異体同心

Top↑ End↓

2022年7月6日

第2044回

歴史を変えゆく運動を成就するには

「団結だ!

  

 歴史を変えゆく運動を成就させるために、

 もっとも大事なことは何か。

 アメリカ公民権運動の大指導者キング博士は、

 「運動に参加する人たちを団結させておくことだ

 (『自由への大いなる歩み』雪山慶正訳、岩波新書)

 と述べている。

 

 モンゴルの格言にも、

 「団結した人々は壊されない

 「団結は勝利の源」とある。

 団結こそ力である。

 

 御聖訓には、

 「異体同心なれば万事を成し」(御書1463㌻)仰せである。

 広宣流布の前進においても、

 同志の「異体同心の団結」が極めて重要となる。

 

2005.7.16各部合同協議会

 

Top↑ End↓

2022年6月19日20日

第2030回

異体同心のうるわしい和合の世界は

不思議の中の不思議

 

<現代は末法の世相>

 

 ここで、大東京の先達というべき池上兄弟への御聖訓を拝したい。

 池上宗仲・宗長兄弟は二人、力を合わせて信心を貫いた。そして、悪侶にだまされて信心に反対していた父・康光を、ついに正法に帰依させた。大聖人は、兄弟二人の仲良き団結の姿を「本当に不思議である」と賞讃され、こう述べておられる。

世が末になれば、

 聖人や賢人も、皆、いなくなり、

 ただ『讒言で人をおとしいれようとする人間』や

 『言葉巧みにへつらう人間』

 『表面は和やかだが、陰にまわって人をおとしいれる人間』

 『道理を曲げて我意を通す人間』ばかりが、

 国中に充満するようになると経文に書かれています

 (御書1095㌻、通解)

 

 正義の人がおとしいれられ、

 邪な人間が幅をきかせる

 ――この傾向は、現代に、おいていちだんと深刻である。

 

 大聖人は、続けて、末法の様相を、

 次のように記されている。

たとえば、

 水が少なくなれば池が騒がしく、

 風が吹くと大海の面が静かではないようなものです。

 こうした末法の代になると、

 干ばつや疫病が起こり、

 大雨大風が吹き重なり、

 そのため、

 心の広い人も狭くなり、

 真実の道を求める心のある人も

 邪見の者となってしまうのだと書かれています。

 それゆえに、

 他人とのことはさておいて、

 父母、夫婦、兄弟までが相争い、

 その姿は、

 猟師と鹿と、猫と鼠と、鷹と雉とが

 争うようなものであると経文に見えます

 (同㌻、通解)

 不信や争いが渦巻く。

 時代が乱れ、

 人間らしい心が失われていく

 ――今の社会も、そうである。

 

 こうしたなかにあって、

 わが創価学会の異体同心のうるわしい和合の世界は、

 不思議の中の不思議といってよい。

 だからこそ学会は妬まれる。

 だからこそ魔は、

 この崇高な同志愛、師弟愛を破壊しようとする。

 

 しかし、この尊き和合を崩して、

 善良な人間を苦しめ、

 広宣流布を破壊しようとすることは、

 仏法上の重罪に当たる。

 「破和合僧」の罪である。

 

 この罪を犯せば、

 無間地獄を免れない。

 その苦しみは

詳しく説けば、

 聞いた人は血を吐いて死んでしまう

 (御書447㌻、通解)ほどである。

 すさまじい大苦を、

 間断なく生命に受ける。

 まさに、その厳しき仰せのとおりに、

 広布破壊の反逆者が皆、

 哀れな末路をたどっていることは、

 ご存じのとおりである。

 

2005.6.6 牧口先生生誕記念協議会 

 

Top↑ End↓

2022年6月12日

第2024回

広宣流布の団結は無敵

 

一人立つ人と人との団結>

 

 一人の力は

 小さいかもしれない。

 しかし、

 力を合わせれば、

 一人の力が

 五にも十にも百にもなる。

 足し算ではなく、

 何倍、何十倍という

 掛け算になる。

 

 「異体同心」という

 無敵の団結を

 創り上げてゆく

 肝要は何か。

 それはまず、

 師匠の掲げる

 広宣流布という大理想を

 我が誓いとし、

 師弟共戦の祈りと行動を

 貫くことだ。

 「信心で勝つ!」という

 一点で皆が呼吸を合わせ、

 心のギアをガッチリと

 かみ合わせることだ。

 

 人を頼む心、

 依存の心があれば、

 本当の力は出せない。

 一人立つ人こそが

 真の信仰者であり、

 創価の後継者なのだ。

 そして、

 その一人立つ人と人との

 団結によってのみ、

 広宣流布の大願の実現は

 可能となるのだ。

 

 異体同心の「心」とは、

 「信心」である。

 「広宣流布」という大願に

 心を合わせていくことだ。

 そこに、個々人の

 「宿命転換」の願いも、

 全部、包含される。

 

 「一人くらいは」という

 油断と慢心から、

 破綻が始まる。

 

 一人を大切にし、

 「もう一歩」と

 前進し続ける所は、

 団結もより強固になり、

 それまでの労苦と困難を、

 すべて勝利と福徳に

 変えていくことができる。

 

 異体同心の団結こそが、

 広宣流布の命脈である。

 一家にあっては和楽を!

 人と人の間には友情を!

 地域には信頼と友好を!

 人類社会の中には、

 平和への民衆の連帯を!

 心を合わせて

 仲良く進むのだ。

 団結のあるところに

 勝利があり、幸福がある。

 

2022年6月12日〈池田大作先生 四季の励まし〉 

2021年11月26日

第1800回

呼吸を合わせよ!

 

<互いに補完し合う強き団結を!>

 

 伸一は、ここでも幹部自らの一念の変革を訴えた。勝利の太陽は、わが胸中にあり。臆病という、己心の敵を討て──と。

 さらに、呼吸を合わせることの大切さを強調した。

 「組織の強さは、どこで決まるか。それは団結であり、幹部が呼吸を合わせていくことです。幹部同士の呼吸が合わない組織というのは、一人ひとりに力があっても、その力が拡散してしまうことになります。

 たとえば、会合で支部長が『学会活動をしっかりやって、功徳を受けていきましょう』と指導する。それに対して、隣にいる副支部長が『生活を離れて信心はない。仕事を一生懸命にしよう』と言えば、まとまる話も、まとまらなくなってしまう。

 あるいは、支部長が『わが支部は教学をしっかり勉強していきたい』と言った時に、『実践のない教学は観念です。折伏しなければ意味がない』と支部の婦人部長が言えば、聞いている人は、何をやればよいのかわからなくなってしまう。

 これは呼吸が合わない典型です。どの人の話も学会が指導してきたことではありますが、これでは、指導が〝対立〟して混乱をきたすことになる。

 これは、呼吸を合わせようとしないからです。呼吸が合えば、同じ趣旨の発言をしても、自然に言い方が違ってきます。

 たとえば、支部長が『教学をやりましょう』と言ったら、『そうしましょう。そして、実践の教学ですから、題目を唱え、折伏にも頑張っていきましょう』と言えば、聞いている人も迷うことはない。これは〝対立〟ではなくて、〝補う〟ことになります。

 野球でも、強いチームは巧みな連係プレーができます。一塁手が球を追えば、誰かが代わりに一塁に入っている。これも呼吸です。一塁を守るのは彼の仕事だから、自分には関係ないといって何もしなかったら、試合には勝てない。

 また、ランナーが出て、得点のチャンスとなれば、自分がアウトになっても、送りバントや犠牲フライを打つこともある。大切なのは、自分を中心に考えるのではなく、勝利という目的に向かい、呼吸を合わせていくことです。そこに、自分自身の見事なる成長もある。

 ともかく、今年もまた、鉄の団結をもって、壮大なる凱歌の歴史を開いていこうではありませんか」

 

<新・人間革命> 第3巻 仏法西還 21頁~23頁

2021年11月2日

第1768回

一人立つ「中心者」を守れば、

自分が守られる

 

<仏法の因果の理法>

 

 拍手をする誰もが、沖縄支部の結成の喜びに心を躍らせた。

 伸一は、さらに、言葉を継いだ。

 「支部長については、これまで、蒲田支部の沖縄地区部長として活躍してこられた高見福安さんにお願いしたいと思います。沖縄は、高見さん一人から始まった。道を開いた人がいるから道がある。その功績を考えると、高見さんこそ適任であると思いますが、いかがでしょうか」

 またしても、大きな拍手が渦巻いた。

 「あとの人事は、今夜、これから検討いたしますが、私どもを信頼して、任せていただきたい。

 また、高見支部長を、みんなでしっかりと守っていただきたい。中心者を守れば、やがて、自分が守られます。それが仏法の因果の理法です。陰で幹部になった人の悪口を言ったり、怨嫉をしたりすれば、仏意仏勅の団体を内から壊すことになります。最後は、自分が不幸になります。

 そして、幹部になった人は、私に代わって、温かく皆を包み込むように、面倒をみてあげてください。そうして麗しく、美しい人の輪をつくりあげていくことが、そのまま広布の姿を示すことになります。今後、沖縄支部が発展するかどうかの鍵は、団結にあります

 山本会長の話を聞きながら、高見は目を潤ませた。彼が沖縄に渡ってから、わずか六年で、この慟哭の島に、支部旗が翻るまでになったのだ。

沖縄中の人びとを幸せにしてみせるぞ!

 高見は、ぎゅっと拳を握り締めた。

 彼は、戦時中、大陸で、何度も死ぬような目にあってきた。運転していた自動車が地雷に触れて、車ごと泥水の川に吹き飛ばされたこともあった。ようやく水面に顔を出すと、今度はピストルを乱射された。しかし、幸運にも、九死に一生を得たのである。

 戦争の悲惨さは、いやというほど、自らの体で感じてきた。そして、やって来た基地の島・沖縄では、東西の冷戦という戦争がまだ続いていることを思い知らされた。

 高見は、自分の生涯は、この沖縄の広宣流布のためにあるのだと、今、心の底から感じることができた。

 

<新・人間革命> 第2巻 先駆 64頁~66頁

2021年6月13日

第1720回

異体同心で前へ、前へ!

 

 

 何があろうと、

 恐れることはない。

 いざという時こそ、

 もう一歩、

 強盛なる執念で、

 題目を

 唱え抜いていくことだ。

 大事なのは、

 勇猛精進の 祈りだ。

 師子奮迅の 戦いだ。

 異体同心の 前進である。

  

 自分の「我」に

 固執すればするほど、

 人との溝が深まり、

 世界は狭くなっていく。

 地域の繁栄も、

 広宣流布の伸展も、

 皆が

 進取の意気に燃え、

 広い心で、

 団結していく

 なかにこそある。

  

 ダイナミックな交流は

 新たな創造を生む。

 新たな勢いと

 拡大の力となる。

 自分の持ち場を

 死守しつつ、

 心広々と

 打って出て、

 励まし合い、

 触発し合って、

 共に成長し、

 皆が

 勝利していくのだ。

  

 今、共に

 信心に励んでいるのは、

 決して偶然ではない。

 過去遠遠劫からの

 深い縁に結ばれ、

 一緒に久遠の誓いを

 果たすために

 末法濁世に

 出現したのだ。

 その縁のうえに

 今があることを

 互いに自覚するならば、

 強い絆が育まれ、

 広布への

 大きな

 前進の力が生まれる。

  

 団結は美しい。

 団結は楽しい。

 そして

 団結こそ力だ。

 「異体同心」こそ、

 絶対勝利の法則である。

 

2021年6月13日〈池田大作先生 四季の励まし〉

2016年12月23日

異体同心

 

<当起遠迎 当如敬仏>

 

対話は「善」

拒絶は「悪」

 

 人間の集団だから、“仲が良い”“あまり良くない”とか、相性の面で“好き”“嫌い”があるかもしれない。ある意味で、人間としてそうした感情があることは当然と言える。無理して考える必要はない。
 しかし、好き嫌いにとらわれて仏道修行をおろそかにするのは愚かです。そこに魔がつけ入るすきができてしまう。格好の餌食となってしまいます。
 だから大聖人は同志間で悪口を言い合うことを厳しく戒められている。
 「心に合わないことがあっても

 語り合っていきなさい」(御書1172、通解)、

 「少々の過失は見逃してあげないさい」(御書1176頁、通解)、

 「不本意なことがあっても、見ず、聞かず、言わずで、仲良くしていきなさい」(御書278頁、通解)
 「皆仏」です。相手が仏身ならば、謗ることは仏を謗ることになる。「皆仏」だから、互に尊敬し合うのです。創価学会の組織は「当起遠迎 当如敬仏」(法華経677頁)の精神に満ちあふれていなければならない。
 人を謗る癖がつけば「不断悪念に住して悪道に堕すべし」(御書1382頁)とまで仰せです。だから「仏の如く互に敬う」(御書1383頁)のです。法華経の宝塔品で釈迦と多宝が互に席を分け合ったように、仲良くしなければならない、とも仰せです。
 大事なのは「広宣流布を目指す信心」です。

 必死に広宣流布のために戦っていれば、

 いがみあっている暇などない。

 敵の目の前でいがみ合う愚を、

 大聖人は幾度も戒められている。

 「いっぽうの争い」であり、

 「漁夫の利」であると厳しく教えられています。

 どこまでも、「同じ志」に立って、語り合うことです。
 次元は違うかもしれないが

 「対話」は善です。

 連帯を築き団結を創るからです。

 「拒絶」は悪です。

 分断を招き破壊をもたらすからです。

 まず会うこと、そして話すことです。

 相手と違う面があるのは当然です。

 しかし、話し合えば、

 違いがあっても信頼が芽生える。

 社会にあっても、

 対話は平和の礎であり、

 拒絶は戦争の門です。
 大聖人は、門下につねに対話を勧め、異体同心を勧められている。「他人であっても、心から語り合えば、命をかけて助けてくれる」(御書1132頁、通解)「くれぐれも駿河の人々は皆、同じ心であるようにと伝えてください」(御書1435頁、通解)等々。枚挙にいとまがないほどです。「妙法の同志は、今世でつねに語らい、霊山浄土に行っても、うなづきあって語り合いなさい」(御書900頁、通解)とも言われています。広宣流布をともに戦った同志の絆は永遠だからです。

 
大白蓮華2016年12月号№806 96頁 御書の世界

2015年12月31日

「今から」

「自分から」

「わが地域から」

 

<大目的に向って異体同心のスクラムで>

 

 戸田先生は師子吼された。
 「広宣流布という大目的のために、一人一人が自分の力を最大に発揮していけば、おのずから深い団結がなされていく。
 そうすれば、この世で恐れるものは何もない」
 妙法は、三世にわたる永遠の生命の上から、自らを人間革命し、人々も救うことができる。
 故人への追善もできるし、子孫をも繁栄させていける。さらに、社会も、世界も、希望へ、幸福へ、人間主義の方向へと大きく動かしていけるのだ。
 本因妙の仏法である。

 「今から」「自分から」「わが地域から」

 友情の語らいをいよいよ広げよう。
 創価家族はどこまでも、異体同心で、一切の根幹である信心を深め、大歓喜のスクラムを拡大しながら、仲良く、朗らかに、痛快なる新年のスタートを切ろうではないか!

 

2015年12月29日付聖教新聞 新時代を駆ける 39=完

 

2014年12月19日

団結すれば

何でも勝てる!

 

 『総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か、剰え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し』(生死一大事血脈抄、1337頁)
 一切が、御本尊を根本とする団結です。ただ題目を唱えているだけでは、理です。団結しないことは謗法です。
 一生成仏は自転であり、広宣流布は公転です。自転と公転がなければ、宇宙のリズムになりません。
 私たちは幸せにも、この御書にきちっと当てはまった信心、前進をしております。功徳を受けられない訳がない。一生成仏もできない訳がない。団結するならば、どんなことにも勝っていける。
 この決心で進んでいきましょう!」


大白蓮華No.781号2014.12月号18頁

 

2014年3月19日

 破壊は一瞬、

建設は死闘

 

 仏道修行はつねに障魔との戦いです。絶えず悪縁・悪知識のなかで修行をしていかなければならない。
 たとえば、山林に籠って、そうした悪縁・悪知識を遮断しながら修行する生き方もあるかもしれないが、現代人の日常生活のなかで仏道修行をするには、如蓮華在水とあるように、悪縁のなかで人間として光り輝いていくなかにしか、凡夫の成仏の道はない。
 だからどうしても善知識の集団が仏道修行の成就のためには不可欠となる。
 いわんや、末法の修行というのは、そうした一般論の範囲では収まらない。(中略)
 だから異体同心が重要になってくる。「悪は多けれど一善にかつ事なし」(御書1463頁)です。
 悪の連合軍に勝つためには善人が強くならねばならない。団結していかなければならない。善人が勝たなければ悪人の天下です。
 民衆の幸福のため、平和の安定のために、悪と戦う善人の組織が結成されることは末法に善を拡大するための当然の帰結です。
 魔性の本質は、善人の集いの分断です。悪人は、容易に結集していく。つねにそれとの戦いであることを忘れてはならない。
 (悪人が団結しやすいのは)低い窪地に水たまりができるようなものです。低い目的観だから、すぐ野心や利害で結びつく。野合する。
 崇高な目的観に基づいた団結が、いかに重要であるか。大切な広宣流布の組織を絶対に壊されてはならない。破壊は一瞬、建設は死闘です。

 

御書の世界(上) 第六章 異体同心

2014年2月2日

団結第一でいけ!

 

 恩師・戸田城聖先生は、金剛不壊なる民衆の組織を築き、一切の戦いに勝利しゆくために、繰り返し私たち弟子に教えられた。
 「団結第一でいけ!」
 それは、「異体同心なれば万事を成し」(御書1463頁)との、大聖人の御指南通りの大行進であった。
 この正道を貫いてきたからこそ、創価学会は一切の嵐を越えて世界的な発展を遂げることができたのだ。
 人類史を見れば、何と多くの内紛、内戦等が渦巻いていることか。
 「立正安国論」で喝破された「自界叛逆の難」の様相と見ることもできよう。
 この悲劇の流転の中で、我ら創価の民衆の大スクラムは、奇跡の中の奇跡といっても過言ではあるまい。
 異体同心の団結こそが、広宣流布の命脈である。
 一家にあっては和楽を!
 人と人の間には友情を!
 地域には信頼と友好を!
 人類社会の中には、平和への民衆の連帯を!
 心を合わせて仲良く進むのだ。団結あるところに勝利があり、幸福がある。

 

2014.1.29聖教新聞 民衆凱歌の大行進[1]「師弟の道」一筋に

2014年1月10日

世界で、ただ一つの

模範の「和合僧」の世界


 大聖人は、仲良く、尊敬しあって、異体同心でいきなさいと繰り返し仰せである。そこに初めて仏天の加護があると。
 全同志が皆、尊き仏さまの子どもなのだ。皆、平等なのだ。生命は皆、尊厳なのだ――そのように、深く受けとめていきなさいと大聖人は仰せである。
 仏子である皆さまに、私はいつも最敬礼する思いで接してきた。
 創価学会、SGIは、世界で、ただ一つの模範の「和合僧」の世界である。妙法の和合僧を破ることは、仏法上、もっとも罪が重い。日顕宗は広宣流布の和合僧を破った。ゆえに永久に堕地獄である。
 広宣流布のうるわしい連帯を、断じて破ってはならない。恩師は「戸田の命より大事な学会の組織」と言われた。その組織をバカにしたり、利用したり、破壊したりしようとする人間は、最後は必ず地獄の苦悩の人生となってしまう。

 

2000.4.25 5・3「創価学会の日」記念第45回本部幹部会、他 

2013年12月28日

和合僧をどこまでも大切に!

 
  同じ題目を唱えても、法華経の心に背くか否かで、結果は大きく違ってしまう。
 「法華経の心に背く」――。すなわち、「法が中心」ではなく「自分が中心」になって、「権力の魔性」にとらわれて、堕ちていったのが日顕宗である。

 仏法で説かれる「五逆罪」のなかで、もっとも重い罪は何か。
 それは「破和合僧」である。すなわち、父母を殺したり、阿羅漢(小乗の悟りを得た聖者)を殺すことよりも、仏の身から血を出だすことよりも、さらに重い罪が「和合僧を破ること」なのである。
 仏勅の広宣流布の団体である創価学会の組織を破り、団結を破ることが、どれほど重い罪になることか。
 極善に反対すれば極悪になる。末路は、あまりにも悲惨である。「団結せよ」と厳しく言うのは、そのためである。
 仏典に、こんな説話がある。(『ブッダ 悪魔との対話』中村元訳、岩波文庫。)
 ある時、一人の弟子(コーカーリカ)が釈尊のもとに来て、舎利弗と目連の悪口を言いたてた。
 「尊いお方さま!舎利弗と目連は、悪い欲望を起こしています。悪い欲望に支配されています」
 釈尊は答えた。
 「まあ、そう言うな。そのように言うな。舎利弗と目連に対して、浄らかな信仰心を起こせ。舎利弗と目連とは温良である」
 しかし彼は、師匠である釈尊の言葉を素直に聞こうとしなかった。釈尊に口ごたえして、同じ悪口を言いたてた。釈尊は、同じ言葉で答えた。
 さらに、もう一度、彼は悪口を繰り返した。それでも、釈尊の答えは変わらなかった。
 釈尊の思いは、どこにあったのか。「どこまでも大きな心で、同志を信頼していきなさい」「同志はたがいに守りあい、団結していきなさい」。そういう厳しい戒めであったといえよう。
 同志は皆、兄弟である。皆、家族である。団結第一で進みたい。
 全員が、ともに戦い、ともに勝利し、わが人生を最高に楽しみながら、生きて生きて生きぬいていただきたい。 

 

2000.5.19韓日友好代表者会議

2013年6月9日

 物事の成就は心一つにあり

 御書に「一つ心なれば必ず事を成ず」(御書1463頁)――心を一つに合わせれば必ず物事を成就できる――と記されている。
 物事を成し遂げるために大事なのは、人数ではない。役職や立場でもない。心を一つに合わせられるかどうかである。心を一つにするとき、そこに、確かな未来の建設への“核”が生まれる。
 物事が成就しないのは、異体同心の心がないからである。とくに幹部が“自分は偉い”“私はこうなのだ”と思って、他の人と心を合わせていこうとしないのは、自分の“わがまま”にとらわれた姿である。それは、自分の利害のために組織を利用する心になりかねない。妙法の世界では、そのような生き方は絶対あってはならない。
 その意味で、壮年部と婦人部と青年部が、皆で尊敬しあい、信頼しあって進んでいただきたい。(中略)
 どこまでも、おたがいが尊敬しあい、信頼しあっていただきたい。そして、“一緒にやりましょう。一緒に進みましょう”という、うるわしい励ましあいと、心を一つにした連帯があるところに、福徳に満ちた人生と広布の世界が幾重にも広がっていくことを確信していただきたい。
 
1989.10.4第10回SGI総会 

2013年5月18日

 団結の鍵は何か
 
 それは、一見、矛盾するようであるが、
 自らが「一人立つ」ことである。
 自分が真剣に祈り、強くなることだ。
 「誰かがやるだろう」と、
 安易に考えている限り、
 どこまでいっても、
 真の団結を築くことはできない。
 
大白蓮華No.760 2013.4月号10頁 

2013年1月22日

怨嫉の根源

 

 なぜ、
 御本尊様を持った人同士が、
 時には幹部同士が、
 怨嫉し合うことが生ずるのか。
 大聖人は、
 『十四誹謗も不信を以て体と為せり』(御書97頁)
 と御指摘になっている。
 皆が仏の使いであり、
 地涌の菩薩であることや、
 生命の因果の理法など、
 妙法を信じることができないところに、
 その根本的な要因があるのだ。

 

小説 新・人間革命 26巻 法旗 31

2024.3.31整理

2012年12月28日

独りぼっちになるな!

 

「幸福を築いていくには、学会の組織のなかで、同志と共に生き抜いていくことです。学会は、現代の和合僧団です。

 一人立つことは大事です。誰かがやってくれるだろうという心では、広宣流布の道は切り開けないからです。しかし、独りぼっちになってはいけません。御書には、『甲斐無き者なれども・たすくる者強ければたうれず、すこし健の者も独なれば悪しきみちには・たうれぬ』(一四六八頁)とあります。信心の成長は、善知識となる先輩、同志とスクラムを組み、互いに触発し合っていく団結の輪のなかにあることを、忘れないでください。

 また、自分を、家庭を大切にしていってください。信心も、広宣流布も、家庭の姿のなかに集約されてしまうものだからです。

 

小説 新・人間革命 26巻 法旗 20

2012年11月14日15日

蘭室の友

 

 すなわち、香り高い蘭の花のある部屋に入ると、その人まで香しく感化される。それと同じように、よき友との交流によって、正しき哲学と貢献の行動に目覚めることができる。(中略)皆、同じ乱世を生きる仲間である。心の垣根をつくらず、胸襟を開いて、気さくに対話していくことが、どれほど大切か。

 

大白蓮華No.755 2012.11月号巻頭言

2012年7月22日

異体同心の同心

 

「私は戸田先生が、火の中に行くならば火の中に行く。左へ行けば、左に行く。戸田先生が、どんな悪口を言われようが、人が何と言おうが、私は付いて行くと決めた。

 異体同心の同心とは、どこまでも付いていくということです。言葉で言えば簡単だが、心の奥底で覚知できたなら大変なことだ。戸田先生と異体同心なら、戸田先生と同じ力が出るのだ。もったいなくも、御本尊と同心となれば、御本尊と同じ力が出るのだ。本当に決意すれば、私と同じ力がでるんだよ」

 

大白蓮華 №748 2012.4月号 16頁

世界広布新時代

創立100周年へ

2030年 

 

世界青年学会

開幕の年

(2024年)

2013.11.18

広宣流布大誓堂落慶

更新日

2024.4.24

第2298回

 

日天月天ワンショット

日めくり人間革命URL