父母

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2023年11月17日(未掲載)

 

 母よ!

 おお 母よ

 あなたは

 あなたは なんと不思議な力を

 何と豊富ゆたかな力を もっているのか

  

 母よ!

 おお 母よ

 あなたは

 あなたは なんと強き調和の存在か

 なんと いいようのない会話の名人か

  

 灰色に染まり抜く公害の社会

 濁りの音に狂いゆく窒息の都会

 光明の道のない閉じこめられた地球

 もはやそこには出口がない

 もし この世にあなたがいなければ

 還るべき大地を失い

 彼らは永遠に 放浪しなければなるまい

  

 母よ

 母よ!

 あなたは簡単にして根強い

 あなたは直感的にして一途だ

 あなたは正直にして頑迷だ

 しかし

 しかしあなたは 万人の顔の心の故郷ふるさと

  

 モナリザの微笑

 ビーナスの輝き

 いな生活に挑む平凡な顔にも

 世間の波に洗われた健気な顔にも

 哀歓に勝利した小さい栄光の親しき顔にも

 母という顔には

 全てに歴史の美しさがある

 

 なにゆえに人びとは

 その象徴に襟を正し

 至高の香にひざまずくのか

 ――いうまでもない

 海よりも広い 一見とらえどころのない

 あなたの愛の深さがあるからだ

  

 母なる結晶の笑いには

 不透明の中の安らぎがある

 これらの矛盾にみえる感性の結実が

 迷路に落ち込んだ観念の対立を

 いくたび 正視に軌道に戻したことか

  

 いかなる哲人の論理もあなたを超えない

 いかなる聖人の教えも

 あなたより変奏の曲に聞こえる

 あなたの頭脳を超えた人は

 いくらもいるだろう

 だが それは

 幻覚の面影の世界といってよい

  

 それが証拠に

 かれらは 道に行き詰れば

 必ず 澄んだあなたの

 懸命の声を聴くだろう

 そしてそこから

 新たな才能の構築の原点を

 見出すにちがいない

  

 時代ときはいよいよ病んでいる

 ベトナムに

 カンボジアに ラオスに

 悲惨と残酷の狂声がたえまない

 

 おなじ人間が おなじ子どもが

 なぜ相争うのか

 何と惨めなる人間の業――

 こんな愚かな事業から

 人間は そして文明は

 いまなお解放されていないのだ

  

 恐ろしく空虚で不正義な

 戦争という名の破壊事業

 そこには

 誇大がかった 偽の崇高な使命もあろう

 己が理論の正当性もあろう

 体面も 名誉も 意地も共存していよう

  

 母の本能の智性は 叫んでいるに違いない

 人間よ

 こんな気どりの勲章のために

 こんな虚像の名誉のために

 こんな犠牲をつくる権力のために

 なにゆえ 尊いこの生命を

 路傍の屍とするのか と

 そして

 あの薪と炉のほとりを想い起こして

 昔いにしえの母の詩うたをうたってもらいたい と

  

 母は待っている

 汚れなき涙を浮かべ

 少年の頃の人間として

 母の懐ふところに抱かれ

 揺り籠の平和の夕ゆうべ

 母の奏でてくれる魂の歌に

 お伽の国を探検しつつ

 安らかな寝息をたてて夢みた

 あの健康な日々の復活を

 

 母は

 母は いついつまでも

 われわれの忠実な侍者であった

 未来からの語部かたりべであり

 名歌手であり 名演奏家であり

 強力な支援者であった

  

 母はきっと願っているに違いない

 人間が

 変に大人ぶらないで

 変に傲慢ぶらないで

 この自らの純粋な発祥を自覚するならば

 地平線上の争いは

 いつか絢爛たる

 平和の緑につつまれるだろうと

  

 人は

 これを感傷として

 冷笑することは容易(たやす)い

 そんな弱々しい訴えで

 カオスに踏み迷った人間群が

 真っ暗な密林から抜け出られるかと

 哄笑するかもしれぬ

  

 だが母なる哲人は叫ぶ――

 人間よ

 静かに深く考えてもらいたい

 あなたたちの後ろにも

 あなたたちの成長をひたすら願う母がいる

 ベトナムのアメリカ兵にも

 わが子の生命を強烈に気づかう母がいる

 硝煙の廃墟に苦しむ解放軍の背後にも

 わが子の無事を祈り悲しむ

 傷ましい母が待っているのだ

 

 母という慈愛には

 言語の桎梏もない

 民族の氷壁もない

 イデオロギーの相克もない

 爽やかな畦道にも似ていようか

 人間のただ一つの共通の感情

 ――それは母のもつ愛だけなのだ

  

 その母の嘆きの悲願の姿に

 チラッとでもいい

 私たちは敬虔な視線を

 刹那に送る余裕をもちたい

  

 その母子の伴奏のなかにのみ

 人間という人間の

 深い心性が光沢にみがかれ

 晴れやかな真実の進歩と

 革命への前進があるはずだ

 そしてその時

 人間は遥かなる

 共通の母をもつ兄弟として

 対話と信頼に融和させていく

 未聞の文化興隆の

 崩れざる行進を開始することだろう

  

 母よ 

 わが母よ

 風雪に耐えぬいた可哀想な母

 悲しみの合掌を繰り返してきた

 いじらしい母

 あなたの願いが翼となって

 天空に舞いくる日まで

 いついつまでも達者に と

 私は祈らずにはいられない

 

 母よ

 そして母よ!

 あなたのその慈しむ愛の力を

 断じて孤立させてはならない

 それはなぜか――

 盲愛では不幸の翳りが漂うだろう

 故に連帯と目的と理性に裏づけられた

 慈母の愛のみが

 苦しみ嘆く野蛮の未来に

 点睛てんせいの光線を入れることができるからだ

 その地道なる点火が

 ただ一つの道として

 生命の尊厳を

 この世から真実に防衛できると思うからだ。

  

 打ちひしがれて微笑を失った

 失望と紅あかい涙の

 あの暗い 女の歴史は

 もはや永遠に 太古の化石としたい

  

 今からは

 今日からは

 あなたの あなた自身の変革による

 思想と聡明さをもって

 わが家に憧憬の太陽を

 狭く薄暗い社会に明朗な歌声を

 春を願い待つ地球上に

 無類の音楽の光線で 平安の楽符を

 伸びのびと奏でてほしいのだ

  

 その逞しくも持続の旋律が

 光と響の波として彼方を潤すとき

 あなたは蘇生しゆく人間世紀の母として

 悠遠に君臨するにちがいない

  1971.10.4

 

詩歌・贈言「青年の譜」「広宣の詩」池田大作全集第39巻141頁


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2023年9月2日~4日

第2243回

釈尊は、

なぜ法華経を説かれたか

 

 そもそも釈尊が、

 なぜ法華経を説かれたのか。

 

 大聖人は「父母の御孝養のため」

 (全1564・新1899)と仰せである。

 

 すなわち、

 大恩ある両親に、

 今世だけではない、

 三世に崩れざる幸福を送るためには、

 どうすればよいか

 ――そのために、法華経を説かれて、

 三世永遠の常楽の境涯を教えられたのである。

 (中略)

 

 戸田先生は青年にこう言われた。

「衆生を愛さなくてはならぬ戦いである。

 しかるに、青年は、親をも愛さぬような者も多いのに、

 どうして他人を愛せようか。

 その無慈悲の自分を乗り越えて、

 仏の慈悲の境地を会得する、

 人間革命の戦いである」(「青年訓」、『戸田城聖全集』第一巻)と――。

 どうか、いつも笑顔で、

 ご両親に喜びを送りゆく青年であっていただきたい。

 

1992年2月9日インド広布31周年記念総会

インド・ニューデリーにて

 『池田大作全集』第80巻、99ページ


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2021年12月9日

第1819回

伸一の母

 

<母を泣かすな!泣かせるな!>

 

 終戦を迎えると、山本伸一が勤めていた新潟鉄工所は閉鎖になった。彼は、蒲田の下丸子にある内燃機の会社に勤め、家計を支えた。

 戦後の食糧難は、病身の伸一をさいなんだが、それにも増して、彼は知識に飢えていた。精神を満たしたかったのである。伸一は働きながら、夜学に通うことにした。校長の理解もあり、簡単な筆記試験だけで、この年の九月から、神田の三崎町にある東洋商業(後の東洋高校)の夜学の二年に編入を許可された。

 翌一九四六年(昭和二十一年)の一月には三番目の兄が、八月には四番目の兄が、九月には二番目の兄が復員してきた。子どもたちが復員して来るたびに、父も母も明るさを増し、一家は活気づいていった。

 しかし、長兄の喜久夫の消息は、依然としてわからなかった。家族がつかんでいた消息といえば、南方に向かったということだけであった。

 長兄の話が出ると、母はこう言うのが常であった。

 「大丈夫、大丈夫。きっと元気で戻ってきますよ。だって、『必ず生きて帰ってくる』と言って出ていったんだもの」

 そう語ることで、必死に自分自身に言い聞かせていたのかもしれない。

 終戦の日から二年近くが過ぎようとしていた、四七年(同二十二年)の五月三十日のことであった。大森の森ケ崎の家に、役所の人が訪ねて来た。ここは父の家作だったところだが、終戦直後から一家が住んでいた。

 年老いた役所の人は、気の毒そうな顔で、一通の書状を母親に手渡した。長兄の戦死の公報であった。

 母は丁重にお礼を言い、それを受け取ると、家族に背中を向けた。その背が小刻みに震えていた。声を押し殺すようにして、すすり泣く声が聞こえた。

 その公報には「昭和二十年一月十一日、享年二十六歳 ビルマで戦死」となっていた。

 この時点では、戦死の状況は何もわからなかった。また、長兄は二十九歳になっているのに、なぜか、公報では三歳も違っていた。年齢が違っているところから、家族の誰もが、戦死も間違いであってほしいと願った。

 間もなく、遺骨も帰ってきた。それを目にすると、家族のはかない望みは打ち砕かれた。

 伸一は、きっと長兄は、自分と分け合った母の鏡の破片を身につけたまま、息を引き取ったのだろうと思った。

 母はいつまでも、長兄の遺骨を抱き締めていた。

 彼女は、どんな時でも気丈であった。その母が打ち沈んでいる姿に、伸一の胸は痛んだ。

 母の芯の強さを物語る、こんな思い出がある。

 ──戦争末期のことだ。蒲田の糀谷にあった家が、空襲による類焼を防ぐために取り壊しが決まり、強制疎開させられることになった。やむなく、近くの親戚の家に一棟を建て増して、移ることにした。

 家具も運び込み、明日から皆で生活を始めることになった時、空襲にあった。その家も焼夷弾の直撃を受け、全焼してしまった。かろうじて家から持ち出すことができたのは、長持一つだった。

 翌朝、途方に暮れながら、皆で焼け跡を片付けた。生活に必要な物は、すべて灰になってしまった。ただ一つ残った長持に、家族は期待の目を向けた。

 しかし、長持を開けると、皆、言葉を失ってしまった。中から出てきたのは雛人形であった。その端に、申し訳なさそうに、一本のコウモリ傘が入っているだけであった。

 長持を、燃え盛る火のなかから、必死になって運び出したのは、伸一と弟である。

 伸一は全身の力が抜けていく思いがした。

 家族の誰もが、恨めしそうな顔で、虚ろな視線を雛人形に注いだ。

 その時、母が言った。

 「このお雛様が飾れるような家に、また、きっと住めるようになるよ……」

 母も、がっかりしていたはずである。しかし、努めて明るく語る母の強さに励まされ、家族の誰もが、勇気が湧くのを覚えた。

 焼け跡に一家の笑い声が響いた。母の胸には、〝負けるものか!〟という、強い闘志が燃えていたにちがいない。

 しかし、そんな母にも、長兄の戦死の衝撃は大きかったようだ。遺骨を抱きかかえ、いつまでも背中を震わせて、泣き濡れていた。

 伸一は、その姿を忘れることができなかった。

 以来、父も、めっきりふけこんでしまった。

 

<新・人間革命> 第3巻 平和の光 290頁~294頁


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2021年8月15日

第1726回

舵を切れ 生命尊厳の時代に

 

<「人間」「生命」という原点へ>

 

 

 宗教者が返るべきは、

 あらゆる差異を払った

 「人間」「生命」という

 原点であり、

 この普遍の共通項に

 立脚した対話こそ、

 迂遠のようであるが、

 相互不信から相互理解へ、

 分断から結合へ、

 反目から友情へと

 大きく舵を切る

 平和創造の力となる。

  

 胸襟を開いた

 語らいによって、

 核兵器の廃絶を願う、

 素朴な人々の

 思いを汲み上げ、

 結集していってこそ、

 時代を動かす

 大きな平和の潮流が

 つくられる。

  

 世界の平和とは、

 お母さんが

 幸福になることである。

 一日また一日、

 まじめに生き抜く女性が、

 一番、幸福を勝ち取って

 いくことである。

 そのように、

 文明の中心軸を

 変えていくことが、

 広宣流布であり、

 立正安国である。

  

 一人一人が、

 全世界の平和と

 民衆の幸福を成し遂げゆく

 「主体者」であり、

 「責任者」である。

 さあ、共に出発しよう!

 我らこそ、

 世界平和の先導者なり!

  

 人間と社会の現実に

 どこまでも関わり、

 人間生命そのものを

 変革し、

 内なる智慧と慈悲を

 開発していく以外に、

 真実の平和はない。

 そのためにも、

 人間革命の宗教が

 絶対に必要なのだ。

  

 我らの人間革命の前進が、

 戦争と決別し、

 生命尊厳の世紀を開く

 確かな光明だ。

 この大情熱で、

 「地涌の陣列」即

 「平和の陣列」

 幾重にも拡大して

 いこうではないか!

 

 

2021年8月15日

池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」


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2021年5月9日

第1716回

 母の笑顔よ咲き薫れ

 

 母の愛は、

 あまりにも深い。

 その母を苦しめ、

 悲しませ、

 子どもの未来を

 奪い去っていく、

 戦争をはじめ、

 あらゆる暴力に、

 私たちは断じて反対する。

 世界の平和、

 人類の幸福といっても、

 母を大切にし、

 心から感謝するところから

 始まる。

  

 賢き母!

 いかなる子どもをも、

 泣きながら

 慈愛で包みゆく、

 仏のごとき母の境涯よ!

 この尊極なる母を、

 誰もが最敬礼して、

 最大に敬い、

 報いていくべきである。

  

 最も深い悲しみから

 立ち上がった人は、

 最も深い哲学を学んだ、

 最も深い慈悲の人だ。

 最も大きな苦しみを

 乗り越えた人は、

 最も大きな境涯を開き、

 最も大きな幸福を

 広げゆく人だ。

 この人間革命の体験を

 友に語り、分かち合う、

 母たちの行動が

 幸福と平和と勝利の道を

 創り開くのである。

  

 母の祈りは無敵だ。

 母の慈愛は海より深い。

 母の笑顔は、

 いかなる闇も

 照らし晴らす太陽だ。

  

 これからも、

 創価の母たちの

 「誠実」と「根性」と

 「賢さ」と「忍耐強さ」が

 ある限り、

 いよいよ広宣流布の勝利の

 大輪が咲き薫っていくに

 違いない。

  

 さあ「今日も元気で」!

 いよいよ朗らかに、

 いよいよ生き生きと、

 いよいよ若々しく、

 全世界の

 福智の女性と手を携え、

 人類の幸福の未来のために

 「平和の文化」の大光を、

 さらに赫々と放ちゆこう!

 

2021年5月9日〈池田大作先生 四季の励まし〉


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2020年6月25日

第1686回

「父」

 

<信頼広げる人間王者に>

 

 家庭や地域にあっても、

 厳しい経済闘争に

 あっても、

 宿命転換の激戦に

 あっても、

 一家の柱、

 広布の要として、

 辛抱強く

 頑張ってくれている

 創価の父に、

 感謝と労いの笑顔を

 贈っていただきたい。

 

 波瀾万丈の苦労をしてこそ

 「人間」はできる。

 苦労もせず、

 思い通りにいけば、

 よいように思える

 かもしれないが、

 結局は、

 傲慢で小さな人間に

 なってしまうものだ。

 やりづらくとも、

 耐えて、努力し、

 乗り越えていく。

 その積み重ねのなかで

 「人格」はできる。

 

 偉い人の仕事は、

 「自分のため」の

 次元ではない。

 「人のため」

 「社会のため」である。 

 後輩のため、そして

 後継の友のために戦い、

 道を残していく――

 ここに偉大な

 「父」の心がある。

 

 人生は長い。

 勝つ時もあれば、

 負ける時もある。

 行き詰まり、

 七転八倒する時も

 あるだろう。

 だが、人生の勝敗は

 途中で決まらない。

 栄光は、粘り抜いた

 逆転劇によって

 勝ち取るものだ。

 だからこそ

 心は負けてはならない。

 あきらめてはならない。

 

 父が厳然としていれば、

 どれほど

 安心と喜びが広がるか。

 一騎当千である。

 その「一人」を

 大切にする。

 粘り強く通い、

 信頼を育み、

 励まし続ける。

 熱い男の友情と連帯を、

 私は最大に讃えたい。

 

2020年6月21日〈池田大作先生 四季の励まし〉


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2020年5月10日

第1666回

「母」の幸福こそ

世界平和の第一歩

 

 この世に、

 最大限の平和の光を

 贈り続けている太陽、

 それは「母」である。

 その母たちが、

 最大限の

 栄光と幸福に包まれ

 報われゆく時代こそ、

 「女性の世紀」では

 ないだろうか。

  

 歴史を振り返れば、

 どれほど多く、

 母たちの悲しみの涙が

 流されてきたか。

 海よりも深い

 母の慈愛には、

 人々を正しき軌道へと

 導く力がある。

  

 家族のため、

 近隣のために、

 自分らしく、

 誠実に精一杯の努力をして

 生きてきた女性の一生は、

 平凡であっても、

 尊く美しい。

  

 完璧な母親などいない。

 欠点も長所もあるから、

 人間なのだ。

 そこに人間らしさがある。

 だからこそ、

 子どもも安心できる。

 自分らしくて

 よいのである。

  

 「母の慈悲」は、

 人間に、そして

 生きとし生けるものに、

 自然に与えられている

 「仏の心」であると

 言ってよい。

 子を思う「母の慈悲」は

 万人を思う「仏の心」に

 直結する。

 それゆえに、

 人間は誰もが

 「母の慈悲」に

 触れることによって、

 「仏の心」を直接に

 体験することができる。

 「母の慈悲」は、

 全ての人間に開かれた

 大いなる

 精神的恩恵なのである。

  

 私たちは、

 この健気な母を幸福にする

 「責任」がある。

 いな「使命」がある。

 これが「人生」だ。

 この平凡にして偉大な母を

 幸福にしていくことこそ、

 全世界の平和への

 第一歩なのである。 

 

〈池田大作先生 四季の励まし〉平和の太陽に感謝 2020年5月10日


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2020年3月22日

第1655回

「母」の信心は、子の「発心」の縁となり、

悩み」は広布のバネとなる

 

 〈7月の婦人部大会で婦人部長の清原かつは、

婦人の信心の在り方を訴える〉


 「女子部の幹部の方たちに、どういう動機で信心をしたのかを尋ねてみました。すると、七人いた女子部員全員が、生活も大変ななかで、グチも文句も言わずに、いつも笑顔で頑張っている母親の姿を見て、信心をしてみようという気になったと言うのです。
 つまり、お母さんの強さや優しさ、また、すばらしさの源泉が、信心にあることに気づき、若い娘さんが信心を始めているのです。(中略)
 もう一つ申し上げておきたいことは、皆、それぞれに悩みを抱えていますが、その克服を自分の課題として、学会活動に励んでいこうということであります。たとえば、夫の仕事がうまくいかずに悩んでいるなら、今月は、それを願って一人の友人に信心を教えよう、何遍の唱題に挑戦しようというように、悩みを広宣流布の活動のバネにしていくことが大事ではないかと思います。
 広宣流布のために働き、祈るならば、必ず功徳があります。したがって、一つ一つの活動に自分の悩みをかけて、幸福へのステップとしていくことです。個人としての活動の意味が明確になれば、張り合いも生まれ、力も出ます。私たちは、全員が幸福という確かな道を、堂々と歩んでまいりましょう」

 新・人間革命 2巻 錬磨 


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2019年5月4日

第1605回

最も身近なことを、的確に行うのが、
仏法者の生き方だ

 

<創価学会母の日を祝う>

 

 我らの五月三日は、「創価学会母の日」である。
 『母の恩の深き事大海還つて浅し』(上野殿御消息、1527頁)――
 自分を支えてくれている尊き母、また地域の婦人部の方々に、心からの感謝を伝えてもらいたい。
 日蓮大聖人は、『唯我一人のみ成仏するに非ず父母もまた即身成仏せん此れ第一の孝養なり』(始聞仏乗義、984頁)と仰せである。
 最も身近なことを、最も的確に行うのが、仏法者の生き方だ。
 周囲の支えがあるからこそ、充実と成長の青春を歩みゆけることを、決して忘れまい。
 心を込めた聡明な言葉で、皆が朗らかになる、和楽を広げる報恩と孝養の人たれ。

 

創価新法2019年5月1日号 青春勝利の大道


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2019年3月17日

第1586回
父母の恩に報いよ!
されば、無限の勇気が。

 

<ナポレオン曰く、

「わたしのなしえたすべては、母のおかげだ」>

 

 第一に、「父母を胸に! 挑戦と前進の走者たれ」と申し上げたい。
 今年は、フランスの英雄・ナポレオンの生誕250年です。
 いかなる困難にも「前進、また前進」と叫んで新時代を切り開いた、この英雄が残した「歴史の教訓」をめぐって、私は子孫であるナポレオン家の当主シャルル・ナポレオン公と対談集を発刊しました。
 ナポレオンは若き日から、何があっても、自分を卑下したり、あきらめたりしない「負けじ魂」に燃えていました。「数々の逆運に遭っても私の魂は大理石のように堅かった。雷も私の魂には歯が立たず、私の魂の上を滑ってゆかなければならなかった」(オクターヴ・オブリ編『ナポレオン言行録』大塚幸男訳、岩波文庫)と言い切っております。
 だからこそ、その生涯は後世の人々を「勇気があれば、道はいつでも拓ける」(『エマソン選集6 代表的人間像』酒本雅之訳、日本教文社)と励ましてやまないのです。
 このナポレオンの「負けじ魂」を育んだ大きな源は何であったか。それは、気高きお母さんの存在でした。ナポレオン自身、「わたしのなしえたすべては、母のおかげだ」(アラン・ドゥコー著『ナポレオンの母』小宮正弘訳、潮出版社)と感謝をささげています。
 皆さんも晴れの卒業を迎えるまでに、お母さん、お父さんをはじめ、ご家族の方々のどれほどの祈りと応援があったことか。ここで、感謝の大拍手を全員で送りたいと思うけれども、どうだろうか!(大拍手)
 人間は、父母たちの恩を知り、その恩に報いてみせると決心した時、尽きることのない勇気を引き出すことができます。ゆえに、きょうよりまた、素晴らしき父母を心に抱いて、いよいよの学びの挑戦と前進の力走を、自分らしくさっそうと開始していただきたいのであります。

 

2019年3月17日 創価学園卒業式への池田先生のメッセージ


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2018年4月28日

第1502回

『母』を大切にすれば、

世界は平和になり幸福になる!

 

『幼子は母をしらず

 母は幼子をわすれず、

 釈迦仏は母のごとし

 女人は幼子のごとし、

 二人たがひに思へば・

 すべてはなれず』

 (同生同名御書、1114頁)※1

 

 お母さんの愛を忘れてはならない。

 お母さんの苦労を忘れてはならない。

 お母さんの慈顔が心に生きている時、

 人間は決して大きく道を誤ることがない、

 と私は思う。

 

 それと同じく、

 私ども凡夫が

 御本仏の大慈悲を忘れることなく、

 深き感謝の心で生きていく時、

 心には仏界の光が大きく広がっていく。

 そして御本尊の大慈悲につつまれた、

 根本的に安穏と歓喜の人生の

 軌道となっていくのである。

 

 どうか若き皆さんは、

 かけがえのないご両親、

 とくにお母さんを

 大切にしていただきたいと

 重ねて申し上げたい。

 

 『母』の愛は深い。

 『母』の力は偉大である。

 

 そして

 すべての人々が

 『母』を大切にすれば、

 必ずや世界も平和になり、

 幸福になっていくにちがいない。

 

 大白蓮華2018年5月号№823 20頁

2023.9.12整理

※1 追記(2023.9.12)

 上野殿御消息(四徳四恩の事) 建治元年(ʼ75) 54歳 南条時光

(新1852、全1528)

 三世の諸仏の世に出でさせ給いても、皆々四恩を報ぜよと説き、三皇五帝、孔子・老子・顔回等の古の賢人は、四徳を修せよとなり。

 四徳とは、一には父母に孝あるべし、二には主に忠あるべし、三には友に合って礼あるべし、四には劣れるに逢って慈悲あれとなり。 

 一に父母に孝あれとは、たとい親はものに覚えずとも、悪しざまなることを云うとも、いささかも腹も立てず、誤る顔を見せず、親の云うことに一分も違えず、親によき物を与えんと思って、せめてすることなくば、一日に二・三度えみて向かえとなり。(中略)

 一に仏教の四恩とは、一には父母の恩を報ぜよ、二には国主の恩を報ぜよ、三には一切衆生の恩を報ぜよ、四には三宝の恩を報ぜよ。

 一に父母の恩を報ぜよとは、父母の赤白二渧、和合して我が身となる。母の胎内に宿ること二百七十日、九月の間、三十七度、死ぬるほどの苦しみあり。生み落とす時、たえがたしと思い念ずる息、頂より出ずる煙、梵天に至る。さて生み落とされて乳をのむこと一百八十余石、三年が間は父母の膝に遊び、人となりて仏教を信ずれば、まずこの父と母との恩を報ずべし。父の恩の高きこと、須弥山なおひきし。母の恩の深きこと、大海還って浅し。相構えて父母の恩を報ずべし。(中略)

 しかるあいだ、四恩を報ずべきかと思うに、女人をきらわれたるあいだ、母の恩報じがたし。次に、仏、阿含の小乗経を説き給いしこと十二年、これこそ小乗なれば我らが機にしたがうべきかと思えば、男は五戒、女は十戒、法師は二百五十戒、尼は五百戒を持って三千の威儀を具すべしと説きたれば、末代の我らかなうべしともおぼえねば、母の恩報じがたし。いわんや、この経にもきらわれたり。方等・般若、四十余年の経々に皆、女人をきらわれたり。ただ転女成仏経・観経等にすこし女人の得道の経文有りといえども、ただ名のみ有って実なきなり。その上、未顕真実の経なれば、いかんがありけん。四十余年の経々に皆、女人を嫌われたり。また最後に説き給いたる涅槃経にも女人を嫌われたり。

 いずれか四恩を報ずる経有りと尋ぬれば、法華経こそ女人成仏する経なれば、八歳の竜女成仏し、仏の姨母・憍曇弥、耶輸陀羅比丘尼、記別にあずかりぬ。されば、我らが母はただ女人の体にてこそ候え、畜生にもあらず、蛇身にもあらず。八歳の竜女だにも仏になる、いかんぞ、この経の力にて我が母の仏にならざるべき。されば、法華経を持つ人は、父と母との恩を報ずるなり。我が心には報ずると思わねども、この経の力にて報ずるなり。

 しかるあいだ、釈迦・多宝等の十方無量の仏、上行・地涌等の菩薩も、普賢・文殊等の迹化の大士も、舎利弗等の諸大声聞も、大梵天王・日月等の明主諸天も、八部王も十羅刹女等も、日本国中の大小の諸神も、総じて、この法華経を強く信じまいらせて余念なく一筋に信仰する者をば、影の身にそうがごとく守らせ給い候なり。相構えて相構えて、心を翻さず一筋に信じ給うならば、「現世安穏にして、後に善処に生ず」なるべし。

(サイト・マスタ)


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(未掲載)

父母への報恩-2

 

 『父母の恩を報ぜよとは父母の赤白二渧・和合して我が身となる、母の胎内に宿る事・二百七十日・九月の間・三十七度死るほどの苦みあり、生落す時たへがたしと思ひ念ずる息・頂より出づる煙り梵天に至る、さて生落されて乳をのむ事一百八十余石・三年が間は父母の膝に遊び人となりて仏教を信ずれば先づ此の父と母との恩を報ずべし、父の恩の高き事・須弥山猶ひきし・母の恩の深き事大海還つて浅し、相構えて父母の恩を報ずべし』

 

上野殿御消息、1527頁

 


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(未掲載)

父母への報恩-1

 

 『父母の家を出て出家の身となるは必ず父母を・すくはんがためなり、二乗は自身は解脱と・をもえども利他の行かけぬ設い分分の利他ありといえども父母等を永不成仏の道に入るれば・かへりて不知恩の者となる。』

 

開目抄上、192頁

 

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