座談会御書

2022年5月1日

2022年

5月度座談会拝読御書

開目抄

御書新版 117ページ7行目~9行目

御書全集 234ページ7行目~9行目

仏性を呼び覚ます人間革命の劇を 

 

拝読御文

 

我ならびに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし。天の加護なきことを疑わざれ。現世の安穏ならざることをなげかざれ。我が弟子に朝夕教えしかども、疑いをおこして皆すてけん。つたなき者のならいは、約束せし事をまことの時はわするるなるべし。』

 

苦難は“生命鍛錬”の好機

 人生は、順風満帆な日ばかりではありません。宿命の嵐に遭った時には、“なぜ?”“自分にはどうすることもできない”と、疑いや諦めの心が生じることもあるかもしれません。

 我ならびに我が弟子……。厳しい現実を前に、心が折れそうになった時。困難の壁を前に、信心の前進を止めてしまいそうになった時。多くの学会員が、自身の心を奮い立たせるように拝してきたのが、この御文です。

 日蓮大聖人は、命に及ぶ大難を勝ち越え、末法の全民衆を救う妙法を弘められました。本抄には、諸天の加護を求めたり、難を避けたりするような生き方を突き抜けた、大聖人の、末法の御本仏としての大境涯がつづられています。

 法華経の経文に照らせば、末法に正法を実践する人には、必ず三障四魔が競い起こります。その障魔に打ち勝つからこそ、自身の生命が鍛えられ、宿命転換していくことができるのです。つまり、法華経の行者にとって、苦難とは“避けるべきもの”ではなく、“生命鍛錬”の好機となるのです。

 だからこそ、大聖人は門下に、いかなる難に遭ったとしても、妙法を信じ切っていくように呼び掛けられているのです。仏道修行を貫くならば、「自然に仏界にいたる」と仰せのように“誰でも”“必ず”仏の境涯を開くことができるとの御断言です。

 学会員一人一人が、この一節を身で読んできました。何があっても朗らかに人間革命のドラマをつづる姿は、初夏の太陽のようにまばゆく、自他の仏性を呼び覚まします。

 

常に誓いに立ち返る

 人生勝利の歩みを止めるのは、自分自身です。厳しい環境や、難しい境遇ではありません。自身の内に巣くう、不信や臆病の心によって人生を諦め、いつしか、自ら足を踏み出すことをやめてしまうのです。その根底には「元品の無明」があります。

 「元品の無明」は、生命に対する根本的な迷いのことです。さまざまな形で法華経の行者の修行を阻み、責め立てる「第六天の魔王」の働きとなって現れるため、簡単に打ち破ることはできません。

 御書には「元品の無明を対治する利剣は、信の一字なり」(新1047・全751)とつづられています。無明との戦いに打ち勝つには“信の利剣”が必要であるとの仰せです。

 私たちに即していえば“必ず成仏の境涯を開く”“絶対に幸福になってみせる”という、強き一念といえます。

 今回の拝読御書につづられている「約束せし事」とは、広布に挑む一念を合わせた“師弟共戦の誓い”と拝することができます。

 その師との誓いを忘れてしまった時、無明に生命を侵され「つたなき者」となってしまうのです。

 どんな人にも“無明の闇”は生じます。それを払うには、常に“師弟共戦の誓い”に立ち返り、広布への一念を、より深く強くしていくことです。その繰り返しが、自身に具わる仏界の生命を必ず輝かせていくのです。

 師と共に生きる喜びを胸に、同志と励まし合いながら、きょうも心新たに前進を開始していきましょう。

 

<池田先生の指針>

 

不退の信心を貫く

 

 「我並びに我が弟子」「自然に仏界にいたるべし」(全234・新117)と言われているように、大聖人の生命に本来的に具わる元初の仏の境涯は、私たち一人一人にも具わっているのです。

 しかし、衆生は、自身の生命を覆っている迷いや苦悩にとらわれている限り、奥底の仏の境涯に気づくことができないのです。

 そこで大聖人は、御自身のお姿、お振る舞いや御教示を通し、また、門下と対話するように手紙を書き続け、一人一人が御自身と同じ仏の境涯を開いていけるように激励を重ねてくださっています。

 それは、門下が師子王の心を取り出して、どこまでも不退の信心を貫いた時に、本来自身が持っていた仏と同じ智慧と勇気と慈悲の大境涯を現していけるということです。(2021年9月号「大白蓮華」〈世界を照らす太陽の仏法〉)

 ◇ ◇ ◇ 

 自分の仏性を信じ、人々の仏性をも信じて行動し抜いていく。

 このような精神革命の時代を築いていくこと自体が、実は、広宣流布にほかなりません。私たちは、その偉大なる人類の宿命転換に率先して戦っているのです。

 学会員は、自他共の幸福を目指して、広宣流布への「信心」を貫きます。大聖人が仰せのままの「信心の二字」「信の一字」です。(中略)

 学会員の「信」には、大いなる真理に生きる智慧、不幸を根絶しようと戦う勇気、そして、“万人が皆、仏なり”との確信に満ちた慈悲が備わっています。永遠の幸福境涯を開いていく「信」が確立されているのです。(『信仰の基本「信行学」』)

2022年4月3日

2022年

4月度座談会拝読御書

四菩薩造立抄

御書新版 1341ページ3行目~4行目

御書全集 989ページ11行目~12行目

諸天を動かす師弟不二の信心

 

 

拝 読 御 文

 

 総じて、日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は、日蓮がごとくにし候え。さだにも候わば、釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし。

 

 

求道の心を燃やす

 

 本抄を与えられた富木常忍は、日蓮大聖人が建長5年(1253年)に立宗宣言をされて間もないころに入信したとされています。その後、門下の中核として活躍し、大聖人から、「観心本尊抄」をはじめ、30編以上の御書を頂きました。

 本抄では、常忍が住む下総国(現在の千葉県北部などの地域)の門下の一部が、大聖人と異なる、自分勝手な教義を唱えていることを、厳しく戒められています。

 慢心を起こし、大聖人の教えに背く己義を弘めれば、人々を惑わすことになります。それでは、自身も他人も、共に「無間大城に堕つ」(新1341・全989)ことになってしまうと仰せです。

 だからこそ、拝読御文で大聖人は、「日蓮がごとくにし候え」と教えられています。長年にわたって師匠と共に広布に歩んで来た常忍に、あえて“師のごとく”と、信仰の根幹を教えられているのです。

 “師弟不二の信心に立ち返れ”――。信頼を寄せる常忍だからこそ、誰よりも師匠の教えを貫き、周囲の門下の模範となるよう教えられていると拝されます。

 私たちに即していえば、どれだけ広布に励んできたとしても、師匠を求める心を忘れてしまっては、正しい信仰は貫けません。また、“こういうことだろう”“もうこれくらいでいいだろう”という慢心があれば、信心が破られてしまいます。

 “師匠ならばどうされるか”と、常に求道心を燃やし続ける師弟不二の実践の中に、行き詰まることのない、人間革命の前進があるのです。

 

味方に変える祈り

 

 拝読御文の後半では、釈尊や多宝如来、十方の分身仏と並んで、諸天善神である十羅刹女までもが、日蓮門下を守るとつづられています。

 諸天善神とは、正法を受持する人とその国土を守護する、種々の働きのことです。

 十羅刹女は、法華経の陀羅尼品で、鬼子母神をはじめ、多くの鬼神たちと共に、法華経の行者を守護する誓いを立てています。ゆえに、真剣に広布に励む人は、必ず諸天に守護されます。

 それは、強盛な信心の一念に諸天善神が感応し、人々を守護する働きとなって現れるからです。大切なことは、自分自身が広宣流布に戦っているかどうかです。

 他の御書でも、「神の護ると申すも、人の心つよきによるとみえて候」(新1608・全1186)と仰せの通りです。

 そのことを、日蓮大聖人は命にも及ぶ数々の大難を勝ち越えることで、厳然と示されたのです。

 “我がごとく戦いゆけば、いかなる難に遭っても必ず諸天の加護がある”――。

 本抄からは、門下への慈愛あふれる、日蓮大聖人の御確信が拝されます。

 池田先生は記しています。

 「師弟共戦の友は、『至誠天に通ず』の如く、あらゆる諸天を動かし、たとえ悪鬼魔民たりとも味方に付ける祈りで、見事な勝利劇を飾ってきた

 いよいよ春本番。一切を味方に変える強盛な題目を唱え抜きながら、自他共の幸福の花を咲かせゆく、立正安国の対話に、心軽やかに打って出ましょう。

 

<池田先生の指針>

 

 大聖人がごとく大願に生き抜く

 

 「日蓮が如く」との仰せを違えず、創価の三代は「不惜身命」「死身弘法」の決心で、「三類の強敵」「三障四魔」との大闘争を勝ち越え、「悪口罵詈」「猶多怨嫉」の大難を乗り越えてきた。だからこそ、釈迦・多宝・十方の諸仏の守護も厳然と現れたのである。無量無辺の諸天善神も、じっとしてなどいられない、創価の師弟の如説修行の戦いであったのだ。(中略)

 この崇高なる師弟に、学会の世界的発展の原点がある。「師弟不二」であれば、打ち破れない「壁」などない。「師弟不二」に徹しぬいていけば、今の何倍も、学会は発展していくことができる。(2006年10月、創立記念日祝賀協議会でのスピーチ)

 ◇ ◇ ◇ 

 妙法弘通にあたって大聖人は、妙法を言葉や理論のみで“教えた”のではなく、妙法を確信し体現する御自身の姿、お振る舞いを通して“示された”のです。大聖人御自身の戦いの姿を離れて、仏法はありません。

 したがって私たちが仏法を会得するためには、「日蓮がごとく」という実践が重要となります。どこまでも、妙法をわが身に体現し、生き抜かれた師匠の姿を通し、今度は、師匠の戦いの通りに自ら戦い、自身に体していく以外にないのです。すなわち師弟の脈動の中にこそ、仏法の真実の継承があるのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第9巻)

 ◇ ◇ ◇ 

 「大聖人の如く、広宣流布の大願に生き抜く」――これが、五月三日を貫く我らの誓いである。(中略)

 信心の根本は、どこまでいっても「自行化他」の行動である。慈悲の心をもって、折伏精神に燃え、友のもとへと足を運び、仏縁を結ぶことが、最も時に適った仏道修行なのである。

 尊き同志が、生き生きと広宣流布のため、立正安国のため、東奔西走しゆくなかで、五月三日を祝賀してくださる。この姿こそ、戸田先生が何より喜んでおられるに違いない。(『随筆 希望の大道』)

 

2022年3月1日

2022年

3月度座談会拝読御書

妙一尼御前御消息

御書新版1696ページ1行目~3行目

御書全集1253ページ16行目~17行目

希望を胸に蘇生の活路開く

 

 

拝 読 御 文

 

 『法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかずみず、冬の秋とかえれることを。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となることを。経文には「もし法を聞くことあらば、一りとして成仏せざることなけん」ととかれて候。』

 

◆不屈の挑戦の人に◆

 

 『日蓮大聖人御書全集 新版』の「序」に、池田先生は「どんなに厳しい『生老病死』の苦に直面しても、御書に触れれば、『胸中の肉団』から元初の太陽が赫々と昇り、『冬は必ず春となる』との希望の指針のままに、『常楽我浄』へ蘇生の活路を開きゆけるのだ」と寄せています。

 草創以来、多くの学会員が「冬は必ず春となる」との一節を胸に刻み、“蘇生のドラマ”をつづってきました。

 本抄を与えられた妙一尼は、信仰ゆえの弾圧にも屈せず、夫と共に信心に励んでいました。そんな妙一尼に、悲しみが訪れます。夫は、大聖人が佐渡流罪から赦免されたのを知る前に、亡くなってしまったのです。

 頼みの夫に先立たれ、幼い病気の子らを抱え、生活も楽ではなかったと思われます。「生老病死」の苦に直面しても、妙一尼は、師への求道心を燃やして佐渡や身延へと従者を送り、純粋な信心を貫いていました。

 大聖人は、試練に立ち向かう妙一尼に、亡き夫の成仏は間違いないとの確信と希望の励ましを送られたのです。

 桜の花芽は夏に形成され、秋に休眠します。この花芽は、冬の寒さに鍛えられるように低温が刺激となって目覚め、成長が促されるといいます。

 苦難の底にいる時は、先の見えない苦しさを感じるかもしれません。しかし、桜の花芽が厳寒の季節に成長を開始するように、人生の冬の時にこそ、信仰を深め、生命を強く鍛え上げることができます。

 不屈の挑戦の人に“人間革命の春”が訪れるのです。

 

◆全ての友に仏縁を◆

 

 拝読御文にある「もし法を聞くことあらば、一りとして成仏せざることなけん」とは、法華経方便品第2の文です。この文は、本抄だけでなく、他にもいくつかの御書で、門下への励ましとして記されています。

 “もし法を聞くことがあれば、一人として成仏しない人はいない”との一節からは、法華経の功力の偉大さとともに、“一切衆生を必ず成仏させる”との、仏の熱願が伝わってきます。

 大聖人は、この仏の大願を実現するため、末法の全民衆を救いゆく、「南無妙法蓮華経」の題目を確立されました。その大慈悲の御精神で、時の権力者にも、真正面から仏法を説き、あらゆる大難を悠然と見下ろされながら、万人の成仏を開きゆく偉大な御生涯を歩まれたのです。

 この大聖人の御精神に連なり、人々に等しく具わる仏性を呼び覚ましていくのが、広宣流布の実践です。

 私たちは、日々の生活の中で、多くの人と出会います。その全ての人に幸福の種を植える対話に挑んできたからこそ、創価の連帯は世界中に広がったのです。

 池田先生は「ともすれば一度ぐらい話をしただけで、“あの人はだめだ”“この人は無理だ”と思い込んでしまう。でも、人の心は刻々と変わる。いや、執念の対話で、断じて変えていくんです」とつづっています。

 一人も残らず成仏を開くことができる――真心は必ず伝わります。心軽やかに、関わる全ての人に仏縁を広げていきましょう。

 

<池田先生の指針>

 

 “冬”は、すばらしい“春”のための充電と鍛えの時である。その時にこそ、永遠に崩れぬ「成仏」へのエネルギーは蓄えられ、宇宙大の広がりを秘めた生命活動の力が培われていく。

 しかも、そのエネルギーは、難にあえばあうほど大きさを増す。そして、正しき法にのっとった人は、だれもが必ず“春の時”を迎えることができる。

 しかし逆に、“冬”のたいへんな時に、信心の向上のための世界から逃げたり、疑ったりして、十分に力と福運を蓄えておかなければ、すべてが中途半端となってしまう。ましてや「満足」の人生を、送ることはできない。

 “冬”の間にこそ、どう戦い、どれほど充実した時を過ごすか。必ず来る“春”を確信し、どう深く生きるかである。時いたれば、自然界には花咲く春が間違いなく訪れる。それが生命と宇宙のリズムである。(中略)

 正しき信仰とは“永遠の幸福の翼”である。苦難を乗り越えるたびに福運を積み、境涯を高めていける。今世において一生成仏すれば、三世永遠に「所願満足」の生命の“大空”を悠々と羽ばたいていくことができる。これが仏法の法理であり、生命のリズムなのである。(池田大作先生の指導選集〈上〉『幸福への指針』)

 ◇ ◇ ◇ 

 一字一句でも耳にした人は一人も残らず成仏に至る――これが法華経の偉大な力だ。

 妙法を聞いた人が、すぐに発心しなくても、決して落胆することはない。妙法を語れば、必ず仏縁は結ばれ、相手の生命の仏性は、既に揺り動かされているからだ。

 私たちが対話した分だけ、幸と希望のスクラムは大きく広がる。さあ、勇気凜々と行動を! 楽しく朗らかに!(聖教新聞2017・2・2付、「御書と歩む 池田先生が贈る指針」)

2022年2月1日

2022年

2月度座談会拝読御書

一生成仏抄

御書新版 317ページ12行目~17行目

御書全集 384ページ2行目~5行目

不退の信心貫き 幸福境涯を築く

 

 

拝 読 御 文

 

 『衆生というも仏というも、またかくのごとし。迷う時は衆生と名づけ、悟る時をば仏と名づけたり。たとえば、闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるがごとし。只今も、一念無明の迷心は磨かざる鏡なり。これを磨かば、必ず法性真如の明鏡みょうきょうと成るべし。

 深く信心をおこして、日夜朝暮にまたおこたらず磨くべし。いかようにしてか磨くべき。ただ南無妙法蓮華経と唱えたてまつるを、これをみがくとはいうなり。』

 

◆一念を転換する祈り◆

 

 いかなる迷いの生命も、苦悩に満ちた環境も、自らの一念の転換によって、希望の方向へ、幸福の方向へと必ず変えていくことができる――その根幹が、南無妙法蓮華経の「唱題行」です。

 拝読御文の直前で日蓮大聖人は、仏の住む国土である「浄土」といっても、苦悩が充満する「穢土えど」といっても、別々の国土があるわけではなく、そこに住む私たちの「心の善悪」によって、違いが現れると仰せです。同様に、「衆生(凡夫)」と「仏」も別々の存在ではなく、生命状態が、「迷い」であるか、「悟り」であるかの違いであると示されます。

 その例えとして、拝読御文では「鏡」を挙げられています。曇っている鏡でも、よくものを映す鏡でも、鏡であることには変わりません。「これを磨かば、必ず法性真如の明鏡と成るべし」と仰せのように、私たちは南無妙法蓮華経の唱題行を実践することで、無明に覆われた生命を磨き、本来具わっている悟りの生命を顕していくことができるのです。

 そもそも、法華経以前の爾前経では、九界の迷いの生命を断じ尽くさなければ、成仏はできないとされていました。一方、法華経では、万人に等しく仏性が具わっていることが説かれ、凡夫がその身のままで、今世において成仏できるという、一生成仏の法理が明かされています。

 成仏とは、自らの内に仏の生命を開くことです。

 唱題行の実践を貫く中に、絶対的な幸福境涯を築く道はあるのです。

 

◆たゆまず題目を◆

 

 本抄では、「唱題行」の姿勢として、「深く信心を発して」「日夜朝暮にまた懈らず」との二つの要点が示されています。すなわち、日蓮仏法においては、どこまでも“強盛な信心”を奮い起こすこと、そして“持続の信心”を貫くことが、成仏の何よりの肝要です。

 とはいえ、日頃から信心に励んでいたとしても、時に思いもよらない試練に直面して、“自分には無理だ”と諦めて無気力に陥ることや、“信心しているのに、なぜ?”と葛藤することもあるでしょう。

 大聖人は「月々日々につより給え。すこしもたゆむ心あらば、魔たよりをうべし」(新1620・全1190)と仰せです。広布も人生も、一日一日が、成仏を妨げようとする障魔との絶えざる戦いと言えます。

 大事なことは、困難の時こそ、勇気を出して御本尊の前に座り、真剣に題目を唱えることです。そうすることで、「試練は宿命転換の好機」との確信が深まり、不退の心で困難に立ち向かい、乗り越えていけます。そして必ず、幸福をつかんでいくことができるのです。

 池田先生は語っています。

 「題目は『前進』の力です。題目は『勝利』の力です。あらゆる戦いは、まず祈ることから始まります。題目を唱えぬいた人には、誰もかないません」

 栄光の人生を築く一切の原動力は、強盛な祈りである――。そう確信して、いかなる時も、たゆまず題目を唱えながら、日々、朗らかに前進していきましょう。

 

<池田先生の指針>

 

 日蓮大聖人の仏法の唱題行は、自身の生命変革をもたらす最高の仏道修行です。また、題目を唱えることは、自身の仏の生命を呼び覚ますことです。唱題こそが仏界涌現の直道です。

 涌現された仏の智慧と慈悲の生命は、自身の生命境涯を豊かにし、自他ともの幸福を実現していく。さらに、自行化他の唱題が広がっていけば、仏の慈悲の生命に彩られた民衆の連帯が可能になり、人類の宿命をも転換していけるのです。

◇ ◇ ◇

 「妙法」は、万人の苦悩を除く大良薬である。また、万人の幸福を実現する大宝蔵です。その妙法を根本に、そして妙法に徹して、生ききるのです。自身の生命を妙法に染め上げるのです。自身の生命を妙法で固めるのです。

 私たちの現実は、次から次へ悩みがある。しかし、自分が妙法蓮華経であると定めて、“いかなる苦難も乗り越えていける”“断じて幸福を勝ち取っていくことができる”との大確信で、すべてに向かって勇敢に挑戦していくことです。

 「我は妙法蓮華経なり」との深い信心を貫くならば、勇気をもって、いかなる課題にも挑戦していける。勇気を現していけるかどうか、そこに人生の勝利の鍵があります。(中略)

 どのような障魔が競い起こっても、一歩も退かない。驚かない。何事にも打ち勝っていけるのが、妙法蓮華経です。それを深く確信することが大事なのです。

(『池田大作全集』第34巻「『一生成仏抄』講義」)

世界広布新時代

創立100周年へ

青年・飛躍の年

(2022年)

2013.11.18

広宣流布大誓堂落慶

更新日

2022.5.26

第2009

 

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