挑戦

2020年7月12日

第1689回

目標を定めて一歩前へ

 

<挑戦しないと人格はできない>

 

 人生は、挑戦である。

 挑戦しないと、

 人格はできない。

 自分を鍛えるのは、

 自分だ。

 自分を大きくするのは、

 自分の努力である。

  

 本来、人間は

 自分に挑戦している時は、

 伸び続ける。

 他人と比較しはじめると、

 成長は止まる場合がある。

 何か一つでも、

 自分が打ち込めるものを

 もっているならば、

 それはおのずから

 自分の心の大地を耕し、

 育てることになる。

  

 目標をもつことは、

 希望をもつことである。

 目標が定まれば、

 一足一足の歩みにも

 力がこもる。

  

 何があっても、

 太陽は昇る。

 暗い夜のような、

 さみしく、つらい時が

 ずっと

 続くように思えても、

 朝は必ずやってくる。

 だから、

 うまくいくかどうか

 心配するよりも、

 思い切って

 やってみることである。

  

 背伸びをする必要はない。

 地道に忍耐強く、

 前へ進むことだ。

 一歩でもいい。

 ありのままの自分で、

 今やれることを

 着実にやり切ることだ。

 まず腹を決める。

 その強き一念が、

 自分のもてる力を

 十全に発揮させるのだ。

 いわんや、

 我らには「祈りとして

 叶わざるなし」の

 御本尊がある。

 何ものにも勝る

 「法華経の兵法」という

 信心がある。

  

 日々前進だ!

 日々向上だ!

 昨日の自分を

 断じて越えよ!

 そして、

 今日という日を、

 断固として勝て!

 

2020.7.5〈池田大作先生 四季の励まし〉 

2018年6月5日

第1509回
成長と幸福は「挑戦」の中に

 

< 挑戦! 挑戦! 挑戦!>

 

 大宇宙の万物が、挑戦を続ける。
 花は、
 懸命に深雪を割いて新芽を出し、
 波は、
 体当たりを重ねて巌を削り、
 太陽は、
 日々、暁闇を破って躍り出る。
 人が見ようが、見まいが、
 己が使命を果たさんと、
 黙々と、忍耐強く、
 労作業を繰り返す。
 挑戦! 挑戦! 挑戦!
 それが、
 “生きる”ということなのだ。
  
 まず一歩を踏み出すのだ。
 うまくいかないことがあっても、
 「よし!」と思い直して、
 何度でも挑戦すればいい。
 その連続の中に
 成長があり、幸福もある。
  
 人生には、挫折もあれば
 行き詰まりもある。
 そうした時に、
 何ものにも負けない強さをもち、
 それを堂々と
 乗り越えていけるかどうかに、
 幸・不幸の鍵がある。
 そこに、
 仏法を求めざるをえない
 理由がある。
  
 信心ある限り、
 人生の不遇も、失敗も、
 すべて
 生かし切っていくことができる。
 ゆえに、
 仏法者に行き詰まりはない。
 「ただ唱題」「ただ、ただ広布」
 ――その炎のごとき一念と実践が、
 暗夜を開いていくのだ。
  
 大事なのは
 「今から」の決意だ。
 「これから」の行動だ。
 その連続闘争が、
 大きな歴史を築く原動力となる。

 

〈池田大作先生 四季の励まし〉 2018年6月2日

 

2015年3月31日

悪の「挑戦」と善の「応戦」が

人類の全歴史を貫く

 

  トインビー博士の歴史学上の貢献は、きわめて大きい。未来にも、いよいよ光を放っていくであろう。では、その根本となる理論は何か。
 その一つが、有名な「挑戦と応戦(チャレンジ アンド レスポンス)」の概念である。
 人類史における文明の発生、そして成長。これらは、「自然」からの、「他の人間社会」からの、そして「自己自身」からの、ありとあらゆる「挑戦」を受け、それに「応戦」しゆくところに実現したというのである。
 さまざまな「戦い」に次ぐ「戦い」。それが歴史であり、人類発展の根源の力である。ここに博士の洞察があった。
 「挑戦と応戦」のリズムは、じつは生命それ自体の律動でもある。
 たとえば人体も、有害な細菌の侵入という「挑戦」に対して、抗体をつくるなどして「応戦」する。それによって、免疫ができ、生命の適応力をより強める。
 反対に、応戦に失敗した場合は、病気そして死へと向かわざるをえない。これは個人においても、団体、国家、諸文明、人類そのものについても同様である。あらゆる生命体の基本的な法則といってよい。
 博士以前の西欧では、いわゆる「科学的」を標榜(ひょうぼう)する機械論的歴史観が優勢であった。しかし博士は、それらを用いず、意識的に遠ざけた。
 歴史とは人間自身がつくるものである。また、人間をとおして、宇宙の大いなる生命が表現される舞台である。――博士の歴史観は、きわめて「生命的」であり、生きた歴史のとらえ方であった。

 ところで、博士はこの「挑戦と応戦」という着想を、どこから得たのか。
 博士自身が書いているところによれば、それはゲーテの詩劇『ファウスト』からであった。(『歴史の研究』第二部「文明の発生」および『試練に立つ文明』)
 すなわち『ファウスト』の物語が始まる前、その前提としておかれた「天上の序曲」において、神と悪魔(メフィストフェレス)の対話が行われる。悪魔が神に挑(いど)んで、ひとあわ吹かせようと企(たくら)む場面である。
 ゲーテのいう神と悪魔とは、生命の究極の「善」と「悪」の象徴であろう。彼は超越的な人格神の概念には、むしろ否定的であった。その意味で仏法における仏と魔との戦いにも通ずる面をもっている。
 ともあれ、悪の「挑戦」と善の「応戦」、そこに博士は人類の全歴史を貫く基本の姿を見た
 博士によれば、神(善)はあまりにも完全であり、あまりにも充足している。そのためじつは、悪魔からの挑戦を受けなければ、行き詰まっていたであろう。悪に応戦することによって神(善)は行き詰まりを脱し、新しい創造の歩みを可能にした。これが博士の『ファウスト』観であり、ここから博士は、文明の発生と成長を説明する法則を見いだした。
 すなわち、何も起こらない、いわゆる“天国”そのもののような世界では、刺激もなく、創造的生命も発揮されない。さまざまな出来事があって初めて、個人の成長も充実もある。また人類の発展と進歩もある。
 自然にも春秋があり、暑熱の時も、寒風の時もある。一日にも昼夜があり、すべて変化の連続である。その変化に応ずることによって、知恵もわき、楽しみも文化も生まれてくる。
 何の「挑戦」も受けない、平々凡々たる無風の世界では、みな惰性(だせい)となり、退化していくほかはない。
 かつて読んだアメリカの小説に、何もかも満ち足りたら人間どうなるかという話があった。結論は、まるで“能面”のような無表情の、生ける屍(しかばね)のような動物になってしまうだろうと。印象深く、今も記憶に残っている。

 

戦いなくして偉大な歴史なし
あらゆる出来事は、すべて発展への善知識である

 

 広布の世界においても同じである。何事も起こらず、のんびりと順風に次ぐ順風満帆(まんぱん)で進んだなら、何の成長もない。皆、日なたぼっこしているみたいに、ボーッとして、弱々しく、何の向上の喜びもないにちがいない。
 あらゆる挑戦に懸命に応戦していく。そして一歩前進し、より大きな挑戦を受け、また伸びていく。この繰り返しに広宣流布がある。
 挑戦と応戦の遭遇(そうぐう)戦――その激しい衝突(しょうとつ)のなかから“創造の火花”がほとばしる。鉄が熱せられ、たたかれて鍛きたえられるように、皆、賢明になり、力をつけ、人材も出てくる。
 厳しい試練を避(さ)け、指導・忠告をも避けて、安楽な方向へばかり向かったなら、もはや転落と滅亡への一途である。
 堂々たる戦いに次ぐ戦い、成長に次ぐ成長。これが日蓮大聖人の仏法の実践であり、真実の「幸福」もそこにある。
 トインビー博士はまた、挑戦に挑戦が重ねられ、一つの文明、民族が苦しむとき、その苦しみに鍛えられて、偉大なる「宗教」が生まれ、広がっていく。そこから新しく文明が再生していくと論じている。つまり、「悩みを通して知恵へ」、これが博士の歴史観の根本命題であった。
 それは、短期的な経済、政治、流行等の変化の次元とは異なる、より長き、人類史全体の基本の次元にかかわる理論である。ただ本日は、その文明論的意義について論じるつもりはない。
 現在、学会が、さまざまな経験と試行錯誤(しこうさくご)を重ねながら、苦しみ悩みつつ、すべてに「応戦」し、勝利していくとき、その繰り返しのなかに、世界宗教を流布しゆく団体としての現実の力量が一段と練られ、鍛えられていく。現在の経験が、すべて、長き将来への教訓となり、栄養となり、かけがえのない力になっていくのである。
 その意味からいえば、あらゆる出来事は、すべて発展への善知識である。悪知識をも善知識に変えるのが妙法の力であり、一切を“喜び”に変え、“追い風”に変えるのが信心の一念の力である
 また、経験という点では、内外のさまざまな人と「会い」「対話」しゆくところに、自分も磨かれ、広布も進んでいく。何らかの異なる世界との“出会い”“打ち合い”がなくなれば、個人も団体も衰弱(すいじゃく)していくだけである。


1989.5.16第十七回本部幹部会

 

2015年1月26日

主役は誰か?


 「世界広布新時代 躍進の年」の主役は誰か?
 それは、

 「苦楽ともに思い合わせて」の唱題を根本に、

 決然と戦いを起こす勇気の一人だ。


 今日も自らの地域の大地で、

 妙法という平和の種を蒔く誠実の一人だ。


 その一人ひとりの地道な挑戦は、

 地球社会の安穏へ深く連動し、

 遥かな未来へ花を咲かせる。


 さあ、師子の君よ!太陽の貴女よ!
 共々に、大歓喜の春を勝ち飾り、

 栄光の創立八十五周年の山を堂々と、

 登りゆこうではないか!

 

 決めた道
  躍り進まむ
   盟友と
  誓いを胸に
    平和の峰へ

 

2015.1.22付聖教新聞 民衆凱歌の大行進17「SGI」四十周年に誓う

 

2014年10月13日

前進の人には

必ず壁が立ちはだかる


 前へ進む人は、必ず何らかの壁にぶつかります。壁が立ちはだかるということは、前進している誉れの証拠なのです。ですから、少しも、たじろぐことはない。
 まず、「思い切ってチャレンジしてみよう!」と決めるのです。「やれるだけ、やってみよう! ベストを尽くせばいいのだ」と、自分で自分を励ますのです。良き友と励まし合うのです。
 そして「断じて壁を突き抜けてみせる!」と、渾身の情熱を燃やし、へこたれずに体当たりしていくのです。
 勉強であれ、語学であれ、スポーツであれ、クラブであれ、何であれ、あきらめない勇気で、強く賢く、粘り強く挑み抜いていけば、必ず壁は突破できる。
 そこから、「希望の道」「向上の道」、そして「勝利の道」が大きく広がっていきます。

 

聖教新聞2014.10.10付創立者メッセージ

 

2014年10月11日

沈黙するな!

今再び前進だ!


 君よ
 いかに宿命的な
 曲がり角に来ても
 沈黙して
 停滞することはするな!
 勇敢に信念のままに
 前に向かって戦うのだ。
 そこに
 無限の喜びが
 再び湧き出ずることを
 忘れまい。

 ―「正義の道 勇者の栄光」2001年8月―

 

大白蓮華No.779号2014.10月号世界桂冠詩人は謳う119頁

2014年9月11日

チャンスをつかめ!

    
 待っていればチャンスは訪れるなどと考えるな ――哲人(ニーチェ)。
 今日も挑戦の一歩

 

  

2014.9.9寸鉄

 

2014年9月5日

「新生」の人生を

"勝利の中の勝利"で飾れ

   

 先日、発刊された『平和の哲学と詩心を語る』は、オーストラリア平和財団のスチュアート・リース前理事長と私の対談集である。
 その中でリース前理事長は、社会的格差等の解決の必要性を訴えた上で、今、苦しんでいる人びとが新しい生き方に踏み出し、人生を主体的に歩むための三つの段階を示されている。
 第一段階は、あきらめを克服すること。「何をしてもだめ」という心を排することから始めよ、と。
 第二段階は、仲間との信頼の構築。共に努力していく同志こそ大切にしなければならない。
 第三段階として、自立のための手段や技術を身につけることである。
 前理事長は言われた。
 「『小さな勝利』の積み重ねこそが重要であり、一つ一つの段階に到達して、次へと進むこと自体が『小さな勝利』であるというのが、私の信念なのです」
 眼前の「小さな勝利」を一つ一つ確実につかみ取る執念が次の勝利を生む。いわば、“勝利の中の勝利”なのである。
 そこで大切な急所は、根本目的を見失わないことだ。我らにおいては、「大願とは法華弘通なり」(御書736頁)と仰せの大誓願である。この一点から、仏に等しい「力」と「智慧」が、滾々と涌現するのだ。
 広布への誓いに燃え、我らは「常勝の道」を、「誓願の道」」「師弟の道」を、朗らかに進むのだ!

 

聖教新聞2014.8.29付民衆凱歌の大行進 11 創価家族は威風堂々と

2014年8月16日

仏法は実行だよ

   
 勇猛精進し給え!
 仏法は実行だよ!
 精進だよ――牧口先生。
 青年の心で挑戦!

 

 

聖教新聞2014.8.15付寸鉄

2014年7月9日

どこまでも「戦い続ける心」が大切

 

 戸田先生の事業が最も大変な最中にあって、戸田先生が私に「厳寒の冬を耐えて、また、あの桜が咲いたよ」としみじみと語られたひとことは、今も忘れることができない。
 冬を耐えぬくからこそ桜は美しく咲き誇る。
 人生も同じです。何事も変化、変化の連続です。時を見つめ、時を待ち、時を創りながら、耐えぬき、戦いぬいていく。その積み重ねのなかに、人生の満開の勝利がある。
 戸田先生がよく言われていた。
 「完璧な仕事というものは、普通の二百倍、三百倍の労力を費やさなければ出来ない」
 人生万般に通じる言葉だと思う。「気を入れる」というか、一つ一つを疎かにしない。全精魂込めて戦っていく。その連続闘争なかに勝利がある。それなくして偉大な人生の完成はない。
 大聖人は「心こそ大切」(四条金吾殿御返事、1192頁、編1219頁)と仰せです。
 また、「一身一念法界に遍し」(観心本尊抄、247頁、編537頁)とも仰せです。
 「此の心の一法より国土世間も出来(しゅったい)する事なり」(三世諸仏総勘文教相廃立、653頁、編1226頁)とあります。
 これが仏法の真髄です。
 ゆえに、どこまでも「戦い続ける心」が大切です。その心が強い分だけ勝利は広がる。
 戸田先生は「大苦悩に沈む民衆を救わなくてはならぬ」と叫ばれた。
 自分自身を変え、社会を変える。それが真の信仰の在り方です。そのための現実の一歩一歩の労苦です。そして、戦った分だけ自分自身の境涯が広がるのです。

 

御書の世界(下)第十章 佐渡流罪

2014年4月10日

大いなる飛躍には

「土台」が重要


 「新しい挑戦」「新しい自分になる」といっても、何か特別なことをやる必要はないんです。浮き足立って、自分を見失ってしまったら、もったいない。
 大いなる飛躍のためには、基本がしっかりしていることが重要です。着実な努力が根本です。そして、やれることから一つずつ挑戦していく勇気と粘りが大切です。
 今、創価学会の「広宣流布大誓堂」が建設の真っ最中です。2011年に工事が始まり、今年(2013年)の秋には立派な建物が完成します(2013年11月に落慶)。実は、その建物を支える基礎の工事、つまり土台造りに、徹底的に時間を費やしたのです。
 あの雄大な富士山も、広い裾野があるからこそ、悠然としている。美しい桜も、地中で大きく根っこを張っているからこそ咲き誇れる。
 人間だってそうです。立派な人は皆、人としての土台がしっかりしている。
 だから、みんなは、聡明な「基本第一のプリンス(王子)」「生活勝利のプリンセス(王女)」になっていただきたい。
 例えば、あいさつをしっかりする。朝ご飯をちゃんと食べる。忘れ物をしない。遅刻をしない――。
 「なんだ、そんなことか」と思うかもしれない。しかし、「正しいことを繰り返しできる人」こそ、人生に勝利していける。人格も輝いている。
 野球の大バッターといわれる名選手も、基本の素振りをたゆみなく繰り返している。
 勤行・唱題にも挑戦してほしい。祈りは「心の栄養」であり、「生命の鍛え」です。自分の生命と宇宙のリズムを合致させていく、最も崇高な時間なのです。

 

未来対話 「チャレンジ」そして「チェンジ」

2013年10月24日

 今すぐ

 

 立場や肩書きでは、人間の価値は決まらない。行動で決まる。人格で決まる。使命に生きゆく一念で決まる。
 「次の仕事にとりかかる適切な時は、明日でもなけれな来週でもない。今すぐなのである」とは、トインビー博士の至言である。
 日蓮大聖人は「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(御書1190頁)と仰せである。
 私たちは、一日一日を大切に、勇敢にして聡明に生きぬきながら、価値ある大仕事を成し遂げてまいりたい。
 
 2003.11.15海外・東京婦人部代表協議会

2013年9月16日

信心とは、

あきらめない勇気


 信心とは――
 断じてあきらめない勇気です。
 自分と友の生命の可能性をあきらめない。
 幸福の拡大をあきらめない。
 正義の勝利をあきらめない。
 平和の創造をあきらめない。
 大法弘通を、断じてあきらめない勇気なのです。


 皆さんは、これから、私の後を継いで、長い長い、一歩も引くことのできぬ使命の人生を歩んでくれる従藍而青の直弟子です。
 どうか、「これほどの悦びをば・わらへかし」との信仰の真髄の大確信を、わが生命に轟かせながら、いかなる障魔も、恐れず、惑わず、深き信心で見破って、強く、賢く、朗らかに、勝ち切っていってください。

 

聖教新聞2013.9.8付メッセージ

2013年8月6日

 新しい挑戦を始めよう!

 

 自分に負けてはいけない。自分に勝つことだ。もう一回、自分自身が原点に返って、新しい挑戦を始めることだ。

 

2003.8.6全国最高協議会⑦

2013年7月23日

 これからも『日々挑戦』 
 

 「(中略)一つのことを決め、スタートさせたならば、本格的に軌道に乗るまでは、あらゆる角度から考え、さまざまな手を打ち続けていくんです。
 人間は、物事が軌道に乗ると、すぐに安心してしまう。すると、油断が生じ、組織の活動も惰性に陥り、マンネリ化していきます。それを、日々、打ち破っていってこそ、みずみずしい息吹で前進することができる。したがって、これからも『日々挑戦』なんです。
 広宣流布の道は険路です。平穏であるはずがない。必ず大難が競い起こるでしょう。ゆえに、全会員が決して堕ちることなく、幸せになるように、一人ひとりの胸中深く、創価の『師子王の魂』を打ち込む時なんです。それは、広宣流布に生き抜く『師弟の精神』です。『一人立つ心』です。私は、そのために生命を削ります。皆にもその決意がなければ、魔に翻弄されていきます!」

 

 小説 新・人間革命 26巻 奮迅 67

2013年7月6日

 今日やるべきことは、
必ず今日に 
 
 「今日やるべきことは、必ず、今日やるんです。
 今なすべきことに全精魂を注ぎ込んでいくんです。
 すると、そこから新しい道が開かれていくものです」

 「今」という一瞬は、無限の未来をはらんでいる。
 歴史を動かすのも、瞬時の判断であり、行動である。
 その「時」を逃さぬためには、
 瞬間瞬間を全力で事に当たるのだ。

 勝利を決する好機は、常にある。
 その好機を生かすことのできる人は、
 いつ好機が訪れようが、
 それを最大に活用できるように、
 絶え間なく努力、奮闘してきた人である。 
 
 小説 新・人間革命 26巻 奮迅 53

2013年4月16日

信仰とは、

たゆみなき挑戦

 

 〝巌さん〟が信心に目覚め、仕事で実証を示していく場面である。
 「人間って、心の持ち方一つで、強くなるもんだなあ」
 「こんな難しい仕事が出来るだろうかと尻込むのと、よし! やってやろうと考えるのと、紙一枚の差だぜ。
 ところが、死に物狂いで頑張っていると、次々に、自分になかった力が出てくる。いや、持っているのに出さなかった力が湧いてくるんだな」
 決意から、新しき跳躍は始まる。そして、必死の行動が、自己の限界を突き破る。
 信仰とは、たゆみなき挑戦である。

 

1998.6.24 随筆 新・人間革命 全集(129)151頁

2013年1月30日

毎日が出発だ!

 

       仏法は「現当二世」。

       毎日が出発だ!

       一日一日が挑戦だ!

       常に前へ 前へ

       勝負は これからだ!

 

我が友に贈る2010年 4月5日

2012年12月4日

合言葉は、

だからこそ!

 

  この信心の松明をますます燃え上がらせ、

 社会を照らし出していく使命が、

 皆さんにはあるんです。

 

 お友だちを励ましてあげてください。

 皆の心に希望の光を送ってください。

 勇気の火をともしてあげてください。

 

 人を励まし、幸せにしていくなかに、

 自身の幸福もあるんです。 

 

 “大変だな。苦しいな”と思ったら、

 “だからこそ、私が立つのだ!”

 “だからこそ、宿命転換するのだ!”と、

 自分に言い聞かせてください。

 合言葉は“だからこそ!”でいきましょう!

 

小説 新・人間革命 26巻 法旗 2

2012年12月2日3日

挑戦! 挑戦! 挑戦!

 

挑戦あるところに、前進がある。

挑戦あるところに、希望がある。

挑戦あるところに、歓喜がある。

挑戦あるところに、幸福がある。

挑戦あるところに、勝利がある。

 

大宇宙の万物が、挑戦を続ける。

花は、懸命に深雪を割いて新芽を出し、

波は、体当たりを重ねて巌を削り、

太陽は、日々、暁闇を破って躍り出る。

人が見ようが、見まいが、

己が使命を果たさんと、

黙々と、忍耐強く、労作業を繰り返す。

挑戦! 挑戦! 挑戦!

それが、“生きる”ということなのだ。

 

われらは、挑む!

あの友、この友に幸福の道を教え、

人びとの栄えと平和を築くために!

宿命の嵐猛る大地に決然と立って、

人間の真実の力を示し切るために!

「私は、こんなにも幸せだ!」と

衆生所遊楽の人生を生き抜くために!

 

私は、歩む!

今日の小さな一歩が、

いつか、必ず大道になるから!

私は、負けない! 吹雪の暗夜も、

明日は必ず、勝利の太陽が昇るから!

 

 小説 新・人間革命 26巻 法旗 1

世界広布新時代

創立100周年へ

2030年 

 

世界青年学会

開幕の年

(2024年)

2013.11.18

広宣流布大誓堂落慶

更新日

2024.4.27

第2299回

 

日天月天ワンショット

日めくり人間革命URL