新・人間革命に学ぶ

2018年9月15日

第1524回

我らの「人間革命」の挑戦に

終わりはない

 

余韻にひたらず、常に新たな前進を!

 

 今月八日、小説『新・人間革命』の新聞連載が、全三十巻をもって、完結の時を迎えた。
 沖縄での前作の起稿からは、五十四年に及ぶ執筆となる。
 「命の限り」と覚悟しての挑戦であったが、全同志の真心に包まれ「更賜寿命」の大功徳で、牧口常三郎先生、戸田先生にお誓いした世界広布の大前進の中、連載の区切りをつけることができた。
 弟子として感慨は無量であり、感謝は言葉に尽くすことができない。
 あの地震直後の北海道では、婦人部をはじめ、同志の祈りと関係者のご尽力で、最終回の載った八日付紙面が印刷・配布されたと伺った。
 あらためて、陰に陽に支え続けてくださった、日本中、世界中の全ての皆様に心から御礼を申し上げたい。
 ありがたくも、「連載が終わって寂しい」との声も多く頂いている。
 しかし、師弟して歩む我らの「人間革命」の挑戦に終わりはない。
 私は、可憐な鼓笛隊の演奏会で目に留めた光景を思い出す。それは、舞台の奥で真剣に打楽器を叩く乙女が、演奏の際、楽器にパッと手を添え、余韻が残らないように工夫していた姿である。
 「余韻にひたらず、常に新たな前進を!」――日蓮仏法の真髄は「本因妙」だ。一つの「終幕」は、新たな戦いの「開幕」なのである。
 まさに「月月・日日につよ(強)り給へ・すこしもたゆ(撓)む心あらば魔たよりをうべし」(御書一一九〇ページ)である。
 二十五年前、『新・人間革命』の執筆を始めた直後の九月、私はアメリカの名門ハーバード大学で、「二十一世紀文明と大乗仏教」と題して講演を行った。
 そこで訴えた一点は、宗教をもつことが人間を
 「強くするのか弱くするのか」
 「善くするのか悪くするのか」
 「賢くするのか愚かにするのか」――
 この指標である。
 変化の激流の中を生きることを運命づけられた人間が、より強く、より善く、より賢くなる――どこまでも成長していく原動力となってこそ、「人間のための宗教」なのである。そして、これこそが、我らの「人間革命の宗教」なのである。
 この点、アメリカのデューイ協会元会長のガリソン博士も信頼の声を寄せてくださった。
 “「人間革命」とは一人ひとりが、かけがえのない可能性を現実の中に開発し、社会全体に貢献していくのである。
 ゆえに「人間革命」の理念を掲げるSGIは、「どこまでも成長する宗教」である”と。

 

誓願の旅は続く

 

 『新・人間革命』に託した私の真情は、「戸田大学」で恩師から一対一の薫陶を受けたように、日本中、世界中の青年たちと、この書を通して命と命の対話を交わしたいということであった。
 嬉しいことに、その願いの通り、今、いずこの地でも地涌の若人が「人間革命」の精神を学び、「山本伸一」の心を体して、人生と広布に、栄光の実証を威風堂々と勝ち示してくれている。
 小説『人間革命』は、恩師が戦禍の暗闇を破って一人立つ、「黎明」の章で始まり、不二の弟子に受け継がれる「新・黎明」の章で終わった。
 『新・人間革命』は、「旭日」の章で始まった。旭日が昇るように、創価の師弟は世界広布へ飛翔を開始したのだ。
 恩師の分身として、仏法の慈光を世界へ届けるため、私は走った。
 人間の中へ、民衆の中へ飛び込み、対話の渦を巻き起こしていった。そして、最後の章は、「誓願」として結んだ。
 御書には、「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(一五六一ページ)、「大願とは法華弘通なり」(七三六ページ)と仰せである。
 師と同じ大法弘通の大願に立てば、力は無限に湧き出すことができる。それが、誇り高き地涌の菩薩の底力だ。
 師弟の誓願の太陽は、母なる地球を照らし、未来永遠を照らす光源として、今、いやまして赫々と輝き始めたのである。
 あの国にも、この天地にも、友がいる。民衆が待っている。
 さあ、人類が待望してやまぬ「世界広布」即「世界平和」へ、新たな決意で、新たな出発だ。
 我は進む。君も進め。
 我は戦う。君も戦え。
 我は勝つ。君も勝て。
 我らは、共々に「人間革命」の大光を放ちながら、新鮮なる創価の師弟の大叙事詩を綴りゆくのだ! 君と我との誓願の旅を、永遠に! 

 

随筆 永遠なれ創価の大城 34「人間革命」の大光   2018年9月15日

小説「新・人間革命」研さんに当たって

   2018年10月3日

池田博正主任副会長


「山本伸一」の精神を胸に

 

 池田大作先生の小説『新・人間革命』の連載が9月8日、完結を迎えた。現在、各地では『新・人間革命』の研さん運動が活発に行われている。新連載「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」では、各巻を学ぶ上で、参考となる解説や資料を掲載していく。今回は「小説『新・人間革命』研さんに当たって」と題し、池田主任副会長へのインタビューを紹介する。(インタビューの内容は、創価新報の2017年2月1日付と3月1日付で掲載された記事に加筆し、再構成したものです)
 池田先生が『新・人間革命』の執筆を開始されたのは65歳の時です。一般的には、“定年”という人生の一区切りの年齢でもあります。その時点で、先生は全30巻での完結という壮大な目標を目指し、新たな挑戦を宣言されました。
 『新・人間革命』の「はじめに」には、小説の執筆は「限りある命の時間との、壮絶な闘争となる」と記されています。連載を待ってくれている読者、後継の弟子たちに、何を伝え残していくか。そこに、先生の人生を懸けた戦いがあるのだと感じてなりませんでした。
 1993年(平成5年)8月6日の執筆開始から25年。『新・人間革命』の連載が、9月8日に完結を迎えました。振り返れば、『人間革命』の執筆が開始されたのは、1964年(昭和39年)12月2日です。
 『新・人間革命』第10巻「言論城」の章には、「移動の車中などで、小説の資料となる文献を読み、構想を練り、早朝や深夜に、原稿用紙に向かう日が続いた」とつづられています。
 54年にわたる『人間革命』『新・人間革命』の執筆は、海外訪問などの激務の中でも続けられた、寸暇を惜しんでの「闘争」でした。その激闘に、感謝してもしきれません。

「新」の一字の意義

 

 池田先生が『新・人間革命』の執筆を開始されたのは、軽井沢の長野研修道場です。かつて私が研修道場を訪れた折、先生が記された「全三十冊の予定なり」との直筆原稿が展示されていました。
 戸田先生は逝去の8カ月前、軽井沢の地で池田先生に語りました。「牧口先生のことは書けても、自分のことを一から十まで書き表すことなど、恥ずかしさが先に立って、できないということだよ」と。この時、池田先生は、恩師の真実を残すために、“続編”の執筆を固く決意されています。
 池田先生の『人間革命』は戸田先生の出獄の場面から始まり、戸田先生が逝去された後、山本伸一が創価学会の会長に就任する場面で終わります。
 一方、『新・人間革命』の冒頭は、伸一の会長就任から5カ月後、海外初訪問のシーンから始まっています。
 これは、『新・人間革命』が、単に歴史的事実を追うものでなく、「世界広布」を主題としているからではないでしょうか。戸田先生から託された広宣流布の壮大な構想を、弟子がいかに実現していくか。いかに新たな時代に、人間革命の哲学と実践を展開していくか。そこに「新」という一字の意義があると言えるでしょう。
 『人間革命』『新・人間革命』には、「一人の偉大な人間革命」が、多くの人々の地涌の生命を呼び覚ますという、人間に対する限りない信頼と尊敬の思想が底流にあります。
 『新・人間革命』では、宿命転換を通して人間革命を実現している体験が数多く登場します。この人間革命のドラマの急所が、「誓願」と「願兼於業」の法理です。
 「願兼於業」について、池田先生は「仏法における宿命転換論の結論です。端的に言えば、『宿命を使命に変える』生き方です。人生に起きたことには必ず意味がある。また、意味を見いだし、見つけていく。それが仏法者の生き方です」と述べられています。
 今、自分が苦難を受けているのは、人を救う「菩薩の誓願」である――そうした学会員の力強い生き方が描かれているのが、『新・人間革命』です。

 

思いと行動の追体験

 

 池田先生は『新・人間革命』の「はじめに」で、「私の足跡を記せる人はいても、私の心までは描けない。私でなければわからない真実の学会の歴史がある」と書かれています。小説は、人の心を描くには、一番適した形であると思います。
 小説だからこそ、読者は、主人公の人生を追体験することができます。「山本伸一」は、あくまで仮名です。もちろん池田先生の生涯そのものですが、弟子の戦いが凝縮されたモデルとも言えます。
 つまり、「山本伸一」の人生、心の奥底を追体験し、先生の思いに自分の思いを重ね合わせながら、共戦の道を歩むことができる。誰もが「山本伸一」として生きる可能性を持っているのです。
 大発展するインド創価学会のメンバーの合言葉は、「アイ アム シンイチ・ヤマモト(私は山本伸一だ)」です。先生の『新・人間革命』を読み、インド広布に一人立った伸一の思いと行動を追体験しながら、“今こそ、自分が山本伸一の精神で戦おう”と立ち上がっています。
 2010年(平成22年)以降、先生が直接、会合に出席されないようになったことで、『新・人間革命』の意義は一層、大きくなりました。先生は小説で、創価学会の精神の正史と、自身の心境をつづられながら、力強いメッセージを発信されてきたのです。
 時代が進めば、小説で描かれている当時を知る人は減っていきます。もちろん、その証言は貴重ですが、『新・人間革命』によって、折々の広布史や学会精神が世代から世代へと、“先生の思いと共に”永続的に伝わっていく。ここが、より重要な点です。
 言い換えれば、『新・人間革命』は、後世の学会員の依処となる“文証”とも言えるでしょう。だからこそ、私たちが今、しっかりと学んでいくことが大切です。それが、「学会の永遠性」の確立につながっていくのだと確信します。

 

連載の時期を確認

 

 『新・人間革命』全30巻を、いきなり通して読むのは大変でしょう。その努力をしていくことは大切ですが、まずは、どの巻でも、どの場面でもいいので、自分が身近に感じるシーンや、現在、住んでいる地域・故郷などが描かれている部分を深く読み込んでいくことです。
 例えば海外への足跡は、誰も知らないその国の“広布の第一歩”が記されています。日本国内でも、草創期の友の奮闘を通して、先生にしか書くことができない“原点”がとどめられています。その史実を学びながら、前後の背景を読み進めていくとよいでしょう。
 また、連載された時期を確認することも大事です。なぜなら、先生は“執筆時”の真情をも記されているからです。
 2011年9月1日から連載された「福光」の章は、同年3月11日の東日本大震災で被災した東北を中心に描かれています。先生は苦難に向き合う友へ光を当て、全精魂を込めて励ましを送り続けられました。その一文一文が、どれほど希望となったことでしょうか。
 先月の11日から3日間にわたって掲載された「小説『新・人間革命』完結 記念特集」には、全30巻の「主な内容」が載っています。こうした記事を参考に、『新・人間革命』を開くのもいいでしょう。

 

わが誓願を果たそう

 

 『新・人間革命』第1巻の「あとがき」に、こうつづられています。
 「師の偉大な『構想』も、弟子が『実現』していかなければ、すべては幻となってしまう。師の示した『原理』は『応用』『展開』されてこそ価値をもつ
 これからの時代は、『新・人間革命』を、弟子の立場でどう深め、実践していくかが鍵となります。いかに自分たちの血肉とし、後世に正しく伝えていくか。その意味で青年部の皆さんは、使命ある“新・人間革命世代”と言えるでしょう。
 8月22日付の「随筆 永遠なれ創価の大城」〈「誓願」の共戦譜〉で、先生は次のように述べられています。
 「広宣流布という民衆勝利の大叙事詩たる『人間革命』『新・人間革命』は、わが全宝友と分かち合う黄金の日記文書なり、との思いで、私は綴ってきた。ゆえにそれは、連載の完結をもって終わるものでは決してない」
 未来永遠に広布の「誓願」を貫き、自他共の生命を栄え光らせていく。師が託したこの思いに応えていく「使命」が、私たちにはあります。
 一人一人が日々、『新・人間革命』の研さんを重ねながら、わが広布の「誓願」を果たし抜いていきましょう。

 

最終章を脱稿した長野研修道場で

 

 1993年8月6日、池田先生が長野研修道場で執筆を開始した小説『新・人間革命』。起稿25周年の今年8月6日、同じ長野研修道場で、先生は最後の章を脱稿した。
 広島原爆忌のこの日、先生は平和への祈りを捧げ、香峯子夫人と共に、研修の役員と出会いを刻んだ。
 師は見守り続けている。
 弟子の成長を――。
 弟子の勝利を――。
 「随筆 永遠なれ創価の大城」〈「人間革命」の大光〉に、先生は記した。
 「我らは、共々に『人間革命』の大光を放ちながら、新鮮なる創価の師弟の大叙事詩を綴りゆくのだ!」
 さあ、きょうも新たな出発だ。師弟の誓願を貫き、“わが黄金の日記文書”を朗らかにつづろう。

2018年10月3日付 聖教新聞 3面

第1巻

物語の場面 1960年10月2日~25日【挿絵】内田健一郎

基礎資料編   2018年10月10日

「旭日」の章

 第3代会長就任からわずか5カ月後の1960年10月2日、山本伸一は、「君の本当の舞台は世界だよ」との恩師・戸田城聖の言葉を胸に、初の海外歴訪へ出発。その記念すべき第一歩を、ハワイにしるした。
 しかし、連絡の手違いから、ホノルルの空港には、通訳と案内をするメンバーの姿はなく、一人の青年があいさつに来ていただけだった。
 明くる日、一行は国立太平洋記念墓地とパール・ハーバー(真珠湾)を訪れる。伸一は、「太平洋戦争の開戦の島であり、人種の坩堝ともいうべきハワイこそ、世界に先駆けて、人類の平和の縮図の地としなければならない」と深く決意する。
 出席した座談会では、言語や習慣の異なる異国での生活に苦悩する日系人メンバーを温かく励まし、勇気づけていく。また、海外初の「地区」を結成。座談会を終えた後も、宿泊しているホテルで、地区部長となった壮年に渾身の励ましを送り、ハワイ広布への大きな布石を打つ。
 ハワイの滞在は、わずか三十数時間であった。だが、メンバー一人一人への激励を重ね、世界広布の第一ページを開いた。

「新世界」の章

 平和旅の第2の訪問地サンフランシスコは、日本と連合国との講和条約と日米安全保障条約の調印の地である。伸一は、対立する東西両陣営と新安保条約を巡って紛糾した日本の状況に思いをはせる。
 サンフランシスコでも地区を結成した伸一は、ネバダ州から来ていた夫妻と語り合い、ネバダにも地区を結成することを発表。アメリカ人の夫を地区部長に任命した。日系人以外の初の地区部長の誕生だった。
 また、座談会で伸一は、アメリカ広布を担っていくために、「アメリカの市民権を取得し、良き市民に」「自動車の運転免許を取ること」「英語のマスター」という三つの指針を提案。それは、アメリカの同志の誓いの3指針となっていく。
 さらに彼は、ミューア・ウッズ国定公園に向かう道中、ゴールデン・ゲート・ブリッジ(金門橋)の構造を通して、同行していた新任のリーダーに、異体同心の団結の重要性を訴える。
 公園からの帰途、コロンブス像の前で代表のメンバーと記念撮影するとともに、広布の新世界開拓の誓いを固くする。

「錦秋」の章

 舞台はシアトル、シカゴ、そして、紅葉のカナダ・トロントへ。
 シアトルのホテルに、大型のテープレコーダーを抱えた婦人が息を切らせて訪ねてくる。自分の地域のメンバーに伸一の指導を聞かせたいという熱意からの行動だった。伸一は体調を崩しながらも、出会った一人一人に励ましを送る。
 シカゴの空港では、学会歌「威風堂々の歌」の合唱の出迎えを受ける。伸一は同行の幹部たちにアメリカ総支部の構想、インド、ヨーロッパ訪問の計画を語る。
 リンカーン・パークで遊びの輪に入れてもらえない“黒人”の少年を目にした伸一は、人種差別の現実に心を痛め、万人の尊厳と平等を説く仏法流布の意義をかみ締める。一方、座談会には、さまざまな人種の人たちが和気あいあいと集い合っていた。
 続いて、カナダのトロントへ。在住する会員はいないと一行は聞いていたが、空港に到着すると、一人の婦人が待っていた。彼女は、日本で入会していた母から、迎えに行くよう言われていた。誠実で思いやりにあふれる伸一の振る舞いに接し、後に彼女は信心を始める。

「慈光」の章

 次の訪問地は、アメリカ最大の都市ニューヨーク。一行は国連本部を訪れる。伸一は、独立間もないアフリカ諸国代表の生き生きとした姿に触れ、「二十一世紀は、必ずアフリカの世紀になるよ。その若木の生長を、世界はあらゆる面から支援していくべきだ」と訴える。
 彼は、ニューヨークでも、苦悩に沈む友に、「一番、不幸に泣いた人こそ、最も幸福になる権利があります」と烈々たる気迫で指導。また、首都ワシントンでの座談会では、メンバーの質問に答えながら、仏法のヒューマニズムの精神に言及する。
 さらに、ニューヨーク・タイムズ社の見学に行く秋月英介に、聖教新聞を「世界一流の新聞に」と語り、恩師・戸田城聖の「日本中、世界中の人に読ませたい」との言葉を伝える。そして、聖教は“人間の機関紙”であり、「『世界の良心』『世界の良識』といわれるような新聞にしなくてはならない」との思いを述べ、未来への展望を披歴する。
 一方で、伸一の体調は悪化していく。ブラジル行きの中止を懇請する副理事長の十条潔に、戸田の弟子として断じて行くとの覚悟を語る。

「開拓者」の章

 ニューヨークからサンパウロへの移動の折、伸一は機内で十条に対し、ブラジルに支部を結成する構想を述べる。最悪な体調にもかかわらず、激しく揺れる機内でブラジル広布に思いを巡らしていた、伸一の世界広布への強き一念に、十条は驚く。
 サンパウロの空港に到着したのは、午前1時半過ぎであった。出迎えに来ていた友の半数以上が、日本から移住し、農業に従事していた男性だった。伸一はメンバーの真心に感謝し、ブラジル広布の夜明けを開くことを誓う。
 次の日、現地の視察に出かけ、夕刻には勤行会を開催。その後も、ホテルで深夜まで支部結成の打ち合わせを行い、寝る時間も惜しんで日本の同志に激励の手紙を書く。
 座談会では、日系移住者の過酷な生活状況が語られる。伸一は、広布誓願の祈り、「努力」と「工夫」の大切さを強調。支部結成が発表されると、友の歓喜と決意は最高潮を迎える。
 その後、一行はロサンゼルスに入り、ここでも支部を結成。彼は、24日間の平和旅で、3カ国9都市を巡り、2支部17地区を結成。10月25日夜、帰国する。

2018年10月10日付 聖教新聞 3面

名場面編   2018年10月17日

皆の幸せのために

 

 ヒロト・ヒラタは、瞳を輝かせ、真剣に耳を傾けていた。伸一は、確かな手応えを感じながら、幹部としての信心の姿勢を話していった。 
 海には、丸い月がほの白い影を映し、浜辺には、波の音が静かに響いていた。
 「これからの人生は、地区部長として、私とともに、みんなの幸せのために生きてください。
 社会の人は、自分や家族の幸せを考えて生きるだけで精いっぱいです。そのなかで、自ら多くの悩みを抱えながら、友のため、法のため、広布のために生きることは、確かに大変なことといえます。
 しかし、実は、みんなのために悩み、祈り、戦っていること自体が、既に自分の境涯を乗り越え、偉大なる人間革命の突破口を開いている証拠なんです。
 また、組織というのは、中心者の一念で、どのようにも変わっていきます。常にみんなのために戦うリーダーには、人は付いてきます。しかし、目的が自分の名聞名利であれば、いつか人びとはその本質を見抜き、付いてこなくなります」
 ヒラタには、乾いた砂が水を吸い込むような、純粋な求道の息吹があった。伸一は、彼の手を握りながら言った。
 「あなたを地区部長に任命したのは私です。あなたが敗れれば、私が敗れたことです。責任は、すべて私が取ります。力の限り、存分に戦ってください」
 「はい! 戦います!」
 ヒラタは伸一の手を固く握り返した。月明かりのなかで二人の目と目が光った。

(「旭日」の章、76~77ページ)

異体同心の団結で

 

 市街を抜け、サンフランシスコ湾を右手に見ながら進んでいくと、行く手にゴールデン・ゲート・ブリッジ(金門橋)の赤い鉄柱が見えた。それは、近づくにつれて、頭上にのしかかってくるかのようにそびえ立っていた。 
 一行は、橋の近くの広場で車を降り、休憩することにした。
 広場には、橋を吊り上げているケーブルの一部が展示されていた。その直径は九十二・四センチメートルで、二万七千五百七十二本のワイヤを束ねて作ったものだという。
 一行は、展示されたケーブルを、取り囲むようにして立った。
 「ケーブルは太いけれど、中の一本一本のワイヤは意外に細いものなのね。これで、よくあの橋を吊り上げることができるわね」
 清原かつが、驚きの声をあげた。
 伸一は清原の言葉に頷きながら、前日、地区部長と地区担当員に任命になったユキコ・ギルモアとチヨコ・テーラーに向かって語り始めた。
 「確かに、一本一本は決して太いものではない。しかし、それが、束ねられると、大変に大きな力を発揮する。これは異体同心の団結の姿だよ。
 学会も、一人ひとりは小さな力であっても、力を合わせ、結束していけば、考えられないような大きな力を出せる。団結は力なんだ。これからは、あなたたちが中心になって、みんなで力を合わせ、サンフランシスコの人びとの幸せと広布を支えていくことです」
 「はい!」
 二人が同時に答えた。彼女たちは、自分たちが途方もなく大きな、崇高な使命を担っていることを強く感じ、身の引き締まる思いがした。


 (「新世界」の章、134~135ページ)

会長就任「五月三日」の夜

 

 伸一は、第三代会長として、一閻浮提広布への旅立ちをした、この年(一九六〇年=編集部注)の五月三日の夜、妻の峯子と語り合ったことを思い出した。 
 ――その日、夜更けて自宅に帰ると、峯子は食事のしたくをして待っていた。普段と変わらぬ質素な食卓であった。
 「今日は、会長就任のお祝いのお赤飯かと思ったら、いつもと同じだね」
 伸一が言うと、峯子は笑みを浮かべながらも、キッパリとした口調で語った。
 「今日から、わが家には主人はいなくなったと思っています。今日は山本家のお葬式ですから、お赤飯は炊いておりません」
 「確かにそうだね……」
 伸一も微笑んだ。妻の健気な言葉を聞き、彼は一瞬、不憫に思ったが、その気概が嬉しかった。それが、どれほど彼を勇気づけたか計り知れない。
 これからは子どもたちと遊んでやることも、一家の団欒も、ほとんどないにちがいない。妻にとっては、たまらなく寂しいことであるはずだ。だが、峯子は、決然として、広宣流布に生涯を捧げた会長・山本伸一の妻としての決意を披瀝して見せたのである。
 伸一は、人並みの幸福など欲しなかった。ある意味で広布の犠牲となることを喜んで選んだのである。今、妻もまた、同じ思いでいることを知って、ありがたかった。

(「錦秋」の章、156~158ページ)

師弟貫く不屈の闘魂

 

 伸一は、背広のポケットにしまった恩師・戸田城聖の写真を取り出すと、ベッドで体を休めながら、その写真をじっと見つめた。 
 彼の頭には、戸田の逝去の五カ月前の十一月十九日のことが、まざまざと蘇った。それは恩師が病に倒れる前日であった。伸一はその日、広島に赴こうとする戸田を、叱責を覚悟で止めようとした。
 恩師の衰弱は極限に達して、体はめっきりとやつれていた。更に無理を重ねれば、命にかかわることは明らかだった。
 学会本部の応接室のソファに横になっている戸田に向かい、彼は床に座って頭を下げた。
 「先生、広島行きは、この際、中止なさってください。お願いいたします。どうか、しばらくの間、ご休養なさってください」
 彼は、必死で懇願した。しかし、戸田は毅然として言った。
 「そんなことができるものか。……そうじゃないか。仏のお使いとして、一度、決めたことがやめられるか。俺は、死んでも行くぞ。
 伸一、それがまことの信心ではないか。何を勘違いしているのだ!」
 その烈々たる師の声は、今も彼の耳に響いていた。
 “あの叫びこそ、戸田先生が身をもって私に教えてくれた、広宣流布の大指導者の生き方であった”
 ブラジルは、日本とはちょうど地球の反対にあり、最も遠く離れた国である。そこで、多くの同志が待っていることを考えると、伸一は、なんとしても行かねばならないと思った。そして、皆を励まし、命ある限り戦おうと心を定めた。胸中には、戸田の弟子としての闘魂が燃え盛っていた。


 (「慈光」の章、265~266ページ)

肉体が限界を超えても

 

 打ち合わせが終わったのは深夜だった。伸一の肉体の疲れは既に限界を超え、目まいさえ覚えた。
 しかし、バッグから便箋を取り出すと、机に向かい、ペンを走らせた。日本の同志への激励の便りであった。手紙は何通にも及んだ。
 彼は憔悴の極みにあったが、心には、恩師・戸田城聖に代わってブラジルの大地を踏み、広布の開拓のクワを振るう喜びが脈動していた。その歓喜と闘魂が、広宣流布を呼びかける、熱情の叫びとなってあふれ、ペンは便箋の上を走った。
 ある支部長には、こうつづっている。
 「今、私の心は、わが身を捨てても、戸田先生の遺志を受け継ぎ、広布の総仕上げをなそうとの思いでいっぱいです。そのために大事なのは人です、大人材です。どうか、大兄も、私とともに、最後まで勇敢に、使命の道を歩まれんことを切望いたします。
 そして、なにとぞ、私に代わって支部の全同志を心から愛し、幸福に導きゆかれんことを願うものです」
 日本の同志は、この時、伸一が、いかなる状況のなかで手紙を記していたかを、知る由もなかった。しかし、後日、それを知った友は、感涙にむせび、拳を振るわせ、共戦の誓いを新たにするのであった。人間の心を打つものは、誠実なる行動以外にない。


 (「開拓者」の章、290~291ページ)

2018年10月17日付 聖教新聞 3面

世界広布新時代

創立90周年へ

「創価勝利の年」

(2019年)

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

更新日

2018.10.22

第1540回 

 

日天月天ワンショット

日めくり人間革命URL