2025年6月3日
創価学会は誰も見捨てない!
<問題の本質を見誤るな!>
さらに彼は、たまたま学会員が引き起こした事件などを、あたかも創価学会の問題であるかのように取り上げ、学会批判を重ねるマスコミの報道について、言及していった。
「これまでも、精神の病で苦しんでいた人が入会をし、その後、事件を起こしてしまったこともありました。あるいは前科があり、誰からも相手にされなかった人が学会に入り、また犯罪に関与してしまったこともありました。
そのつど、新聞や週刊誌は、創価学会自体が罪を犯したかのように書き立て、私どもは、非難されてまいりました。
しかし、本来は、そうした人たちが人間らしく生きられるにはどうしたらよいかを、政治家や国家などが責任をもって考え、面倒をみていくべきであります。
だが、それを切り捨て、誰も、何もしようとはしない。
不幸な境遇の人を見て見ぬふりをしているのが、
今の多くの政治家であり、
高級官僚といわれる役人ではないですか。
日本の指導者層は、あまりにも利己主義であり、無責任です。
それに対して、
私たち学会員は、
この世から不幸をなくそうと、
苦しんでいる人を見れば、
人間には等しく幸福になる権利があるのだと、
信心を教えてきた。
創価学会には、いっさい差別はないからです。
そして、
なんとか幸せになってほしいと、
皆さんは真心を込めて、
あれこれと面倒をみてこられた。
社会的な体裁を繕い、
自分のことだけしか考えない人たちには、
決してできないことです。
さまざまな悩み、複雑な問題をもつ人を、
数多く抱きかかえていけば、
なかには、事件を起こしてしまう人が出ることもあるでしょう。
しかし、そうなることを恐れて、
人間を切り捨てていくことと、
どちらが正しい道なのか」
伸一の言葉には、強い確信が脈打っていた。
「つまり、社会が見捨てた人をも、
真心で包み、
ともに幸福の道をめざしてきた最も尊い教団が、
わが創価学会であります。
心ある指導者ならば、
学会の在り方を見て、
賞讃するのが本来の姿です。
たとえば、
社会的な地位が高く、
財力があり、
身体も健康である等、
さまざまな条件を設けて、
学会が入会を制限していれば、
〝貧乏人と病人の団体〟などと
言われることもなかったでしょうし、
問題はほとんど起きなかったでしょう。
しかし、
それでは、苦悩に泣く民衆を救うという、
宗教の、なかんずく、
仏法の精神を捨てることになってしまいます」
メンバーは、学会員が事件を起こしたと報道されるたびに、自分の周囲の人びとに、どう説明してよいかわからず、悔しい思いをしてきた。
伸一は、その問題を取り上げ、
事の本質を明らかにしたのである。
彼は、会員が、いかなる問題で苦しみ、
いかなる批判に戸惑っているのかについて、
レーダー網を張り巡らすかのように、
常に心を配っていた。
そして、それが何かをつかむと、
真っ先に対応し、
論破すべきものは明快に論破していった。
その迅速な対応こそが、
言論戦の要諦といえるからだ。
<新・人間革命> 第8巻 宝剣 100頁~102頁
2023.8.29整理
2025年2月10日
戦うかぎり、
必ず道は開ける!
<問題があるならば、ただちに敢然と立ち向かえ!>
「戦い」こそ
「生命」の本質である。
ならば、
闘争また闘争を
永遠にやりきっていける
自分自身の生命でなければならない。
その連続闘争の生命を
つくり上げるのが仏法であります。
「正義」は勝たねばならない。
ゆえに
戦い続けねばならない。
戦い勝たなければ、
「正義」はなくなってしまう。
私の人生の体験を通しても、
このとおりであります。
山も、高く登れば登るほど、
道は狭くけわしくなる。
風は激しく襲いかかってくる。
これに負けたら、
頂上へは行けません。
しかし、
戦うかぎり、
必ず道は開ける。
戦うかぎり、
必ず栄え続ける。
戦うかぎり、
絶対に行き詰まりはない。
戦おう!
大聖人の仏法は「勝負」だから!
グアムの箴言にも
「問題があるならば、
ただちに敢然と立ち向かえ!
手がつけられなくなるまで
放置してはいけない」
とあるとおりであります。
二十一世紀の乱戦を
勝ち抜いていく要諦は
「迅速に」
「勇敢に」
「大胆に」
徹底して攻勢に出ていくことであります。
そのように戦ったところが
勝つ。
これが仏法です。
これが歴史の法則です。
2000.1.28米国・グアム大学「名誉人文学博士号」授与式、他
2025年1月25日
素直な心で御本尊に
ありのまま祈っていく
<御本尊と自分>
「素直な心で
御本尊にぶつかっていけばいいんです。
御本尊は、大慈大悲の仏様です。
自分自身が
願っていること、
悩んでいること、
希望することを、
ありのまま祈っていくことです。
苦しい時、
悲しい時、
辛い時には、
子どもが母の腕(かいな)に身を投げ出し、
すがりつくように、
『御本尊様!』と言って、
無心にぶつかっていけばいいんです。
御本尊は、
なんでも聞いてくださる。
思いのたけを打ち明けるように、
対話するように、
唱題を重ねていくんです。
やがて、
地獄の苦しみであっても、
嘘のように、
露のごとく消え去ります。
もし、
自らの過ちに気づいたならば、
心からお詫びし、
あらためることです。
二度と過ちは繰り返さぬ決意をし、
新しい出発をするんです。
また、勝負の時には、
断じて勝つと心を定めて、
獅子の吼えるがごとく、
阿修羅の猛るがごとく、
大宇宙を揺り動かさんばかりに
祈り抜くんです。
そして、
喜びの夕べには
『本当にありがとうございました!』と、
深い感謝の題目を捧げることです。
御書には、
『朝朝・仏と共に起き
夕夕仏と共に臥し』
(737頁)と仰せですが、
題目を唱え抜いている人は、
常に御本仏と一緒です。
それも今世だけでなく、
死後も、御本仏が、
諸天・諸仏が守ってくださる。
だから、
生命の底から安堵できるし、
何も恐れる必要がない。
題目は、
苦悩を歓喜に変えます。
さらに、
歓喜を大歓喜に変えます。
ゆえに、
嬉しい時も、悲しい時も、
善きにつけ、悪しきにつけ、
何があっても、
ただひたすら、
題目を唱え抜いていくことです。
これが幸福の直道です」
小説 新・人間革命 11巻 開墾 138頁
2025.1.25整理