政治

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2022年6月22日

第2032回

私利私欲を投げ捨てる政治家に

 

人格をつくることである

 

 かつて戸田先生が、

 ある政治家と語りあった時のことである。

 こう言われていたことが忘れられない。

選挙民だけでなく、

 多くの人々から尊敬され、信頼され、

 私利私欲を投げ捨てる

 政治家になってもらいたい。

 それには、

 立派な人間となることである。

 人格をつくることである

 

 政治を良くするといっても、

 大切なのは、

 政治家一人一人が人格を磨いていくことだ。

 人間として立派になっていくことだ。

 それが戸田先生の信念であった。

 

 私たちの信仰の目的も、

 一人一人が人間として輝いていくことだ。

 人間革命をしていくことだ。

 いい方向へと変わっていくことである。

 

 戸田先生は、こう見抜いておられた。

 ″学会ほど純粋で、

 人のよいところはない。

 これほどの価値のある、

 すばらしい団体はない。

 反面、悪い人間にとって、

 これほど利用できるところもないだろう。

 いわば獲物をねらう獣の前に置かれた

 新鮮な鯛のようなものだ。

 必ずこの学会を利用し、

 食いものにする者が出るだろう″

 

 この恩師の警鐘を、

 未来永遠に忘れないことだ。

 私はいつも、胸中の戸田先生と語り、

 先生の言葉を思い起こしながら、

 信心を根本に前進している。

 

2005.7.7第51回本部幹部会、第5回関西総会他

 

2021年10月9日

第1738回

政治と宗教

 

<学会にも多様な考えがあってよい>

 

 伸一は、笑みをたたえて言った。

 「それで、君は安保に対して反対なのか、それとも賛成なのか?」

 「私は断固反対です。安保は廃棄し、中立の立場に立つべきだと思います」

 すると、別の青年が発言した。

 「私は、全面的に賛成とはいいかねますが、今のところ、やむをえないと思います。日本は、アメリカの協力なくしては、軍事的にも、経済的にも、独り立ちはできない状況です。今、安保を廃棄したりすれば、日本はアメリカを敵に回すことになります。したがって、安保を今の段階で廃棄せよというのは、現実を無視した意見です」

 ほかの青年たちも意見を述べたが、主張は二つにわかれた。

 伸一は、彼らを包むように見回すと、にこやかに語り始めた。

 「青年部の君たちの間でも、これだけ意見が食い違う。一口に学会員といっても、安保に対する考え方はさまざまだよ。反対も賛成もいる。そして、どちらの選択にも一長一短がある。それを、学会としてこうすべきだとは言えません。私はできる限り、みんなの意見を尊重したい。大聖人の御書に、安保について説かれているわけではないから、学会にも、いろいろな考えがあってよいのではないだろうか。政治と宗教は次元が違う。宗教の第一の使命は、いっさいの基盤となる人間の生命の開拓にある。宗教団体である学会が、政治上の一つ一つの問題について見解を出すのではなく、学会推薦の参議院議員がいるのだから、その同志を信頼し、どうするかは任せたいと思う

 ただし、政治上の問題であっても、これを許せば、間違いなく民衆が不幸になる、人類の平和が破壊されてしまうといった根源の問題であれば、私も発言します。いや、先頭に立って戦います

 青年たちの目が光った。

<新・人間革命> 第1巻 新世界 99頁~101頁

2017年6月23日

政治は現実

 

<現実の地道な改善が、向上が図られてこそ

人びとの支持がある>

 
 山本伸一との語らいで華国鋒主席は、十億を超える中国人民の衣食住の確保、とりわけ食糧問題が深刻な課題であるとし、まず国民経済の基礎になる農業の確立に力を注ぎたいと述べた。農民の生活が向上していけば、市場の購買力は高まり、それが工業発展の力にもなるからだという。
 その言葉から、膨大な数の人民の暮らしを必死に守り、活路を見いだそうとする中国首脳の苦悩を、伸一は、あらためて実感した。
 政治は、現実である。そこには、人びとの生活がかかっている。足元を見すえぬ理想論は空想にすぎない。現実の地道な改善、向上が図られてこそ、人びとの支持もある
 また、伸一は、革命が成就すると官僚化が定着し、人民との分離が生じてしまうことについて意見を求めた。
 華主席は、官僚主義の改革こそ、「四つの現代化」を進めるうえで重要な課題であるとし、そのために、「役人への教育」「機構改革」「人民による監督」が必要であると語った。
 指導的な立場にある人が、「民衆のため」という目的を忘れ、保身に走るならば、いかなる組織も硬直化した官僚主義に陥っていく。
 ゆえに、リーダーは、常に組織の第一線に立ち、民衆のなかで生き、共に走り、共に汗を流していくことである。また、常に、「なんのため」という原点に立ち返り、自らを見詰め、律していく人間革命が不可欠となる。
 華主席は、五月末に訪日する予定であった。語らいでは、日中友好の“金の橋”を堅固にしていくことの重要性も確認された。
 この北京では、創価大学で学び、今春、帰国した女子留学生とも語り合った。
 「今」という時は二度とかえらない。ゆえに伸一は、一瞬たりとも時を逃すまいと決め、一人でも多くの人と会い、対話し、励まし、友好を結び、深めることに全精魂を注いだ。
 文豪トルストイは記している。
 「重要なことは、何よりもまず、今、自分が置かれた状況にあって、最高の方法で、現在という時を生きることである」(注)

 小説『新・人間革命』の引用文献


 注 『レフ・トルストイ全集第69巻』テラ出版社(ロシア語)

 

〈小説「新・人間革命」〉 雄飛 八

2015年3月21日

 民衆が向上してこそ民主主義

 

<「民主主義が成功した民族は、

嫉妬心が少ない民族である」>

 

 民主主義の発祥の地は、ギリシャのアテネといわれる。しかし、大哲学者・ソクラテスを死罪にしたのも、またアテネであった。
 なぜ、民主主義が発達したのに、偉大な人物が抹殺されたのか。それはアテネ人が、大きな欠点を持っていたからであるという。それは「嫉妬深かった」という一点である。
 平均よりも抜きんでた人物が出ると、皆で寄ってたかって叩き、あら探しをし、最後には追放してしまう。そういうことを繰り返して、アテネには二流、三流、四流の人間しかいなくなり、衰え、滅んでいった――と。
 こういう歴史を通して、ある学者は言う。
 「民主主義が成功した民族は、たいてい、この嫉妬心が少ない民族である」
 たとえば、かつてのイギリスでは、「国の役に立つ人間だ」と見ると、小さな嫉妬心を忘れて、みんなで、その人を、もりたてていった。
 十九世紀の名宰相ディズレーリは、ユダヤ人であったが、保守党は、そんなことを気にせず、彼をもりたてて党首にし、首相にした。大英帝国の最盛期である。
 ほかにも、「あいつは偉いやつだ」となると、過去のいきがかりには、こだわらず、みんなでもりたてて、リーダーにしていった。
 かつてのアメリカも、そうであり、偉い人間が出ると、みんなで励まし、応援して、本当の「大物」にしてしまう。小さな嫉妬心よりも、国家と社会全体のことを考えた。
 「こういう広い心をもった国民でないと、民主主義は成功しない」というのである。
 たしかに、アメリカ人には「人の幸福や成功を素直に喜ぶ」という美徳があると言われてきた。
 一方、日本は、「人の不幸を喜ぶ」という卑しい嫉妬心が強いと指摘されてきた。この「一凶(元凶)」を治さなければ、日本の民主主義は、衆愚政治になってしまうであろう。
 日本は今、民主主義の危機である。民主主義の″形式″は整っているようで、その″内実(中身)″がない。″アンコのないアンパン″のようだという人もいる。
 民主主義の中身とは何か。それは、一人一人の民衆の向上であり、躍動であり、完成であり、幸福である。ここに、民主主義の目的もあるし、実質もある。
 一人一人の国民が、社会の主人公にふさわしい哲学と信念、希望と情熱をもって、生きているかどうか。日本では、むしろ民衆の心が空虚になっている。からっぽになりつつある。
 そこに「権力の魔性」が、つけこんでくる。国家主義の危険がある。非常に危ういところに来ている。
 今、民衆一人一人の心の内側から、充実を与え、信念と勇気を与え、鋭い批判力を与えているのが創価学会である。これこそ″民主主義の内実″をつくる運動なのである。

 

1998. 3.21 山梨代表協議会

2014年12月9日

全民衆の幸福を第一義に、

全民衆を守る獅子となれ! 

  
 「現在の政治を見ると、政党も政治家も、企業や業界、組合などの利益代表のようになっている。自分たちを選挙で支援してくれた団体などが、有利になるような法案や政策を推進し、便宜を図ることしか考えない政治家があまりにも多い。また、支援する方も、利権などの見返りを期待し、要求してくる。
 これでは、本当に国民のための政治はできない。
 それに対して、学会は、同志である皆さんを政界に送り出すために、全力で応援してきたが、見返りなどを求めたことは、ただの一度もない。まさに、公明選挙、公明政治の基盤をつくってきました。それは、これからも変わりません」
 政治の善し悪しは、ただ政治家だけによって決まるものではない。政治家を支援し、投票する人びとの意識、要望が、政治家を動かし、政治を決定づける大きな要因となっていくものである。ゆえに、政治の本当の改革は、民衆の良識と意識の向上を抜きにしてはあり得ない。学会は、その民衆を目覚めさせ、聡明にし、社会の行く手を見すえる眼を開かせてきたのである。
 彼は、祈るような思いで議員たちに語っていった。
 「皆さんは、学会のために、政治家として何か便宜を図ろうなどと考える必要は、いっさいありません。そんなことは、何も心配せずに、どこまでも全民衆の幸福を第一義に、国家百年の、いや、世界千年の大計を考え、行動する大政治家になっていただきたい。
 また、地方議会にあっても、民衆に仕えるという気持ちで、地域住民の手足となってください。
 議員というのは、住民のためにあそこまで泥まみれになって働いてくれるのかと、誰からも称賛されるような、模範を示していってほしいのです。
 民衆を守る獅子となれ――それが私の願いであり、期待です。また、皆さんを支援してきた同志も、同じ思いでいるでしょう」


小説 新・人間革命 5巻 獅子 313頁

2014年8月29日

制度の改革だけでは幸福の実現はない

   
 「(中略)制度の改革だけでは、人間の幸福を実現することはできないということだ。たとえば、現代は、主権在民だし、身分制度はなくなった。しかし、本当に皆が平等かというと、かたちを変えて、さまざまな差別があるじゃないか。また、公害の蔓延が人間を脅かしているが、その本質的な要因は、人間の欲望にある。それに、人間不信や疎外感、孤独感といった苦悩は、むしろ激しさを増してきているじゃないか。
 政治も、経済も、産業も、教育も、すべて人間がもたらした産物だ。したがって、何を改革していくにせよ、根本は、一切の創造の主体者である人間自身の変革がなくてはならない。その人間革命の道を教えているのが日蓮大聖人の仏法であり、それを民衆運動として展開してきたのが創価学会なんだよ」

 

新・人間革命 25巻 薫風 225頁

2014年6月12日

政治団体結成と政教分離 

  
 山本伸一が「公明政治連盟(後の公明党)」という政治団体結成に踏み切った最大の理由は、創価学会は、どこまでも宗教団体であり、その宗教団体が、直接、政治そのものに関与することは、将来的に見て、避けた方がよいという判断からであった。いわば、学会として自主的に、組織のうえで宗教と政治の分離を図っていこうとしていたのである。
 本来、宗教団体が候補者を立てることも、政治に関与することも、憲法で保障された自由であり、権利である。宗教団体であるからといって、政治に関与することを制限するなら、「表現の自由」「法の下の平等」、さらに、「信教の自由」をも侵害することになる。
 憲法の第二〇条には「政教分離」がうたわれているが、ここでいう「政」とは国家のことであり、「教」とは宗教、または宗教団体をいい、国と宗教との分離をうたったものである。つまり、国は、宗教に対しては中立の立場を取り、宗教に介入してはならないということであり、宗教が政治に関与することや、宗教団体の政治活動を禁じたものではない
 憲法でうたわれた「政教分離」の原則とは、欧米の歴史をふまえつつ、戦前、戦中の、国家神道を国策とした政府による宗教弾圧の歴史の反省のうえに立って、「信教の自由」を実質的に保障しようとする条文にほかならない
 したがって、創価学会が政界に同志を送り出すことも、学会自体が政治活動を行うことも自由である。
 宗教も、政治も、民衆の幸福の実現という根本目的は同じである。しかし、宗教が大地であるならば、政治はその土壌の上に繁茂する樹木の関係にあり、両者は次元も異なるし、そのための取り組み方も異なる。

(中略)また、宗教は教えの絶対性から出発するが、政治の世界は相対的なものだ。
 そうした意味から、やはり、宗教団体のなかでの政治活動と宗教活動との、組織的な立て分けが必要であると伸一は結論したのだ。そして、政治活動は、政治団体が主体的に行い、学会は、その支援をするという方向性を考えてきたのである。

 

新・人間革命 5巻 獅子 302頁

2013年4月21日

哲人政治

 

「政治的な生き方」と「哲学的生き方」は、その本質において、真っ向から対立する。政治は「弁論術」すなわち「うまい話」によって、「多数」の人を無知のまま、動かそうとする。哲学は「対話」によって、「一人」「一人」を、心から納得させようとする。政治は「人にどうみられるか」を気にやむ。哲学は「自分が実際にどうであるか」に心をくだく。政治は、青年を「操作」するために、真実から目をそらさせようとする。哲学は、青年を「育成」するために、真理に目覚めさせようと努力する。
 こうした対立が続くかぎり、哲学する「正義の人」は、悪しき政治の権力に、永遠に圧迫される運命にあろう。ソクラテスの死刑は、その象徴であった。
 (ソクラテスの弟子プラトンは、)こう結論する。
「正しく真実に哲学する者が政治的支配の地位につくか、現に権力を持っている人々が、真実に哲学するようになるか、いずれかが実現しないかぎり、人類の不幸はやむことがないだろう」
 有名な「哲人政治」の理想である。ある意味で「立正安国」の思想にも通ずる結論であった。
  
1989.2.14第十二回全国青年部幹部会

2012年12月31日

道義で政治を軌道に引き戻せ

 

「道義」とは、人間の進むべき道である。「力の論理」という迷路に陥った政治を、確かなる軌道に引き戻すには、「道義の力」が必要である。そこに宗教の役割もある。 伸一は、鋭い着眼に、感嘆しつつ語った。 「光栄です。大事な視点です。 どの国であれ、『道義』の確立という民衆の精神面の開拓がなければ、その分、政治の圧迫が大きな比重を占めていきます。 大事なのは、人間の生命は等しく尊厳無比であるとの人間的価値観が、『道義』の根本をなすということです」

 

小説 新・人間革命 26巻 法旗 15

2012年8月29日30日

出でよ!哲人政治家

 

 民衆を苦しめる社会の不条理と戦ってこそ、政治家である。その戦いがなければ政治屋である。最も苦しんでいる人に、救済の手を伸ばすことこそ、政治の原点である。

 権力には魔性がある。ゆえに権力に近づく人間は峻厳にわが身を律せねばならない。

 指導者には、権力を民衆の幸福のために用いる責務がある。まず注意深く、自らの「人間としての良心」に耳を傾けなければならない。政治家である前に、哲人でなければならない。

 

 池田大作 名言100選 178、179頁

世界広布新時代

創立100周年へ

2030年 

 

世界青年学会

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(2024年)

2013.11.18

広宣流布大誓堂落慶

更新日

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第2298回

 

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