座談会御書

2022年10月2日

2022年

10月度座談会拝読御書

 佐渡御書

 

御書新版1285ページ16行目~1286ページ3行目

御書全集957ページ7行目~10行目

“創価の誇り”胸に

人間革命の前進を!

 

拝読御文

 

 畜生の心は、弱きをおどし、強きをおそる。当世の学者等は畜生のごとし。智者の弱きをあなずり、王法の邪をおそる。諛臣と申すはこれなり。強敵を伏して始めて力士をしる。

 悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人をなして智者を失わん時は、師子王のごとくなる心をもてる者、必ず仏になるべし。例せば日蓮がごとし。これおごれるにはあらず。正法を惜しむ心の強盛なるべし。

 

何があっても前へ

 “いかなる迫害があったとしても、信心を貫けば必ず成仏の境涯が開かれる”――。

 流罪地の佐渡から、逆境の嵐と戦う弟子たちの勝利を願い励ます、日蓮大聖人の烈々たる御確信が拝されます。

 当時、諸宗の僧たちは権力者と結託し、たったお一人で末法広布に戦う大聖人を侮り、大聖人とその門下に弾圧を加えてきました。そういった状況だからこそ、大聖人は「強敵を伏して始めて力士をしる」と、弟子たちの勇気を呼び覚まされます。

 本抄の前半では、「身命に過ぎたる惜しきもののなければ、これを布施として仏法を習えば必ず仏となる」(新1284・全956)、「世間の浅きことには身命を失えども、大事の仏法なんどには捨つること難し。故に仏になる人もなかるべし」(新1285・全956)と仰せです。末法という時に、世間の毀誉褒貶に惑わされることなく、「不惜身命」の精神で折伏にまい進することこそが仏界涌現の道です。ただし、「不惜身命」といっても、仏法はいたずらに命を捨てるような、「殉教主義」ではありません。

 池田先生は「不惜身命」についてつづっています。

 「広宣流布のため、人々の幸福のために、自分の命を使うと決め、生命力を燃え上がらせて、生きて生きて生き抜いていくことなのです。

 ゆえに皆さんは、何があっても尊い命を大切にしていただきたい。どんなに辛く苦しいことがあっても、絶対に負けないで、聡明に前へ前へ進んでいっていただきたいのです」

 友に励ましを送る日々に、仏界の生命は輝くのです。

 

勇気を奮い起こす

 迫り来る迫害に不安や恐れを抱いていた弟子たちも、日蓮大聖人のお手紙を拝し、“師と同じ「師子王の心」で立ち上がろう”と決意したに違いありません。

 拝読御文の後には、「日蓮は、この関東の御一門の棟梁なり、日月なり、亀鏡なり、眼目なり」(新1286・全957)と宣言されています。

 これは、御執筆前年の「竜の口の法難」の際、大聖人の命を狙い、襲いかかってきた平左衛門尉らに「大音声を放って」(新1286・全958)諫暁された言葉です。

 ここでいう「関東の御一門」とは北条氏一門を指し、幕府の中枢、ひいては日本国全体を指すとも拝されます。

 大聖人は、御自身こそが末法の御本仏であることを示され、「聖人去らん時は、七難必ず起こらん」(新1286・全957)との、仁王経の経文に照らし、「日蓮捨て去る時、七難必ず起こるべし」(同ページ)と御断言されています。

 実際に、大聖人が予言された、「自界叛逆難・他国侵逼難」という二難は、その後、現実のものとなります。

 “絶対に戦乱を起こしてはならない”――。大聖人は末法の民衆の幸福と安穏のため、「師子王の心」で権力の魔性と戦い抜かれたのです。

 大聖人直結の創価学会もまた、三代会長と共に「師子王の心」を受け継ぎ、平和の連帯を広げてきました。社会が困難や混迷に直面する今、「立正安国」「立正安世界」を目指す私たちの使命はいやまして大きいと実感します。

 “創価の誇り”を胸に、今いる場所で勇気を奮い起こし、人間革命の前進をしていきましょう。

 

<池田先生の指針>

 

師子王の心で一人立つ

 大聖人は、佐渡流罪という大難の中にあって「強敵を伏して始て力士をしる」(全957・新1285)と師子吼された。

 敵がいるからこそ強くなる。迫害があるからこそ仏になれる。本物の人材が出てくる。

 「難こそチャンス」。ここに仏法の真髄がある。境涯を開けるか、大福運を積めるか、本物の広布の指導者と立てるかどうか――魔が競い起こる時こそ、その重大な境目なのである。

 ゆえに、勇気を奮い起こして戦う以外にない。そして皆を励まし、勝利の要諦を教えて、新しい人材をどんどん育てることだ。(2006年5月、「5・3」記念最高幹部協議会でのスピーチ)

 ◇ ◇ ◇ 

 「師子」とは、仏の異名です。師が師子王であれば、弟子も師子王となるのです。何があっても負けない。師子となって戦っていく。これこそ、誇り高き創価の人間革命の真髄です。(中略)

 いかなる苦難の嵐があろうとも、師子王となって一人立つ。この負けじ魂の勇者が「必ず仏になるべし」なのです。

 さあ、我らの凱歌の大潮流が「民衆の世紀」を創ります。「新時代」の開幕です。私は全世界の地涌の同志に、なかんずく後継の青年たちに呼びかけたい。

 「君たちよ、貴女たちよ、師子王の心で立ち上がれ! 今いる場所で、『わが人間革命の姿を見よ!』と、勝利の旗を掲げゆけ!」(『人間革命の宗教』)

2022年9月4日

2022年

9月度座談会拝読御書

 経王殿御返事

 

御書新版1633ページ5行目~6行目

御書全集1124ページ10行目~11行目

「師子王の心」で 広布と人生を開く

 

拝読御文

 

 ただし御信心によるべし。つるぎなんども、すすまざる人のためには用いることなし。法華経の剣は、信心のけなげなる人こそ用いることなれ。鬼にかなぼうたるべし。

 

“けなげなる人”に

 拝読御文の前の箇所で、日蓮大聖人は、師子王はどんな獲物を捕らえる時も、万全の構えで全力を尽くすと述べられ、「御本尊を認めたことも、その姿勢は師子王に劣るはずがない」(新1632・全1124、通解)と御断言になっています。

 大聖人が全生命を注いで御図顕されたのが御本尊です。だからこそ、この御本尊に強盛に祈念していくならば、成就しないことはありません。

 ここで大事なことは、私たちが、「信心のけなげなる人」、すなわち「勇気ある信心の人」であるかどうかです。

 いかに立派な剣でも、使う人が臆病では役に立ちません。「法華経の剣」も、勇敢な信心の人が振るうから、“鬼に金棒”でより大きな力を発揮するのだと教えられています。

 “私には勇気などない”と思う人もいるかもしれません。しかし、大聖人は別の御書で「各々、師子王の心を取り出だして」(新1620・全1190)と仰せです。「師子王の心」とは“最高の勇気”ともいうべき仏界の生命です。その生命は、十界互具で万人に具わるからこそ「取り出だして」と仰せなのです。

 池田先生は語っています。

 「勇気は、特別な人だけがもっているのではない。だれでも平等にもっている。

 しかし、どれほど多くの人々が、この無尽蔵の宝を封印して、臆病、弱気、迷いの波間に漂流していることか。これほど、もったいない人生はない。勇気を『取り出して』、胸中の臆病を打ち破ることだ」

 勇気の信心こそ、幸福を勝ち開く源泉なのです。

 

強盛な祈りと行動

 仏法には、祈りをかなえるための要の力である「四力」が説かれています。信力、行力、仏力、法力です。

 「信力」とは御本尊を信じる心の強さのこと。「行力」とは教えの通りに実践する力のことです。

 「仏力」とは仏が持つ力用のことであり、「法力」とは妙法に具わる広大深遠な利益のことです。

 強盛な信力、行力を奮い起こしていく時、それに応じて仏力、法力が現れ、祈りが成就するのです。

 池田先生は、分かりやすく語っています。

 「『祈りが叶う』といっても、オカルト的なものではない。また人間とかけ離れた神仏が、“お情け”で願いを聞き届けてやるといった、神秘的な、いいかげんな話ではない。(中略)生命と宇宙の法則を研究したのが仏法です。その仏法の最高理論をもとに、日蓮大聖人が御本尊をつくってくださったのです。電気の理論で電灯ができたようなものです」

 「こちらが一の信力、一の行力だと、一の仏力、一の法力となって現れる。百の信力・行力は、百の仏力・法力となって現れる。万の信力・行力は、万の仏力・法力となって現れるのです」

 仏法は道理です。“必ずかなえてみせる”との強盛な祈りと行動――いわば“百千万の信力・行力”こそ、無限の仏力・法力を引き出し、広布と人生を開きゆく要諦です。

 強き信心で勇敢な実践を貫く人は、限りなく境涯を開き、勝利、勝利の人生を飾っていけるのです。

 

<池田先生の指針>

 

日蓮仏法の魂は「勇気」

 日蓮仏法の魂も、「勇気」であります。

 「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」(全1282・新1675)と、明快に断言されている通りであります。

 あの身命にも及ぶ佐渡流罪の大難の渦中、大聖人は厳然と仰せになられた。

 「師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」(全957・新1286)と。

 「師子王の心」とは、どんな強敵が、群れをなして襲いかかってこようとも、恐れない。どんな大難が山また山となって立ちはだかろうとも、断じて負けない。その最極にして無敵の勇気が、「師子王の心」であります。

 いざという苦難の時に、この勇気を奮い起こし、師匠と共に、思い切って戦い抜いた人が、仏になれる。勇気こそが、己心の無明を打ち破り、自他共に仏界の生命を開くのであります。(中略)

 戸田城聖先生のもとで、女子部の「華陽会」が学んだ、『トム・ソーヤーの冒険』の作者である、アメリカのマーク・トウェインは語っている。

 「どれだけ多くの人間が自分の力を知らないことか! 人間には宇宙を動かす力が秘められている」(ドロシー・クイック『マーク・トウェインと私』野川浩美訳、ほんのしろ)のだと。

 人間生命に秘められた、この宇宙大の力を解き放つ鍵こそ、「勇気」であります。

 そして、その極致こそが「勇気ある信心」なのであります。

 戸田先生は「信心とは、要するに、どんなことがあっても必ず勝つと、心を決めることだ」と結論されました。

 無名にして無冠の庶民が、この勇気ある信心に立ち上がって、いかなる悪口にも、いかなる圧迫にも、いかなる陰謀にも屈せずに戦い切ってきたからこそ、世界の柱たる平和と文化と教育の創価の大連帯が築かれたのであります。(2012年1月、新時代第55回本部幹部会へのメッセージ)

2022年8月2日

2022年

8月度座談会拝読御書

 妙密上人御消息

 

御書新版1711ページ12行目~15行目

御書全集1241ページ2行目~5行目

「一人立つ」信心で新たな歴史を築く

 

拝読御文

 

 日本国の中にただ一人、南無妙法蓮華経と唱えたり。これは須弥山の始めの一塵、大海の始めの一露なり。二人・三人・十人・百人、一国・二国、六十六箇国、すでに島二つにも及びぬらん。今は謗ぜし人々も唱え給うらん。また上一人より下万民に至るまで、法華経の神力品のごとく、一同に南無妙法蓮華経と唱え給うこともやあらんずらん。

 

創価の誇りを胸に

 「須弥山の始めの一塵、大海の始めの一露」との譬えからは、日蓮大聖人が、末法の一切衆生を救いゆく、法華経の題目を弘める“最初の一人”となられた誇りと御確信を拝することができます。

 そして現実に2人、3人と伝え広げ、当時の日本全国に妙法を弘通され、今日まで続く、世界広布の流れを開かれたのです。

 創価学会は、この大聖人の妙法流布の御遺命と、“一人立つ誇り”を継承し、三代の会長と共に、あらゆる障魔に打ち勝ってきたのです。

 草創期には、“貧乏人と病人の団体”と悪口されることもありました。そんな世間の風評などに紛動されることなく、何があっても大聖人に連なる“創価の誇り”を胸に、信心の炎を燃やしてきたのです。

 戸田先生はかつて、「今、威張っている人間が、しまったと思う時が広宣流布だよ」と語られました。

 その言葉を現実のものとするため、学会員は、世間をあっと言わせるような勝利の姿を示してきました。“必ず幸せになってみせる”と一人立ち、懸命に題目を唱え抜きながら、岩盤に爪を立てるようにして幸福境涯を開き、広布を前進させてきたのです。

 一人一人の宿命転換の実証が積み重なり、須弥山のような人材山脈が築かれ、“七つの海”に創価の連帯が広がったことは、仏法史上、未聞の快挙であるといえます。

 下半期も“創価の誇り”を胸に、一人立ち、自分自身の新たな歴史を築いていきましょう。

 

真心は必ず伝わる

 100人いれば、100通りの考え方があります。職場や地域において、時には意見が異なり、ぶつかることもあるでしょう。

 その時、大切なことは、“あの人とは考え方が合わない”と決め付けないことです。そして、諦めずに対話を続けることではないでしょうか。

 「あるいはののしられ、打たれ、あるいは傷を受け、あるいは流罪に二度遭い、死罪に一度定められた」(新1711・全1240、通解)――。日蓮大聖人は拝読御文の直前で、妙法流布に捧げられた二十数年間を振り返り、述懐されています。

 それでも、大聖人は万人に具わる仏界の生命を信じ、大慈悲の御闘争を続けられます。その中で、「今は謗ぜし人々も唱え給うらん」とあるように、敵をも味方に変えながら、一人、また一人と正法に目覚めさせていったのです。

 広宣流布といっても、「一対一の対話」から始まります。心を込めて語っても、相手から反発されることもあるでしょう。その時こそ、相手の幸福を祈り、粘り強く対話しつづけることが大切です。

 池田先生は「信心に反対であるという人に対しても、幸せを願い、大きな、広い心で、笑顔で包み込むように接して、友好に努めていくことが大事です。それが、仏縁を結び、広げていくことになるからです」とつづっています。

 一人から一人へ――今がどうあれ、相手を思う真心は、必ず伝わります。地道な対話によって、自他共の幸福境涯が開かれるのです。

 

<池田先生の指針>

 

“一対一”の伝統を継ぐ

 「法」そのものは、無始無終の永遠の真理です。しかし、「法」を覚知した一人が立ち上がって伝え広めなければ、万人が「法」の利益に浴することは永久にあり得ません。

 思えば、仏教の創始者である釈尊は、菩提樹の下で覚りを得た後、この法を説くべきか否かと逡巡しました。あまりにも未聞の法だからです。しかし、遂に決断し、民衆のために一人立ち、法を弘め始めました。「一人立つ精神」は、仏教の誕生から変わることのない、根幹であるといってよいでしょう。(中略)

 全ての人には本来、仏性が具わっています。ですから、どこまでも堂々と、そして誠実に、この仏法の偉大さ、学会の素晴らしさを語り抜いていけばよい。仮に無理解からの非難があっても、やがては、相手の仏性が発動していくのです。(『わが「共戦の友」――各部の皆さんに贈る』)

 ◇ ◇ ◇ 

 ある時、牧口先生は、座談会よりも講演会形式にしたほうがいいと語る青年に、鋭くこう語られました。「いや、それは違う。人生に対する問題は対話でなくては相手に通じない。講演だけでは、聞く方は他人事にしか感じないものだ。日蓮大聖人の『立正安国論』にしても問答の形式ではないか」

 また、戸田先生も、「広宣流布は一対一の膝詰めの対話によって成し遂げられる」とよく語っていました。

 私も同じ信条で、常に一対一の対話を重ねてきました。どこまでも大切なのは、一対一の人間味ある励ましと信心の触発です。この伝統が継承される限り、学会は永遠に発展していくことは間違いありません。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第6巻)

2022年7月5日

2022年

7月度座談会拝読御書

四条金吾殿御返事

(世雄御書)

 

御書新版 1590ページ14行目~15行目

御書全集 1169ページ8行目~9行目

信心を貫き通し 幸福勝利の人生に

 

拝読御文

 

 日蓮は少きより今生のいのりなし。ただ仏にならんとおもうばかりなり。されども、殿の御事をば、ひまなく法華経・釈迦仏・日天に申すなり。その故は、法華経の命を継ぐ人なればと思うなり。

 

大願に生き抜く

 本抄が送られる直前の建治3年(1277年)6月、四条金吾は、周囲からの讒言や中傷を信じた、主君の江間氏から“法華経の信仰を捨てなければ、所領を没収する”と命じられました。

 今回の拝読御文の直前で、日蓮大聖人は、門下が大弾圧を受けた時も、一歩も引かずに戦い続けた金吾に、あえて「以前よりも、百千万億倍、用心していきなさい」(新1590・全1169、通解)と、所領を惜しむのではなく、強盛な信心に立つように教えられています。

 信心を貫き通すことで、ものごとの道理として、必ず勝利していくことができるからです。

 「ただ仏にならんとおもうばかりなり」とは、どこまでも万人の成仏を願われた、大聖人の誓願です。

 目先の毀誉褒貶にとらわれず、師と同じ広宣流布の大願に立つならば、自身の悩みや願いなど「今生のいのり」も全て包み込むように叶えていくことができる――。弟子である金吾のために、呼び掛けられていると拝することができます。

 池田先生は「自身の宿命転換を願い、広宣流布の実現を祈って、身命を惜しまず戦うところに、必ず幸福勝利の人生を開くことができる。生涯、素直に信心を貫き通した人が勝利の人です。最後に勝つ人です。ここに信心の極意があります」とつづっています。

 師の教えの通りに仏法の実践を貫いた金吾は、「仏法は勝負」と仰せの通り、主君からの信頼を回復し、新たな所領を得ることになるのです。

 

皆が“宝の存在”

 どんな時も信じてくれる壮年部、女性部の同志が支えになった――。

 未来部・青年部時代に、そういった経験をした学会員は、多いのではないでしょうか。

 日蓮大聖人は本抄で、苦闘する四条金吾のことを“絶えず祈っている”と仰せです。何があっても弟子の勝利を信じ、祈ってくださる師匠の存在に、金吾はどれほど感動し、心強く思ったことか、計り知れません。

 末法に妙法を弘め、一切衆生の成仏の道を開かれた大聖人は、万人の幸福を実現するという“仏の願い”をよみがえらせました。その大聖人のお心を拝していく時、仏法に縁するだれもが、「法華経の命を継ぐ人」であるといえます。

 大聖人の御精神に連なる創価三代の師弟も、“だれもが宝の存在”と、眼前の一人を大切にし、世界中に地涌の連帯を広げてきました。どこまでも「一人」の可能性を信じ、励まし、見守り続けることが大切です。

 真心を込めた祈りは、たとえ時間がかかったとしても、必ず伝わります。その思いに立ち上がった同志の体験は、枚挙にいとまがありません。

 池田先生は「たとえ諸君が、自分なんかダメだと思っても、私はそう思わない。私は信じている。私は諸君を尊敬している。必ず、あなたにしかできない使命をもった人だと信じている」と語っています。

 師の心をわが心とし、未来部・青年部をはじめとした後継の友が、“自分自身が宝の存在”と、希望の前進ができるよう、励ましを送っていきましょう。

 

<池田先生の指針>

 

妙法の「師弟の道」を

 

 皆、今世に妙法の力を涌現して宿命転換し、幸福の大境涯を開いて、活躍する使命がある。皆、広宣流布の誓願のままに、悪世末法に生まれてきた地涌の菩薩である。その人でなければ果たせぬ尊極の使命があるのだ。

 良き友人となり、温かく接し、見守っていくことだ。自らが受けた恩と励ましを何倍にも変え、後輩に注いでいくことだ。手作りで「法華経の命を継ぐ人」を育てていくのである。

 学会員に尽くすことは、広宣流布に尽くすことであり、仏に尽くすことだ。

 まず、自ら一人立て! そして人材を育て、人材と共に進みゆけ!

 君が開きゆく勇敢な勝利劇の舞台にこそ、一人また一人と、頼もしき人材が陸続と躍り出てゆくのだ!(『随筆 我らの勝利の大道』)

 ◇ ◇ ◇ 

 人生の勝負は、長い目で見なければ分からない。ましてや、仏法という永遠の次元から見れば、移ろいゆく、さまざまな評価など、どれも、はかないものである。

 我らの広宣流布は、人類の幸福の大道を開きゆく永遠の大事業である。この広布に生き抜く創価の師弟こそ、永遠の栄光と福徳に包まれる、生命の大勝利者なのである。(中略)

 一日一日、生まれ変わったように生きる。その人生には感傷もない。愚痴もない。堅実な一歩一歩が、必ず偉大な使命の人生となっていく。これが「創価の道」であり、妙法の「師弟の道」である。(2009年9月、新時代第32回本部幹部会でのスピーチ)

 

2022年5月31日

2022年

6月度座談会拝読御書

四条金吾殿御返事

(法華経兵法の事)

 

御書新版 1623ページ9行目~11行目

御書全集 1192ページ15行目~1193ページ2行目

 

大確信の題目が障魔を打ち破る

 

拝読御文

 

 なにの兵法よりも法華経の兵法をもちい給うべし。「諸余の怨敵は、みな摧滅す」の金言むなしかるべからず。兵法・剣形の大事もこの妙法より出でたり。ふかく信心をとり給え。あえて臆病にては叶うべからず候。

 

師弟一体の祈り

 苦難や宿命の壁にぶつかった時、ともすれば、厳しい環境や状況を前に、打つ手なく立ちすくんでしまうことがあります。目の前の課題を解決しようと、小手先の“策”に走って、結局は右往左往してしまうこともあるでしょう。

 “師匠がいるじゃないか!”“信心があるじゃないか!”――。学会員一人一人は、困難に立ち向かう途上で、たとえどんなに打ちのめされたとしても、師との誓い、信心の原点に立ち返り、何度でも立ち上がってきました。

 そしてわが心を奮い立たせ、「法華経の兵法」で人生の艱難辛苦を勝ち越えてきたのです。

 「法華経の兵法」とは、“必ずかなう”との、大確信の祈りといえます。わが生命に湧き上がる無限の力で、不信の心を破る、絶対勝利の信心のことです。

 拝読御文の直前には、「ただ、心こそが大切なのである。どれほど日蓮があなたのことを祈ったとしても、あなた自身が不信であるならば、濡れた火口に火を付けるようなものである」(新1623・全1192、通解)と仰せです。

 門下の勝利を祈り待ってくださる、大聖人の大慈悲のお心を拝すことができます。そして、“師と同じ祈り、同じ心で立ち上がれ!”との師子吼が胸に迫ります。

 あらゆる障魔を打ち破る「法華経の兵法」は、大聖人と同じ心、つまり「広宣流布の大願」に立った時に、わが身に脈打ちます。その心で御本尊に向かう“師弟一体の祈り”こそが、“最強の兵法”となるのです。

 

勇気の信心貫く

 日蓮大聖人が、“生きて帰ることは望めない”とされる佐渡流罪から御帰還された後、四条金吾は歓喜の決意に燃えて、主君である江間氏を折伏します。

 しかし、江間氏は大聖人に敵対する極楽寺良観の信奉者でした。当時の状況を考えると、金吾の実践がどれほど勇気のいることであったのかは、計り知れません。

 金吾は主君から法華経の信仰を捨てるように迫られ、同僚からも迫害を受けるようになります。

 それでも金吾は、決して屈することなく、大聖人の御指導通りの実践を、勇敢に貫いたのです。

 その後、江間氏からの信頼を回復し、新たな領地を受けるまでになった金吾を、嫉妬に狂う敵が襲撃します。

 命の危機を乗り切った金吾に送られたのが本抄です。

 大聖人は、法華経薬王品の「諸余の怨敵は、みな摧滅す」との文を引用し、一切の魔を粉砕する、妙法の偉大な力を示されます。

 “どこまでも勇気ある強盛な信心で、邪悪な勢力の襲撃を防ぐのだ”との仰せです。

 広宣流布は、仏と魔との闘争です。心に隙があれば魔が付け入ってきます。勢いよく前進している時こそ、より一層深く祈り、油断を排していくことが肝要となります。

 その上で、あらゆる大難を悠然と勝ち越えられた大聖人は、「臆病であっては、何事も叶わない」と仰せです。

 何ものをも恐れない、勇気ある信心を貫いていくならば、必ず勝利の実証を示すことができるのです。

 

<池田先生の指針>

 

師匠と共に戦う弟子へ

 

 広宣流布の師匠と心を合わせて、法華経の兵法で戦えば必ず勝てる! 勇気ある信心を貫けば、必ず正義を宣揚できる! 異体を同心とする善の団結を築けば、いかなる悪をも打ち破れる!

 これが「絶対勝利の信心」の極意です。(中略)

 全世界の皆さんが、和楽の道、幸福の道、栄光の道、健康の道、長寿の道、勝利の道を力強く歩んでいくことが、創価の三代の師弟の根本の誓願です。

 創価学会は、永遠に師弟不二で絶対勝利の信心を貫き、凱歌の歴史を刻んでいくのです。(『創価学会 永遠の五指針』)

 ◇ ◇ ◇ 

 どこまでも「師弟不二の心」で、「師弟一体の祈り」を貫き通していくことこそ、いかなる苦難や困難をも勝ち越えゆくための信心の要諦なのです。また、ここに「法華経の兵法」の肝要があります。

 反対に、師弟の祈りが一致しなければ、真の力は出せません。(中略)

 最初は“自分のための祈り”だったものが、そのまま“師と同じ誓願の祈り”へと発展していく。それは「師匠に守られる弟子」から、「師匠と共に戦う弟子」への一大転換劇ともいえるでしょう。

 これは、「超越的絶対者に救済を求める宗教」とは異なります。「万人が民衆救済の慈悲(慈しみと同苦の仏の生命)の行動者」になるというのが、仏教の根幹の原理なのです。

 「師弟」とは、目覚めた民衆の陣列を築く、師匠の「精神」と「行動」を共戦の弟子が継承していくことなのです。(『調和と希望の仏法――「人間の宗教」の時代へ』)

2022年5月1日

2022年

5月度座談会拝読御書

開目抄

御書新版 117ページ7行目~9行目

御書全集 234ページ7行目~9行目

仏性を呼び覚ます人間革命の劇を 

 

拝読御文

 

我ならびに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし。天の加護なきことを疑わざれ。現世の安穏ならざることをなげかざれ。我が弟子に朝夕教えしかども、疑いをおこして皆すてけん。つたなき者のならいは、約束せし事をまことの時はわするるなるべし。』

 

苦難は“生命鍛錬”の好機

 人生は、順風満帆な日ばかりではありません。宿命の嵐に遭った時には、“なぜ?”“自分にはどうすることもできない”と、疑いや諦めの心が生じることもあるかもしれません。

 我ならびに我が弟子……。厳しい現実を前に、心が折れそうになった時。困難の壁を前に、信心の前進を止めてしまいそうになった時。多くの学会員が、自身の心を奮い立たせるように拝してきたのが、この御文です。

 日蓮大聖人は、命に及ぶ大難を勝ち越え、末法の全民衆を救う妙法を弘められました。本抄には、諸天の加護を求めたり、難を避けたりするような生き方を突き抜けた、大聖人の、末法の御本仏としての大境涯がつづられています。

 法華経の経文に照らせば、末法に正法を実践する人には、必ず三障四魔が競い起こります。その障魔に打ち勝つからこそ、自身の生命が鍛えられ、宿命転換していくことができるのです。つまり、法華経の行者にとって、苦難とは“避けるべきもの”ではなく、“生命鍛錬”の好機となるのです。

 だからこそ、大聖人は門下に、いかなる難に遭ったとしても、妙法を信じ切っていくように呼び掛けられているのです。仏道修行を貫くならば、「自然に仏界にいたる」と仰せのように“誰でも”“必ず”仏の境涯を開くことができるとの御断言です。

 学会員一人一人が、この一節を身で読んできました。何があっても朗らかに人間革命のドラマをつづる姿は、初夏の太陽のようにまばゆく、自他の仏性を呼び覚まします。

 

常に誓いに立ち返る

 人生勝利の歩みを止めるのは、自分自身です。厳しい環境や、難しい境遇ではありません。自身の内に巣くう、不信や臆病の心によって人生を諦め、いつしか、自ら足を踏み出すことをやめてしまうのです。その根底には「元品の無明」があります。

 「元品の無明」は、生命に対する根本的な迷いのことです。さまざまな形で法華経の行者の修行を阻み、責め立てる「第六天の魔王」の働きとなって現れるため、簡単に打ち破ることはできません。

 御書には「元品の無明を対治する利剣は、信の一字なり」(新1047・全751)とつづられています。無明との戦いに打ち勝つには“信の利剣”が必要であるとの仰せです。

 私たちに即していえば“必ず成仏の境涯を開く”“絶対に幸福になってみせる”という、強き一念といえます。

 今回の拝読御書につづられている「約束せし事」とは、広布に挑む一念を合わせた“師弟共戦の誓い”と拝することができます。

 その師との誓いを忘れてしまった時、無明に生命を侵され「つたなき者」となってしまうのです。

 どんな人にも“無明の闇”は生じます。それを払うには、常に“師弟共戦の誓い”に立ち返り、広布への一念を、より深く強くしていくことです。その繰り返しが、自身に具わる仏界の生命を必ず輝かせていくのです。

 師と共に生きる喜びを胸に、同志と励まし合いながら、きょうも心新たに前進を開始していきましょう。

 

<池田先生の指針>

 

不退の信心を貫く

 

 「我並びに我が弟子」「自然に仏界にいたるべし」(全234・新117)と言われているように、大聖人の生命に本来的に具わる元初の仏の境涯は、私たち一人一人にも具わっているのです。

 しかし、衆生は、自身の生命を覆っている迷いや苦悩にとらわれている限り、奥底の仏の境涯に気づくことができないのです。

 そこで大聖人は、御自身のお姿、お振る舞いや御教示を通し、また、門下と対話するように手紙を書き続け、一人一人が御自身と同じ仏の境涯を開いていけるように激励を重ねてくださっています。

 それは、門下が師子王の心を取り出して、どこまでも不退の信心を貫いた時に、本来自身が持っていた仏と同じ智慧と勇気と慈悲の大境涯を現していけるということです。(2021年9月号「大白蓮華」〈世界を照らす太陽の仏法〉)

 ◇ ◇ ◇ 

 自分の仏性を信じ、人々の仏性をも信じて行動し抜いていく。

 このような精神革命の時代を築いていくこと自体が、実は、広宣流布にほかなりません。私たちは、その偉大なる人類の宿命転換に率先して戦っているのです。

 学会員は、自他共の幸福を目指して、広宣流布への「信心」を貫きます。大聖人が仰せのままの「信心の二字」「信の一字」です。(中略)

 学会員の「信」には、大いなる真理に生きる智慧、不幸を根絶しようと戦う勇気、そして、“万人が皆、仏なり”との確信に満ちた慈悲が備わっています。永遠の幸福境涯を開いていく「信」が確立されているのです。(『信仰の基本「信行学」』)

2022年4月3日

2022年

4月度座談会拝読御書

四菩薩造立抄

御書新版 1341ページ3行目~4行目

御書全集 989ページ11行目~12行目

諸天を動かす師弟不二の信心

 

 

拝 読 御 文

 

 総じて、日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は、日蓮がごとくにし候え。さだにも候わば、釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし。

 

 

求道の心を燃やす

 

 本抄を与えられた富木常忍は、日蓮大聖人が建長5年(1253年)に立宗宣言をされて間もないころに入信したとされています。その後、門下の中核として活躍し、大聖人から、「観心本尊抄」をはじめ、30編以上の御書を頂きました。

 本抄では、常忍が住む下総国(現在の千葉県北部などの地域)の門下の一部が、大聖人と異なる、自分勝手な教義を唱えていることを、厳しく戒められています。

 慢心を起こし、大聖人の教えに背く己義を弘めれば、人々を惑わすことになります。それでは、自身も他人も、共に「無間大城に堕つ」(新1341・全989)ことになってしまうと仰せです。

 だからこそ、拝読御文で大聖人は、「日蓮がごとくにし候え」と教えられています。長年にわたって師匠と共に広布に歩んで来た常忍に、あえて“師のごとく”と、信仰の根幹を教えられているのです。

 “師弟不二の信心に立ち返れ”――。信頼を寄せる常忍だからこそ、誰よりも師匠の教えを貫き、周囲の門下の模範となるよう教えられていると拝されます。

 私たちに即していえば、どれだけ広布に励んできたとしても、師匠を求める心を忘れてしまっては、正しい信仰は貫けません。また、“こういうことだろう”“もうこれくらいでいいだろう”という慢心があれば、信心が破られてしまいます。

 “師匠ならばどうされるか”と、常に求道心を燃やし続ける師弟不二の実践の中に、行き詰まることのない、人間革命の前進があるのです。

 

味方に変える祈り

 

 拝読御文の後半では、釈尊や多宝如来、十方の分身仏と並んで、諸天善神である十羅刹女までもが、日蓮門下を守るとつづられています。

 諸天善神とは、正法を受持する人とその国土を守護する、種々の働きのことです。

 十羅刹女は、法華経の陀羅尼品で、鬼子母神をはじめ、多くの鬼神たちと共に、法華経の行者を守護する誓いを立てています。ゆえに、真剣に広布に励む人は、必ず諸天に守護されます。

 それは、強盛な信心の一念に諸天善神が感応し、人々を守護する働きとなって現れるからです。大切なことは、自分自身が広宣流布に戦っているかどうかです。

 他の御書でも、「神の護ると申すも、人の心つよきによるとみえて候」(新1608・全1186)と仰せの通りです。

 そのことを、日蓮大聖人は命にも及ぶ数々の大難を勝ち越えることで、厳然と示されたのです。

 “我がごとく戦いゆけば、いかなる難に遭っても必ず諸天の加護がある”――。

 本抄からは、門下への慈愛あふれる、日蓮大聖人の御確信が拝されます。

 池田先生は記しています。

 「師弟共戦の友は、『至誠天に通ず』の如く、あらゆる諸天を動かし、たとえ悪鬼魔民たりとも味方に付ける祈りで、見事な勝利劇を飾ってきた

 いよいよ春本番。一切を味方に変える強盛な題目を唱え抜きながら、自他共の幸福の花を咲かせゆく、立正安国の対話に、心軽やかに打って出ましょう。

 

<池田先生の指針>

 

 大聖人がごとく大願に生き抜く

 

 「日蓮が如く」との仰せを違えず、創価の三代は「不惜身命」「死身弘法」の決心で、「三類の強敵」「三障四魔」との大闘争を勝ち越え、「悪口罵詈」「猶多怨嫉」の大難を乗り越えてきた。だからこそ、釈迦・多宝・十方の諸仏の守護も厳然と現れたのである。無量無辺の諸天善神も、じっとしてなどいられない、創価の師弟の如説修行の戦いであったのだ。(中略)

 この崇高なる師弟に、学会の世界的発展の原点がある。「師弟不二」であれば、打ち破れない「壁」などない。「師弟不二」に徹しぬいていけば、今の何倍も、学会は発展していくことができる。(2006年10月、創立記念日祝賀協議会でのスピーチ)

 ◇ ◇ ◇ 

 妙法弘通にあたって大聖人は、妙法を言葉や理論のみで“教えた”のではなく、妙法を確信し体現する御自身の姿、お振る舞いを通して“示された”のです。大聖人御自身の戦いの姿を離れて、仏法はありません。

 したがって私たちが仏法を会得するためには、「日蓮がごとく」という実践が重要となります。どこまでも、妙法をわが身に体現し、生き抜かれた師匠の姿を通し、今度は、師匠の戦いの通りに自ら戦い、自身に体していく以外にないのです。すなわち師弟の脈動の中にこそ、仏法の真実の継承があるのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第9巻)

 ◇ ◇ ◇ 

 「大聖人の如く、広宣流布の大願に生き抜く」――これが、五月三日を貫く我らの誓いである。(中略)

 信心の根本は、どこまでいっても「自行化他」の行動である。慈悲の心をもって、折伏精神に燃え、友のもとへと足を運び、仏縁を結ぶことが、最も時に適った仏道修行なのである。

 尊き同志が、生き生きと広宣流布のため、立正安国のため、東奔西走しゆくなかで、五月三日を祝賀してくださる。この姿こそ、戸田先生が何より喜んでおられるに違いない。(『随筆 希望の大道』)

 

2022年3月1日

2022年

3月度座談会拝読御書

妙一尼御前御消息

御書新版1696ページ1行目~3行目

御書全集1253ページ16行目~17行目

希望を胸に蘇生の活路開く

 

 

拝 読 御 文

 

 『法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかずみず、冬の秋とかえれることを。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となることを。経文には「もし法を聞くことあらば、一りとして成仏せざることなけん」ととかれて候。』

 

◆不屈の挑戦の人に◆

 

 『日蓮大聖人御書全集 新版』の「序」に、池田先生は「どんなに厳しい『生老病死』の苦に直面しても、御書に触れれば、『胸中の肉団』から元初の太陽が赫々と昇り、『冬は必ず春となる』との希望の指針のままに、『常楽我浄』へ蘇生の活路を開きゆけるのだ」と寄せています。

 草創以来、多くの学会員が「冬は必ず春となる」との一節を胸に刻み、“蘇生のドラマ”をつづってきました。

 本抄を与えられた妙一尼は、信仰ゆえの弾圧にも屈せず、夫と共に信心に励んでいました。そんな妙一尼に、悲しみが訪れます。夫は、大聖人が佐渡流罪から赦免されたのを知る前に、亡くなってしまったのです。

 頼みの夫に先立たれ、幼い病気の子らを抱え、生活も楽ではなかったと思われます。「生老病死」の苦に直面しても、妙一尼は、師への求道心を燃やして佐渡や身延へと従者を送り、純粋な信心を貫いていました。

 大聖人は、試練に立ち向かう妙一尼に、亡き夫の成仏は間違いないとの確信と希望の励ましを送られたのです。

 桜の花芽は夏に形成され、秋に休眠します。この花芽は、冬の寒さに鍛えられるように低温が刺激となって目覚め、成長が促されるといいます。

 苦難の底にいる時は、先の見えない苦しさを感じるかもしれません。しかし、桜の花芽が厳寒の季節に成長を開始するように、人生の冬の時にこそ、信仰を深め、生命を強く鍛え上げることができます。

 不屈の挑戦の人に“人間革命の春”が訪れるのです。

 

◆全ての友に仏縁を◆

 

 拝読御文にある「もし法を聞くことあらば、一りとして成仏せざることなけん」とは、法華経方便品第2の文です。この文は、本抄だけでなく、他にもいくつかの御書で、門下への励ましとして記されています。

 “もし法を聞くことがあれば、一人として成仏しない人はいない”との一節からは、法華経の功力の偉大さとともに、“一切衆生を必ず成仏させる”との、仏の熱願が伝わってきます。

 大聖人は、この仏の大願を実現するため、末法の全民衆を救いゆく、「南無妙法蓮華経」の題目を確立されました。その大慈悲の御精神で、時の権力者にも、真正面から仏法を説き、あらゆる大難を悠然と見下ろされながら、万人の成仏を開きゆく偉大な御生涯を歩まれたのです。

 この大聖人の御精神に連なり、人々に等しく具わる仏性を呼び覚ましていくのが、広宣流布の実践です。

 私たちは、日々の生活の中で、多くの人と出会います。その全ての人に幸福の種を植える対話に挑んできたからこそ、創価の連帯は世界中に広がったのです。

 池田先生は「ともすれば一度ぐらい話をしただけで、“あの人はだめだ”“この人は無理だ”と思い込んでしまう。でも、人の心は刻々と変わる。いや、執念の対話で、断じて変えていくんです」とつづっています。

 一人も残らず成仏を開くことができる――真心は必ず伝わります。心軽やかに、関わる全ての人に仏縁を広げていきましょう。

 

<池田先生の指針>

 

 “冬”は、すばらしい“春”のための充電と鍛えの時である。その時にこそ、永遠に崩れぬ「成仏」へのエネルギーは蓄えられ、宇宙大の広がりを秘めた生命活動の力が培われていく。

 しかも、そのエネルギーは、難にあえばあうほど大きさを増す。そして、正しき法にのっとった人は、だれもが必ず“春の時”を迎えることができる。

 しかし逆に、“冬”のたいへんな時に、信心の向上のための世界から逃げたり、疑ったりして、十分に力と福運を蓄えておかなければ、すべてが中途半端となってしまう。ましてや「満足」の人生を、送ることはできない。

 “冬”の間にこそ、どう戦い、どれほど充実した時を過ごすか。必ず来る“春”を確信し、どう深く生きるかである。時いたれば、自然界には花咲く春が間違いなく訪れる。それが生命と宇宙のリズムである。(中略)

 正しき信仰とは“永遠の幸福の翼”である。苦難を乗り越えるたびに福運を積み、境涯を高めていける。今世において一生成仏すれば、三世永遠に「所願満足」の生命の“大空”を悠々と羽ばたいていくことができる。これが仏法の法理であり、生命のリズムなのである。(池田大作先生の指導選集〈上〉『幸福への指針』)

 ◇ ◇ ◇ 

 一字一句でも耳にした人は一人も残らず成仏に至る――これが法華経の偉大な力だ。

 妙法を聞いた人が、すぐに発心しなくても、決して落胆することはない。妙法を語れば、必ず仏縁は結ばれ、相手の生命の仏性は、既に揺り動かされているからだ。

 私たちが対話した分だけ、幸と希望のスクラムは大きく広がる。さあ、勇気凜々と行動を! 楽しく朗らかに!(聖教新聞2017・2・2付、「御書と歩む 池田先生が贈る指針」)

2022年2月1日

2022年

2月度座談会拝読御書

一生成仏抄

御書新版 317ページ12行目~17行目

御書全集 384ページ2行目~5行目

不退の信心貫き 幸福境涯を築く

 

 

拝 読 御 文

 

 『衆生というも仏というも、またかくのごとし。迷う時は衆生と名づけ、悟る時をば仏と名づけたり。たとえば、闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるがごとし。只今も、一念無明の迷心は磨かざる鏡なり。これを磨かば、必ず法性真如の明鏡みょうきょうと成るべし。

 深く信心をおこして、日夜朝暮にまたおこたらず磨くべし。いかようにしてか磨くべき。ただ南無妙法蓮華経と唱えたてまつるを、これをみがくとはいうなり。』

 

◆一念を転換する祈り◆

 

 いかなる迷いの生命も、苦悩に満ちた環境も、自らの一念の転換によって、希望の方向へ、幸福の方向へと必ず変えていくことができる――その根幹が、南無妙法蓮華経の「唱題行」です。

 拝読御文の直前で日蓮大聖人は、仏の住む国土である「浄土」といっても、苦悩が充満する「穢土えど」といっても、別々の国土があるわけではなく、そこに住む私たちの「心の善悪」によって、違いが現れると仰せです。同様に、「衆生(凡夫)」と「仏」も別々の存在ではなく、生命状態が、「迷い」であるか、「悟り」であるかの違いであると示されます。

 その例えとして、拝読御文では「鏡」を挙げられています。曇っている鏡でも、よくものを映す鏡でも、鏡であることには変わりません。「これを磨かば、必ず法性真如の明鏡と成るべし」と仰せのように、私たちは南無妙法蓮華経の唱題行を実践することで、無明に覆われた生命を磨き、本来具わっている悟りの生命を顕していくことができるのです。

 そもそも、法華経以前の爾前経では、九界の迷いの生命を断じ尽くさなければ、成仏はできないとされていました。一方、法華経では、万人に等しく仏性が具わっていることが説かれ、凡夫がその身のままで、今世において成仏できるという、一生成仏の法理が明かされています。

 成仏とは、自らの内に仏の生命を開くことです。

 唱題行の実践を貫く中に、絶対的な幸福境涯を築く道はあるのです。

 

◆たゆまず題目を◆

 

 本抄では、「唱題行」の姿勢として、「深く信心を発して」「日夜朝暮にまた懈らず」との二つの要点が示されています。すなわち、日蓮仏法においては、どこまでも“強盛な信心”を奮い起こすこと、そして“持続の信心”を貫くことが、成仏の何よりの肝要です。

 とはいえ、日頃から信心に励んでいたとしても、時に思いもよらない試練に直面して、“自分には無理だ”と諦めて無気力に陥ることや、“信心しているのに、なぜ?”と葛藤することもあるでしょう。

 大聖人は「月々日々につより給え。すこしもたゆむ心あらば、魔たよりをうべし」(新1620・全1190)と仰せです。広布も人生も、一日一日が、成仏を妨げようとする障魔との絶えざる戦いと言えます。

 大事なことは、困難の時こそ、勇気を出して御本尊の前に座り、真剣に題目を唱えることです。そうすることで、「試練は宿命転換の好機」との確信が深まり、不退の心で困難に立ち向かい、乗り越えていけます。そして必ず、幸福をつかんでいくことができるのです。

 池田先生は語っています。

 「題目は『前進』の力です。題目は『勝利』の力です。あらゆる戦いは、まず祈ることから始まります。題目を唱えぬいた人には、誰もかないません」

 栄光の人生を築く一切の原動力は、強盛な祈りである――。そう確信して、いかなる時も、たゆまず題目を唱えながら、日々、朗らかに前進していきましょう。

 

<池田先生の指針>

 

 日蓮大聖人の仏法の唱題行は、自身の生命変革をもたらす最高の仏道修行です。また、題目を唱えることは、自身の仏の生命を呼び覚ますことです。唱題こそが仏界涌現の直道です。

 涌現された仏の智慧と慈悲の生命は、自身の生命境涯を豊かにし、自他ともの幸福を実現していく。さらに、自行化他の唱題が広がっていけば、仏の慈悲の生命に彩られた民衆の連帯が可能になり、人類の宿命をも転換していけるのです。

◇ ◇ ◇

 「妙法」は、万人の苦悩を除く大良薬である。また、万人の幸福を実現する大宝蔵です。その妙法を根本に、そして妙法に徹して、生ききるのです。自身の生命を妙法に染め上げるのです。自身の生命を妙法で固めるのです。

 私たちの現実は、次から次へ悩みがある。しかし、自分が妙法蓮華経であると定めて、“いかなる苦難も乗り越えていける”“断じて幸福を勝ち取っていくことができる”との大確信で、すべてに向かって勇敢に挑戦していくことです。

 「我は妙法蓮華経なり」との深い信心を貫くならば、勇気をもって、いかなる課題にも挑戦していける。勇気を現していけるかどうか、そこに人生の勝利の鍵があります。(中略)

 どのような障魔が競い起こっても、一歩も退かない。驚かない。何事にも打ち勝っていけるのが、妙法蓮華経です。それを深く確信することが大事なのです。

(『池田大作全集』第34巻「『一生成仏抄』講義」)

世界広布新時代

創立100周年へ

青年・飛躍の年

(2022年)

2013.11.18

広宣流布大誓堂落慶

更新日

2022.10.2

第2118

 

日天月天ワンショット

日めくり人間革命URL