今月のメッセージ履歴

2019年5月度

 

青春の晴れ舞台は

創価にあり

 

<衆生無辺誓願度の成就>

 

 恩師・戸田城聖先生ほど、青年を信頼し、慈しみ、薫陶してくださった指導者を、私は知らない。
 残酷な戦争に家族を奪われ、青春を蹂躙された私たちに、先生は「富士の高嶺を 知らざるか」と最高峰の生命尊厳の大哲理を示され、妙法流布という平和の大信念を「富士の如く」貫くことを教えてくださったのである。
 先生の法華経講義の感激を、私は「若干二十にして、最高に栄光ある青春の生きゆく道を知る」と記した。
 この道を同志と歩み通して七十余星霜。経済苦や病苦など、どんな宿命も皆で転換し、人間革命の劇を広げながら、幸と平和の揺るがぬ民衆の連帯を築き上げてきた。
 新時代の若人たちよ、絶対に悔いのない、この創価の青春の道に「競うて来れ速やかに」と、私は叫びたい。
 日蓮大聖人は、伊豆流罪の渦中、門下を激励された。


 『一切衆生なくば衆生無辺誓願度の願を発し難し、又悪人無くして菩薩に留難をなさずばいかでか功徳をば増長せしめ候べき』(四恩抄、937頁)

 多様な人がいるからこそ、民衆救済の誓願を果たせる。圧迫にも負けないからこそ、無量の功徳を積めるのだ。


 広布の勝ち戦のリズムに合わせ、現実社会の人間群に飛び込んで使命を果たす青春ほど、尊い晴れ舞台はない。
 忙しく労苦も多いけれども、何ものにも代え難い充実がある。誇りがある。生き甲斐がある。大歓喜がある。
 一人の若人が妙法によって蘇生する時、家庭も職場も、地域も社会も国土も、生命力を増す。この若き地涌の陣列の拡大にこそ、人類の希望があるといってよい。


 御聖訓には『物だねと申すもの一なれども植えぬれば多くとなり』(御衣並単衣御書、971頁)と仰せである。


 立正安国のため、地区で支部で、壮年・婦人の先輩方が青年と一緒に行動し、若き心の大地に励ましの種を植えることが、どれほど豊かな華と果を成就することか。
 我らの五月。伸びゆく宝の命と、今を勝ち、未来も勝ち抜く「令法久住」の大行進を、さあ威風堂々と!

 

 青春を
  思いきり舞え
   誇らかに
  嵐に揺るがぬ
    創価と共に

 

 大白蓮華2019年5月号№835巻頭言

2019年4月度

 

創価に「しりぞく心なし」

 

 「さあ、勇敢に、楽しく戦おうじゃないか!
 恩師は、大変であればあるほど、悠然と言い放たれた。
 どんな断崖絶壁の苦境に追い込まれようと、一歩も退かないと決めた勇気ある信心で、必ず難局を切り開ける。
 苦難の中でこそ、偉大な創造が成されるのだ。思えば、聖教新聞の創刊も、最大の試練の渦中に構想された。
 御本仏・日蓮大聖人は、「広宣流布」「立正安国」とは、法華経の行者と第六天の魔王とが、生死の苦悩の逆巻く大海で、この娑婆世界を『とられじ・うばはんと・あらそう』(1224頁)大法戦の舞台であると示されている。
 一切衆生を魔軍から守り、不幸の流転から救い切って行くために、大聖人御自身が戦い起こされて、『一度もしりぞく心なし』(同頁)と仰せなのである。
 この甚深の御書をいただいたのは、庶民の母である。
 度重なる大難に臆病な弟子らが退転しても、決して退かなかった健気な信心を、御本仏は『釈迦・多宝・十方分身の諸仏も御知見あるか』(同頁)と讃えておられるのだ。
 ”あなたこそ、私と同じ不退の心の法華経の行者だよ”――それは、学会家族への御賞讃と拝されてならない。
 大聖人が開始なされた、人類に宿命を転換しゆく壮大なる平和と幸福の師弟共戦を、そのまま受け継いでいる地涌の陣列こそ、創価の父母たちであるからだ。
 いかに障魔が競い起こり、いかに災難が打ち続こうとも、我らは「立正安国」の旗を断じて降ろさない。強敵が立ちはだかるほどに、誓願同心の民衆がいやまして団結し、底力を発揮して一切を勝ち越えていくのだ。
 広布の大闘争から、一人一人の「人間革命」の劇が生まれ、それぞれの地域の「三変土田」の歴史が創られる。
 「御義口伝」には、『依報も正法も福運・智慧ともに無量であり、いわゆる南無妙法蓮華経とは福智の二法なのである』(792頁、通解)と明かされている。
 個人も社会も妙法の福智の光で包みながら、幸と安穏の世界を広げゆこう! 創価には「しりぞく心なし」と。

 久遠より
  共に誓いし
    この地にて
   皆が笑顔の
     勝利の旗ふれ

 

大白蓮華2019年4月号 №834 巻頭言

2019年3月度

仏法は大きい!!

 

<よりよき社会の建設へ、人間主義の連帯を築こう!>


 忘れ得ぬ戸田大学の研鑽の中で、恩師が「大作、仏法は大きいな!」と微笑み、示された御聖訓がある。
 日蓮大聖人が「其の国の仏法」を任せると信頼された、駿河国(静岡県)富士郡の高橋夫妻への一節である。
 『たすけんがためにこそ申せ、かれ等のあだをなすは・いよいよ不便にこそ候へ、まして一日も我がかたとて心よせる人人は、いかでかをろかなるべき』(1460頁)
 ――迫害してくる権力者などさえ不憫であり、導こうと仏法を語っているのだ。ましてや一日でも味方となり心を寄せてくれた人々を、どうして疎かにしようか、と。
 どんな差異も超えて全人類を包み込む大きさと、縁を結んだ民衆一人一人の幸福をどこまでも祈り抜く深さを、御本仏から受け継いでいるのが、創価の世界である。
 大聖人は、一切衆生の「異の苦」も「同一苦」も悉く「日蓮一人の苦」と仰せになられた。
 このお心に連なって、我らはたゆまず「立正安国」の対話に打って出る。信仰の有無や立場などを問わず、同じ時代に生きる仲間として、現実の課題を共に見つめ、よりよき社会の建設へ人間主義の連帯を築くのだ。
 信念と大情熱の語らいの中で、仏性という最極の善の生命を互いに輝かせ合うことができる。反発さえも、「立正安国論」に「咲み止めて」とあるように、笑顔で受けとめながら、幸の仏種を心田に蒔いていくのである。
 ここから、「人間革命」のドラマが幾重にも生まれる。
 法華経の妙荘厳王品は、邪見に囚われていた父王が、妻と二人の子によって正しき信仰に導かれる物語である。
 ひとたび目覚めた父王は大いに歓喜し、一挙に偉大な力を発揮する。王宮の幾多の群臣眷属を、仏のもとへ引き連れ、そして諸共に正義と功徳を拡大していくのだ。
 広布の最前線の地区やブロックでも、勇敢にして誠実な宝友の挑戦が、新たな地涌の眷属を呼び出している。
 祈りと真心を尽くす人間外交で、「一人」への励ましを広げ、幸福と平和の波動を起こしゆこうではないか!


 みな宝塔
  みなが仏子と
    誇らかに
   声を惜しまず
    励まし勝ちゆけ

 

 大白蓮華2019年3月号№833巻頭言

2019年2月度

真剣な祈りと

一人一人との対話は、

必ず家庭や職場や地域、

ひいては世界までも変える!


 爛漫の春、それは冬の奮闘によってもたらされる。
 雪深き北国で信頼を勝ち広げてきた農魚光部の友から、
 「冬、剪定に手間暇かけた分、いいリンゴができます。
 一番地味でも一番重要なのです」と伺ったことがある。
 広布も人生もまた、同じであるに違いない。
 わが誉れの同志は、試練の冬も、「吹雪に胸はり」と
 の学会精神を燃え上がらせてくれている。だから、強い。
 御本仏・日蓮大聖人は、その労苦を全て御照覧である。
 『いづれも・いづれも功徳に・ならざるはなし』(1098頁)
 とは、厳冬に真心の志を現した門下への仰せであった。


 ともあれ、大宇宙には、冬は必ず春とする力がある。
 妙法に生き抜く我らは、この本源の大生命力を我が身に
 満々と宿して、勝ち戦の四季を織り成していけるのだ。
 そして、寒風すさぶ現実の社会に希望の陽光を注ぎ、
 凍てついた眼前の友どちの心を春の温もりで満たしてい
 くのが、広宣流布、立正安国の対話運動に他ならない。


 挑戦挑戦の若き日、戸田大学で学んだ御聖訓がある。
 『此の妙法蓮華経を信仰し奉る一行に功徳として来ら
 ざる事なく善根として動かざる事なし』(500頁)と。
 その譬えとして、大聖人は「一つの大綱を引けば無量
 の網の目も動き、一つの角を引けば衣の全ての糸筋も手
 繰られるようなものである」と示しておられる。
 題目を唱え、現場に打って出て、地道に積み重ねゆく
 一つ一つの行動、一回一回の語らいが、どれほど広大な
 功徳を呼び集め、どれほど偉大な善根を揺り動かしてい
 くか。この闘争の中でこそ、地涌の人材は踊り出るのだ。


 六十五年前、青年部の室長に任命された私は、拡大の
 対話の先頭に立ち、入会まもない健気な同志を励ました。
 ――みんな、奥底では宇宙の大生命とつながっている。
 ゆえに、真剣な祈りと一人一人との対話は、必ず家庭や
 職場や地域、ひいては世界までも変えていけるんだ、と。
 「善根」のスクラムを楽しく広げ、世の衆望に応えゆく
 人材群を一段と輝き光らせよう!いざ、勝利の春へ!

 

 この道は
  善根つみゆく
    幸の道
   勇気の歩みで
     共に凱歌を

 

 大白蓮華2019年2月号№832巻頭言

 

2019年1月度

我が「今ここ」の勝利が
全世界の広布の希望のモデルに!

 

 昇りゆく旭日と共に、新しい人間革命の劇(ドラマ)が始まる。
 一年を通して、皆が日々「初日の出」を仰ぐような心で励まし合えたら、どれほど明るい世界になるだろう。
 御本仏・日蓮大聖人は、
 誰でも、
 いつでも、
 どこでも
 生命に元初の太陽を昇らゆける道を示してくださった。


 題目を唱えゆくところ、我が身を「さながら(そのまま)宝塔」として光らせ、我らの天地を『ここさながら宝塔の住処』(御書1304頁)と輝かせていけるのだ。
 そう心を定めれば、ありのままの自分を卑下する必要もなければ、どこか遠くに理想郷を求める必要もない。
 御聖訓に『此の土を捨てて何(いずれ)の土を願う可きや、故に法華経修行の者の所住の処を浄土と思う可し』(御書72頁)と仰せ通り、「今ここ」から寂光の宝土を築き広げるのだ。
 「娑婆」とは「堪忍」と言われる如く、現実の世界は苦しみや悩みを堪えねばならない。その試練に敢然と挑んで一つ一つ打開していくのが、「広宣流布」であり、「立正安国」である。
 なぜ労を厭わず、この挑戦を続けるのか。戸田先生は故郷の北海道の同志に語られた。
 第一に、地域と社会への貢献を果たしながら、多くの人々と仏縁を結んで、自他共に功徳を広げていくことができるからである。
 第二に、戦いを通して組織の隅々まで力を漲らせ、異体同心のスクラムを強くすることができるからである。
 そして第三に、目標を向かい、一人一人が「自分らしく悔いなく戦い切った」と御本尊に報告できる清々しい歴史を残し、勝利の喜びをつかめるからである。
 どんなに大変な場所でも、「地涌の菩薩」としての誓願に立ち返れば、自ら久遠より誓い願ってきた天地だ。皆、深き宿縁で結ばれた感激の同志であり、眷属ではないか。
 ここで戦い、ここで勝って、「心の財」を積み、共々に人間革命して仏になるのだ。
 世界広布が同時進行で展開する今、一つの地域の勝利劇が全創価家族の希望となる!
 さあ、我らの地域から新たな「創価勝利」の旭日を!

 

 この天地
  楽土と照らす
    君なれば
   諸仏は讃えむ
     諸天も護らむ

 

 大白蓮華2019年1月号№831巻頭言

2018年12月度

「皆仏になれ」と功徳満開に!

 

 仏道修行は、峻厳なる「冥の照覧」に包まれている。
 ゆえに信心の世界の苦労だけは、一切合切、無駄がない。
 御聖訓には、『雨ふり・かぜ(風)ふき・人のせい(制)するにこそ心ざしはあらわれ候へ』(種種物御消息、1548頁)と示されている。
 自然災害が打ち続いた今年も、わが同志は、まさに雨にも風にも負けぬ「心ざし」で広布に走り抜いてくれた。
 御本仏・日蓮大聖人の御賞讃はいかばかりであろうか。
 『極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず』(報恩抄、329頁)との一節に照らし、我らは一年一年、極楽の百千万年分もの功徳を積みゆく大闘争の年輪を刻んでいるのだ。
 一人一人の奮闘と陰の労苦を労い、新年へ出発しよう!『ほむれば弥功徳まさる』(妙密上人御消息、1242頁)との仰せの通り、讃え合う真心に、自他共の喜びと力が漲っていくからだ。
 今やこの希望のネットワークは全地球に広がった。
 先駆の夫妻を激励された御書には『国中の諸人・一人・二人・乃至千万億の人・題目を唱うるならば存外に功徳身にあつまらせ給うべし』(同、1241頁)とお約束である。
 座談会での体験談が集った友に波動を起こすように、世界広布が進めば進むほど、その大功徳は、大海の如く、須弥山の如く、創価家族の皆の生命に集まり具わるのだ。
 だからこそ戸田先生は、「学会と共に生き抜いてごらん。今の悩みは、必ず全部・功徳に変わる。その人間革命の歓喜で人類の幸福と平和に尽くすんだよ」と励まされた。
 なかなか結果が出なくとも、また、高齢や病気などで動けなくとも、妙法で結ばれた異体同心の連帯と一緒であれば、永遠に「常楽我浄」の軌道を上昇できるのだ。
 大聖人は若き南条時光に『一切衆生の恩』を明かされ、『生生世世に皆恩ある衆生なれば皆仏になれと思ふべきなり』(上野殿御消息、1527頁)教えられた。
 新しい一年も、我らは『皆仏になれ』と祈りを込めて、広宣流布、立正安国の対話に勇んで挑みゆこう!
 楽しく朗らかに仏縁を結びながら、『悪を滅し、善を生ずる』功徳の花を満開に咲き薫らせようではないか!

 

 風雪に
  宝樹と伸びゆく
   君なれば
  功徳と勝利の
    年輪刻めや

 

 大白蓮華2018年12月号№830巻頭言

2018年11月度

 大歓喜の青春は創価にあり

 

 我らには、紅燃ゆる「求道」の青春がある。
 若き釈尊は、「生老病死」という本源的な苦悩の打開のために偉大な探求の道を歩み始めた。
 この仏法の出発の大情熱を、誇りも高く創価の青年は継承しているのだ。

 我らには、大歓喜の「発見」の青春がある。
 法華経に「衣裏珠の譬」が説かれている。友の貧窮を見かねた親友が、寝ている間に衣の裏に最高の宝珠を縫い付けてくれた。
 それに気付かぬまま、友は流浪を続ける。再会した親友は宝珠のことを教え、友は大歓喜した、と。
 日蓮大聖人は、この譬喩の深義を『始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり』(788頁)と仰せになられた。
 ここにこそ、何ものにも勝る喜びの「発見」がある。
 どの青年も、自分自身の中に仏の生命という無上の宝珠を秘めている。

 「この宝珠に目覚め給え! 共に磨き、限りなく輝かせようではないか!」と、たゆまず呼び掛け続けてきたのが、創価学会青年部なのである。

 我らには、従藍而青(藍よりして而も青し)とは、勇気の挑戦に他ならない。常に限界を突破して、人生と社会に新たな価値を創造しゆく勇敢な挑戦だ。忙しく苦労も多いが、計り知れない充実と向上の「人間革命」の劇が広がる。

 我らには、世界を変える「連帯」の青春がある。
 恩師に十九歳でお会いして走り抜いてきた山本伸一の広宣流布の「誓願」は、創価班や牙城会、男子部大学校、白蓮グループはじめ、世界中で地涌の宝友が受け継いでくれている。この連帯こそ、二十一世紀の希望なのだ。
 人類史のいかなる青年も仰ぎ見つめる、幸福と栄光の青春を、いよいよ旭日の勢いで勝ち飾ってくれ給え!

 

 青春の
  人間革命
   光りあれ
  試練も使命に
    朗らか王と

 

 大白蓮華2018年11月号№829

2018年10月度

妙音とは
南無妙法蓮華経を唱える事

 

<人生を楽しむ>


 毎朝、私たちは「勤行」という生命の目覚めの讃歌を謳い上げて出発する。その清々しい声は、十方世界に轟きわたり、仏天をも呼び動かしていくのだ。
 日々、読誦する法華経寿量品の自我偈には、「衆生所有楽 諸天撃天鼓(しょてんぎゃくてんく) 常作衆妓楽」とある。
 戸田先生は、この経文を通して、笑いながら語られた。
 ――みんな本当は、この人生を楽しみ切るために生まれてきた。楽しむためには、苦しみが塩のようにちょっぴり必要だ。みんな塩の方が多すぎるんだよ、と。
 そして、どんなに苦悩の渦巻く娑婆世界にあろうと、妙法とともに、「天の鼓」を撃つ如く希望のリズムを作り、「妙なる名曲」を奏でるように喜びの共鳴を織り成して、「遊楽」のスクラムを広げていくよう励まされたのだ。
 御義口伝には、『妙音とは今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱える奉る事は末法当今の不思議の音声なり、其の故は煩悩即菩提 生死即涅槃の妙音なり』(774頁)と説かれる。
 題目の力は広大無辺である。偉大な文化の力用を体現する妙音菩薩の光明も、厳然と備わっている。この妙音を唱え、壮麗な法華経の会座さながらに、人間芸術の真髄の価値を創造していくのが、創価学会である。
 (中略)

 

 広布劇
  歌あり 舞あり
   名画あり
  悲劇も転じて
     歓喜の凱歌へ

 

 大白蓮華2018年10月号 №828 巻頭言

2018年8月度

壮年の本懐

 

<一番の試練の時に
一番の偉大な価値の創造を!>

 

 打ち続く苦難に遭いながら、なぜ、かくも堂々とされているのか?
 激闘の日々、戸田先生に尋ねたことがある。
 先生は、「ぼくだって、夜も眠れぬほど、悩み、考えているよ」と笑いながら、こう答えてくださった。
 「それは、牢獄のなかで、自分の使命を知ったからだね。生涯を捧げて悔いのない道を見つけたということだ。
 そうなれば人間は強いぞ。恐れも、不安もなくなる」と。
 法難の獄中で齢四十五にして妙法流布の大使命を覚悟されてより、先生はまさしく『巍巍堂々として尊高なり』(211頁)という地涌の生命で戦い抜かれたのである。
 命に及ぶ大病や災害、倒産など、逆境に挑む壮年に、先生は盟友を抱きかかえる如く渾身の励ましを贈った。
 いざ肚が決まれば、我ら丈夫は劇的に力を出せるのだと。
 言うに言われぬ苦労は絶えないが、「煩悩即菩提」の題目があるゆえに、全ては黄金柱の円熟の輝きと変わる。
 日蓮大聖人は、『法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れども・かへす事とがむる事なし、諸河の水入る事なくば大海あるべからず』(1448頁)と仰せになられた。
 さあ、何でも来い! 創価の壮年は、大海原のように悠然と、広宣流布、立正安国の誓願に生き抜くのだ。
 四条金吾がそうだったように「負けじ魂」で仏子に尽くせば、「法華経の兵法」の真髄を発揮できる。誰が褒めなくとも、師匠に笑顔で報告できれば、それでいいのだ。
 短気な金吾には、女性を大切に、大らかに包容するのが賢人とも指導されている。世界一の太陽の婦人部から信頼される時、世界一の壮年王者と光ることを忘れまい。
 八月二十四日は「壮年部の日」。七十一年前の夏、恩師が十九歳の私を導いてくださったように、壮年が後継の青年を励まし、育てゆく意義も込めさせて頂いている。
 また、1950年、最悪の苦境に、師が聖教新聞の構想を示された「創刊原点の日」でもある。一番の試練の時に一番の偉大な価値を創造するのが、壮年の本懐だ。
 この魂で、凱歌大道の誉れの人生を進もうではないか!

 

 人間の
   王者の心の
      君なれば
   民に慕われ
      師弟の凱歌を


 大白蓮華2018年8月号№826巻頭言

2018年7月度

我らは生死不退の心で!

 

<我らの三世の旅路は、永遠に妙法と一体であり、大聖人と一体>

 

 日蓮大聖人が年配の父母たちを慈しまれた御振る舞いを拝するたびに、私の胸は熱くなる。
 子どものいない佐渡の国府(こうの)入道夫妻へのお手紙では、
 『教主釈尊は入道殿と尼御前の慈父です。日蓮はまた、あなた方の子です』(1323頁、通解)と寄り添われ、乱世に老いゆく不安を取り除かれている。
 富木常忍の九十代の母堂へは、『全宇宙の諸天が、お母さまの信心の志を知られるでしょう。その功徳は、露を大海に入れ、土を大地に加えるようなものです。生生に失われず、世世に朽ちないでしょう』(968頁、趣意)と讃えておられた。
 こうした仰せには、そのまま、いとおしい創価の父母たちへのお心であり、お約束であろう。
 わが師・戸田城聖先生は、私が十九歳でお会いした座談会の折、悠然と語ってくださった。
 ――生老病死という根本の悩みを、誰もが打開して必ず正しい人生を送れるのが、日蓮仏法だよ、と。
 この七十星霜、先生の指導通り、生死の苦悩に立ち向かい、我ら創価家族は、何と多くの「人間革命」の勝利の実証を積み広げてきたことか。
 「生死一大事血脈抄」には、『一仏二仏に非ず、百仏二百仏に非ず、千仏まで来迎し手を取り給はん事・歓喜の感涙押え難し』(1337頁)と説かれれる。
 友への題目を送り、励ましの手を差し伸べてきた多宝会の方々こそ、生死を超えて千仏の手に抱かれ、護られ、歓喜と安穏の軌道を進みゆけるに違いない。
 当然、生身の色心には、加齢による衰えがある。
 勿体なくも御本仏が、最晩年、『この八年の間は、やせる病気といい、齢といい、年々に身も心も弱くなってきました』(1583頁、趣意)と仰せである。
 その中で大難を忍ばれ、一人ひとりを擁護し、薫陶され、万年の令法久住を開いてくださったのである。
 ゆえに、自身の病や家族の介護等にも、「長く信心してきたのに」などと、たじろぐ必要はない。
 『このやまひは仏の御はからひか』『病ある人仏になる』『病によりて道心はをこり候なり』(1480頁)との御金言のままに、深き意味を見つめつつ、何ものにも屈しない、変毒為薬の大福運と大境涯と一家眷属に創り上げていくのだ。これが信心である。
 たとえ、眼・耳・鼻・舌・身・意という「六識」の働きが衰弱しようとも、広宣流布の闘争で築いた胸中の「九識心王真如の都」は絶対に崩れない。
 我らの三世の旅路は、永遠に妙法と一体であり、大聖人と一体なのである。何の不安があろうか。
 創価の父・牧口常三郎先生は、獄中で殉教された。いかなる場所で、いかなる臨終の姿をとろうと、広布の誓願に生き抜く生命は、「一生成仏」の凱歌を轟かせていけることを教えてくださっている。
 先師から託された「生死不退の心」で、多宝の長者たちと共々に、常楽我浄の香風を広げてゆこう!

 恐るるな
   生死ともに
     仏なり
  山越え谷越え
     歓喜の凱歌を

 

大白蓮華2018年7月号№825 巻頭言

 

2018年6月度

 我らは「種を蒔く人」なり

 

 我ら創価家族は「種を蒔く人」である。
 妙法という、最極の「幸福の種」を、「平和の種」を蒔いて、蒔いて、蒔き広げていくのである。
 御本仏・日蓮大聖人は、『三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏となり給へり』(1072頁)と仰せになられた。
 我らが唱え、弘めゆく南無妙法蓮華経の題目は、一人ももれなく絶対に「仏」になれる種である。
 それは、地球上はもとより、はるか大宇宙にまで遍満する「仏界」という生命の蓮華の花を、爛漫と咲かせゆける根源の「仏種」なのである。
 泥沼の如き濁世に、この種を忍耐強く蒔き続け、幸と平和の花園を創るのが、広宣流布といってよい。
 大聖人は、厳しき現実社会の真っ只中で悪戦苦闘する在家の門下を最大に信頼し、激励なされた。
 『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつりて候ぞ、仏種は縁により従(よ)って起る』(1467頁)と。
 使命の国土を離れて、仏法はない。
 自らが誓願して躍り出た宿縁の現場を駆けずり回って、悩める友を励まし続けていくリーダーこそ、地涌の菩薩の実像である。
 わが地域の妙法流布を真剣に祈り抜き、積極果敢に一人ひとりと会い、智慧を尽くして社会に貢献する。
 この「仏縁」を誠実に、また大胆に結びゆくことが、信仰している、していないを問わず、人々の心田(心の大地)へ「仏種」を蒔くことになるのだ。
 植物の種には、長い長い歳月を耐え抜く力がある。
 戸田先生が第二代会長に就任された1951年(昭和26年)、大聖人御生誕の天地・千葉で約二千年前の遺跡から蓮華の種が発見された。翌年、見事に開花した「大賀ハス」である。時を同じくしてアメリカで数万年を経た蓮華の種が花開いた。
 戸田先生は、まさしく日蓮仏法が大興隆する瑞相なりと、それはそれは喜ばれたのである。
 『一句妙法に結縁すれば億劫にも失せず』(793頁)と仰せのように、ひとたび蒔いた「仏種」は永久に失われない。
 ゆえに仏法を語った相手が、すぐに信心を始めなくとも、落胆する必要などない。おおらかな心で、その種を育んでいけばよいのだ。
 団地部、地域部、農漁光部、勝利島部をはじめ、誠心誠意、地域に献身して、内外を問わず慕われている創価の長者の方々が、いずこにも光っている。
 皆、分厚い偏見や反発にも怯まず、仏縁を結び続けてきた。自分が苦しい時こそ、人を励まし抜いた。そして、『現在に眼前の証拠あらんずる人・此の経を説かん時は信ずる人もありやせん』(1045頁)との御聖訓のままに、勝利の実証を示してきたのだ。
 きょうも、尊き「無冠の友」が聖教新聞を掲げて、打ち鳴らしてくれる暁鐘とともに、地涌の「仏縁」の拡大は始まる。我らの祈りと行動、対話と振る舞いで、楽しく伸び伸びと「仏種」を蒔きゆこうではないか! 人類の心田を豊かに耕しながら!

 

 励ましは
  仏縁広げる
   幸の声
  不退の笑顔で
   勝利の種を

 

 大白蓮華2018年6月号№824巻頭言

 

2018年5月度

日々、「創価の母の日」であれ!

 

<断崖絶壁に立って、″もう一歩も退かない″と決めて祈った時から、
「宿命」は「使命」に変わり始める>

 

 雨が降ろうが、風が吹こうが、太陽は必ず昇る。広宣の太陽たる母たちもまた、決してたゆまない。
 「法華経」では、一人のために、たとえ一句でも正法を語れば、それは「如来の事」、すなわち「仏の仕事」であると明かされている。
 「御義口伝」では、この仏の語らいの意義を――
 第一に、「柔和忍辱」の衣を着て行われる。
 第二に、「不惜身命」の修行である。
 第三に、「母の子を思うが如くなり」と、明快に示されている。(737頁)
 御本仏の仰せ通りに、聡明な忍耐の心と恐れなき勇気、そして大いなる母の慈悲で妙法を弘め、幸と平和の陽光を放ってきたのが、偉大な婦人部である。
 自らも言うに言われぬ苦労を抱えながら、悩める友に題目を送り、一緒に勇んで乗り越えゆく創価の母たちの心は、「如来の心」そのものである。
 気取らず飾らず、ありのままの笑顔で皆を励まし続ける創価の母たちの振る舞いは、まぎれもなく「仏の振る舞い」ではないか。
 婦人部あればこそ、学会家族は明るく温かい。
 婦人部あればこそ、広宣流布は限りなく進む。
 婦人部あればこそ、令法久住は行き詰らない。
 我らの元朝たる五月の三日は「創価学会母の日」だ。尽きせぬ感謝を捧げゆくとともに、仏に等しい母たち女性たちが無量無辺の福徳に包まれるよう、皆で祈り、広布の誓願を新たにする日なのである。


 日蓮大聖人は、女性門下たちに繰り返し、『常によりあひて御覧あるべく候』(同生同名御書、1114頁)、『同心なれば此の文を二人して人によませて・きこしめせ』(国府尼御前御書、1324頁)等と呼び掛けておられた。
 少人数で集まり、仏法を学び、行じ、仏性を輝かせ合って前進する――。今、日本中、世界中で花咲く婦人部のグループをはじめ草の根の語らいは、何と深く大聖人のお心に連なった宝の会座であろうか。
 『耳にふれぬれば是を種として必ず仏になるなり』(法華初心成仏抄、552頁)と仰せの如く、幸福の種が広がるのだ。
 私の妻も、時間を見つけては懇談や小さな会合に飛び込んできた。一人ひとり、さまざまな現実の課題から断じて逃げずに奮闘する地涌の宝友である。
 戸田先生の御指導を踏まえて、妻が折々に同志と語り合ってきたことがある。
 断崖絶壁に立って、″もう一歩も退(しりぞ)かない″と決めて祈った時から、「宿命」は「使命」に変わり始めるということである。
 この「人間革命」の朗らかな逆転劇を生み出していく大地が、創価の励ましのネットワークだ。誰一人として孤立させない、仲良く賑やかな女性のスクラムこそ、家庭も地域も社会も蘇生させゆくオアシスであろう。
 世界平和の希望の源泉も、ここにある。
 『母の恩の深き事大海還って浅し』(上野殿御消息、1527頁)
 けなげな母たちを思えば、大海原の如く大生命力が湧いてくる。
 我らは日々、「創価の母の日」と決めて、太陽と共に今日も元気に前進だ!

 

  太陽の
   母のスクラム
    不退なり
   常楽我浄と
    光風かおらせ


 大白蓮華2018年5月号№823 巻頭言

2018年4月度

御書と進む!大聖人と共に!


 御書を開くことは、日蓮大聖人とお会いすることである。大慈大悲の音声をお聴きすることである。
 御書を拝すれば、御本仏の偉大なる御振る舞いを、そのまま仰ぎ見ることができるのである。
 御聖訓には、『明かなる事・日月にすぎんや 浄き事・蓮華にまさるべきや』『日蓮又日月と蓮華との如くなり』(御書1109頁)と仰せである。
 自行化他の題目を唱え、行学の二道に励む我らは、この大聖人の大生命に真っ直ぐに境智冥合できる。
 ゆえに、一人一人が、勇気と智慧の大光を赫々と放ち、いかなる生老病死の闇も晴らせぬわけがない。いかなる苦悩の泥沼からも、幸と平和の蓮華を必ずや咲かせ広げゆけるのだ。
 「兄弟抄」には、『がうじやうにはがみをしてたゆむ心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにて・うちふるまい・いゐしがごとく・すこしも・をづる心なかれ』(1084頁)と示されている。
 「御書根本」の恐れなき行動こそ、わが創価学会の永遠の誉れである。
 戦時中、邪宗門は臆病にも御書の要文を削除した。
 御書のままに、牧口・戸田両先生であられる。
 そして立宗七百年の大仮説に、戸田先生が願主となって、創価学会版「御書全集」が発刊された。
 『智者に我義やぶられずば用いじとなり』(232頁)との学会精神の根幹が、ここにあるのだ。
 今、全世界で御書が研鑽されている。御書を学び合い、御本仏の広大無辺の御境涯に包まれながら、人類の大連帯を強め、高めてゆける時代に入った。
 「現代の鳩摩羅什」として、翻訳・通訳の使命を担い立ってくださっている方々への感謝は尽きない。
 言語に超え、国を超え、民族を超えて、大聖人の励ましは、何ものにも遮られずにはおかないのだ。
 『日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり』(720頁)
 この大誓願に触れれば、我らの心もい奮い立ち、じっとしてはいられない。歓喜踊躍して「地涌の菩薩」の戦いを起こさずにはいられないではないか。
 大聖人は、即身成仏について質問してきた女性を、『偏に只事にあらず、教主釈尊 御身に入り替らせ給うにや』(1262頁)とまで讃嘆なされていた。
 この御文に照らしても、「教学部任用試験」に挑み、仏法に入門されゆく尊き同志と会友の方々の福徳が、いかばかりか。一緒に学び、応援してくださる先輩方の福徳も、これまた計り知れない。
 戸田先生は断言なされた。
 『御書の仰せに立てば、絶対に行き詰まらない。何事も、どう勝ち開けばよいか、わかるんだよ』と。
 一行でも、二行でもよい。きょうも御書を開き、境涯を開こう! そして大聖人と共に、「一生成仏」と「広宣流布」の大道を進みゆこうではないか!

 

 人類の
  幸福勝利の
   宝典を
  学び語れや
    不退の勇気で


大白蓮華2018年4月号№822 巻頭言

2018年3月度

一人一人の仏性を信じ抜いて

 

 『冬は必ず春となる』(妙一尼御前消息、1253頁)
 御本仏・日蓮大聖人が贈ってくださった一言は、人類の心に太陽を昇らせゆく励ましである。
 どんなに厳しい宿命の冬にも負けない勇気と、何としても喜びの春を呼ぶ希望の光源が、ここにある。
 この励ましの陽光を、来る日も来る日も、皆の心へ届けているのが、誉れの創価家族である。
 草創期、東北のけなげな女子部の友から、「どうすれば世界広布の役に立てますか?」と真剣な質問を受けたことがある。「そう悩む心それ自体が、仏の心だよ」と讃えつつ、私は申し上げた。
 「目の前の一人を真心こめて励ますことから、全ては始まる。そこから、必ず道は開かれれる」と。
 「一人」の生命は、かけがえのない宝塔である。その一人が、「十界互具」「百界千如」「一念三千」の尊極の仏の当体に他ならない。
 ゆえに一人を励ますことは、地域を変え、国土を変え、未来までも変えて、わが師・戸田城聖先生が夢見た「人類の境涯」を高めゆく、最も地道にして最も着実な仏の大聖業なのである。
 御聖訓には、『一字一句をも之を聞きし人 仏にならざるはなし』(法連抄、1046頁)と仰せである。
 この御本仏のお心のまま、一人一人の仏性を信じ抜いて、諦めず、退かず、たゆまず、わが地区で、わがブロックで、励ましに徹し抜いてきたゆえに、今日の世界広布の壮大な広がりがあるのだ。
 いずこの天地にも、創価の励ましの達人がいる。
 一人一人の個人指導、一軒一軒の家庭訪問という仏道修行をやり切ってきた多宝の父母たちは、何という尊貴な生命の輝きを放っていることか。
 たとえ、その時は相手の心に響いていないようでも、あとになって「あの励ましがあったからこそ」と感謝されることも、多々あるものだ。
 『人がものを教えるというのは、車が重かったとしても油を塗ることによって回り、船を水に浮かべて行きやすくするように教えるのである』(上野殿御返事、1574頁、通解)。
 この御書に示された人間教育の極意を学びながら、皆がいよいよ心軽やかに前へ前へ進めるよう、誠実に祈り、聡明に対話を重ねていきたい。
 「自他不二」なるがゆえに、友を励ますことは、自分を励まし、お互いの仏性を強めることである。
 大聖人は、女性の門下を励まされた際、『日蓮よりも強盛の御志どもあり』(呵責謗法滅罪抄、1126頁)とまで賛嘆されている。この御振る舞いを拝し、励ましとは、その人を尊敬し、その人に学ぼうとする一念から出発すると、私は心に期してきた。
 人と人の絆が引き裂かれる「闘諍言訟」に悪世にあって、奇跡の如く、あらゆる差異を超えて、幸と平和の大連帯を広げゆくのが、創価の励ましである。
 今この時に躍り出てくれた不思議な地涌の若人たちを、いやまして励まし、歓喜と栄光の「春の曲」を明るく賑やかに奏でゆこうではないか!


 今日もまた
  万の力を
   贈りゆけ
  励まし王者は
   声も惜しまず


大白蓮華2018年3月号№821巻頭言

2018年2月度

創価の「挑戦王」は朗らかなり

 

<若人たち共に>


 日蓮仏法は、「挑戦」の宗教である。
 妙法とともに、月月・日日に蘇生した生命力で、たゆまず新たな価値を創造する挑戦だ。
 御書とともに、人生のいかなる試練、なかんずく自他共の生老病死の苦悩を打開する挑戦だ。
 同志とともに、現実社会の課題に立ち向かって、幸と平和の連帯を広げゆく挑戦なのである。
 御本仏・日蓮大聖人は、熱原の法難の渦中、二十一歳の南条時光に烈々と呼び掛けられた。
 『願くは我が弟子等・大願ををこせ』(上野殿御返事、1651頁)
 『願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん』(同頁)を贈られたのである。
 題目を唱え、「広宣流布の大願」に挑む生命は、妙法と一体であり、仏と一体である。ゆえに、宇宙大の功力が漲らないわけがない。
 だからこそ、競い起こる難を乗り越えて、縁する家族も、友人も、眷属も、「一生成仏」という永遠の幸福の軌道へと、確かに牽引していけるのだ。
 地涌の菩薩とは、いかなる存在か。時を逃さず、自ら願い誓った天地に躍り出て、久遠元初からの使命を果たしゆく「挑戦」の勇者に他ならない。わが学会こそ、地涌の挑戦のリズムが脈打つ陣列なのだ。
 私の胸には、大関西の草創の母の叫びが蘇る。
 「寝ても覚めても、みんな幸せになって欲しゅうて、人材が欲しゅうて、一心に歩き回りました」と。
 幾つになろうと、挑戦を止めない信仰者の命は、ますます若々しく、ますます朗らかに冴え光る。
 『いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれども、かさぬれば藍より色まさる』(乙御前御返事、1221頁)と御聖訓に仰せの通りである。
 法華経の会座には、年を重ねて疲弊していた長老たちも、未だかつてない師匠の師子吼に歓喜踊躍し、生まれ変わった息吹で、今再びの挑戦を開始した。
 信心の心は自在であり、誓願の祈りは無限である。
 『いままで・しりぞかせ給わぬ事申すばかりなし』(辨殿尼御前御書、1224頁)――健気な母を讃えられたこの一節は、創価の多宝の父母への御賞讃と拝されてならない。
 わが師・戸田城聖先生は、「信心こそ惰性を打ち破って、自分も家庭も地域も、一つ一つ、より良く変えていくための挑戦である」と指導された。
 どんな小さなことでもよい。具体的に明確に祈りながら、新しい何かにチャレンジしていくことだ
 一日に一人でよい。真心込めて声をかけ、励まし、仏縁を結んでいくことだ。
 「三・一六」の後継の儀式から六十周年――。今、うれしいことに、華陽の乙女、創価の若師子、普賢の俊英が溌剌と地涌の拡大に挑んでくれている。
 この若人たちと共々に、わが地域に新たな「挑戦の友」を一人また一人、増やしていこうではないか!
 栄光は、朗らかな「挑戦王」にこそ輝くのだから!

 

 創価とは
   挑戦王の
    異名なり
   溢れんばかりの
     勇気で勝ち切れ

 

 大白蓮華2018年2月号№820巻頭言

2018年1月度

 

「この一年あればこそ」と

後世から謳われゆく栄光の歴史を、

共々に飾ろうではないか!


 初代・牧口常三郎先生と二代・戸田城聖先生が、日蓮大聖人の仏法を信奉なされたのは、1928年(昭和3年)のことである。
 仏法の日本流伝より七百年にして、御本仏が出現され、さらに七百年を経て、創価学会が誕生した。実に壮大にして、不思議なるリズムといってよい。
 牧口先生が深く拝されていた御文は、「観心本尊抄」の『天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか』(254頁)の一節であった。
 この仰せのまま、五十七歳で実践を開始した先生は「言語に絶する歓喜」をもって、それまでの生活を一新し、「暗中模索の不安」や「生来の引っ込み思案」も一掃できたと感激し、感謝しておられる。
 『随喜するは信心なり信心するは随喜なり』(御講聞書、835頁)という地涌の生命の躍動が、ここにある。
 牧口先生は広宣流布と立正安国へ、いよいよ遠大な目的を掲げ、畏れなく大胆に、諸天善神を揺り動かしながら。勇猛精進していかれたのである。
 日蓮仏法の奥義は、果てしなく深遠である。
 学会精神の真髄は、どこまでも崇高である。
 先師と恩師の入信から九十星霜。創立の父が殉教の日まで貫き通された偉大な初心に、私たちは、今再び、全世界の新入会の友と一緒に立ち返りたい。
 『うれしきかな末法流布に生まれあへる我等』(新池御書、1439頁)と胸を張り、「太陽の仏法」とともに、生活を社会を、そして世界を照らし晴らしていくのだ。
 我らは、この一年を「栄光の年」と定めた。
 「栄光」はどんな逆境でも、太陽のように一日また一日、たゆまず前進し抜く生命に輝きわたる。
 大聖人は、紛然と競い起こる「三障四魔」に立ち向かう池上兄弟と夫人たちを励まされた。
 『今度ねうしくらして法華経の御利生心みさせ給へ、日蓮も又強盛に天に申し上げ候なり、いよいよ・をづる心すがた。をはすべからず』(兄弟抄、1084頁)
 思うにまかせぬ時こそ、「今に見よ」と歯を食いしばって勇敢に祈り、勇敢に戦い続けていくのだ。
 御本仏が、厳然と全てを御照覧くださっている。悪戦苦闘の只中でこそ、栄光の因が刻まれる。いな、それ自体が、未来までの栄光の物語となるのだ。
 我らには、題目という究極の生命の勝ち鬨がある。
 「法華初心成仏抄」には、明快に説かれている。
 『一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯一音(ひとこえ)に喚(よ)び顕し奉る功徳・無量無辺なり』(557頁)
 今日も、妙法の音声を朗々と響かせ、わが家族、わが友、わが地区、さらには、わが国土からも仏性を涌現させながら、自他共の栄光を勝ち広げよう!
 末法一万年の果てまで、大法弘通を託されている学会だ。「この一年あればこそ」と後世から謳われゆく栄光の歴史を、共々に飾ろうではないか!

 大白蓮華2018年1月号№819巻頭言

2017年9月

 多宝の命は御書とともに

 

 日蓮大聖人の御書全集は、立宗七百年という大佳節(1952年)に、創価の師弟の手で発刊された。
 戸田城聖先生の喜びは、あまりにも大きかった。
 ――御本仏の力が漲る、この御書を拝すれば、必ず「生老病死」の苦悩を打開していける。誰人たりとも、「常楽我浄」の境涯へ到達できるんだよ、と。
 御書には、宇宙と社会と人間を貫く生命の究極の法理が明かされている。とともに、いかなる現実の試練にも、希望と勇気の励ましを送られ、変毒為薬へ具体的な指南をしてくださっているのだ。
 御書の刊行より六十五星霜。私の誇りは、大聖人の仰せ通り、幸福勝利の歓喜の舞を示しゆく多宝の同志が、いずこにも輝いていることである。
 座談会で、家庭訪問で、個人指導で、百戦錬磨の広布の父母たちは、何と自在に御文を語ることか。心肝に染め上げてきた、その命からは、悩める友を蘇生させる御金言の一節一節が溢れ出てくる。
 そこには、門下を抱きかかえてくださる御本仏のお心が、実に生き生きと再現される。仏勅の学会と共に、御書そのままに戦い続けている「実践の教学」の底力が、ここにあると言えまいか。
 「どんな時でも、『此の事にあはん為なりけり』(1451頁)や。恐れるものなどありまへん。勇気のが涌きまっせ!」とは、関西の錦宝会の父の言葉である。
 創価の無名にして偉大な哲人たちこそが、御書という希望の宝典の光で、民衆を照らしているのだ。
 年齢を重ね、多くの苦労が打ち続いていた弟子の報告を聞かれた大聖人は、仰せになられた。
 『災難を払はん秘法には法華経に過ぎず、たのもしきかな・たのもしきかな』(1017頁)
 そして、その上で、一切を『日蓮に任せ給え』(同頁)と言い切られているのである。
 何があろうとも、あなたには妙法があるではないか! 私(大聖人)がついているではないか!
 御書を開けば、その仰せが命に迫ってくる。
 たとえ、若い時のように自由に体は動かなくとも、心は妙法と一体である。大聖人とご一緒である。
 『苦楽ともに思い合わせて』(1143頁)題目を唱え、全てを御本尊にお任せして、朗らかに前進するのだ。
 御聖訓には、『此の経を一文一句なりとも聴聞して神(たましい)にそめん人は商事の大海を渡るべき船なるべし』(1448頁)と約束なされている。
 未曾有の高齢社会を迎えて、「生老病死」がますます人類の焦点の課題となっていくに違いない。
 御書に留められた「生命尊厳」の平和の大光が、いよいよ地球を包みゆく時代に入っている。
 我らは、創価の大船に、さらに多くの友を誘いながら、「常楽我浄」の大航海を進めようではないか!
 その新たな出航の明るく賑やかな銅鑼を打ち鳴らすのが、教学部の任用試験(仏法入門)である。
 『行学の二道』を励み抜いた誉れの多宝の先輩たちに続いて、御書とともに、皆が大勝利の人生を!

 

 御聖訓
  そのまま行ずる
   多宝かな
  常楽我浄と
   勇み舞いゆけ

 

 大白蓮華2017年9月号№815 巻頭言

2017年8月

創価教育の魂

 

<どんな子も、かけがえのない宝だ。

必ず偉大な使命の人材と輝かせてみせる>

 

 広宣流布とは、現在も勝ち、そして、未来までも勝ち開いていく「常勝」の大行進である。その一切を担い立つ創価学会は、たゆみなく仁を励まし、人を育てゆく、究極の人間教育の大地なのである。
 1956年(昭和31年)、あの関西の大闘争でも、私は草創の父母と共戦譜を刻みながら、若き後継の友たちと数え切れない出会いを結んだ。
 その七月、晴れ晴れと民衆凱歌を轟かせた直後に、戸田先生と私は、はるかな未来を展望した。
 「人類の生命の土壌を深く耕し、幸福と平和に寄与できる人材を、あらゆる分野に送り出すのだ」と。
 翌年の学生部誕生も、さらに私の代の未来部結成も、この師弟の大願から出発している。
 未来部一期生の友と一緒に学んだ御聖訓がある。
 生死一大事血脈抄の『過去に法華経の結縁強盛なる故に現在に此の経を受持す、未来に仏果を成就せん事疑い有るべからず』(1337頁)との一説である。
 未来部の友は、いかに宿縁深厚なる地涌の菩薩であるか。皆を仏にする力を帯びた人たちなのである。
 法華経の妙荘厳王品では、二人の兄弟が母と手を携え、信心に反対の父の王を妙法へ導くドラマが描かれている。父は、我が子は「我が善知識なり」と讃え、よくぞ「わが家に来生せり」と感嘆する。
 私たちも、未来部の宝の一人一人を「今この時、我が家に、我が地域に、我が国土に、よくぞ生まれて来てくれた!」と最敬礼の心で励ましたいのだ。(中略)
 「どんな子も、かけがえのない宝だ。必ず偉大な使命の人材と輝かせてみせる」――これが、牧口、戸田両先生から受け継ぐ創価学会の魂である。
 社会には、若人の心を傷つける悪縁があまりに渦巻いている。だからこそ、時を逃さず声を掛け、じっくり耳を傾ける。徹して信じ祈り、見守り続ける。
 ――こうした創価の教育力が、地域にとって、どれほど貴重な「希望の眼目」となることだろうか。
 大教育者のペスタロッチは教え子たちに語った。
 「諸君は、自らが考え、自らが信ずる以上に、この時代に必要な大なる力を持っている」と。
 満を持して世界広布新時代に躍り出てくれた本門の未来部を、さあ誇り高く励まし、育てゆこう!


  胸を張れ
   創価の後継
    堂々と
   学び照らせや
     明日の地球(ほし)を


大白蓮華2017年8月号№814巻頭言(抜粋)

 

2017年7月

一善の我らに凱歌あり

 

 <『悪は多けれども一善にかつ事なし』>

 

 師・戸田城聖先生とご一緒に、また、不二の同志と共に、深く心肝に染め抜いてきた御聖訓がある。
 『悪は多けれども一善にかつ事なし、譬へば多くの火あつまれども一水にはきゑぬ、此の一門も又かくのごとし』(1463頁)
 妙法で結ばれた異体同心の団結こそ、たとえ人数は少なくとも、正義の中の正義の「一善」である。ゆえに、どんな悪にも断じて屈することはない――日蓮大聖人が、熱原の法難の渦中に、烈々と師子吼なされた大宣言である。
 この仰せのまま、殉教の三烈士を中心とする誉れの農民門下は、民衆仏法の凱歌を轟かせた。ここに、末法の御本仏の出世の本懐が成就したと拝される。
 一閻浮提への広宣流布のため、末法万年への立正安国のため、「一善」を拡大し、継承しゆくことを託されたのが、我らの創価の師弟に他ならない。
 それゆえに、難は必定である。越えねばならない試練の連続であることも、もとより覚悟の上だ。(中略)
 戦時中の大弾圧にも、学会があればこそ、大聖人の御精神が守り抜かれた歴史を通し、(戸田)先生は叫ばれた。
 ――大聖人が、創価学会を召し出(い)だされたのだ。学会の信心以外に、大聖人の御心に適う信心などない。御本尊の本当の功力もない。仏法は勝負だよ、と。
 師の師子王の心で弟子は奮い立った。この十二日に入会満十六年を迎えた私の妻も、その一人である。
 十七日、不当逮捕から出獄した私は、中之島の中央公会堂で、苦楽を分け合う関西をはじめ二万の友と訴えた。
 「最後は正しい仏法が必ず勝つ!」
 六十年前の大闘争で、創価家族は示し切った。
 第一に、いざという時、『すこしも・ひるむ事なかれ』(1090頁)と、皆が勇んで総立ちしたのだ。
 第二に、『声仏事を為す』(708頁)と、皆が勇気凛々と声を上げ、語りに語り切った。
 さらに第三に、『異体同心なれば万事を成じ』(1463頁)との大団結で、全てを勝ち切ったのである。
 当時も、そして今も、久遠からの誓いに共に走りゆく感激の同志たちへ、私と妻は題目を送り、一家眷属に無量の大福運をと祈り抜く日々である。
 さあ、今再び、全同志が一丸となって、世界広布新時代の凱歌を、未来の果てまで轟かせようではないか!
 『悪は多けれども一善にかつ事なし

 

 恐れなく
  創価の一善
    いざや征け
  共にスクラム
    共に凱歌を
 

 大白蓮華2017年7月号№813巻頭言(抜粋)

 

2017年6月

地涌の柱は揺るぎなし


 偉大な建築には、揺るぎない柱がある。
 偉大な未来の大建設にために、
 偉大な哲学の柱を抱き、
 偉大な社会の柱となって、
 二陣、三陣と躍り出ていくのが、
 創価の地涌の人材群である。
 「日本国の柱」、いな「一閻浮提の柱」として、御本仏・日蓮大聖人は、そびえ立たれた。
 御命にも及ぶ竜の口の法難に臨まれても、いささかも微動だにされず、悠然と言い放たれている。
 「今、日蓮は日本第一の法華経の行者なり其の上身に一分のあやまちなし」(913頁)
 その師子王の御姿に、兵士たちの方が顔色を変え、動執生疑を起こした。やがて、次々に心を改めて、大聖人に信服していったのである。
 大聖人は、ご自身の御振る舞いの如く「すこしも・をづる心なかれ」(1084頁)と、我ら大東京の先達たる池上兄弟へ仰せになられた。
 この勇気を脈々と受け継いできたのが、学会精神である。いかなる毀誉褒貶の風にも、創価の「信念の柱」は揺るがない。一貫して正義を堂々と訴えていく。だからこそ周囲の方が変わっていくのだ。
 「二十一世紀の平和と宗教」をテーマに、共に対談集を発刊したハーバード大学のハービー・コックス名誉教授の言葉が蘇る。
 「臆病の代わりに必要なものは、『人々の態度も考え方も永久不変のものではない。彼らを変えることは必ずできるのだ』という強い信念です」と。
 わが同志は、岩盤に爪を立ててゆくような執念で、友の幸福と蘇生を祈り抜き、地域の繁栄と安定を願って、大誠実の対話を貫き通してこられた。
 ある時は冷笑され、ある時は無視され、ある時は罵倒されながらも、それでも勇敢に、また忍耐強く、語って、語って語り抜いてきたのである。
 「労をいとわず会いに行くことが広宣流布なり
 「声を惜しまず言い切ることが立正安国なり」と。
 私の胸奥からは、この不軽菩薩さながらの気高き父母たちの姿が離れることはない。
 そして今、そのたゆまぬ献身の行動に、心ある人々から「学会員こそ、わが地域の柱」と、絶大なる信頼を寄せられる時代に入ったのである。
 御聖訓には、「日蓮賤身なれども教主釈尊の勅宣を頂戴して此の国に来たれり、此れを一言もそしらん人人は罪を無間に開き一字一句も供養せん人は無数の仏を供養するにも・すぎたりと見えたり」(1121頁)と宣言なされている。
 この大聖人に連なり立ち上がった我らは、
 「生命尊厳の哲理の柱」また
 「民衆の幸福安穏の柱」さらに
 「人類の平和共生の柱」と胸を張って自負したい。
 「祈って喋れば、仏性の大歓喜が湧いてくる。この信心の喜び燃えていれば、いくらでも仏縁を広げていけるんだよ!」とは、恩師の励ましであった。
 大確信をもって、人生と社会の希望のビジョンを若人と共に、自信満々と語りゆこうではないか!


 わが人生
  地涌の柱と
   立ちにけり
  恐るるものなく
    正義の師子吼を


大白蓮華2017年6月号№812 巻頭言

 

2017年5月

 

<苦難とは仏になるための試練>

 

 「池田君、何があっても、青春は『当たって砕けろ』の勇気でいこうよ!」
 若き日、悪戦苦闘の只中で、敬愛する先輩が声をかけてくれた励ましが、今も胸に温かく蘇る。
 「青春の哲学」とは何か。それは、「思いきってやってみろ!」という一言に要約される――。こう結論したのは、アメリカの教育思想家ボーンである。
 「もう思いきってやりさえすれば、ひじょうに多くのことをなしうるのだ!」というのだ。
 いつの世も、青年の前には分厚い壁が立ちはだかる。特に現代は、若き心を萎縮させる重圧があろう。
 その中で、挑戦の勇気を解き放ち、思いきり青春桜を咲かせているのが、創価の誉れの青年たちだ。
 日蓮仏法は「太陽の仏法」である。それは青年の旭日の生命を最大に輝かせゆく哲理といってよい。
 大聖人は、大難の中、青年門下の南条時光を鍛え育まれた。どんな圧迫があろうとも、「我が信心を試しているのか」(1540頁、趣旨)と、うれしく思って、切り返し打ち返していくよう教えられている。
 時光の重病の際は烈々と病魔を叱咤され、「すこしも・をどろく事なかれ」(1587頁)と激励なされた。
 御書では随所に、苦難とは仏になるための試練であると示されている。ゆえに、「まことの信心が今、試されているのだ」と立ち向かえば、断じて乗り越えられないわけがない。そして、その戦いによって、境涯を開き、仏の命をより強く光らせていけるのだ。
 師・戸田城聖先生は、よく言われた。
 「信心も、平坦な道ばかりをゆっくり歩いていては、何も変わらない。大きな闘争があるからこそ、大きな成長があり、大きな勝利があるんだよ!」と。
 だからこそ、青年ならば、「広宣流布」「立正安国」の大闘争に勇んで同志と共に身を投じていくのだ。
 その地道にして、粘り強い実践にこそ、あらゆる労苦を突き抜けて、言い知れぬ生命の充実がある。
 自分が確実により良く変わり、人間革命しながら、存分に社会に貢献していく青春の喜びがある。
 「僕も変われた。君も必ず変われる」「私も人間革命できた。貴女も必ずできる」――そう自信を持って語りゆく青年の連帯が、世界を変えるのだ。
 学会は、青年が先頭に立つゆえに、常に明るい。(中略)
 「撰時抄」には、「此の度仏法を心みよ」(291頁)と呼びかけられている。試みて絶対に悔いのない、正しき幸福と平和の大道がここにあるのだ。
 若き君よ、共々に思いきり試みようではないか!

 

 大白蓮華2017年5月号№811 巻頭言

2017年4月

不動の太陽の如く
八風の嵐に絶対に負けるな!

 

<わが使命の軌道を揺るがず進め!>

 

 生きとし生けるものに春の喜びが訪れるのも、たゆまぬ太陽の燃焼があるからだ。
 御書には、「太陽が東の空に昇れば、天の空は、すべて明るくなる。『大光』を備えているからである」(883頁、趣意)と記されている。(中略)
 雨が降ろうが雪が降ろうが、毎朝必ず太陽は昇る。雲を突き抜ければ、そこに悠然と輝き渡っている。
 何があっても変わらない。この太陽と共に、私たちも、わが使命の軌道を揺るがず進んでいきたい。
 「太陽の仏法」の信仰は、その最強の原動力である。
 日々の生活は慌ただしい。何やかやと目まぐるしく課題に追われ、振り回されるのが、現実の日常だ。年齢につれ、老いや病にも切実に直面する。
 さらには社会には「利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)(1151頁)という「八風」が吹き荒れている。
 だからこそ、負けじ魂の賢者の信心が光る。「人の心かたければ神のまもり必ずつよし」(1220頁)と仰せの如く、不動の信心が諸天を動かすのだ。(中略)
 求道の女性への御聖訓には、「一度妙法蓮華経と唱うれば」(557頁)と題目の功力を明かされている。すなわち、「一切衆生の心中の仏性を唯一音(ひとこえ)に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり」(同頁)と。
 さあ、たゆまぬ題目の音声で、いよいよ朗々と響かせて、勇気の対話に打って出ようではないか!
 縁する友の心に、希望の太陽を昇らせながら!


 負けないと
  誓いし慈母(はは)
   笑顔から
  幸と勝利の
   太陽昇りぬ

 

 大白蓮華2017年4月号№810 巻頭言

 

2017年3月

正しいがゆえの障魔は

一切覚悟の上だ!

 

<必ず勝てる!>

 

 仏法は、最もけなげな庶民の味方である。
 日蓮大聖人の御在世、長く看病を尽くした最愛の夫に先立たれ、まだ幼い娘を抱えながら、熱原の法難にも、いさぎよき信心で同志と進んだ母がいた。
 大聖人は、「大風が草をなびかし、あなたが今まで、信仰を貫き通されてきたことは、なんと不思議なことでしょうか」(1479頁、通解)と讃えられた。また、亡き夫の生命は「生も歓喜、死も歓喜」に包まれ、後継の一家が必ずや幸福長寿に勝ち栄えていかれることも、約束なされている。
 広宣流布の誓願に生きる全世界の尊き創価家族は、この御本仏の絶対の御照覧に浴しているのだ。
 法華経で説かれる「現世安穏」とは、苦難のないことではない。どんな苦難にも負けない境地である。
 御書に、「大難にあうことをもって『後生善処(未来の世に必ず幸せな処に生まれてく)』の成仏が決定(けつじょう)する。これこそ、真に現世において安穏であることではないか」(825頁、通解)と仰せである。
 妙法流布のため、立正安国のため、使命を担い立つ人生に、試練は避けられない。覚悟の上である。
 だからこそ、嘆かず、惑わず、題目を唱え、立ち向かう勇気の一念から、大いなる境涯が開かれる。そこに、今世の幸福勝利はもちろん、三世永遠に崩れぬ金剛不壊の大生命を、自他共に築いていけるのだ。
 創価の大地には「それでも耐えて、それでも勝つ」と、つかみとった体験が無数に輝いている。
 草創期の宮城県、ある母は不自由な足で仏法対話に駆けずり回り、悪口を言われ、石を投げられても、「御書の通りだよ。ありがたいじゃないか。今に一番幸せ者になろうね!」と笑顔ではね返した。
 その息子として実証を示してきた壮年リーダーは、営む設備会社の一切合切を東日本大震災で流された。だが、母から学んだ「負けじ魂」の信心で、直ちに復興の先頭に立ち上がった。青年と共に「不屈の生命力こそ仏法の真髄なり」と奮闘を続ける。
 あえて困難に挑み、乗り越えゆく、たくましき地涌の菩薩は、世代を超えて受け継がれていくのだ。
 六十年前、わが師・戸田城聖先生は「原水爆禁止宣言」で、世界の民衆の生存の権利を厳然と謳い上げられた。それを脅かす魔性の闇は、いまだ深い。
 ゆえに、人類の心を照らし晴らす生命尊厳の哲学の光を、我らはいやまして赫々と放っていくのだ。
 あの地でも、この国でも、創価の宝友は、自らの宿命を転換しつつ、家庭を、地域を、社会を蘇生させゆく人間革命の挑戦を繰り広げている。その一つ一つの積み重ねが、やがて、かけがえのない民衆凱歌の大叙事詩となって仰がれていくに違いない。
 障魔が競い起こるのは、正しいゆえであり、必ず勝てるということなのだ。この学会精神で、希望の春へ、今日も勇気の劇(ドラマ)を綴りゆこうではないか!

 

 永遠の
  我らは希望の
   太陽と
  誇りも高く
   未来を照らせや

 

 大白蓮華2017年3月号№809巻頭言

2017年2月

ブロックは幸福拡大の起点なり

 

 大地なくして、万物の成長はない。
 我ら創価の連帯には、「地区」そして「ブロック」という、地涌の人華を咲かせ広げゆく大地がある。
 その豊かな土壌が、「一生成仏」のために、心の滋養を尽きることなく贈ってくれる。常に励ましの陽光が惜しまずに降り注がれ、どんな凍てついた心も温め、蘇生させずにはおかない。
 日本中、世界中のいずこにも、この希望の光の天地が開かれているがゆえに、「冬は必ず春となる」(1253頁)という幸福のドラマが生み出されるのだ。
 中心に輝く地区部長、地区婦人部長、さらにブロック長、白ゆり長、総白ゆり長など、誇り高き最前線のリーダーの方々に、私は最敬礼を捧げたい。
 日蓮大聖人は、門下に仰せになられた。
 「一切の諸人を見聞し志有らん人人は互に之を語れ」(967頁)
 身近な地域に根差して、顔が見える仲間が、たゆみなく集い、大仏法を共に学び、互に語り合う。
 御本仏が願われた、この異体同心の前進のリズムに完璧に則っているのが、地区であり、ブロックだ。
 富木常忍夫妻も、四条金吾・日眼女夫妻も、阿仏房・千日尼夫妻も、それぞれに、現代でいうならば、まさに、地区やブロック等に通じる地域を担い立ち、同志を守り、広宣流布を進めていったと思われる。
 だからこそ私も、あの二月闘争で「組」すなわちブロックを起点として、拡大の波動を起こしたのだ。
 法華経に「若し法を聞くこと有らば、一りとして成仏せざること無けん」(法華経138頁)と記される。
 一人もかけず――この仏の大誓願を実現しゆく現場が、ブロックであり、地区といってよい。
 一人一人に光を当てて励ますからこそ、競い起こる障魔を打ち破り、人間革命の実証を示せる。
 わずかな縁の人も、大聖人は「ゆめゆめ疎かにすることはない」(1489頁、通解)と大切になされた。
 なかなか会合に出られないなど、様々な状況の友に、こまやかに心を配り、足を運び声をかけるリーダーの振る舞いは、まさに御本仏に直結している。
 それはまた、国連が志向する「誰も置き去りにしない」社会の建設にも、連動していくといえよう。
 「困難があるから福徳も大きい。励まし合って、強く朗らかに勝ちゆくのだ」と、恩師は叫ばれた。
 あの大阪の戦いの折、関西本部の勤行会に幼子らを連れ、遠慮がちに後ろで参加していた母がある。夫の失業や姑の介護に直面しつつ、地区の太陽として「蝸牛のような歩みでも、苦しむ人と一緒に勝ちたい、皆に功徳を受けさせたい」と戦ってくれた。
 その誓いの通りに、自他共の幸福勝利を飾られた。幼子らはも大学の教授となり、後継の道を歩んでいる。
 ともあれ、大聖人より託された広宣流布の大地から、地涌の人材が躍り出ないわけがない、友情の花が咲き、仏縁の実りが広がらないわけがない。
 さあ、新たな幸福拡大の劇を、我らの地域から!

 

 ブロックは
  久遠の宝友(とも)の
   幸の園
  桜梅桃李で
   皆が咲きゆけ

 

大白蓮華2017年2月号№808 巻頭言

2017年1月

青年とは発心の異名なり

 

<今再び、信心の初心に戻れ!>

 

勝利の要諦で勝ちまくれ!

 

 青年の青年たる証しとは、いったい何だろうか。
 もとより年齢では決まらない。信心の眼から見れば、今この時に、「発心」の生命に燃え上がらせていく人は、皆、妙法の青年なのだと、私は思う。
 去年まで、昨日までが、どうだったかではない。今年から、今日から、どう挑戦し、前進し、勝利していくか。これが本因妙の仏法だからである。
 一人一人が、この原点に立ち返り、日々、生まれ変わった息吹でスタートする。ここに、我ら創価家族が一丸となって勝ち開く『青年拡大の年』がある。
 ゆえに、今再び、信心の初心に戻って確認したいことがある。それは清々しい勤行だ。満々たる生命が漲っていく張りのある勤行である。
 朝な夕なの勤行が、どれほど荘厳な儀式であるか。いつでも、いずこでも、真剣な勤行によって、我らの生命には直ちに久遠元初の太陽が輝き光るのだ。
 私たちが読誦する「法華経寿量品」の自我偈には、『一心欲見仏 不自借身命 時我及衆僧 倶出霊鷲山』とある。すなわち、衆生が一心に仏を見たいと願い、妙法流布に身命を惜しまない、その時、仏は多くの弟子たちと共に、ここ霊鷲山に出現する、という甚深の法理である。
 この経文を通し、戸田城聖先生はよく語られた。
 「日蓮大聖人の大生命が、我らの体に満ち溢れてくるんだよ。自行化他の題目を唱える場所も、そのまま霊鷲山となる。そこには、もう不幸などはない」と。
 なかんずく、創価の友は、世界広宣流布の成就を誓願の祈りとして掲げている。だから、尊く強い。
 どんな小さな我が家でも、ひとたび勤行・唱題に臨めば、広大無辺なる霊鷲山の会座が広がる。そして三世の仏菩薩と一体となって、わが一念に大宇宙も包みゆくような境涯を広々と開いていけるのだ。
 御聖訓には、『題目を唱え奉る音(こえ)は十方世界にとずかずと云う所なし』(808頁)と仰せであられる。
 さまざまな分断の亀裂が深まる時代だからこそ、我らは、妙法の大音声をいやまして轟かせながら、一家眷属にも、縁する友にも、地域社会にも、さらには全地球の国土世間にまで、「蘇生」と「和楽」と「安穏」の希望の光を贈りゆくのだ。
 三十年前、福岡での大会で、力強く万歳の音頭をとってくれた宝友がいる。“村八分”の圧迫も、また大病も水害も、夫妻して不屈の信心で勝ち越えてきた。今は後継の若人へ、「地涌の菩薩の題目は、恐る恐るの祈りではない。命の火を点す一心の祈りで、どんな人の仏性も呼び覚まそう!」と励ましを贈る。
 日蓮大聖人は、苦難に挑む門下に仰せになられた。
 『釈迦・多宝・十方の仏・来集して我が身に入りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし』(弥三郎殿御返事、1452頁)と。勝利の要諦を教えてくださっているのだ。
 さあ、今日も、新たな発心の勤行から出発である。若々しい題目の師子吼で、勇気凛々勝ち進もうではないか! 地涌の青年を澎湃と呼び出しながら!


 誓願の
  師弟は不二と
    勝ちまくれ
  広布の祈りは
   無敵の力ぞ


大白蓮華2017年1月号№807巻頭言

2016年12月

何度倒れようとも、起ち上がる。

断じて起ち上がってみせる。

 

<我らは不屈の朗らか長者>

 

 わが師・戸田城聖先生の事業に、次から次へ試練が襲いかかる中で、私が深く拝した説話がある。
 それは、熱原の法難の渦中、迫害の盾となって、師匠をお守りし、同志を庇いながら戦い抜いていた若き南条時光への御書に記された逆転劇である。
 ――釈尊の門下の須達長者は、幾たびも貧窮し、そのつど起ち上がってきた。とりわけ七度目の時は、夫婦二人きりで、万事休すの窮地に追い込まれた。
 しかし、それでも夫妻は何も惜しまずに、師の釈尊と弟子たちへ真心の限りを尽くした。すると、その決定した一念に呼応して、状況は劇的に一変した。
 夫妻は「五天竺第一の長者」となり、師弟の大法城たる祇園精舎を建立していったのだ。(御書1574頁、趣意)
 何度倒れようとも、起ち上がる。断じて起ち上がってみせる。この究極の力こそ、不屈の信仰なのだ。
 経済苦や仕事上の悩み、家族の課題、人間関係、病気の再発、さらには、自然災害など、人生には、これでもかと塗炭の苦しみの打ち続く難局がある。
 しかし、その時が、まことの信心が試される時だ。
 『いよいよ強盛の信力をいたし給へ』(1143頁)と題目を唱え抜き、負けじ魂で立ち向かっていくのだ。
 『蘇生の義』の妙法である。「絶対勝利の信心」である。打開の道を見出せないわけがない。
 広宣流布の大願を掲げ、法のため、友のためにと、歯を食いしばって戦い切る時、「心の財」は無量に積まれ、思いもよらぬ境涯が開かれるのである。
 恩師は、悩める友を抱きかかえて励まされた。
 「どんな苦労をしていても、皆、地涌の菩薩だよ。わが人生の劇で、妙法の偉大さを証明していくのだ。必ず変毒為薬して、笑って話せる時が来るよ」と。(中略)
 御聖訓の通り、三障四魔が紛然と競い起こる連続にも、我ら創価の師弟は微動だにしない。
 御本仏・日蓮大聖人が、御命にも及ぶ大難の中で師子吼された「開目抄」の一節を、常に、そして共々に、強く深く心肝に染め抜いているからである。
 『我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ』(開目抄下234頁)
 この約束を「まことの時」に忘れぬからこそ、皆が「自然に仏界」という実証を示し切っていける。これが「創価学会仏」の世界なのである。
 新たな一年も、我らは不屈の朗らか長者として、負けない人生の年輪を飾りゆこうではないか!


 創価とは
  負けない命の
    絆なり
  堂々と生き抜け
   いよいよ勝ち抜け


大白蓮華2016年12月号№806巻頭言(抜粋)

 

2016年11月

人間をより強くし、

より善くし、

より賢くする


<座談会> 

 
 良き友との語らいこそ、かけがえのない宝である。
 アメリカの哲人エマソンの言葉が蘇ってくる。
 「聡明な、心豊かな友と過ごせば、人生は二倍にも、十倍にも価値あるものになる」と。
 経文に「闘諍言訟」と説かれる通り、末法とは、人と人との争いが絶えず、麗しい人間の絆も、嫉妬や讒言によって引き裂かれてしまう悪世だ。
 そのなかで、まるで奇跡のように、友情と信頼に潤う生命のオアシスを、日本中、世界中のいずこにも創り広げているのが、我ら創価学会の座談会である。
 老若男女を問わず、社会的な立場も越え、国籍や人種など、ありとあらゆる差異にとらわれず、皆が和気あいあいと融合できる、人類の平和の縮図だ。
 日蓮大聖人は、大難の渦中、門下一同へ
 『かかる濁世には互につねに・いゐあわせてひまもなく後世ねがわせ給い候へ』(御書965頁)と呼びかけられた。
 さらにまた、『常によりあひて』(御書1114頁)、
 『常にかたりあわせて』(御書900頁)、
 『常にむつ(睦)ばせ給へ』(御書1172頁)等々と、繰り返し仰せになられている。
 御本仏が「たえまなく座談会を」と教えてくださっているように、私には拝されてならないのだ。
 創価の師父・牧口常三郎先生、戸田城聖先生は、よくぞ「座談会」というリズムを、広宣流布の心臓の脈動のように刻まれたと、感謝は尽きない。
 どんなに地味で、地道であろうとも、毎月の座談会を積み重ねている限り、わが学会は前進する。
 座談会は、民衆の大地に咲き薫る人華の花園だ。よそゆきの顔なぞ、いらない。気取ったり、身構えたりする必要もない。ありのままに集い合えるのだ。ゆえに決して行き詰らない。どこでも、いつまでも新鮮に、庶民の息吹と智慧で長続きできる。
 妙法で結ばれた、法華経の世界そのままの会座である。だからこそ、『はたらかさず・つくろわず・もとの儘(まま)』(御書759頁)という、久遠からの無作の生命を、皆が伸びやかに呼び覚ましていけるのだ。
 恩師は、よく言われた。
 「久遠元初の晴れやかな世界で、共に誓い合った地涌の菩薩の我々が、今また、この娑婆世界にそろって、楽しくにぎやかに涌出したのである」と。(中略)
 座談会こそ、「人間をより強くし、より善くし、より賢くする」世界宗教の真価が発揮される広場だ。
 座談会場を提供してくださっている全てのご家庭の無事安穏と、益々のご多幸を私はお祈りしたい。
 いにしえ、仏法者の修行の会座は「不敗の集い」と呼ばれた。座談会はまさに「常勝不敗の集い」だ。
 世界広布新時代の「対話の拡大」「境涯の拡大」そして「青年の拡大」へ、座談会から出発しよう!

 

 妙法の
  座談の会座に
     和楽あり
  共に仏と
   いざや 勝ちゆけ

 

大白蓮華2016年11月号№805巻頭言(抜粋)

 

2016年10月

「御書」は生命尊厳の永遠の羅針盤


<最極の「幸福学」> 

 
 若き日、心に刻んだビクトル・ユゴーの一節に、「羅針盤さえもっていれば、嵐もこのわたしにはたいしたことではありません」とあった。
 人類の精神史は、確かな哲学の羅針盤を求め続けてきた歩みであるといっても、過言ではあるまい。
 その渇望に余すところなく応え得る、生命尊厳の永遠の羅針盤が、日蓮大聖人の「御書全集」である。
 御書には、いかなる人生の宿命にも立ち向かう勇気が漲っている。いかなる悲嘆の人をも蘇生させずにはおかぬ慈悲が溢れている。いかなる時代の試練も打開しゆく智慧が輝き光っている。
 創価家族が皆で取り組んでいる教学部任用試験は、この最極の「幸福学」への入門といってよい。
 『日蓮は一閻浮提第一の聖人なり』(御書974頁)
 これは戦時中、臆病な僧らが弾圧を恐れ、こともあろうに御書から削除してしまった大宣言である。
 牧口常三郎先生、戸田城聖先生の不惜身命・死身弘法の闘争が示してくださっている通り、学会教学の真髄とは、どこまでも御書のままに、御本仏の大生命に触れて、境智冥合していくことだ。
 自分の小さな境涯では行き詰ってしまう壁も、大聖人の御境涯を拝すれば、絶対に行き詰らない。
 『法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れども・かへす事とがむる事なし』(御書1448頁)と仰せの如く、大海原のような心で悠然と進みゆけるからだ。
 このことを証明してきたのが、わが学会員である。(中略)
 何のための教学であるか。
 共に励まし、共に「一生成仏」するためでる。
 「異体同心」の団結を強めていくためである。
 障魔に勝ち「仏法勝負」の証しを示すためである。
 「立正安国」の平和な社会を築くためである。
 妙法を世界に「広宣流布」するためである。(中略)
 『行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし』(諸法実相抄、1361頁)

 

大白蓮華2016年10月号№804巻頭言(抜粋)

2016年9月

我らは『久遠長寿の如来なり』 

 
(前略)生身の人間であるから、加齢とともに生老病死の悩みは避けられない。使命ゆえに、諸難も襲い来る。
 しかし日蓮大聖人は、『松は万年のよわひを持つ故に枝を・まげらる』(四条金吾殿御返事、1136頁)とされ、『法華経の行者は久遠長寿の如来なり、修行の枝をきられ・まげられん事疑なかるべし』(同頁)と仰せになられている。
 我らは『久遠長寿の如来なり』との大確信に立って、一切を悠然と乗り越えていくのだ。(後略)

 

 功労の
  父母ありて
    広布あり
  健康長寿を
     皆で祈らむ

 

大白蓮華2016年9月号№803巻頭言(抜粋)

 

2016年8月

地涌の菩薩を呼び出す誉れの舞台は

どこにあるか

 

<わが地区であり、わがブロックである>

 

太陽が昇れば闇は消え去る。

地涌の生命は太陽だ。
諦めの惰性を打ち破る題目だ。
わが足下から、新たな「地涌の義」を示しゆこう。

 

 (前略)「末法という乱世の中の乱世に、なぜ、我々は生まれ合わせ、集い合っているのか?」
 若人たちの顔(かんばせ)を見つめつつ、先生は言われた。
 「仏の仕事をするために生まれてきたんだよ」と。
 現実は皆、生活苦や病気などの悩みの連続であった。
 しかし、それは、不幸な人々を救うために、あえて願って引き受けた姿であると、教えてくださった。
 だから、いかに厳しい「宿命」も必ず打開できる。皆の幸福を勝ち開く「使命」に変わらぬわけがない。
 人間として最も深く、最も強い生命の目覚め――それが「我、地涌の菩薩なり」との自覚である。
 「御義口伝」には仰せである。
 『日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は従地涌出の菩薩なり外に求むること莫かれ』(799頁)
 日蓮大聖人が唱え始められた妙法は、地球という星に地涌の菩薩を涌出させゆく大音声である。
 いずこであれ、自行化他の題目が轟くところ、地涌の菩薩は躍り出る。敗戦で荒廃し切った日本の悲嘆の大地から、御書に説かれる「地涌の義」のままに勇んで立ち上がったのが、創価の師弟である。
 どんな境遇の人にも妙法を教え、仏の生命を涌現してみせる。どんな環境の地域にも題目の種を蒔き、地涌の人材を出現させてみせる。この断固たる祈りで、我らは広宣流布の道なき道を開いてきたのだ。(中略)
 大変であればあるほど、いよいよの勇気を、智慧を、慈愛を喜び漲らせていくことができる。これこそ「地涌」の泉である。妙法受持の人が立つ天地には、この無限の希望が満々と湧き起こるのだ。
 地涌の菩薩を呼び出す誉れの舞台は、どこにあるか。それは、わが地区であり、わがブロックである
 各地の幸福責任者の方々が、誠実に粘り強く訪問や励ましを重ねる。その執念の祈りと行動こそ、地涌の宝友を、一人また一人と糾合していくのだ。
 たとえ、すぐ発心せずとも、陰徳陽報は計り知れない。地域の人材城を守り栄えさせゆく、地道にして偉大な労苦に、私は合掌し南無する日々である。
 太陽が昇れば闇は消え去る。地涌の生命は太陽だ。地域に一人の新しき地涌の友が登場すれば、どれほど明るく一変するか。そこから拡大の光が広がる。
 さあ、諦めの惰性を打ち破る題目だ。わが足下から、新たな「地涌の義」を示しゆこうではないか!

 

 幸の城
  地涌のスクラム
   創りゆけ
  誉れの宝土に
    永遠(とわ)の都を

 

大白蓮華2016年8月号№802 巻頭言(抜粋)

2016年7月

幸福とは「使命」遂行の中に

 

<賢者はよろこび愚者は退くこれなり>

 

 幸福とは、いずこにあるのか。いかにして勝ち開くか。大文豪トルストイは、一つの結論として語った。
 「幸福とは、人生における自分の使命を、喜んで果たしゆく中にある」と。
 財宝でもなければ、名声でもない。安逸でもない。
 むしろ、逆境や誹謗や艱難をも、勇んで迎え撃ちながら、使命を遂行していく。この戦い続ける命の燃焼にこそ、喜びがある。誇りがある。充実がある。ここに、幸福の内実があるのではないだろうか。(中略)
 御本仏・日蓮大聖人は、竜の口の法難をはじめ、身命に及ぶ大難を勝ち越えられて、仰せになられた。
 『ついにをそれずして候へば、今は日本国の人人も道理かと申すへんもあるやらん』(王舎城事、1138頁)
 すなわち、いささかも恐れなく、終始一貫して、正法正義を師子吼なされてきた。だからこそ、敵対してきた人々さえも、“大聖人の仰ることが道理ではないか”と感服せしめるに至ったのである。
 この大聖人の忍難弘通に、我らは真っ直ぐに連なり、今、世界にまで共鳴と信頼を広げている。
 マハトマ・ガンジーが洞察した、偉大な運動が経る五段階、つまり無関心・嘲笑・非難・抑圧を突き抜けた尊敬の段階に入っていることを自負したい。
 恩師・戸田城聖先生は、いかなる苦境にある同志も抱きかかえながら、徹して励まし抜かれた。
 「何があっても、信心を強くしてくれる宝なんだ。大きな宿命と戦う人ほど、大勢の悩む人を救っていける使命があり、力を出せる。そして、どんな国土も、妙法の力で必ず変えていけるんだよ!」と。
 この通りに、「人間革命」即「立正安国」の蘇生の実証を、わが友はたくましく打ち立ててきた。(中略)
 池上兄弟への御聖訓には、『必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり』(兵衛志殿御返事、1091頁)と記されている。
 人生も、社会も、世界も試練が尽きることはない。それゆえ、思いも寄らぬ事態が出来しようとも、「退く」ことなく「よろこび」立ち向かう連帯を鍛え広げることが、確かなる幸福と平和の大道である。
 そのための生命の練磨こそ、日々の信行学の実践であり、たゆまざる希望拡大の学会活動なのである。
 栄光の男女青年部の結成より、六十五周年――。
 法華経に説かれる通り、全世界の大地から、地涌の賢者が躍り出る時が到来した。『賢者はよろこび』と勝利の舞を共に舞いながら、いざや前進だ!

 

 強盛の
  祈りで開けや
   わが人生
  いかなる試練も
    逆転勝利を

 

大白蓮華2016年7月号№801巻頭言(抜粋)

2016年6月

 

創価の母たちの祈りと労苦に

応える地涌の陣列を!

 

(前略)

 『只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり、此れ即母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり』(諫暁八幡抄、585頁)と。
 大聖人の仰せの通り妙法を弘めゆく地涌の行動は、命を慈しみ育む母の慈悲と一体不二なのだ。(中略)
 女性の弟子へ送られた御聖訓に『人の地に依りて倒れたる者の返つて地をおさへて起が如し』(法華初心成仏抄、552頁)という力強い譬喩がある。
 長い人生の旅にあっては、倒れるような時もある。しかし、倒れても終わりではない。また立ち上がればよいのだ。その希望の源泉が信心である。そして、この不屈の希望の当体こそ、創価の女性なのである。
 大聖人はさらに、こうも仰せになられた。
 『口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ』(法華初心成仏抄、557頁)(中略)


 「優雅に泳いでいるように見える白鳥も、水の下では懸命に足を動かしている」と。(中略)


 創価の母たちの祈りと労苦に応えて、民衆の幸福と人類の平和に貢献しゆく若き地涌の人材を、一人でも多く育てていきたい。この負けじ魂の正義の陣列を社会へ送り出すことが、立正安国の勝利である。

 

 太陽が
  昇るが如き
   母たちの
  幸福勝利は
     永久に光らむ

 

 

大白蓮華2016年6月号№800 巻頭言(抜粋)

 

2016年5月

 

地涌の若人の涌出は、

待つものではない。

先頭に立って呼び出すのだ

 

 地涌の若人の涌出は、待つものではない。先頭に立って呼び出すのだ。一緒に戦い、育て鍛えるのだ。
 思えば、大聖人御自らが、こよなく青年を慈しまれ、相次ぐ法難の中で、薫陶し、鍛錬なされていた。
 ある年の五月三日、若き南条時光へのお手紙には、
 『大事だと思っている人たちが信心を制止し、大難が来る時がある。その時こそ、まさに諸天の守護が厳然と現れると確信し、いよいよ強盛に信心に励んでいきなさい』(1512頁、趣意)と仰せである。
 吹き荒れる烈風に怯まず、勇敢に思い切って広布の大願に挑みゆく若人の色心には、妙法と一体不二の、無限のエネルギーが漲るのだ。その正義の丈夫たち、乙女たちを、仏天は必ずや守らずにはおかない。(中略)
 私はリーダーに語った。「一人の百歩前進も尊いが、それ以上に百人の一歩前進こそ大切だ。そのためにも、一人一人の名前を浮かべて祈ろう」と。

 

  我が胸に

   広布の炎は

    烈々と

   地涌の誓いを

    青年(きみ)と果たさむ

 

 

大白蓮華2016年5月号№799 巻頭言(抜粋)

 

2016年4月

 

一人ももれなく!喜びの舞を!


 御聖訓には、『無一不成仏と申して南無妙法蓮華経を只一度申せる人・一人にして仏にならざるはなし』(御書1573頁)と記されている。
 人々を幸福にする妙法の功力とは、これほどまでに大きい。ゆえに仏縁を結ぶことが、いかに大切か。また、広宣流布の陣列に、ひとたび縁した一人一人が、いかに大事な存在か、計り知れないのだ。
 日蓮大聖人は門下に、『一日片時であっても私の命を助けてくれた人々であるから、どうして他人のように思えようか』(御書1489頁、趣意)と仰せである。そして、その人の難しい立場を思いやられ、『何があろうとも、どうして、あなた方を見捨てるようなことがあるでしょうか』(同頁、趣意)と明言された。
 御本仏の慈悲は、あまりにも広大無辺であられる。このお心を拝する創価家族のスクラムは、この世で最も明るく、麗しく、大らかな人間の絆なのだ。
 今、思うように会合に参加できない同志もいる。あるいは、組織から遠ざかって久しい場合もあろう。
 しかし皆、宿福深厚なるゆえに、妙法を受持した地涌の菩薩である。心田に蒔かれた仏種が、芽吹き、育ち、花開いていかないわけがない。
 だからこそ、強盛に題目を送り、「歓喜の中の大歓喜」の波動を、友の生命に伝え広げていくのだ。真心を込めて訪問・激励を、粘り強く重ねていくのだ。

大白蓮華2016年4月号№798 巻頭言(抜粋)

 

2016年3月

 

無名無冠の人間王者

 

 「壮年部は、各部のなかの一つの部ではない。各部の調和をとり、責任をもって、学会を、会員を、守る。創価の城を支えゆく、黄金柱になるのだ」と。(中略)
 学会が、諸難ありとも、微動だにもせず、大発展を遂げてきたのは、まさしく「黄金柱」たる壮年が、いずの地にも雄々しく屹立しているからである。
 いかなる社会と人生の烈風が吹き荒れようとも、歯を食いしばって厳然と、創価の城を支えてくれた尊き父たちのことを、どうして忘れられようか。
 日蓮大聖人は、『天・地・人を貫きて少しも傾かざるを王とは名けたり』(内房女房御返事1422頁)と仰せである。
 大宇宙をも包みゆく、壮大な「一念三千」の法理を行ずる我らだ。権力によらず、財力によらず、ただ一人の男として生命の本源の底力を発揮し、生老病死の苦悩に応戦して、創価家族を牽引するのだ。無名無冠なれど、最も誇り高き人間王者である。
 恩師・戸田城聖先生は「王者の中の大王者」の道を進み抜かれた。先生は悠然と語られている。
 「私は、かりに地獄に堕ちたとしても平気だよ。その時は、地獄の衆生を折伏して寂光土とするんだ。男が臆せば男ではない。どんな苦労も仏の力に変えられる。三障四魔が強いのは、むしろ信心で、必ず勝てるという証しなんだ。人生は強きでいけ!」
 創価の王者に恐れはない。逡巡もない。気取りもなければ、威張りもない。ありのままの人間味で、庶民と共に、庶民のために、毀誉褒貶など豪快に笑い飛ばして戦う。現実社会の只中で、法華経の兵法を掲げて大闘争を続ける。そして、後継の宝の若人を慈しみ、自分以上の大人材へと育てゆくのだ。(中略)
 壮年部の誕生から半世紀。「五十にして天命を知る」だ。何があろうと勝って同志を守り抜く。この天命をば、共々に断固と果たし切ろうではないか!

 

大白蓮華2016年3月号№797 巻頭言(抜粋)

 

2016年2月

本有無作の対話を!

 

ありのままの大誠実の生命で

  
 日蓮大聖人は、『水の底なる石に火のあるが如く百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる』(1403頁)と譬えられた。

 なんと鮮烈な譬喩であられることか。

 水底の石に秘められた火を打ち出すように、また、長き闇に覆われた洞窟を照らす晴らすように、友の心を信じ、生命尊厳の哲理で劇的に蘇らせていく。これが、私たちの仏法の語らいなのである。

 身構える必要などない。自らの胸奥に燃え上がる確信の炎は、縁する人に、しかと伝わるからだ。「本有無作」という、ありのままの大誠実の生命で、価値創造の希望の燈(ともしび)を点火していけばよいのである。

 

大白蓮華2016.2月号№796巻頭言(抜粋)

 

2016年1月

法華経の行者の祈り

 

<誓願の祈り>

 

地涌の我らは勝利を誓って、

乱世に生まれてきたのだ!

 

 青き地球の新しい一年の自転と公転が始まった。
 我らも、久遠元初の生命の太陽を輝かせながら、新しい息吹で、「一生成仏」という自転を、そして、「広宣流布」という公転を、たゆまずに進みたい。
 その推進力は、「法華経の行者の祈り」である。
 末法の御本仏・日蓮大聖人は仰せになられた。
 大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひ満干ぬ事はあり とも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず』(祈禱抄1351頁)と。

 この妙法の無窮の力用を万人が解き放つために、大聖人は、最極唱題行を末法の全人類へ授けてくださったのだ。

 「法華経の行者の祈り」とは、「誓願」の祈りである。自らが「人間革命」を誓い、「宿命転換」を誓う。「自他共の幸福」を誓い、「立正安国」を誓う。そして、その成就のために師子王の心で戦うのだ。

 創立の父・牧口常三郎先生は、自分だけの利益を願う「信者」であってはならないと戒められた。

 創価の勇者は、全生命を燃えたぎらて、大宇宙にまで轟きわたる題目を唱えながら、勇猛に、誠実に、忍耐強く、菩薩の行動に打って出ていくのだ。

 だから、強い。だから、負けない。

 人間として、これほど尊い生命の境地があろうか。この究極の正義の一念に呼応して、諸天善神も、仏菩薩も、厳然と動き、働き、守護するのである。

 わが師・戸田城聖先生は、よく同志を励まされた。

 「大聖人を胸に、広宣流布へ祈り戦えば、どんな困難も打開できる。人生の幸福の土台を必ず築ける。一家眷属の永遠の福運も積める。一つ一つ、信心で勝つ! これが、我々の発迹顕本に通ずるんだよ」(中略)

 私たちが、朝な夕な勤行で読誦する自我偈には、「慧光照無量 寿命無数劫」(慧光の照らすこと無量にして、寿命は無数劫なり)とある。

 今、百九十二カ国・地域の同志が心を一つに、「世界広宣流布」の大願成就を誓い、「世界の平和」と「一切衆生の幸福」を記念する時代が始まっている。

 我らの「異体同心」の題目に勝る智慧の光はない。この慧光で、いよいよ地球を照らしていくことだ。ここにこそ、人類が永遠に栄えゆく軌道があるからだ。

 『ちかいし願いやぶるべらからず』(開目抄232頁)――この大誓願に直結し、いかなる試練も「風の前の塵」と吹く飛ばして、今年も勝ち進もう! 地涌の我らは勝利を誓って、乱世に生まれてきたのだから!

 

大白蓮華2016.1月号795号巻頭言(抜粋)

 

2015年12月

「心こそ大切」のチームワーク

    

 世界的に名高い外科医の友に、大手術を成功させる心構えを尋ねたことがある。答えは明快であった。
 「チームワークです!」
 とりわけ、陰で支えてくれるスタッフと心を一つにして、皆でベストの力を出し切ることである、と。
 これは、万般に通じる勝利の鉄則であろう。
 この一年も、わが創価家族は「異体同心」という最極のチームワークで、大法弘通に邁進してきた。
 「誠心誠意を尽くした仕事をもたらし、そこに悔いはない」と、マハトマ・ガンジーは語った。
 自らの悩みや課題を抱えながらも、法のため、人のため、社会のため、陰の労苦を惜しまず奮闘を続けてくれる尊き宝友に、私は感謝の宝冠を捧げたい。
 広宣流布の勝利島の原点たる佐渡の地にあって、日蓮大聖人にお仕えし、流罪を勝ち越えられた後も、師弟の道を貫き通したのが、阿仏房と千日尼である。
 夫妻は『にくまばにくめ』(御書1308頁)と、障魔の烈風の矢面に立って北国の一門を守り抜いた。心揺れる後輩も包容し、温かく励ましながら、阿仏房は、大聖人のもとに、幾度となく馳せ参じたのである。
 大聖人は、夫を送り出した千日尼に仰せられた。
 『御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり、仏に成る道も此くの如し、我等は穢土えどに候へども心は霊山に住べし』(御書1316頁)と。
 会わなくとも、貴女の命はここに届いています。私たちの心は、いつも一緒に常寂光の都にあります。
 ――すべてを包まれる御本仏の仰せである。健気な婦人部、女子部をはじめ、わが創価家族を照覧してくださっている御心と拝されてならない。(中略)
 御聖訓には、『凡夫は志ざしと申す文字を心へ仏になり候なり』(御書1596頁)
 心がいずこに向かっているか。妙法と共に、師弟と共に、同志と共に、慈折広布を目指しゆく心は、そのまま大宇宙の仏界の次元に必ず達する。
 この仏法の極意に立てば、何も嘆くことはない。たとえ若い時のように体が動かなくとも、同志や後輩たちに題目を送る多宝の友は、仏意仏勅の学会の城で、無量の「心の財」を自在に積んでいるのだ。
 「見えないところで戦う同志を最大に尊敬し、心を配っていく。これが学会精神だよ」――この恩師の指導を忘れず、「心こそ大切」のチームワークで、いやまして仲良く朗らかに勝ち進んでいこう!

 

大白蓮華2015年12月号№794巻頭言

 

2015年11月

宝塔品の世界は

八葉の心蓮華の内にあり

    

 法華経の宝塔品の会座には、荘厳にして壮大なる七宝の塔を中心に、多宝如来・釈迦如来・十方の諸仏・一切の菩薩が集まっておられた。
 この宝塔品の世界とは、只今いずこにあるのか。
 大聖人は、門下の女性に明快に示しておられる。
 『日女御前の御胸の間・八葉の心蓮華の内におはしますと日蓮は見まいらせて候』(御書1249頁)と。
 (――宝塔品の儀式には多宝如来、釈迦如来、十方の諸仏、一切の菩薩が集まられたのです。この宝塔品が今、どこにおられるかと考えてみますと、それは日女御前の胸中の八葉の心蓮華の中にこそおられると、日蓮は見るのです――と。・・・サイト・マスタ)
 おとぎ話のような素晴らしいロマンの宇宙が、他のどこかでもない、妙法と共に生きゆく女性の胸中に、晴れ晴れと広がっている。
 断じて不幸に負けない仏の勇気も、縁する友どちを幸福へと導く仏の慈悲も、今いる場所から平和を創り広げる仏の智慧も、全部、貴女の心にあると、教えてくださっているのだ
 この“希望の大発見”を、創価の女性たちは自らの生命を宝塔と輝かせて立証してきた。

 

大白蓮華2015年11月号№793巻頭言

2015年10月

絶対に仏になれる。

一緒に幸せになろう! 

    

(前略)

 大聖人の仏法は「下種仏法」である。
 悪世末法はにおける妙法の「下種」(種を下ろす)とは、こんな荒れ地に種を植えても無駄であると見放されてきた衆生の心の大地にも、光を当て、手を差し伸べていく未聞の挑戦である。
 御書には『但南無妙法蓮華経の七字のみこそ仏になる種には候へ』(1553頁)と断言されている。
 どんな人であれ、どんな境遇であれ、題目を唱えゆくならば、仏の生命を現すことができるのだ。
 ゆえに我らは種を蒔く。妙法という究極の幸福の種を、我と我が友の心田に蒔き続ける。いかに厳しい現実の宿命があってもたじろがず、「絶対に仏になれる。一緒に幸せになろう」と語り切りながら!
 なかなか折伏が成就せずに悩んでいる、けなげな同志を、戸田先生は温かく労われた。
 「何も嘆くことないよ。すぐに信心する発心下種と法を聞かせる聞法下種は、功徳は同じだ。必ず実る時が来る。だから、どしどし下種するんだ」(中略)

 

 わが弟子と
   万年の種
    植えにけり
   幸の人華よ
    未来(あす)へ薫れや

 

大白蓮華2015年10月号№792巻頭言

2015年9月

全員が「初心」を貫き通す勝利者に!

 

    

 法華経に登場する不軽菩薩は『初随喜の行者』(御書1277頁)とされる。「初随喜」とは、師である仏の教えを信受し、歓喜して修行に励む最初の位である
 師の「万人成仏」の教えを抱きしめ、不軽菩薩は出会う人々の仏性を敬い、対話を続ける。増上慢の勢力から、どんなに迫害されようとも、師匠と同じ大使命に生きぬく歓喜の初心を貫き通していった。
 ゆえに、断じて負けなかった。
 信心は、年数や役職で決まるのではない。慢心を起こし、惰性に流されてしまえば、歓喜は失われる。
 『心こそ大切なれ』(同1192頁)である。初心を忘れず、基本を大切に、『水のごとく』『いつも・たいせず信ずる』(同1544頁)人こそが、偉いのである。(中略)
 「地域の一人ひとりはもちろん、会合で顔を見ない友のことほど真剣に祈ります。祈っているから、どんな人も仏であり、使命があるとわかります」と。
 尊き父母たちが命懸けで創り上げてくれた仏の世界こそ、創価学会である。この絆に連なる宿縁を思えば、歓喜は尽きることなく湧いてくるではないか。
 苦しい時こそ、同志と題目を唱えて、語らえば、命の底から蘇生できる。これが創価のリズムだ。
 我らには、果たすべき誓願がある。勝つべき闘争がある。その成就の力を具えて、生まれてきたのだ。
 朝な夕なの勤行は、久遠元初の大生命に立ち返り、三世十方の仏菩薩や諸天善神に包まれながら、生まれ変わった息吹で出発する大歓喜の会座である。
 「私たちは地涌の菩薩だ。皆、多くの眷属を連れて今世に出現している。広宣流布に本気で戦えば、その眷属たちが現れて、一緒に戦うようになる! 

」とは、わが師・戸田城聖先生の確信であった。
 さあ、新しい人材を見出し、共に祈り、共に進もう! 全員が「初心」を貫き通す勝利者として!


大白蓮華2015年9月号№790 巻頭言(抜粋)

2015年8月

広宣流布の誓願に立ってこそ、

御書の真の意義を会得

    

 御書を根本として、庶民の大地に生命尊厳の大哲学の連帯を広げてきたのが、創価学会である。日々、行学の二道に励む学会活動は、民衆が幸福と平和の智慧を磨き、現実の社会で価値創造しているのだ。(中略)
 世には興味本位や悪意と邪見の文言が渦巻いている。人を誑かし、不幸へ引きずりこむ悪知識は多い。
 その中にあって、御書という最極の明鏡に照らせば、常に生命を正視できる。揺るぎなき生命観、人生観、社会観、宇宙観に立って、一切を正しく見晴らしていくことができる。信心の利剣で悪縁を断ち切り、迷いなく常楽我浄の正道を進んでいけるのだ
 御書をひもとくことは、日蓮大聖人の御境界を、直接、拝することに他ならない。閉ざされた小さなカラを破って、広々とした境涯が開かれる。
 それは、久遠元初の太陽の如く、御本仏の大生命から放たれる光線を、我らの色心いっぱいに浴びていくことである。
 大聖人は、ある御返事の結びに『此の書は弘通の志有らん人に取っての事なり』(御書1357頁)と仰せになられた。大聖人が掲げられた広宣流布の誓願に立つ人こそ、御書の真の意義を会得できるのだ。
 その通り身読してきたのが、牧口常三郎先生、戸田城聖先生である。そして、我ら創価の師弟である。
 戸田先生は、「絶対なる大聖人の確信と情熱とにふるるとき、信心の火が、いやがうえにも、燃えあがるのを、感ぜざるをえない」と叫ばれた。
 ここに、学会教学の根幹の大精神がある。
 広布の戦いの中で、御書を声を出して拝読すれば、御金言の師子吼が、わが命に強く熱く共鳴し、満々たる仏の力が胸奥から込み上げてくるではないか。(中略)
 さあ今日も、御聖訓の一節を心に刻み、行学の翼を広げながら、朗らかに勝利の大空へ舞い行こう!


大白蓮華2015年8月号№789 巻頭言(抜粋)

 

2015年7月

大いなる境涯を開け!

 

<常楽我浄のスクラム明るく!>

   

 大いなる人生には、必ず、大いなる試練が立ちはだかる。大いなる試練に立ち向かうからこそ、大いなる境涯が開かれていくことを忘れまい。(中略)
 時代は空前の少子高齢化社会に入り、これまで以上に「生老病死」の苦悩がクローズアップされている。
 それを根本的に打開しゆく「常楽我浄」の智慧を、私たちはいよいよ力を合わせて発揮していきたい。
 みな、生身の体だ。自分自身」や家族が、思いもよらない病を、厳しい老いの現実に直面する時もある。
 しかし日蓮大聖人は、門下の病気を『我身一身の上とをもひ』(985頁)との経文を通されて、励ましてもおられる。
 この御本仏のお心に則り、我らは最極の良薬たる題目を唱え、互いに支え合い、守り合っていくのだ
 御文には『一日の命は三千世界の財にもすぎて候なり』『而して法華経にあわせ給いぬ一日もいきてをはしせば功徳つもるべし』(986頁)とも仰せである。
 病は病のまま、老いは老いの姿で、妙法と共に、同志と共に生き切る一日に、無量の福徳があるのだ。
 先師・牧口常三郎先生は、目が不自由だった養母を介護されていた。先生が自ら背負ってお風呂場へ連れて行き、入浴の手伝いもされたという。
 この人間愛の深さと、いかなる迫害にも屈しない師子王の強さを、創立の父は併せ持たれていた。
 病気や高齢の家族を抱きかかえながら、広宣流布へと打って出る行動がいかに尊いか。その労苦は、わが家みんなの「心の財(たから)」と積まれ、その慈愛のチームワークは、地域の希望のモデルと光る。


 慧光照(えこうしょう)

  寿命無数(じゅみょうむしゅ)

    生命(いのち)なば

  今日も無量(むりょう)

    功徳(くどく)積みゆけ

 

大白蓮華2015年7月号№788 巻頭言(抜粋)

2015年6月

青年よ、恐れるな! 諦めるな! 前進だ!

  

 乱世にて
  揺るがぬ誓いの
    君なれば
   厳と根を張れ
     友と勝ちゆけ

 

 青年の勇気は無敵だ。それは何も恐れない。
 青年の勇気は無限だ。それは決して諦めない。
 「人生は闘争であり、立ち向かう勇気を示すべき場である」と、アメリカ・ルネサンスの詩人ソローは快活に叫んだ。
 若者が新たな挑戦の勇気を持てない社会であれば、停滞し衰退する。自ら率先して挑み、後継の友を勇気づけていく。これがリーダーの責任であろう。
 法華経には、地涌の菩薩は「その心に畏るる所無く」「忍辱の心は決定し」(法華経472頁)と説かれる。(中略)
 わが師・戸田城聖先生の青年への励ましが蘇る。
 「信心に、学歴や財産など関係ない。宇宙を変化させる南無妙法蓮華経という根源の力が、自分の生命にある。その力を開き現し、すべてを望む方向へと変え、開花させていけるんだよ」と。
 座談会には、尊い体験を通して、「絶対に大丈夫!」「自分も変われる。現実も変えられる」等と語ってくれる先輩たちの大確信の笑顔が光っている。
 創価家族が築き上げてきた、民衆の民衆による、民衆のための、励ましの世界こそ、青年を支え守り、伸ばす希望の大地だ。抜苦与楽の慈悲に満ちた、この心の安全地帯に、さらに青年を糾合していきたい。
 そこに、国土・社会の蘇生の活力も漲るからだ。(後略)

 

大白蓮華No.787号2015.6月号巻頭言

 

2015年5月

後継に託すべき学会精神の第一

 

<「師子王の心」>

 

 第三代会長に就任して、私が最初に結成したのも未来部である。手作りで薫陶を開始した鳳雛たちと、私は「佐渡御書」の一節を深く強く拝した。
 それは『師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし』(御書957頁)との仰せである。
 無名無冠の父母たちが、私と共に「師子王の心」を取り出して、いかなる苦難も恐れず、築き上げてきた異体同心の大城こそ、正義の創価学会だ。
 ゆえに、わが後継の未来部に託すべき学会精神の第一は、「師子王の心」であある。(中略)
 無量の光明を放って涌出する地涌の菩薩さながらに、「従藍而青」の若人が喜び舞いながら登場する「世界広布新時代」は、今まさに到来した。
 愛する後継の光の君よ、君たちよ!世界第一の創価の人材のスクラムで、伸び伸びと学び、鍛えてくれ給え! そして、世界の友と手を携え、新たな地球社会の希望の暁鐘を打ち鳴らしてくれ給え!

 

 健やかに  
  創価の後継
     天高く
   学び光れや
     勝利の王者と

 

大白蓮華No.786号2015.5月号巻頭言

2015年4月

この

 

<創価桜のひらけ!>

 

 毎朝毎朝、私の心に響いてくる足音がある。
 それは、日本列島のあのこの
 聖教新聞の配達の歩みえを進めてくださっている。尊き「無冠の友」である。
 その一歩一歩が、友に今日一日の前進の力を贈り、無量無辺の「心の財」を積み、広げているのだ。
 日蓮大聖人は、日女御前を励まされた。
 「大空には鳥の飛ぶ跡がある。人間には見えない。大海には魚のがある。人間には見えない」
 「同じように、あなた日女御前の御身の内には、『宝塔品』が厳然とあるのである。凡夫には見えなくとも、釈迦仏・多宝如来・全宇宙の諸仏は御覧になっている」(御書1250頁、趣意)と。
 たとえ誰が見ていなくとも、御本仏が厳然と御照覧くださっている「生命の道」なのである。
 この娑婆世界には、御書に「冥(くら)きより冥きに入る」(同560頁)と喝破されているように、悪縁に引きずられて深い闇から闇へ彷徨う不幸が、あまりに多い。
 その悪道の流転を押し止めて、生きる喜びのへ、希望の光のへ、共に進みゆく哲理が、妙法である。
 ここに、「一生成仏」を勝ち開きゆく直がある。また、「父母を扶(たす)くる」(同223頁)という真実の孝養のもある。そして万人を、これ以上ない幸福の境涯へとリードしていける「無上」があるのだ。
 現実のには、荊(いばら)も生い茂る。壁も立ちはだかる。出口の見えない、長いトンネルのようなもある。
 しかし、古代ローマの哲人セネカは、「ごつごつしたこそ、崇高の頂(いただき)に達するです」と言った。
 題目は、険難の坂も勇敢に上りゆくエンジンだ。
 知多半島の多宝の父母は、伊勢湾台風の被災にも、悪意や偏見にも、不退の心で、「我等の決めた」このを切り開いてきた。同志と共に、走り、語り、愛する郷土の三変土田のため、今も戦い続ける。
 「悪口されると、余計に『よし、勝つぞ!』と燃えました。今、すべてが仏縁と信頼のに変わりました。学会は、人を救う地涌の菩薩の団体です。友と会えば、すぐに歓喜の対話のが広がります」と。
 苦難の中を、もがき、苦しみながらも、法のため、人のため、社会のため、前へ踏み出した一足一足は、黄金の足跡となって、決して消えない。あとに続く人々に、限りない標(みちしるべ)と輝いていくのだ。
 わが師・戸田城聖先生は叫ばれた。
 「山を大きな石がふさいで前に進めない。しかし、どうしても行かなくてはいけない。どうするか、その時こそ、『勇気』を奮い起こし、『智慧』を発揮していくところに、信心の本当の深さがある」と。 
 我らは、広宣流布の正、立正安国の大を開くことを誓い願って生まれてきた。
 「新たな友よ、集い来たれ!」と声をかけながら、今日も強く朗らかに、創価桜のこのを征こう!
 
 師弟して
   誓いの
    晴ればれと
   創価桜の
    満開勝利で

 

大白蓮華No.785号2015.4月号巻頭言

2015年3月

「流人なれども喜悦はかりなし」

 

<いかなる悩みも難題も前進の力へ転換しゆくエネルギーに>

 

 日蓮仏法は、万人の胸奥に「仏性」という最極の生命の炎を灯しゆく太陽の法理である。
 我ら創価家族は、正法の聖なる火を、あの町でも、この街でも、一人一人の心に点火してきた。
 その人間主義の熱は民衆の心を励まし温め、その生命尊厳の光は地域・社会を明るくしている。
 御義口伝には、「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは生死の闇を照し晴して涅槃の智火明了なり」「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり」(御書710頁)と仰せである。
 妙法の智慧こそが、生老病死という苦悩の闇を打ち破る大光であり、いかなる悩みも難題も前進の力へ転換しゆくエネルギーなのである。
 ゆえに、自行化他の題目を唱え、この究極の智慧の炎を燃え上がらせるならば、自分自身の命が変わる。
 宿命も変えられる。どんな人も、どんな国土も、必ず必ず変えていけるのだ。
 その希望のドラマを示していくのが、我らの「人間革命」の挑戦であり、「立正安国」の連帯である。(中略)
 日蓮大聖人は、命に及ぶ佐渡流罪の大難の中で、悠然と「流人なれども喜悦はかりなし」(同1360頁)と言い放たれた。
 この御本仏に直結して、命の奥底に灯した我らの誓いの火は、断じて消えない。試練の烈風が吹き荒ぶほどに、いよいよ燃え盛るのだ
 わが師・戸田城聖先生は叫ばれた。
 「いろんな悩みや人の中に飛び込んで、もみくちゃになって戦ってこそ、自分が変わり、周囲も変えていける。その喜びをつかむための悩みでもあるんだよ。我らは勇敢に濁世を救おうではないか!」と。
 さあ、共々に「喜悦はかりなし」と、信心の炎を燃やし、わが生命の国土を赫々と照らしゆこう!

 

大白蓮華No.784号2015.3月号巻頭言

 

2015年2月

衆生見劫盡 大火所燒時

我此土安穏 天人常充満

 

 思えば、敗戦の焼け野原に、戸田城聖先生が一人立たれて、人類の生存を脅かす魔性への戦いを開始されてより七十年――。今や、民衆の平和と幸福のネットワークは、揺るぎなく地球を包んでいる。
 恩師は、広布の拡大に励む友に呼びかけられた。
 「誰に対しても、大誠実でいこう! 一念三千であるゆえに、わが一念に仏性を現していけば、相手の境涯も必ず変わっていく。自分が動き、語った分、地域を安穏の楽土に変えていけるんだよ!」と。
 何より心強いことは、我らには日本中、世界中に「異体同心」の同志がいる。「従藍而青」の人材が続いている。共に祈り、共々に励まし、守り合って、今年も「我此土安穏」の地域づくりに勇んで挑もう!

 

 今生の

  楽しき思い出

     今日もまた

   縁(えにし)の地域を

     広布の宝土へ

 

大白蓮華No.783号2015.2月号巻頭言

 

2015年1月

題目の人は、断じて行き詰まらない

    
 宿縁深厚にも妙法を受持した私たちは、来る年も、来る朝も、題目の音声とともに、久遠元初の太陽を昇らせ、わが生命を蘇らせていくことができる。
 御書に「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがえる義なり」(947頁)と仰せの通り、唱題行こそ究極の若さと、無限の活力の源泉なのである。
 地涌の菩薩たる我らの題目は、誓願の祈りである。
 いわゆる何かに弱々しくすがる願いなどではない。
 自ら誓いを立て、その成就へ一念を定め、大宇宙の根本法則に合致し、全生命で轟かせゆく師子吼なのである。これほど強く、これほど荘厳な力はない。
 わが師・戸田城聖先生は、よく言われた。
 「日蓮大聖人と共に、妙法広布を誓い、戦う人の祈りは必ず叶っていく。三障四魔よ、何するものぞとの大確信で祈りきれ」と。さらにまた、「一人の強盛の信心の祈りに、皆がついてくる。皆が最後は幸福になれるんだよ」とも教えてくださった。
 ゆえに、何があっても、まず題目だ。
 題目の人は、断じて行き詰まらない。(中略)

 

 題目の
  師子吼の我らに
     恐れなし
   功徳の勝利を
    無限に開けや

 

大白蓮華No.782号2015.1月号巻頭言(前半抜粋)

  

2015年新年勤行会メッセージ

 

 明るい明るい、希望にあふれる新年、誠におめでとうございます。寒い中、念頭より本当にご苦労さまでございます。
 日本全国、そして全世界の創価家族が心を合わせて、人類の幸福と世界の平和を祈り、広布と人生の新たな勝利へ出発する。これほど尊く、力強い新春の集いが、いずこにあるでしょうか。
 御本仏・日蓮大聖人は仰せになられました。「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし」(御書1360頁)と。
 大宇宙の究極の法則である妙法をば、唱え、弘めゆく皆さま方こそ、最も偉大な地涌の菩薩なのであります。
 久遠からの誓いで結ばれた我らは、大聖人と等しい、最極の仏の生命力を発揮しながら、法のため、人のため、社会のため、そして未来のため、愉快に、仲良く、恐れなく、この一年も勝ち切っていこうではありませんか!
 今年は、初代・牧口常三郎先生、2代戸田城聖先生が、仏意仏勅の創価学会を創立なされてより85周年――。
 皆さま方の異体同心の団結によって、今、妙なる「躍進」の時が到来しました。
 第3代の私は、皆さまの信心の先輩として、一人ももれなく健康でご長寿で、ご一家が和楽と大福運の人生を歩んでいかれるよう、真剣に祈り続けてまいります。
  結びに、新春の一句、

 

  いざや舞え
   これから君が
      晴れ舞台

 

  と贈ります。
 世界一の創価家族、万歳! 偉大なる皆さま、万歳!
 後継の人材が無限に育ちゆくことを深く祈念しつつ。


2015.1.4聖教2面

 

2014年12月

「陰徳陽報」の誉れの友に感謝!

 

<勇気と希望の大逆転劇を!>

    
 私は何よりも誇りとする。
 陰の労苦をいとわず、誰が見ていようがいまいが、広宣流布の「陰徳」に徹し抜いてくれる尊き同志を!
 私は何よりも喜びとする。
 健気な同志と眷属が、いかなる毀誉褒貶も超え、所願満足の勝利の「陽報」に包まれゆく晴れ姿を!
 日蓮大聖人は、四条金吾の夫人である日眼女の人知れぬ「陰徳」を『心ざし大地よりも・あつし地神定めてしりぬらん・虚空よりも・たかし梵天帝釈もしらせ給いぬらん』(1115頁)と賞賛なされた。
 とともに、夫である金吾の大誠実の信心を讃え、『かくれたる事のあらはれたる徳となり候なり』(1171頁)と約束しておられる。
 濁り乱れた娑婆世界にあっては、真面目な庶民が積み重ねてきた努力が報われずに、狡賢い小才子が幅を利かすという矛盾が渦巻いている。
 人類の歴史を振り返ると、正義の善人が、非道の悪人に陥れられてきた悲劇も、あまりにも多い。
 しかし、仏法は透徹した三世永遠の因果の理法に照らすならば、善と悪、正と邪の賞罰は厳然だ。
 邪悪の徒は『終にほろびざるは候はず』(1190頁)の末路をたどる。
 妙法を唱え、広宣流布の誓願に、善知識の同志と共に生き抜く人生は、絶対に最後は勝ち栄える。
 勇気と希望の大逆転劇を、いずこにあっても、晴れ晴れと示し切ってきたのが、我ら創価学会である。(中略)

 

 黙々と
  陰の労苦に
     徹したる
   冥の照覧
    三世に薫らむ

 

大白蓮華No.781号2014.12月号巻頭言(前半抜粋)

 

2014年11月

創立の11月18日

 

<今いる場所を新たな「創立」の場所に>

    
 菊花咲き香る11月。
 それは、わが創価学会の「創立」の月です。
 初代会長・牧口常三郎先生、そして第2代会長・戸田城聖先生の不二の師弟によって、学会がこの世に出現した月です。
 しかし、その出発の日は、華々しいファンファーレで祝賀されたわけではありません。
 創価教育学会には当時の最高峰の有識者たちから期待は寄せられていたものの、立派な建物があったわけでもありません。
 英語の「創立する」(found)の語源をたどれば、「土台」という意味のラテン語に行き着きます。
 では、創価学会の「創立」の土台となったのは、何だったのでしょうか。いかなる土台の上に、学会は創られ立ち上がったのか。
 私は思います。
 それは財力でもなければ、権力でもない。
 ただ偉大な誓願と情熱をもった「人間」を土台として創立されたのだ、と。
 事実、牧口先生が創価教育学を世に問われた当初から、深く心中に期されていたのは、「全人類のために!」という壮大なる願いでありました。
 まさに、民衆の幸福のために尽くしたいという願いを土台として、そして、それを実現するために何も恐れない、「一人立つ」人間の力によって、学会は立ったのです。
 (中略)
 今、自分がいるその場所で、誓願を掲げて、一人立つのです。広布の大願を果たすために、断固と、新たな戦いを起こすのです。
 その勇者の胸中にこそ、「創立」の精神は生き生きと脈動していくのです。その創価の同志の行動が、一人また一人と波動していくところに、日蓮大聖人の御振る舞いに直結した「法華経の行者」の群像が林立するのです。

大白蓮華No.780号2014.11月号勝利の経典

2014年10月

自他共に智慧と慈悲を!

    
 日蓮大聖人は、「喜とは自他共に喜ぶ事なり」「自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり」(御書761頁)と教えてくださった。その通り、わが宝友たちは、日本中、世界中で、強く明るく喜びの調べを奏で、智慧と慈悲のスクラムを広げてくれているのだ。

 

 いつの世も
  共に励まし
     守り合い
   勝利の旅路を
    明るく開かむ

 

大白蓮華No.779号2014.10月号巻頭言(抜粋)

2014年9月

最も偉大な、誇り高き民衆の王者たちと共々に!

 

<我らのブロック長・白ゆり長、万歳!>

   
 最も地味な庶民の中にこそ、皆が模範と仰ぐべき人間の英雄がいる。
 勇敢にして聡明なる無冠の女性たちの語らいこそが、平和な社会を創造する原動力である。
 これは、オーストラリアの平和学者スチュアート・リース博士と私が深く一致した信条だ。
 わが創価学会には、この真実のヒーロー、そしてヒロインが、いずこにも輝き光っている。
 なかんずく、私は、来る日も来る日、現実社会の真っただ中で、広宣流布の新たな拡大と勝利の道を開いてくださっている、我らのブロック長、白ゆり長、総白ゆり長に、最敬礼して感謝申し上げたい。
 いつもいつも、本当にありがとうございます!
 御聖訓にには、『日本国の中に但一人・南無妙法蓮華経と唱えたり、これは須弥山の始の一塵大海の始の一露なり、二人・三人・十人・百人・一国・二国・六十六箇国・已に島二(ふたつ)にも及びぬらん、今は謗ぜし人人も唱へ給うらん』(御書1242頁)と仰せである。
 日蓮大聖人が御自ら、一人また一人と仏性を呼び覚まされて、開いてくださった広宣流布の大道である。この御本仏の大慈大悲に真っ直ぐ連なって、体当たりで友と語り、蘇生させ、手作りで人を育てているのが、ブロックであり、地区である。
 ここにこそ、仏道修行の真髄がある。ここにこそ、民衆仏法の励ましの世界がある。ここにこそ、未来を照らす人間共同体の最先端のモデルがあるのだ。(中略)
 師・戸田城聖先生は、「皆、学会の庭に躍り出た地涌の菩薩だ。今は顔を見せない人も、いざという時は、必ず起ち上がってくるよ!」と言われていた。(中略)
 私と妻の心も、一番苦労されているブロック長・白ゆり長のスクラムと、いつも固く結ばれている。
 さあ、皆で第一線へ! 大聖人直結のブロックを、地区を、さらに強く豊かに、勝ち栄えさせよう!
 最も偉大な、誇り高き民衆の王者たちと共々に!

 

大白蓮華№778号2014.9月号巻頭言

 

2014.8月

創価家族こそ、絶対勝利への安全地帯 

  
 一人の生命が誕生する。それは、全宇宙から地球に贈られた、かけがいのない宝といってよい。(中略)
 仏教の明鏡で照らすならば、今の時代に生まれ、育ちゆく子どもたちは、二十一世紀のこれからの世界をリードする大力を帯びて登場してくれたのだ。
 それゆえに、「桜梅桃李」の法理の如く、それそれの子どもが持つ多彩な、計り知れない可能性を、健やかに個性豊かに発揮していけるよう、私たちは真剣に祈り、心を尽くし、力を合わせていきたい。(中略)
 子どもは、いくらでも伸びる。劇的に変わる。
 師・戸田先生は、「手のかかる子どもほど立派に育つものだ。親も子も共に、大聖人の仏子である。学会の庭で子どもと一緒に伸びていこう! この一念から変わっていくんだよ」と言われていた。
 未来部は第三代の手作りである。草創の未来部の友と『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや』(諸法実相抄、1360頁、編549頁)との一節を学び合い、私は申し上げた。
 ――大切なのは一人です。一人から広がるのが「地涌の儀」です。その一人になっていただきたい、と。
 いかなる時も、いずこにあっても、一人の若き生命を励ませば、そこから希望の未来が生まれる。
 現代社会には、若人を惑わす悪縁が渦巻いている。身近な地域にあって、一人一人を信頼の眼差しで見守り、温かな声をかけ、成長を願い、待ち、喜んでくれる創価家族こそ、絶対勝利への安全地帯である。

 
大白蓮華№777号2014.8月号巻頭言

2014.7月

太陽の宝典 

  
 日蓮大聖人は、「仏の御意(みこころ)あらはれて法華の文字となれり、文字変じて又仏の御意となる、されば法華経をよませ給はむ人は文字と思食(おぼしめす)事なかれすなわち仏の御意なり」(木絵二像開眼之事、469頁、編249頁)と仰せになられた。
 御書を拝読することは、御本仏の御意を直接伺い、大聖人の大生命にそのまま触れることなのである。
 大聖人ご自身が、ありとあらゆる三障四魔、三類の強敵と戦われ、命に及ぶ大難を勝ち越えゆかれる渦中に、一切衆生を断じて救わんと迸る大慈大悲で綴り残された一文また一文こそ、御書である。
 拝する我らの心も、赫々たる元初の朝日を浴びたように蘇る。勇気が希望が、力が智慧が、燃え上がる炎の如く、生命に沸き起こってくるではないか。
 わが師・戸田城聖先生は、厳然と語られた。
 「どんな難事にぶつかっても、御聖訓の通り戦い、すべてを乗り切っていく。御書を通じて、大聖人と直結して勝つのだ。これが学会精神だよ」と。

 
大白蓮華№776号2014.7月号巻頭言

2014.6月

人類の未来の最高の宝 

  
 青春は「挑戦の勇気」である。いかなる試練にも勇敢にチャレンジする。そこにこそ、青春の喜びがあり、充実があり、誇りがあると言えまいか。
 ゆえに挑戦の人は、何歳になろうと、青春の人だ。
 アメリカ・ルネサンスの民衆詩人ホイットマンも青年に「私は納得のいく結果が得られるまで、挑戦し、挑戦し、さらに挑戦する。そして必要ならば、もう一度、一からでも挑戦してみせる」と語った。(中略)
 現実の社会には、青年から伸びやかな自信を奪い、挑戦する意欲を押さえつけようとする障壁が立ちはだかる。しかし、断じて負けてはならない。
 人類の未来にとって最もかけがえのない宝、最も頼もしいエネルギーは何か。それは青年の生命だ。

 
大白蓮華No.775号2014.6月号巻頭言

2014年5月

 乗り越えられない苦難はない、必ず必ず打開できる

 

 わが尊き同志たちも、厳しき現実の社会にあって、千差万別の逆境と戦っている。
 身が切られるような窮地もあろう。一時は負けたように見えて、悔しさに血涙をしぼる時もある。
 しかし、仏の異名は「世雄」。すなわち、社会で絶対勝利しゆく大英雄である。この仏の大法を持(たも)った我らには、乗り越えられない苦難はないのだ。
 日蓮大聖人の御在世も、門下たちには、讒言による所領の没収や勘当など、社会的、経済的な危機に及ぶ圧迫が打ち続いた。
 けれども、皆が「なげきたるけしきなくて(嘆いた様子を見せないで)」(1163頁、編1018頁)、また「すこしも・ひるむ事なかれ」(1090頁、編795頁)等々の御聖訓を胸に、断固として勝利の実証を示していったのである。
 師・戸田城聖先生の事業を支えて、私も何度となく「これで万策尽きたか」という局面に立たされた。
 そのどん底からが、真の信心の戦いの始まりである。
 師子奮迅の力を奮い起こして、師をお守りし抜いた。
 我らには、一切を踏みこたえ、断固として活路を切り開いていける「法華経の兵法」があるのだ。
 「大悪をこれば大善きたる」(1300頁、編1431頁)との御文を拝し、師は苦境の友を抱きかかえて激励された。
 「妙法の力で、何百倍と変毒為薬して、大功徳を開ける時が来たんだよ!」「最後の勝利は、苦労した人間には適わない」と。
 どんな壁に突き当たっても、題目を唱え抜いて、智慧を出し、創意工夫を重ねて、粘り強く誠心誠意の努力を尽くしていくことだ。必ず必ず打開できる。
 なぜ、艱難があるのか。永遠に仏になるためだ。「それでも負けなかった」「それでも耐えて勝った」と、この娑婆世界で苦闘する友に希望と勇気の光を贈るためである。ゆえに、臆さず惑わず、迎え撃つのだ。強気で悠然と、勝ち切ってみせるのだ。

 

大白蓮華No.774号2014.5月号巻頭言

2014年4月

 にっこり笑って永遠に前進

 

 大聖人は、『我ら等は仏に疑いなしとをぼせば・なにのなげきか有るべき』(富木尼御前御返事、976頁)と励まされた。
 長年、信心してきたのに、なぜ自分が病気になるのか、なぜ家族の介護が必要になるのか、などと、思い嘆く必要は全くない。一切が「転重軽受」(重きを転じて軽く受く)であり、「変毒為薬」できる
 一つ一つ力を合わせ、信心で勝ち越えていく中で、家族が共に仏になる道が深く大きく開かれるのだ。(中略)
 恩師・戸田城聖先生は、「烈風の中を、にっこり笑って、最後の日まで戦え!」と叫ばれた。
 「多宝」の賢者のわが友よ、永遠に希望に燃えて、一緒に前へ前へ、進みゆこうではないか!

 

大白蓮華No.773号2014.4月号巻頭言

2014年3月

 師と同じ誓願で、『如我等無異』が実現!

 

 如我等無異――「一切の衆をして、我が如く等しくして異なること無からしめんと欲しき」(法華経130頁)(中略)
 師匠は何よりも、弟子をはじめ一切衆生の幸福を願い、万人成仏の大願に生き抜きます。しかし、いくらその慈悲の陽光を浴びても、弟子が同じ誓願の心を起こさなければ、真の意味で、仏に成る道に入ることはできません。一人一人が自分から胸中の可能性を開かない限り、幸福を自ら得ることはできないからです。
 偉大な師匠が一人輝く一方で、弟子は救われることをただ願っている・・・。それでは、仏の「如我等無異」は実現できません。
 弟子の一人一人が、師匠と同じ誓願に立ち、同じ心で、同じ生き方を力強く始めていく。ここに「日蓮と同意」(御書、1360頁)の生き方があります。「師弟不二」の実践があります。
 「如我等無異」とは、同じ心で弟子が立ち上がってこそ、はじめて真の価値を生みます。師匠の大願と、それに呼応して立ち上がる弟子の誓願が合致してこそ、初めて「如我等無異」の法理は脈動します。
 いいかえれば、「如我等無異」の弟子が、どれだけ多く輩出されるのか。仏と同じ願いに立って、さらに多くの周囲の人を「釈尊と斉等なり」と励ましていく。この壮大な民衆革命にこそ、法華経が人類の経典として存在する目的があるといえましょう。
 大白蓮華No.772号2014.3月号38頁

2014年2月

 「世界市民教育」を家庭・地域・職場・社会で!

 

一、人類が直面するさまざまな問題への理解を深め、その原因に思いを馳せる過程を通じて、「どんな困難な問題でも人間が引き起こしたものである限り、必ず解決することはできる」との希望を互いに共有していくための教育。
一、グローバルな危機が悪化する前に、それらの兆候が表れやすい足元の地域において、その意味を敏感に察知し、行動を起こしていくための力をエンパワーメントで引き出しながら、連帯して問題解決にあたることを促す教育
一、他の人々の苦しみを思いやる想像力と同苦の精神を育みながら、自国にとって利益になる行動でも、他国にとっては悪影響や脅威を及ぼす恐れがあることを常に忘れず、「他国の人の犠牲の上に、自国の幸福や繁栄を追い求めない」ことを、共通の誓いに高め合うための教育

以上、三つの観点を提起しましたが、こうした点を加味した「世界市民教育」を、各国の中等教育や高等教育のカリキュラムに盛り込むことと併せて、生涯学習の一環としてあらゆる機会を通じて進めていくべきではないでしょうか
 
青年を世界の主役に!
 
①「ディーセント・ワーク」(働きがいのある人間らしい仕事)の確保に各国が全力を挙げること。
②社会が直面する問題を解決するプロセスに「青年の積極的な参加」を図ること。
③国境を超えた友情と行動の連帯を育む青年交流を拡大すること。、
 
 第39回「SGIの日」記念提言「地球革命へ価値創造の万波を」下
 

2014年1月

 「始」の一字に「一人立つ」あり 

 

 正月一日は「日のはじめ」であり、「月のはじめ」であり、また「年のはじめ」です。
 つまり「年・月・日の三つの元」であり、古来、「元三」とも呼びならわされてきました。
 しかも新春――「春のはじめ」です。幾重にも「はじめ」の意義が込められた。喜ばしさひとしおの日であります。
 大聖人は、この正月一日を、妙法をもって祝う人は、月が次第に満ち、太陽が赫々と昇るように、わが身の功徳も勝り、人にも愛されるようになると仰せです。
 正月一日は「始まり」の日です。誰でも清新な決意で、一年を「始める」ことができる。自身を、いわば「本因妙」の精神に目覚めさせる好機になるのです。わが生命が喜びに躍動しないはずはありません。 (中略)
 「始」の一字には、広宣流布の戦いに一人立つ精神が烈々と燃えているではありませんか。
 その意味からも、私たちは、一日また一日と、御本尊に朗々と題目を唱えながら、わが身に新鮮な生命力をわきあがらせて出発していきたい。毎日が元日であり、元初の旭日に照らされながら、最高に充実した人生を歩んでいくための信心です。
 
 大白蓮華No.770号2014.1月号31頁

2013年12月

 尊き善根で、希望と幸福と平和の花を! 

 

 人生の勝負は、目先の華やかさでは決まらない。地道に誠実に正義を貫いた年輪は、時とともに自身と眷属を繁栄させゆく絶対勝利の善根になるのだ。
 この一年も、日本中、世界中で、あの友も、この友も、陰の労苦を惜しまず、法のため、人のため、社会のため、信心の善根を積んでこられた。この宝の長者に、私は満腔の感謝を捧げ、題目を送っている。
 さあ、「世界広布新時代 開幕の年」。一人一人の善根と善根を固く広く結び合い、この地球の大地に希望と幸福と平和の花を咲かせ行こうではないか!
 
 わが人生
  大善根を
    共々に
   積みゆく日々と
    楽しく舞いゆけ
 大白蓮華No.768号2013.12月号巻頭

2013年11月

 青年よ、決意せよ。道を開け!道を創れ! 

 

 現代社会には、青年を、あきらめや無力感で押しつぶそうとする悪縁が、あまりにも多い。
 ゆえに、自分自身の中から、常に新しい生命力を満々と発揮しゆく哲学が、どれほど大切か。
 さらに、互いに励まし合い、一つ一つを乗り越え、一歩一歩、前進していくスクラムが、どれほど大切か。
 日蓮大聖人は、重い病と戦う青年・南条時光に、「地にたうれたる人は・かへりて地よりをく」(1586頁)と仰せになられた。
 倒れても、また立ち上がればよい。立ち上がるたびに、より強くなれる。題目で、打開できない試練などない。信心で、変毒為薬できない苦難などない。
 わが師、戸田城聖先生の叫びが思い起こされる。
 「宇宙の万物を変化させ、動かす、妙法の力が、地涌の我らの生命にある。その力を出し切るのだ。
 青年よ、必ずこうしてみせると決意せよ。道を開け! 道を創れ! 一切を勝利の劇に変えるのだ
 この無限の希望の信仰を、一人でも多くの若人に伝えていきたい。そこに、地域と社会の蘇生もある。
 
 大白蓮華No.768号2013.11月号巻頭言

2013年10月

民衆よ強くなれ!民衆よ賢くなれ!民衆よ立ちあがれ!

 

〝民衆よ強くなれ!民衆よ賢くなれ!民衆よ立て!"
「この世から、悲惨の二字をなくしたい」。戸田先生の正義の大音声であった。正法を掲げ、創価学会は、この決心で立ち上がった。
 そして「法のため」「広宣流布のため」「不幸な人々のために」、わが身を削って戦った。走りぬいた。母が子を思うような心で、人々を慈愛でつつみ、真心で祈り、尽くした。これが皆さまである。わが創価学会の真実である。(中略)


 『法華経のかたきを見て世をはばかり恐れて申さずば、釈迦仏の御敵いかなる智人・善人なりとも必ず無間地獄に堕つべし』(妙法比丘尼御返事、1412頁)――法華経の敵を見て、世をはばかり、世を恐れて黙っていたら、釈尊の敵になってしまう。どんな智人、善人でも必ず無間地獄に堕ちる――と断言しておられる。
 「正法の破壊者」に対しては、言うべきことは厳然と言わねばならない。そうでなければ釈尊の、大聖人の敵となってしまう、と。これが御本仏の教えである。
 〝世をはばからず〟――仏法の根本は人情論ではない。目先の感情や利害に流されてはならない。どこまでも正しく厳しき「道理」を貫くところに、新しき歴史が開かれる。これこそが正法の勝利である。

 

1991.3.4第39回本部幹部会他

2013年9月

この世で果たさん使命あり

 

 新たなる「大法弘通慈折広宣流布」の天の時が到来した。
 法華経には、地涌の菩薩の一人一人が率いる眷族はガンジス河の砂の如く量り知れないと説かれる。
 久遠からの宿縁の友が躍り出てこないわけがない。
 今こそ、我らの確信の声で呼び起こし、今世の大使命を共々に悔いなく果たしゆこうではないか!

 

大白蓮華No.766号2013.9月号巻頭言

2013年8月

 一切は後継のため

 私たちの一切の奮闘努力も、結論すれば、ただ後継の友のため、未来永遠に続く道を開くためである。(中略)
 「伝持の人」すなわち後継者がいなければ、やがて未来は閉ざされてしまう。
 広宣流布とは、滔々たる大河の流れの如く、仏法の人間主義の精神を次の時代へ、未来へ継承していくことであり、正義の魂のバトンを受け継ぐリレーなのである。
 ゆえに、未来部の前進が、広布の前進だ。未来部の勝利が、師弟の勝利だ。
 わが創価の宝であり、家庭の宝、地域の宝、そして人類の宝である未来部の友を、励まし、育んでいきたい。
 
聖教新聞2013.5.6付 我らの勝利の大道103

2013年7月

今こそ総立ち、使命を果たさん!
 
 ここで伸一は、戸田城聖が第二代会長に就任した折に、共に立ち上がることができなかった戦前からの会員たちが、後年、「遅参其の意を得ず」との思いを深くし、後悔していた話に触れた。
 「広宣流布の前進には〝時〟がある。その一つ一つの〝時〟を逃すことなく、全力で仏道修行に励み抜いてこそ、自身の使命を果たし、一生成仏することができるんです。
 今、学会は、広布第二章の『支部制』が発足し、未来万年の流れを開く〝時〟を迎えました。今こそ総立ちすべき〝朝〟なんです」
「信心をしていくうえで大事なのは、『現当二世』を見すえていくことです。『現』というのは『現在』『現世』であり、『当』というのは『未来』『来世』を言います。
 過去に縛られるのではなく、今現在を大切にし、未来に向かって生きていくことが大事です。それが仏法者の生き方です。
 したがって、過去の実績を誇り、昔の栄光に酔っているのではなく、『今、どうしているのか』『未来のために何をしているのか』が大事になるんです。
 信心は一生です。人生も一生を見なければわからない。久遠の使命を果たすために、この世に生を受けた私たちです。最後まで広宣流布という、わが使命に生き抜いたといえる、勝利の生涯を送ろうではありませんか!
 
小説 新・人間革命 26巻 奮迅 27,28

2013年6月

腹を決めよ !

 

 まず、腹を決めよ。決まったら、勇ましく進め!
 今、最も大事なのは、時代がどう変化しようが、民衆の幸福の城である学会を強くすることだ。広宣流布の勝利を開く人材を育てることだ。これが根本である。
 広布へ戦う上で、遠慮など必要ない。
 どんな立場でもよい、信心の一念、師弟の一念があれば、その人の生命は、仏の大境涯に通じていく。 学会のため、同志のために、自らの持てる力を、思う存分、発揮していくことだ。 
 

聖教新聞2013.3.24付今日も広布へ12 

2013年5月

次の時代をどうするか 

 

  次の時代を、どうするか。どう創価学会を発展させ、後継を育てていくか。そのために、リーダーは、自らの信心の実力をつけるのだ。広宣流布を前進させる力を持つのだ。
全ての人を味方に!」
断じて勝ってみせる!」・・・この気迫をみなぎらせていくのだ。
 将来を展望しながら智慧を湧かせ、戦う心を燃やし、張り切って進もう!皆が団結して、永遠に崩れぬ創価の人材城を築いてもらいたい。
 人を育てるには、先輩が模範を示すことだ。師弟に生きる人生がいかに強く尊いか、青年たちに伝えていきたい。 
 

聖教新聞2013.4.21付今日も広布へ16 

2013年4月

題目を抱きしめて

 

 私は祈った。先生のために。学会のために。激闘の中で祈り抜いた。
 もう寝ても覚めても題目。歩いていても題目。車の中でも、電車に乗っても、時間さえあれば、全て題目
 ただただ、題目を抱きしめて、この世の残酷な苦難をはね返し、戸田先生が第2代会長に就任される道を、命を賭して、切り開いていったのである。  
聖教新聞2013.1.16付本部幹部会

 

 

青年を育てよ!

 

 牧口先生、戸田先生は言われていた。「青年が強くなれ!青年を伸ばせ!青年が叫べ!」と。「上からの指示で動くのではなく、青年が、下から上を動かしていけ」と。「八方に戦いの火ぶたを切れ、新しい道をつくれ!」と青年に呼びかけていかれた。

 

大白蓮華No.760 2013.4月号10頁

2013年3月

一人が大事

 

 広宣流布の大師匠であられる戸田先生に、ただ一人、お仕えし、ただ一人、お守りし抜いた。これが学会の歴史である。師弟の本当の姿である。この一点にこそ、学会の魂があり、原点がある。私は心に決めていた。『断じて、戸田先生に、次の会長になっていただくのだ。そして、広宣流布の指揮を縦横無尽に執っていただくのだ』私は祈った。先生のために。激闘の中で祈り抜いた。
 もう寝ても覚めても題目。歩いていても題目。車の中でも、電車に乗っても、時間さえあれば、全て題目。ただただ、題目を抱きしめて、この世の残酷な苦難をはね返し、戸田先生が第2代会長に就任される道を、命を賭して、切り開いていったのである。
 思えば、初代の牧口先生が軍部と対決して牢獄につながれたとき、獄中までお供し、最後まで戦われたのは、戸田先生、ただお一人であった。この「一人」が大事なのである。その戸田先生を、人生の全てを捧げてお守りし抜いたのは私である。ゆえに私は、第3代会長となった。この究極の「師弟不二」の大闘争にこそ、今日にいたる学会の大発展の根本の因がある。 
 

聖教新聞2013.1.16付

2013年2月

乗り越える直前が、最も苦しい

 

 「大丈夫だよ。祈り抜けば、必ず道は開ける。悩みは、乗り越える直前が、最も苦しいものなんだ。山登りだって、八合目、九合目がいちばん大変じゃないか。腹を決めて、祈り、戦い抜くんだ。頂上はすごいぞ!」(中略)

 「あなたには、幸せになる権利があるんです。宿命に泣いてきた人だからです。また、あなたには、幸せになる使命があるんです。地涌の菩薩だからです。

 これまでの一切の苦労は、すべて仏法の力を証明していくためにあったんですよ。泥沼が深ければ深いほど、蓮の花や実は大きいといわれる。悩みや苦しみが大きければ大きいほど、幸せも大きい。信心をしていくならば、苦悩は心の宝石になるんです。変毒為薬の仏法なんです。それを必ず、心の底から実感する時が来ますよ。

 今は、まだ、“大変だな。苦しいな”と思うことが多いでしょうが、あなたは、既に幸せの大道を歩き始めているんですよ。人びとの幸福を真剣に願って、学会活動に励んでいること自体がそうなんです。

 以前は、自分の幸せしか考えなかったでしょう。しかし、今は、人の幸せを考え、広宣流布の使命に生きる喜びと充実をかみ締めている。そのことが、境涯革命している証拠ではないですか」

 

 小説 新・人間革命 26巻 法旗 49

2013年1月

自分の足元を固めよ

 

戸田先生は喝破された。

自分の足元を固めた人が勝者となる。自らの地域を磐石に築いた者が勝利者となる。これが鉄則である。生き抜く人生の鉄則である

 

 聖教新聞2012.11.3付今日も広布へ38

2012年12月

全体が前進

 

我らの目的は、広宣流布であり、世界平和である。

その大きな目的を達成するには、地道な積み重ねが大事だ。

少しずつでもいいから、全体が前進する。

そういう学会を築くのだ。簡単なようで一番難しい。

それをやれるのが一人前の指導者である。

何より、最前線の人を褒め讃えることだ。

我が心に師弟の魂を燃やして進むのだ。

 

 聖教新聞 2012年9月30日付 今日も広布へ

2012年11月

極限で闘う君よ!

 

 「負けるな。断じて負けるな。あなたの生命の中に太陽がある」

 「希望をなくしてはいけない。人がどう言おうが、堂々と自分自身に生ききりなさい。何があっても強気で。楽しい人生を生きなさい」

 「仏法の眼で見れば、全部、意味がある。何があっても、微動だにしてはならない。生命は永遠なのだから。妙法を唱えていて、かりに不幸に見えることがあっても、それは、最大に幸福になる意義をはらんでいるのだから。どんなことがあっても、信心だけは微動だにしてはならない」

 「御本尊に祈りきって、一歩も引かないで、悩みを突き抜けて進むのだ。どんな状況であっても、必ず幸福になれる信心だ。戦い続ける君に勝利あれ」

 

 聖教新聞 2011年8月2日付 折々の指導4

世界広布新時代

創立90周年へ

「創価勝利の年」

(2019年)

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

更新日

2019.10.21日

第1624回,第1625

 

日天月天ワンショット

日めくり人間革命URL