追善回向

2021年12月17日

第1830回

全宇宙に届く題目の光明

 

<自分が仏になってこそ救える>

 

 日蓮大聖人は、「御義口伝」に仰せである。

 「今、日蓮とその弟子たちが、亡くなられた聖霊を追善し、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱えるとき、題目の光が無間地獄にまで至って、即身成仏させる。廻向の文は、ここから事起こるのである」(御書712㌻、通解)

 題目の力は、計り知れないほど大きい。

 私たちが唱える題目の″光明″は、

 全宇宙のすみずみにまで届き、

 無間地獄の境涯で苦しむ衆生をも照らし、

 即身成仏させていくのである。

 

 「さじき女房御返事」には、「この功徳は、あなたの父母や祖父母、さらに無量無辺の衆生にも及んでいくでしょう」(御書1231㌻、通解)と仰せである。

 広布に生きる信心の偉大な功徳は、

 亡くなった人や、

 子孫末代にまでも伝わっていく。

 

 真の追善は、

 妙法によるしかない。

 妙法の功力は、

 今世だけでなく、

 三世にわたって人々を救いきっていくからである。

 

 日蓮大聖人の門下に、浄蓮房という人がいる。

 その父親は、念仏の信仰者として亡くなった。

 この浄蓮房に対して、

 大聖人は、

 「父母の遺した体は子の色心である。今、浄蓮上人が法華経を持たれた功徳は慈父の功徳となる」(御書1434㌻、通解)と仰せである。

 信心をしなかった親であっても、

 子である自分が妙法を受持すれば、

 その功徳は親の功徳ともなる。

 私たちが、今こうやって生きているのは父母のおかげである。

 この体は、父母から授かったものである。

 自分自身の成仏は、

 父母の成仏につながっていくのだ。

 

 過去がどうかではない。

 「今」で決まる。

 先祖がどうかではない。

 「自分」がどうかで決まる。

 目覚めた「一人」が、

 太陽となって、

 一家、一族を妙法の光で照らしていけばよいのである。

 「自身が仏に成らなくては、父母さえ救うことはむずかしい。ましてや、他人を救うことなどできない」(御書1429㌻、通解)との御聖訓を深く銘記したい。

2006年3月21日春季彼岸勤行法要

2015年2月18日

題目の光は

信心に全く無縁な先祖も

「抜苦与楽」していく


 題目の光は、全宇宙にとどく。
 大聖人は、法華経序品の下至阿鼻地獄げしあびじごく(開結125頁)の文について「御義口伝」で、こう仰せである。

 「今日蓮等の類い
  聖霊を訪う時
  法華経を読誦し
  南無妙法蓮華経と唱え奉る時
  題目の光無間に至りて
  即身成仏せしむ、
  廻向えこうの文此れより事起るなり
  (御書712頁)

 ――いま日蓮大聖人およびその門下が、亡くなった人に対して、御本尊を信じて法華経を読誦し唱題して追善するとき、題目の光が無間地獄に至って、即身成仏させることができる。回向の原理は、ここから起こったのである――と。

 妙法の力は、
 生前、信心に全く無縁であった
 先祖であっても
 同様に救っていくことができる。
 「法華不信の人は
  堕在無間なれども、
  題目の光を以て
  孝子法華の行者として訪わんに
  に此の義に替わる可しや
  (御書712頁)と。

 ――法華不信の人は、無間地獄に堕(お)ちて苦しまなければならない。けれども、孝行の子供が妙法受持の信仰者として題目の光を送って供養していくならば、同じく回向の原理で「抜苦与楽ばっくよらく」できるのである、と。

 沖縄の地には、ある意味で、
 どの地よりも、
 苦しみぬいて亡くなった方々が多いといえる。
 生命は永遠である。
 その方々の死後の生命を
 断じて救ってあげなければならない。

 皆さま方が
 その方々のことを胸に浮かべて
 御本尊に唱題する時、
 「くう」の状態のまま
 苦悩する生命の地獄の「苦」を、
 どんどん抜いていける。
 そして、仏界の慈光であるゆえに、
 限りなく「楽」を与えていくことができる。

 その慈悲の回向は、
 題目による以外に絶対にない。
 私も祈る。
 皆さま方も祈ってあげていただきたい。
 沖縄の地に眠る、
 そうしたすべての方々を
 「抜苦与楽」していくことによって、
 この国土の福運をも増してゆく。
 いかなる国土も、
 妙法の光で包み込み、
 仏国土へと変えていける。
 これが法華経の「三変土田さんぺんどでん」に通ずる法理である。
 国土の宿命をも転換しゆく、
 この真実の平和と繁栄の大原理は、
 他の政治や科学や経済等の形而下けいじかの次元にはない。
 ただ妙法による以外にない。

 

1988. 2.18 沖縄広布35周年開幕記念総会

 

2014年8月11日

追善回向に

「逆即是順」の法理あり

   
   「私どもの生命は永遠であり、

  今世から来世、

  来世からさらに次の世へと生まれていく。

  そして、

  今世の所業によって

  次生以後の果報、

  すなわち報いが決定されていく

  と説かれています。

  つまり、無始無終に連続する

  生命活動にも、

  厳然と因果の理法が存するのであります。


  今世において、

  御本尊を受持し抜き、

  強盛に信心を貫いた場合には、

  それが因となって来世の

  成仏が約束される。

  反対に、

  正法を誹謗した場合は、

  来世に無間地獄に堕ちる因

  をつくっていると説かれているんです。

  したがって、

  今世において、

  人びとの幸福を願い、

  広宣流布の使命に生き抜いていくならば、

  どんなに辛く苦しい思いをしようが、

  たとえば、

  大弾圧の果てに命を奪われようが、

  来世の成仏は間違いありません」


 三世の生命という法理を知ることから、

 正しい価値観も、人生観も、

 そして、真実のモラルも確立されるのである。


 伸一は、さらに

 『人のをやは悪人なれども

  子・善人なれば・

  をやの罪ゆるす事あり、

  又子悪人なれども

  親善人なれば

  子の罪ゆるさるる事あり

  (光日房御書、926頁、編868頁)の御文を引き、

 追善回向について語っていった。


 「親子、家族の絆は強い。

  成仏のためには、

  生前の故人の信心が

  最大の要件であることは当然ですが、

  残された子どもなど、

  家族が真剣に題目を送ることによって、

  故人を成仏に導くことができます。

  他界したあとは、

  回向される側の成仏・不成仏は、

  回向する側の信心のいかんにかかってきます。

  したがって、

  ご遺族など、

  回向する方々が、

  強盛に信心に励んでいくことが、大事なんです」


 次いで伸一は、仏法で説く、

 「逆即是順」(逆即ちこれ順なり)の法理に言及していった。

 「逆」とは逆縁、

 すなわち、

 仏の教えを聞いて正法を誹謗することであり、

 「順」とは順縁を意味し、

 仏の教えを聞いて素直に信心することをいう。
 「逆即是順」とは、

 一切衆生は仏性を具えているがゆえに、

 たとえ正法を誹謗した人であったとしても、

 正法に縁したことが因となって、

 必ず成仏できることを説いたものである。


 「ゆえに、

  南無妙法蓮華経という

  大法をもって回向するならば、

  物故者の生命が

  悪業をはらんでいたとしても、

  悪は即善と顕れ、

  成仏させることができるのであります。

  しかも、この題目の回向によって、

  自分自身にも福運と威光勢力が具わっていきます。

  そこに、私どもの追善の深い意義があります」


  小説 新・人間革命 25巻 共戦 242頁

世界広布新時代

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