2016年11月1日

魔に打ち勝つには


 <“なをなを”の信心>

 

法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり』(上野殿後家尼御返事、1505頁)(中略)
 即身成仏のためには、仏界の生命を覆い隠している無明を打ち破るしかありません。大事なのは、「なをなを」の信心です。
 自身の生命にある仏と魔との闘争は、決して簡単なことではありません。魔に打ち勝つには、絶えず自行化他の題目を唱え、信心をより深く、強くしていく以外にない。

大白蓮華2016年11月号№805 38、39頁

2016年8月26日27日

魔と仏との闘争

 

<″難が来たら喜べ″

 

魔との戦いは

仏に成りゆく「関門」

  

 仏法は、釈尊以来、魔と仏との闘争である。一般の社会の次元の、学問とか、産業とか、政治といったものよりも、もっと深い生命の次元の世界である。
 因果の理法のうえから、永遠性に生きぬく生命の実体、生命の真髄を明かしている法則である。
 生命は永遠である。その生命を、三世の不幸の流転にさまようままにするのか。それとも、三世永遠に、仏という最高の力と、喜びと、勝利と、栄光をもてる、人間究極の真髄を築いていくのかどうか。それが仏法の次元である。
 それは闘争である。したがって、古来、仏法者の人生は、「魔」という厳しい「迫害」「障害」との闘争をともなうのである。
 仏法では、今の時代を末法という。末法は「闘諍言訟」「白法隠没」と説かれる。
 闘諍言訟、すなわち、争い、論争が絶えない。悪人がふえてくる。そして白法隠没――正法正義を白法といい、それが隠れてしまうことを隠没という。そういう時代だからこそ、平和のために戦わねばならない。戦う人が光る。
 魔との戦い――それは、自己自身を鍛え、訓練してくれる。仏に成りゆく「関門」と言ってよい。
 正しい信仰を持つ人には、さまざまな現実のうえに、「三障四魔」とか、「三類の強敵」という、嫉妬の攻撃や、権威の支配、無知ゆえの中傷があるが、驚いてはならない。
 「難来るを以て安楽と意得可きなり」。難が来たら喜べ″と、大聖哲は叫んでおられる。
 このことを、とくに青年は忘れないでもらいたい。これから、長い長い二十一世紀の大舞台で活躍しゆく皆さんに、仏法の真髄と法則を知っていただきたい。
 「難即悟達」――人生における仏法の難、信仰上の難は、すなわち全部が「仏に成るため」である。仏に成るということは、「永遠の幸福」「永遠の勝利」を意味する。永遠の仏と等しき人格と、人間としての究極の力を持てる自分自身になることである。
 だからこそ、信仰している人はもちろん、信仰していない人も含めて、青年のために、仏法の本義を語っていきたい。
 人間性を呼び覚ます創価の運動は、ルネサンスの精神と響きあう。桂冠詩人ペトラルカは語る。
 「できるだけ多くの人を守り助けることほど幸福なことがあるでしょうか。これほど人間にふさわしく、また神に似たことがあるでしょうか。これをなしうるのになさないのは、フマニタス(=人間性)の高貴な義務をなおざりにすることであり、それゆえまた人間の名と本性を放棄することだと思われます」(近藤恒一『ペトラルカと対話体文学』創文社)
友を励まし、喜びを分かちあう――学会活動こそ、人間にふさわしい最高の幸福の創造である。
 ペトラルカは叫ぶ。「こんなにおびただしい現代世界の諸悪、こんなに多くの破廉恥のあいだにあっては、とても黙ってはいられません」(近藤恒一編訳『ぺトラルカ ルネサンス書簡集』岩波文庫)
 沈黙は臆病であり、卑怯である。敗北ヘの道である。
 この世界を変えていくもの――それは、心清き女性の声である。
  アメリカ女性初のノーベル平和賞受賞者は、ジェーン・アダムズである。福祉に打ち込む彼女は言った。
 「社会の変革は、現状を不正であると感じることのできる人によってのみ始められる」(『ハル・ハウスの20年』市川房枝記念会・縫田ゼミナール訳、市川一房枝記念会出版部)
 正義に燃える女性の力が、二十一世紀の地球社会を変えていく。
 さらに彼女は言う。「人間は自分のしなければならないことは、よく見ると手近にあるのに、つい、遠くを探している」(『ハル・ハウスの20年』柴田善守訳、岩崎学術出版社)
 もっとも手近な、もっとも偉大な使命の行動を、わが地域から世界へと展開しておられるのが皆さまである。


2001年4月4日 山梨代表協議会(抜粋)

2015年11月27日

第六天の魔王と十軍

 

 彼は、「今日は、私どもの信心を妨げる第六天の魔王について、ともどもに思索してまいりたい」と前置きし、「辦(べん)殿尼御前御書」を拝していった。
 『第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし』(御書1224頁)
 まず、この御文を通解した。
 「広宣流布を進めようとするならば、必ず第六天の魔王が十軍を使って、戦を起こしてくる。そして、法華経の行者を相手に、生死の苦しみの海のなかで、凡夫と聖人が共に住むこの娑婆世界を、『取られまい』『奪おう』と争う。日蓮は、その第六天の魔王と戦う身となり、大きな戦を起こして二十余年になる。その間、一度も退く心をいだいたことはない――それが、御文の意味です。
 なぜ、第六天の魔王が戦を仕掛けてくるのか。もともと、この娑婆世界は、第六天の魔王の領地であり、魔王が自在に衆生を操っていたんです。そこに法華経の行者が出現し、正法をもって、穢土である現実世界を浄土に変えようとする。それが広宣流布です。
 そこで魔王は、驚き慌てて、法華経の行者に対して戦いを起こす。したがって、広宣流布の道は魔との壮絶な闘争になるんです。
 この第六天の魔王とは何か。人びとの成仏を妨げる魔の働きの根源をなすものです。魔王という固有の存在がいるのではなく、人びとの己心に具わった生命の働きです。
 ゆえに、成仏というのは、本質的には外敵との戦いではなく、わが生命に潜む魔性との熾烈な戦いなんです。つまり、内なる魔性を克服していってこそ、人間革命、境涯革命があり、幸せを築く大道が開かれるんです
 第六天の魔王は、智慧の命を奪うところから、「奪命」といわれる。また、「他化自在天」ともいって、人を支配し、意のままに操ることを喜びとする生命である。
 その結果、人びとの生命は萎縮し、閉ざされ、一人ひとりがもっている可能性の芽は摘み取られていくことになる。戦争、核開発、独裁政治、あるいは、いじめにいたるまで、その背後にあるのは、他者を自在に支配しようという「他化自在天」の生命であるといってよい。
 それに対して、法華経の行者の実践は、万人が仏性を具えた尊厳無比なる存在であることを教え、一人ひとりの無限の可能性を開こうとするものである。
 つまり、両者は、人間を不幸にする働きと幸福にする働きであり、それが鬩ぎ合い、魔軍と仏の軍との熾烈な戦いとなる。この魔性の制覇は、仏法による以外にないのだ。


 では、魔軍の棟梁である第六天の魔王が率いる十軍とは何か。十軍は、種々の煩悩を十種に分類したもので、南インドの論師・竜樹の「大智度論」には、「欲」「憂愁」「飢渇」「渇愛」「睡眠」「怖畏」「疑悔」「瞋恚」「利養虚称」「自高蔑人」とある。
 山本伸一は、研修会で、その一つ一つについて、実践に即して語っていった。
 「第一の『欲』とは、自分の欲望に振り回されて、信心が破られていくことです。
 第二の『憂愁』は、心配や悲しみに心が奪われ、信心に励めない状態です。
 第三の『飢渇』は、飢えと渇きで、食べる物も、飲む物もなくて、何もできないことです。学会活動しようにも、空腹で体を動かす気力もない。交通費もない。だから、やめてしまおうという心理といえるでしょう。
 第四の『渇愛』は、五欲といって、眼、耳、鼻、舌、身の五官を通して起こる、五つの欲望です。美しいものに心を奪われたり、よい音色、よい香り、美味、肌触りのよい衣服などを欲する心です。それらを得ることに汲々として、信心を捨ててしまうことです」
 山本伸一の十軍についての説明に、研修会参加者は目を輝かせて聴き入っていた。
 「第五の『睡眠』は、睡魔のことです。たとえば“唱題しよう”“御書を学ぼう”とすると、眠気が襲ってくるという方もいると思います。釈尊も、悟りを得るまでのなかで、この睡魔と懸命に戦っています。
 睡魔に襲われないようにするには、規則正しい生活を確立し、十分な睡眠を心がけることです。さらに、熟睡できるように工夫することも大切です。寝不足であれば、眠くなって当然です。また、眠気を感じたら、冷水で顔を洗うなどの工夫も必要でしょう。
 第六の『怖畏』は、恐れることです。
 信心することによって、周囲の人から奇異な目で見られたり、仲間はずれにされるかもしれない。時には、牧口先生のように、迫害され、命に及ぶこともあるかもしれない。
 そうなることを恐れ、学会から離れたり、信心を後退させてしまうことが、これにあたります。結局、臆病なんです。
 大聖人は『日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず』(御書1282頁)と仰せです。信心を磨き、一生成仏していくための要諦は、勇気をもつことなんです。入会するにも勇気です。折伏するにも勇気です。宿命に立ち向かうにも勇気です。信心とは、勇気なんです」
 彼は、参加者一人ひとりに視線を注いだ。どの顔にも決意が光っていた。
 「第七の『疑悔』は、疑いや後悔です。せっかく信心することができたのに、御本尊を疑い、学会を疑い、難が競い起これば、“信心などしなければよかった”と悔やむ。その暗い、じめじめとした心を打ち破るには、すっきりと腹を決めることです。そこに、歓喜が、大功徳があるんです。
 第八の『瞋恚』は、怒りの心です。『折伏をしましょう』と指導されると、“よけいなお世話だ”と憤り、怨嫉してしまう。また、学会の先輩が、本人のためを思い、御書に照らして信心の誤りを指摘すると、腹を立て、恨む。そうした心の作用です」
 山本伸一の指導は、具体的であった。
 研修会メンバーは、わが身にあてはめ、時に大きく頷き、時に苦笑しながら、伸一の話に耳を傾けていた。
 「怒りの心は、それ自体が悪いというのではありません。悪事に対して怒りを感じることは必要です。邪悪への怒りがなくなれば、正義もなくなってしまいます。怒り、腹を立てた結果、信心を後退させてしまうことが問題なんです。
 たとえば、いい加減で、周囲に迷惑をかけてばかりいる、問題の多い先輩幹部がいたとします。その姿を見て憤りを感じる。それは当然です。しかし、ともすると、〝だから、私は学会活動をやらない。会合にも出ない〟ということになってしまう。それが、『瞋恚』という魔に敗れた姿なんです。
 自分が、人間革命を、一生成仏をめざして仏道修行していくことと、先輩幹部がだらしないこととは、本来、別の問題です。それを一緒にして、自分の信心の後退を正当化しようとする心こそ、克服すべき対象なんです」
 現実に即した伸一の展開であった。
 「第九の『利養虚称』ですが、『利養』は、利を貪ることです。『虚称』は、虚名にとらわれることをいいます。つまり、名聞名利を追い求め、信心を軽んじ、成仏への道を踏み外してしまう生き方です。
 利欲に翻弄されればされるほど、心は貧しくなり、すさんでいきます。また、組織で金銭の問題を起こしたりするケースは、この『利養』に蝕まれた結果といえます。
 さらに、『虚称』を求めても、名誉や地位は、永遠の生命観から見れば、うたかたの夢のようなものです。それに心を奪われて、信心を忘れるのは愚かです。
 学会の人事でも、正役職から副役職になった時など、自分が軽視されたように思い込んで、新しく幹部に登用された人を嫉妬し、学会活動への意欲をなくしてしまう人がいます。それは『虚称』の心によるものです。その心を打ち破っていく戦いが信心なんです」
 十軍に関する山本伸一の講義は、いよいよ、第十の『自高蔑人』となった。
 「これは、自ら驕り高ぶり、人を卑しむことです。つまり、慢心です。慢心になると、誰の言うことも聞かず、学会の組織にしっかりついて、謙虚に仏法を学ぶことができなくなる。また、周囲も次第に敬遠し、誤りを指摘してくれる人もいなくなってしまう。
 社会的に高い地位を得た人ほど、この魔にたぶらかされてしまいがちなんです。
 『自高蔑人』の心をもつと、みんなが褒め讃えてくれれば、学会活動にも参加するが、機嫌を取ってくれる人がいないと、仏道修行を怠ってしまう。したがって、宿命転換も、境涯革命もできず、福運も尽きていきます。そして、結局は、誰からも相手にされなくなってしまう。最後は惨めです。
 信心の世界、仏道修行の世界は、一流企業の社長であろうが、高級官僚であろうが、大学教授であろうが、あるいは、学会の最高幹部であろうが、皆、平等なんです。地位も、名誉も、関係ありません。
 信心の実証を示すために、社会で成功を収めていくことは大事です。しかし、それが、名聞名利のためであれば、信心のうえでは、なんの意味もありません。地位や名誉は、絶対的幸福の条件でもなければ、成仏を決するものでもありません。
 信心の世界では、一生懸命にお題目を唱え、たくさんの人を折伏し、誰よりも個人指導に励み、多くの人材を育ててきた方が偉いんです。広宣流布のため、仏子のために、黙々と汗を流してきた方が尊いんです。
 信心の王者こそ、人間王者なんです。最高最大に御本仏から賞讃される大福運、大勝利の人であることを確信してください」
 熱のこもった講義であった。一人として魔に敗れ、退転していく人など出すまいとする、伸一の魂の叫びであった。
 研修は、まだ終わらなかった。
 「では、『富木殿御返事』、御書の962頁を開いてください」
 山本伸一は、朗々と、「富木殿御返事」の一節を拝していった。
 「『但生涯本より思い切て候今に飜返ること無く其の上又遺恨無し諸の悪人は又善知識なり』(御書962頁)
 戸田先生が第二代会長に就任された二十七年前、学会の会員は、実質三千人ほどにすぎなかった。それが、今では、世界に広がり、約一千万人の同志が誕生したんです。会館も立派な大文化会館が、全国各地に陸続と誕生しました。皆が歓喜に燃えて、弘教に走っています。
 これだけ広宣流布が進んだんですから、第六天の魔王が憤怒に燃えて、競い起こってくるのは当然です。予想もしなかった大難もあるでしょう。大事なことは、敢然と、それを受けて立つ覚悟です」
 哲学者キルケゴールは記している。
 「信仰の強さは、その信仰のために苦難をうける覚悟がじゅうぶんにあるかどうかによって証明される」
 伸一の声は、力強さを増した。
 「大聖人は、『但生涯本より思い切て候』と言われた。題目を唱え始めた時から、大難の人生であることを覚悟されていたんです。そして、その覚悟は『今に飜返ること無く』と仰せのように、竜の口の法難、そして佐渡流罪という最大の難局に際しても、決して揺らぐことはなかった。
 覚悟は、生涯、持続されてこそ、本当の覚悟なんです。その場限りの、勢いまかせの決意など、法螺を吹いているにすぎません。
 そして、『遺恨無し』と明言されている。大聖人は、『世間の失一分もなし』(同九958頁)と仰せのように、本来、社会的にはなんの罪も犯していない。それなのに弾圧され、迫害されることは不当であり、普通ならば、恨みをもつのが当たり前です。
 しかし、『遺恨無し』と言われるのは、正法を流布したがゆえに、経文に照らし、仏法の法理通りに、起こるべくして起こった難だからです。むしろ喜びとされているんです」

 

小説新・人間革命27巻激闘260頁

2015年11月27日

善知識にするのも

悪知識にするのも

本人の信心

 

<『諸の悪人は又善知識なり』>

 

魔を打ち破る力は唱題にあり


  情熱を込めて、山本伸一は訴えた。
 「次の『諸の悪人は又善知識なり』(御書962頁)の御文も、非常に大事です。
 善知識というのは、仏道修行を支え、助けてくれる存在です。しかし、日蓮大聖人は、諸の悪人、すなわち仏法者を迫害し、信心を妨げる働きをなす悪知識を、御自身にとって、善知識であると言われている。
 なぜか――。諸の悪人による迫害に遭うことによって、法華経の行者であることが立証できるからです。風があってこそ、風車が回るように、迫害あってこそ、悪業を転換し、一生成仏することができる。
 難が競い起これば起こるほど、強盛に信心を燃え上がらせていくならば、悪知識も、すべて善知識へと変えていくことができる。むしろ、それが、真実の信仰の姿です。
 反対に、学会の先輩が成長を願って、誤りを指摘してくれたにもかかわらず、恨みをいだき、退転していく人もいます。その人にとっては善知識となるべきものが、結果的に悪知識と同じ働きをしてしまうことになる。
 善知識にするのも、悪知識にするのも、最終的には本人の信心なんです。ゆえに、弾圧、迫害も、信心の大飛躍のバネにすることができる。つまり、どんな逆境に遭遇しても、それが、そのまま魔になるわけではない。どう受けとめるかで、一念次第で、魔にもなれば、信心向上の力にもなっていくんです。
 どうか、第六天の魔王が率いる十軍という己心の魔に打ち勝ってください。この魔を打ち破る力は唱題です。生命の根本的な迷い、すなわち無明を断ち切ることができるのは、南無妙法蓮華経の利剣です。どこまでも、唱題第一に戦おうではありませんか!」

 

 小説新・人間革命27巻激闘269頁

2015年11月6日7日

学会利用の悪人、

同志を裏切った卑劣な輩は

絶対に許してはならない

 

<「祈り」こそ「魔との戦い」の要諦である>

 

 戸田先生は、「学会利用の悪人、同志を裏切った卑劣な輩は絶対に許してはならない」と厳命された。とくに男性幹部には、「悪に対しては、仇を討たずにはおかないというくらいの根性と忍耐と意地を持て!」と厳しかった。これが学会の伝統である。
 悪鬼入其身の「魔物」から、同志を守り、広布の組織を守っていくのが幹部の責務である
 根本は「祈りで勝つ」ことだ。諸天を揺るがす「強盛な祈り」は、全宇宙を動かしていく。いかなる敵にも断じて勝つことができるのだ。「祈り」こそ「魔との戦い」の要諦である。
 広布の同志に対しては、「信頼の灯台」となっていただきたい。会員から「あの人がいるから頑張ろう」「あの人の言葉に勇気づけられた」と慕われるようでなければ、幹部である意味はない。
 ツーンと偉そうに座っているだけで、何を考えているのか、さっぱりわから、いばってはいるが自分は戦わない。ニコリともしない。そのうえ、皆を抑えつける――それでは「地獄の使い」のようなものだ。かえって皆の邪魔になる。
 幹部は、いばるためにいるのではない。会員に尽くしていくためにいるのである。
 「ご苦労さまです!」「いつも、ありがとうございます!」と笑顔で、頭を下げて、広布に戦う同志に心から感謝し、賞讃を送っていくことだ。
 この「会員第一」の真心と行動が、わが身を無量の福徳で飾っていくのである。

  2005年2月3日第二総東京最高協議会

2015年3月17日

 <追撃の手をゆるめるな!>


魔が競わない闘争は、闘争ではない

 

 後継の誓いの3月、わが胸には「追撃の手をゆるめるな!」との恩師の師子吼が響く。
 あえて試練に挑み、勝ち越えるのが青年だ。後継の誉れである。
 どんな嵐が襲いかかろうとも、題目第一の人には、かなわない。必ず必ず乗り越えられる
 日蓮大聖人は、身命に及ぶ大難の中、流罪の身でなお、悠然と『喜悦はかりなし』(御書1360頁)と仰せになられた。
 正義ゆえの難が現れる時こそ、広宣流布の時なのである。
 それを戸田先生は心から喜ばれ、「私もうれしいと思うが、みなさんもうれしいと思ってもらいたい。そのときこそ、敢然と戦おうではないか」と晴れ晴れと叫ばれた。
 魔が競わない闘争は、闘争ではない魔を打ち破ってこそ、仏になる。絶対的幸福の大境涯を開くことができるのだ
 ゆえに、大変な時ほど明るく楽しくいこう!師子王の心で進むのだ。これで宿命転換できるのだ。これで一切を変えられる。
 これで永遠の師弟勝利の原点をつるくることができる――と。
 仏法は三世を貫く究極の楽観主義だ。絶対に行き詰らない。いかなる逆境からも価値創造していける大法なのである。


2015.3.14付聖教新聞 新時代を駆ける9

2014年4月28日

内なる第六天の魔王に勝て! 


 『第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし』(ベン殿尼御前御書1224頁、編571頁)
 まず、この御文を通解した。
 「広宣流布を進めようとするならば、必ず第六天の魔王が十軍を使って、戦を起こしてくる。そして、法華経の行者を相手に、生死の苦しみの海のなかで、凡夫と聖人が共に住むこの娑婆世界を、『取られまい』『奪おう』と争う。日蓮は、その第六天の魔王と戦う身となり、大きな戦を起こして二十余年になる。その間、一度も退く心をいだいたことはない――それが、御文の意味です。
 なぜ、第六天の魔王が戦を仕掛けてくるのか。もともと、この娑婆世界は、第六天の魔王の領地であり、魔王が自在に衆生を操っていたんです。そこに法華経の行者が出現し、正法をもって、穢土である現実世界を浄土に変えようとする。それが広宣流布です。
 そこで魔王は、驚き慌てて、法華経の行者に対して戦いを起こす。したがって、広宣流布の道は魔との壮絶な闘争になるんです。
 この第六天の魔王とは何か。人びとの成仏を妨げる魔の働きの根源をなすものです。魔王という固有の存在がいるのではなく、人びとの己心に具わった生命の働きです。
 ゆえに、成仏というのは、本質的には外敵との戦いではなく、わが生命に潜む魔性との熾烈な戦いなんです。つまり、内なる魔性を克服していってこそ、人間革命、境涯革命があり、幸せを築く大道が開かれるんです

 

小説 新・人間革命 27巻 激闘31

2014年3月22日~24日

 魔を駆り出せ!師子王動けば魔は退散

 

 『過去遠遠劫より已来日蓮がごとく身命をすてて強敵の科(とが)を顕せ・師子は値いがたかるべし』(御書1589頁、編)
 広宣流布は魔との戦いです。生半可な決意では戦うことはできない。
 大聖人も流罪、死罪の大難が幾度もあった。熱原の法難では、門下が斬首です。
 勇気を奮い起こし、また、疲れたら再び奮い起こして、戦い続けるなかに、仏界が涌現してくるのです。仏界の力でなければ、強敵に勝利することはできない。
 不惜身命でなければ、民衆を守ることはできない。
 とくに「身命をすてて強敵の科を顕せ」の一文を心に刻みたい。
 魔と闘い、「強敵の科」を責め出さなければ、真の勝利は断じてない。牧口先生は、魔を駆り出していくことを教えられた。
 (中略)魔は見えないからといって、いなくなったのではありません。隠れているだけです。だから今、あえて駆り出して、「強敵の科」を顕さなければ、結局は民衆が魔軍にたぶらかされてしまう。
 まして、私たちは壮絶な精神闘争の闘士です。
 だから師子王のごとき悠然たる境涯で遊行する。師子王が動くことで魔は退散する。そして、仏法を守るべき時には、猛然と魔軍を駆り出していかなければならない。油断は絶対に禁物です。どんな敵も全力で戦う。それでこそ師子です。
  真剣勝負ゆえに、師子王は、周囲が“ここまで”と思うぐらいに、一つ一つに全魂を込めて取り組むのです。
 “守り”でなく、“攻め”です。大聖人は、師子王としてみずから「謗法の根源」「一凶」を強く責め立てていかれた。
 個人にあっても原理は同じです。宿命が襲いかかってきたとき、信心で強盛に立ち向かえず、腹が据わらず逃げたり、策や要領で避けようと思ったら、返って事態は複雑になる。

 

御書の世界(上) 第七章 師子王の心

世界広布新時代

創立90周年へ

前進・人材の年

(2020年)

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

更新日

2020.4.8

第1658回

  

日天月天ワンショット

日めくり人間革命URL