広布史(月別)

〈10月〉

 

 ◎10・1「学術部の日」50周年

 1972年(昭和47年)10月1日発行の「大白蓮華」誌上での、池田大作先生のてい談「生命論」(後に『生命を語る』として出版)の連載開始が淵源。本年で50周年を迎える。

  

 ◎10・2「世界平和の日」

 1960年(昭和35年)10月2日、恩師・戸田城聖先生の構想実現のため、池田先生が初の海外訪問へ出発。北・南米へ世界広布の第一歩が踏み出された。その日が、後に「世界平和の日」に。

 ※参考資料=小説『新・人間革命』第1巻「旭日」、第24巻「母の詩」

  

 ◎10・5 池田先生の欧州初訪問

 1961年(昭和36年)10月5日、池田先生が欧州を初訪問。9カ国を回る平和旅で、欧州広布の礎が築かれた。

 ※参考資料=『新・人間革命』第4巻「大光」

  

 ◎10・7「勝利島部の日」

 1978年(昭和53年)10月7日、約120の島の友が集った離島本部(当時)の第1回総会を記念して、「離島部の日」が制定。後に「勝利島部の日」となった。※参考資料=『新・人間革命』第28巻「勝利島」

 

 ◎10・8「中国・師弟原点の日」

 1956年(昭和31年)10月8日、青年部の室長だった池田先生は岡山を初訪問し、中国方面に広宣流布の第一歩をしるした。

  

 ◎10・9「山口開拓指導」開始の日

 1956年(昭和31年)10月9日、池田先生は山口へ。戸田先生の命を受け、山口開拓指導が始まる。翌年1月までの計22日間で、当時の山口の会員世帯数を約10倍に拡大する弘教を達成した。

 ※参考資料=『人間革命』第11巻「転機」

 

 ◎10・18「民音創立記念日」

 1963年(昭和38年)10月18日に行われた、民主音楽協会(民音)による初の記念演奏会に由来する。

 ※参考資料=『新・人間革命』第8巻「清流」

  

 ◎10・24「社会部の日」

 1973年(昭和48年)10月24日、職場・職域を同じくする同志が、自身を磨き、互いの成長を図ることを目的に結成された。

 ※参考資料=『新・人間革命』第24巻「灯台」

  

 ◎10・30「クーデンホーフ=カレルギー伯爵との初会談」55周年

 1967年(昭和42年)10月30日、池田先生は“欧州統合の父”クーデンホーフ=カレルギー伯爵と東京・信濃町で初の会談を。本年が55周年。

 

2022年9月24日

〈9月〉

 

 ◎9・8「原水爆禁止宣言の日」

 1957年(昭和32年)9月8日、第2代会長の戸田城聖先生は、横浜・三ツ沢の競技場で「原水爆禁止宣言」を発表。本年で65周年となる。“核兵器は絶対悪である”との思想を全世界に広めゆくことを、遺訓の第一として後継の青年に託した。創価学会はこの宣言を平和運動の原点とし、核兵器廃絶への展示・講演会、署名運動や被爆・戦争体験集の出版等、人々の意識を啓発する活動を世界各地で続けてきた。※参考資料=小説『人間革命』第12巻「宣言」、『新・人間革命』第7巻「文化の華」「操舵」

 

 ◎9・8「日中国交正常化提言」発表の日

 1968年(昭和43年)9月8日、第11回学生部総会の席上、池田大作先生は「日中国交正常化提言」を発表。“アジアの繁栄と世界平和のため、その最も重要な要”として、日本と中国の関係改善を訴えた。また本年は1972年(同47年)9月29日の日中国交正常化から50周年の節目。※参考資料=『新・人間革命』第13巻「金の橋」、第20巻「友誼の道」

 

 ◎9・8 小説『新・人間革命』の新聞連載完結の日

 2018年(平成30年)9月8日、本紙で25年に及んだ『新・人間革命』の連載が完結。新聞の連載回数は、日本一の6469回(全30巻)を数えた。

 

 ◎9・9「女子学生部の日」

 1975年(昭和50年)9月9日、池田先生の女子部学生局(当時)の集いへの出席が淵源。※参考資料=『新・人間革命』第22巻「波濤」

 

 ◎9・9「北海道の日」

 1973年(昭和48年)9月9日、池田先生が出席して行われた第1回北海道青年部総会が淵源。席上、池田先生は“学会健児の手で、この地を世界一の理想郷に”と訴えた。

 

 ◎9・12「教学部の日」

 1976年(昭和51年)制定。1271年(文永8年)9月12日、日蓮大聖人が「竜の口の法難」に遭われ、発迹顕本を遂げられたことに由来する。

 

 ◎9・15「ドクター部の日」

 1975年(昭和50年)9月15日、池田先生がドクター部の総会に出席。後に、この日が「ドクター部の日」となった。※参考資料=『新・人間革命』第22巻「命宝」

 

 ◎9・23「少年少女部結成記念日」

 1965年(昭和40年)9月23日、池田先生の提案で結成された。※参考資料=『新・人間革命』第9巻「鳳雛」

 

 ◎9・25「牧口先生と戸田先生の最後の対面」

 1943年(昭和18年)の9月25日は、軍部政府からの弾圧で囚われた牧口先生が、警視庁から巣鴨の東京拘置所に移送された日であり、牧口先生と戸田先生が、今生の最後の対面を刻まれた日である。

 

〈8月〉

 

 ◎8・6 小説『新・人間革命』の起稿・脱稿の日

 8月6日は、池田大作先生が小説『新・人間革命』を起稿(1993年)し、脱稿(2018年)した日。同小説は海外13言語に翻訳され、24カ国・地域で出版されている。起稿・脱稿とも長野研修道場で行われ、8月6日は「信越師弟誓願の日」に定められている。

 

 ◎8・8 荒川「夏季ブロック指導」

 ブロックの充実を図るため、1957年(昭和32年)8月8日から14日の1週間、「夏季ブロック指導」が行われることになったのである。先生は、荒川区の最高責任者に就いた。

 

 ◎8・12「教育原点の日」

 1975年(昭和50年)8月12日、池田先生が教育部の夏季講習会に出席したことが淵源。教育部が「教育本部」へ拡充された2002年(平成14年)に「教育原点の日」となった。※参考資料=小説『新・人間革命』第24巻「人間教育」

 

 ◎8・14 戸田先生・池田先生の師弟の出会い75周年

 ◎8・14「関東の日」

 ◎8・24 池田先生入信75周年

 1947年(昭和22年)8月14日、当時19歳の池田先生が、東京・蒲田での座談会に出席。生涯の師となる戸田城聖先生と出会い、10日後の8月24日に入信した。本年で75周年となる。“師弟の出会いの日”である8月14日は、2000年(平成12年)8月、「関東の日」に。※参考資料=『人間革命』第2巻「地涌」

 

 ◎8・24「聖教新聞創刊原点の日」

 戸田先生の事業が行き詰まる中、1950年(昭和25年)8月24日、「聖教新聞」創刊の構想を戸田先生と池田先生が語り合った。

 

 ◎8・24「壮年部の日」

 1976年(昭和51年)、池田先生が出席した副会長室会議で、先生の入信記念日である「8・24」が「壮年部の日」と定められた。

 

 ◎8・26「北陸の日」

 1984年(昭和59年)8月26日、池田先生は「第1回北陸平和文化祭」に出席。この日が「北陸の日」に制定された。

 

 ◎8・28 葛飾「広布師弟原点の日」

 葛飾に全国に先駆けて模範のブロックをと、池田先生が初代総ブロック長に就任1957年(昭和32年)8月28日の本部幹部会で、都内各区に総ブロック制を敷く。

 

 ◎8・29「国際部の日」

 1968年(昭和43年)8月29日、池田先生が通訳や翻訳に携わる友を激励したことが淵源。その後、「国際部」が発足し、2002年(平成14年)に「国際本部」へと拡充された。

 

 ◎8・31「学生部の日」

 1962年(昭和37年)8月31日、池田先生が学生部の代表に対し、「御義口伝」の講義を開始。本年で60周年となる。講義は約5年間続き、多くの人材が輩出された。※参考資料=『新・人間革命』第6巻「若鷲」

〈7月〉

 

 ◎7・1「札幌大会」

 ◎7・2「夕張大会」

 65年前の1957年(昭和32年)7月、池田大作先生は学会員の信教の自由を圧迫した北海道・夕張炭労に対し、「札幌大会」(1日)、「夕張大会」(2日)を開催。民衆勝利の大道が開かれた。※参考資料=小説『人間革命』第11巻「波瀾」「夕張」

 

 ◎7・3 戸田先生出獄の日、池田先生入獄の日

 1945年(昭和20年)7月3日、軍部政府により不敬罪、治安維持法違反に問われ、投獄されていた戸田城聖先生が出獄した。また57年(同32年)の7月3日には、参議院大阪地方区の補欠選挙で支援の責任者であった池田先生が、事実無根の選挙違反の容疑で大阪府警に不当逮捕された(62年1月25日に無罪判決)。※参考資料=『人間革命』第1巻「黎明」、第11巻「大阪」、『新・人間革命』第5巻「獅子」

 

 ◎7・3「東北の日」35周年

 35年前の1987年(昭和62年)7月3日、池田先生が出席し、東北最高会議が行われたことが淵源である。

 

 ◎7・6「牧口先生不当逮捕」

 1943年(昭18年)7月6日、牧口常三郎先生、伊豆・下田で、官憲に不当逮捕される。1944年(昭和19年)11月18日73歳で獄死される。

 

 ◎7・8「白蓮グループの日」

 1966年(昭和41年)、池田先生が女子部の役員メンバーに「白蓮グループ」の名称を贈り、同年7月8日付の本紙で発表された。※参考資料=『新・人間革命』第24巻「厳護」

 

 ◎7・11「男子部結成記念日」

 1951年(昭和26年)7月11日、東京・西神田の旧学会本部で戸田先生のもと百数十人が集い、男子部が結成された。※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」

 

 ◎7・12「東京大会」

 ◎7・17「大阪大会」

 1957年(昭和32年)7月3日の池田先生の不当逮捕を受け、同12日に「東京大会」、また先生が出獄した同17日に「大阪大会」が開催された。

 

 ◎7・19「女子部結成記念日」

 女子部は1951年(昭和26年)7月19日、旧学会本部で戸田先生のもと結成された。2021年(令和3年)11月18日、女性部として新出発した。※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」

 

 ◎7・22「鼓笛隊の日」

 1956年(昭和31年)7月22日、33人で鼓笛隊が結成された。※参考資料=『新・人間革命』第14巻「使命」

 

 ◎7・27「中部の日」

 1976年(昭和51年)7月27日、池田先生が中部記念幹部会に出席し、「中部旗」を授与したことが淵源。

〈6月〉

 

 ◎6・4「世界池田華陽会の日」

 2009年(平成21年)6月4日、池田大作先生ご夫妻が東京・信濃町の現・創価池田華陽会館を初訪問し、「池田華陽会 永遠の五指針」を贈った。この日を慶祝して、「世界池田華陽会の日」が制定された。

 

 ◎6・6「初代会長・牧口常三郎先生誕生日」

 1871年(明治4年)6月6日、初代会長の牧口常三郎先生が、現在の新潟県柏崎市荒浜に生まれた。1928年(昭和3年)に日蓮大聖人の仏法に帰依。30年(同5年)11月18日、『創価教育学体系』第1巻を発刊。この日が創価学会(当時は創価教育学会)の創立記念日となった。戦時下、軍部政府による弾圧に抗して信仰を貫き、44年(同19年)11月18日、獄中で73歳の生涯を閉じた。※参考資料=小説『新・人間革命』第2巻「勇舞」、第15巻「開花」

 

 ◎6・7「高等部結成記念日」

 1964年(昭和39年)6月7日、東京の各本部(当時)で高等部結成式が行われた。東京第2本部の男子高等部結成式には池田先生が出席し、参加者と共に勤行を。※参考資料=『新・人間革命』第9巻「鳳雛」

 

 ◎6・10「婦人部結成記念日」

 1951年(昭和26年)6月10日、第2代会長に就任したばかりの戸田城聖先生のもとに、婦人の代表52人が集い、結成された。戸田先生は席上、「白ゆりの/香りも高き/集いかな/心の清き/友どちなれば」との和歌を詠み贈った。昨年の5月3日、70年の歴史を昇華し、婦人部が女性部として新出発した。※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」

 

 ◎6・25「団地部の日」

 1978年(昭和53年)6月25日、団地部の第1回全国大会が開催。これを記念して、「団地部の日」に定められた。※参考資料=『新・人間革命』第24巻「灯台」

 

 ◎6・27「未来会の日」

 1970年(昭和45年)6月27日、現・神奈川研修道場に高等部・中等部・少年少女部の代表が集い、東京未来会第1期が結成。以後、全国に未来会が誕生していった。※参考資料=『新・人間革命』第14巻「大河」

 

 ◎6・30「学生部」結成65周年

 1957年(昭和32年)6月30日、戸田先生のもと、東京で学生部結成大会が行われた。北海道で人権闘争の指揮を執っていた池田先生が祝電を寄せた。本年は結成65周年の節目。※参考資料=『人間革命』第8巻「学徒」、第11巻「夕張」

〈5月〉

 

 ◎5・3「創価学会の日」

 1951年(昭和26年)5月3日、生涯の願業として75万世帯の弘教を掲げ、戸田城聖先生が第2代会長に就任。60年(同35年)5月3日には、32歳の池田大作先生が第3代会長に就き、広布誓願の師子吼を放った。※参考資料=小説『人間革命』第5巻「烈日」、第12巻「新・黎明」

 

 ◎5・3「女性部結成記念日」

 2021年(令和3年)5月3日、婦人部・女子部の70年の歴史を昇華して、女性部が発足。池田先生は同部の誕生を祝し、「生命の/世紀の太陽/女性部よ/平和の門を/開き照らせや」との和歌を贈った。

 

 ◎5・3「創価学会母の日」

 1988年(昭和63年)4月27日の全国婦人部幹部会で池田先生が5月3日を「創価学会母の日」にと提案。同年から実施された。

 

 ◎5・3 SUA開学

 2001年(平成13年)5月3日、米カリフォルニア州オレンジ郡にアメリカ創価大学(SUA)が開学。※参考資料=『新・人間革命』第15巻「創価大学」

 

 ◎5・5「創価学会後継者の日」

 1976年(昭和51年)5月5日、関西戸田記念講堂で行われた鳳雛会・未来部の記念勤行会の席上、「こどもの日」を「創価学会後継者の日」とすることが発表された。

 

 ◎5・5 トインビー博士との初対談から50周年

 50年前の1972年(昭和47年)5月5日、池田先生は歴史学者A・J・トインビー博士と、ロンドンの博士の自宅で初めて対談。翌年にも語り合い、対談集『21世紀への対話』(邦題)に結実した。これまでに世界31言語で出版。※参考資料=『新・人間革命』第16巻「対話」

 

 ◎5・9「音楽隊の日」

 1954年(昭和29年)5月6日に結成された音楽隊が初出動した同月9日が淵源。

 

 ◎5・19「創価学会常住御本尊記念日」

 戸田先生が1951年(昭和26年)5月3日の会長就任式の席上、創価学会常住御本尊を発願。同月19日に、したためられた。※参考資料=『人間革命』第5巻「烈日」「随喜」

 

 ◎5・30 池田先生の初訪中

 1974年(昭和49年)5月30日、池田先生は中日友好協会の招聘を受けて中国を初訪問。※参考資料=『新・人間革命』第20巻「友誼の道」

 

〈4月〉

 

 ◎4・2「第2代会長・戸田城聖先生命日」

 1958年(昭和33年)4月2日、第2代会長の戸田城聖先生が広布の一切の願業を成就し、58年の尊い生涯を閉じた。戦後の焦土に一人立ち、初代会長の牧口常三郎先生の遺志を継いで、学会の再建と75万世帯の折伏を達成した戸田先生。その偉大な足跡は、広布史に不滅の光彩を放っている。※参考資料=小説『人間革命』第12巻「寂光」「新・黎明」、『新・人間革命』第4巻「春嵐」

 

 ◎4・2「創価大学開学の日」

 1950年(昭和25年)11月、戸田先生は自らの会社が経営不振に陥るなどの窮地にあったが、池田大作先生に、創価大学の設立の希望を語り、その実現を託した。池田先生は師の構想の実現に全生命を注ぎ、71年4月2日、創価大学は開学した。※参考資料=『新・人間革命』第15巻「創価大学」

 

 ◎4・2「第2総東京の日」

 幾重にも意義を刻む4月2日は、「第2総東京の日」に定められている。

 

 ◎4・8「関西の日」

 1956年(昭和31年)4月8日に行われた、大阪・堺2支部連合総会が淵源。池田先生の指揮のもと、1万1111世帯の弘教と「まさかが実現」の勝利史を刻む「大阪の戦い」は、ここからさらに勢いを増した。※参考資料=『人間革命』第10巻「跳躍」

 

 ◎4・14第三代会長就任決意の日

 1960年(昭和35年)4月14日、池田先生が創価学会第三代会長就任を決意される。※参考資料=『人間革命』 第12巻 新・黎明 476頁~478頁

 

 ◎4・14第三代会長勇退決意の日 

 1979年(昭和54年)4月14日、池田先生が創価学会第三代会長勇退を決意される。 

 

 ◎4・20「聖教新聞創刊記念日」

 1951年(昭和26年)4月20日、聖教新聞が発行部数5000部、旬刊2ページ建てで創刊。65年7月に日刊化し、71年1月から現在の日刊12ページ建てに。聖教電子版には現在、210カ国・地域からアクセスがあるなど大きく発展した。※参考資料=『新・人間革命』第10巻「言論城」、第14巻「大河」、第18巻「師子吼」

 

 4・24第三代会長勇退の日 

 1979年(昭和54年)4月24日、池田先生が創価学会第三代会長を勇退される。※参考資料=『新・人間革命』 第30巻〔上〕大山 同巻〔下〕勝ち鬨

 

 ◎4・28「立宗の日」

 1253年(建長5年)4月28日、日蓮大聖人が32歳の時、末法の全民衆を救う根本の法である「南無妙法蓮華経」を唱え、立宗宣言した。※参考資料=『人間革命』第6巻「七百年祭」

 

 ◎4・28『日蓮大聖人御書全集』発刊70周年

 1952年(昭和27年)4月28日、戸田先生の発願により『日蓮大聖人御書全集』が発刊され、本年で70周年となる。2021年11月18日には『日蓮大聖人御書全集 新版』が刊行された。※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」、第6巻「七百年祭」

〈3月〉

 

◎3・5「壮年部結成記念日」

 1966年(昭和41年)3月5日、池田大作先生のもと、学会本部に750人の代表が集い、壮年部が結成。席上、先生は“学会精神を根本として、創価の城を支えゆく柱に”“壮年部が大きく成長し、堅固な広宣流布の構えができるならば、わが創価学会は永久に盤石です”と期待を寄せた。※参考資料=小説『新・人間革命』第10巻「桂冠」

 

◎3・8「芸術部の日」60周年

 1962年(昭和37年)3月8日、「文化の世紀」の到来を見据え、池田先生のもと、20人で発足したのが、芸術部の淵源である。本年で60周年。※参考資料=『新・人間革命』第13巻「光城」

 

◎3・11「小樽問答記念日」

 1955年(昭和30年)3月11日、北海道小樽市の公会堂で、創価学会と日蓮宗(身延派)の正邪を決する法論が行われた。青年部の室長だった池田先生が司会を務め、第一声で相手を圧倒。学会側の完全勝利に終わった。※参考資料=『人間革命』第9巻「発端」「小樽問答」

 

◎3・16「広宣流布記念の日」

 1957年(昭和32年)12月、第2代会長・戸田城聖先生の生涯の願業である75万世帯の弘教が達成。翌58年(同33年)3月上旬、戸田先生は池田先生に「将来のために、広宣流布の模擬試験、予行演習となる式典をやろう」と提案した。

 同年3月16日、青年部の精鋭6000人が集い、“広宣流布の記念式典”が開かれた。戸田先生は席上、「創価学会は、宗教界の王者である」と師子吼。広布のバトンを青年に託した。※参考資料=『人間革命』第12巻「後継」

 

◎3・21「九州の日」

 1973年(昭和48年)3月21日、池田先生は第1回九州青年部総会に出席し、“生涯、誠実を貫き、立派に大成して輝かしい人生勝利を”とスピーチした。※参考資料=『新・人間革命』第25巻「薫風」

 

◎3・22「関西青年平和文化祭」40周年

 1982年(昭和57年)3月22日、大阪・長居陸上競技場で第1回関西青年平和文化祭が開催。関西魂を象徴する不屈の六段円塔が打ち立てられた。本年で40周年。※参考資料=『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」

 

◎3・31「教育本部の日」20周年

 20年前の2002年(平成14年)3月31日に、教育本部が発足したことが淵源。※参考資料=『新・人間革命』第24巻「人間教育」

 

〈2月〉

 

◎「二月闘争」70周年

 1952年(昭和27年)2月、24歳の池田大作先生が蒲田支部の支部幹事として指揮を執り、当時の支部の限界を打ち破る「201世帯」の弘教を達成。本年は70周年の節目。最前線の組織単位である「組」(現在のブロック)に焦点を当て、第2代会長・戸田城聖先生の誕生月を拡大の金字塔で荘厳した。※参考資料=小説『人間革命』第5巻「驀進」、『新・人間革命』第3巻「平和の光」

 

◎2・8「沖縄の日」

 1974年(昭和49年)2月8日、池田先生は沖縄広布20周年記念総会に参加。席上、「沖縄を幸福と平和建設の模範の島に」と力強く語った。※参考資料=『新・人間革命』第19巻「虹の舞」

 

◎2・11 戸田先生の生誕の日

 戸田先生は、

 1900年(明治33年)2月11日、現在の石川県加賀市塩屋町で生まれた。苦学して北海道の小学校教員となった後、上京。初代会長・牧口常三郎先生に出会い、牧口先生と共に創価教育学会(現在の創価学会)を創立した。戦後、学会を再建し、51年(昭和26年)5月3日、第2代会長に就任し、75万世帯の弘教達成など、広布の永遠の基盤を築いた。※参考資料=『仏法入門 任用試験のために』『新会員の友のために――創価学会入門』

 

◎2・11「戸田記念国際平和研究所」設立

 1996年(平成8年)2月11日、戸田先生の生誕96周年を記念し、戸田記念国際平和研究所が発足した。

 

◎2・11「国際部結成の日」

 国際部は

 1971年(昭和46年)2月11日、国際舞台で活躍していた代表50人で発足。2002年(平成14年)に国際本部へと発展し、本年で20周年となる。※参考資料=『新・人間革命』第16巻「対話」

 

◎2・16 日蓮大聖人聖誕の日

 1222年(貞応元年)2月16日に、安房小湊の貫名重忠邸に生まれる。幼名善日麿。「生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給わりし事ありき。日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思し食しけん 明星の如くなる大宝珠を給いて右の袖にうけとり候いし故に一切経を見候いしかば八宗並びに一切経の勝劣粗是を知りぬ」(清澄寺大衆中、全893㌻)

 

◎2・17 戸田先生の「地球民族主義」宣言から70周年

 1952年(昭和27年)2月17日に行われた青年部の研究発表会の席上、戸田先生が「地球民族主義」を自身の思想として宣言された。※参考資料=『人間革命』第5巻「驀進」

 

◎2・17「農漁光部の日」

 45年前(2022年1月現在)の

 1977年(昭和52年)2月17日、学会本部で開催された農村部(当時)の第1回勤行会を記念して「部の日」が制定された。同部はその後、農漁村部に発展。2011年(平成23年)に農漁光部となった。※参考資料=『新・人間革命』第24巻「灯台」

〈1月〉

 

1・2 池田先生が男子部の第1部隊長に就任

 1953年(昭和28年)1月2日、25歳の池田先生が男子部の第1部隊長に就任。翌54年3月までに、部員数を当初の4倍近くにまで拡大した。※参考資料=小説『新・人間革命』第17巻「民衆城」

  

1・10~15 雪の秋田指導

 1982年(昭和57年)1月10日からの6日間、池田先生は障魔の嵐に耐えた秋田の友のもとへ。渾身の励ましを送り、正義の勝ち鬨を上げた。2022年で40周年。※参考資料=『新・人間革命』第30巻〈下〉「勝ち鬨」

  

1・14「さんふらわあ7」号で四国の同志が師のもとへ

 1980年(昭和55年)1月14日、第1次宗門事件の渦中、四国4県の代表約800人が客船「さんふらわあ7」号に乗り、池田先生の待つ神奈川へ。同年5月にも2度、訪れている。※参考資料=『新・人間革命』第30巻〈上〉「雌伏」  

  

1・15「中等部結成記念日」

 1965年(昭和40年)1月15日、中等部結成を記念する集いが全国で行われた。※参考資料=『新・人間革命』第9巻「鳳雛」

 

1・25「大阪事件」無罪判決

 1957年(昭和32年)7月3日、池田先生は参院大阪地方区の補欠選挙における事実無根の選挙違反容疑で不当逮捕され、7月17日に出獄。4年半の法廷闘争の末、

 1962年(昭和37年)1月25日、大阪地裁の無罪判決が出た。同年2月8日、検察は控訴を断念し、無罪が確定。2022年で60周年。※参考資料=『新・人間革命』第5巻「獅子」

  

1・26「SGIの日」

 1975年(昭和50年)1月26日、グアムに世界51カ国・地域の代表が集まって開かれた第1回「世界平和会議」で、「SGI(創価学会インタナショナル)」が発足。池田先生はこの日に寄せ、83年から毎年、記念提言を発表している。※参考資料=『新・人間革命』第21巻「SGI」

  

1・27「東洋哲学研究所」発足

 1962年(昭和37年)1月27日、アジア文化等の研究機関として東洋学術研究所(現・東洋哲学研究所)が発足し、2022年で60周年。※参考資料=『新・人間革命』第6巻「宝土」

  

1・29 中東初訪問

 1962年(昭和37年)1月29日、池田先生が初の中東訪問へ出発。同30日、イランのテヘランに第一歩を。2022年で60周年。※参考資料=『新・人間革命』第6巻「宝土」「遠路」

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◎8・28 葛飾「初代総ブロック長」就任

 

勤行・唱題の実践

模範的なブロック

 

 「夜、葛飾ブロックの会合に出席」

 「体当たりで指導」(『若き日の日記』)

 ――1957年(昭和32年)9月25日

 29歳の池田先生は日記にとどめた。

 

 この日、東京・葛飾区の亀有で、総ブロックの結成大会が開催された。葛飾の初代総ブロック長に就任した先生は、自らの誓いをこう語った。

 「私が葛飾に来たのは、ただ任命を受けたからではありません。私はこの葛飾に、全国に先駆けて、模範的なブロックをつくるために来ました

 学会に、地域を基盤としたブロック制が敷かれたのは、55年(同30年)5月のことだった。新入会者が紹介者の組織に所属する「タテ線」に比べ、ブロックの連携は希薄で、毎週水曜日の「ブロックの日」は熱が入らない状況があった。ブロック組織の強化は課題となっていた。

 57年8月、ブロック強化を目的とした「夏季ブロック指導」が行われた。池田先生は、荒川区の最高責任者として指揮を執り、8日から14日の間で、二百数十世帯の弘教を成し遂げた。

 同月28日、本部幹部会が豊島公会堂(当時)で開催された。席上、従来のブロック制を改革し、東京23区に総ブロック制を設置することが発表される。新たな出発を開始する幹部会で、先生は「葛飾総ブロック長」の任命を受けた。

 総ブロック長の先生が、葛飾で呼び掛けたのは、信仰の基本である“勤行の実践”だった。結成大会で訴えた。

 「模範のブロックをつくるには、どうしたらよいか。まず、全会員が、しっかり勤行できるようにすることです

 「宿業の転換といっても、人間革命といっても、その一切の源泉は、勤行・唱題にほかなりません

 葛飾区の中には、先生が住んでいた大田区から2時間近くを要する地域もあった。青年部の室長として全国を東奔西走しながら、勇んで駆け付けた。

 

日本一の幸せあふれるわが地域に

 

戦おう。師の偉大さを、

世界に証明するために。

一直線に進むぞ。断じて戦うぞ。

障魔の怒濤を乗り越えて。

「若き日の日記」1958年(昭和33年)4月29日から

 

 

 

模範の地域建設への実践

 

一、「誓願の祈り」

二、「御書根本」

三、「異体同心の団結」

「随筆 永遠なれ創価の大城」〈「行学の闘士」の誉れ〉から

 

 

 

水曜日の男

 

 「自転車をかり、葛飾のブロックを回る」(『若き日の日記』、1957年10月30日)

 亀有、立石、金町、細田――池田先生は、時には自転車で、また時には同志のトラックに同乗し、訪問・激励や一対一の対話を重ねていった。

 先生は、「私は、皆さんにとっては、『水曜日の男』だね」と、ユーモアを込めて、葛飾の同志に語ったことがある。水曜日の「ブロックの日」を中心に、訪れることが多かったからである。

 葛飾の友にとって、水曜日は恩師の心を体現した池田先生から、広布の要諦を学ぶことができる絶好の機会だった。ある時、先生は葛飾のリーダーと共に個人指導に歩き、訪問・激励の心構えについて次のように語った。

 「もうこの人には二度と会えないかもしれません。ありったけの思いやりで、精いっぱい真心の指導・激励をしましょう。それが仏の使いです

 「指導とは思い切り聞いてあげることです

 

 先生は、“高みから教える”のではなく、“同じ目線”で同苦した。激励に当たって心肝に染めるべき御文として、「十法界明因果抄」の一節を拝した。

 「もし、自分が彼より立派であるという思いに耐え、乗り越えることができなければ、人を下に軽く見て、トンビのように高い所から人を見下げる行動をとってしまう」(新464・全430、趣意)

 自分が偉いと錯覚し、横柄な態度で会員に接することは、すでに仏法者ではないことを訴えたのである。

 

 また、励ましの“スピード”を重視した。ある時、悩みを抱えているメンバーの報告を聞くと、「よし、すぐ行こう」と、自転車に飛び乗った。後日、葛飾の同志が、そのメンバーの家を訪ねると、先生からの手紙が届いていた。皆、先生のこまやかな心配りに胸を熱くした。

 

 「思い切り聞く

 「スピード

 「心配り

 

 ――先生の慈愛の激励を通し、

 葛飾の同志は、“創価の励ましの魂”を身をもって学んだ。

 

 さらに、葛飾の友が、先生の姿から心に刻んだのは、誠実な振る舞いの大切さである。

 個人会場の近隣にある寿司屋から苦情が出たことがあった。会場に多くの同志が集い、騒がしく感じたのである。その報告を聞いた先生は、即座に店主のもとを訪ね、丁寧に事情を説明した。

 1958年(昭和33年)9月26日から27日にかけて、狩野川台風が日本を襲った。この台風によって、都内では30万戸以上が浸水の被害に遭った。葛飾でも多数の浸水家屋が出た。

 台風が近づいていた25日、先生は大阪事件の第8回公判に出廷。26日の帰路、台風で足止めに遭い、列車内で1泊する。27日、帰京すると、疲労の体を押して、葛飾へと向かったのである。

 

 

師弟直結

信心とは無疑曰信

 

 葛飾に到着した池田先生は、長靴に履き替えると、同志と共に中川の土手に足を運んだ。豪雨で足元が緩くなった土手沿いを見回り、土のうを積む人を見掛けると、ねぎらいの言葉を掛けた。

 先生には、学会員も会員でない人も、分け隔てはなかった。地域のために行動する人をたたえた。この行動こそ地域友好を開く要諦――葛飾の友は、先生の実践を模範とした。

 先生が葛飾で総ブロック長として指揮を執ったのは、1957年から59年(同34年)7月の約2年である。

 

 この間、戸田先生の生涯の願業である75万世帯の達成に向けて死力を尽くした。「3・16」の“広宣流布の記念式典”など、恩師の戦いの総仕上げの時にあって、

 先生が葛飾で強調したのは「師弟直結」である。

 「皆さんと戸田先生との間には、なんの隔たりもありません。皆さん方一人ひとりが、その精神においては、本来、先生と直結しているんです

 池田先生の激励によって、葛飾の同志は、師匠・戸田先生に心を合わせ、自発能動の挑戦に奮い立っていった。

 58年(同33年)4月2日に恩師が逝去し、先生は同年6月から、総務として学会の舵取りを担った。

 激闘に次ぐ激闘の中、先生は葛飾に模範のブロック組織を築いていった。

 「葛飾のブロックに出席」

 「『佐渡御書』を講義」(同、58年5月28日)

 「夜、葛飾のブロックに出席」

 「『星落秋風五丈原』を歌いながら帰宅」(同、同年7月23日)

 

 59年7月に葛飾総ブロック長の役職を離れた後も、先生は葛飾の友を見守り続けた。その深い慈愛に包まれた葛飾は、地域広布の水かさを増し、60年(同35年)12月、3総ブロックへと発展した。

 先生は葛飾の青年たちに、大切な指針を残している。

 一つは、「無疑曰信」(疑い無きを信と曰う)。

 ある時、先生は男子部員に、「信心とは何ですか?」と質問した。「勝つことです」と答えるメンバーに、「間違いではないが」と前置きし、「信心とは無疑曰信です」と語った。

 もう一つは、扇子に揮毫した「断は確信に通ず」との言葉である。

 どんな困難が競い起こっても、広布の戦いをやり抜くとの決断。それこそが、自らの境涯を開き、人間革命を成し遂げる原動力である。

 今月、先生の葛飾総ブロック長就任から65周年の佳節を刻む。葛飾総ブロック結成大会で、先生は「この葛飾を、皆で力を合わせ、東京一、いな、日本一の、幸せあふれる地域に」と望んだ。その呼び掛けをわが誓願として、葛飾の同志は使命の天地を駆ける。

 葛飾は、先生が手作りで育んだ広布の天地――との誇りに燃えて。

 

2022年8月25日

〈君も立て 若き日の挑戦に学ぶ〉

第20回 葛飾総ブロック長 

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◎8・24 池田先生入信75周年

 1947年(昭和22年)8月14日

 

2022年8月24日

〈世界広布の源流 青年に語る創価の魂〉

第1回 池田先生の入信75周年㊤

 

学会が「地涌の義」を現実に

〈出席者〉

原田会長 

田島学生部長

先﨑女子学生部長

山下未来部長

山口女子未来部長

 

 ◆田島 本連載は、私たち青年・未来部が池田先生の行動と広布史を通して、創価の魂を心に刻む座談会です。開始に当たって、池田先生の足跡を学ぶ上で大切な点を教えてください。

 

 ◇原田 「眼光紙背に徹する」(書いてあることの言外の意味まで読み取る)という慣用句があります。

 池田先生は後世のために、学会の崇高な歴史と戸田先生の偉大なご生涯、さらにはご自身の足跡について、小説『人間革命』『新・人間革命』に記されています。大切なことは、書かれた背景や、小説に込められた思いに肉薄していくことです。

 池田先生は、世界の数多くの大学・学術機関から名誉学術称号を授与されています。また、世界の各都市からも名誉市民称号が贈られています。

 私たちの師匠は、「世界一」です。だからこそ、“先生と自分は違う”と自身の心に“壁”をつくるのではなく、“師の闘争の万分の一でも実践できる自分に成長しよう”と挑戦を重ねていくことです。

 

 ◆先﨑 24日は、池田先生が入信されて、75周年の佳節です。

 

 ◇原田 1947年(昭和22年)8月14日、19歳の池田先生は、東京・大田区の蒲田で行われた座談会で戸田先生と出会われます。

 池田先生が戸田先生に師事することを決定づけたのは、戦時中、恩師が先師・牧口先生と共に、軍部政府の弾圧によって投獄された事実を知ったことでした。「“この方なら信じられる!”と直感し、私は、師弟の道を歩み始めることができた」と深い尊敬と信頼を寄せます。

 座談会で、池田先生は「旅びとよ/いずこより来り」で始まる即興詩を詠まれました。このエピソードを、私が初めて知ったのは、『人間革命』第2巻「地涌」の章を目にした時です。

 連載当時、聖教新聞社の記者として、『人間革命』の編集を担当しており、先生の原稿をお預かりしていました。即興詩の場面の原稿を読んだ時、戸田先生と池田先生の宿縁深厚なる師弟の出会いに、深い感動を覚えました。

 192カ国・地域に広がる世界広布の源流は、この戸田先生と池田先生の師弟の出会いにあります。

 

最高に栄光ある 青春の生きゆく道

 ◆山下 池田先生は、「人間だけが師弟をもつことができる。師弟の道によって自分を高めていける。ここに人間の究極がある」と述べられています。先生は繰り返し、「師弟」の重要性を強調されてきました。

 

 ◇原田 1948年(昭和23年)9月、戸田先生の法華経講義の第7期受講生となった池田先生は、日記につづっています。入信から約1年後のことです。

 「若人よ、大慈悲を抱きて進め。若人よ、大哲理を抱きて戦え。吾れ、弱冠二十にして、最高に栄光ある青春の生きゆく道を知る」

 その年の大晦日には、「師と共に大白法を持し、勇敢にいどむのみ。永劫の平和のため、大聖人の至上命令により、宗教革命に、この生命を捧げるのみ」と書かれています。

 先生は、入信間もない頃から、戸田先生を師匠と定め、広布への“不惜身命の誓い”を心に定めていたのです。

 創価の師弟の関係は、「師匠が弟子を決める」のではありません。「弟子が師匠を決める」のです。ゆえに、弟子の戦いとは、心に師を抱き、自らが師に誓い、実証を示すことです。

 「諸法実相抄」には、「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱えしが、二人・三人・百人と次第に唱えつたうるなり。未来もまたしかるべし。これ、あに地涌の義にあらずや」(新1791・全1360)とあります。日蓮大聖人の「地涌の義」を現実に開いてきた学会の民衆史の根幹は、“師弟の絆”にあることを忘れてはなりません。

 

 ◆山口 原田会長の「師弟の原点」について教えてください。

 

 ◇原田 池田先生との初めての出会いは、大学2年生の時でした。61年(同36年)9月14日のことです。当時の学会本部でお会いする機会があり、私たち学生にこう語られました。

 「古今東西の偉大な文学者にしても、哲学者にしても、その根底には、偉大な宗教があった」「君たちには、日蓮大聖人の大仏法哲学がある。しっかりと研さんし、立派に成長していきなさい」と。

 さらに、私自身の生涯の原点となっているのが、翌62年(同37年)8月31日からスタートした先生の「御義口伝」講義です。

 1回目の講義だったと記憶しています。「『経』とは一切衆生の言語音声を経と云うなり」(新984・全708)との一節を通して、「経というのは仏典だけではなく、宇宙の全ての言語、音声が経であり、さらに広げていえば、動作、行動も経となる」と述べられ、恩師との思い出を語られました。

 ――池田先生が戸田先生と都内を歩いていた時、有名な歌手の公演があり、人だかりができていた。その様子を見ながら、戸田先生は「歌い手が歌うのも、その人にとっての『経』だ。その『経』で、これだけの人を集めることができるのは、すごいことではないか」と。

 池田先生は、難解な「御義口伝」の内容を、私たちの生活に当てはめ、分かりやすく教えてくださいました。「御義口伝」講義を通しての青春時代の薫陶が、私の最大の誇りです。

 

「身口意の三業で読む」

 ◆田島 今月31日は、池田先生の「御義口伝」講義開始から60周年の佳節であり、同講義を淵源とした「学生部の日」でもあります。本年、学生部は「御義口伝」を年間拝読御書として行学錬磨を重ねてきました。8月28日には、伝統の教学実力試験を各地で開催します。

 

 ◇原田 11月には教学部任用試験が行われます。“先駆の学生部”から、日蓮仏法の研さんの息吹を、さらに広げていっていただきたい。

 「御義口伝」講義の折、池田先生は御書を学ぶ姿勢を、3点にわたって示されました。

 一点目は、「御書は朗々と、力強く、暗記するぐらい拝読していく」こと。

 二点目は、「御書は経文であるから、一語一語、『その通りである』と自覚しながら読んでいく」こと。

 三点目が、「身口意の三業で読む」こと。御書をわが身で具体的に実践し、「身読」していくことが、何より重要です。

 

 ◆先﨑 24日は、「聖教新聞創刊原点の日」です。

 

 ◇原田 戸田先生の事業が最大の苦境に立たされていた50年(同25年)8月24日、戸田先生と池田先生は機関紙創刊の構想を語り合いました。

 この夏、池田先生の体重は13貫(約49キロ)を切ったそうです。恩師の最も苦しい時期にあって、池田先生は戸田先生を支え抜かれたのです。

 翌51年(同26年)2月、戸田先生は池田先生に、「いよいよ新聞を出そう」と語ります。

 同年3月17日、新聞の企画会が行われ、戸田先生は「この新聞をもって、広宣流布の火蓋を切っていくのだ」「あらゆる意味で、言論戦の雄とならねばならぬ」と訴えました。

 この日の日記に、池田先生は「日本一、世界一の大新聞に発展せしむる事を心に期す」と記されています。

 この誓いのまま、51年4月20日に産声を上げた聖教新聞は、大発展を遂げました。現在、日本において、宗教団体が全国で発刊している日刊紙は、聖教新聞だけです。戸田先生の「聖教新聞を日本中、世界中の人に読ませたい」との悲願は、今、現実のものとなっています。

 池田先生は、恩師の構想をことごとく実現されました。「8・24」は、私たちが新たな戦いを開始する日です。一人一人が清新な決意で、出発してまいりましょう。

 

参照

 ◆小説『人間革命』=第2巻「地涌」、第3巻「漣」「宣告」

 ◆小説『新・人間革命』=第6巻「若鷲」、第14巻「大河」

世界広布新時代

創立100周年へ

青年・飛躍の年

(2022年)

2013.11.18

広宣流布大誓堂落慶

更新日

2022.10.2

第2118

 

日天月天ワンショット

日めくり人間革命URL