御書講義

2022年2月20日

2022年2月度

一生成仏抄「御書講義」

 

仏とは広布に戦い続ける人

  

はじめに

 日蓮大聖人の仏法は、永遠に崩れることのない幸福境涯を築き、最高の人生を約束する希望の宗教です。

 私たちの信仰の根本的な目的は、成仏です。そして、日蓮仏法が明かす成仏観は、「一生成仏」にほかなりません。

 改めて、大聖人の仏法における「成仏」について確認します。成仏の「成」について、「御義口伝」には「『成』は開く義なり」(新1049・全753)とあります。つまり、成仏とは、自身の内に具わる仏の生命境涯、すなわち仏界を開くことです。

 法華経は、どんな人にも仏界が具わっていることを明かしています。そして、全ての人を成仏させようと、仏は願います。法華経には「若し法を聞くこと有らば 一りとして成仏せざること無けん」(法華経138ページ)とあります。

 一人も漏れることなく成仏するという意味です。現代的に表現すれば、誰一人として置き去りにすることはないということです。

 そのうえで、仏とは特別な存在ではありませんから、桜梅桃李のままに、それぞれの個性や、自分自身が本来もっている特質を生かしきって、自身を最も充実させていく生き方をすることが成仏となります。

 言い換えれば、成仏とは、生命の全体が浄化され、本来もっている働きを十分に発揮して、さまざまな困難に直面しても動揺しない、力強い境涯になることをいいます。

 いつでも、どこでも、だれでも、内なる仏の境涯を開くことができるということです。私たちの実践でいえば、題目を唱えることで、自身の仏界が涌現するということです。

 それとともに、この仏界涌現を繰り返し、現実の人生の向上、社会の変革に不断に挑戦していくことが大切になります。

 成仏とは、到着点があるのではなく、妙法を受持して自他共の無明と戦いを続けていく境涯のことであり、間断なく広宣流布に戦い続ける人こそが仏だといえる、ということです。この一生成仏の重要な法理と実践について明かされた御書が、今回学ぶ「一生成仏抄」です。

 夫れ、無始の生死を留めて、この度決定して無上菩提を証せんと思わば、すべからく衆生本有の妙理を観ずべし。衆生本有の妙理とは、妙法蓮華経これなり。故に、妙法蓮華経と唱えたてまつれば、衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり。(御書新版316ページ1行目~3行目、御書全集383ページ1行目~2行目)

 

人類共通の願望

 本抄の冒頭は、一生成仏の根幹となる法理、すなわち、万人の生命に「妙理」(妙法)が具わっているという法理を明かして、その仏の生命をわが身に涌現することが成仏の本義であることが示されています。本抄の結論であり、日蓮仏法の本質が説かれている重要な一節です。

 ここでは、池田先生の『一生成仏抄講義』(『池田大作全集』第34巻所収)に沿って、御文を拝していきたいと思います。

 最初に「夫れ、無始の生死を留めて」とあります。先生は、この箇所は「人生の根本的な課題と宗教本来の役割が表現されています」と示されています。

 「無始の生死」とは、無限の過去から未来にわたって続く、永遠の生と死の果てしない繰り返しのことです。この連鎖からの解放を願うことは、人類に共通する願望です。

 「この度決定して無上菩提を証せんと思わば」と仰せです。この箇所は、仏教の大きな特徴が示されています。つまり、「無上菩提」、仏の最高の悟りを求めていくことが、仏教の目的ということになります。

 この一節に対して先生は、「宗教的な課題に対する仏教からの英知にあふれた回答です」と示されています。

 「無上菩提」の「無上」とは「この上ない、最高の」という意味です。「菩提」とは、「悟り」の意味であり、仏の悟りのことです。

 仏教は、一人の現実の人間が悟りを得ることによって、永遠の苦悩からの解放を目指したということです。根源的な永遠の「法」に目覚めるかどうかが、仏教の目的ということになります。

 

衆生本有の妙理

 それでは、この無上菩提を証する、得ようとするならば、どうすればよいか。それが、「すべからく衆生本有の妙理を観ずべし」との一節です。

 まさに、ここは仏教全般の中で、法華経の持つ特徴が示されている箇所です。先生は、仏教の立場を「法華経思想によって、さらに洗練・深化されたものです」と教えられています。

 「衆生本有の妙理」とは、あらゆる生命に本来的に具わっている妙理のことです。先取りしますが、この「妙理」が、南無妙法蓮華経になります。

 法華経は、それまでの爾前経に説かれている、仏と衆生との断絶を取り払った教えです。いうならば、それまでは、仏界と九界の間に断絶があった。

 成仏とは、“九界の生命を全部断じ尽くしていく”という考え方です。これでは凡夫成仏などありえません。仏とは、人間離れした特別な存在ということになります。これが爾前経です。

 ところが、法華経は万人成仏を説きます。爾前経で否定された悪人、女性、二乗が成仏できる経典です。その根拠が、「衆生本有の妙理」です。万人の中に仏の生命を見て、それを開いていく教えです。

 一切衆生、生きとし生けるものは、本来、妙理を具えています。そこで大事なのは、その妙理を「観ずる」こと。自分の中に妙理があると見ていくことです。

 ところが、この「観ずる」ための具体的な方法が説かれていません。そこで天台大師は、観念観法によって内なる仏界にたどり着く方法を説きます。しかし、これは、誰でも実践できるものではありません。

 まして、末法は、迷いや苦しみが充満している人たちが多い時代です。そこで、大聖人は、万人に開かれた修行を確立します。

 

成仏の根本原理

 「衆生本有の妙理とは、妙法蓮華経これなり」と仰せです。

 先生は「大聖人が開拓された道の第一歩は、妙理に名前を付けられたということです」と示されています。続けて先生は、「大聖人が開拓された大道の次の一歩が、『題目を唱える』という修行の確立です」と教えられています。

 御文で示せば「故に、妙法蓮華経と唱えたてまつれば、衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり」との一節です。

 唱題によって、自身の仏界が涌現する。この修行方法であれば、出家在家を問わず、また、老若男女誰人も実践することができます。

 今日の創価学会でいえば、民族、国境、文化の差を超えて、世界中でメンバーが題目を唱えて、その功徳の実証を示しています。まさに、世界中で24時間、途切れることなく題目が地球を包んでいる時代になりました。

 先生は、この一節をさらに「宗教的英知を万人が実践できるように大聖人が立てられた修行です。この実践化は、民衆救済を目指す大慈悲の結晶であり、日蓮仏法の深い革新性を示しています」とも示されています。

 まさしく、この一段は、私たちが実践している成仏の根本原理を説き明かしています。それとともに、日蓮仏法が、偉大な宗教革命を経て、万人が自身の生命の根本的な変革をもたらす最高の仏道修行を示すことによって、民衆仏法が完成したといえます。

 あらためて、私たちが日々実践している唱題こそが、仏界涌現の直道であり、一生成仏の根幹となるということです。

 

2022年2月20日森中教学部長「SOKAnet会員サポート」の講義から〉

 

 

2022年2月22日

2022年2月度

一生成仏抄「御書講義」

 

自他共の幸福へ 胸中に仏界の太陽を

 

 文理真正の経王なれば、文字即実相なり、実相即妙法なり。ただ詮ずるところは、一心法界の旨を説き顕すを妙法と名づく。故に、この経を「諸仏の智慧」とは云うなり。一心法界の旨とは、十界三千の依正・色心・非情草木・虚空刹土、いずれも除かずちりも残らず一念の心に収めて、この一念の心、法界に遍満するを指して、万法とは云うなり。この理を覚知するを、一心法界とも云うなるべし。(御書新版316ページ4行目~7行目、御書全集383ページ3行目~6行目)

 

一心法界の法理

 この段は、一生成仏の原理の裏付けとして、一念三千の原理を通して説明されている箇所です。

 まず、法華経は「文理真正」(経文も、その経文が表そうとしている内実の真理も共に真実で正しい)という点において、諸経中の王であると述べられています。いわば、文証も理証も、はるかに優れている経典だということです。

 学会員は、ここにさらに「実証」を付けると思います。法華経の実証は、創価学会の実践に尽きるといっても過言ではありません。

 続いて、「ただ詮ずるところは、一心法界の旨を説き顕すを妙法と名づく」と仰せです。

 ここは、一心法界の法理を説き表している教えを「妙法」ということが示されています。

 以下、諸仏の智慧である「一心法界の旨」を詳しく説明されていきます。

 すなわち、誰もが自身の胸中に偉大なる仏の生命を現せることを説き明かした原理が「一心法界の旨」です。

 この「一心法界」には、“一念の心に法界が収まり具わっていること”と、“この一念の心が法界に遍満していくこと”との両面があります。この具足と遍満の両面は、まさに、三千諸法が一念に収まり、一念から三千に遍満するという「具遍」の原理を示しています。

 そして、大聖人は「この理を覚知するを、一心法界とも云うなるべし」と結論されています。大事なことは、私たち自身も、また誰人も、本来、この一心法界の原理を覚知することができるということです。

 まさに「心こそ大切」です。全ては私たちの一念から出発します。

 私たちが妙法の当体である――それは、一つの真理です。しかし、私たちが信心を発すことによって、私たち自身が妙法の当体として輝いていく、現実に価値創造していくのが、仏法の精神です。

 ただし、妙法蓮華経と唱え持つというとも、もし己心の外に法ありと思わば、全く妙法にあらず、麤法なり。麤法は今経にあらず。今経にあらざれば、方便なり、権門なり。方便・権門の教えならば、成仏の直道にあらず。成仏の直道にあらざれば、多生曠劫の修行を経て成仏すべきにあらざる故に、一生成仏叶いがたし。(御書新版316ページ8行目~11行目、御書全集383ページ6行目~8行目)

 

内在する尊厳性

 ここからは、私たちが実践するに当たって、一番、心掛けなければならないことを教えられています。

 すなわち、ここまで述べてきた「一心法界」、一念三千の法理の結論として、“妙法蓮華経は自分自身のことである”という一点を絶対に忘れてはいけないことを強調されています。

 反対に、この一点を忘れてしまえば、いかに題目を唱えても日蓮仏法の唱題行とは、かけ離れたものになってしまいます。

 本抄では、今回の御文の後に、重ねて「すべて一代八万の聖教、三世十方の諸の仏菩薩も、我が心の外に有りとはゆめゆめ思うべからず」(新317・全383)と仰せです。

 いわば、「法」といっても、「仏菩薩」といっても、自身に内在していることを忘れてはならないということです。どこまでも、自身の内なる尊厳性に目覚めていくことが、一生成仏の修行の肝心となるのです。

 一切は、自分自身の変革から始まります。

 反対に言えば、いわゆる「おすがり信仰」は、日蓮大聖人の仏法にはないということです。

 よく私たちは、「一切を御本尊にお任せする」という言い方をします。しかし、学会指導の本質は、全て成すべきことを成し遂げる。あらゆる努力や挑戦を尽くす。病気であれば、医学を最大限に利用する。

 そのうえで、一切を任せるという考え方です。自分自身を生かすための、究極の自力と他力です。

 自力だけということも、他力だけということもありません。だからこそ、最も深い信仰実践だと思います。

 故に、妙法と唱え蓮華と読まん時は、我が一念を指して妙法蓮華経と名づくるぞと深く信心を発すべきなり。(御書新版316ページ11行目~12行目、御書全集383ページ8行目~9行目)

 

一念の変革から

 ここは、自身の可能性への目覚めが説かれている箇所です。

 南無妙法蓮華経の唱題には、無量無辺の功力があります。その力を出すのは、どこまでも自身の一念の変革から始まります。

 日蓮大聖人の仏法の究極は、「我が身即日蓮大聖人」、「我が身即御本尊」です。

 池田先生は、次のようにも指導されています。

 「南無妙法蓮華経と唱えれば、胸中に仏界の太陽が昇ります。厚い雲のように太陽を覆い隠していた無明が晴れていくのです。胸中に仏界の太陽が昇れば、無明の闇は去っていきます。

 日蓮仏法は、大聖人御一人が太陽であるという宗教ではありません。大聖人御自身が胸中に太陽を昇らせたように、私たちの胸中に太陽を昇らせるための宗教です」

 日々の勤行・唱題という、一生成仏の信心によって、胸中に太陽を昇らせながら、私たちは自他共の幸福の実現を目指していきたい。そのためにも、広宣流布を前進させゆく対話の実践に、力強く走り抜いていきたいと思います。

 

2022年2月22日〈森中教学部長「SOKAnet会員サポート」の講義から〉

 

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