2023年10月3日
学会は
絶対に病院をつくってはならない!
<宗教者として最も正しい生き方を選択!>
さて、あるマスコミ関係者が語っていた。
――世間には、
自前の大病院を有している宗教団体もある。
しかし学会はもっていない。
私はその点を評価し、尊敬する。
本来、宗教の使命とは、
どこまでも内なる″精神″の次元から、
人間を救っていくところにあるはずだ。
人間が希望を持って生きぬいていくための
″精神闘争″″生命闘争″を教えるべきである。
それが、精神的な教えを説く一方で、
病院を建て、金儲けをし、
人々を内面から救っていけない
自分たちの無力さをごまかしている。
これは人間への欺瞞であり、
宗教者としての根本の使命を忘れた、
堕落の姿といってよい。
その点、創価学会は、
いわゆる病院というものをもっていない。
さまざまに批判されているが、
私は学会こそ、
宗教者のいき方としてもっとも正しいと思う――と。
戸田先生(創価学会第二代会長)は
「学会は、絶対に病院をつくってはならない」
と厳しく戒められていた。
学会はあくまでも「信心」で進んでいくのだと――。
このことは、
宗教人としての自覚と自負がこめられた
重要な原則である。
1990.8.17
ドクター部、白樺会、白樺グループ合同研修会
<″内なる力″を引き出すのが信仰>
「戸田先生は、『学会は病院をつくらない』
と指導されたとうかがいました。それはなぜでしょうか」(マレーシア・男性)
結論から申し上げると、
どこまでも「信仰の力」で人々を幸福にする。
成仏の境界に導く、
これが大聖人の仏法の目的であるからです。
病に打ち勝つ
人間自身の″内なる力″を引き出していくのが、
宗教本来の使命です。
ゆえに、
宗教自体の力で人々を救うこともなく、
教団として病院や薬局を営業していくならば、
それは宗教教団としては、
本道をはずれた″亜流″の生き方になってしまう。
自分たちの宗教で人々を健康にし、
幸福にすることができない″力不足″を
カムフラージュする姿
と見ることさえできるかもしれない。
いわんや病院によって利益を得るようになっては
堕落といわざるを得ない。
いうまでもなく仏法は
医学を否定するものではない。
戸田先生は、
「病院には病院の使命がある。
私たちは、信心を根本にして
医学を使っていけばいいのだ」と言われていた。
要は、次元の違いであり、
仏法は生命の内側から、
根底的に人間を健康の方向へと向かわせていく。
その根本的使命をこそ
教団は果たすべきだということです。
1993. 4.11 SGI春季研修
2023年9月29日整理