一念

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2023年9月16日

第2252回

全ては一念の変革から

 

 わが一念の変革から

 人生も、環境も、

 やがて世界も変えていける。

 その人間革命の哲理が、

 どれほど勇気と希望の光源となることか。

 

 「自他共の幸福」を祈り、

 友情の対話と社会への貢献

 を積み重ねることこそが、

 最も地道でありながら、

 最も確実な世界平和への直道なのだ。

 

 「立正安国論」の結論の段には、

「汝早く信仰の寸心を改めて

 速に実乗の一善に帰せよ、

 然れば則ち三界は皆仏国なり」(新45・全32)

 と呼び掛けられている。

 

『随筆 輝く民衆の大城』、62頁


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2022年2月3日

第1890回

大確信

 

<諸天は必ず守る!>

 

 大聖人の烈々たる御確信を拝し、戸田先生は、同志に語られました。

 「信心とは、最も強く自分で確信することです。自分自身が妙法の当体なのだから、諸天善神が守らないわけがないと確信して、題目をあげた時に、必ずそうなるんだよ」と。

 この娑婆世界にあって、いかなる人も、生老病死の苦悩は避けられません。

人によって、悩みも違います。境遇も異なる。しかし、どんな宿命も必ず打開することができるのだと、戸田先生は、その一人一人を抱きかかえ、魂を揺さぶるようにして励まされました。この大確信こそが、各人が人間革命と宿命転換を成し遂げ、学会が広宣流布を現実のものとした要だったのです。

 さらに、戸田先生は、言葉を換えて、こうも訴えられました。

 「宇宙を変化させる根本の生命力、これを名付けて、南無妙法蓮華経というのである。この妙法が、自分の中にあるのだ。ゆえに、自分の望む方向に変化させていけるのは、当然のことである」

 恩師の言葉には、ご自身が経文通りの大難を勝ち越えられた、信仰への大確信がほとばしっていました。

 この信心を貫き通していけば、必ず所願満足の人生を歩み抜いていける。

どこにいても、何があっても、生きていること自体が楽しい、幸せであるという「絶対的幸福」をつかむことができる。成仏とは、まさに、この絶対的幸福境涯の確立なのだ、と。そして、これこそが、私たちの日々唱えている「妙法の題目」の偉大な功徳にほかならないと、先生は教えられたのです。

 

2022年大白蓮華2月号№868 27頁~28頁

 


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2022年1月25日

第1878回

広宣流布のために

「一念」を燃やせ!

 

<「悪を倒す一念」、

 「仇を討つ一念」、

 「正義を打ち立てんとする一念」>

 

 

 大聖人が、

 四条金吾を信頼されたのは、

 なぜか。

 それは、

 金吾の信心が強盛であり、

 勇気をもって敵と戦う人間だったからである。

 

 金吾に贈られた「石虎将軍御書」には、

 こう仰せである。

 「昔、中国の李広将軍という武将は、

 虎に母を食い殺されて、

 虎に似た石を射たところ、

 矢は羽ぶくら(矢の先と反対側に付いている羽根形の部分)まで石に突き刺さった。

 しかし、あとで、それが石と知ってからは、

 射ても矢は石に立っことがなかったという。

 それからのち、

 人々は李広将軍のことを石虎将軍と呼ぶようになった。

 あなたもまた、

 この故事のように、

 敵は狙っているのだろうが、

 あなたの法華経の信心が強盛であるので、

 大難も、

 事の起こる前に消えたのであろうか。

 これにつけても、

 よくよく信心に励んでいきなさい」

 (御書1186㌻、通解)

 

 「一念」が強ければ、

 何ごとも成すことができる。

 「信心の一念」が揺るがなければ、

 乗り越えられない試練はない。

 

 そして、大事なのは、

 広宣流布のために、

 三類の強敵と戦う「悪を倒す一念」である。

 「仇を討つ一念」である。

 「正義を打ち立てんとする一念」である。

 

 この一念を、

 さらにさらに燃えあがらせて、

 勝利の歴史を残していっていただきたい。

 

2006年1月12日 ドクター部代表協議


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2021年12月5日

第1813回

仏の智慧と大生命力の涌現

 

<広布への億劫の辛労>

 

 タイの二人のメンバーが帰ると、伸一は、引き続き彼の部屋で、同行の幹部と懇談した。

 「みんな疲れてきたようだから、御書を拝そう!」

 伸一はバッグから御書を取り出し、「御義口伝」を開いた。

 彼は「廿八品に一文充の大事」の「涌出品」を拝読し始めた。

 「……一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」(御書七九〇㌻)

 法華経の「涌出品」の「昼夜に常に精進す 仏道を求めんが為の故に」(法華経四六六㌻)の文について、述べられた箇所である。

 伸一は、力を込めて語っていった。

 「これは、南無妙法蓮華経と唱えるわが一念に、億劫にもわたる辛苦、労苦を尽くし、仏道修行に励んでいくならば、本来、自身のもっている無作三身の仏の生命が、瞬間、瞬間、起こってくるとの御指南です。そして、南無妙法蓮華経と唱えていくこと自体が、精進行であるとの仰せです。

 この御文は、御本仏である大聖人の御境涯を述べられたものですが、私たちに即していえば、広宣流布のために苦労し、祈り抜いていくならば、仏の智慧が、大生命力がわいてこないわけはないということです。したがって、どんな行き詰まりも打ち破り、大勝利を得ることができる。しかし、それには精進を怠ってはならない。常に人一倍、苦労を重ね、悩み考え、戦い抜いていくことです。

 皆、長い旅の疲れが出ているかもしれないが、今回の旅は、東洋広布の夜明けを告げる大切なアジア指導です。一人でもメンバーがいたら、命を削る思いで力の限り励ますことだ。そこから未来が開かれる。また、各地を視察しながらも、その国の広布のために、何が必要かを真剣に考えていかねばならない。

 ボーッとしていれば、この旅は終わってしまう。一瞬一瞬が勝負です。大聖人は『法華経の信心を・とをし給へ・火をきるに・やすみぬれば火をえず』(御書一一一七㌻)とも仰せになっている。火を起こそうとしても、手を休めてしまえば火はつかないように、最後になって手を抜き、惰性に流されれば敗北です」

 伸一の御書を拝しての指導に、同行の幹部たちは、目の覚めるような思いがした。

 皆、いつの間にか、スケジュールをこなすだけの旅になっていたのである。

<新・人間革命> 第3巻 平和の光 313頁~315頁


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2021年11月25日

第1799回

強き決意の一念で

一切が決まる!

 

<人間革命は「一念の変革」から始まる!>

 

人生の戦いも、広布の活動も、すべては強き決意の一念によって決まる。

 敗北の原因も、障害や状況の厳しさにあるのではない。自己自身の一念の後退、挫折にこそある。

 山本伸一が会長に就任して以来、未曾有の弘教が成し遂げられてきた源泉も、彼の確固不動なる一念にあった。それは戸田城聖の弟子としての、誇り高き決定した一心であった。

 〝先生の構想は、必ず実現してみせる!

 それが、伸一の原動力であり、彼の一念のすべてであったといってよい。

 伸一には、障害の険しさも、状況の難しさも、眼中になかった。困難は百も承知のうえで、起こした戦いである。困難といえば、すべてが困難であった。無理といえば、いっさいが無理であった。

 人間は、自らの一念が後退する時、立ちはだかる障害のみが大きく見えるものである。そして、それが動かざる〝現実〟であると思い込んでしまう。実は、そこにこそ、敗北があるのだ。いわば、広宣流布の勝敗の鍵は、己心に巣くう臆病との戦いにあるといってよい。

 伸一は今、一人ひとりの一念の変革を成そうとしていた。人間革命といっても、そこに始まるからである。

 

<新・人間革命> 第3巻 仏法


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2021年11月21日

第1793回

『無量義とは、一法従り生ず』

 

<あらゆる思想、哲学も、大聖人の仏法に立脚>

 

 幹部のあいさつに続いて、最後に、伸一がマイクの前に立った。

 「今日は学生部の諸君とともに、楽しく、また有意義に過ごさせていただき、心から御礼申し上げます。本当にご苦労様、ありがとうございました」

 彼は、見事な学生祭を讃えたあと、「仏法」と「世界のさまざまな思想」との関係性に言及した。将来、学生部が真正面から取り組むべき課題として。

 「法華経の開経である無量義経に、『無量義とは、一法従り生ず』(法華経二五㌻)という原理が説かれております。この『一法』とは、文底の立場でいえば、南無妙法蓮華経のことであり、即、三大秘法の御本尊様のことでございます。そして『無量義』とは、釈尊のいっさいの教えであり、さらには、あらゆる思想・哲学のことであるともいえます。

 南無妙法蓮華経とは、生命の根本法であります。それに対して、カントやヘーゲルの哲学、またはソクラテス、プラトン、アリストテレス、孔子、孟子、マルクス等のいっさいの思想家、哲学者の説いた哲理というものは、いわばその一部分を示しているにすぎないといえます。

 みずみずしい緑の枝葉の広がりも、深く大地に根差した一根を離れてはありえません。同じように、あらゆる思想、哲学も、南無妙法蓮華経という生命の究極の『一法』、すなわち大聖人の仏法に立脚してこそ、真の人間の幸福を実現しゆくものとして開花するのであります。また、それをなすのが、諸君の使命であると申し上げておきたい

 続いて、伸一は、十四世紀から十六世紀のヨーロッパに興隆した「ルネサンス」へと話を進めた。

 「また、過去においては、有名なルネサンスがあり、文芸復興、あるいは人間復興が唱えられました……」

 ルネサンス──この言葉を語るとき、彼の胸には、春の嵐のような熱情とともに、懐かしい記憶が蘇ってくるのであった。

 国破れ、一面の焼け野原と化した戦後、人びとは飢えにさいなまれていた。しかし、若者たちの多くは、同時に、精神の空白を満たす心の糧を、未来への希望を切実に求めていた。伸一もまた、不滅の光源を求めて精神の遍歴を始めていた。そのころ、友人とひもといた一書に、ルネサンスの源流ともいうべきイタリアの詩聖ダンテの『神曲』があった。一万四千余行に及ぶ、この大叙事詩を読んでは、彼は友人とルネサンスの精神を語り合った。

 ルネサンスとは「再生」「復興」の意味である。その歴史的な意義を一言で語ることは難しいが、そこには長い「冬」の時代を超えて、開放的な「春」を迎えようとする決意と喜びが込められている。

 ヨーロッパの中世では、キリスト教の「神」を頂点とするピラミッド型の位階秩序が、強固な世界観として定着していた。たとえば社会は「教会」中心、身分は「聖職者」中心、生活の態度も、僧院に閉じこもる「瞑想生活」が優れたものとされた。いわば、その人が「何をしたか」より、身分や地位で、人間の価値が、決まったのである。そこには、恐るべき倒錯と欺瞞がある。つまり、額に汗して働く市民より、腐敗、堕落していても僧侶の方が「神に近い」ということになる。

 人びとは、神の名の下に定められた不条理な秩序への服従に、強い疑問をいだき、遂に、変革の波が起こった。最初の舞台は、どこよりも早く金融業や商業が発達し、普通の「市民」が自立した力をもつに至った、あのダンテの故郷のフィレンツェである。

 〝聖職者だから偉いのか。貴族だから偉いのか。神学だけが、僧院生活だけが尊いというのか。現実社会のなかで、「善き人間」として、「善き市民」として、生きている人こそ尊いはずだ!〟

 市民たちは、堂々と世俗の生活を謳歌し、自分の言葉で、自分の思いを赤裸々に語っていった。その模範としたのが、古代ギリシャ・ローマの「人間性の春」であった。この「春」の再生への人びとの願いが、ルネサンスの源泉となった。

 彼らは誇らかに叫んだ。「古代に帰れ! 人間に帰れ!」と。

 その叫びは大波となって社会に広がり、そして、古臭いシキタリの封印をはぎ取り、神と教会のくびきから人間を解き放った。多くの天才たちによる絢爛たる芸術、文化の開花も、その一部にすぎない。それは、まぎれもなくヒューマニティーの勝利であった。

 しかし、それによって、人間は真の自由を、真の歴史の主役の座を手にしたであろうか。むしろ意に反して、人間は自らを律する術をなくし、「制度」や「イデオロギー」、あるいは、「科学」や「技術」の下僕と化しはしなかったか。自由への道は、いわば複雑な矛盾と背理の迷路であった。それは、人間そのものの不可解さ、複雑さであり、矛盾にほかならない。

 山本伸一は、学生たちに訴えていった。

 「真実の人間復興、文芸復興を進めていくには、人間を開花させる、内なる生命の至極の法を求めゆくことが不可欠です。それによって、人間自身の生命の変革、すなわち人間革命がなされてこそ、人間復興も可能になる。そして、その哲学こそ、色心不二の日蓮大聖人の仏法であり、それをなすのが私どもであると、宣言するものでございます。

 願わくは、学生部の諸君は、信心を根本として、科学界に、政治界に、あるいは文豪として、また、大芸術家として、世界に羽ばたいていただきたい。

 自分自身も喜びに満ち、最高の幸せを感じつつ、すべての人びとに、希望と幸福を与えていける偉大なる人材であられんことを、心から切望し、私の話とします」

 若き瞳が光り、拍手は暁鐘のように鳴り響いた。

 

<新・人間革命> 第2巻 民衆の旗 295頁~300頁


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2016年9月24日25日

「我が身が妙法の当体」

と確信の題目を!

 

<必ず所願満足の人生になる>

  

 たとえ一遍の題目でも、全宇宙に通じます。いわんや「心」「一念」を込めた題目は、一切を揺り動かしていく。一般的にも、同じ「愛しています」という言葉でも、心がこもっているか、口先だけかでは、全然ちがう。
 ともあれ、「我が身が妙法の当体なのだ」と深く深く確信した題目、「私は、仏の使いとして、妙法を弘ひろめるために生きるのだ」と一念を定めた題目が、御本尊に響かないはずはない。宇宙に届かないはずはない。必ず自在の境涯になっていく。
 もちろん、何事においても、初めから″達人″にはなれません。さまざまな障壁を乗り越え、また乗り越え、進み続けてこそ、″達人″のごとき境涯が開いていく。
 信心も同じです。自分に負けて、決意が薄れていく場合もある。思いどおりにいかず、あせる場合もある。けれども、ともかく唱題し続けていく。願いが叶おうが、すぐには叶うまいが、疑うことなく、題目を唱え抜いていく。
 そうやって信心を持続した人は、最後には必ず、自分自身にとって、″これが一番よかったんだ″という、価値ある「最高の道」「最高の峰」に到達できる。すべてが喜びであり、使命であると言い切れる、「所願満足の人生」を築くことができる。それが妙法であり、信仰の力です。

 

1992年7月3日 記念北イタリア代表幹部会


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2015年11月9日

一念に億劫の辛労(完)

 

<創価の正義を未来へ広げゆくには>

 

師と心を合わせて

弟子が妙法を朗々と唱え抜き、

「一念に億劫の辛労」を

 
 戸田先生は、師・牧口先生にお供されて、命がけの獄中闘争で仏法の真髄を悟達なされた。学者でも、聖職者でもない。最極の法を生命で実践された行者でした。その先生が、時に厳として、時に闊達に、時にユーモアを交えながら、自在に発せられる指導や講義は、幾十万もの庶民の心に勇気と希望の炎を点火してくださいました。
 先生は、場所も時も問わず、あらゆる場面でご指導くださった。ご自宅や西神田の旧学会本部だけではありません。道を歩きながらでも、地方に向かう列車の中でも、突如として御書の講義が始まるのが常でした。
本当に私の講義を身をもって受けた人間は、根本的に力が違うよ。あとでわかる」と語られておりました。
 学会は、戸田先生の願業である七十五万世帯の大折伏に向かって勇猛精進していた。私は師の構想を実現する大闘争の渦中で、深夜、妻とともに、先生の指導を必死に綴り残しました。師の教えを一言も漏らさず、未来永遠に残しゆかんとの祈りを込めてです。
 先生が逝去された後も、小説『人間革命』を不惜身命の激務の中で執筆してきました。さらに先生の全集をまとめ、講義のレコードを作り、先生の思想を語りに語り抜いてきました。
 恩師逝いて五十年──。私は師の正義を社会に宣揚し、世界に広げる使命に、全生命を捧げてきたのです。
 「仏法は、すべて証拠主義である。証拠がなければ、観念論でしかない」とは、戸田先生の透徹した指針でした。
 今、私はこの師弟不二の使命と栄光の印綬を、わが青年部の諸君に託したい。
 (中略)創価の正義を未来へ広げゆくには、師と心を合わせて弟子が妙法を朗々と唱え抜き、「一念に億劫の辛労」を尽くす以外にない。広宣流布は、一閻浮提に開きゆく、師と青年との″勝利の共同作業″であることを宣言しておきます。
 先生は「大作を育てたから、もう安心だ」と語っておられました。弟子の誉れです。師匠にご安心していただけること以上の幸福はありません。
先生はこうも言われました。「人間は戦うために生まれてきた。進みに進み、勝つために生まれた。これが幸福と平和につながる人生の意義である。人生は勝利のためにある
 その勝利の力が題目です。
 今、私は直系の弟子である青年部に、万感の期待を込めて呼びかけたい。
 わが門下よ、一念に億劫の辛労を尽くせ! 徹して苦労せよ! 試練の炎の中で生命を鍛え、金剛不壊の大城の如き自分自身を創り上げよ!
 明年も、私とともに戦おう! 私とともに勝って勝って、勝ちまくろう! そして永遠不滅の歴史を築きゆこう!

御書と師弟 御義口伝と青年


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2015年11月8日

一念に億劫の辛労(4)

 

<日興上人>

 

 数多くの門下の中で、日興上人の闘争力は抜きん出ておられました。大聖人が御年五十三歳で身延に入山された時、日興上人は二十九歳であられた。日興上人は、駿河(現在の静岡県)を拠点として、大聖人のおられる甲斐(項在の山梨県)までの一帯──いわば師匠を厳護する「本陣」で颯爽と指揮を執り、弘教を展開された。そして、後に教団の中核となる青年門下を続々と育てていかれたのです。
 権力者や邪法の悪僧らは、大聖人の厳然たる師子王の御姿に恐れおののいていた。ゆえに“弟子を狙え!”と矛先を変え、日興上人とその後進たちも“標的”とされた。謀略によって追放された弟子門下もいたのです。
 あの「熱原の法難」は、「御義口伝」を講義されている時代に起こりました。その熾烈な弾圧との戦いの矢面に、若師子・日興上人は立たれたのです。
 師であられる大聖人が、尽未来際に向けて法華経の極理を講義される中で、弟子の日興上人は、破邪顕正のために「億劫の辛労」を尽くしておられた。
 師匠も戦う。それにもまして弟子が戦う。この不二の熱闘の中で、永遠不滅の法門が脈動し、正義の血脈、勝利の血脈が流れ通っていくのです。
 師匠をお護りし、広布の地盤を広げる拡大戦。襲い来る魔軍との攻防戦。日興上人は、この闘争の状況を逐一、大聖人にご報告し、次の前進への御指南を仰がれました。戦いは、ひたぶるに師を求め、師と呼吸を合わせる電光石火の往来の中で勝ち開かれたのです。
 それは、弟子たちが勇んで師のもとに集い、団結を固め、再び戦場に赴くための会議でもあったに違いありません。いわば絶対勝利への“協議会”であり、“幹部会”であったといってよい。
 日興上人は、命を賭しての闘争に身を置かれながら、師の講義を完璧に後世に伝えようとされた。万年の民衆救済へ、遺言の思いで講義なされる師匠。その師の教えを一言一句も違えず心肝に染め、権力の魔性と戦い抜く覚悟の弟子。あまりにも厳粛でした。その志は、他の五老僧とは天地雲泥であった。
 だからこそ、師の正義と真実を余すところなく残すことができた。「御義口伝」は、まさに師弟不二の勝利劇の結晶なのです。
 歴史は、人間と人間が創る。その究極が師弟です。
 師とともに「精進行」に打ち込める人生は、最高に幸福です。それ自体が不滅の光を放つ栄光の一日一日なのです。
(つづく)


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2015年11月4日

一念に億劫の辛労(3)

 

<素晴らしい悩み>

 
  戸田先生は、よく言われました。「お金がなくて悩む。体が弱くて悩む。悩みは多次元にわたって時々刻々と起こってくる。その中にあって、法を弘めようとして悩む。人々を幸福にしようとして悩む。正しき信心に立って、法のため、人のため、広宣流布のために悩む、ということは、最大の素晴らしい悩みである」と。
 師弟の大願を掲げて行動する、その一瞬一瞬の生命に、仏と等しい生命が「念念に」溢れてくるのです。
 「月月・日日」に強く励みゆく学会活動こそ、現代の精進行にほかなりません。わが同志の皆様こそ、「本来無作の三身」の大生命を「念念に」躍動させて戦う尊貴な地涌の菩薩です。
 「我らは、二十一世紀の精進行の大英雄なり」と、胸を張って勇敢に今日も一歩前進していきましょう!
 「御義口伝」は、日蓮大聖人が法華経の要文を講義された御口授(口伝)の筆記です。日興上人が綴り残され、大聖人に御允可をいただいたと伝えられる、真髄の法門です。
 この法華経の御講義は、大聖人が身延に入られてからの数年間にわたり行われました。大聖人は、あらゆる大難に打ち勝たれ、悠然たる勝利の御境涯で、末法万年のため、後継の育成に全魂を注がれていたのです。

(つづく)


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2015年11月1日

一念に億劫の辛労(2)

 

<今の「一念」が勝負>

 
 私が先生にお仕えしたのは十年間です。しかし、そこには百年、いな千年にも匹敵する師弟の歴史が刻まれました。
 『南無妙法蓮華経は精進行なり』──甚深の仰せであります。
 精進の「精」とは「無雑」。混じりけのない信心です。

 「進」とは「無間」。絶え間ない前進です。

 この純一にして不退の「行」に励みゆくことが、私たちの成仏への直道なのです。
 私たちにとって、広宣流布のために苦労しながら、前へ前へ進んでいくことは、すべて「億劫の辛労」に通じていきます。
 今の「一念」が勝利を決する。ロシアの大文豪トルストイも、「今に生きること、つまり、今、最高の行動をすることこそが賢明である」と語った。真剣の一念が未来を開きます
 「一念」は見えない。しかし、それは行動となって現れる。『賢者はよろこび愚者は退く』(御書1091頁)と仰せの如く、試練にも喜び勇んで挑む一念。これが「信心」です。その勇敢な前進の原動力が「題目」です。
 誰しも苦しみや悩みはある。経済苦や病苦もある。けれども、妙法を唱え、広宣流布へ進む人は、自分自身が仏の生命となる。いかなる苦難も乗り越え、勝ち越えゆく仏の智慧と力を、わが命から引き出すことができる。その戦いの中で、わが一念は、真金の如く強くなり、深まっていくのです。(つづく)


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2015年11月1日(未掲載)

一念に億劫の辛労(1)

 

 

一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり』(御義口伝790頁)

 

 「大作、いいか。絶対に命に刻んでおけ。学会の闘士は、この御聖訓を忘るるな!」
 今回は、入信の直後、わが師・戸田城聖先生から、烈々たる気迫で魂に打ち込んでいただいた御金言を共々に拝したい。
 法華経の涌出品第15には『昼夜に常に精進す 仏道を求めんが為めの故に』(法華経466頁)と説かれております。
 これは、大地より出現した無量千万億の地涌の菩薩が、無数劫という過去から、師匠である仏の智慧を習い修めてきた。その修行の姿を説いた経文です。
 地涌の菩薩は、無量の長い時間、昼夜を問わず一心に「師弟の道」を精進し、巍々堂々たる境涯を開いたのです。この法華経の一文を受けられて、日蓮大聖人は仰せになられました。
 『一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり』
 すなわち、今、末法の我々は、この瞬間瞬間の生命の内に億劫の辛労を尽くしゆくのだ。それが南無妙法蓮華経の唱題行なのである、との御文です。
 それまでの仏道修行は、「無量劫」という想像を絶する長遠な時間をかけて行わねばならないとされてきました。そうではなく、南無妙法蓮華経と唱えることによって、わが「一念」に「本来無作の三身」、すなわち、もともと(本来)自分自身に具わっている、ありのまま(無作)の仏の生命を湧き上がらせることができる。
 いわば、永遠を一瞬に凝結して行ずる修行が、私たちの唱題行なのです。
 「三身」とは、仏の生命の三つの側面であり、端的に言えば「法身(真理)」「報身(智慧)」「応身(慈悲)」です。この三身がそろった完全な大生命が、他のどこでもない、わが胸中から湧き起こってくるのです。
 どれほど素晴らしい妙法の功力であり、どれほど深遠な法理であり、どれほど荘厳な私たちの仏道修行でありましょうか。
 凡夫である私たち自身の内に尊極の仏の生命が厳然と具わっている──この仰せは、仏法の人間主義の精髄です。
 古今東西、権威の聖職者らが民衆を見下し、抑圧してきたのが、多くの宗教の悲劇の歴史です。「御義口伝」は、こうした人間蔑視、民衆蔑視の宗教に対する挑戦であり、高らかな勝利宣言とも拝察されます。
 『一念に億劫の辛労を尽せば』──私は若き日より、この「御義口伝」を身で拝し切る覚悟で、戸田先生の弟子としての戦闘を貫いてきました。
 広宣流布の大師匠であられる戸田先生をお護りし、その構想を一つ一つ実現するために、一念に億劫の辛労を尽くすのだ、と誓願していたのであります。

(つづく)


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2014年12月23日

 人生の幸、不幸は

「一念」によって決まる

 
 青春時代、愛読した十六世紀フランスの思想家モンテーニュの著作『エセー(随想録)』に、こんな一節があった。
「各人はその考え次第で幸福にもなり、不幸にもなる。他人が見てそう思うのではなく、自分でそう思う人が満足なのである」(『エセー(1)』原二郎訳、岩波文庫)
「幸福」の人、「満足」の人とは、どんな人か――それは、他人から幸せそうに見える人ではなく、自分自身が幸福だと思える人である、と。
 他人と比べたり、見栄を張ったり、そんなことで、いつも心があせりと不満で揺れている――それでは、どんなに他の人から幸福そうに見えたとしても、何の意味もない。むしろ不幸である。人生は他の人に見せるためにあるのではない。自分自身の人生であり、自分自身が満足できるかどうかが根本である。
 またモンテーニュは、こうも述べる。
「運命はわれわれに幸福も不幸も与えない。ただその素材と種子を提供するだけだ。それを、それよりも強いわれわれの心が好きなように変えたり、用いたりする。われわれの心がそれを幸福にも不幸にもする唯一の原因であり、支配者なのである」(同前)と。
 運命や環境が人の幸、不幸を決めるのではない。自身の心によって決まるのである、との洞察である。
 勇者は、どんな環境でも平静でいられる。臆病な人はつねに心が不安である。知恵ある人は、障害をも自分の味方にしてみせる。知恵なき人は幸運をも、つまずきの原因にする。強者にとっては、運命と戦うことすら喜びであり、弱者にとっては、人生そのものが重荷であろう。全部、自分で決まる。自分の「一念」で、一切が百八十度、違う顔を見せてくる。
 幸、不幸を決定する、この「心」に、限りない「強さ」と「知恵」をわき出させていくもの――これが妙法の信仰であり、私どもの日々の実践なのである。
    

1990.10.22福井、石川、富山第一回合同総会

 


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2014年11月16日

命を広布に預けよ!

されば絶対的幸福必然なり!

   
 戸田先生は叫ばれました。「さあ来い! 魔などに負けてたまるものか! この覚悟で向かった時は、魔は退散するのです」「命がけで戦っている人を、仏様がいつまでも悩ませておくわけがない」
 臆病では、功徳は出ません。
 「戦う!」「挑む!」「断じて勝ってみせる!」――この強靭な一念に、絶対的幸福境涯が必ず開かれていくことを確信していただきたい。
 題目は、そして信心は最強無敵の「利剣」であります。(中略)
 何があろうと、毅然と広宣流布へ「前進し続ける」ことができれば、その人はもう勝っている。生命の勝利者です。

 

大白蓮華No.776号2014.7月号45頁

世界広布新時代

創立100周年へ

2030年 

 

世界青年学会

開幕の年

(2024年)

2013.11.18

広宣流布大誓堂落慶

更新日

2024.3.30

第2297回

 

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