祈り

2020年12月28日

第1703回

誓願の祈りが幸福を開く

 

 

 朗々と題目を唱える時、

 わが胸中に太陽が昇る。

 力があふれる。

 慈愛がわく。

 歓喜が燃える。

 智慧が輝く。

 諸仏・諸天が

 いっせいに動き始める。

 「仏法は勝負」である。

 「人生も勝負」である。

 その勝利を決める

 一番の根本は唱題である。

  

 唱題に徹すれば、

 無量の功徳に包まれる。

 たとえ今、

 苦境にあっても、

 何も恐れる必要はない。

 唱題こそ、

 幸福への大直道なのだ。

  

 妙法の祈りとは、

 「誓願」である。

 最も強靱な精神の力だ。

 祈りが心に

 満ち満ちているところ、

 いかなる臆病も、

 あきらめも、弱音も、

 入り込む隙などない。

 祈りとは、

 「必ず成し遂げる!」

 という信念である。

 「絶対に負けない!」

 という確信である。

 自分には無理だという

 不信の壁を打ち破り、

 「断じて戦い勝つ!」

 という究極の勇気なのだ。

  

 願いが叶うかどうかは、

 どこまでも

 自分自身の信心による。

 大いなる希望と、

 具体的な目標をもった、

 強い祈りを

 貫くことである。

 祈りのとおり、

 行動することである。

  

 我らは“光の走者”だ。

 いかなる乱世の闇も

 打ち破り、赫々と

 社会を照らしながら、

 民衆の中へ走ろう!

 友情と信頼の輪を、

 地域にも、職場にも、

 故郷にも広げゆこう!

 わが敬愛する同志の皆様、

 この一年、

 本当にご苦労様!

 ありがとう!

 お体を大切に。

 風邪などひかないように。

 聡明に、元気に、快活に、

 希望あふれる新春を!

 

2020年12月27日〈池田大作先生 四季の励まし〉 

2020年12月4日

第1700回

題目の功力

 

 題目の功力は生命力が絶

 対的に旺盛になること―

 恩師。祈り根本に潑剌と

 

2020.12.4付聖教新聞 寸鉄

2020年6月5日

第1683回

強い心

 

<題目>

 

 古代ギリシャの教育者・弁論家のイソクラテス。彼は、こういう言葉を伝えている。「最小のものの内にある最大のもの、それは人間の身体に宿るすぐれた精神である」(『弁論集』1、小池澄夫訳、京都大学学術出版会)

 人間の精神ほど偉大なものはない。人間の心ほど、巨大な可能性を秘めたものはない。

 心が強ければ、どんな困難も乗り越えていくことができる。現実を大きく変えていくことができる。その原動力が妙法である。題目なのである。どうか一人一人が自身の人間革命に挑戦しながら、新たな広布拡大の歴史を築いていただきたい。

 

2006.3.21春季彼岸勤行法要

2020年3月15日

第1649回
祈りは、
人間の人間たる証し

 

<祈りから希望が生まれる>

 

①人間革命の祈り

自他共の幸福の祈り

誓願の祈り

 

 祈りは、
 人間の人間たる
 崇高な証しである。
  
 無宗教だという人も、
 何か祈っている。
 「苦境を脱したい」
 「よりよく生きたい」
 「家族を守りたい」などと
 強く欲するのは、
 人間として
 本然的な心である。
  
 思いやりも、
 友情も、
 祈りから始まる。
 祈りこそ、
 人間と人間を
 結びゆく力である。
  
 我らの祈りは、
 「人間革命の祈り」だ。
 人や周囲が
 変わってくれるのを
 待つのではない。
 強盛な一念で
 自分自身が変わり、
 その波動を広げるのだ。
 我らの祈りは、
 「自他共の幸福の祈り」だ。
 あの友も、この友も、
 共々に
 仏の生命を開きながら、
 絶対に幸福を
 つかんでいくための
 原動力なのだ。
 我らの祈りは、
 「誓願の祈り」である。
 広宣流布の大願へ、
 拡大と勝利を誓い、
 自ら行動を起こし、
 実現していくのだ。
  
 希望を自ら生み出す
 原動力こそ、
 「南無妙法蓮華経」の
 唱題行である。
 題目の力は無限だからだ。
 題目を唱えた瞬間から、
 自身の一念を変革し、
 希望の明日を
 創り開いていけるのだ。
  
 日々、自分のなすべき
 具体的な目標を
 明確に定めて、
 一つ一つの成就を祈り、
 挑戦していくことだ。
 その真剣な一念から、
 智慧が湧き、
 創意工夫が生まれ、
 そこに成功がある。
 つまり、「決意」と「祈り」、
 そして、「努力」と「工夫」が
 揃ってこそ、
 人生の勝利がある。

 

2020.3.15付聖教新聞 〈池田大作先生 四季の励まし〉

2019年3月24日

第1592回
祈りは必ず叶う!
なぜ祈りが叶うのか?

 

 妙法の祈りとは「誓願」です。最も強靭な精神の力です。
 祈りが心に満ち満ちているところ、いかなる臆病も、あきらめも、弱音も、入り込む隙などありません。
 祈りのとは、「必ず成し遂げる!」という信念です。
 「絶対に負けない!」という確信です。
 自分には無理だという不信の壁を打ち破り「断じて戦い勝つ!」という究極の勇気なのです。(中略)
 では、なぜ、「法華経の行者」の祈りが叶うのか?
 大聖人は本抄で、その理由を、法華経に即して述べられています。
 釈尊が法華経を説いたことで初めて、あらゆる菩薩、二乗、人界・天界等の衆生の真の成仏の道が開かれました。
 だからこそ、法華経に恩のある衆生は、その大恩に報いようと、法華経の説法の会座で「法華経の行者を見捨てない」「法華経の行者が苦しんでいたら身代わりになろう」等の誓願を立てます。
 さらに彼らは、釈尊が亡くなる際には、「仏の恩に報いるために『法華経の敵』を打ち倒そう。身命を惜しまずに戦おう」等と、仏の前で誓いを述べます。
 すなわち、菩薩も二乗も、人界・天界等の衆生も皆、「法華経の行者」を、どこまでも守護すると誓願を立てているのです。
 なればこそ、大聖人は、広宣流布の誓願を貫く法華経の行者の祈りの叶わないことは絶対にないと、断言されているのです。
 そこで、私たちにとって大切になるのは、”わが誓願を必ず成就させよ”と、諸天善神をを揺り動かす思いで、強盛に祈る姿勢です。
 自分自身の誓願の堅固な一念が、諸天善神の誓願の働きを呼び起こすのです。
 『必ず心の固きに依りて神の守り強し』(1220頁)です。牧口先生も大切にされていた御文です。
 他の御書でも『御祈りの叶い候はざらんは弓のつよくしてつるよわく・太刀つるぎにて、つかう人の臆病なるようにて候べし、あへて法華経の御とがにて候べからず』(1338頁)等と仰せです。
 大聖人は一貫して、願い叶えていくためには強盛な信心こそ肝要となることを強調されています。
 何よりも、大聖人御自身が、「竜の口の法難」の折、処刑の場に向う途中で、法華経の行者を守護すべき八幡大菩薩に向って”なぜ、法華経の行者を守護すると誓った約束を果たさないのか”と叱咤し、諸天を諌暁されました。(912~913頁)。
 究極は諸天にお願いするものではなく、妙法の当体である自分自身の諸天を”揺り動かす”信心こそ根幹なのです。
 『一身一念法界に編し』(247頁等)とある如く、わが一念が三千法界に広がるのです。いわば、悪鬼や魔民も含めて全宇宙が味方となる。
 これが妙法の無窮なる力用なのです。
 大宇宙は、瞬時もとどまりません。常に動き続けている。その究極の法則こそ、法華経の真髄である南無妙法蓮華経です。
 『当に知るべし日月天の四天下をめぐり給うは仏法の力なり』(1146頁)です。妙法は、万物を成り立たせている根源の大法なのです。
 題目を唱え、妙法に生き抜いた時に、大宇宙の妙なる旋律と自身の生命が合致していく。
 祈りは、大宇宙と、わが小宇宙との交流です。妙法の祈りによって、私たちは、宇宙の最極の「力」と「智慧」と「慈悲」の生命をわが身に顕現することができるのです。
 だからこそ常に大聖人が教えられているのは、弟子の側である私たちの祈りの姿勢です。
 願いを成就していくうえで心すべきことは、祈りが叶うまで何度も「勇気」を奮い起こして、信心を貫き通していくことです。

 

大白蓮華2019年2月号№832 37頁~

2018年12月5日

第1567回

勤行・唱題の朗々たる響きは
家庭から不幸や災難を退散させる

 

 御書には、伝教大師の言葉「家に讃教の勤めあれば七難必ず退散せん」(御書1374頁)が引かれている。朝な夕な、勤行・唱題の声が朗々と響きわたる家庭からは、不幸や災難が退散しないわけがない。
 信心していても、さまざまな悩みや苦労はあるものだ。しかし、大聖人は、病気に悩む門下に「たとえ、あなたの家の中に病人があったとしても、それは、(一家を不幸にしようとする)鬼神のしわざではない。十羅刹女が、あなたの信心の強さを試しておられるのでしょう」(御書1544頁、通解)と励ましておられる。
 何があっても、断じて負けてはならない。
 「災来るとも変じて幸と為らん」(御書979頁)――これが、変毒為薬(毒を変じて薬と為す)の妙法の偉大な力用である。
大聖人は仰せである。
 「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を」(御書1253頁)と。
 ありとあらゆる人々の胸奥から、仏界という、わが生命の「最極の宮殿」を開いていく。この無上の哲理こそが、″人類史の新たな春″を告げゆく「精神の陽光」なのである。

 

2001年2月24日第二総東京最高協議会

2018年9月27日

第1529回

「祈り」
それは幸せへの逆転のドラマだ 

 

 祈り――
  それは、あきらめない勇気だ。
  自分には無理だと、うなだれる惰弱さを叩き出す戦いだ。
  ”現状は変えられる! 必ず!”。
  確信を命の底に刻み込む作業だ。

 祈り――
  それは恐怖の破壊なのだ。
  悲哀の追放なのだ。
  希望の点火なのだ。
  運命のシナリオを書きかえる革命なのだ。

 祈り――
  それは我が生命のギアを大宇宙の回転に嚙み合わせる挑戦だ。
  宇宙に包まれていた自分が、宇宙を包み返し、全宇宙を味方にして、
  幸福へ幸福へと回転し始める逆転のドラマなのだ

 

 2018年9月23日聖教新聞3面 虹を懸ける

 池田先生とスコットランド①

 

2017年1月17日

一切の根本は唱題行なり

 

たゆまぬ信行学を貫き、青春の逆転劇を!

 

 戸田先生は師子吼された。
 「本当の決意を込めた題目をあげよ!
  題目は利剣である。
  題目の力は宝刀である。
  題目で勝ったのだ!」と。
 青年ならば、
 「試練を絶対に乗り越えてみせる」
 「わが地域を断じて日本一にする」と
 勇敢な決意で祈り、奮い立つのだ。
 最強無敵の宝剣を持つ青年に、
 打ち破れない苦難などない。

 この「変毒為薬」「煩悩即菩提」の原動力が、唱題なのだ。
 『南無妙法蓮華経は精進行なり』(御書790頁)との御指南のままに、
 たゆまぬ信行学を貫き、青春の逆転劇を!
 広布のロマンの宝友と励まし合い、
 凱歌の歴史を飾ってくれ給え!

 

 2017年1月18日付 創価新報 青春勝利の大道

2017年1月9日

題目を『獅子の吼ゆるが如く』!

 

 大聖人は、妙音菩薩についての御義口伝に、こう仰せであります。
 『妙音とは今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る事は末法当今の不思議の音声なり、其の故は煩悩即菩提生死即涅槃の妙音なり云云』(御書774頁)と。
 我らには題目という究極の妙音がある。
 ゆえに人生においても、社会においても、いかなる苦悩が立ちはだかろうと、断固として怯まず、一つ一つ幸福への智慧に転じ、自他共に境涯を開くことができる。試練が大きければ大きいほど、「心の財」も大きく積める。
 我らは、題目を『獅子の吼ゆるが如く』(同764頁)唱え抜き、励ましの声を、友情の声を、勇気の声を惜しまずに轟かせながら、この地球上に、正義と人道と平和の寂光土を、いやまして建設し、拡大してまいりたい。

 2017年1月8日 付聖教新聞 本部幹部会への池田先生のメッセージ

2016年12月10日

題目の功徳に差別なし

 

<信行学が基本>

 

 「釈尊は、さまざまな修行を積み、仏になられた。それを、因行果徳といいますが、その功徳、福運は無量無辺です。その功徳は、御本尊に題目を唱える中に、全部、含まれている。それほど偉大な御本尊であり、題目なのです。
 したがって、御本尊に対しては、本当に強盛な祈りで題目をあげることです。何があっても題目を唱えれば、理論が分かっても分からなくても、教学があってもなくても、功徳は同じです。
 どのような立場の人であっても、題目に変わりはない。功徳に変わりはないのです」
 「お財布の中にお金がある。お財布がどんなものでも、中身が大事です。ロウソクに火をつける時も、誰がつけても火は同じです。同じように、題目の功徳は、誰が唱えても功徳を受けることができるのです」
 「皆さま方は純真な信仰者であられるし、成仏は間違いありません。あとは、祈りが強いかどうか、信心が強盛であるかどうかというのが重要です。
 鐘がある。そーっとたたけば鐘の音は小さい。大きくたたけば響きは大きい。それが道理です。
 第一に、何があっても御本尊に題目をあげること。それも強盛な祈りであれば、それだけの感応があり、それだけの福運が増します。
 また、このように暑くても、皆さま方はお集まりになりました。御本尊のために集った。広宣流布のために集った。仏道修行のために集った。『行』です。来たということに功徳がある。いくら観念的に考えても功徳は出ません。来たという、その行動に功徳があるのです。
 さらに、教学です。『信行学』の基本が大切なのです」
 「ともかく、一生懸命、御本尊を受持し、かつ、ついてきた方は、20年もたてば、天地雲泥の差がつきます。20年、30年たてば、それはもう、格段の違いになります。
 今、経済的に大変な場合もあるでしょう。日本全体が不景気ですから。しかし、今、お父さんやお母さんが積んだ功徳は、お子さんやお孫さんに渡っていきます。これは確信していただきたい。
 何があっても題目をあげて前に進みましょう。振り返ってみると、所願満足になっているんですから」

 

大白蓮華2016年12月号№816 21頁

2016年12月9日

どんな時でも題目をあげる人は

必ず幸福に!

 

<煩悩即菩提>

 

 「(前略)どのようにすごしても、一生は一生です。悩んで一生を送るのも、苦しんで送るのも、建設のため、福運のため、人のため、法のため、一家一門のために前進するも一生です。一生は、あっという間に終わってしまう。ですから、学会の中で、信心を、広宣流布という成仏の道を、私と共に歩んでください。頼みますよ。題目を送ります」
 「つらい時も悲しい時も題目です。人生は、苦しいこと、悩み、つらいことが多いんです。これは誰人であってもそうです。
  私たちの信心は『煩悩即菩提』です。つらいということは煩悩です。御本尊に題目をあげる人は、妙法の力によって、全部、菩提に、幸福に、福運に変えていけるんです。すごい宝を持っているんです。
  娑婆世界で、耐え忍んでいく世界で、題目をあげる。また、このように集って、『折伏しようね』『広宣流布に頑張ろうね』『あの人を激励しようね』と励まし合う。それは仏の使いです。全て歓喜の生命に変わっていきます。
  同じ悩みでも、仏の悩みであり、仏の苦しみです。それは全部、福運に変わる。成仏のリズムに変わっていきます。それで所願満足になっていきます」

 

大白蓮華2016年12月号№816 25頁

2016年12月8日

朝晩の勤行で勝利が決まる

 

 「朝の勤行で、一日は全部決まってしまうのです。因果倶時ですから、朝の勤行を本当にしっかりやっていった場合には、本末究竟で、一日の勝利が確立されていくのです。
 ということはまた、夜の勤行で『明日は元気いっぱい戦わせてください』と祈っていけば、翌日は決まってしまうのです。それが本当の信心即生活でしょう。
 それで失敗があったら、また変毒為薬して、完成へ完成へと戦っていくことが、価値創造なのです。『どのように実践しようか』と、行動に移さなくてはいけません。
 みんな元気になってもらいたいのだ。それには、リズム正しく生活していかなければなりません」

 

大白蓮華2016年12月号№816 13頁

2016年12月6日

大聖人と共に「万人成仏」の誓願を果たさん!

 

<我らの大歓喜の題目が大宇宙の諸天を喜び動かす!>

 

不二の師弟が広宣流布を誓願して、

共に唱える妙法こそ、

この世で最も気高く、

最も強い師子吼なのです

 

一、きょうの北陸総会を、御本仏・日蓮大聖人も、さぞかし喜んでくださっていることと、私は大確信しております。
 大聖人の御在世にも、北陸ゆかりの力ある壮年門下が活躍しておりました。曾谷殿と大田殿は、共に所領が越中(今の富山県)にあったのです。
 当時から文化が進んでいた越中には、数多くの仏典が所蔵されているので、大聖人は二人に、その収集を依頼なされております。
 曾谷殿への御聖訓には、こう仰せであります。
 「今法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術まします御経なり、所謂地獄の一人・餓鬼の一人・乃至九界の一人を仏になせば一切衆生・皆仏になるべきことはり(理)顕る」(御書1046頁)と。
 この大聖人の「万人成仏」の誓願を、我らの誓願として広宣流布の大闘争を起こしたのが、創価の師弟であります。
 苦難の渦巻く民衆の中へ飛び込んで、どんな境遇の人であれ、断じて幸福になれる、絶対に一生成仏できると叫び切り、一人また一人、見事な人間革命の蘇生の劇を、日本中、世界中に繰り広げています。それは、そのまま人類の宿命転換への誇り高き行進なのであります。
 一、大聖人は曾谷殿に、こうも仰せになられました。
 「白馬がいななくのは、我らの南無妙法蓮華経の声である。この唱題の声を聞いた梵天・帝釈、日天・月天、四天王などが、どうして色つやを増し、威光勢力を強くしないことがあろうか。どうして我らを守護しないわけがあろうかと、強々と思われるがよい」(同1065頁、通解)と。
 「歓喜の中の大歓喜」の題目は、大宇宙の諸天善神をも、喜び動かします。
 なかんずく、不二の師弟が広宣流布を誓願して、共に唱える妙法こそ、この世で最も気高く、最も強い師子吼なのです。それは、人々の諦めや、社会の分断をもたらす、不幸の哀音を打ち破る、正義と平和の大音声でもあります。
 「冬来たりなば 春遠からじ」――。
 我らは「誓願の題目」を勇気凜々と轟かせ、どんな冬も勝ち越えて、大切な郷土と大切な地球に、「常楽」と「遊楽」の希望の春を爛漫と広げていきたい。
 さあ、「青年拡大の年」へ――。
 風雨に負けないコスモスのような華陽の姉妹のスクラムを朗らかに咲き薫らせ、嵐に揺るがぬ立山連峰・白山連峰のごとき妙法勇者の人材山脈を限りなく築き上げていこうではありませんか!
 最後に、わが友に一首を贈ります。

 

 誓願の
  日々の祈りに
   師弟あり
  仏の力を
   出し勝ちゆけ

 

 この一年も、全てにおいて創価家族を励まし、守ってくれた「広布の太陽」である、全国・全世界の婦人部の方々に、心からの感謝を捧げ、大拍手を送りましょう!
 本当にありがとう!(大拍手)

 

2016年12月5日付 聖教新聞 世界広布新時代 第22回本部幹部会への池田先生のメッセージ(抜粋)

2016年10月1日

  法華経の行者の唱題行

 

<万人が「衆生所遊楽」の人生を送れる>

 
 「衆生所遊楽」のための信心です。
 『一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり』(御書1143頁)と明確に仰せの通りです。
 どんな厳しい苦難にあっても、唱題により胸中の仏界を力強く涌現していけば、断じて負けない。師子吼の題目の力で全てを勝ち越え、人生を「遊楽」するように生きていくことができる。宿命に泣く悲哀の人生も、人々を励まし救いゆく使命の人生へと転ずることができる――。この揺るぎない体験と確信をもって、多くの学会員が朗らかに前進してきました。
 自他共に幸福を願い、「法華経の行者」として戦っている学会員ほど、尊い存在はありません。
 戸田先生が語られていました。
 「何があっても題目で勝てる。苦労を力に変え、仏の生命を涌現して、いかなる運命も切り開ける。ありのままの姿で、あらゆる人を救っていけるんだよ
 自分だけでなく、あらゆる人をも「衆生所遊楽」の人生を送れるようにしていけるのが、「法華経の行者」の唱題行なのです

 

    大白蓮華2016年10月号№804 12頁

2016年9月9日10日

地涌の菩薩の本領

祈りの要諦  

 

<広宣流布への『誓願』>

 
 山本伸一は、地涌の菩薩の本領とは何かについて、掘り下げていった。
 「菩薩の本領は、『誓願』ということにあります。そして、地涌の菩薩の誓願とは、『法華弘通』にあります。ゆえに、心から周囲の人びとを幸せにしきっていく、広宣流布への『誓願』の唱題が大切です。厳しく言えば、『誓願』なき唱題は、地涌の菩薩の唱題ではないのであります
 「誓願」には、魔に打ち勝ちゆく、仏の生命のほとばしりがある。
 伸一は、全同志が、一人も漏れなく、大功徳に浴してほしかった。病苦、経済苦など、すべてを乗り越えて、幸せになってほしかった。そのための祈りの要諦こそ、「広宣流布への誓願」なのである。
 皆、それぞれに、さまざまな問題や苦悩をかかえていよう。その解決のためには、″広宣流布のため″との一念が大事になるのだ。
 たとえば、病に苦しんでいるならば、″この病を克服し、仏法の正しさを必ず証明します。広宣流布に、自在に動き回るために、どうか大生命力をください″との誓願の心が、克服の大きな力となるのだ。
 題目を唱えれば、もちろん功徳はある。しかし、″病気を治したい″という祈りが、深き使命感と一致していく時、自身の根本的な生命の変革、境涯革命、宿命の転換への力強い回転が始まる。
 広宣流布を誓願し、唱題に励む時、自身の胸中に、地涌の菩薩の大生命が涌現し、日蓮大聖人の御命が脈動して、己心の仏界が開かれるのである。 そこに、境涯革命があり、宿命の劇的な転換も可能になるのだ。
 また、弘教など、広宣流布のための挑戦課題を成就せんと悩み、唱題すること自体、既に地涌の菩薩の生命である。ゆえに、その実践のなかで、個々人のさまざまな苦悩も、乗り越え、解決していくことができるのだ。
 地涌の大生命という赫々たる太陽が昇れば、苦悩の闇は消え去り、幸福への確たる道を、雄々しく歩み抜いていくことができる。

 

小説新・人間革命 24巻 厳護47

2016年1月6日

幸福勝利の大実証を晴ればれと

 

<誓願の題目に莫大なパワー>

  

 日蓮大聖人は、『妙法蓮華経の五字を唱うる功徳莫大なり』(御書13頁)と仰せになりました。なかんずく、「広宣流布」そして「立正安国」を誓願する題目が、どれほど莫大なパワーを秘めていることか。
 この一年、わが友が、これまでにまして地涌の菩薩の無限の力用を思い切り発揮し、いかなる苦難も乗り越え、一人ももれなく功徳を受け切って、これ以上ないという幸福勝利の大実証を晴ればれと示し切っていただきたい。これが私と妻のひたぶるな祈りです。
 どんな立派な鐘も、打ち鳴らさなければ響きません。我らの誠実の対話で、信念の行動で、異体同心の連帯で、

 社会に英知の鐘を、

 人材の鐘を、

 友情の鐘を、

 常楽の鐘を

 轟かせながら、仏界という人類の最極の魂を一段と呼び覚ましていこうではありませんか!
 結びに、苦楽を分かち、未来の一切を託しゆく、後継の宝友へ

 

 勝鬨を
  断固あげなむ
   師弟不二

 

 と贈ります。
 世界平和の柱たる創価家族の健康と御多幸を祈りつつ。

 

2016.1.4付聖教新聞 新年勤行会メッセージ

2015年11月27日

善知識にするのも

悪知識にするのも

本人の信心

 

<『諸の悪人は又善知識なり』>

 

魔を打ち破る力は唱題にあり


  情熱を込めて、山本伸一は訴えた。
 「次の『諸の悪人は又善知識なり』(御書962頁)の御文も、非常に大事です。
 善知識というのは、仏道修行を支え、助けてくれる存在です。しかし、日蓮大聖人は、諸の悪人、すなわち仏法者を迫害し、信心を妨げる働きをなす悪知識を、御自身にとって、善知識であると言われている。
 なぜか――。諸の悪人による迫害に遭うことによって、法華経の行者であることが立証できるからです。風があってこそ、風車が回るように、迫害あってこそ、悪業を転換し、一生成仏することができる。
 難が競い起これば起こるほど、強盛に信心を燃え上がらせていくならば、悪知識も、すべて善知識へと変えていくことができる。むしろ、それが、真実の信仰の姿です。
 反対に、学会の先輩が成長を願って、誤りを指摘してくれたにもかかわらず、恨みをいだき、退転していく人もいます。その人にとっては善知識となるべきものが、結果的に悪知識と同じ働きをしてしまうことになる。
 善知識にするのも、悪知識にするのも、最終的には本人の信心なんです。ゆえに、弾圧、迫害も、信心の大飛躍のバネにすることができる。つまり、どんな逆境に遭遇しても、それが、そのまま魔になるわけではない。どう受けとめるかで、一念次第で、魔にもなれば、信心向上の力にもなっていくんです。
 どうか、第六天の魔王が率いる十軍という己心の魔に打ち勝ってください。この魔を打ち破る力は唱題です。生命の根本的な迷い、すなわち無明を断ち切ることができるのは、南無妙法蓮華経の利剣です。どこまでも、唱題第一に戦おうではありませんか!」

 

 小説新・人間革命27巻激闘269頁

2015年10月18日19日

「祈り」と「行動」が祈りの“成就”に

 

 祈っているから大丈夫
 というのではなく、
 祈りが行動につながるとき、
 初めて祈りが叶う。
 これが仏法の道理である。
 健康も、日々、
 「強く祈り」
 「具体的にこまかな注意をする」
 ――そうすることによって、
 現実に勝ち取っていける。


 2015年10月18日付聖教新聞 光の言葉 幸福も曲

2015年10月14日

「永遠の大生命」を我が身に湧現

 
池田 人生は長い。晴天の日だけではない。雨の日も、烈風の日もある。しかし何が起ろうと、信心があれば、最後は全部、功徳に変わる。
 戸田先生は言われていた。「信心さえあれば、ことごとく功徳なのだよ。信心なくして疑えば、すべて罰だよ」と。
 「永遠の生命」を信じて、この一生を生きて生きて生き抜いていくのです。この一生を勝利しきって、その姿でもって「永遠の生命」を証明するのです。それが法華経です。寿量品です。何があろうと、生きて生きて生き抜くのが「寿量品の心」なのです。
斉藤 寿量品の心とは、言葉だけの「永遠の生命」ということではないのですね。
池田 大生命力で生き抜くことです。永遠にして宇宙大の「大いなる生命」の実在を明かしたのが寿量品です。その「大いなる生命」を、現実の我が身のうえに顕していくのが寿量品の実践です。
 如来寿量とは「如来の寿命を量る」という意味です。如来の永遠の寿命──その大生命力を我が身のうえに涌現するのです。
 寿量品が説く「永遠の生命」──それは無限の生命力、無限の智慧、無限の慈悲を具えて、生きとし生けるものを支えている宇宙生命それ自体です。
 それこそが、釈尊の本地であり、あらゆる仏の本体であると明かしているのが寿量品です。「仏とは生命なり」と戸田先生が悟られた通りです。
 この「永遠の生命」が、妙法であり、如来であり、法性であり、実相です。十界三千の諸法を貫く宇宙根源の法であり、大聖人はこれを「南無妙法蓮華経」と名づけられた。
 生と死も、この「永遠の大生命」の不思議な働きであり、本然のリズムです。生死という現象だけで見れば、生命は無常です。この「生死の苦しみ」「無常の苦しみ」が、人間の一切の苦しみの根源です。釈尊は、このことを徹底して人々に教えたのです。
 それは決して″昔話″ではない。現代社会の諸々の苦悩の根底にも、この生死の苦しみが横たわっている。寿量品の「永遠の生命」こそが、この生死の苦しみを癒す「良薬」なのです。

法華経の智慧 如来寿量品 第十六章

2015年10月13日

金(きん)はドブに落ちても、金だよ!

 

<何があっても、題目を唱えぬいた福運は壊されない>

 
 「金はドブに落ちても、金だよ。誰が誹謗しようが、ヤキモチを焼こうが、金は変わりません。
  同じように、妙法蓮華経の当体、事の一念三千の当体として、いつも御本尊が胸中にあり、いつも題目をあげる人は、どういう境遇でも、どんな時代でも、何があっても、その福運は壊されることがないのです。
 福運ある自分をつくるまで、そして、人間革命し切るまでは、題目を唱え抜いて、学会につき切って、大聖人の仰せ通りの信心をしていく以外にありません。
 忍耐強く励んでいきなさい。最後には、その人が勝つに決まっている。これは、大聖人が仰せであり多くの実例が証拠です。
 近所の人とも朗らかにつき合っていきなさい。心の中に、信心という偉大なるエンジンを持ちながら、聡明に、常識豊かに、礼儀正しく・・・(後略)」

大白蓮華2015年10月号№792 12頁

2015年7月27日

真の遊楽

 

 真の遊楽とは、生きていること自体が楽しいという、生命の奥底からあふれる充実と歓喜である。いかなる事態に遭遇しても崩れない絶対的幸福境涯にほかならない。
 その生命力の源泉が自行化他の題目である。
 「唱題第一」の人は、何があっても負けない。必ず勝ち越え、全てを悠々と楽しんでいける。
 『菩薩とは仏果を得る下地なり』(御書738頁)とあるが如く、この地道な唱題と、広布への勇気の対話を土台としてこそ、自他共に最も幸福で痛快なる常勝の人生が開かれていくのだ。


2015.7.8付聖教新聞 随筆民衆凱歌の大行進24

2015年7月9日

師弟誓願の祈り

 

<唱題は大宇宙と小宇宙の交流>

 
佐藤青年部長 私たち青年部は、学会精神を受け継ぎ、新たな大勝利の歴史を開きます。
 その意味で、第1回は、戦いの原動力となる「祈り」について、ぜひ、おうかがいしたいと思います。
熊沢女子部長 今、本部幹部会などで、先生と一緒に唱題させていただく機会に恵まれています。「満々たる生命力と勇気がみなぎります」等と、各地の友から感謝と決意の声が寄せられています。
池田先生 題目が一切の原動力です。私も、戸田先生とよく一緒に唱題をさせていただいた。学会本部でも、先生の御自宅でも、地方の拠点でも。一回一回が宝でした
 先生の事業が一番、大変な時も、「生命力が弱っていては戦(いくさ)はできないぞ」と厳しく叱咤されて、弟子のために導師をして、祈ってくださった。
 「御義口伝」には「師子吼」の意義について『師弟共に唱うる所の音声なり』(同748頁)とあります。先生と唱える題目は、まさに宇宙をも揺さぶるような「師子吼」でした。勝ち戦への轟きです
 ともあれ、「祈り」は宗教の根源です。祈りは人間にしかできない崇高な行為です。
 何を、どう、祈っているのか。祈りにその人の一念が如実に現れる。私たちの祈りは、いわば、大宇宙と人間生命の小宇宙との深遠(じんのん)なる交流の儀式です。南無妙法蓮華経は、宇宙と生命を貫く根本の大法則だからです
佐藤 人間とかけ離れた超越的な存在に、何かをしてもらおうという心根とは、まったく違いますね。
池田先生 そう。ただ拝めば叶うなどという、安直な次元ではない。
 『仏法と申すは道理なり』(同1169頁)です。スポーツ部の友にも語ったことがあるけれども、真の祈りは、これ以上ないという「努力」と直結しているのです
 仏法は、人間の生命に限りない尊厳性を認めている。その生命の偉大な力を実際に開いていく仏道修行が、唱題行です。
 南無妙法蓮華経の題目は、人類の潜在力を開く無限大の力を持っているのです。
熊沢 新しく活動を始めた友から、「どのように祈ったらいいのでしょうか?」と質問されることがあります。
池田先生 そんなに、難しく考えなくていいんだよ(笑い)。自分らしく、ありのままの姿で御本尊の前に端座すればいいのです。そして苦しいことも、つらいことも、そのまま祈っていけばいい。
 『苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ』 (同1143頁)と教えてくださっている通りです。
佐藤 よくわかりました。今、各地で新入会の友も信心の体験をつかみ、確信を深めています。
池田先生 うれしいね。「諸法実相抄」では、『皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり』(同1360頁)と言われています。題目を唱えられるということ、それ自体が、いかに深い宿縁であるか。
 大聖人は『日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか』(同頁)とも仰せです。広宣流布に生き、題目を唱えゆく青年は、皆、最も尊極な地涌の菩薩なのです。
佐藤 学会とともに、広布に進む決意をもって唱える題目が、地涌の菩薩の「誓願の題目」なのですね。
 池田先生は「本当の決意を込めた題目をあげよ! 題目は利剣である。題目は宝刀である。題目で勝つのだ!」との戸田先生のご指導を教えてくださいました。
池田先生 友の幸福を願い、広宣流布を願って題目をあげていく。学会活動をし、折伏に挑戦していく。それ自体が、立派な「誓願の祈り」であり、「誓願の実践」なのです
 地涌の菩薩は、法華経の涌出品で大地の底から現れ、末法における広宣流布を誓願した。私たちは、その誓願のままに創価学会員として生まれ、戦っているのです。
 「いえ、そんなことを誓った覚えはありません」と言うかもしれない(笑い)。でも仏法の眼(まなこ)から見れば、また生命の因果から見れば、厳粛なる真実なのです。


御書と青年(2010.1.25付聖教)

2015年5月16日

祈りは明確に強き一念定めて

 

<真剣、真剣、真剣!>

   

 これらのことも含めて、本日まず私が申し上げたいことは、「祈りは具体的でなければならない」ということである。
 たとえば、きょう一日、無事故で自己の使命を果たせるように。また出張や旅行等の出発の折も、無事に目的を達するように。その他、きちっと一念を定めて、具体的に祈念していく。それでこそ祈りは御本尊に感応し、「事の一念三千」の法理にのっとって、宇宙のあらゆる次元の働きが、祈りの実現へと回転を始める。
 妙法を信じ、行ずる者の祈りは絶対に叶う。それも祈る側の「強き一念」があってのことである。強き一念は、めざす的が明確であり、具体的であってこそ生まれる
 漠然とした、心定まらない祈り。義務的、形式的な勤行・唱題。それらは信心の惰性の表れである。惰性の信心は、惰性と空虚の回転を生む。
 勤行しないとなんとなく叱られているみたいだからとか、お父さんやお母さんがうるさいし、奥さんのせきたてる声を逃れんがため、しぶしぶ仏壇に向かう(爆笑)。はじめはいやいや、途中は″早く終わらないか″。予定どおり早く終えて(爆笑)、″ああ終わってよかった″(爆笑)。京都には、こんな人はいないと思うが(笑い)、これでは諸天善神も活躍しようがない。(爆笑)
 はっきりしない一念では相手に通じない。これは、人間同士でも同じ道理である。
 たとえば恋人同士でも、男性が、結婚したいんだか、したくないのか、はっきりしない。なんとなく、そこにいるだけ。指輪もくれなければ、プロポーズもない。具体的なものは何にもない。これでは女性のほうだって、いらいらするのも無理はない(爆笑)。返事のしようもない。
 ともあれ、″仏法は道理″である。観念的な、また真剣さのない祈念では、明確な結果は出ない広布のこと、一家と自身のことに関して、たえず明確で具体性のある祈りを重ねていく。そこに妙法流布の進展もあるし、宿命の打開もなされていく、と私は考える
 たとえば交通事故にも、事故を起こしやすい傾向性をもつ人がいる。無事故を日々、真剣に祈っていくことによって、そうした悪い傾向性をも修正していくことができる。また諸天に守られていく。その他の宿命の転換の方程式も同様である。

1989.10.18 京都記念幹部会

2015年4月26日27日

唱題は一切を変毒為薬する力

 

<題目をあげ抜いた人が、最後に勝つ>

   

 この娑婆世界は「勘忍」の世界とされる。耐え忍ばねばならない、さまざまなことが、つねにある。そのなかで、どんな悲しみも、どんな苦しみも、どんな宿命も、全部、悠々と乗り越えて、最も幸福な境涯を得ていけるのが、日蓮大聖人の「仏法」であり、創価学会の「信心」である。
 自分や家族の病気、また死、経済苦、人間関係の悩み、欲しいものが得られないつらさ、その他、生きているかぎり、ありとあらゆる戦いがあり、苦しみがある。これは避けようがない。どうしようもない人生の現実である。
 「信心」とは、「唱題」とは、それらを、ことごとく変毒為薬する力である。苦しみの毒が、幸せという薬に変わる
 煩悩即菩提で、悩みが悟りに変わり、幸福に変わる。悩み、悲しみが大きければ大きいほど、より大きな幸福に変えていける。これが題目の力である。ゆえに妙法を唱える人は、何ものも恐れない。恐れる必要がない。
 木も、小さいうちは、少しの風にも揺れる。大木になれば、どんな嵐にも揺るがない。人間も、生命力が弱ければ、少しの悩みの風にも紛動されてしまう。
 娑婆世界である以上、風を止めることはできない。自分が強くなる以外にない。自分が大木になれば、どんな大風も平気である。むしろ楽しんでいける。そういう人生、生命へと、人間革命していくための信仰なのである。
 目には見えないが、木は毎日、生長している。私たちの唱題も、目には見えないが毎日、自分自身を福運の大木へと育てている。
 十年、二十年、学会のなかで信心を貫いていけば、やがて必ず、大樹となった福運が、はっきり目にも見えるようになる。
 妙法は宇宙の最高の宝である。唱題することは、毎日、わが生命に宝を積み重ねていることになる。一方、生命のなかの過去の罪業は、清浄な水に濁った水が押し出されるように、洗い流されていく。
 だから、完全に清浄になるには、ある程度、時間がかかる。初めのうちは、少し濁った水、すなわち自分の宿命との戦いがある。それも唱題の力で軽く受けているのである。ゆえに「持続」することである。やがて、すっかり生命が清浄になれば、どんどん、すべてがよくなってくる。

 福徳に満ち満ちた、何ものにも壊されない「絶対的な幸福」の境涯に、必ずなっていく。何があっても、楽しい。名声や財宝がなくても満足である。一瞬一瞬が、最高に充実している。喜びに満ち、すべてが美しく見える。何を見ても、ぱっと正邪がわかり、本質がわかる。何があっても、人のことを考えてあげられる。そういう自分になっていく。
 だから、幸福への道は決してむずかしいことではない。広布の世界のなかで、ともかく題目をあげ抜いた人が、最後には勝つ。必ず「絶対の幸福境涯」、すなわち「仏」の境涯を得ていけるのである。根本は、これひとつ覚えておけば、人生は永遠に盤石である。
 そのうえで、信仰者といっても、あとは何も特別なことはない。立派な社会人であり、良識と礼儀の人でなければならない。
 むしろ、だれよりも良き市民、良き父母、良き夫、良き妻、良き子供となっていくための信仰である。そのようになれるよう自分の境涯を高めるための仏法である。ゆえに、その信仰のことで、家庭で争うようなことは賢明ではない。その分、唱題したほうが価値的である。家族で、あまりやらない人がいたら、その人の分まで、自分が唱題し、祈ってあげればよい。あせらず祈りきっていけば、必ず自分が願った通りの方向に変わっていく。題目にかなうものは何もない。そして、心豊かに、夫を大切にし、妻を大切にし、子供は親孝行を重ねていくことである。
 南無妙法蓮華経は、大聖人のお名前であり、御生命であられる。題目を唱える人には、大聖人様の御生命がわいてくる。必ず仏になっていく
 いつまでも貧乏で苦しんでいる仏はない。薄情な仏や、意地悪な仏もない。人生に負ける弱い仏もない。仏とは「絶対に勝つ人」の異名である
 私は、皆さまの勝利を、健康、無事故、裕福、長寿を日々、一生懸命、祈っている。安心して、一緒に、無上の人生を生き抜いていただきたい。


1993.3.3 ブラジル池田記念講堂を初訪問

2015年4月1日

題目を心ゆくまで唱え切っていける一人一人に

 

 「第一に、何といっても大事なことは、題目を上げ切っていくことであります」「題目をあげ切っている人に、怨嫉はありません。ヤキモチはありません。行き詰まりはありません。学会は信心の団体です。源泉は題目です。それを忘れてしまったならば、前進の速い学会についていけない。どうか、題目を、形式的ではなく、心ゆくまで唱え切っていける一人一人になっていただきたい」


大白蓮華2015.4月号№785号19頁

2015年3月25日

“人生の勝利”は

「誓願の唱題」と「具体的な祈り」と「努力」と「工夫」にある!

 

  仏法は最高の道理


  四十過ぎの一人の壮年が兵士のような口調で、緊張して語り始めた。
 「自分の仕事は農業であります!」
 「どうぞ、気楽に。ここは、軍隊ではありませんから。みんな同志であり、家族なんですから、自宅でくつろいでいるような気持ちでいいのです」
 笑いが弾けた。日焼けした壮年の顔にも、屈託のない笑みが浮かんだ。
 この壮年の質問は、新たに始めた野菜づくりに失敗し、借金が膨らんでしまったが、どうすれば打開できるかというものだった。
 山本伸一は聞いた。
 「不作になってしまった原因はなんですか」
 「気候のせいもあったように思いますが……」
 「同じ野菜を栽培して、成功した方はいますか」
 「ええ、います。でも、たいていの人が不作です」
 「肥料に問題はありませんか」
 「……詳しくはわかりません」
 「手入れの仕方には、問題はありませんか」
 「…………」
 「土壌と品種との関係はどうですか」
 「さあ……」
 壮年は、伸一の問いに、ほとんど満足に答えることができなかった。この人は自分なりに、一生懸命に働いてきたにちがいない。しかし、誰もが一生懸命なのだ。それだけで良しとしているところに、″甘さ″があることに気づいていない。
 伸一は、鋭い口調で語り始めた。
「まず、同じ失敗を繰り返さないためには、なぜ、不作に終わってしまったのか、原因を徹底して究明していくことです。成功した人の話を聞き、参考にするのもよいでしょう。
そして、失敗しないための十分な対策を立てることです。
真剣勝負の人には、常に研究と工夫がある。それを怠れば成功はない。信心をしていれば、自分の畑だけが、自然に豊作になるなどと思ったら大間違いです。
 仏法というのは、最高の道理なのです。ゆえに、信心の強盛さは、人一倍、研究し、工夫し、努力する姿となって表れなければなりません。


真剣な“誓願”の唱題


 そして、その挑戦のエネルギーを湧き出させる源泉が真剣な唱題です。それも“誓願”の唱題でなければならない」
 「セイガンですか……」
 壮年が尋ねた。皆、初めて耳にする言葉であった。
 伸一が答えた。
 「“誓願”というのは、自ら誓いを立てて、願っていくことです」
 山本伸一は、力を込めて語っていった。
 「祈りといっても、自らの努力を怠り、ただ、からボタモチが落ちてくることを願うような祈りもあります。それで良しとする宗教なら、人間をだめにしてしまう宗教です。
 日蓮仏法の祈りは、本来、“誓願”の唱題なんです。その“誓願”の根本は、広宣流布です。
 つまり、“私は、このブラジルの広宣流布をしてまいります。そのために、仕事でも、必ず見事な実証を示してまいります。どうか、最大の力を発揮できるようにしてください”という、決意の唱題です。これが私たちの本来の祈りです。


『決意』と『祈り』、そして『努力』と『工夫』


 そのうえで、日々、自分のなすべき具体的な目標を明確に定めて、一つ一つの成就を祈り、挑戦していくことです。その真剣な一念から、知恵が湧き、創意工夫が生まれ、成功があるんです。つまり、『決意』と『祈り』、そして『努力』と『工夫』が揃ってこそ、人生の勝利があります。一攫千金を夢見て、一山当てようとしたり、うまい儲け話を期待するのは間違いです。それは、信心ではありません。それでは、観念です。
 仕事は生活を支える基盤です。その仕事で、勝利の実証を示さなければ、信心即生活の原理を立証することはできない。どうか、安易な姿勢はいっさい排して、もう一度、新しい決意で、全魂を傾けて、仕事に取り組んでください」
 「はい。頑張ります」
 壮年の目には、決意がみなぎっていた。
 伸一は、農業移住者の置かれた厳しい立場をよく知っていた。そのなかで成功を収めるためには、何よりも、自己の安易さと戦わなくてはならない。敵は、わが内にある。逆境であればあるほど、人生の勝負の時と決めて、挑戦し抜いていくことである。そこに御本尊の功力が現れるのだ。ゆえに逆境はまた、仏法の力の証明のチャンスといえる。


小説 新・人間革命  第1巻 開拓者

2015年3月24日

どこまでも御本尊を信じ抜き、

無量無辺の功徳力を確信して、

魂のこもった祈りを捧げることです

  

 四回目の記念勤行会は、午後七時四十五分から始まった。山本伸一は、ピアノを弾いて参加者を励ましたあと、「妙一尼御前御返事」を講義した。

 「法華経釈迦多宝・十方の諸仏菩薩・諸天善神等に信を入れ奉りて南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを信心とは申し候なり」(御書一二五五㌻)の御文では、“信”を入れて祈ることの重要性を指導した。

 「祈りは、ひたすら御本尊に思いの丈をぶつけていけばいいんです。その際、“信”を入れること、つまり、どこまでも御本尊を信じ抜き、無量無辺の功徳力を確信して、魂のこもった祈りを捧げることです

 自身の宿命転換、人間革命、一生成仏のためには、“広宣流布に生き抜きます”という誓願の祈りが大事になります。そこに、わが生命を地涌の菩薩の大生命、大境涯へと転ずる回転軸があるからです。

 具体的にいえば、“あの人に、この人に、幸せになってほしい。仏法を教えたい”という必死な利他の祈りです。学会活動の目標達成を祈り、行動を起こしていくことです。それが、大功徳、大福運を積む直道です。

 したがって、自身の悩み、苦しみの克服や、種々の願いの成就を祈る時にも、“広宣流布のために、この問題を乗り越え、信心の見事な実証を示させてください。必ず、そうしていきます”と祈っていくんです。祈りの根本に、広宣流布への誓願があることが大事なんです。

 どうか、御本仏の、この大誓願、大目的に連なった信心で、師子王のごとき勇気あふれる境涯で、人生を闊歩していってください」

 参加者の熱気は、蒸し暑い夏の夜の室温を上昇させていた。伸一の顔にも、皆の顔にも、汗がにじんでいた。しかし、集った同志は、汗を拭うのも忘れ、瞳を輝かせ、晴れやかな微笑を浮かべ、発心を誓うのであった。

 勤行会は、午後八時十五分に終了した。

 外には、まだ入れなかった人たちが待機していた。急いで入れ替えが行われた。

小説 新・人間革命 28巻 大道35

2015年3月18日

 <唱題第一の人>


楽しくて、嬉しくてしょうがない

 

 山本伸一は、次いで、「ただ世間の留難来るとも・とりあへ給うべからず」(御書1143頁)について、講義していった。
 「信心をすれば、世間から、怪訝な目で見られ、非難、中傷されることもあるでしょう。でも、それは、経文に、御書に説かれた通りではありませんか。したがって、そんな“世間の留難”を恐れ、翻弄されて、一喜一憂してはならないと仰せなんです。
 この御文のすぐあとには、『賢人・聖人も此の事はのがれず』とあります。正義を貫けば難がある――これは、道理なんです。
 したがって、何を言われようが、どんな仕打ちを受けようが、〝御書に仰せの通りだ。いよいよ難が競い起こってきたな。よし、戦うぞ!〟と心を定めて進むんです。そして、堂々と、『わが道』を、『この道』を、『創価の正義の大道』を走り抜いてください」
 皆、目を輝かせて、話に耳を傾けていた。
 伸一は、さらに、「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとな(唱)へゐ(居)させ給へ」の箇所について語った。
 「人生には、迫害の嵐、宿命の嵐が吹き荒れ、苦悩に苛まれることもあります。
 『苦』に直面した時には、その現実をありのままに見つめ、逃げたり、退いたりするのではなく、“よし、信心で打開しよう”と、ひたすら唱題に励んでいくことですまた、楽しい時、嬉しい時にも、感謝の心をもって御本尊に向かい、題目を唱え、歓喜を、さらなる歓喜の要因としていくんです
 苦楽ともに唱題し抜く。その弛みなき精進のなかに、持続の信心のなかに、宿命の転換も、人間革命もあるんです。“題目を唱えることが、楽しくて、嬉しくてしょうがないと実感できるようになれば本物です
 強盛な信心とは、強盛な祈りであり、持続の唱題である。
 “唱題第一の人は――揺るがない。臆さない。退かない。敗れない。胸中に、不屈の闘魂と歓喜の火が、赤々と燃えているからだ


小説「新・人間革命」 第28巻 大道30

2015年1月12日 

 題目の力(5)

 

<唱題は生命の「勝利の歌」>

   

 題目の力はすごい。無限である。妙法は宇宙の根本の法であり、題目は生命の根源のリズムである。広布をめざし、題目を朗々と唱えゆくところ、生命の威光勢力は無量に高まり、無辺に広がっていく。
 「御義口伝」には、法華経・五百弟子受記品の「貧人此の珠を見て 其の心大いに歓喜し」(開結371頁)の文について、こう説かれている。
 「此の文は始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」と。
 ――この経文は、「貧なる人」すなわち妙法を信じていない一切衆生が、「此の珠」すなわち題目、御本尊を受持した結果、はじめてわが生命が本来、仏であると自覚する、これを大歓喜と名づけるのである。すなわち南無妙法蓮華経と唱えることは、歓喜のなかの大歓喜である――。
 他の喜びは浅く、また、たちまちのうちに消え去る。妙法を唱え、わが身に仏の生命を涌現していくとき、いのちの奥底からの歓喜に五体は躍動する。これこそ、崩れざる真実の幸福感である。

 

    1990. 1.18第二十五回本部幹部会


2015年1月9日

 題目の力(4)

 

<題目の力は全宇宙のすみずみまで届き、

無間地獄の衆生をも即身成仏させる>

  
 日蓮大聖人は、「御義口伝」に仰せである。
 「今、日蓮とその弟子たちが、亡くなられた聖霊を追善し、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱えるとき、題目の光が無間地獄にまで至って、即身成仏させる。廻向の文は、ここから事起こるのである」(御書712頁、通解)
 題目の力は、計り知れないほど大きい。私たちが唱える題目の″光明″は、全宇宙のすみずみにまで届き、無間地獄の境涯で苦しむ衆生をも照らし、即身成仏させていくのである。
 「さじき女房御返事」には、「この功徳は、あなたの父母や祖父母、さらに無量無辺の衆生にも及んでいくでしょう」(御書1231頁、通解)と仰せである。広布に生きる信心の偉大な功徳は、亡くなった人や、子孫末代にまでも伝わっていく。
 真の追善は、妙法によるしかない。妙法の功力は、今世だけでなく、三世にわたって人々を救いきっていくからである。
 日蓮大聖人の門下に、浄蓮房という人がいる。その父親は、念仏の信仰者として亡くなった。この浄蓮房に対して、大聖人は、「父母の遺した体は子の色心である。今、浄蓮上人が法華経を持たれた功徳は慈父の功徳となる」(御書1434頁、通解)と仰せである。
 信心をしなかった親であっても、子である自分が妙法を受持すれば、その功徳は親の功徳ともなる。私たちが、今こうやって生きているのは父母のおかげである。この体は、父母から授かったものである。自分自身の成仏は、父母の成仏につながっていくのだ。
 過去がどうかではない。「今」で決まる。先祖がどうかではない。「自分」がどうかで決まる。目覚めた「一人」が、太陽となって、一家、一族を妙法の光で照らしていけばよいのである。
 「自身が仏に成らなくては、父母さえ救うことはむずかしい。ましてや、他人を救うことなどできない」(御書1429頁、通解)との御聖訓を深く銘記したい。

 

2006. 3.21春季彼岸勤行法要

 

2015年1月3日

 題目の力(3)

 

<希望を無限大に増幅する>

 
 信心の力、題目の力は無限です。人間が、だれでももっている「希望の力」を無限大に拡大し、増幅する力が、題目にはあるのです。
 だから、仏法の信仰とは、ひ弱な「心の慰め」ではない。自分で、挑戦すべき「山」をつくり、「山」を乗り越え、また次の「山」をつくって乗り越えていく。乗り越えるたびに、もっと強く、もっと大きな自分へと人間革命していく。
 「夢への挑戦」が信仰なのです。そのなかで最高の夢が「広宣流布」です。人類みんなが「私は幸せだ」「生きているのが楽しい」と言える社会をつくろうという夢です。

 

 希望対話 だれもが21世紀の主人公!


2015年1月2日

 題目の力(2)

 

<苦しんだ人ほど題目の力を知る>

 
 病気に苦しんだ人ほど、生命の尊さがわかる。悩み苦しんだ分だけ、信仰のすごさもわかる。自分自身の「生命」のすごさがわかる。これからも、どんなことがあっても、乗り越えていってもらいたい。
  人によって、「大きなエンジン」をもつ人と、「小さなエンジン」をもつ人がいる。「大きなエンジン」をもっている人は、険しい坂でも、楽しみながら前進できる。「小さなエンジン」しかない人は、小さな坂でも、息が切れて苦しむ。勤行・唱題によって、自分の生命のエンジンが大きくなるのです。

 

 希望対話 勤行は何のため?

 

2015年1月元旦

 題目の力(1)

 

<題目の力は量り知れない>

 
 題目の力を、自分の小さな境涯で、「このくらいだろう」と推し量ってはならない。その功徳は、仏でも知り尽くすことができないと言われている。
 いわんや凡夫が勝手に決めつけるのは、増上慢です。御本尊の無量の功力を小さく見てしまう「弱い信心」であっては、御本尊の力も小さくしか出ない。
 戸田先生は、よく豊島公会堂で「私の受けた功徳を、この公会堂の大きさとすると、皆さんのは小指くらいだ」と言われていた。
 今は、経済も大変だ。私は、だからこそ、今こそ、皆さんに「大功徳」を受けてもらいたい。くめども尽きない「大福徳」を得てもらいたい。

 

 法華経の智慧 陀羅尼品(第二十六章)


2014年11月13日

祈りとは変革の波動を起こす源泉

   
 祈りとは、正しい実践、粘り強い行動を貫くための源泉であります。祈りのない行動ほどもろいものはない。(中略)
 祈りのある人ほど強いものはない。我が強盛なる祈りに込めた一念が、信力、行力となってあらわれ、それと相呼応して仏力、法力が作動するのであります。主体はあくまで人間であります。
 祈りとは、人間の心に変化をもたらすものであります。目に見えないが深いその一人の心の変化は、決して一人にとどまるものではありませんまた一つの地域の変革は、決してその地域のみにとどまってはいない一波が万波を呼ぶように、必ず他の地域に変革の波動を及ぼしていくのであります。
 そうした展転の原点となる最初の一撃は、一人の人間の心の中における変革であると、私は申し上げたいのであります。

 

大白蓮華No.780号2014.11月号59頁

2014年11月5日

我らに秘術あり

   
 日蓮大聖人は、『真実一切衆生・色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり』(御書、1170頁)
 ――「真実に、一切衆生にとって、色心の留難を打ち破る秘術は、ただ南無妙法蓮華経以外ない」――と断言された。
 学術・医術・技術・芸術などの全ての術を生かし切って、最大に勝てる秘術が、信心である。無限に行き詰らない、一切を変毒為薬できる幸福勝利の秘術なのだ。
 いかなる時も題目を忘れず、自らの技や英知を磨きながら、強気で進んでもらいたい。

 

創価新報2014.11.5付勝利の人間学

2014年10月28日

法華経の信心に勝る兵法なし


 今日は、私が、ここ関西で青春の全生命を賭して実践し抜いた御聖訓を、あらためて拝読したい。
 それは「法華経兵法事」の結びの一節である。すなわち――
 『なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵・皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず、兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候』(法華経兵法事、1192頁)と。
 法華経とは究極の将軍学なり。この法華経の信心に勝る兵法は、どこにもない。
 ゆえに若くして、この「常勝の兵法」を持った君たちは、いかなる人生の宿命にも、いかなる社会の圧迫にも、断固として負けてはならない。絶対に打開し、勝ってみせる。絶対に縁する一人一人を幸福にしてみせる。絶対に民衆の正義の連帯を打ち立て、人類の平和の道を開いてみせる。そのための信心である。
 君も我も、勇敢に戦い切り、一生涯、常勝の劇を悔いなく飾って、これからの無数の世界の地涌の友に、限りない勇気と希望を贈りゆこう!

 

2014.10.26新時代第2回男子部幹部会メッセージ


2014年9月29日

勝ちまくれ! 仏法は勝負である

 

<所詮は題目を唱える以外にない>

   
 「勝ちまくれ! 仏法は勝負である」――恩師・戸田先生の師子吼が胸に響く。全てに勝とう! 広宣流布のために! 自分自身の幸福のために!
 ブロックこそ広布拡大の最前線だ。模範のブロックをつくるには、どうしたらよいか。私は葛飾の総ブロック長に就いた際、皆と約し合った。
 全会員が、しっかり勤行できるようにしていこう――と。
 柔道にも剣道にも基本があるが、幸せになるための信心の基本は勤行にある。日々、真剣に勤行・唱題を重ねた人と、いい加減な人とでは、表面は同じように見えても、3年、5年、7年とたっていったとき、厳然たる開きが出てくるものだ。
 宿業の転換といい、人間革命といっても、その一切の原動力は勤行・唱題にほかならない。
 一念の力は無限である。わが最高峰を目指そう!――そう決めて祈れば、偉大な力が湧く
 日蓮大聖人は仰せである。
 『深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり』(一生成仏抄、384頁)
 勤行の姿勢が、生き方にも表れる。力強い勤行、すがすがしい勤行、真剣な祈りを込めた勤行は諸天をも動かしていく。
 私たちが毎日読誦する法華経寿量品に「一心欲見仏 不自惜身命」(一心に仏を見立てまつらんと欲して、自ら身命を惜しまず)とある。求道心に燃え、命を惜しまず、法のために――ここに信心の真髄がある。
 あらゆる苦難に挑みながら、仏法を弘め、同志を守り抜く。その戦う心に仏界は輝く。
 所詮は題目を唱える以外にない。一番やさしい修行は唱題であり、一番難しい修行も題目を唱えることだ。
 生き抜く力の源泉、勇気とい智慧の源泉こそ題目なのである。


聖教新聞2014.9.28付新時代を開く35

2014年9月26日

題目の力は偉大である

  
 戸田先生は語られた。
 「題目の力は偉大である。苦しい業を感ずる生命を、あたかも花園に遊ぶがごとき、安らかな夢のごとき状態に変化させるのである」
 妙法は大宇宙の根源の力だ。
 それを弘める功徳は、故人をも包む。広宣流布への戦う心のこそ、仏の心であり創価の心だ。
 全ては自他共の幸福のための戦いだ。

 苦労がないことが幸福なのではない。

 どんな悩みにも負けないことが幸福なのだ。
 忍耐ある人は負けない。
 朗らかな人は負けない。


聖教新聞2014.9.20付新時代を開く34

2014年8月6日 

一番、悩んだ人が、一番、偉大な人生に

 

<願いを叶えるために、全宇宙が動く>

  
 勤行・唱題は、自分と大宇宙が交流しゆく儀式である。
 自分の中にある「宝の蔵」を開ききっていく。わが生命の泉から、限りない智慧と慈悲と勇気をくみだしていくのだ。
 朗々たる勤行で、満々たる生命力が涌かないわけがない。
 日蓮大聖人は仰せである。
 『白馬がいななくのは、我らが唱える南無妙法蓮華経の声である。この唱題の声を聞かれた梵天、帝釈、日月、四天等が、どうして、色つやを増し、輝きを強くされないはずがあろうか。どうして我らを守護されないはずがあろうかと、強く強く思われるがよい』(曾谷殿御返事、1065頁、編1204頁、通解)
 我らの題目は、諸天善神を動かし、我らを、そして一家を、社会を守り、栄えさせていく。
 強い強い信心があれば、必ず一切の道が開けていく。
 たとえ、苦しいことや嫌なことがあっても、いかなる状況になろうとも、題目を唱え抜いていくのだ。どんなことも祈り抜いていくのだ。御本尊に語り掛けるように祈るのだ。
 目には見えなくとも、願いを叶えるために、全宇宙が動く。
 一番、悩んだ人が、一番、偉大な人生になっていくのである
 祈りから、全ては始まる。


 聖教新聞2014.8.3付新時代を開く28

2014年7月17日

祈ってすぐに叶うのは“手品の信仰だ”

 

 「祈りとして叶わざるなし」の信心です。しかし、祈ってすぐに叶うのは“手品の信仰だ”。「明日、宝くじに当たりたい」「明日のテストで百点を取りたい」と祈って、簡単にそうなるものではない。しかし、もっと深く、長い目で見た場合に、祈った分だけ、全部、幸福の方向に行っているのです。
 目先の願いが叶う場合もあれば、叶わない場合もある。しかし、あとから振り返ると、その結果が「いちばんよかった」という形になっているものです。


 仏法は道理であり、信心即生活です。現実のうえで、努力もしないで、安易に願いが叶うわけがない。
 さらに、宿業的なもの――過去に根の深い原因がある苦悩を変えていくには、長い努力が必要になってくる。
 「切り傷が治る」のと「内臓疾患が治る」のとでは、治り方の時間も違ってくる。薬で治る病気もあれば、手術が必要な病気もある。それと同じです。また、信心の度合いも一人一人違いがあるし、もっている宿命も一人一人違う。
 しかし、祈っていくことによって、必ず「よい方向へ」「よい方向へ」と、本格的な希望が開けていくことは間違いないのです。
 何でも「すぐ」ということは、あり得ない。「すぐ」に叶ってしまえば、その人の堕落につながる。安易な人生になってしまう。
 ちょっと絵を描くのが好きな人が、バッバッと絵を描いて、すぐに展覧会ができて、絵が売れてしまうことなど、あり得ない。
 仕事をしないで遊び回り、そのせいで貧乏になっている人に、貧乏だからといって、たくさんお金をあげて、その人が幸福になるだろうか。

 

 建物でも、こちらをいじったり、あそこを直したり、目先の改築を何回も重ねるよりも、新築するほうが丈夫で立派なのができるし、強い。
 目先のことではなく、生命が根底から変わるのが信心です。生命が芯から強くなっていくし、永遠に消えない福運が固まっていくのです。
 御本尊の功徳には「顕益」と「冥益」がある。「顕益」というのは、病気とか、人間関係とか、何か問題が起こった時に厳然と守られ、すみやかに解決できる利益です。
 「冥益」とは、木がゆっくりと育つように、また海の水が満ちていくように、次第に福運を積み、豊かな大境涯を築いていく。毎日、見ていても変わっていないようで、何年間か長い目で見た場合には、厳然と幸福になっている。成長している。それが「冥益」です。
 「顕」とは、はっきり目に見えるということ。「冥」とは、なかなか目に見えないことを意味する。
 題目を唱えていけば、「顕益」の場合もあれば、「冥益」の場合もあるが、結果として必ず、自分にとっていちばんいい方向になっていくのです。


 ともあれ、何があっても「祈り続ける」ことです。そうすれば、必ず幸福になる。
 その時は、自分が思っているような解決をしなくても、もっと深いところ、あとから考えると、「いちばんよかった」という方向になっていたことがわかるものです。これがすばらしい「冥益」です。

 

青春対話 第四章 青春と信仰 338~341頁

2014年3月27日

願いは、心の奥底のものが叶う
 
 「よく皆さんは、口では“叶う”と言いながら、心の中では、あまり思わない場合がある。
 願いは、心の奥底のものが叶うのです。
 “病気が治りますように”と、お願いしながら、心では“治らないかもしれないな”と思う。これでは御本尊に通じません。
 信心をキチッとしていれば、どんなことでも叶いますよ。叶わないのは、そう願っていないのです。皆さんの心に聞けば、良くわかるでしょう。
 信心をしきっていけば、絶対、どんなことでも現証として現れます。
 ただ、宿業によって、時間がかかる場合がありますが、それでもキチンと分かるものです。何らかの形態で現証がでます」
 
大白蓮華No.773号2014.4月号17頁

2014年2月20日

勝利は強き誓願の題目から

 
 仏意仏勅の我ら学会には、無敵の「信心の宝剣」がある。いかなる戦いも、一切の勝利は、強き誓願の題目から開かれる。御本尊に祈るほどに勇気が湧き、元気になる。
 その満々たる生命力で、随縁真如の智慧を縦横無尽に発揮し、具体的な行動に打って出るのだ。
 日蓮大聖人は「よき師」と「よき弟子」と「よき法」の三つが合致すれば、必ず祈りを成就し、立正安国を実現できると仰せである。師弟不二、異体同心の祈りに勝るものはない。
 絶対に何ものにも負けない大勝利の人生を、一緒に生き抜いていこうではないか!

 

創価新報 勝利の人間学第34回

2014年2月14日

一歩も引かないで、御本尊に祈り切る

 
 大事なのは、広宣流布を進めることだ。人材を育てることだ。同志が皆、幸福になることだ。そのために、深い真剣な祈りで勝ち抜こう!
 宝の同志を心から讃え、励まし合いながら、仲良く、楽しく進んでいただきたい。(中略)
 断じて全てに意味がある。大きな悩みがあるから成長する。仏の境涯を開くことができる。変毒為薬の妙法である。
 何があろうと、微動だにしてはならない。一歩も引かないで、御本尊に祈り切るのだ。悩みを突き抜けて、人がどうであれ、堂々と自分自身に生き切るのだ。信心とは、永遠の希望に生きることである。

 

聖教新聞2014.2.9付 新時代を開く 6

2014年1月22日

胸中の師匠への求道心を忘れるな!


 勝利の実証にまさる雄弁はないのである。
 まず、自らの臆病の心に勝つのだ。
 策ではなく、祈って祈って祈り抜く。そして、見事な結果を出すのだ
 現実には困難の壁もある。障魔も競う。それを突き破るには、師弟が大事だよき先輩をもつのだ信心の指導を求める心を忘れてはならない
 私は毎日、胸中の戸田先生と対話しながら前進している。先生の厳愛の訓練があったゆえに、どんな嵐にも微動だしない。

 

2009.12.22全国代表者協議会 

2014年1月21日

本当の決意を込めた題目で勝つのだ!


 「本当の決意を込めた題目をあげよ!
  題目は利剣である。
  題目は宝刀である。
  題目で勝つのだ!」
 何と力強い言葉か。題目こそ、最極の勝利の利剣である。
 私は妻とともに、題目をあげ抜いて、学会を護り、戸田先生を護りに護った。
 ただただ、師匠のこと、広宣流布の前進を祈り抜いた。

 

2009.12.22全国代表者協議会

2014年1月19日

ありのままの自分で、広宣流布の大闘士に!


 ありのままの自分で、背伸びする必要もなければ、飾る必要もない。人間だから、泣きたいときもあるし、笑いたいときもある。怒りたいときもある。迷うこともあるでしょう。
 そういう、ありのままの凡夫が、奥底の一念を「広宣流布」に向けることによって、生命の基底部が仏界になっていく
 そして、怒るべきときに怒り、悩むべきときに悩み、笑うべきときに笑い、楽しむべきときに楽しみ、「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき」(四条金吾殿御返事1143頁、編880頁)、活発に、生き生きと、毎日をいきながら、自分も、そして人も絶対的な幸福に向かって突進していくのです。
 そのためには、広宣流布への強き責任感に立つことだ
 「だれかがやるだろう」とか、「何とかなるだろう」という、いいかげんな気持ちが一念にあれば、自分で自分の仏界を傷つけるようなものだ
 たとえば今月の予定・スケジュールが決まる。それをただ手帳に書いているだけなら、自分の一念の中に入っていかない。なすべきことを全部、自分の一念の中に入れておくことです。入れていけば、それが祈りとなっていく。
 一念三千で、勝利の方向へ、勝利の方向へと全宇宙が回転していく。
 自分の魂の中、一念の中に、「広宣流布」を入れていくのです。一切の「我が同志」を入れていくのです。広宣流布を祈り、創価学会の繁栄を祈り、我が同志の幸福を祈り、行動するのです。それが広宣流布の大闘士です。
 悪人は「悪鬼入其身」だが、その反対に、いわば「仏(ほとけ)入其身」とならねばならない。

 

法華経の智慧(中)如来寿量品(第十六章)

2013年12月24日

勝利の秘伝

 

 婦人部の祈りほど強く深いものはない。祈りぬく。祈りきる――この心が婦人部にはある。この信心に「勝利の栄冠」は輝く。
 「祈りぬく」「祈りきる」――この心が「勝利の秘伝」である。

 

2000.3.24第44回本部幹部会

2013年12月3日

必ず通ずる!

 

 戸田先生は語られれた。
 「御本尊への強い願いは、必ず通ずる。それには、条件が三つある、一つ、題目。二つ、題目。三つ、題目である」
 しっかり御本尊に祈っていけば、諸天善神が絶対に護らないわけがない。

 
聖教新聞2013.11.30付青年部代表勤行会でのメッセージ

2013年11月26日

運命を創り出す力と獄中の悟達

 

「牧口、戸田両先生の獄中における魔と仏との壮絶な戦いは、“運命を創り出す力”そのものであったといえるのであります。
 そして、宿命に生き抜く一人一人の、さらにまた一国の、そしてまたさらに全世界の、宿命転換をも可能にする偉大な力を、後世の私ども弟子一同に残してくださったことを忘れてはならない。」(中略)
 (戸田会長自身が書いた小説『人間革命』に、こうある。年頭からの題目が180万遍に達しようとしていたある朝、不思議な体験をする)
 「譬えようもなく平和であった。夢でもない、現でもない・・・時間にして、数秒であったか、それとも数時間であったか・・・・・計りようがなかったが、彼は、数限りない大衆と一緒に虚空にあって、金色燦爛たる大御本尊に向かって合掌している自分を発見した」

 
大白蓮華No.769号2013.12月号11頁

2013年11月14日

祈りは、ありのままの自分で 


 「また、仏法では感応が大切です。たとえば電話でも感度が良ければ、小さな声で『もしもし・・・』と、ささやいても通じる。叫ぶような声で『もしもし!もしもし!』とやっても通じない場合がある。
 祈りが通じるには、ありのままの自分で、子どもが『お母さーん』と親に抱きついていくような気持ちで、ぶつかっていくことです」 
 
聖教新聞2013.11.12付イタリア・ミラノ

2013年11月11日

誓願の題目 

 

 日蓮大聖人は「一切衆生にとって、南無妙法蓮華経と唱えるより外に真の遊楽はない」(御書、1143頁、通解)と結論され、「苦をば苦と悟り、楽をば楽と開き、苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経と唱え切っていきなさい」(同、通解)と仰せになられた。
 我らの題目は、広宣流布の誓願の題目であります。これほど強く、これほど深く、これほど明るい、「歓喜の中の大歓喜」の音律はありません。
 いかに厳しい苦難があっても、断じて負けない。題目の力で自らの悲哀さえも、人々を励まし救いゆく慈悲に転じて、朗らかに前進するのです。
 私と皆さんの生命は、この誓願の題目で結ばれ、常に一緒であります。 
 
聖教新聞2013.11.10付

2013年10月23日

 困難な時こそ、まず題目だ。

 

 困難な時こそ、強き楽観主義で進むのだ。
 嘆いていても何も変わらない。後ろを振り返っても何も進まない。
 まず題目だ。題目の中に一切が含まれている。
 人生は、どこまでいっても戦いである。
 ゆえに「絶対に勝つ」と決めて祈るのだ。
 信心は限りない希望であり、自信である。
 たとえ地獄のような苦悩の渦中にあっても、寂光土へ変えていけるのが題目の力である。
 何があっても信心で立ち上がっていくのだ。
 
 創価新報2013.10.2付勝利の人間学

2013年9月4日

一段と素晴らしい学会をつくろう!

 

 一段と素晴らしい学会をつくろう!そのために、リーダーは誰よりも祈ることだ。
 青年の心で挑戦することだ。勉強し、行動し、自分自身を革命することである。
 どうしたら、皆が功徳を受け、広布の道を開き、磐石な未来が築けるか。これが大事だ。私も心を砕いてきた。
 悩んで祈って思索して、智慧を湧かせる。それでこそ、崩れない基盤ができる。永遠の勝利の土台ができるのだ。

 

聖教新聞2013.9.1付今日も広布へ34

2013年8月27日

福運を積むには

 

「福運は幸福の根本原則です。どんなに頭がよくても、どんなにいい家庭に育っても、福運がなければ不幸です。
 福運を積む源泉は、末法今時においては題目をあげる以外に絶対にありません。福運がついてくれば依正不二です。まず境涯が広がってきます。それから楽しい。やることなすことが、なんとなくうまくいってくる。相が変わってくる。人との付き合いも、春風駘蕩*1としてくる。全部、変わってきます。

 “絶対に自分は福運を積んでいるのだ!”“御本尊を受持することは大福運者なのだ!〟と、この確信で生きるのです。
 “病気が治るかな・・・”“どこに就職しよう?”“試験に受かるかな、受からないかな・・・”。そんなことは断じてない。
 “御本尊を受持している福運ある自分だ、絶対、治るんだ、治るに決まっている!”“受かるに決まっている!”
 これが因果倶時になるのです。それが福運を積むのです。また、積んだことになるのです」

 

*1 春風駘蕩(しゅんぷうたいとう・・・物事に動じないで余裕がある様)

 

大白蓮華No.766号2013.9月号21頁

2013年8月26日

自行化他にわたる題目こそ人生の原動力

 

 「人生の旅路には、辛い時もあるでしょう。悲しい時もあるでしょう。絶望的な気持ちになることもあるかもしれない。しかし、御本尊に題目を唱えていけば、力が出る。限りない生命力が湧いてくる。そして、唱題と弘教の実践を続けるなかで、宿命は転換され、大福運がついていきます。まさに、自行化他にわたる題目こそ、この荒れ狂う社会を生き抜いていくための原動力であります。

 ともかく、信心の世界にあっては、法のため、広宣流布のために、悩み、苦しんだことは、すべて偉大な功徳、福運となります。いな、最も苦しんだ人こそが、最も幸せになれるんです。それが真実の仏法なんです」

 わが宿命は、自ら担った尊き使命でもある。「煩悩即菩提」「生死即涅槃」「変毒為薬」等々の原理が示すように、信心という確固たる生命の軸があれば、人生に襲いかかる一切の不幸は、逆転の大ドラマとなるのだ。 そして、広宣流布のために流した悔し涙は、感涙と変わり、浴びせられた中傷は、賞讃となり、苦闘は、栄光の王冠と輝く。  法のため、友のため、社会のために、勇んで今日も汗を流すのだ。苦労を重ねた分だけ、勝利の喜びは大きい。

 

小説 新・人間革命 26巻 奮迅 65

2013年8月19日

勤行は自分と大宇宙を合致させる崇高な儀式

 

 人生は幸福のためにある。
 幸福の究極と永遠性を説いたのが仏法である。
 毎日、勤行で読誦する寿量品には「衆生所遊楽(衆生の遊楽する所)」と仰せだ。
 信心を貫けば、生きていること自体が楽しいという人生になる。何があっても、生命の根底は安心しきって勝ち越えられる。この仏界を涌現させるのが勤行・唱題である。
 御聖訓には「口に妙法を呼びたてまつれば、わが身の仏性も呼ばれて、必ず、あらわれる」(御書557頁)と断言されている。
 妙法の音声は、全宇宙の仏性を呼び覚ます。勤行は、小宇宙である自分自身を、大宇宙の根本のリズムに合致させゆく崇高な儀式である。
 白馬が大草原を架けるように、朗々たる勤行をしていきたい。日本中、世界中に響くような強い一念で、我らを護る諸天を動かすのだ。
 抜苦与楽の仏法である。妙法の大良薬を服することによって、心中の苦しみの毒を除き、豊かな生命力を漲らせていける。真剣に祈り抜けば、必ず元気になっていく。
 きょうも力強い勤行で、わが胸に希望の太陽を昇らせながら、絶対勝利の人生を晴れ晴れと生き抜きたい。
 信心とは――「智慧の宝蔵」である。/「最極の正義」である。/「金剛の勇気」である。/「和楽の光源」である。/「平和の大道」である。
 いかなる波浪にも負けない将軍学の極意は、信心である。
 いよいよ、創価の黄金時代の幕開けだ。目の覚めるような、自身の人間革命を成し遂げるのだ。
 我らの燃え上がる信心で、世界広布の大誓願を実現してまいりたい。

 

聖教新聞2013.8.3付今日も広布へ30

2013年8月5日

 勇気で勝て!祈りが武器
 

 人生は、勝つか、負けるかである。大事なのは、百の論議よりも「勝つ」ことだ。一生懸命に祈り、苦難を乗り越え勝利した――その数々の実証は、創価の歴史に燦然と輝いている。
 祈りが武器である。真剣に、祈って祈って祈りぬき、努力を貫き、勝つしかない。めざすは「勝利」の二字しかない。

 

2003.8.5全国最高協議会⑤

2013年7月29日

 祈りは必ず花開く 
 

 日蓮大聖人は、十界のいかなる衆生も、妙法によって即身成仏できると述べられ、「百千万年の間、闇に閉ざされていた所でも、灯を入れれば明るくなる」(御書1403頁、通解)と仰せである。
 あの友を立ち上がらせずにはおくものか! この友に何としても正義と真実の声を!――祈りは必ず花開く。自分が太陽となって、希望の光を広げていただきたい。
 共に広布に戦う一日一日が後世に輝く歴史だ。一人一人が栄光の人である。絶対に何ものにも負けない大勝利の人生を、一緒に生き抜こう!

 

聖教新聞2013.7.14付今日も広布へ28

2013年7月7日

常勝の方程式、「祈り」は必ず叶う

 

 信心の功徳には、はっきりと顕れる「顕益」と、目には見えなくとも知らずしらずのうちに大利益を受ける「冥益」がある。
 大聖人は、「祈り」と「功徳」の顕れ方について四つの形を挙げておられる。(御書1242頁)
 「顕祈顕応」「顕祈冥応」「冥祈冥応」「冥祈顕応」である。
 「顕祈顕応」とは、何かに直面したときに、真剣に祈り、それに応じてただちに解決の方途が開かれ、願いが叶うこと。
 「顕祈冥応」とは、祈りに応じた具体的結果がただちに顕れなくても、その功徳は生命に積み重ねられていくことである。
 「冥祈冥応」とは、たゆまざる唱題の功徳によって、自然のうちに生命が浄化され、豊かになり、所願満足の道へ入っていくこと。
 「冥祈顕応」とは、つね日ごろの唱題の功徳が、いざという時、具体的事実として厳然と顕れることである。
 この四つにふれて、大聖人は仰せである。
 「ただ肝要なことは、この法華経の信心をされるならば、現世と未来世の願いが満たされるということである。法華経第三の巻(授記品)には『魔および魔民があったとしても、皆、仏法を守護する』とある。また、第七の巻(薬王品)には『病は消滅して、不老不死の境涯を得るであろう』とある。これらの金言を疑ってはならない」(御書1242頁)
 真の強盛な信心。
 真の強き祈り。
 それは、一切を変毒為薬する根本の力である。
 さらに、魔民さえも広宣流布の味方へと変えていける。
 「祈りとして叶わざるなし」の妙法である。

 勝利のために、
 まず強き祈りから始める。
 そして粘り強く、
 忍耐強く、
 祈りぬき、
 祈りきる。
 この常勝の方程式を、深く胸に刻んでいくことである。
 強き信心の一念と行動で、乗り越えられない山はない。

 

2003.8.21二十一世紀女性研修会

2013年6月30日

 壁を破る原動力

 何のための人生か。その原点を忘れない人は強い。何があっても揺るがない。
 張り切って広布へ進むのだ。
 壁を破る原動力は、生命変革の祈りである。
 自身の生命に
 「梵天、帝釈、日天、月天よ、入りたまえ!」
 「わが地域の全ての同志の方々の生命に、梵天、帝釈、日天、月天よ、入りたまえ!」
 こう祈れば、計り知れない力が出る。御聖訓に説かれる法理の通りである。
 私は毎日、全同志の皆様の健康と幸福と勝利を、祈りに祈っている。いよいよ、信力・行力を奮い起こし、仏力・法力を湧き出だしながら、一人も残らず、一歩前進の栄光の劇を飾ってまいりたい。 
 
聖教新聞2013.6.16付今日も広布へ24 

2013年4月19日

自分をつくる誓願の祈り

 

 「自分をつくる」のは、結局「自分」である。その「自分」とは、せんじつめれば「一念」である。「一念」とは、具体的な「祈り」に集約される。地涌の勇士としての「誓願の祈り」こそ、自己を限りなく向上させ、活躍させ、完成させていく原動力である。
 誓願。尊き使命のわが人生、何を誓い、何を願って生きるか。その奥底の一念どおりに、一生は展開する。他のだれのせいでもない。だれの責任にする必要もない。 
 大聖人は「自体顕照」と仰せである。妙法の光は、わが本然の姿を照らし、顕してくれる。輝かせてくれる。この“わが生命に生きる”人生ほど、幸福な人生はない、と私は信ずる。
  
1989.7.27創立六十周年開幕記念支部長会

2013年4月9日

修行に優劣なし!

 

 所詮、題目をあげきっていくことに尽きるのです。 ある人曰く。“題目は量が大事か?質が大事か?”「量も質も大事なのです!御書を読むことも大事、折伏することも大事、生活も、もっと大事、一切、大事であります」 修行に優劣はない。「喜びにも題目、悲しみにも題目、戦いにも題目、一切の人生の活動の源泉は、“題目を、唱えて、唱えて、唱えきっていくのだ!”。これが大聖人仏法の真髄であります。実践であります。どんなことがあっても題目だけは、唱えて唱えて、唱えきっていく。それだけは忘れないで頂きたい!」 その人こそ「ひとり立つ」人なんです。
 

大白蓮華No.760.6.4月号21、22頁

2013年4月度

題目を抱きしめて

 

 私は祈った。先生のために。学会のために。激闘の中で祈り抜いた。
 もう寝ても覚めても題目。歩いていても題目。車の中でも、電車に乗っても、時間さえあれば、全て題目。
 ただただ、題目を抱きしめて、この世の残酷な苦難をはね返し、戸田先生が第2代会長に就任される道を、命を賭して、切り開いていったのである。
  
聖教新聞2013.1.16付本部幹部会

2013年3月19日

題目の読と誦は功徳同じ

 

 題目は信と行に開かれ、行の題目に読誦があります。読(どく)とは御本尊に向かって題目を唱えることで、誦(じゅ)とは心で唱える題目のことであり、功徳は同じであります。日蓮大聖人ご在世当時の信者たちは、(大御本尊出現以前は)日蓮大聖人にお目通りして唱題したのです。師弟相対というのがこれであります。これは読の題目であります。それ以外は誦の題目となります。 
 

戸田城聖全集第二巻26頁

2013年1月元旦

我らの祈り

 

元初より

誓いし我らの

この一年

勝利の大城

厳と築けや


 我らの祈りは、「人間革命の祈り」である。

 人や周囲が変わってくれるのを待つのではない。強盛な一念で自分自身が変わり、その波動を広げるのだ。

 

 我らの祈りは、「自他共の幸福の祈り」である。

 あの友も、この友も、共々に仏の生命を開きながら、絶対に幸福をつかんでいくための原動力なのだ。

 

 我らの祈りは、「誓願の祈り」である。

 広宣流布の大願へ、拡大と勝利を誓い、自ら行動を起こし、実現していくのだ。ここに地涌の菩薩の誉れがある。

 

大白蓮華No.757 2013.1月号4頁

2012年10月2日(祝第100回)

題目、題目、題目です

 

「(中略)大聖人は、『南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり』(御書1143頁)と仰せです。 たとえ、どんなに苦しい時も、御本尊への信を奮い起こし、〝絶対負けるものか!〟と、唱題し抜いていくんです。そうすれば、苦難に立ち向かう勇気が湧きます。生命が躍動し、歓喜が込み上げてきます。そこから、すべての状況が開かれていくんです。 題目、題目、題目です。誰が見ていなくとも、日々、懸命に祈り抜いていく・・・それが、一切の原動力です」

 

 小説 新・人間革命 23巻 敢闘 366頁

2012年9月23日

師子吼の題目

 

 師子吼の題目を唱える人は、絶対に行き詰まることはない。師子王が吼えれば、百獣は恐れおののく。 そのように、あらゆる魔性を破ることができる。病魔も破る事ができる。全宇宙の諸天善神が私たちの味方となるのだ。何も心配はいらない。何も恐れる必要はない。

 

 聖教新聞 2008年12月29日付 各部代表者会議

2012年8月23日

変化即応の「智恵」

 

生命も、社会も、人生も、変化また変化の連続である。一瞬としてとどまることがない。無常である。この実相を自覚せず、変化への対応を怠れば保守となり、硬直となる。それでは仏法の実践者とはいえない。大切なのは、この変化を、つねに価値と勝利の方向へ向けていく智恵である。信心根本の深き智恵ある人は行き詰まらない。変化即発展、変化即勝利へと転じていける。

 

 希望の明日へ 240頁

2012年8月17日

「こうしたい!」と決めればそうなる

 

本当に、心の底から「こうしたい!」「必ず、必ず、やりとげてみせる!」と決意ができたら、半分できたようなものだ。反対に、中途半端な決意では、何もできない。川がある。橋がない。船もない。「渡りたいな。だけど無理だな」。そう思ったら、その時点で〝終わり〟です。永久に渡れない。「橋がない。じゃあ、橋を架けよう!」「船がない。じゃあ、船をつくろう!」「橋もできない。船もできない。じゃあ、泳いで渡ろう!」「泳げない。じゃあ、泳ぎを覚えよう!」この意気です。

 

 希望対話 404頁 

2012年8月14日

勤行・唱題は人類「最先端」の行動

 

戸田先生は、「科学が二百年くらい発達したら、御本尊のすごさがわかるだろう」と言われていた。だから、勤行・唱題は、人類の「最先端の行動」なんです。それを実践している人は、いちばん文化的で、いちばん合理的で、いちばん科学的な「最先端の人」なんです。ともかく、分かりやすく言えば、御本尊は「大宇宙と自分とが交流する装置」と言ってよいと思う。(中略))電波と同じように、目には見えないけれども、生命の「十界」の波長が宇宙にはある。問題は、どのチャンネルの波長に合わせるかです。十界のうち、最高の波長は「仏界」です。これは簡単には言えないが、「生きていること自体が楽しい」という大生命力です。「智慧と慈悲と福徳と生命力のかたまり」と言えば、少しはイメージできるであろうか。燃えたぎる太陽のような「黄金の大生命力」です。この仏界に、自分のチャンネルを合わせていくことを、仏道修行という。

 

希望対話 278頁

2012年8月12日

お題目はすごい

 

 お題目を唱えれば、頭もよくなる。体も健康になる。題目は、病気の人には「薬」となり、悩みの人には解決への「智慧」となり、「福運」となり、落ち込んでいる人には「元気のもと」になる。かぎりないエネルギーが出てくる。 しかも、高い薬とちがって「ただ」です。「ただ」だから、かえって、みんな、ありがたさがわからないのかもしれない。

 

希望対話 273頁

2012年6月21日
広布誓願の祈りは必ず叶う
  
 祈るにあたって大切なことは、願いは、すべて叶うのだという強い信を込め、力強く祈るのです。広宣流布のために戦っている地涌の菩薩である師弟が、心を合わせて祈るんですから、願いが叶わぬわけがありません。広宣流布を誓願して、題目を唱えていくならば、それは地涌の菩薩の祈りです。その時、わが生命は、地涌の菩薩の境涯へと開かれていくんです。ゆえに、その祈りには、諸天諸仏を、大宇宙を動かす力があり、自分もご家族も守られ、個人の願いもまた、成就していくんです。したがって、広宣流布を祈り抜いていくことが、自分の境涯を開き、願いを成就していく直道なんです。
 
小説 新・人間革命 23巻 364頁

世界広布新時代

創立100周年へ

希望・勝利の年

(2021年)

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

更新日

2021.5.5

第1715回

  

日天月天ワンショット

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