させること、五に破和合僧である」(御書447㌻、通解)
また、「佐渡御書」で中国の不惜身命の僧として言及されている慧遠は、『大乗義章』で論じている
″破和合僧は、正法に違背し、人々を悩ませ、成仏への道を閉ざしてしまう。ゆえに、五逆罪の中でもっとも罪が重い″
さらに、こう断じている。
″破和合僧は、貧嫉の心から起こる。貧りの心、名聞を求める心、嫉妬心のゆえに和合僧を破壊するのである″
遠くは、日蓮大聖人、日興上人の御在世においても、近くは、牧口先生、戸田先生の時代においても、破和合僧の反逆者たちの性根は皆、同じであった。その本質は、今も変わらない。
「和合僧」を破壊することは、
正しき仏法を断絶させることに通じる。
ゆえに、破和合僧の悪人を、絶対に許してはならない。
あいまいな態度で妥協してはならない。
こうした人間を放置すれば、
仏法の命脈が絶たれてしまうからだ。
また、悪行を徹して責めぬいてこそ、
その人を目覚めさせ、救うこともできる。
「破和合僧」の輩と戦いゆく
学会の「破邪顕正」の言論闘争は、
仏法の法理の上から見て、
正しい行動なのである。
(つづく)