師弟不二2

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2024年2月6日

第2290回

師弟不二の詩

ああ恩師 戸田城聖先生

(下)

 

 四六時中

 常在戦場の師である。

 幾たびとなく

 真夜中に呼び出しも受けた。

 隼のごとく馳せ参じるのが

 常であった。

  

 側に私を呼んでは

 「勝つことを

  千里の外に決する」

 勝利への作戦会議が

 二人だけで繰り返された。

  

 困難を極める戦いは

 すべて私に命じられた。

 「わが弟子ならば

  断じて勝て!

  勝って当然だ」

 慰労の言葉など皆無であった。

 勝つことが

 真の弟子の証しであるからだ。

  

 私は走った。

 一切をなげうち

 無我夢中で戦い抜いた。

 蒲田で 文京で 札幌で

 大阪で 山口で 夕張で……

 行く先々で

 未聞の勝利の旗を打ち立て

 広宣流布の活路を開いた。

  

 師は最高首脳に

 語っておられた。

 「大作が行ったところは

  すべて大発展している。

  すべて大勝利している。

  この現証を見よ!」

  

 師匠と共に進めば

 生命は燃え上がる!

 師を思えば

 勇気が出る!

 力が湧く!

 智慧は尽きない!

  

 戸田先生は

 民衆の幸福と平和のために

 立正安国の戦いを起こされた。

 それは――

 「山に山をかさね

  波に波をたたみ

  難に難を加え

  非に非をます」

 権力の魔性との

 大闘争であった。

 

 大難来たり。

 昭和三十二年の夏

 北に夕張炭労事件起こり

 西に大阪事件起こる。

 若き闘将は

 北海の大地に

 民衆勝利の歌を轟かせ

 そして自ら

 大阪府警へと向かった。

  

 忘れまじ

 その途次の羽田空港で

 逝去九カ月前の

 衰弱の激しき師は

 牢に赴く弟子に言った。

  

 「もしも もしも

 お前が死ぬようなことになったら

 私も すぐに駆けつけて

 お前の上にうつぶして

 一緒に死ぬからな」

 なんと尊き慈愛の言葉か!

 それが師匠の心なのだ。

  

 私は心で泣いた。

 「先生のお身体には

  指一本 触れさせぬ」

 無実の容疑で捕らわれた私は

 一身に難を受けた。

  

 だが弟子は

 創価の正義を天下に示した。

 先生亡きあとの

 昭和三十七年一月

 法廷闘争に勝利し

 私は無罪判決を勝ち取った。

  

 重大なる広布の使命の

 全責任を抱いた

 後悔なき

 名誉ある人生が仏法なのだ。

  

 嫉妬の

 卑劣極まる虚言など

 誰が信ずるか!

 これが

 世界の王者の

 勝利への絶叫であった。

  

 有名になった強欲な

 多くの弟子は

 先生から去った。

 代議士にもしてもらい

 そしてまた

 学会の重要な役職にありながら

 その大恩も踏みにじった

 卑怯な連中は

 みな立ち去っていった。

  

 わが師は

 よく言われた。

 増上慢に

 成り下がった弟子は

 もはや弟子ではなくして

 恩知らずの敵である。

  

 蓮祖の時代にあっても

 日興上人 ただ お一人が

 清流に立ち上がられた。

 他の五老僧らは

 みな濁流に流された。

  

 あの戦争中

 時の権力に怯えて

 多くの幹部が

 退転していった。

 戸田先生お一人が

 師の心を心として

 厳然と立ち上がった。

 

 偉大な大師匠である

 戸田先生の弟子たる私は

 師に出会った十九歳の時から

 師の亡くなられるまで

 来る日も来る日も

 朝から真夜中まで

 常に先生の近くでお仕えした。

  

 それはそれは

 悪戦苦闘の師を

 お守りしながら

 現在の学会の大発展の

 基盤を作り上げたのだ。

 これが

 師弟の実相であることを

 叫びたい。

  

 いま私は

 次の真の弟子の道を

 青年たちに託したい。

 これが大発展への

 方程式であるからだ。

  

 ありとあらゆる

 三類の強敵の

 怒濤の中にあって

 私は一切を乗り切り

 すべてを完勝した。

 勝って師の笑顔が

 見たかったのである。

 

 ゆえに私にとって

 永遠の師匠・戸田先生と

 苦楽を共にし

 歴史を創り上げた日々は

 すべてが勝利であり

 光り輝いている。

  

 私は断固と勝利した。

 一切に勝利した。

 この実像が

 師弟不二の

 信力・行力なのだ。

  

 ああ!

 恩師と共に過ごし来た

 あの日あの時は

 すべてが

 また すべてが

 私にとっては

 輝く黄金の思い出となっている。

  

 師は――

 仏法の王者であられた。

 闘争の王者であった。

 正義の王者であった。

 これこそ

 人間指導者の大賢人だ!

 この王者と共に

 月月・日日に

 私は

 青春の不朽の歴史を

 綴ることができた。

  

 恩師は

 あまりにも偉大であり

 私は幸福者であった。

 いな 師も弟子も

 永遠不滅の

 幸福と勝利の生命が

 輝きわたって

 流転してゆくにちがいない。

  

  師を念い

   師をば語りて

       世界まで

  

 私は

 一切の誓いを実現した。

 師の構想の種子から

 天空高く生い茂る

 壮大なる大樹を育て上げた。

  

 創価の会館は

 民衆の大城となりて

 全国 全世界に林立し

 聖教新聞は

 言論の大城となった。

 創価大学 創価学園は

 世界も注目する

 教育の大城となった。

 

 「戸田の命よりも

 大切なり」と言われた

 創価の組織は

 仏法史上

 いな人類史上に輝く

 世界百九十カ国・地域への

 壮大なる平和と文化と教育の

 広がりとなった。

  

 釈尊の未来記

 そして

 日蓮大聖人の

 「仏法西還」という悲願は

 完全に成就した。

  

 「一閻浮提広宣流布」という

 仏法の究極の予見である

 人類の新しき平和の朝が

 輝き始まってきたのは

 皆様ご存じの通りだ。

  

 私は

 戸田大学の卒業生である。

 師匠は

 戸田先生お一人

 弟子は

 私ただ一人であった。

 約十年間

 万般にわたる教育を

 なさってくださった。

  

 その戸田大学の卒業生には

 世界の大学・学術機関からの

 知性の宝冠は二百を超えた。

 名誉市民の称号は

 四百六十を数えるに至った。

 「世界一の壮挙である」と

 著名な識者の方々は

 誉め讃えてくださっている。

  

 これは

 すべてにわたって

 恩師・戸田先生の

 凱歌の栄誉であられる。

  

 師匠の勝利は

 弟子の勝利。

 弟子の勝利が

 師匠の勝利なのだ。

  

 全生命を賭しながら

 一生涯

 師匠に仕えきった者が

 次の師匠となる。

 これが

 仏法の方程式だ。

 これが

 師弟不二である。

 

 人間にとって

 師弟に勝るものはない。

 師を持たぬ者は

 人間の愚者と

 なってしまうからだ。

 師を持たぬ者は

 勝手気ままな

 驕慢になってしまうからだ。

  

 一家に親子があるごとく

 社会には師弟が

 必ずあるものだ。

 それが古より

 世界万般の鉄則であった。

  

  師の恩を

   遂に果たせり

       今世かな

  

 私の心には

 いつも いつでも

 笑顔輝く戸田先生がいる。

 いまもなお

 「先生なら どうされるか」

 師との対話の日々の連続である。

  

 いかに暗黒の時代に遭遇しても

 偉大なる師を念うときに

 必ず一本の光の大道が

 広がってくるのだ。

  

 ああ!

 師匠は鑑である。

 師匠は希望である。

 師匠は力である。

 心に師を持つ人生には

 絶対に逡巡はない。

 心に師を持つ人生には

 断じて敗北はない。

  

 おお!

 わが恩師

 戸田先生!

 世界第一の師匠

 戸田先生!

 永遠の人生の師

 戸田先生!

  

 弟子・池田大作は

 晴れ晴れと勝ちたり。

 師弟不二の詩を

 不滅の歴史と残したり。

  

  一段と

   決意深まる

      師弟かな

  

 今日も晴れ晴れと

 妙法流布の正義の大道を!

 私は絶対に

 後悔の人生をつくらない。

 凜々たる勇気で

 価値ある勝利の歴史を

 勇み歩んでいくのだ。

  

 これが

 仏法であるからだ。

 これが

 師弟の道の法則であるからだ。

  

 二〇〇七年二月四日 立春の日

  わが師・戸田城聖先生の

  百七回目の誕生日を祝して

 

2007年2月6日発表


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2024年2月6日

第2289回

師弟不二の詩

ああ恩師 戸田城聖先生

(上)

 

 わが師は

 偉大なる知性の人であった。

 慈愛深き人生であられた。

 厳しかった。

 優しかった。

  

 その胸には常に

 張り裂けんばかりに

 邪悪に対する

 闘争心が燃えていた。

 正義の人であった。

  

 私は

 若き十九歳の時に

 この偉大な師匠と

 巡り会った。

 その場所は

 大田区であった。

  

 一瞬にして私は

 師子の胸に抱かれた。

 わが身を捨てて

 大法と正義に戦い抜く

 この師のもとに座して

 涙を流した。

  

 高貴な信念が

 常に燃え上がっている

 人生であられた。

 深い信仰の心に

 燃え上がる慈悲を感じた。

  

 来る日も来る日も

 苦難の連続であった。

 邪悪との戦いであった。

 信念の道を歩む

 闘争であった。

 中傷 批判の波は

 激しかった。

  

 「創価」といえば

 多くの人びとが

 必ず悪口 中傷した。

 いな 無認識のままに

 一番大事な信念を持つ人を

 嫌う風潮の日本の

 心の小さい人びとは

 みな横を向いて

 笑って悪口を投げかけた。

  

 そのなかを

 わが師・戸田城聖は

 ある時は笑顔で

 ある時は厳しい口調で

 そしてまた

 ある時は朗らかに

 大声で笑いながら

 広宣流布の指揮を執った。

 何も恐れなかった。

  

 透徹した眼光の師であった。

 いかなる噓も偽りも

 決して見逃さなかった。

 ひとたび

 弾劾の師子吼が放たれるや

 いかなる傲岸不遜な悪人も

 恐れ戦き震え上がった。

  

 春風の笑みの師であった。

 悲哀と絶望に凍てつく

 庶民の心を温かく とかした。

 太陽のごとく

 大らかに万人を包まれた。

 勇気と希望の光を放って

 無窮の生きる力を贈られた。

  

  師弟不二

   この絆にて

      広布かな

 

 ともあれ師弟は

 永遠にして不滅である。

 師弟は

 過去から現在へ

 そして未来を貫く

 生命の金剛の結合である。

  

 法華経の化城喩品第七には

 「在在の諸仏の土に

  常に師と倶に生ず」

 峻厳に記されている。

  

 我らは常に

 いつの世も

 いかなる時代も

 師と共に生まれ

 師と共に戦い

 師と共に勝って

 誉れの広宣流布の

 大道を歩み抜くのだ。

  

 「大難なくば

  法華経の行者にはあらじ」との

 如説修行の先師・

 牧口常三郎先生に

 戸田先生は仕えに仕え

 尽くしに尽くされた。

  

 法難の牢獄にまで

 勇み お供なされた。

 戦時中 正義のわが師は

 二年間 牢獄に入れられた。

 最極の正しき大善人を

 国家は いじめ抜いたのだ。

  

 初代の会長は獄死した。

 わが師・戸田城聖は断固と

 この敵討ちを決意した。

 人間の王者は怒った。

 自ら巌窟王になって

 崇高な師をいじめた悪逆の敵と

 断じて戦い抜いてみせると

 宣言した。

 これは有名な歴史である。

  

 獄中にあって

 「仏とは生命なり」

 「われ地涌の菩薩なり」

 と大悟され

 焼け野原の東京で

 妙法流布の大願に

 ただ一人 立たれた。

  

 死身弘法を決意せる師は

 正義の旗持つ若人を求め

 不惜身命の弟子の出現を

 待ちに待っていた。

  

  恩師あり

   妙法ありて

      わが一生

 

 昭和二十二年の八月十四日

 今生の師弟の出会いあり。

 この日この時

 久遠の師弟の魂は

 固く強く結ばれ

 「不二の詩」を奏でながら

 創価の新しき大車輪は

 回転し始めたのだ。

  

 わが誉れの青春譜の

 幕は切って落とされた。

 昭和三十三年の四月二日

 恩師の御逝去のその日まで

 十一星霜

 三千八百八十五日にわたり

 師事し常随給仕せり。

  

 一年ごとに

 弟子は増えてきた。

 それと比例して

 いわれなき迫害も

 一段と高まってきた。

  

 「真実の法華経の

  如説修行の行者の

  師弟檀那とならんには

  三類の敵人 決定せり」

 師弟の道は

 嵐の道であった。

  

 恐ろしきは人の心よ!

 先生の事業は破綻し

 莫大な借財が襲いかかった。

 世間の非難の集中砲火に

 先生の大恩を受けた

 最高幹部を先頭に

 手のひらを返すがごとく

 忘恩にも裏切り去った。

 嘲笑って立ち去った。

  

 すべての弟子の心も

 揺れ動いた。

 多くの幹部たちまでが

 卑劣にも去っていった。

 私は悔し涙で

 今に見ろ! と

 彼らを軽蔑した。

  

 一人の愛弟子は宣言した。

 ――私は

 いかなる処罰を受けようとも

 最善を尽くし抜いて

 師をお守りして

 この一生を終えるのだ。

 一切の財産もいらない。

 師の命ずるままに

 私の生命を捧げる。

  

 なんと意気地なき弟子たちよ!

 なんと卑怯な弟子らよ!

 なんと増上慢の愚者どもよ!

 なんと卑劣極まる者たちよ!

 彼らには

 人間の真髄の振る舞いなど

 まったくない。

 邪となって臆病に狂い

 動き回っていった。

  

 弟子は叫んだ。

 荘重に誓いを

 天下に放つがごとく

 師子吼した。

  

 下劣な愚かな輩よ!

 永劫に君たちを

 諸天は絶対に助けない。

 哀れな君たちよ!

 気の毒なお前たちよ!

 盗賊が断罪を

 宣告されるよりも

 もっと 恥と苦しみは

 続行していくにちがいない。

  

 真の信心なき彼らは

 先生を師とは仰げなかった。

 本有無作なる

 先生の振る舞いを

 軽んじて

 広宣流布の師たる内証を

 知ろうとはしなかった。

  

 日興上人は仰せである。

 「この法門は

  師弟子をただして仏になる」

  

 直弟子は激怒した。

 いな ただ一人 覚悟したのだ。

 命を賭して

 師匠を厳護することを!

 死して後世に

 弟子の模範を示すことを!

  

 私は胸を病んでいた。

 喀血も続いていた。

 阿修羅のごとく

 一心不乱に戦い続けた。

  

 私の心を見抜き

 先生は言われた。

 「大作!

  お前は死のうとしている。

  俺に命をくれようとしている。

  それは困る。

  断じて生き抜け!

  俺の命と交換するんだ」

  

 師匠は

 弟子を心から愛した。

 弟子は

 師匠を心から尊敬した。

 それは

 荘厳なる師弟の劇であった。

 

 マハトマ・ガンジーは言った。

 「弟子は

  わが子以上である。

  弟子たることは

  第二の誕生である」

  

 私には

 弟子の誇りがあった。

 誰が見ていなくともよい。

 誰が知らなくともよい。

 広宣流布の大師匠のもと

 大仏法を真実に行じゆく

 そして戦い抜く誇りを持って

 突進した。

  

 私には悔いがない。

 師弟を師弟のままに貫き

 戦い抜いてきたことを

 絶対に後悔しない。

 私は勝ったのだ!

  

 ある日ある時

 打開策に行き詰まり

 土砂降りの雨の中を

 師と共に二人して

 歩みながら

 私は申し上げた。

  

 「必ず将来

  先生にお乗りいただく

  車も購入します。

  学会もビルを建てます!」

  

 先生は

 黙って頷かれた。

 その目に

 涙が光っていた。

  

 私はお誓いした。

 「負債は

  すべて私が返済します。

  そして先生には

  学会の会長として

  広宣流布の指揮を

  執っていただきます」

  

 言葉に尽くせぬ

 苦難の連続であった。

 明日をも知れぬ

 疾風怒濤の日々であった。

  

 そのなかで師匠は

 ただ一人の弟子を信じて

 次々と

 広宣流布の構想の翼を広げ

 その実現を託した。

 「学会も新聞を出そう!」

 「大学をつくろう!

  創価大学だ!」

 師匠の絶対の信頼――

 これに勝る光栄があろうか!

  

 おお!

 そして迎えた

 あの第二代会長就任の

 晴れわたる

 昭和二十六年の五月三日!

 師匠の栄光こそ

 弟子の随喜であった。

  

 先生は

 断言なされた。

 会員七十五万世帯の達成を!

 それは

 断じて勝ち取らねばならぬ

 わが青春の誓願となった。

  

 真の弟子への

 師の期待はあまりにも大きい。

 それゆえに

 来る日も

 また来る日も

 獅子が わが子を

 谷底に突き落とすがごとき

 厳愛の訓練が続いた。

つづく

(下)


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2023年12月6日

第2278回

人生の精髄は「師弟」にあり

 

 創価学会の永遠の原点は

 牧口先生、戸田先生の「師弟」のご精神である。

 今日、このような未曽有の大発展のなか、

 晴れやかに創立の記念日を祝せるのも、

 その根幹はすべて、

 嵐の中を、

 牧口先生が厳として立ち上がられたからである。

 戸田先生が、炎のごとく“獅子の心”を燃やして、

 立ち上がられたからである。

 そして「師弟」の精神で、

 第三代の私も立ち上がった。

 

 この三代までの厳然たる「師弟の道」によって、

 今日の完璧な発展ができあがった。

 万代の土台を築いた。

 ここに学会の魂がある。

 “創立の精神”がある。

 真実の地涌の勇者、学会っ子であるならば、

 この人生の「師弟」という精髄を自覚されたい。

 

 

 『池田大作全集』第69巻、458頁


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2023年11月28日

第2275回

師と同じ心で

 

青年部の運営役員の友に>

  

 私は、いつも君たちと

 一緒に行動するわけにはいかないが、

 心は一緒だよ。

 使命は同じだよ。

 どうか、私に代わって、

 本部を守ってください。

 会館を守ってください。

 同志を守ってください。

 

   『新・人間革命』 第24巻「厳護」の章


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2023年11月21日

第2274回

若き日の日記

昭和33年4月2日

昭和33年4月8日

 

四月二日(水) 曇

 朝、緊急に、部隊長会議を招集する。心急ぐ感あり。先生のご容体非常に悪し。

 一週間、部隊長全員にて、本部にて勤行することを決意する。

 午後、本部にて、秘書部長より「先生の経過良好になる」との報を聞き、われは狂喜。

 五時より、理事室、青年部首脳と、連合会議をなす。

 六時四十五分、管理部のH老より、真剣な表情で、私に「病院から子息、喬久君より電話」とのこと。風の如く、管理室の電話を受く。喬久君より、落ち着いた語調で「ただ今、父が亡くなりました」との悲報を受く。

 この一瞬。われ、筆舌に尽くし難し。愕然たる憶念は表記でき得ず。永劫に、わが内証の座におく以外なし。

 ただちに、重大会議になる。

 先生のご遺志は、清らかに水の流れの如く、広布達成まで流れゆくことを祈る。強くなれ、と自分に叱咤。

 早速、日大病院の病室に、理事室、青年部首脳のみ、馳せ参ず。

 静かな永眠の姿に、はたまた、微笑したお顔に、感無量。滂沱。

 鳴呼、四月二日。四月二日は、学会にとって、私の生涯にとって、弟子一向にとって、永遠の歴史の日になった。

 ただちに、日淳猊下へ電報、細井尊師へ連絡、ご親戚へ連絡。

 先生のご遺体にお供して、目黒のお宅に帰る。小雨、少々降る。

 細井尊師おみえくださる。読経・唱題。

 理事室、青年部首脳にて、死水を。

 妙法の大英雄、広布の偉人たる先生の人生は、これで幕となる。しかし、先生の残せる、分身の生命は、第二部の、王仏冥合実現の決戦の幕を、いよいよ開くのだ。われは立つ。

 

四月八日(火) 曇

 先生のご遺言により、ご遺体を、一週間、お護り申す。今日が、最後のお別れ。

 悲しい、くやしい。「在在諸仏土常与師倶生」のご金言をかみしめる。

 朝、先輩が迎えに来る。私は断る。

 師匠との最後のお別れの日である。私は私なりに、一人して先生宅にお邪魔したい。最後の先生とのお別れに、誰人よりも淋しく、悲しい弟子は、私である。

 厳しい父であり、やさしい父であり、今日の私あるは、全部、恩師の力である。

 瞻仰。

 三十の遺弟、青年、八時三十分、師の宅へ。

 九時より、細井尊師の導師により、読経、出棺。十時、目黒のお宅を出発。棺の前を、理事と共に抱く。必ずや、先生は、喜んでくださっていることを信ずる。

 「先生、お休みなさい。お疲れだったことでしょう」

 私も、御遺命を達成し、先生のもとに早く馳せ参じたい。黙念。

 十一時、池袋の常在寺着。

 当日の焼香者、十二万人。誠心の人であり、先生を、心からお慕い申し上げる方々である。

 今後、この方々を、更にさらに、無量に指導し、幸福にしてあげねばと決意。父にかわって。

 十一時四十分。日淳猊下御出座。読経、歎徳文、遺族喬久君挨拶、最後に葬儀委員長挨拶。僧侶約六十名、大幹部、部隊長、ご親戚、友人等、計約三百名での焼香、順次終了。

 三時十分、最後のお別れの出棺。″一週間″の遺言を全うす。

 最後まで、先生のおそばで、お供する。必ずや先生は、喜んでいてくださると信ずる。

 三時三十分、青年部幹部を先頭に、僧侶二台、遺族の車、そして先生、ご親戚、大幹部、理事室と、落合火葬場に向かう。

 常在寺、最後の細井尊師の読経の際、一陣の強き風吹けり。火葬場にでも、また天空に真っ赤な色彩を強く強く感ず。

 二日より今日まで、曇天続く。

若き日の日記 池田大作全集第37巻

 


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2022年9月7日

第2094回

弟子の道をかれた日興上人

 

<本弟子ただおひとり>

 

 日蓮大聖人が御入滅される五日前のことである。

 弘安五年(1282年)十月八日

 大聖人は、門下のなかから、

 日興上人をはじめ六人を選び、本弟子と定められた。

 「六老僧」である。

 信徒は散在していた。

 大聖人は、

 御自身の亡きあとを展望され、

 各地の責任者を定められた。

 当時三十七歳の日興上人

 静岡・富士方面と山梨の門下を指導し、

 広宣流布を進めていかれた。

 大聖人は

其の国の仏法は

 貴辺にまか任せたてまつり候ぞ」(全1467㌻)と仰せである。

 

 リーダーが使命の天地で立ち上がり、

 全責住をもって、広宣流布を進めていく。

 大聖人の時代も、そうであった。

 創価学会も、これと同じ方程式にのっとってきたのである。

 

 しかし、日興上人を除く「五老僧」は、

 大聖人の期待を裏切り、退転した。

 大聖人から法門の一切を受け継がれた

 日興上人から離れていったのである。

 

 五老僧は、

 大聖人の墓所の守護にあたる輪番制も守らず、

 大聖人の一周忌法要にも参加しなかった。

 

 末法の御本仏である日蓮大聖人の弟子でありながら、

 弾圧を恐れて

 「天台沙門(天台宗の僧)」

 「天台の弟子」と名乗った。

 五老僧は、

 いわば当時の「最高幹部」である。

 それが、大聖人の御精神に、

 ことごとく背いていったのである。

 人間の心とは、一面、恐ろしいものだ。

 五老僧は師匠を蔑ないがしろにした。

 慢心であり、我見であり、虚栄であった。

 日興上人への嫉妬もあった。

 学会を裏切り、退転・反逆した人間も、

 本質は五老僧と同じであった。

 ″自分が偉くなりたい″

 ″名声を得たい″

 という卑しい心であった。

 

 日興上人は仰せである。

大聖人のお弟子(五老僧等)は、

 ことごとく師敵対してしまった。

 日興一人、本師(大聖人)の正義を守って、

 (広宣流布の)本懐を遂げるべき人であると自覚している。

 ゆえに、大聖人の御本意を忘れることはない

 (編年体御書1733㌻、通解)

 「日蓮聖人に背いた師たちを捨てないことが、

 かえって罪になるという法門である

 (編年体御書1734㌻、通解)

 日興上人は、

 決然と立ち上がられる。

 正義と邪義を、徹底的に、明確にしていかれた。

 

 大聖人は、

 庶民にもわかるように

 仮名交じりで御手紙を書かれた。

 それを、日興上人は「御書」として最大に尊重し、

 学んでいかれた。

 これに対し、

 五老僧は「先師の恥辱」といって

 焼いたりしたのである。

 五老僧は、数々の謗法を犯した。

 

 日興上人は、

 立正安国のために謗法を断てと

 厳命された大聖人の御精神を貫き通された。

 日興上人は、

 「弟子分本尊目録(弟子分帳)に、

 師匠を裏切った人間の名を挙げて、

 「但し今は背き了ぬ」

 「但し聖人(日蓮大聖人)御滅後に背き了ぬ」等と記し、

 後世に残されている。

 

 現代における五老僧の末流が、日顕宗である。

 日興上人が五老僧と徹して戦われたごとく、

 学会も、大聖人に師敵対した日顕宗を、

 厳しく破折し、打ち破ってきた。

 仏法は峻厳である。

 今や日顕宗は、信徒が激減し、大敗北。

 極悪の所行が断罪されている。

 2005.8.15代表幹部研修会

 


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2022年8月19日

第2078回

師と弟子が「ともに叫ぶ」のが

師子吼

 

勝利の秘訣は、「恐れない心」

 

 幹部は、

 一生懸命に戦ってくださっている皆さんに、

 心から感謝すべきである。

 必ず、ほめることである。

 讃えることである。

 それを絶対に忘れてはならない。

 

 全同志の力で、創価学会は、世界的な大発展を成し遂げた。

 わずかに反逆者が出たが、ものの数ではない。皆、敗北の姿であり、表に出られない。名利に目がくらんだ忘恩の人間の末路は、皆さまがご存じのとおりである。

 

 広宣流布の指揮を執るリーダーの大事な研修会である。

 勝利の源泉である御書を拝したい。

 御義口伝に「師子吼」について、こう仰せである。

 「師とは師匠授くる所の妙法

 子とは弟子受くる所の妙法・

 吼とは師弟共に唱うる所の音声なり」(御書748㌻)

 われらの根源の師は日蓮大聖人であられる。

 「師子吼」とは、師匠と弟子が、ともに妙法を唱え、弘めゆくとの意義がある。そう教えてくださっている。

 

 師匠が、正義を訴え、戦っている。

 弟子が、それと同じように戦わなければ、

 師子吼とは言えないのである。

 師匠と弟子が、一緒に叫ぶのだ。

 これが師子吼である。

 「師弟一体」の大宣言なのである。

 

 師匠と弟子が、

 全然、別の方向へ行くのでは、師子吼にならない。

 その最たるものが、反逆した人間たちである。

 断じて広宣流布を――その大聖人の御言葉を踏みにじり、学会の指導を蔑ないがしろにした。

 策を弄し、虚栄に走り、同志を裏切っていったのである。

 

 私は、恩師戸田先生の、おっしゃったことを、

 同じように叫んできた。

 師匠と違うことをいくら叫んでも、

 それは自己宣伝にすぎない。

 

 大聖人は仰せである。

 「すでに末法であり、南無妙法蓮華経の七字を日本の国に弘めているので、何の恐れもない。ついには全世界に広宣流布することは間違いないのである」(御書816㌻、通解)

 

 恐れるべきは、

 使命を果たさずに、人生を終わることである。

 末法の時を迎え、妙法流布を開始した。

 

 だから、恐れるものは何もない

 ――これが、御本仏の大境涯であられる。

 また、日蓮門下の究極の叫びでなければならない。

 何があろうと、恐れてはいけない。

 これが兵法の極意である。

 勝利の秘訣は、「恐れない心」にあるのだ。

 

 大聖人は、

 佐渡に流されようが、

 三類の強敵に遭おうが、

 絶対に恐れることがなかった。

 

 根も葉もない嘘や悪口にビクビクして、

 「どうしよう」などと思い悩むこと自体、

 厳しく言えば、敗北である。

 何も恐れないことだ。

 デマを流す人間に対しては、

 「何を言うか!」と反撃するのだ。

 私も、青春時代から、邪悪な人間とは、

 断固、戦ってきた。

 「戦う心」こそ学会精神である。

 

2005.8.12創立75周年幹部特別研修会(1)

平和は創るもの正義を師子吼せよ!

 

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2022年8月14日

第2073回

師弟の出会いから75年

 

空間も、時間も、師弟を阻む壁はない!>

 

 偉大な人物を師匠と仰ぎ、

 模範とする人生には、

 正義がある。前進がある。

 成長がある。充実がある。

 師弟に生きる人は、

 使命がわかる。

  

 師を持つことほど、

 大きな幸福はない。

 師と共に戦えることほど、

 気高い誉れはない。

 その師への感謝こそが、

 正しい人生を歩み続ける

 源泉なのである。

  

 恩を知る人生は美しい。

 私にとって、

 大恩ある師匠は、

 戸田先生である。

 寒風の日も、吹雪の時も、

 先生と二人で築いてきた

 学会だ。

 殉難の魂を、

 深き同志愛を、

 勝利の力を、

 平和への英知を、

 先生は私に

 打ち込んでくださった。

 真実の創価学会の姿は、

 先生と私の心の中にある。

  

 牧口先生にとって、

 戸田先生は、

 よき弟子であった。

 戸田先生にとって、

 私は、よき弟子であった。

 弟子によって、

 師匠の価値が決まる。

 師匠ではなく、

 弟子で決まる――

 御聖訓どおりの、

 創価の三代の師弟である。

  

 師弟は、

 物理的距離ではない。

 たとえ遠く離れていても、

 心は瞬時に伝わる。

 また、時代を超えて、

 生命と生命は響き合う。

 空間も、時間も、

 師弟を阻む

 壁にはならない。

 麗しき師弟の絆にこそ、

 人間としての

 勝利の栄冠が輝くのだ。

  

 創価の魂は、

 世界の民衆の

 崩れざる幸福と安穏を

 築かんと立ち上がった

 「師弟共戦の誓願」にある。

 広宣流布という

 永遠の大願に生きる、

 我らの「師弟の絆」も

 永遠なのだ。

 

2022年8月14日 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」

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2022年5月25日

第2008回

一人の本物の弟子

 

 「師弟の勝利」とは、弟子の闘争で決まる

 

 戸田先生の生涯もまた、死身弘法であられた。戸田先生は、師匠の牧口先生に、牢獄までお供されたのである。

 当時、学会の最高幹部の多くは、軍部権力の弾圧に恐れおののいて、次々と退転していった。投獄された牧口先生を罵り、去っていった人間もいた。

 そのなかで、獄中の戸田先生は、ただひたすらに、師匠のご無事を祈っておられたのである。

 「わたくしは若い、(牧口)先生はど老体である。先生が一日も早く(牢獄から)出られますように。わたくしは(獄中生活が)いつまで長くなってもよい。先生が、早く、早く出られますように」と。(『戸田城聖全集』3)

 日本中が狂気に呑み込まれ、正義の人に集中砲火のごとく弾圧が加えられるなか、戸田先生ただ一人が、師匠に仕えきっていかれた。わが身を顧みず、自身のすべてを犠牲にして――。

 仏法の師弟とは、これほどに厳粛であり、崇高なのである。

 私もまた、師匠の戸田先生のもとで、一人立ち上がった。青春のすべてを捧げて戦った。

 戸田先生の事業が挫折した時も。七十五万世帯への突破口をだれかが開かねばならなかった時も。そして、権力の魔性が牙を剥いて、学会に襲いかかって来た時も。

 いつも戸田先生は、「大作はいるか。頼むぞ!」と一言。私は、勝って勝って勝ちまくって、師匠にお応えした。

 牧口先生には、戸田先生がいた。戸田先生には、私がいた。一人の本物の弟子がい一人でいればいいのである。

 

 「一人の師子」がいれば、必ず後に人材は続いていくものだ。「師弟の勝利」とは、弟子の闘争で決まることを忘れてはならない。

 

2005.5.21第二総東京代表協議会

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2022年5月13日

第1997回

私は祈り、待っている

 

<真実の弟子を>

 きょうの集いは、

 各部、各方面の代表が参加しての重要な協議会である。

 戸田先生は、こうした会議を、

 非常に大事にしておられた。

 無断で欠席したり、

 会議の大切な内容を忘れていたりしたら、

 それこそ烈火のごとく叱られた。

 強い先生であった。

 先生の怒る声は、雷鳴のようだった。

 はるか遠くまで響き渡るような、

 本当に大きな声だった。

 師子の叫び、師子王の叫びであった。

 

 戸田先生は、

 そうやって青年たちを厳しく訓練してくださった。

 ″リーダーは、一人も残らず精鋭であれ!

 広布の本陣に精鋭以外はいらない!″と、

 それはそれは厳しかった。

 だからこそ学会は、ここまで発展したのである。

 

 その剛毅な戸田先生が、

 師匠の牧口先生の前では、

 「あそこまで」と皆が驚くほど粛然とし、

 かしこまっておられたという。

 本当の師匠と弟子の姿は、

 厳粛である。

 崇高である。

 これほど強い絆は、この世にない。

 

 師弟をないがしろにして、

 いくら偉くなっても、その末路は厳しい。

 

 広布の本舞台に

 真実の弟子が躍り出ることを、

 私は祈り、待っている。

 青年部は正義の師子と立ち上がり、

 皆が目を見張るような大勝利を、

 見事に飾ってもらいたい。

 

2005.2.23全国最高協議会

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2022年5月3日~5日

第1989回

民衆凱歌へ

師弟の誓いの5月3日

 

  

 師弟して

  閻浮広布を

    行じ抜く

  創価の普賢の

   無窮の英知よ

 

 濁世にも

  幸の蓮華を

   咲かせ舞う

  天女の語らい

   あの地この地で

 

 衆望を

  担い立ち征け

   地涌の若人

  結句は勝負と

    民衆凱歌を

 

 

2022年5月3日創価学会の日 創価学会母の日 女性部発足1周年

池田先生が全同志に記念の和歌

 

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2022年4月20日

第1978回

師弟とは

 正義の方向へ、勝利の方向へ、人間革命の方向へ

と導く強い引力

 

本物の「師子」をつくりたい>

 

 私の師匠は、

 戸田先生である。

 自分で決めた師弟の道である。

 

 ゆえに、

 戸田先生にぶつかっていき、

 戸田先生と命でつながっていくことが、

 私にとっては、

 もっとも大事なことであった。

 

 そして戸田先生から、

 「大作、よくやったな!」

 とほめていただければ、

 それで良かった。

 その一点だけであった。

 

 そこから、

 厳然と「師弟不二の道」が

 開かれていったのである。

 

 どんなに立派そうなことを言っても、

 格好よく見えても、

 根本に「師弟不二」がなければ、

 いつかは、行き詰まる。

 結局は、自分勝手になり、

 仏法の正しい軌道から

 外れてしまうものだ。

 

 「師弟」には、

 偉大な力がある

 それは、引力のように

 正義の方向へ、

 勝利の方向へ、

 人間革命の方向へ

 と引っ張ってくれる。

 

 「師弟」に生きる人は強い。

 断じて、勝っていける。

 

 私は、

 師弟の道に徹しゆく

 本物の「師子」をつくりたい。

 一騎当千の力のある師子を育てたい。

 いかなる嵐にも微動だにしない、

 正義の師子を、

 一人でも多く育てていきたいのだ。

 それが今の私の願いである。

 

2005.4.4総東京代表協議会

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2022年3月25日

第1945回

師弟の道に勝利あり

 

<師匠をもたない人生は、本物の人物は育たない>

 

 師匠という存在が、

 仏法の上でも、

 人間の生き方の上でも、

 どれほど大事か。

 親子の絆は大切だが、

 人格を磨き、

 成長するために、

 「師弟」はなくてはならないものだ。

 

 師匠をもたない人生は、

 一見、自由自在に見えるが、

 不幸である。

 本物の人物は育たない。

 深い次元から見た時、

 人間にとって、

 親子以上に重要な意義を持つのが、

 師弟なのである。

 

 ここに、

 人生勝利の″奥義″があるといえよう。

 私の師匠は戸田先生である。

 私は先生に仕え、

 訓練を受け、

 先生の仇を討ってきた。

 先生の言葉は、

 全部、頭に焼きついて離れない。

 

 戸田先生は、

 はっきりと言われていた。

 

「本当の立派な信心とは、

 創価学会の大恩を知って、

 創価学会を命をかけて護ることである」

 

 「個人のため」でなく、

 「全人類のため」に戦っていく。

 

 この「広宣流布の信心」こそが

 「大聖人の信心」である。

 そして、

 「広宣流布の信心」は、

 創価学会にしかない。

 

 ゆえに、

 創価学会を護ることが、

 広宣流布へ直結するのである。

 

 私は、この先生の言葉どおり、

 全世界で戦い、そして勝ってきた。

 

2005.1.7第四十五回本部幹部会、婦人部幹部会他

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2022年2月23日

第1915回

原点に返れ!

 

<「師弟不二」とは何か、

もう一度、自らを問い糺せ!>

 

 原点に返れ!

 ここに、すべての発展の道がある。

 

 学会が八十周年(当時)へ新しい道を開きゆく今、

 大事なのは、

 創立以来の原点である「師弟」の道に徹する

 ことである。

 

 一生涯、師弟の道に徹しきる。

 その輝く模範を、先輩は後輩のために残していっていただきたい。

 

 きょうは、大切な師の指導に学び、また未来への指針となる御聖訓を拝したい。

 戸田先生は言われた。

 「われわれには信心があるのだといって、手をこまねいていれば、油断がおきる。戦いには必ず相手がいるのであって、慎重に万全の対策を立てるべきだ。

 四条金吾が敵に狙われて危険な状況にあったとき、日蓮大聖人は至れり尽くせりのご注意を、こまごまと、おしたためになられたではないか。まさに『用心あるべし』の御金言を噛みしめるべきである」

 

 戸田先生は戦時中、

 投獄され、軍部権力と戦いぬかれた。

 ひとたび難にあうと、

 てのひらを返したように裏切る者がいた。

 師を罵倒し、去っていく者もいた。

 それを語る先生の声は憤怒に燃えていた。

 学会のおかげで偉くなりながら、

 傲慢になり、同志を苦しめる人間には、

 「恩を知らない、不知恩の輩だ」

 「学会よりも、自分のこと、

 個人のことを大事にする連中だ」

 と激怒された。

2006年2月19日最高協議会

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2022年2月10日

第1898回

地位や立場ではない!

「師弟不二」に生きることが一番尊い!

 

<勇猛精進>

 

 初代会長の牧口先生は、

 ″いつまでも、暦の年齢にとらわれることなく、境涯が開け、思想がぐんぐん伸びていく人が青年である″と、指導しておられた。

 非常に深い意味のある言葉だ。

 そして、″青年は絶対に臆病ではいけない″――これは戸田先生の厳しい指導であった。

 私は、その指導のとおり戦ってきた。ただ一人、厳然と立って難を受けきってきた。

 ――学会員には絶対、難がいかないように。中傷、批判がいかないように。私一人で、全部の難を受ける。難よ、われに集まれ! 大聖人様、そうしてください――私は青春時代から、そう祈り、戦ってきた。臆病な幹部や、ずるい幹部、そんなものは眼中になかった。

 戸田先生「戦いは、あくまでも攻撃である。攻撃精神をもったものが勝つ」と言われていた。

 「勇猛精進」――これが仏法の真髄の精神である。また、これが人生の真髄の精神でなくてはならない。牧口先生も「勇猛精進」の信心を貰かれた。どんな困難にも負けない。断じて戦いぬく。前へ前へと進みぬく。それが、人生の最高の生き方であり、最高の勝利者になるための道なのである。

 やりましょう! 地位や立場ではない。「師弟不二」に生きるのが、一番尊い人なのである。

2006年2月8日 第五十七回本部幹部会

 

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2022年1月10日

第1857回

究極の「師弟不二」の大闘争

(3/3)

 

第二代会長就任

 

 幹部であっても、

 戸田先生と苦衷を分かつ者は、

 ほとんどいなかったといっていい。

 理事長を務めた人間までが、

 戸田先生を誹謗したのである。

 

 しかし、だれがどうあろうとも、

 私は心に決めていた。

 ″断じて、戸田先生に、

 次の会長になっていただくのだ。

 そして、広宣流布の指揮を

 縦横無尽に執っていただくのだ″

 

 私は祈った。

 先生のために。

 学会のために。

 激闘のなかで祈りぬいた。

 丑寅勤行もやった。

 もう寝ても覚めても題目。

 歩いていても題目。

 車の中でも、

 電車に乗っても、

 時間さえあれば、

 すべて題目。

 ただただ、

 題目を抱きしめて、

 この世の残酷な苦難をはね返し、

 戸田先生が

 第二代会長に就任される道を、

 命を賭して、

 切り開いていったのである

 

 そして迎えた

 昭和二十六年の五月三日。

 苦悩の激動を耐え忍ばれ、

 ついに、戸田先生は、

 晴ればれと第二代会長に就任された。

 その盛大な推戴の儀式の日。

 戸田先生は、

 そっと私に

 「君の、おかげだよ。

 本当にありがとう」

 と落涙された。

 

 また晩年、

 私の義父母と

 数人の学会首脳がいる席で、

 戸田先生は語っておられたという。

 「私の人生は、

  良き弟子を持って、

  本当に幸せだった」と。

 

 思えば、

 初代の牧口先生が

 軍部権力と対決して

 牢獄につながれたとき、

 獄中までお供し、

 最後まで戦われたのは、

 戸田先生、

 ただお一人であった。

 この「一人」が大事なのである。

 

 その戸田先生を、

 人生のすべてを捧げて、

 お守りしぬいたのは私である。

 ゆえに私は、

 第三代会長となった。

 この究極の「師弟不二」の大闘争にこそ、

 今日にいたる

 学会の大発展の根本の因がある。

 それを、

 断じて忘れないでいただきたい。

 

2006年1月6日第56回本部幹部会

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2022年1月9日

第1856回

究極の「師弟不二」の大闘争

(2/3)

 

″大楠公″の如し

 

 さて五十五年前(当時)、

 昭和二十六年の

 一月六日のきょうこの日、

 私は、正午近く、

 戸田先生のご自宅に呼ばれ、

 先生の部屋に入った。

 二十三歳になったばかりであった。

 

 あの剛毅な、偉大な戸田先生が、

 このときばかりは、

 憔悴しきっておられた。

 事業の状況は悪化の一途であった。

 まさに絶体絶命の危機に

 追い込まれていたのである。

 厳しい表情であられた。

 部屋にいたのは、

 先生と先生の奥様と私の三人だけ。

 

 そして先生は、

 「きょうは

  よく聞いてもらいたいことがある」

 と私に、こう話されたのである。

 「私に、もし万一のことがあったら、

 学会のことも、

 事業のことも、

 いっさい、

 君に任せるから、

 全部、引き受けてくれないか」

 

 先生は、さらに声を強められた。

 「何が起きたとしても、

  私と君とが、

  使命に生き切るならば、

  きっと大聖人の御遺命を

  達成する時が来るだろう。

  誰が何と言おうと、

  強く、強く、君は、

  学会のために前へ進むのだ」

 

 戸田先生の遺言と、

 私は厳粛に受け止めた。

 そして、この日の誓願を、

 ″大楠公″の精神に託して、

 次のように日記に書き留めたのである。

 「先生は、正成の如く、

  吾れは、正行の如くなり。

  奥様は、落涙。

  此の日の、

  感動、厳粛、感涙、使命、因縁、生き甲斐は、

  生涯、忘るることはない。

  後継者は、私であることが決まった。

  激越の、年も刻々と明けて来た。

  いかなる苦悩にも打ち勝ちて、

  男らしく、

  青年らしく、

  若人らしく、

  本年も戦いきろう」

  (『若き日の日記』本全集36巻収録)

 

 この日、この時の「師弟の誓い」のままに、

 私は死にものぐるいで戦った。

 広宣流布の大師匠であられる戸田先生に、

 ただ一人、お仕えし、

 ただ一人、お守りしぬいた。

 これが学会の歴史である。

 師弟の本当の姿である。

 この一点にこそ、

 学会の魂があり、

 原点がある。

 

 (つづく→3/3)

 

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2022年1月8日

第1855回

究極の「師弟不二」の大闘争

(1/3)

 

<君の師匠は私だ>

 

 ――55年前(当時)(1951年=昭和二十六年)の一月、

 戸田先生の事業は最大の苦境にあった。

 すでに前年の夏には、

 当局から営業停止命令を受けていた。

 

 さんざん先生に、

 お世話になってきた人たちが、

 ひとたび風向きが悪くなると、

 一人また一人と、

 先生のもとを去っていった。

 なかには、

 「戸田のバカ野郎!」と

 不知恩の罵声を浴びせて、

 離れていった者もいたのである。

 

 最後に残ったのは、

 実質的に、私一人。

 若き私は、

 悪口と中傷を浴びながら、

 先生の事業の再建へ

 駆けずり回って働いた。

 給料は何カ月ももらえない。

 食事も満足にできない。

 せめて体が、

 もう少し丈夫であったなら。

 苦しみ、悩み、もがきながら、

 新たな活路を求めて、

 真剣に唱題を重ねた。

 毎晩のように御書を拝した。

 

 戸田先生は、

 さまざまなことを熟慮された末に、

 理事長の職も辞任されたのである。

 (=戸田先生が理事長辞住の

  意向を発表したのは

  昭和二十五年八月二十四日)

 

 私は、思いあまって戸田先生にうかがった。

 「先生、先生が理事長をお辞めになれば、

  新しい理事長が、私の師匠になるのですか

 戸田先生は言った。

 「それは、ちがう。

  苦労ばかりかけるけれども、君の師匠は私だ

 わが人生の忘れ得ぬ一場面である――。

 

 あまり自分で自分のことを言いたくはないけれども、

 次の学会を背負っていく青年部には、

 すべて知っておいてもらわねばならない。

 あえて、きょうは、

 真実の歴史のい一端を語らせていただく。

 

 (つづく→2/3)

 

 

(建築中)

■2024年2月7日第2290回 師弟不二の詩 ああ恩師 戸田城聖先生(下)

■2024年2月6日第2289回 師弟不二の詩 ああ恩師 戸田城聖先生(上)

■2023年12月6日第2278回人生の精髄は「師弟」にあり

■2023年11月28日第2275回師と同じ心で<青年部の運営役員の友に>

■2023年11月21日第2274回若き日の日記昭和33年4月2日昭和33年4月8日

■2022年9月7日第2094回弟子の道を貫かれた日興上人<本弟子ただおひとり>

■2022年8月19日第2078回師と弟子が「ともに叫ぶ」のが師子吼<勝利の秘訣は、「恐れない心」>

■2022年8月14日第2073回師弟の出会いから75年<空間も、時間も、師弟を阻む壁はない!><″大楠公″の如し>

■2022年5月25日第2008回一人の本物の弟子 <「師弟の勝利」とは、弟子の闘争で決まる>

■2022年5月13日第1997回私は祈り、待っている<真実の弟子を>

■2022年5月3日~5日第1989回民衆凱歌へ師弟の誓いの5月3日

■2022年4月20日第1978回師弟とは 正義の方向へ、勝利の方向へ、人間革命の方向へと導く強い引力<本物の「師子」をつくりたい>

■2022年3月25日第1945回師弟の道に勝利あり<師匠をもたない人生は、本物の人物は育たない>

■2022年2月23日第1915回原点に返れ!<「師弟不二」とは何か、もう一度、自らを問い糺せ!>

■2022年2月10日第1898回地位や立場ではない!「師弟不二」に生きることが一番尊い!<勇猛精進

■2022年1月10日第1857回究極の「師弟不二」の大闘争(3/3)<第二代会長就任>

■2022年1月9日第1856回究極の「師弟不二」の大闘争(2/3)<″大楠公″の如し>

■2022年1月8日第1855回究極の「師弟不二」の大闘争(1/3)<君の師匠は私だ>

世界広布新時代

創立100周年へ

2030年 

 

世界青年学会

開幕の年

(2024年)

2013.11.18

広宣流布大誓堂落慶

更新日

2024.4.25

第2298回

 

日天月天ワンショット

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