喜び

2021年8月31日

第1729回

合言葉は

『信心とは随喜である』

 

 「『随喜』とは喜びです。私たちの立場でいえば、南無妙法蓮華経という最高の法を聴いて湧き起こる喜びであり、大歓喜です。

 大聖人は、随喜は即信心であり、信心は即随喜であると仰せになっている。

 この法によって、あらゆる苦悩を克服し、一生成仏を成し遂げ、自身の最高の幸福境涯を確立していくことができる。さらに、一切衆生を未来永劫にわたって、救済していくことができる――それを確信するならば、妙法に巡り合えたことに、汲めども尽きぬ感謝の思いが、大歓喜が湧き起こるのを禁じ得ないはずです。また、その歓喜と躍動の生命は、既に大幸福境涯といってよい。

 そして、随喜すれば、人びとに妙法を語らずにはいられなくなり、おのずから折伏・弘教の実践が始まる。それが、ますます大功徳を積んでいくことになる。この随喜の広がりが広宣流布です。また、弘教は、信心の随喜がもたらす、自然の振る舞いなんです。

 随喜は、真剣な唱題と、自ら勇んで広宣流布を担おうとする主体的、能動的な実践のなかで、湧き起こるものであることを、深く心に刻んでいただきたい」

 伸一は、創価学会は民衆の歓喜のスクラムであり、学会活動の原動力は一人ひとりの歓喜であることを確認しておきたかった。最後に彼は、「『信心とは随喜である』を合言葉に、共に喜びの大行進を開始していきましょう!」と呼びかけ、あいさつとした。

 

新・人間革命第30巻<下> 勝ち鬨 79頁~80頁

2015年7月26日

一人の大歓喜から

「五十展転」のドラマが始まる

 

 なぜブラジルで弘教が大きく進んでいるのか。
 ある青年リーダーが笑顔で答えていた。
 「喜びが“伝播”しているからです」と。
 仏法対話が楽しくて仕方がない。友の幸福に尽くせることが嬉しくて仕方がない――その喜びが同志から同志へ、友人から友人へと“伝播”するゆえに、次々と弘教が実るのだというのだ。
 まさに『随喜する声を聞いて随喜し』(御書1991頁)と仰せの通りの実践である。
 思い起こせば、戸田先生は迫害の獄中にあって「われ地涌の菩薩なり」と久遠の使命を覚知し、随喜の涙を流されながら、広宣流布に生き抜くと誓願された。
 いうなれば、師が獄中で体験された「一人の大歓喜」が二人・三人・百人と伝播し、ついに日本中、世界中に広がってきたのが、今日の大法弘通の実相である。
 今や192カ国・地域に拡大した、世界広布という「大河」の源流の「一滴」を尋ね見れば、「一人の大歓喜」から全ては始まったのである
 法華経の随喜功徳品には「五十展転の功徳」が説かれる。法華経の法理を聞いて歓喜した人が、別の人にその話を伝え、聞いたその人がまた次の人に自身の歓喜を語る。
 そうして五十人目の人が聞いた功徳も甚大であるという法理だ。
 「信心はすごいよ!」とありのままに歓喜を語れば、既に立派な折伏である。その体験を語る側も、共に福徳の花を爛漫と咲かせる因を積んでいけるのだ。
 ゆえに、すぐに対話が実らずとも、落ち込むことも、焦ることもない。
 『いよいよ悦びをますべし』(同203頁)との御聖訓のままに、自信満々と、喜び勇んで次の友へと、語り広げていけばよい。その弛まぬ実践に、新たな「五十展転」のドラマが生まれるのである。

 

2015.7.8付聖教新聞 随筆民衆凱歌の大行進24

2014年10月

自他共に智慧と慈悲を!

    
 日蓮大聖人は、「喜とは自他共に喜ぶ事なり」「自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり」(御書761頁)と教えてくださった。その通り、わが宝友たちは、日本中、世界中で、強く明るく喜びの調べを奏で、智慧と慈悲のスクラムを広げてくれているのだ。

 

 いつの世も
  共に励まし
     守り合い
   勝利の旅路を
    明るく開かむ

 

大白蓮華No.779号2014.10月号巻頭言(抜粋)

2014年8月20日

すべてに喜びを見いだしていく人生

    
 日蓮大聖人は、「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(御書788頁、編1634頁)と仰せである。
 広布の人生は、「大歓喜」の人生である。
 さらに、「流人なれども喜悦はかりなし」(御書1360頁、編549頁)――流罪の身ではあるが、喜悦は計り知れない――。
 「御勘気をかほれば・いよいよ悦びをますべし」(御書203頁、編431頁)――権力による処罰を受けたので、いよいよ喜びを増すのである――。
 「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(御書1448頁、編178頁)――大難が来れば強盛の信心(の人)は、いよいよ喜んでいくべきである――と。
 また、竜の口の法難のさいにも、門下の四条金吾に「これほどの悦びをば・わらへかし」(御書914頁、編951頁)――これほど喜ばしいことではないか。笑いなさい――と仰せになっている。
 苦難があれば「賢者はよろこび愚者は退く」(御書1091頁、編811頁)――これが大聖人の教えである。
 挑戦すべきことがあればあるほど、いよいよ喜び勇んで進んでいく。さっそうと戦っていく。これが仏法の真髄である。人生の究極の生き方である。
 “喜べない人生”は不幸である。「またか」「たいへんだな」などと、いつも下を向き、苦しい顔をして、文句や批判ばかり。これでは御書に反してしまう。
 すべてに「喜び」を見いだしていける人。すべてを「喜び」に変えていける人。その人こそ「人生の達人」である。
 「佐渡御書」には、「賢聖は罵詈して試みるなるべし」(御書958頁、編473頁)――賢人、聖人は罵って、本物かどうか試みるものである――と仰せである。どんな批判をも耐えぬき、それでも悠々と喜びの人生を送っていけるかどうか――そこに本当に偉大な人かどうかの分かれ目がある。
 すべてに喜びを見いだしていく――自分が喜べば、周囲もさわやかになる。笑顔が広がる。価値が生まれる。リーダーは、何より皆が「喜んで」前進できるように、心を砕くことである。

 

大白蓮華No.777号2014.8月号48頁

2014年8月18日

人生の使命は喜びだ

   
 「喜べ! 喜べ! 人生の事業、人生の使命は喜びだ。空に向かって、太陽に向かって、星に向かって、草に向かって、樹木に向かって、動物に向かって、人間に向かって喜ぶがよい」
 「喜べ!」――これがトルストイの一つの結論であった。何があっても喜んでいける人生。そこには人間としての大境涯があり、強さがあり、幸福がある。

 

大白蓮華No.777号2014.8月号48頁 

世界広布新時代

創立100周年へ

2030年 

 

世界青年学会

開幕の年

(2024年)

2013.11.18

広宣流布大誓堂落慶

更新日

2024.4.25

第2298回

 

日天月天ワンショット

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