苦難

2018年11月23日

第1560回
正しいからこそ、悪口罵詈される

 

<人間社会の実相>


 ともあれ、悪い社会であるがゆえに、卑劣な人間も多くいる。これが、世間の日常であり、あらゆる世界が、嫉妬と反感の、醜悪な現実であることは、皆さまもご存じのとおりである。
 人の口に、戸は立てられない。たとえ、愚劣な中傷批判をされても、毅然たる態度で動ぜず、堂々と生き、戦いぬいていくことだ。それが、信仰の証であり、人格者の姿勢である。
 とともに、仏敵は必ず倒してみせるという勇敢なる祈りがなければならない。
 きょう八月二十八日は、ゲーテの誕生日である。(一七四九年生まれ※)
ゲーテは言う。「私が愚かだと、それには誰も異議を唱えぬ。私が正しいと、彼らは非難しようとする」(「真実に生きる――ゲーテの言葉2」関泰祐訳、社会思想社)
 正しいからこそ、悪口罵詈される。これが、人間社会の実相である。

 

※明年(2019年)はゲーテ誕生270年。

 

2001年8月28日 群馬最高協議会

2018年10月26日

第1546回

ジェーン・アダムス
正義が確立・安定するまで止まってはならない

 

<克服できない困難はない>

 

 デューイ博士が、心から敬愛し、ともに行動し、大きな啓発を受けてきた一人の女性がおります。その人は、貴・研究センターのあるイリノイ州の出身で、アメリカで女性初のノーベル賞に輝いたジェーン・アダムズ先生であります。(社会福祉事業家・平和運動家。一九三一年、ノーベル平和賞受賞)
 彼女こそ、「アメリカの女傑」と呼ばれた、人道と平和の女性闘士であります。(中略)
 アダムズ先生は、地域に根を張って、もっとも苦しみ、悩む庶民の友となり、そして、自分のことしか考えない政治家と戦いながら、女性の参政権を勝ち取った。さらに、だれもがあきらめていた「民衆のための改革」を見事に成し遂げました。
 「女性の力」は偉大であります。彼女は、こう語っております。
 「この事業は、(中略)常に自分たちの足で歩いたのである。困難はもちろんあったが、どれ一つとして克服できないものはなかった」(『ハル・ハウスの20年』市川房枝記念会・縫田ゼミナール訳、市川房枝記念会出版部)
 「自分たちの足で」――何の報酬も、見返りも求めずに、ひたすら、平和のために歩く皆さまと同じである。
 そしてさらに彼女は言う。「正義を確立するためにいかに時間がかかろうとも、また、そのためにいかに困難な道を歩もうとも、正義が安定するまで止まってはならない」(『ハル・ハウスの20年』柴田善守訳、岩崎学術出版社)と。仏法の「勇猛精進」にも通じる、立派な姿であります。(中略)
 「進まざるは退転」であります。眼前の自分の使命のために勝つことです。断固として勝つことです。「生きる」とは、「戦う」ことです。動物も、植物も、すべて、戦っています。
 民主主義も、戦って、戦って、勝ち取るものであります。その断固たる勝利によって、自分自身の生命が、また、自分に連なる一族・眷属が、永遠に成長し、永遠に勝ち栄えていく、厳たる因を刻むことができるのであります。
 デューイ博士は、八十歳のとき、こう語りました。
 「私の人生哲学は本質的には単純な言葉だが辛抱強く頑張るところにある」(G・ダイキューゼン『ジョン・デューイの生涯と思想』三浦典郎・石田理訳、清水弘文堂)
 「辛抱強く」――これが人生の勝利の根本です。辛抱強い人間には、だれ人も、かなわない。「辛抱強さ」は最高の武器です。
 これまで学会は、数々の難にあいながら、すべて乗り越えてきた。いかなる権力の策謀をもってしても倒せなかった。学会は、「辛抱」と「忍耐」で勝利してきたのです。

 

 2001年6月6日 アメリカ・デューイ研究センター人間教育貢献賞授賞式、関東婦人部代表幹部会、「6・30」結成記念の学生部大会

2018年10月25日

第1543回

困難よ来れ!

大闘争に大福運が

 

<「戦う心」難即安楽>


 御書では、「法華経の行者」は「求羅」という虫に譬えられている。
 「求羅」は、その身はきわめて小さいが、風を受けると、それを食べて非常に大きくなり、一切を飲み込む。想像上の虫とされる。決して、グラグラしている酔っぱらいのことではない。(爆笑)
 大聖人は「大風吹けば求羅は倍増するなり」と仰せである。有名な御書である。
 日々、御書を拝することだ。多忙であっても、もう一度、挑戦していただきたい。御書にふれれば、わが生命が大きく変わる。人生勝利の大確信がわく。
 さて、この「求羅」を倍増させる「大風」とは、いったい何か。それは、「大難」であると、大聖人は明快に示されている。
 法華経の行者は、大難との大闘争があるほど、ますます生命力が増し、福運が増し、勢いが増す。一切を人間革命へのエネルギーにして、変毒為薬しながら、自分を大きくしていける。大境涯を開いていける。だからこそ大聖人は、″いかなる苦難があろうと、いよいよ喜び勇んで戦いぬきなさい″″難が来たら安楽と思え″と仰せなのである。
 「広宣流布へ戦う心」があれば、仏になれる。いくら信心をしていても、「戦う心」がなければ、仏になれない。臆病は畜生の生命である。
学会は、「戦う心」で走ってきた。だから、世界に発展した。「戦う心」――これが、わが創価学会の真髄であり、仏法の魂であると宣言したい。

 

  2001年6月27日第七回本部幹部会、第二回全国青年部幹部会、第一回中部総会・静岡総会、第六回関西青年部総会、第一回全国学生部幹部会

2017年1月2日

難を乗り越える信心(1)

 

<火打ち石に叩かれる“石”>

 

「心の財」は多くの人を救う力となる

 

 ダ・ヴィンチが書き残した有名な童話に、「火打ち石」の話があります。

 ――火うち石に、いきなり あたまを たたかれて 石は かんかんに おこって しまいました。
 けれども 火うち石は、にっこり わらって いいました。
 「がまん、 がまん。がまんが 大せつ。
 これが がまん できたら、
 わたしは、 あなたの からだから、
 すばらしい ものを
 ひき出して あげますよ。」
 そう いわれて、石は きげんを なおし、たたかれるのを じっと がまんしていました。
 すると、からだから きれいな 火が、ぱっと うまれたのです――。
 その火が、見事な力を発揮して、世の中の役に立っていったことは間違いありません。
 実に、示唆的な話です。
 人間が、思わぬ事に直面した時、どう対応するかが大事となる。まさに挑戦と応戦です。
 信心の実践から言えば、難や試練に遭った時に、心力、行力を奮い起こして、仏力、法力を引き出す。その応戦で積んだ「心の財」は大きい。崩れない。そして、多くの人を幸せにする力となります。
 “大切な仏子を一人ももれなく幸福に”との恩師・戸田城聖先生の切なる願いが込められた指針が、「難を乗り越える信心」です。


(つづく)

 

2016年12月31日

「冬は必ず春となる」

 

<我らの前進は止まらない>

 

 『法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる』(御書1253頁)――今、世界中の同志が拝する日蓮大聖人の御聖訓である。
 厳しい冬を越え、春に咲く花は愛おしい。「桜梅桃李」と説かれる通り、試練の冬を経てこそ、“自分らしい花”“可能性の花”は開花する。
 創価学会の誕生からこれまで、幾たび試練の嵐が吹き荒れたことであろうか。だが、いかなる時にも、創価の師弟は正義の旗を高々と掲げ、共々に励まし合い、一切を勝ち越えてきた。
 スイスの哲学者ヒルティは述べている。
 「苦しみは人間を強くするか、それともうち砕くかである。その人が自分のうちに持っている素質に応じて、どちらかになる」と。
 苦しみのたび、我らは強くなる。試練のたび、我らの絆は強固になる。そして今、全世界同時に地涌の勇者たちが躍動する「世界広布新時代」となった。牧口先生、戸田先生が、どれほど喜んでくださっていることか。
 我らの前進は止まらない。世界には、限りなく多くの、この仏法を求めている人がいる。いよいよ共に境涯を開いていくべき人がいる。
 御書には、仏法とは、あらゆる差異を超えて、『共に離苦得楽・現当二世の為なり』(143頁)と示されている。
 この精神を体現した、最も尊貴な創価学会を、皆で、共々に、断じて発展させ、栄えさせていこうではないか。
 主役は、次代を担う青年たちだ。青年と一緒に、青年とスクラムを組んで、青年の心で、朗らかに拡大の年を勝ち飾っていきたい。

 

 2016年12月27日 随筆 永遠なれ創価の大城 14 寒風に胸張り前進!

2016年11月12日

逆境こそ大聖人仏法の真髄


 カナダの女性作家モンゴメリーは、主人公の″赤毛のアン″に、こう語らせている。
 「わたしはね(中略)小さな障害は、笑いの種だと思い、大きな障害は、勝利の前兆だと考えられるようになったの」(『アンの愛情』掛川恭子訳、講談社)
 大きな障害は勝利の前兆――いい言葉である。
 状況が厳しければ厳しいほど、強気で人生を生きぬいていくことだ。
 勇気をもって、断固として前へ、また前へ、突き進んでいくことだ。
 御書には、「わざはひ(禍)も転じて幸となるべし」と仰せである。皆さまには「祈りとして叶わざるなし」の妙法がある。
 戸田先生は、師子吼なされた。
 「真の功徳は、折伏を知らぬ者にはありえない」
 「大聖人の仏法は、逆境にある人が、幸せになる宗教なのだ。苦難にあった人ほど、それを乗り越えた時、すごい力が出るのだ。その人こそが、本当に不幸な人々の味方になれるのだよ」
 困難を勝ち越えたからこそ、人間として光っていける。友の心がわかる、懐の深いリーダーへと成長できる。
 日蓮大聖人は仰せである。
 『剣なども、前進しない(臆病な)人には何の役にも立たない。法華経の利剣は、信心の勇気のある人こそ、使うことができるのであり、これこそ鬼に金棒なのである』(御書1124ページ、通解)
 勇気ある信心こそ無敵の宝剣である。強き信力、行力が、仏力、法力を出し、諸天善神を動かしていく。強盛な祈りと不屈の「負けじ魂」で断じて勝利の人生を切り開いていただきたい。

2003年9月5日海外代表協議会

2016年9月8日

不退転の負けじ魂で、

あらゆる難を耐え忍び、

一閻浮提広宣流布を共々に!

 

<『しばらくの苦こそ候とも・

ついには・たのしかるべし』>

 

 一、大聖人の御在世の本懐として、「熱原の法難」は民衆仏法の不滅の勝利を世界の人権史上に刻みつけました。その折、迫害の矢面に立って勇敢に師匠をお守りし、けなげな同志を支え抜いたのが若き南条時光です。
 大聖人は、この不惜身命の青年門下を「賢人」と讃えられ、『しばらくの苦こそ候とも・つい(遂)には・たの(楽)しかるべし』(同1565ページ)と断言なされました。
 広宣流布という最極の正義の使命ゆえの苦労ほど、崇高なものはない。
 たとえ、いかなる試練が襲いかかろうとも、いかなる苦難が打ち続こうとも、大聖人と不二の「師子王の心」を取り出して、恐れなく立ち向かうのだ。「異体同心」の友と励まし合い、題目を唱え抜いて、一つ、また一つ忍耐強く変毒為薬していくのだ。そして、いつも最後は、にっこり笑顔で、自分自身も、わが一家眷属も、わが国土も、「ついには・たのしかるべし」と必ずや勝ち栄えてみせるのだ――。
 この不退転の負けじ魂で、創価三代の師弟は、あらゆる難を耐え忍び、一閻浮提広宣流布を成し遂げてきました。これこそ、全世界の後継の青年部に脈々と譲り伝えゆく学会精神なのです。
 一、ともあれ、広宣流布大誓堂の完成から5周年となる2018年の11月18日を、われら創価家族の前進の目標と定め、いよいよの「大法弘通」へ、いよいよの「慈折広宣流布」の山を、歓喜踊躍して登りゆこう!
 これからの2年間、私と一緒に、世界の同志と一緒に、一人一人が地涌の友を拡大しながら、「師弟の凱歌」を、強く賢く朗らかに、末法万年尽未来際まで轟かせゆくことを約し合って、メッセージといたします。

 

2016年9月4日 聖教新聞 世界広布新時代第19回本部幹部会への池田SGI会長のメッセージ(抜粋)

2015年12月18日

厳冬を越えてこそ、
「常楽我浄」の人生となる

 

 厳冬を越えてこそ
 春の喜びも大きい。
 季節の変化があるから
 一年は美しい。
 人生も同じである。
 山もあれば、谷もある。
 しかし、強い生命力と
 豊かな智慧があれば、
 あらゆる人生の苦難も
 全部、楽しみながら、
 乗り越えていける。
 何ものにも揺るがぬ
 「常楽我浄」の
 自身となり、人生となる。


2015.12.13付聖教新聞 光の言葉 幸福の曲(抜粋)

2015年11月12日

妙法を正しく実践すれば難が起きる

 

<大難が成仏という大境涯を完成>

 

覚悟の信心に立て!

 

 『彼のあつわら熱原愚癡の者ども・はげまして・をどす事なかれ、彼等にはただ一えんにおもい切れ・からん 不思議わるからんは一定とをもへ、ひだるし空腹とをもわば餓鬼道ををしへよ、さむしといわば八かん地獄ををしへよ、をそろししと・いわばたかにあへるきじねこにあえるねずみを他人とをもう事なかれ』(聖人御難事、1190頁)

 

 妙法を正しく実践すれば、難が起きます。だが、広布ゆえの大難は、成仏という境涯を勝ち取るためである。「灸治(やいと)」が、その時は辛くても病気を治すために必要なのと同じように、難を乗り越える信心の実践があってこそ、自身の宿命転換を成し遂げていくことができるからです。

 功徳は、さまざまな形で表れます。その時には理不尽としか思えない試練でも、後になってみれば、それが幸福の道を開く契機となっている場合もある。絶体絶命の窮地に思えても、強盛なる信心に立てば、それによって真実の大功徳をつかむことができる。この甚深の法理を大聖人は教えられているのです。

 牧口先生の殉教も、三世の眼で見るならば、学会の永遠にわたる大発展の因を刻み、世界の広宣流布と、民衆の幸福と平和の連帯への道を開いてくださったのです。

 大聖人は『ただ一えんにおもい切れ・からん 不思議わるからんは一定とをもへ』と、弟子たちに「覚悟の信心」を促し、励まされています。

 大聖人御自身、立宗宣言以前から、正法を説けば、壮絶なる迫害が競い起こることを、誰よりも知悉されていました。しかし、『本より存知の旨なり』(910頁)、『これには一定と本よりごして候へば・なげかず候』(951頁)

と、幾多の大難と迫害の連続を悠然と見下ろしながら、戦い抜かれました。

 『からん 不思議わるからんは一定とをもへ』とは、大聖人自身の御覚悟であったと拝されます。

 状況がどうであれ、怯まない。自ら決めた道を断じて進む、この強き一念の信心に立つとき、無限の智慧と勇気がわき、一切の勝利が切り開かれていく。悩みや宿命を、断固として転換できるのです。

 大聖人は、『難来るを以て安楽と意得可きなり』(750頁)とも仰せです。厳しい試練が襲い来るたびに、「自分が強くなるチャンス!」と、喜び勇んで立ち向かっていく――これが学会精神です。仏法の真髄の生き方です。

 苦難が、自身を成長させるのです。宿命を転換し、幸福と勝利の大空へと自身を上昇させていく「向かい風」になるのです。

 

大白蓮華2015.11月号№793 37頁

2015年10月20日

厳しい現実にあっても「生き生きと生きよ」

 

 (前略)同じ一生であるならば、喜んで生きたほうが得である。同じ行動をするのなら、楽しんで行動したほうが価値的である。
 まして仏法では「一心の妙用」と説く。また「一念随喜」(随喜とは随順して歓喜すること)と説き、「随喜功徳」(随喜の一念に広大な功徳が備わる)と教える。
 心にあふれる喜びの光――そこに信仰の証明があり、境涯のバロメーター(指標)もある。
 ともあれ「生き生きと生きよ」――自身のため、愛する家族のため、友のために、私はそう申し上げたい。その人には、悩みをも希望へと変えゆく勇気がわく。のみならず、多くの人々の心に、希望の灯をともしていくことができる。
 その意味でどうか、厳しい現実の生活も、豊かな心で楽しみながら、強くまた強く、価値ある人生を創っていっていただきたい。


1989年11月29日第九回全国婦人部幹部会

2015年10月8日~10日

苦労があるからこそ、生命が磨かれる


 御書に『猪の金山を摺り』(御書916頁)という御言葉がある。
あるところに「金の山」があった。そこに猪がいて、「金の山」が輝いているのが気に入らない。

 「何だ、あんなやつ」と思い、金の光を消そうとして、体をこすりつける。猪だから、毛は硬く、勢いもすさまじい。
 ところが、結果は、どうなったか。猪がこすればこするほど、そのおかげで、金山は、ますます燦然と光を増していったのである。
 これは、竜樹の『大智度論』や、天台大師の『摩訶止観』にある話である。大聖人は、これを御書に引かれて、「法華経の行者は、障害に遭えば遭うほど、もっと輝いてくる」と教えてくださっている。
 障害とは、三障四魔のことである。三障四魔と戦わなければ成仏はない。難を受け、難を乗り越えなければ、仏になれない。試験を受け、試験を乗り越えなければ、大学を卒業できないのと同じである。
 大聖人は、『此の世界は第六天の魔王の所領なり――この世は第六天の魔王が支配する世界――であると仰せである。ゆえに「善人」が迫害される。「悪人」がのさばる。こういう転倒の世界を、根本的次元から変えていくのが広宣流布である。
  障害があればあるほど、自分が輝いてくる――これは人間関係についても、大切な教えではないだろうか。
 組織は、さまざまな人の集合である。自分にとって、やりいい相手だけとは限らない。うんざりするような場合もあるにちがいない。しかし「だからこそ」、そのなかで、自分という「黄金の山」が光ってくるのである。
 周りが、いい人ばかりだと成長はない。やりにくい人の中でこそ、自分が「黄金」に磨かれていくのである。
 考えてみれば、自分のことさえ、自分の思うようにはならない。まして、他人が自分の思うようにならないのは当然である。それを、いちいち腹を立てていても、何が良くなるわけでもない。相手がそれで変わるわけでもない。
 「しょうがない人だなぁ」と思って、慈悲をもって包容してあげるしかない。
  ともあれ、順調ばかりの人生だと、人生を簡単に考えてしまう。これまでの反逆者は、みんなそうであった。彼らは組織での苦労もしていなかった。
 大聖人は仰せである。
 『摩訶止観第五に云く「行解既に勤めぬれば三障・四魔・紛然として競い起る』文、又云く『猪の金山を摺り衆流の海に入り薪(たきぎ)の火を熾(さかん)にし』(御書916頁)と。
 すなわち、天台大師は、『摩訶止観』の中で大海があんなに大きいのは、さまざまな川が流れこんで、それを海が受けいれているからである。
 もし、川を押し返してしまったら、大海は大海でなくなってしまう。自分がいやな相手と会わないのであれば、大海のような自分はつくれない。
 また「薪」を増やせば増やすほど、「火」は大きくなるではないかとも言っている。
 不幸の「薪」があって、幸福の「炎」がある。苦労があるから、喜びもある。煩悩即菩提である。悩みがあるから、成長がある。ゆえに、″幸せばかりの幸せ″はない。
 大聖人は、御自身を迫害した平左衛門尉たちこそが、「第一の善知識」であり、「第一の味方」であるとまで仰せである(御書917頁、趣意)。自分をいちばん困らせる人間こそが、自分を仏にしてくれるのである。

 

1998年1月25日婦人部代表協議会(「紅梅会」「常磐会」総会)

2015年7月23日

苦難は本物と偽物を峻別する

  

 イタリア・ルネサンスの巨匠、レオナルド・ダ・ヴィンチは叫んだ。
 「純金かどうかは試練によってわかる
 精錬を重ねてこそ、真金は生まれる。苦難は常に、本物と偽物を峻別する試金石だ。(中略)
 この日(7月6日)は、生命尊厳の大仏法を行じられた牧口先生、戸田先生が、軍部政府の弾圧で逮捕された「法難」から満七十二年の日であった。(中略)

 

 艱難(かんなん)

  一つ一つと

    乗り越えて

   黄金(きん)と輝く

    不敗の生命(いのち)

 

2015.7.8付聖教新聞 随筆民衆凱歌の大行進24

2015年3月9日

我らの合言葉は「希望・忍耐・前進・勝利」

 

<「大難来りなば強盛に信心弥弥悦びをなすべし」>

 
 わが恩師・戸田先生は晩年、こう力を込めて語られた。
 「希望があれば、前進できる。何があっても戦える。
 そして、忍耐だ。忍耐なき人は、愚痴に負ける。
 前進している人は、息吹がある。不退転の心で、朗らかに前進すれば、必ず勝利できる」
 我らの合言葉は「希望」「忍耐」「前進」そして「勝利」だ。自分自身の悔いなき歴史をつくるのは、今である
 思えば、戦後の荒廃の中、創価学会の再建に立ち上がった恩師を、私は全身全霊で支えた。
 「10年後、20年後を見よ」と歯を食いしばって戦った。そして全てに勝利した。
 御聖訓には「大難来りなば強盛に信心弥弥悦びをなすべし」(御書1448頁)と厳然と仰せである。
 大変な時こそ、大きく変われるチャンスなのだ。大闘争が、福運を大きく開く。
 広布前進のリズムの中で、「生老病死」の苦をも、「常楽我浄」の喜びへと転じていける。
 大事なのは、負けない心だ。勝つための祈りだ。
 宿命を使命に変える人間革命の劇を、断じて、ともどもに勝ち飾ろう!

 

聖教新聞2015.3.7付 新時代を駆ける 8

2014年11月11日

万人の希望になれ!

 

 「仏法は『変革の哲学』であり、『逆転の思想』である。(中略)
 大悪という試練の溶鉱炉に鍛えられてこそ、大善の鋼鉄を打ち出すことができるのだ。
 だから嘆いてはならない、むしろ舞を舞うが如く、喜び勇んでいくのだ!
 誰が見ても、大変だと思うような悪条件がある。だが、一人がそれを破れば、状況は一変する。その人の勝利は、同様の苦悩をもつ万人の希望となり、勇気となる」
  

大白蓮華No.780号2014.11月号63頁


2014年9月24日25日

苦労こそ青年の最高の環境

 

<孔明の師匠は「苦労」の二文字>

   
「よし!」。孔明は誓った。血涙にまみれて、わが身に言い聞かせた。
 「二度と負けてはならない。絶対に勝たねばならない。負ければ、これ以上の不幸はない」
 「人生は勝負」である。「仏法も勝負」である。釈尊も日蓮大聖人も「断じて勝て」と仰せである。
 孔明はふたたび流浪の身になった。その時、17歳といわれている。
 荊州にもどり、その後、10年間、自分を鍛えに鍛え、「一剣」を磨きに磨いた。「不敗」「常勝」の知恵と力を養った。
 立ち上がる“その時”を目指して、苦労し、勉強し、あらゆるものを吸収した。
 “その時”が訪れた。27歳、主君となる劉備玄徳と出会う。ここから『三国志』の、あの大活躍が始まるのである。
 ちょうど青年部の諸君の年代である。
 結論すれば、不世出の天才・孔明の師匠は、だれであったか。――。
 それは「苦労」という二文字であったといえよう。
 ゆえに青年は、できあがった環境に安住してはならない。
 青年は、「自分の力」で、「自分の苦労」で、「自分の行動」で、「新しい歴史」をつくっていくべきである。
 私は、その思いで歴史をつくってきた。広宣流布の大いなる歴史を、世界中に残してきた。ただ一人、大難を受けながら。
 あとは諸君である。
 諸君も諸君の立場で道を開いていくべきである。腹を決めて苦労し抜いて、偉い人になってもらいたい。
 諸君は妙法を持っている。苦労が全部、生きないわけがない。


聖教新聞2014.9.17付1995年6月第90回本部幹部会

 

2014年9月18日

創価学会こそ人生を最高に勝利させる「道」


 苦労し抜いたからこそ、会長の資格がある。これが戸田先生の哲学であった。(中略)
 今の時代は、皆、苦労から逃げようとしている。苦労することを、時代遅れのように思っている。また。苦労するのが損のように勘違いしている。
 そうではない。苦労は全部、自分のためである。
 甘えようと思えば、いくらでも甘えられる“鍛錬なき時代”である。
 こういう時代だからこそ、自分から求めて「苦労しよう」と自覚した人が得をする。何ものにも「負けない」自分へと、鍛錬し抜いた人が勝つ。
 その貴重なる「自己教育」の世界はどこにあるか――。
 ここにある。創価学会にある。ここにこそ、人生を最高に勝利させる「道」がある。


聖教新聞2014.9.17付1995年6月第90回本部幹部会

2014年9月8日

何があっても信心を貫き通しなさい!

 

<法華宗の四条金吾とうたはれ給へ>

   
『法華経の信心を・とをし給へ・火をきるに・やすみぬれば火をえず、強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ、あしき名さへ流す況やよき名をや何に況や法華経ゆへの名をや』(四条金吾殿御返事、1117頁)


 ――大聖人は人生の正念場において、苦境を乗り越え、我が身に仏の果徳を現していくためにも、まずは持続の信心に徹するように訴えられます。
 続けて大聖人は「強盛の大信力をいだして」と仰せです。
 強き信力・行力に、偉大な仏力・法力も尽きることなく現れるのです。同じ信仰を持っているのであれば、大目的に向かって、大確信をもって、悠然と突き進んでいこうではありませんか。
 そして大聖人は「法華宗の四条金吾、四条金吾と、鎌倉中の上下万民、さらには日本国の一切衆生の口にうたわれていきなさい」と励まされています。
 「法華宗の四条金吾」、すなわち「日蓮大聖人門下の四条金吾」として、日本中の人々から賞賛される人物になりなさいと教えられているのです。
 「信心即生活」です。「仏法即社会」です。社会の中で、信心根本に絶対勝利の実証を示し、人々から賛嘆されることこそ、仏法者のあるべき姿です。
 「法華宗の四条金吾」――この御指導は、永遠の指標です。学会員は、この御金言を心肝に染め、現実の人生に妙法の果徳を厳然と現しながら生き抜いてきました。これ以上、素晴らしき人生はありません。
 大聖人は「あしき名さへ流す況やよき名をや」と述べられています。世間での悪評はあっという間に有名になります。良い評判であるなら、なおさらです。さらに大聖人は「何に況や法華経ゆへの名をや」と仰せです。法華経という最第一の哲理に生きて得られる栄光こそ、最大無上の誉れと輝くのです。

 

大白蓮華№775号2014.6月号38頁

2014年8月23日

強くなるんです

   
 失恋した人もいるでしょう。また、傷ついて、「もう自分はダメなんだ」と思っている人もいるかもしれない。けれども、絶対に、自分はダメだなどと思ってはいけない。宇宙全体の宝を集めたよりも、かけがえのないあなたなんです。
 たとえ、今、どんな境遇にあったとしても、私は皆さんを、かけがえのない“息子”であり、“娘”であると信じている。必ず立ち上がってくれると待っている。
 強くなるんです。強くなれば、悲しみさえも栄養になる。苦悩が自分を清めてくれる。自分が押しつぶされそうな苦しみの底で、初めて人生と生命の真髄が心にしみ通ってくるのです。だから、苦しんだからこそ生きなければならない。前へ前へ進むのです。
 悲しみを糧にして、もっと大きな自分になればいい。もっと素敵な自分になればいい。苦しんだあなただからこそ、そうなれるんです。顔を上げるんです。自分は一生懸命、生きたのだから、本当は「勝利者」なんです。沈みこんで、変な方向に行っちゃいけない。
 苦しみにつけ、悲しみにつけ、喜びにつけ、ありのままの思いを祈りにこめて唱題していけば、自然のうちに、一番いい方向にいくものです。

 

青春対話(1) 104頁

2014年5月22日

難に負けるわけがない! 

  
 『心ざし人にすぐれて・をはする上わづかの身命をささうるも又御故なり、天もさだめて・しろしめし地もしらせ給いぬらん殿いかなる事にもあはせ給うならば・ひとへに日蓮がいのちを天のたたせ給うなるべし』(四条金吾殿御返事、1149頁、編933頁)
 ――(あなた、四条金吾は)日蓮を助けようとする志が人よりすぐれておられるうえに、日蓮がわずかの身命を支えることができるのも、あなたのおかげである。このことは、必ず天も知っておられ、地もご存じであろう。もし、あなたの身に何かの災難でも起こったならば、それが何であれ、日蓮の命を、天が絶とうとするのと同じである――。
 そんなことは、絶対にない。ゆえに、難に負けてはならないと激励しておられる。
 当時、金吾は讒言によって、領地替えなどの厳しい逆境に立たされていた。現代でいえば、深刻な不景気やリストラの苦境にも通ずるかもしれない。
 しかし、戦うべき時に戦った人は、いざという時に、十方の諸仏から、また諸天から、必ず必ず守られていく。
 学会は創立以来、法華経のとおり、御書の仰せのとおりに進んできた。ゆえに強い。ゆえに永遠に行き詰らない。

 
1999.10.8婦人部・女子部最高会議

2014年5月18日

「逆境」こそ成長の「チャンス」 

  
 トルストイの青春も、試行錯誤の連続であった。当時の日記には、その悩み、苦しみが、にじみ出ている。
 「この七日間何一つせず」「全く特別なことは何もせず。ほとんど書かず」「ほとんど一月も何も書かず」「書けず。すっかり萎えた拙い筆」
 書きたい、しかし書けない――。若きトルストイは、一日一日、そうした挫折と戦っていた。
 仏典では、この世界を「娑婆世界」と説く。これは「堪忍世界」すなわち「苦しみに耐えていく世界」の意味である。
 諸君も仕事その他で、挫折感を味わうことがあるであろう。決して負けてはならない。忍耐し、焦らず、自分自身を磨き、力をつけることである。ともかく「前へ」進むことである。そこに、「道」は開けていく。
 「苦労」なくして「人間」ができるはずがない。若いうちから、楽しようなどと、少しでも考えたなら、最後は敗北の人生である。

 

 さらにトルストイの日記――。
 「よかろうが、わるかろうが、つねに書かねばならぬ。書いていると、直接の利益はなくても仕事に慣れ、文体が出来てくる。反対に、書いていないと、迷いが出て、くだらぬことをすることになる」
 行き詰ったと思うときでも、ともかくも前へ、また前へと粘り強く進む――。勉強でも、最初はわからなくとも、ともかく「学び続け」「考え続けて」いく。その挑戦のなかで、必ず理解が開けてくる。
 止まってしまえば迷いが出る。迷いが出れば、わき道にそれて「くだらぬこと」をしてしまう。止まってはならない。苦しみ、もがきながらも、「前進!」また「前進!」と、自分を励ましながら、進んでいくことだ。その人が勝つ。その人こそ、立派に「人格」ができる。
 また「腹を空かしている時の方がよく書ける」と。示唆的な言葉である。
 一般的にも、恵まれた環境にあると、かえって力を発揮できない場合がある。
 「強靭な知性」「奥行きのある人格」――それは、苦しみのなかでのみ磨かれる。「逆境」は、成長の「チャンス」なのである。


1992.11.3創価教育同窓の集い

2014年4月24日

 「苦難よ!おめでとう!」

 

 山本伸一は、次のように話を結んだ。
 「いかなる試練があろうとも、そのなかで苦労を重ね、同志を守り、仏道修行に励み抜いた人は、最後は必ず勝ちます。試練というのは、自分を磨き抜き、大きく飛躍していくためのものなんです。
 皆さんは、何があっても一喜一憂することなく、“今に見よ!”との一念で、一生成仏の坂道を勇敢に上り抜いていってください」(中略)
 中国の人民の母・トウ穎超は語っている。
 「闘争を乗り越えてこそ、心も、体も鍛えられる。また、悪いことも良いほうに変えていける。だから私は、苦難を受けているあなたに“おめでとう!”と言います」

 

小説 新・人間革命 27巻 激闘27

2014年4月16日

難来るを以て安楽と意得可きなり

 

 『法王の宣旨背きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起し忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ一部八巻の肝心・妙法五字の旗を指上て未顕真実の弓をはり正直捨権の箭をはげて大白牛車に打乗つて権門をかつぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗の敵人をせむるに或はにげ或はひきしりぞき或は生取られし者は我が弟子となる、或はせめ返し・せめをとしすれども・かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし、法華折伏・破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなく・せめをとして法王の家人となし天下万民・諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり』(如説修行抄、502頁、編554頁) (通解省略)
 あらゆる魔との戦い、そしてそれに打ち勝つところにしか真の「安穏」がないことを大聖人は確信されていた。そのことを御自身の戦いを通して実証されたのです。だから、そこにあるのは大いなる喜びなのです。
 大聖人は、民衆を救うために、末法の時代にはびこる魔性を打ち破る戦いを起こされた。それが「権実二教のいくさ」です。実教に至る準備段階であるべき権教が、邪法の僧によって実教を妨げる邪法と化してしまっている。それを正す法戦です。
 大聖人は、ただ難を受けられたのではない。この「いくさ」を起こしたと仰せです。法華経の肝心である「妙法五字の旗」を掲げての宗教革命です。広宣流布の戦いです。そして「今に至るまで軍やむ事なし」とあるように、二十余年にわたって続いている。戦い続ける人が仏です。民衆を守るために、民衆の幸福を築くために、仏は戦い続けるのです。
 末法という「悪世」の真ん中で戦っていくことを、むしろ喜びとされている。なぜならば、その戦う生命にこそ「現世安穏」があり、永遠の成仏の道があるからです。
 戦う人が内証において現世安穏を成就しているからこそ、その戦いを最後まで推し進めれば、必ず「吹く風枝をならさず雨壤を砕かず」という、だれの目にも明らかな現世安穏の世界が現出すると仰せです。しかも、その世界は、かつてない不老不死が実現する世界です。すなわち、永遠の妙法の力が人間にも社会にも躍動し、老いの苦しみや死の苦しみに左右されない真の幸福と平和の世界が現れるのです。
 平穏無事に生きることが「安穏」なのではない。何があっても揺るがない境涯を築くことです。そうすれば、いつも「安穏」です。信心の強き一念で戦えば、だれでもその大境涯を自分自身のものにできる。
 だから、「難来るを以て安楽と意得可きなり」(御義口伝巻上、750頁、編1596頁)と仰せです。難が来た時こそ、成仏のチャンスなのです。

御書の世界(上)第八章 法 難

2014年4月14日

人間とはかくも偉大なり


 大聖人はどこまでも凡夫として振る舞われ、凡夫として大難と戦い、そこに成仏の厳たる軌道があることを示してくださった。

 ゆえに、幾多の難を勝ちぬかれた御姿は、「人間とはかくも偉大なり」との証明にほかならない。
 大難に耐えぬいて、「難即成仏」の大道を身をもって切り開かれた。凡夫成仏、人間勝利の真髄を示されたのです。

 

御書の世界(上)第八章 法 難

 

2014年4月9日

久遠長寿の如来


 『火にたきぎを加える時はさかんなり、大風吹けば求羅は倍増するなり、松は万年のよはひを持つ故に枝を・まげらる、法華経の行者は火と求羅との如し薪と風とは大難の如し、法華経の行者は久遠長寿の如来なり、修行の枝をきられ・まげられん事疑なかるべし、此れより後は此経難持の四字を暫時もわすれず案じ給うべし』(四条金吾殿御返事、1136頁)
 この御手紙をいただいた当時、四条金吾が主君から勘当を受けて苦境に陥っていた。そして、“信心していても現世安穏にはならない”と、ついグチを漏らしてしまった。そのことを大聖人が伝え聞き、心配して叱咤・激励された御手紙です。
 法華経の実践に難は必然だ。しかし、難に耐え、難を乗り越えていく人は、わが生命本来の「久遠長寿の如来」を現していけるのです。
 その意味で、難こそ自身を最も深い意味で鍛え磨くための成長の糧であると、そう教えられています。
 困難から逃げ、鍛えを避けるところには、決して向上も成長もない。これは、まさに大聖人御自身の体験に基づく大確信であり、成仏の修行の永遠の真実です。

 

御書の世界(上)第八章 法 難

2014年3月31日

苦闘は人間力の父、苦闘は歓喜の母

 

 苦闘は、精神を鍛え、人間力を培う父である。苦闘は、歓喜を生み出す母である。
 山本伸一は、記者たちに語った。
 「私は、青年たちに、苦闘を厭わぬ信念と哲学をもってほしいんです。苦労するのは辛いことです。しかし、自分の置かれた現実と、そこに横たわる困難を避けずに直視し、真正面からぶつかっていくことが大事なんです。労苦のなかった偉人も、英雄もいません。
 苦悩は、鉄の精神をつくりあげる溶鉱炉です。人生の一つ一つの苦しみが、自身の向上の力となり、創造の源となっていきます」
 たとえば、病苦も、人間完成への力としていくことができる。御聖訓には「病によりて道心はをこり候なり」(御書一四八〇頁)と仰せである。病と向き合い、苦悩することから、それを克服しようとの強き信心が、熱き求道の一念が起こり、自己の成長が図れるのだ。
 仏法では、「生死即涅槃」と説く。苦しみ、迷いが、そのまま悟りとなるという法理である。つまり、苦悩があってこそ、悟りがある。大苦あってこそ、大悟があるのだ。

 

小説 新・人間革命 27巻 激闘8

2014年2月15日

苦境の時にこそ、反撃を!

 
 いちばん、苦境の時にこそ、反撃に打って出る――これが名将軍の手の打ち方である。たいていは、いったん負けると、臆病になり、愚癡をこぼしたりする。しかし本当は、その時が「変毒為薬」のチャンスなのである。(中略)
 もっとも困難なところへ――ここに急所がある。何か問題が起きたり、大変な場面にあうと、多くの人は逃げ出す。しかし、あえて、いちばんたいへんなところへ乗り込んでいくのが一流のリーダーである。偉大な人間である。
 私自身、この行動を、ずっと貫いてきました。だから、勝ち続けてきた。どんな戦も、そうであります。
 「牧口先生、戸田先生がつくられた学会を、何があっても守りぬくのだ。そのためなら、あらゆる難は、私一人が受ける。どうか、ほかは、だれ一人として、難にあいませんように」――会長になって以来、私は、そう祈り続けてきた。

 

2000.9.7第49回本部幹部会

2014年2月12日

さあ、何でもかかってこい!

 
 結局、困難というものは、どんなに逃げ回ったとしても、避けることはできません。同じ生きるなら、「さあ、何でもかかってこい」と勢いよく、強い生命力で楽しく悠々と迎え撃ったほうが、爽快であり、価値的です。
 学会には、言うに言われぬ苦悩や悲嘆に屈せず、逞しく乗り越え、快活に戦い抜く姿を、誇りをもって人に示していく、信心の英雄というべき、無名の庶民が無数に存在します。
 大変であっても、明るい。苦しいはずなのに、賑やかに前進する。腹を決めて、大境涯から一切を包み込んでいく。自他共の幸福の実現、自他共の宿命の転換を目指し、日々、奔走する学会員の姿が、どれだけ多くの人々に勇気と希望と確信を与えていることか。後世の民衆史に厳然と刻まれる大英雄たちであることは疑いありません。

 

大白蓮華No.771号2014.2月号41頁

2013年12月23日

破邪の師子吼で勝て!

 
「悪は多けれども 一善に かつ事なし」
君よ 正義の大道を まっすぐに進め!
破邪の師子吼で勝て! 

 

2010.4.24わが友に贈る

2013年12月13日

信心は一人前

 

 日蓮大聖人は、「われ法華経の行者なり」との誇りも高く、絶体絶命の大難を勝ち越えられ、「幸なるかな楽しいかな」(御書975頁)との悠々たる御境涯を示された。
 戸田先生は、この御文を拝して語られた。
「御本尊があるから大丈夫だ。御本尊を拝んでいるから、自分は大丈夫だ。この確信が胸の奥底から出るようになったら信心は一人前です」
 苦しんで強くなる。祈って勝つのだ。病苦や経済苦、家庭の問題。あらゆる悩みに苦しんだ人が、友の苦しみも分かる。賢明な強い人になり、多くの友を救っていける。

 

聖教新聞2013.12.8付今日も広布へ

2013年11月29日

困難から逃げるな、困難に挑戦せよ!

 

 「皆さん方もこれから、苦しいこと、辛いこと、重荷に思えるようなことがあるかもしれません。先生に叱られたり、勉強が思うように進まなくて悲しくなる時もあります。友だちとケンカして、悔しくて悔しくてしょうがない時も、きっとあるでしょう。
 しかし、それらのことは、全部、皆さんが大きな人間に成長していくための荷物といえましょう。
 冬の次には必ず春がくるように、悲しいことのあとには、必ず楽しいこと、嬉しいことがやってきます。竹は、どんなに大雪がつもっても、決して折れない。じっとしんぼうして、希望の春を待ちます。
 だからといって、なんでも一人でがまんしていなさいというのではありません。両親と話し合うのもよい。先生や仲のよい友だちに相談するのもよいでしょう。
 皆さんは、これから伸びゆく若竹です。心を大きく開いて、体をきたえ、心をきたえ、竹のようにしなやかで、ねばり強い“がんばり”を身につけていっていただきたい」
 伸一は、まず子どもたちに、困難に挑むという、人としての最も大切な生き方を教えておきたかったのである。
 困難を避ける生き方が身についてしまえば、最終的に、子ども自身が不幸になってしまうからだ。

 
小説 新・人間革命 27巻 若芽4

2013年11月16日

すべてをバネに挑戦あるのみ! 


 物事は、順調に運ぶとは限らない。いや、何事かを成そうとするなら、必ず予期せぬ困難が生じよう。その時に、活路を見いだそうと、懸命に知恵を絞り、粘り強く努力を重ねていくなかで、より良い、新しい道が開かれていく。それは、仏法で説く「変毒為薬」(毒を変じて薬と為す)にも通じよう。困難や試練に負けず、すべてをバネに、意気盛んに挑戦していってこそ、飛躍と勝利があるのだ。
 
小説 新・人間革命 27巻 若芽19

2013年10月11日

状況が厳しければこそ、強気でいけ!

 

 大きな障害は勝利の前兆――いい言葉である。
 状況が厳しければ厳しいほど、強気の人生を生きぬいていくことだ。
 勇気をもって、断固として前へ、また前へ、突き進んでいくことだ。
 御書に、「わざはひも転じて幸となるべし」(御書1124頁)と仰せである。皆さまには「祈りとして叶わざるなし」の妙法である。
 戸田先生は、師子吼なされた。
 「真の功徳は、折伏を知らぬ者にはありえない」
 「大聖人の仏法は、逆境にある人が、幸せになる宗教なのだ。苦難にあった人ほど、それを乗り越えた時、すごい力が出るのだ。その人こそが、本当に不幸な人々の味方になれるのだよ」

 

2003.9.5海外代表協議会

2013年10月2日

大難こそ『現世安穏・後生善処』


 なぜ大聖人が、権力から迫害されるのか? なぜ、批判されるのか?
 まず、第六天の魔王が大聖人の身に入ろうとした。しかし、大聖人は、まったく寄せつけない。厳然としておられた。
 天魔は、大聖人には力およばないので、権力者をはじめ、愚かな坊主どもに取りついて、大聖人をあだみ、悪口罵詈等の迫害をさせた――そのように御書に記されている。
 大聖人は仰せである。
 「予日本の体を見るに第六天の魔王智者の身に入りて正師を邪師とし善師を悪師となす、経に『悪鬼入其身』とは是なり、日蓮智者に非ずと雖も第六天の魔王・我が身に入らんとするに兼ねて用心深ければ身によせつけず、故に天魔力及ばずして・王臣を始めとして良観等の愚癡の法師原に取り付いて日蓮をあだむなり」(御書1340頁)
 大聖人は、こう宣言された。
 「如説修行の法華経の行者には三類の強敵打ち定んで有る可し」(御書504頁)
 「大難なくば法華経の行者にはあらじ」(御書1448頁)
 法華経の行者には、三類の強敵が、必ず競い起こってくる。三類の強敵がなければ、法華経の行者ではない――こう断言されているのである。

 〝どうして非難されるのか〟と思う人間は、まず、経文を知らない。それに、古今東西の英雄、賢人の生きた軌跡を知らない。浅はかな人間の胸の内であり、愚かな行為というほかない。
 御書には、こうも記されている。
 「三類の強敵が来ることをもって『現世安穏』の経文は現れる。(三類の強敵を呼び起こした人が)法華経の行者であることは疑いない。法華経の行者は、このような大難に遭うと経文に書かれている。
 大難に遭うことをもって『後生善処(未来の世に必ず幸せな処に生まれてくる)』の成仏が決定したのである。これこそ、まさに現世において安穏であることではないか」(御書825頁、通解)
 〝三類の強敵が来ることが現世安穏〟と言われると、「ずいぶん矛盾する話だな」と悩むかもしれない。きょうは結論だけ申し上げるが、三類の強敵がいるから、仏になれる。永遠に、何があっても微動だにしない、安穏の大境涯となっていくのである。
 ゆえに、「難来るを以て安楽と意得可きなり」(御書750頁)――これが日蓮仏法の柱である。
 学会は大聖人の仰せのとおりに前進しているのである。

 

2003.12.5各部・海外代表協議会

2013年9月15日

歓喜の中の大歓喜


 『これほどの悦びをば・わらへかし』(御書914頁)
 妙法という究極の法に生き抜き、広宣流布という最極の大願に戦い抜く。この赫々たる大境涯は、何ものにも侵されない。何ものにも阻まれない。何ものにも負けない。
 そこには「歓喜の中の大歓喜」が、尽きることなく沸き起こってくる。

 

聖教新聞2013.9.8付メッセージ

2013年6月24日

 行き詰ったら、根源から自分を見直せ

 山本伸一は、信越男子部幹部会に集ったメンバーに、期待と信頼の眼差しを注ぎながら、言葉をついだ。
 「皆、さまざまな境遇で、苦労し、呻吟しながら生きている。それが、現実です。絵に描いたような華やかな人生なんてありません。そんなものは幻想です。
 そのなかで、現実に根を張って、着実に自身を開花させていくんです。時には、“自分なんか駄目だ!”と卑下したり、“なんで自分には光があたらないのだ”と、絶望的な思いをいだくこともあるかもしれない。
 しかし、諸君の人生は長い。決して焦ってはならない。焦って、地道な努力を怠れば、必ず、どこかで行き詰まってしまう。
 人生の勝負は、五年や十年で決まるものではありません。一生で判断すべきです。さらに、三世の生命という根源的な尺度で、ものを見ていくことです。特に、行き詰まった時には、もう一度、この次元から自分を見直し、勇気を奮い起こしていただきたい。
 
小説 新・人間革命 26巻 奮迅 40  

2013年6月21日

 決められた決勝点

「『さあ、出発しよう! 悪戦苦闘をつき抜けて!
 決められた決勝点は取り消すことができないのだ』
 これは、ホイットマンの詩集『草の葉』にある、有名な一節であります」 (中略)
 “さあ、出発しよう”と、日々、新たな決意で、自分を鼓舞して戦いを起こし続けていくのが、本当の持続の信心なんです。
 毎日、毎日が、新しい出発であり、勝利の日々であってこそ、人間革命も、人生の大勝利もあることを知ってください。
 悪戦苦闘――これは、広宣流布のため、自身の人生の勝利を飾るために、必ず経なければならない道程なんです。苦労しなかった偉人はいません。偉業を成した人は、皆が、迫害、非難、中傷にさらされ、ありとあらゆる苦難と戦っています。
 創価の大道を開いてくださった初代会長の牧口先生も、第二代会長の戸田先生も、軍部政府の弾圧と命を懸けて戦われています。私たちは、その師子の子どもです。勇んで悪戦苦闘のなかに身を置き、それを突き抜けていくなかに、自身の人間革命があるんです」(中略)
 「悪戦苦闘は、われらにとって、避けがたき宿命的なものです。しかし、決められた決勝点、すなわち、われらの目的である広宣流布、また、一生成仏、人間完成、福運に満ちた勝利の実証を示すという、人生の決勝点は取り消すことはできない」
  
小説 新・人間革命 26巻 奮迅 37、38

2013年6月12日

 逆境が人間を強くする

 日蓮大聖人は仰せである。
 『釈迦如来のためには、提婆達多こそ第一の善知識であった。今の世間を見ると、人を良くするものは、味方よりも強敵が人をよく成長させるのである』(御書917頁、通解)
 今、わが広布の英雄たちは「断じて壁を破るのだ!」と勇んで前進している。
 自分自身の
 未曾有の挑戦、
 未曾有の奮闘、
 未曾有の拡大 の歴史を、一日また一日、厳然と積み上げていきたい。
 寄せ来る苦難の波にも、「宿命転換のチャンスだ!」と決然と立ち向かい、祈りに祈り抜いて、乗り越えていくのだ。
 逆境が人間を強くする。
 信心は、一番の生きる力、勝利への推進力である。
 信心の世界は、頑張れば頑張るほど、生命力が強く豊かになる。いい方向へと、自分が変わる。福運がつく。人にも福徳を薫らせていける。
 広布の労苦は、全部が功徳になる。何の無駄もない。
  
聖教新聞2013.5.19付今日も広布へ20 

2013年2月28日

思わぬ試練にぶつかったら

 

「人生、耐え抜いた人に『栄冠』がある。最後は、その人が勝つ。その崩れざる信念を貫き通していくなかに、真実の『信用』も自然に残る」「作家・吉川英治氏は『苦徹成珠(くてつたまをなす)』と言った。“苦に徹すれば珠となる”有名な言葉である」「仏とは『能忍・・・能く忍ぶ』人をいう。青年は、波瀾万丈の人生でよいのである」「あせることはない。人をうらやむ必要もない。自分らしく、仏道修行を貫き通していけばよい」  途中で何があろうが、最後に勝つ。一生の総仕上げで見事に勝つ ここに仏法の精髄がある。

 

聖教新聞2011.3.3付未来への一歩

2013年2月度

乗り越える直前が、最も苦しい

 

 「大丈夫だよ。祈り抜けば、必ず道は開ける。悩みは、乗り越える直前が、最も苦しいものなんだ。山登りだって、八合目、九合目がいちばん大変じゃないか。腹を決めて、祈り、戦い抜くんだ。頂上はすごいぞ!」(中略)

 「あなたには、幸せになる権利があるんです。宿命に泣いてきた人だからです。また、あなたには、幸せになる使命があるんです。地涌の菩薩だからです。

 これまでの一切の苦労は、すべて仏法の力を証明していくためにあったんですよ。泥沼が深ければ深いほど、蓮の花や実は大きいといわれる。悩みや苦しみが大きければ大きいほど、幸せも大きい。信心をしていくならば、苦悩は心の宝石になるんです。変毒為薬の仏法なんです。それを必ず、心の底から実感する時が来ますよ。

 今は、まだ、“大変だな。苦しいな”と思うことが多いでしょうが、あなたは、既に幸せの大道を歩き始めているんですよ。人びとの幸福を真剣に願って、学会活動に励んでいること自体がそうなんです。

 以前は、自分の幸せしか考えなかったでしょう。しかし、今は、人の幸せを考え、広宣流布の使命に生きる喜びと充実をかみ締めている。そのことが、境涯革命している証拠ではないですか」

 

 小説 新・人間革命 26巻 法旗 49

2013年1月16日,2012年12月26

信心強き人とは

 

「試練に次ぐ試練、涙また涙というのが、現実の社会といえます。そのなかで人生に勝利していくには、唱題しかありません。信心強き人とは、何があっても『題目を唱えよう』と、御本尊に向かえる人です。その持続の一念が強ければ強いほど、磁石が鉄を吸い寄せるように福運がついていきます」

 

小説 新・人間革命 26巻 法旗 19

2012年12月27日

人の百倍、千倍の苦労を!

 

 人の百倍、千倍、苦労しぬいた人が、真実の人材です。苦労も何もせずに有名人、著名人になる・・・そんなものは嘘であり、偽物であり、幻です。そういう生き方をしても、人生の最後に苦しむだけです。実体のともなわない名声など、厳粛な死を前にしては、メッキのように、はがれていくものです。

 苦労に徹しぬいた人こそが、偉大な闘争を成し遂げ、偉大な歴史を残せるのであります。

 

大白蓮華No.757 2013.1月号88頁

2012年9月26日

忍耐とはエネルギーの蓄積

 

忍耐っていう言葉があるだろう。忍耐というのは、耐え忍ぶということじゃないよ。後に引くことでもないよ。忍耐している時に、次に打って出るエネルギーを蓄えているんだ。信心とは忍耐だよ。忍耐することが大事だよ。

 

大白蓮華 №754 2012.10月号 13頁

2012年9月12日13日

人生の勝利の栄冠は誰に?

 

「順風満帆に生きて、苦労もせずに、成功を収めた人などいません。失敗も、挫折もなく、人生の勝利者になった人もいません。泣く思いで苦労に耐え、何度も絶望の淵に立ちながら、粘り強く、前へ、前へと進んでいった人が、人生の勝利者になっているんです。 たとえ、失敗や敗北はあっても、絶対に腐ってはならない。いじけて、自らを卑しめることこそが敗北なんです。忍耐強い人が、最後に勝つ人なんです。その粘り強さを身につけていくための唱題であり、仏道修行であることを忘れないでください。 人生の勝利の栄冠は、信心を根本に、執念に執念を尽くし、粘って粘って粘り抜き、自分の決めた道を歩んでいった人の頭上に輝くことを宣言しておきます」

 

小説 新・人間革命 26巻 厚田 32

2012年9月7日8日

絶好のチャンス

 

苦難こそ、信心の無量の力を引き出していく最大の転機だ。御本尊の絶対の功力を証明する絶好の時である。諸天善神が間違いなく動き、私たちを護りに護る。今まで以上に、思ってもみなかった力が発揮できる。この大確信で、いよいよ勇み、立ち上がっていただきたい。 私たち学会員の信心が一段と深まり、人々に妙法の功力を示しきっていく時が来た!今こそ人間革命できるのだ!

 

 聖教新聞 2008年12月29日付 各部代表者会議

2012年9月2日

最後の粘りが決する

 

ひたぶるに、お題目を唱え、広宣流布に走り抜いていくんです。信心に行き詰まりはありません。私も、唱題第一で、ここまできました。祈れば、自分が変わります。己心の仏の生命が開かれ、周囲の人も変えていくことができる。さらに、大宇宙が味方します。 ところが、いざ困難に出くわし、窮地に立たされると、〝もう駄目だ〟とあきらめてしまう。しかし、実は、困難の度が深まれば深まるほど、もう少しで、それを乗り越えられるところまできているんです。闇が深ければ深いほど、暁は近い。ゆえに、最後の粘りが、勝利への一念を凝縮した最後の瞬発力が、人生の勝敗を決していくんです。

 

小説 新・人間革命 22巻 命宝 391頁

2012年9月1日

心の限界を破ろう

 

 理想が大きいほど、困難の峰もまた大きい。それを恐れていては、永久に前に進めない。夢は夢のままである。人生はまず、〝どんな困難も乗り越えてみせる″〝小さな自分のカラを破ってみせる〟という気概をもつことだ。そこからいっさいが開けていく。「限界を破ろう」。こう決めた時、じつは自分の心の限界は、すでに一歩、破れているのである。その時点で、理想や目標も、半ば達成されているとさえいってよい。

 

 希望の明日へ 390頁

2012年8月1日

労苦こそ財産

 

苦労し、苦労し、苦労し抜いて、悔しさに耐え、泣く思いで自らを鍛え、学び、働き、戦い抜いた人でなければ、民衆の苦労はわからぬ。人間の本当の心はわからぬ。御聖訓には「鉄は炎打てば剣となる賢聖は罵詈して試みるなるべし」(御書九五八頁)と仰せである。労苦こそが財産だ。

 

小説 新・人間革命 23巻 勇気 237頁

2012年7月20日

ドラマを創れ!

 

 ドラマを創る・・・そこにこそ、人生の醍醐味がある。その人生劇場の主役は、自分自身である。自らの「心」である。

 一生を感動の大ドラマとして完結させるには、試練の嵐は必要不可欠だ。いや、荒れ狂う苦難の怒涛こそ、望むところではないか。忍耐と努力と執念の、長い、長い暗夜も、あえて突き進んでいくのだ。

 逆境・・・まさに、それこそが、創価の英雄が躍り出る最高の舞台であるからだ。不可能の壁に敢然と挑み立ち、必ずや、誇らかに凱歌を響かせるのだ。

 

小説 新・人間革命 23巻 勇気 204頁

2012年7月8日

人間の真価

 

 人間の真価は、ひとたび険難の峰にさしかかった時に、初めて明らかになるといわれております。前途に立ちはだかる困難をもって、挫折を自己正当化する手だてとするか、成長への好機と意義づけて進んでいくかで、将来の行路を決定づけてしまうといっても過言ではない。その選択は、ほかならぬ自己自身の腕にあるのであります。

 

小説 新・人間革命 23巻 学光 112頁

2012年7月4日

学会から、絶対に離れてはいけない

 

 人生には、いろいろなことがある。また、創価学会のなかでも、さまざまなことがあるだろう。いやなこと、辛いこと、悲しいこともあるにちがいない。むしろ、人生は、その連続だろう。考えもしなかった大難だって起こるよ。仏道修行というのは、瞬間、瞬間、魔との戦いなんだよ。

 でも、何があっても紛動されることなく、信心から、学会から、絶対に離れてはいけないよ。学会から離れていけば、待っているのは、後悔だ。後になって、幾ら悔やんでも、悔やみ切れるものではない。仏法の世界は、厳しいものだ。だが、信心を全うし抜いていけば、最後は必ず勝つ。いろいろなことがあっても、幸福と言い切れる境涯になるよ。

 また、信心を貫き通していくには、信心の依処となる良い先輩が必要だ。幹部になればなるほど、指導を求める先輩がいなくなってしまい、行き詰まってしまいがちなんだ。実は、これが、怖いんだよ

 

小説 新・人間革命 26巻 厚田 16

2012年6月14日

苦闘の中に人間革命

 

 「苦闘よ、苦闘よ。

  汝は、その中より、真の人間ができるのだ。

  汝は、その中より、鉄の意思が育つのだ。

  汝は、その中より、真実の涙を知ることができるのだ。

  汝よ、その中より、人間革命があることを知れ」

 

 “風を受けてこそ、凧は天高くあがる。

  試練の烈風あってこそ、自身の境涯は高まる”

 

小説 新・人間革命 23巻 333頁

世界広布新時代

創立90周年へ

「創価勝利の年」

(2019年)

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

更新日

2019.10.21日

第1624回,第1625

 

日天月天ワンショット

日めくり人間革命URL