苦難

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2022年6月24日

第2034回

いかなる権力も仏には勝てない

 

<竜の口の法難>

 

 思えば、宗祖日蓮大聖人の御生涯は、権力による迫害との熾烈な闘争の連続であられた。すべては、末法の一切衆生の幸福のためである。

 現在、鎌倉の「竜の口」には「SGI教学会館」がある。ご存じのとおり、この地は、日蓮大聖人が発迹顕本なされた「竜の口の法難」ゆかりの地である。会館には、海外からも多くのSGIメンバーが訪れ、大聖人の御足跡を偲びつつ、広宣流布への決意を新たにしている。

 大聖人が法戦の本舞台とされた鎌倉は、当時の政治の中枢であった。いわば、権力の魔性がうごめく真っただ中で、敢然と破邪顕正の戦いを起こされたのである。傲慢な権力者にも、仮面の聖職者にも、大聖人は容赦なく、″正法を尊ばなければ国は滅びる″ことを主張し、正義を叫びぬいていかれた。

 そして一方、女性の信徒や、若き青年門下には、限りない慈愛を注がれる大聖人であられた。

 正義の中の正義であられる大聖人に、権力は残酷に牙を剥いた。そのきっかけとなったのは、邪悪な聖職者らによる「讒言」――嘘で固めた、でっち上げであった。

 文永八年(一二七一年)九月十二日――。大聖人のおられた松葉ヶ谷の草庵に、幕府の実力者であった平左衛門尉頼綱が、数百人の武装兵士を率いて押し寄せた。

 大聖人が竜の口に向かい、頸の座にのぞんだのは、「子丑の時」(御書223頁)――すなわち真夜中だった。「三世の諸仏の成道はねうしのをわり・とらのきざみの成道なり」(御書1558頁)とあるとおり、「子丑の時」から「寅の刻」にかけては、不可思議な時間帯なのである。

 兵士が大聖人を取り囲んだ。刀を手にした武士が、身構えた。途中から裸足でついてきた四条金吾が、「只今なり」(御書913頁)と言って、泣いた。その金吾に大聖人は「これほどの悦びをば・わらへかし」(御書914頁)と、悠然とたしなめられた。

 そのときである。月のごとく明るく輝く鞠のようなものが、南東から北西にかけて光りわたった。刀を持った武士は倒れ伏し、恐怖に駆られた兵士は「一町計り」(同頁)も走って逃げた。

 大聖人は「どうして遠のくのか。近く打ちよれや。打ちよれや」と叫ばれたが、近づく者はいなかった。「頸を斬るならば、夜が明ける前に、早く斬れ!」とうながされたが、応える者はなかった。だれもが驚愕し、動揺し、おじけついていた。その中にあって、大聖人ただ御一人が、不動の大境涯を示されていたのである。

 どれほど強大な権力も、どんなに卑劣な策略も、仏の境涯を侵すことはできない。諸天善神の加護は絶対である。法華経の行者を不幸におとしいれることは、だれにもできないのである。

 (「光り物」の正体は、「おひつじ・おうし座」流星群に属するものではないかという説がある。東京天文台長で、東大名誉教授であった故・広瀬秀雄博士の研究による)

 

2005.6.6 牧口先生生誕記念協議会

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2022年6月21日

第2031回

嵐の中で本物は光る

 

 私の胸中には、

 今も戸田先生の声が響いている。

 戸田先生の大事な話は、

 すべて書きとめて手元に置いてある。

 本当に懐かしい。

 

 先生はつねづね、おっしゃっていた。

恵まれた環境だからといって、

 いいものができるのではない。

 苦難、苦労の中でこそ、

 偉大なもの、本物は生まれる

 

 平凡な人生では、平凡な人間しか育たない。

 青年ならば、

 あえて苦難の嵐の中に飛び込んでいくことだ。

 困難なことに挑戦することだ。

 

 折伏もそうである。大変である。

 しかし、大変だからこそ、自分が磨かれる。

 本物の人材と光っていく。

 若き皆さんは、この決心で進んでいただきたい。

 

 私も若き日から真剣に折伏に邁進した。

 当時、戸田先生の講義を聴き終わると、

 水道橋から電車に乗った。

 それから蒲田まで帰る間にも、

 ずいぶん対話をしたものである。

 しかし、電車が蒲田に着いても、

 まだ話が終わらない(笑い)。

 それで、駅のベンチで話したり、

 別の電車に乗って対話を続けたり

 ――おたがいに納得いくまで語りあったものである。

 相手も大変だっただろうけれども。(笑い)

 

 今は、時代が違うし、

 皆さんは真似をする必要はまったくない。

 ともかく、皆が真剣だった。

 戸田先生の期待に応えようと必死だった。

 限られた時間のなかでの闘争であったが、

 青年部のリーダーの一人として、

 私は、自分自身が模範の闘争の姿を示してこうと決めていた。

 自分自身が限界の壁を破ろうと、

 祈り、動き、語りに語りぬいていった。

 

 この広布に戦う心を

 青年部の皆さんに受け継いでもらいたいのである。

 戸田先生が、

 ある同志に語っていた言葉が忘れられない。

自身の将来のために、

 一家の本当の繁栄のために、

 覚悟して一生涯、信心をしてみなさい。

 必ず心の底からよかったという日がくるから」と。

 信心してよかった!

 学会員でよかった!

 そう心の底から思える日が必ずくる。

 それが戸田先生の宣言である。

 私たちも、

 自信をもって堂々とやりましょう!

 頑張りましょう!

 

2005.7.7第51回本部幹部会、第5回関西総会他

 

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2022年6月4日

第2017回

人生の苦難に屈してはならない

 

大変な時ほど、宿命転換ができる。

 人間革命ができるのである

 

 

 戸田先生は、青年を激励して言われた。

「人生にあっては、大なり小なり、

 何らかの難に直面するものだ。

 その時は、

 もうこれでおしまいかと落胆し、

 諦めようと思うことがあるかもしれない。

 また苦しみのあまり、

 絶望の淵に沈む場合もあるにちがいない。

 

 しかし絶対に、

 人生の苦難に屈してはならない。

 負けてはならない。

 

 必ずや、あとになれば、

 あの時、頑張りぬいて本当に良かったと、

 さわやかに思い返せるものだ」

 

 負けない人が真実の勝利者である。

 大変な時ほど、宿命転換ができる。

 人間革命ができるのである。

 

 またある時、激戦に臨んで、

 戸田先生は厳として叫ばれた。

 「どんな戦いでも、団結の強いほうが勝つ!」

 異体同心――これが永遠の勝利の軌道である。

 

2005.5.31婦人部・海外代表協議会

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2022年6月2日

第2015回

労苦こそ人間を輝かせる

 

  大聖人は、

人の身の五尺・六尺のたましひ

 一尺の面かおにあらはれ」(御書1402頁)と仰せである。

 また顔には、「人生の年輪が表れる」ともいわれる。

 

 風雪に耐え、逆境に打ち勝った顔は、ど

 こか光って見えるものだ。

 労苦こそが、人間を輝かせる。

 また、自分が苦労してこそ、

 他人の苦労がわかるのである。

 

 ゆえに、学会の将来を担う青年部、

 そして青年部出身の幹部は、

 求めて苦労していくことだ。

 外見や見栄など、かなぐり捨てて、戦うことだ。

 

 真剣に戦う会員の気持ちが

 感じられない幹部であるならば、

 あまりに無慈悲である。

 学会のため、同志のため、

 苦労しぬいた人こそが、

 本物のリーダーなのである。

 

 戸田先生は、こうも言われていた。

「地位や学歴で、

 偉さが決まるのではない。

 日蓮大聖人の弟子として

 『広宣流布に働く人』こそ

 『いちばん、偉い人』である。

 その人をいちばん、大事にするのだ」

 

 真面目な学会員ほど尊く、

 偉大な存在は絶対にない。

 だからこそ、

 だれよりも自分が汗を流し、

 広布に戦い、会員に尽くしていく

 リーダーであっていただきたいのだ。

 

 そしてまた、

 同志の話に真摯に

 耳をかたむけていくことである。

 とくに、婦人部、女子部の意見をよく聞き、

 最大に尊重していくべきである。

 

会員が、あの幹部を見ると、心から安心して

 信心に励めるといった幹部であってほしい

 ――これが、戸田先生の悲顕であった。

 今、現実の上で、人と会い、人と語り、

 社会の隅々にまで仏法を弘めているのは、

 わが学会しかない。

 なかんずく、

 婦人部の皆さま方の功績は、あまりに大きい。

 人間として、もっとも正しい行動である。

 自他ともの絶対の幸福の道を開いているのである。

 わが生命に未来永遠に朽ちない「福徳の宝」を

 積んでいることを確信していただきたい。

 

2005.5.31婦人部・海外代表協議会

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2022年5月31日

第2013回

大難を乗り越えて学会は発展

 

敵を責め破折するは「慈悲」>

 

 ここで、御聖訓を拝したい。

 大聖人は、四条金吾にあてた御手紙で次のように仰せである。

 「このように(諸天に申しつけて法華経の敵を罰せさせる等と)言えば、国主らは『この法師(日蓮)がおどした』と思うであろうか。

 私は、あえて憎んで言うのではない。

 大慈大悲の力で、未来に受ける無間地獄の大苦を、

 今世に消させてあげようとするのである。

 章安大師いわく、

 『相手のために、その悪を取り除き、

 改めさせるのは、彼の味方であり、親である』と

 (御書1138㌻、通解)

 なぜ法華経の敵を責め、破折するのか。

 それは慈悲のゆえである、

 と大聖人は断言しておられる。

 

 逆に「慈無くして詐いつわり親しむは

 即ち是れ彼が怨なり」(御書237頁)とあるように、

 悪を阿責しなければ、かえって、

 その相手にとっても「怨」すなわち敵となってしまう。

 

 また大聖人は、

 「魔来り鬼来るとも騒乱そうらんする事なかれ」

 (御書500頁)と仰せである。

 魔とは、仏道修行をさまたげる働きである。

 疑いや誘惑など、さまざまな形で現れてくる。

 大切なのは、魔を「魔」と見破ることである。

 御本尊に強盛に祈り、

 仏の力と、仏の智慧を湧き出して、

 魔を打ち破っていくことである。

 

2005.5.31婦人部・海外代表協議会

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2022年5月21日

第2004回

苦難こそ青春の誉れ

 

 

 「難を乗り越える信心」とは、

 学会永遠の指針です。

 仕事、家庭、勉学など、

 悩みは尽きなくとも、

 妙法を持った青春は、

 全てを必ず勝ち越えていける。

 そのための信仰です。

 

 私も、闘病や事業の艱難、冤罪との戦い等、

 一つ一つ越えてきました。

 戸田先生は言われました。

 「問題があるから、力がつく

 「そう達観して、大きく強く生き抜いていくことだ」と。

 

 険しい試練の坂に挑む若人には、

 富士のごとく

 何ものにも揺るがぬ境涯が開かれます。

 悩みの深い人こそ使命も深い。

 大確信で題目を唱え抜き、

 難を乗り越えてくれ給え!

 

2022年5月18日創価新報 勝ちゆく君へ

 

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2022年5月10日

第1994回

「病の時こそ」大確信で

 

 

 同志の、なかには、病と闘っておられる方もいる。ご家族が病気の方もおられるにちがいない。

 御書を拝し、「病をどうとらえるべきか」、信心の根本姿勢をあらためて確認しておきたい。

 日蓮大聖人は、夫の病気について報告した妙心尼に、こう教えておられる。

 「この病は仏のお計らいだろうか。そのわけは、浄名経、涅槃経には病がある人は仏になると説かれている。病によって仏道を求める心は起こるものである」(御書一四八〇ページ、通解)

 病があるからこそ仏になれる。偉大な人間になれるのだ――まことに深い仏法の生命観である。

 また、ある時、大聖人は、富木常忍から、夫人の富木尼御前の病気について聞かれた。

 大聖人は、側でやさしく語りかけるかのような、慈愛あふれる励ましの御手紙を、富木常忍に託しておられる。

 「あなた(富木尼御前)もまた法華経の行者であり、ご信心は月が満ち、潮が満ちるように強盛であるから、どうして病が癒えず、寿命の延びないことがありましょうか。こう強く確信して、御身を大切にして、心の中で、あれこれ嘆かないことです」(御書九七五ページ、通解)

 そして、青年門下の南条時光が重病に倒れたと聞くや、御自身も重い病の身であられながら、厳愛の励ましをつづられた。

 「(あなたは)上下万人から諌められたり、脅されたりしながらも、ついに信仰を捨てる心がなく、もはや成仏しそうになったので、天魔・外道が病気にさせて脅そうとしているのであろう。命には限りがあるものだから、少しも驚いてはならない」(御書一五八七ページ、通解)

 妙法は、生老病死の「四苦」を根本的に克服しゆく、絶対の勝利の法則である。妙法に生きぬく人は、幸福の境涯を三世にわたって楽しんでいけるのである。

 信心が深まったからこそ、病魔をはじめ、三障四魔が競い起こる。病もむしろ「仏の境涯を開くチャンス」ととらえて、毅然と闘っていただきたい。そう御本仏は教えておられる。

 私は、全同志の健康と長寿と勝利を、来る日も来る日も、懸命に祈っている。

2005.2.11方面長協議会

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2022年4月15日

第1973回

大変な時こそ「確信の一言」を

 

<周恩来総理の振る舞い>

 

 先日(四月一日)、中国の名門・上海シャンハイ財経大学の叢樹海副学長一行が、わざわざ、来日してくださり、光栄にも「名誉教授」の称号を授与してくださった。

 また、現在、月刊誌「第三文明」で対談を連載している米ハーバード大学のドゥ・ウェイミン教授、さらに全青連(中華全国青年連合会)の派遣による「中国青年代表団」の張学軍団長一行ともお会いした。

 

 皆さんが一様に、深い敬愛を寄せておられた人物は、だれであったか。それは、私も心から尊敬する中国人民の大指導者・周恩来総理であった。

 最近、周恩来総理の専属のパイロットを務めた人物の手記が、「人民日報」の海外版に連載されたた。そこには、周総理の卓越したリーダーシップを物語る、ある出来事が記されていた。

 

 ――四十年前(一九六五年)の六月。周総理は、アジア・アフリカ諸国を回り、歴史に残る外交戦を展開した。

 それは、六月三日の夕刻過ぎ、周総理を乗せた専用機が、イラクのバグダッドの空港に降りようとしたときである。突然、空港の電気がすべて消えてしまった。一斉の停電である。

 飛行機は、まさに着陸態勢に入ろうとしていた。しかし、明かりが消えた滑走路は、ほとんど見えない。パイロットは逡巡した。引き返して、他の空港に向かうべきか。しかし、燃料は足りない。パイロットは厳しい状況を周総理に報告した。

 だが、周総理は少しも動ずることはなかった。そして、こう、きっぱりと励ましたのである。

 「私は何も心配していません。皆さんが困難な着陸を見事に成し遂げることを、私は断じて信じています!」

 この力強い絶対の信頼の一言に、パイロットたちの不安は吹き飛んだ。

 声は力である。声の響きこそが、人に勇気を贈る。

 皆の心に″絶対にできる!″という確信が生まれた。希望の炎が燃えた。そして、一致団結して勇気凛々と困難に挑み、かすかな光を頼りにして、無事、着陸に成功したのである。

 

 いざというときのリーダーの

 「信頼の一言」

 「励ましの一言」

 「確信の一言」が、

 どれほど皆に力と勢いを与えることか。

 大変なときこそ、

 皆を安心させ、

 厳然と励まし、

 希望の方向へ、

 勝利の方向へとリードしていくのが、

 指導者の役目である。

 

 さて、この歴史的な外交の旅をすべて終えて、帰国の途についた機中でのことである。困難をともにしてくれた同志をねぎらおうと、周総理は、みずから生き生きと歌の指揮を執った。機中は、喜びで沸き返り、晴れやかな大合唱が広がった。

 いよいよ国境を越えて中国に入るときには、国境近くの標高四〇〇〇メートル以上の山奥にある管制塔で働く人々へ、励ましのメッセージを打電することを、周総理は忘れなかった。

 ともに戦う同志、陰で苦労しながら支えてくれる同志に、絶えず心を配り、その労苦をねぎらい、深く感謝を捧げる。それが、一級の指導者の心であり、振る舞いである。

 

 どうか、わが学会家族もまた、ともに讃えあい、ともに励ましあい、そしてともどもに固く信頼しあいながら、さらに勢いを増し、威光勢力を強めて、威風堂々と進んでまいりたい。

 

2005.4.4総東京代表協議会

 

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2022年3月19日

第1939回

逆境で光る「真金の人」たれ

 

 

 法華経を持つ人は「真金の人」であると、大聖人は仰せである。

 御書に、「金は大火にも焼けないし、大水にも流されず、また朽ちない。鉄は水にも火にも、ともに耐えることはできない。賢人は金のようであり、愚人は鉄のようなものである。あなたは、まさに真金の人である。それは法華経の金を持つ故であろうか」(1337ページ、通解)

 

 金は錆びない。

 磨けば磨くほど、

 いちだんと輝きを増していく。

 逆境でこそ光る「真金の人」。

 これが仏法者の生き方である。

 皆さまは「黄金の心」で

 「黄金の人生」を勝ち飾っていただきたい。

 若い世代を、どんどん伸ばしていきたい。

 先輩も一歩も引てはいけない。

 むしろ、もう一歩、踏み出して、

 後輩を育てていくことだ。

 生涯、学会を守り、

 同志に尽くしていく

 「使命」と「信念」と「誇り」

 を忘れてはならない。

 

 そして、若い世代の皆さんは、

 あえて労苦を求めぬいていくことだ。

 信心の戦いにおいて、

 また生活のうえで、

 何の苦労もなければ、

 人間は鍛えられない。

 広宣流布の指導者にはなれない。

 みずから願って、

 濁悪の世界に妙法を弘めるのが、

 地涌の菩薩なのである。

 

 だれよりも祈り、

 だれよりも苦労し、

 希望と勝利の道を切り開く。

 それが、妙法のリーダーであることを

 深く心に刻んでいただきたい。

 

2005年3月11日婦人部・女子部最高協議会

 

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2022年1月24日

第1874回

困難な時こそ本物が光る

 

難よ、来るなら来い!

 

 

 アメリカの鉄鋼王カーネギーの言葉に、

 「危機に当たって、人間の真価が試される」

 (『鉄鋼王カーネギー自伝』坂西志保訳、角川文庫)とある。

 

 困難な時こそ、本物が光る。

 

 古代ローマの詩人ルクレーティウスは言った。

 「人を見るのには、危機に陥った際に限る、

 逆境にあってその人物如何を見るに限る。

 即ち、かような時にこそ始めて

 真実の声が心の底から出るものであり、

 又仮面ははがれ、

 真価のみが残るからである」

 (『物の本質について』樋口勝彦訳、岩波文庫)

 

 そのとおりである。

 有名な『プルターク英雄伝』には、

 こう記されている。

 「真に高貴健剛な精神は、

 厄難やくなんに処し逆境に沈淪ちんりんする日において、

 真骨頭を発揮するものである」

 (鶴見祐輔訳、潮出版社)

 

 難よ、来るなら来い!――

 これが学会精神である。

 

 御聖訓に

 「大難来りなば強盛の信心

 弥弥いよいよ悦びをなすべし」

 と仰せのとおりである。

 

2006年1月12日 神奈川・静岡合同協議会

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2021年12月30日

第1848回

信心で勝て! 

風雪を越えて光れ

 

<大難に挑め!>

 

 わが身をかえりみず、

 友のため、

 地域のために、

 広宣流布の道なき道を

 開いてきた功労者の方々は、

 皆、本当に、いい顔をしておられる。

 不思議なものだ。

 

 虚栄と我欲の

 心卑しき顔とは、

 全然、違う。

 

 魂が光っている。

 人生の風雪を

 信心で乗り越えた人ならではの、

 風格があり、

 温かさがある。

 福徳が満ちあふれでいる。

 何があっても、学会とともに!

 ――こういう真っすぐな、

 まじめな信心の方々がおられるからこそ、

 学会は勝ってきたのである。

 

 正しき仏法を実践すれば、

 必ず大難が競い起こる。

 その時こそ、

 信心強く、

 信念固く、

 大勇を奮い起こして、

 難に挑んでいくのだ。

 その人に、

 三世にわたる勝利の栄冠が輝く。

 

 天台大師は、

 「信力の故に受け念力の故に持つ」と説いた。

 日蓮大聖人は、

 この文を引かれつつ、

 四条金吾に教えておられる。

大難が来ても、

 この法華経をつねに思い持って

 忘れない人はまれである。

 法華経(御本尊)を受けることはやさしく、

 持ち続けることはむずかしい。

 そして、

 成仏は持ち続けることにある

 (御書1136㌻、通解)

 

 妙法は、

 わが生命に、

 三世にわたる幸福を開きゆく

 絶対の法則である。

 ゆえに「此経難持(此の経は持ち難し)

 と説かれる

 この妙法を受持しぬくことこそ、

 人間として最極の信念の生き方である。

 何かあるとすぐ紛動され、

 動揺する。

 それでは「信念」ではない。

 「信心」ではない。

 

2006.4.13「5・3」記念各部協議会

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2021年12月25日

第1841回

″難″は真の師子をつくる

 

 戸田先生は当時、

 莫大な借金を抱えておられた。

 生死の淵に立つように、

 憔悴しきっておられることもあった。

 給料も出ない。

 社員は次々と辞めていく。

 「戸田の馬鹿野郎!」

 「インチキ野郎!」

 「タヌキ野郎!」

 などと口汚くののしる人間もいた。

 恩を仇で返す人間もいた。

 彼らの心根は、

 わがままであり、

 自分勝手であり、

 増上慢であった。

 

 私は、師匠に人生を捧げた。

 すべてをなげうってお仕えした。

 あるとき、戸田先生に申し上げた。

 「先生、私は戸田先生の弟子です。

  力をふりしぼって、

  私が、お守りします。

  どうか、ご安心ください」と。

 

 戸田先生は、

 肺病を患っていた私のことを心配してくださった。

 「このままでは、三十歳まで生きられない」

 「大作が死んだら、おしまいだ」

 と涙を流されることもあった。

 厳しい先生であられたが、

 心は、慈愛に満ちあふれでいた。

 

 私は文字どおり「阿修羅のごとく」、

 全身全霊で戸田先生をお護りし、

 事業の打開に師子奮迅の戦いを続けた。

 そして、最も厳しい試練の冬を乗り越えて、

 戸田先生の第二代会長就任の

 「五月三日」を迎えたのである。

 

 「難は、

  まやかしの信仰者を淘汰し、

  師子をつくる

 戸田先生の忘れ難いご指導である。

 

 私が、戸田先生のもと、

 本部職員となったのは、

 昭和三十三年の三月一日のことである。

 戸田先生は私に言われた。

 「君の本部入りは、

  天の時だ。

  十年間、苦難の道を歩みゆけ!

  理事室に新風を入れよ!」

 そして、先生は、

 万年の学会の発展のために、

 私に後事の一切を託されたのである。

 

 私は今、心から願う。

 新時代のため、

 後継の新しい青年を見つけだしたい。

 立派な人材に鍛えあげたい、と。

 

 リーダーの皆さんは、

 どこまでも「会員第一」の道を貫いていただきたい。

 尊き同志の奮闘があるからこそ、

 学会は盤石であり、

 リーダーも指揮を執れるのである。

 

 戸田先生は

 「幹部のご機嫌をとってはいけない」と言われた。

 もしも、威張る幹部や、

 ずるがしこい幹部が出たならば、

 皆で率直に意見を言っていく。

 そうした建設的な気風を、

 いちだんと強めてまいりたい。

 

2006年3月29日「5・3」記念協議会

「異体同心」ですべての山を越えよ

 

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2021年12月20日

 

第1835回

苦難に打ち勝った人が勝利者

 

 ″人類の頭脳″アインシュタイン博士は、次のように述べている。

 「真に偉大な人間になる道は一つしかない。それは、何度も苦難にあうことである」(The New Quotable Einstein, Collected and edited by Alice Calaprice, Prinstion University Press)

 深い言葉だ。私も、この何十年問、中傷と迫害の連続であった。試練の連続であった。

 ルネサンスの巨人レオナルド・ダ・ヴインチは述べている。

 「純金は火によって精錬される」(『レオナルド・ダ・ヴインチの手記』上、杉浦明平訳、岩波文庫)

 「大なる苦悩なくしては、如何なる完成せる才能もあり得ない」(『レオナルド・ダ・ヴインチ』藤田赤二訳、『ヤスパース選集』4所収、思想社)

 苦悩なくしては、立派な才能も完成できない。立派な人間にはなれない――こう言うのである。

 この言葉どおりの人生を、

 牧口先生は歩まれた。

 戸田先生も、そうであった。

 そして私もまた、そうである。

 戸田先生から、徹底して厳しく鍛えられた。

 幾多の苦難を乗り越えてきた。

 

 だからこそ、学会は世界的になったのである。

 これまで、苦難を避ける、ずるい人間もいた。

 自分の利益しか考えない。

 そのくせ威張る。

 あげくは師匠さえも″飾り″にして利用する。

 それは全部、信心なき、陰謀の人間たちであった。

 

 難を乗り越えて、仏になれる。

 「難こそ誉れ」。これが仏法者である。

 その深き魂を忘れて、

 ″口先でうまく言っておけばいい″と要領に走り、

 格好だけつける

 ――そんな惰弱な学会をつくりたくない。

 否、断じてつくってはならない。

 

 ホール・ケインは、小説『永遠の都』のなかでつづっている。

 「苦しみを甘んじて受け、耐え忍んで強くなってきた人間こそ、この世でいちばん強い人間なのだ」(新庄哲夫訳、潮出版社)

 苦難に打ち勝った人が真の勝利者である。

 これが真実の学会の同志の姿である。

 ともあれ、学会には、

 ありとあらゆる試練と苦難を勝ち越えてきた金剛不壊の三代の「師弟」がある。

 この「師弟」があったから、

 広宣流布の土台ができた。

 異体同心の学会には、

 一千万の同志がいる。

 学会は強い。

 うれしいことだ。

 

 そして、世界百九十二カ国・地域の連帯がある。

 すごいことだ。

 この中にこそ、最高にして有意義な、

 「所願満足」の生命の軌道がある。

 これを壊されてはならない。

 

2006年3月9日

第五十八回本部幹部会

全国壮年部幹部会

第三回九州総会

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2021年12月19日

第1834回

苦難は

永遠の栄冠に変わる!

 

 

 スイスの哲学者ヒルティは述べている。

 「病気は、より高い人生の階段を登ってゆく通路にすぎない

 (『病める魂』斎藤栄治訳、『ヒルティ著作集』8所収、白水社)

 

 病と闘う友の全快を、

 妻とともに心から祈り、

 

 この言葉を贈りたい。

 

 人生には、

 必ず苦難の山があり、

 坂がある。

 全部、意味がある。

 妙法を唱え、

 師弟の道に生きぬくならば、

 すべての労苦は、

 永遠の栄冠に変わることを、

 どうか確信していただきたい。

 

2006年3月19日最高協議会

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2021年11月18日

第1789回

大聖人への迫害

 

権力者の恐れと警戒

 

 日蓮大聖人への迫害の要因には、民衆を第一義とする大哲理への、権力者の恐れと警戒があったにちがいない。そして、その権力者に、諸宗の僧が擦り寄り、結託して大聖人を亡き者にしようとした。折伏によって、自宗の教えの誤りを、完膚なきまでに破折されたことへの恐れと恨みからであった。

 宗教と権力との関わり方を見る時、その宗教の本質は明白となる。たとえば、当時の高僧・極楽寺良観は、見せかけの慈善事業で人びとの目を欺く一方、幕府の手厚い庇護を受けて利権をほしいままにし、主要街道に木戸を設けて通行料を取るなど、民衆の生活を圧迫していたのである。

 多くの宗教が権力の奴隷となっていくなかで、大聖人は一歩も退くことなく、果敢に国主への諫暁と、諸宗への折伏を続けられた。それゆえに、迫害は熾烈を極めた。学会は、その大聖人の民主の大哲理を掲げて、民衆のために戦い抜いてきた。そして、戦時中は、信教の自由を守り抜くために、国家神道を精神の支柱とする軍部政府の大弾圧を受け、牧口初代会長は獄中に逝いたのである。

 宗教は権力にくみするならば、結局は、権力の支配と管理の鎖に繋がれ、自立の道を断たれてしまう。そして、遂には、民衆の救済という宗教の本来の使命を捨て、魂を売り渡してしまうことになるのは、当然の理である。

 学会は永遠に民衆の側に立つ。ゆえに、これからも行く手には弾圧があろう。謀略の罠も待ち受けていよう。しかし、民衆の栄光のために師子王のごとく戦い、勝つことが、学会には宿命づけられているのだ。

 

<新・人間革命> 第2巻 民衆の旗 280頁~282頁

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2021年10月26日

最大の試練を越え希望の旭日を!

「第九の怒濤」(221×332センチ)。国立ロシア美術館蔵。1850年、画家アイヴァゾフスキー32歳の年の渾身の大傑作。海洋画の巨匠である彼は、60年にわたる画業の中で6000点以上の絵画を残している(©IanDagnall Computing / Alamy /amanaimages)

 芸術の秋企画「絵画は語る」。今回は19世紀ロシアの画家アイヴァゾフスキーの「第九の怒濤」です。古来、“嵐の波に周期があり、9番目に押し寄せる大波こそ最も恐ろしい”とする船乗りの言い伝えを踏まえ、苦難に打ち勝つ勇気が描かれています。

 

 「第九の怒濤」とは

 最も強大で

 最も峻厳とされる

 波浪のことである。

  

 だからこそ

 この最大の試練を

 耐え抜き

 乗り切ったならば

 大いなる活路が

 決然として

 開かれゆくのだ。

  

 そして

 まさに今が

 奮迅の力を振り絞って

 怒濤を乗り越えてゆく

 その瞬間なのだ。

  

 いよいよ最期か。

 いや

 生き抜くのだ!

 泳ぎ切るのだ!

  

 大波は観念しろと

 怒り狂うが

 この迫害に

 私は

 断じて降参せぬ!

  

 ここで

 泳ぎ切らなかったならば

 一生涯

 屈辱の波が

 自身の中に渦巻くからだ。

  

 荒波は高くなる。

 無限に高くなる。

 この波浪を乗り越え

 勝ちゆけば

 私は

 誰にも認められなくとも

 自分で自分を讃えゆく

 人生の大英雄と輝くのだ。

 

 「開目抄」には

 悪世末法にあって

 難の襲い来る様相を

 「波に波をたたみ」と

 仰せである。

  

 その波を

 一つまた一つ

 断固として

 堂々と

 勝ち越えてこそ

 広宣流布なのだ。

 

 見給え!

 無数の苦難と戦い

 疲れ果てた人々の

 彼方には

 人生の希望が満々とした

 旭日が輝き昇り

 大天空を

 照らし光らせている。

  

 熱い嬉し涙が

 込み上げる。

 そして

 悲しみを繫ぎ合わせた

 怒濤を

 貪り見つめる彼の目に

 豊かな

 永遠に変わらぬ

 緑の陸が見えた。

  

 彼は勝った!

 勝ったのだ!

 若き彼の胸に

 栄光の太陽が昇った。

  

 眺め終わって

 妻は

 私の顔を静かに見た。

 「あなたの人生と

  同じですね」

  

 「荒れ狂う

   怒濤に向かいて

    弛まぬは

   日の本 救う

     若人なりけり」

 十九歳のときの

 わが詩である。

  

 誰人たりとも

 人間は!

 人間は必ず!

 その人間の勇気には

 希望と平和の朝が

 待っているのだ!

  

 君よ

 再び決心して

 立ち上がれ!

 そこには必ず

 光の合図の

 勝利の太陽が

 待っているからだ!


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2021年7月9日

第1723回

 

苦難も誉れと青春勝利の舞を

「浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」

   

 一、今も鮮やかに蘇る光景があります。

 70年前の7月、学会常住の「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の御本尊を初めて掲げて行われた臨時総会の折、戸田先生は広布拡大にひときわ奮闘した一騎当千の代表を壇上に招かれました。そして、その老若男女を一人一人讃えつつ、言われたのです。

 「ここに並ばれた方々は、私が褒めるよりも先に、大聖人様がお褒めになっているに間違いありません。私は、この方々に何も差し上げられないが、大聖人様は、すごいご褒美をくださるでありましょうから、なんの心配もいたしません」「どうか、皆さん、この方々に拍手を送ろうではありませんか」と。

 今日も、戸田先生は牧口先生とご一緒に「よくやった。天晴れ」と、偉大な「信心の英雄」「民衆の英雄」である皆さん一人一人に拍手を送っておられることでありましょう。

 私も最大の感謝と讃嘆を込め、全同志に一書をお贈りしたい。〈壇上で紹介された〉

 「凱歌大道之誉」――わが誇り高き創価家族が一人ももれなく、未来永劫に生命の凱歌を轟かせながら、使命と栄光、健康と福運、歓喜と和楽の大道を胸を張って進みゆくことを祈り認めたものです。みな、本当にご苦労さま! みな、本当にありがとう!(大拍手)

 

竜の口法難750年

 一、今年は、文永8年(1271年)の9月12日、御本仏・日蓮大聖人が「竜の口の法難」を勝ち越えられてから満750年となります。

 大聖人が示してくださった「発迹顕本(迹を発いて本を顕す)」には、「日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか」(御書1113ページ)と仰せのように、一切の闇を打ち破る生命の究極の光で、一番大変な娑婆世界を仏国土・寂光土へと照らしゆく壮大なる意義があります。

 この御本仏にそのまま直結して、私たちは恐れなく現実社会の真っ只中で、「立正安国」の対話と行動を展開しております。

 労苦をいとわず、大闘争を起こすなかで、自他共に壁を破り、いかなる行き詰まりも乗り越えて、人間革命の大境涯を開き、今この時に戦う、この場所から、幸と平和の宝土を築き広げていくのが、私たちの「発迹顕本」なのであります。

 

学会精神の真髄

 一、ここで、結成70周年に目覚ましい前進を遂げ、友情と信頼の連帯を結び、混迷の時代に「正義の声」「希望の声」を響かせゆく本門の男女青年部に、記念として一対の書を贈りたい。

「去浅就深」「丈夫之心也」と認めた書が壇上で紹介された〉

 大聖人は、竜の口の法難に続く佐渡流罪の渦中、世界広宣流布を宣言された「顕仏未来記」に、伝教大師の一文を引用されました。

 「浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」(同509ページ)と。この学会精神の真髄を書き留めたものです。

 古今東西、有名無名を問わず、不滅の価値ある「人生の劇」を残した偉人たちに共通する一点は何か。

 それは、あえて困難に挑んで、より深き生き方を求め抜き、選び取り、貫き通す「丈夫の心」すなわち「勇気」にあるといっても、過言ではないでしょう。信心は、その最極の勇気にほかなりません。

 妙法の信仰とは、最も深い生命尊厳の哲理であり、広宣流布の誓願とは、最も深い平和と人道の貢献であります。そして、創価学会の団結とは、最も深い人間信頼の絆なのであります。

 日本さらに全世界の、わが男子部、わが女子部、わが学生部、わが未来部の皆さん、試練も苦難も全て誉れとする師弟不二の「丈夫の心」で、いよいよ朗らかに「青春勝利の舞」を舞い、若き地涌の英知と力を糾合して、地球民族の新たな価値創造の10年を明るくたくましく牽引していってください。

 一、大聖人は、池上兄弟を烈々と激励されました。

 「がうじやう(強盛)にはがみ(切歯)をしてたゆ(弛)む心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにて・うちふ(振)るま(舞)い・いゐしがごとく・すこしも・をづ(畏)る心なかれ」(同1084ページ)と。

 慈折広宣流布の不思議なる「時」のリズムに呼応して、民衆の幸福と社会の安穏、そして人類の平和のために、大聖人と一体の久遠元初の生命を一人一人が輝かせながら、異体同心の大団結で今再び「常勝凱歌の太陽」を、王者赫々と勝ち昇らせゆくことを共々に決意し合って、メッセージとします(大拍手)。

 

2021年7月8日

本部幹部会・青年部総会への池田先生のメッセージ

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2020年5月17日

第1668回

嵐の時こそ師とともに

 

「猛然たる祈り」と「勇気の師子吼」で邪悪を打ち砕け>

 

 広布の途上には、必ず難がある。法華経に、御書に仰せのとおりだ。

 昭和三十二年(一九五七年)の「大阪事件」も、そうであった。私は、まったくの事実無根の容疑で投獄された。法廷で四年半、戦いぬき、師弟の勝利を満天下に示した。

 その間、責任ある立場にもかかわらず、卑劣にも、裁判のゆくえは分からないなどとうそぶいた、臆病な人間もいた。いざという時に、その人の真価が分かる。

 昭和五十四年(一九七九年)四月二十四日。私が会長を辞任した時、驚きと怒りに燃えて、駆けつけた同志がいた。

 「先生、会長を辞めないでください!」

 「どうして辞められるのですか!」

 「だれが辞めさせたのですか!」――その真剣な紅涙したたる叫びを、私は生涯、忘れることはできない。

 嵐のときこそ、師とともに殉じていこう! それこそ、真の弟子の道である。そこに魂の劇が光っていくものだ。

 正義なるがゆえに迫害される。これが歴史の常であった。人権の世紀、真の民主主義を築くためには、民衆が、もっと強く、もっと賢明にならなければならない。

 

 私がお会いした、南米チリの哲人政治家エイルウィン大統領は、こう語っていた。

 「権力には『倫理』が伴う必要があります。権力は人々を『善』に近づけるためにあります。『悪』に近づけるためではありません

 そのとおりだ。軍事独裁を倒し、民主化を成し遂げた大統領ならではの警句である。

 大統領が師と仰ぐ、フランスの哲学者ジャック・マリタンは言う。

 「善い政治の第一の政治的要件として、政治が正義にかなうものでなければならない、ということは真理である」(『人間と国家』久保正幡・稲垣良典訳、創文社)

 正義といい、倫理といい、善といい、要するに「深い精神性」がなければ、よき指導者にはなれない。権力欲に毒され、堕落してしまう。もう、そこには、信念も、理想もない。良識のかけらもない。本来、指導者は民衆に尽くすためにいるのだ。

 それに反して、自己の名声や一家の栄華のみを追いかけ、尊い同志を小バカにし、最後には裏切る。そういう非道な忘思の人間は、絶対に許してはならない

 民衆をじゅうりんする者とは断固、戦いぬく。それが創価の三代の会長の魂である。

 「悪は悪」だと叫びきる。全知全能を注いで、民衆を守りぬく。気迫みなぎる智勇の人こそ、真の仏弟子である。「猛然たる祈り」と「勇気の師子吼」で邪悪を打ち砕くのだ

 

2006.4.5 「5・3」記念最高協議会

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2020年2月25日

第1644回

なぜ次から次へ、

三災七難が打ち続くのか?

 

<大聖人(創価学会)に

前代未聞の大瞋恚を起こしているから>

 

正法の人を憎む故に三災七難が

 御書の「治病大小権実違目」に、こう仰せである。
 「此の三十余年の三災・七難等は一向に他事を雑えず日本・一同に日蓮をあだみて国国・郡郡・郷郷・村村・人ごとに上一人より下万民にいたるまで前代未聞の大瞋恚しんにを起せり(中略)結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし
 ──この三十数年間の三災・七難等の原因は全く他のことではない。日本一同に日蓮をあだみ、国ごと、郡ごと、郷ごと、村ごと、人ごとに、上一人より下万民にいたるまで(大聖人に対して)前代未聞の大瞋恚(怒り、うらみ)を起こしているからである。(中略)結局は、勝負を決する以外に、この災難を止めることはできない──。
 自然の災害、悪賊による騒乱、また内乱、他国からの攻撃、飢饉など深刻な経済の不況、身の病・心の病の蔓延など……。なぜ次から次へ、三災七難が打ち続くのか?
 その根本原因が、この御文に明快に示されている。そして、この苦悩の流転を止めんがために、大聖人は、権威・権力の魔性と戦い、三類の強敵に真っ向から挑まれたのである。
 この正義の大闘争こそが広宣流布である。

 時代の混迷を目の当たりにしながら、何もせず、ただ傍観している──それほど無責任な、卑怯なことはない。
 今、創価学会が立ち上がり、全力で、誠実に行動している。これこそ大聖人の御心に適っていると確信する。
 「仏法は勝負」である。ひとたび戦いを開始したからには、断じて負けるわけにはいかない。師子として仏敵を打ち破り、勝ち抜いていく以外ない。すべては、ただ民衆の安穏のためである。

 

「幸福の種をまく人」

 

 ここで、大聖人が婦人門下の妙法尼に送られた「法華初心成仏抄」の一節を拝したい。
 この御書でも「女人成仏」の法理が明快に示されている。
 ご存じのように、法華経以前の仏典や仏教以外の多くの教えでは、女性は不当に差別されてきた。しかし、大聖人は、女性が「やすやすと仏になるべし」──やすやすと仏になれる──と高らかに宣言なされている。
 この一点から見ても、日蓮大聖人の仏法こそ、女性の時代たる二十一世紀をリードしゆく「平等」と「調和」の哲理なのである。
 大聖人は、妙法尼に、こう語りかけておられる。
 「とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり、何にとしても仏の種は法華経より外になきなり
 ──とにもかくにも法華経を、あえて説き聞かせるべきである。(それを聞いて)信ずる人は仏になる。謗る者も、それが″毒鼓の縁″となって仏になるのである。どちらにしても仏の種は法華経よりほかにはないのである──。
 (「毒鼓の縁」とは、毒薬を塗った太鼓(毒鼓)の音を聞けば、聞くつもりがなくても死に至るとされていることから、不信の者でも正法を「聞く」ことによって成仏に至ることを譬えたもの)

 皆さまが勇気をもって、仏法を語れば語るほど、人々の心の奥に、最高の「幸福の種」をまくことができる。たとえ、今は相手が反対したとしても、必ず花開く時が来る。
 なかんずく、婦人部の確信の弁舌は、観念論ではない。言葉だけの空まわりでもない。強き一念、深き体験より発する、我が婦人部の一言一言には、人々の心を打つ響きがあり、心を動かしていく力がある。
 皆さまが祈り、しゃべった分、仏縁を結び、広宣流布のすそ野は広がっていく。
 ところで、大聖人は御書のさまざまなことろで、よき僧侶の条件を明確に挙げておられる。
 すなわち、(1)これといった世間的な罪がない(2)権力などに、いささかもへつらわない(3)少欲知足(4)慈悲がある(5)経文の通りに法華経を読み持つ(自ら修行する)(6)人にも勧めて法華経を持たせる(布教する)──である。
 この基準に、ことごとく違背しているのが、日顕宗の悪僧なのである。
 (1)世間的な罪、反社会的な行為(2)権力に迎合(3)貪欲(4)無慈悲(5)修行しない(6)布教しない。
 ゆえに、御聖訓に照らして、厳然たる仏罰、なかんずく冥罰みょうばち(すぐに表面には出ないが、後々に必ずあらわれる罰)は絶対にまぬかれない。

 

一切衆生の仏性を妙法の一音が呼び顕す

 

 大聖人は、この御書の結びにこう仰せである。
 「一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔・法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり
 ──ひとたび妙法華経と唱えれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵天・帝釈・閻魔法王・太陽と月・星々・天神・地神ないし地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天界という一切衆生の心の中の仏性を、ただ一声で呼びあらわせる、その功徳は無量無辺である──。
 妙法の音声に、どれほどの力が秘められていることか。
 それは、全宇宙のあらゆる衆生が具えている尊極の仏性を呼び覚ましていく。ゆえにすべてを仏天の加護に変え、味方へと転じられるのである。
 功徳の「功」とは、「悪を滅する」こと。功徳の「徳」とは、「善を生ずる」ことである。
 学会の正義が、このように堂々と証明されゆくのも、学会員なかんずく婦人部の皆さまの懸命な祈りと戦いの功徳なのである。
 皆さま方の大闘争に呼応して、今、諸天善神もグングン勢いを増し、働いている。
 さらに朗々と、妙法を世界へ宇宙へ響かせながら、人々の心に「希望の種」をまく一日一日でありたい。

 

1995.10.8 滋賀県最高協議会

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2019年8月5日

第1618回
苦難がなければ充実はない。
充実がなければ幸福ではない。

 

<悩みに負けない生命力を>

 
 人生の目的は何か。
 「勝利者」になること、
 「幸福」になることだ。
 では「幸福」とは何か。
 その中身は「充実」である。
 では「充実」とは何か。
 「苦難」と戦うことだ。
 苦難がなければ充実はない。
 充実がなければ幸福ではない。
 何の苦労もない幸福など、
 どこにもない。

 

 信心したからといって、
 悩みの「汚泥」が
 なくなるわけではない。
 「悩みに負けない生命力」が出る
 ということだ。
 むしろ、
 悩みをいっぱいもっていくことだ。
 それらの悩みに
 どれだけ挑戦できるかを
 楽しみにできるような
 境涯になることである。

 

 大いなる境涯の人は幸福である。
 広々とした心で、
 毎日を生きぬいていける。
 強き境涯の人は幸せである。
 苦しみにも負けることなく、
 悠々と一生を楽しんでいける。
 清らかな境涯の人は幸せである。
 その人のまわりには、
 常に爽やかな喜びが広がっていく。

 

 希望に満ちて、
 自己の課題に
 挑戦している人は強い。
 どんな困難に直面しても、
 希望を失わないことだ。
 希望の火が消えない限り、
 やがて、いかなる闇をも
 燃やし尽くすことができる。
 いのちある限り、希望はあり、
 希望ある限り、道は開ける。
 その強靱な
 “希望の一念”を育む根源の力が、
 信仰なのである。
 信仰こそ“永遠の希望”である。

 

池田大作先生 四季の励まし  2019年8月4日

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2018年11月23日

第1560回
正しいからこそ、悪口罵詈される

 

<人間社会の実相>


 ともあれ、悪い社会であるがゆえに、卑劣な人間も多くいる。これが、世間の日常であり、あらゆる世界が、嫉妬と反感の、醜悪な現実であることは、皆さまもご存じのとおりである。
 人の口に、戸は立てられない。たとえ、愚劣な中傷批判をされても、毅然たる態度で動ぜず、堂々と生き、戦いぬいていくことだ。それが、信仰の証であり、人格者の姿勢である。
 とともに、仏敵は必ず倒してみせるという勇敢なる祈りがなければならない。
 きょう八月二十八日は、ゲーテの誕生日である。(一七四九年生まれ※)
ゲーテは言う。「私が愚かだと、それには誰も異議を唱えぬ。私が正しいと、彼らは非難しようとする」(「真実に生きる――ゲーテの言葉2」関泰祐訳、社会思想社)
 正しいからこそ、悪口罵詈される。これが、人間社会の実相である。

 

※明年(2019年)はゲーテ誕生270年。

 

2001年8月28日 群馬最高協議会

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2018年10月26日

第1546回

ジェーン・アダムス
正義が確立・安定するまで

止まってはならない

 

<克服できない困難はない>

 

 デューイ博士が、心から敬愛し、ともに行動し、大きな啓発を受けてきた一人の女性がおります。その人は、貴・研究センターのあるイリノイ州の出身で、アメリカで女性初のノーベル賞に輝いたジェーン・アダムズ先生であります。(社会福祉事業家・平和運動家。一九三一年、ノーベル平和賞受賞)
 彼女こそ、「アメリカの女傑」と呼ばれた、人道と平和の女性闘士であります。(中略)
 アダムズ先生は、地域に根を張って、もっとも苦しみ、悩む庶民の友となり、そして、自分のことしか考えない政治家と戦いながら、女性の参政権を勝ち取った。さらに、だれもがあきらめていた「民衆のための改革」を見事に成し遂げました。
 「女性の力」は偉大であります。彼女は、こう語っております。
 「この事業は、(中略)常に自分たちの足で歩いたのである。困難はもちろんあったが、どれ一つとして克服できないものはなかった」(『ハル・ハウスの20年』市川房枝記念会・縫田ゼミナール訳、市川房枝記念会出版部)
 「自分たちの足で」――何の報酬も、見返りも求めずに、ひたすら、平和のために歩く皆さまと同じである。
 そしてさらに彼女は言う。「正義を確立するためにいかに時間がかかろうとも、また、そのためにいかに困難な道を歩もうとも、正義が安定するまで止まってはならない」(『ハル・ハウスの20年』柴田善守訳、岩崎学術出版社)と。仏法の「勇猛精進」にも通じる、立派な姿であります。(中略)
 「進まざるは退転」であります。眼前の自分の使命のために勝つことです。断固として勝つことです。「生きる」とは、「戦う」ことです。動物も、植物も、すべて、戦っています。
 民主主義も、戦って、戦って、勝ち取るものであります。その断固たる勝利によって、自分自身の生命が、また、自分に連なる一族・眷属が、永遠に成長し、永遠に勝ち栄えていく、厳たる因を刻むことができるのであります。
 デューイ博士は、八十歳のとき、こう語りました。
 「私の人生哲学は本質的には単純な言葉だが辛抱強く頑張るところにある」(G・ダイキューゼン『ジョン・デューイの生涯と思想』三浦典郎・石田理訳、清水弘文堂)
 「辛抱強く」――これが人生の勝利の根本です。辛抱強い人間には、だれ人も、かなわない。「辛抱強さ」は最高の武器です。
 これまで学会は、数々の難にあいながら、すべて乗り越えてきた。いかなる権力の策謀をもってしても倒せなかった。学会は、「辛抱」と「忍耐」で勝利してきたのです。

 

 2001年6月6日 アメリカ・デューイ研究センター人間教育貢献賞授賞式、関東婦人部代表幹部会、「6・30」結成記念の学生部大会

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2018年10月25日

第1543回

困難よ来れ!

大闘争に大福運が

 

<「戦う心」難即安楽>


 御書では、「法華経の行者」は「求羅」という虫に譬えられている。
 「求羅」は、その身はきわめて小さいが、風を受けると、それを食べて非常に大きくなり、一切を飲み込む。想像上の虫とされる。決して、グラグラしている酔っぱらいのことではない。(爆笑)
 大聖人は「大風吹けば求羅は倍増するなり」と仰せである。有名な御書である。
 日々、御書を拝することだ。多忙であっても、もう一度、挑戦していただきたい。御書にふれれば、わが生命が大きく変わる。人生勝利の大確信がわく。
 さて、この「求羅」を倍増させる「大風」とは、いったい何か。それは、「大難」であると、大聖人は明快に示されている。
 法華経の行者は、大難との大闘争があるほど、ますます生命力が増し、福運が増し、勢いが増す。一切を人間革命へのエネルギーにして、変毒為薬しながら、自分を大きくしていける。大境涯を開いていける。だからこそ大聖人は、″いかなる苦難があろうと、いよいよ喜び勇んで戦いぬきなさい″″難が来たら安楽と思え″と仰せなのである。
 「広宣流布へ戦う心」があれば、仏になれる。いくら信心をしていても、「戦う心」がなければ、仏になれない。臆病は畜生の生命である。
学会は、「戦う心」で走ってきた。だから、世界に発展した。「戦う心」――これが、わが創価学会の真髄であり、仏法の魂であると宣言したい。

 

  2001年6月27日第七回本部幹部会、第二回全国青年部幹部会、第一回中部総会・静岡総会、第六回関西青年部総会、第一回全国学生部幹部会

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2017年3月1日

波浪は障害にあうごとに、

その頑固の度を増す

 

 四月二十四日の夜更け、山本伸一は日記帳を開いた。この一日の出来事が、次々に頭に浮かび、万感の思いが込み上げてくる。
 “本来ならば、二十一世紀への新たな希望の出発となるべき日が、あまりにも暗い一日となってしまった。県長会の参加者も皆、沈痛な表情であった……”
 彼は、今日の日を永遠にとどめなければならないと、ペンを走らせた。
 日記を書き終えた時、“ともかく人生ドラマの第二幕が、今開いたのだ! 波瀾万丈の大勝利劇が、いよいよ始まるのだ!”と思った。そして、自分に言い聞かせた。
 “荒波がなんだ! 私は師子だ。広宣流布の大指導者・戸田先生の直弟子だ。
 新しい青年たちを育て、もう一度、新たな決意で、永遠不滅の創価学会をつくろう!”
 闘魂が生命の底から、沸々とたぎり立つのを覚えた。若き日から座右の銘としてきた一つの言葉が、彼の脳裏を貫いた。
 ――「波浪は障害にあうごとに、その頑固の度を増す
 この夜、各地で緊急の会合が開かれ、伸一の会長勇退と新体制の発足が伝えられた。
 関西では、登壇した幹部が、かつて戸田城聖が理事長を辞任した折、伸一が戸田に贈った和歌を読み上げ、声を大にして叫んだ。
 「『古の 奇しき縁に 仕へしを 人は変れど われは変らじ』――この和歌のごとく、たとえ山本先生が会長を辞めても、関西の私たちの師匠は、永遠に山本先生です」
 すると皆が、「そうだ!」と拳を突き上げたのである。
 また、テレビ、ラジオは夜のニュースで、会長勇退の記者会見の様子を伝えた。
 学会員の衝撃は、あまりにも大きかった。
 しかし、同志の多くは自らを鼓舞した。
 “勇退は山本先生が決められたことだ。深い大きな意味があるにちがいない。今こそ広布に走り抜き、先生にご安心していただくのが真の弟子ではないか!”
 皆の心に、師は厳としていたのである。

 

〈小説「新・人間革命」〉 大山 四十九   2017年3月1日

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2017年1月25日

広布を破壊する、

提婆のごとき増上慢の人間とは、

断じて永遠に戦い抜け!

 

仏法は厳しい

 

 『南無妙法蓮華経と唱えるに日蓮の一門は、一同に「皆、共に宝処に至る」のである。この『共』の一字は、日蓮と「共」に進む時は必ず宝処に至る。「共」に進まないならば阿鼻大城(無間地獄)に堕ちるということである』(御書734頁、通解)

 わが師と共に――この一念で、広宣流布へ進む人は、すでに胸中で勝っているのだ。

 仏法は厳しい。

 大難が襲いかかってきた時に、師匠の恩を忘れ、裏切るならば、峻厳な報いを受ける。

 反対に、広布の師弟共戦は、晴れ晴れとした、永遠の幸福勝利の道なのである。

 戸田先生は厳しく言われていた。

 「師匠を師匠として認識できないような、失敗の人生にだけはなるな!

 この恩師の叫びを、未来を担うリーダーは、深く魂に刻みつけていただきたい。

 真の信仰者には、“難こそ誉れ”である。

 仏法は、いかなる宿命をも転換できる、幸福の大法である。生命を根底から変革する力がある。民衆のための仏法である。

 ゆえに、人々を意のままに操り、欲望を恣にしようとする「権力の魔性」からは、激しい反発を受ける。

 正義の人が立てば、それを妬む邪悪な人間が出る。御書に『仏と提婆とは身と影のごとし』(230頁)と仰せの通り、釈尊の時代には提婆達多がいた。

 麗しい和合を壊し、尊き仏子を苦しめ、五逆罪を犯した。最後は無間地獄に堕ちた。

 提婆達多は、教団の実力者であった。釈尊の声望を妬み、追い落とそうと、陰謀をめぐらしたのである。

 広宣流布を阻む最大の仏敵は、教団の外ではなく、中に現れる。邪宗門と結託した反逆者も、そうであった。

 日蓮大聖人は、提婆達多は『虚言』『虚誑罪』『大妄語』であると指弾され、『妬む心が深く』(御書1349頁、通解)、『名聞名利が深い』(同1348頁、通解)と喝破されている。

 広布を破壊する、提婆のごとき増上慢の人間とは、断じて永遠に戦い抜くのだ。

 イギリスの哲学者、J・S・ミルは「だれが責任をとるのかを、だれも知らないときには、責任は存在しない」と論じている。

 万事において、責任を明確にして前進していくことだ。

 誰かがやるだろう――そんな無責任で、臆病な人間になってはならない。

 民衆がいじめられ、正義が踏みにじられているのに、何も言わない。叫ばない――そんな卑怯な人間に、絶対なってはならない。

 

2009年4月14日 全国代表協議会

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2017年1月7日

何が競い起ころうが

学会と共に

広宣流布に生きて欲しい!

 

 山本伸一は思った。
 “ここに集った方々は、日蓮大聖人の太陽の仏法をもって、アジアの大地を照らし、幸福の光を送りゆく崇高な使命の人である。一人ひとりの行動と成長が、国や地域の広宣流布を決定づけていくことになる。それだけに、皆がさらに力を培い、一騎当千の知勇兼備の闘将に育ってほしい
 彼の声に、自然に力がこもっていった。
 「私たちは、信心の世界に生きています。したがって、御本尊根本に、信心第一に団結していかなくてはならない。しかし、それぞれの感情が中心になってしまえば、怨嫉や争いが生じていく。それは己心の魔に翻弄され、仏法から外れた姿です。団結していくことは、その己心の魔との闘争であり、異体同心の成就は、皆が自分を制し、魔を打ち破った、人間革命の証といえます。
 リーダーの皆さんは、広い心でメンバーを愛し、社会を大切にし、自分の国を愛していただきたい。広宣流布の姿とは、日蓮大聖人の仏法という最高の法理に生きる皆さんが、その国の“精神の柱”“信頼の柱”“良心の柱”となっていくことでもあります。
 広布の途上には、必ず幾つもの大難があります。学会への誤解や無認識などによる迫害や弾圧もあるかもしれない。退転者らによる裏切りや組織の攪乱もあるかもしれない。第六天の魔王は、全く予期せぬかたちで、広宣流布の破壊を狙ってきます。
 だが、何が競い起ころうが、御本尊を信じて、仏意仏勅の団体である学会と共に、広宣流布に生き抜いていただきたい。大試練に打ち勝ってこそ、大功徳に浴し、崩れざる幸福の基盤を築くことができる。また、その時にそれぞれの国・地域の大飛躍もあります
 信心とは勇気です。師子王の心で、敢然と前進していってください。太陽の仏法を、太陽のごとく燃え盛る信心で語り抜き、世界広布の先駆の道を開いていただくことをお願いし、あいさつといたします」
 祈りにも似た、伸一の魂の叫びであった。

 

 2017年1月6日 小説新・人間革命 大山 四

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2017年1月13日~15日

難を乗り越える信心

(7)

 

<「私は勝った!」「私たちは勝った!」>

 

「オーバーカム」、

乗り越えるために生まれてきたのです。

  

 さまざまな悩みを抱えている人もいるでしょう。しかし、戸田先生は、よく「宿命と戦っている自分の姿を、そのまま見せていけばよい」と、語られていました。
 大震災の被災地にも、信心への大確信がびくともしない多宝の賢者が大勢、活躍されています。「負げでたまっか」という不屈の信心の輝きが、一家眷属、周りの人々、さらには地域をも照らしてきたのです。
 苦難によって、自らの仏の生命が顕現されていく、大難を受けるほど、仏界の生命が輝きわたる。そういう自分を確立することが、一生成仏の道です。
 真の人間性の練磨は、難を乗り越える信心のなかにある。今、東北の皆さまは、その厳たる姿を日本中、世界中の同志に示してくださっています。
 60年前、私が愛する関西で、新たな民衆運動の大波を起こしていた頃、太平洋の彼方、アメリカの地でも、正義と人道の旗を掲げて、無名の民衆が陸続と立ち上がりました。人種差別と戦う人権闘争「バス・ボイコット運動」です。
 その戦端を開く勇気の声を上げたのは、後に私たちが交友を結んだ「アメリカの人権の母」ローザ・パークスさんです。
 やがて自由と平等の権利を求める公民権運動が全米に広がる中、皆の勇気を鼓舞した有名な歌が「ウィ・シャル・オーバーカム」です。「オーバーカム」とは、困難や試練を乗り越える、打開するとの意です。
 パークスさんのお母様は「人間は苦しみに甘んじなければならない――そんな法律はないんだよ!」と、愛娘に教えたといいます。
 その通りです。悩むために生まれてきたのではありません「オーバーカム」、すなわち乗り越えるために生まれてきたのです。
 いわんや、私たちには偉大な妙法がある。そして、人類の幸福のために、一人また一人と、平等大慧の仏法を弘めています。世界広布の使命に生きゆく私たちは、御聖訓に照らし、いかなる苦難にも断じて負けるわけがありません。
 難に直面しても、信心が破られない人は、仏の眼で見れば、「難即安楽」で、もう乗り越えているのです。仏法は勝負であるゆえに、信心を貫いていけば、必ず現実の一切を乗り越えていけるのです。
 法華経の安楽行品には、『遊行するに畏れ無きこと、師子王の如く、智慧の光明は、日の照らすが如くならん』(法華経447頁)――妙法を実践する人が、恐れなく活躍することは師子王のようであり、その智慧の光明は、太陽のようであろう――と説かれています。
 広布の師弟に生き抜く人は、一人残らず師子王です。人生を恐れなく楽しみ切っていける。社会を、世界を、希望の智慧で照らしていけるのです。
 正しき信仰とは、永遠の「勇気の翼」であり、「幸福の翼」であり、「勝利の翼」です。
 苦難の烈風があればあるほど、喜び挑んで悠々と飛躍し、境涯をどこまでも高めていけるのです。
 さあ、胸を張り、頭を上げて、不撓不屈の誉れの「創価の翼」で、常勝の空へ晴れ晴れと舞いゆこうではありませんか!
 難を乗り越えて、「私は勝った!」「私たちは勝った!」と、見事なる凱歌の人生を飾っていこう! 皆の勝利の報告に、恩師がほほ笑んでいます。

 

 大白蓮華2016年3月号№797 難を乗り越える信心―師子王の心で挑みゆけ 35頁~45頁

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2017年1月12日

難を乗り越える信心

(6)

 

<『仏になる道は必ず身命をすつるほどの事あり』>

 

大聖人と同じ最極の生命を涌現

 

 『本より学文し候し事は仏教をきはめて仏になり恩ある人をも・たすけんと思ふ、仏になる道は必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめと・をしはからる、既に経文のごとく悪口・罵詈・刀杖・瓦礫・数数見擯出と説かれてかかるめに値い候こそ法華経をよむにて候らめと、いよいよ信心もおこり後生もたのもしく候、死して候はば必ず各各をも・たすけたてまつるべし』(佐渡御勘気抄、891頁)
 この「佐渡御勘気抄」は、佐渡に向かわれる直前に著された一書です。門下の不信や不安が渦巻いている時でもありました。
 そうした中で大聖人は、厳然と『仏になる道は必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめ』と仰せです。
 大難の中でこそ、仏の生命を現していくことができる。小さな自分の殻を打ち破り、内なる妙法と一体の大我の生命となるのです。ゆえに題目を唱え抜き、「師子王の心」を取り出だして、難と格闘することです。
 人間は、運命を嘆き、宿命に翻弄され、苦しむだけの存在ではない。難を乗り越えて、自他共の幸福を勝ち開く。その力を無限に解き放つための哲理が妙法です。そのための信心です。この境涯革命、人間革命を成し遂げるには、不惜身命の実践が欠かせないのです。
 「開目抄」にも『我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし』(開目抄、234頁)と仰せです。
 いかなる難に直面しても、疑いを起こさず、敢然と信心を貫き通していけば、必ず仏界の生命が涌現できる。
 大事なことは、「まことの時」に、師の言葉を忘れず、ひとたび決めた師弟の道を、同志と共に、断固進み抜いていく信心です。
 本抄に『法華経をよむにて候らめ』と仰せの通り、佐渡流罪などの諸難は、大聖人が法華経の行者の証しであると仰せです。
 現実に仏の未来記である法華経を身読しているのは誰かのか。本当に民衆救済に立ち上がり、戦っているのは誰なのか。大聖人しかいないとの烈々たる宣言です。
 続いて『いよいよ信心もおこり後生もたのもしく候』と綴られています。
 恩師は、力強く訴えられました。
 「牧口先生が幾たびとなく弟子に語った、この言葉を断じて忘れてはならない。『悪口罵詈、猶多怨嫉の難は法華経の実践者の誉れなのである』と
 地域のため、社会のため、世界の平和のために、誰が本気になって尽くしているのか。それは、学会員です。
 私たちは、無理解や偏見などから圧迫を受けたとしても、すべては法華経の行者の誉れと愉快に堂々と前進していけばいいのです。
 『石に金を・かふるにあらずや』(佐渡御勘気抄、891頁)です。
 苦難を乗り越えて、信心を貫き、広宣流布に生き抜く人は、凡夫の身のままで、胸中に大聖人と同じ最極の生命を涌現することができる。戦えば戦うほど、自分自身の仏の力が引き出せる。信心は、その秘術です。
(つづく)

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2017年1月11日

難を乗り越える信心

(5)

 

<正義の大逆転劇>

 

 多くの人の成仏の道を開く大闘争だからこそ、想像もしない難が押し寄せてくるのです。
 第六天の魔王の命令を受けた一切の障魔が、それぞれの能力にしたがって法華経の行者を悩まします。それが十軍の働きです。その人自身の心を破ろうとします。
 それでも駄目なら、いろんな人の身に入って、つまり、最も身近な父母、きょうだいをはじめ、ついには社会的に地位ある人など、強く影響力を持つ人まで使って、諌めたり、脅したり、退転させようとします。
 最後には、第六天の魔王が自ら、権力者の身に入り代わるなどして、信心を破壊させようとする。本来あり得ないと思われる転倒した事態や意表を突く状況を生じさせ、信心を攪乱し、団結を崩壊させる。そこに第六天の魔王の狙いがあるのです。
 しかし、第六天の魔王といっても、その本質は、生命に潜む元品の無明が、魔の働きとなって現れてきたものです。
 自身の境涯を広げようとするから、止めようとする力が働く、船が進めば波が起こり、走れば風圧が生ずるように、人間革命の道を進みゆく人々に、信心への不信、疑念を抱かせようとするのが、魔の本質なのです。
 決して、自分の信心が弱いから、また、自分の信心の姿勢が悪いから難が起こってくるわけではないのです。
 大聖人は、『退転せじと願じぬ』(200頁)、『ちかいし願やぶるべからず』(232頁)と宣言され、大難を勝ち越えて末法万年にわたる万人成仏の道を開いてくださいました。広宣流布に進むがゆえの大難です。したがって、大聖人門下は、いかなる障魔が競い起ころうとも、不退の信心で広布の誓願に徹することが大事なのです。
 法華経の眼から見れば、難と戦う私たちは、正義の大逆転劇を演じています。「何があっても楽しく生き抜く」という大歓喜の劇を演じています。その痛快なる勝利劇で、広宣流布を遂行していく使命を担っているのです。
 広宣流布は、「第六天の魔王」の支配から、この世界を取り戻し、「仏国土」として輝かせていく建設にほかなりません。熾烈な真剣勝負です。自他共の幸福を願う「仏」の軍勢と、それを妨げようとする「魔」の勢力との大闘争です。
 私たちは、この大闘争の主人公であり、未来永劫の世界広布の道を開く、先駆者です。
(つづく)

 

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2017年1月10日

難を乗り越える信心

(4)

 

<難は、民衆を救うために、

自ら願って受けた難となる。
使命を果たすために難はある。>

 

 『各各ののうのうに随つて・かの行者をなやましてみよ・それに・かなわずば・かれが弟子だんな並に国土の人の心の内に入りかわりて・あるひはいさめ或はをどしてみよ・それに叶はずば我みづから・うちくだりて国主の身心に入りかわりて・をどして見むに・いかでか・とどめざるべきとせんぎし候なり』(三沢抄、1487頁)
 続いて、難の正体を明快に喝破された「三沢抄」の一節を拝します。
 正しい仏法を実践しているからこそ、修行を阻もうとする障魔が、紛然と競い起こるということです。
 本抄では、三障四魔の中でも天子魔、つまり第六天の魔王を、最も恐れるべきものとして示されています。
 この御文の直前では、凡夫が正しい仏法の理解を深め、実践に励んで、いよいよ仏になろうとする状態になった時、第六天の魔王が驚いて語る言葉が記されています。
 「ああ、とんでもなことだ。この者がこの国にいるなら、彼自身が生死の苦悩の世界から離れ出ることはさておいて、その一方で人をもその境地へ導くだろう。さらにはこの国土を奪い取って、わが領土を浄土としてしまう。どうしたらよいだろう」――。
 第六天の魔王は、人間が成長を遂げて、「他の人にも仏の境涯を得る道を開くこと」「仏国土を築くこと」を恐れるのです。
 言い換えれば、法華経による成仏とは、一人だけの成仏で終わらない、ということです。また、涅槃などの静穏な境地を求めるのではなく、この娑婆世界で戦い続けることが真の成仏の姿です。しがって、第六天の魔王は、民衆が正法に目覚めて立ち上がることを阻もうとするのです。
 法華経の行者にとって、勝利とは、自分だけにとどまりません。悩める友、さらには、未来の友の勝利の大道を限りなく切り開いていく、尊き挑戦なのです。
 戸田先生は、「大聖人の仏法は、逆境にある人が、幸せになる宗教なのだ。苦難にあった人ほど、それを乗り越えた時、すごい力が出るのだ。その人こそが、本当に不幸な人々の味方になれるのだよ」と語られました。
 地涌の使命を自覚すれば、偉大な力が出る。難は、民衆を救うために、自ら願って受けた難となる。そして、それを乗り越えることで、人々を救うという願いを果たすことができる。使命を果たすために難はあるのです
 「なぜ自分が」という嘆きから、「だからこそ自分が」という誇りへ、難に対する姿勢の大転換を教えられているのです。
 (つづく)

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2017年1月4日

難を乗り越える信心

(3)

 

<難即安楽>

 

「難を乗り越える信心」とは、
「難を乗り越える祈り」であり、
「難を乗り越える唱題」である。


御義口伝に云く妙法蓮華経を安楽に行ぜむ事末法に於て今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり』(御義口伝巻上、750頁)
 ここで拝する「御義口伝」は、安楽行品についての一節です。
 真の安楽とは、苦難と戦う中にこそにあるという「難即安楽」の法理を示されています。
 「難」には、まず、正しい信仰ゆえに、三類の強敵から迫害を受けるという法難の次元があります。また、自身の仏の境涯を開くために、人生に生ずる困難や宿命とあえて戦うという次元があります。いずれにしても、信仰を破壊する三障四魔に打ち勝ってこそ、一生成仏も広宣流布も、成就するのです。
 では「安楽」とは、どのようなことを言うのでしょうか。
 天台大師は「安楽」の字義について、「安」とは「不動」、「楽」とは「心に憂悩無き」ことであると示しています。
 つまり、「安」とは、何があっても揺るがない信心であり、「楽」とは、何があっても憂いなく生き抜いていける信心です。
 戸田先生は、「試練の山を一つ切り抜けるたびに、成仏という、崩れることのできない境涯となっていくのである」と、一つ一つ、乗り越えていくことの大切さを教えられました。
 「一つ一つ」です。信心が深まるのを待って、それから難に向かうのではありません。
 難に向かっていく中で生命が磨かれ、金剛の信心が鍛え上げられるのです。『剣なんどは大火に入るれども暫くはとけず是きたへる故なり』(1169頁)と仰せの通りです。
 ゆえに、どんな悩みも、そのまま御本尊に祈っていけばいい。悩みを祈りに変えて、題目を唱えれば、わが生命に、勇気がみなぎり、希望が輝き始めるではありませんか。
 「難を乗り越える信心」とは、「難を乗り越える祈り」であり、「難を乗り越える唱題」の異名です。
 私たちは、いかなる障魔が競い起ころうとも、強き信心で、御本尊に祈ることができます。そして、共に励ましあえる同志がいます。
 したがって、学会とともに歩む人生、それ自体が、最高の「難即安楽」に人生を歩んでいることになるのです。
 いたずらに難を恐れて、“ほどほどに”小さく固まって生きる――そうした臆病な姿勢では、「歓喜の中の大歓喜」は得られません。
 大聖人の仏法は、消極的人生とは対極にあるといってよい。
 『大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし』(1449頁)、『賢者はよろこび』(1091頁)です。
 「さあ何でもこい!」「難があるからこそ、人生を大きく楽しめるんだ。多くの人を救えるんだ」という、究極の積極的人生にこそ、真実の安楽があると教えられているのです。

 (つづく)

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2017年1月3日

難を乗り越える信心

(2)

 

<喜び勇んで挑んでこそ創価の賢者>

 

 難に遭遇した時こそ、その人が築き上げてきた生き方の真価が最も鮮明に現れます。
 不運とあきらめるのか、時が解決するのをじっと耐え忍ぶのか、自分の人生を嘆くのか、はたまた、他人や環境のせいにして恨むのか。
 ダンテは、『神曲』に綴りました。
 「君ら生きている人々はなにかというとすぐ原因(わけ)を天のせいにする、まるで天球が萬事を/必然性により動かしているかのような口吻だ
 「善悪を知る光や自由意志が君らには与えられている。/そしてこの意志は初期の戦いでは/天球の影響を受けて苦闘するが、もし意志の力が/十分に養成されているならば、すべてに克てるはずだ」(平川祐弘訳、河手書房新社)と。
 「難を乗り越える」――これが洋の東西を問わず、先哲の道です。喜び勇んで挑んでいくのが、創価の賢者の人生です。「嵐は誉れ」です。その勝利の鍵となるのが、難と真正面から向き合う、師子王の如き信心なのです
(つづく)

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2017年1月2日

難を乗り越える信心

(1)

 

<火打ち石に叩かれる“石”>

 

「心の財」は多くの人を救う力となる

 

 ダ・ヴィンチが書き残した有名な童話に、「火打ち石」の話があります。

 ――火うち石に、いきなり あたまを たたかれて 石は かんかんに おこって しまいました。
 けれども 火うち石は、にっこり わらって いいました。
 「がまん、 がまん。がまんが 大せつ。
 これが がまん できたら、
 わたしは、 あなたの からだから、
 すばらしい ものを
 ひき出して あげますよ。」
 そう いわれて、石は きげんを なおし、たたかれるのを じっと がまんしていました。
 すると、からだから きれいな 火が、ぱっと うまれたのです――。
 その火が、見事な力を発揮して、世の中の役に立っていったことは間違いありません。
 実に、示唆的な話です。
 人間が、思わぬ事に直面した時、どう対応するかが大事となる。まさに挑戦と応戦です。
 信心の実践から言えば、難や試練に遭った時に、心力、行力を奮い起こして、仏力、法力を引き出す。その応戦で積んだ「心の財」は大きい。崩れない。そして、多くの人を幸せにする力となります。
 “大切な仏子を一人ももれなく幸福に”との恩師・戸田城聖先生の切なる願いが込められた指針が、「難を乗り越える信心」です。


(つづく)

 

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2016年12月31日

「冬は必ず春となる」

 

<我らの前進は止まらない>

 

 『法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる』(御書1253頁)――今、世界中の同志が拝する日蓮大聖人の御聖訓である。
 厳しい冬を越え、春に咲く花は愛おしい。「桜梅桃李」と説かれる通り、試練の冬を経てこそ、“自分らしい花”“可能性の花”は開花する。
 創価学会の誕生からこれまで、幾たび試練の嵐が吹き荒れたことであろうか。だが、いかなる時にも、創価の師弟は正義の旗を高々と掲げ、共々に励まし合い、一切を勝ち越えてきた。
 スイスの哲学者ヒルティは述べている。
 「苦しみは人間を強くするか、それともうち砕くかである。その人が自分のうちに持っている素質に応じて、どちらかになる」と。
 苦しみのたび、我らは強くなる。試練のたび、我らの絆は強固になる。そして今、全世界同時に地涌の勇者たちが躍動する「世界広布新時代」となった。牧口先生、戸田先生が、どれほど喜んでくださっていることか。
 我らの前進は止まらない。世界には、限りなく多くの、この仏法を求めている人がいる。いよいよ共に境涯を開いていくべき人がいる。
 御書には、仏法とは、あらゆる差異を超えて、『共に離苦得楽・現当二世の為なり』(143頁)と示されている。
 この精神を体現した、最も尊貴な創価学会を、皆で、共々に、断じて発展させ、栄えさせていこうではないか。
 主役は、次代を担う青年たちだ。青年と一緒に、青年とスクラムを組んで、青年の心で、朗らかに拡大の年を勝ち飾っていきたい。

 

 2016年12月27日 随筆 永遠なれ創価の大城 14 寒風に胸張り前進!

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2016年11月12日

逆境こそ大聖人仏法の真髄


 カナダの女性作家モンゴメリーは、主人公の″赤毛のアン″に、こう語らせている。
 「わたしはね(中略)小さな障害は、笑いの種だと思い、大きな障害は、勝利の前兆だと考えられるようになったの」(『アンの愛情』掛川恭子訳、講談社)
 大きな障害は勝利の前兆――いい言葉である。
 状況が厳しければ厳しいほど、強気で人生を生きぬいていくことだ。
 勇気をもって、断固として前へ、また前へ、突き進んでいくことだ。
 御書には、「わざはひ(禍)も転じて幸となるべし」と仰せである。皆さまには「祈りとして叶わざるなし」の妙法がある。
 戸田先生は、師子吼なされた。
 「真の功徳は、折伏を知らぬ者にはありえない」
 「大聖人の仏法は、逆境にある人が、幸せになる宗教なのだ。苦難にあった人ほど、それを乗り越えた時、すごい力が出るのだ。その人こそが、本当に不幸な人々の味方になれるのだよ」
 困難を勝ち越えたからこそ、人間として光っていける。友の心がわかる、懐の深いリーダーへと成長できる。
 日蓮大聖人は仰せである。
 『剣なども、前進しない(臆病な)人には何の役にも立たない。法華経の利剣は、信心の勇気のある人こそ、使うことができるのであり、これこそ鬼に金棒なのである』(御書1124ページ、通解)
 勇気ある信心こそ無敵の宝剣である。強き信力、行力が、仏力、法力を出し、諸天善神を動かしていく。強盛な祈りと不屈の「負けじ魂」で断じて勝利の人生を切り開いていただきたい。

2003年9月5日海外代表協議会

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2016年9月8日

不退転の負けじ魂で、

あらゆる難を耐え忍び、

一閻浮提広宣流布を共々に!

 

<『しばらくの苦こそ候とも・

ついには・たのしかるべし』>

 

 一、大聖人の御在世の本懐として、「熱原の法難」は民衆仏法の不滅の勝利を世界の人権史上に刻みつけました。その折、迫害の矢面に立って勇敢に師匠をお守りし、けなげな同志を支え抜いたのが若き南条時光です。
 大聖人は、この不惜身命の青年門下を「賢人」と讃えられ、『しばらくの苦こそ候とも・つい(遂)には・たの(楽)しかるべし』(同1565ページ)と断言なされました。
 広宣流布という最極の正義の使命ゆえの苦労ほど、崇高なものはない。
 たとえ、いかなる試練が襲いかかろうとも、いかなる苦難が打ち続こうとも、大聖人と不二の「師子王の心」を取り出して、恐れなく立ち向かうのだ。「異体同心」の友と励まし合い、題目を唱え抜いて、一つ、また一つ忍耐強く変毒為薬していくのだ。そして、いつも最後は、にっこり笑顔で、自分自身も、わが一家眷属も、わが国土も、「ついには・たのしかるべし」と必ずや勝ち栄えてみせるのだ――。
 この不退転の負けじ魂で、創価三代の師弟は、あらゆる難を耐え忍び、一閻浮提広宣流布を成し遂げてきました。これこそ、全世界の後継の青年部に脈々と譲り伝えゆく学会精神なのです。
 一、ともあれ、広宣流布大誓堂の完成から5周年となる2018年の11月18日を、われら創価家族の前進の目標と定め、いよいよの「大法弘通」へ、いよいよの「慈折広宣流布」の山を、歓喜踊躍して登りゆこう!
 これからの2年間、私と一緒に、世界の同志と一緒に、一人一人が地涌の友を拡大しながら、「師弟の凱歌」を、強く賢く朗らかに、末法万年尽未来際まで轟かせゆくことを約し合って、メッセージといたします。

 

2016年9月4日 聖教新聞 世界広布新時代第19回本部幹部会への池田SGI会長のメッセージ(抜粋)

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2015年12月18日

厳冬を越えてこそ、
「常楽我浄」の人生となる

 

 厳冬を越えてこそ
 春の喜びも大きい。
 季節の変化があるから
 一年は美しい。
 人生も同じである。
 山もあれば、谷もある。
 しかし、強い生命力と
 豊かな智慧があれば、
 あらゆる人生の苦難も
 全部、楽しみながら、
 乗り越えていける。
 何ものにも揺るがぬ
 「常楽我浄」の
 自身となり、人生となる。


2015.12.13付聖教新聞 光の言葉 幸福の曲(抜粋)

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2015年11月12日

妙法を正しく実践すれば難が起きる

 

<大難が成仏という大境涯を完成>

 

覚悟の信心に立て!

 

 『彼のあつわら熱原愚癡の者ども・はげまして・をどす事なかれ、彼等にはただ一えんにおもい切れ・からん 不思議わるからんは一定とをもへ、ひだるし空腹とをもわば餓鬼道ををしへよ、さむしといわば八かん地獄ををしへよ、をそろししと・いわばたかにあへるきじねこにあえるねずみを他人とをもう事なかれ』(聖人御難事、1190頁)

 

 妙法を正しく実践すれば、難が起きます。だが、広布ゆえの大難は、成仏という境涯を勝ち取るためである。「灸治(やいと)」が、その時は辛くても病気を治すために必要なのと同じように、難を乗り越える信心の実践があってこそ、自身の宿命転換を成し遂げていくことができるからです。

 功徳は、さまざまな形で表れます。その時には理不尽としか思えない試練でも、後になってみれば、それが幸福の道を開く契機となっている場合もある。絶体絶命の窮地に思えても、強盛なる信心に立てば、それによって真実の大功徳をつかむことができる。この甚深の法理を大聖人は教えられているのです。

 牧口先生の殉教も、三世の眼で見るならば、学会の永遠にわたる大発展の因を刻み、世界の広宣流布と、民衆の幸福と平和の連帯への道を開いてくださったのです。

 大聖人は『ただ一えんにおもい切れ・からん 不思議わるからんは一定とをもへ』と、弟子たちに「覚悟の信心」を促し、励まされています。

 大聖人御自身、立宗宣言以前から、正法を説けば、壮絶なる迫害が競い起こることを、誰よりも知悉されていました。しかし、『本より存知の旨なり』(910頁)、『これには一定と本よりごして候へば・なげかず候』(951頁)

と、幾多の大難と迫害の連続を悠然と見下ろしながら、戦い抜かれました。

 『からん 不思議わるからんは一定とをもへ』とは、大聖人自身の御覚悟であったと拝されます。

 状況がどうであれ、怯まない。自ら決めた道を断じて進む、この強き一念の信心に立つとき、無限の智慧と勇気がわき、一切の勝利が切り開かれていく。悩みや宿命を、断固として転換できるのです。

 大聖人は、『難来るを以て安楽と意得可きなり』(750頁)とも仰せです。厳しい試練が襲い来るたびに、「自分が強くなるチャンス!」と、喜び勇んで立ち向かっていく――これが学会精神です。仏法の真髄の生き方です。

 苦難が、自身を成長させるのです。宿命を転換し、幸福と勝利の大空へと自身を上昇させていく「向かい風」になるのです。

 

大白蓮華2015.11月号№793 37頁

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2015年10月20日

厳しい現実にあっても

「生き生きと生きよ」

 

 (前略)同じ一生であるならば、喜んで生きたほうが得である。同じ行動をするのなら、楽しんで行動したほうが価値的である。
 まして仏法では「一心の妙用」と説く。また「一念随喜」(随喜とは随順して歓喜すること)と説き、「随喜功徳」(随喜の一念に広大な功徳が備わる)と教える。
 心にあふれる喜びの光――そこに信仰の証明があり、境涯のバロメーター(指標)もある。
 ともあれ「生き生きと生きよ」――自身のため、愛する家族のため、友のために、私はそう申し上げたい。その人には、悩みをも希望へと変えゆく勇気がわく。のみならず、多くの人々の心に、希望の灯をともしていくことができる。
 その意味でどうか、厳しい現実の生活も、豊かな心で楽しみながら、強くまた強く、価値ある人生を創っていっていただきたい。

 

1989年11月29日第九回全国婦人部幹部会

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2015年10月8日~10日

苦労があるからこそ、

生命が磨かれる


 御書に『猪の金山を摺り』(御書916頁)という御言葉がある。
あるところに「金の山」があった。そこに猪がいて、「金の山」が輝いているのが気に入らない。

 「何だ、あんなやつ」と思い、金の光を消そうとして、体をこすりつける。猪だから、毛は硬く、勢いもすさまじい。
 ところが、結果は、どうなったか。猪がこすればこするほど、そのおかげで、金山は、ますます燦然と光を増していったのである。
 これは、竜樹の『大智度論』や、天台大師の『摩訶止観』にある話である。大聖人は、これを御書に引かれて、「法華経の行者は、障害に遭えば遭うほど、もっと輝いてくる」と教えてくださっている。
 障害とは、三障四魔のことである。三障四魔と戦わなければ成仏はない。難を受け、難を乗り越えなければ、仏になれない。試験を受け、試験を乗り越えなければ、大学を卒業できないのと同じである。
 大聖人は、『此の世界は第六天の魔王の所領なり――この世は第六天の魔王が支配する世界――であると仰せである。ゆえに「善人」が迫害される。「悪人」がのさばる。こういう転倒の世界を、根本的次元から変えていくのが広宣流布である。
  障害があればあるほど、自分が輝いてくる――これは人間関係についても、大切な教えではないだろうか。
 組織は、さまざまな人の集合である。自分にとって、やりいい相手だけとは限らない。うんざりするような場合もあるにちがいない。しかし「だからこそ」、そのなかで、自分という「黄金の山」が光ってくるのである。
 周りが、いい人ばかりだと成長はない。やりにくい人の中でこそ、自分が「黄金」に磨かれていくのである。
 考えてみれば、自分のことさえ、自分の思うようにはならない。まして、他人が自分の思うようにならないのは当然である。それを、いちいち腹を立てていても、何が良くなるわけでもない。相手がそれで変わるわけでもない。
 「しょうがない人だなぁ」と思って、慈悲をもって包容してあげるしかない。
  ともあれ、順調ばかりの人生だと、人生を簡単に考えてしまう。これまでの反逆者は、みんなそうであった。彼らは組織での苦労もしていなかった。
 大聖人は仰せである。
 『摩訶止観第五に云く「行解既に勤めぬれば三障・四魔・紛然として競い起る』文、又云く『猪の金山を摺り衆流の海に入り薪(たきぎ)の火を熾(さかん)にし』(御書916頁)と。
 すなわち、天台大師は、『摩訶止観』の中で大海があんなに大きいのは、さまざまな川が流れこんで、それを海が受けいれているからである。
 もし、川を押し返してしまったら、大海は大海でなくなってしまう。自分がいやな相手と会わないのであれば、大海のような自分はつくれない。
 また「薪」を増やせば増やすほど、「火」は大きくなるではないかとも言っている。
 不幸の「薪」があって、幸福の「炎」がある。苦労があるから、喜びもある。煩悩即菩提である。悩みがあるから、成長がある。ゆえに、″幸せばかりの幸せ″はない。
 大聖人は、御自身を迫害した平左衛門尉たちこそが、「第一の善知識」であり、「第一の味方」であるとまで仰せである(御書917頁、趣意)。自分をいちばん困らせる人間こそが、自分を仏にしてくれるのである。

 

1998年1月25日婦人部代表協議会(「紅梅会」「常磐会」総会)

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2015年7月23日

苦難は本物と偽物を峻別する

  

 イタリア・ルネサンスの巨匠、レオナルド・ダ・ヴィンチは叫んだ。
 「純金かどうかは試練によってわかる
 精錬を重ねてこそ、真金は生まれる。苦難は常に、本物と偽物を峻別する試金石だ。(中略)
 この日(7月6日)は、生命尊厳の大仏法を行じられた牧口先生、戸田先生が、軍部政府の弾圧で逮捕された「法難」から満七十二年の日であった。(中略)

 

 艱難(かんなん)

  一つ一つと

    乗り越えて

   黄金(きん)と輝く

    不敗の生命(いのち)

 

2015.7.8付聖教新聞 随筆民衆凱歌の大行進24

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2015年3月9日

我らの合言葉は

「希望・忍耐・前進・勝利」

 

<「大難来りなば強盛に信心弥弥悦びをなすべし」>

 
 わが恩師・戸田先生は晩年、こう力を込めて語られた。
 「希望があれば、前進できる。何があっても戦える。
 そして、忍耐だ。忍耐なき人は、愚痴に負ける。
 前進している人は、息吹がある。不退転の心で、朗らかに前進すれば、必ず勝利できる」
 我らの合言葉は「希望」「忍耐」「前進」そして「勝利」だ。自分自身の悔いなき歴史をつくるのは、今である
 思えば、戦後の荒廃の中、創価学会の再建に立ち上がった恩師を、私は全身全霊で支えた。
 「10年後、20年後を見よ」と歯を食いしばって戦った。そして全てに勝利した。
 御聖訓には「大難来りなば強盛に信心弥弥悦びをなすべし」(御書1448頁)と厳然と仰せである。
 大変な時こそ、大きく変われるチャンスなのだ。大闘争が、福運を大きく開く。
 広布前進のリズムの中で、「生老病死」の苦をも、「常楽我浄」の喜びへと転じていける。
 大事なのは、負けない心だ。勝つための祈りだ。
 宿命を使命に変える人間革命の劇を、断じて、ともどもに勝ち飾ろう!

 

聖教新聞2015.3.7付 新時代を駆ける 8

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2014年11月11日

万人の希望になれ!

 

 「仏法は『変革の哲学』であり、『逆転の思想』である。(中略)
 大悪という試練の溶鉱炉に鍛えられてこそ、大善の鋼鉄を打ち出すことができるのだ。
 だから嘆いてはならない、むしろ舞を舞うが如く、喜び勇んでいくのだ!
 誰が見ても、大変だと思うような悪条件がある。だが、一人がそれを破れば、状況は一変する。その人の勝利は、同様の苦悩をもつ万人の希望となり、勇気となる」
  

大白蓮華No.780号2014.11月号63頁

 

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2014年9月24日25日

苦労こそ青年の最高の環境

 

<孔明の師匠は「苦労」の二文字>

   
「よし!」。孔明は誓った。血涙にまみれて、わが身に言い聞かせた。
 「二度と負けてはならない。絶対に勝たねばならない。負ければ、これ以上の不幸はない」
 「人生は勝負」である。「仏法も勝負」である。釈尊も日蓮大聖人も「断じて勝て」と仰せである。
 孔明はふたたび流浪の身になった。その時、17歳といわれている。
 荊州にもどり、その後、10年間、自分を鍛えに鍛え、「一剣」を磨きに磨いた。「不敗」「常勝」の知恵と力を養った。
 立ち上がる“その時”を目指して、苦労し、勉強し、あらゆるものを吸収した。
 “その時”が訪れた。27歳、主君となる劉備玄徳と出会う。ここから『三国志』の、あの大活躍が始まるのである。
 ちょうど青年部の諸君の年代である。
 結論すれば、不世出の天才・孔明の師匠は、だれであったか。――。
 それは「苦労」という二文字であったといえよう。
 ゆえに青年は、できあがった環境に安住してはならない。
 青年は、「自分の力」で、「自分の苦労」で、「自分の行動」で、「新しい歴史」をつくっていくべきである。
 私は、その思いで歴史をつくってきた。広宣流布の大いなる歴史を、世界中に残してきた。ただ一人、大難を受けながら。
 あとは諸君である。
 諸君も諸君の立場で道を開いていくべきである。腹を決めて苦労し抜いて、偉い人になってもらいたい。
 諸君は妙法を持っている。苦労が全部、生きないわけがない。

 

聖教新聞2014.9.17付1995年6月第90回本部幹部会

 

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2014年9月18日

創価学会こそ

人生を最高に勝利させる「道」


 苦労し抜いたからこそ、会長の資格がある。これが戸田先生の哲学であった。(中略)
 今の時代は、皆、苦労から逃げようとしている。苦労することを、時代遅れのように思っている。また。苦労するのが損のように勘違いしている。
 そうではない。苦労は全部、自分のためである。
 甘えようと思えば、いくらでも甘えられる“鍛錬なき時代”である。
 こういう時代だからこそ、自分から求めて「苦労しよう」と自覚した人が得をする。何ものにも「負けない」自分へと、鍛錬し抜いた人が勝つ。
 その貴重なる「自己教育」の世界はどこにあるか――。
 ここにある。創価学会にある。ここにこそ、人生を最高に勝利させる「道」がある。

 

聖教新聞2014.9.17付1995年6月第90回本部幹部会

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2014年9月8日

何があっても信心を貫き通しなさい!

 

<法華宗の四条金吾とうたはれ給へ>

   
『法華経の信心を・とをし給へ・火をきるに・やすみぬれば火をえず、強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ、あしき名さへ流す況やよき名をや何に況や法華経ゆへの名をや』(四条金吾殿御返事、1117頁)


 ――大聖人は人生の正念場において、苦境を乗り越え、我が身に仏の果徳を現していくためにも、まずは持続の信心に徹するように訴えられます。
 続けて大聖人は「強盛の大信力をいだして」と仰せです。
 強き信力・行力に、偉大な仏力・法力も尽きることなく現れるのです。同じ信仰を持っているのであれば、大目的に向かって、大確信をもって、悠然と突き進んでいこうではありませんか。
 そして大聖人は「法華宗の四条金吾、四条金吾と、鎌倉中の上下万民、さらには日本国の一切衆生の口にうたわれていきなさい」と励まされています。
 「法華宗の四条金吾」、すなわち「日蓮大聖人門下の四条金吾」として、日本中の人々から賞賛される人物になりなさいと教えられているのです。
 「信心即生活」です。「仏法即社会」です。社会の中で、信心根本に絶対勝利の実証を示し、人々から賛嘆されることこそ、仏法者のあるべき姿です。
 「法華宗の四条金吾」――この御指導は、永遠の指標です。学会員は、この御金言を心肝に染め、現実の人生に妙法の果徳を厳然と現しながら生き抜いてきました。これ以上、素晴らしき人生はありません。
 大聖人は「あしき名さへ流す況やよき名をや」と述べられています。世間での悪評はあっという間に有名になります。良い評判であるなら、なおさらです。さらに大聖人は「何に況や法華経ゆへの名をや」と仰せです。法華経という最第一の哲理に生きて得られる栄光こそ、最大無上の誉れと輝くのです。

 

大白蓮華№775号2014.6月号38頁

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2014年8月23日

強くなるんです

   
 失恋した人もいるでしょう。また、傷ついて、「もう自分はダメなんだ」と思っている人もいるかもしれない。けれども、絶対に、自分はダメだなどと思ってはいけない。宇宙全体の宝を集めたよりも、かけがえのないあなたなんです。
 たとえ、今、どんな境遇にあったとしても、私は皆さんを、かけがえのない“息子”であり、“娘”であると信じている。必ず立ち上がってくれると待っている。
 強くなるんです。強くなれば、悲しみさえも栄養になる。苦悩が自分を清めてくれる。自分が押しつぶされそうな苦しみの底で、初めて人生と生命の真髄が心にしみ通ってくるのです。だから、苦しんだからこそ生きなければならない。前へ前へ進むのです。
 悲しみを糧にして、もっと大きな自分になればいい。もっと素敵な自分になればいい。苦しんだあなただからこそ、そうなれるんです。顔を上げるんです。自分は一生懸命、生きたのだから、本当は「勝利者」なんです。沈みこんで、変な方向に行っちゃいけない。
 苦しみにつけ、悲しみにつけ、喜びにつけ、ありのままの思いを祈りにこめて唱題していけば、自然のうちに、一番いい方向にいくものです。

 

青春対話(1) 104頁

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2014年5月22日

難に負けるわけがない! 

  
 『心ざし人にすぐれて・をはする上わづかの身命をささうるも又御故なり、天もさだめて・しろしめし地もしらせ給いぬらん殿いかなる事にもあはせ給うならば・ひとへに日蓮がいのちを天のたたせ給うなるべし』(四条金吾殿御返事、1149頁、編933頁)
 ――(あなた、四条金吾は)日蓮を助けようとする志が人よりすぐれておられるうえに、日蓮がわずかの身命を支えることができるのも、あなたのおかげである。このことは、必ず天も知っておられ、地もご存じであろう。もし、あなたの身に何かの災難でも起こったならば、それが何であれ、日蓮の命を、天が絶とうとするのと同じである――。
 そんなことは、絶対にない。ゆえに、難に負けてはならないと激励しておられる。
 当時、金吾は讒言によって、領地替えなどの厳しい逆境に立たされていた。現代でいえば、深刻な不景気やリストラの苦境にも通ずるかもしれない。
 しかし、戦うべき時に戦った人は、いざという時に、十方の諸仏から、また諸天から、必ず必ず守られていく。
 学会は創立以来、法華経のとおり、御書の仰せのとおりに進んできた。ゆえに強い。ゆえに永遠に行き詰らない。

 
1999.10.8婦人部・女子部最高会議

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2014年5月18日

「逆境」こそ成長の「チャンス」 

  
 トルストイの青春も、試行錯誤の連続であった。当時の日記には、その悩み、苦しみが、にじみ出ている。
 「この七日間何一つせず」「全く特別なことは何もせず。ほとんど書かず」「ほとんど一月も何も書かず」「書けず。すっかり萎えた拙い筆」
 書きたい、しかし書けない――。若きトルストイは、一日一日、そうした挫折と戦っていた。
 仏典では、この世界を「娑婆世界」と説く。これは「堪忍世界」すなわち「苦しみに耐えていく世界」の意味である。
 諸君も仕事その他で、挫折感を味わうことがあるであろう。決して負けてはならない。忍耐し、焦らず、自分自身を磨き、力をつけることである。ともかく「前へ」進むことである。そこに、「道」は開けていく。
 「苦労」なくして「人間」ができるはずがない。若いうちから、楽しようなどと、少しでも考えたなら、最後は敗北の人生である。

 

 さらにトルストイの日記――。
 「よかろうが、わるかろうが、つねに書かねばならぬ。書いていると、直接の利益はなくても仕事に慣れ、文体が出来てくる。反対に、書いていないと、迷いが出て、くだらぬことをすることになる」
 行き詰ったと思うときでも、ともかくも前へ、また前へと粘り強く進む――。勉強でも、最初はわからなくとも、ともかく「学び続け」「考え続けて」いく。その挑戦のなかで、必ず理解が開けてくる。
 止まってしまえば迷いが出る。迷いが出れば、わき道にそれて「くだらぬこと」をしてしまう。止まってはならない。苦しみ、もがきながらも、「前進!」また「前進!」と、自分を励ましながら、進んでいくことだ。その人が勝つ。その人こそ、立派に「人格」ができる。
 また「腹を空かしている時の方がよく書ける」と。示唆的な言葉である。
 一般的にも、恵まれた環境にあると、かえって力を発揮できない場合がある。
 「強靭な知性」「奥行きのある人格」――それは、苦しみのなかでのみ磨かれる。「逆境」は、成長の「チャンス」なのである。


1992.11.3創価教育同窓の集い

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2014年4月24日

 「苦難よ!おめでとう!」

 

 山本伸一は、次のように話を結んだ。
 「いかなる試練があろうとも、そのなかで苦労を重ね、同志を守り、仏道修行に励み抜いた人は、最後は必ず勝ちます。試練というのは、自分を磨き抜き、大きく飛躍していくためのものなんです。
 皆さんは、何があっても一喜一憂することなく、“今に見よ!”との一念で、一生成仏の坂道を勇敢に上り抜いていってください」(中略)
 中国の人民の母・トウ穎超は語っている。
 「闘争を乗り越えてこそ、心も、体も鍛えられる。また、悪いことも良いほうに変えていける。だから私は、苦難を受けているあなたに“おめでとう!”と言います」

 

小説 新・人間革命 27巻 激闘27

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2014年4月16日

難来るを以て安楽と意得可きなり

 

 『法王の宣旨背きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起し忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ一部八巻の肝心・妙法五字の旗を指上て未顕真実の弓をはり正直捨権の箭をはげて大白牛車に打乗つて権門をかつぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗の敵人をせむるに或はにげ或はひきしりぞき或は生取られし者は我が弟子となる、或はせめ返し・せめをとしすれども・かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし、法華折伏・破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなく・せめをとして法王の家人となし天下万民・諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり』(如説修行抄、502頁、編554頁) (通解省略)
 あらゆる魔との戦い、そしてそれに打ち勝つところにしか真の「安穏」がないことを大聖人は確信されていた。そのことを御自身の戦いを通して実証されたのです。だから、そこにあるのは大いなる喜びなのです。
 大聖人は、民衆を救うために、末法の時代にはびこる魔性を打ち破る戦いを起こされた。それが「権実二教のいくさ」です。実教に至る準備段階であるべき権教が、邪法の僧によって実教を妨げる邪法と化してしまっている。それを正す法戦です。
 大聖人は、ただ難を受けられたのではない。この「いくさ」を起こしたと仰せです。法華経の肝心である「妙法五字の旗」を掲げての宗教革命です。広宣流布の戦いです。そして「今に至るまで軍やむ事なし」とあるように、二十余年にわたって続いている。戦い続ける人が仏です。民衆を守るために、民衆の幸福を築くために、仏は戦い続けるのです。
 末法という「悪世」の真ん中で戦っていくことを、むしろ喜びとされている。なぜならば、その戦う生命にこそ「現世安穏」があり、永遠の成仏の道があるからです。
 戦う人が内証において現世安穏を成就しているからこそ、その戦いを最後まで推し進めれば、必ず「吹く風枝をならさず雨壤を砕かず」という、だれの目にも明らかな現世安穏の世界が現出すると仰せです。しかも、その世界は、かつてない不老不死が実現する世界です。すなわち、永遠の妙法の力が人間にも社会にも躍動し、老いの苦しみや死の苦しみに左右されない真の幸福と平和の世界が現れるのです。
 平穏無事に生きることが「安穏」なのではない。何があっても揺るがない境涯を築くことです。そうすれば、いつも「安穏」です。信心の強き一念で戦えば、だれでもその大境涯を自分自身のものにできる。
 だから、「難来るを以て安楽と意得可きなり」(御義口伝巻上、750頁、編1596頁)と仰せです。難が来た時こそ、成仏のチャンスなのです。

御書の世界(上)第八章 法 難

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2014年4月14日

人間とはかくも偉大なり


 大聖人はどこまでも凡夫として振る舞われ、凡夫として大難と戦い、そこに成仏の厳たる軌道があることを示してくださった。

 ゆえに、幾多の難を勝ちぬかれた御姿は、「人間とはかくも偉大なり」との証明にほかならない。
 大難に耐えぬいて、「難即成仏」の大道を身をもって切り開かれた。凡夫成仏、人間勝利の真髄を示されたのです。

 

御書の世界(上)第八章 法 難

 

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2014年4月9日

久遠長寿の如来


 『火にたきぎを加える時はさかんなり、大風吹けば求羅は倍増するなり、松は万年のよはひを持つ故に枝を・まげらる、法華経の行者は火と求羅との如し薪と風とは大難の如し、法華経の行者は久遠長寿の如来なり、修行の枝をきられ・まげられん事疑なかるべし、此れより後は此経難持の四字を暫時もわすれず案じ給うべし』(四条金吾殿御返事、1136頁)
 この御手紙をいただいた当時、四条金吾が主君から勘当を受けて苦境に陥っていた。そして、“信心していても現世安穏にはならない”と、ついグチを漏らしてしまった。そのことを大聖人が伝え聞き、心配して叱咤・激励された御手紙です。
 法華経の実践に難は必然だ。しかし、難に耐え、難を乗り越えていく人は、わが生命本来の「久遠長寿の如来」を現していけるのです。
 その意味で、難こそ自身を最も深い意味で鍛え磨くための成長の糧であると、そう教えられています。
 困難から逃げ、鍛えを避けるところには、決して向上も成長もない。これは、まさに大聖人御自身の体験に基づく大確信であり、成仏の修行の永遠の真実です。

 

御書の世界(上)第八章 法 難

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2014年3月31日

苦闘は人間力の父、

苦闘は歓喜の母

 

 苦闘は、精神を鍛え、人間力を培う父である。苦闘は、歓喜を生み出す母である。
 山本伸一は、記者たちに語った。
 「私は、青年たちに、苦闘を厭わぬ信念と哲学をもってほしいんです。苦労するのは辛いことです。しかし、自分の置かれた現実と、そこに横たわる困難を避けずに直視し、真正面からぶつかっていくことが大事なんです。労苦のなかった偉人も、英雄もいません。
 苦悩は、鉄の精神をつくりあげる溶鉱炉です。人生の一つ一つの苦しみが、自身の向上の力となり、創造の源となっていきます」
 たとえば、病苦も、人間完成への力としていくことができる。御聖訓には「病によりて道心はをこり候なり」(御書一四八〇頁)と仰せである。病と向き合い、苦悩することから、それを克服しようとの強き信心が、熱き求道の一念が起こり、自己の成長が図れるのだ。
 仏法では、「生死即涅槃」と説く。苦しみ、迷いが、そのまま悟りとなるという法理である。つまり、苦悩があってこそ、悟りがある。大苦あってこそ、大悟があるのだ。

 

小説 新・人間革命 27巻 激闘8

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2014年2月15日

苦境の時にこそ、反撃を!

 
 いちばん、苦境の時にこそ、反撃に打って出る――これが名将軍の手の打ち方である。たいていは、いったん負けると、臆病になり、愚癡をこぼしたりする。しかし本当は、その時が「変毒為薬」のチャンスなのである。(中略)
 もっとも困難なところへ――ここに急所がある。何か問題が起きたり、大変な場面にあうと、多くの人は逃げ出す。しかし、あえて、いちばんたいへんなところへ乗り込んでいくのが一流のリーダーである。偉大な人間である。
 私自身、この行動を、ずっと貫いてきました。だから、勝ち続けてきた。どんな戦も、そうであります。
 「牧口先生、戸田先生がつくられた学会を、何があっても守りぬくのだ。そのためなら、あらゆる難は、私一人が受ける。どうか、ほかは、だれ一人として、難にあいませんように」――会長になって以来、私は、そう祈り続けてきた。

 

2000.9.7第49回本部幹部会

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2014年2月12日

さあ、何でもかかってこい!

 
 結局、困難というものは、どんなに逃げ回ったとしても、避けることはできません。同じ生きるなら、「さあ、何でもかかってこい」と勢いよく、強い生命力で楽しく悠々と迎え撃ったほうが、爽快であり、価値的です。
 学会には、言うに言われぬ苦悩や悲嘆に屈せず、逞しく乗り越え、快活に戦い抜く姿を、誇りをもって人に示していく、信心の英雄というべき、無名の庶民が無数に存在します。
 大変であっても、明るい。苦しいはずなのに、賑やかに前進する。腹を決めて、大境涯から一切を包み込んでいく。自他共の幸福の実現、自他共の宿命の転換を目指し、日々、奔走する学会員の姿が、どれだけ多くの人々に勇気と希望と確信を与えていることか。後世の民衆史に厳然と刻まれる大英雄たちであることは疑いありません。

 

大白蓮華No.771号2014.2月号41頁

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2013年12月23日

破邪の師子吼で勝て!

 
「悪は多けれども 一善に かつ事なし」
君よ 正義の大道を まっすぐに進め!
破邪の師子吼で勝て! 

 

2010.4.24わが友に贈る

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2013年12月13日

信心は一人前

 

 日蓮大聖人は、「われ法華経の行者なり」との誇りも高く、絶体絶命の大難を勝ち越えられ、「幸なるかな楽しいかな」(御書975頁)との悠々たる御境涯を示された。
 戸田先生は、この御文を拝して語られた。
「御本尊があるから大丈夫だ。御本尊を拝んでいるから、自分は大丈夫だ。この確信が胸の奥底から出るようになったら信心は一人前です」
 苦しんで強くなる。祈って勝つのだ。病苦や経済苦、家庭の問題。あらゆる悩みに苦しんだ人が、友の苦しみも分かる。賢明な強い人になり、多くの友を救っていける。

 

聖教新聞2013.12.8付今日も広布へ

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2013年11月29日

困難から逃げるな、

困難に挑戦せよ!

 

 「皆さん方もこれから、苦しいこと、辛いこと、重荷に思えるようなことがあるかもしれません。先生に叱られたり、勉強が思うように進まなくて悲しくなる時もあります。友だちとケンカして、悔しくて悔しくてしょうがない時も、きっとあるでしょう。
 しかし、それらのことは、全部、皆さんが大きな人間に成長していくための荷物といえましょう。
 冬の次には必ず春がくるように、悲しいことのあとには、必ず楽しいこと、嬉しいことがやってきます。竹は、どんなに大雪がつもっても、決して折れない。じっとしんぼうして、希望の春を待ちます。
 だからといって、なんでも一人でがまんしていなさいというのではありません。両親と話し合うのもよい。先生や仲のよい友だちに相談するのもよいでしょう。
 皆さんは、これから伸びゆく若竹です。心を大きく開いて、体をきたえ、心をきたえ、竹のようにしなやかで、ねばり強い“がんばり”を身につけていっていただきたい」
 伸一は、まず子どもたちに、困難に挑むという、人としての最も大切な生き方を教えておきたかったのである。
 困難を避ける生き方が身についてしまえば、最終的に、子ども自身が不幸になってしまうからだ。

 
小説 新・人間革命 27巻 若芽4

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2013年11月16日

すべてをバネに挑戦あるのみ! 


 物事は、順調に運ぶとは限らない。いや、何事かを成そうとするなら、必ず予期せぬ困難が生じよう。その時に、活路を見いだそうと、懸命に知恵を絞り、粘り強く努力を重ねていくなかで、より良い、新しい道が開かれていく。それは、仏法で説く「変毒為薬」(毒を変じて薬と為す)にも通じよう。困難や試練に負けず、すべてをバネに、意気盛んに挑戦していってこそ、飛躍と勝利があるのだ。
 
小説 新・人間革命 27巻 若芽19

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2013年10月11日

状況が厳しければこそ、強気でいけ!

 

 大きな障害は勝利の前兆――いい言葉である。
 状況が厳しければ厳しいほど、強気の人生を生きぬいていくことだ。
 勇気をもって、断固として前へ、また前へ、突き進んでいくことだ。
 御書に、「わざはひも転じて幸となるべし」(御書1124頁)と仰せである。皆さまには「祈りとして叶わざるなし」の妙法である。
 戸田先生は、師子吼なされた。
 「真の功徳は、折伏を知らぬ者にはありえない」
 「大聖人の仏法は、逆境にある人が、幸せになる宗教なのだ。苦難にあった人ほど、それを乗り越えた時、すごい力が出るのだ。その人こそが、本当に不幸な人々の味方になれるのだよ」

 

2003.9.5海外代表協議会

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2013年10月2日

大難こそ

『現世安穏・後生善処』


 なぜ大聖人が、権力から迫害されるのか? なぜ、批判されるのか?
 まず、第六天の魔王が大聖人の身に入ろうとした。しかし、大聖人は、まったく寄せつけない。厳然としておられた。
 天魔は、大聖人には力およばないので、権力者をはじめ、愚かな坊主どもに取りついて、大聖人をあだみ、悪口罵詈等の迫害をさせた――そのように御書に記されている。
 大聖人は仰せである。
 「予日本の体を見るに第六天の魔王智者の身に入りて正師を邪師とし善師を悪師となす、経に『悪鬼入其身』とは是なり、日蓮智者に非ずと雖も第六天の魔王・我が身に入らんとするに兼ねて用心深ければ身によせつけず、故に天魔力及ばずして・王臣を始めとして良観等の愚癡の法師原に取り付いて日蓮をあだむなり」(御書1340頁)
 大聖人は、こう宣言された。
 「如説修行の法華経の行者には三類の強敵打ち定んで有る可し」(御書504頁)
 「大難なくば法華経の行者にはあらじ」(御書1448頁)
 法華経の行者には、三類の強敵が、必ず競い起こってくる。三類の強敵がなければ、法華経の行者ではない――こう断言されているのである。

 〝どうして非難されるのか〟と思う人間は、まず、経文を知らない。それに、古今東西の英雄、賢人の生きた軌跡を知らない。浅はかな人間の胸の内であり、愚かな行為というほかない。
 御書には、こうも記されている。
 「三類の強敵が来ることをもって『現世安穏』の経文は現れる。(三類の強敵を呼び起こした人が)法華経の行者であることは疑いない。法華経の行者は、このような大難に遭うと経文に書かれている。
 大難に遭うことをもって『後生善処(未来の世に必ず幸せな処に生まれてくる)』の成仏が決定したのである。これこそ、まさに現世において安穏であることではないか」(御書825頁、通解)
 〝三類の強敵が来ることが現世安穏〟と言われると、「ずいぶん矛盾する話だな」と悩むかもしれない。きょうは結論だけ申し上げるが、三類の強敵がいるから、仏になれる。永遠に、何があっても微動だにしない、安穏の大境涯となっていくのである。
 ゆえに、「難来るを以て安楽と意得可きなり」(御書750頁)――これが日蓮仏法の柱である。
 学会は大聖人の仰せのとおりに前進しているのである。

 

2003.12.5各部・海外代表協議会

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2013年9月15日

歓喜の中の大歓喜


 『これほどの悦びをば・わらへかし』(御書914頁)
 妙法という究極の法に生き抜き、広宣流布という最極の大願に戦い抜く。この赫々たる大境涯は、何ものにも侵されない。何ものにも阻まれない。何ものにも負けない。
 そこには「歓喜の中の大歓喜」が、尽きることなく沸き起こってくる。

 

聖教新聞2013.9.8付メッセージ

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2013年6月24日

 行き詰ったら、
根源から自分を見直せ

 山本伸一は、信越男子部幹部会に集ったメンバーに、期待と信頼の眼差しを注ぎながら、言葉をついだ。
 「皆、さまざまな境遇で、苦労し、呻吟しながら生きている。それが、現実です。絵に描いたような華やかな人生なんてありません。そんなものは幻想です。
 そのなかで、現実に根を張って、着実に自身を開花させていくんです。時には、“自分なんか駄目だ!”と卑下したり、“なんで自分には光があたらないのだ”と、絶望的な思いをいだくこともあるかもしれない。
 しかし、諸君の人生は長い。決して焦ってはならない。焦って、地道な努力を怠れば、必ず、どこかで行き詰まってしまう。
 人生の勝負は、五年や十年で決まるものではありません。一生で判断すべきです。さらに、三世の生命という根源的な尺度で、ものを見ていくことです。特に、行き詰まった時には、もう一度、この次元から自分を見直し、勇気を奮い起こしていただきたい。
 
小説 新・人間革命 26巻 奮迅 40  

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2013年6月21日

 決められた決勝点

「『さあ、出発しよう! 悪戦苦闘をつき抜けて!
 決められた決勝点は取り消すことができないのだ』
 これは、ホイットマンの詩集『草の葉』にある、有名な一節であります」 (中略)
 “さあ、出発しよう”と、日々、新たな決意で、自分を鼓舞して戦いを起こし続けていくのが、本当の持続の信心なんです。
 毎日、毎日が、新しい出発であり、勝利の日々であってこそ、人間革命も、人生の大勝利もあることを知ってください。
 悪戦苦闘――これは、広宣流布のため、自身の人生の勝利を飾るために、必ず経なければならない道程なんです。苦労しなかった偉人はいません。偉業を成した人は、皆が、迫害、非難、中傷にさらされ、ありとあらゆる苦難と戦っています。
 創価の大道を開いてくださった初代会長の牧口先生も、第二代会長の戸田先生も、軍部政府の弾圧と命を懸けて戦われています。私たちは、その師子の子どもです。勇んで悪戦苦闘のなかに身を置き、それを突き抜けていくなかに、自身の人間革命があるんです」(中略)
 「悪戦苦闘は、われらにとって、避けがたき宿命的なものです。しかし、決められた決勝点、すなわち、われらの目的である広宣流布、また、一生成仏、人間完成、福運に満ちた勝利の実証を示すという、人生の決勝点は取り消すことはできない」
  
小説 新・人間革命 26巻 奮迅 37、38

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2013年6月12日

 逆境が人間を強くする

 日蓮大聖人は仰せである。
 『釈迦如来のためには、提婆達多こそ第一の善知識であった。今の世間を見ると、人を良くするものは、味方よりも強敵が人をよく成長させるのである』(御書917頁、通解)
 今、わが広布の英雄たちは「断じて壁を破るのだ!」と勇んで前進している。
 自分自身の
 未曾有の挑戦、
 未曾有の奮闘、
 未曾有の拡大 の歴史を、一日また一日、厳然と積み上げていきたい。
 寄せ来る苦難の波にも、「宿命転換のチャンスだ!」と決然と立ち向かい、祈りに祈り抜いて、乗り越えていくのだ。
 逆境が人間を強くする。
 信心は、一番の生きる力、勝利への推進力である。
 信心の世界は、頑張れば頑張るほど、生命力が強く豊かになる。いい方向へと、自分が変わる。福運がつく。人にも福徳を薫らせていける。
 広布の労苦は、全部が功徳になる。何の無駄もない。
  
聖教新聞2013.5.19付今日も広布へ20 

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2013年2月28日

思わぬ試練にぶつかったら

 

「人生、耐え抜いた人に『栄冠』がある。最後は、その人が勝つ。その崩れざる信念を貫き通していくなかに、真実の『信用』も自然に残る」「作家・吉川英治氏は『苦徹成珠(くてつたまをなす)』と言った。“苦に徹すれば珠となる”有名な言葉である」「仏とは『能忍・・・能く忍ぶ』人をいう。青年は、波瀾万丈の人生でよいのである」「あせることはない。人をうらやむ必要もない。自分らしく、仏道修行を貫き通していけばよい」  途中で何があろうが、最後に勝つ。一生の総仕上げで見事に勝つ ここに仏法の精髄がある。

 

聖教新聞2011.3.3付未来への一歩

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2013年2月度

乗り越える直前が、最も苦しい

 

 「大丈夫だよ。祈り抜けば、必ず道は開ける。悩みは、乗り越える直前が、最も苦しいものなんだ。山登りだって、八合目、九合目がいちばん大変じゃないか。腹を決めて、祈り、戦い抜くんだ。頂上はすごいぞ!」(中略)

 「あなたには、幸せになる権利があるんです。宿命に泣いてきた人だからです。また、あなたには、幸せになる使命があるんです。地涌の菩薩だからです。

 これまでの一切の苦労は、すべて仏法の力を証明していくためにあったんですよ。泥沼が深ければ深いほど、蓮の花や実は大きいといわれる。悩みや苦しみが大きければ大きいほど、幸せも大きい。信心をしていくならば、苦悩は心の宝石になるんです。変毒為薬の仏法なんです。それを必ず、心の底から実感する時が来ますよ。

 今は、まだ、“大変だな。苦しいな”と思うことが多いでしょうが、あなたは、既に幸せの大道を歩き始めているんですよ。人びとの幸福を真剣に願って、学会活動に励んでいること自体がそうなんです。

 以前は、自分の幸せしか考えなかったでしょう。しかし、今は、人の幸せを考え、広宣流布の使命に生きる喜びと充実をかみ締めている。そのことが、境涯革命している証拠ではないですか」

 

 小説 新・人間革命 26巻 法旗 49

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2013年1月16日

2012年12月26日

信心強き人とは

 

「試練に次ぐ試練、涙また涙というのが、現実の社会といえます。そのなかで人生に勝利していくには、唱題しかありません。信心強き人とは、何があっても『題目を唱えよう』と、御本尊に向かえる人です。その持続の一念が強ければ強いほど、磁石が鉄を吸い寄せるように福運がついていきます」

 

小説 新・人間革命 26巻 法旗 19

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2012年12月27日

人の百倍、千倍の苦労を!

 

 人の百倍、千倍、苦労しぬいた人が、真実の人材です。苦労も何もせずに有名人、著名人になる・・・そんなものは嘘であり、偽物であり、幻です。そういう生き方をしても、人生の最後に苦しむだけです。実体のともなわない名声など、厳粛な死を前にしては、メッキのように、はがれていくものです。

 苦労に徹しぬいた人こそが、偉大な闘争を成し遂げ、偉大な歴史を残せるのであります。

 

大白蓮華No.757 2013.1月号88頁

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2012年9月26日

忍耐とはエネルギーの蓄積

 

忍耐っていう言葉があるだろう。忍耐というのは、耐え忍ぶということじゃないよ。後に引くことでもないよ。忍耐している時に、次に打って出るエネルギーを蓄えているんだ。信心とは忍耐だよ。忍耐することが大事だよ。

 

大白蓮華 №754 2012.10月号 13頁

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2012年9月12日13日

人生の勝利の栄冠は誰に?

 

「順風満帆に生きて、苦労もせずに、成功を収めた人などいません。失敗も、挫折もなく、人生の勝利者になった人もいません。泣く思いで苦労に耐え、何度も絶望の淵に立ちながら、粘り強く、前へ、前へと進んでいった人が、人生の勝利者になっているんです。 たとえ、失敗や敗北はあっても、絶対に腐ってはならない。いじけて、自らを卑しめることこそが敗北なんです。忍耐強い人が、最後に勝つ人なんです。その粘り強さを身につけていくための唱題であり、仏道修行であることを忘れないでください。 人生の勝利の栄冠は、信心を根本に、執念に執念を尽くし、粘って粘って粘り抜き、自分の決めた道を歩んでいった人の頭上に輝くことを宣言しておきます」

 

小説 新・人間革命 26巻 厚田 32

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2012年9月7日8日

絶好のチャンス

 

苦難こそ、信心の無量の力を引き出していく最大の転機だ。御本尊の絶対の功力を証明する絶好の時である。諸天善神が間違いなく動き、私たちを護りに護る。今まで以上に、思ってもみなかった力が発揮できる。この大確信で、いよいよ勇み、立ち上がっていただきたい。 私たち学会員の信心が一段と深まり、人々に妙法の功力を示しきっていく時が来た!今こそ人間革命できるのだ!

 

 聖教新聞 2008年12月29日付 各部代表者会議

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2012年9月2日

最後の粘りが決する

 

ひたぶるに、お題目を唱え、広宣流布に走り抜いていくんです。信心に行き詰まりはありません。私も、唱題第一で、ここまできました。祈れば、自分が変わります。己心の仏の生命が開かれ、周囲の人も変えていくことができる。さらに、大宇宙が味方します。 ところが、いざ困難に出くわし、窮地に立たされると、〝もう駄目だ〟とあきらめてしまう。しかし、実は、困難の度が深まれば深まるほど、もう少しで、それを乗り越えられるところまできているんです。闇が深ければ深いほど、暁は近い。ゆえに、最後の粘りが、勝利への一念を凝縮した最後の瞬発力が、人生の勝敗を決していくんです。

 

小説 新・人間革命 22巻 命宝 391頁

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2012年9月1日

心の限界を破ろう

 

 理想が大きいほど、困難の峰もまた大きい。それを恐れていては、永久に前に進めない。夢は夢のままである。人生はまず、〝どんな困難も乗り越えてみせる″〝小さな自分のカラを破ってみせる〟という気概をもつことだ。そこからいっさいが開けていく。「限界を破ろう」。こう決めた時、じつは自分の心の限界は、すでに一歩、破れているのである。その時点で、理想や目標も、半ば達成されているとさえいってよい。

 

 希望の明日へ 390頁

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2012年8月1日

労苦こそ財産

 

苦労し、苦労し、苦労し抜いて、悔しさに耐え、泣く思いで自らを鍛え、学び、働き、戦い抜いた人でなければ、民衆の苦労はわからぬ。人間の本当の心はわからぬ。御聖訓には「鉄は炎打てば剣となる賢聖は罵詈して試みるなるべし」(御書九五八頁)と仰せである。労苦こそが財産だ。

 

小説 新・人間革命 23巻 勇気 237頁

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2012年7月20日

ドラマを創れ!

 

 ドラマを創る・・・そこにこそ、人生の醍醐味がある。その人生劇場の主役は、自分自身である。自らの「心」である。

 一生を感動の大ドラマとして完結させるには、試練の嵐は必要不可欠だ。いや、荒れ狂う苦難の怒涛こそ、望むところではないか。忍耐と努力と執念の、長い、長い暗夜も、あえて突き進んでいくのだ。

 逆境・・・まさに、それこそが、創価の英雄が躍り出る最高の舞台であるからだ。不可能の壁に敢然と挑み立ち、必ずや、誇らかに凱歌を響かせるのだ。

 

小説 新・人間革命 23巻 勇気 204頁

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2012年7月8日

人間の真価

 

 人間の真価は、ひとたび険難の峰にさしかかった時に、初めて明らかになるといわれております。前途に立ちはだかる困難をもって、挫折を自己正当化する手だてとするか、成長への好機と意義づけて進んでいくかで、将来の行路を決定づけてしまうといっても過言ではない。その選択は、ほかならぬ自己自身の腕にあるのであります。

 

小説 新・人間革命 23巻 学光 112頁

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2012年7月4日

学会から、絶対に離れてはいけない

 

 人生には、いろいろなことがある。また、創価学会のなかでも、さまざまなことがあるだろう。いやなこと、辛いこと、悲しいこともあるにちがいない。むしろ、人生は、その連続だろう。考えもしなかった大難だって起こるよ。仏道修行というのは、瞬間、瞬間、魔との戦いなんだよ。

 でも、何があっても紛動されることなく、信心から、学会から、絶対に離れてはいけないよ。学会から離れていけば、待っているのは、後悔だ。後になって、幾ら悔やんでも、悔やみ切れるものではない。仏法の世界は、厳しいものだ。だが、信心を全うし抜いていけば、最後は必ず勝つ。いろいろなことがあっても、幸福と言い切れる境涯になるよ。

 また、信心を貫き通していくには、信心の依処となる良い先輩が必要だ。幹部になればなるほど、指導を求める先輩がいなくなってしまい、行き詰まってしまいがちなんだ。実は、これが、怖いんだよ

 

小説 新・人間革命 26巻 厚田 16

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2012年6月14日

苦闘の中に人間革命

 

 「苦闘よ、苦闘よ。

  汝は、その中より、真の人間ができるのだ。

  汝は、その中より、鉄の意思が育つのだ。

  汝は、その中より、真実の涙を知ることができるのだ。

  汝よ、その中より、人間革命があることを知れ」

 

 “風を受けてこそ、凧は天高くあがる。

  試練の烈風あってこそ、自身の境涯は高まる”

 

小説 新・人間革命 23巻 333頁

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