願兼於業

2015年5月19日

願兼於業

 

<いちばん苦しんでいる人の中に、仏はいるのです。>

 

 池田 法師品に、この人は『生ぜんと欲する所に自在』(法華経360頁)とある。願ったところに生まれてくると言うのです。
 大聖人は、成仏した生命は九界の世界に、たちまちのうちに戻ってきて、自在に衆生を救っていくと述べられている。
 『滞り無く上上品の寂光の往生を遂げ須臾の間に九界生死の夢の中に還り来つて身を十方法界の国土に遍じ心を一切有情の身中に入れて内よりは勧発し外よりは引導し内外相応し因縁和合して自在神通の慈悲の力を施し広く衆生を利益すること滞り有る可からず』(御書574頁)
 私どもは、あえて、苦悩の世に生まれてきたのです。
 『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は法師の中の大法師なり』(御書736頁)と、大聖人は仰せです。
 大聖人のお心を拝して、広宣流布のために生きている学会員は、「法師の中の大法師」です。そして、一回の人生を終えても、「須萸の間」に、また生まれてくるのです。
 今世を戦い切って、霊山に行って、息をはずませ報告する。「大聖人様! 立派に使命を果たしてきました!」
 大聖人は「ご苦労。よく頑張った。さあ次は、どこへ行くつもりか」と(笑い)。
 「少しぐらい休みたい」と思う暇もない(爆笑)。
 また、休みたい人は休んでいいのです(笑い)。自在なのです。
 「自在神通の慈悲の力」とある通り、慈悲ゆえに「須萸の間に」また使命の庭に元気いっぱい戻ってくるのです。きょう寝て、あす目がさめるようなものです。
 須田 衆生を慈しみ、愍むゆえに、「願って」悪世に生まれてきた──妙楽大師は、そのことを「願兼於業(願いが業を兼ねる)」(『法華文句記』)と呼びました。
 法師は本来、仏道修行の功徳によって善処に生まれるところを、願って悪業をつくり、悪世に生まれて仏法を弘通するということです。
 池田 戸田先生も、「初めから立派過ぎたのでは人々の中に入っていけないから、われわれは仏法を弘めるためにわざわざ貧乏や病気の姿をとって生まれてきたんだよ」「人生は芝居に出ているようなものだよ」と、しばしば言われていた。
 また、「戸田は妻を失い、娘まで亡くした。事業も失敗した。そういう苦悩を知っているからこそ、創価学会の会長となったのだ」とも言われていた。
 苦労もない、悩みもないというのでは民衆の心がわかるわけがない。人生の辛酸をなめた人であってこそ人々を救うことができるのです。
 自分の苦しみを「業」ととらえるだけでは後ろ向きになる。それを、あえて「使命のために引き受けた悩みなのだ」「これを信心で克服することを自分が誓願したのだ」と、とらえるのです。
 願兼於業は、この「一念の転換」を教えている。宿命を使命に変えるのです。自分の立てた誓願ゆえの悩みであるならば、絶対に乗り越えられないはずがない。
 斉藤 大聖人は法師品の『大願を成就して、衆生を愍むが故に、此の人間に生ず』(法華経356頁)および『衆生を愍むが故に、悪世に生まれて、広くこの経を演ぶ』(法華経357頁)の二つの文について「御義口伝」には『大願とは法華弘通なり愍衆生故(みんしゅうじょうこ)とは日本国の一切衆生なり生於悪世の人とは日蓮等の類いなり広とは南閻浮提なり此経とは題目なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者なり』(御書736頁)と仰せです。
 まさに妙法を世界に弘めている学会員こそ、無量の福運を積み、広宣流布するために生まれてきた御本仏の本眷属なのですね。
 池田 だから尊貴なのです。だから、互いに尊敬すべきなのです。
 冒頭、インドの話が出たが、インドの国父、マハトマ・ガンジーは言っています。
 「私がもし生まれてくるとしたら、不可触賎民として生まれてきたい。悲しみや苦痛や彼らに与えられた侮蔑を分かち合い、みずからと不可触賎民をその悩める境遇から救い出すように努めるために」
 この心は「願兼於業」に通じると思う。慈悲です。「ともに生きる」ということです。
 いちばん苦しんでいる人の中に、生まれてくるのです。
 いちばん苦しんでいる人の中に、仏はいるのです。
 いちばん苦しんでいる人を、いちばん幸福にするために仏法はあるのです。

 

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