2023年10月度
我が誓願の地区の凱歌を共に
<喜び舞いて功徳は満開>
「広宣流布大誓堂」の須弥壇の基底部には、世界192か国・地域と日本全国47都道府県の石が埋納されている。
完成より10年。「よき師と、よき檀那と、よき法と、この三つ寄り合って祈りを成就し、国土の大難をも払うべきものなり」※1との御聖訓のまま、御本仏に直結する創価の師弟は、一人一人の祈りの成就と、使命の国土の慈折広宣流布へ、勢いを加速してきた。
その一切の推進力は、まぎれもなく「地区」である。誉れの地区部長・地区女性部長を先頭に前進する、日本中、世界中の全地区の学会家族に、私は最敬礼して感謝の唱題を捧げたい。そして、各地区が勝ち飾った凱歌の十年を一緒に祝したいのである。
日蓮大聖人は、池上兄弟と会われることを楽しみにされつつ、「お目にかかったならば、あまりの嬉しさに話ができなくなってしますでしょう」※2
と書き送られている。それほどまでに門下との対面を大切になされていた。我らの地区の座談会は、まさしく、この大聖人のお心に見守られ、包まれているのだ。
草創の関西で、地区担当員(現在の地区女性部長)に任命されたリーダーが、新任の心構えを真剣に質問してこられたことがある。
私は、これまでの地道な戦いを労い讃えながら、申し上げた。
――特別なことはありません。題目をあげて、身近な一人一人の幸せを祈り、優しく丁寧に激励する。その一念が地区全体に広がります。「一身一念法界に遍し」※3です。自信と勇気をもって、足元の激励・対話から広宣流布を進めましょう!と。
勤行の自我偈に「毎自作是念(常に自ら是の念を作す)」※4とある。この経文を踏まえて、戸田先生は、「一切の人を幸福にしたい。これが、御本仏と一体の私たちの毎自作是念だ」と示された。
日々、大誓堂の会座に連なる決意で勤行に臨みたい。わが地区の全同志、全衆生にと題目を送り、地域の立正安国を祈るのだ。
そして共に大誓願の師子吼で、妙法の大光を地球へ、未来へ!
わが地区に
地涌の義たしかと
宝友が
喜び舞いて
功徳は満開
※1 新版695頁、全集550頁
※2 新版1498頁 新規収録
※3 新版135頁、全集247頁
※4 法華経493頁
2023年大白蓮華10月号№888 巻頭言
2023年9月度
民衆福光の地涌の太陽を
<広宣流布の未来図を描き目標を決めて成就しよう!>
「行学の二道をはげみ候べし」※1――学会の永遠の指針である。
教学試験への尊き研鑽も、
世界各地での求道の教学研修会も、
御本仏・日蓮大聖人の御賞讃は、いかばかりであろうか。
皆、現実の課題に挑みながら、
多忙な中、時間をこじ開けての学び合いだからこそ、
生命に刻まれ、歓喜と福徳が広がるのだ。
1950年(昭和25年)の九月、
恩師の事業の最悪の苦境と戦う渦中、
「法華経薬王品」の一説を、私は日記に留めた。
「此の経は能く一切衆生をして諸の苦悩を離れしめたもう。
此の経は大いに一切衆生を饒益して、其の願を充満せしめたまう」※2
妙法は、全人類を救う絶対最極の哲理なりとの宣言である。
荘厳な法華経の会座から
「閻浮提に広宣流布して、断絶せしむることなかれ」※3
と託される大音声が、私は聞こえる思いであった。
ここで退くわけにはいかない。
大法弘通の師匠をお守りし、
まず眼前の苦難を断じて突破してみせると、
一念を定めたのだ。
御書を拝し、法華経を開き、
自行・化他の題目を唱え抜く我らは、
大宇宙の究極の正義に依って立つ。
三世永遠を見通し、
十方世界を見晴らす次元から、
いかなる悩みも包み返し、
一切を打開しゆく
勇気と智慧と大生命力が
滾々と湧いてくるではないか。
七百五十年前、大難の佐渡でご執筆の「当体義抄」には、
「妙法蓮華」とは「因果倶時不思議の一法」であり、
「これを修行する者は、仏因仏果、同時にこれを得るなり」※4
と仰せである。
大変な時に、怯まず「行学の二道」に励む、
わが同志の仏因仏果は計り知れない。
1979年(昭和54年)の厳冬、東北の宝友と私は語った。
――時代は変わる。変えられる。
必ず、このように広宣流布の道を切り開くという
未来図を描き、目標を決めて、成就しよう!
心を決めて祈り、動いた分だけ、
友情も連帯も広布も広がる、と。
東北をはじめ
王者の鼓動の創価家族は、
「地涌の正義の旗頭」だ。
民衆福光の地涌の太陽を、
いよいよ勝ち昇らせゆこう!
一切の
耳に妙法
聞かせゆく
地涌の対話は
民に福光を
※1 新版1793頁、全集1361頁
※2 法華経597頁
※3 新版606頁、全集505頁
※4 新版618頁、全集513頁
2023年大白蓮華9月号№887 巻頭言
2023年8月度
苦難は「心の名曲」なり
<「さあ、何でも来い!」>
人生の旅には、
まるで長く暗いトンネルに入ったように、
先の見えない、
苦しい試練が打ち重なる時が、
誰しもあろう。
妙法の信仰は、
その中で、
いやまして鮮烈に蘇生の光を放つ。
日蓮大聖人は、
老いたる姑の看病に尽くした後も、
自らの闘病が続く富木尼御前へ、
真心の献身を労いつつ、
「これで必ず治すと決めて、
これからの三年、始めた時と同じように、
しっかり治療していきなさい」※1と、
焦らず粘り強い執念の治療を促された。
そして「法華経の行者」として、
「強盛なる信心で、
どうして病が癒えず、
寿命が延びないことがあろうか」※2との確信で、
体を大切にし、
心の中であれこれ嘆かないようにと、
励まされている。
御書を開けば、
病気や
家族との離別、
生活の困窮、
理不尽な圧迫など
千差万別の悩みを、
大聖人の仰せ通り、
同志と支え合い、
変毒為薬してきた
「法華経の行者」たちの群像が拝される。
尼御前の伴侶・富木常忍へは、
「難を却けて福の光る先兆ならんのみ」
「災い来るとも、変じて幸いとならん」※3と示されている。
自行・化他の誓願の題目を唱え、
広宣流布に生きゆく我らには、
一切の事象が「願兼於業(願、業を兼ねぬ)」であり、
「転重軽受(重きを転じて軽く受く)」である。
ゆえに、
「さあ、何でも来い!」と、
悠然と迎え撃ち、
断固と祈り抜き、
祈り切るのだ。
そして、
人間革命、宿命転換という
生命の逆転勝利の劇を飾り、
多くの苦悩の友へ限りない勇気を送るのである。
逆境のトンネルを抜ければ、
明るい福智の大海原が洋々と開かれている。
師・戸田先生は、
いじらしい草創の関西の女性たちに語られた。
「泥沼が深いほど、
大きな美しい蓮華が咲く。
人も苦労が多いほど、
幸福の蓮華の花を
大きく美しく咲かせ広げられるんだよ」と。
今、まさに常勝の人華が朗らかに咲き誇っているではないか。
入会八十二年を迎えた妻が、
宝友と大切にしてきた指針には、
「希望は心の太陽」
「努力は心の王道」
「苦難は心の名曲」なりと。
苦しくも
この坂こえて
真金の
いのち輝け
不二の共戦
※1 新版1316頁、全集975頁
※2 新版1317頁、全集975頁
※3 新版1321頁、全集979頁
2023年大白蓮華8月号№886 巻頭言
2023年7月度
「伝持の人」こそ宇宙の希望
<宇宙の宝たる「伝持の人」を心温かく育もう>
「伝持の人」※1すなわち「伝え持つ人」。
これは、御本仏が一閻浮提広宣流布を師子吼された
「顕仏未来記」の甚深の一句である。
師・戸田城聖先生は、「『伝持の人』がいなければ、仏法の命脈は断絶する。
ゆえに、伝持の人を育て続けることが、広宣流布・令法久住の根幹である。この一点を忘るるな」と私に厳命された。
御本仏の未来記を実現する「伝持の人」こそ、「未来部」なのだ。
日蓮大聖人は、数え年十八歳の南条時光へ仰せになられた。
「法華経と申すは、仏我と『要ず当に真実を説きたもうべし』となのらせ給いし上、多宝仏・十方の諸仏あつまらせ給いて、日月・衆星のならばせ給うがごとくに候いしざせきなり」※2と。
妙法こそ、信じて絶対に悔いのない究極の真実の法理である。
そして、全宇宙の極善の仏界と合致し、
太陽や月や星々まで友としながら、
幸福と平和の宝座を現実社会に広げゆく力なのだ。
御本仏は、なんと壮大な青春の軌道を示してくださったことか。
しかも、伝持の人の鑑であり、
未来部の先達たる南条時光が証明しているように、
家族との死別や生活苦や病苦なども乗り越え、
最極の親孝行を果たし、
一家和楽を実現できる信心である。
さらに正義の信念ゆえに、
いかなる難を受けようとも、
断じて屈せず、
「しばらくの苦こそ候とも、ついにはたのしかるべし」※3という
生命の王者の境涯を、必ず必ず開いていけるのである。
今、「太陽の仏法」を伝え持つ創価の正義の走者たちが、
平和・文化・教育の連帯を築き、
地球民族を照らす時代に入っている。
「生々世々に皆恩ある衆生なれば、皆仏になれと思うべきなり」※4
――時光への御聖訓さながらに、
三世永遠の深き生命の絆で結ばれた
信頼と励ましの奇跡の世界が、
我ら創価家族である。
御本仏も笑顔で御照覧くださる、
この慈悲の大地から、
宇宙の宝たる「伝持の人」を、
一人また一人と心温かく育もう!
新たな「”未来”座談会」で、共々に希望と成長の大光を!
我ら皆
久遠の誓いの
家族かな
和楽を世界へ
勇気を未来へ
※1 新版610頁、全集508頁
※2 新版1853頁、全集1529頁
※3 新版1901頁、全集1565頁
※4 新版1851頁、全集1527頁
2023年大白蓮華7月号№885 巻頭言
2023年4月度~6月度
創価の誇りの旗を振れ!
<創価のヒューマニズムに世界が期待>
師匠と弟子の生命の交流は
深遠にして、
しかも自在である。
牧口常三郎先生と
戸田城聖先生の
最後の出会いは、
法難の渦中の一瞬であった。
先に移送される牧口先生を
戸田先生が「先生、お丈夫で…」と
万感の一言で見送られたのである。
後に戸田先生は、
「ご返事もなく、頷かれた、
あのお姿、あのお目には、
無限の慈悲と勇気とを感じました」と
偲ばれていた。
以来、八十星霜。
今、直系の「広宣流布の闘士」たちが
「立正安国」の対話を繰り広げゆく実践の中にこそ、
創価三代の魂は烈々と脈打っているのだ。
お二人が桜色を湛えた笑顔で
「嬉しいね。頼もしいな」と
見守られる光景が、私の心に浮かぶ。
牧口先生が大切に拝された「一生成仏抄」には仰せである。
「皆、我が一念に納めたる功徳・善根なりと信心を取るべきなり」※1、
そして「一心を妙と知りぬればまた転じて余心をも妙法と知るところを、妙経とはいうなり」※2と。
仏法の世界は一切、無駄がない。
題目を唱え、
人のため、地域のため、社会のために
尽くす行動によって、
わが生命が功徳・善根に包まれ、
妙法蓮華経の当体として輝き光る。
そして、この大歓喜の波動は友から友へ、
今日から明日へ広がりゆくのだ。
戸田先生は言われた。
「いかなる難があろうと、日本を救い、世界を救い、地球民族を幸福に平和にしようというのが、学会精神である。ゆえに『師子王』の誇りをもって、胸を張れ! 一人ももれなく、必ず仏になりゆく大行進なのだ」と。
あえて苦労を担い立つ忙しい日々であるが、
あまりも善良なる仲間と共に
最極の民衆奉仕を貫く誇りは、計り知れない。
相手の生命の善性を信じ、
呼び覚まし、
結び合わせる
創価のヒューマニズムに、
世界の心ある知性は希望を見出している。
いざ、今日も、「師子王の心」で、
希望の哲学を語りに語り抜こうではないか!
牧口先生のごとく、
戸田先生のごとく。
誇りもて
偉大な創価の
師弟なり
民衆凱歌の
旗を勝ち振れ
※1 新版317頁、全集383頁
※2 新版318頁、全集384頁
2023年大白蓮華4月号№882 巻頭言
2023年2月度~3月度
我が友こそ勇気の王者よ
<創価学会は宗教界の王者なり>
寒風を突いて、祈り、走り、語り広げた、
あの蒲田支部の「二月闘争」のさなか、
同志と心熱く排した一節がある。
「撰時抄」の「正像二千年の大王よりも、後世をおも思わん人々は末法の今の民にてこそあるべけれ」※1との仰せである。
どんな輝かしい時代に、
どんな豪勢な大王と生まれるより、
濁悪の世に無名無冠の民として、
あえて苦労を背負いながら、
妙法を唱え、
広宣流布に生きることこそ、
最極の栄光なのだ。
「末法の今の民」に
無上の誇りと歓喜を教えてくださった
御本仏と恩師への報恩感謝の心で、
私たちは苦悩の庶民の輪に飛び込み、
「共に幸福を勝ち取ろう!」と言い切っていった。
皆で壁を破り、一か月の最終報告を終えようとする、まさにその時、「ちょっと待って。もう一世帯、実った!」と地区担当員(地区女性部長)が息を切らせ、弾んだ笑顔で駆けつけ、一支部で二百一世帯という劇的な拡大となったのである。
自らも途方に暮れるほどの宿命と戦いつつ、
負けじ魂の信心と、
ありのままの人間性で
「もう一人、また一人」と
幸の仏縁を結びゆく
地涌の使命の群像が、
わが創価家族である。
草創期、生活苦や病苦に立ち向かう学会員への悪口に対し、
戸田先生は呵々大笑しながら、
「それでは、あなたは悩める人を何人救ったのですか」と切り返された。
誰が何と言おうと、
法のため、人のため、地域・社会のために、
労苦を惜しまず献身する生命にこそ、
民衆の王者の風格と福徳は光るのだ。
六十年前、雪の降る欧州で、
私は同志と試練の風雪にも勇んで進もうと語り合った
――行動すれば、
縮こまった心の世界が大きく広がっていく。
勇気をもって、
戦うぞと決意してぶつかっていけば、
敵をも味方にすることができる、と。
恩師が宣言された「宗教界の王者」の勇気で、
伸びゆく後継の王子・王女に
民衆王者の宝冠を託しゆこう!
師子王の
心たぎらせ
壁破り
民の笑顔の
道を開けや
※1 新版166頁、全集260頁
2023年大白蓮華2月号№880 巻頭言
2023年1月度
我らの地域の勝ち光る未来図を
<私たちを見よ>
恩師の事業が最も苦境にあった時、
師弟して「顕仏未来記」を拝読した。
御本仏が命にも及ぶ佐渡流罪の渦中に
「仏法西還」「閻浮提広布」を宣言された未来記を、
学会はいかなる難も越え、断じて実現するのだと、
戸田先生は巌の如く言われた。
とともに、本抄の結びで、
日蓮大聖人は釈尊・天台・伝教を相承する御自身を
「三国四師」とされつつも、あえて日本ではなく
聖誕の地を挙げ、「安州の日蓮」※1と称されている。
このお心を拝し、我らも宿縁の故郷や地域を大切にしよう。
足もとの国土を慈しみ、身近な一人一人と仏縁を結んでこそ、
世界への慈折広布が開かれると、師弟で語り合ったのだ。
「なぜ、今ここにいるのか?」――この問いに、
誓願という次元から最も本源的な答えを出せるのが、信心である。
師の写真を胸に抱いた私の世界旅は、
アメリカやブラジルへ移住して
慣れぬ土地で奮闘する友との対話から出発した。
言うに言われぬ開拓の苦労をねぎらい、私は申し上げた。
――皆、たまたま、やって来たのではありません。
地涌の菩薩として、この国の人々を幸せにし、
ここに永遠の楽土を築くために、
大聖人に召し出された方々なんです、と。
「今ここが御本仏より任された天地なり」と一念を定めて
妙法に生き抜く時、その場所が人間革命の大舞台と変わる。
三世十方の仏菩薩にも勝る力が湧現し、蘭室の友情も広がる。
国土の宿命まで転換しゆく蘇生のドラマが始まるのだ。
御聖訓には、「一花を見て春を推せよ」※2と仰せである。
今、いずこにも咲き誇る、友を思いやり
地域に尽くす創価の人華こそ、
遠大な地球民族の平和の春を呼ぶ希望である。
新たな一年、元初からの宝友と共に、
わが地域の広宣流布、
立正安国の勝ち光る未来図を
心広々と描きながら、「私たちを見よ」と、
幸福勝利の花園を薫らせようでないか!
誓い立つ
常寂光土は
ここなりと
勝ちて描けや
黄金の未来図
※1 新版612頁、全集509頁
※2 新版101頁、全集222頁
2023年大白蓮華1月号№879 巻頭言
2022年12月度
創価の道は生命凱歌の滑走路
<この最極無上の軌道を、大宇宙の仏天は必ず讃え護る。>
法のため、友のため、地域・社会のため、
そして世界のために、この一年も、
聖教新聞を配達してくださる「無冠の友」をはじめ
尊き同志は一歩また一歩と歩み抜かれた。
その一年の道のりを総計すれば、
天文学的な距離になるに違いない。
御本仏・日蓮大聖人は何と御賞讃くださるだろうか。
私の胸には四条金吾夫妻への御文が、そのまま響いてくる。
「日蓮が道をたすけんと、上行菩薩、貴辺の御身に入りかわらせ給えるか。また教主釈尊の御計らいか」※1と。
まさしく「日蓮が道」に直結する「創価の道」を、
我ら地涌の菩薩の師弟は、
それぞれの誓願の天地で切り開いているのだ。
それは、大聖人と共に、妙法と共に、
皆で人間革命に挑む「一生成仏の道」であり、
国土の安穏と繁栄へ尽くす「立正安国の道」である。
この道を、
来る年また来る年、
一筋に進み抜く誇りは、
天よりも高く、海よりも深い。
御聖訓には、「法華経の御いのちをつがせ給うこと、三世の諸仏を供養し給えるにてあるなり。十方の衆生の眼を開く功徳にて候べし。尊しとも申すばかりなし」※2と仰せである。
月々日々の慈折広布への歩みは、
あまりに地道なるゆえに、
世の喝采とは今は無縁かもしれない。
しかし、この最極無上の軌道を、
大宇宙の仏天は必ず讃え護る。
未来の人類は、
必ずや、眼を大きく見開き、
道を求めて澎湃とつづくであろう。
牧口常三郎先生は、「日蓮大聖人の仏法は、自らが歩む道を温かく見守ってくれる太陽のような存在である」と語られた。
心を凍えさせながら暗きから暗きへ流離う人々に、
明るく温かな「創価の道」を語り伝えよう。
これこそ、「冬は必ず春となる」※3希望の陽光の道であり、
そして生老病死の苦悩を転じ、
常楽我浄という生命の凱歌へ飛躍する
滑走路であるからだ。
吹雪にも
胸張り進む
父母に
続く世界の
若人尊し
※1 新版1583頁、全集1163頁
※2 新版1869頁、全集1512頁
※3 新版1696頁、全集1253頁
2022年大白蓮華12月号№878 巻頭言
2022年10月度
「民衆仏法」の本懐いよいよ
<中道の智慧を>
日蓮大聖人が「民が子」※1として
「民の家」※2に聖誕されてより八百星霜――。
太陽の「民衆仏法」が混沌の闇を打ち払って、
いよいよ地球民族に平和と希望の大光を贈りゆく時である。
戸田先生の最晩年、師弟して語り合った。
――あの鎌倉幕府の武家政権下で、
熱原の三烈士をはじめ、
何ものにも屈しない「師子王の心」の民衆が屹立した。
ここに御本仏の「出世の本懐」の成就があり、
この直系こそ創価学会に他ならない。
だからこそ、戸田の命より大切なのだ――と。
これほど確固たる生命尊厳の哲理と
人間への信頼で結ばれた民衆の連帯は、
もう二度と築けないであろう。
「総勘文抄」には、
「只今こそ打ち返し、思い直し、悟り返せば、
即身成仏は我が身の外には無しと知りぬ」※3と仰せである。
その通りに、創価の民衆の学びと励ましの大地から、
どれほど多くの庶民が
「わが生命こそ妙法の当体なり」と立ち上がり、
「人間革命」の蘇生の人生を歩んできたことか。
今や、まぎれもなく内証は仏である地涌の菩薩の群像が、
全世界に躍り出ていることが、我らの誉れである。
六十年前、より良き社会の建設に挑めば挑むほど、
定見のない批判が強まると憂える英才に、私は言った。
――私たちは行動者だ。
大哲学を実践し、民衆に貢献している。
だから強い。
無責任な傍観者の言説にも、
若き君たちが自信をもって、
堂々と見事な論陣を張っていくのだ――と。
人類史の宿命的な苦悩の流転を押し止め、
分断の悪縁に引き裂かれずに、
民衆を結び高めるのが、中道の智慧である。
熱原の法難の折の御聖訓に、
「恐れてはならない。
いよいよ強く進んでいくならば、
必ず何らかの現証が現れる」※4とある。
気取らず偉ぶらず、
我らは無冠の人間王者として、
勇敢に楽しく笑いながら、
広布と人生の本懐を果たしゆこう!
十方の
星のごとくに
後継の
地涌よ 凛々しく
民に勇気を
※1 新版1768頁、全集1332頁
※2 新版2106頁、全集1407頁
※3 新版722頁、全集570頁
※4 新版1939頁、全集1455頁
2022年大白蓮華10月号№876 巻頭言
2022年9月度
「健康革命」の力を地球民族に
<「病」は地涌の無窮の生命力を
自他共に現すための試練>
「病に因って力を説く」※1
――若き日、病気との闘いが続く中、
目を瞠った御書の一説である。
苦しい病にも深い意味がある。
断じて負けず、断じて勝ち越えて、
妙法の偉大な功力を示し、
地涌の無窮の生命力を自他共に現すための試練なのだ。
御本仏は、病の門下をどれほど力強く激励されているか。
「尼ごぜん御前の御所労の御事、
我が身一身の上ともおもい候えば、
昼夜に天に申し候なり」
「『願わくは、日月天、その命にかわり給え』
と申し候なり」※2
との御聖訓が胸に迫ってならない。
このお心に包まれ、いかなる病魔にも、
共に祈り、互いに励まし合って立ち向かっていくのが、
創価の宝友である。
仏法は、最高の道理である。
色心にわたる健康の智慧が具体的に明かされている。
たとえば、
張りのある勤行と献身の行動。
また大宇宙のリズムに合致した、
無理と無駄のない生活や
教養ある食生活など、
基本を持続することを、
改めて大切にしたい。
特に、使命深く多忙な日々ゆえに、
睡眠を十分にとることを、
聡明に留意していただきたいのだ。
とともに、
「重病すら、善医に値って急やかに対治すれば、
命なお存す。いかにいわんや軽病をや」※3
と仰せのように、
鋭敏に時を逃さず早めの検診や治療を受け、
広宣流布を遂行する、
かけがえのない宝器たる我が身を
守り抜いていくことだ。
ドクター部の負けじ魂の善医や、
白樺会の慈愛の天使も、
支えてくれる。
希望と蘇生の体験も、無数に光る学会だ。
打ち続く感染症をはじめ、
世界はこれまでにも増して
病苦に挑みゆく
生命尊厳の英知と活力と団結
を要請している。
「人の力をま増せば我がちから力ま勝さり、
人のいのち命をの延ぶれば我がいのち命の延ぶなり」※4とは、
厳然たる因果の理法である。
我ら創価家族は、妙法の大良薬を掲げ、
慈悲の振る舞いを広げて、
地球民族に「健康革命」の力を漲らせてゆくのだ。
臆するな
いかなる病も
さわりなし
師子吼の題目
唱うる仏に
※1 新版1359頁、全集1009頁
※2 新版1353頁、全集978頁
※3 新版1307頁、全集1985頁
※4 新版のみ2150頁
2022年大白蓮華9月号№875 巻頭言
2022年8月度
安穏なる幸齢社会の開拓を
<長寿にして衆生を度せん>
日蓮大聖人は、「冬は必ず春となる」※1との御金言を贈られた妙一尼へ、真心の功労に感謝され、こうも仰せである。
「いつの世にかわすれ候べき。この恩は、
かえりてつかえたてまつり候べし」※2
戸田先生の弟子として広布に身を投じて七十五星霜――。
共に喜び、共に涙し、
幾多の大闘争を勝ち越えてきた、
忘れ得ぬ全ての宝の盟友に、
私はこのご聖訓を捧げたい。
「大功徳・小功徳、すこしもおとさず」※3と、
御本仏が、どの友も御照覧である。
我らは、三世永遠に離れざる誓願と信頼の縁で結ばれた
陰徳陽報の長者なのだ。
朝な夕な読誦する法華経の自我偈に、「我此土安穏 天人常充満」※4
(我が此の土は安穏にして天人は常に充満せり)とある。
この経文さながらに、現実の濁世の只中で、より安穏の宝土を築きゆく立正安国の祈りと行動を重ねているのが、創価の多宝如来たる、我が誉れの戦友たちだ。それは、戦争の悲惨さと平和の尊さを知る世代として担い立つ挑戦でもある。
それぞれに厳しい宿命との戦いがある。
労苦を厭わぬ歴戦の中、
病苦や老苦もあろう。
愛別離苦も訪れる。
しかし、「現世の安穏ならざることをなげかざれ」※5との覚悟で、
不退の信心を貫く勇者たちは、
「転重軽受(重きを転じて軽く受く)」という法門に則り、
いかなる宿業も今世で転換し、
必ず晴れ晴れと、
一生成仏の勝ち鬨をあげゆけるのだ。
加速する高齢社会は、
人類史の新たなフロンティアである。
創価家族は「一人として成仏せざることなけん」※6の妙法を掲げ、
人間尊敬の連帯で、
幸光る幸齢社会を開拓していこう!
人生百年時代を生きる若人に、
「長寿にして衆生を度せん」※7という希望の鑑を示しつつ、
平和と文化と教育の世界市民が充満しゆく
安穏なる地球の春をと、私は願ってやまない。
迷いなし
大聖人と
共に征く
師弟の旅路の
大歓喜は永久に
※1 新版1296頁、全集1253頁
※2 新版1696頁、全集1254頁
※3 新版1519頁、全集1115頁
※4 法華経491頁
※5 新版117頁、全集234頁
※6 新版1696頁、全集1253頁
※7 法華経505頁
2022年大白蓮華8月号№874 巻頭言
2022年7月度
「だからこそ!」
我は立つ
<信心で勝つと決めれば、
楽しく大きく勝てるんだよ!>
苦難に燃え立つ勇気から、
偉大な人間革命の飛躍が始まる。
日蓮大聖人は大難の佐渡から、
「強盛の大信力をいだして、
『法華宗の四条金吾、四条金吾』と、
鎌倉中の上下万民、
乃至日本国の一切衆生の口にうたわれ給え」※1と師子吼された。
日蓮門下と名乗れば、
悪口罵詈・猶多怨嫉の標的とされた渦中である。
だからこそ金吾夫妻は弟子の誇りに胸を張り、
眼前の苦境を切り開き、
負けじ魂で同志を守っていったのだ。
それは、
御指南の通り短気や油断を戒め、
人を敬う振る舞いを重ねゆく挑戦でもあった。
その人間革命の実証が「良かりけり」※2と
人々を感嘆させ、師弟の凱歌を轟かせたのである。
戸田先生が御書を拝し、
言われたことが思い起こせされる。
「信心とは一念を決めることだ。
信心で勝つと決めれば、
楽しく大きく勝てるんだよ!」
かつて、学会への誹謗が渦巻く中、
地域広布に懸命に尽くしてくれる同志を、
私は讃え、ねぎらい、語り合った。
――周囲には、誤解や悪い印象を抱いている人がいるかもしれない。
しかし、
「だからこそ、自分がいるんだ。
私は学会の全権大使なんだ」
との自覚で理解の輪を広げていこう、と。
いずこにも、大変であればあるほど、金吾夫妻のごとく、
「だからこそ!」と
強盛の大信力をいだして、
自らの勇気の声と大誠実の振る舞いで、
反転攻勢の戦いを起こしゆく創価の大使が光る。
ゆえに、学会は断じて負けないのだ。
関西をはじめ、わが同志と
「最後は正しい仏法が必ず勝つ」と誓い合った、
あの大阪大会から二十年目の
1976年(昭和51年)7月、
私は「人間革命の歌」を作り、恩師に捧げた。
「地よりか涌きたる 我ならば この世で果たさん 使命あり」
君も我も地涌の使命を果たしゆく大闘争の中で、
人間革命の勝利劇を飾り、
世界へ世紀へ希望を送ろうではないか!
不二なれば
師弟の七月に
後継の
師子よ舞い勝て
威風も堂々
※1 新版1522頁、全集1118頁
※2 新版1596頁、全集1173頁
2022年大白蓮華7月号№873 巻頭言
2022年6月度
先師のごとく大確信の対話を
<試練に行き当たった時こそ、
前進の炎をさらに燃え上がらせて、
生きて生きて、生き抜くのだ>
「源に水あれば流れかわかず」※1と、御書に仰せである。
偉大なる創立の源流を抱く誉れは、何ものにも代え難い。
六月は、我ら先師・牧口常三郎先生の生誕の月だ。
先生が座右の御書に線を引かれていた御聖訓がある。
それは、「大悪は大善の来るべき瑞相なり。一閻浮提うちみだすならば、『閻浮提内、広令流布(閻浮提の内に、広く流布せしむ)』は、よも疑い候わじ」※2との一節である。
第二次世界大戦という「前代未聞の闘諍」※3の渦中にあっても、この御本仏の師子吼のままに、「とも疑い候わじ」と、牧口先生は広布大誓願の如説修行を貫き通された。
学会草創の座談会は、「大善生活法実証」と謳われた。
先生は一対一の対話を重ね、どんな人生の大悪にも怯まぬ勇気を送り、自他共の幸福という大善の価値を創造する妙法の実証へ、一人また一人と導いていかれたのだ。
太平洋戦争勃発の一月前にも、関西の兵庫を経由して福岡をはじめ九州の各地へ足を運び、信念の対話を展開された。
法難の過酷な獄中からは、大聖人の佐渡での御苦労を偲ばれつつ、「何の不安もない」「何の不足もない」「何の煩悶もない」「心一つで地獄にも楽しみがある」等と書き送られている。
この「喜悦はかりなし」※4の心を継ぎ、一人の人間革命から一国さらに全人類の宿命をも転換しゆく道を開いてきたのが、戸田城聖先生を先頭とする創価の地涌なのである。
我ら師弟には、いつ、いかなる時にも、「大悪は大善の来るべき瑞相なり」と言い切れる哲理があり、実践があり、そして平和・文化・教育の大連帯があるではないか。
「試練に行き当たった時こそ、前進の炎をさらに燃え上がらせて、生きて生きて、生き抜くのだ」と先師は言われた。
さあ、先師のごとく、大確信の対話を、いよいよ勇敢に!
声仏事
誓い貫く
確信で
幸の勇舞
凛と広げよ
※1 新版1210頁、全集900頁
※2 新版1969頁、全集1467頁
※3 新版165頁、全集259頁
※4 新版1792頁、全集1360頁
2022年大白蓮華6月号№872 巻頭言
2022年5月度
心機一転!御書を力に
<我が身一人の日記文書なり>
わがスポーツ部の友に贈った一言がある。「心機一転」 ――これである。調子が良くても悪くても、大事なことは、常に心機一転して、次の戦いに新たな命で挑むことであるからだ。
私たちには御書がある。「心こそ大切なれ」 ※1 ――御書を開くたびに、旭日を仰ぐように鮮烈な光と熱が心に注がれる。
四条金吾への有名な「陰徳陽報御書」には、こう仰せである。「申すようにだにもふれまわせ給うならば、なおなお所領もかさなり、人おぼえもいできたり候べしとおぼえ候」 ※2と。
どんな境遇にあろうと、日蓮大聖人の仰せの通りに実践するならば、必ずや福徳と信頼の道が開かれるのだ。
牧口、戸田両先生は、御書を「我が身一人の日記文書なり」 ※3とされ、広宣流布、立正安国への大誓願をもって身読された。
ゆえに、
私たちもまた、
御聖訓の一文一句は、
他の誰でもない
自分自身へ送ってくださった励まし
と拝していきたい。
そして、御本仏のお心に体して、
縁する一人一人を大切に、
勇気と確信の対話へ打って出るのだ。
そこに、自他共に「一生成仏」 へ、
心機一転の大生命力が
滾々と漲ってくるのである。
フランス語版「御書」の総合監修をされたデニス・ジラ博士は、「日蓮仏法は、地球規模の危機にある社会を照らす、希望の哲学である」 と洞察されるとともに、「創価の青年たちの深き誓願と、世界を結ぶ団結と連帯」 は、現代を覆う恐れを見事に打ち破り、涌現した群像なりと讃えてくださっている。
「創価学会は、
どこまでいっても創価学会である。
御書根本の『師子王心』の陣列である。
これを忘るるな」
この恩師の師子吼のまま、
御書を力として「いまだこりず候」※4と、
祈り学び、
動き語り、
戦い進もう!
家族と友人にも、
地域と社会にも、
そして、世界と地球民族にも、
心機一転の生命の息吹を広げゆこう!
五月の光風さながらに。
妙法の
力を出せ
惜しみなく
勝利の聖典
我が身に体して
※1 新版1623頁、全集1192頁
※2 新版1613頁、全集1178頁
※3 新版713頁、全集563頁
※4 新版1435頁、全集1056頁
2022年大白蓮華5月号№871 巻頭言
2022年4月度
信頼の大地に幸の花園を
<我が身には、自分自身の仏界と一切衆生の仏界も具わっている>
法華経の薬草喩品に、「人華」※1という美しい一語がある。
アフリカの人道の巌窟王ネルソン・マンデラ翁を五百人の青年たちと熱烈に歓迎した折、この言葉を通して語り合った。
――色とりどりの花々のごとく、「人華」という人間性の花が個性豊かにして平等に、繚乱と咲き誇る未来を共々に!と。
深く頷かれた、あのマンデラ・スマイルが温かく蘇る。
薬草喩品では、あらゆる草木に分け隔てなく降り注ぐ慈雨のように、妙法の大功力は「無数千万億種の衆生」※2を差別なく潤し、仏の生命を平等に開花させていくと明かされている。
多様性の尊重と共生という人類の課題を照らす光である。
七十年前、戸田先生が「地球民族主義」の理念を提唱された当時、先生と一緒に深く拝した御聖訓の一説がある。
「我が身に本より、自の仏界、一切衆生の他の仏界、我が身に具せり」※3――我が身には、もともと、自分自身の仏界とともに、一切衆生の仏界までも具わっているのである、と。
一人一人の生命が、どれほど尊厳であり、どれほど壮大な広がりを持っていることか。全民衆、全人類、そして全宇宙の仏性ともつながっている。創価の地球民族主義は、かくも深遠な、かくも確固たる生命観に依って立つのである。
ゆえに、いかなる事態にも、我らは怯まず諦めず、自行化他の題目を唱え抜き、立正安国の対話を貫くのだ。仏界の命を呼び顕し、結び合い、地球上に仏国土を築きゆくために!
妙法の慈雨を浴び、変わっていかない人はいない。反発さえも、仏の種が芽吹き、幸の花が育っていく兆しといえる。
今いずこにも、尊き広布の父母たちが汗と涙で耕してきた信頼の大地が広がり、新たな地涌の人華が咲き誇っている。
「信心のこころ全ければ、平等大慧の智水乾くことなし」※4
大きな大きな賢者の心で、友の生命を満々と潤す対話を!
仏種を蒔く
誇りに燃えて
語り切れ
いまだこりずと
明日の人華へ
※1 法華経255頁
※2 法華経243頁
※3 新版345頁、全集403頁
※4 新版1458頁、全集1072頁
2022年大白蓮華4月号№870 巻頭言
2022年3月度
皆が「一念三千」の哲人王
<人間以上になる必要はない!>
人間は、人間以上には偉くなれない。なる必要もない。
日蓮大聖人は、誰もがありのままの人間として、最も偉大に最も尊貴に、人間らしく輝きゆける道を開いてくださった。
騒乱の世で、単身、幼い娘を抱えながら、同志に尽くし、大難の佐渡にも馳せ参じた日妙聖人を讃えて、仰せである。
「民の現身に王となると、凡夫のたちまちに仏となると、同じことなるべし。一念三千の肝心と申すはこれなり」※1
――信強き貴女こそが、仏そのものの生命なのです。幸福の王者の境涯にならないわけがない。そのための一念三千の仏法なのですから、との大慈悲の心音が迫ってくる。
初代・牧口常三郎先生も線を引かれていた御聖訓である。
我らは「一念三千」という極理を体現した「繕わざる」※2生命の哲人王を、庶民の大地から、一人一人、呼び出してきたのだ。
御書の随所に記される「王」とは、権威の象徴ではない。
「王は民をおやとし」※3とされ、誰にもまして民衆に奉仕して「人をたすくる人」※4と示されている。とともに、「王と申すは天・人・地の三つを串くを王と名づく」※5と、何ものにも揺るがない、正しき生命の王者の境地を明かされているのだ。
1966年の三月、軍事政権下の圧迫にも、毅然と未来を見つめるブラジル広布の女性リーダーと、私は語り合った。
「大変だな、困ったなと思う時に、どう戦ったかによって、大飛躍、大勝利の因をつくることができる」
その通り、今や、世界広布の王者と光るブラジルとなった。
全ては一念で決まる。先の見えないトンネルに入ったような社会だからこそ、大宇宙をも動かしゆく地涌の誓願の一念を脈動させて、民衆と共に、民衆のために、人情味あふれる振る舞いで、励ましの対話を広げていこう! 人間の王者、民衆の王者の大連帯で、明るい希望を開きゆくのだ。
幻の
虚栄の流転
見下ろして
民の王城
築く誇りよ
※1 新版1681㌻、全集1216㌻
※2 新版1058㌻、全集759㌻
※3 新版1886㌻、全集1554㌻
※4 新版13㌻、全集9㌻
※5 新版746㌻、全集587㌻
2022年大白蓮華3月号№869 巻頭言
2022年2月度
厳冬に冴え光る満月のごとく
<今再び、広布と人生の跳躍を!>
ある厳冬の夜道、恩師・戸田城聖先生と一緒に、冴え光る満月を仰ぎながら語り合った御金言が思い出される。
「月は、よいよりも暁は光まさり、春夏よりも秋冬は光あり。法華経は正像二千年よりも、末法には殊に利生有るべし」※1と。
戸田先生はしみじみと、「御本仏の大慈大悲は有り難いな。一番大変な時にこそ、一番苦しんでいる民衆を、一番明るく照らして救ってくださる仏法なのだ」と言われたのである。
立宗七百年の佳節たる1952年(昭和27年)の二月、師が教えてくださった、この日蓮仏法の大光を濁世にいよいよ鮮烈に放ちゆく時だと、私は報恩の誓いに立ち上がった。
戦災の傷跡が残り、深刻な経済難や病苦が絶えない時代である。あまりに厳しい宿命の壁に、皆がぶつかっていた。
新任の蒲田支部幹事の私は、今こそ、妙法の大功力で、支部の全員に幸せになってもらうのだと祈りを定め、訴えた。
「戸田先生の弟子として、この闘争で、悩みを乗り越える突破口を開き、宿命転換の実証を断じて示していこう!」と。
一人一人が「よし!自分も」と、勇んで唱題と折伏に挑戦する中で、地涌の闘士に生まれ変わった。弘教は勢いを増して進み、病気や失業の克服など体験が次々に語られていった。この功徳の連鎖、歓喜の連鎖から、月に二百一世帯という飛躍が果たされ、師の願業の成就へ突破口が開かれたのだ。
常勝関西がこの息吹とともに出発したことも、懐かしい。
ともあれ、師弟不二の信心で突破できぬ壁などないのだ。
二月闘争から七十年の今再び、わが青年部を先頭に、世界中の宝友が広布と人生の新たな跳躍に励んでくれている。
日蓮大聖人は、「深く信ずる者は、満月の闇夜を照らすがごとし」※2と仰せである。
我らの深き祈りと行動と団結で、冴え光る満月のごとく、勝負の一年を照らしゆこうではないか!
金色の
歴史を創る
時は今
師弟の舞に
友を誘い
※1※2 御書新版527㌻・御書全集1501㌻
2022年大白蓮華2月号№868 巻頭言
2022年1月度
誉れの地区に福智の海あり
<新たな飛躍の出発点は、「地区」にあり>
日本、そして世界の識者との語らいの中で、
しばしば異口同音に感心されていたことがある。
「創価学会の方々の眼差しは優しい。
人間と生命への慈愛があります。
世界にって、
かけがえのない宝です」と。
法華経の観世音菩薩普門品第二十五には、
「慈眼もて衆生を視る
福寿の海は無量なり」
(法華経6384㌻)
と説かれている。
日蓮大聖人は、この経文を通し、
妙法の慈悲を体現して、
海のごとく
福智を無量に
開いていくよう示された。
その通り、
どの人にも仏の生命あり
と慈しみの眼を注ぎ、
どんな宿命も打開できる
と勇気の声を送ってきたのが、
創価家族である。
私は、
とりわけ「地区」こそ、
笑顔の慈眼で見交わし、
仏のごとく互いに敬いながら、
地域社会を
大誠実の福徳と智慧で
潤していく「福智の海」であると、
祈りの一念を定めてきた。
1961年の最初のアジア歴訪の折、
まだ人数少ないゆえに、
各国の地区の結成をためらうリーダーへ、
私は言った。
「『0』には、
何を掛けても『0』だが、
『1』は何を掛けるかで、
無限に広がっていく。
だから、その『1』を、
その一人を、
大切に育てあげ、
強くすることです」と。
そして一つの地区の「福智の海」から、
どれほどの人材が育ち、
三十年後には、
その国の広布の大海原が
どこまで広がりゆくかを
明確に展望し、
着実に手を打ち続けてきたのである。
新たな飛躍の出発点は、
「地区」であることは忘れまい。
今、不信や偏見の冷たい視線が
人の心を傷つけ、
引き裂く時代にあって、
創価の「慈眼」の励ましが、
いかに重要か。
御義口伝に曰く、
「南無妙法蓮華経は福智の二法なり」
(御書792㌻、新版1104㌻)と。
慈折広布の誓願の題目を唱え、
満々たる福智を湛えながら、
尊き地区部長、
尊き地区女性部長を中心に、
ますます温かく大らかな
信頼の絆で、
青年・飛躍の千波万波を広げゆこう!
わが地区の
仏法流布を
託されて
不二の心で
励む随喜よ
2022年大白蓮華1月号№867 巻頭言
2021年12月度
信心の「心ざし」は自在なり
信心とは、
何ものにも揺るがず、
何ものにも侵されず、
何ものにも屈しない、
最も深く、
気高く、
強き心である。
日蓮大聖人は、
大法戦を開始された御自身の出発点を
『いかなる大難にも退せぬ心』(1488頁)
と仰せられた。
初代・牧口先生、二代・戸田先生以来、
この御心を継ぎ、
勇猛精進を貫いていることが、
創価の師弟の誉れである。
とりわけ、
全世界がコロナ禍に直面した
去年、今年は、
あらゆる動きが制限される中で、
広宣流布の流れが
停滞し後退させられかねない
試練であったといってよい。
しかし、学会家族の信心の「心ざし」は、
いささかたりとも怯まず、
退かなかった。
いずこの国・地域も、
思うように集まれなくとも、
互いに気づかい支え合い、
聡明に工夫して
異体同心の団結を深め、
断固と前進してきた。
そして民衆と社会の安穏を祈り、
変毒為薬の光を送って、
立正安国の希望・勝利の実証を
打ち立てたのである。
御本仏の御称讃はいかばかりであろうか。
『北国も東国も西国も南国も一同
やみなげくよしきこへ候、
かかるよにいかなる宿善にか・
法華経の行者をやしなわせ給う事
ありがたく候ありがたく候』(1552頁)
これは、当時、
二年にわたる疫病の大流行の渦中も、
変わらぬ心ざしで大聖人をお守りし、
先頭に立って強敵に立ち向かった
南条時光への御聖訓である。
この功徳は、
亡き家族への最高の追善になり、
自身を荘厳し、
さらに一切に及ぼしていけるとも示されている。
それは、今この時に、
自発能動の信心で戦いを起し続けている、
わが同志一人一人への
御照覧に他ならない。
信心の心ざしは
自在であり、
壮大であり、
永遠である。
『心の一法より国土世間も出来する事なり』(563頁)
と明かされている通り、
新たな年も、
御本仏と共に、
妙法と共に、
立正安国と一閻浮提広宣流布、
そして
末法万年尽未来際への令法久住を心ざし、
明朗に進みゆこう!
人類も地球も宇宙までも、
元初の太陽の心で
悠々と照らしながら、
青年・飛躍の大ドラマを綴りゆくのだ。
真金を
鍛える試練を
勝ち越えて
万年までの
大河は無窮と
2021年大白蓮華12月号№866 巻頭言
2021年11月度
「桜梅桃李」の人華の連帯を
創立の月に当たり、広宣流布の太陽と輝き光る世界中の創価の女性へ、みんなで改めて感謝を捧げたい。
御本仏・日蓮大聖人が、法華経の「第一の肝心」として日眼女に送られた薬王品の一節が胸に迫ってくる。
「能く是の経典を受持すること有らん者は亦復是くの如し一切衆生の中に於て亦為れ第一なり」(法華経596頁)
大聖人は、この一切衆生の「第一」の人とは、妙法を持つ「女人」である貴女なのですよ、と讃嘆されている。
薬王品では、妙法の力用について、一切衆生を「よく救い」、「よく諸の苦悩から離れさせる」。そして「よく大いに利益して、その願いを満たす」と説かれる。
この妙法の大良薬を携えて、仏に代わり、仏の仕事を、日々懸命に果たしているのが、地涌の女性たちだ。
人間として本当に偉い人とは一体、誰か。地位や名声、権勢や富などに惑わされる時代は、もはや過ぎ去った。
どのような哲学を抱き、人々のため、社会のため、いかに苦労し行動しているか。その実像が心を打つ。
なかんずく生命尊厳の法理を掲げ、喝采のない舞台で、苦しむ友に寄り添い、地道に誠実に不退の信心で人道の貢献への連帯を築きゆく広布の女性が、どれほど偉いか。
虚栄も威張りもなく、朗らかにして笑顔さわやかな無冠のヒロインこそを、大聖人が御照覧の通りに「第一の鑑の人」と仰ぎ、いよいよ大切に敬い学ぶのだ。いやまして誇り高く宣揚し、幸福勝利の華冠を贈るのだ。
地味でありながら、ここに、民衆の心の大地を耕す人間性の指標があり、地球民族を結ぶ平和の要がある。
とりわけ、「桜梅桃李の己己の当体を改めずして」(784頁)、多彩な人華を咲かせ合う女性部の異体同心のスクラムは、世界が希求する多様性の共生のモデルである。
とともに、「大悲とは母の子を思う慈悲の如し」(721頁)と仰せのように、一段と慈悲から発する智慧の光を、華陽姉妹をはじめ若き世代と未来へ広げていきたい。
創立百周年へ、一閻浮提第一の希望の陣列、楽しく!
殉教の
師父が祈りし
母娘らの
幸の笑顔が
輝く人道世紀(せいき)を
2021年大白蓮華11月号№865 巻頭言
2021年10月度
仏性を呼び覚ます対話の渦を
1961年10月、築かれて二カ月後の「ベルリンの壁」を私は目の当たりにし、人々を引き裂く魔性に憤怒した。
それは、師・戸田城聖先生が第一の遺訓とされた「原水爆禁止宣言」で、世界の民衆の生存の権利を脅かす根源と喝破した魔性そのものである。この魔性に打ち勝つ究極の力こそ、人間生命に内在する仏性にほかならない。
私は、三十年先には必ず壁が破られていることを深く祈るとともに、仏性を呼び覚ます対話の渦をと誓った。
日蓮大聖人は、全宇宙の仏菩薩をはじめ、「日月・明星」から「那落の炎の底まで」含め、「所有(あらゆる)一切衆生の備うる所の仏性を妙法蓮華経とは名くるなり」(御書498頁)と示された。
ゆえに妙法を一遍唱えれば、一切衆生の仏性を皆、呼び集め、我が身の仏性も顕し出せると仰せである。
自行化他の題目を唱えゆく地涌の生命ほど、強く大きなものはない。天空も、大地も、生きとし生けるものを包み込み、絶望や不幸、不信や対立の壁に閉じ込められてきた人間の本然の力たる仏性を解き放ち、結び合いゆく壮大な前進こそ、我らの広宣流布である。
わが誉れの同志は、一人一人の宿命の壁に体当たりでぶつかって「人間革命」に挑むと同時に、万人の幸せと国土の安穏を祈り、心の壁を取り払って、地球上いずこの地にも「立正安国」のスクラムを広げてきたのだ。
分断の象徴「ベルリンの壁」は二十八年後に崩壊した。私の一歩から六十年の今、統一ドイツをはじめ全欧州で、尊き創価の世界市民たちが異体同心の団結で、コロナ禍にも屈せず、平和と共生の連帯を輝かせてくれている。
東西冷戦の終結の立役者ゴルバチョフ氏と語り合ったことが蘇る。「今再び、『あきらめの壁』『無力感の壁』を青年の勇気で破ろう!」と。
行く手に、いかに高く厚い壁がたちはだかろうとも、地走る者の王・師子王の如く何ものにも遮られない師子吼を轟かせ。空飛ぶ者の王・大鷲の如く一切の障壁を悠々と見おろして、生命尊厳の勝利の虹の橋を架けるのだ。
妙法に
破れぬ無明の
壁はなし
平和の師子吼を
王者の我らは
2021年大白蓮華10月号№864 巻頭言
2020年5月度
地球民族の揺るがぬ宝塔を
心一つに、苦難を共に乗り越えてきた師弟の絆ほど、尊く、深く、強いものがあろうか。
御本仏は、竜の口の法難、佐渡流罪にも負けなかった門下たちにこそ「まことの大事」を示していかれた。
この「佐後(佐渡流罪以後)の法門」の意義を明かされた三沢抄には、『但此の大法のみ一閻浮提に流布すべしとみへて候、各各はかかる法門にちぎり有る人なれば・たのもしと・をぼすべし』(1489頁)と記されている。
創価学会は創立より90年、三類の強敵に打ち勝ち、日蓮大聖人の未来記の通り、一閻浮提に大法弘通を成し遂げてきた。どれほど大きな福徳が積まれていることか。
『宿縁深き人なのだから、頼もしく思われなさい』とは、そのまま、わが尊き学会員への仰せと拝したい。
戦後、経済苦や病苦、災害や争乱が渦巻く時代相に、恩師は胸を痛めつつ、しみじみと私に言われた。
ーーー大聖人は『当世は世みだれて民の力よわし』(1595頁)と嘆かれた。「民の力」を強くして、世の乱れを治められる地球民族の連帯を、必ずや築くのだ、と。
今、新型コロナウィルスの感染拡大をはじめ、厳しい試練に直面する世界で、創価の宝友は「立正安国論」を体し、国を超えて共に、「四表の静謐」と「変毒為薬」を祈り抜き、社会へ誠心誠意の貢献を貫いている。
妙法の大音声は宇宙まで遍満する。もはや、いかなる三災七難にも屈しない。地涌の民衆のネットワークが結ばれた。『一切衆生に仏性あり』(1382頁)という人間への尊敬と信頼の絆を、未来へ遠大に広げていくのだ。
『四相(生老病死)を以て我等が一身の塔を荘厳するなり』(740頁)―ーー英知の殿堂・ハーバード大学での二度目の講演を、私はこの「御義口伝」を引いて結んだ。
創価の師弟は、「生老病死」の苦悩をも「常楽我浄」という希望へと転ずる人間革命の実証を無数に重ねている。
一人一人が今一重、生命の光を強く放ちながら、地球民族の揺るがぬ宝塔を荘厳していこうではないか!
頼もしき
創価の友の
宝光かな
苦難を転じて
人類照らせや
2020年大百蓮華5月号№847 巻頭言
2020年2月度
第1639回
夢物語が現実に!
<生きていること自体が楽しい>
今、あらためて思い起こされる恩師の宣言がある。
「我々はこの世に楽しむために生まれてきたのだ」と。
戦後の苦悩渦巻く大混乱の時代の只中にありながら、
戸田先生は、信心の力で一人一人が「生きていること、それ自体が楽しい」という人生を開いていけると断言された。
そして、「日本中、世界中の人をみんな楽しい笑顔にしようではないか」と呼び掛けられたのである。
夢物語のように聞いた人も少なくなかった。しかし、御聖訓に深く裏付けされた大確信の叫びであった。
日蓮大聖人は、苦難と戦う四条金吾夫妻に仰せである。
「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く『衆生所遊楽』云々、此の文・あに自受法楽にあらずや」(1143頁)
それは、富や名声など、儚く移ろう楽しみではない。自らの生命の中から込み上げてくる大歓喜である。
大聖人は、「衆生のうちに貴殿もれ給うべきや、所とは一閻浮提なり」「遊楽とは我等が色心依正ともに一念三千・自受用身の仏にあらずや」(同頁)とも示された。
「一切衆生」がもれなく、「一閻浮提」のいずこでも、題目を唱えれば、妙法の当体として必ず「遊楽」の境涯と国土を創造していけると、約束くださっている。
現実の苦しみは賢人・聖人も逃れることはできない。
だからこそ、「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて」(同頁)題目を唱え、前進するのである。
ここに、いかなる人生の宿命も社会の難題も、一つ一つ打開し、未来を照らしていく「絶対勝利」の道がある。
その何より雄弁な実証は、共戦の旅を勝ち越えた多宝の父母たちのいぶし銀の笑顔ではないだろうか。うれしいことに今、聖教新聞を通し、全世界へ発信されている。
修羅の命が噴出する時代であればこそ、一段と異体同心の結合を強め、我らは「歓喜の中の大歓喜」の妙法を人類へ伝え弘めようではないか!
「いよいよ強盛の信心をいたし給へ」(同頁)との仰せのままに。
苦楽をば
分けあう縁の
我らかな
永遠に進まむ
遊楽道を
大白蓮華2020年2月号№844 巻頭言より
2020年1月度
第1634回
今再びの「一歩前進」を!
<人類の前進を開く希望の宝庫こそ「青年」>
人類の前進を開く希望の宝庫とは、実は一番身近にあるのではないだろうか。
それは「青年」だ。「挑戦しゆく若き生命」である。
かけがえのない自らの財宝に気づかないまま、青春を送ることは、可哀想でならない。
また、若い活力を大切に育まなければ、計り知れない社会の損失となる。
御本仏・日蓮大聖人は、誠に明快に示された。
『妙と申す事は開と云う事なり 世間に財を積める蔵に鑰(かぎ)なければ開く事かたし開かざれば蔵の内の財を見ず』(943頁)と。
妙法は、あらゆる生命の無限の可能性を開く鑰である。
「青年の熱と力」を無窮に解き放って、幸福と平和の価値を自在に創造していけるのが、我らの信仰なのだ。
尊い青年たちが利用されたり、引き裂かれたり、犠牲にされたりすることは、絶対にあってはならない。
御聖訓には、「妙の三義」として「開く義」とともに、『妙とは具の義なり、具とは円満の義なり』(944頁)、
そして『妙とは蘇生の義なり 蘇生と申すはよみがえる義なり』(947頁)
ゆえに妙法と共に走る青春は、どんなに過酷な壁に突き当たろうとも、断じて行き詰まらない。絶望などない。
春の旭日のような新鮮にして明るい福徳の光で、自分も家族も友人も、職場も地域も社会も照らし包んでいける。
戸田先生はよく、青年は、厳しい訓練を糧として、伸びていくのだ、それが青年じゃないか、と励まされた。
この不屈の生命力で、朗らかに人生を勝ち開くのだ。
1960年(昭和35年)、第三代会長に就任した私は、地涌の青年として「一歩前進への指揮」を宣言した。
この六十年、わが宝友は私と一緒に、生涯青春の心で、「生老病死」の苦悩も「常楽我浄」の希望へ転じながら、
前進また前進を貫き、そして後継の青年を育ててきた。
創価の若き世界市民の連帯は、壮大な広がりとなった。
さあ、今再びの「一歩前進」を若々しく開始しよう!
大宇宙
轟くリズムの
妙法と
我らの前進
世界に人材を
大白蓮華2020年1月号№843 巻頭言より
2019年7月度
日輪の如く 師子の如く
人の世はいかなる道にも修行がある。その修行に徹し、道を究めてきた人には、命の張りがあり、光がある。
日蓮大聖人は『法華経の修行の肝心』を明確に教えてくださった。不軽菩薩の如く『人を敬う』ことであり、賢き「人の振舞」を貫くことである。(1174頁)
それは、その人も仏性を信じ、礼儀と誠意を尽くして会うことから始まる。その時は反発されても、こちらの礼拝の一念は、相手の奥底の仏性には必ず通じている。
とともに、庶民を傲慢に見下し、不幸に陥れる魔性の働きには、勇敢に聡明に忍耐強く立ち向かっていくのだ。
御書には、その手本が幾重にも示されている。
『日蓮は此の法門を申し候へば他人にはにず多くの人に見て候へ』(1418頁)とも仰せである。
他者とは比較にならないほど人と会われ、語り抜かれた。その上で、『いとをしと申す人は千人に一人もありがたし』(同頁)と率直に記されてもいる。
御本仏の大慈大悲で包まれても”本当に立派な人”は少ないと言われるのだ。
いわんや凡夫の私たちが末法の衆生の只中で、どれほど苦心しているか、全て御照覧くださっているに違いない。
まさに「立正安国の対話」は、至難の修行なのである。
だからこそ、福徳もまた大きい。自らの境涯を開く人間革命とともに、一家眷属も、地域社会も大福運を積み、さらに国土世間の宿命まで転換していけるのだ。
「この世の悲惨をなくし、不幸をなくし、人権を、人間の尊厳を守り、平和な社会を築いていくなかにこそ仏法の実践がある」とは、恩師の関西での宣言であった。
ともあれ我らの語らいは、皆が幸せになるための修行である。一歩また一歩が、仏になりゆく道なのである。
『法華経の行者は日輪と師子との如し』(1219頁)
ゆえに、太陽の如く明るく大らかに、一人一人の心を照らし、仏縁を結び希望の連帯を広げゆこう! そして、師子の如く強く堂々と正義を叫び切って、「人の振舞」という人間主義の勝利の旗を掲げゆこうではないか!
太陽と
師子のいのちの
君なれば
照らせ 吼えゆけ
凱旋かざれや
大白蓮華2019年7月号№837 巻頭言
2019年5月度
青春の晴れ舞台は
創価にあり
<衆生無辺誓願度の成就>
恩師・戸田城聖先生ほど、青年を信頼し、慈しみ、薫陶してくださった指導者を、私は知らない。
残酷な戦争に家族を奪われ、青春を蹂躙された私たちに、先生は「富士の高嶺を 知らざるか」と最高峰の生命尊厳の大哲理を示され、妙法流布という平和の大信念を「富士の如く」貫くことを教えてくださったのである。
先生の法華経講義の感激を、私は「若干二十にして、最高に栄光ある青春の生きゆく道を知る」と記した。
この道を同志と歩み通して七十余星霜。経済苦や病苦など、どんな宿命も皆で転換し、人間革命の劇を広げながら、幸と平和の揺るがぬ民衆の連帯を築き上げてきた。
新時代の若人たちよ、絶対に悔いのない、この創価の青春の道に「競うて来れ速やかに」と、私は叫びたい。
日蓮大聖人は、伊豆流罪の渦中、門下を激励された。
『一切衆生なくば衆生無辺誓願度の願を発し難し、又悪人無くして菩薩に留難をなさずばいかでか功徳をば増長せしめ候べき』(四恩抄、937頁)
多様な人がいるからこそ、民衆救済の誓願を果たせる。圧迫にも負けないからこそ、無量の功徳を積めるのだ。
広布の勝ち戦のリズムに合わせ、現実社会の人間群に飛び込んで使命を果たす青春ほど、尊い晴れ舞台はない。
忙しく労苦も多いけれども、何ものにも代え難い充実がある。誇りがある。生き甲斐がある。大歓喜がある。
一人の若人が妙法によって蘇生する時、家庭も職場も、地域も社会も国土も、生命力を増す。この若き地涌の陣列の拡大にこそ、人類の希望があるといってよい。
御聖訓には『物だねと申すもの一なれども植えぬれば多くとなり』(御衣並単衣御書、971頁)と仰せである。
立正安国のため、地区で支部で、壮年・婦人の先輩方が青年と一緒に行動し、若き心の大地に励ましの種を植えることが、どれほど豊かな華と果を成就することか。
我らの五月。伸びゆく宝の命と、今を勝ち、未来も勝ち抜く「令法久住」の大行進を、さあ威風堂々と!
青春を
思いきり舞え
誇らかに
嵐に揺るがぬ
創価と共に
大白蓮華2019年5月号№835巻頭言
2019年4月度
創価に「しりぞく心なし」
「さあ、勇敢に、楽しく戦おうじゃないか!」
恩師は、大変であればあるほど、悠然と言い放たれた。
どんな断崖絶壁の苦境に追い込まれようと、一歩も退かないと決めた勇気ある信心で、必ず難局を切り開ける。
苦難の中でこそ、偉大な創造が成されるのだ。思えば、聖教新聞の創刊も、最大の試練の渦中に構想された。
御本仏・日蓮大聖人は、「広宣流布」「立正安国」とは、法華経の行者と第六天の魔王とが、生死の苦悩の逆巻く大海で、この娑婆世界を『とられじ・うばはんと・あらそう』(1224頁)大法戦の舞台であると示されている。
一切衆生を魔軍から守り、不幸の流転から救い切って行くために、大聖人御自身が戦い起こされて、『一度もしりぞく心なし』(同頁)と仰せなのである。
この甚深の御書をいただいたのは、庶民の母である。
度重なる大難に臆病な弟子らが退転しても、決して退かなかった健気な信心を、御本仏は『釈迦・多宝・十方分身の諸仏も御知見あるか』(同頁)と讃えておられるのだ。
”あなたこそ、私と同じ不退の心の法華経の行者だよ”――それは、学会家族への御賞讃と拝されてならない。
大聖人が開始なされた、人類に宿命を転換しゆく壮大なる平和と幸福の師弟共戦を、そのまま受け継いでいる地涌の陣列こそ、創価の父母たちであるからだ。
いかに障魔が競い起こり、いかに災難が打ち続こうとも、我らは「立正安国」の旗を断じて降ろさない。強敵が立ちはだかるほどに、誓願同心の民衆がいやまして団結し、底力を発揮して一切を勝ち越えていくのだ。
広布の大闘争から、一人一人の「人間革命」の劇が生まれ、それぞれの地域の「三変土田」の歴史が創られる。
「御義口伝」には、『依報も正法も福運・智慧ともに無量であり、いわゆる南無妙法蓮華経とは福智の二法なのである』(792頁、通解)と明かされている。
個人も社会も妙法の福智の光で包みながら、幸と安穏の世界を広げゆこう! 創価には「しりぞく心なし」と。
久遠より
共に誓いし
この地にて
皆が笑顔の
勝利の旗ふれ
大白蓮華2019年4月号 №834 巻頭言
2019年3月度
仏法は大きい!!
<よりよき社会の建設へ、人間主義の連帯を築こう!>
忘れ得ぬ戸田大学の研鑽の中で、恩師が「大作、仏法は大きいな!」と微笑み、示された御聖訓がある。
日蓮大聖人が「其の国の仏法」を任せると信頼された、駿河国(静岡県)富士郡の高橋夫妻への一節である。
『たすけんがためにこそ申せ、かれ等のあだをなすは・いよいよ不便にこそ候へ、まして一日も我がかたとて心よせる人人は、いかでかをろかなるべき』(1460頁)
――迫害してくる権力者などさえ不憫であり、導こうと仏法を語っているのだ。ましてや一日でも味方となり心を寄せてくれた人々を、どうして疎かにしようか、と。
どんな差異も超えて全人類を包み込む大きさと、縁を結んだ民衆一人一人の幸福をどこまでも祈り抜く深さを、御本仏から受け継いでいるのが、創価の世界である。
大聖人は、一切衆生の「異の苦」も「同一苦」も悉く「日蓮一人の苦」と仰せになられた。
このお心に連なって、我らはたゆまず「立正安国」の対話に打って出る。信仰の有無や立場などを問わず、同じ時代に生きる仲間として、現実の課題を共に見つめ、よりよき社会の建設へ人間主義の連帯を築くのだ。
信念と大情熱の語らいの中で、仏性という最極の善の生命を互いに輝かせ合うことができる。反発さえも、「立正安国論」に「咲み止めて」とあるように、笑顔で受けとめながら、幸の仏種を心田に蒔いていくのである。
ここから、「人間革命」のドラマが幾重にも生まれる。
法華経の妙荘厳王品は、邪見に囚われていた父王が、妻と二人の子によって正しき信仰に導かれる物語である。
ひとたび目覚めた父王は大いに歓喜し、一挙に偉大な力を発揮する。王宮の幾多の群臣眷属を、仏のもとへ引き連れ、そして諸共に正義と功徳を拡大していくのだ。
広布の最前線の地区やブロックでも、勇敢にして誠実な宝友の挑戦が、新たな地涌の眷属を呼び出している。
祈りと真心を尽くす人間外交で、「一人」への励ましを広げ、幸福と平和の波動を起こしゆこうではないか!
みな宝塔
みなが仏子と
誇らかに
声を惜しまず
励まし勝ちゆけ
大白蓮華2019年3月号№833巻頭言