原水爆禁止宣言

2017年9月24日

 

「原水爆禁止宣言」とケネディ大統領
(7/7)


 二月一日の男子部幹部会に引き続き、山本伸一は、四日には、同じ早稲田大学記念会堂で行われた、女子部幹部会にも出席し、戸田城聖の「原水爆禁止宣言」について、次のように述べている。
 「日本は、戦争で原子爆弾の犠牲になった、ただ一つの国であります。
 ゆえに、『決して核戦争を起こしてはならない。原水爆の使用は禁止すべきである』と言い得る資格があるし、また、そうする義務を負っているといえます。
 その意味からも、私は、戸田先生の『原水爆禁止宣言』の思想を、皆さんとともに、生涯、叫び抜いていく決意であります。
 また、平和実現への一つのステップとして、世界各国の首脳が一堂に会して、できれば毎月、あるいは、二カ月か三カ月に一度でもよいから、平和のための協議をすることを提唱したいと思います。
 会議の場所も、ソ連やアメリカに限らず、中国や日本、タイ、あるいは、アフリカのエチオピアといった具合に、順番に世界各国で行っていく。会議の目的は、世界の平和であり、人類の幸福であり、戦争の阻止です。
 そうした会議を、一年、二年と続けていくならば、極めて有意義な結果が得られると思うのです。
 ともあれ、私たちは、各人がそれぞれの幸福を築いていくことはもとより、不幸な人びとのため、社会のため、世界のために、力を合わせて、前進してまいろうではありませんか」
 青年たちは、恩師戸田城聖の遺志を受け継ぎ、なんとしても、世界の平和を実現しようとしている伸一の心に触れた思いがした。

 

小説『新・人間革命』 第7巻 「操舵」

 


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2017年9月18日

「原水爆禁止宣言」とケネディ大統領
(6)

 

<世界の民衆に、全世界の指導者に、

この『原水爆禁止宣言』の思想を!!!>


 そのなかにあって、わが創価学会は、全人類の生命の尊厳と平等とを説く、日蓮大聖人の仏法の大哲理をもって、一閻浮提第一の御本尊を根本に、地球民族主義を旗印として、高らかに前進しております。
 一国の繁栄や利益のために、あるいは、一国を守るために、他の国を犠牲にしては絶対にならないし、そのための指導原理こそが仏法なのです
 ゆえに、その仏法を持った私どもが立ち上がり、十年先、二十年先、いや、百年先の人類のために、平和と幸福を樹立する仏法の種子を、世界に蒔いてまいろうではありませんか。
 来年の四月には、恩師戸田城聖先生の七回忌を迎えますが、恩師亡き後、いつも私の胸に響き渡っているのが、あの『原水爆禁止宣言』の叫びであります。
 この恩師の宣言には、核戦争の脅威から人類を解放しゆく、大原理が示されております。
 私は、この宣言の精神を、どんなことがあっても、人類のため、子孫のために、世界の指導者に、絶対に伝え抜いていかなければならないと、強く決意しておりました。
 そして、その機会を考えていたところ、ある有力な民間人を通して、アメリカのケネディ大統領から、個人的に会いたい旨の要請があり、会見が具体化していました。
 ところが、日本の政界から横槍が入ったのです。そして、恩着せがましい、お節介なことを言い出す政治家がおりましたので、いろいろ考え、今回は見送ることにいたしました。
 そうした動きに迎合し、学会が政治的に利用されるようなことを、私はしたくないのです。
 しかし、遅かれ早かれ、世界の民衆に、全世界の指導者に、この『原水爆禁止宣言』の思想を訴え抜いていかなくてはなりません。
 その時には、皆さんも、私とともに、全情熱を込めて、語り抜いていっていただきたいのであります」
 会見の機会を逸した伸一とケネディは、遂に見えることはなかった。この約十カ月後、ケネディは銃弾に倒れるのである。

(つづく)


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2017年9月16日 

「原水爆禁止宣言」とケネディ大統領
(5)

 

<世界連邦へ>


 二月一日の夜、伸一は、早稲田大学の記念会堂で行われた、二月度の男子部幹部会に出席した。
 彼は、この日の講演のなかで、世界の現状について言及していった。
 「今回、五度目の海外訪問をいたしまして、痛感したことは、地球はますます狭くなってきているということでありました。
 それだけに、これからの指導者は、過去の世界観に縛られるのではなく、新しい世界観に立った指導理念を、もたなければならないと思います。
 時代は宇宙開発の時代に入っているし、また、さまざまな困難はあるにせよ、世界連邦の方向へと向かわざるをえないといえます
 しかし、世界の現状を見ると、ヨーロッパでは、EEC(欧州経済共同体)のイギリスの加盟が失敗に終わっている。また、アメリカにあっては、人種問題が大きなテーマとなってきています。
 更に、社会主義諸国に目を転じれば、ソ連と中国の対立の溝が深まり、暗い影を投げかけております。
 一方、AA(アジア・アフリカ)諸国にも、東西の対立の構図が持ち込まれ、新たな紛争の火種をかかえている国も少なくありません。
 また、ひとたび核戦争が起これば、いったいどうなってしまうか。
 まさに、法華経譬喩品に『三界は安きことなし 猶火宅の如し 衆苦充満して……』と述べられた通りの安穏なき姿が、世界の現実といえましょう」
 山本伸一の声には、「衆苦充満」の世界から、「悲惨」の二字をなくし、永遠の平和を築かんとする大情熱があふれていた。
 「今や、世は″無責任時代″といわれていますが、このまま放置していれば、世界はどうなるのか。
 この火宅のごとき世界を変えゆく、大哲学をもった指導者が出なければ、時代は、ますます混迷の度を深めていきます。

(つづく)


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2017年9月14日

「原水爆禁止宣言」とケネディ大統領
(4)

 

<「誠実」には「大誠実」を

「邪悪」には「正義」を>


 山本伸一は、代議士の話が一段落すると、微笑を浮かべて、しかし、きっぱりと言った。
 「お話の趣旨はよくわかりました。あなた方のご意向を尊重いたします。
 ケネディ大統領との会見の話は、なかったことにいたしましょう。すべて中止します。
 またの機会を待つことにしましょう」
 伸一の回答は、あまりにも予想外であったのであろう。狼狽したのは、代議士の方であった。
 「会見は中止にする?
 し、しかし、そんなことをして、この機会を逃してしまえばだね……」
 伸一は、相手の言葉を遮って言った。
 「私は、皆さんのお力をお借りして、大統領とお会いするつもりは、毛頭ありません。それでは、話が違ってきます。
 また、アメリカの大統領と会って、箔をつけようなどという卑しい考えも、私には全くありません。それが政治家の方々の考え方なのかもしれませんが、甚だしい勘違いです。
 私がケネディ大統領とお会いしようとしたのは、人類の平和への流れをつくりたかったからです。東西両陣営の対話の道を開きたいからです。そして、それが日本の国のためにもなると考えているからです。
 公明会をつくったのも、民衆のための政治を実現させたいからです。現在の政権が、あまりにも民衆を度外視しているから、私たちが一石を投じたのです。
 私には、公明会を使って政治権力を手に入れ、国を支配しようなどという野望めいた考えは、いっさいありません。
 民衆の幸福を、社会の繁栄を、世界の平和を、純粋に、一途に考え、行動しているのが創価学会です。その学会に、私利私欲の絡んだ政治的な駆け引きは通用しません。
 私は、誠実には、大誠実をもって応えます。傲慢には、力をもって応えます。邪悪には、正義をもって戦います。それが私の信条であり、信念です
 代議士の額には、汗が噴き出していた。彼はそれをハンカチで拭いながら、狼狽を押し隠し、鷹揚さを装って言った。
 「いやあ、実に見事な決断だ。
 私は前々から、山本君は見どころのある青年だと思っていたが、ますます確信がもてたよ。頼もしいかぎりだ。
 また、会って話し合おうじゃないか」
 会見は終わった。
 ケネディと伸一との会見は、白紙に戻った。
 山本伸一は、学会に迫る、政治権力の影を感じた。
 彼は代議士との会見が終わると、この″横槍″の背後に、何があるのかを考えざるをえなかった。
 ″多くの政治家たちは、三百万世帯を超えた創価学会に恐れをいだく一方で、自分の傘下に置いて、自在に操りたいと、考えているのであろう。
 その学会の会長である自分が、政権政党の頭越しにケネディと会見することになったことが、悔しくてならないにちがいない。彼らの本質は、嫉妬以外の何ものでもない″
 そう考えると、伸一は、日本の国を動かしている政治家たちの狭量さに、情けなさを覚えた。
 同時に、学会は、これからも、政治権力に、永遠に狙われ続けるであろうことを、彼は覚悟しなければならなかった。
 学会は民衆を組織し、民衆の力をもって、人類の幸福と世界の平和の実現をめざしてきた。それゆえに、民衆を支配しようとする権力から、さまざまな圧力が加えられるのは、むしろ当然といってよい。

(つづく)

 


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2017年9月10日

 「原水爆禁止宣言」とケネディ大統領
(3)

 

<政治権力の薄汚れた手で、

この純粋な学会の世界が掻き回されるようなことは、

絶対に避けなければならない>


 ところが、事態は思わぬ展開を遂げることになる。
 伸一とケネディとの会見は、先方の要請もあり、極めて密かに準備を進めて来たが、伸一が海外訪問から帰った時には、渡航手続きなどの関係からか、外部の知るところとなっていた。
 そして、政権政党の大物といわれている古老の代議士が、突然、伸一に会見を求めて来たのである。
 伸一は、無下に断っては失礼であると考え、会見に応じることにし、彼の方から出向いていった。
 代議士は、あいさつもそこそこに、横柄な馴れ馴れしい口調で語り始めた。
 「山本君、今度、君はケネディに会うことになっているらしいが、それに対して、わが党のなかで、強い反対意見が出ていてね。
 早い話が、″外交問題にもかかわってくるのだから、勝手なまねはさせるな。なんで、そんなことを放置しておくのだ″というわけなんだ。
 実は外務省の方でも、君の動きに対して、かなり神経を尖らせているようだ。
 今のままでは、一波乱起こることは間違いない。政権を担っているわが党のなかで、強硬に反対している者がかなりいるとなれば、この会見の実現も、極めて危ういことになるのではないかと思う」
 それは、自分たちの圧力で、いつでも会見などつぶしてみせるぞという、伸一への威嚇であった。
 山本伸一は強い憤りを感じながらも、静かに相手の話を聞いていた。
 代議士は、上目遣いで伸一を見て、反応をうかがいながら語っていった。
 「山本君にとっては、ケネディと会うことは創価学会の会長として箔をつけることにもなるし、社会に学会をアピールする絶好のチャンスであることはよくわかる。
 しかし、状況はあまりにも厳しい。わが党にも、外務省にも、君の対応によって、日米関係に支障をきたすようなことになっては大変だという、強い気持ちがあるからね。
 だが、私は、なんとか君を守りたい。学会の青年会長である君には、まだまだ未来がある。君はこれから、もっともっと大きくなっていく人物だと、私は思っている。それだけに、今回のチャンスを、ぜひものにしてほしい。
 だから、私が骨を折ろうと思う。私が動けば、反対を押さえ込むことはできる。これは私の親心と思ってもらってよい。誠意から言っているのだ。
 その代わりといってはなんだが、君にも、力を貸してもらいたい。これからは、お互いに協力し合っていこうじゃないか。
 そうすれば、君も得るものは大きいはずだ。
 たとえば、学会は参議院に公明会をつくったが、はっきり言ってしまえば、まだ取るに足らない力だ。
 しかし、もし私と一緒にやるなら、もっと政界での力をもてるようにしよう」
 伸一は黙って聞いていたが、彼の頭は目まぐるしく回転していた。
 ――この代議士の狙いは明らかだ。
 私に恩を着せ、それを糸口に、学会を政治的に利用しようというのであろう。
 政治権力の薄汚れた手で、この純粋な学会の世界が掻き回されるようなことは、絶対に避けなければならない。
 しかし、この政治家の意向を無視すれば、ケネディ大統領との会見をつぶしにかかるだろう。
 そうして自分たちの力を見せつけ、勝ち誇ったように、何度でも、自分の軍門に下れと言って来るにちがいない。
 彼らに付け入る隙など、与えてなるものか!
 そのためには、残念ではあるが、この際、ケネディ大統領との会見は取り止めるしかない。守るべきは学会である。
 私は、自分のために会おうというのではない。彼らにお願いしてまで、会わせてもらう必要はない。
 伸一は、航路を急旋回させたのである。

(つづく)

 


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2017年9月5日

「原水爆禁止宣言」とケネディ大統領
(2)

 

<戸田城聖の「原水爆禁止宣言」の精神の現実化を

ケネディに期待>


 山本伸一は、世界の平和を打ち立てていくには、戸田城聖の「原水爆禁止宣言」の精神を、現実化せねばならぬと思っていた。
 彼は、そのために、ケネディに提案したいことがあった。
 それは、米ソ首脳会談の早期再開であった。
 ――″キューバ危機″によって、米ソ両首脳は全面核戦争の危険を実感したはずである。ゆえに、今こそ、両首脳が直接会い、胸襟を開いた対話を重ね、対立から共存へと関係を改善していくチャンスといえる。
 なかでも、原水爆の問題については、大きく発想を変え、撤廃に向かって歩み出していかなければならない時が来ている。
 そして、これ以上、地球上に核兵器を増やさないために、まず、米ソ両国の間で、核実験の全面禁止を取り決めることだ。
 東西両陣営のリーダーたる米ソが、核実験の全面禁止に踏み切れば、各国の核兵器の開発に歯止めをかけることができる。
 この土台の上に、今度は、核兵器の撤廃に向かって、英知を結集していくべきである。
 それは、むしろ、米ソ両国が担わなければならない責務といえよう。
 また、伸一は、核を廃絶し、恒久平和への流れを開くために、米ソ首脳会談とともに、世界各国の首脳が同じテーブルに着き、原水爆や戦争の問題などを忌憚なく語り合う、世界首脳会議の開催も提案しようと考えていた。
 核兵器のために膨大な国家予算を投入することは、できることならやめたいというのが、すべての国の本音であるにちがいない。
 しかし、核保有国が増えるにつれて、それらの国々と伍していくには、自国も核を持たなければならないという不安と焦燥にかられて、多くの国々が、核軍拡競争の泥沼にのめり込もうとしている。
 その流れの底には、「相互不信」「疑心暗鬼」という、暗い深淵が横たわっている。この深淵を埋めるのは、各国の最高指導者の、胸襟を開いた語らい以外にない。
 もちろん、伸一は、一朝一夕で「不信」が「信頼」に変わるほど簡単なものではないことは、よくわかっていた。また、さまざまな思惑の入り乱れた、複雑な国際政治の現実の厳しさも知り抜いていた。
 だが、対話へと踏み出さずしては、永遠に事態を変えることはできない。一見、迂遠な道のように見えても、結局は、それが平和への最も近道であるというのが、彼の信念であった。
 山本伸一は、核の脅威に怯え、「ダモクレスの剣」の下に生きるかのような、現代の世界を思うと、常に頭に浮かぶのは、法華経譬喩品の「三界は安きことなし猶火宅の如し 衆苦充満して 甚だ怖畏すべし」の文であった。
 彼は世界を巡りながら、民衆の生活に眼を凝らしてきた。
 どの国にも貧困や差別などの深刻な矛盾があり、国によっては紛争の影があった。そのなかで、どの国の民衆も幸福と平和を願い、懸命に生き抜いていた。
 しかし、ひとたび全面核戦争になれば、いかなる国にも、その被害は及び、滅亡の危険性をはらんでいるのだ。しかも、あの″キューバ危機″が図らずも実感させたように、全面核戦争は、今や切実さを増してきているのである。
 伸一は、恩師戸田城聖が叫んだ、地球民族主義の大理念をもって世界を結び、恒久平和を実現しなければならない時が来たことを、深く自覚していた。
 彼は世界の平和への突破口を開くために、ケネディとの語らいに多大な期待を寄せていた。いや、そこにかけていたといってよい。

(つづく)


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2017年9月4日

「原水爆禁止宣言」とケネディ大統領
(1)

 

<核抑止論に潜む「魔性の爪」を打ち裂け>


 彼は二月に予定していたアメリカのケネディ大統領との、会見の準備に力を注いでいた。伸一は、ケネディとは、語り合いたいことがたくさんあったが、時間的な制約もあるだけに、話す内容を整理しておく必要があった。
 彼が、なんとしてもケネディに伝えなければならないと考えていたのは、恩師戸田城聖が「第一の遺訓」とした「原水爆禁止宣言」であった。
 伸一の脳裏には、あの三ツ沢の陸上競技場での恩師の叫びがこだましていた。
 「……核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う。
 それは、もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります。
 なぜかならば、われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」
 常々、仏法者として死刑には反対の立場をとっていた戸田が、あえて「死刑にせよ」と叫んだのは、原水爆を「絶対悪」と断ずるゆえであった。
 戸田城聖が「原水爆禁止宣言」を行った一九五七年(昭和三十二年)当時、大国の核兵器の開発と製造に拍車がかかっていた。
 そして、この核兵器を正当化していたのが、いわゆる核抑止論であった。つまり全面核戦争になれば、人類が滅びるかもしれないという恐怖が、戦争を″抑止する″というのである。
 しかし、人類の生存の権利を″人質″にとり、その恐怖を前提としたこの思考こそが、″魔性の爪″を育んでいるといってよい。
 戸田の宣言は、その魔性を、根本から打ち砕こうとするものであった。
 山本伸一は、前年十月の″キューバ危機″を思い起こした。
 全世界を震憾させたあの事件は、核抑止論という″恐怖の均衡″による平和の維持が、いかに脆く、危ういものであり、それ自体、幻想にすぎないことを、白日のもとにさらしたといえる。
 ケネディは、大統領に就任した年(一九六一年)の九月、第十六回国連総会で演説を行い、現代の人類の置かれた状況を、古代ギリシャの故事にある「ダモクレスの剣」にたとえた。
 ――主君ディオニュシオスの王座の幸福を賛嘆してやまないダモクレスという臣下がいた。その追従に我慢がならなくなった王は、ある日、宴の席で、ダモクレスを王座に座らせる。
 彼の頭上には、一本の馬の毛で結ばれた剣が吊されていた。いつ、馬の毛が切れて、剣が落ちて来るかわからない。
 ダモクレスは、恐怖のなかで、栄光の王座が、常に大きな危険にさらされていることを悟らざるをえなかったという話である。
 ケネディは、大量の核兵器の下で生きている人類の姿は、この「ダモクレス」と同じであると指摘したのである。
 ″キューバ危機″が起こったのは、それから一年後のことであった。
 原水爆の使用は、″人類の自殺″″地球の自殺″につながる。
 自分の判断のいかんによって、全人類の破滅の扉を開くことになりかねない瀬戸際に立たされたケネディは、「ダモクレスの剣」の下に座った、戦慄と孤独とを感じていたであろう。
 その緊張のなかで、彼は強い精神力と冷静な判断をもって、核戦争の回避のために、最大限の努力をしたといってよい。
 そのケネディならば、恩師の「原水爆禁止宣言」の心を深く理解するであろうし、彼の偉大な人格は、全人類の幸福と平和を願う恩師の精神と、共鳴の調べを奏でるにちがいないと、伸一は確信していた。

(つづく)


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2017年8月7日

 運命は変えられる。

諦めなければ!
 平和は勝ち取れる。

青年が心一つに立ち上がれば!

 

<核兵器の廃絶へ連帯を強く>

 

 私が師・戸田城聖先生に初めてお会いしたのは、終戦から2度目の夏。父母が復員を待ちわびていた長兄の戦死の公報が届いた、2カ月半後のことであった。
 命を賭して軍部政府と戦い抜かれた先生を信じて、19歳の私は、創価の平和闘争に身を投じた。
 戦争は、どれほど多くの尊い生命を奪い、愛する家族を引き裂き、嘆きと悲しみの底に突き落としたか。
 なかんずく、広島、長崎の被爆者の方々の筆舌に尽くしがたい苦しみを、断じて忘るるな! これが、師の峻厳なる誡めであった。
 ― ◇ ― 
 核兵器は、世界の民衆の生存の権利を根源的に脅かす、まさしく“絶対悪”にほかならない。
 戸田先生は、1957年の9月8日、仏法の生命尊厳の哲理の上から「原水爆禁止宣言」を神奈川で発表された。
 核兵器の禁止と廃絶を時代の潮流に高めることを、青年への「遺訓の第一」として託されたのだ。
 宣言から60周年となる本年の7月、ニューヨークの国連本部で「核兵器禁止条約」が採択された。核兵器の使用や保有を一切の例外なく全面的に禁止する、初めての国際条約となる。
 「核兵器のない世界」は人類の悲願である。そのためにも、民衆の連帯をいや増して強め広げなければならない。頼もしいことに、次代を担う青年部、未来部が、尊き父母たちの「平和の心」を受け継いで、学び、前進してくれている。
 生命尊厳の希望の大潮流を、さらに力強く未来へ創り起こしていきたい。
 ― ◇ ― 
 「立正安国論」に「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(御書31ページ)と仰せである。
 自他共の幸福への追求と世界の平和への貢献が、一体不二で連動しているのが、我らの広宣流布である。
 今、真冬のブラジルからも、はるばると若き200人の地涌の宝友が、研修に来日してくれている。
 忘れ得ぬブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁と私は約し合った。
 ――政治・経済次元のつながりよりも、はるかに高く、広く、強く、世界市民を結び合い、人類の命運さえも変える絆を結ぼう!と。
 運命は変えられる。諦めなければ!
 平和は勝ち取れる。青年が心一つに立ち上がれば!

世界広布新時代

創立100周年へ

2030年 

 

世界青年学会

開幕の年

(2024年)

2013.11.18

広宣流布大誓堂落慶

更新日

2024.4.27

第2299回

 

日天月天ワンショット

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